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はてなキーワード: 社会的影響とは

2017-05-18

http://anond.hatelabo.jp/20170518135220

ブコメはこの「0.000002%程度」っていう意味不明な数値で印象操作してないか

って話をしたいだけだったんだが。

数とか社会的影響の話に帰結されがちだけど、

痴漢に在っている女性

痴漢を(意識的/無意識的によらず)作り上げている女性

痴漢している男性

痴漢冤罪に巻き込まれ男性

は全員「いる」わけじゃん。

意識的/無意識的によらず」ってのは

結局のところグレーゾーンを完全に線引することはできないわけで、

これは男性側の痴漢グレーゾーンどうこうってのも同じ。

痴漢するやつとでっちあげるやつは滅びてくんないかな。

あと、通勤ラッシュ解消してくれ。

2016-11-30

http://anond.hatelabo.jp/20161130182407

今の音楽は金にならないし、流行らなくて社会的影響力もないってことか。

相当好きじゃないとやってらんないね

映像つけてもそれだとね。

Mステ放送中いつもツイッタートレンド入ってるけど、

やっぱり音楽って局所的な話題なのかね。

音楽聞く人減ってるというのにトレンド入りするのはいつも疑問。

それとも、金にならないと流行ってると見なされないだけなんだろか。

いやでも局所的……。

テレビ局ボランティアじゃないしね。でも音楽番組ってボランティアだと思う。

音楽番組で80〜90年代音楽を流すのは

音楽番組で昔の音楽を流すのは、

音楽支出してくれる人が、80〜90年代音楽を聞いていた人たちだからなのかな。

広告効果っての?数字が取れる的な。

若い人の方が音楽聞いてる人の率は多いらしいけど(全年代減ってるけど)、

実数は30代40代の方が多いのかな。

若い人の方が音楽聞いてる人多いらしいけど、

売上に繋がる支出は30代40代の方が多いのかな。

 

今更ながら、流行りと売上の乖離を感じる。

数字が取れる=売上

流行り≠売上

数字が取れる=流行り」はわからない。

流行るという概念すらよくわからなくなってきた。

ネット流行り、テレビ流行り、売上。

若い人の流行り、年寄り流行り、親子の流行り、売上。

そして、数字が取れる、流行る、売上がある、は良い作品か。


ミュージシャンクリエイターは何を目指して作るのだろうか。

流行り(社会的影響?)、売上、数字、良い作品の全部だろうけど。


そもそも音楽全体が流行らないので、やっぱり斜陽感あるわ。

ちなみに柴さん(だっけ?)のヒットについての本は読んでない。

2016-10-20

http://anond.hatelabo.jp/20161020175923

1.規制されるべきもの人間社会(国家社会)において永続的に不利益をもたらす懸念のあるもの対象であるべき 例:麻薬覚せい剤日本であれば拳銃所持

2.上記以外のもの対象とした場合取引が地下に潜ってしまい、それを摘発するだけの業務暴力団資金源を与えてしまうためデメリットの方が大きくなる

3.ノイジーマイノリティは「社会的利益に基づき規制されるべきか、規制されないべきか」の判断ができていない故に、結果として2の事態を招き禁酒法歴史を作ってしまった ※A

4.既に3の禁酒法歴史により行き過ぎた規制がもたらす歴史学習済みなのにやはりノイジーマイノリティ現代に生まれ変わり2を繰り返そうとしている ※B

 

※A「この時代インターネットは普及していなかったではないか」と反論したくなるだろうが、当時は禁酒運動弾圧が上手く大成功してしまい、

ノイジーマイノリティだったはずなのに政治奇跡的に影響してしまったという背景がある。

奇跡的に狂った規制法がまかり通ってしまったが、現代アメリカでは違法取引をしなくとも酒が飲めるので安心してほしい。

 

※Bネットの普及によって本来なら鼻で笑われて終わりだったノイジーマイノリティ意見拡散・影響される範囲が爆発的に増大してしまった。

ネット上の意見を正確に統計調査できるわけもなく企業側としてはリスクマネジメント観点から炎上しそうな要素は積極的に除外するのが安全策になってしまった。

そのためノイジーマイノリティの与える社会的影響は前時代よりも増加していると考えられる。(ソースなし)

2016-09-24

増田』は上場企業はてなアキレス腱にならないか

タイトルの通り。正確にはマザーズ所属(3930)だから店頭公開と書くのが正しいのだろうが、内容に影響はないだろうから本文はこれで通す。

さて本題だが、文字通りの意味はてなITウェブ技術を他社に提供したりして稼ぐ企業だが、サイバーエージェントアメブロほか同業他社との差別化で言えば、揃っているのは正直言って似たり寄ったりのサービスである印象は否めない。その中で、やや異色とも言える存在なのがこの「はてな匿名ダイアリーである。そもそも、リリースしてからもうすでに何年も経ってるのに、いまだにベータ版サービスのままで運用されてるって、お前は「ガソリンの“暫定税率課税」かなにかかよと思う。

尤も、はてな上場した現在となっては、少々違った意味合いを持つように思う。すなわちトカゲのシッポ切りよろしく、書き手アカウントが表に出ない記事を書ける場所は、いつでも切って捨てる事ができる、と運営側であるはてなが見なしているとも言える。いわば、ヤクザでの汚れ仕事鉄砲玉のようなポジションとも言えよう。

ただしはてな運営側は、10年代以降は利用者から通報フォームを各ページに備えているので、あまり不適切な内容だと利用者等が判断したものに関しては積極的に削除もされる態勢は整っている。

