はてなキーワード: Tsutayaとは
いるじゃん、ストリップはアート的な身体表現だとか、女性の裸体とダンスが美しいとか言って、女友達どころか男友達まで誘ってストリップとか観に行っちゃうサブカル女。
そういうのに一緒について行く男は、清潔でおしゃれなサブカル男子で、セックスにガツガツしてないタイプ。
で、終わった後の感想とかも「綺麗だったねー」とか「すごいアートだよね」とか「パフォーマンスとしてレベル高いよね」とか、興奮してなくて凄く冷静なの。
とてもじゃないけど男からは「M字で大陰唇を広げたとき興奮した」とか「まんこ丸出しで超エロい」とか「フルボッキした」とか「今ムラムラしてるから一発やりたい」とか言えない雰囲気。
カップルで行ったとしても、サブカル文脈でエロを漂白されちゃって、なんか男が去勢されてる感じ。
女の方は、セックスに関する話題について照れたりせずに開けっぴろげに語れる自分を、格好いいと思っちゃってる感じ。
こういうの、すっごく苦手なんだけど、わかる?
「ちんことまんこが丸出しでエロい」「観てたら変態セックスしたくなった」とかじゃなくて
「これはエロじゃなくてアートだよね。規制されてたのがわかんない」「あっけらかんと明るくて、いやらしさがないよね」とか言っちゃってる。
そもそもストリップも春画も本来の役割はエロ目的なのに、観に来て興奮して勃ってるやつの方が白眼視されそうなノリがおかしい。
アートとかカルチャーとか言う以前に、猥褻でありエロだろ、と。
まあ、歴史的な価値という側面を持つ春画展はともかく、ストリップとか、本来の目的であるズリネタにするために来てる純粋なファンに失礼だろ。
例えば、TSUTAYAのエロビデオコーナーに、美大生の男女グループがいて裸体デッサンについて語ってたら、オカズを借りに来た男からしたら、すげー邪魔だろ?
そういうことなんだよ。
春画展だって、本来ならエロいものを観て興奮しに行くのが正しいんだよ。ラブホテルでセックスの前にAV見るみたいにさ。
カップルで春画展に行ったら、その後はむちゃくちゃセックスして欲しいわけよ。
でもさ、春画をサブカルとアートの文脈でしか観ないカップルとか、ちょっと意識してるのに一度もセックスしたことがない異性の友達グループとか、絶対いるわけよ。
つうかサブカル女子、お前らめっちゃ業界人とかバンドマンとかバーテンとかとゆきずりセックスしまくってるのに、何で異性のサブカル仲間といる時は割り切ってんだよ。
彼氏いない歴が3年とかいいつつ、セックスしてない歴は1週間とかだろ!
一緒にストリップとか春画とか観に行こうとか誘われて、内心ではエロい気分でもんもんとしつつ、おしゃれで淡白なサブカル男子の役割を演じて話を合わせつつお茶して、夜にはセックスしに男の部屋に向かうお前を送り出す男友達の気持ち、考えたことあんのか!?
武雄のTSUTAYA図書館の話とか聞いても思うんだけどそもそも図書館ってこんなに必要ですかね?
私は毎朝都心を抜ける地下鉄で通勤してるんだけど50代60代くらいのサラリーマンが
そんなの買えばよくない?
図書館は重くて1万円以上するような、本屋ではなかなか売れないけど残したい本でも所蔵して、
あと本当にお金がない人達の文化的生活や学習をサポートするための絵本や児童書とか、
何十年経っても色あせない文学書だけ置いておけばよいのでは。
500万円以上もらっているであろう正社員サラリーマンが金も払わずくだらない娯楽小説を読み
http://nukalumix.hateblo.jp/entry/before_after
これ本当に笑えない。
1階のメインエントランスを抜けたとこにカフェと書店。その奥に児童書コーナー。図書館は2階と3階。
アホか商業施設じゃないんだぞ。
40億円もの市のお金を使って駅前一等地にTSUTAYAに出店させるだけじゃねーか。
元々老朽化のために考えられてた新図書館案を無視して「ぼくの考えたユニークで最先端の図書館、それはCCCと作る図書館!ああ武雄なんてとこの真似したわけじゃないんであそこの市長(笑)とは違うんで(キリッ」
と市民や職員の声も聞かずにTSUTAYA図書館がごり押しで進められている。
人と違うユニークのことして素敵!と言われたいのかしらんけど、前市長の100倍(100万→1億)の助成金投入して地域商品券作ったときも何もないまま終わったでしょ。
金だけ消費して、あなたには無理なんだよ。才能がないよ。
賢いコンサル目の前にして自分も賢くなってる気でいるだけだよ。
よくみるよそういう社長。
セミナー帰りにもよくいるよ。私だよクソっ!
