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2016-09-18

君の名は。

君の名は。ダサい

大きな資本のもと、様々な大人ちょっかいを受けてなお、いままでと寸分違わぬ死ぬほど陳腐で退屈なセカイ系しか描けない絶望的に才能のない新海誠

ポストエヴァ世代()10年も前に通過した我々にとって、2016年にこれは必要がない。もうすでに90年代ゼロ年代も総括され、のこるは焼け野原だけだ。

全てにおいて使い古された借り物のモティーフだけで構成された、自分を持たない新海誠を受け入れ「マジ泣けた」と諸手を挙げて歓迎している大衆の多さ、頭の悪さに辟易する。

何の意味も無い、完全なる駄作だった。

時間無駄お金無駄害悪

映画聲の形」"私(達)の時代の話をしているんだ"

2016年9月17日今日公開の映画聲の形」を観てきた。

写実的実存感に溢れる流麗な映像と共にかかるThe WHOのMy Generationに、山田尚子監督京都アニメーションの円熟と"私(達)の時代の話をしているんだ"という監督の高らかな宣言を感じた。

単行本7巻分の原作を2時間シェイプアップされた映像は、大胆な再構成説明要素の排除で進行される。

この映画は将也の物語だ。

原作で描かれた硝子の主観ほぼほぼ排除されている。硝子は聴覚障害があり、手話不明瞭な言葉しかコミュニケーションを取ることが出来ない。

それは劇中でもありのまま描かれ、我々健聴者は彼女が何を言っているのか正確に理解できない。

将也や、その他の登場人物の反応で保管できる部分はあるが、原作のように硝子の視点も用意されておらず、想像範疇を出ない。(なんとモノローグすらない)

まり観客は彼女同化することを構造上許されていないのだ。(これは字幕上映を観ることで考えが変わるかもしれない)

物言えぬ硝子を介して、将也はコミュニケーションを、人の間で生きていくことを学ぶ。

しか原作で大きく扱われていた周辺登場人物との関係欺瞞に満ちた映画作り〜かつて失くしたコミュニケーションの復活・その崩壊・硝子による再構築)も排除されている。

将也の成長物語のみに徹底的にフォーカスした結果、将也の成長を促す硝子を含むすべての周辺登場人物へのフォーカスを切り捨てたのだ。

それでは山田尚子監督及び京都アニメーションスタッフ陣はどのような物語演出方法を取ったのか?

それは徹底的なリアリズムと情感を託された映像密度と、そこにあるもの以外語らない、という選択だったのだと思う。

ノイジーでインダストリアル劇伴と静かに喋る将也と物言えぬ硝子。大きなカタルシスを用意するでもなく(物語上には存在するが、ここで挙げるのは演出上のカタルシス)、ただただ丁寧に心の機微は描く。

その役割言語化されたコミュニケーション大前提劇映画では異常なほど、人物(言語)ではなく映像に委ねられている。

象徴的に繰り返し映し出される様々な花のモチーフにも、それぞれ意味があり、雄弁に語る。しかしそこに言語はない。

とても静かな映画だった。

それは聴覚障害コミュニケーション少年の成長、という大きな主題映像化する上でベター選択だったし、原作モノを再解釈して色を付ける、しかあくま原作範疇から出ることはせず、映像化にあたっての最良の選択だった。

けいおん!」で見せた山田尚子監督バケモノ級の構成力がいままさに円熟しているのを感じずには居られなかった。

もちろんその演出選択できる体力としての京都アニメーションスタッフ技量があってのこの映画だったと思う。

響け!ユーフォニアム」で到達点を見せたと思われた、写実的被写体キャメラ存在を追求した京都アニメーションレイアウト撮影までの画作りの更なる進化があってこそ、将也の心情に寄り添った雄弁な映像は生まれたのだ。

先週観た「君の名は。」で新海誠が描いていた、印象だけで構成された陳腐空虚しかないセンスの欠片もない映像と退屈で死にそうなほど単純なボーイミーツガールポストエヴァ世代の終わりなき呪縛を今作は問題外と言わんばかりに完璧凌駕していた。比較対象雑魚すぎるきらいもあるが、あらゆる意味次元が違った。

新海誠代表されるセカイ系次世代として2000年代後半に登場した、近景に特化した所謂空気系旗手として君臨した「けいおん!」は物語歴史の中でノスタルジックかつアブストラクトエポック作品だったが、その監督である山田尚子京都アニメーションさらなる次世代を紡ぐ、体制側・システムとしての完成をみたのが今作だったと思う。

オルタナティブとしての物語自分ストーリーとして受け取る現世代のための物語装置を創りだすシステムとしての京都アニメーション

圧倒的なクオリティと確実なチョイスで、先陣を切りそれを体現していく山田尚子恐ろしいことに今回は萌え武器にもしていないのだ。

派手な爆発も、世界を救う大いなる力も、悩める個人と直結したセカイも、今作の持つ超弩級の冷静さの前では旧態依然とした使い古されたアイデアしか無かった。

それでも丁寧に丁寧に人の手で作られたアニメーションは、絵が動き、実写以上の実存感を持って我々の心に寄り添い訴えてくる。

時代に生きられることに感謝し、最大級の賛美を持って新時代の幕開けを向かい入れたいと思った。

必見。

2016-09-16

君の名は。日本中でバズりまくっているけど

新海誠エロゲのオープニングを作っていた事実を知っている割合がどんどん減っていくことに深い感慨を覚える。

かつては幼女が傘開くシーン見て皆で感動してたんだぜ。

君の名は。を見た時のアニオタ一般人と糞ニワカの差

アニオタ

新海誠もやろうと思えば一般受けやすいもん作れるんやなぁ

一般人

エモい!超泣けた!

