はてなキーワード: 私大とは
おれは理系の大学院を卒業しているんですが、受験では親もホント大変だったと思います。お疲れ様です。
大学をどうやって選ぶかって、生徒によって本当にケースバイケースだと思うんです。
男女でも違うし、頭の出来とか興味の対象とか生活力があるのかとか親の脛の太さまで、様々な要素があると思うんです。
そして幸福な大学選択とは、生徒が有意義な生活をできるかどうかだと思うんです。在学中もそうだし、卒業後もです。
んで、学校や塾の教師が誤りを言っているとは思いません。彼らも四大を卒業していると思いますし、ホント、一生懸命考えてくれてると思います。
ただ、彼らだって大学の全てを熟知してるわけじゃ全然ないのも間違いないんです。大学だって1回しか入ったことないと思います。
そして自分の出た大学の自分の出た学科以外のことなんか、大抵わかんないと思うんですよ。少なくともおれ自身は、他人に説明できるほどわかりません。
しかも教育系って特殊ですからね、教員養成を卒業した教師は、教師のことしかわからないのは当たり前です。それ以上を求めるのは酷かと思います。
少なくともおれの高校の担任は数学のこと以外何にもわかってなかったです。
つまりね、お子さんがどういう人物になりたいのかによって、相談する相手が違うと思うんですよ。
教師になりたいなら教師に聞くのがいいと思うし、エンジニアになりたいならエンジニアに相談すべきです。
こういうこと言うと大学は職業訓練校じゃねーぞとお叱りを受けるかもしれないんですが、現実問題として本人の強い意志がない限り(あったら失礼)職業で考えるのがマ無難でしょう。
なんか難しいこと言ったような感じになってしまったんですが、とはいえ、大学の学部出たくらいで運命決まっちゃうわけじゃ全然ないですからね。
何かの専門家になるんだったら大学院行くべきだと思うんですが、そうでなければどこの大学行ったって似たようなこと習うと思います。多分。
そして大学院行くにしても、大学院選びで考え直すチャンスあるんで、国立大学に限れば大学の学部選びは全然決定的な要素ではないはずです。要は入学後に当人が何するかにほぼ完全に依存します。
おれは大学では勉強ばっかりしてたんですが、本人が勉強する気がなかったら勉強しないまま卒業することになるし、
勉強する気があったら学部なんか全然関係なく勉強することは可能なんです(と、今は思いますが、高校生の頃はそんなこと思いもしませんでしたしやり方も知りませんでした)。
勉強は沢山はしなくても卒業できればまあいいと思うんですが、興味沸かないと卒業さえ地獄だと思います。
モラトリアムも悪くないと思いますが、連日増田に書き込まれる就活生の阿鼻叫喚をみると、それはそれでまあ楽じゃないようです。
大学生活をどう過ごすかは、完全に本人の希望次第です。これが日本の大学のいいところだとは思います。
あと私大行く連中は結局ぼんぼんなんで、なんも考えてないです。考えてないけど、何とかなる連中です。そして学生同士で遊ぶにも金銭感覚が違うと大変らしいです。
おれはもっぱら独りで遊んでたんでよくわかりませんが。
おれも高校の時は模試では点数はよかったんですが、あんまり勉強しなかったので第一志望の大学には入れなかったんです。でもまあ今は納得してますし、満足しています。
おれは高校の頃は神経質で下痢ばっかりしていましたが、いまは大学なんか適当でいいぜと思っています。
知りたいことがあったら、大学近くの飲み屋で管巻いてる学生に一升瓶与えれば何でも喋ると思います。冗談です。
なんか長々書いたんですが、上記のことは全て嘘なんで、ネットの情報を鵜のみにせず、信頼できる人に相談することをお勧めします。
同じ野党からも「相変わらずパフォーマンスが好きだ」との批判の声が上がっている。
http://www.sankei.com/premium/news/180328/prm1803280005-n1.html
習氏に批判的な知識人からは「党と政府の役割分担を目指したトウ小平の方針を完全に否定する組織改編だ」という批判の声が上がっている。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO28442530S8A320C1PP8000/
おまえは本当にマスコミを見ているのか?
