はてなキーワード: 大都市とは
どんだけ頻繁に里帰りしたって、住んで生活してるのと同じ解像度で認識するのは無理だよ。
旅先の物価なんかずっと覚えてないだろ、それと一緒。
「田舎は都会より物価が安い」も「田舎と都会は物価変わらない」も、どちらも間違いだよ。
スーパーの商品に限っても、「大して変わらんな」って商品と「こんな値段でどうやって商売成り立ってんだ?」って商品がある。
家賃は劇的に違うし、その他違いがあるものとないものがいろいろ混在している。
首都圏に20年以上住んで、最近地方大都市に引っ越した身として思うのは
今住んでる地方大都市も含めて、「都会は家族の住むところじゃないな」という事かな。
都会に無理して家族で住む場合は途端に不自由な点が増え始める。
それでも教育の事とか考えると地方より都会の方が選択肢が多いのが辛いところだな。
一般的には地方大都市に住むより首都圏外縁部に住んだ方がいい場合とか多いんじゃないかと思うが
首都圏のあの人ゴミにウンザリして地方大都市に移った身としては、今現在自分に合った場所に住めていると思う。
自分が暮らしてない地域の事をよくわからないのは当たり前のことだよ。
田舎の住人は都会の事を知らないし、都会の住人は田舎の事を知らない。
俺の都会の認識も徐々に風化してるなという実感がある。
どれだけ技術が発達したって、人間の構造が変わらない限りその辺はこれから先も変わらないし、
そういう認識のズレはずっと消えないと思う。
https://coralcap.co/2023/11/japan4-0/
上記の記事と、それについたブコメを見て思ったことを適当に書く。
上記の記事は「経済活動の総量は減ったとしても、人口当たりで考えれば豊かさを向上させることは出来るはずだ」という趣旨だと思うんだが、
「経済活動の総量が減るだろ、何言ってんだ」みたいな頓珍漢なブコメが大量に星集めてるの見て悲しい。
ただ悲しい。
「日本が他国と比較してどうなのか」という観点でしか見ていない感じなので、著者は都会に住んでる人なんだろうな、という感じがする。
日本の経済活動の総量が減るということがどういうことなのかを理屈ではわかっていても実際どうなるのかを肌で感じたことが無いんだろうなと思う。
「都会に限った話」という条件で語るなら筆者の意見は妥当性のある内容だ。
人口が半分になろうとも、首都圏、大阪近辺、地方の大都市あたりは豊かさをより感じられるように変化させていくことは可能だろう。
その代わり、地方は末端から徐々に壊死していく。そこに対する提言は一切記事に書かれていない。
日本全体でどれだけ「平均的な豊かさ」が従来以上のものなったとしても、壊死する地方に住んでる人間の豊かさは2倍どころか、現状以下になることは明白だ。
そもそも著者の視界に入ってない事について私が推測で語っても何も意味がないのでこれ以上の言及は避ける。
議題を俎上に乗せるためにまず自身の考えを公開するという点は非常に素晴らしいと思う。
でも、ここから先にたどり着く議論の先には「都会VS地方」という結論のない戦いしかないように思う。
切り捨てられる側からしたら、移住した先により豊かな暮らしが待っていたとして、その豊かさをそのまま受け入れられるわけではないということは分かってほしい。
でもいずれ、この「正解のない問題」に対する答えを出す時期は来るので、罵り合いにしかたどり着かないとしても議論を始める価値はある。
俺個人はその問題が表面化する前にあの世に逃げるので、どんな意見を出そうと大した意味はない。
例の議員、旧来の家族観信奉者だからこんな条例案出したんだ、て見立てが主流みたいだけれど、他の動機かもしれないなと思っている(もちろんすべて憶測)
はてなでも、何かで事故が起きるとすぐに「〇〇を法律で禁止すべきだ!」と吠える人がけっこういる。例えば電動スクーターで危険運転者が1人自損事故で死んだだけでも「電動スクーターそのものを禁止すべき」という人が多い。
今回の条例案の動機も「放置されて子供が死んだ事件がある、なら放置を禁止すべきだ」という、かなり安直な動機が出発点だろう。
