はてなキーワード: aセクとは
今月、明らかに経血が多かった。
一番サイズが大きくて厚みのある、特に多い日の夜用なるナプキンを日中に何度も取り替えた。
そういえば2,3ヶ月ぶりの生理だし、久しぶりの時は普段より多くなる。けどそれにしてもおかしいくらいに多かったので病院へ行った。結果、ひとまず薬で落ち着くことができた。
この歳にもなると子宮系の癌や疾患が見つかりやすくなるから、今回の症状からしてもきちんと検査をうけるべきだと医師に指摘された。
指摘されたんだけど、同時に
『性交渉の経験がないと膣エコーは出来ない。良い人を見つけて経験しておきなさい』
とも言われた。
たしかに膣エコーは挿入するから初めてだと大変とは言うけど、それでも必要なら受ける覚悟でいたから拍子抜けした。
病気かもしれないのにセックスしないと検査の機会を逃すことになるのかとわりとショックだった。
もちろん緊急性があれば処女でもやってくれるんだろう。病院を変えればやってくれるかもしれない(けど病院によって可否が変わるのってどうなの…)。
けど、緊急性がないなら処女を捨ててから検査に来いっていうのもなんだかなと思ってしまった。
未婚率の上がっている昨今、処女というだけで婦人科で検査の機会を逃してるかもしれない女性もきっと多いと思うと憂鬱にならずにはいられなかった。
レズビアンは?Aセクの人は?検査のために”良い人”を見つけなきゃなの?
医者にしてみたら痛がる処女はさぞ面倒だろう。医者の立場を考えるとわからんでもない。処女喪失に抵抗のある患者にだって配慮しなきゃだしね。
だからもういっそ、病院監修の処女捨て用のディルドでも売ってくれないだろうか。
TENGAさん、射精障害者の方向けに医療用TENGAを作ったように、irohaのラインでもひとつ処女向けの挿入訓練用に作ってはくれないでしょうか……
おっさんずラブとかの影響なのか知らないけど、LGBTについて言及されてる機会はかなり増えたと思う。
ただ、LGBTは性愛が前提となっていて、「あらゆる性別は恋をして幸せになる権利がある!」みたいな雰囲気がある。
私は彼らを応援することができるけれど、彼らと同じ悩みや喜びをもつ仲間では無い。LGBTに当てはめるなら、全部違います。私は女性・ヘテロです。
最近、Aセクシャルという単語を目にすることが多くて、Aセクシャル;恋愛感情・性的欲求を抱かない人 みたいな定義をされているらしい。
後、「デミセクシャル」というやつ。これは、あちこちで説明されてるからさらっと書くのですが
「非常に親密になった人にのみ、恋愛感情や性的欲求を抱く」人 とのことです。
定義を読んでから、「当たり前じゃねえか」とも正直思った。知らない人に恋愛感情も性的欲求も無くない!? みたいな。
でもこれがぴったり自分に当てはまっている。一応Aセクとか性嫌悪も疑ったこともある。
でも私腐女子だしガンガン推しのエロ妄想ツイッターに書くからそれは無いかなって。
少し不思議なのは、自分自身と性愛が結び付くと途端に気味が悪い。私は俳優とかバンドマンとか大好きで、それぞれ芝居や舞台を楽しむし、対象は全部男性です。演技(演奏)と外見の雰囲気に魅力を感じて居て、そういう人と話をして居るだけで、「ああ素敵な人だなあ」と幸せになる。
ただ、イコール恋をして居るのか? と聞かれると「いいえ全く」という返答しかできない。だからワンチャン狙おうとか一ミリも思わない。
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ただ、最近容姿性格が完璧(佐々木希の容貌レベル)でなくても恋人はできることを知った。
だから「私も完全な美貌と人徳じゃなくても、相手を愛して尊重する気持ちが通じ合えたら、恋人ができるのかもしれない」と気づいて3年くらい経った。
あと究極、私で妥協してくれる人となんとなく付き合うこともできたのかもしれない。
ただそこまでに深く知り合える異性に出会うことができなかった。多分私が、自分を深く知ってもらうことを拒否して居る。
それが生育環境だったり、今抱えて居る疾患のせいなのかは不明。
今まで理想が高すぎるのかと思って居ました。あまりに理想の人を求めるがあまり、「あの人も嫌だ」「この人も嫌だ」みたいになってしまう。
あるいは自分が「恋をするに足る容姿性格ではない」という理由で恋愛性愛自体を拒否してしまったり。
でも拒否するということは、「付き合って欲しい、けど無理」ということから始まるだろう。でもそれが無い。
最初の動機の「この人と付き合いたい!好きだ!」という気持ちが無い。なんなら実は恋したことが無い。
だから最近恋愛感情・性的欲求が人よりすごく少ないのではないかと悩むようになった。
学生時代から周囲に親しい異性がいたし、彼らを好ましく思って居る。けれどそこから恋愛に発展するイメージが全く湧かない。
彼らにしてみれば側に居るだけで「こいつと付き合うなら」って思われるのは迷惑千万なんだろうけど、どこにも明かさないロールプレイとして許してもらおう。
24歳くらいまでは、「いつかできるかな!」みたいな楽観視で、それは多分「妙齢になったら恋人ができる」という思い込みが原因。
今は「彼氏欲しい」と言ってみるけど、それって多分「自分を受け入れてくれる親しい人が欲しい」っていう理由に近くて、恋愛と、付随してセックスがしたいわけではないのではないかと思い始めた。後「この歳になって無い歴イコール年齢かつ処女なのはまずいのではないか」という世間体をきにする気持ち。ただそれだけで、何か恋愛性愛を求めていた訳ではなかったのでは無いかと思い始めて、そういえば思春期からずっとそうじゃんと思い始め、調べて出てきたのが「デミセクシャル」だった。この定義を見て正直言って救われた。「ああ、だから私には恋が無いのか」という。
「恋したい〜」というのはマジで切実な悩みで、それは全くしたことがないから。25過ぎて恋が無いのはやばいという気持ちがあった。でも、「デミセクシャル」に自分を当てはめたら、「なんだ当たり前なのか!」って楽になった。
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悩ましいのが、ただのブスがモテなさすぎて「そもそもジェンダーが違ったのでは?」と言い始めたのではないかとおもわれるのではないかということ。
