はてなキーワード: 青春とは
その手の青春的イベント一通りやった上で思うのは、あれ自体はどうってことなくても、あんなどうってことないやつ通過してないのがコンプレックスなんてゾッとするので
やっといてほんとうによかった
サイゼリヤでさあ! 学校帰りにさあ! 彼女とデートするみたいな青春送ってみたかったなあ!!!
二人でドリンクバー混ぜたの飲み比べたり! 間違い探しわかんないねとか話したり! どうでもいいことをすごく楽しく話したりする青春!!
ここ最近で言いたかったことを吐き出したいです。自分は「白饅頭」氏のマシュマロに投稿した国立大学の医学部生です。詐称を疑われるといけないので特定されない範囲で所属を明かせば、東医体の参加校だけど北医体の参加校ではない国立大学の学生です。
昨日は悲しいことがありました。公衆衛生(講義名は公衆衛生ではないが、実質そういう講義で、講義名を明かすと身バレするのでそういうことにしてください)の講義で喋っていた先生が質疑応答の際、生活のために営業を継続することと感染対策に協力することを天秤にかけた上で前者を選んだ人々のことをどう思うのか,どう対処するのかという説明に対して「そういう人たちは小さい頃勉強しなかったからねえ〜」と発言しました。その後に続いた言葉と合わせて推測するに、明らかに「受験勉強で学歴を得てコロナの影響を受けない職業につかなかったことが悪い」旨を含意していました。自分の実家は決して大きくはない観光関連の会社をやっていることもあり、意図的ではないにしろ向けられた悪意に感じるところがありました。
留保なく「コロナはただの風邪」とは言いません。しかし、自分はすでに3回目のワクチンを接種していますし、日本では8割近くがコロナワクチンを必要回数接種しています。コロナによる死亡者の平均年齢は79歳で、一方で国立社会保障・人口問題研究所が公開してる22/2/7時点のデータによれば10代の死者は4人、20年代の死者は27人です(出典1)。基礎疾患があった人や事故で亡くなった人にPCR検査を施したら陽性だったようなケースを除いて、「基礎疾患のない市中の若者が感染し死にいたる確率」は取るに足らないほど小さいでしょう。特にオミクロン株については感染状況で先行した沖縄県の専門家会議の座長ですら「致死率0.006%」「入院は必ずしも必要ない」と言っています。中高の同期と医学科の同期を合わせて6,7人ほど今年に入ってオミクロン感染した直接の知り合いがいますが例外なく鼻水のみか37.5度程度の熱で収まっています。翻って2回目のワクチン接種の副反応では自分を含めて体感で2/3程度が40度近い熱と悪寒を体験しています。同年代の若者は無知ゆえにコロナを恐れていないのではなく「ワクチンの副反応>オミクロン」を経験則的に知り、先述のデータもこれを裏付けています。こうした背景がある中で、飲食や観光、イベント業に従事する人たちが自分と家族を養う義務とコロナの(ワクチンによって小さくなった)リスクを天秤にかけ、また若者が今この時にしか楽しめないことと天秤にかけ、感染対策に協力しないことを選ぶことは全く責められるべきではないし、少なくともミクロの領域では合理的でしょう。
ツイッターで「医クラ」という医師の集団をフォローしています。最初は志望科に迷っていた中で生の先生の様子が垣間見えることでフォローしていましたが、彼(女)らの言動に対する違和感が拭えなくなってしまいました。「東京で10代が亡くなった」と彼らが大騒ぎしているのを見たら事故で亡くなった人にPCR検査を施したら陽性だったケースだったり、基礎疾患があったケースをなんら健康に問題がない若者が死亡/重症化したかのように言い彼らも当初言っていた「正しく恐れる」態度からかけ離れた発信を度々行っていました。仮に基礎疾患のない市中の若者が感染し亡くなるケースだったとしても、レアケース中のレアケースを取り立てて発信することは彼らが蛇蝎の如く嫌う「反ワク」と全く同じように思えます。それ以上に目立ったのが他業種に対する蔑視です。先ほど述べた弊学の先生みたいな先生はマイノリティーだと信じたいですが、「商売人にはモラルがないので規制は緩めるな」「不要不急じゃない居酒屋なんてあるの?w」「成人式は不要不急」みたいな発言をしょっちゅう見かけます。コロナ禍で縮小する景気の中で額面収入の20パーセント近い社会保険料を医療の原資として納める市井の人たちや自分達にとって限りなく低いリスクながら利他心で感染対策に協力する若者にあまりにも礼を欠いていると考えます。