しかし、子供の放置も電動スクーターも、どちらも是非を決めるのは程度問題だ。制限速度を完璧に守ってる電動スクーターは特に危険な存在ではないし、小学生に5分間留守番をさせるのは特に危険なシチュエーションではない。しかし暴走する電動スクーターは危険だし、小学生に3日間留守番させるのは多くの人が危険だと考えるだろう。
つまり短時間でも子供を一人にするなというのは、「少数の事故を理由に、電動スクーターそのものを禁止すべき」と主張する人の心理と同じだ。規制には必ず抜け穴っぽいものが生じるが、それが許せないのだろう。
さらに言うと、「条文的には5分間の留守番でも条例違反になるが、そんなささいなものは『取り締まらなければいいじゃん』」と考えているかもしれない。例えば現代日本で多くの自動車がスピード違反を起こしているが、それに対しドライバーの多くが「警察は何かあったら自由に取り締まれるように、厳し過ぎる制限速度を設定しているだけで、10kmオーバー程度では取り締まられたりはしない」と認識しているようだ。
県議もそれと同じ理屈で「何かあったら自由に取り締まれるように、厳し過ぎる留守番制限を設定しているだけ」かもしれない。「〇時間以上の放置はダメ」みたいな基準を明言してしまうと抜け穴になってしまうから。
さらに、埼玉県は大都市だが、それでも地方議会は国会ほど立法能力が高くないと推測される。国家1種を通ったエリート官僚がサポートしたりしないので。
立法能力が低いことにより、「〇〇は良くない!禁止すべき!」という素人の感想レベルの意見がそのまま条例案になってしまったのでは。
共働きや核家族を敵視するためにこんな条例を作った、みたいなのは陰謀論っぽいので、より「ありそう」な動機を推測してみました。
大学在学中はSFに飢えていて、「AKIRA」とか「エヴァンゲリオン」とかを観ていたのだけれど、「ラーゼフォン」にはハマることができなかった。問題は長さなのではないかと思い、26話も見る必要のない映画を手に取った。
この作品が好きだったのは、クラークやイーガンが好きだった自分が求めている、別の惑星の風景描写があったことだ。僕が映像作品を評価するのは、どれくらい思いがけない風景を見せてくれるかだ。火星の大地や、木星とイオのあいだにかかる雷の橋が美しかった。ヒロインからの携帯メールにも確かクラークへの言及があった。
また、日常の美しさを切り取った言葉を、詩のようにつなげていくアニメを見たのは初めてで、そこも新鮮だった。
敵方の宇宙人が、鏡像となって話しかけてくるところなど、露骨にエヴァの影響を受けているし、詩的な文章も村上春樹のフォロワーに過ぎないと感じはしたものの、この監督の作品をもっと見てみたいと感じた。
「僕と彼女の猫」は忘れてしまった。珍しく自分が好意を寄せている女性視点の失恋の話だった気がする。
僕が好きな要素がとにかく詰まっていた。架空の歴史、知的に早熟だけれども情緒的には年相応の少年少女、そして天にそびえる真っ直ぐな塔。東京からも見える北海道のメガストラクチャーという、自分の想像力をはるかに超えた世界を見ることができた。
もちろん、欠点もあった。ヒロイン・佐由理を救うか世界を救うか決断を迫られる主人公・浩紀は、セカイ系の典型例に感じられて冷めてしまったし、あと、これは前にも書いたのだけれど、主人公のやっていることはテロリズムの肯定だ。
テロ組織の名前も、北海道を手に入れるためなのにアイヌ解放戦線じゃなくて、サハリン・樺太の先住民族ウィルタ解放戦線だ。ヒロインの祖父の名前ツキノエはアイヌ系の名前だが、そこには一切触れられないし、朝鮮半島のように南北に別れた家族の悲劇は、ごくわずかしか触れられず、プロットには絡んでこない。つまるところ、政治は装飾でしかない。いいのか。
にもかかわらず、この作品を好きになってしまった。アニメで精密に描かれた東京の景色は、当時の僕の生活圏とかぶっていた。自分の暮らす世界の彩度を高めた景色は、ぐずぐずとした感傷に僕を引き込んだ。何にもでもなれると、まだかろうじて思い込めていた頃だった。
