はてなキーワード: トントンとは
30歳を目前にして、去年初めて彼女が出来た。共学育ちで高校なんて女子のが多いくらいだったのに告白することにもされることにも無縁で卒業してしまったため、もう自分には一生恋人はできないものだと諦めていた。合コンや街コンに何度か参加したが、あれはコミュ力か顔か、どちらかが秀でていないと厳しい。
彼女は2つ年下の同僚。俺なんかと付き合ってるのに、なんと可愛い。彼女が転職してきた時から同期の間でちょっといいよなーって話してたから恋は盲目的なアレでもない。盲目でも全然いいけど
会社のイベントを一緒に主催することになり、それから驚くほどトントン拍子に事は進んだ。飲み行って映画行ってっていわゆるデート。デートHow to死ぬほど読んだ。彼女は自分は明らかに釣り合ってないしからかわれてるのかとか、職場の皆がドッキリしかけてるのかとか頭をよぎったけど、職場の皆は「童貞引っ掛けてきてよwww」みたいなノリをドン引く人たちだとわかっていたので雑念を払うことができた。これ地味に重要だったと思う
彼女ができるまで自分は、ネットで女叩きこそしてなかった(書き込みはしない)けどそういうスレッドをわざわざ見に行くことがあった。別に女にトラウマがあるわけでもないが、なんだか見ると安心したのだ。女ってマジでくだらない存在で、議論も話し合いもできない。その上がめつく男を利用し金を絞りとることしか考えてない。だからそんな女たちに好かれなくても俺は大丈夫的なそういうやつ。自分にとって女性はすっぱい葡萄そのものだったってことだ
でも当たり前だけどそんなことなかった。 女、超人間。頭がおかしいと思うだろうけど、自分は本当に衝撃を受けた。なんていうか、理解はしてたけど信じてなくて、え、それって本当だったんだ!的な
彼女、ていうか女性全般全然普通に話あえるしそんなに見返りとか気にしてない(まあ男と同じくらいにはしてるか)。
確かに金と時間はかかるけど、相手も金と時間をかけてくれる(これは彼女が同じくらい稼いでるのが大きいかも)。
嬉しい日に変えてくれた。彼女の誕生日とか記念日とか、周りを見てるとめんどくさそーと思ってたけど、喜んでる姿ってすごい可愛くて嬉しくなるもんなんですね
当方、25歳でワンルームマンション買って、40歳で売却した経験あり。
自分だったら、毎月、マイナスが出る物件は買わない。(±0だったら、物件の内容次第で考えるかも)
▲1万の中に、固定資産税分が入っているのかどうかわからないけど、
家賃 - ローン支払 = ▲1万だったら、精神的に、結構きついよ。
どうしても、毎月、マイナスだって思っちゃうし、途中でやめられないからね。
固定資産税払うたびに、さらにマイナスだ、って思うだろうし、2年目以降は、確定申告しても、多分税金が返ってくるほどのマイナスではないはず。
そもそも、将来、賃料が下がるのは間違いない。
(新築物件はこれからも増え続けるが、物価が上がらない時代なので、新築物件の賃料相場が変わらず、築年数が古い物件は賃料は下がるしかない、人口も減るしね)
サブリースだから安心だと言われているとしたら、そのサブリース契約の賃料の見直しの条件などは、よく確認する必要がある。
自分の経験で一番辛かったのは、一旦、空室になって、数ヶ月、次が入らなかった時。
1、2ヶ月は、貯金とか崩してローン払えるけど、3ヶ月目は、さすがにローン払えなさそうでやばくなり、
すぐに入居者がつくくらい賃料下げました。(1万円くらい下げた)
逆にいうと、空室にしたくなかったら、賃料下げるとすぐに埋まるよ。二度と元に戻せないけど。
その後の収支がそれでいいなら、そういう手もある。
ただ、空室になるんじゃしょうがないからと賃料を下げると二度とあげることはできないので、
月の収支のマイナスは、数年後には、確実に増えてるよ。
そういう時に、本当に買ってよかったんだっけとか、思ったりするわけ。決して後悔するわけじゃないけど、絶対、得してないよね、これって。
今までのマイナス分足すと、不動産投資やってなかったら、あれも、これも買えたなって。
生命保険になるんだと自分に言い聞かせても、結婚してないし、俺、保険いるんだっけとか思ってそうだし、
年金になるったって、40年後の家賃収入は、本当にどうなるかわからんよ。
生命保険目当てだったら、1万円/月で、400万円くらいの終身保険に入れるみたいだし、
ローン、2000万円だと、金利いくらか知らんけど、変動の基準金利 2.475%で、71,200円/月の返済額。
▲1万、ということは、賃料 61,000円/月ですか。
大阪って、駅近で、新築ワンルームの賃料 6万円くらいなのかな?