その事からか、放送番組ツイッターほかウェブサービス連携の動きが強くなり始めてからは、かなり扇情的だった手法には賛同しかねるもの話題を呼んだ「保育園落ちた日本死ね!」のエントリーなど、ウィキリークスよろしく「増田リークス」的なタレコミ先としての使われ方をされる例が目立つ事が多いように、過去に何本かはてブがバズった増田記事を書いた筆者としては思う。

ただ、株式公開企業には経理監査その他、会社としてのカネの動きの報告義務があるほか、近年ではコーポレート・ガバナンスなど「企業業務の透明性」が求められるのが一般的である。そこにこの、「筆者を匿名にした記事が書け、時には社会的影響も与える」増田というサービスが、株主総会で動議が出されるなど運営のネックになりはしないだろうか・そして何より、増田という場所がある日突然終了する事はあるのか、といった懸念はてな利用者としては常に抱かざるを得ない。

2016-07-06

http://anond.hatelabo.jp/20160706175631

当事者が全員納得してりゃいいと思う

ただし、広く受け入れられるとは思わないしやっかみもあるだろうから社会的影響力の大きなポジションにはつけないでおこう、と組織では思われるかもしれない

隠しておくのが吉

2016-04-24

ネット炎上」が社会的影響力を持ってしまう世の中って最悪だな

ネットが影響力を増してから、世の中がどんどんつまらなくなってきてる。

いつからネットにはステマ炎上しかなくなってしまった。

そもそもはマネタイズ方法広告収入課金しかないのが原因なんだが、

課金がまともに成立してない現状では実質的広告収入しか方法がない。

PVを稼ぐには炎上させたほうがいいということがここ数年で明確になったし。

自分で「面白いもの」を作るよりも、他人の「面白いもの」を燃やした方がラクに儲かるなら、

だってそうするに決まってる。

今のネットはあまりにもクソすぎる。

2016-01-14

化血研の血液製剤承認製造について

化学及血清療法研究所通称化血研の一連の報道について思ったことを書いてみる。

ニュースではけっこう騒いでいたけれど、ネットではあまり騒ぎになってないので、あんまり興味が無いのかな?

個人的には、小保方さん以上に深い闇だと思う。

大雑把にまとめると、

1.国に承認が得られた方法と異なった製造方法血液製剤を作っていた。

2.具体的には、当局に届け出ずに勝手製法改良を行って、それを隠していた。

3.安全性問題がないデータがあったのに、製造記録の改ざんをしてまで、40年にわたってそれを隠し続けた。

4.閉鎖的な業界の体質が悪いから業界のあり方を変えたい⇐今ここ

じゃあ、なぜ製法変更の申請を届け出なかったかというと、

届け出ると、その届出が認められるまで約9ヶ月かかる。

その間出荷できない。

から届けなかった。

何度か届け出るタイミングはあったが踏みきれず、そうこうしてるうちに薬事法改正され、締め付けが厳しくなり、バレないようにと嘘に嘘を積み重ね、今になって発覚。

アホかと。

で、それが発覚したあと、厚労省その外部団体等々、激おこプンプン丸

でもどうしたかというと、出荷停止は社会的影響が大きいから出荷を認めるという。

安全性は、国が全ロット国家検定という品質試験をしているか問題ない。

腑に落ちない。

なんでも、製薬会社がその手の申請をする前には、向こう9ヶ月ぶんの在庫を確保してから手続きを踏むらしい。

掃いて捨てるほど原料が余ってりゃ、金を積めば原料をいくらでも仕入れられるなら、作り溜めもするだろうけど、血液製剤っていったら、原料は献血頼みだもの、出来るわけがないだろうし。

(そもそも、血液製剤って9ヶ月も有効期限があるのか?)

何度か、当局に届けるタイミングがあったというのは、薬害エイズ問題があって、国が

「とにかくガンガン作れ!」

という突き上げてた時期だったらしく。(血液製剤国内消費分は国内で作るという方針で、切り替えに必死だった時期)

どんだけ茶番かと思ったのは俺だけじゃないよな?

のど飴くらいなら、一時的一社くらい供給が止まっても大丈夫だけど、血液製剤患者にとっては無ければ死んでしまう命のビザのようなもの

から出荷を止めるわけにはいかない。

から届けなかった。

国も出荷が止まるとヤバいのはわかってる。

から出荷を認める。

じゃあ、申請とか承認とかする制度のもの意味なくね?

突貫で徹夜しまくってでも、9ヶ月かかる承認を2ヶ月くらいで手続きを済ませられるようにするかしないと、問題の解決にはならないと思うんだが。

寡占で競争がないのが問題とか言ってるけど、そういう問題じゃないと思うんだが。

2015-11-09

自動運転車自動車業界が消滅してメーカーやばいってわかってる?

よく考えて見れば当たり前なんだが、自動運転社会的影響は極めて大きい。自分で運転しなくていいから楽できるわ~という矮小出来事ではない。ちょっと想像力を膨らませて、この技術の可能性に早く気づいたほうがいい。

自動運転車10年以内には人間と同じくらい安全に走れるようになる。人が乗ってテストしている条件下ではすでに安全に走れている。近い将来は誰も乗っていなくても走れるようになる。

自動運転車を呼ぶと無人で走ってきて、目的地で降りると自動的に何処かに走っていくというようになる。

タクシーを考えると人間の運転手というのが一番高価な部分だが、自動運転の値段はタクシーよりずっと安い。

そういう技術が実現すると、車を持っている意味が減ってくる。呼べばすぐ来るものに何百万も払って家に置いておく価値はないってわけ。

まずは都市部郊外の2台目のニーズ自動運転車で満たされるようになる。ちょっと慣れなくて不便だけどこれで十分、というようになる。

普及が進んで自動運転車の数が増えてくると、駐車場に行ったり目的地で駐車場を探したりする時間より早く自動運転車が家に来るようになるので時間節約になる。自動運転車の便利さも知れ渡ってくる。

