はてなキーワード: てにをはとは
ホロEN一期生として、衝撃的なデビューを果たしたラッパー。キャラは死神。
カリオペがデビューした2020年当時は、今から振り返るとまだVTuberの創世記と言っていいんじゃないかと思います。
実際に服役してた個人勢の「懲役太郎」さんとかエッジの効いたVTuberはいたんですが所詮アングラで、「死神」というキャラ設定でデビューしたホロEN一期生が、デビュー配信でいきなりプロレベル(に聞こえた)のオリジナルラップ曲をリリースした衝撃はものすごく大きかった気がする。
ラップのリリックを含む作詞と、イラストも描ける多才な人。日本語もかなりうまくなった気がする。
ホロEN三期生「Advent」所属。キャラは「音の魔神」。ホロも期を重ねて、世界観がややコアになってきた気がする。
EN三期はデビュー後たったの2ヶ月でJP7期相当(7期ではない)の「ReGLOSS」がデビューしたこともあり、ホロには珍しいデビュー続きとなってしまい、その点でやや不遇感があるかも。
EN三期ともなると色々なホロメンの中でデビューしただけあり、ネリッサは一聴して歌がものすごく上手いと思います。
喋りは英語なのでちょっとしかわかりませんが、歌全振り系のおもしろお姉さんっぽいw
もう終わりだあこの国←中国地方弁で「あこ」は「あそこ」「あちら」の意
もう終わりだいこの国←🍢チビタか
もう終わりだうこの国←「ハマコーです!だう!秘書が増田しました」
もう終わりだかこの国←これ方言だか?
もう終わりだがこの国←で?
もう終わりだきこの国←泣く竜馬
もう終わりだくこの国←しゃびしゃび
もう終わりだけこの国←🍄
もう終わりだここの国←!
もう終わりださこの国←
もう終わりだしこの国←!その2
もう終わりだせこの国←なあおまえ、まだそんなことばかりゆうとんのでっか、ほなら、でてゆけー
もう終わりだぜこの国←左様か
もう終わりだそこの国←ひとをゆびささないの!
もう終わりだぞこの国←ほならね、
もう終わりだちこの国←
もう終わりだつこの国←
もう終わりだっこの国←おんぶしてまたあした~♪
もう終わりだてこの国←
もう終わりだとこの国←ΩΩΩ<な、なんだってー!?
もう終わりだなこの国←冷笑系
もう終わりだにこの国←
もう終わりだぬこの国← / く◎> く◎〉| ねこですよろしくおねがいします
もう終わりだのこの国←のヮの
もう終わりだひこの国←だれもしらないちいさなくに
もう終わりだふこの国←
もう終わりだへこの国←
もう終わりだべこの国←DABESA.
もう終わりだほこの国←
もう終わりだまこの国←
もう終わりだむこの国←下方婚わぁ、ありまぁす!
もう終わりだめこの国←そうか、あかんか。いっしょやで😉
もう終わりだもこの国←
もう終わりだやこの国←
もう終わりだゐこの国←🤘(👁👄👁)🤘ウィー
もう終わりだゆこの国←♨️入れよ 🦷磨けよ 🙂洗えよ 📝やれよ 🤧ひくなよ また来週~
もう終わりだゑこの国←
もう終わりだよこの国←「横田くんヨコちん☺️」
もう終わりだらこの国←だーらしぞーか民はじゃんだらりんなんてゆってないずら!
もう終わりだりこの国←いいかげんこれ考えるのだりー、てかまだ電車うごかねーのかよ😩
もう終わりだるこの国←
もう終わりだろこの国←そういっていた増田も あてがはずれてはじをかき ひとりさびしく しんでいくのでした
もう終わりだわこの国←あらどうしてですの
もう終わりだをこの国←
もう終わりだんこの国←グエー死んだ💩゛
高い文章力を持つweb小説を探している。ジャンルは問わないがファンタジー系だとうれしい。
「文章力がある」っていうのは「頭がいい」というのと同じようなもので、とくに明確な定義がないまま使われる表現だし、けっして正確な表現ではないが、言い換えれば描写が軽くない、改行が少なめで人物・風景・行動についてしっかりとした描写のある文が読みたい。純文学みたいな重厚な内容を求めているわけではないんだけど、文章の力で物語の世界に深く没入できるような重厚感のあるものを読んでみたい。
近年人気があるらしい、アニメ化した作品の原作を読んでみると、たいてい一行一行が短くて、パッパッとストーリーが進むので、なんというか、読んでいてリズムが合わないと感じる。これが令和の流行りなのか、と思う。
ことごとく雑だ、丁寧じゃない、文章自体がおもしろくない、と思う反面、なによりスピード感には優れているから、けっきょくトレードオフなんだろうな。
web小説にはweb小説の文体があるのだと思う。いやそれだけの話かもしれないが、そんな世界でも諦めずに自分に合う作品を読んでみたい。いや諦めたほうがいいのかな。
(追記)
たくさんのコメントご意見ありがとうございます。寄せられたタイトルには目を通したいと思う。(2/26 21:30 114作品あった。 )
「文章力」という言葉は使うべきではないと感じたけど、私の能力では具体的な表現ができなかったのでそう書いた。ごめんなさい。僅かに共感してくれる人もいて、それはうれしかった。