だが円盤はまず買わない。
監督オナニー系のマニアックな質アニメも、累平が4桁に届かないようなキルミーも放送されているので困らない。
不人気アニメ(あれとか、それとか)は長いことアマランが低迷するが、打ち切られるわけではない。
OVA、オーコメを聞きたいアニメはAmazonのマーケットプレイスで中古を買う。
新品より安い。
状態も良く、帯まで付いていることが珍しくない。"新品"だった不良在庫を買い叩いたものだろう。
見終わってBOOKOFFへ売る時も、綺麗だから悪くない値段(1000~2000円)で買い取ってもらえる。10~20円で召し上げられることは少ない。
ただ、映画のような「上映」という方式の媒体は存在意義そのものが危うい。
テレビ普及期、真っ先に興行収入を落としたのはエンターテインメントの映画であった。金銭感覚のまともな庶民がまず最初に映画に行かなくなった。
もうこうなると円盤は紳士向けとイベチケ付きしか売れないのではないか。
あるいはオルビスマニア、美装ディスクや書棚に並ぶ背表紙を見て満足するような貴族様なら"新品"にこだわるかも分からない。でもそんな人ほとんどいないよね。
今の日本で洋楽を聴くことなど普通だが、それは欧米の音楽に限った話であり、エジプトの、しかもインディーズ音楽を聴こうと思ったら大変だ。
まず情報収集。ググったところでネットにも情報は少なく、あっても英語である。四苦八苦しながら基本情報をゲットする。
金もかかる。TSUTAYAでレンタルなどできないから、失敗しないよう吟味した上で、覚悟をもって購入する。
自分の好きな音楽の傾向が分かってきて類似アーティストを開拓しようと思えば、また英語サイトの巡回である。
大変だったが、「苦労して欲しいものを手に入れる」プロセス自体を楽しんでいる自分もいた。苦労して手に入れた曲には、TUTAYAでまとめ借りしたアルバムにはない、不思議な輝きがある気がした。
舞台は60年代の二本、主人公の高校生が片思いする女子がサイモンandガーファンクルか何かのファンで、主人公はその子の前で「最新のアルバム持ってるよ!」と見栄を張ってしまう。その後、主人公は慌てて友人という友人を当たり、サイモンandガーファンクルファンの友人を見つけ、LPを無理矢理借りて、少女に自分のものと偽って又貸しするのである。
ググればいくらでも情報が手に入り、youtubeで違法ダウンロードできる現代とは違う。S&Gクラスのビッグネームであっても、アルバム一枚入手するのにそれだけ苦労する時代が有ったのだ。それは確かに不便だが、どこか羨ましくも感じる情景である。LP一枚手に入れる間にも、情緒が有り、ドラマが有る。
そんな風に苦労してエジプトのアーティストの音楽を楽しむ日々が少し続いた後、アップルミュージックがリリースされた。アプリが履歴から俺の嗜好を分析してエジプトだろうが中東だろうが異国のアーティストの音楽をどんどんおすすめし、高音質な音源が全て定額で聴き放題。
俺はすぐにその利便性に溺れた。
もうだいぶ前になるが、Winnyというファイル共有ソフトがネットで話題になったことがあった。
著作権を無視して映画やドラマ、ゲームソフトなどをダウンロードできるということでそのソフトはまたたく間に日本中に普及していった。そういった中、ファイル共有の中でそういった著作物を騙り、実際にダウンロードしてみると実はウイルスでしたー!という現象が徐々に発生していき、最終的に著作権の問題以前にWinnyはインストールを非推奨とするソフトウェアとして認知されていった。
最終的にWinnyの開発者は逮捕された。記憶に残っている人もたくさんおられると思う。
ここで僕が思ったのはなぜ製作者は逮捕されたのだろうということである。
話は少し変わるが、Winnyというソフトウェアは当時技術的にはとても素晴らしい手法を使っていて注目された。当時のファイル共有方法といえば、ファイルサーバーを立ててそこにクライアントでアクセスするという「クライアント&サーバー」が主流だった。その中、Winnyは「ピアツーピア」という技術を使い、サーバーは使わず、PC同士が数珠つなぎのネットワークを形成するという画期的な共有方法をとっていた。
「クライアント&サーバー」タイプでは、サーバーにアクセスするクライアントごとにセッションが形成されるので、基本的に「自分がダウンロードしたファイル」しかキャッシュ(一時ファイル化)されなかった。一度ダウンロードしたことのあるファイルは、前回よりも早くダウンロードできるということである。しかし、Winnyが用いた「ピアツーピア」方式はPC同士が数珠つなぎでネットワークを形成しているため、自分以外の人がダウンロードしたファイルのキャッシュを利用して高速なダウンロードをすることができた。
これを例えばTSUTAYAのようなレンタルDVDショップに置き換えて説明すると少しわかりやすくなるかもしれない。
「クライアント&サーバー」タイプのものは、自分が例えばエヴァのDVDが見たい!と思ったら、そのままTSUTAYAに行って借りる方法である。行くところは全国に展開されている店舗ではあるが、基本的にTSUTAYAという屋号の店に行かなければならない。たまたま近所に店があるなら得ではあるが、もし車で行かないといけないような田舎に住んでいる人はちょっと行くのが大変になる。
これに対して、「ピアツーピア」タイプのものはエヴァのDVDが見たい!と思ったら、TSUTAYAには行かずに「自分の家の近所にエヴァのDVDを持っている人がいないか探す方法」である。家があれば、とりあえず候補になる。運良く持っている人がいれば、TSUTAYAに行かずともDVDを見ることができる。
さらにこの手法のいいところは、例えばそのDVDが発売されたばかりとかテレビで話題になったりとかで多くの人が借りていた場合である。「クライアント&サーバー」タイプだと、借りる人が多いほど貸し出し中のDVDが多いことになりなかなか借りるのに苦労する。対して「ピアツーピア」タイプの場合だと、人気なんだから近所の家で持ってる人がいる確率が上がり、結果的に借りれる可能性がアップするのである。