5chでもAセクでテレビ出演した人が、美女では無いという理由で「モテない言い訳に聞こえるからやめてほしい」という意見があって、
「ああやっぱり容姿に恵まれないの人はそう言われるのか」と悲しくなってしまった。正直私もその疑いは持って居る。
拗らせすぎて「そもそも異性も同性も愛することができないのでは?」と疑うことで、彼氏できないことを正当化して居るのではないか。
なんだかんだで「好き!!」と思うひとがいたらその人を手に入れようと頑張るのかもしれない。その悩みにどうしても答えが出せなくて、今はとりあえず性自認としてデミセクシャルかクエスチョニングにしておこうと思った。LGBTじゃ無くても、ジェンダーって色々あるんだなと思った。
Aセク・Dセクのシンボルとして中指に黒い指輪をはめることがあるそうです。
とりあえず身につけて見て、私が何者なのかということを私自身が疑問に思うきっかけとして持っていたい。
そもそも恋愛感情が乏しい?ので、好きという感情自体よく分かっていないんですよね。
その状態で「過去男性を好きだった自分」「過去女性を好きだった自分」「現在恋愛感情はなくとも女性と寝れる自分」がいるわけで、恋愛感情とセックスが結びついてないんです。
この人とどこかに行きたい、一緒に時間を過ごしたいという人はいても、それはあくまでも親愛であって恋愛じゃない。
たぶん、親愛の幅がめちゃくちゃ広くて恋愛の幅がめちゃくちゃ狭いんですよ。
セックスできるかできないかではなく、現在はその前段階の恋愛に辿り着けていないので属性にモヤついているんですよね…(過去を考えると確実にバイだけど現在を考えるとAセクな気がするというやつです)
いやほんと途中からすごい真面目に答えて頂いてすみませんありがとうございます
お前らは恋愛できるのに恋愛できない奴らのことは認めてくれないよな。
正直なところLGBTよりもノンセクAセクの方が格下って感じある。
そもそも、趣味さえ合えば男同士や女同士でパートナーみつけられるってずるい。羨ましい。こっちは人を好きになることすらできないのに。
今、なぜか婚活をしているんですが、出会う人に対して全然これだ!って思うことがなくて。
女友達などから恋愛についてもらえるアドバイスってあるじゃないですか「どこかで自分に嘘ついて無理してるからだよ」とか、「いつか本当に誰かを好きになったら人生変わるよ!」などという発言。
それが全く響かないっていう話なんですけども
恋人がいない/いたことがない人って、大まかに三パターンに分類するとして、
①非モテ
②今は興味がない
③恋愛できない
じゃないかと思うんです。
んで、わたしは②かな~と思ってたんですけど、どうにもここ数年の経験を経て思うに③なんですね。たぶんAセク寄りのヘテロなんだと思う。
①と②の人には、まだ好きになったことがないからこれからあるよ!っていうのが刺さるのかもしれないんですけど、③の人に「まだ本気で人を好きになったことないだけだよ」っていうのは、通用しなくない?ちょっと楽観的すぎない?
だって今まで27年生きてきて、うわっこいつと性交したいとか好き好き大好き絶対に落とすとか思ったことないですもん。(普通の人が恋愛でどうなるのかわからないので適当言ってる)
いつかどこかで本当に好きな人に出会って急に人生変わるとかいう思考、女子高生じゃあるまいし、社会人になった今、普通にできなくないですか?
努力してみたけどまともに男性と付き合えたことがない人間が、これから先いきなり誰かを心から愛することができるもんか?って思う。
運命の出会いに夢見ていられるほど、積み上げた日々は短くない。
友達が結婚して子供産んだりしてるのを見ると、あーあ、みんな建設的な人間関係を時間かけて積み上げてるんだなぁって思って死にたくなる。
恋人は何人かいたことがあるが、性の良さを感じることがいまだに出来ていない。初めて性行為をしたのは18歳の時で、今や20代後半になったが、ずっと変わらない。
少なくともそこに、気持ちいい、繰り返し行いたいというのは一切ない。自慰行為を試してみても恋人との性行為をしてみても、あー触られてんな―という感覚や、くすぐったい、異物感以上のものを感じない。会うたびに体を求められるのが億劫で、嫌がっていたりはぐらかしていたりするうちに関係が悪くなってしまい、別れてしまうというパターンは、何度も繰り返した。
今となっては嫌な点は薄まってはいるけど、良い点が見いだせないので、自分から性について積極的になる動機はない。はじめのうちは胸や性器を見られる・触られることに嫌悪感があったが、回数を重ねていくうちにこれは薄れた。応じると彼氏が喜んでくれて嬉しい、恋人同士ならば普通はするのだからそれができないのは申し訳ない、などの思いはあるが、自分自身が精神的・肉体的な良さを感じたことは一度もない。
もし明日から一生性行為ができませんとなったとしても、子供はいつかほしいという思いがある点を除けば、自分の気持ち的には何も困らない。カテゴリー的には校長先生の長話のような感覚で、どうやら謎の理由で必要とされている行為のようだが、私としては興味関心が見いだせないし、退屈だし、できれば私を巻き込まずに可及的速やかにことを済まして欲しい。
そしてこれらが、女性の性に対する一般的な感覚なのだと思っていた。AV女優という言葉についている「女優」は、性行為で快感を得ている女性という男性向けの実在しないファンタジーを演じているからこその「女優」なのだと解釈していた。エロ漫画とかもそうで、とにかく誇張されているのだと思っていた。だが、どうやら違うらしい。
性行為に良さを感じている女性というのは、どうも実在するようだ。思い出してみればたしかにHして気持ちよかったという話は知人友人から何度も聞いていたし、雑誌なんかでも見ていたが、自分の体感からするとあまりにも理解が及ばないために情報として脳に定着していなかったのだと思う。
さらに聞くところによると、にわかには信じがたいが男性より女性の方が性行為の快感は大きいらしい。意味がわからない。いよいよ本格的に不思議になってきたので少し調べてみたが、二つの可能性に思い当たっている。
