はてなキーワード: 生業とは
「漫画村の情報提供をねとらぼに行うまでの思い」(https://anond.hatelabo.jp/20180427180812)を公開し、多くのコメントを頂けた事、とても感謝してます。
ありがとう皆さん。
その中に「家族と友人がいい人でよかった」というコメントを見かけた。
どちらかが欠けても自分は動くことが出来なかっただろう。
面と向かって伝えることは恥ずかしくて出来ないが、この場を借りて家族と友人に感謝を伝えたい。
みんなありがとう。
今回情報提供した事でクソ真面目なイメージを持たれたかもしれないが、自分は全くの正反対で怠惰な性格である。
「明日でいいか」といつまでも先延ばしにする性格で、夏休みの宿題はいつも学校が始まってから慌てて片付ける。
惰眠を好み、やる事(やれる事)や関心が持てる事がなければすぐベッドに潜るぐらいのダメ人間だ。
ダメ人間だから褒められることには慣れていなくて、コメント欄を見た時には「もっと早く言えばよかった」と申し訳無さしかなかった。
「お前はバカ正直で素直で、大人になっても子どものような純粋さを持っている」
「その純粋さを覚えていて欲しいが、社会に出たことでスレる必要もある」
「世の中で悪い大人に利用されて泣くことになるのは、悪い人とお前のようなバカ正直者だ」
家族と友人から度々こういったニュアンスの言葉を投げかけられる。
これは幼少の頃からの悪い所だ。
大人から「危ないからやめなさい」注意を受けても、何がどう危ないのかを説明されないとやめなかった。バカだからだ。
そしてたくさん擦り傷切り傷をつくり、骨折をしたこともあった。
それでも自分は「なるほど、だから危ないのか」と痛みと引き換えに答えがわかったのでヘラヘラしていた。
それは面接の時にも言った、バカ正直な自分は事前に言うべき自己PRは頭にいれない。
「どうして弊社に来たのですか?」
「インターネットが生活と切り離せなくなった昨今、目につく広告が多く、そういう広告を配信している会社は何を思ってそれを生業としているのか、どういう仕組みなのか、全ては興味本位です」
バカは言葉を飾る必要なんてない、飾った所でバレてしまうのだからバカはバカらしく正直に言えばいい。
生活する上でお金は大切だ。お金とは別にこの問題はもう一つ大切なものがある。
文化。
この国の名前を背負って世界中の人々に見てもらう、そして日本の文化に触れてもらう。
クリエイティブな活動をする彼らは知らず知らずのうちに大きなものを背負っているのだ。
作品に触発され、日本人の我々よりも行動的な海外の彼らは実際にこの国へ足を運ぶだろう。
世界を巻き込みながらお金が回る、これは経済としてあるべき姿ではないだろうか。
(このあたりは専門家ではないので薄っぺらい事しか言えない、申し訳ない)
アニメやTV番組、映画などの映像をアップロードしたサイトは悪と言われているのに同じ映像のアダルト作品に関しては目を瞑られている所。
これはどうしてだろうか、常々疑問である。
夢がないと言われそうだが、自分は映画もアダルト作品も同じクリエイティブなものだと思っている。
娯楽として見る映画と性的欲求を満たすアダルト、何が違うのだろうか。
女優、俳優、監督、スタイリスト、カメラマン、それぞれが集い一つの作品を作っている。
世に出るまでの工程はさほど変わらないのに、なぜアダルト作品は違法サイトで取り扱われても問題視されないのか。
これは恐らく、日本人の性に対する考え方だと思う。
現状の性教育レベルと性に関する抵抗がある限り、アダルト作品は"作品として"扱われることはないだろう。
性に対して閉鎖的かつ抵抗がある限り、潜在意識下で「アダルト作品は極力見てはいけない」というセーブが働いてしまうから。
海外では家族がそういう事に関する疑問や不安に答えるとも聞いた。
もう少しだけ、この国もオープンになるべきではないだろうか。
そうすれば自然とアダルト作品を違法アップロードしているサイトも問題視されるはずだ。
(誤って消してしまったので再掲)
私は単調な作業が苦手だ。
刺身にタンポポを乗せる仕事なんかやっていたら3分で発狂して首を吊りたくなってしまうかもしれない。
そこまで単調じゃなくても、機械を導入するには複雑で、人件費のほうがまだ安いよね、というレベルの単調な作業はこの現代においてもいくらでも残っている。
レジ打ち、ビス止め、ライン生産、皮むき、盛り付け、データ入力、真珠の見極め、新聞配達。
私は、これらの「誰にでもできる」と言われる類のルーティーンに我慢ができない。
馬鹿にしているわけではなく、これらを生業にしている人たちを心の底から尊敬している。
たまにコンビニや牛丼屋等で店員の段取りが悪かったりすると怒り出す客がいるが、信じられない。
なぜそんな仕打ちができるのだろう?
