はてなキーワード: 原則論とは
まずはじめに、(対価のない)残業とか長時間労働は、悪であるっていうのは異論がない。
じゃなんでこんなドラマ作ってるんだよ、糞野郎死ね、と言われれば反論のしようがないんだけれど視点の補足として2点ほど足したい。
ひとつめは、僕等としては残業を戦いたいわけじゃなくて苦闘みたいなものを描きたいんだよ。物語上の要請として、成功や勝利の全段階として、苦戦や熱戦の描写が必要だ。これは物語設計上の問題なので、もう、どうにもならん。エンタメとして人間が楽しめるパターンは限られてる。難問の提示→工夫や挑戦→解決(勝利)という構造は、壊せない(壊してもいいけれど、エンタメとしては大衆に訴求できなくなるだけだ)。
もちろん、「苦闘」という抽象的な設計要請を「長時間労働やブラック労働描写」にする必要はない。感情導線を作中のどういうエピソードとして描くかは、作者(この場合脚本家か)の腕の見せ所だ。他の苦闘描写にすればいいじゃねえか、と言われれば、Yesだ。それが視聴者や読者に不快しか与えないのは、作者側の技量不足、というほかない。という原則論を先ずは掲げておき、次には「じゃあ、現代日本の作者の平均的技量はどうか?」という視点で見てみると、例示されたテレビドラマの脚本家が著しく能力に劣るとは思えない。「家を売るための工夫」みたいな部分で、じゃあ他にどんな描写が出来たか、新素材開発の技術者敵苦悩? 銀行の根回しの政治闘争? どれも尺的な問題や、他のドラマ部分との整合性で難易度が高そうだ。もちろんそういった変わったエピソードを迫真性を持って描ける有能な作者もいるがそれは平均レベルではない。
(すべての作者や脚本家は有能であれ! という意見は一理あるが、それが現実の社会で実践できるかは、増田全員が自社や自分の身の回りを見回せば納得してくれると思う。創作者の世界だって、有能な人間の割合は変わらないのだ)
二点目の問題として、「このシーンは苦戦、苦闘のシーンなのだ」というのを視聴者に伝えるエピソードとして、ブラックな労働というのは、視聴者からみて「理解可能」なのだ。作家(脚本側)は、この「理解可能」という制限範囲内でしかものを作れない。その範囲を超えてしまうのは、芸術としてはありかもしれないけれど、大衆エンタメとしてはNGだ。増田がそのブラック的な業務(っていうか、子守って業務なのかどうかわからないが)をみて「これはひどい」と思ったのなら、それは「ヒドいシーンを描こう」という目論見が成功した結果だ。
たとえば、プログラマなどはその業務において、本当にクリエイティブなのは頭のなかで実装アイデアを考えている瞬間だ。そこに快楽とブレイクスルーの高揚があるとは思う。しかし、その瞬間は、他人から見れば散歩中であったりモニターの前で空中を見つめているだけだったりする。それを「熱戦」であったり「苦闘」だと、圧倒的多数の視聴者は理解できない。同じオフィスで働いているOLだって理解できないくらいだ。理解できるようにドラマ的な補助線を引いてやるなり、読者視聴者に分かる程度に戯画化してやるしかない。「ムカつく糞ガキの子守」というのは、この戯画化の結果だ。
つまり、件の展開は作家・脚本家の工夫の結果だといえるだろう。
第三に、ドラマなるもの、エンタメ創作は「特別なもの」を描くものだ。これは、もうすこし常識として言語化されていいものだと思う。なんでコナンではあんなに殺人がバンバン起きて密室が出てくるのか? それはそれが「特別なもの」で「常とは異なるもの」だからだ。「だからこそあえてそれを描いて世に表す価値がある」という考えのもと、エンタメとして成立している。青春時代の初恋や、大正時代なハイカラ女性の自立や、銀行員の造反もそうだ。日常系の物語でさえ「日常の中のちょっとした特別」という意味で特別を描く。描くという行為そのものが、その描いたシーンを描かずに省略したシーンに比較して特別にするという創作的な処理なのだ。
その「描かれた特別なもの」を「一般社会常識に反している」という視点で糾弾してしまうと、エンタメ作品の多くは枯れ果ててしまう。件のドラマは、逆に言えば「一般社会ではあっという間に糾弾されてしまうような『特別な』ブラック労働なので、あえてそれを描いたのだ」といえるだろう。
もちろん(対価のない)残業とか長時間労働は悪である。それを礼賛するような「描き」になってしまったのは、前述したように作家・脚本家側の技量不足である。しかしながら、以上3点の視点補足が、この種の問題に対する考察の糧となってほしい。
反発が多いのは原則論云々の前段階、要は主張の正否ではなく主張適格の存否の問題。自転車乗りが歩行者に対してライトをつけることを求めることそれ自体が立場として不誠実だってことだよ。
元増田の例えに乗っかって言うなら、空き巣が「空き巣に入る奴が悪いのが原則論だけど、自衛の為に市民は鍵をかけた方がいいよ、いやほんと、俺らみたいな人間居るからさ」って説教するようなもんだぞ。
もしこの記事が、例えば「自分の恋人が自転車に轢かれた。自転車乗りがもっと気を付けるべきであることは勿論だが、それだけではなく安全の為にも歩行者はライトを持ったほうがいい」という記事だったらまた反応も違っただろう。
ここまでの反応からおおよそ察しがついてると思うけど、別に責任論や原則論で物事を考えているわけではなくて、単に自転車が憎くて仕方ないという層がいるんだよ
本当に原則論で考えているなら歩行者より自転車、自転車より自動車の負担を重くするべきだし、現実の法律や道路整備は実際その方向だが、彼らはそうは思わず「中途半端な存在である自転車が両方に迷惑をかけている」と信じている
彼らの目的は自転車を排除することであって、トータルで見た安全性を高めることではないので、安全にフォーカスした提案をしても相手にされることはない
むしろ彼らは結果的に自転車排除の気運が高まるならもっとどんどん事故が起こってもいいとすら思っているかもしれない
彼らの動機を想像することは難しいかもしれないが、たとえば世の中にはなぜか妊婦を激しく憎む独身男という謎の層がいるので、あれの亜種だと考えれば多少当てはまる
one of the judging board membersの判定理由。
(ちなみにこの判断プロセスはマイナーではなかったことを付け加えておく)
よって、この試合においては(A)地球規模の利害と(B)日本国の利害の双方を考える必要があると考えられた。また、その上でAD/DAを比較衡量した「一般的な」判定基準プロセスを進めることは妥当と考えられた。
上記のことを受けて、
の6つを材料として本試合ではAD/DAの比較衡量は行う必要が考えられた
地球規模、というと若干ラベルが大風呂敷だが、日本の枠組みを超えた視点で考えた場合、下記の評価となる
→というわけでADに関してはグローバル(…?)で見た場合には肯定側の支持要因、日本の利害に関しては特に論じられていないためニュートラル
→この段階でDA1のimpact1(人命が大事)は大きく取れない
→impact2はある程度残る。(だが、これこそ誰のメリットか不明。観客? IOCの運営陣?)