批評家

新海誠という素晴らしい監督をご存知だろうか?(ドヤ顔

2016-09-15

君の名は。アラサーが見たけど刺さらなかった

ネタバレを多分に含んでおりますので、ご注意ください。





全体的に錆び付いてしまった私の感性では泣くほど感動できませんでした。

君の名は。が"メガ"ヒットしたわけ

ヒットしたわけは分かるが

"メガ"ヒットしたわけがからない人へ,

君は本当に彼らの口コミスピードと新しいもの好きを知らないんだね。

まずヒットした理由を3行で,



そんで"メガ"のためにもう2つ足す。

中高生に焦点をあてたボーイミーツガールだということ,そして彼らの口コミ伝播速度はまるでそこだけが別世界のようにはやいということ。

まり,全体のアーリーグループ裾野まで収まるほど時の流れの早い中高生をメインターゲットにしたこと。

もちろん,この理由でなければ"メガ"がつかないなんてことはない。しかしこの作品はこれで"メガ"がつく。

---

彼らは毎朝通学や休み時間で暇をつぶすために会話をする。

他愛のない会話をすることにとっても慣れている。

前日に観た映画話題なんかドンピシャ

しかもそれがとっても共感できる,キュンキュンできる作品なら…そりゃあとってもオススメするだろうね。

多感な中高生なら2時間で突然「君の名は。」のコアなファンになってごリ押しまくってもなにもおかしくない。(新海誠のそれではない。)

そこにRADWIMPS

アナタRADの詞を読んだことがないでしょう?

彼らは中学生でも理解できる語彙を使って,中高生が惚れるような詩をかく。

胸が締め付けられるような詩 カッコよさで狂ってしまいそうになるような詩

/// 追記 - 201609152329

/// 君の名は。では

/// 「でも君のいない 世界など 夏休みのない 八月のよう」

/// が一番記憶に残った。これはRAD作家性をとてもよく表現した良い詞だと思う。

RADメジャーデビューして10年経ってる。

バンドなんてメジャーレーベルだけでも一人の人間が全部聞くのは不可能に近いくらい沢山ある。中高生に聞かれるのは一握り。

RADはその一握りに長い間居座り続けている。

中高生は今もRADの曲を歌うし,バンドでやる。

そのくらいにはRAD中高生に好かれてる。これ以上は日記RADWINPSに寄り過ぎちゃうからコレでも置いとくさ。

http://music-book.jp/music/news/column/107155

9割(1割はマセた子)がRADも好きになる世代から,観たやつはみんな君の名は。を"べた"褒めしてオススメした。

から観に来るし,予約してないのにギリギリに行くから観れないと文句を垂れる。

彼らの熱量はすごい。__世界若者熱量供給で回っていると俺は思う。__彼らの影響力は大きい。

朝のニュースは彼らを取材して,彼らのコメントを拾い,そして私達はいつも彼らの声を聞く。

彼らは当然中高生並の感想を喋るが,熱量は伝わる。その熱量に気圧されて,アーリーマジョリティが動く。

---

また,中高生は新しいものを抵抗なく好きになれる。まだ知らないものばかりだからだ。

裏を返せばまたすぐに塗り替えられるのだが,上映期間の3ヶ月くらいは保つ。

知らないことばかりの彼らの時間は,大人と比べてとてもはやく流れる。

彼らの世代では既にレイトマジョリティまで届いているかもしれない。

彼らが受け入れられるものについて,彼らの裾野はいつもマジョリティの山まで引っ張られていると思う。

---

この映画リピートにもそれなりに耐えられるが,中高生には金が無いし,時間も土日にしかない。

彼らが受け入れたせいでこの映画の動員数は過去の曲線よりも頭を打つのが早くなると思う。

最後に,用いた尺度を参考までに

2% - 200万 - ヒット

5% - 500万 - 大ヒット

1% - 100万 - メガビット

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追記

伝えたいことがここにデータ込みで書いてあった。感謝

君の名は。』のメガヒット製作委員会とみんなのツイートがもたらした(境治) - Y!ニュース

http://bylines.news.yahoo.co.jp/sakaiosamu/20160914-00062175/

2016-09-14

君の名はマジよかったよ!

シンゴジラ面白すぎて青春映画なんて見ても

やっぱシンゴジラだよねみたいな再評価に落ち着くかと思ってたけど裏切られたよ!

新海誠いいよ!

おっさんだろうけどすごいよ!

おれもおっさんだけど尊敬するよ!

レビューで年取った人が見ても所詮主人公感情移入できなくてヘコんで虚しいだけみたいなこと言ってたけど、全然そんなこよないよ!

おっさんの思い出も掘り起こされたよ!

甘酸っぱい青春なんてなかったけど

むりやりないものを掘り起こされたよ!

そしてなんか見つかっちゃよ!

