はてなキーワード: 野次馬とは
人は自らを或る属性を持つ集団に属させて、その集団同士で勝ち負けを争い合うのが大好きだ。
肉体的スポーツに限らず、デジタル、アナログ問わずのテーブルゲームや手遊び、東西、紅白、善悪正邪、二元論的対立でなくとも、プロアマ問わず複数からなるチーム対抗戦、地域、国家、思想、就労組織、親類一族、家、出身校、同一校内でも学級、学科、部活、委員、学内地域、血液型、星座、誕生日、好きな食べ物、フェティッシュの方向性、何のファンか誰推しか何沼にハマっているかに至るまで己を自らカテゴライズして、そのカテゴリ同士で優劣を決めるのが好きで好きでしかたがない。
自分で戦えない場合は時に相手の罵倒をも織り交ぜながら贔屓への応援支援。味方の勝利は己の勝利、実効的な行為は何一つせずとも馬鹿騒ぎ。負けてしまえば最悪の場合、殺人事件にまで発展する始末。争いは嫌だという場合も、嫌だという主旨でそうでない連中と争うことになる。『「長話はダメだ」という長広舌をふるう』ようなものだ。言葉とは斯くも自己言及的で――まあ、それは今更なのでいいだろう。
何にしろ、単に自分対他者よりも所属或いは肩入れする集団間での抗争が特に好まれる傾向にある、と言っていい。個人で戦うよりも楽だからというのは勿論のこと、責任は分散しつつ比較的安全圏から敵を攻撃できるからだ。
本気で対決せずとも二項の対立状況自体を面白がる風潮というのもある。無責任だったり判官贔屓だったり、要するに他人の軋轢に首を突っ込むというか、頼まれもしないのに乗っかっていく、むしろ煽っていくという状況がよくあるのは知っているだろう。
例えば、競合する商品やサービスを担う二社があったとして、そのどちらか一方のみを支持し、もう一方は徹底的に根絶する。そういう流れを見たことはないだろうか。その場合、どっちも買えば良いとかどっちも楽しめば良いとか、そういう一般的な思考は敢えて除外される。まあ、中には真剣な『アンチ』『信者』もいるんだろうが、別に両方同時に手を出していけない法はない。
つまり、好き好んで仲違いし自らを持ち上げて相手をこき下ろし、朗報悲報だのと立場によって逆転するニュースをラベリングしてひたすらにマウントの取り合い、自陣営に勧誘する事もなく、互いに罵倒し合うさまをこそ楽しんでいるとしか思えない。
現実的には、個人の資産や費用の限界による購買制限、つまり、どちらかしか選択できないという事情もあろうが、そうであったとしても選択できなかった方を貶める事で自尊心を保つ行為にしては少々度が過ぎていると感じやしないか。
詰まるところやはり『優劣をつけること』が主たる目的であって、エコノミックなパイの奪い合いというよりもこれらは、自分が正しく相手が間違っている事の確認、証明、『相手を攻撃できればなんでもいい』という事なのだろう、実際は。その『なんでもいい』部分に、同族集団というものがもっともらしい大義名分をもたらしてくれるという訳だ。なにしろ実利は無関係、というか寧ろ機会の損失という意味では損している訳で。まあ、対立状況を面白がる人間はそもそも外部の野次馬であって、失うものは最初から無かったりもするものだけれど。責任の分散どろこか、そんなものは無いと思ってるからこその、というべきか。要するに、自分自身が戦うということは絶対条件ではないって事さ。優劣を付けるのと勝敗を決するのとは、似て非なるものだからね。
誤解無きよう言っておくが、それ自体が駄目だと言ってるわけではない。人はどうやらそういう風にできている、という説明解説なのである。
元々は生存競争、捕食被食、繁殖する為に異性を取り合う等、勝つことが悦びであるという根本的な反応だろう。知恵により食物連鎖から仮初めとはいえ脱し、生存率も他に比べて高い水準を保てるようになった人にとって、その悦びを得る為の代替行為を欲するのは自然な事だ。闘争を避けること、つまり逃走が生存維持に繋がるならそれも勝ちの一種ではあるが、さっきも言った様に勝敗自体はどうやら人々にとってはさほど意味が無いようなのだ。そういう意味で、主として一人用ゲームというのは、プレイヤーが気持ちよくなる為の都合の良い仮想的を設定し、そしてそれはあくまで倒される前提、つまり攻略可能な範囲での接待と気づかれないギリギリの強さでの抵抗をし、最後に負ける事を定められた存在を配する事により悦びを得る為の疑似戦闘として非常に有用、と言うかまあ、人気な訳だ。