「ピアツーピア」自体の技術は古くから存在していたが、これをファイル共有の手法として利用したのが画期的であり、ネットユーザーは感心した。しかし、これは逆にファイルの共有が蔓延しやすくなることを孕んでおり、なおかつサーバーがないのでアクセスログが残らず、パケットの流れを解析するのが少し大変になる(無理になるわけではない)。
結果的にWinnyは様々なウイルスをネットワークにばら撒く媒介になってしまった。
なおかつ、一度ネットワークに流れたデータを回収するのが困難になり、著作物をタダで手に入れられる環境が出来上がってしまったのである。
話を本題に戻すが、この一連の事件で「悪いのは一体誰か?」という疑問が残る。結果的には開発者は逮捕されてしまった。だが、このソフトウェアは使ってはいけない危険なソフトなのだろうか。使い方を誤れば、確かに危険なツールであることは間違いないのであるが、これは包丁などと似ていて、使い方を間違えなければとても良いツールである。包丁は料理に欠かせない、料理人の商売道具であると同時に、人に対して使えば簡単に殺すことも出来てしまう凶器にもなる。勿論、ツールを生み出した人間はどのように使うのが正しい方法で、どのように使うのが間違った方法なのか、説明する責任はある。それを怠ってはいけない。が、最終的には使用者がどう使うか、といったところに照準が向くべきだと思う。
最近の世の中では、何か事件が起こったら(偉い人たちの都合が悪くならない物は)すぐにそれを規制しようという動きが起こる。
格闘ゲームをやっていた人間が人を殺してしまえば、ゲームのせいにされる。
少々残酷な描写があるアニメを見た人間が事件を起こせば、そのアニメのせいにされる。
ドローンを使って危険物を首相官邸に持ち込んだ人間がいたら、ドローンのせいにされる。
ファイル共有している人間が著作権違反を起こせば、共有ソフトのせいにされる。
大事なのは正しい知識をつけることであり、物事を判断できるように教えることなんじゃないのかと思う。ゲームやアニメのせいにしてる大人たちを見ると、
「我々は子どもたちにテレビやゲームと現実は違うんだよという教育すらすることができないので、もういっそテレビやゲームのせいにしてしまったほうが教育を放棄できて楽」
と言っているように見えてしまう。
勿論、場合によってはそのものを規制することが良い場合もあるかもしれないが、最初からそう決めつけるのは違うように思う。
我が国では、飲酒運転を起こすと罰せられるのは「運転者」である。お酒の販売者や製造者が逮捕されることはない。これって当たり前なんじゃないかと思う。だって悪いのはお酒ではなく、お酒を飲んでいるのにも関わらず「運転しちゃえ」と軽はずみに思った人間だからだ。だから司法は運転者を罰し、本人だけでなく世の中の人たちに教育することで再発を防ぐ。
きっと、お酒を規制しよう!ってなったら全国の関係各所の大人たちが次々に反対するだろう。
僕はこの反対勢力が少ないもの(例えばアニメとかファイル共有ソフトとか)が、規制される対象になるんじゃないか、と最近思う。ようは大人の都合が悪いものは規制されず、大して影響がないものは「規制しちゃえ!」ってなるんじゃないかと。
世知辛い世の中だ。
追記:
みなさんこんなエントリーに多数のご意見ありがとうございます。ご指摘や批判のコメント一つずつ目を通してます。
まず、自分は増田にエントリーを書くのが今回はじめてで、自分の文章能力の低さを反省してます。すみません。
と同時にもうちょっと調べてから書けばよかったと思いました。
自分の中にある「知識」と「思い」だけで勢いに任せて書いた結果、
みなさんが読んだら「いやいやいや、なんでお前そんな無知なんだ」
人の話をする前に、まず自分の教養をつけろよって話ですね。
たくさんコメント頂いてありがとうございます。
勉強し直すいい機会になりました。
「Winnyは良かったよね」とか「ファイル共有ソフトの良さを考えよう!」
いう話ではありません。何かしらのツールを使った事件が起きた時に、
まず問題にするべきはその「ツール」ではなく、それを使っていた人の
罪や良識を問うべきではないか、と言いたかったのです。
教育をしていれば未然に防げたのではないかということです。
我々人間は愚かな部分も多分にあるかもしれませんが、
考えて、理解することができる生き物です。
その考えて、理解する努力を怠ることが
そもそも愚かなのではないかと思っているわけです。
(ちょといい方が飛躍しているかもしれません)
ただ、自分の文章を読み返してみると、勘違いを生む書き方をしてるように感じられるのは事実です。
もう少し、文章の書き方を考えようと思いました。
少なくとも、通信技術の話に触れる必要はなかったかと思っています。
僕の中でももう一度考えなおすいい機会になっています。
随時追加いければと思います。
・Winnyの良さを再考したいならなんで挙げる例がアウトなものなのか。包丁は規制を越える刃渡りの物は製造も所持も共に違法。
→確かに例えが適してなかったかもしれません。ただ、銃刀法に則って許可を得た人・企業なら問題ないかと思います。
これは、「扱う資格のある(=正しい使い方と危険性などのリスクを理解している)人間に対してだったら問題ありませんよ」
ということなので、正しく扱えるのであれば問題ないのではないかと思っています。
→たとえ無罪を勝ち取ったとしても、警察に逮捕され検察に起訴された時点で
法律に違法性があると判断されたわけです。社会的にも悪だという烙印を押されてしまったわけです。
逮捕された時点でその人の人生に影響が出てしまうのは事実です。無罪だったから問題ない、
とは思ってはいません