捏造だよ!

土足でおっさんの思い出にズカズカ入って来られたよ!

アメリカ人だよ!ハリウッドだよ!

もう国籍アメリカだよ!

三葉生きててよかったよ!

四葉もだよ!

ここはちょっとネタばれだよ!

おっさん毎日生きてるよ!

ラッドもよかったよ!

ラッドよかったってレビューで書いてあるの見たか

歌詞に集中して映画見てたけどあんまりよくわかんなくて

でも雰囲気でなんかよさそうだってのはすごく伝わってきたよ!

それで満足しちゃったよ!

applemusicでラッドDLしようと思ったけどなんか日本対応とか言って怒られたよ!

おっさんが住んでるのはバリバリ日本だよ!

しょうがいからなんかベストバン聞いてるよ!

映画みたてで興奮してるよ!

シンゴジラで盛り上がったおっさんたちも君の名は見ようよ!

ネットに持論展開しておっさんを楽しませてよ!

圧倒的にレビュー数少ないよ!

君の名が知りたいよ!

おっさんの前に座ってるザワンのおっさんの降りる駅が知りたいよ!

おっさんの名はまさおだよ!

まず自分から名乗るよ!

匿名だけど名乗っちゃうよ!

明日早朝リリースだよ!

帰ったら早く寝るよ!

起きて事務のおばさんと入れ替わってたら困るよ!

新海誠川村元気RADWIMPSについての勘違い

および、君の名は。が導くポエム評論というライター楽園

http://shiba710.hateblo.jp/entry/2016/09/14/122251

この底の浅いヒョロヒョロな評論考察を読んでイライラしてしまった。ライター仕事ほしくてケツにローション塗りたくって新海と川村野田にケツ差し出して媚びてるようなヌルヌル文章だよ。こんなの。

まあネット巡回して色んな意見をまとめて自分の考えをたとえ薄っぺらい内容でも分かりやすく主張して言っているという部分ではローションライターとしてはいい線いってるんじゃないか

で、内容は

東浩紀渡邉大輔とかはリア充性に注目しているけど、そうじゃない、エンタメ技術論なんだと。うん。その方法論の実現のためにRADWIMPSという存在があると。うん。で、そういう組み合わせを仕掛けた川村元気天才的なんだと。ううん?

ど、どういうことだろう。一体この人は何を言ってるんだろう。

>こういう風にお互いに共通する世界観作家性を持つクリエイターを結びつけるのが、まさに「プロデューサー仕事」なんだなと思う。そして、「音楽×映画」という観点で見ると、川村元気という人はいろんな実績がある。

中略

高木正勝山口一郎野田洋次郎中田ヤスタカのような作家性の強いアーティストに「映画のための音楽」を作らせる手腕。さら主題歌劇伴を同じアーティストが手掛けることによって、映画音楽が密接に関わりあう作品に仕上げる手腕。そのあたりは、『バクマン』や『君の名は。』や『何者』に共通する、川村元気プロデューサーとしての天才性だと思う。



おうおうおうおう、いぇいいぇいえいぇい。そうね。はいはいはい

なんか知ってるなあ。こういう物語音楽のあり方、なんだっけなあ。昔あったな~、同人誌タイトルで、椎名林檎とかcoccoとかポルノグラフィティとかの曲名同人誌タイトルにしたりさあ。自分の好きなカプのテーマ曲脳内設定したりあったなあ。つか今でも見かけるなあ。

はい。そういうことなんですよ。

結局川村元気においての映画音楽なんてのはこういうことを東宝プロデューサーとしてのスケールでやっているだけで、天才的な手腕でも何でもない。ただの凡庸さゆえにより大きなマーケットに向けての仕事ができるというだけです。村上春樹聞きながらレディオヘッドとか聞いてる学生と似たようなもんなんです。たぶん、人脈つくりや人と仲良くなることが得意なんでしょう。どうでもいいことですが。

本題なんだけど、もうさ、君の名は。の褒め文章、どれもこれも高校生ポエムみたいなのでうんざりする。なにがちょうちょ結びだよ。テーマが結びだ? んな程度のことたいていの物語系のコンテンツ君の名は。以上の水準でやってるよ。挿入歌歌詞考察アニメ映画評論かいな。さらにそんなスッカスカの考察のアホみたいな文章ブコメで称賛するスーパーアホもわんさか。こういうアホどもをあぶりだしたことが君の名は。の最大の達成かもしれんな。あと褒めるべきは、中高生をひたすら甘やかしてうっとりした気持にさせるためだけに日本アニメシーンで最高峰人材が浪費されたのは虚しいこととはいえけっこうな金儲けになったことだけはまあ褒めてもいいだろう。問題はそんな映画についてクソポエムを書いてしまう連中とそれにくっついていくクソオタ。

チャーリーポエムに続けて40のオッサンが「ここはまさに同意」じゃないんだよ。

こういう奴ら明日全員ウンコ踏んでほしい。


君の名は。に前史みたいなものがもしあるとしたら、適当に今考えつくだけでも、書けるだろう。

ニコニコ動画2006年に開始

初音ミク2007年

そして新海誠が作った山崎まさよしPVになってしまったような秒速5センチメートルが公開されたのは2007年ハルヒダンスなんかも当時の中高生にとっては重要なのかな。適当に言ってるだけだけど。

