はてなキーワード: イカとは
TVシリーズの(いくつか除いた)ガンダムを見ている自分もZ派。
あのやり切れない感じがすごく好き。
だって最後に主人公がイカレちゃって「出してくださいよーう」とか言ってるんだよ。すごくいいわ。
何言ってんだお前って感じかもしれないけど
子どもの頃、家から一番近いスーパーにはたこ焼きの店が併設されていた
ただし当時の私が大好きだったのはたこ焼きじゃなくてモダン焼き
確かお好み焼きにプラス100円、待ち時間もプラス5分〜10分だったけど麺が入っていた
(ここまで書いて思ったけど広島の人には申し訳ない…大阪方面のお好み焼きなので…)
両親に「あれ家でも食べたい!」と言ったら「お好み焼きに麺〜??入れないよ」みたいな感じだったので
この店でたまに日曜日の昼ごはんとしてモダン焼きを買うのが結構楽しみだった
弟の買うお好み焼きと区別できるように、平仮名で「もだん」と殴り書きされたあの箱
「お好み」焼きの時は中身が豚玉だったりイカ玉だったりミックス玉だったりするのだ!
つまり、「もだん」は麺だ!
黒人男性の平均身長が日本人男性の平均よりもずっと低くて線の細いナヨナヨした体型
ばかりだったなら、ハラスメント被害に遭う確率は高かっただろう。
まあ、なんとなくはわかるんだけど、合理的な言語化された理由というのがよくわからない。
ぼくらアンチフェミ側の人間で、よく「フェミはダブスタだ!」とお怒りになる人がいるのはよく見かけるし、そう言いたくなる気持ちっていうのはよくわかる。
でも、実際のところ、この「ダブスタだ!」っていうのは、単に分類の基準のようなものが全く異なっているから、というだけの話だったりすることが多い。
例を挙げるとこんなかんじ。
赤 | 緑 | |
---|---|---|
りんご | 赤リンゴ | 青リンゴ |
カップ麺 | 赤いきつね | 緑のたぬき |
フェミニストが、「赤いきつねがイカン! だが緑のたぬきは良い!」って言っているのを、「同じカップ麺だろ、ダブスタ!」と言うのがアンチフェミ。
逆に「この赤いリンゴはいいね、リンゴは規制対象外だし!」ってアンチフェミが言っているのに「赤いリンゴはいかん!」って言っているのがフェミニスト。で、それにアンチフェミニストが「じゃあ、青リンゴもだめってことですね、それあんたら困りません?」と言い返す、みたいな感じの言い合いが多い。
現実の話に戻すと、なんとなく、「女性性の性的対象化(sexual objectification)」「男性の性的目線(male gaze)」みたいなものが問題視されている感じはするんですけど、どうにもこれが理解しがたい。いや、なんとなくは理解できるんだけど、それは他人に要求できるようなフェアネス(手続き、基準、合理性、無差別性などなど)を完備しているようにはあまり見えない。
これに加えて、上記の赤と緑の区別でいえば、その中間の黄色のものとかどうするの? とか、近代的な自由主義の原則(罪刑法定主義、疑わしきは被告人の利益に、明白かつ現在の危険、など)とどう折り合いつけるの? といった疑問は尽きない。
ディズニー映画に埋もれた名作などというものは存在せず、有名なやつは出来がよく、無名なやつは出来が悪い。
以下、備忘録をかねてウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ制作の長編アニメ映画史を概観したい。
『メイク・マイン・ミュージック』以外はディズニープラスで全部見れる。
おすすめの作品:『白雪姫』『ファンタジア』(ミッキーのやつだけ)『ダンボ』
ディズニー長編アニメの歴史はアニメ史に残る傑作『白雪姫』とともに幕を開ける。この作品はとにかく作画が凄まじく、戦後の日本人が衝撃を受けたという逸話も納得の出来である。著作権が切れているのでYoutube等でも見れるが、できるだけきれいな画質で見たほうがいい。7人の小人たちの非モテ自助コミュニティ描写もピカイチで、増田を見ているような人々は目を通しておいて損はないと思う。