改行が気になる、てにをはが気になる、口語が気になる、薄さが気になる、様々な障壁を感じて、軽々しく安寧の地を求めてしまった。読み応えよりは読みやすいを求めている。文章で気になりたくない、と思う。
だったら「文が微妙なweb小説があまりにも多いので、気にならない小説を探している」と書くべきだったかもしれない。いやこれもダメかな。
コメントの一部。私は貧乏だけどお金がないわけじゃない。出版社社員でもない。あなたが書きなさいというコメントはうれしかった。でも書けない。
https://anond.hatelabo.jp/20240220182530
cinefuk
この人とか本当に読解力が無いってことを自覚したほうがいい。
悪口で言ってるんじゃなくて本当に無い。
まともな読解力のある人なら元増田の文ぐらいなら一目パッとでニュアンスを掴む。
あこれは文章力についての自説を開陳して「ボクすごい」と言うための文だなと。
暇空は自分語りのダシに使われてるだけ。最初と最後にしか出てこない。
どうせ文読めない奴だらけのはてなブックマークで何故殊更cinefukさんのコメントを問題にするかといえば、
はてブに多いタイプは「全体を読むのを放棄して部分の単語だけ拾って内容を想像してコメントする」って連中だから。
(これは冗談じゃなくて、こういう感じでコメントしてる奴が何割かいる。)
でもそういう奴ですら今回のcinefukさんみたいな読解ミスはしない。
cinefukさん本当にすごい。
「短い文でも通して読めずに部分読みする奴」ですら元増田の文読んで暇空ヨイショだとは思わない。
何故かと言うと元増田の文は部分で読んでも冒頭だけ読んでもあんまり暇空褒めてないから。
全体的に良くも悪くも平易な口語体で書かれており、自伝・エッセイの文章としては平凡というか平均レベル。
少なくとも「他人に読ませる」事を意識した文章ではあったので読んでいて文字で目が滑るとかげんなりする、等といった事は無かった。
開幕でこれだぜ?
これがあのXで暇空さん暇空さん言ってるちいかわみてえな心酔フレンズの感想に見えるのか?
この点は素直に感心した。
ここを見て「褒め称えてる」と受け取ったのか?
どう読んだって書き手は自分のことを暇空より大分上だと思ってるぜ?
この「素直に感心」はそういうアレだぜ?
よっぽど部分的に読んだって「筆者が褒め称えたいのは暇空ではなく自分」なのは伝わってくる文だから
脳メモリ激ヨワ型の部分読み文盲でもこの文の文意は間違い辛いわけ。
なのに「暇空賞賛文だ」と読み間違えるcinefukさんはマジでどこを読んでコメントしてるの?
全体も読んでねえ、部分も読んでねえ、でもタイトルしか読んでないわけでもねえ、
これはもう読解力が無いって言うより、「読む」って行為をどういう風に遂行してるのか隣で観察したいレベル。
cinefukさんの「読む」が尻でスマホの画面撫でる行為であっても驚かねえよ。
iinalabkojocho
「読ませる文章」について手を変え品を変え表現し、さらに書き手と読み手を貶めたりしておられる。
なんか元増田をうまく罵倒しようとしてるけどまず日本語がおかしい。
「そう言う方が読ませる文章に書いておられるのは」
まさに元増田が論外扱いしている「てにをはすら破綻する奴」になってるので俺もこれは論外だと思う。
こういうのも自分がマジで国語の成績低い系だってことを受け止めて欲しい。
この出来は悪口抜きにどうかと思う。
おられるおられるだの高度な諧謔だのたぶん使い慣れてもいない言い回しをやってるけど
そういうこと頑張る前にてにをは頑張れ〇〇〇って言いたくなるじゃん。
加点出来るポイントがない。
なんで上位コメなんだこれ。
agricola
本人が書いて直接出しておると思われるアレコレを読む限りひょん尊師の文章力は甚だ疑わしいのだから、
この人は当て擦りの為の文章で(呆とか(嘲笑とか書くんだよな。
俺は呆れてるぞとか嘲ってるぞとか、それは文中で表現しなきゃダメだろ。
そこで(呆とか(嘲笑とか常態的に書くならお前には日本語要らないってことだろ。
そんなら最初から無駄なこと書かんと「呆!」とか「我嘲笑!」とか漢文で済ませてりゃ同内容で省エネになるし
もうちょっといろどりが欲しければ絵文字やスタンプで会話してろと言う話になる。
(トー横とかに転がってる学校あんま行ってない子はそれに近い方法でテキストやりとりしている)
文章力に強いコンプレックスあって補助輪的にやってることならつつくのも可哀想だなと思ってたが
この話題に堂々参戦してるってことはお前はあの間抜けそのものの表現スタイルに引け目はないってことなのか?
文末にいちいち漢字で意図を補う作文法、俺はこの人と淫夢厨以外で見た事が無い。
淫夢厨はバカっぽさの表現のためにわざとああやって書いている。
それでまた元増田も酷い。
暇空アンチは暇空の語彙や言い回しが幼稚だとかそういうことについてバカにしてるのか?