ただ、先に一人用と断ったように、対人戦特化型は全く別の話になるし、一人用でも高難易度特化のものはあるのだが、それはハードルが高く門戸が狭い事によって、他の奴等には出来ない事を出来る自分、というより強い優越感に浸れるという付加価値があるが故に、一定数の指示を得ている状況であり、誰でも簡単にクリアできる爽快さは、そういう人間にとっては悦びどころか、……まあ、あくまでも攻略をなせる腕があればの話だが、寧ろ無粋でつまらないものだろう。
当然、ストレス発散の為に結果としての悦びを求める者達にとっては、悦びを得る為に苦行をこなさねばならぬそれは、ゲームの為にゲームをしているという、全くもって本末転倒な思考回路なのだ。
決してそんな事はないんだが、それこそ属する集団が違うという事だ。
そして大事な事だが、『或る集団に「属する」』事は、戦う大義名分――通るか通らぬかは兎も角――を得られると共に、自分が何らかの役に立つと思い込める格好の機会でもあるのだ。特に、普通のコミュニティに馴染めない人間にとって、それは蠱惑的なのだ。
現実社会では必要とされない自分が、疑似コミュニティにおいては貢献する事が出来る。……まあ敢えて疑似としたが、要するに社会と直接には繋がっていないと言う事だ。
そして上の人間、主催は、そういう心情を利用する事が多い。現実では得られなかった役割を与え、達成感という報酬で縛り、更なる貢献……否、献身を自ら進んで行うよう巧妙に仕向ける。直接的な強制はせずとも良い訳で、自覚のない都合よき駒として、一層離れられなくしていく。無論、普通のコミュニティとてそういうものではあるのだが、マイナスを経験した後での逃げ道として用意された幸福だから、同じ分のプラスだとしたらマイナス分で絶対値は増えている、依存が強まってもおかしくない。
実際、例えばオンラインゲームにおける共闘のように、自らの役割がハッキリとしていてかつ効果に即時性があり目に見えて貢献度が分かるようなパーティプレイは、少なくとも勝っている間は、それはそれは愉しい。自らの貢献、味方との連携、互いを求め、そして求められる関係作戦立案そして実行。結果敵が倒されるのだ、自己の承認と敵の殲滅が同時に得られる。脳汁が止まらないって奴だ。つまりね、組織だった戦闘というのは、悦びを最も実感出来るシチュエーションなのだ。
その通り、厄介な事に、物理的集団戦闘行為が、その悦楽を最も得やすいんだよ。
さっき言った様に、集団を主催する人間はそれを利用するし、強烈な快楽故に強制すら不要だ。
論戦については、『双方がルールに則って』戦う前提ありきだ。そもそも言葉というのは真理でないと、今までも何度も言ってきた。言葉が通じない相手とは論を戦わせられないのだから。ある動物の威嚇行為が、人から見れば愛らしいファニーな行動に見えるように、概念での戦いは言語をはじめとした共通ルールの確固とした共が大の大前提だ。
逆に言えば、ルール厳守を徹底するなら、言語は強い武器たり得るという事でもある。
まあ、普通に暮らしている分には、我々は言語という呪文が通じる世界にいるので、その威力は人を生かすも殺すも出来るレベルであり、あくまで言葉が通じる場でなら、用いて戦闘行為は可能さ。
そもそも属性集団の属性に言語によって分けられたものがある以上、強い悦楽が物理戦闘に限るわけでは無いのだが、実際問題、同じ社会にいながら『言葉が通じない』相手が結構いるものなのだ。
どちらが良いとか悪いとかではない、勿論優越でもない、君が何処に属しようと、どういう戦闘を愉しもうとするかは僕がどういう言うことではない。
これらはどこかで見聞きするようなもので個人の意見ではもはやないレベル。ようは他人の尻馬に乗ってるだけなんじゃない?大した根拠もないし第三者だから責任も取る必要ないし、どんなに詰めても深い話は出てこない。
仮に似た意見の人がいたとして、何が問題かわからない。ってか多くの人が「信用できない」「継続できないだろう」って感じてるPRって終わってるね。
あなたレベルの人が、もし他の人とは全く違う独自の意見を持ったとしたら、まずは自分の勘違いや情報不足を疑った方がいいと思うよ。
なんで「自分なりに」考えなきゃいけないのか意味不明。ってか今更キャラ設定レベルの改善案があろうとなかろうと「プロジェクトに継続価値がなさそうだね」って話と無関係。
もし昔からこのプロジェクトを知っていていまさら意見をしているとしたら、もっと見識高いことをいえるよね?それこそ「プロジェクトは継続できないだろう」みたいなふわっとしたものではなく、どこかで発生したであろう選択肢を提示できるはずだ。そういうのがないから薄っぺらで空中戦しかしないって言われるんじゃない?