ディズニー映画はこの頃から一貫して「教育的で」「社会的にただしいとされる」物語を描こうというはっきりとした意思を見て取ることができる。そのため、作品の背景には常に制作された時代の価値観が垣間見える。
例えば『白雪姫』の3年後に公開された『ピノキオ』では、主人公ピノキオを導く良心の象徴としてジミニー・クリケットという名前のコオロギが登場する。この「ジミニー・クリケット」という名前はジーザス・クライストの言い換え語らしく、つまりここでは創造主の似姿として作られた人形が様々な誘惑と戦いながらも最終的にはイエス・キリストに導かれ、ただしい人間性を獲得するという物語が展開されるわけだ。
『ピノキオ』自体は退屈な作品ではあるものの、歴史や時代背景を含めて見ていくと別の発見があり、それはそれで豊かな体験である。ちなみに当時のディズニー自身はむしろできるだけ宗教色を薄めたいと思っていたらしく、この辺は社会に要請されてやむなくという側面が強いのかもしれない。
ほか『ファンタジア』中の「魔法使いの弟子」と『ダンボ』は見ていて単純にたのしい良作。『ダンボ』のお母さんの健気さは泣ける。
『バンビ』のあと『シンデレラ』まで長編の物語映画はなく、とくにおもしろい作品はない。とはいえ日本人としては、バリバリに総力戦をやりながらアニメを量産していたアメリカの国力にむしろ驚くべきかもしれない。
この頃の作品群には「丁寧な植民地主義」とでも呼ぶべき傾向があり、具体的にはアメリカ開拓時代の美化とラテンアメリカへの観光的関心、キリスト教的な価値観が三位一体となった教育映画が制作されている。この辺はおそらく当時のアメリカの外交・安全保障戦略と密接に結びついており、いわばアメリカ流の国策映画だったのではないだろうか。
丁寧な植民地主義的な傾向はこの後も非常に根強く、形を変え品を変え、ディズニーらしさの1つの要素として受け継がれていくことになる。
『シンデレラ』は物語の大半を出来の悪いトムとジェリー風ドタバタ展開が占め、あまりおもしろくはないものの興行的には大成功を収め、低迷期の脱出に成功する。
『眠れる森の美女』は『白雪姫』以来の超絶作画であり、これ以降の作品と見比べてもダントツでクオリティが高い。一方で興行的には制作費の回収すらできず、総じて失敗作と見なされたようだ。ディズニー作品の作画技法は『眠れる森の美女』でひとつの頂点に達し、以降はべつの方法論を模索していくことになる。
ほか『ふしぎの国のアリス』のチェシャ猫や芋虫の悪夢的な描写は見たものに強いインパクトを与える。一方で登場人物にだれ1人としてまともに会話の通じるキャラがおらず、集中力の維持が非常にむずかしい作品でもある。
『ピーター・パン』では全能感と成熟の拒絶というYoutuberの原型のようなヒーロー像が描かれる。ピーター・パン症候群とはよく言ったもので、本家ピーター・パンも未成年淫行で炎上する未来を強く予感させるキャラクターだった。
『わんわん物語』では都市的自由を謳歌していた野良犬がペットとして不自由な幸福を手に入れて物語が終わる。ここで描かれるペットたちのむき出しの奴隷根性は、前述の植民地主義と無関係ではない。『ピーター・パン』『わんわん物語』ともにおもしろくはないが、それぞれ見どころのある作品となっている。
おすすめの作品:『101匹わんちゃん』『くまのプーさん 完全保存版』
『眠れる森の美女』のアーティスティックで洗練された描線から一転、『101匹わんちゃん』以降はえんぴつで描かれたかのようなラフな描線で作品が構成されていく。『眠れる森の美女』以上のものを作り出すことが現実的に不可能であり、見劣りを避けるという意図があるのか、あるいは端的に制作資金が枯渇しただけかもしれない。
技法的にはやはり『くまのプーさん 完全保存版』でひとつの完結を迎え、以降ディズニー映画は再び模索と低迷の季節を迎えることになる。
『おしゃれキャット』は金持ちのペットが使用人をブチのめす話で、一方『ロビン・フッド』は貧乏人が金持ちをブチ殺す話だ。この時期のディズニーは節操のなさがすごい。
