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はてなキーワード: 防衛機制とは

2021-11-25

自罰的な恋愛しかできない友達

今まで出会ってきた女友達の中には破滅的な恋愛ばかり繰り返す人が何人かいる。

大抵は天真爛漫で、はきはきと話すことができ、好きなものがあって目標に向かって行動できる魅力的な子である。綺麗な顔立ちであることが多いが、どんな人にも差別することなく対等で「一軍」に属していることは少ない。服装無難ユニクロ系でモテファッションスカートは好まない。Twitter等でよく見る「メンヘラ」のテンプレートとはかなり異なっている。

しかし、恋愛や好みの異性が絡んでくると自分軸を失いたちまちメンヘラ化してしまう。サークルクラッシャータイプは、浮気と略奪を繰り返し、属しているコミュニティ破壊する。ある程度自分の属するコミュニティを聖域として捉えるタイプは、行きずりの男と寝まくる。普通の男ではなく、2回り以上年上のオヤジ、素性の知れない外国人、明らかなDV男など通常は考えられないような男と。男と寝ることへの抵抗が小さく、困窮しているわけでもないのに風俗嬢AV女優として働いている人もいる。

また、本人たちもそれが異常であることを理解した上で自罰的な恋愛に走る傾向がある。誠実で優しい彼氏と付き合うと可愛い性格ゆえによく愛されしばらくは精神的に安定するが、最終的には誠実でも優しくもない男への浮気に走ってしまうのである。どの場合も止めても絶対に聞いてくれることはない。セ●クスが好きで楽しいからやっちゃうだけだと言いながら、結局傷ついてよく泣いている。人間関係自罰的行動をとるから理解しづらいが、リストカットをしている人と行動原理は同じなのかもしれない。

偶然ではないと思うのだが、彼女たちは小さいころから父親がおらず母親男性依存気味な家庭環境で育っていることが多い。何かしらの強い不満があるときに、人間普通その不満を直接取り除くように働きかける。しかし、自分自身にはどうしようも解決できない不満があるとき人間は「否認」という防衛機制をとることがあるらしい。家庭環境子供にとって解決不可能な不満の典型例で、そういうったとき子供がとる反応はいくつかあるが、一例として不安や罪悪感を生じさせた行為をやり直したり、反対の行為をとって無効にしようとすることがある。これが、恋愛体質に陥るメカニズムの一つだと思う。だから、本当に必要なのは良い男でも理解のある友達でもなく、「人間関係の不満 (生い立ち) を、同じ人間関係 (特に男女関係) で自罰的行動をとることで和らげる」以外の生き方を教えることかもしれない。恋愛方向性で真っ当に解決しようするとか、親身になって話してあげるとかそういうレベルの話では解決することはできず、医療の力が必要になるかもしれない。

何が彼女たちにとっての救いでどうすれば自傷行為のようなセ●クスを止めてあげられるのかずっと考えていた。彼女たちはたぶんとても寂しがりやだ。でもその寂しさは私たち女性いくら親身になっても埋められるものではないのだと思うと、どうしたらいいのかわからずとても悲しい。相手に言われるがまま避妊もしないことがあり、シングルマザーになって歴史を繰り返す可能性も高いと思っている。魅力的な女性であり、いくらでも幸せになれるチャンスがあるからこそもったいないとも思う。ただしあくま他人恋愛沙汰なので首をつっこんでいいのかもよくわからず悩み中である

2021-10-03

anond:20211003200100

どうもオタクは、

オタク高齢者嫌っていて、オタク若者好んでいる」

オタク高齢者嫌っていて、オタク若者好んでいる」

混同しているフシがある。

これを「投影(防衛機制)」と言う。

2021-09-19

小島一志という男(加筆)

 小島一志という格闘技ライターがいる。格闘技と言ってもほぼ極真専門といっていい。

 相当なお騒がせ人物である

 詳細はWikipediaやコジ苑というアンチwikiAmazon著作レビューでをご覧いただきたい。

 

 外部から眺めている彼らより少し近い場所にいたので、そんな立場から見た彼を語りたい。

 