そうなると1台目ニーズも満たせるようになってしまう。そろそろ車を買い換える頃だけど、そもそも車買う必要ある?最近しろあっちのほうに乗ってないし、みたいになる。

新築の家は駐車場がない代わりに家が広いというのを売りにするものもでてくる。いろんな場所から駐車場が減って土地有効活用されていく。自動運転車は動いていない間はどこにとめておけばいいんだ、となるが、昼間は稼働率が高く基本的に走り続けているか駐車場はあまりいらない。夜はちょっと離れたところにまとめて止めておけばいい。

そもそも車の数が劇的に少なくなる。いまは車は「所有する」ことになっているが、その寿命のうちほとんどの時間駐車場に止めておかれているだけだ。これが自動運転車必要ときだけ「利用する」というモデルに変わると、必要な台数は劇的に少なくなる。

お盆みたいなピーク時は車が借りれなくて大変という話もあるが、それも的はずれな心配。いまの世界道路キャパに比べて車の数が多すぎて、ピーク時はすでに機能不全を起こしている。バカみたいに長い渋滞で何時間も潰れるのは大変ではなくて、家で自動運転車が来るまでくつろいで待つのが大変というのは意味がわからない。結局のところ道路単位時間内にさばける車の台数は限界があるので、それ以上の人が同時に出発しても道路上で待つことになるだけ。

道路効率は「スムーズに流れているけど交通量の多い状態」が一番高くて、それより車を増やしても単位時間あたりに通過できる台数は増えるどころかむしろ減る。渋滞を作らない程度に車を走らせるのが全員の時間節約になる。

車の台数は道路がさばける以上には根本的に必要ない。いまもし全員が車を同時に運転しはじめたら凄まじい渋滞になるだろうと思うと、今どれだけ無駄な車が作られて売られているのかよくわかるはずだ。

自動運転車が増えてくれば、連結して群れになって走行するとか、発進停車が少なくなるよう信号とも同調するという方法で、道路の利用効率をグンと上げることもできる。要するに自動運転が増えると目的地に早くつく。

自動車業界は、一般の客が車を買わなくなる代わりに、少数の自動車メーカーIT企業が多数の自動運転車を所有して、それで会員向けに運輸サービス提供するというビジネスモデルになる。今我々の知っている一般コンシューマ向けの自動車業界は終了する。

完全な自動運転新車オプションとして購入するというのは現実的にはない。車を買うということがナンセンスになってくるのに、高い新車を買う上に高い自動運転オプションをつける意味がない。自動運転は整備要件特別ものになるので車検代も高くなる。

車の生産台数が劇的に減るので既存自動車会社は変化に適応できずに潰れるものもでてくる。買わない以上は車種とかは何でもよくなるので利幅も減る。いままでうまくできていた会社ほど逆に危ない。

しばらくは手動運転車がなくなることはない。自動運転車人間の運転に適応できるのだからわざと退化させて手動運転を禁止する必要がない。しかし手動の車は何百万円もかかる非常に高価な趣味みたいになる。

自動運転車設備効率がよく人件費がかからないので安価になる。子供の送り迎えも高齢者の移動も安全になる。〇〇円で毎月500キロまで乗り放題(家族キロ共有可)みたいな料金プランもでてくる。

自動運転車問題が起こった時は車内からオペレータにすぐにビデオで話ができるから、不測の事態事故が起こったとか前の人が車内を汚していたとか)の心配はいらない。

所有も運行も会社がやる以上、事故責任も完全に会社が負うことになる。会社ドライブレコーダーを搭載して事故に備えてすべての記録を残すようになる。利用者は運行には一切タッチしないので免許はいらない。

以上、自動運転車は客が新車オプションとして選ぶような「おまけの」技術ではなく、根本的に業界を変えてしまう。そこをよく理解したほうがいい。

2015-09-04

五輪エンブレム問題の終わり、そして次のエンブレムに向けて


大阪芸術大学教授純丘曜彰氏の発言への疑問を述べた記事に、氏から応答があった。


元の記事

五輪エンブレム問題についての純丘曜彰氏(大阪芸術大学教授)の発言

http://anond.hatelabo.jp/20150903062450


純丘氏の応答

佐野五輪エンブレム超弩級の駄作!」(page: 6)

http://www.insightnow.jp/article/8644?page=6


もう佐野研二郎氏に関わるような話題は終わらせたほうがよいと考えているので、

議論がふたたび活発になるようなことは望まない。

筆者から疑問を投げかけ、氏がそれに答えてくれたので

パンチ一発ずつ(?)ということでこれ以上の応酬はやめようと思う。

なぜか筆者が「チャレンジャー」ということになっているが……


ただ、わざわざ返答をくれた氏に対してこちらから感想ちょっとした考えを述べておきたい。

加えて、幻となってしまった佐野氏のエンブレムへの所感を残して旧エンブレムについては最後とし、

次のエンブレムについての思いを記そうと思う。



ニーチェ綴り


ニーチェ綴り2ちゃんねるでどうこう、ということだが、なんのことやら」(純丘氏)