一つ目は、自分がノンセクシャルまたはAセクシャルの人間であるということだ。他人に対して恋愛感情はあるが性的欲求は抱かないのが前者で、どちらも抱かないのが後者だそうだ。恋愛感情があるのかと言われたら、実際のところこれについてもよくわかっていないので、どちらかとは言えない。
二つ目は、単純にやり込みが足りないのではないかということだ。その情報は、https://web-ace.jp/youngaceup/contents/1000035/ 性転換から知る保健体育 ~元男が男女の違いについて語る件~ という漫画にあった。
これは男性から女性に性転換した著者によるエッセイで、男性と女性両方の身体を体験したからこその視点がかなり興味深い。その8話では「では前置きはこれぐらいにして… 男と女のオーガズムどっちが気持ちいいかって…?そんなの圧倒的に女性の方が気持ちいいよ!!あれはダメだマジでヤバイ!!」と語られている。マジでヤバイことに、圧倒的に女性の方が気持ちいいらしい。しかも著者が著者だけに説得力がある。そしたら私は一体どういうことなんだということになるが、これについても納得のいく記述があった。
「(略)ドライオーガズムっていう前立腺を刺激する方法なんだけど 誰でも簡単にできるもんじゃないんだよねー 慣れが必要というか 神経の開発が必要なんですよ でもそれって女性も同じなんですよね 最初から誰でも膣で快感を得られる訳じゃないんだって思い知りました(女性の皆様すみませんでしたーー!!)」
とある。性行為で快感を得るためには、神経の開発が必要らしい。具体的にどのような訓練を積めば神経が開発されるのかまでは詳述されていなかったが、たぶんこういうことなのだろう。私は訓練をして神経を開発していないから快感を得られない、練習すればおそらく快感を得られる、快感が得られるのであれば自然と性行為に対するモチベーションも生まれる。
以上二つの可能性に思い当たっているが、特に何かが変わったわけではない。生活のなかに性を組み込みたいとはどうしても思えず、ことさらに自慰行為をしてみたわけでもないので当然だ。少なくとも以前よりは性に対する関心が増したというのはあるが、だからと言って、アプリやSNSで募集すれば、性の喜びを教えてくれる人が現れるものなのだろうか。ただやりたいだけの人と的確に神経を開発してくれる人とを見分ける手段もわからない。性の喜びを知れたらいいなとは思うようにはなったが、これは五千兆円欲しいなというのと同じぐらいの願いでしかない。実現に向けて具体的な道筋と行動を打ち出そうという気にはなっていない。結婚や出産を考えると、性をなるべく忌避していくよりは、前向きに対峙できた方が良いというのはもちろんわかっている。でもやっぱり、やろうと思う気にはなれない。私は、性の良さを感じられないアラサーのままだ。
同性にレイプされかけた話。
10年ほど前の大学3年時、自分は見た目が高身長イカリ肩かつ高すぎる鼻のため、ガンダムと呼ばれていた。
以降フェイクもいれるが、美術系の学校だったため二浪三浪の新入学生などわりといて、一応年齢チェックはした上で、サークルや学科の縦割りグループで新歓のような飲み会をする。
あまり人付き合いは得意でないが、そういった新顔がたくさん集まる飲み会は作品制作に協力してくれる若手との縁を作る場でもあるので「ノリ気ですよ〜」といったテイで参加した。
その時出会ったのが、茨城から都内まで通っているという一年のTだった。
慣れた手つきかつ急ピッチで酒を飲むT。かなり華奢で服装は地味、落ち着いた雰囲気なので浪人組かなと勝手に受け止めた。
聞くと高校時代からとんでもない作品制作を行っており、オンラインでかなりのファンがいるとのことだった。
その場ではあまり話した記憶はないのだが、ガンダム故の抱擁力か、席替えをしてもTは自分の横を選んできた。若い子ばかりなので付き合いづらいのかなと思い、Tを含め周りと適当な会話をしつつ、気付いたらお開き。
その頃にはTは完全に出来上がっていた。
みたいに訪ねても動かない。
幹事をやっていた友人にこの人どうする?電車放り込む?と聞くと出席簿を確認し、
と。
皆さん学生時代に未成年飲酒、目撃したことあるでしょ、とかなんも言い訳にはなりませんね。
仕方がないのでTを引き受け、とりあえず皆と別れて大学の友人がバイトしている近場のカラオケに運んだ。
が、カラオケに着いた途端、Tは元気になった。
知り合ったばかりの同期の集団で帰るのがイヤだったらしく、ガンダム先輩ならどうにかしてくれるだろうと過剰に酔ったフリをした、とのこと。
わりとメンヘラを引き寄せる体質であるので、この時点でちょっとヤベェんじゃないかとは思ったが、自分も人見知りだし飲ませてしまった手前仕方ない、と朝まで付き合うことに。
だらだら話しをしつつ、うつらうつらしだした深夜、Tが「トイレ行かせてください」と自分の前を横切ろうとした。
狭い部屋なので否応なしに距離が近いが、まぁ同性なので気にならない。
足をソファの上に上げて通りやすくスペースを作ったところ、急にキスをされ、そのまま押し倒された。
でも舌で口をこじ開けようとしてくるし、Tの手がもぞもぞと動いて胸とベルトを触っている。そもそも冗談を言う間柄でもない。
冗談っぽく引き剥がそうとするが体を退けず、執拗にキスをしてくる。これはマジのやつだ、と気付いた。
自分は10年以上水泳と空手を続けていて、ガンダムに相応しい体型を維持していたが、マジで動けない。
自分より15cmほど背が小さく、押したら骨折間違いなしな年下の女性に乗しかかられ、今まさにベルトを外されそうになっている。
大げさに動けば怪我を負わせてしまうかもしれないと、どこか冷静に考えていた。
そのとき小難しいベルトをしていたようで「これ外してもらえますか」と律儀に聞かれた。
気が動転していたんだろう、「これ難しいよね〜、こうやって外すんだよ〜」なんて素直に外してみせてしまった。
ここは何故かよく覚えている。
おそらくそれで同意したと思ったのだろう、Tは一気に下着に手を突っ込んでこねくり回し、エロ漫画的なことを言った。
そこでドン引きして目が覚め、「ごめんトイレ」と勢いよく立ち上がり、トイレへ逃げた。
個室で確認すると半チチ露出していたし、なんならチチ自体もチクビも赤くなっていた。あの場で強く揉まれて吸われたのか…?記憶は定かではない。首元にもキスマークが付いていた。
あまり覚えていないが、最後までやってはいない。女性同士の最後って、いまだにどこまでかはわからないが。
