はてなキーワード: サラダボウルとは
土日出勤は当たり前。
連休のときなんて「なんで3日のうち1日ぐらいは出てこなかったの?」と詰められる。
仕事を早く終わらせられるように頑張って段取りを組むとそれにあわせて仕事が増える。
とにかく仕事が山程多い。
その割には給料はそれなりだし、一度休むとか給料を下げてもらって仕事のペースを落とすとかそういう概念は存在しない。
賢いAくんは結果的に公務員でありながら趣味に生きるチャンスを手にする。
だが……彼はその後同じような人間が仕事を押し付け合う地獄をたらい回しにされる人生が始まるのだった。
そこで遂に身内が雑にやりすぎた処理によって大きな監査が入る。
監査の際に今まで業者とねんごろになっていた部分が判明し更に自体はヒートアップ。
そんな時になんと過剰接や裏金をやり取りしていた人間が紛れていたことが判明。
ただの無気力クズの処理場だと思いってた職場は、悪事に手を染めるやる気だけはあるクズも交じる多用なクズのサラダボウルだったのだ。
関連した書類に判子をついていたAくんも同じように処罰を受け公務員をクビに。
バリバリに働きたいと思っていたBさんだったが、学校の成績があまり良くないため大手には就職できず。
仕方がないので大手なりにバリバリな部署もあるけど試験はガバガバな公務員を受けることに。
過剰とも言えるやる気アピールとバイト時代のワーカーホリック経験を語ることで見事、某省庁に採用される。
噂通りの超絶業務量に日々興奮するBさんであったが、仕事を覚えていくうちに違和感に気づく。
書類の細かな文章の修正も最初のうちは納得感を持ってやっていたが、段々とそれが他の担当の思いつきに振り回されていることに気づいてしまう。
今どきいちいち身内向けの書類までプリントアウトして生の印鑑でスタンプラリーすることの無意味さ、そしてそこまでして作られた書類が平気で日時や内容を改竄されるという失望。
上辺の取り繕いと間違いを認められない愚鈍なプライドの高さが組織の根底にまでミッシリと根を張っていることはもはや疑いようもない。
民間企業の足を引っ張っては、手柄を自分たちが横取りするだけの仕組み作り、そして誰の得にもならないそんな書類作りのために費やされる関係各所の無限の工数が0円で算定されるという経済観念のなさ。
仕事ができない人たちが仕事が出来るふりをして仕事をやったという満足感を得ようとするだけの無意味なハムスターの滑車回し、それらを歯車として寄せ集め無意味さの集合体。
Bさんの情熱はいつしか失われ、ただ機械的に仕事をこなそうとしたが、そんな気持ちで激務に耐えられるはずがなかった。
人の役に立つことが大好きなCさん。
末路はBさんの本文を読めば明らか。
速攻で転職していく。
この続きはキミの目で確かめてくれ
1つめ
なおトマトソース煮込みのトマトがのこったフライパンでもいいが
ちゃんともやしやキャベツで味をこすりおとさないと焦げになるだけ
別の卵焼きフライパンに油をしいて「こうくんウィンナー」4本をいためる、皮がはじけるまで
冷蔵庫のウスターソースをよーく振ってからふたをあけてスパイスを出し切るつもりで大さじ1くらいいれてまぜていためてさらによそう
炒めたフライパンは洗おう
ただし内容物を焦げつかせるほど過熱したらフライパンをさませてからじゃないと皮膜が生き延びない
尻を洗わないとよそったときの液だれが貯まると大変面倒くさいです
2つめ
小鍋に湯をわかして塩小さじ1とカレー粉(ルーじゃない)をぱらぱらっと水が黄色くなるまで入れる
おわったら箸で全部ひろいあげてサラダボウルにいれる
鍋に残ったお湯にトマトを1つぶちこむ 20秒ほどで全部流し台にあけてトマトを水洗いして皮むき(湯むきという)する
横断的にこするとよく向ける
むけたトマトをそっと6つわりに切ってもやしにのせてマヨそえて出す
湯むきトマトってフレッシュトマトジュースのゼリーみたいで食材によくからんでおいしい
今日はお昼に焼き肉食べ放題にいき肉ばっかり食ったので体がもやしや生野菜を要求した
直火焼きはおいしい肉なのはたしかだが、調理法がいまいちだとおもう
中心ばかり焦げるし油をおとすと火の手があがってすすがつく
バター焼き用においてあるホイル皿などでそれ自身の油で揚げ物になるようにして
火の周りを均一にしたほうがもっとうまいと思う 次はためしてみよう てか串揚げたべほうだいのほうがよい
某記事と同年代のUターン就職の俺が田舎の工場の良さ教えたる、後半は工場関係ない。
それもそのはず生き物みたいに配置が変わり続けてるから。
例えば〇〇製造部と会議しまーすとか言って抜け出したら早めに切り上げて、工場の奥地の休憩所でサボっててもまず見つからない。
休憩所や食堂では若い女が作業着でスルメかじりながらインスタ見てたり、Apexだのゴルフだのインデックスファンドがどうだの、
色んな話が盗み聞きできる。小遣い万歳の駅みたいな遊び方ができる。ドキュメント72hとか好きならおすすめ。