新築のワンルームって、賃貸づけまでして売ってたりするけど、賃料設定高めで行っているから、
もし、今、賃貸ついてる人がいるとして、出てった途端、賃料下げざるを得なくなるから。
あと、中古で売却する時の相場もネットで調べておいた方がいい。
築浅で駅からの距離と広さがだいたい同じくらいの、賃料相場が同じくらいの駅の物件の売却金額。
多分、ネットに出てる物件は、売れ残りなので、その金額以上では、絶対に売却できない。
不動産投資やめたいってなった時、ちゃんとローンが返せるか。(5年後とか、10年後とか)
5年おきくらいに、クロスの貼り替え(10〜15万円くらい?)があるし、
とにかく、始めちゃったら、他の投資と違って、簡単にやめられないし、
マイナスになったら、(賃料が上がらない時代なので)一生挽回するチャンスがないので、よくよく考えた方がいいよ。
まあ、結論からいうと、その営業の人以外は、買った方がいいね、という人はいないと思われます。
ちなみに、自分の場合は、毎月△3万円くらいあったから、売却した後も、最終的には利益出ました。
私の友人が実家を建て替えて土地の半分ぐらいをレ○パ○スの賃貸住宅にした。若者に人気のある街で、かつ駅近、そのわりにちょっと裏に入ったところなので比較的静かで条件は良いと思う。が、彼女がそのために背負った借金が半端じゃないんだな。基本的に友人の給料は当てにしてなくて、レ○パ○スの入居者たちの払った家賃がローンの返済に回る仕組みらしい。
月々の返済額や彼女の年収を詳細に聞いたわけじゃないんだけど、家賃収入>ローン返済額なら生活に余裕が出ても、家賃収入とローン返済額がトントンだったら生活費は結局自力で稼がねばならない。ご両親の年金もあるとはいえ、決して彼女が高収入ではないのは聞いているので、これで空室が出たりするとあっという間に詰んでしまいそうな気がする。
だいたい広さのわりに建築費が高すぎると思うのだよ。頭金とかなかったんだろうけど、30年前に私の実家を建て替えたときの2倍以上している。土地は元々祖母名義のところに建てているので、両方とも土地代金を考えずに建築費だけで比較していいと思うのだが、いくら30年の歳月が経っているとはいえ、ここまで建築費が高騰するものだろうか。だいたいレ○パ○スは建築がしょぼくて問題になっているぐらいの会社ではないのか。
どうしてもローンの金額が土地の価格に見合うように設定してあるようにしか見えないんだよ。「いざとなったら土地を売れば返せるよね」という陰謀が見え隠れするように見える。もしローンが返せない事態が発生したら、彼女と家族は土地を売って他に住む場所を探すしかなくなる。ローンを繰り上げ返済できるぐらいの家賃が入ってくるならいいけれど、35年ローンだと言っていたので、彼女がローンを払い続けているうちに定年を迎えてご両親が亡くなったりしたらどうなるんだろう?
人ごとながら非常に心配である。ちなみに自分の実家も戸建てなので、祖母と父(考えたくないけど父より母が先の場合もありうる)が亡くなったら、一人で住むには持て余す広さである。もっと狭いところに住み替えて、その差額で老後資金の足しにできれば良いけど、変な業者に引っかかって、余計な借金を背負う羽目になって欲しくない。特に父は営業マンの甘い言葉に乗せられやすいので危険だ。
そこそこの土地を相続できるのはありがたいことだけどリスキーだ。我が実家はわりと商業エリア寄りなんだけど、その分使い道に迷うところがある。…ということで彼女の実家がどうなるのか、はらはらしながら見守り中だ。
犬畜生にも劣る使い勝手のゆとりクソガキのみんな!5月病も乗り越えてがんばってるかい?
今日は氷河期を乗り越えた君達よりは出来のいい先輩様からアドバイスだよ!
もし上司や先輩に怒られたり!パワハラ受けたり!サビ残させられたり!そんな事があった時、SNSに投稿なんてしてないかい?
よくないよ!見てないようで会社の人は君達ノータリンの囚人共を監視してるよ!
もしツイッターで愚痴ったり、LINEに書き込んだりしたら…すぐには言わないけど、ある日呼び出すよ!
その後はどうするかって?そうだね、君が普段ネット弁慶してる時に語ってるパワハラ以上のモノホンのパワハラとか、肩トントンして会社から出てってもらうとかかな!あと横のつながりのある会社にブラックリストとして名前を回すよ!
おじさんは目を光らせてるからね?