 家高泰彦というライターがいる。

 『極真大乱』という著書をあらわし、何よりも小島大学時代同級生で一時期は仕事も一緒にしていた人物である現在は絶縁)。

 「小島は人の懐に入るのがうまい」と彼は書く。

 小島と直接関わりを持つきっかけをわたし自身を例として回想してみてもその印象は同じである

 

 小島瞬間湯沸かし器である。突然に激しく怒り出す。

 しかもそのスイッチがわからない。だから彼との会話は地雷原を歩くようなものだ。

 

 「俺を侮辱するな!」「俺を疑うな!」

 

 小島は怒ると大抵こういう風に言った。

 しか第三者として見てもどこが侮辱なのか、どこが疑いなのかさっぱりわからないことが大半である。怒られている当人には当然もっとからなかっただろう。

 猜疑心被害感情が強すぎるのである

 

 小島は何でもない一言を過度に悪く拡大解釈し、しか当人が言っていないことまで「言った」などと述べるのだ。

 怒った時の小島はきわめて横暴で独裁的、まさしく暴君言動であった。

 その一方で、1日も日を置くと、「あのとき感情的になりすぎた」などと反省の弁を述べることも多かった。

 当初は「困った人だが、きちんと反省謝罪もできるんだな」と思っていた。

 だが、あまりにもそのようなことが続くとさすがに異常に思えてくる。

 そしてこんな風にも思い始めた。

 これは共依存DVカップルなどによく見られるコミュニケーションパターンではないか

 

 そんな人間と長く関係が続くはずもない。あるものは自ら去り、あるものは切り捨てられた。

 わたしの時も同じであった。再三、理解不能な怒りを買ったあげくに切り捨てられたのである

 彼の会社である夢現舎には現在スタッフはおらず、息子との間でさえ険悪な仲のようであるが、それも当然であろう。最近では『大山倍達正伝』(新潮社)に協力したLeo氏が「0.1円も儲けさせたくはない」と発言しているのを見た。

 

 彼を称して"イタコ作家"と呼ぶ人もいる。

 その場に居合わせたわけでもなく、録音テープがあるわけでもないのに、あるシーンのやりとりや長台詞、心情、仕草まで詳細に記述するからである

 アンチはこれを称して作話捏造根拠ひとつとする場合が多い。

 

 しかし、おそらく小島にその自覚はあるまい。

 催眠ショーでよくあるのだが、「あなたは○○(歴史上の有名人)だ」という暗示をかけたら、被催眠者は顔つきも声色も、姿勢も変わってなりきった言動を行う。強い暗示にはそのような力があるのである

 彼のYouTubeチャンネルを見てほしい。大山倍達芦原英幸の語りを再現する時の様子を。

 すっかり本人になりきっていると思わないだろうか?

 小島思い込みが激しく、自己暗示にかかりやすい男である

 だから本当になりきってしまうのだ。

 イタコ気質である以上、イタコ作家は間違っていない。


 人間関係悪化すると、いままで許せていたものが許せなくなる。

 これはほとんどの人間がそうだろう。それにしても小島のそれは極端に過ぎる。


 投影性同一視というものがある。

 非常に難しく、自分も十全に理解しているとは言えない。だから説明はしない(ネットでわかりやす説明を見つけたら、それは大幅にはしょって簡略化したモデルであると言い切ってもいい)。

 だから概念よりも、症例や行動パターンを見てほしい。

 驚くほど小島に重なるのである

 特に代表的ものを上げよう。

 

現実に,または想像の中で,見捨てられることを避けようとするなりふり構わない努力

理想化とこき下ろしとの両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる,不安定で激しい対人関係様式

 

 もう一つ、社会心理学認知的不協和理論というものがある。精神分析学では防衛機制において「合理化」といわれている概念にほぼ等しい。

 矛盾した言動や納得できない状況などに対して、それを正当化するために認知をゆがめ、自らを納得させるための理屈を作り出す。

 思い込みの激しい小島場合は、妄想物語を作り出すという形で表れる。

 だから小島自身は嘘をついているという自覚はないのではなかろうか。少なく見積もっても6割、多ければ8割ぐらいは本気で信じているように思える。

 これに被害感情の強さが結びついた時、極度の人の好き嫌いが生とも考えられる。

 なぜ小島はこのような人格を持つに至ったのであろうか?