単調な作業を肩代わりしてくれていることに感謝こそすれ、叱りつけるなんて言語道断である。
そんなに物申したいなら自分でやってみればいいのだ。
失礼、「異世界はスマートフォンとともに。」でした。
その主人公がスマホ太郎って呼ばれてディスられてるんだけど、その中のディスに「スリを生業にしているロリを、美少女って理由だけで受け入れるクズ」ってのがあるわけよ。
俺もそれはわかるよ。いくら絶世の美女でも悪いことをしたらそれはアカンでしょ。
まぁ、自分は「異世界はスマートフォンとともに。」見てないからそのスマホ太郎っていうコンテンツを傍から見て楽しんでるだけなので、スマホ太郎のことは正直良くわからんが、悪いことをしたらアカンっていうのはまぁわかるわけ。
んで、FGOプレイヤーもそうなっていないのか?っておもうわけよ。
アナスタシアとかいう、主人公にとって敵のカドックってやつのサーヴァントがアナスタシアっていうんだけど、これが実装された時「おいおい、同じ職場の仲間を殺したやつ受け入れていいんか」っていう議論になったものの、「マスターが違えば別人だよ」ってことで収まったわけ。
でも、明らかに、絵としては「カドック×アナスタシア」っていう絵が増えまくって、挙句の果てに「むしろカドックも実装して」「かわいければOK」「美しければOK」ってなってきてる。
こんなんいうてる奴らがスリを生業にしているロリを受け入れた事でサイコパスとか言われているスマホ太郎をディスってるんだぜ?
女子はそこそこの短大に行く風潮な時期で(4大は少数、看護系公立ですら短大だった)
短大に行ってなにを学んでどうなるんだろう、が全く想像つかなくて
それこそ国公立クラスに居たけど、担任のイヤミもまったく気にせず手に職をつける系の学校にとっとと決めて
何十年もその仕事を生業として生活できてるから、当時の自分チョイスが「幸福な進路選択」にはなってたと思う。
今も。
友達の姪っ子が、教育大出たけど普通に地元のIT企業に就職して戻ってくる、なんて話も聞いて
え、教育大って先生になりたい人が行くんじゃないんだ!って驚いたのが最近の話。
在学中に本人がやりたいことを見つけて、それが教師じゃなかったってだけのことかな。
(または、教師になりたくないことを見つけて、別な業種を選んだか)
教育大に入る前に気づけば別の学校チョイスもあったかもだけど、
入ってみないとわかんなかったのかな
この姪っ子ちゃんが合格したことで枠が一人分減ってたらちょっと恨むかも。
2年生にあがるときに文/理ざっくり決めて
「決め方」って誰も教えてくれないから
増田の言う
あなたが、もしかして一番「信用できる大卒のひと」かもしれないw
お昼休憩中にホッテントリ見てたら、40代で新卒採用の話などがあって、触発されたので書いてみる。
ちゃんと正社員になって半年くらいお勤めしてから書こうと思ったけど、生理痛で眠れない夜でもあるので書いて眠気を誘ってみようという意図もある。
よろしければお付き合いください。
当方30代前半の女で、大学を卒業してからずっと非正規雇用で働いてきたが、来月から正社員として働くことになった。
派遣社員の無期雇用制度が実質的にこの4月から始まり、それを阻止しようとしての派遣切りなどが取り沙汰されている現状で本当に有り難いことだと思う。
そもそもにして、大学にはとある資格を取りたくて行ったのだが、勉強すればするほど自分に向いてないと思い、資格だけ取って卒業。
事務職を希望して就活したが、「どうしてその資格生かさないの?」と言われ続けて惨敗、新卒カードを失った。
中途半端に資格だけあってもむしろ邪魔だと悟ったが、後にこの資格が間接的にだけど生きることになる。
派遣や他の非正規雇用として食い繋ぎ、無職になるたび正社員を目指してハロワ通いをしたけれど、
25才以下で5年以上の事務職経験者が応募可能などと無理ゲー条件ばかりで、やはり就活は負け続けであった。
市役所で受付したり、総務事務の手伝いをしたり、はたまた電子書籍を作ったりなど、履歴書の職歴欄ばかり無駄に増やしてから今の職場に派遣された。
職務内容としては、専門職をサポートする事務全般といったところ。
専門職として長年活躍されてきた方は、もちろん職種にもよるのだが、全般的にパソコン操作に疎い方が多い。