同僚の結婚で思い出したので。
転勤で配属された支店の直属のお局先輩がいつもムスッとして口を利かずなにかあると人に当たり散らして同僚とも険悪だった。
支店内では腫れ物を触るような扱いを受け課長以下全員が最小限しか話しかけずいつも険悪な空気が流れていた。
1対全員になっていた。
でもこのままでは私のストレスが溜まってしょうがなくなるだろう。やるしかないと思った。
定時になるとさっさと返ってしまう先輩を「待ってくださ~いそこまで一緒に帰りましょ!」同僚たちがギョッとするなか一緒にトイレに行きロッカーで着替え駅で別れるまで手探りでいろいろ勝手なことを話しかけた。
彼女の好きそうなものを持ち物や言葉尻やショップになげる視線から汲み取り終始楽しそうに褒めたり同調し少し私の意見も言ったりして「お疲れさまでした~また明日!」と言って明るく別れること一週間。
はじめは何だこの子は?と怪訝そうだったが先輩の方から話しかけてくれるようになってきた。
そもそも誰ともおはようございますやお先に失礼しますのあいさつもしてなくてでも私にはあいさつをしてくれるようになった。
まだ社内で不機嫌のポーズを変えるのには抵抗があるらしかったがそれでも私には徐々には怒ることが少なくなっていった。
同期には「あの人嫌な人じゃない?嫌いじゃないの?なんで仲良くできるの?」と言われたけど「ん~あまり気にならないかな」と答えておいた。
本当は仕事の一環として考えているから嫌いもなにもないんだけど。
同僚は理解できないし関わりたくないとばかりにざっと離れていった。あいさつはしてくれたけど。
2対全員になっていた。
しょうがない。これは織り込み済みだ。
先輩は社内でも徐々に私には笑顔をみせてくれるようになりなんでもないことでも怒っていた先輩が私の仕事やミスには「しょうがないな~」と笑って許してくれるようになった。
他の人に八つ当たりしているところを横にいる私に聞かれるのにバツが悪くなったのか「○○ちゃ~ん今さ~☓☓さんがこんな事してくれちゃって困ったよ~」と報告してきて私に話すことでストレスを発散するようにもなってきた。ゆっくりだが同僚への風当たりも弱くなってきた。
例えばちょっとしたミスをおそるおそる先輩のところに持ってきた新人に「まぁいいよこれくらいなら」と言い新人は驚いてかたまったりしていた。
まわりにで聞いていた同僚も振り向いたりしていた。
約半年そんな感じでだんだん誰にでも笑顔を見せるようになり主に後輩には会話が成り立つ人が増えてきた。
でもここぞとばかり無視し続ける人もいて。
それからまた半年ほとんどの人が彼女と会話できるようになっていた。かなり支店の空気は良くなってきていた。
副店長にはこの1年の変化をよくやってくれていると褒めていただいた。「いえ自分のためです」と言ったらうなずいてくれた。
ある日「○○ちゃんちょっと話したいことがあるんだけど帰りお茶しない?」はじめてのお誘い。はじめてのお茶だった。
期待半分不安半分で行ってみたら
「なんかさ~付き合ってって言われちゃったんだけどさ~どう思う?」
なんでも半年ほど前に始めたテニススクールの人に告白されたとか!
「絶対YESですよ!付き合ってみなきゃわからないです付き合いましょう応援しますよ!」
「そうかな~でもそんなに言うなら付き合ってみようかな~」満面の笑みで相変わらず素直じゃない。
それから毎週のように報告があり約1年トントン拍子で結婚の話になった。
支店内にそれが知れわたった頃同期に言われた。「絶対結婚させてよね」
「結婚して彼女が辞めるか結婚がダメになって私が辞めるかどっちかだよ」と返した。
ここ2年全く協力してくれなかった同期になぜ今頃こんなことを言われなければならないのか。
そして後輩は結婚することになった。
スピーチをしてほしいと言われた。
幸せそうな先輩。おめでとう先輩。良かったね。
寿退社ってすばらしい。
つかれたよパトラッシュ…
一族みな医者/歯医者で、結婚はお見合いがほとんどという家に生まれた。
成績は良かったし、親から勧められたから自分も医者になった。人生設計は基本親の意見を尊重していたし、よく相談もしていた。
気の合う彼女ができて結婚したい旨を両親に伝えた。しかし職業や家柄なんかを理由に反対された。それも結構ひどく、理不尽さを感じるくらいに。
最終的に4年かかって説得し、円満結婚に至った。もし結婚反対されて、デキ婚とか駆け落ち狙ってる人がいたら読んでほしい。
1. 味方をつくる
結婚を反対されている話を兄弟や友達に隠さず話し、相談した。時には古臭い考えや価値観に固執する親を馬鹿にするような笑い話もした。親からくるLINEの文面をみせて、あまりに偏った考えなので引かれたこともあった。ずっと愚痴ってると兄弟や友人もあまり良い顔はしなかったけど、よくよく聞いてくれた。一人で隠して取り組んでたら潰れていただろう。
彼女の両親にも挨拶し、反対されていることとそれでも円満結婚を目指し説得することを宣言して、味方になってもらえた。
2. 言葉にする
有言実行。「反対されてるけど、家を出る覚悟で結婚するつもりだ」と言い続けた。彼女には「最後まで円満結婚を目指して一緒に頑張ろう」とお互いを鼓舞し続けた。言葉にすると、モヤモヤも整理され、自分の中に一貫性が生まれる。
3. 両親に影響力のある人物を抑える
両親の意思決定に影響する人物(祖父母)を抑えた。抑える方法は下記。かといって「両親に結婚を許すよういってよ〜」なんてことは頼まない。