 イタコ気質生来のものであろうが、それ以外は育成環境もかなり影響しているような気がする(なんとなくそう思うだけである、明確な根拠はない)。

 

 原田寛『最後の直弟子が語る 芦原英幸との八年間』によると芦原英幸がきわめて猜疑心の強い人物だったようだ。

 そして小島は芦原に心酔している。

 小島猜疑心被害感情の強さは芦原の悪影響ではなかろうか。



2022/6/30 加筆訂正

2021-07-27

日本から中止を言い出したら違約金を支払わされるから黙ってるだけとか

感染大中にここがピークアウトとか言ってみたりとか

ワクチンが行き渡ればコロナ禍は解決するとか

消極的に現状を肯定しつつ楽観的に希望を語る感じ

一種処世術とか防衛機制なのかもね

2021-06-10

anond:20210610231024

自動で働く脳の防衛機制のようなものだと思う。キャパティ越えで作業すると体を守るために「飽き」が発生して、同じことをしててもイラだってくる。飽きを回避するには気分転換必要だよ。

2021-03-05

anond:20210305154216

恥や罪悪感を感じたくないから、相手攻撃されたと相手側に責任転嫁して、怒りでごまかしてるんだよ

別にネット右翼に限らず、誰にでもよくある防衛機制だよ

2021-02-24

「興味ない」「分からん」のをわざわざブコメアピールする人たち、防衛機制か何か?

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1672342


はてブに残された最後良心であるpptppc2さんのありがたいお言葉

「興味ない(のは俺だけじゃないよな?)」「よくわからん(のは俺だけじゃないよな?)」という不安からついついコメントして同意者を求めてしまうのでしょうが、そういうのみっともないですよ。

2021-02-23

anond:20210223201136

架空なら内容が支離滅裂なのにも納得が行くからわかるけど。

いずれにしても、元増田の「気持ち」が「就活で上手く行かなくて劣等感を持ってた"都会の民間企業総合職"に対する合理化防衛機制)」であることなんて2秒で分かるし、しょうもないワークショップ」(それ自体フェイクだったとしてもとにかく何らかの表面的な交流だろう)の結果で無理矢理作り出した合理化なんて薄氷にも程があるってことも5秒くらいで分かることなわけで、そんなことで元増田の心の課題は何も解決しないこともみんな分かってると思うけど。

元増田が本当に心の課題解決したいんだったら、さっさと「都会の民間企業総合職」に転職でもすればいいわけよ。

親がどうとか家族がどうとか、地方を離れられない理由があるのかは分からんけど、結局最低でもそれをやらない限り、しょっぱい優越感で無理矢理納得させようとしても無理だろ。

2021-02-06

はてブを見てると

なんだかんだでみんな「よりスキャンダラスでないほう」「より脅かしてないほう」を選んでるよな。まああれはその後の「より正義を語らないほう」「より失礼でないほう」の下り問題からそこで留まっていればいいのか。最後に「よりユーモアのあるほう」とあるのはただのレトリックから無視していいと最近思う。でも最初の2つもある種の防衛機制のように見えるし注意が必要なんじゃないか

2021-01-29

冷笑なんて造語であり存在しない

だいたい防衛機制説明はついてる

anond:20210129205806

若い年収1000万のやつよりもベテランからいい仕事するよ

年収300万ぐらいが良い。

こういうことを真顔で言うやつがいるのがマジで理解できないんだよな。プログラマー界隈。

防衛機制で頭おかしなっちゃってるのか?

