はてなキーワード: 変人とは
不思議でならない。
たとえば、存命最強の数学者の一人に確実に名前が挙がるだろうピエール・ドリーニュは、ベルギーとかいう公用語すら統一されとらんド後進国出身だが、18歳で既に大学数学をマスターし、26歳でフランスIHESの教授に就いた大天才だ。
こういう少なくとも日本よりは教育水準の低いだろう国で、数学みたいな学問を自主的に勉強したがって、しかも才能を開花させる人材が現れるのだから、日本にはもっといてもよさそうなものだ。
アメリカの大学に飛び級で入学するような奴は勿論、物心ついた頃には自分の専門分野が大好きになってて、自主的に大学レベルのことまで勉強している。
一方、日本に目を向けると、そういう人はほとんどいない。たとえば、東大の河東泰之先生によれば、麻布みたいな超有名進学校でも、中学生で大学専門レベルの数学書を読んでると変人扱いされるらしい。
この違いはどこから来るのか?
恐ろしい速度で歳だけ取ってるんだけど
30歳が目前に迫ってるのに未だ何の準備も整っていない焦燥感と虚無感
どうすんだどうすんだこれ
もう若者じゃないのに若者の陰キャと同程度の経験しか搭載してない人材に未来はあるのか?
ぶっちゃけ俺がこれまでろくに働けてこなかったのは恐れていたからなんだよな
決して高望みなんてしてないんだよ
都内で正規で手取り13~16賞与無しで妥協できるわって2,3年前から言ってる
実際俺みたいな理由で高望みしてなくても働けてない引きニートってたくさんいると思うわ
例えばの話だけど、行政から引きニートしてる者たちに宛てて「こういう求人があってこういう企業があなたを採用したいと考えていますよ」って封書とか届くシステムがあったら健康な引きニートの大半はサラリーマンになると思うよ
みんな怖いだけなんだよ実社会とのファーストコンタクトが
ちょっと話脱線してるけど脱線ついでに俺が日頃から思っていることを開陳させていただきたい
「個人主義とか自由主義って引きニートの就活と相性悪くない?」
繰り返しになるけどニートは実社会に自分からアクセスすることが怖いのよ、及び腰なのよ
だけど現代の日本って自己決定権とか個人情報の取り扱いとか凄い厳正なルールでガッチガチで基本的には個人の意思が尊重されるよね
例えば生活保護なんかも適用されるレベルの生活してる生活困窮者がいても彼らが自分から役所に申請しないとそもそも許認可の審査がされないでしょ?
こういうのって個人の意思を尊重してて大変人道的なシステムだと思うんだけど、引きニートの就活にそれを当てはめると途端に非人道的なスパルタシステムになるんだよ
再三になるけど引きニートは自分からアクセスすることに忌避感を持ってる人が多いんだよ
自分から就職したいというシグナルを発信することが出来ない人に対して
「お前が就職したいというシグナルを発信してこいよ」というのは鬼ですよ鬼
だからさぁ、そこらへん上手いこと調整してさぁ、仕事が向こうから引きニートに舞いこんでくるシステム作ってほしいんだよね
あああああああああああああああああああああああああああああああああ
こんなくだらないこと書いてる間に時は無慈悲に時は通過していくぅぅぅぅぅぅぅ
関係ないけど最近の創作物って炎タイプのキャラの扱い悪いこと多くね?主人公属性やぞ
全国の引きニートに幸あれ
僕は友達がいない。
学部は理系で女子率が5%だったので、「理系の割にはイケてる見た目をしている」というブランディングを確立した。
新歓期はいろいろなサークルのタダ飯を周り、いろいろな人にチヤホヤされた。
高校の同期と二人で新歓に行って、後日の飲み会に自分だけ誘われたりした。
いろいろな人に話しかけて、大学のミスコンに出るような人と知り合いになったりした。
高校はそこそこ知名度がある進学校で、同じ大学に行く人も多かった。田舎から上京してきてギリギリで受かったような他の新入生に対しては、言葉には出さないものの心の奥に小さな優越感を抱いていた。
なんとなくテニスやフットサルのサークルは斜めに見ていて、入る気はしなかった。
サークルは高校の時から続けていたマイナースポーツのサークルに入った。サークルは6割チー牛男、3割変人、1割女子という構成だった。