→というわけで地球規模で見た場合、人命リスクに関してはnot unique、ただ、観客の安全を考えたらイスタンブールは観客やIOC経営陣にとっては忌避材料かもね。という、否定側の支持要因になる
→このことから、「社会の不安定化や少子化をもたらす経済問題を解決することは国家の責務」と否定側は語っていたが、そもそも現状でそれが達成できるかどうかも不明であれば、五輪の開催有無が与える影響も高くは見積もれない
→よって、もちろん五輪効果はないわけではないが(肯定側もないとは言っていない)、伸びしろの問題で、否定側が言うほどには効果は出せないであろうという判断
地球規模 AD:◎ DA1:×~△…人命的にはnot unique~観客やIOC的には少しある DA2:○…途上国なので効果大きい
日本目線 AD:- DA1:×~△…返上したほうが東京のリスクが下がる。ただ、もともと日本は結構安全 DA2:×~△…伸びしろが少ないので効果乏しい
という判断になる
否定側は冒頭から「地球市民どうこうの前に地球的視点でもイスタンブールよりも東京でやった方がメリットが大きければ否定が勝つ」と語っていたが、DA1は人命リスクという点ではどちらにもvoteできない。観客や運営側(IOC)という視点にたてば少し否定に有利という程度だが、この立場をどの程度尊重すべきなのかは議論が全く無いまま試合が終わっていてvoting issueにしづらい。
DA2に関してはこの試合の中ではイスタンブールの方が強く有利。日本に若干の不利益はあるかもしれないが、それがイスタンブールに起きる利益よりも大きいという反証は一切ない。
結局、日本という視点と世界的という視点で見た場合にはDA1/DA2だけで見てもNegに投票することはできない。(日本だけで見ればDA2の若干の不利益が投票理由にはなり得るが)
また、ADもそのまま残っている。よってAffにvote。
元記事と増田の引用みる限りでは「既存のやり方に反している、伝統的な手法ではないとして新たなビジネスを批判」してるようには見えないが。
もう少し先まで引用してもらわないと"Facebookの友人"の主張がわからないが、”提供価値と対価というもっと原則論から見たらどうだろうか?”
という文章からして「300円なんて値段で安売りすることに問題が生じうるのではないか」というような内容が続くんじゃないかと思っている。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/hiroyukiozaki/20140411-00034058/
Facebookの友人がこの記事に対して、こんなコメントをしていた。
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経営としては正しい側面は認める
結果、儲かったし仕組になっている点は素晴らしい
経営として
ただ、提供価値と対価というもっと原則論から見たらどうだろうか?
300円のチャージを、なぜお客は支払うのだろうか?
ミュージシャンは安定してギャラが貰えれば良いと考えているのだろうか?否!
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これを見た瞬間、この考え方がいわゆる「老害」の考え方なのか、と感じた。
既存のやり方に反している、伝統的な手法ではないとして新たなビジネスを批判する。
もしこの人が企業の上の方にいたら、その部下は革新的なアイデアに挑戦することもできない、
「イノベーションのジレンマ」状態に陥るんだろうな、と。
やべえよあのブログ。20代半ばの痛々しさが端的に表現されている。
30代に入ると「あーあったよねえ」って思う系の書き方。そしてものすごく恥ずかしい。
・社会人として少し余裕がでてくる年齢だからか、いろんな人にボクチンの経験と自分の意見が言いたい!という気合が感じられる。
・経営者になったことが嬉しくて嬉しくてしょうがないので、経営者、起業家、企業家という言葉が多い(でも例えば父親の立場では書けない)
・家族等の”誰かのため”ではなく”自分のため”に仕事をしている感があふれているので、やっぱり結論が小さいんだよなー。
・意見は原則論的で筋は通っているように見えるんだけど、実は筋しか通ってない。
・後半になってくるに従って興奮してくるのか、文章の勢いがどんどん気持ち悪くなる。(多分勃起してる)
って下の記事を読んで思った。
http://d.hatena.ne.jp/tokunoriben/20131218/1387384044
そんな彼のたまらん名言。これはいいブツでさあ。痛々しさマニア垂涎の品です。
・だってそれって目の前のサラリーしか見えてないってことじゃないですか?
・本来仕事って、例えばよくわからんデータ入力作業とかだったらマクロ組んで早く終わらせましたんでもう帰ります、とか、そういう仕組みをつくった人間の方が高い給料もらうべきであって
・気がつけるニーズとか手に入るネットワークって結構あると思うんです。
の後の一連の文章のグルーブ感。本の作者が言ってるつもりで書き始めたのに興奮が抑えられなくて途中から自分の意見とカウパーが出まくっているところがポイント。
・ぼくは、新卒では会社にはいってとっても「いい経験」をさせてもらって、とっとと会社を辞めてしまって会社をつくってしまいました。
うふふふふ。
読みなおす度に味が出てくるーーーー!
いいなあこの26歳いいなあ。
と
はどちらも真だと思うが、両者の関係がおれには理解できない(発言者の社会的地位を考慮しないということは、発言に至る過程を考えないということとイコールではない)、したがって元増田の「モヒカン思考は限界」には賛成できない。
モヒカン族の聖地たるfj.*では、発言に至る経緯を考えず単純に罵倒に走ると脊椎反射であるとして非常に軽んじられたと記憶している。
脊椎反射をくりかえすポスターは、「馬鹿」「うそつき」などと指摘されたり、かわいそうな人のような扱いを受けたりしていた。
このことから、増田が指摘するところの「発言の経緯を考えず、ズレた意見や実現不能な原則論に終始する」という問題は、fj.news.usageを再活性化させ、すべてのモヒカンどもをそこにぶち込むことで解決すべきである、と提案したい。
そこでは日夜実名所属丸出しでガチの罵りあいが行われ、発言者の知性が疑われ、蟲毒にも似たモヒカンの濃縮が行われる。そしてfj.news.usageを這い出してきたモヒカンのエリートは、「発言に至る経緯を充分に把握した上で、発言者の社会的地位を考慮せず意見の内容だけに注目する」という反論不能の怪物となってネットに君臨するであろう。
>「真相は明らかになってない」
そんな話してないw
大飯再稼働については、IAEA基準の安全性に到達していない施設を稼働させるなら、暫定的な安全基準による暫定的な稼働だという事を国民が認識していろということだ。
>あの事故の対策を取ることは簡単で、各電力会社が自主的に実施しているし、だいたい
>大飯と福島第一は年代も型式も全然違うわけで「実は危険だったことが暴露された」なんて
>訳では全然ない。
津波が来た事による全電源喪失に、型式の違いを持ちだすとかアタマ大丈夫か?
