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はてなキーワード: 変人とは

2020-12-20

anond:20201220115846

一番最悪なのはその猫の皮かぶった変人に絡まれて喜んでる女だぞ

anond:20201220165145

馬鹿にしてるって言っちゃダメ

無意識に下に見てるだけ!

村上隆草間彌生、女なのにレザーばっか着てる川久保玲chaiベビメタ渡辺直美、ほぼ裸でパントマイムする奴

娯楽の分野で評価されてんの自ら堂々と変人アピールしてる奴らやろそれを世界は求めてんねん

2020-12-18

anond:20201218161050

ごめんけどワイは横増田

世界狭そうと言ったのは、上級でもなく、かといって田舎底辺に対する解像度も低いけど、一丁前に一般論(高学歴変人多い説)を唱えてるところがアホっぽくてな

変わってる、とよく言われる。変わってる人と関わりたくない。

自分はよく変人だとか、雰囲気が変と言われる。どういう所がへんなの?と聞くと、わからない、と言われる。

写真を見ただけで変なオーラを感じたともいわれる。何を考えているかからない、とも。

顔に関しては、普通の嫌われない顔だと思う。身長体重普通だ。見た目に関しては褒められる事は多い。

昔は個性的って事かな?と好意的に思っていたけれど、女性と関わったりするときに、親しみやすいと同時に「怖い」と感じる人も居るっぽい。

何をしでかすかわからないみたいな。

どちらかと言えば、芸術系の人に近いっぽい。確かに自分に寄ってくる人は、なんか個性的で変な人が多い。

だけどたまに、「完全に俺だな」と思う人に出会うことがある。

基本的思考パターンが、完全に独自回路でつくられていて、話しているとズレている。

普通一生懸命擬態しようとしてるけど、表面的なだけ。普通を取り繕うだけの頭の良さもそれほどないので、どこか「ズレ」が生じる。

ある程度(あくまである程度)容姿が良い人が多いので、たぶん普通なのかな?と見逃されてきた人たち。

細かな言葉遣いだったり、文章の書き方、しぐさに現れる。何かが非常に欠けている。

純粋に、「怖い」。俺に相対した人の気持ちがわかる。可愛く言えば天然。逆に言えば、その非常識さ故に、すこしミスって人を殺してしまいそうな感覚

関わると滅茶苦茶メンドクサイ。新たな新生物を相手にしてるような感覚がする。むしろそれを誇ってそうな、無意味な虚栄心も感じる。

兎に角、変わってる人と関わりたくない。普通の人が良い。普通普通の考えを持ってる人と、普通普通を楽しみたい。

京大生のノリが寒い

 京大生の「勉強できるけど変人の俺ら面白いww」みたいなノリが見るに堪えない。

2020-12-16

ジョブズの伝記を書いた人が、歴史に名を遺すのはビルゲイツのほうだって言ってた。

それを聞いたときは、そんなの分からないだろって思ったけど、その後ネットビルゲイツネガティブなことを書いたら、若い人(?)から「そんなことあるか!ソース出して見ろ」みたいに食って掛かられるということがあった。

ビルゲイツは、今は慈善事業をしたり穏やかな顔で含蓄のあることを話したり、昔の偏屈変人イメージがぜんぜん違うけど、若い人は昔のことを知らないから当然か。

昔はメディア取材にも自分偏屈さを隠そうとしなかったけど、今は意識してイメージを変えようとしてるな。

歴史に名を遺すってこういうことかと思ったわ。

2020-12-14

anond:20201214203147

🐕変人なら増田にお任せワン!

🐇ほぼほぼ全員……。

🐟ひどいよ、僕はちゃんとしてるよ!(年末のどさくさに紛れて久々登場)

👼QUALITYを問わないならかなえてあげるよー♥

2020-12-12

anond:20201212231106

黙ってれば美人だけど変人枠に収まるのが一番楽だと思うぞ

あらゆることが「あの人変だから」で許されていく

2020-12-11

"差別"とは何なのかとそれへの私見

追記意図しない読み取られ方があるので前に移動しました、誤解を招く表現だったことおわびします)

 私は、書き忘れていたが、日本国憲法第14条に規定される属性による区別は当然のことながら差別だと考えている。私があげた絶対不可能属性による区別の話は憲法規定されていない属性に関してそれが差別かどうかを判断するガイドラインとして扱ってほしい。

日本国憲法14条

「すべて国民は、法の下に平等であって、人種信条性別社会的身分又は門地により、政治的経済的又は社会的関係において、差別されない。

華族その他の貴族制度は、これを認めない。

栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。」

社会的身分には職業が含まれると考えるのが相当であるので、私も職業差別には反対の立場であることは変わりない。

 そもそも先述のガイドラインにたどり着いた理由説明すると、すべての人には自由があり、差別として行為禁止を行う余地はできるだけ小さくしておくべきという私の価値観がある。ただし、生来変更不可能属性に基づく差別第三者による救済が難しいものが多いため、差別禁止によってもたらされるデメリットよりもメリットのほうが圧倒的に大きいのはほぼ間違いないであろう。一方で生まれから少しでも選択余地のある問題に関しては差別禁止するよりも、その人が選択できる余地を増やすことを通した救済が比較的行いやすい。そのためそのような問題に関しては差別の撲滅に注力するよりもより救済を行う方へ注力するほうが望ましいと考えている。

 加えて合理性を求めるひとがいるが、およそ全て人間バイアスを経て観測した世界に対して最も合理的な行動を常にとっている(たとえそれが周囲に人間にとって不合理に見えたとしても)。合理性客観的なようでその人の価値判断目的などに左右されるきわめて主観的ものである。この文章は私にとっては合理的に思えるが、読む人にとってはそうは思えないかもしれない。合理性とはきわめて主観的かつ相対的ものなのである。ただ、社会的意味での合理性は人々の議論を通じたコンセンサス形成によるものであるので、成熟した議論を経た後での差別の描像がはっきりとより多くの人に共有されることを望んでいる。

追記ここまで

中学受験に関しての増田を端に発した議論はてな界隈で盛んになっている。

大方ブクマカダブルスタンダード批判したものであるが、そもそも差別はてなーすべて同じ意味で使っているとは思えない。例えば公立中学に通っていたことを黒人になぞらえて批判しているエントリがあったが、肌が黒いことと公立中学に通っていたことが全く同列に扱われるべきものとは現在社会通念に照らしてもあまり一般的な考えではないと私は考えるが、その増田にとっては同じようなものとして考えていることは明らかである。その是非はともかくとして、現状においては差別は各人それぞれによって定義されるものといって差し支えないため、さまざまな形態区別を明示し、その日本社会およびはてなでの受容のされ方について考えるとともに同時に私見を述べてみたい。なお、どこから差別と考えるかは各人に委ねたいと思うのでここから先ではあえて「区別」という言葉を使う事にする。加えて強調しておくが、これはあらゆる社会通念に照らして問題とされている差別肯定するものではない差別とは何かを考える指標としていただきたい。