この炎上でプロジェクトを知ったけど、それに意味があるとは思わない。「プロジェクトは継続できないだろう」ってとても明確な命題だと思うんだけど、なにが「ふわっと」してるのかわからない。まともな運営組織なら選択肢に溢れてるだろうけど、この不審な組織ではできることがかなり限られるだろうね。
具体的に改善案を考えるなら、まずは協賛がどれくらい減って、それによってどの程度活動規模を縮小する必要があるのか、を明らかにする必要があるだろうね。でもこの運営企業はそんなのやらないでしょ。協賛企業を非表示にしたことすらまだコメントしてないくらいだからね。
少し話を変えると、そもそもこのプロジェクトや温泉むすめって炎上騒ぎをきっかけにみんな知ったよね?それまで問題視されてこなかったわけだけど、ある人の発言からなぜか全員が同じように叩き出した。実際自分もこの話は一週間前まで知らなかったレベルだ。
意見を述べるのは勝手だけど、そもそも他人の意見や炎上に便乗しているならば事実上自分の意見とはほど遠い
これらはどこかで見聞きするようなもので個人の意見ではもはやないレベル。ようは他人の尻馬に乗ってるだけなんじゃない?大した根拠もないし第三者だから責任も取る必要ないし、どんなに詰めても深い話は出てこない。
そして見方が一様すぎる。キャラの設定等に関して問題だと思うなら、どうすればいいのか自分なりに考えたことはある?
もし昔からこのプロジェクトを知っていていまさら意見をしているとしたら、もっと見識高いことをいえるよね?それこそ「プロジェクトは継続できないだろう」みたいなふわっとしたものではなく、どこかで発生したであろう選択肢を提示できるはずだ。そういうのがないから薄っぺらで空中戦しかしないって言われるんじゃない?
「傷ついた!」「お気持ち!」「ミサンドリー!」「ミソジニー!」「表現の自由!」
実際にはてブに上がってくることも多くて注目度の高い話題ですが、では、そこに注がれている視線とはどのようなものでしょうか。
フェミニスト、アンチ、野次馬の3つに大別できると思います。政治に例えると保守と革新とノンポリのような感じでしょうか。
アンチの中にも色々いて、そもそも男権社会のままであったほうが自分に都合がいいから男女同権の拡大に抵抗している人と、人権という錦の御旗を悪用していいとこ取りしようとする小狡いフェミニストを批判する人とがいます。そもそも折り合う気のない前者とはいくら戦っても戦いは終結しませんし、後者については戦う相手としては明白に分が悪いし言い負かされた時のダメージが大きい。つまりいずれにしてもアンチとやり合うことにはほとんどメリットがないのです。
なのに、なぜかフェミニストたちは「これは闘争であり、その姿を見せ続けることで宿願の達成に近づくことができる」と信じているように見えます。
私は、フェミニズムのすべきことは「アンチを論破すること」ではなく「野次馬を味方につけること」だと思っています。
現状、私を含む野次馬たちは日和見(どっちの味方につこうか決めかねている人)ではありません。どっちの陣営にも肩入れする気はなく、ただ言い争いを眺めている人です。もめごとが起こるとそれだけで「お?なんだなんだ?もめてんのか?」と人は集まってきますが、そこに居合わせたのはただの偶然です。
いわば、居酒屋のテレビでたまたま映ってるプロレスを眺めている客です。リングの上のふたりの選手はベビーフェイスとヒールに色分けされてはいますが、元々プロレスに興味がないのでどちらに肩入れすることもありません。でも目の前のテレビにたまたま映ってたらつい見ちゃう程度には試合が面白いし、よく知りもせずにちょっと的の外れたコメントを言いたくなったりもします。しかし、そこで奇跡的に魅力的な試合展開でもない限り、その人がそれをきっかけにプロレスファンになることはありません。居酒屋を出たら忘れてしまうでしょう。
今のフェミニストたちのいざこざの大半はこのように「無関心なまま通過されるエンタメ」になり果てている気がします。どちらが優勢でどんな戦略・戦術がとられるかは勝負事としてその場限りの関心があるけど、自分自身のイデオロギーにまではその影響が及ばない。いざこざに使われるエネルギーの大半はフェミニストとアンチの間を往復しているだけで、ベクトルが自分のほうを向いたエネルギーがないからです。
この状態が続けばいずれこうした論争は「鬱陶しいけれど本質的にはきのこの山とたけのこの里の争いに近いもの」と認知され定着してしまう気がします(すでにそうなっているかもしれませんが)。
kukky セクハラも性犯罪もしてない多くの男性は、自分がしないから世の中にそういうことをする男性が存在しないと思ってて、自意識過剰とか勘違いとか女性側の問題にして片付けがちだからじゃね?知ってほしいのよ。
