はてなキーワード: 上前とは
ゆうちょから不審な取引がないか明細を確認してくださいってメールがきてたから確認した。
そうしたら、昔の知り合いから、H30年の8月と12月に、千円ずつ送金がしてあったわ。
15年以上前に、30万くらい金をかして、少しずつ返済させてたけど割と最近まで返済してたんだ。
当時もめて、共通の知り合いに「返済しないなら簡易裁判起こしてやつの財産を差し押さえる!裁判起こしても元はとれんけど、腹の虫がおさまらん!」とか言ってたら伝わったらしくて、急にしおらしくなってできる範囲で返済するってことになった。
正直、俺はすっかり忘れてたけど、まだ返済してたんだ。
しかし、返す意思があるにもかかわらず年に二千円しか払えないって相変わらずカスだな!
収入がないわけじゃなくて、計画的に使えなくて無駄遣いしてるとか、人をなめて金は返さなくてもいいと思ってるようなクズ人間。
一回目。十年以上前だった。すぐ繋がった。今でも覚えている、この人は当たりの人だった。恐らく年配の女性で、アルバイト先でセクハラを受け、辞めることにした。そのことを上の人に伝えたら職場の人達みんなの態度が冷たくなり、死にたくなった。その内容を親身に聴いてくれた。年齢を聞かれ、まだ若いからもっといい仕事見つけなさいと言ってくれた。
二回目。八年くらい前?なかなか繋がらなくて、住んでいる地域と別の県のいのちの電話にかけた。年齢は分からないけど、おばちゃんまでは行かないくらいの年齢の女の人だった。ハズレの人ではないけれど、相談内容に困っているようだった。兄弟格差が酷くて辛くて死にたくなった相談内容に、もっと兄弟に優しくしてもらえたらいいんですけどね、彼も調子に乗ってますねとかなんとか言われた気がする。
三回目。二年くらい前。この時も女性の相談員で、すぐに繋がった。家族のことで悩み、電話をした。この相談員の人はかなりのハズレだった。はいとそうなんですねと大変ですねしか言わなかった。しかもその相槌全てに感情がこもっていなかった。段々死にたい気持ちより相談員の人に腹が立つ気持ちが上回ってきて無言で電話を切った。
10年以上前に漫画家の矢吹健太郎氏の妻であり元アシスタントであった女性と不倫した男である
当時彼は未成年だったらしく、なら不倫は年長だった矢吹嫁の方が悪いのではないか?という考え方をする人が居るのも分かる
ニコニコ動画で音楽関係の動画をアップロードする活動をしていたらしいが、そんな事はどうでも良い
この中村イネは前述の矢吹嫁との不倫以外にも素行不良だったらしく未成年で飲酒やら喫煙やらしていたらしい
ちょっとワルを気取った奴なら学生で煙草を吸ったり酒を飲む事もあるだろう、個人的には嫌いなタイプの人種だけれど赤の他人だしそれは良い
だが不倫は駄目だ。いや不倫以外も駄目だな。この不倫が明るみになった結果矢吹健太郎はこの嫁と離婚する事になり、子供の親権を得るために多額の慰謝料をこの嫁に支払う事になった。
そんな嫁ならイネが居なくても適当な男と不倫してたんじゃないかとも考えられるが、現実でこの糞嫁と不倫したのは中村イネだ。矢吹健太郎の人生を滅茶苦茶にした糞野郎だ。
こんな糞野郎でも活動休止してもう表に出なくなればどうでも良いと思う。実際この10年間「中村イネ」が何かをしたという話は耳に挟んだ事が無い。
ところがこのクソ野郎は現在名前を変えて大活躍している。PENGUIN RESEARCHというロックバンドのベースと作曲を担当する堀江晶太という男が居る。
この男が中村イネだ。別に隠している訳でも無く、調べればすぐに出てくる。知らなければ良かった、と今でも後悔している。
PENGUIN RESEARCHというロックバンドそれ自体もそうだが、この堀江晶太こと中村イネは現在音楽業界で大活躍している。様々なミュージシャンに楽曲を提供する才能は本物と言って間違いない。
ある個人の才能が優れている事とその人間性が秀でているかには何の関係性も無い。むしろ、人間性が良い人間など殆ど居ないのだから、才能が優れているだけでも大した物であると思う。