PC持って帰れないので、工場で何が起こっていても何もしなくていい。持って帰れても持って帰らないけど。
4.優待券みたいなのが転がってる
新人でもベテランでも同じようにできるように設計されている工程はちゃんと見ると色々感心する。
6.車社会っていいよね
車が一番楽。買うものが決まってるなら商店街なんていらないでしょ。
都会人様も休日にはくら寿司とユニクロにごった返してるのを俺は知ってる。
ぶっちゃけ電車なんて面倒だろ。駅近は高いし、新宿なんて乗り換えでどんだけ歩かされんだよ。
田舎の図書館は広いし勉強席も十分あって借りたいものは大体借りられる。無料駐車場もある。
都会の図書館は俺の知る限りでは狭いし謎に分散してる、欲しい本もブームがさった後でも借りれなかったりする。駐車場は当然ない。
昨晩の夕飯はボンゴレ・ロッソであった。アサリとトマトソースのパスタ。
アサリは真空パック(※)のやつを買ってくる。加熱も冷凍もまだなので、アサリは生きている。
サラダボウルに水、塩を加えて海水に近い環境を作り、砂や不純物を吐かせるためにアサリをざらざら投入。
しばらく放っておくと、ココハドコダ? と言う感じで、にゅう、と2本の角(入水管と出水管)が出てくる。指でつっつくと、ヒエーと言いながら引っ込む。放置しておけば、モウダイジョウブカ? とそろそろ出てくる。
可愛い。半日ほどそうやって余分な内容物を吐かせるうちに情が湧いてくる。
でも食っちゃう。にんにくとアンチョビ、唐辛子、トマトソースで作ったソースを塩とコンソメで整えて全アサリを鍋に送り込む。ジェノサイドだ。
アサリには脳がないらしい。そうすると、じゃあアサリには感情がないのか?
どうなんだろう、と思っているうちにソースに埋没したアサリは絶命。口を開いたら良い頃合いで、茹だったパスタを混ぜる。
今回のボンゴレ・ロッソは非常にうまくできて、すさまじく美味かった。旨味成分はコンソメしか使っていないが、アサリという海産の滋味がしとどに出まくっていた。
アサリを煮殺すぐらいでこのザマなので、俺には脊椎動物の屠殺とか絶対できない。でも食う。美味いからだ。今回使ったコンソメにも豚のエキスは使用されている。
屠畜場の職員は偉い。畜産業も偉い。大切な、ありがたい仕事だ。
「偉い」と外野から軽率に言われるのも、「俺なら絶対できないことを…」という含まれたニュアンスがかえって不愉快にさせるのかもしれないが、とにかくありがたい。ありがとう、と思いながら生き物を食ってる(今晩はカレー)。
ブコメを見て思い出したんですが、この日使ったのはプラスチックトレイをビニールでパックしたもので、「真空パック」ではありませんでした。
なんとなく真空パックと言いたかったのでこう書いてしまったのだと思います。すんませんでした。ピチッと真空されてシールされた場合、中のアサリはたぶん死んでるのではないかと思います。
今更ながらいーちゃんの本名が気になってちょっと考えてみた(前編)
の続き。
「名前をローマ字で表記した場合の、母音の数と子音の数を教えてください」……きみはこの質問に口頭で即答できる自信はある?
ぼくにはちょっと難しいな。自分の名前をローマ字にした綴りもその音数もパッと頭に浮かべられる内容じゃない。一度紙に書き出して指で数えたい。
普段書き慣れてる表記で何文字ですかって言われたら即答できるけど、ローマ字表記なんて日常的に使ってないから頭切り替えてかないと難しい。
頭の中で数えられるっていう奴はそれこそいーちゃん並に頭の回転が速い奴なんだろうな。
ところでこんな話知ってる?バイリンガルやトライリンガルって苦もなく複数の言語を使い分けてるように見えるけど、実際はぼくらが考えるより頭の切り替えって大変らしいよ。
母語で会話してる時にいきなり別の言語で話しかけられると頭の切り替えが間に合わなくて固まったりすることがあるんだ。一度切り替えた後は流暢に喋るんだけど。
日本人のくせに英語で寝言を言うような人ですらそうみたいなんだ。世界中のバイリンガルやトライリンガルと知り合いなわけじゃないから、全員がそうかは知らないけどね。
だからいーちゃんもさ、この時頭の切り替えをした可能性はあるよね。
普段の思考に使ってるネイティブな日本語から、アメリカ留学時代に使っていた英語脳に。
ローマ字表記の名前を書く機会は日本暮らしより在米中の方が圧倒的に多いだろう。
日本に帰ってきてからは英語もローマ字表記も使う機会が激減してるだろうから、思い出すのにちょっぴり手間取るかもしれないね。
「えーと、当時は名前はどう書いてたっけ……そうだそうだ、これだ。『I am Ichizu Yi.』だ」
「I am Ichizu Yi Qing」だとさ、数えてみると母音7子音8になるんだよね。答えにだいぶ近付く。
「I am」は名前じゃねーだろ!ってツッコミは妥当ではあるけど、母語で書き慣れた自分の名前ですらうっかり別の文字と書き間違えることもあるじゃん。久々に思い出す言語表記を頭の中だけでこねくり回してたらうっかり勘違いしちゃうこともあるんじゃない?