別に界隈をウォッチしてるわけでもないがあまりそうは思えない。
要するに元増田は自分の言いたいことに暇空を無理矢理溶接して読みにくい文になっている。
だから暇空を全部取ろう。(全部取っても文意も元増田が表現したかったことも全く損なわれないから笑えるぞ)
所謂「文章力」「読ませる文章」というものは決して難しい単語や専門用語、小難しい言い回しや難解なレトリックを使えば良いというものでは無い。
簡素な事柄を専門用語やレトリックを駆使して400字~800字長の文章にする事は可能ではあるが、それは「読ませる文章」では無い。
そのうえでひでー文章だ。
大したこと言ってないのに異様に読みにくい。
要らん飾り削ろう。
「文章は言いたいことが伝わればそれでよい、 難しい単語や書き方を使う必要はない。」
使いこなせない言い回しや要らんリフレインで独りよがりしてるのはお前じゃねーか。
iinalabkojochoとなんも変わらん。というかもっと酷い。
お前や!
お前や!
お前が!?
「読みにくい文の特徴」が全部当人に当てはまってて釣りを疑うレベルだが
自己評価が実態から離陸してるところと言い無駄に文を膨らませて得意がるところと言い三沢文也さんに似ている。
ただフェアネスの為に言うと、仕事の文章とそれ以外の文章は結構違う。
元増田が仕事の決まったパターンの中ではきちっとした文章書けてる可能性はないことない。
それで「俺は文章力ある」という自負を育てたのかもしれない。
だが仕事のパターンから離れて自由なスタイルで書くのは別の能力だから、殆どの人はこんな風にレベル1になる。
元増田は自己顕示欲や自己評価や自分語り欲が少しわんぱくなだけで
文章力自体は普通の人より劣ってるほどではないし、平均よりちょい上ぐらいはあるかもしれない。
張り切って書いたからひでー文になったのであって、要するに仕事以外で書き慣れてない。
「はい自由に作文してネットで読まれる文章書いてくださーい」ってやったら
なんでかというと暇空はなんだかんだ大量に書いてるから。
それに比べて元増田は書き慣れてないのがアリアリとわかるし、殆どのブクマカもたぶん変わらない。
暇空は気に入らないネットフェミニストの人物鑑定みたいなのも大量に書いてた。
あれだってそんなに簡単じゃない。読みやすく人を馬鹿にするのは簡単じゃない。
どっちも当人の深いとこから出た動機や表現したいことがあって、
俺はあの意欲や文量だけでどれぐらい頑張ったかわかる。
それは才能だと思う。
そういう経験がない人はその時点で暇空と対等に口きく水準じゃないし、
実際に作文コンクールしても勝てない。
どんなくっだらねー文でも誹謗中傷でも
暇空と同じぐらいは書いた奴が勝負になる。
またcinefukさんがなんて言い出すかわからないからまとめを書くと、
暇空の文章力は高い!素晴らしい!つってるんじゃなくて
おめーら暇空下に見るほどの能力ないだろって話をしている。
文章力なんてことに意見言うほどの自信がはてなーのどこから湧いてるのか見当つかん。
「暇空のネトゲ戦記あとがきの文がヤバい」という増田もあったが
あれは文章力どうこうより何か精神的にキマった状態の文章だと思う。
義務教育で身に着くのは学校で出るパターンの文の読み書きだけで、
あまりに狭いのでそのままだと何も読めない何も書けない。
パターンから離れたものを自主的に読む習慣が無い人間は読む能力ないし、
パターンから離れたものを自主的に書く趣味が無い人間は書く能力ない。
フラゲした。
内容について書くとキモいのが寄って来そうなので、以下は文章力についてのみの感想と個人的な雑感。
全体的に良くも悪くも平易な口語体で書かれており、自伝・エッセイの文章としては平凡というか平均レベル。
少なくとも「他人に読ませる」事を意識した文章ではあったので、読んでいて文字で目が滑るとかげんなりする、等といった事は無かった。
素人エッセイだと、数ページ読んだだけで頭痛くなる悪文な本も珍しくは無いので、この点は素直に感心した。
さて、著者の文章力について何かと批判するアンチ側の人間は少なく無いが、所謂「文章力」「読ませる文章」というものは
決して難しい単語や専門用語、小難しい言い回しや難解なレトリックを使えば良いというものでは無い。
簡素な事柄を専門用語やレトリックを駆使して400字~800字長の文章にする事は可能ではあるが、それは「読ませる文章」では無い。
記述者の言いたい事を相手に伝える事が出来れば良いだけで、洒落た私小説やラノベじゃあるまいし、細部に拘っても意味が無い。