まりアニメ文化PV映像センス親和性消費者リテラシーがこの10年間でとんでもなく浸透し、上昇した。具体的には、自己像を架空世界二次元キャラアニ世界に没入させる技術が今の1020代はそれ以前の世代と比べて圧倒的に優れているわけ。

そしてさらカゲロウプロジェクト告白実行委員会ボカロ小説といった、若者向け物語文化さらにそういうPV的な音楽物語需要さら拍車をかけた。

はっきり言って、やってること同じでしょ? 君の名は。カゲプロとかずっと前から好きでしたとかって。新宿感はストリート感に対応しているし、青春キド胸キュンストーリーだし。

震災をダシにしつつ実際は自分恋愛成就しか興味がないウスラバカのための映画子供背伸びにもピッタリ。




というのはまあクソオタ向けのまとめであって、なんでこんなとてつもないヒットしたかって、結局のところ新海誠のくどい撮影キラキラ画面というのは、大衆にとって衝撃的な画面として映ったってことでしょう。しかも、描かれているものスピリチュアルスケールが大きい。ただ素朴に、「え~。アニメでこんなにキラキラした画面初めて~。すご~い」ですよ。それを映画館の大画面で見るんだからカルチャーショックでしょう。物語の内容がアホみたいな間の抜けた王子様とお姫様のきっしょいラブストーリーだとしてもね。べつに中高生がうっとりするのにはそれでいいんですよ。(本当はよくない) 問題はそんなのでポエムちゃう連中。

田中将賀パンピ向けデザイン安藤雅司ほかのとんでもない水準のリアリズム作画青春キド胸キュンストーリーが、実際の物語としての出来はともかく、予告だけ見てたらとんでもなくヘルシーで健康的な印象でしょ。そういうただひたすらキュンキュンときめきたいっていう大衆の眠っていた願望を呼び覚ますには充分すぎる画面を提示することができたわけ。本当にただそれだけなの。凡庸物語センス新海誠凡庸音楽仕掛け人であるところの川村元気センス大衆向けの子供だましクールジャパンアニメの到達点として結実したというのが妥当見解でしょうよ。

からポエムはもうやめろ、お前ら。きもいだけだから




ブクマとかトラバ読んだよ。

物語コンテンツ需要における文脈や楽しむための作法には積み重なっていく歴史があるんだということさえ理解できないバカが大量宣伝大衆向けの物語でやったか川村がすごいんだと単細胞意見でつっかかってるんだね。ガンダムマクロスをたとえに出して、君の名は。カゲプロが似てると思うのは老いだぞ、とか。このエントリ文意さえ読み取れてないみたいで、これはバカでも分かるように書かなかったこっちが悪いのかな。それともバカなのが悪いのかな。

君の名は。バカにされて頭がフットーしてる人、ケチつけられることがつらい人にオススメなのは川村元気他所の畑で実った果実自分の畑で植え直して大衆に売ることの天才とでも思っとけば川村でも天才扱いできるからいいんじゃない

こっちはライターがフェアな関係であるべき対象天才とか軽々しく言い出したのがイラついただけなんでね。

文脈なんて前提だよって人もいるけど、だったらライターはその文脈歴史として記述しなきゃ。ポエムなんかよりも。

なぜヒットしたのか? 天才プロデューサー仕事からでありますって。ちゃんちゃらおかしいよ。ライタープロデューサー褒めそやしてバカ素人がそれに乗っかって「これが君の名は。の正しい評論だよなあ」って好きなもの同士の特権意識で頷き合ってる気持ち悪い構図になってるんだがら。

このライターの人も君の名は。RADWIMPS音楽で読み解きたいんじゃなくてただ取引先ともっと仲良くなりたいってだけなんじゃないかなあ。業界の仕組みなんて知らないけどさ。

