はてなキーワード: Rtとは
ツイフェミを観察して大まかな生態が分かってきたので記したい。
https://anond.hatelabo.jp/20210223230157
上記を書いた増田だ。変な意味で反響を頂いたので続編を記したいと思う。
まずは前回ありきの内容なので上記をまだ読んでない人は先に読んで欲しい。
映画というフィルターを何十層もかかりまくったコンテンツに触れる事で海外を知ったような気分になり
そんな私は先進的だと錯覚してしまう生態がいる。それが洋画ツイフェミである。
この生態は海外が生みだしたコンテンツを妄信してしまう傾向が強いように思える。(洋ドラマと韓国の映画やドラマも含む)
ハリウッド映画はポリコレ的にもLGBT的にも配慮するようになってきたのは事実ではあるが(とはいえエンドゲームで女性ヒーローだけいきなり集まるシーンは不自然だったと個人的に思う)
それはあくまでも映画内の話であって現実ではまだまだ差別や偏見が強く蔓延っているのは海外ニュースを見ていれば痛感するはずだ。
それでも洋画だけ見てその現実を直視せず海外は先進的だと思い込み、このまま日本は遅れており家父長制だとかホモソだとかの批判を始めてしまう。
これは昔から海外に留学や滞在して「これだから日本は・・・」と帰国してから言い出す症候群のようなものでもはや伝統文化でもあるが
ずっと日本にいて海外に行った事ないのに洋画だけ見てコレダカラ日本ハ症候群を患ってしまうのはちょっと落ち着いて欲しいとは思う。
邦画も嗜む人もいるが基本的に邦画は女性を搾取する要素が多いと(そう思い込んでいて)見下しているのだが
こないだ「テネット」という映画が公開され、俺も観に行ったのだが下手に口するとネタバレになるので超大雑把に言うと悪党が家庭内DVを振るっている場面があった。
これに関して洋画ツイフェミはどう反応したのかというとスルーなのである。スルーした上でテネットの出演者の画像やgifをペタペタ張り付けて尊い…と言って終わりである。
映画好きな人はなんで画像はともかくgifを貼りたがるんだろう?と思いつつ、映画の中でも都合の悪い現実は見ないのだろうかと思い知らされた。
あと女性蔑視に対してはとても敏感なのに映画の中で男性が辛い目にあったり、男性ではならの苦悩に苛まれているシーンに対して「苦しんでいる姿が素敵…」とウットリするのは何とも謎である。
鍛えている男優は多いのでムキムキだと「雄っぱいありがたや…(合掌マーク)」と、もし男が女優のおっぱいありがたや…と言ったら叩くよねそれ?と先進的でありながら性欲に介しては後進的なのも謎である。
ハリウッド業界で活躍する俳優は実力主義の世界で勝ち取り、ルックスもキャリアも素晴らしく自立した人間として完璧でこれ以上のない理想像であるのは間違いない。
しかしその理想像はその俳優の頑張りであってあなたの頑張りではないのだ。それにおんぶ抱っこするのは俳優に対して失礼でもあり
自分を成長する機会も見失ってしまうので俳優の画像を張り付けて満足して終わらないようにしてみてはどうだろうか。
正直言うと難しいのである。どう難しいかと言うと彼女らは間違いなく性的に消費されている立場なのだが
事情が本当に一人一人違うので「わかっててその道を選んだよね?」なんて言葉は言えないのである。
自業自得な人もいれば本当に運がなくてこの道を選んでしまった人もいるからだ。
商売とはいえ客を選べないのが辛い所で様々な男性の嫌な面を見てきて男性嫌悪が悪化してしまうケースは少なくない。
そこは同情もするのだが男性嫌悪が行き過ぎて客からのLINEをTwitterで晒し上げたり客からのプレゼントをそのまま売ってレシートを公開するのは
ストレス発散として多少考慮する所はあるとはいえ、それをTwitter上で行えて特に批難されないというのは女性特権を行使しているともいえる。
客からの指定が来るまでは待機なのでその間にスマホ触る時間が多いからかTwitter上ではとにかく男性嫌悪やフェミニスト的なツイートをRTをしまくってるのだが
正直これもストレス発散であり、思想としてそこまで強い拘りがあるわけでもなくただ男性を叩くツイートをフリスクを食べる感覚でRTしているだけのように思える。
男性を嫌悪しながらその男性を性的に奉仕するという矛盾は精神衛生上よろしくないのは間違いはないし本人の為にもならない。
金銭的に困っていなければ風俗を引退して一人の人間として見てくれる相手を探して欲しいのだが、結局ホストに走ってしまう。
エコーチェンバーについてはググって調べて欲しい。もし俺の口から説明したら矛盾するからだ。
俺が最初に出会ったツイフェミであり、俺がツイフェミを観察しようと思ったきっかけでもある。
そしてTwitterにいるツイフェミの大半はこれなんじゃないかと俺は思う。
恐らく最初は軽い気持ちでフェミニスト関係の人をフォローしたかRTしてきっかけを持ったに過ぎないと思う。
しかしその最初にフォローしたフェミニストが発信する情報の中に別のフェミニストがいてそれに関心を持ち始め、またフォローしていく。
そうして連鎖的に増えて行ってついにはフォローしているフェミニストの割合が3割超えた辺りから、その人はツイフェミと化してしまうのだ。
最初はフェミニストに関心もなかったし、趣味の事で話せたらと始めたはずのTwitterだったのに気が付けばツイフェミと変わり果ててしまった人は少なくはない。
実を言うとこれは他人事ではない。身内が陰謀論に目覚めたとか、反ワクチンやアメリカ大統領選挙の不正などを信仰してしまうように
ネットに触れる事で変わり果ててしまう人は昔から存在しており、今もなお増加しているのだ。
ここで勘違いして欲しくないのがフェミニズムを陰謀論と同じ扱いにしているのではない。情報が偏り過ぎてバイアスが起きてしまっていることに対して警鐘を鳴らしているのである。