妄想だけど
例えば俺は大学もCS専攻だけど才能ないのが己でもわかるレベルの3流エンジニアだ。
どれくらい3流かというとRubyのフレームワークは出来るけど未だにRubyが書けん、意味わからんレベル。
しかし正規の教育を受けて学位ももらって資格も持っているから、ITエンジニアとしては「本物」になるんだろう
そして、あまりの社会の絶望感に焦って、貧乏人の底辺が一流大卒のエリートと偽装して某顔本で知り合った富裕層のお嬢様と地上のもつれで殺人事件に発展した事件があったが
それをヒントに、人生一発逆転を狙ってあらゆる英語文献からアメリカ国防省のサイト、ウィキリークス、怪しいロシアやイスラエルの海外の軍事サイトを調べて
WWⅡから90年代くらいまでの、公開されている工作員や諜報員の教育マニュアルや訓練マニュアルを集めて自分で翻訳して訓練をして(結局ITエンジニアは英語のサイトで漁るからこれくらいはできちゃうのだ)
同じようにSNSで一流私大卒のフリーランスITエンジニアと偽装身分を作って、上級国民のコミュニティに上手く潜り込み、世間出てないお嬢様と付き合うところまで行ったが、そのパパや周りの恋のさや当てをしてた男が怪しんで探偵雇って身分調査された結果、あまりにも完璧に身分偽装をし過ぎて「これはただのチンピラや裏社会の人間ではない、何らかの訓練を受けた本当に危ない人間じゃないのか」と勘違いされ、パパにチクられて公〇にマークされて24時間張り付かれて、転〇公〇で取っ捕まって、正直に洗いざらい話してなんとかわかってもらって23日後に釈放された際に
「若いのに独学でそこまでやった努力は凄いと思うが、努力の方向性がおかしい」とお巡りさんに説教された俺は、スパイだとかテロリストとしては本物なんだろうか、偽物なんだろうか。
私は現在就職活動真っ盛りの大学3回生だ。同時にフリーライター、編集者でもある。
まぁライター/編集者とは言っても、実名を出せる記事を書けるようになったのは去年の12月のことであり、それも一本だいたい2000円から4000円くらいの原稿料である。
現在の私の執筆スピードでは日に2000字を3〜4本書くのが限界なので、このライターという職業は、今のところ自分が生きていくための手段にはなり得ていない。
だが同時に、この職業は自身にピッタリであること、そして会社に入って1社員として働くということが向いていないということも企業の説明会に赴く度に感じている。
およそ1年間長期インターン生として会社に潜り込みやれデバックやら企画やら営業やらを通じてwebサービス運営の仕事をしてみたこともあったが、その時にも「あぁ企業に入る事向いてないなぁ」と出社する度に感じていた。
仕事自体は面白かったのだが、上司のしょうもない飲み会に付き合わされたり、「チームに新しい風を吹き込めるか」とかいうよくわからない評価制度に振り回されるのが苦痛だった。
要するに私には社会人適性というものが無いのである。そういうこともあって、最終的にはweb媒体を拠点にフリーのライターや編集者として生活していきたいなと考えている。というか、それが昔からの夢なのだ。何故そんな夢を抱くようになったのか、主にどんな文章書いているのか、という詳細は申し訳ないが論点がズレるので省略させていただく。ファミ通や電撃といったゲーム雑誌、アルティマニアなどのゲーム攻略本に救われた経験が元になってはいるのだが。
では本題に入る。
上記の通り、私は企業の一員になるのは向いていないなぁと常々感じているものの、将来生きる糧としたいライター/編集者という職業は現在そのレベルに達していない。
どうにか自分がライター/編集者として独り立ちできるまで食っていく必要がある。そこで、自分のパトロンとして住まいと心の安定を提供してくれる方、若しくはサイボウズのような副業を許可している会社をどなたか教えて頂きたい。なお、プログラミング系のスキルは全くありません。(ゲーム作りたくてCとC++を勉強してはいる)
最初から新聞記者なり出版系、web媒体をやってるところにエントリーしろよと言いたい方は勿論いるだろう。そりゃエントリー自体はしているのだが、こういった業界は最初から超高学歴のエリートしか採用しないし、入社したところで目当ての部署にいけるかどうかすらわからない。そもそもの採用人数もごく少数だ。だから2流の私大生である私にとって全然あてにならないのである。