やたら難しい言い回しをした長い「だけ」の文章は、増田や仕事でもたまーに見かける。
ネット小説だと割と見かけるのでげんなりする。
下手に単語や言い回しだけを覚えた、自称文章力が高い人間が陥りがちな罠。
新人や若手がそういった文章をお客さんの前に出したり、プレゼンで使おうとしては、注意して改善して貰っている。
優秀な人間だと大学等で文章添削されて鍛えられているのか、こちらが一々教え無くても「読ませる文章」を書いてくれる。
いわゆる文章力が低い文章というのは、なにも「てにをは」が破綻している・時系列や起承転結が滅茶苦茶などの乱文だけでは無い。
基本的に「他者に読ませる」という事をまるで意識していない文章は、いわゆる文章力が低い文章にあたる。
自分の言いたい事をバーッと垂れ流しているだけの文章は、読んでいる方としては興味がある題材でも無い限り、文字通り「目が滑る」。
専門用語や小難し言い回しを多用した、難解な「だけ」の文章、只管悪意を羅列したネット荒らしの書き込み等が
目が滑って読む気がしないのは、「文章力」の低さを理論的で無くとも感覚的に理解するからである。
恐らく仕事先でも「こいつの文章読みづらいな…言いたい事は何なの?」などと思われており、
そういった人間に限って「文章を読む」力も無いので、他者の文章に的外れなケチをつける「ウザくてキモい人」になっている事だろう。
そういった意味でも「ネトゲ戦記」は、少なくとも人に「読ませる文章」というのを意識していた、と読んで感じた。
家族が読みたがっているので、一通り回し読みした後はメル◯リに回すとするかな。
※基本的に買った紙の本はよっぽどの名著で無い限り、読了した後はメル◯リかブ◯クオフに売っています
<追記>
と最近思う。
本当の意味で文章が上手いというのは、論理構成がしっかりしているとかてにをはが正しいとかそういう細かくて基本的な事を前提として、更に文に情を含ませられる事だと私は思っている。
ただ単に上手い/分かりやすい文章は無味であって、そこに書き手の意思や情が乗るから味が出る。書き手の思いがある文章は人の心を動かす。文章の上手さはある種危険な技術でもある。人を騙せるし、騙した人を何かしらの行動や思想へ駆り立てるだけのパワーがある。
そういう意味で言うと、頭が良くて文章が上手い人は無敵だ。頭が良いというだけで隙が少ないのに、加えて文章も上手い。
頭が良くて文章が上手い人は、たとえると、情熱/思いという林檎のコンポートを、ロジックという厳重なパイ生地に包み込むことができる人だ。サクサク生地にナイフを忍ばせ、中からとろりとしたリンゴが出てきたら、それだけでうっとりするだろう。
でもそのリンゴが実は腐っていたら、果たして気づけるだろうか。少し鼻を効かせれば、或いは実際に食べてみれば分かることなのだが、ただその如何にも美味しそうなリンゴやパイを見て、うっとりして終わってしまう、そして「このアップルパイは素敵だ」とシェアする、そんな事が起こっているのではないかという気がする。
私がこの事を感じたのは、東畑◯人さんと藤原◯史さんの本を読んだことから来ている。二人ともすごく文章が上手いのだが、どちらもリンゴが傷んでいる。
チャニゴシってなんだ?
…ああ、「茶濁し」か。
口語なのだから細かいところにケチをつけるべきではないかもしれない。
最近とみに思うのだが世間で見られる日本語がいつからかおかしくなってきているのではないだろうか。
中でも表現の過剰な省略化と助詞(てにをは)の欠落の二点が目立つように感じる。
自由に変化してこそ言葉だ。だからこそ言葉は面白い。それはその通りである。
現代風の柔軟な日本語に問題があるというより、現代の話し手の話し方や言葉選びに日本語をしっかり使おうという意識がなかなか感じられないのが問題に感じる。
言葉を軽んじているようにも見える。
言葉の使い方、言葉の力、それによって起こる影響について慎重に考えている人がきわめてすくない。
そんな思考のままでいるからSNSにおける誹謗中傷・人間トラブルといったものが止まないのではないか?(というのはいささか暴論であるが)
正直言って俺も胡散臭いと思っているし、信用もしていない。
理由は簡単。マナー講師の奨めるマナーというものが一般的ではないように感じるため。
マナー講師が独自のマナーを作ってそれを流布しようとしている。
だが少し待ってほしい。
恣意的なものというのは果たしてマナー講師のマナーだけだろうか?
本題に入ろう。
掻い摘んでいえば助詞の使い方についてであり、文法規則のことだ。
例えば、次のような文章があるとしよう。
一般的に正しいのは1。
では2はどうだろうか?
