はてなキーワード: 上前とは
銀河英雄伝説のリメイク。3期以降も続くのかな。もしそうなら、男女役割分業の描き方は変更せざるをえない気がする。旧アニメのままだと、さすがに時代にそぐわない。作品として大変に面白いのは踏まえたうえで。…なんてことを書いたら炎上するかな。
実際のところ、昔のドラマやアニメを見ていると、価値観の変化がもっとも顕著なのがジェンダーの描き方だという感はある。そういう変化を踏まえたうえで作品を楽しめばよいわけで、ジェンダー関係の指摘は作品を全否定することだというのは違うと思うんだけどな。
なお、個人の感想ですので作品に何ら干渉する意図はありません。NHKに投書もしませんし、BPOにねじ込んだりもしません。三期があるのを皆で祈りましょう。
■原作者田中芳樹さんのスタンス(らいとすたっふ安達裕章さんの過去ツイートより)
このあたり、マッグガーデン版の巻末付録につけた田中さんのインタビューで聞いたなあ。執筆当時の「30代男性」と現在のそれでは、かなり大きな差があるもんね。あとは女性兵士の描き方とか。田中さんも「いま書いたら、ずいぶん違う作品になったと思う」って言ってたわ。
それについては作者の田中さんも、当時の自分のもつ軍人のイメージが男性中心だったことを認めたうえで、いまの自分が『銀英伝』を書いたら、女性の活躍をもっと多く書いただろう、と言ってました。
タイトルの通り増田は20年来の銀英伝ファンですが、私が銀英伝を知りネットの掲示板や個人サイトなどを見始めた当時から、ファンによる「銀英伝の女性キャラはステレオタイプ過ぎる」とか「田中芳樹は女性を描くのが下手」みたいな批判は当たり前のものとしてありました。今回炎上した冒頭のツイートもそれと同系統のものであり、作品内の女性の扱いに対する感想としては見慣れた内容で特に違和感はありませんし、個人としての違和感を述べたうえでリメイクにあたってのアップデートを希望するものであって、それ自体問題があるものとは思えません(なお、「Die Neue These」はリメイクではなく「原作の再アニメ化」なので、その点は事実誤認なされているものと思います)
また、続いて安達さんのツイートを引用した通り、原作者は「銀英伝における女性キャラや活躍が少ない」という点について、それを創作上の弱点(という言い方が正しくなければ上手く描ききれなかった部分)だと認めていて、当時の自身の理解や価値観を前提とした描写だったとしたうえで「いまなら別の描き方をしていた」というスタンスをとっています。
男女役割分業の描写については特にスタンスを明確にしているわけではないですが、上記のように女性の活躍や社会進出については当時といまとで違った描き方をするだろうことを認めていることから考えるに、現在の価値観にそぐわない描写があることは作者自身も否定しないものと思われます(原作で描かれたヤンとフレデリカの生活描写を「現在の価値観にそぐわない」と判断するかはわかりませんが)。
このように、冒頭のツイートは以前からファンの間でも作品の問題点のひとつとして挙げられていた描写について、あくまでも個人の意見として再アニメ化を行うにあたり違和感のないようアップデートしたほうが良いと述べるものであり、いっぽうで原作者も原作には様々な問題点があることは認めたうえで「いまなら別の描き方をする」というスタンスをとっているわけです。
実際にそれらの描写を変更すべきか否かはそれぞれで判断が異なるのは当然としても、こうした意見に対して「現代にそぐわないから変えろって言いだす社会学者やべえ」などと嘲笑するのは原作者のスタンスを含めて明らかに論点を見誤っていますし、「銀英伝を燃やしに来た」などと反応するのは過剰です。挙げ句に社会学者というツイート主の職業にフォーカスしてその職業全体を否定するような言説まで行うのははっきり言って異常だと思います。
■余談
本件もそうですが、ポリティカル・コレクトネスを巡る議論においては「過剰なポリコレを押し付けるな!」などと主張する批判側にも個人の意見に対して過剰かつ攻撃的な言動を繰り返す「反ポリコレを旗印に個人を抑圧するネット憂国騎士団」みたいな存在も目立ってきており、まともな議論が成立しづらい状況になっているように思います。
創作物それ自体だけでなく、創作物に対する意見・批判を含めての「表現の自由」です。「表現の自由」を訴えるのであればその点を見誤るべきではないし振る舞いも自制するべきではないでしょうか。
■さらに余談
「Die Neue These」も良いですが、原作ファンとしてはいまウルトラジャンプで連載中の藤崎竜版銀英伝を激推ししたいです。キャラクターやエピソードは本伝・外伝・OVAなどからの好いとこ取り、それも全体として齟齬がないように再構成されており、さらに物語やキャラクターをより魅力的にみせるような改変も随所になされていて、原作を知らない人はもちろんですが、原作(特にOVA)を良く知る人こそ色々な改変や小ネタ、伏線を見つけながら楽しむことができるとてもよい漫画となっています。フジリュー版はいいぞ。
■追記
『銀英伝』の話題の火元を把握した。原作ファンが怒ってるけど、たしかマッグガーデン・ノベルズ版収録の田中先生のロングインタビューで、「フレデリカまわりの描写は、今だったらもうちょっと違うものにする」みたいなことをご本人がおっしゃってなかったっけ? 手元に本がないのでアレだけども。