炎上という非常事態に対してまさにこの「なんのことやら」という意識で臨み、

周辺に挙がっている言葉火種)をそのまま拾って記事を作るということが、

筆者の言う「なんの検証もなく」という状態であると考える。



■色の件


一般の人が読むことも考えて説明を加えたのだろう。

残念だがこちらの疑問に答えたものではなく、新たな論点もない。


この項を借りて…

「私なんぞの記事真剣に読んでくれて」と謙遜されていたが、

氏の表象論などを用いたデザインに関する言説は(半分以上フィクションとしてだが)みな

面白く読めるものだったことを付け加えたい。



■純丘氏の社会的影響


非常にあったと考えている。

それは、(失礼だが)純丘氏の所論が正しく、力強かったからではない。

炎上サイバーカスケードという事態において、

とてもよく燃える燃料だったかである


マスコミはもちろん燃やすのが仕事であり、

識者の言質さえ取れればいい、このフリップのこのスペースが埋まればいい、

そんなノリでコメントを拾っている。


8月10日、純丘氏のこの一文を読んでびっくりしたのをよく覚えている。

「このデザイナーpinterest、その他、ネットのかなり奥深いところから

巧妙に素材を拾ってきていることが完全に明らかになってしまった」


Pinterest ついては、この時点では「完全に明らかになった」といえるような

証拠は出ていなかった(強く紐づけられるものがせいぜいニーチェの件で、

結局、最後まで確たる証拠といえるようなものは出てこなかったと考えている)。

しかし、この記事は一気に広まり、その後のムードを作っていったように思う。


純丘氏には、「佐野エンブレムを下ろしたい」というご自身希望

そのまま社会活動としていくのはご自由としても、

識者として、炎上デマがむやみに広がらないような、

適切な言葉と確かな情報検証を元に発言してほしかった。



さようなら佐野エンブレム


初見ロゴだけを見たときはあまりいい印象をもっていなかった。

が、明滅するアニメーションを見て選ばれた理由がわかった気がした。

その後は、騒動の最中ではあったものの見慣れていき、黒がよい主張と映ってきた。

CMスポンサーロゴの両脇を固めたオリンピックパラリンピックエンブレムにはリッチで崇高な印象をもった。

黒のことがよく言われるが、プラス方向に見ればゴージャス、フォーマルな色である

しろあの黒がチャームポイントになるはずだった。

もちろん、この強い色の使用はチャレンジだった。

桜のリースのようなデザインもすばらしいが、今回の選考委員の半数はチャレンジを選んだ。

オリンピックでこれまでに使われたことのない「黒」も、

選ばれた主な理由だと考えられる「組み替えアイデア」も、チャレンジであったと思う。

そして、チャレンジ理解されるには時間がかかる。

時間をかけて受け入れられるには障害物が多すぎた。



■これから五輪エンブレムに向けて


再び公募になったということで、それ自体は楽しみである

筆者自身、応募したい気持ちもあるのだが、

選ばれることがすなわちよい結末になるとも限らない、そんな不安がある。

何か思い当たるふしなどなくてもだ。


コンペではよく「勝った」「負けた」という言葉が使われる。

新国立競技場のコンペについて伊東豊雄氏もはっきり「負けました」という言葉を使っていた。


芸術も、学問も、勝った、負けた、の話じゃない。なにが本当か、

どうすればより美しくなるか。みんなで知恵を絞るにこしたことはない」


今回、純丘氏から聞けた言葉である

次の五輪エンブレムのコンペほど、「勝者のいないコンペ」という言葉がふさわしいものはないだろう。

それがいい意味でになるのか、悪い意味でになるのかは、わたしたち自身にかかっている。

2015-09-03

五輪エンブレム問題についての純丘曜彰氏(大阪芸術大学教授)の発言


五輪エンブレム白紙に戻った。

この一連の騒動の中で気になったのが、大阪芸術大学教授純丘曜彰である

反「佐野エンブレム」の急先鋒としてメディアで派手に〝活躍〟した人物だ。

エンブレム問題の経過をつぶさに見てきた者、デザイン周辺の知識をもっている者で

純丘氏の発言に疑問を持った人も少なくないのではないだろうか。

筆者の感じた純丘氏への疑問とは、

「明らかなデマの流布」「度の過ぎた個人的感情の表出」

そして「独りよがりデザイン論」「デザインに関する知識不足である



明らかなデマの流布


東京オリンピックエンブレムはもう無理筋8月10日

http://www.insightnow.jp/article/8591


瞬く間にメディアのあちこちに取り上げられ、反「佐野エンブレム」への動きを活気づけた記事である

デザインに関して識者といえる人物がここまであからさまにエンブレム下ろしを唱えたのは初めてであり、

純丘氏が五輪エンブレム問題の御用コメンテーターになるきっかけともなっている。

以下は、佐野氏のデザインしたトートバッグに関する部分である


ニーチェの独文の警句英文引用して、名前綴りコピー元のままに間違っていたり

(page:2 より)


Pinterest に一枚の画像として存在していたニーチェの一節、

その最後名前部分に綴り間違いがあり、佐野氏が孫引きしたために同じ箇所で間違えている、

すなわち佐野氏が Pinterest を利用していた証拠である、という論旨だ。


このニーチェの脱字の件は、丸ごと事実誤認なのである

Pinterest綴り間違いの画像などなく、佐野氏のほうだけがたまたま書き間違えていたのだ。

ここで問題なのは佐野氏が Pinterest を利用していたかどうか」ではない。

事実誤認、それも2ちゃんねるが発信源である単純なデマを、

純丘氏はのまま引き写して記事構成しているのである


この純丘氏の記事が出たころにはもう2ちゃんねるの当該スレは自らその事実誤認に気づいており、

ニーチェの一件は「佐野氏が Pinterest を利用した証拠」としては除外の方向へ向かっていた。

純丘氏は、佐野エンブレム下ろしに使えるものはなんの検証もなく使っていたのである

最低でもその誤字があるとされる Pinterest の元画像をその目で確認してから記事を書くべきだろう。


このような杜撰情報収集と決めつけで書かれた文章

大阪芸術大学教授」の肩書きで公にされてしまえば、何も知らずに読んだ人は事実と思い込んでしまう。

論文というのは人文科学であろうと事実を積み重ねなければならないものだが

こんなお粗末な方法文章を書いている人物が学生論文指導をしているのはいかがなものだろう。



度の過ぎた個人的感情の表出


オリンピックに潜り込んだゴキブリたち」8月20日

http://ironna.jp/article/1881


あんな黒いゴキブリ印は、生理的に無理。とても嫌な感じがする。汚らしい。穢らわしい。なにより不潔だ。あまりに不吉で、自分まで不幸に呪われそうな黒いゴキブリ。金と銀の足が夜中にカサコソと動き出して、きみの手の上に登り、パジャマの中にまで入り込んで来る。きみに、多種多様の救いがたい病原菌をなすりつけ、触覚をピロピロさせる。おまけに、突然に羽を広げて飛び上がり、きみの顔をめがけて襲い掛かる。考えただけでも寒気がする。あまりに気味が悪い。