4. 「影響力の武器」
ビジネス書を読み漁る中でこれは役に立った。例えば返報性の原理。人に与えた恩は忘れられない。母の日、父の日、誕生日、敬老の日(祖父母)には贈り物をしたり、旅行にいったりした。
MBAを持つ上司から聞いた「パワーと影響力」の話も役に立った。
1家を出て一人暮らしを15年していたので、両親と自分にギャップがあることを感じていた。なるべく帰省して他愛のない話を繰り返した。帰省しても結婚のけの字も出さなかった。親の育ってきた環境、価値観、息子への思いなどを言葉の端々から感じ取った。
両親は自分が最も大切にしている人である。そのためその両親に意思決定を否定される事はものすごくストレスであった。両親に否定されることがストレスであることを自覚し、運動や遊びでストレスを発散し、自分の意欲を高める仕事を選択する、無理しすぎないなどストレスケアに達した。
7. コミュニケーションスキルのトレーニングを受ける
医者なので「コミュニケーション技術研修会」や「意思決定支援に関する資料」などで勉強しやすかった。基本は相手との認識や価値観のギャップを埋め、相互理解し、発展的な解決を目指すというフレームがある。また細かな言葉の選び方や傾聴のスキルも学んだことで親とのコミュニケーションの質を高めた。
8. 彼女を愛し続ける
両親と彼女、どちらか捨てろと言う状況に置かれ続けた。その中で彼女を愛し続けると言うのはとても難しい。なのでどんなに忙しくても彼女と時間を取ることを大切にし、定期的に温泉旅行に行って、いろんなレクリエーションに挑戦し、出張があっても月に2回は必ず会った。反対されている話も包み隠さず伝えた。相性が良かったのでセックスレスを意識することはなかったけど別に体の感激に溺れていたわけでもなかった。愛し続けるのに最も有用だったのは対話することだった。
9. 親のいいなりになってひどく残念な人生を歩むという妄想をする
彼女と別れ、親の言う通りにお見合いし、へそを曲げて「こんなの自分は希望してない」といいながら消極的な人生を送る、という妄想を繰り返すことで「いやいや、こうあってはいけない」と思い直した。
付き合って3年半
彼女は30になり、これ以上結婚を先送りにできないと考えもう籍だけ入れて二人で勝手に同棲してしまおうと、新しいアパートを借りて二ヶ月後から同棲を始めようかとしている時、何があっても応じなかった親が折れた。
同棲は一旦先送りにして彼女を紹介でき(紹介すら許されなかった)、顔合わせをして、立派な結納をして、二人の望む結婚式と披露宴をあげた。もちろん親も親族もみな参加して祝ってくれた。
あの頃の反対はなんだったのかと思うくらい家族間は仲が良いし、念願の子供も出来てトントン拍子に人生が進んでいる。
別にお見合いが悪いとも思わないし、反対を押し切った結婚を推奨するわけではない。ただ、この大きな壁を乗り切ったことで人間として大きく成長し、妻ともより深い関係が築け、自分が決めていく人生を歩み始めることができた。30歳は而立というが、まさにそんなターニングポイントだったと思う。
理屈ぽくかいたけど、何よりどんなに反対されても結婚したい女性に出会えたことが一番なのかもしれん。
親に結婚を反対されている人の励みになれば幸い。
妻が寝ちゃって暇なので、深夜に私の転職した話を書くよ。
■経歴と話のまとめ
WEBメディアとかやってるIT企業に就職。イメージは、楽天かリクルートかYahooかサイバーエージェントかDeNAかGMOかその辺りで考えていただければと。そこを7年ほど勤めた後に、大学時代の友人に誘われて共同で起業。ただ、とあるきっかけで起業した会社を離れることになって、転職活動を新たにして無事内定もらって働いているって話。
■起業の経緯
自分で言うのもあれだが、最初の会社ではかなり評価されていて同期の中では昇進早い方だった。年上のメンバーもマネジメントしてたし、IT企業なりの実力主義みたいなのにうまく適応できて、トントンと昇進して年収も900万円前後だった。
ただ、そんな中で大学時代の友人に起業に誘われ、共同創業で起業することになった。もともと起業には興味があって、何かやるネタがないかなと考えていたところだったので、仲の良い友人から何度も熱心に誘われたこともあり抵抗なく起業の話にのり会社をやめることにした。起業します!って行って辞めていった時の、なんとも言えない高揚感は今でも思い出す。資本も入れてるし株も筆頭ではないが十分持ってたよ。
シンプルに2つ。
・そのことを、共同創業者と分かり合えなかった
産まれた子どもに、身体的な障害があったのさ。そこまで重い障害じゃないけど、まあ矯正しないと生涯に渡って付き合っていかないといけない障害が体に残るようなレベルの。
もう、青天の霹靂。
うちは夫婦共働きだったけど、妻も理解があってベンチャーやってる俺の忙しさを知ってるから、家事や育児などはかなり頑張ってやってくれていた。ただ、子どもに障害があるとなると話は別で、やっぱり子どもへのサポートを最大限にしたい。となると、私も当然働く時間などに制約を持ちながら(と言っても普通に深夜ではなく夜には家に帰ってきてくれ、と言う程度のもの)働かなければならなくて、創業期にがむしゃらに起きてる間ずっと仕事してる、みたいな状況はできなくなってしまった。