飛行機事故で特定の形式の尾翼に障害がでたから、該当形式の飛行を禁止するとかじゃねーぞ、形式関係なく飛行機全体に起こりうる事態だ。
防潮堤の完成という対策なしに原理的に対応ができない事態だぞ。
そもそもフクシマを見て、大飯のような外部支援が受けられない場所で、津波が来た後に施設内で全て対応が出来る前提で考えるとかそんなファンタジーバカの戯言付き合うわけないだろ
>高いから再稼働するのであって、そういうわけのわからない原則論を持ち出してくること自体が
電力不足リスクと再稼働リスクの比較考量については、橋下市長が原則論を国民に認知させつつ、再稼働という現実的政策を示した事が全てだ。
「真相は明らかになってない」ってのは「何でも反対」の人の常套句。あんたのいう「真相」って
一体何?っていう。原因なんて「外部電源喪失の上にDG水没」に決まっている。
地震が原因で致命的な破損したなんて風説は政府事故調中間報告などで完膚無きまでに
否定されてる。
あの事故の対策を取ることは簡単で、各電力会社が自主的に実施しているし、だいたい
大飯と福島第一は年代も型式も全然違うわけで「実は危険だったことが暴露された」なんて
訳では全然ない。
保安院なんてのは基本的に単なる役人だから技術のことなんてわかってないよ。
「想定されているリスクすら解消されておらず、非常事態が起きる可能性が高いことを意味している」
なんてことにはならない。
巨大隕石の落下だって「想定」しようと思えばできるリスクだし、そういう「想定」の蓋然性を論じず
「非常事態が起きる可能性が高い」というのは笑止なレトリックでしかない。
それにそもそも、現状は「再稼働すること」よりも「再稼働しないこと」のリスクの方が明らかに
http://anond.hatelabo.jp/20120601011200
への反応です。
確かにその原則仰るとおりだと思う。
だけど企業が直面する規制問題というか、企業の法務という考えだとそんな原理原則を言われてもどーにもならないよ。
しかも今回は後出しじゃんけんというか、サブマリン規制と言っても良いかもしれないけれど、すでにそこに法として存在する規制についてどうにかしなきゃならないから余計に。新たに作られる法律ならばいくらでもその手の議論はできるけれど、今回の場合それが可能な舞台はあるのだろうか?
通り魔に襲われて道に倒れている人物に必要なのは、救急医療と明日のパンをどうやって買うかであって、「通り魔の奴ら法を守らないなんて酷い!原理原則を守るべきだ」と話をする人でも、「通り魔に襲われても自衛できるための日頃の備えが必要。あなたはそれが足りなかった」と説教する人でもないよ。
すでに既得権的に規制がそこに存在してしまっている以上、その司法の方面からのみ何とかするには、結局裁判やらそこら辺に訴えるしか無いと言う事になっちゃうわけで。それは現実的では無いし、実際の問題は複合的に現実の現場で発生している問題に対しては解決になるだろうか。だから「法はこうあるべきだ」「正しい手続きはこのようになっているはずだ」という論ではなくてもっと泥臭い所から話をしないといけないと思う。
現実として裁判が行われ、既存の法律は違憲であると言う判断がくだり、立法府が動いて法改正に繋がった、なんて案件、日本でどれぐらいあるだろうか?
まして相手が警察・検察である場合、さらに、一般人に理解されにくい(と言うか正論の暴力的な「そんなことは無くても暮らしていける。犯罪に繋がるなら一切禁止すれば良い」と言った言動から発生する、リアルでは表だって賛成しにくい部分)話である場合、どれだけ動いているだろうか。
一方、厳しい法規制に対して業界が音を上げて、もっと現実的な規制にしてくれと働きかけて規制が変わると言うのはそれなりにある話だよ。(ただ、こう言う後で問題になりそうな細則は大抵政令によって定める事になってて法改正までは必要にならないことが多いようだけれど…)
経営の話で法律的ではない。そう思ってます。必要なのは司法の話じゃない、今ある状況をどう手当てして、どう先に進むかだよ。
ぶっちゃけ、法的には勝利を勝ち取ったが、経営的には破綻して潰れました、クラブがあった所にはペンペン草すら生えませんでした、では今いる人々の救いにはならないよ。
こう言う所だと、誤用とされる用法ではなく、本来の意味での「確信犯」的な外部の人が出てきて原理原則を突き通せ、正義はあなたにあるのだから戦い続けるんだよって話になりやすいんだけど、それって結局戦いに勝って勝負に負ける事が多いと思うんだけど。こういうのって
といったいわゆる昔から左翼運動の問題になりやすい部分で非常に多い。別にそれが悪いと言っているわけじゃ無いよ!こういう人がいるから世の中変わっていくし、問題が常に社会に提示され続けることで一定の歯止めになっている。
ただ実利を取るにはこれじゃだめだってこと。社会正義は果たされた、けど、みんな不幸になったで終わっちゃ困るでしょ。
あと、この方面で参考にするのならば
http://www.pot.co.jp/matsukuro/20120130_124823493926982.html
ここから始まる一連のエントリーじゃ無いかなと思いますがどうでしょうか。多分今回の運動の論拠にされている震源地の一つ。
今必要なのは今ある問題をどうするかであって、法律の話なんてその後でいい、そう思いますがどうだろう。
その上で、司法的な部分で勝負するにおいても、だけど、規制当局は規制の根拠を十分示してない、と言えるのだろうか?
自分が知る限りだと、一番まとまっているのはこれ
http://www.pot.co.jp/matsukuro/20120130_124823493926982.html
で、あとはこれをもっと硬い文体に直したり、弁護士名で違う言い方をしたりしているだけでだいたい同じことを言っている。その中身は過去の経緯と今は違う、規制が古いんだと言い続けているだけで、今法によって保護されている部分に対する手当がやっぱり出てこないのよ。
古かろうが新しかろうが、規制されていることで保護されている部分があって、実際裁判になって規制当局にどういう規制の意義があるのかと聞けばぞろっと資料を出してくるでしょうけれど、それに対して十分な反論できるであろう資料が無いの。規制当局が今、表だって資料を出していないのは、すでにある法律だからで法として存在する時点でその責任を果たしていると考えているからではないかな。(意地の悪い言い方をすると、現状維持で良いとする側はあえてそう言う努力をする必要が無い。原則論じゃ無くて、現実として)だけど、裁判になれば根拠をいくらでも持ち出して来ると思うよ。(規制に根拠があるか示せ、という請求をする方法が裁判しかないからこうなっちゃうわけだけれど)
もちろんそうじゃ無いんだ、と言う強弁はあちこちから聞こえてくるよ?だけど、それに具体的な内容が伴ったものがどれだけあるだろうか?