知人から田中芳樹先生がフレデリカの描写について触れているインタビューのソース画像が送られてきた。私の責任で引用しますね。出典は『銀河英雄伝説 6 飛翔篇 』(マッグガーデン・ノベルズ) の297ページ・298ページ。商品にリンクもしときます。 https://amzn.to/33ncPLt
(フレデリカの料理の描写について)ただ、これも三○年以上前だから許された表現なわけで、いまの時代にはそぐわないと思います。ヤンが料理や家事をしても良いわけですから。
このインタビューを読めば分かる通り、原作者自身は問題視された描写についてはっきり「いまの時代にはそぐわない」という認識を示しています。原作者の現在の価値観やスタンスはむしろ冒頭のツイートに近いわけです。にもかかわらず、「あの描写は時代にそぐわないからリメイク(再アニメ化)では変更したほうがいい」という意見を言っただけの個人に対して今回のような揶揄・嘲笑・攻撃が向けられる状況はやはり異常だと思います。
男の名前でアンケートはがき書いても反映されないという噂を聞いて、自分の名前をもじって女児の振りしてせっせとはがき出してる。生物学的に男だから。
そういうことがずっとずっとずっとあったんだ、俺も、俺と一緒にプリキュアと楽しんでたおっさん達も、その先輩たちもみんななかったことにされてきたから「女児の名前を書きなさい」って言われたんだ、って気付いたら本当にたまらなくなっちゃって、俺とおっさんたちのためにわんわん泣いている。俺たちは透明なんだ
>もう10年以上前だからすっかり忘れていたけど、ジャンプのとある作品を好きで熱心に応援していた頃、女性の名前でアンケートはがき書いても反映されないという噂を聞いて、自分の名前をもじって男児中学生の振りしてせっせとはがき出してたことを思い出してしまいました。私たちは透明なんだ
どの作品だったのかもはっきり思い出せない、SNSが発達する前、インターネットで腐女子たちが個人サイト開設して掲示板やメールで交流していた頃、そういう噂をどこかで読んで、私は毎週ジャンプ買って50円切手貼ったアンケートに男の子の名前書いてせっせと出していたんです。生物学的に女だから。
そういうことがずっとずっとずっとあったんだ、私も、私と一緒にジャンプ作品を楽しんでいた女性たちも、その先輩たちもみんななかったことにされてきたから「男の子の名前を書きなさい」って言われたんだ、って気付いたら本当にたまらなくなっちゃって、私と女性たちのためにわんわん泣いている。
夜しか眠れないので助けてくれ
・5年以上前に動画サイトにアップロードされているものを観た。古い作品だと思う。
・映画ではない
・アクション系
・攻殻機動隊やPSYCHO-PASSに雰囲気が似てるかも
・マイナーなアニメは観ないのでそこそこ有名なタイトルだと思う
・シーズンの最終回あたりで主人公以外の仲間が敵に一気に全員殺され、主人公が茫然とする
・敵の組織のボスが、裸の女を犯しながら部下に何事もないように話しかけ、最後に頭を銃で撃って殺すシーンがあった(これはもしかしたら別のアニメと混同している可能性がある)
これくらいしか手掛かりがないのだが
心当たりある人は助けてください
この人にとって死産は火葬したときに終わった話だったんだよな。
だからこそ「いつか撲滅運動」とか言って、サーフィンやらキャンプやら登山やらなにやら趣味を心から楽しむことができたんだよな。
妻はずーっと心のケアをしているのに見てみないふりして。
妊娠7ヶ月って、念願の妊娠が叶って、半年くらいかけて母親としての自覚を育んできて、出産後の生活もいろいろと想像してっていうところ。
一方、このおっさんは父親としての自覚なんて全然ないまま、ああまた流産かみたいなそんな感じ。
2度の流産の時点で「身も心もボロボロになっていました」って書いてるけど、養子縁組の話をされても上の空。またお前が頑張ればいいじゃんくらいのノリ。
このおっさんは2019年1月に父親になったと思ってるけど、あんたの妻は10年以上前に最初に妊娠した時にすでに母親になってたんだよ。
死産の時なんか半年近くも母親としての意識を醸成してるからね。
「育てたい」という気持ちはずっと何年も前からあったのに見て見ぬふりしてきたんじゃないか。
ああ腹が立つ
今日みたいな終わりかけの夏を感じる晴れた日はどこかしんみりとした気持ちになってしまう。
女子校あるあるなのだが、みんな「好きな先輩」がいて靴箱経由でお手紙交換したり、バレンタインには気合を入れてお菓子を渡したりしていた。
上下関係が厳しく、上級生の廊下、ましてや教室まで行くのはタブーとされており、階段や廊下で同じ部活の先輩に会ったら通り過ぎるまでお辞儀をし続ける、そんな「伝統」のある女子校だった。
私はハンドボール部の日焼けした肌と切れ長一重のショートカットの先輩が好きだった。
運動神経抜群な先輩の体育の授業をひと目見ようと休み時間ギリギリまで粘って校庭を眺めたり、先輩が生徒会に入るという噂を聞けば立候補したりした。(結局ただの噂で先輩は生徒会に入らなかった)