違和感を覚える?そうだろうね。
でも、2が間違っているわけではない。
それはただ読み難いというだけに過ぎない。
そもそも我々が「は」を「が」と同様にしない理由はあるのだろうか。
はっきり言おう。
そんなものはない。
ええ、その通り。だからこそ世の中のルールというのはおおよそが恣意的である。
にもかかわらず、恣意性であることに気づいていない人が大半なのは悲しいことだ。
しかしこれは悪いことではない。寧ろ必要なことであり通念がなければ社会は成立しない。
だからこそ必然性のない恣意性を我々は教育として受け入れ、それを是として正しいと認識する。
緩やかな洗脳。必要悪。それは洗脳と呼べばそうであろうし、常識と呼べば好まれる。
だからこそマナー講師を糾弾するというのは同時に、自分の洗脳に対する嫌悪でもあるはずなのだ。
世はSNS全盛期。
人々は情報に踊らされ、偏った情報に洗脳されている人々を笑う。
洗脳されている奴らを洗脳されていることに気づいていない奴らが笑う。
拙い文章ながらブクマやコメントをいただきありがとうございます。
そしてコメントにおいて何点か気になるものがあったため追記しました。
君は自分が思ってるほど頭良くないし作文も上手くない。もってまわった言い回しを全部切って文量を半分にすると頭良くなるし作文も上手くなる。騙されたと思ってやってみな。
まず、これは頭が「良い」や「悪い」の話ではありません。
そのため本文の内容を理解できたのであれば感想として「頭が良い」「頭が悪い」といったものは出てきません。
何故なら本文が示す意味は準拠するものを問うからであり、意味を理解したなら「そもそも頭が良いとは何か?」といった感想になるはずです。
つまり「分かりやすい文章を書けた方が”頭が良い”のならば、その分かりやすさはどの程度の知能を基準とするのか?」という問題です。
本題と言いつつ本題ではない部分だけど、文法的に通じることと同じ意味として通じることを混同している。愛の告白をする時に「僕は君は好きだ」なんて言ったら十中八九「じゃあ誰が嫌いなの?」って返されるよ。
その上で「じゃあ、どうしてそれを”混同”と呼び、差異を認めるのか?」といった話です。
ただ例として出した文章が分かり難いといったことは否めず、それは完全にこちら側のミスと言えるでしょう。
すみません…。
問題は、それら「が」と「は」が同じではないとして、では何故同じではないのか?という話です。
本文を書くきっかけは、部下と言語についての話をしたことでした。
私は言語学や記号論を学んでおり、当時はそれらが時代の潮流に乗り、栄えた時代でもありました。
そこで私がジェラール・ジュネットやマリー=ロール・ライアンを持ち出して話をしたところ、ポカンとした表情を見せられ、
じゃあロラン・バルトについてはどう思うのかと聞きました。
すると彼は「それってガンダムのキャラクターですか?」と笑って尋ね、私は愕然とし、構造主義としての思想はもはや廃れてしまったのか?
こんにちは。採用もやる管理部門おじさんです。マジレス希望だと思ったのでマジレスいたします。
年齢:35歳(女)
結婚願望:皆無
実家:細い
両親:今は元気
30代以下の女性を雇う場合、雇ったと思ったらいきなり結婚・出産でいなくなる、が一番困るパターンですが、結婚・出産予定なんてこちらからは聞けないことなので、それとなく独り身であることはアピールする必要があります。
ちなみに結婚願望皆無なのは何故ですか。元々一人が好きとか人生のこれまででガチで結婚願望無かったとかですか。それとも人としての魅力に乏しく彼氏(候補)もいないので諦めているということですか。後者の場合、人柄の良さというのを面接でアピールするのは難しいと思われるのですが、大丈夫ですか。
辞めたい理由
②残業代未払い:80時間残業のうち支払われているのは40時間程度。
③2年おきの配置換え:最初の半年は必死にローカルルールに適応、次の1年で担当業務大体把握、残り半年で状況まとめ切れずグダグダの引き継ぎ。これを全員が繰り返すので色んな仕事がグダグダ。
④専門能力の身につかなさ:事務手続きと現状の把握で精一杯で専門的に掘り下げる時間がない。困ったらいつも民間企業に丸投げ。
民間転職で高確率で改善されますが、そもそもまともな民間に転職できるかどうか……。
⑤仕事の効率の悪さ:ハンコ主義。低スペックPC。FAX現役。電話現役。メール文化なし。チャット文化なし。前例踏襲に拘るくせに部署ごとにコロコロ変わる書式。てにをはや固有の表現への固執。トップダウン故のちゃぶ台返しの多さ。
会社の規模と経営者の意識によります。非上場オーナー系企業だとかなり大きくてもビックリするくらいクソなことがあるので、転職口コミの精査が必要になります。
⑥トップの無責任さ:2年以内に「俺が育てた」することしか考えておらず、「後は野となれ山となれ」が無限に累積。いなくなったあとの責任取る気ゼロの気まぐれ管理で現場はグチャグチャ。
辞めるべきか悩む理由
後述しますがあなたは公務員を全うする方が少なくとも収入的にはマシだと思われます。
②現状の市場価値の低さ:公務員スキルは民間ではあまり使い道がないので最初の転職先で今後の市場価値が決まる。そこで失敗した場合は転職難民になりかねない。
あなたの市場価値を高められるような企業に転職できる可能性は正直あまり高くないです。
③転職後に官と関わりたくない:公務員的な文化が嫌で仕方がないので転職後に官公庁系の仕事がしたくない。でもそうなると益々市場価値が下がる。
そんな拘りは犬に食わせましょう。また外から接する限りにおいて官公庁はだいたい丁寧なのでそこまで嫌な思いをすることはあんまないです。
④完全なスキルリセットへの恐怖:職場環境の劣悪さもあり汎用スキルが育っていない。その状況で「公的業務」のスキルを完全に捨てるのでかなり下のスキル値からの再スタートになる。
35歳で汎用スキル(って何を想定しているのかよくわかりませんが……)が年相応でない人はそもそもまともな転職が難しいです。
⑤募集要項への不信感:いわゆるレモン市場問題。転職先が今よりマシかどうかを総合的に測る手段がない。転職エージェントが正確に情報を把握しているのかも分からないし、会社が正直に言うかも不明。
転職エージェントを使う程度に採用に金をかける気のある企業なら、雇った後に「聞いてたんと違う」で辞められるのを避けるために可能な限り正直に伝えますよ。もちろん、表に出ない情報と言うのはどうしてもありますが……。
⑥ビジョンの無さ:転職後の明確なビジョンがない。「ネットの噂なんて無視して興味のあるIT系に行けばよかった」という漠然とした後悔はあるが、興味があるだけでそこまで勉強しているわけではない。基本情報技術者(所内システム担当者の枠を狙って取ったけど一度もなれんかった)は持ってるけど、これで35歳未経験IT業界は無理やろってのはなんとなく分かる。
あなたの最大の問題はこれです。どういう仕事をやりたい・やれると思っているのでしょうか。事務職ですか? 事務職といってもCADオペなのか経理系なのか庶務なのか営業事務とかありますよ。それとも営業とか販売スタッフでもいいのですか? 3K仕事でも可能ですか?