活動の中心的なサイトにすら、そう言う資料が全く出てこないの。これは何故なんだろうか。
この原理原則すら守れているかと言うと大いに疑問。この切り口で法律闘争に持ち込んだとして、何とか勝てるだろうか?
自分は大いに疑問なんだけれど。
結局司法でやり合うには無理があると思う。いくらみんなで原則はこうだ、と言い続けても、それで何か動いたというのあまり記憶に無いから。またこう言った問題で規制当局が地裁など手頃なレベルで手を引いたと言う話も聞いたことが無いので時間がかかる事は必至だと思う。
それが社会正義的に合っているかどうか、間違いだとかそういう話は別だよもちろん。
あるクラスタには法律の手続き論に見えるかもしれない。けど、実際はいろいろな問題が絡まっているから、法の手続きの問題じゃないよやっぱり。
そうなると立法府か行政を動かすしか無い。つまり政治力になる。政治を動かす一番手っ取り早い方法は大衆の共感を得ることで、それには文化で押し切るのではなくって、もっと通しやすい所から話を通さないと、と思うわけなんだけれど‥‥。
http://anond.hatelabo.jp/20120511124327
論点1,論点2について。
レアケースとして、難病、特殊な性癖等、それ単体で自分で珍しい属性と思えるよって個人の特定が発生するという話になっています。人に寄っては「自分はそんな特殊な属性なんか持ってないその他大勢だから問題ない」と考えている人がいるかもしれませんね。また、武雄市市長は
僕が言っているのは、「5月6日20時40分、42歳の市内在住の男性が、「深夜特急」「下町ロケット」「善の研究」」を借りた。」ということそのものについては、個人が特定できない
と述べています。(http://hiwa1118.exblog.jp/15827483/)これを見て「この程度の属性ならば個人情報は特定できない。安心だ」と思っている人も多いかも知れません。
が、実際にはそんなこと無く、普通の属性の人でも、いくつかの条件を組み合わせていくと簡単に個人が特定できるよと言う話をします。図書館側から、CCCに対して、上記武雄市市長が挙げている情報が渡ると仮定した場合、ある程度の行動に法則性がある人であれば、かなりの確率で個人の特定ができます。
例えば、
これらはみな高確率で本人の特定が可能です。
簡単に言うと
これらはそれぞればらばらには該当する人間は多数います。しかし、これが組み合わさると(さらに5月6日20時40分に図書館を利用、タイムスタンプ情報が組み合わさると)どんどん対象は絞り込まれていきます。非常に尖ったそれ単体で個人を特定できる様な属性がなくとも、複数の属性が一致する人というのは少ないため、さらにそれを通常のTカード利用履歴データと照合すると、本人の特定ができてしまうと言う事です。
なお、私も武雄市の市政の問題と言うより、プライバシーやセキュリティの問題にのみ関心があるので、以下は架空の市「武雌市」を舞台としておきます。
武雌市立中学校に通う武雌太郎君(14)は、学校帰りに図書館に寄ることがあります。両親共に仕事が夕方シフトの仕事で帰宅も遅く食事も遅いので帰宅途中にあるファミリーマートで軽食を買って帰るのが日課です。
ある日、太郎君は図書館で本を借りました。この場合、図書館から出て行く情報は、仮に以下の様になるとします。
△月○日16時32分、14歳の市内在住の男性が、『暗黒神話体系シリーズ クトゥルー 第1巻』『這い寄れ!ニャル子さん(1)』を借りた。
次に彼はいつものようにファミマで買い物をします。するとこちらは以下の様な情報が記録されると思われます。
△月○日16:48分
会員IDxxxxxxxxx
購入品目
当然ながら後者のファミマの利用履歴にある会員IDを照合すると、登録時に申告した個人情報、氏名や年齢、住所、電話番号などと結びつきます。
この時、『時間16時台で、年齢14歳男性、武雄市内または周辺で使われたTカード履歴』と言う、図書館から得られる範囲の条件でTカードの利用履歴からデータを引き出してみます。利用状況にも寄りますが、この時点で確率的にそんなにたくさんが引っかからないと思われます。まず武雌市の14歳男性は国勢調査によると約300人でした。さらにこの中から、16時台に武雄市周辺でTカードを利用した人というのはどれだけのいるのでしょうか。
さらに「クトゥルーとニャル子さんを借りている事から、彼はオタクが好むアイテムを購入している可能性がある」としたとき、ヴァイシュスバルツ(アニメ・ゲームなどのキャラクターを題材にしたカードゲーム)を購入しているので引っかかります。こうなると、ほぼ間違いなく誰が借りたか特定ができてしまうでしょう。このオタク属性等と言うのはレアな属性でもなんでもありません。またこの他、例えばここで車好きでもいいし、スポーツ好きでもかまいません。そう言うありふれた属性で良いのですが、年齢と性別、時間と地理という条件が重なると、絞り込みの条件になって、特定がより簡単になっていくのです。
次に彼がまた同じ行動をとったとします。
図書館で本を借りて、ファミマで買い食いして以下の履歴が残りました。
△月×日16時28分、14歳の市内在住の男性が、『暗黒神話体系シリーズ クトゥルー 第2巻』『這い寄れ!ニャル子さん(2)』を借りた。
△月○日16:48分、会員IDxxxxxxxxx
購入品目
この時、前回と同じ条件『時間16時台で、年齢14歳男性、武雄市内または周辺で使われたTカード履歴』でTカードの利用履歴情報を引き出します。さらに、これを以前の記録の中から、ほぼ同一の行動パターンをとっている人物を引き出してきます。すると、ほぼ一人が浮かび上がってくるのではないでしょうか。
この時点で逆のアプローチが可能になります。つまり『会員IDxxxxxxxxがファミマを利用するとき、同一の属性の人物が同じ時間帯で図書館を利用している場合、高確率で同一人物である』と言う事が言えるようになります。これでファミマで利用が合った時、図書館から出された情報を検索すれば彼の利用履歴が作れる事になります。
さらに何回も似たような行動を繰り返します。するとどんどん彼の行動パターンができあがっていきます。行動パターンの積み上げにより太郎君を特定するための情報がどんどん積み上がっていきます。こうして積み上がった情報から、例えば彼がファミマを利用しなかったとしても特定が可能になっていくでしょう。「16時台に、同一シリーズのニャル子さん4巻を借りている。履歴から照合すると高い確率で会員IDxxxxxxxxの情報である」と判断することができる様になっていくのです。