今では先輩のプロフィールなんてほとんど覚えていないが、長めの前髪から覗く目と視線が合ったときのドキドキは今思い返しただけでも心がキュルンとする。
2年ぐらい片思いを続けた私が中3、先輩が高2のときのバレンタインには張り切ってブラウニーを作り、かわいいラッピングをして先輩の移動教室のルートを把握した上で、待ち伏せして渡した。
すると1ヶ月後のホワイトデーにお返しとしてプーさんのマグカップをもらったのだ。
中学生の身分からすると千円以上するものを買うなんてすごい買い物だったし、先輩から形の残る、しっかりとしたプレゼントをもらった私はクラスのみんなから羨ましがられ、だいぶ誇らしい気持ちになった。
このマグカップは家宝にしようと強く心に誓い、大切にしすぎて実際に箱から出して使ったのは自分が大学生になってからだった。
その後、私は高校を卒業する前に転校してしまい、先輩とはそれっきりになってしまったのだが実家に帰ってプーさんのマグカップを見るたびにふわふわと心がくすぐられるような気持ちに浸っている。
いつかこのマグカップが割れてしまったら私の中のこの小さな思い出も消えてしまいそうで、考えただけで涙が出そうになる。
先輩への好きという気持ちは未だにあるけれど、思い出の中の先輩が好きだから今会ってもきっと何も話せず、もやっとした気持ちになるのがわかっているからFacebookも検索したことがない。
あのボーイッシュな先輩が髪を伸ばして母親などしてたらきっとそれはもう私の知っている先輩じゃないだろうなぁと思いつつ、元気にしているのかなぁと淡い気持ちを思い出している。
先輩が悲しい気持ちになっているときがあれば、どこかで私のような人がいつもあなたの幸せを願っていることが通じるといいなぁと思って晩夏の空を眺めてる。
時々無性に、暗くしんどい増田を欲してしまう。それは自分の抱えているものをぶちまけたい気持ちの裏返しだ。
ドス黒いものを吐き出している(かのように見える)ものを読むことで疑似的にぶちまけた気分を味わっているだけに過ぎない。
もう閉経も視野に入っているおばさんなのにまだ30年以上前の出来事を引きずっている。
はやく手放したい。
ここに書くことで供養になるのだろうか。
自分でもよくわからないのだが、これを抱えたまま老いていくのは厭なのだ。
いや、実は書いてみたけど長すぎて自分でうんざりしているし、こっそり書いただけでは供養にならなかった。
ネトウヨや安倍親衛隊のみなさんが、ぼくちゃんたちのユーミンが汚された〜💩💩💩とフン慨していたけど、松任谷由実の歌なんて誰も知らないでしょ。
言われてみれば映画で流れてた曲の人というのは分かるけど、30年以上前にヒットを飛ばした人なんか誰も知らないし知ってても30年以上前の話なんて老害以外の何者でもないじゃん。演歌歌手のことなんか誰も知らないだろ?大ヒットしていた時に死んでれば伝説になれたのに、ヒットもなく過去の遺産を食いつぶしているだけのボケ老人は醜いだけだと思うよ。
さて、SpotifyでバンタンのDynamite聞こうっと。バンタン、ビルボード1位おめでとう!松任谷由実、30年前に日本だけで大ヒット(笑) m9(^Д^)
自分は実は、ニコニコ動画が衰退したとはそこまで思っていない。
瞬間爆速的に100万再生まで上り詰め、最終的に400万再生とか平気で回るようになるのは、以前ではとても考えられなかった。
では所謂初期だの、ニコニコ最盛期だの言われていた時期が今と何が違うかっていうと、素人の動画が劇的に伸びないということ。
有名Pの動画が伸びるようになった一方、知名度のない投稿者はほとんど評価が付かない。
クオリティが低いかと言ったら実はそうでもない。黎明期に殿堂入りしたくだらないネタ動画よりよっぽどハイクオリティな動画が、マイリス2とかで終わっている。
そしてくだらないネタ動画の方は本当に減った。スベるからな。(代わりにVOICEROID周辺で増えた)
上位は10年以上前から活躍する有名Pがほとんどだ。全部で11ページあるはずだが、2ページ目で早速マイリスト値が10を割り始める。
本当によっぽどでない限り、新人は目を向けられることもない。こんなに夢のないこともない。
誰でもできるのが初音ミクじゃなかったのか。
当たり前のことだが、公式が関与して曲を依頼したりイベントに呼んだりするのも有名Pだけだ。
初音ミクの公式にあたるクリプトンという会社は、ピアプロコラボという公募イベントを行う。大体常に何かしら募集中といってもいい。
しかしながらそこで採用されるのも既に公式に近い所で活躍している人が多く、シンデレラが生まれることは稀だ。
そもそも初音ミクという文明が進行すればするほど、これは困難になる。
初音ミクの発売当時、黎明期から活躍するボカロPはもう活動歴13年とかになる。それ以前からバンドマンやプロの作曲家だった人もいる。
そんなベテランたちを、この前始めたばかりの人が倒せるはずがないからだ。どんどんハードルが高くなる。
それでもいいじゃんと思うかもしれない。むしろ短期的にはそっちの方がいいかもしれない。
でも人は辞める。蜂屋ななし氏が先日引退を発表したように。
人はどこかへ消える。米津玄師氏が身一つでどこかへいってしまったように。
ちゃんとバトンが渡ればいい。幸いここまでは誰かしらがバトンを拾ってきた。では10年後は?