で、そのことを共同創業者に相談したときのそいつの反応。いまでも思い出すよ。
「そうか、まあお前のプライベートには興味ないけど、結果だけ出してくれたらいいよ(笑顔)。俺に期待することある?ないよね」
で話が終わったんだよね。
もう、愕然。
もともとクールなやつだったけど、こっちが相当参っているとき申し訳なく泣きそうな思いで打ち明けたことに、↑みたいな反応されると、固まるしかなかった。
と言うことがあってからは、感情を共同創業者に出すこともせずに淡々と仕事をこなしていたり、とはいえ家庭との板挟みで(俺はもう完全に家庭に心が向いていた)睡眠時間がどんどん削られて行ったりで、身体精神ともに参ってしまった。ので、家族と相談して起業した会社を離れることに。辞めることを伝えたときには、共同創業者は最後まで怒り狂ってた。「家族を裏切れないって言うけど、俺のことは裏切れるのか」とか言われたけど、そう言うことをいうやつだから一緒にやりたくないんだよな、と思った俺は後悔はあれどスッキリし、心のもやが晴れていくようだった。
正直、今度は自分自身で起業しようかななんて思いもちょっとあったんだけど、まずは収入を安定させねばという思いでサラリーマンになることにした。起業してると、給料日=お金が出ていく日だけど、給料日をお金もらう日にしたかった。これだけで心の安定が相当違う。
上記みたいな経緯だったので、もうとにかく辞めることを優先して、転職活動は後になった。結果として、30代既婚子持ち職なしの爆誕である。無事起業した会社を退職した後に、信頼できる年上の知り合い(=最初の会社の元上司)にだけ打ち明け、信頼できる転職エージェントを紹介してもらった。取り急ぎ2社登録したけど、結果的に2社くらいで私はちょうどよかったと思う。
・案件は、大体似ている
(よっぽど特殊なスキルを持っていたりするなら別だけど、私のようにWEB系だったらまあ似たり寄ったりの求人も多く、被っている求人も山ほどある)
(私の場合、狙える年収みたいなのがエージェントによって差があった。「新卒で入った会社の900万円レベルで全然いけますよ!起業していた経験などはプラスに見られますよ!」みたいな意見と、「起業していた時の給料がほぼ皆無だったということであれば、無難に750万円くらいだったらいけますよ」という意見が両方あって、どちらも真実だろうなーと思いつつ転職活動していた)
(これも、私の場合上記のような経緯だったので、起業した会社の退職理由をどう話そうかと迷っていた。一方では「正直に言った方が、自分自身の納得感も大きいし、本当にFITする会社を選ぶためには話すべきです」という意見と「子どもの理由だけで十分なので、創業者と分かり合えなかった〜みたいなことは言わなくていいですよ」みたいな意見があった。私は、性格的に隠し事が好きではないので前者の意見を採用してありのままを伝えることにしていた。これは前者のアドバイスに救われたと思う。)
大体各エージェントで10社ずつ、20社ほどエントリーを出した。最初はビビって多めに出したけど、書類落ちたのは2社くらいで、面接に忙しくなってしまった。印象的な会社を下記に述べる。
①某数千億規模のオーナー企業。3年前に役員に、某外資から鳴り物入りで転職してきた常務が手腕を振るっている。常務と意気投合して内定出しますね、って口で言われたのに、5日後くらいに「オーナーに人を取りすぎだ」って言われてどうしても内定が出せない、申し訳ないって断られた。なんだそれww って思ったけど、俺以上に転職エージェントがめっちゃキレてた。一度口で内定って言った以上、出さなくなるなんて本当に失礼だと。そりゃそうだ。
②某六本木のベンチャー。無借金経営でそれなりに名前を知ってた。会社に入ったらみんながみんなしっかり挨拶してくれて、それだけで印象がめちゃくちゃいい会社。挨拶大事。新卒4年目みたいな人と面談だったが、よくいうと非常にビジョナリーな感じの人で、悪くいうと地に足がついていない感じ。悪い印象もないんだけど、肌に合わなかったのでこちらからお断り。
③某六本木のベンチャー2。ベンチャーで有名なビルに入っていた。ここはもう最悪だった。人事に清潔感がなく、面談中もずっと髪の毛を触っていた(女性)。それで、30分くらい面談した後に「それでは、詳しい求人票はまたエージェントからもらってくださいね」とか言われた。思わず「今この場でないってことですか?」って聞いたけど、そしたら「いろんなエージェントに求人票出したりしてるので、そのエージェントさんの最新のものは、エージェント自身に確認してもらった方がいいんですよ」とか言われる。もう話す気もなくなったのでそれ以上質問せずに終了。大体、職務経歴書や履歴書を紙で印刷してもってこいとか書いてあるのに、こちらが渡そうとしたら「データであるので結構ですよ」とかさらりと言ってくる時点で、求職者への扱いがぞんざいなんだなって印象である。会社でた瞬間、お断りの電話をエージェントにした。
④渋谷のAIベンチャー。本当にあけっぴろげに会社の課題や求める人材を語ってくれて、1時間の面談が本当に充実した時間になった。結果的に、私がやりたいことと違ったのでお断りする形になったが、お断りの電話をエージェント経由ではなく俺から直接電話でさせてくれと頼んだほど、真摯に採用に向き合っている方で本当に好感触であった。こういう人と会えるなら、転職活動は貴重な経験になるなと実感した。