porquetevasporquetevas ぶつかり男の存在を否定してたのは男性ばかりだったと記憶しているのだが。スマホ見てちんたら歩いてたんだろwとか個人の問題にされたり嘘つき呼ばわりされたくないんだよ。啓蒙とか大袈裟なもんではなく
情報、特に真偽不明の対立を煽るような情報に、疑いの目を向けることは全く正しいことです。
「朝鮮人が井戸に毒を入れた」という根拠のない噂を無批判に次の者達に伝えた大勢の無責任な人たちのせいで、大勢の人が言っているから確からしいという空気や報復は正当であるという空気を生み、それを真に受けて行動するような人間にまで伝わったから殺人が起きたのです。
加害行為に関与していない人間も事情を知っていて当然で、無条件に被害を主張する者の味方にならなければならないという価値観は、思いあがり甚だしく危険です。
そもそもインターネット上で議論を続けれると、たわいもないことでも暇人が対立を生み出したり、むやみに議論の参加人数が増えて問題に無知で無神経な野次馬や暴力など過激な行動をする人間を呼び込んだりします。
被害に苦しんで心が弱っているときにネット上で不特定多数に呼びかけを行うことは危険です。
もしあなたが9の励ましの言葉に癒されるよりも1の心ない言葉に傷つくなら、ネットから離れ、弁護士や支援団体を間に立て心無い言葉から防御するようにしましょう。
ツイッターは村社会全体公開型のSNSですね。だからあってはならない人の異種格闘技が起こるから、野次馬的には面白いんですけども。そもそもああいうのはLineとかDiscodeでやるべし。
数年前、午前2時過ぎにバイト先の居酒屋から徒歩で帰宅する最中だった。当時10代だったわたしの足で、すすきのから札幌駅方面の自宅まで30分ほど。
平日深夜だと言うのに、市電通りの横断歩道を渡っても駅前通りは結構人が多かった。
カラ館前を通り過ぎようとしたら、路上でスーツを着た40〜50代くらいのおじさん3人が大騒ぎしていた。タクシーとタクシーの間、路上というよりは車道だった。
「酔っ払いは嫌だなあ」とチラリと視線を向けると、明らかに様子がおかしいおじさんが1人いた。見るからに意識がない。
周りのおじさん2人は、路上に座り込んで意識のないおじさんを呂律の回らない口で笑っていた。近くにいた客引きの女の子は仕事中だがおじさんの介抱するべきかチラチラと視線を送っていた。
おじさんは、転んだ時に頭をぶつけたようで、路上は血の跡で若干濡れていた。顔色は、夜でもはっきりわかるほどにみるみると真っ白になっていった。
そして、失禁した。それを見て周りのおじさんは更に爆笑した。
これはいけないと駆け寄った。首の横に手を当てても脈が触れず、肩を叩いて、名前も知らないのに呼びかけた。うろ覚えの知識でネクタイとベルトを緩めた。
それと同時に救急車を呼んだ。
大の大人が失禁するシーンなんて見たことがないからわたしはパニックを起こしていた。救急の人に状況説明していたが、支離滅裂だったんじゃないかと今になって不安を覚える。
必死で呼びかけたおかげか、顔色が戻ってきた。脈も触れる。よかった、と思っていたタイミングで救急車がやってきた。
そのまま救急隊員におじさんを引き渡した。だが、問題はここで起きた。
おじさんが救急車に乗らない。さっきまで顔色悪く失禁してたことなど本人は知らないからなのか、おぼつかない足取りでそのまま帰ると主張していた。
救急隊員も「頭怪我してるから、そのまま帰ると奥さんが心配するよ」「とりあえず頭の手当てだけするから救急車に乗って」などとさすがプロと思える誘導を行っていた。おじさんは言われるまで頭の怪我に気付いていなかった。
野次馬ごと「帰れ」と促されたからその後は知らないが、深夜に救急隊のみなさんに迷惑をかけてしまったのではないかとずっと気に病んでいる。
実はおじさんの怪我は大したことなくて、酔っ払いが失禁するのもよくあることで、あの夜に救急車を呼びたかったのに私が呼んだせいで助からなかった人がいたのではないかと、ふとした時に考えてしまう。
所詮通行人だったし、放っておいてもよかったんじゃないか、わたしがやらなくてもよかったんじゃないか。
おじさんと救急隊が結構な押し問答してたし、わたしがパニック起こして余計なお世話してしまったんじゃないか、状況説明したときの面倒臭そうな救急隊員の態度から通報してよかったのか、未だに不安になる。救急車に乗せられるところまで見届けられなかったからかもしれない。#7119にかければ良かったのかもしれないが、当時あったのか存在を知らなかったのか今となってはわからない。
たくさんのご意見ありがとうございます。当時の自分を労って下さるコメントに気持ちが救われています。
やらなかった時、きっと後悔してただろうってお言葉がいくつかありました。たしかに素通りしてずっと悶々とするよりは、助かってモヤモヤしてた方がマシだなって思いました。ありがとうございます。
以下気になったコメントについて。