そのスポーツは個人スポーツだった。練習は自分とだけ対話すればよく、また自分一人で勝手に練習に行けるので、そこが魅力だった。1, 2年の頃は、暇さえあればずっと練習をしていた。
同じクラスの人たちが授業終わりに食堂でダラダラしているのに一回参加してみたものの、中身のない会話とただ過ぎる時間に飽きて、その場には行かなくなった。
サークルでの実力はメキメキ上達して、部内大会では3年連続で入賞した。
練習もまともにせず飲み会だけ参上する先輩を心底軽蔑していた。その先輩は飲み会に行くノリしかない一方、「自分は実力もあって飲み会に行くノリもある」と内心ずっと思っていた。時に飲み会で、その先輩の秘密を公にして喧嘩したりもした。内心、「お前なんかすぐにサークルやめるだろ」と思っていた。
練習しても上手くならずスランプに陥っていた同期は、物に当たる癖から他の人から嫌われていた。僕は彼に対する直接のバッシングには加わらなかったが、彼が嫌われていることは内心気味がよかった。
大学2年になると、サークル内で年下の彼女ができた。見た目はそんなに可愛いとは思えなかったが、自分のことを好きになってくれたので付き合った。
その彼女はサークルの中では男女問わずいろいろな先輩と仲が良かった。僕は彼女が男の先輩たちとの距離が近いことを口酸っぱく咎めた。僕は自分よりも格下の相手と仲良くしていることが心底気に入らなかった。
転機になったのは、大学3年の秋だ。サークルの仲間と行った海外旅行代を稼ぐために単発バイトに行き、そこで知り合った女の子と連絡先を交換した。
その女の子の顔はとてもタイプだった。ちょうどサークルの彼女に飽き飽きしていた頃だったので、その女の子をデートに誘った。
その後の話はトントン拍子に進んだ。
3回目のデートの前に、僕はサークルの彼女に別れを切り出した。
彼女は最初は動揺していたが、不誠実極まりない僕の行動を厳しく責め立てた。僕は自分が責められることが気に入らず、先輩との距離が近いことを粘着的に言い続けた。
これが仇となった。彼女は一連の経緯をサークルの有力な先輩や同期に言いふらした。
サークルの人たちは噂好きだったので、一連の経緯はOBから一女まで幅広く広まった。
また、サークルは陰の者の集まりだったので、他人の不貞には人一倍厳しかった。
OBの集まる飲み会に行くと、元カノと仲の良いOBの女の先輩から出会って1秒で罵倒された。同期女子からは無視され、サークルの練習に行った時の話し相手が消えた。
僕は自暴自棄になっていた。
物に当たる癖があった同期が、僕の悪口をtwitterに公然と書き込んでいた。僕は自分より格下の相手が僕の悪口を行っていることが許せなかった。
「今日も上手いね。そういえば膝の怪我は治った?どっちの膝を怪我してたんだっけ。」
彼は「左」と答えた。このスポーツでは膝を痛めることは致命的になりうる。
そいつは倒れこんだ。
再度掴みかかろうとした時、周りの人が全員がかりで止めにかかった。
他のコミュニティの友達を誘う気力もなく、昔仲の良かった人たちは次々に疎遠になった。
当然、サークルにも行けなくなった。
僕は自分が他人に暴力を振るったというショックから、いわゆる鬱状態になった。心療内科にも通い、投薬治療を受けた。
就活に乗り遅れた僕は、3社だけ受けて未内定に終わり、そのまま大学院に進学することになった。
唯一の救いは、新たに付き合った彼女だった。僕は一連の騒動のことを彼女には黙っていて、彼女はそのこともつゆも知らず僕を愛してくれていた。
友達のいなくなった僕にとって、休日に気軽に遊びに出かけられる唯一の存在が彼女だった。
この春、その彼女ともついに別れた。コロナ禍でしばらく会っていなかった中、zoomで別れを切り出された。それ以来、その人とは会っていない。
今僕は、週6で研究をしている。
研究以外にすることもないし、かと言って飲みに行くような友達もいない。一人で旅行に出かけられる金もない。
日曜日は16時間寝て、起きている時間をぼけーっとtwitterを眺めながら過ごしている。
ペアーズにも登録してみた。写真が微妙なので全然マッチしないし、会話も当たり障りのないことしか言えずメッセージを切られることの繰り返し。