⑤某港区の大企業。1兆越え。採用がシステマチックで本当にうまくできていた。後一次面接から役員が出てくるとか、採用にかける本気度をの高さを非常に感じた。後、毎回面接の後に、エージェントを経由してくる俺の評価も言葉を尽くしてくれるので本当に嬉しかった。「マネージャー経験しかないが部長レベルも担えるポテンシャルを感じる」とか「物腰柔らかで好印象」「新しい領域でも安心して任せられる安定感」とか、そんなことを箇条書きで毎回伝えてくれて次の面接に進んでいくので、こちらも嬉しい気持ちで進められた。内定をもらったけど、最後まで悩んだ会社である。やっぱりどういう評価をされているのかがわかると、こちらはとても愛着がわくし興味を持つ。
⑥某社。Newpicksのジョブオファーを見ていて、面白そうだったから話を聞いていってトントン面接が進んで内定をもらった。ただし、Newspicksの求人票に書いてあることと違う条件でオファーが出てきて(本社の募集だったのに、子会社で採用みたいな)、そのことを質問するともごもご言い訳をしていたので、気持ちが離れてしまった。一言「面接の過程で、意思を確認しながら別ポジションでのオファーとなることがあります」くらい書いておけばいい話なのに、内定出しますね〜っていって面談に言ったら違うポジションで、とか、印象悪くなりすぎる。
⑦某社。これもNewspicksのジョブオファー。一度面接にいって、面白そうなので2次面接に進むときに、途中でメールが途切れてしまい(あっちの候補日程提示に対して、俺が返信しても返事がなかった)、そのまま当日を迎えてこちらからメールをすると「(要約すると)ごめん忘れてた、ほんとごめん」みたいなメールが返ってきて、すでにいくつか内定をもらっていた中なのでもういいやとなりお断り。ダイレクトリクルーティングを頑張るのはいいが、人手足りないなら最低限のアレンジくらいはアシスタントなど雇わないと回らないのではないかと思った次第である。
⑧某ヒルズの大きめベンチャー。オフィス綺麗かっこいい。すっごい早口の面接官で、2次面接の後に「よかったらオフィス見学していきますか、時間オーバーしてますけど」みたいなこと言われて、志望度それなりに高かったのでしっかりオフィス見学させてもらった。でも3日後くらいに落とされた。「優秀な人材で非常に残念だが、今のチームへのフィット感がないため泣く泣く断念する」みたいなことを言われた。非常に便利な断り文句だなと思ったw ことと、事実オフィス見学までさせてもらっての不採用なので、その会社のことは全く嫌いになれない(むしろ今後も応援したいなと思った)。断り方ひとつとってもエクセレントだなって感じた。
■結論的に
で、そんな俺だけど、結局転職したのは20人くらいのベンチャーだった。
起業した会社を退職した経緯が↑みたいな理由だったので、今度働く会社は、お互いのプライベートを尊重しながら、困ったときには支え合えるような会社がいいなって思っていた。
そんなことを面接で伝えても迎え入れてくれて、3回面接をしてオファーをもらった後にも何度もランチを設定してくれたり、「もしベンチャーということで不安になることもあれば、私から奥様にお話をすることもできますので、何なりとおっしゃってください」みたいなことを社長自らが言ってくれたり。入社前に社員半分くらいに会わせてもらって、シンプルに「いい会社だな」って思ったんだよね(入社してから今もその印象はかわらずむしろ高まっておる)。もちろん会社の課題感なども隠さずに伝えてくれるし、その課題に対して自分が貢献できそう、と確信できたことも大きかった。
ちなみに年収は、オファーをもらった中では一番低かった。800万を超えるようなオファーもあったけど、お金じゃなくて働きや働く人が大事だなって心の底から思えていたので、そこはそんなに問題ではなかった(ベンチャーとはいえ、決して低くはないので。後半年働いたらSOオファーがある、というのも大きい。)
ということで、チラシの裏に書くような話なんだけど、転職活動中の人に参考になれば嬉しいです。後中途採用やってる人事の人にも役立てば嬉しい。
毎晩のように脳裏に去来するから書き捨てておく。脳のメモリの節約になるだろう。
当方スペックは30代男。年上の妻と子供が1人いる。数年前、子供の手がかからなくなってきた頃、ネズミ講みたいなのにハマりだしたけど、自己実現の機会は必要だろうと思って静観してたら、結局ネズミ講システムで成り上がれないことがわかってきて荒れ始めた。そうこうするうちに証券の営業をしたいとか言い始めた。なんぼなんでも主婦上がりには務まらんやろと賛成も反対もせず静観してたら、採用までトントン拍子だった。挙げ句のうちに日本の証券営業は私が変えるとか凄いことを言い始めた。こういのって、反対しちゃダメなんだよね。かといって、聞き役に徹するのは中々キツいなぁ、と思っていたら、段々外出勝ちになって帰宅も遅くなり、着るもの、特に下着とかが派手になり始めた。幾ら鈍感な俺でも色々疑ってしまう。ただ、その時は悪気無かったんだが、妻がよく携帯を無くすのでその対策にGPS追跡をOnにしてた。ある晩、翌日になっても帰ってこなくなった。嫌な予感がしてGPSを確認するとラブホ街ど真ん中だった。現場に急行してホテル出入りの現場を押さえた。ただ、これ、ホントに情事の現場を押さえないと証拠にならないらしいね。