その後、Tとは学内ですれ違う程度で、アレは夢かと思うほど何もなかった。
そして卒業後、同学科で1つ年下の女性Kに作品展で出会い、たまたまTの話になった。
現役組で才能豊かなTはまぁまぁ有名だったようだ。
Kはざっくばらんに話す人で、仕事が近いこともありちょいちょい飲みに行くようになった。そこでKも自分と同じ被害にあったことを知った。
Kも自分も逃げることができたが、Tはオンライン上のファンの女の子に手を出し、その子は逃げられず揉めたりと、なかなかやべーことになっていたそうだ。
なぜオンライン上のことがわかるのかと言うと、KはもともとTと同ジャンルの古参サークルだったからだ。
そりゃ専攻に近いジャンルで皆生きるから、オンラインでも被ることあるよね…
ちなみにその女性もKもガンダムも身長が結構高いので、Tがガンダムも襲ったのも顔よりも体型だったのではとまとまった。
なお、ガンダムは女性や男性問わずバイやAセクシャルの人などとお付き合いをし、現在はアラサー喪女となっている。
性別や性的指向関係なくやべーやつはやべーし、個人の問題だよねということに気付いた大きな出来事を、毎年この時期に思い出します。
「同性愛が世界各地で認められてく今は昔みたいにBLがアブノーマル扱いされる理由がないので、腐女子とかいって差別すんじゃねえって話なので」
とある腐女子が腐女子の代表みたいに名乗ってこうツイッターで呟いてた(ちょっとフェイクいれた)
あのね、私も腐女子として言うけどね、
BLとゲイ一緒にすんな!!!!!同性愛者の人にどんだけ失礼なこと言ってんのかわかってんのか!!!!!!
虐げられたり差別されたりして困ってる人を、嗜好品として消費しかしてない人間が理解できるわけねーだろ!!!!
それにな、腐女子はもともと差別用語じゃなくて自虐から出てきた言葉なんだよ!それを好きなことで困る人達がいるから自虐で使ってた言葉なの!!!!
そんなに腐女子って言葉で呼ばれたくないんだったら、BLも人権を得たとか大騒ぎしてろ!!!!!
百合豚の人達はなぁ!自分達の好きなものが非現実的だから好きだって自覚してんだよ!!!「百合豚なので同性愛に理解あります!」とか言ってるやついねーだろ!
最近だとSOGIだ!LGBTは逆に枠内に分類しちゃうから差別!とか言ってる声でかいやつらいるけど、理解の前には認知が必要なの。LGBTって概念をしっかり認知してもらってから次の段階に行った方がいいと思うの
「私は他の人よりセクマイへの知識があります」マウントにしか見えんよ
あとバズってたAセクシャルの漫画さ、漫画自体はそういう人もいるのかーって思ったけどその後に「腐女子でAセクの人って結構多いと思うー」って発言してて引いたわ
乱文失礼しました
とりあえずすっきりしました
自分はFtXで、パンセクシャル(男女トランス問わず愛せる)寄りのAセクシャル(性欲がない)と自認している。
積極的に性自認やセクシャリティについてオープンにしているわけではないが、聴かれたら答える。
隠しているわけでもない。
私が一番最初に「LGBT」について考える機会を持ったのは、外国人と言語を教えあうようなコミュニティアプリに参加していたところ、各国の性的マイノリティの方の集まるコミュニティを教えてもらったあたりだった。
元々興味深かったし、当時は曖昧だった自身の性の認識を確かにするために、英語など外国語は全く不得意ながら参加することにした。
当初私は何を指しているのかよくわからなかった。
なんで彼らは誇りを求めるのだろう。
それから数ヶ月経ち、自分の性別の違和、女性を強制されることに耐えられなくなって、制服を男性のものに変更してもらい、登校するようになった。
元々男子のクラスメイト達のグループだったし、あいつはそういうやつだ、となって、全く問題なく学校生活が送れた。
加えて、通学中にしても、わざわざ聞こえるところで悪口を言うような人もいるし、なんで女なのに?と見た目を変えてもなお女性を強制する人もいた。
体は女だが、見た目は髪型まで男に寄せている。
どちらに入ればいいんだ。
どちらに入っても通報されそうだ。
もやもやしているのは、制服まで男性に寄せた私はともかく、なんとなくオカマっぽいキャラクターの男子生徒が「オカマオカマ」と本人が否定していながら囃されることだ。私についてはそこまで執拗には言わないのに、中途半端だと茶化されるのか。
修学旅行の班決めの時は、男女別で分けたいという意見があったが、私がいたせいで基本的に混成の構造になってしまったのと、半端な性別ゆえに扱いにくいのか、これといったグループに参加していなかったのとによる「どこにいても迷惑なのでは」という考えに囚われ、少し仲のいい人にさえ声をかけられず、メンバーの希望は全く叶わなかった。
私は独りなのかもしれない、と初めて感じた。
制服を変える前に、スカートを履きたくなさすぎて不登校になっていたときにも思ったのだが、どこにいても罪悪感が付きまとってくるのである。
女性専用車両の話で「男と女」の対立構造の論を見ても、私はどちらにもいないんだな、と感じて胸が重くなった。
もしかしたらトランスやnonbinary(日本ではX)は透明人間、存在しないものとして扱われているのでは?とまで考えた。
そこでふと思い出したのが「pride」だった。
私は性別に負い目ばかり感じて、誇りが持てていない。
周囲の狭いコミュニティでさえ是とされていないと感じるものが、社会的に認められていると考えることは、若い私には難しい。
女性の地位向上のためのシステムが「男女差別」と言われるのは、彼らの目に写る男女の像が「平等」であることを指す本来好ましいことの筈なのだが、実際格闘技他のスポーツで特別に鍛えている女性でもない限り、男性の力に抗うことはできないのだから、「pride」が損なわれている状態になる。
一般的に自分の生まれもった性別に違和のない人のことをシスジェンダーと言うが、シスジェンダーの人でさえ誇りをもって「男」「女」として生きている訳でもないと思うのに、どうしてトランスが誇りを求めずにいられよう。
「ひとりの人間として」考えれば、男も女もトランスも何も変わらない。
ゲイでもレズでもバイでもヘテロ(異性愛者)でも、見た目だけではわからない。
それを何故排除しなければいけない?