この時期の作品群の特徴を一言で言い表すならば、「リアリティへの接近」ということばになるだろう。それは一方では作画技法への3DCGの導入というかたちで現れ、他方で物語上では善と悪の単純な二項対立の脱却が図られることになる。
前者は『コルドロン』の奥行きのある大胆なカメラワークや作画法、『オリビアちゃんの大冒険』『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』での部分的な3DCGの導入に見られる。後者は『きつねと猟犬』での人種対立のメタファーとして描かれた動物間の争いや、多人種が共生する複雑な現実を猫の姿を借りて描いた『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』に象徴的である。
『きつねと猟犬』はこれまでのディズニー作品に見られた家畜たちの奴隷根性を初めて批判的に描いた作品であり、『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』と合わせて「社会的にただしいとされる」物語像の変容を見て取ることができるだろう。ただしこの時期の作品群は総じて地味で魅力がない。どうやら創業者ウォルト・ディズニーの死や主要スタッフの大量離脱の影響があったようだ。『コルドロン』は興行的にも大コケし、ディズニーの低迷を象徴する作品となった。
シャーロック・ホームズの翻案である『オリビアちゃんの大冒険』がかろうじて見ていられるという程度で、単品の映画作品としておもしろいものは少ない。『オリビアちゃんの大冒険』では、冒頭からネズミ女児のパンチラという一体どこに需要があるのかわからない謎サービスカットがあり、視聴者の集中力が乱される。
おすすめの作品:『リトル・マーメイド』『美女と野獣』『アラジン』
この時期ディズニーは批評的評価・興行収入の両面で復活を遂げ、一般に「ディズニー・ルネサンス」と呼ばれているらしい。本稿でもその表現に従う。
たしかに作品のクオリティは過去10年とは比べものにならないほど高く、ルネサンスと呼ばれるのも納得の時期である。一方で技術革新や価値観の変容は停滞気味で、歴史の流れとしてはさほどおもしろくないというのが正直なところ。ルネサンスの言葉通り、ある種の保守回帰の時代に当たる。
おそらくこの時期、真に革新的だったのは、作品の表層に現れる技術やテーマ設定ではなく、安定して高品質な作品を量産する社内の体制や組織づくりの技術にあったのではないか。
個別の作品として語れる部分は非常に多く、『リトル・マーメイド』は作画がよく、『アラジン』は見ていてたのしい。
『美女と野獣』でははっきりと他者理解をテーマに打ち出し、また女性主人公が男性からの求婚を拒絶する主体性を獲得するなどプリンセスものとして出色の出来栄え。他者を尊重することを覚えた野獣が救われ、他者の存在を最後まで容認できなかった村のヤンキーは破滅する。主人公が読書好きでヤンキーと話が合わないインテリとして描かれる点も珍しい。ただしこの他者理解はプリンセス側に一方的な負担を強いるかたちとなっている側面が強くあり、なかなかむずかしい部分もある。
『ポカホンタス』は白人によるアメリカ侵略・植民地化を矮小化し美化するかなり最悪のお話で、案の定ネイティブアメリカンの民族系団体にかなり怒られたようだ。引き続き怒られてほしい。
『ターザン』もインディアンをゴリラに変えただけで『ポカホンタス』とほぼ同類型のお話ではあるが、最後に白人研究者たちがゴリラの部落に居残ることでギリギリのバランスを取っている。ここにはターザンとポカホンタスの男女差が絡んでおり、単純にターザンのほうがいいとも言いがたい。
『ノートルダムの鐘』は強引にハッピーエンド化されているという不満はあるものの、子供向けの大作映画で障害者の活躍を描いた点は積極的に評価されてよいだろう。そもそもディズニー作品には『ノートルダムの鐘』以外にも障害者がやたらとよく出てくる。アメリカ社会には障害者を積極的に受け入れる土壌があるからできるのだとは思うのだが、日本のコンテンツおよび社会全体でも頑張ってほしいポイントである。東京ディズニーランドでもべつに障害者見かけないし。