こうした医師の多くは「日本経済は鎖国のダメージはない、未来永劫鎖国して内需で食っていこう」「若者にとってもコロナは死の病」みたいなことをどうやら本気で考えているらしく、少しでも疑義を挟む人間は反ワクと同じカテゴリーに見えてしまうようです。しかし、はっきり言えばこのようなバランス感覚が欠如した人間の訴えは全く若者には響きません。厚労省の「医療給付実態調査」からライフネット生命が計算したデータによれば若者が年に病院に行く回数は5回に満たない程度です(出典2)。自分のような慢性鼻炎持ちが通院回数を押し上げているので中央値はもっと低いでしょう。若者にとっては病床よりもバイト先の飲食店のシフトが自粛で削られることの方が切実な問題なんです。鎖国したまま日本経済は回りませんし、自粛で失った若者の青春は戻ってきません。医師の先生方も中高での行事や医学部での部活・東医体での経験で人格を涵養されたと思うのでわかっていただけると思います。
若者を感染対策の取り組みに動員したいなら何がなされるべきでしょうか? それは僅かなリスクを針小棒大に煽り立てて脅したり、事情があって十全に感染対策に協力できない人々を蔑視し劣情に駆り立てることではありません。少なくとも「ワクチンを2or3回打った基礎疾患のない若者にはコロナは風邪に近い」ことを認め、それでも協力してくれる利他の心に感謝してお願いすることです。それと共にハイリスク層へのブースターや経口薬の流通を進めることです。兎にも角にも、ワクチンを打った若者にとって「未接種の高齢者が重症化するから自粛しろ」は効かなくなりつつあることを認識すべきです。
出典1:https://www.ipss.go.jp/projects/j/Choju/covid19/index.asp
バリバリに盤面上で殴り合って、殴り合っていく中でなにかに気づいて、それを戦場からの帰り道にふと語り合って、気づいたらその帰り道が次の戦場に向かうレールになってる。
とにかく戦いの中に青春の大部分が有るじゃん。
愛も恋も、全部戦いの中で産まれてるじゃん。
最高のライバルだったから好きになって、最高の仲間だったら恋をして、そういう奴らばっかり。
恋愛から始まってるキャラもいるけど、皆戦いの中に巻き込まれて、戦いの中で恋を深めてってる。
ずっとずっと戦ってるよこの漫画。
恋が動くとき、いつもそれは戦いの中で形を実らせてるよ。
好きな人に伝えたい気持ちがあるから強くなって、伝えられた気持ちを受け止めきれなくて弱くなって、そこから一周りして戻ってきてまた強くなる。
ずっとずっと、どうやったら強くなれるかしか描いてないとさえ言っていい。
それぞれの目指す強さの中に、思い出作りだとか人生だとかないまぜになってるんだ。
俺の歌を聞けって思いの積み重ねが、歌人として強くなろうっていう気持ちになって、そうして産まれた強さが人生の解像度を変えてきた奴らの足跡なんだよ。
強くなりたいって気持ちが、もっとちゃんと自分らしく生きたいって気持ちを生み出し続けるんだ。
これって少女漫画なのか?
幸せな恋をしたり、甘酸っぱい気持ちになったり、そういう話なんて脇道としてしか扱われてないだろ。
強くなって強くなって、強い人の見ている景色を強い相手と向かい合いながら一緒に見たいって話じゃん。
セックスしたい相手ときれいな夜景を見ながら素敵なデートを目指してないじゃん。
殴り合いたい相手と同じリングの上で最高のパンチを叩き込み合って認め合おうって話じゃん。
これ本当に少女漫画なのか?
いまはラブコメや青春ものが流行っていて、勢いではそちらが勝る。
ただ、いまだ新刊が大量に刊行されているのは事実で、「廃れた」というわけではない。
しかし、ラノベからなろう作品をコミカライズする流れは、いまがピークだろう。
WEB連載には無限の弾数が必要で、その弾としてなろう原作漫画は非常に手頃だ。
ラノベの流行がアニメにまで反映されるには5年ほどのタイムラグがあるので、
特に「原作はそれほど売れなかったけどコミカライズしたら人気が出たのでアニメ化します」というパターンは増えるだろうな。
あと、Webサービスとしては、もちろんなろうの人気は圧倒的なんだが、
やや女性向けに偏りが見られるようになっていて、
コアな作者はカクヨムに移りつつあるようだ。
元公立高校教員だよ!クソみたいな仕事だったからやめたったぜ!