1. 日本国憲法第14条に定める属性および性的志向による区別

 これははてなーはもちろん、現在社会通念上認められていないといって差し支えない。特に性別についてはこれを支持する判例存在し(e.g. 最判昭和56年3月24日民集35巻2号300頁 いわゆる日産自動車事件) 、これはおそらく論ずるまでもなく明らかである。ただし憲法私人間効力については間接適用説が主流となっているため、例えば三菱樹脂事件のような判例存在する。ここでは憲法議論意図したものではないのでこれ以上は触れない。

2. 病気による区別

 これは最近聞かれる医療従事者への偏見にも関連している。社会的な建前としてはおそらく差別だと認定されているが、実際としては差別だとする意識が1.ほど完全に浸透しているとは言い難いところがあるだろう。おそらくはてなーに聞いてもこれは差別だと(それが建前であっても)答えると思う。なお、実際にHIVについては陽性者に対し無断で検査を行い陽性だったことを理由解雇した事件についてはその解雇無効であるとした判例存在する(千葉地判平成12年6月12日労働判例785号10頁)。

3. 年齢による区別

 このあたりから判断が難しい。現在社会的定年制は受け入れられている(是正しようとの動きもあるが)ため、年齢”差別”という言葉社会的にまだ受け入れられていない可能性は高く、受け入れられるにしても近い未来ではないだろう。おそらくはてなーでもこのあたりから認識が分かれ始めると思う。以前あった私立医科大学女子生徒と多浪生を意図的に排除していた問題にあってはこれを問題視する風潮がはてなにはあったのは覚えている方は多いと思うが、定年制への問題視はあまりなかったように思える(これは自分の印象)。なお、判例においては定年制公序良俗には反するとは言えないとの判例が出ている(東京地判平成6年9月29日判時1509号3頁)。

4. 学歴学校による区別

 これは今渦中にある問題である。実際として就活においてはいわゆる学歴フィルター存在しないと断定することはできず、存在するものと考えるべきだろう。しか厚生労働省ガイドラインhttps://www.mhlw.go.jp/www2/topics/topics/saiyo/saiyo1.htm)にも採用の可否を決める要素となってはならない項目の中に大学名・学校名に該当する項目は存在しない。少なくとも採用の場においては大学名のみによる扱いの差を設けることは認められているといって差し支えないだろう。私の周りを見渡しても実際学校の評判とそこへ通っている生徒への評価が関連づけて語られることも多く、私的な場においてもこれがタブーとされているとは到底言えないであろう。実際はてなーでも公立中学を「動物園」とまで評する向きもあることからそこまでのタブー視もはてなーの中にはないと言える。

5. 嗜好(性的志向はふくまない)による区別

 いわゆる「オタク差別」などを念頭にしたものである。これを例にとると過去には東京埼玉連続幼女誘拐殺人事件などに端を発したいわゆるオタクへの偏見があった(が、現在社会では薄いものとなってきていると私は感じており、マクロ視点に立つならそもそも区別存在しなくなってきているのではないかと考えている)。これの社会的な受容を考えてみる。個人ミクロ視点にたつならそういった嗜好を理由ハラスメントを受けた例はあるだろう。ただ、それは嗜好を理由にしたハラスメント問題とされるのではなく、そのハラスメント自体問題とされる(ことが多い)ため、おそらく社会的問題視はあまりいであろう。ただ、そもそも属性による区別はその属性もつ者がある一定程度存在しないと成立しないものである(その嗜好を持つ人が単独ないし少人数でしか観測されなければ単なる変人として扱われるだけで、それは区別とはよべない)ため、嗜好による区別に接する機会がすくなく、議論俎上に上がるレベルにすら到達していないかもしれない。これはぜひ読んだ方に該当する例とその社会への受容のされ方を考えていただきたい。

 と思いつくものを上げてみた。どれが差別に当たるかは皆さんに考えて、議論していただきたい。正解は存在しない。なお、私の中での差別定義は「絶対選択不可能属性事実に基づいて行われる区別」と考えている。これに立脚するなら1-3までが差別に該当し、私は公立中学に関して「動物園」と評するなど、悪い評価を与えるものについては差別表現ではないと考えている。なぜなら公立中学に進むかの選択自由意志に基づくものである経済的事情などにより私立への進学は到底不可能な方がいるのは重々承知している。その実態はともかく)からだ。ただ、その表現は褒められたものではないのは確かで、やはりひどい公立中学の現状があるのだとしてもそれへの是正措置に関する言及があるべきだっただろう。つまりこれは差別問題として扱うのではなく、公的機関から財政支援などによる学習の機会均等や学習環境改善問題還元されるべきである。これを差別であるからと現状への批判を封じるのは実態への改善議論を封じることになり、好ましくないと考えている。ただ、度を過ぎた中傷理由の如何を問わず控えられるべきであることは注記しておく。

 また、学歴問題は、生来変更不可能ものではないのでこれもまた差別ではないと考えている。ただ、大学の再入学を経た後の不利な扱いは年齢差別として問題視されるべきだとも考えている。年齢への差別に関してはこれを問題視し、排除へと議論がより進むことを期待したい。

 ここまで様々な属性への区別について述べてきたが、おそらくそれぞれの考える差別があったことだろう。ただ、差別問題を考える際に忘れてはならないのはそこへの是正措置である公立中学問題に関してもそれを差別であるから議論提示を封じるのではなく、ではそこにどのような是正措置が行えるだろうかと考えてもらいたいのである。なぜなら本来理想状態であれば誰でも自由にその中学に行くか選択できるから、そのような偏見など生じないかである偏見差別現在の不完全から生まれる。差別問題センセーショナルになりがちで議論している双方が異なる差別概念を持っており、話がかみ合わないという事はありふれたこである。そうなりそうなときには一度立ち止まって双方が差別概念を共有するよう歩み寄ってもらいたい。以前として世界にはびこる差別への問題提起および是正きっかけとなればうれしく思う。

anond:20201210074954

2020-12-10

SNSアイコン人物

自分写真→最も自己愛が強いナルシストDQN陽キャ

動物写真→物腰丁寧だがなんか卑屈な人ら、モテない女や草食系おっさん

風景写真電波スピリチュアルか、自分を語らない独り言

車とか電車とか→それのオタク普段大人しいがFFから失礼しますが多いクソリプマン

アニメキャラ(本人の性別とは逆)→ネカマやなりきりではないが痛いオタク馴れ合い構ってちゃん

ロボットモンスターなど擬人的キャラ→人との関わりを避けてるオタク変人が多い

自作シンボルマーク自己愛が強い陰キャ劣等感反動プライドが高い、造語症の発達障害マン多い

初期設定のアイコン本拠別にある通知垢、もしくは誹謗中傷してる捨て垢

anond:20201210010230

俺は政治活動やその手の言動に熱心なやつらのことを変人だと思って動物園見るような感覚でいるよ

右左関係くそういう政治キチガイのことは差別してるから、そこは改めていきたいなと思ってる

2020-12-08

麻布高校

麻布高校に6年いた経験を踏まえ良い面と悪い面を書く。これから書くことはおそらく他の上位の中高一貫男子校共通しているだろうと思う。

良い面は友人が(途中で落ちぶれる生徒もいるが)優秀で、自分の知り得なかったことが会得出来ることや、無意味制限がなかったことだ。また全員ではないが教養がある面白い教師も多かった。カリキュラムとしては教養主義的なところがあり、受験不要な教科を嫌がる者もいたが、為になったと思っている。内申点に気を遣い部活をやめられないというようなこともなくよかった。