・ BitTorrent は使われているじゃないか
→仰るとおりです。自分も存じております。ピアツーピアの技術は今も生きています。
自分はLinuxのディストリビューションをよくダウンロードするのでFTPの回線が遅い時は使うこともあります。
僕は上記でも述べましたが、ピアツーピアについてもう一度考えよう!といった思いで書いたわけではないので
BitTorrentを無視したりする意図はありませんでした。申し訳ございません。
・あとネットランナーみたいな割れをコンビニの本棚に引っ張りだした幇助メディアも裁かれるべき
→たしかにこれは自分も思います。世の中で違法行為を推奨する(かのように勘違いさせる)行為があれば、
罪の意識が生まれずに過ちを犯す可能性は高まってしまうかもしれません。
・世の中には、銃を作る企業を「軍需産業だ」「死の商人だ」と糾弾し、そこに勤める人を「人殺し」と石を投げつける「自称・平和主義者」が大勢いる
→兵器は争いの道具である以上、人を殺す目的で使われますよね。そこに使う意志があろうがなかろうが、存在するだけで叩かれます。
一方、企業が存在するということは需要があるということです。戦争があるから兵器が作られるのか、兵器があるから戦争が起こるのか。
なかなか難しい問題ではあります。自分もこの戦争という件に関しては簡単に答えを出せない気がしています。
ただ、その石を投げる人たちには、たとえ兵器が存在しても使う人間がいなければ被害は起きないということを言いたいですよね。
・金子さんは無罪だったけど、ああいう見せしめ逮捕って中世っぽいよなぁ
→彼が見せしめで逮捕されたかどうかはわかりませんが、ソフトの開発者が逮捕されたのは確か初めてのケースだったと思います。
・君子危うきに近寄らず?
→それもひとつの方法だと思います。ただ、近寄らないとその物事の輪郭しかわからず、本質をしるためには、
やはり理解をする必要があると思っています。
・包丁は、100人が使って98人が人を刺したりしない。Winnyは、100人が使って98人は著作権侵害してた。包丁は殺人目的で作られていない。Winnyは開発者の発言から明らかなように著作権侵害目的で作られてる
→これは確かに仰るとおりかもしれません。開発者が明らかな悪意をもっていたかどうかで、この事件は意味が変わってくると思います。
そう思うと自分の考えは浅はかだったのかもしれません。
→確かにその一面は大きかったかもしれません。しかし、負荷分散やパケットの共有という面もあったのは事実だと思います。
・包丁との違いは「便利なんだけどあまりにも悪用しやすすぎて、そっちが目的で作られたんじゃないかと邪推せざるを得ない」というあたりか。焼肉屋でこっそり出てくる「焼いて食べる用の生レバー」みたいな
→そのたとえ、的を得ているかもしれません。確かに、ツールの見方がそう捉えざるを得ない場合はツールそのものに何かしらの規制をかける必要があると思います。
同時に、邪推しないようなツールの布教をする方法も考える必要があると思っています。
・最近は運転者に酒を提供した店側も罰せられるようになってなかったっけ
→はい、そのとおりです。ですが、それは運転する可能性を理解していたにもかかわらず提供した場合であって、
その店が業務として酒類を提供している事自体が罪に問われるわけではありません。
・人を最も殺しているのはゲームでもアニメでもなく銃と酒である。真っ先に規制すべき。
→そのように決めつける前に、正しい使い方や考え方を広めていくことが大事だと言いたいわけです。
・もうそれ10年前に語り尽くされてると思う
→すみません。そうです。何番煎じかわかりません。でもふと思ったので書いてみました。
・p2pで共有したいデータが違法なもんしかないんでないかい?
→確かに。一理ありますね。利用者がそのツールを利用しようと思うきっかけを多分にはらんでいるのは事実です。
しかし、それをすることが犯罪だ、という意識を根付かせることができれば、防げる可能性もあります。
もちろん、理想論なのはわかっています。でもその理想論にチャレンジしてほしいと思ってしまうのです。
・懐かしい話題の割に論点が無茶苦茶。お酒を勝手に自宅で作ることが禁じられているけれど、Winnyはさらにたちが悪いから規制されて当然
→すみません。論点が不明瞭な文章を書いたのは自分の責任です。
お酒の作成は禁じられてはいますが、認可を受けた企業は製造を許されてしています。
正しい扱い方を理解し、注意している人間は何も問題ないのではないかと思います。
Winnyも、正しい扱い方を理解できている人間が使用すれば、規制される必要もないと思います。
・開発者がWinMXなど目指して2chねらー向けとして提供したものだったんだから、包丁を料理人じゃなくてヤクザ集団に優先的に提供したものだとは思うよ。有罪か無罪かはともかく、P2Pの評判はそりゃ地に落ちるよなあと。
→それは確かに・・・。おっしゃる通りかもしれません。技術自体に悪はないものの、元から悪としてしようする目的が開発時にあれば、
開発者は罪を犯していると考えられます。罰せられるべきですね。勉強不足でした。
ただこの場合、一方でヤクザを料理人に変える動きも大事ではないかと思います。
・それはそうと、ピア・ツー・ピア方式で共有したいコンテンツで著作権からまないものなんてあるのー?社内だと共有フォルダやクラウドで充分だし。
→今でこそ、通信速度が早くなってきてはいますが、当時はまだ早いと言ってもADSL程度。その細い回線の中で、どれだけ効率的にファイルを共有するか、
といった方向で考えられたのがあのツールなのではないかと思っています。確かに、今の世の中だとクラウドサービスを活用することで
合法にファイル共有する方法は、安全で敷居も低い行為だと思われます。
・当時適法前提だと不特定多数で巨大なファイルを効率的に共有するって需要自体が少なかったんだよね。無償OS配布とかくらい?