「オンライン授業進めろよ!」
→その仕組みを誰か作ってくれよ!誰が授業して誰が成績つけて誰が責任取るのかの仕組みから学校に高速ネット回線を繋ぐ予算の捻出にオンライン授業のやり方を覚えようとしない高齢教員の説得にオンライン授業そのもののクオリティの維持や授業に集中できない生徒の対応をどうするのか、現場で対応なんてこれ以上できないよ!教育委員会はそういう「あいてぃー」みたいなものは苦手や嫌いな人が多いからそこに期待するのは無理だよ!そもそもn=1の感想だけど教員自体そういうの苦手な人が多いよ!なんでだろうね!
「部活やめれ!」
→やめられるならやめたいけど、せーのでやめないといけないからやめるの難しいよ!それに運動嫌いなはてなーには信じ難いだろうけど、部活を生きがいにしている生徒もいるから即廃止は難しいよ!
→これは本当にそう!ベテランと若手を繋ぐ人材がマジでいない!ベテランが抜けた今、イキる若手が暴走している学校もあると思うぞ!暴走して病んで辞めてく若手もいるんじゃないかな!!!
→ほんそれ!!でも!教員は!基本!設備投資の金勘定ができない!!!経営的視点がない!!!公務員だからしゃーないとかいう視点以前に!金勘定が苦手!!!誰か渋沢栄一を呼んできてくれ!!!大河ドラマで江戸時代の武士の感覚を見て「これ教育関係者じゃん!!」と思ったよ!!!教育に愛を注ぐのは当然として!!!金勘定から逃げる口実に生徒を使うな!!!設備投資くらいやれ!!!
(余談)
ぶっちゃけ定額働かせ放題の現状で部活の運営は厳しいと思うよ!自分の部活だけならまだしも、強豪校とか高額なものを扱う部活だと予算が数百万円とか余裕であるし、その上何十人も生徒の指導をしろというのは部活手当みたいなの貰わないとやってられないぜ!その上大会の事務運営の当番校なんかになったら大会の場所取りに弁当の注文までしなくちゃいけないんだぜ!エンジニア焼きそばじゃないけど教員になって弁当の手配を何度もするとは思ってなかったぜ!その上全国大会の運営なんか任された日には完全にオーバーワークだぜ!!全国大会の懇親会の会場の手配と参加する先生の出欠と参加費の徴収を頑張ってやったけど肝心の懇親会でオッサンたちは楽しんでいたけど若造は事務作業に追われてジュース1杯しか飲めなかったのは一生根に持つよ!!誰のための懇親会なんだよーー!!!部活の問題はどうしても指導の面ばかり取り上げられるけど、この辺の煩雑な事務作業が定額働かせ放題の中に入ってることをもっと知って欲しいぜ!!!金勘定するために教員になってねーんだよ!!大会の前後は授業の合間に銀行に通って領収書と睨めっこして各校に書面を送って事務作業してまた授業に行って校務分掌もやってPTAの事務作業もやって同窓会の仕事もやって授業やって、という感じだった。特に同窓会は厳しかった。同窓会強い学校だと80前後のじーさんばーさんが若き日々青春よ再びみたいな感じで運営してるんだけど、じーさんばーさんが望む学校像と現状の学校像が乖離しまくっててクソ面倒くさいから学校の中の事務作業はマジで同窓会費からでもいいから手当くれないかな!!!あと偏見だけど管理職希望は基本的に授業や人間性に難があって生徒から人気ないから地位でぶん殴りたい奴が一定数いるから職員室はパワハラ祭りみたいなモンだと思うぞ!!あと教員は筆記試験で結構受かるからお勉強できるだけのADHD的ASD的なのがめちゃくちゃ多いと思うぞ!!「お前それでよく世間渡ってきたな!!!」というのがどの学校行っても1人はいるぞ!!それが正規採用でポンコツなことやってても正規採用というだけでガチめな触法行為でもなければ大体何でもお咎めがないぞ!!いじめの揉み消しとかよく言うけど、多分裏側から見るとそんなところだと思うぞ!!!なんか余談のほうが多くなったな!!!教員はクソだぜ!!!!