この記事の、黒い生き物の比喩を用いた執拗レトリック

およびそこに貼られた画像は、読む者をいやな気分にさせる。

まるでいやな気分にさせること自体目的ひとつにもなってしまっているようだ。

純丘氏の「佐野エンブレムが嫌いだ」「黒が嫌いだ」という気持ちはよく伝わってくる。

だがそれは個人的感情であり、公にするにしてもせいぜい個人のブログにとどめるべきだ。

大学教授美術博士という肩書き付きでオピニオン系サイトに開陳するようなものとは思えない。

識者なら事実を元に冷静に分析し、問題を明らかにする役割を担うべきだろう。

騒動の中、感情ほとばしる文章で純丘氏は何を訴えようとしたのか。

これ以降、掲示板でもエンブレムゴキブリ呼ばわりする人が一気に増えていった。



独りよがりデザイン


佐野五輪エンブレム超弩級の駄作!」8月26日

http://www.insightnow.jp/article/8644


もはやリエージュロゴからの盗用かどうかは関係なく、

ひたすら駄作である、見るに堪えない、と力説している。

疑惑があるとはいえ、多くの人が関わって世に送り出されたもの

超弩級の駄作」「ゴキブレム」「梅干」と品なく形容する姿勢にもあきれてしまうが、

この他者制作物に対する容赦ない物言いは、おそらく氏の、

デザイン制作とは無関係な経歴(専門は哲学)と関係あるように思う。

むろんそれ自体問題ではないが、次章の「デザインに関する知識不足」も含め、

己の手にあまるデザインに関する解説を、あたかも〝識者〟として発表するのは

それこそ「無理筋」ではないか、と言葉を返しておきたい。


孤の中心がロゴの中心にある限り、この2つのパーツは、このロゴの四隅以外に配置することは不可能である

(1. 形態問題:パーツの寄せ集め より)


この一文の含まれ段落を「デザイン論」として理解できた人がいたら

ぜひ翻訳してほしい(もちろん逐語的な理解はしている)。

「9分割を元にフレキシブルな組み替えが可能」というアイデア否定するのが目的のようだが

なぜそこに「無理と矛盾」(純丘氏)があるのかわからない。

9分割の真ん中に必ず弧の中心が来なければならないデザイン上の理由とは?

さまざまな大きさ・形でさまざまな場所に弧が立ち現れていた、

あのアニメーションのどこに無理と矛盾があるというのだろう。


黒は、ほとんどすべての文化で、死や悪、権力、固着、腐敗、を意味する。同様に、赤は、血のシンボルであり、命や致命傷だ。それに金銀を加えるなど、まさに軍事配色のナチス悪趣味

(2. 配色の問題ナチスフラッグ色 より)


ここは純丘氏お得意の表象である

解釈はさまざま可能なのでナチスフラッグとみる者がいてもいい。

エンブレムを仮に芸術ひとつとするなら、芸術はさまざまな解釈に向けて開かれたものだ。

しかし、これは誰もが知っているようにオリンピックのために施された「デザインである

デザインとは、提示された課題を〝解決〟するものであって、

アートのように何ものからも束縛されない自由意志構成、配色したものではない。

見る者も「日本」で開かれる「五輪」の「エンブレムであるという情報とともに接する、

そのような場、コンテクストにおいて機能するようにあつらえたものだ。

解釈といっても常識的範囲がある。


佐野エンブレムスポーツを感じさせないとか、祝祭感が足りないとかいった批評は可能だ。

が、「ナチスフラッグである、「ゴキブリ」「致命傷」であるなどというのは

エンブレム出自コンテクスト無視した悪意のあるミスリードしかない。

ゴキブリ画像同様、ナチスの絵まで用意して独りよがり解釈

強くイメージとして植え付けていこうとする純丘氏の手法には疑問を禁じえない。



デザインに関する知識不足


どんな媒体でも、ほぼ同じような発色になるように考えておかないといけないのに、全体が印刷物無視RGBベースで出来ていて一般フルカラー印刷YMCKの四色のインクでは出せない「特色」の金銀が入っていたり

(上掲「佐野五輪エンブレム超弩級の駄作!」page:3 より)