→仰る通りです。ただ真冬のすすきのは警察官がその辺ウロウロして酔っ払いを拾って帰るので、恐らくわたしが出くわすことはなかったんじゃないかと思います。当時はそこまで寒い季節ではなかったので9〜10月上旬くらいだったかと記憶してます。
→多分立ち合ったら誰でもわかります。かなり真っ白で人間の色してませんでした。失禁直後に首触った時の感触と体温がゴムみたいで、数年前亡くなったおじいちゃんの遺体が過ぎり、余計に焦りました。生きててよかった。
→酔っ払ってました。フラフラで立てない感じです。わたしのスマホの充電が切れそうだったので「おじさんスマホある?」って聞いたら「どこだろ〜?落とした〜?」って言ってました。多分2人とも死にかけおじと同じくらい飲んでたんでしょうね。
わたしが焦る様子見てようやくただごとではないとわかってくれたのか、座ったまま介抱手伝ってくれました。
→怖すぎる世界線で震えました。普段から人気のない場所には行きませんが、気をつけます。
ちなみにすすきのは街頭の監視カメラかなり多いです。余談ですがひったくりされた時にすぐに犯人捕まりました。周りに通行人が多く、客引きやタクシーが見てる状況で、いざとなれば誰かに声をかけられるという環境だったからこそ動けたのかも知れません。
→ごめんなさい、気持ちの余裕がなかったです。場所を先に伝えたほうがいいってボーイスカウトで救急救命講習やったときに教わっていたので「〇〇に救急車一台下さい!」って咄嗟に言ってました。タクシーじゃないんだからもっと言い方考えるべきでした。
あの時は必死でおじさん死ぬな!って思ってたんですが、そのあと意識取り戻して救急隊と揉めるおじさんを見て「あれ…?元気じゃね…?私救急車呼んでよかったのコレ?」ってモヤモヤしてしまい、今回増田の存在を知って書きました。読んでいただきありがとうございます。
詳細はボカすが吐き出したくなったので投稿。
厳密に言うと同じ現場の別業種の他会社の( その業種はそこの1社しかない)話で、直接俺とは関係ない。
そこの会社の業務はサービス業の側面が強く、客先の従業員への窓口対応がメインの業務で、テキパキと迅速な対応が求められる場面が多い。
その為か、指導が割と厳しい。服装の乱れや持ち物から髪色まで細かく言われる。ミスが発覚すると裏で詰められる。(1人で多くの人数を捌くので早く覚えて欲しいという意図もあるんだと思う)物言いがキツい社員と穏やかな社員で二極化していて、割合は半々ぐらい。
そこの会社に新人が入ってきた。20代の男性で、物静かそうな、大人しそうな子だ。こっちが挨拶をすれば返ってくる。
そこの会社の従業員たちが言うには、その子はとてつもなく仕事覚えが悪いらしい。受け答えが覚束ず、メモばっかり取っていて、ろくに客と対応が出来ないと嘆いてた。最初は物言いのキツい社員たちが口を揃えて言っていたので、「新人の子も大変だな」と思いながら小耳に挟んでいたが、次第に穏やかな社員たちも痺れを切らしてイラついてきているのがわかった。今まではミスが多い新人が入っても、穏健派の社員たちはイラだっている気配が無かったから、これには驚いた。指導員のひとり(穏健派)がノイローゼになりそうだとボヤいていたので、他会社の問題ではあるが、野次馬心で気になってしまった。
そこの社員たちの話を盗み聞きしてたら、俺はなんだか具合が悪くなってきてしまった。なぜなら新人君は新卒時代の俺、なんならその延長線にいる俺に死ぬ程そっくりだったからだ。
彼は間違いなく、「俺と同じで脳のメモリがとりわけ小さいタイプ」だ。事務処理を中断して電話対応したり、目の前の人の対応をしている時に後ろに人が並んでることを認識しただけで脳みそがオーバーフローしてショートして目の前の処理が一気に吹っ飛ぶ。その癖すぐにパニックになったり頭のキャパが小さいくせになまじ責任感があるので、「間違えたり失礼な対応をしては行けない」という強迫観念みたいなものがあって、速攻で脳が逝く。
キツい社員が言う、「あんだけメモとってんのに、メモの内容間違ってんだもん、その場で書き直させたわ」
違うンだわ、もうな、人前で読んで理解するってのは俺たちは出来ねンだよ、理解出来ねえし頭で噛み砕けねえけどメモとるしかねえし、メモとれって言われたらメモとるしか出来ねえし、その場で理解して噛み砕いてメモに落とし込んで咀嚼する事も出来ねえから音声として言われたことをそのまま文字に書き落とすしかできねンだわ。いっぱいいっぱいなンだわ。噛み砕けない食べ物を口に入れられた状態で引き続き業務に戻らされて、また噛み砕けない別の食べ物口に突っ込まれる感覚なンだわ。仕事終わったら焦燥感と疲弊感で全部吐き出して、残るものと言えば恐怖感と食べかす程度の業務知識しかなンだわ。
キツい社員が言う、「あんまりキツく言うと萎縮しちまうからよぉ、なるべく優しく教えてんのに、途中で返事しなくなるんだよ、やる気あんのかアイツ」