ぼくはとても留学経験者と張れるほど英語には通じていないしバイリンガルの気持ちも分からない、だから絶対ありえないとは言い切れない。
あ、ところでさ、母音と子音って逆に覚えてる人けっこう多くない?
ぼくもうっかりすると間違いかねないからこの文章を書いてる途中でググって確認したよ。
でもすぐに調べられない状況だったら、うろ覚えのまま押し通して間違っちゃうこともあるかもしれないなあ。
仮にいーちゃんが母音と子音を勘違いしていて、その上でパッと頭に浮かんだ英語表記を精査せずに数えたとしたら……逆転して「母音が八、子音が七」を正答と勘違いしちゃう可能性は、十分にありうるんじゃないか?
だってあいつ、有能な時は有能だけど抜けてる時はむちゃくちゃ抜けてるだろ。
まあ彼は両利きだから利き腕がひとつしかない人間の常識で測っちゃいけないんだろうけど。
でもいーちゃんに限らずどんな人間でもうっかりすることはあるものだから、だからカッコつけずにちゃんと紙に書いて指で数えておけばこんな馬鹿みたいなミスを疑われないですんだだろうに。
まあその場合ペンを動かす手の動作から子荻ちゃんに情報を与えかねないから、どんなに難しくても頭の中で数えざるを得なかったのかもしれないけど。
そもそもアレ子荻ちゃんが姫ちゃんに気付かないようにするための時間稼ぎだから、ゆっくり考えて退屈した子荻ちゃんが何気なく窓の外に目を向けでもしたらその時点でアウトだからね。極力ノータイムで答える必要があった。時間制限有のハードモードってわけで、初見ノーミスクリアはなかなかちょっと厳しい要求だろう。
というわけで仮に「イチズ・イー・チャン」というのがいーちゃんの想定した正解だとしたら、
「名前をローマ字で表記した場合の、母音の数と子音の数を教えてください」
「《あ》を《1》、《い》を《2》、《う》を《3》……そして《ん》を《46》として、あなたの名前を数字に置き換えます。その総和は?」
この三つの質問で引き出せる情報に加えていーちゃんの性格・性質を考慮に入れることで、正解に辿り着けるということになる。
ぼくは初読から10年以上かかったけど、そこはあの策師・萩原子荻だ。彼女の頭脳と観察力をもってすればその場で辿り着くことなどわけないのだろう。きっとそうだ。たぶん。そのはず。
ぼくが何故こんな強引にこの根拠に乏しい名前を推してきたかというと、理由はただひとつ。
どうでもいいけどエモいのエモってエモーショナルの略なんだってね。
ぼくはてっきり「えもいわれぬ」の省略語だとばかり思い込んでてつい先日恥をかいた。
でもえもいわれぬでも間違いではなくない?「言い表すことも出来ないほど優れている」って意味だよ?エモいと本質的には同じ言葉といって差し支えないだろ?
閑話休題(もう何度目だコレ)。
「イチズ・イー・チャン」
ずーっとカタカナ表記で通してきたこの名前を一度漢字表記にしてみよう。
「一途一青」となるね。
横書きだと伝わりづらいだろうから、一度縦書きにしてみようか。
一
途
一
青
「一途《いちず》」「一《いー》」まではおそらくいーちゃんは他人にいくらでも名乗っている。
でもその先、いーちゃんの本当の名前……余人には明かさぬ最深部の象徴たる「青」にまでたどり着いた者は、決して生きて帰ってこれない。
この二つ目の線は、そう、「踏み越えると必ず死に至る、デッドライン」なのさ。
「死線の蒼《デッドブルー》」
この通り名はきっと「死線を越えて戻ってきた存在」という意味。
しかし「越えてはならない死線」は玖渚友、本人を意味しているのではない。
どんな目的でも、どんな手段を取ろうと、誰であろうと、彼の心の深淵に立ち入ることは許されない。
……どうかな。エモくない?そうでもない?