そしたら周囲の理解や協力を求めるのも至極当然のことだろう。
女性専用車両の場合は話が難しいが、少なくとも性的マイノリティについてはこの理論で通せる筈だ。
ヘテロセクシャルの人が同性愛者を気持ち悪がるのは構わない。でも排除してはいけない。
あなたは偶然異性にしか魅力を感じないだけで、両性共に魅力を感じることのできる人は、普通にいるのである。
恋愛感情を持たないノンセクシャルの人だって、結婚や恋愛を強制されることなんて必要ない。
同性愛者の権利向上を唱えるのは、なにも「あなたも同性愛者になろう?」という誘いではないのだ。
人を好きになったことは、まだない。
2度ほど告白されて、とりあえずでいいから付き合ってみないかと言われ頷いたものの、いずれも所謂男女の関係にはなれずお別れした。
「まだ運命の人に出会ってないだけだよ」「今は他のことで忙しいからじゃない?」
と言われ、まともに取りあって貰えない。
ネットとかで色々調べてみたら、どうやら自分のような人間は一定数いるらしく、"アセクシャル"(無性愛者)と呼ばれていることを知った。
ただ、確証が持てない。
wikiとか見ても自覚時期については「第二次性徴期以降であることが多い。」としか書いてなくて、自分が無性愛者なのか、レズビアンなのか、はたまた友人たちの言う通り単なる奥手なタイプなのか、それは一体いつ判断していいんだろう。
そもそも元から執着心や依存感情に縁が無く、広く浅く淡白な人間関係しか築いたことがないので、これがセクシャリティの問題であるのかすら定かでない。
ちなみに男女問わず美しい顔が好き&刹那的な青春っぽいエモさに弱いのでアイドルとかは好きでよく観に行く。
しかし当然ながら恋愛感情ではないと思う。推し多数だし、認知欲求もないので。
あと子どもも好きだし、いつか自分の子どもが持てたらとは思う。まあ現実的に無理だな。
別にこのままボンヤリと生きていけばいいかなと思ってたのだけども、最近あまりに上記のやり取りをすることが多く、しかもそれが結構なストレスであることに気付いた。
だからこの際ハッキリ決めて宣言してしまおうと思ったものの、これ他のセクシャリティに比べて判断基準がぼんやりしすぎてないか?という印象が拭えず躊躇われる。
だから誰か教えて下さい。
私はAセクなのでしょうか?
モヤモヤするわ~。
よく「結婚したら妻/夫が家族に見えて性的に見れなくなった」みたいに言う人も実はこの部類なんじゃないかと思うんだけど。
自分の中で「やりたい/抜ける」枠と「好意」枠があって、尊敬できるとか大切にしたいとか幸せになってほしいとかは後者のほうにずっと強く感じるんだけど
もちろん「やりたい」対象から親しくなって「好意」対象になることもあるけど
そうなるとやっぱりもうやりたいとは思わないし、それこそ肉親とかペットとか性的指向と異なる性別の友人と行為するか?いやいや…無理でしょ…みたいな気持ちになる
「好意」枠から外れたパターンは今まで特に思いあたらないんですけど、疎遠になるとかでも、「やりたい」に戻ることはない
なんで恋人作ったり結婚したりしないのかっていうと自分がそういう性質だってわかってるからなんだけどそんなこと言えませんよね
世間一般に交際婚姻関係は性交渉を含むのが当たり前のようになってるしセックスレスは離婚事由になるっていうし
フェミ系の人も「妻に魅力を感じなくなった」みたいに言う夫は努力不足!セックスは相互コミュニケーション!みたいにすごく叱咤してる
若い頃は今ほど自分自身のことをきちんと把握していなかったから特定の人と交際関係を持ってしまって相手に悪いことをしたし罪悪感で自分も辛かった
性欲はあるけど愛し愛されている関係で性交渉を持ちたいという欲求があるわけではないのでオナニーで十分だし
(好きな人とやりたくないだけであって、好きじゃない人とは誰でもやれるというわけではない、だから割り切りで不特定多数とやりまくってるとかもない)
「本当に心から愛してる人に出会ってないからだよ!」みたいなこと言われるんだろうなとか自分でも考えたりするけど
この年まで出会ってないんだからこの先も出会う可能性は低いと考えるのが普通じゃないだろうか
というか「心から愛せる、やりたくなる人かもしれない!」みたいな考えで交際して「やっぱり違いました、ごめんなさい」とか失礼すぎるしこっちも地獄だと思う
そんなもろもろの事情を明かした上でお互い好意を抱ける人と出会える確率とか考えたらどんどん低くなっていくだろうし
それまでにかかる労力とか考えたらめんどくさすぎる…そこまでして交際したり結婚しなくてはいけないのか…
こないだAセクとかセクマイだけど異性婚したい人向けの結婚相談所の記事も見たけど、結婚したい人はそういうところ使うのかな。
ただ、皆はこういうことうだうだと考えることもなく、当たり前に好きになった人と性交渉をもって恋人になったり結婚したりしているのだと思うと、
それができない自分は人としておかしいとか問題があるとか言われるのも止むなしなんだろうなと思う
少ないながら税金を納めるのでどうか許してほしい
別に大きい病気はしてない、自殺願望はない、普通に正社員としてはたらいて、少ないながらも友達もいて、日々ほそぼそと暮らしてる。
趣味もあって、田舎暮らしだけど結構色んな所にも出かけて人生総合的に楽しんでる方だと思う。
ただ、たぶんいわゆるAセクシャルだから、好きな人がいたことがない。彼氏も作ったことはあるけど、全然好きなれなくて面倒が勝って結局別れた。別にきらいじゃなかったけど、気持ちはいつでもずっとフラットだった。