そして、テーマ曲があまりにも切なく、これがずっと頭の中で流れ続けていた。過剰なまでに作中で繰り返され、露骨でさえある。しかし、悔しいけれども切ない気持ちになるのをやめられなかった。ラストで虚無に飲まれる北海道の美しさで息をのんだ。
自分の青春に満足できていなかった僕は、この甘ったるいテーマ曲の映画に呪縛されていた。批判しつつも、フィルムブックとノベライズを買ってしまうほどだった。これが感傷マゾなのか。
退屈さを感じる場面や、冗長な個所もあった。でも、日常の風景を美しい色合いで描くアニメを他に知らなかった。第2話冒頭の、貴樹が空想する巨大ガス惑星が空にかかった惑星の風景は、僕が創作していたSF小説の舞台として何度も用いた。
そして、第3話で流れた「One more time, One more chance」ですべてを持っていかれた。ヒロイン・明里と結ばれないラストを見て「そうなんだよ! これこそが人生なんだよ! はっはっは!」と快哉を叫んだ。「鬱エンドだ」「悲しい」と言っている連中を笑っていた。なんてこじらせた大学生だったんだ。これもノベライズを買った。
振り返ってみれば、主人公はいつまでも明里の幻影に惑わされており、サーフィン少女・花苗の気持ちにちゃんと向き合っていない。独り身の期間が長かった自分は「応えてやれよ!」とあとになって思ったものだった。そりゃあ、思春期だから初めての感情ばかりで、あまりにも未熟で、だから人間関係で目も当てられないような失敗を繰り返すんだけれど、「結局お前モテてんじゃん!」と怒りが湧いた。
後に、貴樹をはじめとした新海アニメの主人公たちはどうやって童貞を卒業したのかな、夜のお店かな、などと根拠のまったくない最低な空想をするようになってしまった。自分がそうだったからって投影するなよ。
統一感のない固有名詞(※僕はファンタジーで名前を付ける際には一貫性が必要だと信じている。だからアルカンジェリ、ケツァルトル、シャクナ・ヴィマーナと複数の言語圏から安易に引っ張ってくるのを良しとしないし、文法的に怪しいヴィータクアやフィニステラという語も納得できない)、ジブリの表層だけをなぞったような描写、主人公・明日菜が地上世界と地下世界の両方の血を引いているという重大な設定が劇中ではほとんど描写されないなど、自分が気に食わなかった点は多数あるが、最大の問題点は悪役の森崎(ムスカと揶揄される)のサブプロットのほうが面白く、新海誠が思い入れを持っているように感じてしまったところだ。
愛するものの喪失を受容せず(子の喪失ってキーワードも村上春樹フォロワーっぽい)、代理品や依り代を求め、神々なり悪魔なりと契約する姿は碇ゲンドウともかぶり、なんにせよ強烈なキャラで、明日菜を食ってしまっている。いっそ明日菜いらなくないか?
冥界をめぐり、禁断の知識の代償として盲目になるのは神話的でちょっと良かったけどね。
しかし、作者の意図や性癖が透けて見えるというのは一方的に親しみを感じる契機でもある。不完全にゆえに見透かせるものがあり、理解者になれたと錯覚できてしまい、結果的に作品を愛してしまうことがある(※これは新人賞を取った作品を読むときもそうなんだけど、「作者はこういうことをやりたいんだろうな。なら、ここをこうすればもっとよくなるだろうな」と考えつつ読むことが多い。創作をしていた人にありがちなことなのかな?)。
言いたいことはたくさんある。
けれども、最大の欠点は「何でもかんでも台詞で説明してしまうこと」だ。
最後のタカオとユキノが見つめあう場面で、高まった気持ちをぶちまけるのだけれど、音楽と映像がうるさいなので、台詞なんていらない。
新海監督は文章を書く能力はあるのは認めるけれども、「説明は小説でやれ」と感じる。「なんでも説明するのをやめてくれ、映画の受け手を見くびるな」とも感じた。
そして、鮮やかな色彩がわざとらしく感じられ、反発を覚え始めた。
ただ、この頃から日本の古典を扱いだしたのは嬉しい。ささやかな愛国心が満たされる。
僕は海外文学が好きなので、逆に外国の人に日本の詩を知ってほしい。