君の名は。」が大ヒットしているたった1つの理由

君の名は。を「つまらない」じゃなく「なんでウケてるのかわからない」って言ってる奴、自分でぼくちんはバカですって言ってるわけだけど、大丈夫

twitter見てると特に多いのが売れねー漫画家やらラノベ作家やらイラストレータな。自分自分が売れない理由説明してる自覚もない。一生売れないだろうね。

君の名は。がヒットしてるのは、普段アニメを見ない、つまりオタク層以外を取り込めたからっていうのを前提として。

なんでパンピー特に中高生)にもオタクにもウケてるのか?は、一言で言える。

ベタ恋愛物」だったか新海誠を知らないパンピーにウケたし、「ベタ恋愛物」だったか新海誠を知っているオタクにもウケた。それだけ。

おそらく少し前に「ずっと前から好きでした。」がヒットしたのが相当でかい一般人への「アニメを見る」ことのハードルを下げたという意味で。

ずっと前から〜は広報というか宣伝担当ががめちゃくちゃ有能で、中高生特に女子を狙い撃ちにして、実際にヒットさせた。

まり、「王道恋愛ストーリー」で「中高生大人気のアーティストを器用」で「口コミでの広まりを期待」。

君の名は。」はストーリー的には驚きは全く無い王道ストーリー、RADWINPSを起用、さら口コミ中高生以外の客層を呼ぶ。

もーそれだけでパンピーへのヒット要素あるわけだけど、さらオタク達にもウケている。なぜか。

それは、「あの新海誠王道恋愛ストーリーエンタメ作品を作った!!」っていう驚き。

あんだけ童貞をこじらせていた新海誠が、まっとうなハッピーエンド作品を作ったのよ。そらオタクは「新海が童貞をすてたぞ〜〜!!」って騒ぐわな。

要するに、パンピーには「アニメなのにオタク要素のない(あるけど)恋愛物!」でウケるし、オタクには「あの新海誠によるまっとうなエンタメ作品!!」でウケてる。

君の名は。宣伝担当は相当強かで賢いんだろうなぁ。映画をここまで全て計算ずくで狙い撃ちしてヒットさせられるなら、日本映画業界はまだまだ行けそう。

2016-09-13

君の名は。」と「君の名は

新海誠氏の「君の名は。」は、菊田一夫氏の「君の名は」との関連性や権利関係のことがほとんど語られていないけど、万障お繰り合わせて周到に準備した上で、あえて同じタイトルを使ったんだよね。リスペクトであるならば、その旨を語ったインタビュー記事とかないのかな。それとも商標登録してないじゃん!ラッキーみたいなことなのか。

すっきりしない。

新海誠のヒット作はネクロマンサーか?

ってくらい美少女ゲーム話題だった時代作品社会自己流に結びつける亡霊を蘇らせてる。

ジブリクラスヒットメーカーなっちゃったら、世の中美少女ゲームゾンビで溢れそう。

 

はいえ、美少女ゲーム表現演出的にも時代遅れからインディーズ話題になることはあっても、

商業として復活することはないんだろうけど。

2016-09-12

君の名は」でパニック発作起こした1000円返せ新海誠

話題になっている新海誠映画君の名は」を見に行ってきた。

……のだが、途中で軽いパニック発作のようになってしまい、上映開始30分ほどで席を立って出てきてしまった。

ほんとうに、情けなさすぎて死んでしまいたいし、入場料がもったいなさすぎてもやもやしている。

30代なのに、若いカップルだらけという映画を見に行って大丈夫なのか、心配だったのでレイトショーで見に行った。

はいっても、割引で1000円で見ることができるものを持っているメンヘラなので、レイトショーでも料金は関係ないのだが。

映画は、上映開始した時点から、あまりにもキラキラしすぎていて、若々しさがあふれすぎていてニヤついてしまうくらいだった。

とくにOPはクサすぎるくらいのキラキラで、精神的に高揚感あふれるくらい。

ところが、途中でパニックになるようなシーンがあって、途中退席せざるをえなかった。

ネタバレになるような内容ではないので、作品を見た人がわかるようにどのシーンか書くと、

男のほうのキャラクターアルバイト先で客にイチャモンをつけられて、机を叩いて詰められて、理不尽要求をされ、同僚の女性いやがらせを受けるシーンである

このシーンが始まった瞬間精神的に辛くなって、机をバンと叩く効果音でもう無理になってしまった。

そのあとなんとか座席に座っていようと思ったが、辛くなって中座してしまった。

(以前にも、他人仕事上の重大なミスをした話題を聞いただけで同じような発作になってしまったことがある)

ほんとうに、なんで映画をみていて、しかも、人畜無害であることがわかりきっている「君の名は」でこんなことになってしまったのか、情けなくて仕方ない。

なんというか、流れ弾を食らったような気分だ。

はいえ、タイトル釣りなので、本当に1000円返せと思っているわけではないし、新海誠にそのような表現はやめろというつもりは全くない。

言いたいのは、自分が本当にこんなことでパニックを起こしてしまって情けないということ。

そして、同じようなパニック不安の発作を経験したことがある人は、「君の名は」を見たときに同じようなことになる可能性があるので、あらかじめ注意したほうがいいということだ。

最近いたこと。

1つめ

君の名は」がシンゴジラを抜いてしまったこと。

2つめ

君の名は」の作者は「サマーウォーズ」とか作ってる作者だと思っていたらまったく違う人だったということ。

新海誠ジブリに行って落とされたと思っていた。

3つめ

シンゴジラに出ていた安田役が高橋一生って人で、「耳をすませば」のせいじくん役だったってこと。

ここに高校生やら大学生くらいの若い子がいたなら教えてほしいんだが

君の名はって、公開前から評判になってた?

話題から見に行くっていうんだったら、一般受けはわかるんだけど

おれが興味あるのは、初日とか二日目とかに「一般人」とやらが食いつくのは、どういった導線なのかが興味あるんだよね

おじさん(35歳)はこの映画を、公開後の興行成績のよさを知らせる記事で知ったんだよ

いや、正確に言うと新海アニメは割と見てたから、新作やるんだなくらいの話は半年くらいまえに知ってはいたんだけど

ぶっちゃけ新海誠って、興行成績数億円程度の、知る人ぞ知る映画ばっか作ってた人だから

二日で今までの新海アニメを抜いたとかい記事見て

一般人はどういう動機で見に行ったんだろうと、普通に興味がある

いままで見てこなかっただろう新海アニメをこれだけの人が見に行く。しかオタク層じゃない人が

ごり押しっていうならそれはほかのアニメでもいえると思うし

どういう理屈なのか知りたい

おとといのNHKスイッチ対談で新海誠川上未映子が対談してた

川上未映子はめちゃくちゃおしゃべりでうざいおばさんだった

いやきれいでかわいかったけど

山本梓ちょっと似ててエロ可愛かったけど

いいたいのはそんなことじゃない

番組内で君の名はの途中までのネタバレをしてくれやがったんだよ

映像ナレーション込みで

それがムカつく

もう見てて当たり前だからってか?