ここからは個人的な話になるのだが上記の話は俺のフォロワーでもあった人の経過でもある。最初は趣味を通して知り合ったはずなのだが
気が付けば彼女はツイフェミに変わり果ててしまった。彼女はようやく本当の自分になれた気がしたと呟いたが、趣味を楽しんでいた時が一番貴方らしかったと思う。
趣味の呟き頻度は少なくなり毎日男性に対する攻撃ツイートにRTが続いていき、ついに俺はブロック解除してしまった。彼女は悪くはない。
そうして最初にリストにひっそりといれ、少しずつ増やしていったのが俺の観察の始まりだ。
ひとまずはこれで記すのは以上にしたいと思う。
リストの中でもツイフェミから離れて自分らしさを取り戻せた人はたまにいて
愚痴垢を見ない対処法がほしい。たまに思い出して見に行ってしまうのをやめたい。
原因は多分暇だから。なにかしたほうがいいんだろうな。
そもそも愚痴垢なら非公開にすればいいのに。いや、自分で見に行っているのに他者に求めるのは話が違うかも知れないが。
本当に、たまに思い出して見に行ってしまう癖をやめたい。マジで。
そもそも最初よく分からない愚痴垢に難癖引用RTされたせいで愚痴垢の存在を知ってしまったことが元凶だと思う。マジでやめて欲しい。見たくない界隈を見せないで欲しかった。こっちは検索避け有りでツイートしたのにわざわざ無しの名前まで出してきたから今思えば本当に性格悪い垢だったな。ああいった垢は消えて欲しい
【追記】
ミュートも出来るし(たまにすり抜ける)ブロックも何回もしたけど、一回ああいった界隈を知ってしまうと怖いもの見たさで見てしまう
また晒されてないか、何か言われてないかと不安になるときもあれば、単純に気になって見てしまうときもあるし。
やめられない。思い出したかのように検索してしまうの怖すぎる。
若干中毒なのでは?と思うくらい。
ネットで知り合って十年以上になる友人がいる。
非電源ゲーム方面から入って他の友人と一緒にオフで会ったりもしてた。
こっちが遠方に引っ越してからはTwitter上での付き合いだけになってたけど自分とは全然趣味の方向性が違って楽しかった。
趣味は人文系の読書で詳しくない自分でもツイート見てて楽しかったしたまに猫ちゃんの写真上げてくれたし。
数年前からウィスキーをたしなむようになった。その頃は数日おきに上がるボトル写真とかうんちくも楽しく見てた。
最近はすっかり政治ネタRT(それも何かを罵倒してる系の)とネトゲの課金報告ばかりするようになってしまった。猫ちゃんの写真も見れなくなった。
酒は怖い。
Twitterにいるフェミニストと自称している人をリストに100人ほど入れて暇な時に眺めているのが趣味だ。
そこで得た気付きをここに記す事で共有していきたいのがこの増田の目的だ。
ほぼ朝から深夜にかけて生息している。
朝起きたらまずニュースのRTから始まる。そして知識人のようにツイートをするが専門家ではないので内容は全く的を射ないのが殆どだ。
一人ワイドショーが終われば次は子供や旦那に対する不満や愚痴が始まる。殆ど似たり寄ったりなのでこればかりは全世界の主婦さんお疲れ様ですとしか言えない。
しかしここで子持ちか子持ちでないかで傾向が若干異なってくる。子持ちは国や家族の将来の不安などを視野に入れているのかどこか現実的な部分が見られる。
子供持たない主婦は旦那への不満が多く、現状ばかり文句を言っていて若干お姫様体質が多いように思えた。
そして旦那が家事をやってくれない系のツイートにはどちらも食いつきが良い。お前昼はずっとTwitterとソシャゲとドラマばっかして家事してないだろって主婦(主婦?)もやたらと食いつく。
中には旦那だけは好きだけど他の世の中の男性はマジファックだという主婦もいる。不思議な事にメンヘラを患っている率が高いので旦那をパートナーってよりご飯を食わせてくれる人形として見ているかもしれない。
アダルトチルドレン(以後AC)という言葉自体を聞くの久しい人がいるかもしれないが今も深刻な問題として力強く根付いているのである。
親からの愛情不足、または親の不仲、離婚などから来る結婚に対する不信感が拗れた結果ツイフェミに目覚める人がわりかしいる。
中には父親からの暴力がトラウマで男性そのものを心底から怯えてしまっている人もいて、それは可哀想だとは思う。
しかし結婚というより男女の恋愛に対して不純なものと見なしてしまう人も一定数いて、そこから極端となると反出生主義に走るケースも見られる。
このACツイフェミの多くはこの世に対する憎悪や怒りが根底にあってそもそも私がこんな目に合うのはこの家父長制が全ての元凶なのだと、それによるホモソーシャルや女性を性的搾取する強者こそが
我々の敵であり打ち倒せばきっと平和な世界が訪れるのだろうという分かりやすい魔王を作り上げる事で自分を奮い立たせている。
だから自分の人生がどうしてこんなに幸せになれないのかという思考が前提にあってフェミニストのいう男女平等とかは彼女らにとってはどうでもいいように思える。正確にはフェミニストではないかもしれない。
だがそれでも彼女らは自分を魔王を倒しに行く正義の味方なのだと振舞っており、もし彼女らにとって都合の悪い情報が入ってもそれは一切見ないようにして
男性でも弱者はいるという現実も彼女らは絶対に認めようとしないのである。男性の時点で加害者であり魔王なのだという前提が彼女らの心の支えになっているのだから。
親の都合で不幸になるのは同情するし、出来る事なら幸せになって欲しいのだが他人の弱者を見て見ぬふりをしたり踏みつけて良い理由にはならないのもいつかは気づいて欲しい。
はっきりいってこの生態はクソオブクソである。
腐女子なので男性向きの漫画やアニメを好んで摂取している傾向にあるのは言うまでもないが