そのほか『ムーラン』『ターザン』ではそれぞれ3D技術の進歩を見て取ることができる。
みたび低迷期である。『ダイナソー』に代表されるように3D映画への本格的な移行が始まり、2D映画最後の全盛期に当たる。
作品としては『リロ・アンド・スティッチ』がずば抜けてすばらしい仕上がりで、商業的にも大成功を収めた。『リロ・アンド・スティッチ』は王子様に救われるというプリンセスものの物語類型とは異なる、弱者同士が助け合う疑似家族モデルを明確に示した重要な作品である。
自分の欲求をうまくコントロールできない少女リロと、破壊衝動を植え付けられ誕生した人工生命体スティッチが、貧困家庭のネグレクト問題とSFアクションを背景に成長していく姿が描かれる。キャラクターデザインはかわいらしく、作画から細かい小ネタに至るまで非常に丁寧に作られており、娯楽作品としてもすばらしい。リロの姉・ナニの恋人もいいヤツで好感が持てる。
残念ながらディズニー映画ではこのあと疑似家族的な想像力は発展せず、プリンセスものという旧来の枠組みのなかで無理やり「価値観のアップデート」を図ることになっていく。
『アトランティス 失われた帝国』はディズニー映画には珍しく人がバンバン死ぬ作品で、ふしぎの海のナディアや宮崎作品みたいなものをアメリカ人が真似して作るとこうなるのかといった印象。ガバガバ設定とご都合主義が目につき、リアル路線なのかファンタジー路線なのかどっちつかずの失敗作だった。ただし主人公にオタク青年が採用されている点は注目が必要で、これ以降ディズニー主人公はイケメン・マッチョではなく非モテ・オタクが主体となっていく。
『白雪姫』で人間扱いされていなかった非モテの小人たちが「社会的にただしいとされる」物語の主人公となる時代を迎え、しかもそれが日本のアニメの強い影響化で発生しているわけで、価値観の大きな変化を感じ取ることができる。ただし、『白雪姫』の王子様はあれはあれで人間味のかけらもない平板なキャラクターではあるので、モテ非モテという面ではそこまで単純明快な話ではない。
『ブラザー・ベア』は殺した相手の子を育てるというなかなか攻めたお話ではあるのだが、最終的にファンタジーに着地するせいでどうも軸がブレる。
続く
サバの悲しみがなぜ地上を覆って人間を滅ぼさないかというと、サバを喰う敵は人間だけじゃないからなんだ。
人間が一番たちが悪いが、サバがそれを識別できて後世に伝えて行けているかという点に断絶があり、だからかろうじて人間は助かっている。
サバがもっと進化して、集団意識を海にメモリーするとか、そのへんまで到達すれば、人間は助からないかもしれない。
そのうちイカの逆襲があると思う。
NHKで居酒屋甲子園が特集して放映した際にやりがい搾取だと批判があった。
当時は自分も夢や愛といったポエムを絶叫させて半ば洗脳状態にしていると嫌悪感を抱いていた。
今、会計事務所に勤めているが、縁あってここ数年で居酒屋の関与先が増えて50件近く顧問契約を結んでいる。
頻繁に経営者と話す機会が多くなり感じたことはやりがい搾取、ブラック企業と十把一絡げにはできないということだ。
個人経営の居酒屋では特に多いが、損益分岐点に自分の給与を含めずに経営の話しをする人が多い。
はてはでは信じられないだろうが、経営者自身がやりがいを目的に経営しており、売上を維持、増加させて店を維持する目的がお客さんの憩いの場として自店舗が存続することであり、自身の給与は2の次どころではないのだ。
現在放映している「オモウマい店」という番組があり、採算を気にせず大盛りのメニューを信じられない低価格で提供する店が出てくるが、それと同じなのである。
お客さんが自分が作ったご飯を美味しく食べて懐も痛まずに幸せを感じることが生きがいという人は案外多い。それが居酒屋甲子園的な店である。
愛だの夢だのといったあれは従業員を洗脳するポエムではなく自身のポリシーなのだ。
もちろん全てがそういう店ではなくやりがい搾取、ブラック企業を絵に描いたような居酒屋があるのは間違いない。店舗数を拡大させようとするところは大体そうだ。