だが、今でも調べればすぐに出てくるような不祥事を犯した人間が、何の制裁も無く活躍出来る業界にはどうしようもない生理的嫌悪感を覚えてしまう。
人間性など関係なく才能がある人間を使うのは合理的であるしきっと正しい。だけれど、才能のある人間なら罪を犯しても何不自由なく生きられるという現実を見てしまうのは、決して気持ちの良い物では無い。
今後、堀江晶太がどんなに優れた曲を作っても、どんなに偉大な功績を挙げても、こいつが「中村イネ」だった事は決して忘れないようにしたい。
四年以上前の写真なのですが、未だにネットやマスコミでは多くの方々が使用してくださいます。
当時前髪を横に流すヘアスタイルだったのですが、選挙の撮影だったので新聞社の記者に前髪を無理やりピンで留められました。おでこを出すことにコンプレックスがあった私は、この写真にネガティブな思いしかなかったのですが、長い間こんな愛していただけるなんてとても嬉しいです。皆さんの応援に心から感謝です😊
https://twitter.com/miosugita/status/1091845419385085952?s=21
しかし杉田水脈のポスターや本人Twitterの写真を見るに、額を出している写真と前髪がある写真の数はとんとん。
マスメディア(新聞社)のイメージを下げるための嘘なのではないか?という指摘に対し、囲いのネトウヨたちは「女心がわかってない」と擁護しているが、今回の発言を受けて、これも「女のついた嘘」の可能性が高いと思ってしまう。
「四年以上前の写真なのですが、未だにネットやマスコミでは多くの方々が使用してくださいます。
当時前髪を横に流すヘアスタイルだったのですが、選挙の撮影だったので新聞社の記者に前髪を無理やりピンで留められました。おでこを出すことにコンプレックスがあった私は、この写真にネガティブな思いしかなかったのですが、長い間こんな愛していただけるなんてとても嬉しいです。皆さんの応援に心から感謝です😊」
https://twitter.com/miosugita/status/1091845419385085952?s=21
しかし杉田水脈のポスターや本人Twitterの写真を見るに、額を出している写真と前髪がある写真の数はとんとん。
マスメディア(新聞社)のイメージを下げるための嘘なのではないか?という指摘に対し、囲いのネトウヨたちは「女心がわかってない」と擁護しているが、今回の発言を受けて、これも「女のついた嘘」の可能性が高いと思ってしまう。
俺は10年以上前から経済記事を沢山ブクマしてきて、ここ5年くらいははてブは卒業しているんだが、BIや給付付き税額控除、負の所得税に類するアイデアには基本的には賛成だ。社会制度を最適化していけば自然とそれらに近い制度に行き着くことになるだろうとも思っている。ただ日本がその段階かというと、俺はそれを正確に推定するための情報を得る行為をもうしていないし、印象ベースで語らせてもらうなら日本のこの分野の偏差値はかなり低いと考えているので、「百年早いわ」といった感想しか抱かない。日本人としては百年ほどコールドスリープしたい気持ちでいっぱいだ。
しかし、この類の制度について反対する強力な根拠のようなものがあるとしたら、それはズバリ、「全国民が日本の扶養となるに等しいから」それに尽きる。
つまり、国民のパパたる日本がグローバル経済からリストラされて、日本円の価値が急激に毀損されれば、よほどストイックかつ万全に国に頼らない生き方を確立済みであった人以外、一斉に餓死するレベルの困窮に直面するリスクがある。万人にとって万能のセーフティネットが、万人にとって一律無意味なセーフティネットに一気に変化してしまったとき、経済というエンジンを再始動するボタンを押せるだけの電位が生み出せない状態になってしまう恐れがあるということだ。
https://blogs.itmedia.co.jp/doc-consul/2019/05/post_107.html