男性をターゲットにしたからこそのセクシー描写に対してやたらと厳しいのである。その時にお決まりの言葉が「この作者古い価値観のままで、アップデートしてない・・・」だ。
ちなみに俺はセクシー描写ぐらいはいいと思うが、セクハラ描写に対してはやや否定的な立場なのでラッキースケベで胸を掴んだりとかはどうなんだろうとは思うし
何よりも権力を利用して相手の身体を弄ぶようなパワハラでもあるセクハラが俺も到底許せないと思う。こればかりはセクハラに文句を言う腐女子の立場も理解できる。
ところがその男女間のセクハラにやたら厳しいはずの腐女子がハマっているコンテンツやその二次創作を目にすると何とも驚くのが
セクハラしまくりなのである。胸をまさぐるし、しかも上司が立場を利用して部下を脅したり(逆もあるけどそれは割愛)と権力によるセクハラが普通に好まれているのである。
純愛だからいいんですといってもどう見ても相手嫌がってるんですがそれは。フィクションだからいいんですといったらさっき上で言ってた女性へのセクハラもいいんですってなるぞおい。
そう腐女子フェミニストはとにかくダブスタしまくりである。自分の言った言葉が見事に自分がやってる事に刺さりまくりなのである。
しかし腐女子はそれを絶対に認めようとしない。BLは尊いだとか素晴らしいとか強引に理屈をつけて男性が考えるセクハラとは違うんですと開き直ろうとしている。
それ以上に厄介な問題もある。鍵をかけているのならともかくとしてTwitterというオープンな世界で腐トークを撒き散らすのである。
文が得意とする腐女子は長文感想(ツリーが10個ほどある)垂れ流したり、絵が描ける人はドキツイ二次エロを放流したり、それに対して絶賛しまくる腐女子。
女子の中でも腐女子はお気持ちが本当に強すぎるのである、感情が魂と直結してしまっているのだろうかとにかくいきなりお気持ちを爆発するので周囲にとっては自爆テロに等しいのである。
腐女子は学級会を行って度が越えた行為や発言は控えているとはいうがSNSが浸透してからはその自浄作用はぶっ壊れているように思える。
二次元の男性は好きだけど三次元の男は嫌いですというのはオタク特有の理由だろうからそれは別にいいとして
BLというのは実際に男性を性的搾取するのが前提のコンテンツなのは間違いはないし、ましてやゲイではないキャラクターを強引にゲイにして入れるか入れられるかの組み合わせにするのは正直どうかと思う。
はっきりいってBLは多くの人に見逃されているコンテンツともいえる。ポリコレで言えばグレーすぎるしもしもゲイ達が立ち上がってBL反対運動なんて起こせばBLは簡単に吹き飛ぶのである。
地上波でBLドラマが流れても不快だ!セクハラだ!と怒る男性はいたのだろうか?嫌なもの観ちまったなとそのまま黙って終わるのが殆どではないだろうか。
はっきりいって腐女子はよそ様のコンテンツに物申せる立場ではないのだ。更に言えばフェミニストという視点からでも一番遠い立場にいるのが腐女子なのだ。
それなのにフェミニストですが何か?って厚顔無恥な腐女子がなんと多い事か。フェミニストでもなくむしろ足を引っ張っている立場だというのに。
BL好きならばゾーニングを心がけたり、SNSのようなオープンの場所で下ネタだらけのトークなんかせずにその専用のアカウントを作って鍵をかけて欲望を吐き出したりと色々と工夫はあるはずだ。
衰退論が盛んなエロゲ界隈だが、近年目立って問題が表面化していることのひとつにユーザー民度の低下がある。
毎日のようにクリエイターやメーカーの悪口と文句をツイートしてそのことで盛り上がってみたり、
他のユーザーの悪口で同調して市場の空気を悪くしたりと害悪そのものといって過言ではない。
承認欲求に飢えた精神年齢小学生未満の中年エロゲオタクがRTといいねを目的に差別的ツイートを連投、
女ユーザーの写メを拾ってきては陰湿な嫌がらせを続けたりと酷い始末で、
貧すれば鈍すとはいうが、販売側もユーザーの教育を放棄しているせいで無法地帯だ。
誰かを攻撃する侮辱ツイートを連投しては承認欲求を満たしている承認欲求のお化けだ。
「こういうブコメが多い気がするな〜」とか「このブコメが星を集めてるな〜」とかいちいち「はてな世論」的なものを幻視して反応するのって、TwitterでたまたまRTされてきたツイートに激昂してまるで自分以外の全員が悪の組織に洗脳されたくらいの勢いで反論しはじめるのと同じくらい不毛だぞ。
最近、絵描きが「絵描くのが辛い」って言ってみんな消えてしまう。
私が支援しなかったせいなのかなって思ったけど、それは絵描きのみんなどう思ってるんだろうか。
でも、そんなこと言っても私は相互の絵RTするbotじゃないし、相互のこと有名にしたくてフォローしたわけじゃないし、互いの絵に胡麻すったり傷の舐め合いしたくて「フォローありがとうございますよろしくお願いします」って言ったわけじゃないし、でも、私のRT一つで寿命伸びるんだったら、変な意地張ってないで機械にでもなりゃよかったのかなあ、どうなんだろう。でもそれは私のTwitterの楽しみ方に反している気がする。
「キモイ意地張ってないでRTしろクソカス」といわれても仕方ないと思う。目に見える結果でやる気が出るのはマジでそうだし、自分もそういう時期あったし今でもちょっと思ったりするし、その気持ちを肯定したい。でも、それのせいでSNSが住みづらい場所になってしまうならもうやめてほしいって、思う。相互の絵が悪いわけじゃないし、相互の絵好きだし、相互が気に入らなくて貶めたいわけじゃない、ただ、「相互の支援しなきゃ」って言ってTwitter開くなんておかしいだろって。相互の絵一つ一つに引用RTで一生懸命胡麻すって(ほんとうに本心だったらごめんなさい)、それ楽しいですか。どの界隈でも同じくらいそういう人がいると思うだろうから、私のようなクソザコごときが何言ったって何も変わらないだろうけど、でも、ずっとずっと引っかかってた。