悪い面もいろいろある。まず男子校からと言って今の時代見逃すべきではないことである教室の汚さ、ホモソーシャル環境友達同士で連むと社会迷惑になる行動に走る割に、仲間内で閉鎖的になりやすいこと、女性蔑視などである。どうやら麻布入学すると、歪んだ特権意識と抑圧された小学校時代反動からか、行動範囲が広がった高校生蛮行に走りやすいらしい。文化祭運動会不祥事や、飲食店での横暴な振る舞いなど、自由範囲から逸脱して単なる愚かな振る舞いをしてしまうのだ。またどの生徒の親も基本的には裕福なので、よく変人が多いとメディアで取り挙げられるが、実際はこれ以上ないほど均質な生徒の集まりである。そのため多様性というものはどこにも存在していないと思う。その点、地元小学校に通っていた頃は、びっくりするほど漢字が読めなかったり、物を知らない生徒がいるなどある程度の多様性が確保されており、これも必要経験だったと今になって思う。

まとめ

中高一貫にも長所短所はあり、私は入学したことを後悔していないが、もう一度入学したいとは思わない。開成筑駒は少し違ったところがあるのかもしれないが、少なくとも麻布に関しては、判断力と知性の欠如が余りにも目に余ったかである。また唯一避けた方が良いと思うのは小学校から私立に通って、上位の中学または高校に進学することだ。それは多様性経験しないまま社会に出てしまうからだ。

中学受験について、匿名でないと書けないことを伝えたい

中学受験メリットデメリットは色々な所で論じられているが、記名ではなかなか書けない部分をちょっと書きたいと思う。

よく言われるメリットは、中高一貫校高校受験がないために自分の興味に集中出来るであるとか、自由校風主体性を伸ばすであるとか、そういったものだと思う。自分も間違いなく大きなメリットだと思う。

また、小学校の時に行う中学受験の訓練は、それがすなわちロジカル・シンキングに結びついており、大人必要としている思考ツール練習になるという指摘もその通りだろう。卒業後の縦横の繋がりも深い学校が多い。

中学受験経験し、難関校の入学を達成した時点で、その後の人生において大きなアドバンテージを得ているのだ。ここまででも十分に立派なメリットである

しかしそれ以上がある。それは、家庭の選抜である中学受験に十分な投資するような家庭で育った子どもたちは、家庭全体としてある程度優秀であることが保証されており、教育に対する理解も深い。そういう家庭で育った子供が集まる、ということが非常に大きなメリットだ。

公立で地毛であっても黒髪に染めさせた、みたいなニュース話題になっているが、先生立場にたてば理解出来る。ろくでもない大量の生徒をしっかり教育するには、管理教育にせざるを得ない。枠をつくり、そこから外れた人だけを注意するやり方でないと、限られたリソース対応していられない。ペアレントモンスターもいて気をつかう。生徒の個性なんてものに気を配る余裕なんてない。型にはめるしかない。

これが中学受験により入学者がフィルタリングされた学校であれば、家庭がしつけをしっかりしていることをある程度前提に出来るので、自由校風が実現出来たり、生徒の個性を伸ばしたり、いじめを取り締まったり、そういうことに先生(それも高給で優秀な話の通じる先生たちだ)のリソースを割くことが出来るようになる。

一泊 10 万円のホテルであったり、家賃 100 万円の家であったり、ファーストクラスであったり、そういうところを選ぶ人は「そこに来る人がフィルタリングされている」というのが大きなモチベーションになっていることが多い。ホテルでは朝食で部屋番号のチェックすらされないし、バイキングでパックに詰めるような人はまずこない。マンションでも最低家賃が 50 万円あたりを超えるとご近所トラブルなどまず聞かない。ファーストクラスマスクを着ける着けないなどということを言う人はまずいない(ファーストクラスだけはアップグレード等で変人がくる可能性がすこし高いが)。

中学受験もそういう側面があるが、この場合フィルタリングは「教育価値を置いている家庭の優秀な子供が集まる」という点が素晴らしく、「金持ちの子供」よりよほど良いフィルタリングである結果的にやはりお金持ちが集まる側面はあるが、生活に困窮しながらも子供中高一貫校に送るご家庭も多い)。結果として自由校風個性が伸び、進路に関しても最新の情報が手に入り(数年前から学部から留学流行っているなど)、縦横のつながりにより卒業後もアドバンテージを持った人生が歩めるシステムがあるのだ。

入ってくる子供フィルタリングされている。それが中学受験の、あまり表で書けない大きなメリットであり、その前提があるから他の校風やら個性やらの話が生まれてくるのだと思っている。受験のない環境において同じ教育を与えることは、残念ながら原理的に不可能だ。

これが中学受験を考えていらっしゃる方の参考になれば幸いです。

2020-12-06

同じ映画何度でも見る人に

数年前、「君の名は。」を5回見たと話したら

「えっ、同じ映画を何度も見たの?お金もったいないだろ。ソフト買えばいいじゃん」

と言われてゲンナリした。ちなみに「片隅」は3回、「シンゴジラ」は2回見た。

世の中には、同じ映画複数回見ただけで変人扱いする人種がいるのだ。

2020-12-05

萌え絵アニメーションに向いてないという勘違い


巷で話題萌えアニメオタク害悪だと主張する記事を読んだ感想である


私は萌えアニメからいわゆる硬派と呼ばれるアニメまで広く嗜む、アニメ視聴歴20年くらいのしがないアラサー男だ。

ジャンプサンデーと言ったお馴染みの週刊誌で人気の原作アニメが、テレ東ゴールデンタイム毎日のように放送されていた頃に、箸で摘んだ夕食のコロッケテーブルの上に落としブラウン管にかじりつく少年期を過ごし、最近新刊が発売された『涼宮ハルヒの憂鬱』をきっかけにいわゆる深夜アニメ世界に足を踏み入れて、今日に至ると言った経歴(他に言葉が思いつかなかった)を持っている。

視聴作品数は、履歴書に書けば人間性理由採用確率が30%減になるくらいあっただろうか。と言っても熱中度でいえば大したモノではなく、どんなに気に入った作品でも円盤を買ったり、グッズ等を買う程度だった。興奮が抑えられず感想ブログに載せたり、二次創作に勤しんだりするくらいならニコニコ動画で他の作品の視聴課金をし始めるくらいには職人気質は持ち合わせておらず、人によってはカステラ茶色の表皮だけをすくって人工甘味料(無いかも)の鋭く刺すような舌触りだけで満足するような、奇怪な楽しみかたをダラダラ続けていただけに見えるかもしれない。