ただ、お金を稼ぐことが最優先ではなく純粋にやりがいのために経営している居酒屋もあるということは知っておいて欲しい。
はてなの合理的なみなさんにとってはイカれてるようにしか見えないとは思うが。
従業員など他人を犠牲にしているのではなく、ブコメにあるような金<やりがいという労働の価値観を持った個人が集まったお店もあるという話しです。
インデックス投資とは株価指数に連動する投資商品を買う投資法であり、理論上は最良の投資法と言われている
ツイッターの投資クラスタにもインデックス投資垢はいて、目立つ奴が現れては消えていく
去年登場して人気を博した(参考になるという意味でも、こいつやべーぞという意味でも)つみたて王子 @INVEST_VOO が気が付いたらアカウント消してたので、同じ頃に登場したもっとヤバい のっち @nocchi0820 はどんなもんかと様子を見てみたら相変わらず無茶苦茶だったわこいつ
◇ ■ ◇ ■ ◇
こいつがヤバい奴なのは一発で分かる。もう一年以上固定ツイートがこれなのだが…
ツイート活動ほぼ休止中なので、自分から発信するモチベはしばらくはないですが、投資に関する質問等があれば、このツイートへの返信で、質問・リクエスト等お願いします。1ヶ月に1回くらい、気が向いたら回答するかもしれません。よろしくです。
「ツイート活動ほぼ休止中」を掲げている癖に毎日のようにツイートしている。止めると言ってずっとやってるのはどう考えてもツイッター中毒である。元からこれで「ほぼ休止中」のつもりという可能性もあるがどの道ツイッター中毒である
◇ ■ ◇ ■ ◇
投資云々以前にツイッタラーとしておかしいのが分かってもらったところで、改めてこいつが投資に関してもおかしいのが分かる発言例を最近の発言から紹介しよう
「資産が大きくなった後に暴落するとまずいから安全な資産を増やす!」
的な意見はよく見かけますが、それは資産が少ないうちは都合のいいシナリオ、資産が大きくなると都合の悪いシナリオしか想像できない子供。
「大きくなった後、そこから暴騰すると美味しい!」
が見えるとちょっぴり大人です。
「資産が大きくなった後に~」的な意見を一方的に子供扱いしてdisっているが、この意見は投資において広く共有されている普通の意見である。資産が少ないうちは都合のいいシナリオしか想像できないのではなく、資産が少ないうちは都合の悪いシナリオ(暴落など)が起こって資産が減っても、投資以外の収入で埋め合わせることができる(資産が大きい場合はその逆)というだけの話なのだがそれすら分からないらしい。こいつの言う「子供」は「大きくなった後、そこから暴騰すると美味しい!」なんてとっくの昔に分かってて、加えてこいつが軽視している都合の悪いシナリオもちゃんと考慮しているので、こいつに比べてちょっぴりどころでなく大人である
最近の発言からすぐに怪しいところが出てくるあたりお察しであり、他にも色々アレな例が最近の発言からすぐ出てくるが、いちいちツッコミを入れるのも疲れるだけなので次の話に移ろう
◇ ■ ◇ ■ ◇
こいつのツイートには特徴がある。とにかく他人にケチをつけるのだ。というか半月ほど発言を遡ってみたが、他人をけなす発言しかない。どう見てもアレ
そもそもこいつは他人に文句言うために始めたアカウントなのだ。こいつが登場した時は「投資初心者に有害な情報を斬る」との触れ込みだった。実際おかしな投資法にツッコミ入れて人気を博したわけだが……
ここでまた最近の発言を見てもらいたい。例えばこの発言は去年レスバした相手を久しぶりに見かけて進歩がないなぁというツイートだが
東大なんとかは生きてたのか!
あいかわらず「科学の文法」でツイートすることができないようですね。
前も「私は正しいもん!なぜなら恵方巻だからだもん!」というのが精一杯でしたよね。久しぶりに見たけれどあれから1mmも成長していないようですね。
あれ? この二人がレスバしてたの去年6月だったのに、こいつが引っ張ってきてる自分のツイートは10月のだぞ?