いいねとRTしなきゃ、相互じゃないんですか。絵描かなきゃ人権ないんですか。
自分の事有名にしてくれないなら興味もないんですか。
繋がりたいタグは、友達じゃなくて支持者を増やすためのものだったんですか。
相互にとって、わたしはどこまで行っても「1RT1いいね」でしかなかったんでしょうか。
それが間違ってるとは思わない。だけど、きっと正しくもないんだろう。
私はただ、相互がたしかに同じ日本国内に存在していてそれぞれの生活をしていて、働き遊び気が向いたら好きなだけ絵を描いて、私とおなじジャンルに夢中になっているところを、別のジャンルを楽しんでいるところでさえ、見ていたかった。(さすがに全員に対してそうとは言えないけど)
でも相互はそうじゃなかったんだなって思ったら、なんだか悲しい気持ちになってしまった。それはもちろん勝手に夢想してる私が悪いけれど。
いや、でも、正直気持ちはマジでわかる!!!!!!!!何日も何時間もかけてエスキースたくさんして、ラフも時間の許す限りブラッシュアップして、配色も塗りもめちゃくちゃにこだわって、時折エゴイスティックになってみたりして、そんなふうにしてようやく完成した絵があまり見てもらえないとさすがにつらい!!!!それは私もわりとあるしせっかく描いたんだからもっと見てよーとは思うし、見てもらうために恥ずかしながらアップする時間とか考えたりハッシュタグつけたり、はずかしい話だけどあんまりにも「これはめっちゃうまく描けた!!」と思う絵だったら時間たってから自分でRTしたりしてる!!!
でもやっぱり私たちがやってることってどこまでいってもファンアートで、二次創作で、人の作品を借りているだけでしかないから、そういうことは声を大にしてまで言えない。言わない方がいいと思っている。
高校1年生の時いろいろ教えてくれたり仲良くしていただいた方に一度お𠮟りを受けたことがあって、「見てもらえるだけの努力が足りていない」という言葉を私は今でもずっと覚えているし、それが人並みとは言えないかもしれないけど努力はしてきた。それでも伸びなかったときは、次は何描こうかなって前を向くことにしてる。みんなそうすればいいとは言えないけど、数字という無機質で無感情なものに縋らないでいることはそんなに難しいのかな、とは思っちゃう。
今日、「消えるけど垢は残すしいつか戻ってくると思う」と言っている人や、おそらく息をしていない人、絡みがあんまりにも少ない人、合わない人などを何人か相互から外してしまったけれど、正直めちゃくちゃに迷った。インターネットとはいってもその向こう側にいる人は生身の人間だし、リアルでもSNSでも壊してしまった人間関係が多すぎる故、関係を断ち切るって結構すごい事だと思っている。だから、いくら「またどこかで会えたらいいね」という軽い気持ちだったとしても罪悪感がつきまとってすごく、すごくつらかった。
でも、「戻ってきてくれるかもしれない」という希望を捨てたかった。もう終わりにしたかった。絵描きのたまごとして、絵を学んで生きている人間として、「伸びる伸びない」で絵を描く人を見ていたくなかった。絵やフォロワーを、承認欲求を満たす完全な道具にしている人を見たくなかった。絵が伸びなくて苦しんでいる姿だってもう見たくない。
やっぱり、私のせいだったんだろうか。私のせいでもあったかもしれないのに、関係を断ち切ってしまってよかったんだろうか。ってずっとずっとそれが離れない。
よほどの努力をしない限り「努力が報われる」とか微塵も思ってないしそんなこと言うつもりない、お願いだからもう、こんなことで苦しまないでほしい。こんなことで、いなくなったりしないでほしい。もちろん人間関係が辛いとか嫌がらせをされるとかもうこのジャンル飽きたとか、垢分けしたいとか、疲れたとか、それで消えるのはその人の強い意志だからいいけど、でも承認欲求が満たされない事を理由に病んでしまう、なんてことが最近あまりにも多い気がする。もちろんそれが全てだと思っている人もいるかもしれないし、私の悩みこそくだらないと思っている人の方が多いだろう実際。
でも私は、ずっとずっと疑問に思ってる。絵が伸びないから消えてしまった相互にとって私ってなんだったんだろう。私は、ただ自分の性癖をひけらかしてそれについてきてくれる人と楽しく話がしたかっただけ。相互とは、リアルともSNSとも違う近くて遠い友人でいたかった。誰にも言えない事を円になってこっそり打ち明けるような温かさが好きだった。時にお互いの事を褒めてえへへってするのもちょっと嬉しかった。それで、どこか別のジャンルに旅立ちたいからとブロ解する相互をバイバイってポジティブな気持ちで見送りたかった。(あまりにも理想的過ぎるけど)
なんか、私も相当に参ってて感情的でまとまらない文章になってしまったけど、今日バイバイした相互とまたどっかで会えるといいなって思いながらSNSがまた居心地の良い場所になることをちょっとどこかで祈ってたりもしてる。
ヒプノシスマイク、ヒプマイの世界に本格的に魅せられて約1ヶ月が経過した。
まだまだ知らないこともたくさんあるけれど、折角だから今日までの過程を記してみようと思った。
初めてヒプノシスマイクのことを調べたのは2018年の夏、昼過ぎのマクドナルド店内だった。
そういうプロジェクトが始動したらしいというのはTLで流れてくる情報で得ていたが、私も友人もノーマークで、「名前だけ知っている最近話題のあのジャンル」という認識。友人とマックのグランバーガーを遅めの昼食として頬張りながら喋っている中で、どういう経緯かは忘れてしまったが、ヒプマイが話題に挙がった。