うーん、あいつもあんなかわいいなりしてなかなか口が悪いものだからなあ。
もう少し穏便な表現にしておけばいーちゃんにも伝わりやすかっただろうにね。
死線とか物騒な言い方してはいるけど、要するに誰も見せてもらえないいーちゃんの心を覗けたのはこの世界で自分だけ!って意味の名前を電子世界で大暴れまでして全世界に轟かせてるんだからねあの子。
すごいよね。
そんなまわりくどいことしないでもはっきり言えばいいのに。
「離れていても、いつもあなたの心の一番近くにいます。あなたの隣にいられるなら死すらも怖くない」って。
天才の行動ってなにがどうなってそうなってんのか理解に苦しむもんだからなあ。
でもたとえば「僕様ちゃん」って謎の一人称とか、常軌を逸した玖渚の行動は丹念に理由を紐解いていけばぜーんぶいーちゃんへの執着/愛情の二要素だけで構成されてるんじゃないのか?電子の世界と同じ二進法。
友の奇矯な行動なんていちいち挙げてたらキリがないからやらないけど。
あとさ、いーちゃんはいーちゃんで14歳の時点では「どのツラ下げて」だった「一途」の名前も原作完結時点では名は体を表す、似合いの名前になってるんだよね。
だってあいつ玖渚と結婚したんでしょ?してるよね?ブルセラ趣味の玖渚だって、さすがに結婚する気もないのに表紙でウエディングドレス着たりしないよね?
この世界で青といえば玖渚友。
彼女とはティーンエイジャーの頃からの知り合いで、他の女の子とは付き合ったりせずずっと一途に想い、とうとう結ばれました。
いーちゃんの詳しい過去を知らない人にそう自己紹介したら信じるでしょ。
「一途一青」、完全に名は体を表す名でしょ。
エモくない?えもいわれぬ感ない?そうでもない?
ぼくら読者は彼が出会う女の子出会う女の子みんなにうっすら好意を抱いていたこと知ってるから「嘘つくなよ」って言えちゃうけど、普通は目の前で話してる相手の心の中なんて見えないから大丈夫大丈夫。
「《嘘も百回言えば真実になる、ただし八百回目で嘘八百》みたいなっ!」
……こういうの下手げにやってると原作でやったのと被りそうで怖いな……さすがに巫女子ちゃんの出番はばらけすぎててチェックしきれねえ……。
ところでここまできて本当に今更なんだけど、いーちゃんが日本人だという確たる証拠を原作から見つけてしまった。
クビキリサイクルの40頁目上段、地の文で「純粋な日本人」ってはっきり明言している。
マジかこんなに書いちゃったのに全ボツかよ……と正直だいぶ打ちひしがれたんだけども、よくよく考えるとこの申告ちょっと不自然じゃないかなあ。
この付近、ワールドワイドな視点で語ってるせいか「純粋な日本人」ってワードが頻発してて惑わされちゃうんだけど、自分のことをわざわざ「純粋な日本人」って主張する日本人って、見たことある?
少なくともぼくはそんな自己主張したことないなあ。みんな顔と名前を見て勝手に日本人と判断するから、わざわざ自分から強調しなきゃならない状況になったことはたぶんない。
とはいえ何度も言っているようにぼくにはいーちゃんのように多様な民族が共存するサラダボウルのような国で何年も過ごした経験なんてないから、ぼくの常識がいーちゃんの常識と同じとは限らない。
アメリカで何年も暮らした日本人はみなそういう習慣が付くのかもしれないし、そうでなくとも必要があって連呼してた「純粋な日本人」ってのが妙に口に馴染んじゃって必要ないところにまで飛び火しただけかもしれない。あいつ気を抜くとすぐうっかりする奴だから。
ただ、なくはないよね、可能性としては。
黙ってりゃバレないようなことをわざわざ自分から言って「語るに落ちる」ってことはさ。
いーちゃんに誰にも知られたくない秘密があるとしても、そんなに必死になって隠すようなことは知らんぷりしておいてあげた方がいいんだろう。
気付いていようがいまいが誰も口に出さない、出す必要もない、どうでもいいことなんだからね。
いやでもいーちゃんは別に秘密にしてないって可能性もあんだよな……。
「昔は中国人でしたけど、今は帰化したから純粋な日本人です。何か問題でも?」って真顔で言ったりして。
あいつ言葉の定義にうるさいんだかうるさくないんだか分かんないとこあるからなあ。
でも「心は純粋な日本人です」って真面目に言ってる人を嘘つきって責めて傷付けでもしたら、こっちが人非人だもんな。
まあどっちにしろ、表から見た情報だけじゃ本当のことはそう簡単に分からない。
実は痛いのをなんともないフリしてる腹ならなおさら、そっとしといてやらないと。
そっとしとくと決めたところでそろそろ終わりにすることにしよう。
それにしても長くなってしまった。あまりにも長くなってしまった。