私はパソコンがそれなりに得意だった。はてなーの方々のようにプログラミング言語がもの凄くできるという訳ではないし、
MOSなどの資格がある訳ではないが、ExcelやAccessがある程度は出来たし、変な動画の作成をしたりだとか、趣味のサイトを持っていた時期があった。
なのでOffice系に限らず動画や画像の編集なども含めてパソコンの仕事を引き受けたり、あるいはいわゆる「パソコンの大先生」をしていたら、専門職の方々には気に入られた。
また、時期は前後するけど、職場でシステムの入れ替えがあったのね。
これは自分でもうまく説明できないのだけど、社内で使用するシステムの把握が、自分は他の人よりも早く出来るようだった。
システムがどう動くかとか、どのマスタをいじればあそこが動くとか、ここを動かせばあそこが上手く回るとか、そういうことを把握するのがなぜか得意だった。
(総務事務の仕事をしていた時にもシステム入れ替えがあり同様のことがあったので、システムの構造の把握?のようなことができるんだと思う。
ここら辺は自分でも何で得意かは分からない。感覚的に動かしてみれば大体解決する感じ)
加えて、入れ替え後のシステムは以前のシステムの機能を全て再現できる訳ではなく、しかしその機能はないともの凄く不便だったので、
AccessやVBAなどでその機能を補完できる仕組みを作ったりとかした。出力したCSVをぶち込めば自動処理、みたいなヤツ。
あとはどうしてもシステムが苦手な人のために、マニュアルを作ってたりもした。開発会社から渡されたマニュアルは純粋に機能の紹介だけだったので、
実際の業務に即したマニュアルを隙間時間を使ってちょこちょこ作った。
そういう感じで「パソコンの大先生」をやりつつ、「システムが一番できる人」もやって云年間。
社員になりたい気持ちはあったけど声は掛からないし、派遣会社に無期雇用の話をしたら嫌な顔されたし、他にもきな臭い話が出ていた。あと実家の母の調子が悪くなった。
派遣社員にしてはそこそこいい条件で働かせてもらっていたのだが(地域の最低時給+200円、交通費半額支給、社会保険加入)、
通勤に1時間以上かかるし、実家からも遠い場所にあったので、それじゃあ多少条件は下がっても、実家に近いところでまた探そうかなと思って退職を申し出た。
そしたら、ちょっと待ってと言われて待っていたけど、どうせ探すんなら年度の切り替わりの時期がいいので、派遣契約はこの3月で終了、更新の意志はない旨ははっきり伝えていた。
そうして退職の準備をしていた先日、上司と人事の人に呼ばれて、今度の4月から正社員にするからという有り難い話をいただいたので、二つ返事で了承。
上司はいつの間にか推薦書を書いてくれて、上に掛け合ってくれていたらしい。ほんといつの間にそんなことしていたの、ありがとうございます。
実家の母はめっちゃ喜んでくれて、どうにかなるから初めての正社員生活頑張れって言ってくれた。社員採用の話を聞いたらちょっと元気になったんだって。これまた有り難い話である。
何のかんの書いたけど、私は事務職として優秀という訳ではなく、今日もとんでもないミスをして上司に助けていただいた。
恩を仇で返すというのはこのことである。今日からまた気持ちを入れ替えて挽回します。
あと、今の職場にいる専門職の方には、私が持っている例の資格を生業とされる方もいらっしゃるので、本当に間接的だけど役立っている。
これも全然書いてなかったけど、システム動かすのも楽しければ他の業務も(得手不得手は別として)とても楽しい。
天職だと思っていたから、正社員になれたのは本当に本当に嬉しいし、これからもっともっと頑張ろうって気力が湧いてきている。
派遣社員を取り巻く情勢は厳しくなるばかりだし、私のこの経験が派遣社員として働く方の希望になるとも全く思わない。
なりたくてもなれずに涙を呑んだ人もたくさん知っている。
でも私にはこういうことがあったというだけ、頭の隅っこで覚えていてもらえると、ちょっと嬉しい。