検索してサイトの情報を2人で眺める。しらいむのキャラ可愛いね…としみじみしたのを鮮明に覚えている。某地球を守る系のアニメでの印象が強かったため、こんな可愛い見た目のキャラクターに声をあてられるのか、ポテンシャル高いね、みたいな会話をした。
それから、神宮寺先生がかなりの高身長なのに体重がめちゃくちゃ軽くて、どういうこと?となった。
名前のことを話した記憶があまりないので、読むの難しいな、程度だったのだと思う。オタクと難読名字は切っても切り離せない関係なのだ。
でもサマトキ様という名前はしっかり頭に残っていた。多分ヒプマイのLINEスタンプいつ使うんだよ!というバズったツイートを以前目にしていたからだろう。新しいデカLINEスタンプもサマトキ様の脚が長くて注目を集めており、流石だなと思った。
盧笙先生の「予習復習しっかりせえよ!」スタンプは勢いがあって良いし、二郎くんの「…何のことだ??」から新たな火種が生まれないか心配になる程キレッキレでカッコいい。
それはともあれ、その後ヒプマイについて触れることはなく、ほとんど情報を得ることはなかった。
今せっせと供給を得ては少しずつ生産をしているコンテンツにおいて、好きな絵を描く人を見つけた。ホームに飛んで、遡っていて見かけたのがStellaヤバい、といった趣旨のツイート。
これがヒプマイとの再会だった。
StellaはヒプマイのFling Posseというチームの新曲であるとその前後の呟きやRTで理解した。ヒプマイ、去年の夏に調べたな〜、聞いてみようかな〜〜と軽率な気持ちでYouTubeで聞いてみた。
全く理解できなかった。
試しにオススメに出てきたYokohama Walkerを聞いてみた。
何も分からなかった。
ヒプマイ、難しいな、知識不足かと思い、諦めた。
振り返ってみると何も難しいことはないし、今となってはかなり好きな曲なのにどうしてこういう感想になったのか、それこそ全く理解できないのだが、当時の私はヒプマイの世界観に馴染めず縁を切ってしまった。
ただ、その神絵師はジャンルを両立している神だったため、私は自然とヒプマイの情報を断片的ではあるが神から得ていた。神はシブヤと、その後加入が発表されたオオサカがお好き。公開当時からものすごく話題になっていたオオサカのあゝオオサカdreamin' nightのトレーラーも、時流に乗って見てみた。ノリが良いし耳に残るしクセのある歌い方が心地よくてアホほどリピートした。コメント欄の広告付けろ金落とさせてくれという言葉が何だか良くてすごく覚えている。
その時知ったのが、渋い詐欺師のおじさんが誰かのお父さんということと、漫才師と教師が元お笑いコンビであったが解散してしまっていて、今回また同じチームになってテッペンを目指しているということ。全部すっ飛ばして良いとこどりである。その後もオオサカの曲を時折聞きつつ、神から氷山の一角も一角の情報を得つつ、というコンテンツの消費の仕方をしていた。
神はコンテンツに動きがある度に色んなことを仰っていたので、相変わらず私はいいとこ取りをし続けていた。乱数ちゃんはクローンであること、幻太郎さんの一人称が小生であること、帝統君は乙統女さんの息子であること、シブヤの3人とシンジュクの3人の相性がめちゃくちゃ悪いことが私の持っている主な知識。他のキャラクターのことは、職業と大まかな名前を把握している程度だったと思う。
ヒプノシスマイク-Division Rap Battle-Ryme Animaの放送開始である。
音楽が原作のコンテンツで原作を理解できなかった女は、毎週金曜日24:00〜の放送を心待ちにしていた。毎週土曜日は固定シフトで朝6時出勤の5時前起床だったが、1回たりとも欠かさずにリアタイするくらい楽しみだった。放送終了後、布団の中で神や神のフォロワーたちの感想ツイートを見てニヤニヤした。
そうはならんだろ〜!みたいな展開も、それで変装!?って格好も、絆ァ!!!も、全部全部見てて楽しくて最高で、最終回EDテーマが大好きで、ヒプアニ面白かったな、と思った。ずっと声と歌だけを聞いてきたファンの皆さんは、歩いて食べて笑って戦う推しの姿を見て、どんなに嬉しかっただろうと思った。
放送中、既存の楽曲に興味が湧き、加入していたAmazon musicでいくつか聞いてみたりもした。パーティーを止めないでを聞こうとしたら制限がかかっていて聞けなかったのでUnlimitedに加入した。これもまた良い曲、キャラクタープロデュース力がすごい。
ヒプアニが終わった後の金曜日の喪失感が年明け数週間後も続いたので、何だかおかしいなと感じた。
2月の初頭、知らない人に食事に誘われて行くと答えたら、毒島メイソン理鶯さんに2人で行くのか?と問いただされ、みんなで行くんだよ〜!となぜか焦りながら答えた夢から覚めた時、疑惑は確信に変わった。
Amazon musicで片っ端から楽曲に触れ、ドラパに耳を傾け、約1週間で配信されているものをほぼ網羅した。YouTubeでも動画を見た。Anthem+、タマンね〜〜〜
声優さんの収録の様子を見られるだけで感動したのに、キャラに寄せたフリまで付いていて、本当にこれは無料で見ていいのかと本気でビックリした。
1年以上前、全く理解できなかったStellaは本当に幻想的で儚いけれど、Posseの固い意志を詰め込んだ曲だった。今、やっとStellaのヤバさが分かった。2020年2月に出たPosseのアルバムのドラパを聞いてから聞いたら、もっとヤバかった。この曲の示す意味がより鮮明に見えてきたような気がして、幻太郎のことも早く知りたい。
Yokohama Walkerもちゃんと理解できた。MTCの3人はアニメでは一番物騒でクールな日常を送っていたが、心底ヨコハマでの人生を楽しんでいるんだと、矜持を持って生きているんだと伝わってきた。お互いへのリスペクトがすごい3人だとずっと思っているんですが合っていますか?