休みの暇潰しに気軽に綴るつもりが、こんな文章量になるとはお釈迦様でも思うまい。
ここまで読んでくれたきみがぼくの考えに賛同しようが、反対しようが、肯定しようが、否定しようが、面白がろうが、こき下ろそうが、どうしようとぼくは一向にかまわない。
だから小説を読んだ時と同じように、楽しむも腐すも好きにしてくれればいい。
半可通の与太話だからきっとツッコミどころだって大量にあるだろうしね。
ああ、そうだそうだ。こんな時にぴったりな言葉があるじゃないか。
じゃあこのシリーズのファンらしくその言葉を借りて締めることにしよう。
明日ちょうど通夜だから参考のために忘れがちなことを記しておく。
最近は遺影に困らないぐらいやたら写真を撮る世の中だからあまり心配しなくていい。
通夜までは喪服でなくていい。彩度が低く動きやすく正座していて苦にならないものを選べ。黒いエプロンが1枚あるとよりよい。
弔問客が来るような家だったらお産レベルでお湯をガンガン沸かせ。茶っぱがなければ買え。ポットは1台では足りない。弔問客に出すお茶に使う。湯のみが空いたとみるや注いで回れ。間が持つ。
それにともなって茶菓子をガンガン買ってこい。客が食べるかどうかじゃない。テーブルに茶しか出てないのは気まずい。とりあえず隙間を埋めとけ。
おすすめはまんじゅう、せんべい、おかき、洋モノならマドレーヌ、小袋のバームクーヘン。とにかく個包装のやつがいい。裸の大福とか団子とかケーキ類はやめておけ。日持ちもしない。
大皿で出すと減らないので茶托ぐらいの小皿にまんじゅうorマドレーヌorバームクーヘン1個と煎餅とおかきあたりを合計4〜5つぐらいにして各自の目の前に置け。茶も置け。
残ったら持ち帰らせろ。後の客に流用もなんかあれでめんどうだし自分で食べるのもなんかいやだ。持たせるための小さいスーパーの袋みたいなのも買ってこい。
客に全部出してしまう前になんかサラダボウルぐらいの皿にそれっぽく盛れる程度にとりわけておけ。あとで祭壇に飾る。
果物もやっぱりサラダボウルへ収まるぐらいに3種類ぐらい買っておけ。やっぱり祭壇に飾る。
祭壇に飾るものの可不可はないらしい。好物を備えてやれ。
弔問客の年寄り連中はいっそほっておいてもいい。だいたい勝手に盛り上がる。
困ったらボケてるようでボケてないばあさんを捕まえろ。頼れる。
面接試験怖い!自分なんかが面接で受かるような会社ってどうせブラックでしょ?
そうだ!公務員試験を受けて学力で一度ふるいにかけられてから試験の成績で泊をつけて勝負すれば俺だってまともな仕事にありつけるぞ!
↑こういう事を考えて公務員試験を受けようとしている・受けてしまった適応障害の皆さん、残念ですが絶対にやめたほうがいいですこれは大間違いです。
1 手段の目的化が起こっている組織ですので、「手段(職場の村ルール)を事なかれ主義と前例周到(ただしルールが突然変わる)でやりきる」事が最終目標となります。
これが意味しているのは目的から手段を逆算することが不可能であることです。そして手段が目的を達成するために効率のいい方法となっていない事も多いです。目的が達成できても手段が予定通りでなければ叱られます。つまり「他人が指定したやり方に対して疑問を持っていもそれを封じ込んで、何でそうなっているのかも分からないルールを身につける過程で何度も理不尽な叱責を受ける」という事です。これを聞いて平気だというのなら、そういう人は公務員試験を受けるべきかも知れないですが、それがただの想像力の不足から来ている可能性を考慮して一度じっくり紙に描いて事細かに状況をイメージする事をおすすめします。
公務員という言葉を聞いて黙々と作業をしている姿を想像する人もいるでしょうが、実際は口を物凄く動かすことになる仕事です。役所の受付に回されれば様々な濃ゆい人達の相手をすることになります。事務室の奥に引きこもって働く場合でも、村ルールで動きまくっている上に何がやりたいのか分からん事ばかりしている職場においては「これってどういう意味で作られたどういう書類で、我々はどういう処理をする必要があるのですか?」という質問を頻繁にする必要がありますし、自分がその仲介役となって何重にも積み上がった伝言ゲームを完成させる必要が出てきます。そこで求められるコミュニケーション能力は面接試験が可愛く見えるほどです
3 案外実力主義です(鋼鉄の心臓があるなら別ですがあるのならばこの増田の1行目みたいな事は言わないはずです)
使えなーいオッサンもいますが使えなーいオッサンに対する当たりのキツさは尋常じゃないです。本当に容赦なく悪口が飛び交います。そして、一度使えないレッテルを貼られるとポジションを組織内で盥回しにされてしまうので年相応の能力が身につく機会は失われて何の強みもないゼネラリストの完全失敗作となり更に辛い思いをするループに入ります。クビにならないだけマシというのは事実ですが、同時にクビになる事がまず無いのですから一度「自分は本当にここに居ていいのか」と考えだしたら完全にドツボです。