武雌市内にある和平電機につとめている女性、小町花子さん(29)。在所は隣接する小町町で、勤務先の和平電機は毎週火曜日がノー残業デー、定時で退社する日と決まっています。協定でいつも1時間程度は必ず残業があるお仕事ですが、この日は17時に退社できるので、いつもこの日に用事を済ましています。
彼女は節約上手なのでポイントカードの提示を忘れません。Tポイントカードも例外ではなく、たくさんポイントを貯めるためにあちこちでポイントカードを使っていました。勤務先のある武雌市の図書館も利用しています。
この条件の場合、上記太郎君の場合のパターンでも特定が可能ですが、実はさらにそれより一発で特定ができてしまう可能性があります。それは、普段が彼女がTカードを使って作り上げた、行動パターンがあるから。
花子さんの利用履歴では、最近カメラのキタムラで高価なカメラを購入している情報、地元のTSUTAYAでカメラ関連の本を購入していたりする履歴があると、花子さんは最近カメラにはまっているようだ、と言う事が見えてきます。またガストではドリンクバーは2つのことが多いだとか行った情報から2人暮らしである事、一度名義を変更していることから結婚している事、ウエルシアでは愛犬用の用品をよく買っている事、などから犬を飼っている事、等々、どんどん情報が見えてきます。
△月×日17時20分、29歳の小町町在住の女性が、『デジタルカメラ入門 -2- 愛猫、愛犬を撮る』『なぜか夫婦がうまくいく3つの習慣―二人の危機を救う本』を借りた。
この時Tカードのデータベースから『デジカメ好きの30前後の女性、ペットを飼っている。既婚者』という検索条件で検索した場合、花子さんのTカード利用情報からの情報と、図書館の利用履歴の両方が抽出される事になります。
ここから、小町町の住人の29歳女性、と言うカテゴリで見ると、ほぼ間違いなく同一人物の情報だという事が分かる事になります。ちなみに小町町に在住する29歳女性は国勢調査によると約40人でした。
ここで彼女のTカードの情報には「図書館利用者である」という属性が蓄積される事になります。この後は豊富に蓄積された情報を元に、彼女の図書館利用履歴のトラッキングは比較的簡単に、高精度にできることになります。
武雌市に在住の、武雌和也さん(41)は、最近母親が難病にかかってしまいました。何しろ情報が無いのであらゆる手段を使って調べています。Yahoo!で検索して見たりしているのですが、欲しい情報が見つからりません。普段は全然利用していませんが、思い立って図書館に行ってみることにした。図書館では興味深い話を見つけましたが、情報が若干古いのでさらにYahoo!で検索をして新しい情報も仕入れたりもしています。ちなみに和也さんは、普段は奥さん任せでほとんど買い物などはしない人です。
和也さんの場合、ほとんどTカードを提示する機会は無い人ですので情報が少なくて照合などできないように見えます。が、ここで出てくるのがYahoo!IDです。和也さんは以前、Yahoo!で趣味の釣りの道具を購入したことがありました。その時、市が図書館カードとしてアピールしていた時に惰性で作ったTカードと結びつけを行っていました。
それによって、Yahoo! IDにTカードの情報が結びついている状態になっていたのです。
実はこのように、Tカードというのは非常に広範囲に利用域が広がっています。一度しか使ったことが無くても、使用した時に別のIDと結びつくような形になっているのであれば、TカードのIDそのものを利用しなくても、芋づる式に情報がつながってしまうと言う事が起きます。
Tカードは絶対に図書館以外で使わない、と言うのが一番シンプルです。図書館専用のTカードと、図書館以外のTカードを別けてもあまり意味がありません。Tカードによって記録されるデータベースに、図書館以外の部分で乗るような事をしてはいけません。従って、今、Tカードを利用している人が、図書館でTカードを利用し、尚且つTカードと図書館のデータを結びつけたくない人は、どちらかあきらめる事が必要です。図書館をあきらめるか、Tカードの利用を停止するか、どちらかになります。すでにTカードを利用しながら、結びつけたくない人は、図書館にて利用を開始する前に、一度CCCに個人情報保護法に基づく情報削除を依頼しておくことも忘れてはいけません。
おそらくこれらの指摘に対しては
情報分析については、コンピュータの大容量化、高速化によって不可能ではなくなりつつあります。近頃「ビッグデータ」処理システムなどを用いることによって実際に行われています。
これが「容易に」と言えるかどうかと言う事になるのですが、個人的な見解としては容易だと言って良いと思います。完全にデータベース上だけで照合が完結できてしまうと言う時点で、後はリソースの問題であるからです。コンピュータのリソースなどは数年もたてば倍にと言った世界です。そして毎回膨大なデータを処理しておかなくても、あらかじめデータをあらかじめ整理してあれば、許可を受けた店舗のマーケティング担当者レベルでも情報を引き出せるようになるでしょう。さらに言えば、観覧したい個人がすでに決まっていて、本人を知っている場合(標的を絞っている場合)はもっと簡単に情報を引き出せます。そこにダイレクトに個人を特定するID(名前も含む)が含まれているかどうかは関係ありません。
また情報を際限なく結びつける事を許さないので問題ない、と言う話についてはまず、Tカードの利用規約がすでにそれを許す形になっていることがあります。もちろん企業の内規等でそれができないようにしている可能性はあります。しかし、そこは行政が直接的に知る事も、コントロールする事もできません。何しろTカードの加盟店は膨大ですのでそれら全てに行政が行うべき情報保護に対する規律を求める事ができるのか、と言うと不可能でしょう。
であれば、共通的にTカードの規約を変更する等が必要になるでしょう。また技術的な原則論を超えて、特別な条例を作ってそれによってCCCを縛る事をするだとか、そういった政治的解決法はあります。しかし裾野が広いだけあって、規約だけでは駄目で、実際には不可能な形にしておかないと不十分である、と私は思います。
これはプライバシー問題の特殊さ、難しさが絡んでいます。プライバシー問題の難しさは、観覧された時点ですでに侵害が発生しており、さらに原状回復が不可能である(予防しかない)事、さらに発覚しにくいためです。