情報量が半端じゃなかったけれど、アニメを見ていたおかげか、すんなり入り込み楽しむことができた。18人のキャラクターへの理解もかなり深まった。
何故ポッセと麻天狼の仲が悪いのか、アニメでは描かれていなかった点も把握できた。B.B. vs MTCの二番手三番手の争い、あれは銃兎さんが悪いんじゃないかなと思ったりもする。
みんなの1回目のディビジョンラップバトルの結果を経て、2回目のバトルへの意気込みも感じた。名実ともに命がけなんだ。
The Champion、ドラパは時系列順に聞いたけれど曲はなかなか手が出なかった。アニメを見て結果を知って、ドラパを聞いて、何だか敬遠してしまっていた。全部聞き終わった後にちゃんと聞いたらかっこよかった。
新参のクセに、と思われて当然のことを言うけれど、このCDが出たとき、他のディビジョンを応援していたファンの人はどんなに悔しかったろう、麻天狼を応援していたファンの人はどんなに嬉しかったろうと思わずにいられなかった。
これが大体2週間前のこと。ヒプマイに少しずつハマりながら、私はヒプステ観劇の計画を立てていた。
正直ヒプステの存在をちゃんと認識したのも2月に入ってからだった。ヒプマイのHPを見て、ヒプステが公演開始直前だと気付いた時にはもう観に行きたいと思っていて、いつなら行けるかと考え出す自分がいたのだ。普段から.5の舞台に定期的に足を運んでいる身故に決断も早かったと思う。平日の昼間の公演チケットを取り、物販で買ったリングライトを身につけて着席した。
ちょ〜〜楽し〜〜〜〜くて最高だった
重低音が身体に響いて、ハンドサインしながら曲に合わせて手を振って、”現場”って感じでビリビリした。迫真の演技も歌もダンスも所作の1つ1つも胸を鷲掴みした。終演後にリングライトを外す手が少し震えていて、帰りたくないなと思った。
リングライトのリング部分がプラスチックじゃなくてゴム製だったところにすごく感動した
お土産、オーディエンスキットと熱いときめきを抱えて、オフィシャルファンブックを買うべくそのまま池袋に向かった。街中にちらほらとオーディエンスキットのビニールを持っている人が見えて、あ、と思ったりした。オフィシャルファンブックを買って、Enter the Hypnosis microphoneも手に取りレジに直行した。HoodstarのMVを狂ったように見ているので円盤で手元に置いておきたいし、ライブも見たいな、という軽率な行動である。
それにしてもHoodstar、Cメロ(あっていますか?伝わるかな)の三拍子でいつも狂ってしまいますね。すごい曲だなとつくづく思っています。哀歓悲喜全てが凶器のメロディが好きすぎる。この街で1番のbad boys ←大好き
それからファンブックのドラパを聞いて言の葉党大好きマンになったり、Summit of DivisionのMVに出てくる可愛いラクガキつきのイラストが収録されていないことにガッカリしたりした。どこか収録されている場所ありますか?もしあったら情報ください(切実)
アルバムのライブ映像、2ndも3rdもガッツリ見た。キャストさんもお客さんもすっごく楽しそうで私も見ていてすっごく楽しかった。シャンパンゴールドのコーレス、プリンセスってお客さんのことだと思うんですけど、お客さんがプリンセス!!って叫ぶから面白くて、死ぬまでに絶対コーレスしたいと思った。さいこ〜〜〜!!!!!
2ndの最後に無花果様が来て、1回目の結果を公表したから頭がおかしくなった。投票って、勝敗をつけるってこういう感じなんだって思って勝手に疲弊した。優勝したディビジョンは当然知っていたけれど、こうして目の当たりにして、すごいな、ディビジョンラップバトルは、と痛感した。
今週の内にアベマのシブヤ vs ハマの観覧チケットをとり、HIPSTERにも入った。
これを打っているのは2nd ディビジョンラップバトルの3回戦目の前夜である。
正直、ここまでずっぷり入り込んでしまっていて、やばいなと思っている。比較的慎重な方で、なかなか新しいコンテンツに手を出さずに生きてきた私だったが、こんなにも強欲に手を出してしまうとは。
2年半前の私には考えられない行動力、抗えないヒプマイの魅力。おそるべし。
こうして今までヒプノシスマイクというコンテンツとそのファンが築き上げてきたものにあやかって楽しませてもらっていて、明日のライブを見て投票することで、私もそのコンテンツに加担する1人になるんだなと大袈裟だけれど考えて、少し緊張している。
ヒプマイって楽しいなと思うきっかけになってくださった神に感謝してもしきれない気持ちでいっぱいです、ありがとうございます。
長々と特に面白みのない独白にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
これを読んでハマった当時のことだとか、今どう感じているかだとか、コメントとして残していただけると嬉しいです。ヒプマイファンのお話、よければ聞かせてください。
これから、末永くお世話になると思います、微力ながら応援させていただきます。
Do or Die ぶっこんだもん勝ち!!