だったらパトロンを募集するなり、副業を容認している会社に入ったほうが今後のキャリアとしては効率的だろう。だがwebに潜ってみても「最近増えてきている」という記事ばかりで副業を許可しながら新卒を募集している会社がなかなか見つからない。それこそサイボウズくらいである。
どっかに入って確定申告黙ってやればいいじゃんという意見はバレた時のリスクが高すぎると思うので採用しない。
もしこの文章を読んだ方で私のパトロンとなってくれる方、若しくは「ウチの企業は副業OKしてるし尚且つ新卒も募集しているよ」という企業を知っていたらトラバやブコメで教えてください。ライター/編集者として興味があるという方がいるのであれば、その方に向けて情報を解禁したいと思っています。よろしくお願いいたします。
P.S.本当は自分のブログにこういうこと書きたかったんだけど、そもそものアクセス数が少ないのと表立って弱音を書くということにどこか引け目を感じてしまいできなかった。セルフブランディングも頑張らなきゃなぁ。
子どものころからおしゃべりが苦手だった。休み時間に楽し気にぺちゃくちゃおしゃべりをしている人がどんな話をしているのか不思議でしょうがなかった。それでも低学年のときは親友と呼べる人がいて、その子の家に遊びに行ったりしていたけど、彼女が転校してしまってから個人的にそんな付き合いをする相手はいなくなった。その傾向は高学年になっても続き、遠足とかに行っても何となくぼっち感が漂い、バスの席を決めるにしてもなかなか隣に座ってくれる人がいないぐらいだった。
でもペーパーテストはわりとできた。特に記憶力がすぐれていて暗記物だけ成績がいいということでなく、中学時代までは数学とかもそれなりの成績を保っていた。でもおしゃべりが苦手なので暗いといわれていじめられた。3年生になってからようやく気の合うメンバーが見つかってそのグループの連中と遊んだりするようになった。
高校はわりと有名な公立の進学校に行った。その中に入ると、私の成績なんて大したことはなかった。文系科目はそこそこできたが、理系科目は全然ダメだった。1年生のときから受験を意識して塾に行っているようなクラスメートもいたけれど、私は特に大学に行って勉強したいことなんかなかったので、ガツガツと「東大に行きたい」とか「せめて私立なら早慶のどっちかじゃないと」みたいな連中についていけないものを感じた。
クラスメートとはそこそこ上手くやれている感じがしたけど、何となく疎外感もあった。卒業してから私は陰で「変な子」と言われていたことを知った。確かに表面的には優しかったけど、すごく親しくなれてる感じはなかった。皆大人というかうまく表面を取り繕うすべに長けていたようだ。
その後中堅の私立大学に進学。最初は専門学校にしようかと思ったけど、親に大反対されたのと、自分のやりたいことをできるサークルのある大学が見つかったので進学することにした。普通私の高校だと私大文系なら早慶ぐらいは受けるものらしかったが、入れるかどうか微妙な成績だったうえに、下手に受かると本命校じゃないところに行く羽目になりそうなので、他の人に比べて志望校のレベルが全体的に低かった。この安全策のおかげで受験した大学には全部合格した。
大学のサークルは楽しかった…と書きたいところだったけど微妙だった。結構うちの学年の人数が多かったので、私は要らない存在だったらしく、人数制限のあるイベントのみならず、普通なら全員出してもらえるはずのイベントでもメンバーから外されることがあった。基本的に空気が読めないタイプで、「自分が要らない存在だ」と認めたくなかったので、それでもサークルは止めなかった。同じ学年の連中は優しいというべきか厳しいというべきか分からないけど、容赦なしに世間の常識というものを教えてくれる存在だった。高校時代のクラスメートと違い、私が変な行動をとれば笑ったし、露骨に美人や可愛い子に優しく、そうでない女に厳しかった。「どうせ私なんて…」と思ってしまうこともあったけど、「女の子は笑えば可愛いよ」と言ってくれる人もいた。社会人になってからは「こいつ常識ない」とか「こいつ使えない」という判定を下されると黙って私のそばを去っていく人が多かったことを思うと、変に取り繕わずにはっきり言ってくれた学生時代の友人はつくづくありがたかったと今でも思う。