俺はボカロPだ。上に挙げたような超有名どころではないものの、ある程度知名度はあって投稿すれば「〇〇Pの新作だ!」「流石の〇〇Pクオリティ!」と言ってもらえる。
でも後から始めた人はそれすらない。名前を覚えてすらもらえない。居場所を見つけられずに去っていく。そういう人たちを大勢見てきた。
リスナーが知名度やクオリティに惹かれて動くのは当たり前なので、ここはもう「頼むぜ公式」以外に言いようがない。
実際誰でもできる感が強いVOICEROIDの結月ゆかり※の方が、今動画数やアクティブな投稿者・リスナー数で抜かれている。(※ボイロ版の話)
誰でもできるのが初音ミクだということを、もう一度思い出させてくれ。
タイトルのオトナ帝国はご存知2001年に公開されたクレヨンしんちゃんの映画からの概念なので同世代には伝わると思うが、一応簡単に説明を入れると大人が過去を懐かしむあまり子どもたちを見捨てて自分たちの楽園を作ろうとする話である。
10年来20年来のコンテンツの再アニメ化、再連載などリバイバルブームが来ている。
中には自分たちが子どもの頃楽しんでいたものもあって喜んでしまうときもある。
でも喜んだ後に「これはオトナ帝国なのではないか…」と考え込んでしまうのだ。
今自分がリバイバルを楽しめるのは過去に大切な作品と出会えていたからだ。
しかし今の子どもたちが楽しむコンテンツの育成のための予算や人員や連載枠放送枠が大人向けのリバイバルによって奪われてないだろうか…?
今現在進行形で作られてる漫画があったとしてどんなに頑張ってもリバイバルにアニメ化枠や予算が埋められてるので評価されないとクリエイターのやる気が下がることはないだろうか…?(これについてはジャンプのような大きい雑誌よりも規模小さめの雑誌で気になる)
歴代○○大集合型の売り方をするシリーズ作品も増えてきたが○○シリーズが熱烈的に大好きで一部の将来有望な子どもではなく、なんとなくで今のシリーズが好きで見ている多くのライト層の子どもは歴代キャラの登場を楽しめているのかどうかも本音では気になる…
某少女漫画雑誌の付録も歴代レジェンド作家のイラストを使ったものになっているときがあるが連載すら読んだことない四半世紀以上前の作品の付録をもらってあれで本来の子ども読者は喜んでいるのだろうか…?(自分だったら喜ばない)
疑問符が多いがこの記事はリバイバルをdisっているのではなく(上にも書いたが自分自身喜んでしまうこともある)今の子ども達のためのリソースにオトナ帝国のエゴを押し付けてないかが気になって手離しに喜べないことを書きたかった。
小学生の時初めてオトナ帝国の逆襲を見てあの序盤の大人達のようになるのではなくしっかり未来を作っていこうと思ったはずだった。
最初に言っておこう、私はVtuberグループ『ホロライブ』のファンであった。
そもそも、Vtuberからではなくニコ生も年代柄よく見ていたし、その中で感じていた生身の人間と言う致命的な欠点(そもそもニコ生を見るようなオタクは生身の人間が嫌いで二次元キャラが好きなのだからこれは致命的である。エロ同人のくっそキモい竿役の種付おじさんの方がテレビで持て囃されるハリウッドの誰々だとかジャニーズの誰々よりもまだ見ていられるほど、生身の人間嫌いである)を克服したVtuberと言ったものを高く評価している。
ホロライブもそんな生身の人間と言う弱点を克服したVtuberコンテンツに関わる一つの企業である。しかし、そのホロライブがここ最近立て続けに炎上している。個人的にそれはある程度、予想できた。それはタイトルにもなっているにわかオタク集団であることに起因する。
ここから、一部、いわゆるVtuberの中の人と言うV界隈のタブーについての言及もあるのでご了承いただきたい。
ホロライブの炎上と言ったら、真っ先にあがるのが無許可配信のことだろう。しかしだ、そもそもゲーム実況というもの自体がグレーなものであり、「黙認ベース」なのだ。アンチはこの黙認ベースに焚き付けたが、この黙認ベースは何もおかしくはない、そもそも著作権法第百十二条にて文句を言えるのは権利者だけと定められており、企業が示すガイドラインも一定の基準にしか過ぎず、ガイドラインを守っていても訴えることもありうるし、その逆、守ってなくても企業のさじ加減で黙認されるのだ。それに、実際、企業が行動を起こすかと言うと厳しい、他もやっているのにどうしてこの企業だけと言われたら、それが無罪ということにはならないが、減刑、著作権法は差止めと賠償なので、賠償額の減額、もしかしたら先例はセーフなのだから差止めも限定的になってしまうかもしれない。更に、追加するならば一度公開された著作物は自由に使われるのが原則としてあり、それだと大手しか生き残れないからフランスの音楽家たちが暴動を起こしたのが著作権の始まりであり、無断使用が悪いのではなく、文句を言われたら金払えと言うのが基本だ。