ちょっとでも好意を持ったり、ああこの人と付き合ってみたいなと思うことがあったらアクションかけようと思ってるけど、たぶん物心ついてから一度もそういうことを思った記憶がない。
だから老後は一人世帯なんだろうなと思うし、いまの収入で親を養ったり自分がそういう意味で一人になった時に自分の生活を支え切れる自信はない。
田舎の土建屋の経理職女の給料なんてたかが知れてて、上がる見込みもほぼほぼない。副業をはじめたけど、それだって焼け石に水で、将来の金策のことだけがいまの不安要素だ。
自分の母親がなくなったあとでいいから、どこか区切りのいいところで、楽に死ぬ制度ができたら、もっと生きるの楽になるのにな。
税金納めてるし、年金も納めてるし、あんまり病気してないから医療費そんなに無駄につかってもないだろうし、仮に60歳とかで人生を合法的にリタイアさせてくれたら、ほとんどだれにも迷惑かけずにすみそうなのに。
死体処理の前金とかも事前に納めて、なんとか死なせてもらえないもんだろうか。
その人たちを見た上であんなに偏見と無理解と勝手な想像に満ちた漫画書いてるんだろうか?それとも存在を知らない?
ブコメで喧嘩してる人たちも、Aセクっていう生きた例がいるんだからこっちを参考にすればいいじゃん。
自分もAセクだけど、外食、旅行、服飾、美容、プレゼントには平均以上に消費活動してる。
性欲と承認欲求は自分の中では完全に別モノだから、性欲がないと消費しないっての考えがわからない。自分には性欲も恋愛欲もないけど、承認欲求とか自己顕示欲は普通にある。
あと、異性のためじゃなくて自分のため、友達のために使われるお金って、経済滅ぼすほど少ないか?
風俗は滅びるだろうけど、お金の行き先が変わるだけで相変わらずSNSはあるし、インスタ映えのかわいい店はあるし、景色の綺麗なレストランはあるし、お洒落な人間はお洒落が好きだろうよ。
相手に迷惑ををかけたくないので身バレ防止にいろいろフェイクは入れるけれど、出来事や体験に関してはなるべく正直に気持ちを書こうと思う。
私はいま25歳だ。地方の田舎で育った。相手は幼稚園からの幼馴染だった。漫画みたいな幼馴染じゃないけれど、地元の友達で、幼稚園小学校中学校と一緒だったし、小学生のときにはよく一緒に公園とかで鬼ごっこやかくれんぼをした。中学に入ってからは、もともとお互いに漫画やアニメが好きで、本の貸し借りをしてライトノベル(時雨沢恵一の「アリソン」とか「涼宮ハルヒ」とか)というものを私が教えてもらったりもして、まだそういうオタ趣味が学校でおおっぴらにできない時代だったのもあって、よく話すようになった。それで、なんでか覚えてないけれど、気になりだして、気が付いたら好きになってた。中3の時にはがんばって同じく一緒に好きだったバンプのライブに誘って一緒に初ライブに行ったりもした。相手は異性の友達はどちらかといえば苦手そうにしていたけれど、その中でいちばん仲のいい異性になることができた。
中学を卒業したら高校が別になることはわかっていたから、とにかく気持ちを伝えたくて彼の受験が終わったタイミングで告白した。どうなるかも深く考えないまま、共通の友達にうまいこと呼び出してもらって、小さいころからよく遊んだ公園で気持ちを伝えた。ずいぶん長い沈黙があって、そのあとの断りのセリフは「ごめん、恋とか愛とかがよくわからない。人をうまく信頼できないんだ。増田がきらいとかじゃないんだけれど、そういうことがどうしてもできない」というものだった。彼は少し泣いていた。話そうか迷って、きちんと誠実に断るために探してくれた言葉だと、今ならわかる。その誠実さがすごく尊いもののように見えて、おおげさに言うならすごくきれいに思えて、区切りをつけるとかは吹き飛んで、余計に好きになってしまっていた。そのカミングアウトの内容そのものに惹かれてしまった部分もやはりあったと思う(今考えると業が深い……)。
「でも、そんな風に想ってくれる人がいると思うと、なんだかうれしい」という言葉が本心からのものか、それとも彼のやさしさだったのかは、いまだにわからない。
けれど、当時の私の思考回路はひどく短絡的で、「だったら、彼に信頼してもらえるようになればいいんだ」というものだった。そういうわけで、違う高校に進学したわけだけれど、中学時代のグループの集まりを定期的に企画したり、高校の部活や人間関係の悩みとかの相談に積極的に乗ったり、ガラケーでメールをぽちぽち打ったりした。今考えても涙ぐましいし、ムダに行動力がありすぎた。相手の性格を考えるとちょっとやりすぎな面もあったけれど、そんな重いエゴまで含めて本気の恋だった。彼のことを考えない日は嘘偽りなく一日だってなかった。それが空回りしている自覚もあったし、全然そういう目で見てくれている様子がないこともわかっていたけれど、思い続ければいつかは、なんて甘い幻想も同時に持っていた。
結局、高校3年の終わりに中学時代の地元グループで卒業旅行に行って(もちろん企画からすべて私が幹事をした)、そこでまた告白したけれど、まったく同じ断り方をされて撃沈した。今度こそもうダメだなって思って、おしまいにハグをしたらちょっとびっくりされたけれど、手を背中に回してポンポン、と叩きながら「ごめんね」と言ってくれた。 今にして思い出すと、これはすごく、彼にとってきつかったかもしれない。