デザイン生業としている人、その周辺に詳しい人で

この部分を読んで頭の中が「?」でいっぱいにならない人がいるだろうか。

この2行だけでも純丘氏が自分の手にあまること、自分のよく知らないことを

結論ありき、佐野下ろしを目的に書いていることが明らかである


CMYK を「YMCK」としているところはご愛敬だが、

純丘氏のこの不案内な言説はさまざまな場所で〝プロ〟のそれとして引用されてしまっている。

発表されたエンブレムRGB ベースでできていて、CMYK ベースではないらしい、

色指定の要領を知らず、特色を用いてしまっているらしい、

佐野研二郎氏は、デザイナーとしてはひどく低いスキルのまま今のボジションに祭り上げられ、

あたわない五輪エンブレム設計者の大役もしくは影武者の役を任されたようだ……


RGB ベースというのはモニターなど映像における混合方式であり

CMYK ベースというのは紙媒体など印刷で用いられる混合方式である

RGBCMYK は、媒体に応じてふさわしいデータを用いる、ただそれだけである

RGB ベースでできている」もなにもない。

ウェブでの使用に向けてロゴを配布するならば RGB だし、

ポスタープログラム印刷するなら CMYKデータを用意する。

純丘氏の中で佐野氏は、この知識としても初歩の初歩、

デザイン業務上、日々出くわしてはそれに従って作業している単純なことをまるで知らないという設定らしい。


ここに、さら意味不明な特色のくだりが加わる。

特色というのは印刷インクの一種で、

通常のプロセスカラーCMYK インク)で表現できない色をカバーするためのものである

エンブレムに特色の指定がしてあったというのはどこから情報かわからないが

(筆者は見たことがないので、まずはそのソース問題である)、

それだけをとれば、企業ロゴなどにおいては珍しいことではない。

RGBCMYK と同様、特色を用いるかどうかは運用現場に応じて「自然に」決まるのであって

雑誌カラーページなら金は4色分解(CMYK)で表現されるだけである

媒体や場面によっては、予算や仕上がりを考慮した上で

金や銀を特色にすることも、黒や赤を特色にすることも可能だ。

もちろんそのために CI マニュアルのようなものがあり、

特色で刷るならばここはこの色(PANTONE 、DICなどの番号)、

4色で表現する場合はこの CMYK 値、

そしてディスプレイ用にはこの RGB 値というように、列記されているのがふつうだ。


・特色番号(印刷用)

CMYK 値(印刷用)

RGB 値(映像用)


純丘氏の言葉を再掲する。

以下のような色指定を同一の紙の上に記すデザイナー想像できるだろうか。

すなわち、これが「ワンセット」になっていて、それ以外の指定CMYK 値)のない、

そのような色指定が本当に存在するだろうか。

純丘氏の作為産物か、氏がまたネットかどこかで拾ってきてしまったデマではないのか。

むろん常識的デザインの知識さえあれば、

このような「物理的に」とすら言っていいほど存在しえない〝キャラ設定〟をすることも

デマを拾ってきて書き写すとこともありえないのだが。


RGBベースでできていて(略)「特色」の金銀が入っている



最後


大阪芸術大学教授純丘曜彰氏の言葉は、目くらましのように効果を発揮してきた。

佐野五輪エンブレム超弩級の駄作!」での、ルネッサンスからフラットデザインへ至るくだりなど

エンブレムとはデザイン論において爪の先ほども関係ないが(ゴール地点のフラットデザイン自体なんの関係もない)、

このペダンティック解説や周辺タームは、氏の肩書きと一緒になって人々の目にもっともらしく映り、

エンブレム白紙化の力のひとつになったと考える。

芸術デザインの「専門家」(日刊ゲンダイ)と目される社会的影響力のある人物が、

この混乱の中で、明らかに事実に反すること、半可通なことを、

己の求める結論佐野エンブレム下ろし」に向かって品のない言葉作為的イメージを用いて

流布してきたことには、疑問を通り越してあきれてしまった。


ここには、筆者の知る事実デザインとその周辺に携わる者なら誰でも知っているような知識から

明らかにおかしいと思われるものについてだけ論じた。

五輪エンブレム騒動の中で交わされた、デザインに関する言葉への理解一助となれば幸いである。

2015-07-29

ベーシックインカム社会的影響が大きすぎて、

話まとまらんと思うわ。

部分的実施を難しいし。

制度まとめる官僚様は得しないから手を付けないだろうし。

2015-06-23

http://anond.hatelabo.jp/20150623074931

それぞれが言葉足らず。全員が全員、善意をもった悪。

ネットで叩いてるやつらは叩き専門のバイトか、中高生キッズか、叩くことが生き甲斐ニートなどどれも社会的影響力の少ないゴミなので気にする必要はない。

2015-06-13

そこで主婦を刺すのは、的外れだと思う

自分女性にもてず、仕事もない。家庭を持って幸せそうな女性を狙った。自暴自棄になり、殺すつもりだった」

http://www.asahi.com/articles/ASH6D65MCH6DOIPE026.html

どうせ刺すなら、高収入待遇仕事に就いている、家庭を持って幸せそうな男性なのでは?

 

格差世界経済史』 姓で読み解く階級社会不都合な真実

http://honz.jp/articles/-/41474

この本では「社会的流動性は低い」と書かれているが、それを私も肌身に感じている。

社会に対する影響力を持っている人間は、学生時代から高学歴者のネットワークを持っており、

社会人になっても紹介によってネットワークを広げ、快適に暮らしている。

そのコミュニティから「家庭も仕事も無い孤独で貧しい男性」の存在は見えていないため、

社会保障によって救わねばという発想も出てこない。

 

政治経済にまつわる実権を握っているのは99%が男性で、

そうした男性が動かない限り世の中は変わらず、弱者男性孤独で貧しいままだ。

「家庭を持って幸せそうな女性」のような社会的影響力・実権を持たない人を刺しても、どうしようもないと思う。

官僚マスコミ正社員大企業管理職クラス人間の、

友達だとか同窓生くらいの繋がりがある男性が「弱者男性からのねたみ」を理由に刺されたのであれば、

ガラッと風潮は変わると思う。世の中そんなものじゃないかな。

2015-04-06

日本で一番自殺してほしくない人

ザキヤマだと思う。

社会的影響が一番デカいのは、多分ザキヤマ

本当にテレビのままの人だという事を祈る

2015-01-23

無敵の人』が社会的影響力を持つことがおもしろい。

秋葉原加藤黒子のバスケ渡辺のあたりがそういうヤツら。

無敵の人』は守るものがないからなんでもアリ。守るものがある人達にとってはさぞ恐いだろうねぇ。

そういうニュースがあるとおもしろくてしょうがないわ。もっと無敵の人』が増えたらいいなぁ。

2014-08-06

そろそろ2chまとめブログの悪影響について考えるべきなんじゃないか?