さて、この原則に則るのであれば任天堂やその他企業は黙認していたのだから無許可だろうと問題はない。黙認していたから。
そう、黙認していない企業、というよりは作品がある。そう、大神ミオが配信して削除された『ゴーストトリック』だ。
このゴーストトリックは、他の作品と違い黙認していた何てことはない。発売されて1年後、ゲーム実況界隈では当時、実況は発売してから1年は実況してはならないと言った暗黙の了解があり、案の定、逆転裁判のスタッフが作成したゲームとあり、発売から1年後の2011年には実況が多く上がった。
この時期にニコニコで実況を見ていた層はわかるだろう。ゴーストトリック、逆転裁判一斉削除事件だ。そもそも逆転裁判も権利関係は厳しく、定期的にプレイ動画は削除されてきた。このゴーストトリックも例に漏れず、すぐに削除された。
このことは当時、実況動画を見ていた層は記憶に今でも残っている、「逆転シリーズの実況は権利関係が厳しいからNGである」と。そして、逆転シリーズをメインにしていた有名実況者の何人かは引退を余儀なくされたので鮮明に覚えている。
さて、大神ミオのゴーストトリックの無許可配信に戻ろう。先述の通り、著作権法では黙認が原則であるが、ゴーストトリックはそもそも黙認されていないアウト中のアウトな作品である。そんなの知らなかっただけだろ!と言う声もするだろう。確かに警察や裁判に知らなかったは通用する(と言っても減刑だが)。だが、知らなかったのだろうか?それはそれで問題なのだ。
大神ミオの中の人であるメイアン氏は2008年から活動しているニコ生主、歌い手、“ゲーム実況者”である。私も歌い手が嫌いだったのでユーザーとして確認はしていなかったが、ピクミンと大神は当時観ていた記憶がある。そして、デビューこそ2008年だが活動は2010年~2012年が最も精力的に行っていた。
2010年~2012年…… そう、逆転シリーズ、ゴーストトリック一斉削除が行われていた時期ドンピシャである。当時、ランキング上位の動画も権利者削除され盛り上がっていたのだが、同時期に最も精力的に活動していた実況者がこの事件を知らないことはありうるのだろうか?ありえない、と結論付けることはただの憶測でした無いので、あくまで「配信を禁止されていると知っているゲームを無断配信した」と言う疑惑にとどめておく。あくまで以下、知らなかったと言う体で話すとし、とりあえず大神ミオのゴーストトリック無断配信のことは一旦切り上げる。
ここまで、徹底的に書いたからわかるだろうが、この無断配信の件を受けて私はホロライブの箱推しをやめた。
ここからは、タイトルのにわかオタク集団ホロライブについて解説する。
ホロライブのゲーム配信や雑談配信を聞いているとよく違和感を覚えることがあった。例えば最近の例だと、猫又オカユがペーパーマリオを実況しているときに既プレイだと言っているのにも関わらず「こんな展開あったっけ?」や「昔だから覚えてない」と言う発言がしょっちゅう出ていた。まあ、たしかに10年以上前に遊んだゲームの内容を覚えているかと言われたら……結構覚えている。まあ、記憶の問題は置いておくとして、この展開や覚えてないと言う場面、当時CMで嫌というほど流れたシーンやラスボス戦のシーンなのだ。(こういう言い方はあまり良くないが)真面目にゲームやってたら忘れないシーンだ。
それ以外にも現在、赤十字無断使用問題で燃えている白上ふぶき、日頃の配信から30代くらいのオタクみたいな発言をしているが、なにか突っかかるところがあると思っていた。それが確信に変わったのがクトゥルフ神話TRPGの配信である。自身の発信力も顧みず、間違ったルールを堂々とルールブックに書かれている通りと宣言し、結局修正はしなかった(心理学のシークレットダイスについての発言)。
他にも企業案件での動画なのに他社版権作品(鬼滅)のなりきりを突然始める大空スバルなどでわかった、ホロライブはオタクコンテンツが好きなのではなくコンテンツをコミュニケーションの手段としか捉えていないにわかなのだと。
コンテンツをコミュニケーションの手段として捉えることは悪いことではないし、むしろ良いことだ。しかし、ここで問題なのはコミュニケーションの手段“としか”捉えていないライバー集団ということだ。