そんな人間がひさしぶりに取れた休日の暇潰しに書いた文章だ。

簡潔に何が言いたいのか知りたい方は、途中全く大したこと書いてないので、最後だけを読んでほしい。

以降は今の俺以上に暇だと宣言できる、大変人間強度に優れた人だけが読み進めて欲しい。


主に作品ごとのアニメーションが持つ性質役割の違いについて横道に外れながら綴っていきたいと思う。

過去に色々な作品を目にしてきている者ならばご理解いただけると思うが、「好きなアニメは? どういうところが好きなの?」と質問を受けたとき、瞬時に心動かされた場面(シーン)が頭の中を駆け巡り、「さてどれから話せばよいものか……」と、全身が幾分高揚している自分がいることに気づくだろう。

それらはキャラクタたちと共にストーリーを辿ることで得られた感覚につけられた名前のようなものだと私は考える。そしてそれらは言葉では表せないが、私たちに中で一種の『共通言語』的な役割を担い、機能しているのだ。


例えば以下のシーンを目を瞑って思い浮かべてもらいたい。


『氷属性もつ冷徹残忍な魔女が、手に持った杖を振るった。その瞬間空間四方から無数の鋭利な菱形をした氷の刃が出現し、彼女の透明感のある艶やかな唇で結ばれる「さようなら」の言葉を合図に一斉に襲いかかってきた』


数々の映像作品を見たことがある人なら、無の空間からパキパキと音を立てながら蒼白い形作られ、魔女の妖艶な笑顔が映った次の瞬間に鋭い氷の塊が視界の中心に集まってくる2、3カットくらいの映像が容易に頭の中に流れたことだろう。

これは性格によるのかもしれないが、私は基本的には物語の進行上は「それ」でOKと考えるのだ。

「それ」とは、視聴者の頭の中で出来上がった薄ぼんやりとした2、3カットのことであり、重要なのは「それ」を我々視聴者に想起させ、作品を補完させることだと考えている。

例えば先のシーンで「魔女がどんな容姿でどんな服装服をまとい、どんな体勢なのか」とか、「魔女と言うくらいなら箒に乗っているのか」とか、「どんな服を身に纏っていたのか」とか、「どれくらい勢いで杖を振ったのか、杖の先はどこを向いているのか」とか、「氷の軌道は直線的なのか最初に外側に弧を描くなどトリッキーな動きをしているのか、時間差のある多段階攻撃なのか」などの質問されたら、スラスラと答えられるだろうか。(……私だけができないのなら怖い。ショックのあまり寝込む)

おそらくだが「いやそんな細かいところまでは……」のレベルの話だと思っている。多分これができる人はきっと絵が上手いはずだ。私は私を含め絵がど下手くその人がこの世にいることを知っている。

ぶちゃけた話、そこの解像度が高くなくても我々には多分『伝わってる』のである

しろ、それでどれくらい負傷するのかとか、実力差はどれくらいなのか、どうやって勝つのか負けるのかなどの次の展開に興味が移っていないだろうか。さらに言えば、この魔女性格はどんな感じなのか? 冷徹なのだから口調は厳しいのかとか、魔女主人公のこと気に入ったりするのか、追々仲間になる展開なのか、と言った、キャラクタの心情の移り変わる様子すら、この段階で期待してそれを軸に妄想を膨らませる人もいるだろう。

さらにここに、


『氷の魔女と呼ばれる彼女は、実は地球に住む人間の種を手に入れようと狙ってやってきた宇宙人であった。侵略活動やすいよう周りの空気自分たちの住む星の大気温度まで下げるため、彼女腰掛けているステンレス製の巨大三角から温度を奪う冷気的な何かを放出していて、空気中の水蒸気が氷結してできた塊を利用し相手冷凍保存しようとしている』


と言ったストーリーの上欠かせない設定が加わった瞬間、魔女攻撃の一連の動きがどれくらい迫力があるのかよりも、物語の展開的な動きの方が気になってこないだろうか。アニメーション上の緻密な動作よりも、ギャグ調を出すためにSDキャラデザや画面効果といった要素の方が卓越してきそうなモノである


要はその作品がどんなジャンルでどんなテーマなのか、その中でアニメーションをどう位置付けているかで、表現千差万別の答えを持っていると考えている。立体的な動きとか力の伝わり方を見て取れるようなリアリティを重視するよりも、もっと感情移入して欲しいかキャラクタの魅力を全面に出す方針があるのであれば、背景のモブと呼ばれる方々まで生き生きと動いていればその画面の映え様に感動するけど、そこに力入れるなら止め絵でも良いかキャラ造形やカラーグラデーションに力が入ってて欲しいよねって意見も当然あると思う。

この時萌え絵かどうかはあんまり本質的問題ではなくて、視聴者各々の共通言語とどれほどマッチしていて違和感あるかないかの話に過ぎないと考える。

これより先は趣味指向トレンドしか言えない領域突入してしまう気がしてならない。そこは表現の自由が担保されている以上、善悪判断軸が及ばない空間である

もしそれに対して「過去多くの作品萌え絵が使われていて、時間をかけて大衆になじんでしまたことで不当にも市民権的なモノを得てしまたからだ!」などと主張してしまっては、もはや時代(トレンド)に対する憎悪しかなく、いつまでも見えない相手との戦いを余儀なくされることになるだろう。

キャラ造形に対する文句ほど不毛なことはない。


ひと昔前にギャルゲー原作としたアニメが多く生み出される時期があった。のちにラノベ原作アニメが多く輩出される時代が訪れることになるのだが、当時としてはニコニコ動画を始めとした他メディアで取り沙汰され、言わば萌えアニメの本流とも言える地位を築いていたと思う。

ではそのどれもが、彼がいうところの『強度』なるものを有してたかというと、……なんとも言えないところはあるかも知れない。

当然のことだが何千枚という数の原画に対して、その全て原作独特の繊細な塗りを再現するのは時間的にも経済的にも叶わず立ち絵差分とスチルと効果のみで表現されていた絵に対して、話の展開にマッチするようにかつゼロから動きを盛り込むのはやはり至難の技のようで、結果的作品の持つ強みを生かしきれないまま終わってしまったものが多くあった印象がある。

その原因は、アニメ萌え絵が向いていないというよりは、テキスト……特にキャラクタの心情面に比重が大きい作品は、初めからアニメーションを十二分に活かせるだけの舞台比較的狭いように思える。キャラクタ同士のウィットに富んだ掛け合いを楽しむだけなら、それこそゲームのように会話と場面移動、要所要所で叙情性の窺える背景描写カットの繰り返しで事足りてしまい、ともすれば動作は間を持たせるためのツールになってしま可能性すらあるのだ。身もふたもない話だが。