マクルーハン自身も英文学者でありメディア批評家であって認知学者ではなく、自分で実験をしたものではなくクルーグマンという広告研究者の研究をもとにしています。しかもマクルーハンは1980年に死去しているのでこの主張は40年以上前のものです。
40年以上前の「透過光」型デバイスは、解像度が絶望的に低いTVの他にはマイクロフィルムリーダーや映画のリアプロジェクション型スクリーンぐらいしかありません。これが現代の技術環境にそのまま通用するはずがないので、少なくともマクルーハンを根拠にこの話を語るべきではないのは明らかです。
表示媒体の違いが誤りを探す読みに与える影響(松山麻珠、池内淳)(情報処理学会研究報告2015)
"以上の結果より、「透過光ディスプレイより反射光ディスプレイのほうが作業効率・評価共に高い」という仮説は実証できなかった。"
ゆるリョナが好きなんですよ。ガチでボコるとかではない、負けた対価としての愛が無いエロ的なやつ
初めてゆるリョナらしきものに目覚めたのは幼稚園児の頃、ファミコンの「なかよしといっしょ」という少女漫画誌なかよしのお祭りゲーをやってた時だった
「なかよしといっしょ」は茶髪ストレートロングヘアーの女主人公がピンチに陥ったなかよし作品の世界を救いに行くというゲーム。戦闘のコマンド入力がスロットで運要素が強い。なので、幼少期のろくに戦略も立てずにゲームを進める私はまぁゲームオーバーになる。そして、この主人公、ゲームオーバーになったら敵キャラによってどこかに連れ去られる(やったのが25年以上前だから記憶違いがあったらごめん)それを見て、当時の私は思ったんですよ。主人公、連れ去られた先で酷い目に遭ってるんだろうなって
幼稚園児の頃にした妄想はそこまで。時は経ち、小学校高学年になった頃に物語は動く
ある朝、FF6のティナかセリスが戦闘中にエッチな目に遭う夢を見たんですよね。裸にさせられる的な…。それが私の性の目覚めでした
で、変な夢を見た私は、その夢と幼い頃にやってたゲームを繋げてしまったんです。そうです。なかよしといっしょの主人公敗北シーンです
あの主人公は攫われた後酷い目に遭うんだろうな。幼稚園児の頃の妄想は更にエスカレートし、あの主人公は攫われた後エロい目に遭うんだろうな。に進化していきます
もうこうなってしまうと私にとってエロは敗北の象徴。自分自身の人生にもそれは影響してしまい、負けないとエロい目に遭う義理は無いってな感じでエロへのハードルを上げてしまった結果干物女の出来上がりです
どうしたものか。はてなーの皆様に良質な負けエロ作品を教えていただきたい。ガチな戦闘で負けるやつから罰ゲーム的なやつまで。負けたからエロって理由付けがあればなんでもいいです。人助けだと思って。お願いします
ファクトチェック的なやつがうるさいけど、書いてることは概ねあってるはず。
ボロい家が多いのも本当だけど、これはシティの中でも地域によるかもしれない。
オーナー(貸主)が家を持ってて空き部屋を貸してくれるケースと、
オーナーも家を借りてて空き部屋を貸してくれるケースとでは家のクオリティが段違いだった。
恐らく、ここに書かれているように投資用物件だと極限まで切り詰めているんだろう。
シャワーが熱湯か水かみたいな家や、電気の配線が切れているような家、
窓に関してはサッシの概念がなくて木枠の家がほとんどだったかな。
1つ思うのは、日本から移住を考えている人ってオークランドに住みたいのかな。
仕事があったらオークランドに住まないといけないってケースはあるのかもだけど
だったらなんでわざわざニュージーランドに行くのよ、って気はする。
都会過ぎて2日か3日しかいなかったな。
当時はフラッティングも探せばそこそこの家でも週80NZDぐらいで見つかったのに
長編小説のエントリをお見かけしたとき、自分の思考整理のために書いていたものを投げます。
私自身が誰になにを言われたわけでもないんだけど
今いる界隈で字数マウントっぽいのちょこちょこ見るようになったので。
いっぱい書いた貴方はえらいし褒めるし優勝!てなるのはわかるんだけど