twitterを見ると、あの時見下していた先輩は同期と仲良くしながら、なんだかんだでサークルに残っている。いざこざのあった同期はその後スランプを克服し、全国大会で優勝したりしているらしい。そして自分が振った元カノは、ゆるっとサークルに顔を出しながら、当時から仲の良かった人たちとゲームをしたり飲み会に行ったりして楽しそうにしている。
みんな楽しそうだ。
https://www.buzzfeed.com/jp/reonahisamatsu/zeni-yamete
こんな記事を読んだ。
このお母さんが言ってることは正しい。間違いなく。
ただ私はこの記事を見て、また、ここ最近の芸能人自殺の件を見て、自分の過去の事を鮮明に思い出した。
自分語りする場他に無いのでこちらで失礼します。長いから読まなくていいよ。
私は毒親から生まれた。母が特にヤバい。どうヤバいかは読んでる内に分かると思う。
父親もヤバいけどマシ。父親は私が5歳の時に借金が問題で離婚した。借金の原因は母であり、父が母に耐えられなくなったというのも離婚理由の一つ。
あと他に父親のヤバい所は私が3歳の時に未成年淫行で逮捕経験有り、今もたまに何かしらで逮捕されてるくらいでしょうか。
母は嘘しかつかない人だった。
自分がいかにすごいかを毎日私に語っていた。嘘じゃないかもしれないが運動が出来て頭が良くてとてもモテたらしい。
一番よく聞いたのは、母が子供の頃芸能オーディションに応募して最終選考まで残ったのに親に反対されて最終選考に出られなかった話だ。
だから、自分は子供を決して縛ることなく何でも自由にさせてあげるんだと息巻いていた。
他には、身内や近所からこんな酷い事を言われた!と言って悲劇のヒロインを演じていた。そして、自分は正当だって話をセットで私や色んな人にしていた。
母は家事を一切しない人だった。
私は物心ついた時には包丁を握って、火を使って料理をしていた。何度も火傷したり指先を切り落とした覚えがある。ピーラーは100%切ってしまうので使うのを止めたし今でも怖くて使えない。指先が無くなったことで病院に行ったことはない。幸い、今指の形が変とか火傷の跡が目立つとかは特にない。
洗濯や洗い物は一回分でも溜まるとその晩母は発狂して私は何度も殴られ首を絞められ怒鳴られ、学校へ行く時間(朝)になるまで逃げられなかった。
ちなみに寝不足なうえにわんわん泣いてから学校に行くから瞼は毎日一重。今は何もせずに二重だが、同級生からは整形を疑われることがある。
そういえば包丁を投げられたことも何度もある(シンクに置きっぱなしだったせいで)。運良く毎回避けられたが避けなければ刺さってた。
赤ちゃんの頃はどうしていたか。ホームビデオを見る限りでは父親が家事をしていた。母は自分がしていたと言う。だから、家事も何もかもを全て私にやらせておきながら「誰があんたを育ててあげたと思ってるの!」が口癖だった。
私は何言ってんだこいつと思っていたが、ふとした時に何故だか自分が悪いかのような気になった。言われたその時ではなく、あとから何もない時に急に罪悪感に襲われた。
母は働いたことが無い。
しかし、一度だけ、試食販売のバイトをした。私が中学の時一度だけなんだけど、それを一生やってるかのように「私は働いている!」と言い続けた。
母は身内や近所に嫌われていた。
祖母や伯母は「母は昔からこういう性格で褒められたのは芸能人並みの容姿だけ、だから結婚してないと駄目なのに逃げられた」と口癖のように言っていた。(ちなみに私は父親似のブス)
母はその言葉に誇りを持っていたらしい。歳は40超えていたけどいつでも芸能人になる気満々だった。頼むからそうしてくれ、家にいないでくれと思って40超えてても応募できるオーディションを色々調べて教えたけど、行動に移されることは無かった。
近所からは、毎晩発狂してる事で心配の言葉を掛けられた事がある。その時母は「うちの子が癇癪持ちで、すみません」と言った。
母は、一度言葉にしたことはその場を取り繕うための嘘でも本気で本当だと思い込める。その晩、私が癇癪持ちなせいで近所から恥をかいたと朝まで怒鳴られた。
その晩だけでなく、機嫌が悪いと必ずその話を持ち出した。
繰り返していく内に私は自分の記憶も信じられなくなっていった。