騒動からしばらく経ってずっと落ち込んでいたけど少し落ち着いてきた。色々考えた結果避けるよりむしろ積極的に見たり聴いたりした方が精神衛生上良いなってことに気づいたので大好きなCan you guess what?を久しぶりに聴いている。配信されてから数ヶ月間ほとんど毎日聴いていたから5日も聴かなかったのは初めてかもしれない。明日はみほとせ見て、らぶフェス配信始まったららぶフェスも見る。一人でいることを望んでいるのに独りになりきれず、別れを悲しいと思える優しい心を弱さと捉え葛藤する、どの大倶利伽羅よりも人間臭いミュ大倶利伽羅が私は好きだ。私は財木くん個人とミュ大倶利伽羅を切り離して考えている節があるのでそういう芸当が出来るのかもしれない。人それぞれ好きな方法で、複雑な感情を癒していったらいいんじゃないかなと思う。
先に言うと、私は去年7月下旬に突然みほとせ配信を購入・視聴しミュ大倶利伽羅と財木くんにハマった。配信を既に買っているのに改めてみほとせDVDを買い直し、シングルもアルバムも買った。それまで2.5次元には全く興味なかったどころか正直苦手だったし、舞台俳優にも何の関心も無かったので自分の中ではかなり大きな出来事だったと思う。2.5次元という世界にも、舞台俳優という世界にも今でもそこまで詳しくはない。らぶフェスは2日参戦したけど、それ以外の財木くんの出演する舞台もバスツアーなどのファンイベントにも参加していない。あ、水戸黄門は見た。あの手の時代劇を見たことがなかったのでまた世界が広がりました。そういう感じで本当に自分のペースで大倶利伽羅と財木くんのファンをしている。知識も経験もまだまだなことはわかっているので舞台俳優のファンとしてかくあるべしみたいな啓蒙的なことを言うつもりもなければ、様々な情報・憶測を駆使してこの騒動を考察するつもりもない。ただただ、自分の中に渦巻いている複雑な感情を文字化することで整理したい。そして、そんな風に複雑な気持ちを抱えているけどなかなか言葉に出来なくてモヤモヤしている人の一助になればいいと思う。ということで割と矛盾したことも言う気がする。
1つ目は財木くんの自己管理能力の低さに対する呆れ。2つ目は大倶利伽羅役を降板したらどうしようという恐怖。3つ目は嵌められているという憶測についての漠然とした恐怖。
他のファンの方もおっしゃっているように決して彼女がいることに対して憤っているわけではない。好きな俳優さんに彼女がいたって結婚していたって子どもがいたって構わない。むしろ本人の精神的拠り所がしっかりあることに安心するくらいだ。
ただ、財木くんの場合はバスツアーの中身でもわかるように一人一人のファンにとっての理想の彼氏みたいな売り方をしている。そういう夢を売っている。SNSやブログなどもその夢を補完するコンテンツ、一種の作られたプライベートに過ぎない。
そして、財木くんが自分の彼氏っていうことが夢だってこと、作られた嘘だってことは誰だってわかっている。でも、その夢を見ることがファンの明日への活力に繋がる、本当に大切な夢でもある。だからこそ、その夢は完璧なものじゃないといけなかった。少しでも綻びがあったら夢は簡単に壊れてしまうのだから。演技を生業とするなら尚更ファン一人一人にとっての彼氏という役を演じきって欲しかった。本当のプライベートはどうだっていい。こちらに見せないようにさえしてくれれば。今回はそれを見せられてしまったからこそ失望しているのだ。もしかしたら誰かに流出されてしまったのかもしれないけれど、そういう隙を作ってしまったのは他ならぬ彼自身である。それは弁明しようもないものだ。
つまるところ、この騒動は彼の演技の失敗ともいえる。ファンに見せる夢を壊してしまった=演じきれなかった、という事実は他の演技に対する疑念にも繋がる。あの役、本当に真剣に演じてくれたの?自分が実際に見て良いと思っていたものを疑うことになるかもしれない。それはとても苦しい。
責任を取って降板しろ、と思っている人も多いと思うし、もしミュージカル刀剣乱舞として降板という対処をしても恨むつもりはない。こういうコンテンツはイメージが最重要だ。だからこそ、ミュージカル刀剣乱舞というブランドを守るためには正しい対応だろう。頭ではわかっている。頭では。
やはり、財木くんのやる大倶利伽羅が大好き。これに尽きると思う。この感情に理由も何もないからこそなかなか割り切れないものがある。
かといって、財木くんのツイートのリプに「カノバレなんて気にしないでください!私は応援しますから!」などと無責任な発言をする人間はファンではない。それはあまりにも無能さをひけらかしているのではないか、と思っている。