妻はヤッてないの一点張りだった。こっちとしてはまぁそこを追求しても埒があかないから「どっちでもいいよ。」と言っておいた。キツかったのは家族のために働いてるつもりだったのが、モチベが瓦解してしまったことかな。最初は、妻をそんな状態に追い込んだ自分が悪いんだろう、と考えた。あまり家事をしない方だったが、この日を境にまぁまぁやるようになった。というか後述の理由でせざるを得なくなったのだが。一方で妻には「もう朝帰りはするな。」と約束させたが、その約束は再三破られた。証券会社からはノルマが課され、営業のためにむしろ連日深夜帰宅となった。約束を守らない妻を詰ることが増え、家の雰囲気は険悪になった。ここで、けじめをつけるために離婚するかどうかをかなり真剣に考えたが子供から母親を奪うことに踏み切れなかった。しかし、子供は敏感だ。荒れ始めた。
ただ、妻の浮気はその一晩だけで継続的なものではおそらく無かったのだろう、新しい職場で死ぬほど働いたお陰で頭角を現し、同性顧客を多く獲得して営業成績トップを争うようになった。仕事が落ち着くにつれて帰宅時間が常識的な時間になってきた。それは結構なことだが、家で自分の金融商品が如何に素晴らしいかを営業してくるのには閉口した。正直なところ、惚れた女房だから妻にも未練があったし、子供には尚更未練があった。離婚となればこのような場合でも子供は妻に持っていかれて養育費を払わねばならない可能性が高い。今戦うのは損だ。自分にそう言い聞かせた。だが、10年後、20年後になればこの女も若さを失い、ただの金に汚い人になる。子供達も善悪の区別がつくようになるだろう。だが、妻の不義は墓場に持っていって、将来は性格の不一致で決着をつけよう。短期戦から長期戦に切り替え、将来の安息ではなく将来の戦いのために現在も仕事で戦うという変なモチベを自分に湧かせて生きる気力を維持した。
しかし、こんなモチベが長続きするわけ無い。何もかも馬鹿らしくなってきて、仕事に対する熱意が冷めてきた。こんなに闘争心のない俺、将来戦えるのと自問自答する毎日だった。妻はそろそろ家を買おうよとか言ってきたが、信じられない奴と共同名義で大きな買い物をするなんて馬鹿げてるので生返事ばかりしてた。
こういうクソみたいな状況に異変が生じた。妻が大病を患い、余命数ヶ月と宣告された。この時生じたのはザマミロという感情よりも子供のためにも今死なれるのは困るという打算だった。そのころには感情が摩滅してたので悲しいとかいう感情はほぼなかった。数ヶ月、治療と看病を頑張った結果、5年後の生存率4割というところまで状態が持ち直した。
この間、妻の私に対する態度は大きく変わった。頭というか勘は元々いいから、私との間に未来がない、ということも薄々察してたようで、病気する前は家族写真から私を除外するとか、嫌がらせがひどかった。それが、気持ち悪いぐらい私に対して甲斐甲斐しくなった。
私の方は、貯蓄の何割かは離婚の係争費用にあてるつもりだったのが多少拍子抜けした。将来こんな半病人相手に俺は全力で闘えるのか? というか、妻は戦意ゼロ。ただ、勝ち負けというよりも完全に人間不信に陥ってるから、それを拭えない。例えば、私が病気して妻より弱ったら逆に見捨てられるんじゃね? とか。ごくごく客観的に見ると妻は地頭はいいが、信じられるかどうかで言うと信用できない人間だ。将来私が病気したりして強弱関係が再逆転するとどう出るかわからない。
そういうわけで将来設計は和戦両方を考えねばならない状況があんまり変わったように思えない。世間の人の多くはもうちょっと配偶者を信じることができてるんだろうと考えると、自分の人を見る目の無さには笑うしかない。別に今すぐ死のうとは思わないけど、とにかく生きるモチベが上がらないのはどうしたらいいのかな。
この前マツコの知らない世界で出てたマニアックなファミレスが家の近くにあることが分かったため行ってきた。
店に入ると女子高生8割という状況にやや圧倒されつつ近くに女子高でもあるのかと思いながら個室風の席へ。
そこで料理を注文して待っている間に気付いたことが、隣の個室風の女子高生達がめちゃくちゃうるせえ…
女子高生が溜まり場にできるようなファミレスでマナーだの何だのとうるさく言う愚かさを勘案してもなお上回るうるささだ。
『でかい話し声』はまあいいだろう、『耳障りな笑い声』もいい、『笑う度に手を叩く』のも別にいいだろう。
前3つを間接攻撃とするなら、『床ドン』は直接攻撃といってもいいほど差がある。
我慢できるかと思ったが前菜のサラダの味さえ半分わからなくなる環境はさすがに無理だと思い、メインを運んできた店員に床ドンだけはどうにかしてくれと頼んだ。
お願いだから笑う度に床を蹴る癖のあるやつはやる前に一度床の材質を確認してくれ。
それと床ドン亜種の『電車の床を傘でトントン』も凄まじい範囲攻撃をして周りのヘイトを稼ぎまくってることを知ってくれ。
38度2分。
入園したての子供は、まだ慣れてないせいもあってママにベッタリ。
いつもなら落ち着くまで抱っこしたり、一緒に遊んだりするけど、今日は何もしてあげられない。
その状態で、旦那に夕飯の用意ができないから外で食べてきてとメッセージを送った時、かんしゃくを起こした子供が、おもちゃ箱をひっくり返して泣き出した。
こりゃダメだなと思って、何もかもを放りだし、子供を連れて布団に入った。
鼻が詰まって苦しいと思いながら寝ていたんだけど、トントンと叩かれて目を開けたら旦那がいた。
あれ、もう夜?