→そうですね。あとは再配布可能ののゲームソフトとかでしょうか。
・守りたいものがある時は天下りをご活用くださいというエコシステム
→社会を変えようと思ったら、現実問題として意見を主張するだけではダメだということですよね。肝に銘じます。
・「銃を作る企業に罪はない!」がスターを集めるとは。。なんともナイーブ
→そう言われると、確かに自分の中でも少し考えなければいけないなと思います。
・10年以上前からある議論がなぜ急に
・Winnyを包丁に例える人が居るけど、これは違法DL用に作成されたソフト(2chのDL板発)であるため、単純所有が違法な日本刀などに例えるべき案件なのだ
→なるほど。助言ありがとうございます。つまり、日本刀を簡単に集められる闇市場が手の届くところに存在していたしたことにも問題があるのではないかということですよね。
・WinnyはWinMXという違法なファイル共有が蔓延していたアプリからつけられた名前ですよ。つまり作者ははじめからP2Pによって違法なファイル共有がされることを認識した上で開発していたのです。
→やはりそこが論点になってきますよね。作者に悪意があれば、たしかにそれは罪ですね。同時に、使用者が違法である認識を持っていないとさらに自体は悪くなりますものね。
・高校生の作文のようなひどい文章
→たしかにそれはひとつの方法としてありだと思います。正しい使い方をする分には自由に使ってもいいが、
違法な使い方をすると注意を促し未然に防止する。ツールを使いながら、犯罪の防止と法律の啓蒙ができるわけですね。
・なんか、最後の方は割ともっともなことを言おうとしてるんだけど、真ん中あたりのたとえで台無しもいいところだな
→それ自分でも読み返して思いました。ちょっと脇道にそれすぎたと反省しています。
・社会構造として、新しいテクノロジーについていけないおじいちゃんたちが世の中決めてるから仕方ない
→だからこそ、我々は進化したテクノロジーを理解してもらうように努める必要もあると思っています。
・長さの割に薄い。事故を誘発しやすい道具・コントロール不能なインフラの流通は立派な罪だし、”犯罪や事故を設計で防止せよ”は十分エキサイティングなチャレンジ。そもWinny自体は規制されてないだろ。
→薄い文章ですみません。文章を書くときは今後注意します。確かに、リスクを考えるとそのものを規制するほうがコストは安いと思うんですよね。
でもそれを繰り返してしまうとどんどん我々は馬鹿になっていくような気がしてるんです。思考停止に陥るといいいますか。
規制されてる、されてない、ではなく、規制しようという動きをするまえに他にやり方がないかを考えることも大事だと思います。
その結果、やはりそのものを規制するやり方を取らざるをえない場合は、致し方無いと思っています。
・もう少し大人になって世の中を広く見て、モノゴトの進め方っていうのを学べばいいと思う
→そ
近所の板橋区立図書館、ホームレスのおっさんが多いのですよ。常時3~7人ほどいますね……
加齢臭とかワキガとかいうレベルを超えた臭い発散してて、まぁこちとらブチ切れですわ。
社会的弱者でも殺っていいこと悪いことがあるのですよ。衆院選で共産党に清き一票を投じたガチリベラルな私でも激おこですよ。
地方とか失業率高い地域の図書館、アメニティの良い中央図書館は、きっと我が板橋区を超える異空間でしょうね。
全国各地の図書館が無宿者に頭を悩ませているようです。
ホームレスと図書館 http://blogos.com/article/103966/
図書館に「女性優先席」が設置された意外な理由 http://nikkan-spa.jp/677021
「路上脱出」図書館から 昼間過ごすホームレスにガイド http://www.asahi.com/articles/ASH1Y5SYDH1YULBJ00L.html
行政はTRCやTSUTAYAに図書館業務投げてる場合じゃないですよ。
お役人が動きにくいのは分かるんですけどね……
アテナ映像とか増田が好きそうなメーカーあるぞ。TSUTAYAがにもあるしレンタルだからモザイク濃くないぞ。ステマじゃなくて。
※前提として、AVは視聴者の性癖や趣味にかなり影響されます。自分の記述は、全て自信を持っていますが、自分の主観に基づくものであり、自分が異常な性癖の持ち主であればそもそも最初から間違っていることもありえます。その真偽は本人である自分にはわかりません。
今日、TSUTAYAでAVを借りようと思ってお店に入った。だが、何も借りずに出た。初めてだ。
いつもは、AVは10本ぐらいまとめて借りる。女子校生、熟女、巨乳、ギャル系、コスプレ、ロリ系、素人etc...と、30分から1時間ぐらいかけて会社帰りにじっくり厳選し、いろいろなジャンルを横断して借りている。そこまで毎回借りているのに、今回初めて何も借りずに店を出た。
性欲が衰えた?それとも、飽きた?あるいは、他のものを借りたくなった?