しかし、とある近所の人は私に「あなたは普通だよ、お母さんがおかしいだけだから」と何度も言ってくれた。その一言だけが支えになった。
母はその人の事をことさらに嫌っていた。こんな酷い事を言われた、という話は主にその人からだった。
最初に出した記事から思い出したのはここです。笑 マジで関係ないです。作者さんすみません。
母には愛人がいた。
私が生まれてすぐの同窓会で会った既婚者。ダブル不倫。結果として父より長く付き合っていた。
私が成人後家出した後、「〇〇が家出した原因は愛人がいたせいなんでしょ?それがショックで家出したんでしょ?別れるから帰っておいで」とメールが来た。死ねと思った。
父は愛人の存在を最近まで知らなかった(さすがに知ってると思って私が言ってしまった)。
父とまだ離婚してない時もその愛人とは家で会ってて、私が3~5歳の時(覚えてないけど離婚前)「今、家に借金取りのヤクザが来るから猫のフリしてて」と母に言われ倉庫代わりだった部屋の扉にガムテープを貼って閉じ込められた。
私は言われた通り、にゃーにゃー鳴いて扉を引っ掻いたりしていた。
ヤクザが何かもわからない私はガムテープが張られてない隙間から覗いてみた。見えたのは知らない男の人。しかしそれはその後小学生になって初めて顔を合わす母の愛人の姿だった。
母は生活保護を受けていた。
つまり私も受けていたことになるんだけど、暫くして不正があるってなって、全額返金を求められた。と、母は話していた。
私はここの詳細はわからないけど、心当たりあるとしたら祖母と父親から充分な生活費を貰っていたことかなぁ……。生活保護費は母の夜遊び代だったので。
その時高校生だったので、アルバイトをしていた私のお金、それまでのお年玉貯金(そもそもお年玉は母に取られてたので、内密に受け取っていた僅かな分しかない)や奨学金含めて、全て生活保護の返済に充てるという事で母に没収されました。
高校生の時のアルバイト代はその後も全て没収、生活がものすごく困窮した。お昼ご飯はお弁当だったけど、時間的にも金銭的にも作れなくなって、何もない日があって友達から少しおかずを分けて貰っていた。
しかし母は相変わらず夜遊びしていた。私は夜遊びに行ってもらう方が都合が良いのでその事を問い詰めるような事はしなかった。どこに行ってたのかも知らない。
もしかしたら、嘘をつかれて、私から取ったお金も遊びに充てていたかもしれない。
高校を卒業する時、私は県外の専門学校に行かせてもらえるはずだった。
小学生の時から良いなと思っていて身内全員に勧められ、漠然とそこに行くんだって思っていて、大学の勉強はしてなかった。
中学で1年半不登校して(この時は、完全に部屋に閉じこもって母とも誰とも顔を合わせない引きこもりをした)基礎が何も分からなくなってしまったのでその時点で勉強はだめだと思っていた。
けど、丁度進学を決めるタイミングで祖父が亡くなり、遺産で揉めて学費が払えませんとなった。
私も貯金がゼロ、なら就職しかない、と思ったら担任に「もうさすがに遅くて無理です」と言われた。そして勧められたのが、高校の系列の専門学校だった。推薦できるし安く出来るからって。母は最初から最後まで可能不可能の話はせず「あんたの進路はあんたが決めなさい」とだけ言った。
私は"家から出られれば"どこでも良かった。その話を担任にこっそりとしたら、寮があるから大丈夫と言われて、じゃあそうしようと決めた。
しかし、実際は寮には入れなかった。
推薦入学の為面接があって、面接の部屋に学生は5人いたのだけど私にされた質問は一つ。
「寮に入りたいって希望してるけど何で?きみ、家近いよね?」
そんな事聞かれると全く思っていなかった(担任とのシミュレーションにも無かった)ので、とにかく本当の事は言えないから「自立する為です!」と答えた。
それに対して「親孝行した方が良いよ?」と鼻で笑われた。それで私のターンは終わった。最悪だった。
その後3年は、放課後から朝までアルバイト漬け、家には風呂に入る為だけに帰り学校で寝る、というような生活を繰り返した。帰る度に母が何か喚いていたけど黙らせた。