ファンは俳優を支える存在であるが、決してを甘やかす存在であってはいけない。その甘やかしは間違いなく俳優の破滅に繋がるからだ。
私はファンは俳優を育てる存在だと思っている。だからこそ、ダメなことをしたらダメだと言わなければならない。もちろん、財木くんに見切りをつけてファンをやめることも間違いではない。誰かのファンでいることに何の拘束力もないのだから。ただ、まだ財木くん微力でも可能性を感じなんとかしたいと思うなら尚更無責任に「カノバレ気にしないでください!私は応援します!」などと言ってはならない。
また、ファンも周りから見られていることも忘れてはいけない。財木くんの存在以上に財木くんのファンが今見られている時期だと思う。無責任な発言をすればするほど、財木くんも財木くんならそのファンもファンよね、とバカにされかねない。(実際もうバカにされているかもしれない)それで果たしていいのだろうか。少なくとも私は外野に財木くんも、私よりも財木くんを応援しているファンの方々もバカにするような言葉を見かけて勝手にボロボロに傷ついている。
タイミング的にこれは嵌められたんじゃないかとかインスタのアカウントがどうとか憶測が飛び交っている。私自身そこまで賢くないのでこれについては正直よくわからないし、はっきりとしたことが明らかになることもないんじゃないかと思っている。ただ、もしかしたら若い芽を摘もうとする人間が少なからずいて、機会を伺っているのかと思うと漠然とした怖さがある。他の俳優でもこういうことが起こったらどうしよう。これは舞台(特に2.5次元)という全体的なコンテンツの衰退を引き起こしたりはしないだろうか。ぼんやりとそんなことを考えてしまう。
これについては俳優自身がそういう隙を見せないよう気をつけるのと、ファンが安易に情報・デマに流されないようにするしかない気がする。そろそろ頭が回らなくなってきた。
これからどうするのかと問われても私は何が何でも財木くんを応援します!という訳でもなければ、今日限りで財木くんのファンを辞めますと宣言をするほど強い心もない。様子見をしつつ、みほとせを見たり、聴いたり、らぶフェスの配信を見ながらゆっくりと時間あるかけて自分の気持ちと向き合っていきたいと思っている。
インフルエンザにかかって家で寝ていたら、こんな夢を見た。
実家のダイニングでテレビを見ている。仮面ライダーをやっていて、仮面ライダーが銭湯で敵の一味にこてんぱんにされて終わる。
隣のキッチンでは大きなアルミ製と思われる金だらいがコンロで火にかけられていて、中のお湯が沸騰している。
いま風呂に入っている母がやっていったのだろう。
僕はダイニングテーブルから火を消しに立ち上がるが、そのとたん強烈な目眩に襲われて立っていられない。どうにかキッチンへ辿り着いてコンロの火を消すが、目眩は終わらない。脳出血などを思い浮かべ、死を覚悟する。助けを呼ぼうと何故かトイレに閉じ籠ろうとするが、トイレに辿り着けない。
更に消したと思っていたコンロがまだ火がついており、金だらいが熱で溶け始めていて、形が崩れている。目眩でバタバタしながらキッチンに戻るが、どのつまみを触っても火が消えない。どうしたらいいのか分からず叫んだところで眼が覚めた。
また、夢ではないが、眼が覚めてからこんなことを妄想して本気で涙していた。
昨日テレビで見た、珍しい姓のルーツを辿る番組で取り上げられていた「返脚」さんの件。
木地師の姓である小椋を木地師の免許と一緒に返却したのが由来ということだったが、並大抵のことではない。
400km以上を明治の初期であるから歩いて木地師の集落まで訪ねて返したのだ。
国の政策で林業が自由にできなくなったから廃業を決意したのであろうが、この返しに行った人物がしたためた文書が出てきたという妄想から始まる。
文書には、初代返脚氏の木地師許可と職能姓を返却することにした理由が語られている。
曰く「免状と小椋姓を返納するのは、御国の方針に自ら進んで協力した証を公文書として残すためである。やがて姓名の由来など忘れられようが、私が免状と姓を返却したことは公的な記録として残り、子孫の目にも留まるだろう。祖先が御国の施策に沿うべく行動した栄誉ある者だということが分かるであろう。」という内容で、備忘のためにこれを記すとされている。