…どうやらこいつは以前レスバした相手のことを未だに気にして、相手からはスルーされてるのに何度か蒸し返しているらしい。よっぽど悔しかったのか
(というかこいつの投資思想なら相手の近況にツッコミどころが色々あるはずだが、以前の批判を繰り返すだけというのはどんだけ根に持ってんだ。1mmも成長してないのはお前だ)
これなんか完全に自己紹介だろ
ちなみに私をブロックした人もそのほとんどが私のツイートをチェックしているらしいぞ。
君もよく私のツイートをチェックしているな ❤️
その証拠に自分はこいつとレスバした結果ブロックされたが、今は何故かブロック解除されている。ブロックした相手が何言ってるか気になるのだろう
こういうところから薄々分かってくる。こいつは投資初心者のために有害な情報をどうにかしたいというより、人に文句言ってマウント取って悦に入るためにツイッターやってるのだ
◇ ■ ◇ ■ ◇
さて、投資初心者のためというお題目を掲げていたわけだが、ぶっちゃけこいつの言い草はあまり初心者向けではない
例によって最近の発言からすぐ例が出てくるのでアレだが、例えばこれ
これも私は過去に何度もいっているけど、
「分割投資vs一括投資」の話をしているということは、その人は「資産配分」の重要性を理解していないということなのです。木を見て森を見ていない状態。
恐らく、分割で投資すると元本を投じ終わるまで目標の資産配分よりも現金の割合が多くなってしまうことを指摘しているのだと思うが、こいつはそういう肝心なことは直接言わない
ゼミの教授が教え子を試すがごとく「ここまで言えば分かるよね?」という上から目線な態度がこいつの平常運転だ。つーかぶっちゃけマウント取りたいだけだろ。教えたがりの癖にこれなんだから迷惑この上ない
◇ ■ ◇ ■ ◇
ところで「資産が大きくなった後に~」の話でも薄々分かるが、こいつはリスク許容度がおかしい。ツイッターの投資クラスタでは使える資金を100%株に突っ込むのが大正義みたいなところがあるが、普通はそれだと暴落に際して心が折れるので何割か現金や債券にする。恐らくこいつの場合自分で稼がずに数億円が転がり込んだため、半分くらい吹っ飛んでも惜しくないのだろう。しかし、逆に考えると惜しくないくらいであれば別に全部投資してガンガン稼ぐ必要もないはずだが、こいつの感覚は「大きくなった後、そこから暴騰すると美味しい!」である。投資初心者はこんな頭おかしいやつの真似をしてはいけない(恐らく以前言われた「初心者がお前を手本にするとヤバい」という指摘が痛かったので、初心者のためを標榜するのを止めたと考えられる)
そもそも投資というのは、どれくらいの資金が用意できて、どれくらいの期間運用して、どれくらいの額を目指して、それだけの額があると何ができる というのを考えて行うものである。こいつがやってる、とにかく手元にある金を最も効率のいい投資法に放り込んでとにかく最良の結果を目指し続けるというのは投資ではない。単に証券会社のウェブサイトに表示される資産評価額や年率リターンの数字を競う遊びである
◇ ■ ◇ ■ ◇
最後に、こいつの基本的な芸風は「お前の言うことはファイナンス理論によって論破できる!(以下ファイナンス理論の教科書の断片的な内容)(断片的なので今一分かりにくい)」である
(これは一部の迷惑な人に対してですが)
学ぶことによって私への疑問がほぼなくなるはずですよ。私独自の理論なんて基本どこにもないです。これらはすべてファイナンス一般の話ですよ。
とのことだが、ぶっちゃけこいつは教科書の引き写ししかできないので、ファイナンス理論を学べばこいつの言うことにわざわざ耳を傾ける必要はない
「ファイナンス理論全史――儲けの法則と相場の本質」が特に入門にお薦めだ
(9/14追記)
のっちのやつは呑気にツイートを続けているが、この記事への言及はない
4ヶ月前、僕は合同誌の誘いを受けた。
内容はSさん原作のアンソロジー本、ようは「うちの子二次創作合同」だ。少しイヤミっぽい書き方だが作品名をボカす為、何卒容赦いただきたい。
「うちの子」とは大抵の場合その人が創った一次創作キャラクターの事である。それの二次創作本を原作者主催で作るのだから公式アンソロジーと呼べるかも知れない。
かなり内輪ネタ感はあるがSさんとリプライを交わしたこともない自分に声がかかったのは意外だったし嬉しかった。
