2023-08-15

田舎には尖った飲食店がない

人口6万人ぐらいの、山奥の田舎町に住んで2年になる。

ここに来てつくづく思うのが、田舎には尖った飲食店がないということ。

バカかい餃子とか、ルーロー飯だけ次元が違う美味しさの海鮮居酒屋があれよ、と思う。

実際、前住んでたところ、いわゆる大都市には探せばそういう店がいくらでもあった。大都市ではないが、県内ちょっと栄えてるところに行けばそういう店もある。

だけど田舎には尖った店がひとつもない、本当にない。

あるのは無難チェーン店と、無難メニュー無難な味で出し続ける”地元で長年愛される老舗”だけ。

田舎というのは、ひたすら「無難さ」で塗り固められているように思える。

駅前に数年前にできたケーキ屋もオリジナルの映え商品を開発したりしてインスタで人気だったが、今月閉店する。

田舎人間気質的に、尖っているものや異質なものが許せないというのはある。毎日それを感じながら生活している。

それ以上に、人口が少ないということは、尖っているものや万人受けしないものが生き残れないということでもあると思う。

例えば、パクチー好きな人割合は全体の2割ほどらしい。10人中2人しか顧客にならない商品を出しても、全体の人口が多ければ顧客数としてはそれなりにいるので経営が成り立つ。だけど人口が少ないと、そういう尖った料理食材はほんのわずかなマーケットしか相手にできないので、経営が行き詰まる。田舎に尖った店が少ないのは、そういう理由じゃないだろうか。実際そういう店が閉店するのを見てきた。

ただ、都市空間にとって、尖った飲食店というのは必要だと思っている。

日本人向けに一切アレンジしてないグリーンカレー屋の周りはなんとなく空気が軽いし、ふざけた名前のふざけた営業時間喫茶店で過ごさなければいけない時間人生には必ずある。そしてそういう尖った店がある街はどこか寛容で、良くも悪くも人のことを気にしないでいられる。デニッシュだけで40年近く商売してるパン屋があれ。デニッシュしか売ってないパン屋が40年も存在を許されてる街なら、少々の尖りも許されるだろう。

飲食店に限らず、尖ったものの居場所がない田舎はやっぱり苦しい。「無難さ」というのは結局のところ「不寛容」の言い換えにすぎないんじゃないだろうか。

  • あるわけないじゃん。全ての消費行動の選択肢が狭まるのが田舎だよ。

  • 無難なメニューとおもっていても、外部からみると意外と変わってたりするもんやで というわけで居住地さらしてみ?

  • 市場が狭いってのはそういうことよ

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