「例え石原都知事への以前からの反対者でも、石原都知事の発言については全ての都民はその責任を甘受する必要がある」という点には同意。
反対してようがなんだろうが、当選を阻止できなければ、その時点でその代表者はその地区の住民全ての代表者。
感情的には理不尽に感じるかもしれないが、それが代議制民主主義の原則。「俺が投票しなかった市長/議員の作った条令なんだから、
従わなくていいよな?」という理屈が通用しないのと、原則論としては同じ。責任はあるのだ。
ただしそれとは別に「原発の恩恵を受けている以上原発に反対する資格はない」という理屈も間違っている。
「間違った行動をとった責任者が自分の行動を反省する資格はないのか?」という事と同じ話だ。
原発の恩恵を受けていようとも「原発を作ってしまって(作ることを阻止できなくて)すいませんでした。もう(今度こそ)やめましょうよ」
と言う資格はもちろんある。
「俺は原発が駄目だと言ってただろ?」を免罪符にして、責任の自覚無しに批判するのは、あまりに無責任というだけで、少なくとも
日本国民であれば、全員が反対論を(もちろん賛成論も)ぶつ資格はあるのだ。
まあ「資格」はあっても「責任者が反省も無しに表明している反対論」には説得力が無い、というのも確かだが、政治的決定において「責任」と
文句を言いたきゃ言えばいいが、それは責任がないということにはならない、と言ってるんだよ。 原発いらないと主張したきゃ好きなだけすればいいが、そいつが東京にいる限り責任は...
「例え石原都知事への以前からの反対者でも、石原都知事の発言については全ての都民はその責任を甘受する必要がある」という点には同意。 反対してようがなんだろうが、当選を阻止...