入れ替わってしまう、くらいまでなら別にいいけどさ、その後入れ替わりが起きなくなってしまって会いにいくために探すとかまでいわんでいいやろ

それもう起承転結で言えば転くらいまでいっとるやろ

何考えてんだよクソnhk

君の名は。

見てないんだけど、女性客多めという話からポリコレ観点で人気の秘密を推測してみる。

まり、派手な映像ドラマが期待されないからこそ「オフェンドされない」心地よさを感じさせる魅力というのがあるのではなかろうか。

展開がなく、ドラマもなく、ただ気持ちいい自己肯定だけを綺麗な映像に乗せて延々見せてくれるという魅力。

それがある種の、普段攻撃的な世界からストレスを受け続けている客層には何よりもストレートアピールする。

そんな心情があるのではないだろうか。

 

つーか、新海誠のクソ中身のないコピペ映像なんか、それ以外の理由で見たがる奴の気が知れん。

"君の名は。"を観て今までの自分を振り返って頭を抱えた話

君の名は。」のネタバレ無し

平日の昼過ぎカップルやイケイケの同年代などに囲まれて、君の名は。を観た。

友達がいないので、スマホを持っているがLINEもしないような人間が、上映前の数分間、覚悟してたが、それはそれは居心地が悪い時間だった。そもそも、あの新海誠作品一般に広く受け入られて大ヒットしていることを驚いたことが劇場に足を運んだ理由だった。

  

自分感想に衝撃を受けた。

「こんな青春してみたかった」

いままでそんなこと思ったことがなかった。

  

自分にとって中学校時代漫画アニメゲームの"消費"は、いわゆるリア充である校内の主流派になじめない自分への言い訳だった。

  

「小2でラノベに触れてしまった。小3で深夜アニメにはまってしまった。小4でエロゲに手を出した。」だから普通の人と私は違ってしまった」

  

本当はそんな因果はないのだが、そうしなければ自分を維持できなかったのだと思う。

いつもニコニコ気だるげな受け身の人間、関わってくる人を拒絶せず、自分から他人に関わろうとしない。

そんな3年間だった。

  

  

高校入学し、その言い訳さらにひどくなった。"消費すら"を辞めたのである理由は単純。そこそこ偏差値が高め、だがパッとしない私立高校入学したところ、周りにオタクであることを公言する人間が一気に増えたかである

野球部ケイしかオタク。そんな奴がごろごろいた。もちろん世間から典型的オタクと呼ばれるような人間もたくさんいる。

最初はそんな彼らが羨ましかった。前者の人間だけでなく後者人間すらも。みんな楽しそうにめいめい自分たち感想を述べている。いままで自分が感じたものを共有することができず、何より他人と考えを共有しようともしなかった自分は彼ら彼女らが本当に羨ましかった。

しかし、交わることができない。そこでコンテンツの消費すら辞めた。

  

「私はテレビも見ない、本も読まない、一緒遊ぶこともないか出来事を共有することがない(高校から家が遠いことを理由に誘いはすべて断っていた)」だから普通の人と私は違っている。なじめない。」

  

そんな考えのもと、他人が楽しそうに生きているのを見ることを趣味をしていた時期があった。

そんな高校生活前半だった。

  

  

後半は更にひどいものであった。部活の先輩に言われた言葉きっかである

「○○(私の名前)って今この瞬間、この部の誰かが死んでも何も思わなさそう」

面と向かって言われて、確かにその通りと思った。実際、中学時代同級生通夜葬式かに出た時も同じ部活同級生だったが何も思うことはなかった。(中学時代人間とは誰とも連絡先すら知らないような仲だったが帰り道に斎場があり、声を掛けられて出ることになった。)

自分はそもそも何にも興味がないのだろうとそれから思い始めた。

  

「私は何も楽しめない」だから普通の人と私は違っている。なじめない。」

  

何もせずゆっくりと生きていた。

  

  

そのまま1年間の浪人生活に入った。人と関わりたくない自分研究室は向いていない、センター試験後にそう思い絶対安全と言われた国立大学を落とした。浪人生活中にできる限り人と関わらずに卒業できる近場の大学学部を探した。ゼミ無しで卒業できる文系学部に現役時とほぼ変わらない成績で入った。

親の金を浪費し、予備校までの電車終点から終点まで行ったり来たり、本を読んで過ごした。そもそも行ってないのだから、当然、予備校人間に知り合いは一人もいなかった。

ただ自由時間ができたことで再び漫画アニメゲームを楽しむことができた。

小学生の時以来である

  

大学に入った、予定通り人と関わらず過ごしている。

バイトも役を演じればよい塾講師友達も作らず、飲み会など行ったことなどない。

とても満足していた。

大学卒業したら家を出て一人で静かに暮らすのだろうと、そのうち専門業者とでも契約して死んだ後の処理をしてもらえるようにして適当に暮らそうと、そう思っていた。

から青春なんてものは、自分以外のものだと思っていた。

  