いや、どれでもない。AVはレンタルビデオ店でバイトしていた時から飽きるほどパッケージを見てきて、そして200本か、それ以上か、多くのAVを観てきた。
そして、毎日2回は抜いている。美人の婚約者(生身の女性です)がいながらもここまでの絶倫っぷり、正直自分でも異常だと思っている。
それでも単純に、「観たい!」と思ったAVが無かったのだ。なぜだろうか。
今回はそれを紐解きながら、AV業界になんら関係無いただの25歳のお兄さんがAV業界に警鐘を鳴らそうと思う。
AVコーナーに入った時(前々からこうなっていたが俺は気が付かないようにしていた)、そこに並んでいるパッケージの女優が、全員同じ見た目に見えたのだ。
それは、アイドルに関心の無い人間がジャニーズやAKB48が全員同じに見える現象と同じだ。
茶髪か黒か金髪で、ストレートで、まつげが長くて、巨乳。ランキング上位に来ているのはそういう女優ばかりではないだろうか?
肯定的にに捉えれば、これはある意味1つのAVの偉大な進歩とも言える。
AVは昔に比べて女優が美人でアイドルのような見た目になり、容姿にケチのつけようがなくなった。
それは作り手や、俺以外の大半の視聴者の好みがそれを求めているからかもしれない。そして、それに対して女優が、元々の持ち味や、メイクや、整形、演技で応えた結果かもしれない。
もしかしたら、自分が異常な性癖の持ち主なだけで、大半の視聴者はそれでいいと思っているのかもしれない。
だが、そうだとしても、自分は現状のAV業界はよくないと思っているし、これから衰退すると思う。
作り手、女優、視聴者、あらゆる人々が美人を追求した結果、確かに美人が生まれた。だが、その一方で最近のアイドルと同じように「皆が好みに感じる容姿」であるために、見た目が同じになってしまったのだ。
話は変わるが、AVは何のためにあるだろうか。
あるいは、有り余って仕方のない性欲を吐き出したい若者のために?
人それぞれに存在意義はあるだろう。
だが俺はそれらのどれでもないと思う。
AVは何のためにあるか。
それは「この女を脱がせたい」という欲望や、
「この女がベッドで乱れるところを見たい」という夢を叶えるためにある。
どういうことだろうか。
ところで今日あなたは通勤中あるいは通学中に駅で、道路で、電車で、バスで、何人の女性とすれ違っただろうか?
うち、何人に対して「この人を犯したい」と思っただろうか?
首都圏で、通勤ラッシュに巻き込まれているのであれば、最低でも2〜3人はそういう人がいただろう。
その「すれ違った人を脱がせたい」「すれ違った人の胸を見てみたい」「すれ違った人におちんちんぶちこみたい」という夢を、できるだけ願った人の欲望を投影して、できるだけ似せて叶える装置がAVだ。
TVの旅番組が一定の人気を確保しているのは、少し背伸びすれば手に届く範囲でできる旅行を夢見ることができるから。行ったつもりになれるのが旅番組で、イッたつもりになれるのがAVなのだ。
だから痴漢モノやナンパモノが流行るわけだし、「嫁の姉が……」といったありそうで無いシチュエーションの作品に長く一定の需要がある。
わかりやすく言うと、脱衣ブロック崩しや、脱衣麻雀の類をやったことがあるだろうか?
遊んだ経験がある人は、失敗すると何度も何度も繰り返し、運が悪いと何時間も経過していることがあったり、なんとかソースを探して画像を直リンクで探そうとした経験が必ずあるはずだ。
その原動力はなんだろうか?それこそ「この女を脱がせたい」という欲望だ。そういう意味では脱衣ブロック崩しや脱衣麻雀は合理的なシステムとも言えるし、男たちがAVを観るための理由で、AVの存在意義だろう。
だがその「この女を脱がせたい」という欲望を駆り立てる魅力が、今のAVには無い。
「今朝駅ですれ違った女の裸を見たい」「おしとやかに見える同僚の女がベッドで乱れる様子を見たい」という欲望を駆り立てるようなものでないといけない。
だからといって「AVに脱衣麻雀やブロック崩しをつけろ」という意味ではない。それは障害を増やすだけであり、ストレスを溜めるだけだ。溜めるのは精液だけでいい。
「すれ違った女の裸が見たい」というかなわぬ難しい欲望に対して、
AVがただの「皆が好きな絶世の美女」しか用意できず、ちょっとブサイクでも「今朝新宿駅ですれ違った女」に相当する役者を用意出来ていないのが問題なのだ。
「脱がせたい」という欲望を叶えるためにAVはある(と俺は思っている)が、それを駆り立てるためには作り手はどうしたらいいだろうか?
例えば、出演している女優が絶世の美女でも、すれ違った女でも、同じような見た目で、最初から全裸で待機していたらどうだろうか。多分、視聴者は萎えるだろう。
最近のAVのパッケージを見て欲しい。絶世の美女が最初から全裸か、全裸に近い形で写っていないだろうか?
そうでなくても、裏返すと全裸でおちんちんぶちこまれてあえいでる画像が出てこないだろうか?