数年前にHPにあったイラスト、ショートストーリーに強く惹かれ何枚かファンアートを書いたことがある。それを見て招待してくれたのだという。
自分の作品が見られ評価されるというのは創作者にとって一種の麻薬である。僕は気分が高揚するのを感じながら了承の旨を伝えた。
自分で言うのは変だが僕は二次創作が得意だ。真骨頂と言ってもいい。
映画、小説、漫画、動画、あらゆるコンテンツを見ても一番最初に考えるのは「自分ならどんなストーリーを作るか」だ。
原作者が組み上げた土台の上で自分の思うがままにストーリーを展開させるという楽しみ方。オリキャラを出すわけではないのでメアリースーとは違うと思う。
子供の頃から日常的にやっていた事だが、多種多様な作品を見てネタの引き出しもバラエティに富んだ今、考え出すと止まらなくなる。
久しぶりに物語を読み返し、設定を思い出したところで僕の頭の中では無数のアイデアが浮かんでいた。
シリアス系、ギャグ系、まったり系……どれも捨てがたいが一番得意としているギャグで行く事にした。
構成を整える為、メモ帳に思いついたネタを書き出していったのだが珍しく指が止まった。
僕はネタ出しの際、とにかく頭の中のものを全て出し切ってから取捨選択を行うので何故この段階で固まっているのか自分でも分からなかった。
最後に入力した行を見返した時、自分の異常さに無意識のうちに反応したのだと理解した。
ニュアンス的には銀河鉄道999のメーテルが「行くわよネジ!」と言っているようなネタだった。
Sさんの作品は人の生き死にが関わってくるシリアス系の作品だ。こういった作風に対する二次創作ではブラックユーモアや軽いノリを入れるのが僕の好みだった。
商業で展開してる作品(同人だが東方Projectも含む)の二次創作を行っていたときは気にしていなかったが、ここで初めて原作者の存在を思い出した。
このネタを見たとき、Sさんはどう思うのだろう。怒るだろうか悲しむだろうか。
自分が原作で主催の合同誌だ。載っている作品は全て見るだろうし、第三者からしても「Sさんはこの人の作品を認知している」という事になる。
それは僕にとって非常に不都合だ。
今までやってきた二次創作は原作が手の届かない大手だったからこそ自由にやれていたのだ。
少々グレーではあるが二次創作者は同人即売会などでひっそりと本を出し、原作サイドは見て見ぬふりをする。この暗黙のルールに僕は守られていた。
だが今回は違う。原作者に認知され、認知されたことも認知される。同人であって同人ではないのだ。
二次創作ということに変わりはないが僕がやっていた二次創作とは全く異なるものである。
咲の天江衣が手足を折られている絵も描いた。東方のミスティアローレライが呪歌を歌う本も描いた。
原作ファンから嫌悪感を抱いたコメントをもらった際は「嫌なら見るな」のAAと同じポーズをして全く気に留めなかった。
何故なら悪意を持って絵を描いているわけではないからだ。後ろめたさや罪悪感は微塵も無い。
ただ思いついたから描いただけ。絵のメッセージ性を考察するだけ無駄だ。何も考えてなどいないのだから。
思い返すと僕は一次創作をやった事がない。だから一次創作者、原作者の考えが分からない。
以前エヴァンゲリオンの最終章を観に行ったが映画館を出て考えたのは二次創作のことだ。
作品が織り成す表現、意図、メッセージは頭になかった。ただボケっと観ていただけで精々CGのクオリティにビックリしただけだ。
その後暫くするとYouTubeに考察動画がアップされ、それを観て理解した気になった。作品の深みが分からないまま。
一次創作において一番大変なのは世界観、キャラクターの設定だと思う。優れた設定さえあればほぼ自動的に物語が出来ていくというのを作家の誰かが言っていた気がする。
Twitterで見たのは複数のキャラクターを何もない部屋に閉じ込めた時、どういった反応を示すかが瞬間的に思いつく作品は優れているというものだ。
自分の好きな作品をいくつか試してみたところ面白いようにキャラクターが動き出す。個性豊かで磐石な設定が築かれている証拠だ。
個人の感性が関わってくるので同じ作品でも結果が異なるのは当然だがキャラクターの性格上ありそうなアクションを起こすはずだ。
何もない部屋ですらちょっとした物語が始まるのだから二次創作というバーリトゥードでは無限に話を広げられるだろう。
二次創作しかしてこなかった僕は一次創作における土台の作り方を知らない。コツなどではなく根本的なものから知らなかった。