とにかく他の会社で役立つような能力は身につきません。「どっかのお役所のよく分からんルールのごく一部に精通している」以外の能力が身につく機会が本当にないです。ビジネスマナーと電話対応の仕方ぐらいは覚えられるかも知れませんがそれが精一杯でしょう。よって公務員でいるのが辛くなって就活市場に居場所を求めてもまず上手くいかないでしょう。また、先程言ったように公務員はまずクビにならないので、それを辞めて出てきたという事はそれ相応に馴染めなかったのだというレッテルが付き纏います。どうせクビにならないならちょっと我慢して様子を見れば案外自分にあった職場だと思えたかもよと言われるのは確実でしょう。それに対する受け答えに求められる内容は、他の企業から転職した人間よりもずっと強いものとなります。
5 コンプライアンスを重視せよ(コンプライアンスを重視するとは言ってない)
最近は民間企業もコンプライアンスに非常にうるさくなってきてますが、公務員は昔からコンプライアンスにうるさかった事もあり今でも他より一段階はうるさいです。そして、同時に、コンプライアンスにうるさいはずなのにそれを平気で破ってきたことで生まれたどうしようもない空気の濃度も他より2段階はキツいです。コンプライアンスを大事にしましょうと言った舌の根も乾かぬうちにコンプライアンスなんて守ってたら仕事は出来ねえと平気で言います。書類に判子をもらって村社会ルールの中で自分の仕事を終える過程において、かなりの確率で「これはコンプライアンス違反なのでは?」と疑問符を浮かべながらも、「でも書類を通すことの方が優先順位は高いから」とその考えを飲み込みます。ときにはそんなのやらなくてもいいような状況でわざわざコンプライアンスを破りに行くような行為をしていく職員もいます。とにかく村社会的な空気の濃度が濃すぎて一個人や一集団では既に抗えない状況になっており、全員がそれに操られて自分からコンプライアンスをぶっ壊して回っているような状態なのです。そうでありながら同時に、「それはコンプライアンス違反じゃない?大丈夫?」と他人の仕事に口を出し、その対案として別の形でのコンプライアンス違反を行おうとします。矛盾の塊どころの騒ぎでない拗れっぷりです。
さて、社会適応能力に問題のある皆さん、こんな同調圧力と社会不正義と自己矛盾と八方塞がりのサラダボウルに飛び込む勇気はお有りで?
というかですね。
自分はこれからどうやってここから脱出すればいいんでしょうかね。
部署が変わるたびに石の上にも三年の精神で耐えるだけ耐えてから結論を出そうと先送りを続けているうちに結構な年齢になってしまったんですが、いい加減メンタルが限界に来てます……
マジでやめとけお前ら。
なんだろうこの文章。
読む相手のことを考えてない気配がするのだが、それがどこに原因が有るのかハッキリしない。
多分だけど、「他人はお前が重要だと思っていることに、お前ほどには興味がない。皆が興味のある所にちゃんとフォーカスしろ」って事なんだろうな。
思い出補正は多分にあるし、直撃世代ではないことを踏まえての話。
重厚でクールなタカ、軽妙で洒落の効いたユージのイケメンぶりに痺れた。
だいぶ後で知ったことだが、この2人の中の人は、「何を演っても舘ひろし」「どんな役にもなりきる柴田恭兵」という、役者としては完全に対極に位置する2人だったのだ。
2人のアイテムも一々洒落ていて、挙げ出したらキリないが、個人的には刑事ドラマで絶対必須な、拳銃と覆面パトカーのチョイスに目を奪われた。
なにこれ素敵としか言いようがなかった。
どちらも国家権力、或いは役所のお堅さの象徴とも言うべき小道具で、かつそれまでの刑事ドラマでは男の汗が染み込んだツールでもあったのに、この小洒落た感はどうなんだ、凄すぎる。
というのも同じ.357マグナムリボルバーでは、シティハンター冴羽獠でお馴染みのコルトパイソンと、ルパン三世の次元大介愛用のS&W M19が、名銃としてあまりに有名過ぎるからだ。
しかしあぶデカでは、M29でダーティハリー的本気のハードボイルドを踏襲するでもなく、M36のようなミステリー寄りの小道具とするでもない、「暴力犯捜査のプロフェッショナルが醸し出すダンディズム」として絵になる、最高の起用となった。
更に背中に隠し持ったバックアップのM49で、実戦的な「二丁拳銃」感まで出しちゃうのが恐ろしくクールなのだ。