これを聞いて当代の返脚氏は涙を流す。「良かった」と。
「何代も続いた生業を国の政策で捨てざるを得ず、私はこの人が、ひょっとしたら惨めで悲しい気持ちで出自の村まで歩いて向かったのかと心を痛めていた。しかしそうではなかった。誇らしい気持ちで返却したのだと分かった。良かった」
1990年生まれ現在27歳のグラフィックデザイナーです。
絵を描くのを一度諦め、何年間か描いていなかったものの、
せっかく戻ってきたのであれば、今までのことを記録してみようと思い立ち記事を書いてみます。
ネット上で絵を描いていた人にはとても懐かしいかもしれません。
物心ついたころから既に絵を描いていて、幼稚園児のころには既に
「学年一絵が上手いキャラ」として周囲から認知されていました。
それは高校に上がる直前までの11年間、自らのアイデンティティとして確立し、
自分=絵を描く人間だという自己イメージは自身の中で確実なものとして定着していました。
幼稚園児のころから漫画が大好きで、地獄先生ぬ〜ベ〜やドラゴンボール、
赤ずきんチャチャ、折原みと先生の漫画、くりた陸先生の漫画をこよなく愛し、
よく真似て絵を描いていた小学校低学年。
高学年になるとテニスの王子様にめちゃくちゃにハマり、
その頃に同人という言葉を知るなど、順調にオタクとして育ちました。
ちょうど6年生になったあたりのころから、
自分でイラストサイトを作ったり、CGで絵を描き始めたのもこの頃です。
あの頃入り浸っていたのは、「ふみコミュニティ」というポータルサイトの絵板。
そこにはたくさんの同世代のイラストを趣味とする子たちが集まっていて、
同い年の子たちもたくさんいました。(「マウス書き。ペンタブほしい〜!」はもはや合言葉みたいだった…)
ふみコミュの中にも絵がすごく上手い子、そうでもない子がいて、
本当に小学校6年生なの!?てくらい当時上手い人もたくさんいました。
私もそこに混じって絵を投稿したり、交流が楽しくてずっと描いてました。
そのころはまだ上手い人に対する、明確な劣等感は感じませんでした。
ドラゴンボールのファンサイトの管理人同士(年齢層高め)で意気投合し、
毎晩のように絵チャットに明け暮れていました。
そこに設置された絵チャットに、暇な人が入っていてそこにどんどんあとから人が集まっていく。
絵チャットは描いている過程が丸見えなので、下手だと思われたくなくて大人に混じって必死で絵を練習し、
一方で「9091P」という1990年生まれの絵描きを集めた同盟が立ち上がり、
同い年同士で交流したりお互いのサイトを見あったりと、創作活動も活発な時期でした。
その頃あたりから、ふつふつと、「世の中には自分より何倍も絵が上手い人がいる」と
中学校三年生あたりで、絵を描いて交流するような友達はいなくなりました。
いるのは、ネット上でも話したことのない、上手い絵描きさんだけ。
同い年なのに、どうしてこんなに差が出てしまったんだろう?
そんなことばかり考えるようになったと、今振り返ると思います。
絵を描かなくなる人生なんて想像もつかない私は、高校は美術を専門とした学校へ進学。
デッサンや油絵、水彩、彫刻、プロダクト、デザインといろいろなことを学べ、最高の環境で学び始めました。
課題で描く絵は本当に得意で、いつも良い点を取れるし、先生からの評価も高いのだけど、
その一方で「自分のために描く絵」というのを、この頃にはもう全くと言っていいほど描かなくなってしまいました。
それはおそらく…わざわざ点にもならない、要は目に見えた利益にならない絵を描くことに意味を見出せなくなり…
わざわざ描くのに、上手い人たちよりも下手な自分を目の当たりにするだけで、
なんのメリットも感じられなかったから。下手な自分を見るのが怖かったから。
課題ではいい点をとらないのに、コンクールでは金賞を取り続ける人。
同人活動で売れ始めた人。
絵画部で大きくて素敵な絵をたくさん描き続ける人。
成績や点数には現れない、素晴らしい魅力を持った人がたくさん身の周りにいました。
でもなぜだろう、仲良くなれなかった。劣等感で一緒にいられなかった。
絵の話だけするのはつまらなかった。
恋愛もしていたしバンドもしていた、いわゆるリア充タイプに属していた自分だからか?