大学は私が都会の大学に行ったので、地元のグループとも帰省したときくらいしか会わなくなった。大学では初めての恋人ができたり、他にも普通の大学生らしいことをいろいろ経験したし、様々な恋愛に関係する感情を味わった。彼のことはあきらめて気持ちを封印してはいたけれど、それでも常にずっと心の中では彼のことをいちばんのところに置いていた。このころになると、ずっと片思いをしているということが完璧に美化されていた。
そうして、アセクシャル(Aセクシャル)という言葉を初めて知ったのも大学時代だった。知った時、真っ先に彼のことを思い浮かべた。
大学を卒業して、Uターンで地元に帰ってきた。久しぶりに地元の特に仲のいい何人かと再び会うようになった。ある時、彼の親友的な人と話していたら「増田さん、中高のとき彼のこと好きだったでしょ」と真正面から指摘されて、封印していた気持ちが解けてしまった。4年間蓋をしていたものが、びっくりするくらいあふれてきた。その親友が「だんだんと結婚とかも皆考え始めるような歳になっているのに、そういう話題が彼にあまりにもないから増田さんをあてがってやろうかと思って」と言うのでこれに甘えて利用して、彼と遊んだりデートしたりした。お互いにいろいろ話すけれど、でもやっぱりこれまでと同じく恋愛的な意味での全然手ごたえは何もなかった。それと並行して。やはりAセクの件があったので、その親友に彼はAセクなのではないかと相談した。親友氏にも思うところはあったようで、何度かそれについて議論もした。
複数回デートらしきものをして、どちらにせよこの恋はだめだと思い知らされたので、結局過去と同じように自分の気持ちに区切りをつけるために告白をした。Aセクの件もあったから、一応相手の負担にならないようにというつもりで、その当時でできる限りの気遣いと自分の率直な気持ちとを文章化して手紙として渡した。後で読んでと言ったのに彼はその場できちんと読んでくれた。そして返事の代わりに、件の親友の名前を出して「こないだ、Aセクシャルっていうのを教えてもらって、自分でもいろいろ調べて読んでるうちに、読めば読むほど『そうだ、これだったんだ』とわかって涙が出てきた。他人を愛することができない自分は、どこか明らかにおかしい、欠けた人間だって思っていたから、すごく安心したんだ」と教えてくれた。
私にはそれを受け入れるしかなかったし、何よりも泣きそうな顔だけど解放されたみたいなすっきりした様子の彼を見てうれしかったのも事実だった。
私と親友氏とで「一応、Aセクであるとすぐに決めつけすぎないほうがいい」と伝えておいたものの、十中八九彼はそうなのだと思うし、少なくとも今現在彼の自覚はAセクということになっている。
ここからあとは、私一人の話。
私にとって、彼はまさに青春そのものだった。そう思い込んで美化してきたところや、一途な自分の片思いに酔っていたところ、そのエゴに時折死ぬほど自己嫌悪したところ、醜いとこや酸っぱいところも、些細なことでめちゃくちゃ幸せな瞬間も、ぜんぶぜんぶひっくるめて、いま大人になった私を作っている大切なものだ。詳しくは書かないけれど、彼を好きにならなければ私の人生はぜんぜんつまらない方に変わっていたはずだと思う。たとえ片思いでも、幸せだったし、幸せをくれたと思う。恋愛ってそういうところがあると、私は思う。
ただ、そんな恋愛を、彼はしない。そういう感覚を彼はおそらく持たない。今後一切、恋愛から何かを得ることはない。
このことを、私はどのように整理したらいいのだろうか。
恋愛はすばらしい。いろんなドラマや物語においても恋愛至上主義が圧倒的多数な世の中で、人々はそんなフィクションを見て、やはり恋愛はすばらしいものだと思う。誰しもが人に恋をして人を愛するのだと信じ込む。そう刷り込まれた?私の観念はとても硬い。
では、他人を愛さない人は、すばらしいものが欠けているのだろうか。人生のなにかしらを失っているのだろうか。彼はおかしいのだろうか。
断じて違うと、私は確信している。でも、それは私の中の固定観念と矛盾している気がする。
私にとって恋愛のない人生は、ずいぶんパサパサとした無味乾燥なもののように思えてしまう。彼がAセクである自覚を得た日以来、失恋による大きな胸の空洞がつらいし、今まできれいに思えたものがきれいに思えなかったりする(感覚がにぶっている感じがする)。彼を好きだったときの世界の見え方はとても色鮮やかだったのに。
気が付いたら私は25歳で、中学を卒業してから10年が経とうとしていて、10年前のあのころのキラキラした感覚がいろんな意味で信じられなくなってきている。恋愛でしか得られない感覚があると信じているくせに、彼のことがあって今の世の中における恋愛の絶対性について疑ってもいる。人間の幸せの形ってもっともっと多様だと思いたいのに、自分の経験がその価値観に異を唱えてくる。
こんなことを考えていると、結局彼と私とではとんでもない隔たりがあったのかなとか考えてしまって、今でも少し凹む。
自分の中でもいまだに結論がでていないせいで最後何を言いたかったかよくわからなくなってしまった。こんな深夜に書きなぐった読みづらい長文を読んでくださって、ありがとうございます。なんでもいいのでみなさんの意見を聞いてみたいです。ちなみに私がちょっとヤバいのは承知です。
・人はおおかたが、内心はゲスいことを考えている。
・力を持つことでそのゲスさを外に出してもいいと勘違いする不届者も残念ながらいる。
世の中には、Aセクハラをするひと/Bセクハラをしそうになってもがまんできるひと/Cセクハラ発想がないひと、の三種類のひとがいて、Aセクハラをするひとは、力の行使範囲を勘違いしている人、と言っていいと思う。
多くの人間はBに所属し、聖人君子かと思うようなCは希少種である。