やっと絞り出した設定を見返しても有名作品の劣化コピーか、足して割ったような歪なキメラで作品としてのまとまりが無い。
他人の作品を利用して楽な工程だけやっていたから至極当然の結果と言える。
僕は感受性、0から創りだす発想力に乏しいのかもしれない。曲がりなりにも長いこと創作活動を行っていた人間が創作に向いていないとは皮肉なものだ。
つい最近ニコニコ動画で面白い作品を見つけた。『【クッキー☆ボイスドラマ】魔理沙とアリスの自己矛盾☆』という動画だ。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm36353098
例のアレ、と呼ばれるジャンルのクッキー✩という作品をテーマにしているらしい。
時が流れるにつれ変化していく界隈や情勢を風刺したドラマ、だと思う。
元ネタの名前こそ聞いたことはあるものの、詳細は知らないので内容に関してはあまり理解できなかった。
ただ主人公の女の子が二次創作ならではの悩みと葛藤するシーンに少し共感を覚えた。
元々一次創作を行っていた女の子が、甘い誘惑に誘われ二次創作に手を出すところから物語は始まる。
作品の看板を借りるだけで今まで伸び悩んでいた絵の閲覧数が増えたことに気を良くした主人公はどんどんと沼に嵌っていき、二次創作に依存していく。
ある日描いた絵を見返すのだが「本当の自分が描いた絵」が一つも無いことに絶望し二次創作からの脱却を図る…という話。
特に主人公が序盤で一次創作をしていた時は左利き(ペンを左手で持っている)だったのに、二次創作を行うようになってからは右利きになり、
クライマックスでの本当の自分を取り戻したシーンでは左利き(マイクを左手で持っている)に戻ったりと主人公の心情が視覚的な対比として描かれていたのが印象的だった。
動画は立ち絵を手や足などの細かいパーツに分割し動かす切り絵アニメーションをメインで使っているようだ。
小規模の制作グループで45分以上あるアニメを作るなら確かに合理的である。それでも膨大な手間暇がかかっていることに違いはないが。
今まで見てきた作品とは違い、鑑賞後は何も考えられなかった。ある意味生まれて初めて心の底から作品を楽しめたのかもしれない。
コメントを見る限り様々な小ネタが含まれているようで理解できなかったことが一層悔しく思う。知っていれば多角的に楽しめるのかもしれないが今の僕には十分面白かった。
作品の表現、演出一挙一動に注目し、感想が出てきた事に自分でも驚いたのを覚えている。僕にとってそれくらい強烈な体験だった。
これまで僕がやってきたのは作中の言葉を借りるならば「安易な二次創作」に該当するだろう。中身がなくハリボテみたいな創作だ。
話を戻すがSさんの合同誌の誘いは断ることにした。昨日謝罪のメッセージを送信し納得してもらった。自分の無責任さと幼稚さで迷惑をかけてしまったこの事は二度と忘れないだろう。
僕なりに考えたが健全な創作には感情が必要なのだと思う。嫉妬、欲望、勿論熱意でもいい。プラスでもマイナスでも構わないから感情という名の原動力がいる。
問題はそれが狂気的でなければならないことだ。中途半端な嫉妬心、欲、熱意では筆を折ってしまうだろう。イカれてるくらいがちょうどいいかも知れない。
そして健全な二次創作には矛盾が付きまとう。原作設定との矛盾、創作においての矛盾、先程挙げたコミケの暗黙のルールだって本来は矛盾している。
その矛盾を上手くコントロールしバランスを取らなければ良い結果には繋がらない。狂気がエンジンで矛盾がアクセルブレーキ、どちらも故障したらダメだ。
狂気と矛盾、この二つを安定させられる人間はほんの一部しかいないと思う。筆を置いて時間が経たないとやる気が出ない人がほとんどだ。
僕はRTやいいね数はどうでもいいと思っているし、フォロワー数が数万人の絵師に対して特に何も思わない。原作は二次創作のツールとしか思ってないし考えなしに描きまくった。
だから失敗した。こうなってしまった。自分が創作活動で過ごした日々は空白だったのだ。
あなたの二次創作はコピーペーストを繰り返したパロディまみれになってませんか?成人向けなら自分が好きな性癖を詰め込めていますか?本当に創りたいものが創れていますか?
二次創作には二次創作だけにしか味わえない面白さ、奥深さがある。創作に携わる人間なら知っているはずだ。
ただ楽しいからといって自分を見失ってはいけない。思考を止めてはいけない。創作者としての軸を保ち続けなければならない。