そして半年間サークルを休部して、ペーパーテスト重視の職場に就職を決めた。私は文学部だったけど、普通法学部出身でないと入れないところにも合格したので、周りにびっくりされた。自分はコミュ障で、空気読めないけどペーパーテストには強いんだなとその時も思った。当時は「コミュ障」とか「空気読めない」という言葉が世間に流布していなかったので、何となく生きづらさを感じてもそれを表現するすべがなかったけど、変な行動をとって笑われたり、皆が暗黙の了解としていることがさっぱり分からなかったりしたのはまさに「コミュ障」「空気読めない」がゆえの症状だったと思う。
…本題にたどり着くまでに長くなった。人によってはこうやって時系列にだらだらと書かないで、先に結論を書けというかも知れない。就職してからもコミュ障と空気読めない病ゆえに私の評判は悪かった。先輩や上司が期待していることを察することができず、自分のやりたいように行動したので、宴会の席で当時の課長に「○○(私のこと)さんはいまいちですな。気が利かない」と言われて涙が止まらなくなったこともある。私の同期は優秀だと評判の人が多かったが、中には露骨に私のことをバカにした目で見るのもいた。基本的に口が達者で人脈作りが得意なタイプの人は、私のようなコミュ障かつ空気が読めない人間をバカにした。
そんなにコミュ力が高い方が偉くて、空気を読める人が優秀だというのなら、なぜペーパーテストなんかやるんだろう?ある程度頭が良い人を採るためにペーパーテストをやるんじゃないのか?「ペーパーテストができる人」イコール「仕事ができる人」でないのは分かるけど、だったら何かしらコミュ力や空気を読む力を判定する採用方法を選んで、それで決めればいいじゃないかと思う。
就職からウン十年が過ぎ、当社比では多少世間の常識が分かるようになってだいぶ仕事に必要なコミュニケーションはとれるようになったけど、相変わらず人付き合いや宴会での立ち回りは下手なままである。それでも給料を減らすこともなく、首を切る気配もない我が職場をありがたいと思う。でも、口が達者であちこちに人脈がある方が上手く渡って行けるこの仕事に対する違和感がずっと消えない。自分の能力以上の給料をもらっていると思うので簡単に辞められないんだけど、ただ黙々と手を動かしていれば成果があがる仕事があればそういう職場に行きたい。そしてコミュ障でも空気読めなくてもバカにされない世界に行きたい。
ッあぁ~~~これ書いたら大人の人にめっちゃ怒られるかもしれない。でももういいや。もういい。もう嫌だ。だから書きます。 口調とかもあまりきれいじゃないかも、ごめんなさい。 私は自分が絶対に正しいとは思わないし自分と違う考え方の人に対してどうこう言うつもりもないのでそこだけご承知願います!
人間って生まれてからたくさんのものを獲得して生きていくものだと思ってる。 たくさん選んでたくさん捨てて積み重ねてきた時間がその人を作る、よく聞く話。そんな中で生まれた瞬間から決まっていてどうしても覆せないものって一つだけある。
親
って言われているもの。誰から生まれるか、どこで生まれるかなんて誰も選べない。
逆に親も子を選べないのもまた事実で、これを皮肉って『ガチャで出てきたはずれが自分だ』みたいなこと言う人もたまに見かける。
そういうわけで『親を好きになれなかった』話について。
その引っ越し、自立とかきれいごと抜かしてるけど親との同居に限界を感じて決行したものだった。 実家がどういうところだったか、少しだけ書くと 2017年夏(当時20歳)の時点で
•自分の部屋がない
•昼間は机が置いてある2.5畳の仕切りのないスペースで生活
•就寝は祖母と一緒の布団
•窓を開けてはいけない
•カーテンも閉め切る
•オーブントースターの温度設定は使い終わったら母親の使う温度に戻さなければならない
などなど。
母親も祖母も私がいうことを聞かないとすぐに怒鳴り散らすのでとにかく怒らせないように生活するのに必死だった。それで今でも大声で人を怒鳴りつける人が苦手。
これでも成人してよくなったほうで小学生頃なんか今思えば地獄度段違い。
母親が19の頃にデキ婚で私が生まれて小学生のころに離婚していて、次の男が一時期実家に住んでいたこともあった。いわゆる『ママの彼氏』。
「これから私たちの生活を支えてくれる人」って紹介されたこと。
誰だったんだろうあいつ。
見た目的にはホストっぽかったけど今となっては素性はよくわからない。 私が8歳当時なら母親はちょうど30手前くらいで離婚もしてまだまだ遊べる年だったんだろうな、と。