今やtwitterでもFacebookでも罵詈雑言が酷い。

昔は「ネチケットを守ろう」と言われてて2ch以外ではマナーが守られていたのに・・・

すべての元凶は2chまとめブログだ。断言してもいい。

こいつらがモラル社会的影響無視して小金稼ぎに走ったから今の悲惨日本ネット民が出来上がった。

日本ネット人格の基本が2chレベルになったのは2chまとめアフィブログのせいだ。

2chまとめブログ通称アフィブログ―のまとめ

2chをまとめるだけで稼げるので、能力はいらない

ブログアクセス数を一度確立したら、後はどんなまとめでも安泰(早い者勝ち

デマ拡散する

罵詈雑言2chのノリがネット全体に広まる

いいかげんにしろ社会害悪アフィカス

2014-07-26

http://anond.hatelabo.jp/20140726221511

放射能社会的影響範囲も分からないだろ?年金破綻するかも分からないだろ?将来のことなんてわからない。だから自分なりに調べて自分なりのロジックで動けば良い。

出来の悪い親に人生左右されるのはありふれた現象。君の親父の快楽のためにティッシュの中に放り出されて短い人生を終えた兄弟の様に自分の判断ではどうしようもないことはある。それは仕方の無い事。

2014-07-24

http://anond.hatelabo.jp/20140724111924

http://anond.hatelabo.jp/20140724111614

 

人格すら認められない、ただ迷惑を撒き散らすだけの社会害虫として扱うと擁護してることになるとは随分とエキセントリック感性の持ち主ですね

世間一般ではそういうのは最大級侮蔑として受け取られると思います

 

はるかぜちゃんは「人間」で、それも社会的影響力の強い「アイドル」なので悪いことをすれば叩かれる

セクハラじじいは害虫なので業者を呼んで駆除死体ゴミ焼却場へ

2014-07-23

飛び級制度改編についての具体的な試案など

http://anond.hatelabo.jp/20140723104113

神童元増田です。ご返事ありがとうございます。結論については穏当で受容され易いものを目指したつもりでしたが、もう一段掘り下げるべきとのご指摘であればよく理解できます

 

現段階での試論をごく簡単に述べると、大学入学直前に1学年飛び級できるのみで、かつ対象に上位の大学が含まれていない(失礼)という現在制度は、優秀層にとって応募のインセンティブが薄く、結果としてその効果も薄くなっていると考えます。よって、インセンティブの向上を図るべく、これらの点について要件を緩め、対象範囲を拡大することが選択肢として考えられます

 

具体的には、まず複数学年の飛び級を認める方法としては、最も手軽な方法として、大検高認)の受験資格及び合格後の大学受験資格について年齢制限を撤廃することが考えられます。そうすれば、一部の優秀層は、自分の準備ができたと判断した時点でこれを受験し、早期に上位大学合格してゆくでしょう。年齢に関係なく試験に通った者が合格するという方針はフェアだとも整理でき、社会的にも受け入れやすいように思います。追加コストほとんどかからずに済むでしょう。

 

次に、上記の実現が難しい場合は、次善の策として、例えば防衛大や自治医大対象範囲を拡大することが考えられます。これらの大学については、学費免除が認められているという元々の位置づけから、仮に1年のみの飛び級であっても、家計が裕福でない優秀層にとって更に強烈なインセンティブとなるでしょうし、防衛省自治省管轄下という性格から政治主導であれば試験的に制度改編を進めるのも相対的に容易だろうと思います。他方で、早熟児達の知的好奇心を満足させる効果社会的影響の程度も上記案より小さくはなりますが、漸進的なアプローチという点ではひとつ方策だろうとは思います

 

元記事へのブコメで頂いたコメントには、短文でも考えさせてくれるものが多く、有難く思っています。これらに加えて、上記の試論についてもご指摘・ご意見・ご批判等あれば、ぜひコメントいただけると嬉しいかぎりです。勿論、上記へのコメントに限らず、思いついたことなど広くコメントいただければ嬉しいです。

 

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追記:

なお、そもそもの前提として、必要な知識は自分で学び身につけることができる優秀層を対象層として想定しています。上の学年のクラスで学ぶ機会を与え学習支援してあげた方がよいという観点からは、段階的に飛び級をしてゆくアプローチの方が望ましいという考え方もあるでしょうが、そこは割り切っています早熟児(神童と繰り返すのが気恥ずかしくなってきたのでこちらにしました)の相当数は、勉強目標を与えてあげれば自分学習を進めます。そんな彼らにとって、最大の問題モチベーションをどう維持するかです。少なくとも僕は、小4で習った科目がクラスで出るまで5年以上待たないといけないという状況に当時飽き飽きしていました。自分能力さえつけばいつ大学に行ってもいいよと当時言って貰えていたら、それだけでも、勉学へのモチベーションは劇的に強化されたろうと思います

2014-07-11

http://anond.hatelabo.jp/20140711150357

そういうふうに文脈と独立した基準を求めちゃうとわからなくなる。バランス問題なんだよ。

たとえば今の米国で、個人がやってて地元常連さんがほとんどの田舎の店で、「俺は昔日本人にひどい目に合わされたか日本人お断りでぇ」というのは、それ単独ではさほど大きな問題じゃない。もちろん拒否された日本人客がそれを非難するのも自由だけど、そこのレストランが嫌なら行かなけりゃいいだけだし、感情的問題は個人間で解決してくれってことになる。