あるいは、全裸じゃなくても、普段ありえないようなスケスケの制服とかに見を包んでたりしないだろうか?
それはきっとAVのパッケージのデザイナーが必死に考えて作ったモノなのかもしれないし、訴求効果を高めた結果だろう。
「どうすればエロく見えるか」を追求した結果できあがったものだろう。
だが、それではダメだと思う。
自分が思うに、AVに映る女とは、小学生の時に母親が作ってくれたお弁当のようなものだ。
お弁当は、開けるまで何が入っているのかわからない。開けるまでのドキドキがある。
一番上の蓋をパカっと外して、2つ目の箸とかが入っている白い蓋を外して、おかずと白いごはんが見えるまでの、1枚ずつ蓋を外していく過程にこそ楽しみがある。
AVも同じだ。
普段裸を絶対に見ることができないような女性がパッケージに写っていて、その中身で裸を見ることができる。その過程が今のAVには圧倒的に欠けている。
最初からスケスケだったり、全裸だったら、確かに視聴者の目を惹くが、楽しみを最初から奪ってしまうという悲しい事になってしまう。
そんな「平坦化」したAV業界だが、作り手はマンネリを感じたのか、最近変化球が多くなっていないだろうか?
どれも、斜め上に先鋭化していて空振りしている気がしてならない。
コスプレAVについては、版権の問題もあるかもしれないが、男の娘に関しては大島薫以外男の娘以前に男じゃねーか!!と叫びたくなるような出来である。
一方、AVの引き合いに出していたアイドル業界だが、今は何が起こっているだろうか?
アイドルに関してはあまり詳しくないので詳細な説明は避けるが、AKBやももクロやハロプロ等、既に盤石な地位を築いたアイドルに各プロダクションが競って肩を並べようとする競合があまりに多いせいで、今何が起こっているだろうか?
自分が思うに、話題性を重視するあまり、先鋭化していないだろうか?
そうすると何が起こるだろうか?
ごく一部の熱狂的なファンだけが、何百万単位でお金をつぎ込み、残りの人々は離れていく。
さて、ここまで散々自分の主観で現状のAV業界の危機を叫んだが、今後どのようなAVが作られていくべきだろうか?
自分が思うに、以下の3つがある。
「今日すれ違った女を脱がせたい」という願望を叶えるのであれば、
アイドルのようなホームラン級の美女よりも、10人のそこそこヒットを打てるそこそこの女優を発掘すべきだ。
あと選択肢が増える。
女優に多様性を持たせるのもいいだろう。例えば日本人にかぎらず、日本初の黒人女優とか、中東系の女優とかはどうだろう?
前述の通り、「服の中身を見る楽しみ」を演出すべき。
これは暴論かもしれないが、自分は本気でそうすべきだと思っている。
AV女優がブログやTwitterを開設していて、日常生活について垂れ流していても、新作の宣伝になるかもしれないが、視聴者からすると
「こんなに身近な存在なのに、ヤらせてくれないんだろうな」と感じてしまい、少し辛いものがある。
AV女優は、自分がAVに出ていることをブログやTwitterで宣伝するのではなく、身近な男友達にLINEで教えてあげよう。
きっと教えてもらった人はドン引きするかもしれないが、その後一番の熱心なファンになる。
事実、俺が今まで一番抜いたAVは、大学の友達が出ている奴だ。
あとでブコメとかで「女性の性的搾取」とかそういうのが出てきそうなんで先に言っておく。
俺はAVについて話しているわけで、女性について話してはいない。搾取がどうとかキレイ事いってんじゃねえ、AV観て何が悪い。
なんだその決めつけ。
LINEやれよー連絡めんどくさいわー、くらいは言うだろ。
そりゃ小さい小さい小さい貸しだよ。
でもそれに感謝もせず、日程勝手に決めないでくれ、なんて文句言うのは図々しいわ。
頼み事すんのになんで上から言うんだよ。何様だ、という話だろ。
俺はVHSの味がある映像が好きだ。DVDは嫌いだ。近くのTSUTAYAにはこの作品のVHSはもう置いてないから、二駅先のレンタルビデオ屋に借りに行きたい。でも友達はそれを知らずDVD借りてきちゃった。
こういう時なんて言う?
勝手にDVD借りてきてんじゃねーよ、おいVHS借りに行くぞ。
こんな風に言われたらは?ふざけんなよ?ってなるだろ。
DVD借りてきてくれたんだ。ありがとうな。でもどうしてもVHSでみたいから二駅先のレンタルビデオ屋に借りに行ってもいいか?