まりなんとも言えない感じになるのは萌え絵のせいではなく、作品のコンセプトにいかアニメーションを上手絡めることができるかによるのだ。そしてそれは当然、作品ジャンルアクション主体なのかコメディ主体なのかリアル恋愛主体となるのかでアニメーションの寄与度の上限が決まってくるので、表現手法の一つである「動き」単体で評価した時、ジャンルによる偏りがどうしても出てしまうモノなのだ。画面映えする動きがなくても『十二人の怒れる男』(実写映画だけど)のような名作は生まれる。

実際のギャルゲー原作作品には、画面映えを飽きさせないようなさまざまなアイデアが盛り込まれていたけど、いよいよ話の筋から外れてしまうから割愛したい。


画面を縦横無尽に駆け巡るアニメーションは、突き詰めればただの動きであり、結局は表現手法の一つでしかなく、ストーリーとの直接的な関係がなければ、ストーリーへの直接的に干渉することはできない別レイヤー存在にすぎないとも言える。

絵コンテ等の段階でスクリーン上の動きに込めた意図に気づける目の肥えた人にとっては、「動かし屋さん」の実力が垣間見れる瞬間であり、味の決め手のような作品価値を決定づける重要ポイントなのかも知れない。

だがストーリーの展開に目が向いてしまう人々にとっては「面白い動きだな、他作品ではあんまり見ないカットを入れてるな」くらいに止まっていて、やっぱりキャラ同士の会話やその時に垣間見れる感情自分リーチできるかどうかに関心が向いてしまものだ。

昨日NHKの某番組で紹介されていたが、殆ど人間は1秒間に4,5枚の絵しか見れないらしい。一枚絵のカットの切り替え表現の繰り返しは、程度にもよるのだろうが、予算工程など諸々の事情を鑑みた時、大変妥当表現だと個人的には思う。

昨今のは様々な形が出てきたとはいえ、まだまだ異世界生モノアニメブームが続いているように見える。

少ないリソースで最大効果を期待する戦略としては非常に合理的だと思っている。

ストーリー上の役割が小さい場面では「異世界生モノあるある」やその根底にある「子供の頃に慣れ親しんだRPGの思い出」という共通言語を利用して絞り、作品オリジナルの強みにピボットを置き部分的に「動き」のリソースを割くことで相対的な画面と展開のギャップを生み出し、差別化と人気を獲得するにあたり大変都合が良いのかなと思っている。

この潮流について個人的にどうと言うつもりはない。むしろ当然の流れだと思う。個人的には長らく続いてきた「高校生部活青春ドラマ」がようやく落ち着いてきて、代わりに台頭してきたくらいの感覚だ。時代とともに変遷する価値観や需要を端的に示していると思ってる。


ところで『リトルウィッチアカデミア』というアニメ作品をご存知だろうか。

2017年に株式会社トリガーから出されたオリジナル作品で、ヒロイン少女アッコが憧れの魔女シャイニィシャリオにのようになろうと魔法学校入学し、仲間達と共に成長を遂げていくというお話である。当時OP映像を見てその作り込まれ世界観引き込まれ、全話リアルタイムで追っていた。

ご存知の通りトリガーといえば他にも『キルラキル』や『SSSS.GRIDMAN』を始めとする数々の名作アニメを世に生み出した有名なアニメ製作会社だ。

社名に違わず弾丸が飛び交うような激しいアクションシーンが特徴的で、およそ10年にわたり多くのアニメファンを魅了し続けてきた。

何の因果か、つい先日株式会社トリガーが手がけるのアニメオリジナル放送前となる『リトルウィッチアカデミア』の短編映画原画制作する新人アニメーターたちの様子を追ったドキュメンタリー動画を、失礼ながらもしゃちく☆まっしぐらしていたリアタイ当時の自分の状況と重ねながら観ていた。

今回この拙文を書こうと思ったのも、その動画を触れたあとの余韻がそうさせたのだと思う。

動画の内容が気になった方は各人で確認してもらいたい。

端的に言うと、彼らが手がける他作品と一線を画す豪快な「動き」に込められた感動を生み出すもののの正体はアニメーターたちの寿命のものだ。

そこまで心血注がなくたって、既に共通言語を獲得している我々にはその半分以下の動きであったとしてもおそらく『伝わっている』のである。だが彼らはそんな事眼中にはなさそうだ。彼ら自身が観たいものを描いているだけなのだろう。シャイニィシャリオクルクルと回りながら杖を振り動物たちの花火魔法を出すまでのたった数秒の「動き」に、何週間も終わりの見えない苦悩を重ね続けるなんて、それこそ描くこと動かすことが大大大好きでもなければやれるはずがない。私のような観ているだけの人間には理解できない世界がそこにはあった。

間違いなく時代トレンド関係なく後世に伝わってほしい作品の一つだし、アニメ好きの私は一つでも多くそう言った作品が世に出てくることを願ってやまないものの一人ではある。

だがそれがアニメの全てだとかあるべき姿だとかそういう指向性に囚われるような話でもないと思う。

だが、予算制作期間と人員の消耗等のあらゆるのリスクを考えるのであれば、それらアニメーターの生命と血が滴る作品を世に出すことは、何十人何百人の人生をかけた大勝負であり、そんなものを定期的に見せておくれよなんて烏滸がましいことを言えるほど私は偉い人間ではない。

製作陣の戦いの姿の一端を見ただけで、シャリオが振う杖の軌跡一つとっても、数年に一度しか拝めない奇跡の奇蹟と言われても納得できるし、胸の内から熱く込み上げてくるものを心地よく感じることができる。


コロナの影響ですっかり荒廃しきった今の時代、人との関わりがすっかり乏しくなってしまった(俺だけかもしれないけど)独身を生きる俺に、自然と「頑張って作ってくれてありがとう」の気持ちと、明日を頑張れる活力を授けてくれた魔法だった。

もっと色々な魔法を、『傑作』を見てみたい! その想いの強さが故にアニメ業界の現状に、文句の声の一つくらい出してみたい気持ちもわかる。

けれど、

あの世界は、我々視聴者同士が視聴者層の絵の嗜好がどうとかで文句を言い合っているレベルで語れるのものではないのだと私は思う。

私が円盤や関連グッズを購入すると言った金銭的な応援以外にできることは、アニメーターの方々が1秒でも長くアニメを大大大好きでいていただきたいと願うだけである


気づきの通り最後の2文が言いたかっただけだ。

最後まで読んでいただいた方は、こんな拙文にお時間取らせてしま申し訳ない。

良いアニメライフを。

萌え絵アニメーションに向いてないという勘違い

巷で話題萌えアニメオタク害悪だと主張する記事を読んだ感想である

私は萌えアニメからいわゆる硬派と呼ばれるアニメまで広く嗜む、アニメ視聴歴20年くらいのしがないアラサー男だ。

ジャンプサンデーと言ったお馴染みの週刊誌で人気の原作アニメが、テレ東ゴールデンタイム毎日のように放送されていた頃に、箸で摘んだ夕食のコロッケテーブルの上に落としブラウン管にかじりつく少年期を過ごし、最近新刊が発売された『涼宮ハルヒの憂鬱』をきっかけにいわゆる深夜アニメ世界に足を踏み入れて、今日に至ると言った経歴(他に言葉が思いつかなかった)を持っている。