わかりやすく例えるならば、航行の文化祭で「クラスみんなでハレ晴レユカイやもってけセーラーふくを踊ろう!」て意見を出してクラスをまとめ上げる女子だ。そして、オタクくんにも理解あるよアピールをする女だ。本物のオタクが文化祭で催し物に参加せず、机置き場になってる準備室で仲間内でアニメやゲーム、漫画について語り合ってるところ、遊んでいるところに突如現れ、私はお前みたいなオタクにも理解がある、その漫画とゲーム知ってるし、クラスのみんなも分かってくれるから一緒に催し物を回ろうとか言ってくる糞女だ。良くてポプテピで目の敵にされてるサブカルクソ女だ。
奴らは、その漫画、ゲームと言ったコンテンツを見ていない、そのコンテンツに理解のある私が好きなのだ。コンテンツの名前しか知らないし、その名前もゴールデンタイムのクッソつまらないバラエティー番組のパチンコのCMで知ったとかそういう奴だ。
ホロライブのライバーは一部の例外を除きそう言ったにわかオタク、サブカルクソ女の集まりだ。青春をアニメ、ゲーム、漫画に費やし、好きなことを生命活動よりも追求するオタクに取って最も忌避すべき対象だ。敵対勢力だ。
数少ない例外は、マリン船長とぺこら、ルーナくらい(フレアはオタクであることを隠そうとして隠れきれてないオタク臭するけど配信頻度的に私が詳しくない)だろう。マリン船長は声優と生身の人間が嫌いな私には理解できないところもあるがガチのオタクだ。年代的にギリギリであろう作品も名作とあらば実際にプレイしてみて、ハマっている。コミュニケーションよりも自分の好き語りが優先されるガチのオタクだ。ぺこら、彼女も夢女子として一度ハマりだすと止まらない。やめろというが、夢かたりしててアッアッアッとなる感じが正真正銘のオタクだ。ルーナ、ジャンルはたこ焼きとあまり私は理解がないが彼女はガチだ。ぽこしゅけとしてニコ生時代の彼女を知っている人ならわかるが、記念日に家族との食事の約束をたこ焼き食いてぇと言う理由でドタキャンして突如たこ焼き生配信を始めるレベルでのオタクだ。たこ焼きについては知らないが、オタクとは好きなことをとことん追求するものだ、このムーブはオタクそのものだ。
さて、こうしてみるとにわかオタクとした白上や大神ミオなどとの違いがよく分かる。オタクとなっている少数のライバーは好き語りに徹しているが、(特に白上ふぶきは顕著)好き語りと言いつつ、語りではなく紹介なのだ。同意を求めたり、返しを求めている。語れよ。
以上、にわかオタク集団ホロライブだ。そんなにわかオタクでオタクくんに理解のある陽キャだから、本物のオタクとのズレが表面化してきて、そういった似非オタクを集めた結果、黙認されていないゲームの無許可実況、情報漏洩、赤十字無断使用のように調べたらそれが駄目だとすぐに分かるようなことに対して、オタクの基本である即調べるができていないことが露呈し、今の大炎上になったのだろう。
銀河英雄伝説は長い歴史のある作品だから最近の作品が受け入れられないという気持ちは分かる
30年以上前の作品だけどOVAも原作小説も面白かったし特にOVAは10年以上追い続けた人の思い入れは相当な物だろう
道原かつみ先生のコミカライズ版も現在連載中断している物の30年近く連載していてやっぱり長い歴史と熱心なファンが居る
でもそのOVAだったり道原かつみ版と内容が違うからといって新アニメやフジリュー版を無条件で叩く人はどうかと思う
元は徳間ノベルスで刊行された小説作品で、漫画にしてもアニメにしてもその小説を下敷きに独自の展開をしているんだから内容が違うのは当たり前なんです
原作小説から内容が違うから気に食わないというなら、昔からのファンが好きなOVA版だって道原かつみ版だって原作小説からの改変は結構ある
作品が自分の好みじゃないから・改変が気に食わないから許せない、嫌いだというのは分かるし理屈でも正しいと思う
ただ原作小説と、OVAと、道原版は良くてフジリュー版とDNTは改変が気になって許せないというのはアンフェアだとこちらは感じる
結局何が言いたいかというと、人が楽しんでる物に対してヘイトを吐き出されると不愉快になるんでやめてもらいたいなぁ…という事です。「黙れ!下衆!」とまでは言わないけど、言いたくはなっちゃうよ。
2週間以上前に、昔の職場の同僚から連絡があり、話しましょう、って言われて、空いてる日をすぐに見繕って返事してからずーっと2週間以上放置。
忘れかけたのに、今日いきなりメール来て、今夜話しましょう、ってさ…
あの、私、10歳くらい年上だよね?
あんた無職で暇なのに、フルタイムで働いてる私の時間、なんで指定してくるの?
しかも、2週間音沙汰なしだったことを謝罪もなしに?理由ぐらいあってもいいんじゃない?もしかして、感染したのかなとか思ったわよ?