話していなかったけど、私は小学校高学年くらいから母の暴力に暴力で返していた。私の方が力が強いので捻じ伏せることが可能だった。生きる為とはいえ今でも罪悪感しかない。それに暴力癖は今でも抜けない。普段生活していて手が出る事は無いが、彼氏と喧嘩して手が出てしまった事がある。別れた。子供は勿論結婚なんかも無理だろう。
それで、もう卒業式さえ出れば良いって時に東京のクソボロネズミ出まくりシェアハウスを借りて、必要最低限の荷物を送って、何も言わずに家出した。
あんなに働いたのに引っ越し後の残金(卒業式の為に一度故郷と往復する飛行機代を除いて)は2万円とちょっとだった。
慌てて就活を始めたが、最初に当たった企業が「きみ田舎から出てきたの?東京は甘くないよwでも仕方ないからうちが拾ってあげるよwうちの寮に住むならね。給料は14万もあげるよ、田舎だとこんなに貰えないでしょ?寮の家賃は6万。これは東京では物凄く安い方だからね。ほら、ここにサインして」逃げました。チェーンだから名前晒してやりたいくらいだ。
心折れてシェアハウスの近くでアルバイトする事にしました。給料の支払い日の都合が良くてラッキーだった。ギリ初回の家賃が払えた。
このかん、何度も自殺未遂した。物心ついた時から死にたかった。
幼稚園児の時も友達と喧嘩ばかりして友達が悪いのにその子の顔が可愛いから擁護されて、私が悪いんだって周りに指さされて、でも幼稚園の近くに住んでいた大人(変人)が「あんたは悪くないよ!この子が悪いんだ!」と急に怒鳴ってきて、ビックリしたし周りもあいつヤベーぞ不審者だ注意しろ!みたいな感じになったけど私はその言葉で救われた。その変人がいなかったら幼稚園の屋上から飛び降りていた。
小学生の時担任に親の事相談したら「そんなわけないでしょ、いいお母さんじゃない、ちゃんと育ててくれた人に感謝しなきゃだめよ」と言われた。児相の存在も知らないから最後の頼みの綱のつもりで相談したのに最悪だった。でも、私も当時は自分の状況をうまく説明できなかった。虐待されているとは思っていなかったし。でも、なんか説明できないけど不当な扱いを受けている、そしてそのせいで自分はとても苦しいという認識だった。だからその日死ぬつもりだった。放課後、当時好きな人と少し進展があった。嬉しかったけど私は今日死ぬんだぞ、今のが最後の会話だからな覚えておけよと思った。遺書にも書いた。その晩家のベランダの柵の上に身を乗り出して後は手を離すだけのタイミングで好きな人の事思い出してしまった。泣きながらベランダをよじ登った。
中学に上がり私は引きこもりになった。理由はなんかもう狂ったから。友達が私の事褒めると、嘘だと思ってしまう。私の脳内が勝手に誉め言葉に変換してるだけで本当はずっと貶されているんだ、私はキチガイなんだ、こうなったのは親のせいだ、そんな事を思いながら母が毎日扉前で「いい加減出て来い!」と怒鳴っているのを聞いていた。
ちなみに飲食は母が夜遊びに行ってる間にした。そういえば夜遊びも近所の人に色々言われてたけどそればかりは余計なお世話、私にとっては唯一の安息の時間だから正そうとするな。食料はちゃんと買っててくれた。と言っても、ほとんどツナ缶だった。育ちざかりにほぼツナ缶とマヨネーズしか食べなかったせいか身体が成長しなかった。友達にチビを弄られる。最悪。
引きこもってる間は元気にしてた。何故ならパソコンがあったから。2chに「死にたい人が書き込むスレ」みたいなのがあって、年齢など書きこむテンプレがあってその通り書き込んだら「まだ若いから大丈夫イキロ」みたいなレスをたくさん貰った。そうなのかあ、と他の書き込み見てみたら確かに50代とかが多くて、私若っ全然余裕じゃんと思った。
それでも一度だけ「そろそろ死なないとなあ~」と思ってまたベランダの柵の上に登ったけど、やる気になれずやめた。
引きこもることに飽き、死ねないし今のままじゃマジでやべえと思って2年の2学期からいきなり登校したらマジで誰?みたいな感じだったけど誰も何も聞いてこなかった。暫く過ごして、「転校生だと思ってた。自己紹介しないから変だなって」と言われた。物珍しさで人が集まり友達に恵まれた。小学生の時好きだった人はクソヤリチンになってて冷めたけどめちゃめちゃ楽しい中学時代を過ごせた。全国の引きこもり!デビュー、意外といけるぞ!もし失敗しても気にすんな!