観ていない。
「言の葉の庭」の一件もあったが、ハッピーエンドになったということを聞いて、寝取られ性癖(というかBSS、「僕が先に好きだったのに」?)を抑える優秀なプロデューサーがついたんだな、とシニカルに考えていた。売れるようになった、大ヒットを飛ばすようになったとも耳にして、新海誠が自分からどんどん離れて行ったように感じた。そして、もう二度と新海アニメを見ることはないだろうと思った。友人や尊敬するSF作家が見ていると聞いても、耳を塞いでいた。
「君の名は」の予告の「スカート注意、男子の目線!」といったセリフにも、新海誠の性癖が透けてみるのだけれど、徐々に作者のあけすけな欲望に対して嫌悪を感じるようになっていた。
これは男子高出身の僕がそうだからかもしれないけれども、僕には、男性監督が女子高生をじろじろ見て偏愛していると気づくと、鬼の首を取ったかのように指摘してやりたくなる悪癖がある。岩井俊二の映画を観たときもそうだし、「ラストレター」を観たときは「俺を振った女は不幸になればいい」という怨念を感じた。庵野秀明が俳優やってたのはめっちゃ面白かったけどね。
ある女性が新海アニメが好きで、じゃあ一緒に見に行こうということになった。ただし、彼女が好きだったのは「君の名は」以降だった。
「お手並み拝見」と思いながら(なんだかんだで楽しみにしていた一方、不安でもあった)観てみると、極めてまっとうな少女の成長映画になっていて驚いた。
被災者のすずめが「死ぬのなんて怖くない」と言っていたのが、逆に震災の記憶と向き合い、心底死を恐怖し、逆に生きる実感を取り戻す構成が素晴らしかった。自分を助けに来た謎の女性が自分自身だったってのも良かった。周囲の支援が必要なのはもちろんだけれども、傷付いた自分を癒すためには、どこかで自分の力を信じて自分の足で立ち上がらないといけないのだ。
ロードムービーとしても優秀だし、周囲の人々が善意にあふれてすずめに手を差し伸べてくれたのも、叔母の環が思わず激高して負の感情をぶちまけるシーンのための溜めだと感じ、よく計算された素晴らしい脚本だと感じた。
今まで肯定的だった(あるいはマスコットでしかなかった)猫が、ダイジンという善悪の不明な存在になったのも面白い。
今まで別の災害という形で間接的に東日本大震災を扱ったと聞いていたが、正面から向き合ったのはとても立派だ。このタイミングでなければできなかっただろう。
恋愛要素を薄めたのも大正解。「シン・エヴァ」を観たときみたいに、「監督は大人になったんだな」と感じた。
それでも無念な個所はある。人口が希薄になった土地を神々に返すというモチーフと、地震を封じる要石というモチーフが、完全に噛み合っているわけではない(人口が減少している時代だから出てきた発想では? なぜそこから厄災が漏れ出る?)。少しぶれている。また、震災は人力で防げる、つまり東日本大震災は防げた、という誤った読解を誘発しかねない面もある。
あとは、震災の描写がリアルだし、緊急地震速報が頻繁に鳴るので、観ていてずきずきと頭が痛み、かなり気分が悪くなった(御茶ノ水近辺も学生時代生活圏内だったし)。昔は「アルマゲドン」みたいなパニック映画で大都市がぶっ飛ばされるのを見たり、「地球大進化」の大隕石で地殻津波が起きて日本列島が引き裂かれるのを見て気分爽快になっていたのだが、ある時点で感受性が「まっとう」になってしまったらしい。
ところで、この作品は村上春樹「かえるくん、東京を救う」のオマージュだとよく言われるけれども、「海辺のカフカ」のパロディも仕組まれている。東北まで中古車でドライブする芹澤青年が車内で流すのが「夢の中へ」だが、「海辺のカフカ」でも星野青年が何を探しているのかもわからない中田老人を連れて車で高松をドライブしながら、「探し物は何ですか~」と口ずさむのだ。誰か気づいてないかな。
そのくせ、村上春樹はオマージュにとどめ、影響下からは完全に脱しているように感じた。
疑問点。すずめの三本足の椅子、過去の自分に手渡されたことで、時間の輪っかをめぐっていないか?