そのために、どこかで「自分は彼らとは違う」と思っていやしなかったか。
一線を画すことでどうにか自分を保っていたのではないかろうか。
仲良くなりたかったんだろうか?それも甚だ疑問で、確かに話は合わなかった、
でも、絵を描いててなおかつ絵以外のことも話が合うひとなんて、この世に存在するのだろうか?
気張ることなく絵や萌えに没頭できた側面もあったのかもしれない。
相変わらず絵を描く親しい友達はできないまま、大学に進学する時期になり、
「せっかく高いお金を同じくらい払うなら、地方じゃなくて上京して東京の美大でデザインを学ぼう。」と思い、
絵を描く情熱が割と無くなっていたにも関わらず、真面目な性分ではあることと
点数を取る絵は得意ということもあったといえども今思い返すと本当によく入れたな…と思います。
絵ではなくデザインを選んだ理由は、少なくとも物を作りながら生きていきたいと思ったからです。
デザインであれば、就職率もよく、絵を生業にするよりはお金になると判断してのことでした。
ただ進学しても業種を変えても問題は変わらなかった。
デザインだって自主制作がとても大事なのに、大学生になっても自主制作ができない病が治らない。
でも課題はいい点を取れる…………と思いきや、さすがに大学はそうはいかなかったのです。
付け焼き刃では、太刀打ちできないほど周りが上手すぎるし、
そもそも大学は研究のために来る場所なので、自分で物が作れない人間は評価すらされない。当たり前のことですが。
そして最終的には就活で完全につまづき、希望の企業には就職できず、
かといって物作りも諦めきれずに、作家性のないグラフィックデザイナーとして現在働いています。
書きたい絵なんてのはもともとなかった。
誰かと描きあって、見あって、評価しあってというコミュニケーションの一つとして私はずっと絵を描いていた。
誰も居なくなって、誰とも話せないのに、一人で描き続ける意味はもはやなく、
コミュニケーションはできないのに上手い人を指をくわえて見ているだけで、
私にとっての絵は、物作りは、もう役目を終えたのではないか。
新しい、今までとは違う方法で、コミュニケーションを取る方法を探すのが賢明かもしれない。
なんのために絵を描くのだろう?なぜこんなにも絵を、作ることを、諦めることができないのだろう?
物作りから離れることは、自分の人生を否定すること、アイデンティティが崩壊することという思い込みが、
未だに私に絵を描かせる。物を作らせる。本当はもう、とっくの昔にうんざりしているのに。
やっぱり諦められなかったけど、30歳を目前にして、
これからの人生において「物を作るか」「作らないか」に一旦決着をつけたいと思ったのです。
どちらに転んでも、もうこれ以上このことで悩まないように。
ボタン電池鑑定士という、
意を決して、
その人の助けを借りずして
電池を買いに行くことにしたの。
な、なんと53万種類!!!
まさかここまでとは思ってなかったので、
なんとなく覚えておいた大きさや形で大丈夫よと
高をくくりまくっていた時代が私にもあったの
たかが昨日のことだけど。
型番というのかしら?そういった記号が全部違うし、
でもそんなファジーな感じで買ったら
その困惑陳列!
1つのサンプルをゲットしてリターンしてくるのはハヤブサでも無理ってレヴェルで
ついには観念。
私は再度、
今度はちゃんとボタン電池の型番をしっかりメモして挑んでのぞんだの。
でも、でもよ、
醤油を一滴垂らしても
エプソンもビックリ驚愕なピコリットル級のもはや粒子状のボタン電池!