ちなみにこれは、公共サービスをそのような民間ベースのID認証に付け加えると、毎回このような情報の取り扱いについて問題が発生していくことになりますし、それらが適正に処理されているかの確認は行政側が行わなければなりません。住基ネットの住民票コードが民間利用禁止されているのもこう言った難しい問題があるからです。
次に「これらの事は民間ではすでに当たり前である」という話もあります。何を今更、と言う事ですね。これは全く持ってその通りで「俺はそうであっても気にしない」と同じような立場になります。しかし、事問題が行政サービスに関わる事であると言う事を忘れてはなりません。また、気にする気にしないと言う話は本質的には個人情報かどうかには直接関係はしないと思います。
もはや落としどころとしては、Tポイントカードを単なるユニークなIDが振られたカードとしてのみ図書館で利用する形にするしかないと思います。情報の流れを一方通行にする。図書館側からは一切CCCに情報を渡さない事ですね。
ではポイントの付加はどうするのか、と言う事になりますが、これはあきらめるか、さもなくば独立したシステムでポイントを加えるしかないでしょう。これでも「このIDは図書館を利用した」という情報は発生することになります。これも解釈によっては個人情報ですが、独立したシステムにすることによって、情報を渡したくないからポイントをつけない、と言う選択肢も可能にするべきです。当然Tカード以外のカードでも利用可能になっていないといけません。
こうなると「図書カードとTカードを別々に持つ必要がない」程度しかメリットが残りませんが仕方が無いでしょう。
最後に。セキュリティ論じゃないところに踏み込むと…正直CCCが戦略を誤ったとしか思えませんね。Tカードの話なんか出さなけりゃ良かったんですよ。あとポイントも。分かり易いメリットのつもりで市長に売り込んで、市長がそれを大々的に宣伝してこうなったのです。本を買わずにレンタルで済ます層の情報に商売としてのうまみがそれほどあるとは思えませんし。CCCグループはTSUTAYAを始めとした幅広い販売チャンネルから得られるPOS情報に、自前の取次MPD、流用出来るノウハウなども多数持っているんだからそっちで責めれば良かった。その上で競争入札に入れば良かったんですよ。
確かに「Tカードを全面に出さなければならなかったと言う事は、その他のメリットがなかったためでは?」と言う話はありますけど、それならば他の既存の業者を選んだ方が市のためになるわけですから今より悪い事にはならないはずです。
「例え石原都知事への以前からの反対者でも、石原都知事の発言については全ての都民はその責任を甘受する必要がある」という点には同意。
反対してようがなんだろうが、当選を阻止できなければ、その時点でその代表者はその地区の住民全ての代表者。
感情的には理不尽に感じるかもしれないが、それが代議制民主主義の原則。「俺が投票しなかった市長/議員の作った条令なんだから、
従わなくていいよな?」という理屈が通用しないのと、原則論としては同じ。責任はあるのだ。
ただしそれとは別に「原発の恩恵を受けている以上原発に反対する資格はない」という理屈も間違っている。
「間違った行動をとった責任者が自分の行動を反省する資格はないのか?」という事と同じ話だ。
原発の恩恵を受けていようとも「原発を作ってしまって(作ることを阻止できなくて)すいませんでした。もう(今度こそ)やめましょうよ」
と言う資格はもちろんある。
「俺は原発が駄目だと言ってただろ?」を免罪符にして、責任の自覚無しに批判するのは、あまりに無責任というだけで、少なくとも
日本国民であれば、全員が反対論を(もちろん賛成論も)ぶつ資格はあるのだ。
まあ「資格」はあっても「責任者が反省も無しに表明している反対論」には説得力が無い、というのも確かだが、政治的決定において「責任」と
kamayan
webであまり語られない事実として、山本夜羽音さん周辺は3月以前からずーっと継続的にロビー活動してました。山本さんが怒った(叱った)相手は、12月の13日頃から都議会並びに都条例に関わろうとしました。だから山本さんが怒り叱るのは当然。イデオロギー問題じゃなくて、信義と対議会戦法の問題。
rawan60
kamayanさん
都条例に反対する立場の市民が、いつ、どのような形でかかわろうとするかは大前提として自由。自分たちとは違う団体だから共闘できないとする表明もまた自由。そのような前提を無視して邪魔者扱いして排除するという異様な行為があればイデオロギーや人格さえも問われることになる。彼らのいう戦法に従わなくてはならないという意識が条例反対者全体に共有されていたのでしょうか?それがないなら「信義」などというのは後出しジャンケン。戦法の上手いヘタは、それこそ別の問題でしょう。
kamayan
いやいや、この活動に現場で関っている人間の数は実際のところすごく限られているのだから、その現場にもし関りたいのなら、先達の邪魔をしないようにしろ、というのは当然だと思いますが。
七誌
>昼間のような歴史修正主義者や山本のようなご都合主義者についてはしっかりと批判し
緊急ネットワークの根来氏と昼間・山本両者の間で和解がなされようとしているこのタイミングで、こうした批判を上げる意図が分かりません。レッテルを貼って協調の機会を壊そうというのですか?残念ながら一連の行為は利敵目的の分断活動でしかありませんよ。
>都条例に反対する立場の市民が、いつ、どのような形でかかわろうとするかは大前提として自由。
自由ではありません。議会や議員という相手がいるのだから、彼らに迷惑がかからない様に注意を払うのは社会常識として当然の話です。そもそも相手に迷惑をかけて心象を悪くしておいて、自分の主張を聞いてもらえますか?そんな訳ありません。
blog主さんは残念ながら傍若無人と自由を履き違えを起こしています。今までもその様な履き違えた者達のために、最前線で頑張っていた市民や議員の足を引っ張る、いわば「味方を背中から撃つ」行為がたびたび行われていた事実をまずは直視すべきでしょう。「味方を背中から撃つ」行為は誰からも批判を受けます。今回、緊急ネットワークがそれをやってしまったため、批判された。ただそれだけの事です。しかし現在彼らもそれを反省し、今後に生かそうとしています。今回のエントリはそんな緊急ネットワークの背中を見事に撃ってますよ。blog主さんは石原慎太郎ではなく、味方を撃つのがそんなにお好きなのでしょうか?