どの作品かは伏せるが、主人公が僕の名前と同じで、ヒロインから名前を呼ばれるたびに恥ずかしいくらいに動揺してしまった。
当時流行っていたラブプラスをやっていたら、おそらく引き返せないことになっていただろう。
あと、「すずめの戸締まり」に関するウェブ記事で、新海監督が#MeTooのこともあるしパンチラを封じたと聞いて、機を見るに敏だなと感じ、何となく気に食わなかった。正しい判断だと思ったけど、商業性に屈したようにも感じたのだ。正確には、「雲のむこう~」みたいに政治的を雰囲気に使うのをやめたのが、なんとなくタイミングが上手すぎて、逃げ足の早さを感じるのだ。
でも、とっくに青春コンプレックスこじらせオタク向けのクリエイターから、国民的監督に変わってしまったのだ。寂しい。あんなこじらせた作品を書くのに既婚者なのも納得できない時期があった。
こういったことを、友人に対してつらつら語っていたら、「それはお前、もう立派なアンチだよ」と指摘された。「アンチじゃない、愛情と憎しみの両方を持っているだけだ。複雑な感情をも抱えているんだよ」と反論すると、「お前が複雑な感情を抱えていない対象なんてあるのか」と笑われた。ひどくない?
これだけ複雑な感情を抱えているので、「君の名は」「天気の子」を見るのがずっと延期になっている。諸般の事情でラブコメ苦手だし。
最近バスの運転手不足が叫ばれて久しいが、自分は都会に住んでるから大丈夫と思ってるみなさん、大きな間違いだ
なぜか?近くの大都市の方が賃金が高く雇ってもらえるからである
実際千葉市内市原市内は今年の春と秋に相当なバスの減便を食らっており、需要が高いにも関わらず通勤や通学が大変な地域が生まれているが、何の手立ても打ててない
千葉は鉄道インフラも需要に比してかなり脆弱なのでバスがなくなるのは死活問題なのだが、このザマであり解決は見込まれなさそう
金剛バスも撤退が問題になっているが、あれも大阪近郊である(大阪のことは詳しくないので割愛する)
個人的に千葉は全てのインフラが脆弱かつ東京に吸われるかつ依存せざるを得ないので絶対に終の住処に選んだり家を買ってはいけないと思うんだが、人気なんだよね
https://anond.hatelabo.jp/20230611231950
これを書いた者だけど。
↑書いたのは中国恒大集団の件が本格的になる前だったので、単にお気持ちだけではないことを信じてもらえたのではないだろうか。
最近の色々について追加で書きたいことがあるので投稿させてもらう。
【愛国ホルホル動画+アメリカやその他の国への批判の増化が半端ない】
前も中国すごい動画が増えてて昔の日本みたいになってきてると書いたけど、この数か月でも加速した。
それに加えて、アメリカの失敗や痛ましい事件を喜ぶ動画が本当に増えた。bilibili等の中国コンテンツだけではなく
Youtubeにまでバイデンが泣いてプーがキラキラしてるクソサムネ動画がアップされている。
ん?既視感がある?そうだね、中国をひたすらバカにしながら失われた30年やった日本だね。
しかし、日本とは違う点はスマホをみんなが持つ時代になったのとそれで稼げるようになったのでやばい。
中国は人の数が多いので「金稼ぎ」にそれを利用する人が多く、もうハチャメチャに中国褒めたもん勝ちみたいになって
白人やら黒人やらが中国を絶賛してたりする。それをPV稼ぎだと思わず喜んでる人民が多い。
(しかしPV稼ぎ外人が本当は興味がない中国のことをあまり理解しておらず地雷を踏んで炎上しているときもある)
これ今読んでる人で金に困ってる人がいたら「私は日本人ですが本当は中国人に生まれたかった」と顔をしわくちゃにしながら言いつつ中国の国旗を日本で掲げる動画とか出せばお小遣い稼ぎになると思うよ。
自分が中国はもうだめかもと思ったのはこういう面もある。成長し続ける精神ではすでになくなっている。
中国の若者失業率が20%を超えたあたりから報道しなくなったというのは様々な理由があると思うが
本当は20%の時点で40%近くはあったと思う。貯金が一定以上ある無職はフリーランスとしてカウントされているとのうわさもある。
そして「専業子供」が増えている。つまり家事手伝いつまり実家暮らしニート。
彼らにはそこまで悲壮感はない。だって「今は」親がある程度金あるし「今は」問題ないし選ばなければ仕事はある。
しかし彼らがいざ本腰を入れて働こうと思ったときに、今後の中国の成長を支えられるような状態だろうか?