なめんじゃないわよ。
あんたの惚気だか愚痴だか、転職相談だか知らないけどね、聞く筋合いないから。
どんだけ失礼なの?
信じられない!
追記: 一応話だけは聞こうと思って、メールで用件を聞いてみたら
えっと、ただでやれってこと?
着信拒否決定です。
・そもそも、貧乏な一商人に過ぎない子どもが、いくらペラペラ喋っててもその内容が「うすっぺらい会計素人」意見なのは、作品描写的に不自然ではないのでは? まあ、たとえばあの部分はじいちゃんの口癖(「まあ船の設備(コンロ、ずんどう、鍋、食器類、お手拭き、洗剤とか?)にも金がかかるから、実際の利益は1杯16デラくらいじゃ」)の受け売りであったと考えてもいいんじゃないかと思いますね。実際、あそこ以外で主人公がしっかり将来像を計算できているような描写がなくて、あそこだけ妙に饒舌ですし。
・それにしても、安い魚汁の値段が50デラということは、まあ200円くらいと考えると1デラ=4円くらいの相場感ですよね。住む所と商売道具の船貸して1万デラ=4万円/月、というのは一見良心的ではありますね(だから主人公もここを離れないのでしょう)。実際、「待ってくれ」とも言わずに追加の1万デラを「ほい」と出せたところを見ると、ティンは明らかにそこまで逼迫もしていないですしね。そこを深掘りすると、ヤクザは、こうやって「いずれ船も住む所も買い取りにできる」という希望をチラつかせて下働きさせている、と。そして、倹約して倹約して必死に貯め込んだお金自体を、誰も買わないぼろ船とぼろ屋と引き換えにすべて巻き上げる、というのがこのビジネスモデルなのでしょう。そして、「会計素人な主人公」は当然全くそれに気付いていない。
・だから、売上の上前はねてるにも関わらず、大声で悪口言って商売の邪魔をするのは、ティンが「繁盛しすぎて金貯めて独立する」日が少しでも遠くなるように、なのでは? 一日一日ぼろ船もぼろ屋も減価償却されていくけど、買取額は定額。ならば、急いで独立されるより、「その日」が一日でも先延ばしになる方がヤクザとしては利があるわけです。まあ、こんな細かい、非生産的な商売をしているあたり、彼らも十分に程度の低いチンピラで、ティンのような子どもの一人や二人潰してしまっても別にどうでもいいや、と思ってる可能性もゼロではありません。
・そして、それより重要なのは、「舐められない」ことです。これはショバ代の徴収等を円滑に進める上で重要です。舎弟を「舐めた」ティンから、その日の売り上げ全額を徴収したのは、いわば彼らの「メンツ」代であり、「見せしめ」として痛めつける必要があったからでしょう。その意味では彼らの行動は十分合理的です。
……つーか、そこそこよく描けてる漫画だと思うし、だからこんなことくらい十分画で伝わってくると思うんですが、本当にこうやって一から説明しないと分からないですか? 漫画とかフィクションを読むのに向いてないって言われませんか?
ティンの魚汁売り(屋台船)は、忙しさの描写から見て、高校の文化祭くらいと考えると、一日最大300杯くらいまでは売れる、と考えると、一日平均で100杯は売れるのでは。
そうなると、月の利益は3000*16で 48,000デラ 1/3で生活してると想定して残り36,000デラ ショバ代が 10,000デラで 残りは26,000デラ。
急な出費に備えて6,000デラを除くと、まあ月に20,000デラ貯蓄できる計算。これなら、タムの10,000デラを即払いできたのも一応納得がいく。
では、現在までティンはいくら貯めていて、船と家の買取額はいくらぐらいだろうか?
