昨晩の夕飯はボンゴレ・ロッソであった。アサリとトマトソースのパスタ。
アサリは真空パック(※)のやつを買ってくる。加熱も冷凍もまだなので、アサリは生きている。
サラダボウルに水、塩を加えて海水に近い環境を作り、砂や不純物を吐かせるためにアサリをざらざら投入。
しばらく放っておくと、ココハドコダ? と言う感じで、にゅう、と2本の角(入水管と出水管)が出てくる。指でつっつくと、ヒエーと言いながら引っ込む。放置しておけば、モウダイジョウブカ? とそろそろ出てくる。
可愛い。半日ほどそうやって余分な内容物を吐かせるうちに情が湧いてくる。
でも食っちゃう。にんにくとアンチョビ、唐辛子、トマトソースで作ったソースを塩とコンソメで整えて全アサリを鍋に送り込む。ジェノサイドだ。
アサリには脳がないらしい。そうすると、じゃあアサリには感情がないのか?
どうなんだろう、と思っているうちにソースに埋没したアサリは絶命。口を開いたら良い頃合いで、茹だったパスタを混ぜる。
今回のボンゴレ・ロッソは非常にうまくできて、すさまじく美味かった。旨味成分はコンソメしか使っていないが、アサリという海産の滋味がしとどに出まくっていた。
アサリを煮殺すぐらいでこのザマなので、俺には脊椎動物の屠殺とか絶対できない。でも食う。美味いからだ。今回使ったコンソメにも豚のエキスは使用されている。
屠畜場の職員は偉い。畜産業も偉い。大切な、ありがたい仕事だ。
「偉い」と外野から軽率に言われるのも、「俺なら絶対できないことを…」という含まれたニュアンスがかえって不愉快にさせるのかもしれないが、とにかくありがたい。ありがとう、と思いながら生き物を食ってる(今晩はカレー)。
ブコメを見て思い出したんですが、この日使ったのはプラスチックトレイをビニールでパックしたもので、「真空パック」ではありませんでした。
なんとなく真空パックと言いたかったのでこう書いてしまったのだと思います。すんませんでした。ピチッと真空されてシールされた場合、中のアサリはたぶん死んでるのではないかと思います。
たぶんアサリにも感情あると思う ワイも屠殺は出来ん。自分で育てたミニトマトやハーブも食べるのすら抵抗あって辞めた 焼肉大好きだけど屠殺できる人じゃないと肉食う権利は与...
わかる。 屠殺業の人には感謝しかない 屠殺の人がいないと俺は肉は一切食えないと思う
そこで「しとど」つかうのはどうなのって思う
罪滅ぼしに料理のつど一匹だけはペットとして愛でてはどうか。
真空採血管 という単語があるが、真空ではない