頭の中真っ白になって、声すら出なくなンだわ。こっちが欲しいのは落ち着いて仕事覚えられて少しでも仕事を覚えられてる実感と、分からないことを聞きやすい心理的安全性であって、お前が思ってるお前の優しさなんて糞の足しにもなんねンだわ。お前ら同じこと聞いたら怒るンだわ。でも俺らは同じことを何度も聞いてようやく刷り込めるンだわ。「前にも教えたよな!?」って眉間にしわ寄せて聞いてくるけど、沢山のこと詰め込まれて全部覚えられねンだわ。アンタらは覚えられるかもしれねンだわ。ストレスや緊張感が職場にいるあいだ普通の人はニュートラルが30だとしたら俺たちはニュートラルで80ぐらいなンだわ。仕事始まるだけで不安感とか緊張感とかまた責め立てられるフラッシュバックで140とか150まで上がンだわ。(これに気づくのはGARMINのスマートウォッチを手にする三十路過ぎまでかかった)もうさ、いっぱいいっぱいなンだわ。
そりゃなんでこんなに理解できねえのかお前らわかんねえよな。俺だってお前らがなんでほんなにすらすら出来るのかわかんねンだわ。
キツい社員が言う、「客の前でメモ読ませるの止めさせたわ、間違えてもいいからメモみないで喋れってよ、そしたら挙動不審になんだよ。コミュニケーション能力が低すぎるんだよ」
もうね、地獄かと。いや、コミュニケーション能力が低いのは間違いなく当たってるンだわ。俺たちみたいな脳小さい奴は口頭のコミュニケーションは壊滅的に苦手なンだわ。だけどこういう奴は文書だと人並みにコミュニケーション取れたりすンだわ。何故なら文書ベースだと自分のペースで相手の文章を何度も繰り返し読めるから漏らさず理解も出来るし、自分でメモとる工程もないから相手の要件や必要としてるものを理解することにリソースを費やせるからなンだわ。お前らが一瞬でできる事を、俺たちはジャグリングしながらリフティングする曲芸をしてるの見てる気分で滅茶苦茶なゴミみたいな頭を抱えながら目の当たりにしてンだわ。何が言いたいかっていうと、俺たちはメモの内容を完全に理解していても喋れるフィールドに立ててないンだわ。何故なら俺たちはワーキングメモリ極小故にそもそも喋ること自体が難しいからなンだわ。メモを見るのは、喋る直前のパニックを抑えるルーチンなンだわ。
そんな事を思いながら、俺は新卒で入ってすぐ辞めた職場を思い出して、あの時の地獄のような苦しみが鮮明に思い出されて、食慾が失せて、憂鬱な気持ちになってしまった。
特性上、俺も彼も、彼の仕事は向いていない。俺は今の職場でも無能ではあるが、仕事の補助のOA事務(vbaや関数の知識)能力がたまたまあった故に、周りの人の苦手な部分を補えてハマっただけであって、要は職場ガチャで当たっただけなのだ。俺は今でも彼であり、彼は職場が違うだけの俺なのだ。
俺は彼の地獄の苦しみを誰よりも深く理解しつつ、ほか会社の従業員から「増田さーん、聞いてくださいよぉ、うちの新人がポンコツすぎてぇ……」と愚痴を聞かされながら、こみ上げてくる吐き気と暗い気持ちを抑えながら「大変そうですねぇ」と相槌を打つ日々を送っている。
野次馬装ってるけどそんなんに興味持つ時点で同じ穴の貉だぞ
人権問題にしようとしている人がいるけどズレてるよそれは
アイマスっていうのはキャラクターの担当声優がキャラクターと同じ衣装を着てゲーム内のアイドルユニットと同じ構成でステージに立って歌って踊るコンテンツなんですよ
俺もそれを初めて知った時はびっくりしたよ
アイマスファンの友達から話を聞いた時は「全年齢版イメクラやんけ!」って思ったよ俺も
だけどそういうコンテンツなんすよ、いわゆる2.5次元コンテンツってやつだよね
だから声優と担当アイドルっていうのは切っても切り離せない関係なわけで、実際そういう売り方を公式がやっているんだよ
だから仮に声優がその担当アイドルのイメージを毀損するような言動をとってしまうと商売に悪影響を及ぼす
具体的に言うと担当アイドルがガチャで課金されなくなるしそのアイドルが参加しているユニットの他のアイドルの人気も低下しかねない
だから降板させられるにしても恋愛禁止みたいな人権侵害契約ではなくて、「キャラクターのイメージを毀損するような言動は厳に慎むこと」的な契約に違反したから降板させられるだけだと思うよ
こんにちは、私の文章を読んでくれてありがとう。あなたのコメントを読ませていただきましたが、私の不勉強ゆえ間違った解釈をしていたら申し訳ありません。
つまり、あなたの解釈では「壁になりたい」という言葉は、私の言う「美しいもの」から自分を疎外し、そこで起こっていることに関してはどうなっても構わないが「美しいもの」のことは見ていたい、という野次馬根性のあらわれだと言いたいわけですね。
たしかに私はこの文章を書いたとき、「壁になりたい」という言葉を少し肯定的に捉えすぎたと反省しています(壁になりたい時点で正気ではない)。