じゃあいっぱい書いてない貴方はえらくないのかってことは全然ない。
ひとつの話を完成させてること自体を誇っていこうなという動機です。
というのは、自分が二次創作における文章の文字数に一回仮死状態になったからです。
筆を折ったというよりは筆を止めた。
家にスキャナがなかったので文字を書くことにした類の人間でした。
思いついたお話をかければなんでもよかったし「サイト」をやってみたかっただけです。
自分の考えたことが形になるのは楽しい。というのを繰り返して、
感想をもらって同好の方と交流を持つようになって、同人誌という存在に行き当たりました。
小説とは別にデッサンを習っていたのでそちらの言葉を使いますが
私にとって「書く」ことはクロッキーのようなものでした。速写です。
短時間でいかに核心をつけるか、そのものらしい一瞬をつかめるかが要点でした。
ワンシーンの抜粋、動作の美しさを描写して書き留めておきたい。
けれど本を作ろう、それも折本ではないものを作ろうとするとそれでは持たない。
シーンを複数用意して時系列や構成を思考して配置する必要が出てきて、それが正直めちゃくちゃ面倒だった。
でも油彩や日本画をしようとしたらもっと別の画材がいる。段取りもいる。
デッサンとするにしたって、完成度をあげるなら技法と知識がいる。
30秒や、長くても3分で完結するものばかり描いていた人間が、それを自覚せずに2時間以上、
下手すると無限に時間をかけてもいいものに着手するとそれはもう混乱する。
鉛筆一本だし、チラ裏に描いてたものを本格的に描こうとして「アレッ」てなるのは当たり前なんですね。
今思い返すとこういう言語化ができるけど、当時はできなかったので苦しんだ。
物語を読むことはできるし愛してはいたけど、私が傾倒して読んでいたのはほとんどが詩や短歌でした。
「情景を切り取って見せ方を演出する」が共通していても、小説のそれとは方向性が違う。
あと短時間でたくさん読める。
などの短文の魅力が好きでした。今も好き。
絵に関しても、美しく整えられて丁寧に塗られたカラー絵よりも
要点だけを的確に抑えて踊る筆致に傾倒しがちなので単に好みの問題です。
一口に長編といっても、実際は短編連作だったりする場合もあるので。
読んだの10年以上前なのに今でも思い出すお話あるけど、文字数とか覚えてないしね。
物量と、自分や誰かにとって魅力があるかは全く別なので混同しなくていい。
それがわかっていればよかったんだけど
小説というからには長いほうが立派で、分厚くないとならない。と無言の圧を感じて
(実際、紙媒体として本の形が成り立つためには物理的に必須なのですが)
それは私にはできなかったので、書くことから遠ざかりました。
今は自分がいちばん書きやすい文字数と話のスケールがわかってきたのでまた書いてる。
分量があってスケールの大きい物語を書きたくて目指すのは楽しいけれど
だからといって分量がないものを下に見たり、情けなく思う必要はない。
「こうしなくてはならない」を勝手に制定して自分をジャッジする必要はない。
なかったなぁという回想です。本当になかった。本当にないよ。
万字単位がかけるようになっても、140字以内にあるキラーフレーズが好きだし
3000字以下のショートショートに胸を打たれることがあります。
それに分量があるということはその分その世界に浸っていられる。
これは強い。好きな文章をずっと読んでいられるのは最高に楽しいです。
でも、短い文章が弱いわけでは決してない。恥じる必要は微塵もない。
「削ぎ落としてつくる」を考えさせられるのでとても好き。
長かろうが短かろうが、創りたいものが創れるようになるというのが理想だと思います。
私はインターネットお絵描きマンとか、字書きという呼称が好きです。
軽やかなので。
重厚で肉厚なものと一緒に、インスタントで軽やかなものが同じ空間で息をできるのが創作の醍醐味だとも思う。
そういう覚書でした。
(一般の出版物におけるショートショートは800〜4000字、