一方ユージの愛銃コルト・ローマンMk-IIIは従来の刑事ドラマで頻出だった銃の中から、盗犯捜査のプロであるユージの身軽さ・しなやかさに合ったものを選んだ手堅さが対照的。
「もっと」でパイソンになるけど、飽くまで2.5インチのコンパクトなモデルで、イメージを損なわない変更に留まっている。
そしてユージといえば銃以上に、覆面パトカーのF31レパードとの絶好のマッチングが一番カッコイイ所である。
昭和末期、'80年代後半のバブル時代における、良い意味の明るさと余裕を醸し出す紳士の1台というのだろうか。
ちなみに当時このジャンルではZ20ソアラの方がイメージを牽引していたけど、ハマの2人にはシャンパンゴールドor紺のクーペでしょ!というハマり具合で(ハマだけに?)、赤いパトライトを煌めかせながら横浜の街を疾走するのを、ただ見ているだけでも飽きなかった。
そんな彼らを写すカメラワークというのだろうか、素人なのでよく分からないのだが、とにかく刑事ドラマらしからぬお洒落さがあって、ともすると色気すら漂ってくる映像が印象に残っている。
アニメで言うと、OVAの逮捕しちゃうぞに通じるかも。あっちも素晴らしい画作りで、その時の監督は後にるろ剣を手がけ、こちらも志々雄編くらいまで存分に堪能させてもらった。
いや、良い思い出だった。
「もっとも」までは。
完全に主観なのだが、結果的に、逮捕がTV版以降全然アレな内容になったのと同じくらい、'90年代以降のあぶない刑事はイケてないまま、昨年その歴史に終止符を打った。
'96年の映画の時から「あれ…?」という感覚を禁じ得なかったので、次こそ期待と思っていたのだが、遂に「次」は来なかった。
本当に、「どうして?なんで?」という気持ちがずーっと拭えない。
個別に見ていくと、まず課長役の中条静夫氏が亡くなった穴は大きかった。でもこれは仲村トオルが「大馬鹿者!」を引き継いだ辺りから払拭された。というか「大馬鹿者!」のシーンを見て、仲村トオルは賢い動物では言い表せないレベルの大物役者になったんだと実感させられた。
タカの銃がマグナムからガバメントに変わったのは別にいい。歳を重ねたジェントルマンの、静けさの中に本気を秘めた、スキがない佇まい的には多分こっちのが正解。銭形のとっつぁんに通じる渋みもある。
でもユージの操るクルマがアルファマセラティGT-Rだったのはいただけないし、これは結構象徴的かも。
アルファもマセラティも、「色気を振りまくバイタリティ」が前面に出過ぎていて、レパードの「綺麗に片付いていて、それぞれのパーツは小洒落た程度なんだけど、トータルパッケージでそこはかとなくエロい」感と比較すると、気が利いてないというか、ともするとそんな刑事いないよ感さえある。
GT-Rに至っては「スーツを着た元体育会系のおっさん」臭で小洒落感より「巡査長たる巡査(=現場一筋の叩き上げ系名誉職)」的本気が頭をよぎってしまう。
だったらせめてアルシオーネSVXとかユーノス・コスモ辺りを選んで欲しかったなあ…このジャンルの日本車は今世紀になってからほぼ絶滅に近いけど。
そんなクルマの事も含めて、なんだか全体的に妙にわざとらしくて、勘違いもありそうで、ケバさと安っぽさのサラダボウル感があって、でもクールさ、アツさ、カッコ良さが入ってない。
何が変わったんだろう?
だったら何をアップデートすべきだったんだろう?
残念な疑問は尽きない。
「あっ○○の出身なんですね」
出身を聞かれてるだけなのに、実家が貧乏であることを白状させられてる感じ、嫌いだ
というか東京で実家暮らしで楽に入れるけどある程度名の通る大学の学生やりながら余暇でバイトしてるこいつらに憎しみを覚える
マイルドヤンキー(高卒即社会人)になるつもりがなければ必然都市部の大学に進学するのが地方の常だ
「一人暮らし大変ですもんね」
貧乏人は大変だな、とすら聞こえる
ぬるい文系にでも進めば良かったのかもしれない、と信念を曲げた後悔もしたくなる
自分は自分なりに頑張って実績ある大学に入ったからそれでいいじゃないか、とも思う
だが東京出身者はその大学に至るまでで、自分の学力に合った環境をいくらでも選べる
東京出身者は人種のサラダボウル、低収入の見本市たる公立中で生活をしなくていい
アホに合わせて勉強をしなくていい
私立は学区に一つ、公立に落ちたときの受け皿という程度でそもそも併願という概念がない
東京は私立でも細かく段階的に学校があるし、公立と合わせて同じ学力帯でも選択肢が多い
子供を東京へ送り出すのに必要な費用で、習い事をさせてもらえたかもしれない
やったからと言ってプロになれるわけでもないだろうが、やった分だけ色んな場面で世界をほんの少し楽しみやすくなる為の踏み台にはなっただろう