後悔する結果になったの。
なるほどね、
その友達がそれを生業に出来ている理由が分かったような気がしたわ。
珍しくご飯を炊いたので
納豆ご飯よ。
私は最近克服したわ。
好き嫌いが無くなったらなんか嬉しいわ。
今度は納豆巻き買ってみようかしら。
でもそんな今日の
でもこれって、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
呉三桂の乱に従軍し生き残るも故郷が焼けてしまったと聞き長沙で暮らしていた。
清貧な生活で金が溜まり嫁を貰おうと考えていた時、人売の老婆が連れていた歳十三、十四ほどの容貌美しく芸達者な白梅という少女に一目惚れしこれを買った。
家に連れて帰り酒を酌み交わすと蝋のような白くなめらかな肌が朱に染まり、その香りがたまらず劉は白梅の手を取り床に入ると隠し所をまさぐるとそれが男だったので劉は驚き問いただすと
「あの老婆は孤児を飾り芸を仕込み売るのを生業としている女で僕は狐でみめよいものだからあなたはぺてんにひっかかったのです」
と言われ劉はがっくりとしていると白梅が出ていこうとするので腕を取りそれをさえぎり言った。
「私は君に惚れて買ったのだからここにいて構わないし、妻と言っても誰も疑わないだろう」
白梅は顔をあからめて座り、劉は同衾を求めるも白梅は処女のようにつつましく言葉が遊戯に触れるとさっと恥じらって壁を向いてしまう。
「あなたはいい人だと思ったのに断袖の癖があっただなんて、僕は狐ですし、禽の習い、獣の好みではありませんか」と怒って出ていってしまった。
劉はこれっきり会えないのかと落ち込んでいたが、しばらくして白梅がまた現れたので劉は喜び夫婦になることを望むと白梅は「交わらずとも親しくなることはできるでしょう」と言うも
劉は「そういう癖は元々なかったのに君は夢にでも出てくる、君以外何もいらない」と言い、蕩かすようなことを言ってまとわりつくのでまた出ていってしまう。
劉は何もかも失ったかのように鬱々としてついに病気になってしまった。
「本当は僕もあなたを愛しているのですが、男同士は禍をもたらすのでしなかったのです。暫くの間時間をください。」と薬を劉に飲ませ去っていった。
一年経ったある日壮麗な御車と麗しく着飾った白梅が現れた。聞くと
「峨嵋山の神仙を頼り、女になる術を学んでいたのです。あなたと一緒にいるためですよ」と白梅は言う。
ちょっと思ったんだけどさ。
俺たち、子供の頃から、「人生を楽しく全うすることが一番!」とか、「幸せになるために生まれてきた!」とか、「みんな平等に幸せになる権利があるのよ!」とか、言われて育ってきたじゃん?
でもさ、何が幸せな状態かを聞くと、「良い仕事、好きな仕事を生業とすること!」とか、「ステキな家庭を築くこと!」とか、急にふわっとした挙句、「人それぞれの幸せを見つけましょう!」とか言い出すじゃん?
さらにさ、誰かが好きな仕事に就けなかったり、借金苦に陥ったり、何かに失敗すると、「なんて不幸なの!かわいそう!」とか言い出して、自分は絶対にそうなるまいと躍起になったりするじゃん?
何かを成し遂げたい人は、それに向かって努力すれば良いし、そうでない人は、無理して何かに成らなくたって良いじゃんか!
日々食って寝て生きていこうぜ!
って、お前に言いたい!
プロッグラミングやコディーングで諸般の問題をソルートすることを生業としている、所謂ITキーーボーード戦士の端くれである。
世の中には我々ITキーーボーード戦士が、己の精神や健康や、場合によっては人生を代償として生み出されたアップリケーシヨンやサビースが、
有償無償様々な規模で溢れ返り、あなたの日々の生活を少しだけ未来的にするためのソルーシヨンとして提供されている。ここまではいいな?
で、我々ITキーーボーード戦士も当然、プロッグラミングやコディーングを未来的に行いたい欲望つまりデザイーアを持っており、
当然のように、その欲望つまりデザイーアをソルートすることに、喜びとビジネッスチャンスを見出すITキーーボーード戦隊αみたいな連中も、
己の精神や健康や、場合によっては人生を代償として、我々ITキーーボーード戦士向けのアップリケーシヨンやサビースを生み出し提供している。ここまではいいな?
で、そのITキーーボーード戦隊αみたいな連中の生み出した、我々ITキーーボーード戦士向けのアップリケーシヨンやサビースを利用して、
我々ITキーーボーード戦士は、日々の業務の効率化・合理化をソルートすることに成功し、未来的にに欲望つまりデザイーアを解消できた暁にアセンシヨンできるという算段だ。
ただここで一つ誤算があって、残念なことに人類はまだまだ未熟であり、我々ITキーーボーード戦士やITキーーボーード戦隊αみたいな連中もまた未熟なため、
種々の問題をソルートしているつもりが、余計な問題提起や、新たな問題も潜在させながらローンチしてしまう。
すると、我々ITキーーボーード戦士は達成感とともにアセンシヨンすることを許されず、また己の精神や健康や、場合によっては人生を代償として、新たな問題をソルートすることになる。