中国人をまるで全員が日本人より優秀であるかのようにいう人がいるがそれは良く見過ぎだ。
どちらかというと中国はアメリカに近い。ごくわずかの天才がすべてどうにかし、まあまあいる普通の人が天才のサポートをし、トイレを汚しながらうんこしたり道にタンを吐くしか能がない大量のクソバカで中国は構成されている。
自分の予想では、来年以降本格的に不景気を実感した人民が徐々に自国に不満を持ち出し、数年以内にはもうプーが笑ってられない状況になる。
このへんは詳しく書きたくないが、中共が一番怖いのは他国ではなく自国民であると自分は感じた。だから政府は人民の不満を他国へ向けることに必死なのだと思う。
ちなみに若者でバカなやつはマジでバカすぎて恐怖を覚えるレベル。日本ののほほん鼻ほじバカとはレベルが違う。
先日は知人の子どもから「米国株が今から50%下がると言われてるらしいんですが、それは日本の株を買わせようとする岸田首相の対策(陰謀)ですか?」と真面目に聞かれた。
んなわけねえだろどんだけ岸田最強なんだよ。てかアメ株下がるなら日本株も死ぬわ。
これは確実にゼロコロナのせいだと思う。逆にあんなんされて国信じてたらやべえと思うしそれはそれで幸せだ思うけど。
あれで「もしかして国って守ってくれないの?」と思う人は確実に増えた。
日本人がいう「国は腐っている、国は守ってくれない」はまだマシなほう。文句言うけどなんだかんだ母さんの飯は食う中学生くらいのレベル。
中国の場合は親が手足を縛り蹴りまで入れてきたのでえ???となった人民が多かっただろう。
自分は〇〇年住んだ中国から日本へ本帰国することを中国人の同僚たちに伝えた時「うん、それがいいと思う」と言われた。
これは昔の中国では絶対に考えられない。彼らにも思うことが色々あったんだろう。
ネットでも行き過ぎた外国批判に「これは自国が自分たちをだまそうとしてるのになんで気づかない?」との書き込みも増えてきた。
中国は日本人の想像を超えて愛国心が本当にやべえ国だったのにこれはまずい。
さっきも書いたけど、プーや中共が一番恐れているのは人民だと思う。人民をコントロールできなくなった中国など想像するだけで恐ろしい。
前も書いたけど、中国の独裁こわーいと言っている人がいるが、中国は独裁国家だからまだマシな状態なのだ。
日本に処理水電凸してた暇人どもを見てみんなわかったと思うけど、行動力あって失うものあまりないバカってやばいから本当に。
パンダハガーたちは喜々として「中国は強い!不動産バブル崩壊なんかでこの大国は傾かない!」「中国EVは世界を支配する」と壊れた機械のように何度も何度も言っているが
彼らは深センや北京や上海のような巨大都市および中国の豊かな層しか見ていないだろう。
いつも思うんだけど、「中国好き」って言う人ほど偏ってて中国のすごさもやばさも本質的に理解していないのってありがちだと思う。
日本のバブル崩壊は悲惨だったが、あれはある程度全員の暮らしが底上げされてから(日本が全体的に豊かになってから)の崩壊だった。
中国がまるで最強のIT大国になったと思っている人もいると思うが、それは外国人が目を付けがちなだけで今でもクソド田舎はクソド田舎のままで農民が大量にいるわけで。そして少子高齢化も進むわけで。
国の経済に打撃が与えられるならどうなる?というのをもうちょっとイメージしたほうがいいと思う。
前も書いたが、昔の中国が好きだった(今も嫌いでは決してない)ので悲しさもあり批判的な文章になってしまったが
偏った意見ではないと思う。
あとどうでもいいけど、処理水の迷惑電話のカウンターは「中国はもっとやべえの垂れ流してるよ」ではなく
「はい、こちらタイ人身売買センターです。お客様の情報をキャッチしました。」とかのほうがよかったと思う。
(追記)
追記というか書きたかったけど色々つっこまれそうと思って書かなかったことやっぱり書く。ちょっとズレてるとは思うんだけどなんとなく言いたいことわかってもらえるとありがたい。
中国はすごいんだ!と言いたい人の気持ちわかるんだけど。実際すごいところは本当に日本とは比べ物にならないレベルですごいし。
でもプーの立場になりたいかと言われると絶対なりたくないよね?