問十二、夜空の青を微分せよ。街の明りは無視してもよい 川北 天華
川北天華。当時は進学をめざす高校生。進学は最終目標ではなく過程のひとつだろう。
単語と語法は平易。しかしそれらはすべてべつの何かを表象する。示唆により言外を表象するテクニックは掛詞とよばれるが、この歌は全句が掛詞で構成されさらに全体として言外のなにかを表象する。このため通常の和歌の範疇を超え、たぶんに神話的な雰囲気を持つにいたる。
配置
物理か地学の問題文をなす歌を助詞などを除去し単語をならべその内容を検討。
内容は上記のとおりテスト、光景に二分され、交互にならんだふたつの要素がリズムを形成している。
テスト、光景、ふたつの要素は卑近。受験をひかえた高校生という状況をあてはめると、この世代特有の神話的要素がうかぶ。
テスト、光景という対極を交互につなぐ構成は内外両極を往還するリズムを生んでいる。対句法ではくくりきれない振り子のようなリズムである。その振り子は往還をくりかえしながら全体をある方向へとすすめてゆく。机上の1枚の切片にしるされた問12という即物的な文言は夜空を数式で描けと命じそのときは下界を無視せよと結ぶ。一枚の切片がもとめる問いは振り子のようなリズムのなかで一瞬にして無限の宇宙へと拡大し発散する。読者はこの内外両面、両極往還のリズム、そして机上のちっぽけな紙片から数式をとおして一気に宇宙にひろがる強力なベクトルによってここちよく翻弄され、さまざまな記憶作用を楽しむことになる。じっさいのところこのリズムとベクトルは、おとなとこども、他発と自発、受動と能動、服従と自立ーつまり境界面を生きる高校生の生活のリズムとベクトルそのもので、それらが作者、あるい読者のこころのゆらぎそのものを表徴する。
問十二
夜空
青
街
明り
良い
各々の単語および叙述は高校生にとって卑近ではあるが軽くはない。試験問題、ふと見上げる夜空、その奥にひろがる宇宙。それらは作者の人生の主要な一部、あるいはすべてかもしれない。ひとつひとつの単語が表層の意味から遊離して現状と行く手の不安、悩み、探求、願望、希望、決意といった、思春期から青年期にかけての心象を表象する。この歌は、読者ひとりひとりに当時の記憶を想起させる力を持つ。
展開は三部で序破急をとる。
テストの問題文からはじまる文章表現はそもそも斬新なのだが、それを体言止めとして何かを宣言している。この宣言は直裁に読者にとどき、読者はこの歌とともに問いに挑むことになる。
十二は天文や暦法と関連がある。詠人だけにわかる何かの符丁かもしれない。だがそんな読み解き以前に十二月は受験シーズンであり、夜空がもっとも冴えわたる季節でもある。受験生たち、あるいはかつての、そしてこれから受験生となる読者たちは、冴え渡る夜空にひろがる大宇宙を仰ぎ何を思うだろう。
この衝撃はじゅうぶんに非凡な序を一気に振り切り読者を天空に打ち上げる。
微分される夜空の青とは何か。
それは学問的対象として規定される夜空であり、それゆえ純粋に観察と探求の対象であり、その分野への進学を目指す詠み人にとって、それは宇宙であり未来であり、そして自分でもあるだろう。それだけではない。その解をもとめる読者じしんの姿でもある。
街のあかりとは成功し定着したものたちの放つ光、そうしたしがらみとははなれた位置にいる受験生にとって、街のあかりは外部か雑音にあたるかもしれないし、いつか自分が再参入する場所かもしれない。
この歌はテストの問題文そのものであり、解答は記されない。作者はこの問いに答えることも思考の過程を示すこともせず、それらすべてを読者に投企している。そのため読者は作者の投げかけた問いの答えを探すことになる。読者は自問し夢み思惟し想像し記憶を想起する。歌を鑑賞することで作者の心象に分け入る作業がいつのまにか自問となり、ときには自分の過去、あるいは未来、そして今この瞬間を投影する。
上記のような構成は、ありていに言えば時分の歌、青春期限定の叙情歌といっていい。さしあたり言語機能の極限をさぐる現代短歌のなかではこうしたテーマははやらない。ではそれだけを根拠にこの歌の価値を限定できるのか。
そうかもしれないが、それで終わりにしてほしくない。なぜなら、こうした心のゆらめきを大切に記憶し想起し記述する行為は自己と世界のはざまから生まれる認識の、つまり哲学と科学の原初のすがたであり、その姿勢が現代短歌の流行からはずれていようといまいといっこうにかまわないから。