こうだろ。
マーケティングというのは煎じ詰めて言えば、「人々の欲望についてきちんと把握し、その上でその欲望を適切に刺激できるような製品や広告などを打ち出す」という行為のことである。
しかし人類が都市型文明を獲得して以来今日に至るまで、マーケティングは極めて初歩的で幼児的な段階から進歩できていなかったのではないだろうか。テレビやラジオ、インターネットといったメディアは発達してきたものの、しかしマーケティングの方法論が見違えて発達したかと言えばそうではなく、何なら19世紀的と罵倒してもいいくらいには幼稚な状態のままだった。
特に、「人々の欲望についてきちんと把握する」という行為においてその幼稚さは目立っている。「欲望を刺激しうる製品や広告」を作れないのはままあることとしても、前者の行為はやはりコンスタントに達成されていなければならないところのものであろう。
一言で言えば「ビッグデータの活用」なる行為はマーケティングの歴史にブレークスルーを起こしたのではないだろうか。
例えば天下のtsutayaなんかはこれらの「ビッグデータ」を使うことをほぼ公然と行っているし、あるいは米グーグルはクロームブラウザを利用する人々のブラウジングの傾向を個人単位で事細かに記録しまくっている。年代ごとの嗜好傾向、個人個人の嗜好傾向、こういったものが暴かれることによって、更なる洗練されたマーケティングが現代において達成されるのではあるまいか。21世紀はようやく来たり。
http://anond.hatelabo.jp/20150114174939
カレンダーを物色してたら隣を小さな男の子が、ひとりすり抜けていった。
歳のころは、どうだろう、小学2〜3年生か。
そう、「鉄道」「イラスト」「アート」「スポーツ」などで整然と分けられた紀伊國屋本店の特設カレンダー売り場の奥には、エロカレンダーコーナーが有るのだ。おれも知らなかった。
レイアウトはTSUTAYAの例のコーナーを想像してもらえればよろしい。
エロカレンダーの存在は知っていたが、これだけ多くの種類を見られる機会は初めてだったので、彼より前に当然眺めに行ったわけだが、結果は、はて、この実物大より拡大された高精細極まりないB2サイズの砂まみれ乳首を1ヶ月眺め続けると、人間の精神状態はどうなるんだろう、というのが感想だった。大量のエロカレンダーというのは人を思索的にさせる。
で、そこに低学年男子が入ってったわけだ。
商品のカレンダーを掛ける急設の壁は金網になっていて、エロカレンダーコーナーの中の低学年男子はこちらからよく見える。
彼は手が届く範囲のエロカレンダーを、1枚いちまい、ていねいにめくっては検分していた。ほんとうに宇宙の神秘を解明せんとする科学者そのものの顔で。
人生最高の時、というのはすぐに終わる。そのときは5分程度だったか。
とうぜん彼は一人で紀伊國屋に辿り着いたわけではなく、親御さんがいて「○○ちゃーん?」と呼ばわるわけだ。
瞬間、彼は見事に気配を消し、数拍の間を置いてエロカレンダーコーナーから滑り出て、何くわぬ顔で母親の元へ向かっていった。
「どこ行ってたの?」と廊下から詰問の声が聞こえてくる。どうする坊主!
「ディズニーキャラのカレンダーみてたんだ。あんまり、いいのなかった」
全く言いよどみも、声の震えもなかった。どうせなら親受けが良いだろう、少し弾んだ声ですらあった。
昨年の暮れの話だ。
父「MDウォークマンが壊れた。新しい"MDウォークマン"を買ってくれないか? ほら、今はインターネットで安い店が見つかるんだろ?」
と言われたことだ。ちなみに父はVHSレコーダーが壊れた時、新しいVHSレコーダーを買ってきた(@2005年)前科がある。
音楽好きな父がCD(物理)を買っているのは知っていたが、まさか当時(2012年)MDを使っているとは思わなかった。
父はTSUTAYAで借りてきたCDをせっせとMDに録音していたらしい。15年前なら分かる、うん。
私は『今はMP3で音楽を聴くのだ』という話をした。しかし父はMP3もiTunesも知らず、要領を得ない。
ふと、催眠商法で羽毛布団を買わされるお年寄りの姿が脳裏に浮かんだ。これは"チャンス"だ。
世間的にはiPodを買うのが安牌なのだろうが、私は当時局所的に話題をさらっていたNexus 7を選び、父のカネで買った。
理由は私が欲しかったからである。父にかこつけて物欲を満たそうとしたのだ。
Nexus 7と対面した父は「なんですの……これ?」という顔をしていたが、徐々に使い方を覚え、ついには一日中画面をつつくようになった。まぁ、年金生活者はニートみたいなもんだからね。
私としては面白くない。父が使っていない時に遊ぼうと思っていたのに、日がな一日占有されて手が出せないのだ。
2年、耐えた。
途中、iPhone 5s祭り時に投げ売りされていた無印5を『諭吉3人・オプションなし』で"買ったり"してなんとかガジェオタ魂を抑え込んできた。
しかし今月、Google先生がNexus 9というガジェオタ垂涎の上玉をぶっ込んできたではないか。
だが、聡明な私は再び妙案を思いついた。
新型iPad Air & mini 発表で値下がりしている旧式林檎タブを買い、父のNexus 7と交換するのだ。
iPad mini 初代16GBをヤフオクで買った。ほぼ新品が2万ちょい。初期不良ナシだからメーカー保証は要らん。ヤフオク万歳。
そして父には「泥ってマルウェアとかあって怖いよ。林檎は安全」と言い、私は成功裏のうちにNexus 7を奪取した。
Nexus 7の2012年モデルはモッサリしているが、カスROMをブチ込めば少しは使いものになる。
もしくは今度降ってくる炉裏に望みを託そう。ローエンドに優しいというから、ややもすると軽快になるかもしれない。
一番の懸案事項は泥ではなく父だ。
きっと拡張性ゼロの林檎にすぐ飽きるだろう。「返せ」と言ってくる可能性がある。
何か良い策はないだろうか。年金でNexus 9を買わせるとか。
うん、ない。