最初のほうは仲良くしてたと思う。私の目の前でいちゃついてて、それ見てたら男が母親いじめてるみたいに見えて止めに入ったら怒られてのけ者にされたりした。懐かしいなぁ。 そんな生活も長くは続かず1年経たないうちに仲が悪くなって男は出て行った。
そっから家に男が入ってくることはなかったので本当に父親という存在を知らずに育ってきた。 だから好きになった人や付き合った人に父親みたいな安心感を求めがちなんだって最近になって気づいた。
祖母も同居することになったのはそのあとで働く母親の代わりに家事全般をやってくれた。 それだけでも本当は感謝しなきゃいけないというか、感謝はしてるんだ。それは本当。 働いて私を育ててくれたのは母親で、そのことも理解しているつもり。
祖母は祖母で私が拒食症になって口に入れたもの目の前で全部吐き出してしまった時はブチ切れて木の棒で全身あざだらけになるまで殴ってきたけど書くとさらに長くなるから割愛。(重視すべきは体調不良よりも作ってくれた親への敬意 という考え方)
そういうわけで『産み育てた恩があっても殺す権利はない』というのが持論で、言ってしまえばこの世に生まれた瞬間から、 へその緒を切られたその瞬間から私は母親の体の一部ではない一人の人間になったはずなんだ。 その事実を『感謝』とか『育ててくれた恩』とかとごちゃまぜにして見えないところに押し込むことは私にはできなかった。
そして労働に費やした分子供と親が触れ合う時間が減ることで親子という関係に不具合が生じるのもまた事実だ。
私は本当に親がわからない。
親もしばしば私のことを「わからない」と怒鳴りつける。
今歩み寄れないのは間違いなく幼少期に信頼の基盤がつくられていないからなのにまるで私が親を突き放しているかのような物言いで、 そこに「親不孝者」という便利な言葉を着せてことあるごとに罵られてきた。
母親の中には親子とはかくあるべし、という理想像があって、何もしなくてもそこに収束するのが普通だと思っているようだった。 だから自分は普通で私が異常なんだと言って私を矯正したがった。
生まれて何年たっても私はまるで親の一部かのように扱われていた。 いい学校に入っていい会社に入っていい大人になるための第一歩として幼稚園のころから通信教育の教材をやらされた。 幼稚園の頃病弱で、入院している私のベッドのそばで
「こんなに頭の悪い奴なんか見たことない!」と叫んで帰っていく母親の姿はなぜか今も鮮明に思い出せる。
小学生のころは学校のすぐそばに煙草を買いに行かされて、同級生に見つかって噂されて、勇気出してそれが嫌だと親に伝えたら 「身勝手な奴だ」と怒られ、「親のためにこんなこともできないなんて」と貶されたことがあった。
服は短くても1週間同じものを着せられてた。長いと1〜2ヶ月くらい同じものを着てたと思う。当時皮肉抜きで「その服本当に好きなんだね」って言ってくれた友達のことをたまに思い出す。大人になっても1度着た服を洗おうとするとめちゃくちゃ怒鳴られた。
私はとにかく母親の思い通りにならないと怒られてた。当時はよく泣く子供で泣くとさらに怒られた。 私が大きな声を聴くと自然と涙が出てくるなんてことを親は知らないみたいで、もうそのころからまともに意思疎通をはかろうなんて気持ちすら持てなかった。
中学生になるとひたすら成績を気にしだした。テストの成績はクラス順位5位以内でないと怒られた。「他の人はできるのにお前は何でできないんだ」が常套句だった。
幸いそのころは勉強が楽しかったので学校の成績は良かった。 しかし受験勉強が始まると私は親ではなく私のために勉強しなければならなくなった。過去問は学校のテストよりはるかに難しくて思うように点数が取れなかった。 もう手一杯で親のご機嫌取りのために数字を気にしている暇なんてなかった。数字が下がると怒鳴る頻度は上がって以前みたいに勉強が楽しいと思えなくなった。
結局中学の好成績を生かして公立の高校に推薦で入学した。 ひざ下まであったスカートをひざ丈まで上げたら烈火のごとく怒られた
「そんな恰好をするな!不良め!誰とつるんでいる!」 挙句の果てに「そんなに妊娠がしたいか!」と。 スカートの丈をひざまで上げただけで。 意味がわからなくて怖くてたまらなかった。
親のなかでは
ひざ丈のスカート
=男にもてたい
=恋人ができる
=セックス
=妊娠
という式があるらしい。
一番成績がいいのは1組、悪いのが7組だと信じて疑わなかったので3組になったときも説教された。いくら違うといっても聞く耳は持たなかった。