視聴作品数は、履歴書に書けば人間性理由採用確率が30%減になるくらいあっただろうか。と言っても熱中度でいえば大したモノではなく、どんなに気に入った作品でも円盤を買ったり、グッズ等を買う程度だった。興奮が抑えられず感想ブログに載せたり、二次創作に勤しんだりするくらいならニコニコ動画で他の作品の視聴課金をし始めるくらいには職人気質は持ち合わせておらず、人によってはカステラ茶色の表皮だけをすくって人工甘味料(無いかも)の鋭く刺すような舌触りだけで満足するような、奇怪な楽しみかたをダラダラ続けていただけに見えるかもしれない。

そんな人間がひさしぶりに取れた休日の暇潰しに書いた文章だ。

簡潔に何が言いたいのか知りたい方は、途中全く大したこと書いてないので、最後だけを読んでほしい。

以降は今の俺以上に暇だと宣言できる、大変人間強度に優れた人だけが読み進めて欲しい。

主に作品ごとのアニメーションが持つ性質役割の違いについて横道に外れながら綴っていきたいと思う。

過去に色々な作品を目にしてきている者ならばご理解いただけると思うが、「好きなアニメは? どういうところが好きなの?」と質問を受けたとき、瞬時に心動かされた場面(シーン)が頭の中を駆け巡り、「さてどれから話せばよいものか……」と、全身が幾分高揚している自分がいることに気づくだろう。

それらはキャラクタたちと共にストーリーを辿ることで得られた感覚につけられた名前のようなものだと私は考える。そしてそれらは言葉では表せないが、私たちに中で一種の『共通言語』的な役割を担い、機能しているのだ。

アニメーション、画面上の動きの一つに、こうした共通言語や構図の時間的変化から読み取れる言語で感じて欲しい叙情性に補完を入れたいのか。

例えば以下のシーンを目を瞑って思い浮かべてもらいたい。

『氷属性もつ冷徹残忍な魔女が、手に持った杖を振るった。その瞬間空間四方から無数の鋭利な菱形をした氷の刃が出現し、彼女の透明感のある艶やかな唇で結ばれる「さようなら」の言葉を合図に一斉に襲いかかってきた』

数々の映像作品を見たことがある人なら、無の空間からパキパキと音を立てながら蒼白い形作られ、魔女の妖艶な笑顔が映った次の瞬間に鋭い氷の塊が視界の中心に集まってくる2、3カットくらいの映像が容易に頭の中に流れたことだろう。

これは性格によるのかもしれないが、私は基本的には物語の進行上は「それ」でOKと考えるのだ。

「それ」とは、視聴者の頭の中で出来上がった薄ぼんやりとした2、3カットのことであり、重要なのは「それ」を我々視聴者に想起させ、作品を補完させることだと考えている。

例えば先のシーンで「魔女がどんな容姿でどんな服装服をまとい、どんな体勢なのか」とか、「魔女と言うくらいなら箒に乗っているのか」とか、「どんな服を身に纏っていたのか」とか、「どれくらい勢いで杖を振ったのか、杖の先はどこを向いているのか」とか、「氷の軌道は直線的なのか最初に外側に弧を描くなどトリッキーな動きをしているのか、時間差のある多段階攻撃なのか」などの質問されたら、スラスラと答えられるだろうか。(……私だけができないのなら怖い。ショックのあまり寝込む)

おそらくだが「いやそんな細かいところまでは……」のレベルの話だと思っている。多分これができる人はきっと絵が上手いはずだ。私は私を含め絵がど下手くその人がこの世にいることを知っている。

ぶちゃけた話、そこの解像度が高くなくても我々には多分『伝わってる』のである

しろ、それでどれくらい負傷するのかとか、実力差はどれくらいなのか、どうやって勝つのか負けるのかなどの次の展開に興味が移っていないだろうか。さらに言えば、この魔女性格はどんな感じなのか? 冷徹なのだから口調は厳しいのかとか、魔女主人公のこと気に入ったりするのか、追々仲間になる展開なのか、と言った、キャラクタの心情の移り変わる様子すら、この段階で期待してそれを軸に妄想を膨らませる人もいるだろう。

さらにここに、

『氷の魔女と呼ばれる彼女は、実は地球に住む人間の種を手に入れようと狙ってやってきた宇宙人であった。侵略活動やすいよう周りの空気自分たちの住む星の大気温度まで下げるため、彼女腰掛けているステンレス製の巨大三角から温度を奪う冷気的な何かを放出していて、空気中の水蒸気が氷結してできた塊を利用し相手冷凍保存しようとしている』

と言ったストーリーの上欠かせない設定が加わった瞬間、魔女攻撃の一連の動きがどれくらい迫力があるのかよりも、物語の展開的な動きの方が気になってこないだろうか。アニメーション上の緻密な動作よりも、ギャグ調を出すためにSDキャラデザや画面効果といった要素の方が卓越してきそうなモノである

要はその作品がどんなジャンルでどんなテーマなのか、その中でアニメーションをどう位置付けているかで、表現千差万別の答えを持っていると考えている。立体的な動きとか力の伝わり方を見て取れるようなリアリティを重視するよりも、もっと感情移入して欲しいかキャラクタの魅力を全面に出す方針があるのであれば、背景のモブと呼ばれる方々まで生き生きと動いていればその画面の映え様に感動するけど、そこに力入れるなら止め絵でも良いかキャラ造形やカラーグラデーションに力が入ってて欲しいよねって意見も当然あると思う。

この時萌え絵かどうかはあんまり本質的問題ではなくて、視聴者各々の共通言語とどれほどマッチしていて違和感あるかないかの話に過ぎないと考える。

これより先は趣味指向トレンドしか言えない領域突入してしまう気がしてならない。そこは表現の自由が担保されている以上、善悪判断軸が及ばない空間である

もしそれに対して「過去多くの作品萌え絵が使われていて、時間をかけて大衆になじんでしまたことで不当にも市民権的なモノを得てしまたからだ!」などと主張してしまっては、もはや時代(トレンド)に対する憎悪しかなく、いつまでも見えない相手との戦いを余儀なくされることになるだろう。

キャラ造形に対する文句ほど不毛なことはない。

ひと昔前にギャルゲー原作としたアニメが多く生み出される時期があった。のちにラノベ原作アニメが多く輩出される時代が訪れることになるのだが、当時としてはニコニコ動画を始めとした他メディアで取り沙汰され、言わば萌えアニメの本流とも言える地位を築いていたと思う。

ではそのどれもが、彼がいうところの『強度』なるものを有してたかというと、……なんとも言えないところはあるかも知れない。

当然のことだが何千枚という数の原画に対して、その全て原作独特の繊細な塗りを再現するのは時間的にも経済的にも叶わず立ち絵差分とスチルと効果のみで表現されていた絵に対して、話の展開にマッチするようにかつゼロから動きを盛り込むのはやはり至難の技のようで、結果的作品の持つ強みを生かしきれないまま終わってしまったものが多くあった印象がある。