それに便乗して記事をツイートして「完全同意!考えさせられた!」とか抜かす男ども
お前らこれまでず~~~っと自民に票を放り込んで、選挙前にはDAPPIとかRTして、今更これかよ。
「強い女メーカー」の作者(女性)が「アイコンをツイフェミに使われまくったせいでイメージが悪化したので利用自体を停止します」と言ったとき「悪いのはフェミニストじゃなくてアイコンを使ってる奴=ツイフェミとレッテル貼りしたネットの男じゃね?」と言っている人がいてここまでハッキリ「ツイフェミのせい」と言われても「男が悪い」なのか…そうやって悪いことを全て男あるいは名誉男性といった「男性ジェンダー」に仮託して自分は責任を取らないのはさぞ生きやすいだろうなあ…と思ってたいたので実際に増田のような理由でフェミニズムに傾倒する人がいるのは納得感ある。
Twitterのクラスタってフェミニストなり愚痴垢なり腐女子なり特定のコンテンツに興味のある仲間でいいねRTしあって承認欲求を満たしあうのが楽しいのであって案外そのコンテンツ自体はなんでもいいのでは?と思うことがある。
とうらぶが大量の画像盗用で燃えたとき運営とそれを庇う信者を糾弾するために大量発生した愚痴垢がパクリ検証もあらかた出尽くして運営も謝罪して叩くものがなくなったあと女性差別問題をRTすることが多くなったんだよね。もちろん社会問題に目を向けるのは大事だけど元々とうらぶを叩くために作ったアカウントがフェミニズムに移行したのが興味深くて、つまり「怒る」という行為に依存しているだけでその対象はゲームでも社会でもなんでもいいということか?そりゃ社会問題なら永遠に話題が尽きることがないだろうからなあ…となった。
こうなると「悪いことがあって怒る」じゃなくて「自分が怒りたいから悪いことを探す」と因果関係が逆転しちゃうので気を付けたい。
もちろん現実に女性差別とか許せない性犯罪はあるけどただtwitterで仲間と感情を共有したいだけなら推しのいいところを語ったり二次創作する方が建設的だなあ…と思いました。
801ちゃんさんが「在宅勤務で3歳の女の子1人いるワーママが、今日保育園に預けられなかった大変さをこれ見よがしに同僚にアピールし続けて~」っていうツイートに
「おうちのこと全部やってくれる人がいる仕事だけしてればいい人はまじ黙って欲しい」なんて引用RTしてて
https://twitter.com/801_CHAN/status/1361273468826710018
「女親」という属性だけでケチをつけられる、家事をちゃんとやれてないんじゃないかと勘ぐられる、文句つけられる、
つまり自分の属性(女親であること)によって殴られると「カテゴリー叩き(属性叩き)」を嘆いてたんやけど、(たしかにそういうことあるよねって思うわ)
独身で実家住まいと思われる若者にあれこれ(家事できてるんすか?みたいなことを)言われて腹が立ったと
わざわざ「独身」で「実家暮らし」の「若者」という属性を持ち出して文句を言うの、自分も「属性叩き・カテゴリー叩き」してるんではないの?
『属性振りかざして人の口塞いで』ない?って思ったんよね
女親だと「女親なのに」的カテゴリー叩きですがこの場合は「若者のくせに」「実家暮らしのくせに」みたいな。
誰かに指摘されたのか、自分で言いすぎたと思ったのかは分からんけど
いやいや私はフリーランスなんで自分のケツは自分でしか拭けませんし、とか、
たまたま仕事で会った人に嫌なこと言われた話しただけなのに僻まれたってちゃんと自分で言ってるじゃないすか。
ただ「仕事で嫌なこと言われただけの話」と。(今見たら消えてる気がするツイ消しされたのかな)
つまり、その話をしてきた人のカテゴリーがここでの重要な問題でないと。
女親が家事労働をできていないと言われがちなことが問題であってそれを言ってくる人それぞれのカテゴリーを出す必要はなくない?
実家暮らしの独身の若者がみんな同じ話するわけじゃないですし。
なんでわざわざ「独身」で「実家暮らし」の「若者」という属性を書き出したん?
801ちゃんさんが「独身」や「実家暮らし」や「若者」もしくはこれらの属性を複数持ちする方を見下す気持ちがどこかになければ
わざわざ書き出してあげつらうことしないんじゃないん?って思ってなんかな~って気持ちになっている。
(あとパンツもママに洗わせてるくせにとか言ってるけど実家生活なら洗濯物はみんなまとめた方が効率的だしその方のご家庭がどうしているかを知っているんですかね?思い込みで貶すために言ってませんか?あとやっぱパンツ洗うのはパパじゃなくてママって感覚なんすよね。そもそも働いた金は働いた人のものなんで好きに使えばいいし親がまだ働いてて自立生活可能なら家に金入れる道理もないし5万入れてるのもう十分っていうかそんなことわざわざ書き出してホント若者を馬鹿にする気しかないでしょ?!)