それが「君の名は。」を見たとき自然と「青春をしたかった」と思ったのである

そもそもなにが青春なのかわからない。

君の名は。を見て感じたのだからだれか他人を求めているかもしれないが、そもそも家族にすら演じている自分を見せている自分が何ができるのか。人との付き合いの方法など分からない。

どうすればいいのか。どうすることもできないのか。誰にも聞くことができない。聞き方すらわからない。どうすればいいのか。

2016-09-11

http://anond.hatelabo.jp/20160911225030

精神若さで言えば

10年20年前の作品に結びつけることでしか語れないゼロ年代批評家

          <現代若者に向けて作品を作った君の名はを作った新海誠

                   <それを見て嫉妬燃え自らの作品新海誠潰しを心に決める富野由悠季

2016-09-10

君の名は。」の東京至上主義死ぬ気持ち悪い(追記有)

君の名は。」を観た。映画としては面白かったが、監督東京至上主義的発想がにじみ出ていて気分の悪い作品だった。以下ネタバレこみでどこが気持ち悪かったか書く。


まず、三葉が飛騨に住んでいるのに東京の話ばかりするところが気持ち悪い。飛騨は一応岐阜の一部であり東海地方であるテレビ名古屋ニュースが入るはず。ならば、まず三葉が向かうべき都会は東京ではなく名古屋のはずである。もちろん、東京名古屋では都市の規模に明確な差があるけれど、「カッフェ」はたくさんあるし雇用も最低限はある。実家の様子を見に行くことを考えれば名古屋就職するという選択肢も考えられるはずで、そこがすっぽり抜け落ちているのが不思議だ。小説版では三葉が名古屋のことを「大きな田舎」と表現する場面があるらしいが、当たり前だが飛騨よりは名古屋のほうが何倍も都会だ。三葉たちが困っていたのは「カッフェ」がないこと、雇用がないこと、訳のわからない因習があることだ。それらから逃れるためだけならば東京ではなく、岐阜市なり名古屋市なり富山市なり近くの地方都市に引っ越せばいい話である。(岐阜富山雇用が少ないかもしれないけれど)三葉が「田舎」を脱出したいという気持ちはわかるが、その向かう先が「東京」である必然性は感じられなかった。

次に、三葉たち糸森村の若者たちが最終的に三人とも上京するというのが気持ち悪い。繰り返し書くが、三葉たちが「田舎から脱出するなら名古屋に引っ越すという手段もある。それなのに三人が三人とも東京に出てくるのはなぜなのか?また、百歩譲って名古屋飛騨と同じレベルの「大きな田舎」だとして、「田舎」に彼らが残らなかったのはなぜか?糸森が消滅したとして、その地元愛着があるなら欠点はあれど飛騨に残るという考え方も抱けたはずだ。特にテッシーは親父が土建屋でその跡を継ぐという選択肢も考えられたはずであり、岐阜就職することもできたはず。東京に行った三葉と地方に残ったテッシーという対比もできたのに三人とも上京してしまうというのが腑に落ちなかった。

そして、彗星が墜落したあとの三葉とテッシー夫婦以外の糸森町民の姿が描かれないのも気持ち悪い。町は半分くらい吹っ飛んだが避難完了したはずで、三葉の妹やおばあちゃん、親父さんは生き残ったはずである。それなのにせいぜい三葉の親父さんが週刊誌に載ったことがわかるくらいで妹やおばあちゃんの後日談はない。あたか彗星によって三葉たち以外の糸森町民は抹殺されてしまたかのようだった。また三葉たちは生き残ったが、糸森という文化彗星墜落によって消滅してしまった。これは瀧が過去を改変する前も後も実は変わっていないように思えた。田舎文化田舎に残った人たちを瀧は実は救えていないのではないか

(そもそもおばあちゃんや妹は生き残ったのかという疑問もある。ラスト付近で瀧が彗星被害について振り返ったとき、彼は「突然の避難訓練によって、奇跡的に『ほとんど』の町民が生き残った」といった。この言葉からわかるのはあの彗星墜落によって少なからず死者が出ていたということである。その死者の中にテッシーの親父や三葉パパや四葉が入っていた可能性も後日談が描かれなかったから十分ありうる。神社土建屋といった「田舎因習」の象徴である彼らを監督は観客にはわからない形で彗星で消し去ってしまっていたのかもしれない。)



自分意見を整理すると以下の二つ

①「君の名は。」の世界には「東京」と「ど田舎(=飛騨)」しか存在しないのが気持ち悪い。地方都市存在無視している。

若者たちは必ず「東京」へ行かなければならず、彼らが抜けだしてしまった「ど田舎」は描く必要がないという思想気持ち悪い。東京は必ずしも「地上の楽園」ではないし、若者たちが抜けだしても飛騨に残った人たちの生活は続いている。「田舎」は「東京」へ向かう若者たち踏み台ではない。