その原因は、アニメ萌え絵が向いていないというよりは、テキスト……特にキャラクタの心情面に比重が大きい作品は、初めからアニメーションを十二分に活かせるだけの舞台比較的狭いように思える。キャラクタ同士のウィットに富んだ掛け合いを楽しむだけなら、それこそゲームのように会話と場面移動、要所要所で叙情性の窺える背景描写カットの繰り返しで事足りてしまい、ともすれば動作は間を持たせるためのツールになってしま可能性すらあるのだ。身もふたもない話だが。

まりなんとも言えない感じになるのは萌え絵のせいではなく、作品のコンセプトにいかアニメーションを上手絡めることができるかによるのだ。そしてそれは当然、作品ジャンルアクション主体なのかコメディ主体なのかリアル恋愛主体となるのかでアニメーションの寄与度の上限が決まってくるので、表現手法の一つである「動き」単体で評価した時、ジャンルによる偏りがどうしても出てしまうモノなのだ。画面映えする動きがなくても『十二人の怒れる男』(実写映画だけど)のような名作は生まれる。

実際のギャルゲー原作作品には、画面映えを飽きさせないようなさまざまなアイデアが盛り込まれていたけど、いよいよ話の筋から外れてしまうから割愛したい。

画面を縦横無尽に駆け巡るアニメーションは、突き詰めればただの動きであり、結局は表現手法の一つでしかなく、ストーリーとの直接的な関係がなければ、ストーリーへの直接的に干渉することはできない別レイヤー存在にすぎないとも言える。

絵コンテ等の段階でスクリーン上の動きに込めた意図に気づける目の肥えた人にとっては、「動かし屋さん」の実力が垣間見れる瞬間であり、味の決め手のような作品価値を決定づける重要ポイントなのかも知れない。

だがストーリーの展開に目が向いてしまう人々にとっては「面白い動きだな、他作品ではあんまり見ないカットを入れてるな」くらいに止まっていて、やっぱりキャラ同士の会話やその時に垣間見れる感情自分リーチできるかどうかに関心が向いてしまものだ。

昨日NHKの某番組で紹介されていたが、殆ど人間は1秒間に4,5枚の絵しか見れないらしい。一枚絵のカットの切り替え表現の繰り返しは、程度にもよるのだろうが、予算工程など諸々の事情を鑑みた時、大変妥当表現だと個人的には思う。

昨今のは様々な形が出てきたとはいえ、まだまだ異世界生モノアニメブームが続いているように見える。

少ないリソースで最大効果を期待する戦略としては非常に合理的だと思っている。

ストーリー上の役割が小さい場面では「異世界生モノあるある」やその根底にある「子供の頃に慣れ親しんだRPGの思い出」という共通言語を利用して絞り、作品オリジナルの強みにピボットを置き部分的に「動き」のリソースを割くことで相対的な画面と展開のギャップを生み出し、差別化と人気を獲得するにあたり大変都合が良いのかなと思っている。

この潮流について個人的にどうと言うつもりはない。むしろ当然の流れだと思う。個人的には長らく続いてきた「高校生部活青春ドラマ」がようやく落ち着いてきて、代わりに台頭してきたくらいの感覚だ。時代とともに変遷する価値観や需要を端的に示していると思ってる。

ところで『リトルウィッチアカデミア』というアニメ作品をご存知だろうか。

2017年に株式会社トリガーから出されたオリジナル作品で、ヒロイン少女アッコが憧れの魔女シャイニィシャリオにのようになろうと魔法学校入学し、仲間達と共に成長を遂げていくというお話である。当時OP映像を見てその作り込まれ世界観引き込まれ、全話リアルタイムで追っていた。

ご存知の通りトリガーといえば他にも『キルラキル』や『SSSS.GRIDMAN』を始めとする数々の名作アニメを世に生み出した有名なアニメ製作会社だ。

社名に違わず弾丸が飛び交うような激しいアクションシーンが特徴的で、およそ10年にわたり多くのアニメファンを魅了し続けてきた。

何の因果か、つい先日株式会社トリガーが手がけるのアニメオリジナル放送前となる『リトルウィッチアカデミア』の短編映画原画制作する新人アニメーターたちの様子を追ったドキュメンタリー動画を、失礼ながらもしゃちく☆まっしぐらしていたリアタイ当時の自分の状況と重ねながら観ていた。

今回この拙文を書こうと思ったのも、その動画を触れたあとの余韻がそうさせたのだと思う。

動画の内容が気になった方は各人で確認してもらいたい。

端的に言うと、彼らが手がける他作品と一線を画す豪快な「動き」に込められた感動を生み出すもののの正体はアニメーターたちの寿命のものだ。

そこまで心血注がなくたって、既に共通言語を獲得している我々にはその半分以下の動きであったとしてもおそらく『伝わっている』のである。だが彼らはそんな事眼中にはなさそうだ。彼ら自身が観たいものを描いているだけなのだろう。シャイニィシャリオクルクルと回りながら杖を振り動物たちの花火魔法を出すまでのたった数秒の「動き」に、何週間も終わりの見えない苦悩を重ね続けるなんて、それこそ描くこと動かすことが大大大好きでもなければやれるはずがない。私のような観ているだけの人間には理解できない世界がそこにはあった。

間違いなく時代トレンド関係なく後世に伝わってほしい作品の一つだし、アニメ好きの私は一つでも多くそう言った作品が世に出てくることを願ってやまないものの一人ではある。

だがそれがアニメの全てだとかあるべき姿だとかそういう指向性に囚われるような話でもないと思う。

だが、予算制作期間と人員の消耗等のあらゆるのリスクを考えるのであれば、それらアニメーターの生命と血が滴る作品を世に出すことは、何十人何百人の人生をかけた大勝負であり、そんなものを定期的に見せておくれよなんて烏滸がましいことを言えるほど私は偉い人間ではない。

製作陣の戦いの姿の一端を見ただけで、シャリオが振う杖の軌跡一つとっても、数年に一度しか拝めない奇跡の奇蹟と言われても納得できるし、胸の内から熱く込み上げてくるものを心地よく感じることができる。

コロナの影響ですっかり荒廃しきった今の時代、人との関わりがすっかり乏しくなってしまった(俺だけかもしれないけど)独身を生きる俺に、自然と「頑張って作ってくれてありがとう」の気持ちと、明日を頑張れる活力を授けてくれた魔法だった。