仕事でたまたま言われただけのことで「子持ちや女親は……」って非難されるって腹立ててますが、
自分もそうやって「女親」とか「子持ち」とかを振りかざして人を見下してる可能性あるんですよ。
「可能性」と言ったのは私があなたじゃないから、ほんとのところは分からないだけ。
あと801ちゃんって801ちゃんさんって言えばいいのか、さかなクンをおさかなクンていう感じでお801ちゃんと呼ぶのが正しい敬称なのか分からん。
仲良くなったと思ってもただの打算ばかり働いている。
大したものは描けないが、私はとあるジャンルのBLカプで絵を上げていた。
そこそこの評価をされていると感じていたが、自惚れかもしれない。
とある字書きが私にリプをくれた。
あなたの絵がとても好きだと。RTもくれた。大した絵でないにせよ、毎回褒めてくれて嬉しかった。
仲良くなった。
飲みに行った。
仲良くなったつもりだった。
頼まれて、何度か表紙絵を描いた。
だいぶ売れたようだ。
その頃から、字書きは私の絵に反応しなくなった。
絵をアップしても、反応しない。
ほかの絵師のイラストは必ずといっていいほどRTするのに、私の絵には無反応。
そうか、あまり好みの絵をかけてないんだな。そう思った。
仕方ない。
でも、本を出す時は相談が来た。
絵を描いて欲しい。
デザインもして欲しい。
声を掛けられると、なんだ嫌われてるわけじゃないのかと嬉しかった。
表紙を描いた。気合いを入れて。
出来上がった本の告知がきた。
もちろん私はRTする。その本だけじゃなくて、字書きの作品はいつだってRTしてきた。
あっちからは、私の絵に反応がなくても、それはそれこれはこれと思っていたから。
「表紙を描いてもらいました」
そんな紹介はもちろんしてくれた。
でもやっぱり
私の普段の絵には反応がこなかった。
他の絵師には反応するくせに。
そんなことが
二年ほど。
あるときようやく気づいた。
そっか。
たぶん、字書きは私じゃなくて別の絵師に描いてもらいたいのだ。
二番手の私にねだるのだろう。
私の絵が本当は好きじゃないのは、分かる。
仕方ない。そんなこと勝手だし。
私は描くのをやめて、ちょうどジャンルへの熱もさめたころだったから、筆を置いた。
字書きからの連絡はその後とくになかった。
空虚だなあと思った。
利用されて、なんて思うのはおこがましい。Twitterなんて、誰が誰に反応したって、しなくたって、勝手だ。
でも、分かっていても悲しくなるから描くのをやめた。
もちろん、本人に言うなんてしない。
誰も得をしないし。
Twitterでは、誰もフォローしていない。フォロワーは少し増えたけど。交流はしない。気持ちが楽だ。
仲良くしても、無駄だし。
今になって思うことは、私は字書きのことが好きだったんだ。だから、好きになってもらいたかったんだ。
もう会うことはないけど、元気でいてくれたらいい。
思いが届かなかったのは、
悲しいけど、仕方ない。
時々思い出して
少し悲しくなるから、供養のつもりで書き殴った。
少しすっきりした。
夜になったら、また絵を描こう。
もう、前のジャンルの絵は描けないけれど。
こういうふうな気分になったこともある。でも、そういう考え方って実は「やりたくてできない人」の考え方なんだよな。ムカつくって言うけれど、実際にムカついてるのは、自分を観ているようで嫌だからじゃないの?
実際には10年も頑張っていたら、絵なんてうまくなるし、それなりに売れるようになるのだよね。
だから、この人の怒ってるのってぶっちゃけ余計なお世話なのよ。
好きにやってるんだからほっといたら良いじゃん。
創作なんて、子供の頃からやっていようが大人の頃からやっていようが、みんな病むときは病む。
自分が描く前は元増田のように考えていたし、下手なくせに評価されたいって悩んでるやつうぜえ、「身の程をわきまえろ構ってちゃんが」、と思ったりもしたけれど10年後の今は「創作勢はだいたい病んでる」って思うようになった。
上手い人はどうやってその絵を描けるようになったのかな、って一度でも考えたことがあれば、上手い人と自分を比べて落ち込むなんて傲慢なことはしない。
これ間違いね。
だって、上手い人は皆だいたい、「上手い人と自分を比べて落ち込んでそれでも止めずに前に進んだ人」だもん。(上手いっていう言葉には複数意味があるし上手くなくても評価される絵はたくさんあるんだけれど)
なぜなら、絵を描くのを怖がっていた頃の自分も似たような考えばかりしていた。
でも、実際にはやってみるのと考えてるのとでは全然違った。
「悩んでもいいから全部吐き出せ。絵は全て下手でも公開しろ下手でいいから真似しながら描け」
って言うと思う。
それにいまは講座関係が充実していて、成長速度は過去よりよっぽど早い。
お絵かき勢は上手く行かないと病むし、そんなことは当然の当たり前のどうでもいいこと。
そして、今の自分がその絵と同レベルの絵を描けるかどうか考えてみてほしい。
おそらくその人はそれより下手な絵やだせえ絵を描いたこともあるはずだ。だがそれはきっと公開されていないだろう。その理由はなぜだろうか。
公開している人多いよ。
むしろ、昔の下手な絵をバンバン公開しているひと、恐れずに発表している人のほうが生存確率は高いよ。
pixivをみたら、過去のレベル1の初心者絵が年を追うごとに上手くなっていくって人はたくさんいる。
描き始めて3年ぐらいには、もうランキングに乗ってるなんてこともある。
上手い人はだいたい、自分が下手なのはなんでだって病みまくってる。それを繰り返していくうちにうまくなる人もたくさんいる。
その病み芸がうざいっていうのはご愁傷さまだけれど、実際、うまくなるまでの過程としてよくあることだし特に珍しくもないことなので、増田は上澄みしか観ていないんじゃないの?
自分だって十万時間も百万時間もそれ以上も努力してきた、それでも自分は上手くなれない、だから努力なんて意味ない、才能の問題だ、そういう奴。
これは絶対におかしい。絵には残念ながら才能というものがある。
描けば描くほどうまくなるし努力の価値は間違いなくある。でも、ある程度以上行くと残念ながら才能がどうしても現れてくる。
誰もが努力したらすごい人のように「上手い絵」を描けるなんて思ってると地獄だし、わかっていても描けないことはたくさんある。
だって、絵というのは空間把握能力や色彩感覚やアイディア力や表現力という才能の問題に必ずぶち当たる。ある程度は鍛えることができるし、その才能が問われるのは1万時間程度やったあとだが、絵というのは残念ながら本当に才能が出てくる。
努力の価値は尊いけれど、努力したらどんな人間も素晴らしい絵を描けるようになると思っているとマジで地獄を見ることになる。
かならず「自分の絵を探す段階」に入る。だから、そういうひとには、「自分の描きたいものを考えて自分の絵を描くようにしたら良いよ」というしかない。
努力の方向性が間違えてるなんて言葉では解決できない能力の問題が絶対にある。
「どんな人間も必ず東大に入れる」わけではないように「どんな人間も1万RTされる色彩豊かなイケてる萌え絵師になれる」わけじゃない。
これは必ず才能の問題がある。
そして、才能があってもそれが評価されるかどうかは別問題。上手い人も全然評価されないケースはたくさんある。
ソシャゲのSSR最終覚醒に使われそうな絵柄が描けそうな人でも、10RT程度で全然評価されないことだってある。
本当に気をつけろ。