結句を復唱したい。
俗世、しがらみ、現実などを表象する「街の明かり」を無視してもよいと歌い上げる。かそけき深き空の青さが真実ならばその対極にある現実など捨象してかまわないとも歌い上げる。
時分の歌かもしれないが、そこに込められたまっすぐに真実を見ようとする迷わない力をわたしたちは大切に保持してゆきたい。なぜならそれはたぶん、うしなってはいけないものだから。
・なんか元増田を見たときは全然わからなかったんだけど具体的な想定があるみたいだけど、こういう予防的反論そのものが炎上商法になっちゃって迷惑かけるような気がする。作品を心底愛しているならやらないほうがいい
・自分はたまたま「予測」されている想定漫画を読んだことがあるんだけど、それ、たぶん(こういうへたな予防線がなければ、そして商業漫画雑誌に載るラインでこのままつづければ)炎上しないと思う、だって1話だけのこけおどしであとはやってること普通の青春じゃん。自虐したがる(あるいは性的なものを嫌悪しながら惹かれまくって自分犯罪者では?って恐れまくるけど実際やってることはごく普通の結婚子作りルート)青春の話もいっぱいある。女性向けでもたくさんあるんだよ。
・そうして、この増田という中途半端にエゴサーチにひっかかりやすい場所で「ごく普通の青春じゃん。安全だよ」と一般人に保障してもらって元増田という読者は安心するかもしれんが、原作者にとっては首つりのヒモみたいにみえてるだろうね。没個性だ、過激でもなんでもない、炎上でもなきゃ話題にならねえよ、と丁寧に指摘されてんだぜw
・結論:味方を背中から撃つファンは本当にアホだ。子供がキメツのグッズほしがるから中国製パチモンを取り寄せる親みたいなものだ。
最近Vを追いはじめたオタクとして、なんというか好きだけど水は合わないな~と思って思考整理がてら。
まず、自分のスペ上げるとは遅筆なうえオープンネットに上げたりはしない鍵つきの絵描き。ほんの少しの友人に見せたいがためだけの完全な趣味中の趣味。
だが一応「こういうネタをみんなに見せたい」「この発想神やろ」って思って描き始めたりする。マルチタスクできないし、推しの配信をBGMで消費したくないから描いてる最中は聞かない。ところが自分にも仕事はあるし、推しは配信が仕事だからほぼ毎日配信している。仕事から帰って寝るまでのたった3時間を絵に費やし、あとは寝て、完成したらやっと推しの配信を見て…って推しの配信を!!!!!!!!!!!!!!!見る時間が無い!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!でも絵は描きたい。
そうすると、すでに描いた配信ネタはもうTLの仲間たちにとっては「古い」し、何度も擦られたネタになってる。それに見てない間に推しの新情報が出て、「描き終わったからみんなのツイート見よう」なんてしてると新情報で大賑わいのTL。そしてその配信をまだ見ていない自分。鍵付きの理由である。
なんというか、活気がちげえやと思った。何十年とマイナージャンルにいた古のオタクにこのスピード感は速すぎる。でも楽しい。でもこれが続くと、疲れて絵のモチベーションが消滅してそのうち冷める。二次創作をして、あるいは見て沼に浸かるオタクにはそれがとても怖い。
それに加えて基本アーカイブ勢の自分にとって、Vっていうのはすごく推し難いジャンルなのではないかと首をひねり続けている。そのうち捩じ切れる。Youtube、Thanksボタンをつけてくれてありがとうね。スパチャは投げれないけどこれでひとつ。
推したいけど自分なりの「オタ活」と相性が悪い。ま~~~~こういうゆったりした楽しみ方も逆にいいのかもしれない。しかしいつか引退とか卒業とかあるんだろうな、って思うとゆったりできない気もして。それでも時間の許すかぎり追い続けて、ゆったりとスローペースで創作するこれこそがオタクの青春…だろうか…まったく度し難いジャンルだ…だがそこが良い…
配信者を追いかけるのが初めてだからというのもあるのだろうか?これから推しが卒業するまでに上手な推し方を見つけられるといいが…。あーーーー毎日が楽しい!!!!!