用意された環境で伸び伸びと世界を満喫してるこいつらと、何かを拗らせて世界をつまらなくしてる自分
東京出身者の通ってる大学を聞くとこの先の就職で俺が逆転することもなさそうだ
もし東京出身だったら…
ほんの少しいい大学に通えて、ほんの少し楽しく毎日を過ごせたかもしれない
「中高一貫だったんでー」
日常会話を重ねるたびそのほんの少しが心底恨めしい
幹事である俺があたりまえのように会場の予約を忘れたため、集合後の流れで適当な居酒屋を探すことに。
おっ、徒歩二分の場所にワタミがありますね、とみんなを導こうとすると「あんなブラック会社で飲む酒がうまいはずはない」とみんな不満顔。さすがみなさん、公共性が高い。というわけでワタミのとなりにあった温野菜なんとかいう居酒屋に入りました。
「いらっしゃまいませ。何名様ですか?」
案内係のお姉さん(メガネにウェーブがかった長髪。ちょっと人間を人間と思っていないような目をしている)に人数を伝え、「白熊や犬も混じっているんですけど、大丈夫でしょうか?」とおそるおそる尋ねると、満面の営業スマイルで「大丈夫ですよ! はてな村では五族協和人類みなサラダボウル!」
しめやかに満座が着席するや、「ご注文は〜?」とにこやかに聞いてくるお姉さん(さっきの案内係と同一人物。感情の一切こもらない、抑揚のない口調でしゃべる)にみんな我先にと「ビールビール!」「生中生中!」とまるで社会人とは思えないがっつきかたを見せる。
俺が誰の頭にも残らないような薄っぺらい乾杯の辞を述べると、あとは無礼講無礼講。
「なーんで持ってるの?
なーんで持ってるの?
は〜い、おそろしいおそろしいおそろしい♪」
「のーんでのーんで どんどん飲んで♪
飲むのは?
\ サバー /
飲むのは?
\ カレー /
あー!
いー!
うー!
梅田望夫って結局今どこにいるの?
えー!
笑顔です!
おー!
おーつねさんもパコパコパコパコ♪」
皆飲んでいる。
皆酔っている。
皆吐いている。
俺は限界だとおもった。
ドナルド・トランプ|三橋貴明オフィシャルブログ「新世紀のビッグブラザーへ blog」Powered by Ameba
というわけで、恐らくほとんどの政治家がトランプ発言を受けて、「これで、トランプは支持を失う」と予想したと思いますが、逆に支持率が上がってしまったというのが、現在のアメリカの「現実」というわけです。
厳密に書くと、「共和党支持者」における支持率が上昇したわけですが、いずれにせよ以前のように「多民族が多文化共生」「人種のサラダボウル」といった価値観が、本家本元のアメリカですら受け入れられなくなりつつあるのかも知れません。
アホか。何が「アメリカの「現実」だ。「本家本元のアメリカですら〜」だ。いくらなんでも分析が小学生レベル。
ドナルド・トランプが共和党内でなぜ圧倒的に支持されているのかというと、「共和党内部の候補者争い」にステ全振りしてるからだ。
トランプ以外の他の共和党候補者は候補者指名後の本選挙を睨んでいる。
共和党内部の白人至上主義者たちの票をいくら集めたところで、移民国家アメリカの大統領選挙じゃ勝てない。
大統領選とは、あたりまえだけど、「共和党」+「民主党」+「その他」で行われるものだからだ。
この「その他」の部分が重要で、大統領選は事実上、「共和党にも民主党にも属さない浮動票をどれだけ集められるか」にかかっているといってもいい。
なので、共和党だろうと民主党だろうと「浮動票」集めに必死で互いに気を使っているんだけど、トランプは全然そんなこと考えずに全力で共和党の支持だけを求めにいってる。
そのための手段が「メキシコに万里の長城をつくれ」などの過激な差別主義的発言だ。
こんなことはまず他の共和党候補者には言えない。浮動票を持つ人々が見れば「なんだこのバカは」と一発で失望するのは明らかだ。
他の候補者にはできないラジカルな発言をすればするほど共和党員は「トランプさんは正直でおもしろい」と考え、他の候補者を「うわっつらだけの臆病者」とみなすようになる。
開き直って差別的な発言をやるやつが「正直もので気持ちがいい」と支持を集める現象は日本でもありますね。
たぶん、他の共和党候補者からみたら荒らしみたいなものだろう。
自分たちは必死で大統領選挙選のために政治的にギリギリ正しい線を守るのに苦労しているのに、トランプはそれを根本から否定して、票をぶんどっていく。
トランプは後先なんて考えていない。元々、大統領選放棄の常習犯だ。今回ももしかしたら候補者指名直前になって「やーめた」と言い出すかもしれない。
しかも、トランプのせいで本来なら出せてたはずの「正統な」(トランプの基盤は元来共和党にない)候補者を本選に指名できなくなるのだから、共和党にとってこんな迷惑な話はない。