そんなに寝ちゃったのかと勘違いしてパニクってたら、「ポカリとオレンジジュースとお茶。どれがいい?」って聞いてきたので、反射的に「ポカリ」と答えた。
すぐポカリを入れてくれた旦那に「どうしたの?」って聞いたら「しんどそうだから一回帰ってきた」と。
テーブルの上にあったビニル袋には、おかゆとスープはるさめとカップ麺が入ってた。
そのあと旦那は、家で少し仕事をして、風邪薬買いに行ってから仕事に戻っていった。
昼寝前は怪獣だった子供は、パパの顔を見て落ち着いたようで、いまは大人しく遊んでいる。
完全に思いもよらなかったが、うちの旦那の精子はスカスカだった。
元増田は無精子らしいけど、うちの人は乏精子症ってやつだ。話のついでに聞いてくれ。(ごめんトラバ間違えたからもっかい。)
WHOによると1mLあたり1500万個以上くらいがセーフのラインらしいのだが、旦那は2600個くらい。
まっっっっったく想定してなかった事態だったので驚いたのなんのって。
なんでそんなに驚いていたかって言ってたら、第一子がデキ婚だったからだ。
照れる。
第二子が出来なかったのだ。
待てど暮らせどヤれどヤラねど出来ない。
6年経って出来ないので、
「そろそろ産婦人科行こうかな~。精液検査受けろって言われたら受けてくれる?ww」
ってドキドキしながら言ってみたら
って二つ返事でOK。
そいで不妊治療クリニック行ったら、いきなり初回からフーナーテストですよ。
「受診の日の朝に営んで、そのままさっさと病院に来い」というテスト。
第1子いるのに朝から営む事の難しさ。
でもなんとか励んで受診すると、
次の受診日には精液持ってこいと。
恥じらいながら提出したら、ここでようやく乏精子症ですわ、という結論に至った。
クリニックでは
「旦那さんの仕事上のストレスで精子が少なくなってうんぬん、まあ体外受精適応だね。」
って話をされたけど、いや絶対違うだろ。
第1子から10年も経たずに、自然妊娠が不可能なくらいに精子スッカスカになってしまうのは病的なもんだろ絶対、と考えた。
(ここ↑今思い出しても腹立つわー。地域で有名な女医さんだったけど、女医だからこそ?の男性不妊おざなり感があった。)
色々調べると割とあっさり「精索静脈瘤」って病名が見つかった。
ちょっとググってみて欲しい。
よく足とかにできる青いグニャグニャした静脈瘤が、陰嚢にできる病気。
加齢に伴って重症化して、陰嚢の温度が上がって精子ができにくくなる。
夫が夫なら昔の浮気を疑われてるところだ。
思い当たるフシがあった。
旦那の玉袋には「3つ目?」と思うような玉、というか、かたちのハッキリしない、コードが絡まったような感触のコブ的なものがあったからだ。
旦那も左玉が異常にだるーんとなってる。
男性要因の二人目不妊の8割近くがこの病気らしいじゃないですか。
ぜったいこれだ!なんだ不妊クリニックは体外受精するとか言ってたけどしっかりしろよ!と思いながら旦那に報告。
そこからは展開が早かった。
男性不妊を扱ってる泌尿器科に直行→はい手術日決めましょう→1ヶ月後には手術→治療完了。
からだ切るんだよ?私だったら半泣きだよ。
(実際には金玉ではなく足の付け根=鼠径部をちょこっと切る。陰毛で隠れる程度のトコ。)
この手術で、静脈瘤につながる血管を縛って、無駄な血液が流れ込まないようにして静脈瘤を消してしまうらしい。
日帰り手術でできるので、仕事を休む事もなかった。
土曜に手術して、当日はさすがに寝込んでたけど、月曜日にはイテテテ・・・と言いつつ出社してた。
タマを触るとひんやりになったのも感じられるくらい、明確な効果だった。
成功確率は五分五分とか言って泌尿器科の先生は脅してたけど、うちはバッチリ効果があった。
さすがに精子の話は旦那の沽券に関わるかな~と思って(彼はキニシナイと言ってるが)誰にも言ってない。
かなりトントン拍子に行った事例だと思うが、二人目不妊の場合、時間的な問題があってかなり早めに体外受精とかにステップアップする人が多いみたい。
でも、金銭的にも母体にも相当負担が大きいのに、男性不妊の方面でアプローチするクリニックが多くないのも事実。
だからほんとに知ってほしい。
夫さんにはちゃっちゃと泌尿器科の門を叩いて欲しい。
https://anond.hatelabo.jp/20180417204444
※追記※
大事なこと書くの忘れてた!
ううう・・・
まああのまま体外受精に進んでたりしたら、1回30万以上。
結果が思わしくなく何度もトライした時の事も事も考えると、やらいでか!という価格だったとも言える。
でも我々にはキツかった・・・。
あと旦那が意外すぎるほどショックを受けてなくて(少なくともそう見えた)サクッと治療方針が決まったのは大きかった。
静脈瘤では!?と思い当たった段階でかなりドキドキして告知したんだけど、「へえ・・・そうなんだ。」みたいな反応。
静脈瘤で痛みが出る人もいるけど、旦那の場合は全く無自覚だったらしい。
とは言えこっちも拍子抜けして
と聞いてみたけど
「え・・・?だ、だって病気なんだよね?治療すればいいんだし、別にショックとかは・・・」
みたいな事言ってた。
まあこんなドライというか良い方向の変わった人だからこそ、3つのタマ状態で放っておけたし、治療もパパっと進んだんだろうなあ。
あとね、ネタ臭くなって恐縮だけど、どうしても言いたい気持ちを押さえきれなくて
「玉袋が筋太郎だったんだね」
って言ってみたらめっちゃうけた。
この状況でほんとこの人凄いな・・・と感心した。
心広すぎだ。
これからも頑張って血管結んでね!
※※旦那バレ追記※※
「いや〜なんかウチにそっくりだなーって思ってたらウチかーい!!」
だってよ。
怒られなくて良かった。
「でも20代〜30代にかけて自転車乗りで、1日1時間以上乗ってたから、それがでかいんじゃ無いかと思ってる」
だそうです。
上手いこと圧迫しないように乗ってね。