しまちゃん家にはパパが二人いる。能天気でマイペースな茜パパと、理性的で優しい葵パパだ。
そんな二人に愛されすくすくと健やかに育ったしまちゃん。ところが、授業参観の後、パパが二人いてママがいないなんて変だとクラスメートに言われてしまう。
「変じゃない」と言い返したしまちゃん。だが、しまちゃんは自分の家族に何の不満もないものの、茜パパと葵パパがどうして結婚したのか、ふと疑問に思ったのだった。
授業参観の帰り道にパパ二人に疑問を投げかけたしまちゃんに、茜パパが葵パパとの馴初めを語ってくれた。そう、初めての出会いは、葵パパの「秘密基地」で……。
オメガバース作品。オメガバースとはなんぞ? というのは、ググれば私の説明よりもよっぽど解りやすい図解がいくつも出てくるので割愛。
私は普段、ツルツルテカテカな絵柄のビーボーイコミックスってあまり読まないんだけれども、表紙が助平じゃない作品は当たり率が高いという個人的観測により、試し読みを読んだ。そしたらパパ達の過去話の出落ち感が気に入ってしまい、購入してしまったという次第。実際のところ、わりと当たりだった。
オメガバース設定の作品は性質上悲惨になりがち……特にΩのほうが。そして悲惨な暮らしぶりのΩが理解のある彼くんに出逢って幸せになるというのがよくあるパターンのようだ。
だが、本作は型破りなストーリーだった。つまり、野性の本能に振り回された挙げ句の不幸展開ではなく、αもΩもそれぞれ本能を抑え着けてお互い相手を気遣って着々と幸せになっていったという、そんな結婚生活の序章話。
このご時世なんで、なるべくポリティカルコレクトネスに配慮したストーリー構成なのだろうか……。BLという時点で男性同性愛者の性的搾取だろけしからんと言われたら終わりだけれども。まあ、Ωが一方的にヤられて不幸になる話よりはストレスなく読めていいと思った。
茜と葵の若い頃に使っていたガラケーの型からして、彼らは00年代半ばくらいに高校生だった模様。ということは、現在は見た目は若いけど30代半ば。で、娘のしまちゃんが小学校低学年ぽいので、彼らはガチで計画的人生を歩んできたことがわかる。芸が細かい……。
とはいえ、エロシーンはエロい。別にエロがエロいのは悪くないけど、個人的にあんまり受けが派手にトロ顔するのは好きじゃないんで、そこだけは微妙と思った。
あ、これはネタバレになるけど、彼らはちゃんとゴムは着けていたというのが後のページに書かれていて、そんな後出し設定をだされてもなと思いつつ、ページを遡ってみたら、ほ、本当にゴムして致している!? それを修正が入らないように描くだなんて、なんつう芸と配慮の細かさなんだ……。半端ねぇ。
オメガバース設定はその性質と物語のよくあるパターンから、ずっとBL読みからも批判され一部からは嫌悪されて来たのだけれども、批判される部分を全て排除した作品も出て来るとは……。これもまた業界の自主的表現規制のたまものかと思えば、良し悪しだなぁ。そもそも、女性向けの作品で今時は古風な嫁入り譚とかが書きづらくなってきたというのも、オメガバース等特殊設定が流行った原因の一つだと思うので、オメガバまでクリーンになると行き場のない物語の受け入れ処が更になくなってしまうのでは。
この世ならざる者をホイホイ拾い、しかもまぐわうことで相手を成仏させるという特殊スキルを持った若者・左近桜蔵(さこんさくら)を主人公とした短編~中編連作集。シリーズは『左近の桜』『咲くや、この花』『さくら、うるわし』『その花の名を知らず』の全部で四作品が刊行されている。
大学生の桜蔵は、父方の祖父の墓参りに行く為にバスに乗った。そこで彼はまた自分が異界に迷い込んだことを察知し身構えたが、起きたのはなんと交通事故。
そこで物語は四年前、彼が高校に上がる春に遡る。祖父の遺品を祖父の縁者に形見分けをする際、遺品の一つが函だけを遺して中身がないことが判明。桜蔵は無くなった茶碗〈ざくろ〉探しの手伝いをすることになった。桜蔵は〈ざくろ〉の手がかりを求めて、祖父の生家・白鳥家の家系を辿るが……。
『さくら、うるわし』までは幻想小説の体だったが、『その花の名を知らず』はそこにミステリー要素が加わる。といっても、殺人など事件が起きて主人公がその解決にのり出すという話ではない。テーマは茶碗〈ざくろ〉の行方探しというよりは、茶碗探しにかこつけて桜蔵と血の繋がりのない父親・柾の系譜を遡り、彼らの因縁を解き明かすことにある。
そもそも、『左近の桜』シリーズのはじまりは、桜蔵が柾に懐いた疑問、「どうして柾は子どもを持つことにしたのか」なので、今回もまたその謎に、一族の系譜を紐解くことで迫ろうということのようだ。
私はずっとこのシリーズをなんかよくわからん幻想小説と思って読んでいたので、物語にミステリー要素があるということを完全に見逃していた。なんなら、あれだけ頻繁に登場しまくる柾をただの味のある脇役くらいに思っていたりとか……。なんだかなぁ、すごい訳わかんない話だけどなんなのこれ? と。
ところが、最新作『その花の名を知らず』を読んでみて、既刊とテイストが違いミステリー要素があるのは一体何故なのかと不思議に思い、それから、万葉集などの和歌や謡曲などの引用があるのが気になった。もしかすると、このシリーズは単なる思いつきとインスピレーションで書かれた幻想小説というより、何らかの大仕掛けが仕込まれた大作なのでは? と思い付いて、シリーズ一作目から全部読み返した。ああ疲れた!