⑦資格等がない:現在の業務関係の資格はあるけどレベルがかなり低い。IT業界で言えばいいとこ応用情報技術者試験程度。というかそもそもこの業界あんま好きじゃないことが分かってきたので転職後にまたこの仕事やるのもなって。官との関わりを完全に断てば毛色が大きく変わりそうな気はしないでもない。
簿記3級持ちとかなんでしょうか。ぶっちゃけよっぽどのガチ資格でもない限り資格が転職に有利に働くことはあんまりないので気にしても仕方ないです。
気になること
今時珍しくもないので別にイメージが悪いということはありませんが、当然に経験者=即戦力を求めている求人からはお断りされるのですが、そこはご理解されていますか。
ミドサー以上で地方公務員から非天下りで転職されるのはかなりレアキャラでは。
「文書をちゃんと読める」こと自体は立派な汎用スキルなのと、どんな職場でも謎ローカルルールの前例踏襲はあるのでそれへの抵抗が無いのはいいことですが、それは同世代のまともに働いている人なら普通できることなのであんま売りにはなりません。
エージェント経由の情報は確度が高いです。また転職口コミサイトの比較的最近の書き込みはけっこうアテになります。
嘘がありがちというか表に出てこない箇所は経営者の質と人柄です。どんなに立派な会社でも経営者がクソだとどこかにそのクソ要素が影響してきます。例えばビッグモーターのように。
気になることというか、いくらなんでももうちょっと転職のための条件を設定してください。フワっとし過ぎていて答えようがありません。
あなたは民間企業に対する研究と自己分析がまずまったく足りていませんので、本当にもうちょっと真面目に考えてください。
具体的な話はそれからですね。
年齢:35歳(女)
結婚願望:皆無
実家:細い
両親:今は元気
簡易職歴:研究室に馴染めず大学中退 → ニート → 地方公務員
経験した業務内容:「経理系の事務」と「土木系の工事発注」を行ったり来たり
②残業代未払い:80時間残業のうち支払われているのは40時間程度。
③2年おきの配置換え:最初の半年は必死にローカルルールに適応、次の1年で担当業務大体把握、残り半年で状況まとめ切れずグダグダの引き継ぎ。これを全員が繰り返すので色んな仕事がグダグダ。
④専門能力の身につかなさ:事務手続きと現状の把握で精一杯で専門的に掘り下げる時間がない。困ったらいつも民間企業に丸投げ。
⑤仕事の効率の悪さ:ハンコ主義。低スペックPC。FAX現役。電話現役。メール文化なし。チャット文化なし。前例踏襲に拘るくせに部署ごとにコロコロ変わる書式。てにをはや固有の表現への固執。トップダウン故のちゃぶ台返しの多さ。
⑥トップの無責任さ:2年以内に「俺が育てた」することしか考えておらず、「後は野となれ山となれ」が無限に累積。いなくなったあとの責任取る気ゼロの気まぐれ管理で現場はグチャグチャ。
①後戻り不能:年齢的に公務員試験の受け直しは不可能。民間へは一方通行。
②現状の市場価値の低さ:公務員スキルは民間ではあまり使い道がないので最初の転職先で今後の市場価値が決まる。そこで失敗した場合は転職難民になりかねない。
③転職後に官と関わりたくない:公務員的な文化が嫌で仕方がないので転職後に官公庁系の仕事がしたくない。でもそうなると益々市場価値が下がる。
④完全なスキルリセットへの恐怖:職場環境の劣悪さもあり汎用スキルが育っていない。その状況で「公的業務」のスキルを完全に捨てるのでかなり下のスキル値からの再スタートになる。
⑤募集要項への不信感:いわゆるレモン市場問題。転職先が今よりマシかどうかを総合的に測る手段がない。転職エージェントが正確に情報を把握しているのかも分からないし、会社が正直に言うかも不明。
⑥ビジョンの無さ:転職後の明確なビジョンがない。「ネットの噂なんて無視して興味のあるIT系に行けばよかった」という漠然とした後悔はあるが、興味があるだけでそこまで勉強しているわけではない。基本情報技術者(所内システム担当者の枠を狙って取ったけど一度もなれんかった)は持ってるけど、これで35歳未経験IT業界は無理やろってのはなんとなく分かる。
⑦資格等がない:現在の業務関係の資格はあるけどレベルがかなり低い。IT業界で言えばいいとこ応用情報技術者試験程度。というかそもそもこの業界あんま好きじゃないことが分かってきたので転職後にまたこの仕事やるのもなって。官との関わりを完全に断てば毛色が大きく変わりそうな気はしないでもない。
③公務員的なスキル(法令文書読解・書式トレース・独自文体の換骨奪胎・謎ローカルルールの前例からの踏襲)の民間での使い道
④転職サイトの募集要項を読むコツ。嘘(とは言えずとも真実と遠い情報)がありがちな箇所。会社レビューの信頼度。
様々な意見・情報の提供ありがとうございます。