この二つは監督の「東京至上主義から出てきているのではないか東京以外に日本に都会はなく、あとは全て「田舎である。「都会(=東京)」は素晴らしく、「田舎(=東京以外)」はくそったれであり、若者は必ず上京しなければならない。自分は新海監督のファンではないので彼が今までどういう映画を撮ってきたかよくしらない。だけど、「君の名は。」を自分なりに解釈するとこういうメッセージがあるように思えて仕方ない。そしてこの発想は「東京以外」にすむ自分としては非常に気持ち悪い。セカイ系だなんたら言われてる人らしいがその手の批判もむべなるかな、と思ってしまうような映画だった。



・追記

一部ブコメに返信


「miruna 軽井沢田舎ボンボンにはTOKYOあんキラキラに見えるんだよきっと。ファーストフードの豊かさを無視してブルジョア高校生がクソ高いカフェお茶してトラットリアバイトするんだから。」

これは全くその通りだと思います自分がなんでこんな増田を書いたかというと恐らく新海監督は長野のご出身(それも関東圏にかなり近い)なので都会=東京なんですよ。彼の原体験にはど田舎長野)と都会(東京しかない。近くに札幌福岡名古屋のようなそこそこ都会な都市がない。だから地方都市をぶっ飛ばし若者がみな東京にすい寄せられていく話を書いたんだと思います。でもそれは福岡名古屋札幌のほうが東京より近いエリアでは微妙事情が違ってくるはずなんですよね。だから本当はご自身出身である長野東部舞台にされたほうがしっくりくると思います

「Phenomenon あんだけ飛騨を美しく描いてるのにその解釈②はないんじゃない」

この点については「星の降る夜に”『君の名は。』(ネタバレ) - 私設刑務所CHATEAU D'IF http://chateaudif.hatenadiary.com/entry/2016/09/09/232626」というエントリー自分以上にわかやす解説しています

新海誠本人の田舎への郷愁景色のみで、ヒロインの言う「都会に行きたい」、東京大好きが本音というところだろうか。彗星には世界が滅びる鬱映画メランコリア』的な破壊衝動も感じる。人が死ぬ必要さらさらないけれど、場としての田舎は滅び去れ! 災害描写3.11メタファーなのだが、滅びるのが予言通り、みたいな乱暴さもあり、ババアの教えや伝統芸能が、街が救われることプラス自分恋愛のために存在した、というのはすごいナルシシズムだ。 ”

ヒロインや友人ら主要登場人物はみんな東京へと去り、親以上の世代のその後は語られないあたり、まさに「親殺し」の物語であったとも言える。”

メランコリア」は未見なのでよくわかりませんが、自分は「君の名は。」を観て「アクシズが墜落してしまった逆襲のシャア」みたいな映画だなあ、と感じました。人は死ななかったわけですが、彗星の落下自体「奇跡」回避できなかったということは、実はかなり絶望的な映画なのではないか、と。彗星の落下は自然現象ですが、その落下を設定したのは監督自身です。彼には田舎人間若者以外)を全て抹殺したいという願望があったのでは?少なくとも私は田舎に対する愛着は感じられませんでしたね。

とにかく自分事実誤認四葉彗星の死者数)をたくさんしているということもわかったので、もう一度見返したいと思います。そしたらまた追記を書くかも

2016-09-09

http://anond.hatelabo.jp/20160909150458

もちろん、それ「だけ」が直接の理由だとは言わないよ

テレビCMでの知名度アップを理由として考えるのであれば、

同じように知名度アップの一因に加えてもいいのではないか、という提案をしたかった。

何かひとつの大きな要因があるのではなくて、いろんな要素が複合的にプラス作用した、と見てもいいのではないか

ジブリ作品の売り上げの推移、知ってるでしょ?

ナウシカラピュタトトロあたりまでは、映画館での上映の成績なんて大したことなかったわけだけど、

地上波放送やらで知名度が上がるにつれてぐんと増えた(一時期までは、という但し書き付きで)

前作が振るわなかったからといって次作が伸びた理由にならない、とは言い切れないと思う

どちらかというと、ある作品が好評だとその次の作品の動員が多くなる、と考えることもできるはず。

とくに「君の名は。」は初動の数字が驚異的なわけで。

作品自体口コミ伝播よりも、事前に期待感が高まっていたと見てもいいのではないか

もちろん新海誠自身知名度もあるだろうけど

「絵柄」に注目するのであれば、同じ絵柄の作品であるあの花」「ここさけ」も参照してもいいのかな、と思った。

もう少し正確に言葉にしようと試みると、

あの花」「ここさけ」はある程度話題になっていた印象があったから、(もちろんアニメ寄りのメディアにおいてだけど)、

その人気が少なからプラス作用したというほうが、個人的には納得感が大きい、というのもある。

2016-09-08

童貞臭いと叩かれた新海誠世間に受け入れられた意味

お前らが散々童貞臭いと叩いた新海が絶好調

特に今回の君の名は10女性に人気だという

ここで今までお前らが否定していたある事実を伝える時が来ている

 

女も

童貞

好きなんだ

 

男だけが処女好きなのではない

解き放て

お前らの童貞力を

新海誠 作品を観ると

空港とか海底トンネルとか作るのを期待しちゃう

2016-09-07

http://anond.hatelabo.jp/20160907201321

まず、レタッチしてるだけではない

そして模倣レタッチはぜんぜん違う

次に、ラッセン批判されてるのは作品じゃなくて作品の売り方

最後に、新海誠は絵を売っていない。絵を使った映像作品を売っている

認識が浅い

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