短編は4000〜32000字、中編は12万字までのようですが
二次創作においてはもっと細かくて感覚的な区分けがある、という認識です)
銀河英雄伝説のリメイク。3期以降も続くのかな。もしそうなら、男女役割分業の描き方は変更せざるをえない気がする。旧アニメのままだと、さすがに時代にそぐわない。作品として大変に面白いのは踏まえたうえで。…なんてことを書いたら炎上するかな。
実際のところ、昔のドラマやアニメを見ていると、価値観の変化がもっとも顕著なのがジェンダーの描き方だという感はある。そういう変化を踏まえたうえで作品を楽しめばよいわけで、ジェンダー関係の指摘は作品を全否定することだというのは違うと思うんだけどな。
なお、個人の感想ですので作品に何ら干渉する意図はありません。NHKに投書もしませんし、BPOにねじ込んだりもしません。三期があるのを皆で祈りましょう。
■原作者田中芳樹さんのスタンス(らいとすたっふ安達裕章さんの過去ツイートより)
このあたり、マッグガーデン版の巻末付録につけた田中さんのインタビューで聞いたなあ。執筆当時の「30代男性」と現在のそれでは、かなり大きな差があるもんね。あとは女性兵士の描き方とか。田中さんも「いま書いたら、ずいぶん違う作品になったと思う」って言ってたわ。
それについては作者の田中さんも、当時の自分のもつ軍人のイメージが男性中心だったことを認めたうえで、いまの自分が『銀英伝』を書いたら、女性の活躍をもっと多く書いただろう、と言ってました。
タイトルの通り増田は20年来の銀英伝ファンですが、私が銀英伝を知りネットの掲示板や個人サイトなどを見始めた当時から、ファンによる「銀英伝の女性キャラはステレオタイプ過ぎる」とか「田中芳樹は女性を描くのが下手」みたいな批判は当たり前のものとしてありました。今回炎上した冒頭のツイートもそれと同系統のものであり、作品内の女性の扱いに対する感想としては見慣れた内容で特に違和感はありませんし、個人としての違和感を述べたうえでリメイクにあたってのアップデートを希望するものであって、それ自体問題があるものとは思えません(なお、「Die Neue These」はリメイクではなく「原作の再アニメ化」なので、その点は事実誤認なされているものと思います)
また、続いて安達さんのツイートを引用した通り、原作者は「銀英伝における女性キャラや活躍が少ない」という点について、それを創作上の弱点(という言い方が正しくなければ上手く描ききれなかった部分)だと認めていて、当時の自身の理解や価値観を前提とした描写だったとしたうえで「いまなら別の描き方をしていた」というスタンスをとっています。
男女役割分業の描写については特にスタンスを明確にしているわけではないですが、上記のように女性の活躍や社会進出については当時といまとで違った描き方をするだろうことを認めていることから考えるに、現在の価値観にそぐわない描写があることは作者自身も否定しないものと思われます(原作で描かれたヤンとフレデリカの生活描写を「現在の価値観にそぐわない」と判断するかはわかりませんが)。
このように、冒頭のツイートは以前からファンの間でも作品の問題点のひとつとして挙げられていた描写について、あくまでも個人の意見として再アニメ化を行うにあたり違和感のないようアップデートしたほうが良いと述べるものであり、いっぽうで原作者も原作には様々な問題点があることは認めたうえで「いまなら別の描き方をする」というスタンスをとっているわけです。
実際にそれらの描写を変更すべきか否かはそれぞれで判断が異なるのは当然としても、こうした意見に対して「現代にそぐわないから変えろって言いだす社会学者やべえ」などと嘲笑するのは原作者のスタンスを含めて明らかに論点を見誤っていますし、「銀英伝を燃やしに来た」などと反応するのは過剰です。挙げ句に社会学者というツイート主の職業にフォーカスしてその職業全体を否定するような言説まで行うのははっきり言って異常だと思います。
■余談