ところが、社会的反日感情が高まってる状況だとどうだろう。日本人お断りポリシーはその店の話だけに止まらず、反日感情を後押しして、結果的日本人がそのレストランからだけでなく、他の所でも拒否される「社会的不利益」を受ける可能性がますます高くなる。そうなると差別問題だ。注意して欲しいのは、「差別を解消する」という目標あくま社会的な状況を改善することにあって、そのレストランを攻撃することが目的ではないこと。声をあげて「そういうことはまずいんだ」という合意を形成することで、他の店が倣うのを防ぎ、社会的な状況を改善できる。

個人商店より大きなチェーン店での差別的行為がより大きな問題とされるのも、社会的影響の大きさから

ちょっと前に車椅子来店を拒否して炎上したレストランがあったでしょ。あれも、「レストランはどんなコストを払っても車椅子を受け入れなければならないのか」なんて議論にしちゃうと解決しない。「今、車椅子では行動しにくい街になっている」って社会的不利益があって、それを全体的に改善してゆくのが目標で、逆行するような行為があれば「そりゃまずいんじゃないの」と声を上げてバランスを動かそうとする。その解消のためにひとつレストラン負担が大きすぎるなら、それは社会的制度問題から、そんじゃ負担もっとうまく分散させるにはどうしらたいいかを議論しようや、ってことになる。そうやって落としどころを少しづつ探って行くプロセス差別問題への取り組みなんで、これをしたら悪、これはok、というような規則を決めてゆくことじゃない。

2014-05-16

http://anond.hatelabo.jp/20140516005154

理系ってアレだよな

たいした社会的影響力もなければ

問題解決力もないくせに、口だけは達者だよな。

理系のうちでイノベーション起こすなりなんなりで

社会に貢献してる人間なんてごく僅かで大半がごく潰しじゃん。

研究設備無駄に金かかるし、優秀な人間以外いらないよ。

仕事を仕組みに落とし込んでシステムとして稼動させてるのは文系なんだから

理系人間経営者ほとんどいない時点で、理系の役立たずは明白じゃない?

こういうの読むたびに思うけど、理系って教養ないよなぁ。

さぞ無教養な親に育てられたんだろうと思う。本人のせいじゃなさそう。

一冊の本もない家庭に育ったんだろうね。

法学経済学倫理学哲学心理学政治学も無い国に住みたいかね?

2014-03-26

「有子率」「無子率」という基本的データが、実は国に存在しない

40歳男性が、子供を持ってる比率」(有子率)というのが、国勢調査住民基本台帳データ存在しているのかな?と思って調べてみたが、

意外なことに、そういう基本的データを、国は持ってないらしい。

女性場合であれば「経産婦か否か」というデータを取っているが、男性に関してのデータ存在しない。

国以外の機関で、そういうデータがあるのか、と調べて見たが、女性については存在しても、男性については無いようだ。

※「有子率」で検索してもダメだが、「無子率」ないし「生涯無子率」で検索したらそこそこヒットする。

 女性の生涯無子率が37%なので、性比を考慮したら男性の生涯無子率は40%程度と推察出来るが、正確じゃない。

そもそも自分がなぜそのようなことを調べようと思い立ったか、と言えば、

世間的には『いくら未婚化、少子化でも、まあ7割位の大人には子供がいるよね』という『思い込み』があると思うが、

 実は40歳男の有子率は50%未満で、有権者全体の平均有子率も50%未満なんじゃないか?」という素朴な仮説。

実は自分の素朴な疑問は、11年3月4日に東浩紀が同じ疑問をツギャッターしてた。

しかも、この単純な疑問、いろんな有識者がツギャッターに参加してたが、「実は個人単位の集計が存在しない」で未解決で終わっている。

それだけに、「カンタンなようで、厄介な問題」なのだ

東浩紀の問題意識

「子持ち成人が子無し成人より多数派である、という常識は間違ってるのでは?

 政策決定に影響するのでは?」ということ。自分同意である

政府は「子供絶対数」を重視する為、「平均子供数」統計は重視するが、

「子持ち成人と子無し成人の社会学的な差異」は無視してる為、「子持ち成人数」「子無し成人数」というデータを用意してない

政府は「子供一人の成人と子供二人の成人の差」は「子供ゼロ人の成人と子供一人の成人の差とイコール」と見なしている。

一方、東浩紀は「子無し成人と子持ち成人では質的に決定的な差異がある」

子供一人成人と子供二人成人の差異なんて、子無し成人に比べたら誤差の範囲」としている。

夫婦の6組に1組は不妊と聞いてる。

から40歳時点での男性婚姻率が60%未満なら、40歳男性の有子率は50%未満になる計算

確か男性の3人に1人が生涯未婚と聞いてる。つまり40歳男の婚姻率は67%未満。

から40歳男の有子率が50%あるかどうか、微妙だと思う。

あと能面ヅラ美のブログにあったネタだが、「孫無し高齢者が増加することの、社会的影響」を社会学者は本格的に研究した方がいい。

孫無し高齢者は孫有り高齢者より平均寿命で1~2歳は短い、というデータが出てもおかしくない。

将来「孫無し高齢者」率は5割に達する、の予想をみたことがある。

従来の「高齢者は孫がいて当たり前」という常識は通用しなくなり、高齢者健康精神状況に悪影響(高齢者犯罪増加の一因にも)。

孫有り高齢者と孫無し高齢者平均寿命分析などは、個人情報保護法無視して、研究の為の戸籍謄本取得を認めれば、そんなに難しくない。

問題なのは、そういう社会学研究シャットアウトする個人情報保護法体制

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