皆さんのおっしゃるとおり「情報収集」と「ビジョンの確立」が足りていなかったように思います。
転職そのものについては一度保留し、「後悔が少ない選択をするための現状整理」へと目標を修正して行動していきたいと思います。
以下は質問や疑問への回答です。
①年収が下がることへの認識について:お金を使わない生活には慣れているので耐えられます。とはいえ次の職場でもサービス残業をやらされることが多いと耐えられない気がします。給料自体の多い少ないよりも「払うべきものを払わないで平気な顔をされていること」に対して強いストレスがあります。
②官との関わりへの拒否反応について:民ー民の取引について「隣の芝生は青く見える」が起きているだけなのかも知れません。情報収集を行った上で改めて結論を出そうと思います。
③やっている仕事の詳細について:今まで関わってきた仕事の例をあげると、「発注書の作成」、「見積合せの処理」、「職員の給与に係る事務」などになります。コレ以上の詳細を書くリスクは避けるべきだと直感が警告してくるのでここまでが限界です。
④今の職場の中で上手くやるべきというアドバイスへの返答:全くそのとおりだと思います。採用面接をする側の視点に立って考えても、現職の中で全く行動を起こさないのは「極端な選択肢しか思いつかない行動に柔軟性のない人物」という印象を与えるのではないかと感じます。転職をしないのであれば、いよいよもって現状を改善する手段は現職の中で探すしかない。転職をするにしてもしないにしても、現職の中で改善の手段を探すのは必須項目であるということの認識レベルを大きく引き上げたいと思います。
他にもいくつか返答したいと思ったものがあったのですが、他人の時間を割いてまで読んでいただけるだけの内容に整理しきれず、下手をすれば読んだ人間の一部に不要な不快感を与えることが懸念される内容もあったためひとまずこれだけとさせていただきました。
今後また何か思いついたり、答えられる内容が見つかりましたら再追記させていただくかも知れません。
てにをは間違えてまで慌てて書くような内容じゃないだろ
「お前が 『好き』 と感じたことと、それが 『良い』 かどうかは別問題」
はてなにおける文章力あるなしの定義は、まさしく 「好き」 と 「良い」 を混同した状態となっております。
言葉の定義について後で揉めたくないので最初にここをハッキリ書いておきますね。
話し言葉に近づけた表現をするなら以下のようになるでしょうか。
はてなにおいて 「文章力がある」 「文章力がない」 という言葉が使われている場面の多くが、単にその文章の好き嫌いを語っているように感じます。
言っているはてなー本人が 「読み手に伝わりやすい良い文章」 とは何かを正しく認識できていないことによって想起している問題です。
文法が正しい。誤字脱字が少ない。無意味な造語が少ない。対象の曖昧な代名詞が使われていない。複数の読み解き方が可能な文章となっていない(意図してそれを行っている場合は除きます)。論理の飛躍がない。過剰な頻度で同じ話を何度も繰り返していない。こういったマイナス要素の少なさこそが、良い文章を形作ります。
契約文書や法律文書は、甲乙による呼び名を代表とした堅苦しい表現が使われています。これらは一般的には読みにくい文章となりますが、それぞれの表現が指す範囲を明確にする必要があり、かつ冗長にならないようにすることを最優先する必要があるために、独特の表現を使った文章となっています。
日常会話において法律文書のような表現を用いれば、伝達において齟齬が生じやすくなるでしょう。逆に契約書に砕けた表現を多用すれば、あとで揉める原因となるでしょう。
シチュエーションごとに適切な文章表現を選び出す能力は 「文章力」 の最重要の構成要素です。
「文章力」 の構成要素を羅列し見れば分かる通り、 「個人が好ましいと感じたか」 は 「文章力」 との関係性が極めて薄いのです。
過剰にヘイトを煽るような表現を多用して判断力を下げる文章が世の中にはありますが、それを書いた人間の目的が相手を感情的にさせて判断力を下げることであったならば、それはその目的にあった文章となっています。
自分の好き嫌いを基準に 「文章力」 を語るはてなーにはそういった視点さえも欠如しています。その証拠に、自分本位の好き嫌いの基準のままで文章の良し悪しを判断し 「文章力がある」 「文章力がない」 という表現が多用されているのを非常によく見かけます。
このような謝った言葉の濫用は、全く持って言葉に対して不誠実と言えるでしょう。
ですがそれらが悪意や、善意のなさによって生起していると考えるべきではないように思います。
単純に、 「文章力」 というものを正しく認識する機会に恵まれることの難しさが原因だと私は考えます。
高校までの教員の中に言語の研究において論文を何本も書き上げた経験がある人がどれほどいるのでしょうか?