いつ出て行くかわからない天才たち、自分のアイデンティティに不安を覚えるがゆえに間違った愛国心で暴走するorじわじわと自国への疑いを強くさせる普通の人たち、何か間違えたらすぐ暴れ始めそうなクソバカども。しかも昔みたいに無理やり鎮圧したらSNSの時代隠しきれず国内外に非難される。かといってバカを抑える有効な手段が他にない。
こんな人民を抱えて国の経済成長が止まり始めた、そんな状態の習くんの気持ち考えたことありますか?しかももう70歳だし。
みなさんには習くんにもっと寄り添ってあげてほしい。
あと中国でデフレ始まったら本当に終わりのサインだと思う。だからデフレなってないアピールし出した。日本の10倍価格競争やばいし日本人の10倍乞食精神やばいから「安く売らないなんて非国民だ」「安ければ安いほどいい」みたいな雰囲気になって落ちるとこまで落ちる。これよくある偽中国崩壊論じゃないから。疑うなら身近に中国に関わってる人いたら聞いてほしい。
九州はね、まあ住みやすいと思うよ。気候は温暖だし食い物はうまいし住民はのんびりしているし。だけど東北よりは人口が多くて大都市や中都市も結構あって経済的にも規模がそこそこあるからね。
でも、よそから移住してくると独特の地方文化にとまどうことも多いかもな。ただ九州人はわりとあっけらかんとしているから入って行きやすいかも知れない。福岡市や長崎市は昔から海外との行き来の多い土地柄だったし、そういうのは唐津にも八代にも鹿児島にもあったからね。
とはいえ、やっぱり移住して働くとなると大都市の方が有利だから福岡市が第一候補になるだろうな。福岡市は人口も増加中で活気があって、新幹線も通っているし、空港が近くて地下鉄で行ける便利さだし、なかなか良いと思うよ。関西までなら新幹線でひょいという感じだし。
東京23区を除いた全国の市でも横浜市、大阪市、名古屋市、札幌市に次ぐ5番目の人口(約163万人)を擁し、人口増加率は政令指定都市の中で首位である(2020年国勢調査)。
県庁所在地の福岡市は、九州地方最大の人口を擁する都市であり、西日本においても大阪市に次ぐ人口を擁する都市である。福岡市と北九州市の2つの政令指定都市を抱え、いわゆる三大都市圏以外では人口密度が1,000人/km2を超える唯一の県である。全国では人口は北海道に次ぐ9位、面積は千葉県に次ぐ29位。
総人口 5,107,992人
ホームシックがひどくなってきた。
日本は素晴らしい場所だ、田舎に居てもコンビニというギリギリ精神を保てる娯楽が存在する
しかし自由の国のコンビニを見てみよう、脂ぎったソーセージにスプレー缶から出るチーズ、一日分のカロリーが摂れる菓子パンが並び
おっと何か音がするぞ、遠くを見ると車が燃えている
そもそもこいつらは都会が何かというのをわかっちゃいない
高いビルさえあればいいと思っているし、ユニークな店というものが存在しない
日本だとサブカルの店やら、何かの専門店が多いが、こっちは同じ内容の店がひたすらに並んでいる
日本で大麻が許されず、この国で許されるのは当たり前に思えてくる、それぐらいつまらないのだ
追記 9/8
学生だと思われているようだが、私は高校1年生の時にこちらに留学して、そのまま居ついている10数年選手なのだ。文化的にはもうこちらの方が慣れ親しんでいる。
現地の友人もいるし、稼ぎもそれなりにあるし、結婚もしている。近いうちに家も買う。完全に基盤が出来上がってしまった。だからこそ日本にはもう帰れないのでホームシックになったのである。マリッジブルーみたいなもんだと思う。
それでも帰国したきゃしろよ、と言われるかもしれないが配偶者が日本語を読めず話せず、かつ私の仕事は日本で需要があまり無いためなかなか難しいのだ。
あと確かに都会の一部にはユニークな店もあるが、そういったエリアは家賃が高すぎて住めないし、
西海岸の大都市にも住んでいたが正直なところ、ドンキホーテの方が確実に楽しい。
ちなみになぜ車が燃えているのかはわからない、しかしたびたび燃えているのだ。
それとコンビニに行く理由は田舎だからスーパーが遠かったり、ガソリン(こちらではコンビニの駐車場にガソスタがある場合が多い)を入れに行くからだよ。
ああ、あとこの国が嫌いなわけではないという事は主張しておこう。もちろん素晴らしい面の方が多いし、私には合っている。
『子どもは「贅沢品」になったのか。上位大学と中堅以下の大学の学生たちに見えた「意識の差」』