それはともかく、Aセクハラをする人は、なぜ行使範囲を勘違いするのか。幾多のセクハラを受けてきた当増田が観察した結果をまとめてみると、
1 力の行使範囲が広いほど自分が偉いと考えている(旧来型セクハラ人格、野良犬のマーキング)
2 プライベートとパブリックの区別をつけられない(空気読めない、もしくはおれら仲間だからつい的な境界症例的なアレ)
3 もともと「女(または男)は見下していい」と思っている(ネオ性差別、「分断」派)
あたりが、感情原型としてあるのかなと考えている。これは原型なので、多くのセクハラ事案はこれらがそれぞれ個別の比率でミックスされている。
少し前に話題になった、中西大介元Jリーグ常務理事のセクハラ事案などは、1と2の合体型というか、職場(や家庭内)で起こるセクハラの典型的なパターンだろうと推察できる。
偉いんだから何しても許されるという甘えた心と、自分たちは身内なのだから許されるだろうという甘えた心である。要するに甘えてんだあのタコ坊主一生戻ってくんなサッカー界隈に。増田はJリーグ好きなのでつい激昂してしまったが。
ちなみに、この数日話題になっている彼のケースだと、1に加え3の要素である性差別や性的対象へのコンプレックス感情などもありそうだと愚察している。
珍しい種類であるCは、大抵ちょっと非の打ちどころのないモテだったりして、世界の不公平さに思いを馳せたりもする。
彼らにはセクハラは不要なのだ。内心のエロ心を外に出す必要を感じていない。
権力範囲の確認をする必要がないほど対社会的承認欲求に満たされているし、自分と異なる人(性的志向対象含め)とは融和すべきで対立するメリットはゼロだと自然に考えることができる。
大抵の場合そのような聖人君子はプライベートにも満足感を得ているので公私を分けるのも比較的容易である。Cタイプの人は家族円満に加え子供まで優秀だったりするので、ほんとすごい。
話は逸れるようで逸れないが、増田は「モテ」をバランス力ととらえている。イケメンであるとかお金を持っているとか、それだけでは「モテ」は成立しにくい。
バランス力って、イケメン4、お金5、地位4みたいにモテ要素がバランスよく配合されてるヤツだろ?ケッ、と思う増田諸兄もひょっとしたらいるかもしれないが、当増田が主張したいのはそういう意味でのバランスではない。
人が持っている各戦闘能力(顔、金、能力、面白力、愛嬌、ギーク力、諸々さまざま)には、残念ながら個々人ごとにスコア差があるし、各戦闘能力間にも「社会における評価」差がある。
簡単に言えば「顔」は社会的に評価が高いが「ギーク」はそうでもない。でもタモリ倶楽部的世界観では「ギーク」のモテ力はかなり高まる、みたいなことだ。
当増田の言いたいバランス力とは、己が持ってる各能力とそのスコアに自分が納得しているか、ということである。自分と「自分の能力」に折り合いがついている状態を「バランス力がある」と表現したい。
増田諸兄は「おれと似たような顔面のあいつには可愛い彼女(彼氏)がいるのに…」と思ったことが一度ぐらいはあるだろうか。少なくとも当増田にはある。
そういう「あいつ」が、私からみても良いヤツならまだ納得できるが、それほど良いヤツではないむしろ悪いヤツなのに…ということも少なくない。
嫉妬含有率の高い感情に我ながらがっかりし、うっかり己の不運に絶望しそうになるところだが、一方で、この「むしろ悪いヤツで戦闘力もあるとは思えないのに良い思いをしているヤツ」は、己の戦闘能力を客観視し適切な戦略を実行しているからこそ、果実を得られている(当増田はそのやり方は必ずしも常に好ましいことだとは考えないが)と考えることができるのではと思うのだ。
戦闘能力を示すチャートグラフの数値や面積の広さが問題なのではない。いや問題ではある(初めから恵まれた果実を手に持って生まれる人間も世の中にはいる)が、それとは別に、「自分は今はその面積しか戦闘能力がない」「うむそれなら持っているもので戦おう」と己の能力を素直に受け入れ対社会への解釈を客観的に出来る者には、その後の成長力も含め、なんにせよ未来があるということだ。
例えば、ギーク力が突出して高いだけの人間だったとしても、場所とメンツを選べば合コンでいい塩梅の彼女をゲットすることだってできる。
ポイントは「いい塩梅の」である。社会的に100点満点の(自慢できる)彼女である必要性は、少なくとも内的にはないということに、気づけるかということ。
手に持っている武器では倒せない敵に向かっては(または向かいもせずに)ヘイトを貯め込んでいく、このような状況を、当増田は「バランス力のないヤツ」と定義したいのである。
全ての項目が10点満点のチャートグラフを書けなくても、あちこちでこぼこで尖っていびつなグラフの自分でも、持ってるもんでやりくりしてこう、と折り合いがついた、バランス力が取れた状態になると、不思議なことに(まぁ不思議ではない当然ではあるが)チャートグラフのへこんだ項目のスコアも伸びていく。そもそも足りない自分に折り合いをつけられること、それ自体が「戦闘力の開発」だったりもするし。
一方で、この折り合いがつかないと、どんどん生きにくい自分になって行くんだろう。無い能力や評価されにくい能力と相手を呪う前にやることがあるってことだ。
そうすりゃCの聖人君子にはなれなくても、B:ごく普通のセクハラ我慢できる小確幸的人生は、手にすることはできる。
セクハラする人生は、幸せな人生とは決していえないのだ。あれは統合できない自己が、己や周りを巻き込んで自爆していく作業でしかない。