rawan60
>その現場にもし関りたいのなら、先達の邪魔をしないようにしろ、
それだけですか?違うでしょう。
七誌さん
>議会や議員という相手がいるのだから、彼らに迷惑がかからない様に注意を払うのは社会常識として当然の話です。
議会や議員に迷惑をかけたのでしょうか?クレームがあったのでしょうか?あったとして、それを昼間氏に責任を問えと向けられたのでしょうか?ぜひお聞かせ願いたいですが。
七誌
参加した同行者(J_A_Peazerさん)から苦情が出ている事実をまずは重く見るべきです。
@qianbianwanhua 突然失礼します。「女性表現者の会」は残念ながらマナーを守らない人たちの集まりで、とても評価できるものではありません。
自分はそれに巻き込まれて、ひどい目に会いました。http://bit.ly/etXzD3
http://twitter.com/J_A_Peazer/status/15461354123038720
J_A_PeazerさんのTLまとめ
都条例問題 「東京都青少年健全育成条例改正案に反対する緊急ネットワーク」に同行した人、目撃した人からの苦言・問題提起。
「率直に言いますが、(緊急ネットワークの)行動はかなり問題のあるものでした」
rawan60
七誌さん
いいたいことが良く分かりませんね。
あなたは、私が「都条例に反対する立場の市民が、いつ、どのような形でかかわろうとするかは大前提として自由」という原則論に対して「自由ではない」といい、「議会や議員という相手がいるのだから、彼らに迷惑がかからない様に注意を払うのは社会常識として当然」といったのですよ。だから議員からのクレームがあったのか、またその責任を理不尽にも昼間氏が負わされたのかと聞いたのですよ。
例示されているのは、「緊急ネットワーク」内部の話でしょう。そこでどのような批判や反省がなされるかは、エントリーの論旨とは直接関係ないですね。
七誌
参加者当人からのクレームは無視ですか?現に「迷惑を受けた」と公言しているというのに。
また都議会民主党からはアポ無し面会が拒否され、その際受付にて押し問答を行った事も明記されていますが?これも立派な迷惑行為ですよ。
結局、貴方の主張は「都条例に反対する立場の市民が、いつ、どのような形でかかわろうとするかは大前提として自由」と掲げておきながら、批判やクレームは特定のものしか受け付けないというダブルスタンダードというわけです。「自由な行動」を標榜しておきながら、「自由な批判・クレーム」は認めないとはとんだお笑いです。自由と傍若無人を履き違えている事が良く分かりますね。
>例示されているのは、「緊急ネットワーク」内部の話でしょう。そこでどのような批判や反省がなされるかは、エントリーの論旨とは直接関係ないですね。
おやおや、緊急ネットワークと昼間・山本両氏の問題をネタにしておきながら、両者が和解すると見るや「関係ない」ですか。いやはや、ここまで来るとご都合主義も甚だしいですね。緊急ネットワークと関係が無いなら、このエントリ自体存在価値が無いじゃないですか(笑)
まあ、ついに貴方は自白してしまいましたが、結局ただの部外者が当事者間で決着のついた問題を掘り起こして、愉快犯的に騒ぎたいというのが本来の狙いだったようですね。呆れたものです。
rawan60
>参加者当人からのクレームは無視ですか?現に「迷惑を受けた」と公言しているというのに。
だから、そんな事実があるなら「緊急ネットワーク」内部で話し合って自己批判するなりしろといっているの。わからないの?
>その際受付にて押し問答を行った事も明記されていますが?これも立派な迷惑行為ですよ。
はあ……そうですか。あなたの脳内じゃ機動隊と衝突なんてのは空想の世界らしい(笑
わたしゃ、昼間氏や山本氏に無関係で理不尽な抗議が議員側からあった(だから彼らは名刺をさらしたりの行為に及んだのか)のかと聞いているのに何も答えない。
残念、そんな趣味はありません。
not
>七誌さん
確かに受付で押し問答が起きてますね。rawan60さんはちゃんとソースを読むべきです。
しかし、いざ民主党議員の方々の控え室についてみると、何かおかしい。秘書の方が、『前もってご連絡いただかないと……』などといっている。なんと、アポ無しだったのです。それなのに『こうして都民が来ているんだから……』と会って当然というような主張を繰り返します。#hijitsuzai
http://twitter.com/J_A_Peazer/status/14356814204248065
rawan60
notさん
読んでいますよ。その他の部分も含めて。
あなたこそエントリーと、一つ上のコメントをちゃんと読んでくださいよ。
not
そもそも「機動隊と衝突」などという常識外れの妄言を主張している段階で信用性ゼロです。
極論を振り回して自己正当化するのも正直みっともないですし、ますます信用されなくなるので、もう止めた方がよいでしょう。
やねごん
七誌さん
呼びかけ人のひとりとして、個人的な見解をのべます。もちろん、緊急ネットワークの「代弁」でもありません。
声明をちゃんと読んでもらえれば、おっしゃってることはすべて、声明文のなかですでに先取りして批判している論点だとわかるはずですが、簡潔におへんじします。
『緊急ネットワークの根来氏と昼間・山本両者の間で和解がなされようとしているこのタイミングで、こうした批判を上げる意図が分かりません。レッテルを貼って協調の機会を壊そうというのですか?残念ながら一連の行為は利敵目的の分断活動でしかありませんよ。』
「利敵目的の分断活動」うんぬんとおっしゃいますが、だれを「敵」とし、あるいは「味方」にえらぶかは、緊急ネットワークが主体的にえらぶことであって、あなた(たち)やわたしが決めることではありません。運動体や個人は、それぞれが複合的な目的意識をもって活動しているものであって、かりに「今回の条例改定反対」という目的が一致したとしても、それは複合的な目的のなかの「ひとつ」をある観点から切り取ったときに「一致している」ということにすぎません。したがって、「どこで敵対線を引き、だれ(どの団体)と協調するか?」をめぐっては、各団体・各個人において、さまざまに選択がありうるし、その選択は当の団体・個人が主体的に判断することがらです。
「緊急ネットワークの根来氏と昼間・山本両者の間で和解がなされようとしているこのタイミングで」というのは、あ・な・た・の・願望にすぎないでしょ? 「和解」は当事者団体(あるいは個人)間で双方の合意によって成立することです。「和解」と「協調」が必要であり可能であると判断すれば、わたしなんかが何を言おうと、緊急ネットワークは「和解」「協調」をえらぶだろうし、そうでなければ「協調しない」(あるいは「敵対する」)という選択肢もありうる。その選択肢をえらんだからといって、あなたから「利敵」行為だと責められる筋合いはありません。
たまたま目標の「ひとつ」が一致しているからといって、あたかも他者がじふんと「協調」すべき「仲間」であるかのように思いこんでしまうこと。この思いこみから、自己の期待にそわない行為を他者がとったとたん逆ギレして難癖をつけるという、ストーカーの典型的な行動パターンまでは、一直線です。気をつけましょう。
以上で id:kamayan さんへのおへんじとしても十分とおもいます。
kamayan さんは、「イデオロギー問題じゃなくて、信義と対議会戦法の問題」とおっしゃいますが、以上のべた理由で、これはあなたの願望の投影された「理解」にすぎないとおもいます。なにを「イデオロギー」と評価するかは、各個人・団体によって多様にありうるし、「信義」なるものが「先達」(と勝手に自己規定する者)から一方的におしつけられるならば、それは「信義」とよぶにあたいしません。
やねごん
id:rawan60 さん。
rawan60
やねごんさん
少なくとも「聞いている問いには何も答えず、自分の「運動の概念」以外は常識はずれにしてしまい、人を根拠無く嘘つき呼ばわりする人たちがいる」
ということは良く分かりました。
not
>やねごんさん
> 「緊急ネットワークの根来氏と昼間・山本両者の間で和解がなされようとしているこのタイミングで」というのは、あ・な・た・の・願望にすぎないでしょ?