大抵は大学に通い教員免許を取る過程において少し齧った程度のままで、その後は現場の忙しさに翻弄され、学生たちのしょうもないてにをはの間違いを如何に効率よく正していくかばかりが頭を支配することでしょう。
そして多くの日本人はそうした教員から受けた言語教育だけを、言語に対して深く触れた体験だと感じ、そこに言語能力というものの天井を感じてしまうのです。
虫かごに入れられたノミの話と同じように、人間は下手に天井を感じるとそれ以上を目指さなくなります。
正しい言語力というものを、単にセンター試験の国語で満点を取れるだけのものであると思えば、そこからの百分率で言語というものを考えるようになる。
ですが実際には言葉というものはもっとずっと複雑でいくらでも工夫のしがいがあるものなのです。
それを知らない人達が安直な好き嫌いで 「文章力がある」 「文章力がない」 といった表現を使っているのは非常に悲しいことです。
ですが、これは現代社会における教育コストの問題であり、一個人が過剰に憂いても仕方がないことなのです。
それでも吐き出したかったのでここに垂れ流させていただきます。
お目汚し大変失礼致しました。
意識の高い若手社会人には、「将来は経営企画部に行って事業戦略を作りたい!」と考えてる方も一定数いると思う。
また、「ポストコンサルのキャリアとして、事業会社の経営企画部に行きたいです!」という疲れ気味のコンサルの方もいるかもしれない。
果たして、経営企画とは皆が憧れるようなエリートコース、バラ色のキャリアなんだろうか?
日系上場企業(JTC)を中心に何社か経験した、社会人歴15年超の現役の経営企画部員が疑問にお答えしようと思う。
1. 「〇〇企画部」は「〇〇調整部」
まず大前提として押さえておきたいことは、企画系の部署がやっていることの大半は社内調整ということだ。
これは特に日系大企業で顕著で、経営企画だけでなく商品企画や営業企画でも同じだ(外資やベンチャーはよく知らない)。
経営企画部の実情は「経営調整部」であり、商品企画部は「商品調整部」、営業企画部は「営業調整部」と捉えれば分かりやすい。
キラキラしたクリエイティブで頭のいい人達が企画を作って、現場はその企画を素直に実行するーそんな夢のような職場は少なくとも日本企業には存在しない。
考えた企画の役員報告はもちろんのこと、関係部署との数えきれないほどの会議、文句ばかり言って協力しないおじさんへの根回しなど、膨大な社内調整には3ヶ月や半年も要することになる。
この間、担当社員の仕事は、パワポの資料作成に加えて、会議のファシリテーションや議事録作成など地味な仕事ばかりだ。
渾身のアイディアを盛り込んだパワポも、上司からの「てにをは」の修正、偉い人からのよく分からん指摘、関係部署への忖度などから、次第にエッジは削がれていき、総花的でぐちゃぐちゃした代物に変貌していく。
https://www.env.go.jp/content/900513416.pdf
官僚はまさしく企画職だが、関係団体や政治家との調整業務が大半で、利害関係者の意見を盛り込んでいるうちに、全くMECEではないぐちゃぐちゃしたパワポが出来上がる。
日本企業の他の企画職も似たような仕事ぶりであり、日々社内調整に汗を流して、ぐちゃぐちゃしたパワポを作っている。
この資料を作るのは確かに経営企画部員だが、その仕事の大半は事業部から上がってくる情報を集約して体裁を整えることである。
経営企画部員がオリジナリティーを発揮できる領域は限られていると言える。
2. 何の権限もない
経営企画はあくまでコーポレート部門で、経理や人事と同じようなサポート部隊である。
つまり、「こういう事業をやるべきです」と主張するよりも、「事業部でお困りのことがあったらサポートします」という姿勢が好まれる。
会社の重要な経営戦略であるM&Aも、どんなに意識の高い経営企画部員が必要性を訴えたところで、事業部の受け皿がなければ何も進まない。
しかし、往々として事業部というのは目先の業務で手一杯であり、新しい事業に取り組む余裕はないし、そんな高い視座で長期的に事業を考えている偉い人も少ない。
結果的に、M&Aなどの新しい施策は、事業部間でたらい回しになり、何も決まらず、チャンスを逃して成就しないことがとても多い。
おそらく、半分正解で半分間違いだろう。
確かに、役員や部長が偉くなる過程で経営企画に立ち寄ることはよくある。
だが、担当レベルではたまたまポストが開いたから異動してくることが多く、皆がすべて優秀という訳ではなく、行き場のないおじさんが、地味な集計作業をしてたりすることもある。
その点では、社内の他の部署と大差はない。
そんな訳で、経営企画部は社内調整ばかりで権限もなく、必ずしも出世コースでもない平凡な部署であることはお分かりいただけたと思う。
それでも、個人的には経営企画の仕事は好きであり、役員の近くで仕事して会社組織の意思決定の仕組みを理解できたのは、社会人として貴重な経験となったと感じている。
経営企画部員として働くと、社長や役員が頭がキレキレではなく普通のおじさんたちの集団ということが分かる。
そうした現実を踏まえて、権限がない自分たちがいかに企画を通していくか、サラリーマンとしての鍛錬の場として、経営企画は適してるといえる。