しかし、私の書いたことが全く的はずれだとも思いません。あなたは「都合のいい欲望」と書いていますが、都合のわるい欲望などありえませんし、欲望のない人間もまた然りです。
自分とは全く異質な、しかしとても美しいものを目の当たりにして愕然とした経験はあなたにもあると思います。欲望は使い方さえ間違えなければ、私達が生きていくうえで欠かすことのできないものです。
くどくどと遠回りな物言いになってしまいましたが私の伝えたかったことは、自分の欲望をあまり卑下しすぎないで欲しい、というただ一つです。
ほとんど当たり前のことなので、おもしろみがないかもしれません。
ブクマ0人からブクマ1人になるのはかなりハードルが高いです。
人の心理としても、ブクマ数0の記事をブクマするより、ブクマ数1の記事をブクマする方が楽だし、ブクマ数10の記事をブクマする方が野次馬になれるので気が楽です。
ブクマ数0から10までがとても大変なので、ここで自分がブクマするだけで難しさが下がりかなりバズりやすくなります。
逆に、かなり初期の段階で増田のブクマをしてる人は本人の可能性があります(炎上系でも)
ズルっぽいし、自分が書いたことを特定されたくないときが多いので、自分はたまにしかしません。
全く同じ内容でも、読む層が違うと全然違います。日曜日の深夜の層と、月曜日の朝の層は当然違います。
ちなみに今日の日付や現在時刻と、今回のこの投稿内容は特に適しているわけではないです。
確率の話なので、時間帯が違っていてもバズることはよくあります。運もあります。
増田のトピックにも流行があります。ほとんどはインターネットでバズっているものの話です。最近はラーメン評論家や政治の話でしょうか。
流行テーマに合わせると、いつもより皆の興味が向きやすいです。
それから英語やプログラミングやエロの話など、一年中バズりやすいものもあります。
わかりやすくタイトルをつけるとすると「中学英語レベルの実力だったけど留学してアメリカ人とヤッてたらTOEIC990点取った話」みたいなものは、内容の如何に関わらずブクマがつきやすいです。読まれなくても「あとで読む」という意味のブクマがつきます。
最初の10人がブクマしてくれると、はてなブックマークで新着として扱われます。
こうなると、内容さえ良ければ勝ち確です。「ブクマ数10」というのは、中身がクソ記事だろうがなんだろうが記事に対してある程度信頼性ができているので、Twitterでも拡散されはじめ、しっかり内容を読んでくれる人が現れ始めます。
あとは自動的に、ポテンシャルいっぱいまで増えます。ブクマ数0のときはタイトル見ても興味なかった人が、ブクマ数30まで来ると「そんなに読まれてるなら読んでみようかな」となってわらわらと寄ってき始めます。
このへんはもう餌で、ただの数字です。だんだんブクマをつける人1人あたりの価値が低くなっていくわけです。
ブクマ数1000になるような記事でも、最後の900人よりも、最初の10人のハートをつかむのが大事です。
問題は最初の10人の琴線に触れるものが何かわからないことで、ここがとても難しいです。
なんといっても、最初の10人というのは奇人です。増田系の記事をホットエントリに上げる最初の10人は「毎日のように増田を巡回する人」「毎日のようにはてなブックマーク新着エントリを巡回する人」「たまたまいつもと違う行動をしてその記事に出会った人」で構成されます。
こういう読者層を考えて、読者層10人が「おぉっ!これはっ!」と思う文を作るのは難しいです。バズり方とかいうのを書いてる自分でも、ブクマ数0のときは多いです。
なんだかんだで、リアル等身大の自分が思っている、感情を動かすようなもので、そしてレアリティの高い話は伸びやすいです。
「みずほ銀行に入ったけど限界なので明日死にます」「おいしい昆虫食ベスト10」みたいなタイトルは誰でも作れますが、内容を細かく書けて、業界裏話みたいなことを書くにはやはり多くの経験や魂の入った感情がないと無理なのではないかなと思います。
だいたい書いたすぐあとでは0〜10で止まっていることが多いです。力作を書いたのに2時間経っても0なので「だめだー!!」と思っていたら朝起きたら100になっていたり、書いたことを忘れて次の日の夜にはてなブックマークのホットエントリを見ていたら400になっていてびっくりすることもあります。
1000はさすがにあまりないです。1000はかなり多くの人に共通するテーマでなければいけないし、そしてレア度の高いものでなければいけないので難しいです。
ちなみにブクマで誰がどんなことを言っているのかは全てチェックしています。知人が自分を攻撃していたりするのでこの人はそういう性格なのかと思うときもあります。
なかなかおもしろいです。
以下は数値と感想です。
0: だめだった
〜2: 少なくともブクマした人がいた
〜6: おもしろかったようだ
〜600: 結構いったな
〜1500: やったー!!!!