現実を直視せずに妄想に走っているようでは誰からも信用されませんよ。
@mangaronsoh 昼間さん、根来です。(略) 情報が錯綜し、亀裂を生んでいると思うので、よかったら会いませんか?DM送りますね。もし、今気持ち的に無理でしたらおちついてからでも大丈夫です。連絡先送ります。
メール頂きました。面談は問題ございません。子細は別途、ご連絡しますね
@johanne_DOXA こちらこそパニックになっていたようで周りへの配慮を欠いたことなどをお話できればと思います。急ぎませんので御仕事の差し支えない時でどうぞ宜しくお願いします
委細了解しました。知らぬ仲でもなし、対話していただけることは感謝しています。
やねごん
not さん。
ええ、引用されたやりとりは承知してますよ。承知のうえで、あのように書きました。
まず、そのやりとりのあった《文脈》をふまえることが大事です。
また、七誌さんが書かれた「和解がなされようとしているこのタイミングで」というのは、わたしたちが声明を発表した12月23日の時点をさします。引用されたやりとりからこの間の《経過》もあります。
これ以上の説明はしませんが、not さんには、《文脈》およびその後の《経過》をふまえて冷静に事態をみなおすよう、おすすめします。こうした《文脈》《経過》から恣意的に切り離されて引用された「ソース」なるものが、あなたが「直視」せよとおっしゃる「現実」そのものであるわけではありませんので。
やねごん
本声明の評価と直接関係のないコメントでしたので、Dachikan さんの書きこみ(2010/12/25 22:20)を削除しました。
以後、当面、このコメント欄は、承認制にします。つまり、書きこんでいただいたコメントは、あらかじめわたしが検閲し、承認したもののみが掲載されるということです。
最近何かと話題のTPPだが、先日昼飯一緒になった農水省キャリア官僚が、
隠れた問題点を指摘していた。
もしこのまま調整なしにいきなりTPPを導入すると、
高関税によって保護されている沖縄サトウキビは一気に壊滅するらしい。
サトウキビは、他農産物からすれば「ありえないくらいの高関税」が課されているが、
それが身ぐるみ剥がされてしまう。
で、「サトウキビが超高関税であること」は、実はあまりマスコミでは宣伝されていない。
自由貿易論者も、経済産業省も、財務省も、そして自由貿易の旗手のアメリカも、
誰も問題視してこなかった。
それは、サトウキビへの高関税が、「沖縄への米軍基地負担の代償、最大の経済対策」として
各界が「容認」してきたから、ということ。
保守の「知恵」として、「サトウキビが高くなるリスクより、在沖米軍撤退リスクの方が
はるかに大きい」として、その部分は問題視してこなかった「大人の対応」をしてきたらしい。
それはつまり、通じりゃ何でもいいんだよ! ってことだろう。
確かに、そういう人はいる。だけどそれは、かなりみっともないことだよ。
あるよ。でも、みっともないと思ってないし、笑うなら笑う奴が悪いというだけの話。
俺は別にハリウッド映画に出ようというわけじゃない。言語や文化に依存しない科学技術を語ろうとしているんだ。その場で使われる言語が「英語」であるというのは単なる英語話者の既得権にすぎない。それ自体が本来は不公平なことなのは明らかだろう。原則論を言うならば、他人に英語を話すことを要求するならば、奴らは質の高い英語教師を自腹で派遣してさらに報奨金を払うぐらいのことはすべきだ、ぐらいのことは言えるんだぜ。
だからこそ、ちょっともののわかった人間なら、他人の英語を馬鹿にすることなんてしない。
当たり前だろうそれは。もし、中国人や韓国人がやってる中華料理店や焼肉屋に行って、店の人間のカタコト日本語を馬鹿にする日本人がいたら、そんな奴は軽蔑されるだけだ。料理店は飯がうまけりゃいいんだよ。それに対してこちらは金を払う。それ以上のことはおまけに過ぎない。
商売という「郷に入れば郷に従え」的な状況でもそうだ。まして学問の世界には「郷」はないんだよ。
よほどの天才か、よほどのお人好しか、どちらかでないか言えないと思う。
そりゃあんたの言ってる英語は「英米豪あたりの現地語としての英語」だからだろう。俺が言ってるのは「大人の事情で世界語の代用扱いされてしまっている英語」なんだから要求されるレベルが全然違う。
論文と公文書を一緒にする神経が理解できない。公文書というのは揚げ足を取る/取られないために書く文書だが、論文は本質的なところがわかれば細かいところはどうでもいいという文書だ。
むしろ公文書なら国際教養大だろうがどこの出身だろうが日本人には余程のことがない限り書かせたくないよ。まあ俺の書く公文書なんて特許ぐらいだが、日本人が訳したとおぼしきひどい翻訳が回ってきて往生することがあるんだよ。まあ、大抵の場合は英語の問題というよりも内容を誤解されているという問題だがね。いずれにせよ、本当のことを言えば日本語がわかる英語ネイティブに多少の金を払ってでも書かせた方がいい。その方が、後で校正する手間が省けて、結局は総額でのコストは減るはずだからね。
まあ、公文書であっても、日常会話や文学作品に比べれば圧倒的に簡単で、本質的には論文と五十歩百歩の世界なのは確かだけどね。所詮、論文やら公文書やらの言語は、用途が限定された「人工言語」みたいなものだと思った方がいいよ。日本語でもそうだろ。「ゆえに」だとか「~は、これを~する」とか、日常生活で絶対使わんだろ。
ところで、用途が限定された人工言語といえばプログラミング言語がその最たるものだ。あれって英語をベースにできているものが多いわけだが、まさか「英語ができない奴がプログラムコードを書くなんて神経は俺には理解できない」とか言わないよね?
なんだか話がずれちゃったけど、英語を学ぶ、ということも、高度な「専門知識」を要するのです。
完全を期すなら、片手間にはとてもできないことだ。
だから、それを専門にする学校があってもいいじゃないの、と俺はいいたいんだけど、
いや、別にそーでもない。
いやまあそれは原則論としてそうなんだけど英文学とかだと分野が分野だけに、と思ったが。
まあでもよく考えてみればサイデンステッカーは(現代)日本語がろくに話せなかったらしいし、そんなもんかもしれんね。
いや、それは理系を買いかぶりすぎじゃないかと。単に自然科学の論理は人文科学なんかに比べて単純だからボロが出にくいだけだと思うよ。言ってみりゃ、英語が書けなければ他人の論文をつぎはぎすればそれで書けてしまう程度にしかパターンがないからね。