高校~専門学校は家出の為に働くことに必死で自殺未遂はしなかった。何度も死のうとは思ったけど世間体も気になりだして、とりあえず、家を出てから考えようって思ってた。
家出後。家出直後は紆余曲折あったが、安定してきたのは3年後頃。それまでに2回転職した。1つ目、2つ目のアルバイトははっちゃめちゃのどったばったの学生の延長みたいなノリの職場だったので死にたくなってもすぐウェーーーーイwwみたいになれたのに、3つ目は無。職場環境も人間関係も金銭面も何も不満が無かったのに、何をしても楽しくなくて、ご飯食べてるだけで悲しくなって死にたい……死にたい……とずっと唱えていた。ある日職場の先輩が死んだ顔をしていたので「死んでますね」って言ったら「うん、何もないのにね、死にたい」って突然言われた。わかる~!って返してそこから「何でかよくわかんないけど死にたいあるある」を言い合った。ちなみにその先輩は私みたいな人生は送ってない。自分で「人生順風満帆で家族大好きだし最近大好きな彼と結婚したし最高に幸せ♡」と言っていた。最高に幸せ♡なのに何でかマジで死にたくなって死にたくなる意味が分からなくて解決法も無いから本当に死のうかな?でも死んだら旦那悲しむし……と思っていたそうだ。今思えばあの職場が何か呪われてたかもしれないが、私はそれを聞いて、あっ毒親育ちじゃなくても死にたくなるんだ~!って安心した。安心したらその意味不明の死にたいもどうでもよくなっていった。
でもその職場で、ある日上司が変わった。すると職場環境が一気に最悪になった。クレーマーが激増して日々殺意しかなかった。てかマジでここにいる人間全員殺して私も死ぬ!って所謂無敵の人思考になっていた。電車のホームに飛び降りようともしたけど、それよりもなによりも殺したくて仕方なかった。殺さないと死ねないと思った。でも殺しちゃいけない事は分かってるし犯罪したことないからやり方わからなくて、とりあえずその時から信号無視する車とかを避けることをやめた。あわや死ぬところだったみたいなタイミングでちゃんと死ねば悔いなく死ねる、失敗しても保険金貰えるだろと思って死を避ける反応をしないようにした。けど、運がいいのか悪いのか全部あわやで済んでしまった。
そうこうしてる内に仕事をなんとか辞められて、今。在宅ワークをしている。
リアルで誰とも触れ合わずにいるとぜーんぜん死のうとは思わない。けど、死ななきゃなあ……と思って過ごしている。あーいつになったら死ねるんだ。
「普通・常識人だね」と言われたり、「大人しいね」という言葉は、一見誉め言葉のように見えて
深く人を傷つける言葉だ。どこにでもいる無害な人間、その辺の石ころと同じと言われるのと同義だからだ。
「お前はモブだ、存在していないのだ」に言われているに等しい。
こういわれる事にコンプレックスを持っている人は、頑張って克服しようとする。
しかし大方空回りして、「時々突拍子もないよね(無理してるよね)」「喋る時はめっちゃ喋るね(陰キャだね)」と言われるのがオチだ。
なぜそうなってしまうか、と言えば、「普通」とか「大人しい」は『行動』ではなく『在り方』だからだ。
「右に動いている」の反対は「左に動く」だから、「逆の事をしたい」なら「反対に動け」ばいい。これは『行動』だ。行動をすれば達成できる。
しかし「反対に動く」の反対は「反対に動く」だ。これは『在りかた』だから、どうあがいても変わりようが無い。
具体的に言えば、凡人は何をやっても凡人という事だ。「普通でない事に憧れる」のは「普通でない人」には出来ない。
一見自分を変えているように見えて、その実凡人を地で行っているということだ。
例えば変わっている事をしたいと海外に行ったり、ビッチになってみたり、髪を派手に染めてみたり、ピアスを開けたり刺青を入れたり外でいきなり叫んでみたり。
そういう人を見ても、皆「普通に髪を派手に染めている」だとか「普通なのに急に叫んでる」としか思わない。
大人しい人が「うるさい人に憧れる」のは「うるさい人」には出来ない。
ちょっと調子がいい時にめっちゃ喋ったり、自分語りを長時間したり、大きな声で話してみたり。