大学は必ず行け、しかし国立以外許さないと言われた。自分でも裕福じゃないのはわかっているから学費の負担を少しでも減らしたくて志望を国立に絞った。 しかしここでも親の謎理論は炸裂、大学に行ったこともないのに「私大は頭の悪い人間が行くところ。落ちこぼれが金で大卒の資格を買っている。」とご高説を垂れる。 この辺まで来るともう物事の判断がつく年齢になってしまった私には親のめちゃくちゃな説教は気持ち悪くて仕方なかった。 知らないものをぼろくそにこき下ろすのも、進路の悩む私に寄り添うどころか選択肢を狭めて重圧をかけるのも鬱陶しい。
結局興味のある分野に近いコースの国立大に入学して3年が経とうとしている。 実家から離れた大学に通うことも気に入らなかったらしい。 「もっと近くにあるだろうが」
帰りが終電になればまた怒られ、
「美術なんかやって何になるんだ」
といった風な小言も絶えなかった。
掘り返せばきりがないくらいこの手の嫌な思い出は出てくるのでこの辺にしておこう。積もり積もって今の私を形作っている思い出たちだ。
場所もない、理解もない、朝は母親と祖母による自分の悪口で目が覚める。 ストレスばかりが溜まって心も体も限界だった。
2年次の後半はほとんど学校に行けなかった。 家にいると親に対する嫌悪感で頭痛や吐き気が止まらなかったので出来るだけ外にいた。
学校終わりはバイト、予定のない日は大きい本屋をうろついてたまに本を買って近くの喫茶店で読んだ。
もうどうしようもないと思って3年次は休学手続きを取って1年間フリーターみたいに働きながら家を出た。
講評の当日深夜につらくて泣きながら教授に「授業を休ませてください」という旨のメールを送った日からもう1年が経ったらしい。
実家を出ることに関しては強行突破でかまわないくらいの心意気だった。 どのみち自分には帰る場所なんかないのだから居場所を作るしかないと思ってのことだった。
親には一言も伝えずに休学、
お金を貯めて部屋まで決めて、
もう後に引けない状態で家を出ることを伝えた。
自分の判断能力と精神的の限界、苦しみ続けた20年間を鑑みてもうこれが自分に残された最後の、そして最善の手段だと思った。
「自立したくて家出た」なんていうと「行動力があるね」と言われることがあるけれどその実
ただ「実家にいたらいつ精神崩壊するかわからないから生きるために逃げ出してきた」くらいが正しいんだろう。
少なくともこの半年、
「家に帰りたくない」なんて1度も思わなかった。
時間潰すために夜の公園で電池なくなるまでスマホいじることもなかった。
自分だけがいる部屋で誰の目も気にすることなく笑ったり泣いたりできた。
窓を開けて部屋の換気ができた。
たったそれだけの事だ。
私はたったそれだけのことをするのに21年苦しんだ。
春の暖かい風が部屋の中に吹き込んできたとき「生きててよかった」と心から思った。 ようやく自由になれた気がした。
家を出たら出たで大変なことはあるけど、少なくとも今のところは後悔なんかしていないと言い切れる。 誰かが掲げてた『苦労はできるだけ少ないほうがいい』という主張はまったくその通りだと思う。 部屋の窓を開けるのに21年かかるなんてばかばかしくてやってられない。
ただ、21年かけて開けた窓からは確かに未来が見えた気がした。 自分の人生はこの1度きりしかないのだから、自分が幸せになるために生きなければもったいない。
4月から大学に戻る。仕送り0で学びながら働きながら「家賃を払わず整形手術のローンを組む同居人」と共生、というか矯正。それから休んだ1年分の学費を貯めなければならないのでやることは山ほどある。大好きなお絵描きができないかもしれないがそういうフラストレーションは学校の課題へのモチベーションに変えよう。
レールを外れて生きていくっていうのはそれ相応の覚悟が必要で、残念ながら社会はそういう人間には優しくない。
こんな文章垂れ流したら知らない人に「この程度で甘えんな」「自分なんかもっと大変だ」「大学まで行かせてもらってるくせに」って言われそうだけどそれでもいいや。
月並みな理由だが、オープンキャンパスに行った時にその学風に惹かれた為だった。
毎年数人京大合格者を輩出する中高一貫校に通っていたし、上位の成績だったため、
挫折を知ったのは中3の時だった。
数学の授業(確か三角関数だったように思う)で、みんながスラスラと解いてみせる問題を、私は解くことができなかった。