もっと色々な魔法を、『傑作』を見てみたい! その想いの強さが故にアニメ業界の現状に、文句の声の一つくらい出してみたい気持ちもわかる。

けれど、

あの世界は、我々視聴者同士が視聴者層の絵の嗜好がどうとかで文句を言い合っているレベルで語れるのものではないのだと私は思う。

私が円盤や関連グッズを購入すると言った金銭的な応援以外にできることは、アニメーターの方々が1秒でも長くアニメを大大大好きでいていただきたいと願うだけである

気づきの通り最後の2文が言いたかっただけだ。

最後まで読んでいただいた方は、こんな拙文にお時間取らせてしま申し訳ない。

良いアニメライフを。

2020-11-29

anond:20201129115311

インテリホストクラブなあ

東大卒しましたとかスタンフォード大ですとかGAFA出身ですとか自己紹介するのかなあ

そしてDQN体育会系臭さがまったくないと…

だとすると、それって変わり者以外ホスト就職するメリットあんまりないよなあ

能力活かせばホストより生涯収入が高い職業はいくらでもあるだろうし

で、インテリ変人だけ店員になったら、また客と会話が通じなくなるんじゃないかと…

2020-11-27

ノーミュージックノーライフだけど金は出さねーよ

好き寄りだった人のこと今は嫌い寄りになった

その理由音楽好きを公言しているにもかかわらず、youtubeニコ動音楽を聴いているところ…。

真っ当なサービスだとパソコンが重くなるってどんだけ低スペなパソコン使ってんだ!?そんで音楽好きなのに製作者にお金が行かないのは納得できるんだ!?って二回びっくり。

信者がいーっぱいいるから、音楽youtubeで聴いちゃダメなの?という内容をツイートしても擁護擁護の嵐でさらビックリ

ノーミュージックノーライフくらいのことは常々言っている人だし似たような指摘は6、7年ほど前に出ているうえもういい大人なのに。

自分音楽好きというほど熱心に聴く方ではないけど、普通に大人だし無知中高生でもないのでサブスク音楽聴き漁ってるよ。

youtube音楽聴くっていう選択肢中学の時に消滅したよ。

それで学んだ。

①変に信者がつくと自分が間違ってることにいつまでも気づかない、もしくは認められない痛いオバさん、オジサンになる。

②サブスクは素晴らしいシステムだということ

以上2点がでかい

終わり?

自分23になった時にあの時23のあの人は大人に見えたけどただの痛い人だったことに気付ける自分はまだまともだと思うことができる。

モラルのかけらもない人を盲信する人は一定数いる。怖い。

そして数字けが大きくなって中身がない団体として存在している。

突出している点がなくともそこそこ中途半端に手を出してやってれば何もかも絶賛する層はいる。

ハロー効果かいうやつなのかな?

マジでヤバイ怖いw

何の才能もない人を崇め奉って賞賛するのもはや新手のいじめかな?w

変人アピールが激しい人ほど普通の人っていうあるあるパターンを30年以上生きても素でやってるんだなあと思うと何とも言えない気持ちになる。

自分が考えるぶっ飛んだ人像の想像力が貧相で、ぶっ飛べてないよーって教えてあげたい。

子供を生まないことや裸に近い画像を上げることは別にぶっ飛んでないし、なんなら筋トレ垢でほぼ裸、ヨレヨレの下着リアル知り合い見てる中キメキメの自撮りしてる人の方がよっぽどぶっ飛んでる!

ねほはほの不妊治療から養子もらってカーペットの上でおしっこされても三ヶ月耐えた人の前でも子供を生まないことがマイノリティ!あたしすげー変わってる!って言えるんだろうか?

女王蜂のアヴちゃんの歌聴いたら人生わっちゃうんじゃない?

ルッキズムにも支配されてる人だし自分が思ってるより自分前衛的でもなんでもないことに早く気づいて。気付かない方が幸せかな?

2020-11-18

anond:20201118115805

そんな誰も興味ないようなちっぽけな連中から突っかかられたら払いのけたくなるだろ

そりゃわざわざ自分から探しに行って叩いてるやつは変人だけど

2020-11-13

男性の正直な本音を教えて欲しい。

身バレいから多少フェイクを入れて書く。

最近趣味を通じて出会った歳上の男性と、何度かデートを重ねていい雰囲気になってる。この前話してるうちに、ひょんなことから学歴の話になった。

私は正直、普通男性が聞いたら引きかねないような大学を出ている。田舎の人が聞いたら「じゃあ変人ってことかしら」って思うようなところだ。まぁ出ているだけで大した人間ではないのだが、肩書きとしては機能してしまっている。

そして相手は、一浪してあまり偏差値の高くない国公立を出たそうだ。大学の最寄り駅の話題になった時に、「俺本当は第一志望はここじゃなかったんだけど」からスタート。おっと、雲行きが怪しいぞ。

どうやら本人的には大学受験の結果は不本意ものだったらしい。アラサーになっても開き直れてないようだ。これはもしかして、音に聞く「学歴コンプレックス」なのではないか。私は自分出身大学を言えなかった。

本当に交際するなら、きっと言わなければいけない時が来る。その時彼のコンプレックスを刺激してしまわないだろうか。

アラサーになっても学歴コンプレックスって治らないものなのか?そして、年下の彼女が落ちた大学出身だとやっぱり気になるんだろうか。

2020-11-12

anond:20201112123325

うんだからヤリ捨てるためにあえてそう集めてた合コンにわざわざ参加して被害者意識持ってるのは変人だなという話。

2020-11-10

偽装不倫思い込みが激しい女に思われやすくてモテない設定、私かと思った・・・

あん男性がいたら嬉しいけど、でももっと欲しいのは私に厳しいアドバイスをくれる男性食事に誘ったら友達でもいいから遊びに行ってくれる男友達が欲しいな。

今まで男友達出来たことない。できても変人すぎて参考にならないアドバイスする人だけ。

男性的な女性もいいな。自分で考えてもわからない悩みに一石投じてくれる人がいい。彼氏より男友達

ただ、男性は好みのタイプに近い女性しか女友達に欲しくないと聞いたことがある。

ん~友達のいない私にはハードル高いのかな・・・

2020-11-06

anond:20201104231059

増田はどういうコミュニティに属してるんだろう

社会人なら結婚云々の話を振られたら、結婚する気はなくても「いい人がいればって感じですね」とか「今は仕事の方に集中したいのであんまり興味ないです」とでも言っておけばそれ以降話題にされることは無いし、下手するとハラスメント問題にされるリスクあるからそもそも単身者結婚がどうのと聞くことも減ってるんで、多分学生じゃないかとは思うけど

学生だとしても「趣味楽しいから彼氏とかあんまり興味無い」で終了する話題だし、以降はそういうスタンスの子だと認識してもらえると思う

少なくとも現代では、結婚しないで仕事趣味に生きていく分には、表立って変人扱いされることはそうそう無いんじゃないか

親親戚になると直接口出しするかもしれんし、陰で悪口として使われる可能性はあるが

なもんで、結婚する理由がわからいから聞いてみたらおぞましいものを見る目を返された、って増田が相当アレな聞き方したか相手ちょっと変な人でもないと発生しないパターンな気はする

増田が疑問に思ってる、なぜ結婚するのかは夫婦ごとに理由があるからなんとも言えないけど、

ただ、恋愛の果てに結婚があると考えてるあたり、増田若いんだなぁって

一度恋愛結婚それぞれを切り離して考えてみるといいと思う

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