借金玉さん、文筆家としての特別な才能を持ってるのは間違いないと思ってるので、その性向でもってすべてを台無しにしてるのを見てると本当にもったいなく感じてしまう。
ケムリ時代の発言とか見てると、「俺は俺の実力だけでやっていく」っていうことに対して強烈なプライドを持ってるのはわかるし、それができない人を見下して軽蔑すんのは勝手だけどさ、それを丸出しにしてついてくる人なんかほとんどいないんだよ。
「借金玉」になってからはモラリストっぽい仮面をかぶってマスに請求しようとしてんのはわかるんだけどさ、それこそモラリストは借金玉さんの本音がむき出しになったらついていけないんだよ。
味方だと思ってた人間に刺されたって思ってるのかもしれないけどさ、自己開示してなかったものがさらけ出されてしまって、そこを批判されてるだけなんだよ。それがムカつくのは理解できるんだけどさ、相手からすれば見えてなかったもんがヤバかったって状態なんだからそこで冷静になって誠実な説明をしないと、まともな友人はどんどん離れてくよ。
確かに借金玉って人は独力で自分の居場所を作ってしまえる実力があって、それは本当に稀有な才能だとおもうんだよ。維持する能力が全くなかったとしても、ほとんどの人間に場を勝ち取る実力なんて無いからさ、その能力は存分に誇ってもいいと思うんだよ。
でもさ、今みたいに自己弁護が無理筋のやらかしをしたときの動きは本当になんなんだよ。「批判されている発言に直接関係のない大量の論点をでっちあげてごまかす」ってのはさ、そもそも文章を読む能力がない人だとか文脈を追う気もない野次馬にしか効果がないってこと、理解できない人じゃないでしょ?
借金玉さんがこれまで軽蔑してやまなかった、見下してきた人にしか通用しないんだよ。借金玉さんが追い求めていた「読める能力があって場に参加する意欲のある人」にはその不誠実さは簡単にわかっちゃうよ。離れていっちゃうよ。
借金玉さんが今やってることは、これまで「良き読者」として借金玉さんが想定してきた人、あるいは良き友人であり良き敵と認知してきた人に対する裏切りなんですよ。
自分の実力でもって場を勝ち取ってさ、凄いことを成し遂げたんじゃないですか。そうして獲得した場所をさ、自分が軽蔑する人間で固めて王様をやるのって、そのうち絶対に耐えられなくなるよ。っていうかそれが耐えられなくて文学極道をやめたんじゃないんですか。
文学極道の時は良くも悪くも詩っていう娯楽の範疇でゴタゴタやってただけだからさ、そこでの不誠実とかは全然取り返しが効いたと思うんだよ。でもさ、今借金玉さんがやってることって、それこそ借金玉って人間が獲得してきた信頼をすべてぶん投げるような行為じゃないですか。
詩に対する不誠実を取り戻すより、自分自身が掲げてきた規範に対する誠実さを取り戻すのはよっぽど難しいと思うんだよ。本当に、取り返しのつかないことになっちゃうよ。
自らプレッシャーをかけて、そこに打ち勝って生き残ってきたって自負があるわけじゃないですか。そんな借金玉さんにとって、今やらかしてる不誠実は取り返しのつかない呪いになるよ。借金玉さんのストイックさを考えると、自分自身の不誠実に目を背け続けることって絶対にできないよ。
で、借金玉さんは多分これを読むと思うんだけど、あなたの文筆家としての能力って、技術的にはそこらのプロの小説家と比較しても優秀なほうだと思うんですよ。
それでも目が出なかったっていうのは運の問題もあるのかもしれないけど、たぶん魅力的な物語を想像する能力に欠けてたんじゃないでしょうか。
だからさ、私小説書きましょうよ。あなたの高い技術で、稀有なワードセンスでもって借金玉っていう人間を語れば間違いなく魅力的な小説ができると思うんですよ。
特別な才能があって、ストイックにそれを積み上げてきて、自他ともに認める確かな実力を死に物狂いで獲得したにも関わらず、感情をコントロールできずにちょっとしたことで滅茶苦茶な攻撃性を発揮して、それをごまかすために自分が最も嫌悪してきた人間にまで媚を売って、苦労して積み上げてきたものを台無しにしてしまうっていう人間の物語。
もし俯瞰して書くことができたなら、それはとてつもなく魅力的じゃないですか。
もう一度意地をはって欲しいんですよ。取り返しがつかないことはいっぱいあるけれど、それでもあなた自身を裏切り続けるよりはずっと楽になれると思うんだよ。そして、今意地をはることができるならば、この先素晴らしいものを作っていける能力があなたにはあると思うんだよ。自分の才能を、これまでの努力を無駄にしないでください。