祖父がこの仕事を始めたのはいつか? 「料理の腕はあるが経営の才能がない」祖父は、もともとそれほど金には困らない料理人だったのでは。
想像だが、(1)祖父とティンの両親で店をやっていた、(2)ティンの両親が流行病等で多額の出費が必要&死去する状態になった、(3)店を人手に渡しヤクザに借りをつくる状況になった、という流れ、とすると、ティンの年齢からして、祖父がこの仕事を始めたのはせいぜい15年程前だろう。
ただし、2人いた当時、場所代は月2万デラだ。従って貯蓄は最大で月1万デラ。商売の始めでの出費、子どものころのティンの面倒を考えると、毎日フルタイムで稼ぐのは難しい。なら、月々3千デラ程度を貯蓄するのが精一杯だったのでは。15年×月3,000デラ×12ヶ月=540,000デラ(=216万円ほど)が現在の貯金額。(祖父の病気に際して全く出費がなかったとは思えないが、祖父は自分の病気にお金をかけるより、ティンの独立が早まる方を優先してあまりお金をかけないようにしたのではないか。)そこを見込んでも、現在40万デラ(日本円で160万円程度)は貯まっていると思う。
だが、これは奇妙だ。あのぼろ船と家の権利が160万円というのは、さすがにティンでもぼられていると気付きそうである。ならば、「そもそも最初に店を手放したときの借金を返し切れていなかった」という可能性を考えるべきかもしれない。ざっくりそれを利子込みで100万デラと仮定しよう。ならば、現在まだマイナス60万デラである。
ただし、今後ティンは年間で24万デラほどを貯蓄していける可能性があるわけである。(タムのせいで-12万デラとなるわけだが、そこまで計算しきれていないだろう。あと、気が早いが、二人の間に子どもが生まれたらえらいことになるぞ。子ども料金は0.5人計算とか船をもう一台借りるとかでないと厳しい。)それでも、せいぜい「5年で独立できる」という程度の希望がないと、やっていけないだろう。
というわけで、祖父死去時点の見通しとしては、「借金を返すまであと3年、その後、船と家の買い取り&独立資金で2年」というようなものだったのではあるまいか。現在10代半ばと見えるティンが、20過ぎには無事独立できている計算である。というわけで、ヤクザから提示されたあのぼろ船と家の価格はおよそ30~40万デラであり、なるほど、健康保険等のない状態での死病にかかる医療費相当……と推定される。
それにしても、5年後独立しようとしたティンが、その時点で完全に老朽化したぼろ屋とぼろ船を手に入れるだけと想像すると、チンピラ二人組の態度が少し改まった程度では、なかなか前途多難ではある。まあ、タムが帰ってきたから、気兼ねなく純金の像を売り払えばいいのか……。
https://twitter.com/nhk_1945shun/status/1296216569832513544?s=21
諸事情あり今は横浜に身を寄せているものの、大学から10数年暮らしただけあって、広島という街には愛着がある。
そういうわけで、この#ひろしまタイムラインの3アカウントも8月に入ってからは頻繁に覗いていた。
地理がそこそこ分かるということもあり、ああ、あの橋から市内に入ったのか、とか(広島は橋が多い)、"体調悪い"って、あの辺は黒い雨の範囲ではないのでは? と思って調べてみたら、元々の認定範囲内だった、とか、そこから最近の黒い雨訴訟の背景をまた調べ直したり…これはこれで、なかなか興味深いものを感じていた。
ただ、全国的には注目を集めることもなく、特に8月15日以降はひっそりと、インターネットの片隅に埋もれていくんだろう、とか思っていた。もちろん、はてブの話題に昇ることもない。そこにこの騒ぎだ。
ところで、この騒ぎを受け、どういう体制でこのアカウント群が運営されているかを初めて知った。
監修者…知り合いというほど深い仲ではないが、顔とお名前が一致するくらいではある。広島にいた時、演劇に多少関わったことがあるので。柳沼さんの名前を見て、少しニンマリとしてしまった。
IさんやSさんも、直接のお知り合いというわけではないけれど、知り合いの知り合いくらいにはなる。広島の人間関係は非常に狭い。特にIさんは、若いころ、理想の演劇を求めて闘っていた時期を存じ上げているので、あの日々がこの活動に結びついているのか、と思うと感慨深さもある。
運営に携わる者、彼らなりの誠実さは感じるものの、こういう事態になってしまった。
あるコンテキストの流れ、そこにある湿った共感でもって駆動していた共同幻想が、別のコンテクストにぶつかってしまった。これは明白に事故だと思う。
広島(に住う人々)は、原爆や戦争というキーワードにはセンシティブな一方、相対的に人種(民族)を初めとするさまざまな差別問題には少し鈍感だ。
Twitterというグローバルなサービスを使用しないならこの鈍感さでも良かったのだろうが…一時期界隈を賑わした、コンビニ冷凍庫に入って写真撮る輩のようではないか。"誰も見ていない"とタカをくくった結果が炎上、みたいな。
しかし、私はここが正念場だと思う。運営者は覚悟を決めて、乗り切れ、と言いたい。
実はこの逆の事態が、もう10年以上前にあった。要するに、よそから来た者が広島人に大バッシングを浴びた事件である。
2008年、Chim↑Pomは広島市現代美術館での企画展を前にして、そこに展示する映像作品を広島市内にて制作していた。その内容は、飛行機をチャーターし、晴天の空に「ピカッ」という文字を描く、というもの。
これには大抵の市民が不快感を表した。"ピカ"は言わずもがな原爆を連想させる。それを誰のものでもない空に、一方的に描くとは暴力に等しい…と。
当事者団体も抗議の声を上げるには上げたが、正直、そうではない一般市民の感情の激しさの方が強かったと思う。
作り手には作り手なりの思いはあったようだが、当然、この作品はお蔵入り。企画展も中止。
ただ、彼らは、そこで終わらなかった。これを契機として当事者団体と対話を始める。
その仕事は「なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか」という書籍として実を結ぶ。
「原爆」に対してセンシティブな広島人、そうではない「Chim↑Pom」。
ここで起きたことも、それぞれの皮膚感覚の違い、流れるコンテキストの違いが引き起こした事故だった。
ならばChim↑Pomがどのようにして異なるコンテキストに向き合い、この事態を乗り切っていったか、あなたがたが(もしくはこのいごこちのいい幻想のなかにいる我々、広島人が)学ぶことはあるはずだ。
広島魂を見せろ。