細かいことは全部省くけど、『左近の桜』ワールドには「蛇性」というかつては水神を祀っていた一族……その者達自身が蛇あるいは水神なのかも……と、その伴侶となる「女」の血筋があって、前者が柾の家系、後者が桜蔵の血筋のようだ。桜蔵の育った左近家は、何故か「女」の血を継いだ男の子を、養子にするなど何らかの形で代々引き取ってきたらしい。
「蛇」も桜蔵の血筋(おそらく、『左近の桜』に出てきた「とても長生きな蜃=龍の子ども」というのがこれだ)も長寿だというが、家系図をみれば、柾の先祖にも桜の先祖にも誰も度を超えて長生きした人物はいない。「長寿」というのは、血統が絶えることなく長く続いているという意味なのだろう。
そもそも、タイトルおよび主人公の名が「左近桜」に由来している。左近桜は京都御所にあるとても長い歴史を持った桜だが、すごく長生きな一本の木なのではなく、枯死するごとに新しい桜を植え替えて守り続けて今に至るものだ。『左近の桜』シリーズにおける「長寿」も、そういう意味での長寿なのだと思う。
まあそういうわけで。桜蔵は「蛇」の伴侶になる「女」で、彼の戸籍上の父親の柾は「蛇」だ。柾は過去に彼の最愛の「女」を亡くした模様。そこで柾は桜蔵を自分のあたらしい「女」にするべく桜蔵を育て、彼が大人の「女」になるのを待っているのか、それとも単に「女」を育てるのが自分の役目と思って育てただけなのかは、『その花の名を知らず』でもまだ不明。
まあ、柾×桜蔵というカップリングが成立するのかどうかってとこだけど、年齢差が20歳以上もあるから、どうなるんだか。
『その花の―』はストーリーの大部分が桜蔵の子ども時代の話で、柾と桜蔵が親子らしくキャッキャしているシーンが微笑ましくてよかった。それを読まされると、あーこの二人がカップリングになることは無いかもしれんなぁーという気もしてくるけども。
「猫飼停」と呼ばれる豪奢な屋敷に棲む兄弟達のもとへ、とある必然によって引き寄せられた男達のなんやかんや。
『左近の桜』シリーズみたいに深い謎があるわけではない、肩の力を抜いて読めるちょっとえっちなBL短編連作小説だったー。
猫シッターのアルバイトのつもりがセックスのポジション的な意味で猫にされてしまう大学生の話から始まったので、猫飼停に住まわされて客を取らされる話かなあと思ったら別にそんな話ではなかった。
BL要素以上に、猫飼停の和洋折衷の豪華絢爛な内装や調度を想像するのが、とても楽しかった。
今回はこれまで。最近某BLレビューサイトのくじが当たらないし、長野まゆみ先生の新刊待ちでBLに使えるお金が乏しいので、BL日照りだ……。
* 追記
こんなにもたくさんの意見をいただけるとは思っていませんでした。
ありがとうございます。どれも読ませていただいています。
最初にご説明しておきますが、私と親友は女性、私の彼氏が男性です。
多くのコメントでも言われていますが、私も一旦距離を置くのが賢明かなとは感じています。
私と親友はどちらも現在大学4年で、4月より社会人になる身です。そのため、とりあえず物理的な距離は置けるかと思います。
何人か推測してくださったように、私と親友は女子校の運動部で出会いました。苦楽を共にしてきたのもあって、とにかく仲間意識が強く、文字通り「何でも話せる仲」で今日まで過ごしてきています。彼氏との話を聞いてほしいという私の思いは、この関係性の上で生じていたものですが、これが私のエゴということは皆さんのご指摘からよく分かりました。この点については反省しています。
私にはそのつもりはありませんでしたが、私と親友は共依存だったのかもしれません。だからこそ、私1人がその中から脱出し、他の相手を見つけている状況に彼女が耐えられずにいるのではないでしょうか。そう思うと、彼女の振る舞いにも納得できます。だからといって、彼女は取り乱すままに私本人にその感情をぶつけていいかと言われたら、それは違うと思いますが…
この件については皆さんの意見を参考に、私の気持ち、また彼女の気持ち、そして今後の付き合い方について改めてよく考えてみたいと思います。この記事を読んでくださり、コメントを残してくださった皆さま、ありがとうございました。
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高校から仲良くしている同性の親友から、ものすごく執着されている。