何度説明されても今ひとつ飲み込めず、理解するのに時間を要した。
テスト勉強に於いて初めての失敗だった。その時のテストはいつもより20点近く低かった。
高1になって数学は数ⅡBに入って難しくなり、勉強時間の7,8割近くを数学が占めるようになった。
高1の数学の先生はとてもフレンドリーで、何度も説明を求める私に優しく砕けた口調で教えてくださった。
その先生と、割いた時間のお陰で中3の時に比べて成績は安定していたが、周りに比べると瞬発的な理解力やセンスが足りていないのは明らかだった。
そして、得意な英語や国語の勉強に割く時間が減ってしまったために成績が落ち、自習室利用のためにも塾に通うことを選んだ。
私よりも頭がいい人なんてごまんといた。同級生に。県内に。こんなに近くに。
私はまさに井の中の蛙だった。
結局、塾の数学のテストの成績ランキングに私の名前が載ることは1度もなかった。
偶然見つけた某私大の学部に興味を惹かれたこと、得意だった英語・国語を深く学びたいからだというのもあったが、
京都大学以外の国公立大学に全くと言っていいほど興味が持てなかった。
私たちの次年度から大学の入試制度改革が行われること、私の性格的に浪人が向いていないことが主な理由だった。
国公立至上主義の我が校では国公立を選択した者だけ進路選択と同時に志望校の提出・面談を行うことが課せられていた。
数学の先生に提出した課題ノートが返却され、余白にいろいろなメッセージが書いてあった。
3教科受験だからと言って楽な訳じゃないとか、今回のテストもケアレスミスしてたよとかお小言めいた言葉もあったけれど、どこか温かいものだった。
結びに、「数学楽しかったね、大好きだったね。1年間ありがとう」と書いてあった。
それを見て涙が止まらなかった。
私は数学が好きだった。
大好きだったのだ。
何度もなんども苦しめられて、意味がわからなくて苛立って泣いた日もあったけど、数学が好きだった。
だけど、どんなに好きでも圧倒的なセンスを持つ天才には敵わなかったし、
かなり時間をかけて取り組んだ模試の数学の偏差値が、殆ど対策をしていない英語の偏差値を超えることもなかった。
敵わないし、足りないのだと気づいてしまった。
と冗談交じりに友人に言われるたびに、泣き出したい気持ちでいっぱいになる。
後悔していないと断言すると嘘になる。
なにはともあれ、もう私は前に進むしかない。
高校退学した。
10年前に。
人間関係とか色々あって。
そのあと頑張って勉強して、四年生私大卒業して、今は都内でデスクワークの正社員。
だから退学しても、そこで人生終わりじゃないから。何か特別なことをしなくても案外、なんとかなる。
大学も点数取れば受かる。
そりゃ若者人口の多い一昔前は国易私難といって私大の方が難しかった時代もあるくらいだからな
当時は大東亜帝国レベルでも難関だったらしくて、「現役偶然、一浪当然、二浪平然、三浪唖然、四浪憮然」といって現役で入るだけでも難しかったらしい
もともと大学卒業後、派遣社員を転々としてきたわけだがそれに疲れて奨学金を貰いながら大学に通うことにした
英語と数学が出来るから私立なら結構どこの大学でも行けるのでみんながご存知の有名私大に入った
んで、暇つぶしに大学通いつつ1年次から、色んな企業に給料付インターンの営業をして色んな仕事を経験してた
システム、ネットワーク、販売、編集、エンタメ、事務とにかくなんでも
んで、4年目の去年にインターンに行ってたとこから、卒業するなら新卒扱いで入社しませんかと声がかかった
全く未経験のSIerだったので、中途では採用できないけど新卒扱いならという提案
もともと正社員経験もないし、特別な技術があるわけでもないのでこっちとしては願ってもない申し出だった
例えば、その医者は大学病院での出世競争にやぶれて開業医になったのかもしれないし、
偏差値の高くない私大医学部出身(最近は私大でも難しいが)だということを恥じてるのかもしれない。
(自分が出世できなかったのは製薬会社の手先にならなかったからだとか、東大出身の医者はみんな製薬会社の手先だとか)。
しかも、カルト集団にとってそういうエリートが味方についてくれると信頼性がますから、そのカルト集団内でちやほやされてさらに優越感を感じられる。
医師の場合、洗脳した相手が自分のクリニックに通うようになるから経済的にも恩恵を受けるかもしれない。