https://news.yahoo.co.jp/articles/e8dd6ebe824bc0984ceff04d12d5c429cb88678a
この記事、昨今話題の「若者の恋愛離れ」に対し、上位大学の学生と中堅以下の学生とで子供を持つ意欲に差があるという調査結果は凄く納得いくけれど
この記事で残念なのは意見の実例を挙げているのが男子学生ばかりで、女子学生が少ない事だな
実際、上位大学と中堅以下の下位大学とでの子供を持つ意欲の差って、男子学生よりも女子学生の
自分は故あって上位大学の女子学生が多く集まる場所にいるけれど彼女達本当に凄いもの
都内や大都市の実家の太い名家に生まれ、当たり前のように女子御三家のような名門校から東大や私立トップ大に入り
それに加えて海外旅行やお金のかかるレジャーも楽しむ、キラキラした学生ばっかり。
そして何よりも、生まれついてのブルベ色白の肌で大きな二重の瞳、童顔小顔の似たようなルックスばかり。整形やメイクではあれは無理だろう。
おそらくは彼女達の親の世代で既に婚姻における選別と淘汰が進みきって、容姿が良くないと結婚出来なくなっているんだろう。
そういう女性はコンプレックスも何もないから、似たような上位大学の男子と結婚して自分達の優秀な遺伝子を子供に受け継がせる事に何の不安もないんだよね。
そして「子育て」についても、福利厚生が充実した公務員や大企業への就職が約束されているので当たり前のように仕事と両立する予定でいる。
フェミニストにしろそうでない女性にしろ、「子育ては女性に負担がかかりすぎるから女性は本心では子供なんてほしくない」という事にしておかないと
自己の主張に不都合だから困るんだろうけれど、実際は上位層の女性ほど自己実現の一環として子供を望むし子育てに負担感なんて感じてない。
一方、中堅以下の下位大学の女子学生は学業の成績や親の資産のみならずルックスも劣った人が多いので、自分の遺伝子を受け継がせたくないから結婚や出産に尻込みする。
よく言われる、「少子化は女性が一人でも生きていけるようになったから」「自立した女性は結婚したがらない」なんてのは大嘘で
実際には経済的に安定し『自立』した女性ほど結婚と子育てを望み、そうでない女性は望まないというのが現実だと思う。
ここに来てつくづく思うのが、田舎には尖った飲食店がないということ。
バカでかい餃子とか、ルーロー飯だけ次元が違う美味しさの海鮮居酒屋があれよ、と思う。
実際、前住んでたところ、いわゆる大都市には探せばそういう店がいくらでもあった。大都市ではないが、県内のちょっと栄えてるところに行けばそういう店もある。
あるのは無難なチェーン店と、無難なメニューを無難な味で出し続ける”地元で長年愛される老舗”だけ。
田舎というのは、ひたすら「無難さ」で塗り固められているように思える。
駅前に数年前にできたケーキ屋もオリジナルの映え商品を開発したりしてインスタで人気だったが、今月閉店する。
田舎の人間の気質的に、尖っているものや異質なものが許せないというのはある。毎日それを感じながら生活している。
それ以上に、人口が少ないということは、尖っているものや万人受けしないものが生き残れないということでもあると思う。
例えば、パクチーが好きな人の割合は全体の2割ほどらしい。10人中2人しか顧客にならない商品を出しても、全体の人口が多ければ顧客数としてはそれなりにいるので経営が成り立つ。だけど人口が少ないと、そういう尖った料理や食材はほんのわずかなマーケットしか相手にできないので、経営が行き詰まる。田舎に尖った店が少ないのは、そういう理由じゃないだろうか。実際そういう店が閉店するのを見てきた。
ただ、都市や空間にとって、尖った飲食店というのは必要だと思っている。
日本人向けに一切アレンジしてないグリーンカレー屋の周りはなんとなく空気が軽いし、ふざけた名前のふざけた営業時間の喫茶店で過ごさなければいけない時間が人生には必ずある。そしてそういう尖った店がある街はどこか寛容で、良くも悪くも人のことを気にしないでいられる。デニッシュだけで40年近く商売してるパン屋があれ。デニッシュしか売ってないパン屋が40年も存在を許されてる街なら、少々の尖りも許されるだろう。
飲食店に限らず、尖ったものの居場所がない田舎はやっぱり苦しい。「無難さ」というのは結局のところ「不寛容」の言い換えにすぎないんじゃないだろうか。