私にはとてもじゃないけど手に負えないし、かといって親友も自分の執着を制御することができないのだそうだ。
もともと独占欲の強い親友だったとは思うけど、私に彼氏ができてからは特に悪化しているように思う。
・自分が私にとっての一番じゃないことが許せない、悔しい
・自分と今まで一緒にやってきたこと(お散歩やカフェ巡り、お泊りなど)を彼氏とやっているなら、もう自分は不要
・自分はこんなにも私のことを大好きでいるのに、私からは何の気持ちも返ってこないのがつらい
一つ目、二つ目の内容については、私はもう散々訂正を入れている。
彼氏は彼氏、親友は親友であって、どちらもともに私の中では一番なのだ。そもそも【恋人】と【友達】でカテゴリーが違うのだから、私の彼氏と張り合う必要はない。だから彼氏がいるから自分は要らないなんて言わないで、これからも一緒に遊ぼう。
だが、親友はどうしても納得してくれない。どうにもこうにも、彼氏を抑えて、親友である自分が私にとっての一番でないと嫌なのだそう。私が初めて経験するもの全て、彼氏よりも先に自分と経験してほしいらしい。すごいことを言う。とにかく彼氏より親友である自分が優位に立っていたいという気持ちをビシバシ感じる。
私は親友とTwitterで繋がっているが、あるとき、私が彼氏とのご飯デートが楽しみであることを呟いたところ、親友から「私ともそれ楽しめる!!!!!!!!!!」とリプライが来た。ちょっとした惚気にもこの勢いで噛みつかれてしまうのだから、よっぽどだ。でも親友は、私を気遣ってなのか、私の全てを把握していたいからなのか知らないが、惚気を呟くことを控えてほしくないとも言う。
また三つ目の内容については「仕方ない」としか返しようがない。私は彼氏と付き合い始めてからまだ8ヶ月で、ラブラブ期もいいとこだ。親友のことを親友として大好きであることに変わりはないけど、それ以上に今は彼氏に夢中である。そこを責められても困るというのが本音だ。けれど親友はこれについても許せないようで、自分よりも彼氏に対して愛情が向けられているのが耐えられないそうだ。
私は私なりに彼氏のことも、親友のことも大切にしているし、かけがえのない存在だと思っている。だから私は親友が上記のようなことを泣きながら訴えてきても、責めてきても、優しく相槌を打っているし、最後には「私は親友のことが大好きだよ」と締めるけれど、流石にそろそろ辛くなってきた。
【恋人】と【友達】のカテゴリー分けが出来ている私にとって、親友の考え方は正直本当に理解できない。親友に彼氏ができたときも、私は親友のような独占欲は一切抱かなかったし「親友が幸せならオッケーです」としか思わなかった。親友はどうしてそう思ってくれないんだろう?と思う。
「あなたが今の彼氏と幸せそうにしているのは嬉しい」と親友は言ってくれる。しかしその後には、延々と自分が一番じゃないことの悲しみを語られる。滅入らない方がおかしい。
本当は彼氏とのデートのこと、嬉しかったこと、面白かったこと、その他諸々、親友に一番聞いてほしいのだ。親友は彼氏よりも長い付き合いがあって、学生時代の青春を一緒に駆け抜けてきた、誰よりも私の理解者だから。それができないことが本当に寂しいし、あろうことか責められるのが悲しい。もう8ヶ月間ずっとそう。
まさか彼氏ができることで、親友との関係が危なくなるなんて思ってもいなかった。親友はこの執着を制御できないと言っているし、このままではどちらかとの関係が途切れない限り、堂々巡りになるだろう。
私は2人とも大事にしたいのに、どうしてこんなことになってるんだろうな~~~
この増田のブコメに書いてあるメタバース不倫がメタバースの使い道としてかなり良さそう
もしバレたとしても、現実で会うわけじゃないしアイドルが好きになるのと何が違うの?
セックスしたとしてもAV観てるのと同じと言い張れる(AV観ただけで不倫という人もいるらしいけど)
vtuberが配信でのリアルタイムコミュニケーションで疑似恋愛をアイドルとの握手会から一歩先に進めたが、まだ個と不特定多数というところには変わりはない
メタバース不倫はvtuberとの疑似恋愛から更に個と個の疑似恋愛に進化させることができる
「失った青春」を取り戻すことができるかもしれない
もちろん、実現のためにはリアリティの向上など技術的課題はあるが、セカンドライフの時代と比べたらPCスマホのグラフィック性能は向上したしいけそうな気がする