本件もそうですが、ポリティカル・コレクトネスを巡る議論においては「過剰なポリコレを押し付けるな!」などと主張する批判側にも個人の意見に対して過剰かつ攻撃的な言動を繰り返す「反ポリコレを旗印に個人を抑圧するネット憂国騎士団」みたいな存在も目立ってきており、まともな議論が成立しづらい状況になっているように思います。
創作物それ自体だけでなく、創作物に対する意見・批判を含めての「表現の自由」です。「表現の自由」を訴えるのであればその点を見誤るべきではないし振る舞いも自制するべきではないでしょうか。
■さらに余談
「Die Neue These」も良いですが、原作ファンとしてはいまウルトラジャンプで連載中の藤崎竜版銀英伝を激推ししたいです。キャラクターやエピソードは本伝・外伝・OVAなどからの好いとこ取り、それも全体として齟齬がないように再構成されており、さらに物語やキャラクターをより魅力的にみせるような改変も随所になされていて、原作を知らない人はもちろんですが、原作(特にOVA)を良く知る人こそ色々な改変や小ネタ、伏線を見つけながら楽しむことができるとてもよい漫画となっています。フジリュー版はいいぞ。
■追記
『銀英伝』の話題の火元を把握した。原作ファンが怒ってるけど、たしかマッグガーデン・ノベルズ版収録の田中先生のロングインタビューで、「フレデリカまわりの描写は、今だったらもうちょっと違うものにする」みたいなことをご本人がおっしゃってなかったっけ? 手元に本がないのでアレだけども。
知人から田中芳樹先生がフレデリカの描写について触れているインタビューのソース画像が送られてきた。私の責任で引用しますね。出典は『銀河英雄伝説 6 飛翔篇 』(マッグガーデン・ノベルズ) の297ページ・298ページ。商品にリンクもしときます。 https://amzn.to/33ncPLt
(フレデリカの料理の描写について)ただ、これも三○年以上前だから許された表現なわけで、いまの時代にはそぐわないと思います。ヤンが料理や家事をしても良いわけですから。
このインタビューを読めば分かる通り、原作者自身は問題視された描写についてはっきり「いまの時代にはそぐわない」という認識を示しています。原作者の現在の価値観やスタンスはむしろ冒頭のツイートに近いわけです。にもかかわらず、「あの描写は時代にそぐわないからリメイク(再アニメ化)では変更したほうがいい」という意見を言っただけの個人に対して今回のような揶揄・嘲笑・攻撃が向けられる状況はやはり異常だと思います。
男の名前でアンケートはがき書いても反映されないという噂を聞いて、自分の名前をもじって女児の振りしてせっせとはがき出してる。生物学的に男だから。
そういうことがずっとずっとずっとあったんだ、俺も、俺と一緒にプリキュアと楽しんでたおっさん達も、その先輩たちもみんななかったことにされてきたから「女児の名前を書きなさい」って言われたんだ、って気付いたら本当にたまらなくなっちゃって、俺とおっさんたちのためにわんわん泣いている。俺たちは透明なんだ
>もう10年以上前だからすっかり忘れていたけど、ジャンプのとある作品を好きで熱心に応援していた頃、女性の名前でアンケートはがき書いても反映されないという噂を聞いて、自分の名前をもじって男児中学生の振りしてせっせとはがき出してたことを思い出してしまいました。私たちは透明なんだ
どの作品だったのかもはっきり思い出せない、SNSが発達する前、インターネットで腐女子たちが個人サイト開設して掲示板やメールで交流していた頃、そういう噂をどこかで読んで、私は毎週ジャンプ買って50円切手貼ったアンケートに男の子の名前書いてせっせと出していたんです。生物学的に女だから。
そういうことがずっとずっとずっとあったんだ、私も、私と一緒にジャンプ作品を楽しんでいた女性たちも、その先輩たちもみんななかったことにされてきたから「男の子の名前を書きなさい」って言われたんだ、って気付いたら本当にたまらなくなっちゃって、私と女性たちのためにわんわん泣いている。