皆も見たことが在るだろう。そういう人は、「二人きりになると話し出す大人しい人」だとか「急におかしくなる大人しい人」になる。
一つは「凡人に憧れる事」だ。例えば鬱になったり、統失になったり、家に隕石が落ちたり、望まない形で異常が達成された時、初めて変人になる。
普通に戻りたい、普通の方が良かった、そう思うのは「変人」だ。そして「普通に戻りたい」と思った時点で、もう普通には戻れない。
大人しいにも同じことが言える。「大人しい人に憧れる」。例えば躁病になったり、ヤクをやって四六時中落ち着かなくなったり、周りにムカつく奴が増えて、罵声を毎日言わなくてはいけなくなったり。
気付いたら応援団に入ってたり。大人しくなりたい、大人しいころに戻りたい、そう思えば、うるさい人になる。
でもこれらは運命に自分をゆだねるか、かなり自己のコントロールスキルが必要である。
現実的な解決策は、「自分は凡人に憧れている」「大人しい人に憧れている」という設定、思い込みをする事。
そうすれば、何をすれば変人になるのか、うるさくなるのか自ずとわかってくる。
「無関心」「みんな違ってどうでもいい精神」的なのは心から思うが、関心の強い人全くない人いろいろで難しいね。育った文化の違いなんだろうか。多様性教育で変わるんかね。まさに、変人のAさんをそれを躍起になって正そうとするBさんという2人が今の悩みの種。
「互いに萎縮せずギスギスしない人間関係」が個人的な目標の一つで、欲を言えば「互いに尊重し合える」をつけられたらこの上ない至福かなと思う。仕事しやすいし、気苦労がなくて楽しいしね。
まあ寛容でありたいおおらかでありたい和やかでありたいと思うあまり、コミュニティに害をなす奴に不寛容になり始めてしまうパラドクスはある。難しい。
リベラリストの多い?はてなで「均一な人間を集める」「家柄と学歴」と沢山出てきて結構ショックだった。文化ごった煮のコミュニティとか論外なん……?ってか教育格差肯定するのって結構勇気いらない?「DQNのガキは公立小にぶち込んでおけ。檻に入れときゃいいんだ。」的なこと言うじゃん……。いろんな人と関わる能力を身につけるの大事じゃない?
1つ言わせて頂きますと階級意識選民思想を子供に絶対植え付けないほうがいいですよ……。将来的には子供がその価値観に縛られて苦しむことになりますよ……。都内の公立小の現状は存じ上げないので何ともいえませんけど、子供のオープンマインドを大人が歪めるのは支配的すぎると思います……。
(追記終わり)
小学校なんかだとさ、「みんな仲良く」とか「やさしくなろう」とかでテキトーぬかすけどさ、あれ効果全くないじゃん
ませた馬鹿なガキとか「どうして仲良くしなくちゃいけないんですか〜w」とかいうだけじゃん
でもさ、馬鹿なガキにも底辺いじめられっ子にも居心地の良い学級はメンタルに良い影響を及ぼすわけじゃん
いじめっ子なんかは、居心地の悪いクラスでお山の大将して子供特有の全能感を振りかざす方が平和で居心地の良い諍いの少ない学級より楽しいかもしれないけどさ
「いじめる側になっていた」っていう事実がその先の人生に及ぼす悪影響ってでかいと思うよ
まあいじめっ子にそんなこと生涯理解できないかもしれないけどさ
ともあれ、いじめリーダー格になるような極々一部の逸脱者を除いてさ、普通の人々は居心地の良い学級の方がいいわけじゃん
「なんとなく平和でそこそこ居心地の良いコミュニティを作るために、各人が労力を払う」払える能力ってその先の人生でもめちゃくちゃ役に立つと思うんだよな
だから学生のうちに身につけられたらいいと思うし、大人になってからも強化していきたいじゃん
よく(まれに)あるのが、気配り上手なムードメーカーが引っ張ってくれていい感じになるケースだよな
ああいう気の利く善良な人がゴロゴロいりゃあいいんだけど、あれは完全に才能だよな
子どもの頃、担任で学級運営がうまいなと思ったのは、落ちこぼれにみんなの前でこまめに声かけて愛されキャラに仕立て上げる先生。「〇〇はまた寝てるのかあ」「△△は仕方ないなあ」といった調子で。無論これも下手なやつがやったら最悪の結果が目に見えてるやり方だが上手いなと思った