何もやる気が起きず職を転々としていたが、三十路を迎えてやはり諦め切れず
すると僅かだが、日本学生支援機構、自治体奨学金、大学独自の奨学金を組み合わせて通っている亡者もいるらしいと分かった
やはり諦められなかったので、受験勉強を開始して今年無事受かった
正直、浪人の時代から予備校やもと学校の担任には私立なら受かる学力は十分あるから
親や親戚も含めて良く相談してくれとは言われてた
国立に行けず金持ちじゃないと医者を諦めないといけないと思い込んでる人は是非一度大学に足を運んで相談してみてくれ
ネットとは違いなんで出来ないかではく、どうしたら可能かを説明してくれるから
もちろんデメリットもふくめて
もし、諦めている人は頑張ってくれ
まだ現役合格を諦めきれなく、後期私大の申し込みを行いました。
プライドが高い為周りの友人には話せずこのような形で1度気持ちの整理をつかせたいと思います。乱文になると思いますがお許しください。
中高は私立の一貫校でした
私は小学生の頃塾に通う=携帯電話を持たせてもらえるという安易な発想で中学受験塾に強請って通わせてもらいました
運良く頭はそれほど悪くなかったため、週5日塾に通い多分余裕で今の進学先に合格しました
裏を返せば何もしなければ入学当時のまま
私は完全に後者でした
なんとなく高校生になってから塾の講習へ行き、進路に迷ったりなんだりして結局志望校を固めて本気を出しはじめたのは高3の秋ごろだと思います、今考えると遅すぎる開始ですよね
一応冬には自習室に篭り、過去問を解くという日々でしたが私立専願のくせに私大より簡単なセンターの問題ばかり解いていたり毎日現実から逃げていた気がします
受験をしたことがある方ならわかると思いますが早慶目指しているレベルには足りない結果でした
もちろんここでセンター利用全滅です
滑り止めもダメでした
その後滑り止めの学校も受けた感じはまあ受かるだろうって自分では思ってました
今でも滑り止めに関してはなぜ落ちたのかわかりません
手応えとしては歴史が苦手だった為歴史が足を引っ張った気もしたが1学部は自信があり、2学部はまあ最低点は取れているだろって感じでした
まあの2学部はまだ合否出てないんだけどこの調子だと受かった気がしない
正直これの全落ちは予想外だった
これはちょい歴史でミスったなとは思ったけどそれ以上に国語は常に満点だと思っていたし英語も良い結果だったと思う
先に書いたけど自称進学校の進学先内訳はトップ50人ぐらいは早慶行ってあとはマーチ
就職や専門に行ってる人は5年に1度くらい
でも去年先輩めちゃくちゃ浪人してた
どうしようかな〜いきたくないな〜っていうのか本音
ちょっとでも進学先のこと聞いてきたやつ殴りたくなると思う友達少なくて良かった
とりあえず後期私大まであと1週間、2週間?
それも全滅したら浪人するってさっきようやく口に出せた
プライドだけで上位校受け続けるとほんと後悔しか残らないし毎日泣く羽目になるから後輩たち、もしこの記事を読んだりしたら模試の結果を見て、自分の成績をよく考えて、志望校決めてね
どこまでも面倒だね
良かったらこんなクズな受験生いたなって思い出して応援してください
予想以上に励みになります
衝撃的な題名で申し訳ない。だが、今年の大学受験について言いたい。
わいは今年受験生だった。
一応偏差値48まであった。
だが、実力相応のところは全部落ちた。
と言われる。
ではなぜそうなるのか。文科省が地方創生のために24区内の大学の定員削減と24区内の大学設立を制限して、地方の大学に行かせようとしているのだ、
だが、これで地方創生になるのだろうか。地方創生の意味を、政府は捉え違えてるのではないだろうかと思ってしまう。
なぜ大学生が都会に出るのかを考えたことはあるのだろうか、わたしは学びたい学科があるから、都内の大学を受けた。
わいの地方には、受けたい学科がなかったのだ。だから出たのだ。
こんなふうに色々な理由もあると思う。
定員削減以外にやることがあると文科省に言いたい。
地方に有名私大のキャンパスを作ったら、補助金アップとか、魅力的な学部を作ったりとか、Fラン大学を潰して、普通の学力に安定させるとか色々方法があると思う。
実際、近くに偏差値50ぐらいの、魅力的な大学があったら、そっちに行くに決まってる。逆に言えば、東京にいい大学が集中してるってだけなのだ。都心を除く田舎には、なかなか有名な私大がないのが現実だ。だから作って欲しい。文科省にはいい大学を地方に