影の薄い人間にリーダー格がこまめに声をかける、ってのはハマれば強いのな。でもやはり「あっオタクくんも笑ってるよ」になりそうで怖い
地味ながら尊敬するのは、「〇〇ちゃん癒し〜」とちょっと浮いてるやつを可愛がる女子だよな
仕事先で参考にしてるのは、Aさん、Bさんといちいち名前を呼びながら話を振る奴。コミュニケーションの場で満遍なく話を振ってくれるやつがいると、全員がコミュニティに参加できる。円滑なコミュニケーションって業務効率にめちゃくちゃ影響する。ヤバイ。うちの部署にもいて欲しい。
きちんとしたビジネスの関係だとその程度の気配りでも上手くいくけど、底辺の集いだとなかなか難しい。昔いたバイト先はセクハラオヤジの店長と大学生をいじめる中卒フリーターDQNと手癖の悪いパートのおばさんみたいな地獄で、ああいう集団はどうやれば上手くいくのか不明すぎる。
そこは奇跡的にも可愛い女子大生の登場で、DQNが惚れ込んで公正、おばさんが世話を焼き出し店長のセクハラから女子大生を守り、と上手く回り出しだが、俺の手ではどうにもできなかった。
俺は雰囲気のいいコミュニティが好きだから、結構研究しつつ尽力してるわけだけど、腹が立つのはそういう人の努力を水の泡にするためかのように自分の自分の好き嫌いを露骨に表に出すやつだよな。雰囲気ぶち壊し。あと悪口の多いやつ。
愚痴らないとやってられないわ〜じゃなくて、愚痴愚痴言うのはいいから他所でやれよとイラッとしてしまう。いい歳してそれってどうなんだよ。もう少し環境を整える努力をしてくれたっていいじゃないか……
俺はただ仲良く平和にやりたいだけなのにさ、なかなか上手くいかないよなあ。「仲良くしましょう」じゃなくて仲良くする方法を教えてほしいわ。B君を迫害し始めてるA君をどうやって諌めたらいいの?とか、マウンティングがヤバくて浮き始めてるCちゃんをどうやって繋ぎ止めたらいいの?とか、性格が最悪のD君がリーダーになり始めてて暴走しそうな学級をどうやって止めたらいいの?とか、仕事の失敗をEさんのせいにして恨むFさんを宥めて2人の中を良好にする方法とかさあ
まあなんだ、みんな仲良くやろうぜ……
疲れたよ
例えば将棋界なんか一昔前は変人という以前に人格的にどうなんだ的なエピソードが割と多かったし、そういうのを新聞筆頭にスポンサーも許容していたけど
そういうのはおそらく米長さんあたりが最後で、今じゃずいぶんおとなしくなったでしょ
(ひふみんも猫関係のトラブルはあれど、基本的には愛されキャラ路線で売っている)
芸能界も相変わらずの部分はあるけど、さすがに灰皿投げる演出家なんて今時存在が許されないだろう
そうやって特殊な世界が俺ルールで回ろうとしたらリベラル様が横から真顔で小突いてくるのが今の世の中なわけで、アート界隈だけが変人のまま許されようとしていることの方がおかしいんだわ
毎日毎日Twitterで不快な情報が流れてきてストレスしか溜まらない、ブロックしても違う形で流れてくるし。
アカウント消してもどうせDiscordとかゲームで繋がってるから結局戻る必要あるし。
学生時代から繋がっているインターネットの人間を切る勇気なんてないし、そもそもリアルで会ってるし中にはリアルの人間もいるし。
Twitterをやめて別のことしたらよくなったみたいな話あるけど、学生時代から何年間もTwitterにどっぷり浸かってたような社会不適合者のぼっちがいきなり本とかに鞍替えできねえし。
それに何回かやめたことあるけど、誰にも交流しないせいで全然良くならなかったし。
で、何度も戻ってきたし。
結局のところ、俺は、一人で何かできる変人ではなく、人といないと何もできない凡人だし。
なんで、俺Twitterなんか始めたんだろう。てか、凡人がTwitterで変人と関わること自体間違いだったんだろうね。
はあ。
それとも絡んできたのが実は変人だった、って気づかせることで恐怖に陥れられる、みたいに思ってるのかな。