2021-01-11

DV被害記憶喪失した母親にモヤる

俺が母親の胎内にいた頃から父親DVが始まって、物心ついた時には既に母親を殺しかねない程DVエスカレートしてた

母親は気絶するまで殴られたり水を張った風呂桶に窒息しかけるまで顔を突っ込まれたりしていた

俺はその一部始終をこの目で見てきた

小学校の途中で揉めに揉めた末に逃げるよう離婚が成立し、そこから母子家庭になった

不幸中の幸いで俺自身はたまに蹴飛ばされる程度で大した被害は受けなかったが、幼児の頃からDVを目の当たりに育ったので心身ともに悪影響は受けている気がしている

俺は10代後半になって周囲との違和と生活の困難とを訴えて精神科受診した

種々の検査を経た後に広汎性発達障害という診断が下った

俺より8歳年長の兄貴定型発達だし、親族には父親含めて発達障害らしき人が認められないので、もしかすると俺の発達障害(様の異常)というのは発達期に受けた面前DVが脳の発育に影響を及ぼした結果なのではないかという素朴な疑問を持っているというわけだ(以前に面前DVが小児の脳に与える悪影響に関する記事を読んだことから湧いた単純な発想)

これは本題から脱線してるので置いておくが、最近になって母親と当時の話をする機会があり、あれこれと訊ねている内に俺の記憶母親記憶殆ど食い違っていることが発覚した

端的に言うと母親は当時の記憶殆ど喪失していた

子供の前でDVを受けたことはない」

DVの内容も大したものではなかった」

と言ったもので、全体としての被害矮小化して記憶していた

正確には改竄と呼ぶべきなのかもしれないが、事実と全く食い違っていること、それから自身の心象とを加味して喪失とした

俺は現在、大まかに分けて2つの感情に直面している

1つは困惑

母親はなぜあれ程の鮮烈な被害体験喪失してしまったのか

俺が推測するに、陰惨な記憶を保持していることに精神が耐えられなくて、自己保全の為に無意識が半ば能動的に記憶を消却してしまったのではないか

自身も、上述した″蹴飛ばされる程度の被害″は受けているのだが、これは実は兄から聞いた話であり、俺自身は完全にその被害喪失してしまっており、未だに実感もないのだ

人間には本来この様な防衛機制が備わっているのではないか

もしくは母親の脳に健康上の異常が発生していて、記憶障害の様な症状が発生しているのではないか

そうであれば医者にかかるべきかと思うが、この記憶の食い違い以外で母親記憶力に問題を感じたことがないので、恐らく違うのではないかと思っている

いずれにせよ俺はかなり困惑している

もう1つは憤慨

母親DV被害者ではあるが、同時に面前DV加害者でもあるというのが俺の兼ねてからの持論であった

もちろんそのことを母親に向けて主張したことはない、と思う

しかし、俺は面前DV記憶にずっと苛まれて育った

離婚して以来、俺は登校すると発話に困難が生じて黙りこくってしまう、場面かん黙症という異常をきたした

そんな具合であったから、当然のように虐めにも遭った

小学校高学年にもなると遺書を書き残したり(思い返す度に恥ずかしくなる)、自殺未遂を起こしたりといったメンヘラ入門的タスクも達成した

幸いにも死に切る勇気がなかった為に今の現在まで死に損なったままだが、俺は20代を迎えてなお少年時代の陰惨な記憶の影響下に生きている

それなのに、当の母親はすっかりそんなことは忘れてしまったと言うのだから、少しは腹も立つ😡

こんな犬も食わない様な話を出来る友人もいなければ支えてくれる彼くんもいないので仕方なく増田に書く

俺は母親を責めるつもりはないし、わざわざ忘れた記憶を思い出させようとも思わない

しかし、この蟠った感情言語化せずには先に進めないと思った

2020-12-11

差別」という言葉を切り分ける

差別」という言葉が一体何を指しているのか、共通認識として厳密に定義しないまま対話議論を重ねるとほぼ破綻する。差別に限った話でもないけど。いわゆる過激差別反差別主義者相手だと一対一でもおそらく難しいし、不特定多数相手ネットSNSだとますます不可能だろう。それでも自分の中での「差別」に対する認識再確認意味も込めてきちんと考えておきたい。


まず「差別」は

差別感情

差別行動

に分けられる。

差別感情内心の自由によって守られる。思ったり感じるだけなら自由だ。

差別行動はそれが法に抵触するならば法的に許されないし、道義的に間違っている(と他者大衆判断した)なら炎上する。

差別感情理由差別行動をするとは限らないし、結果としての差別行動に差別感情が伴うとも限らない。つまり両者の因果関係完璧に判定することは不可能であり、法もそれに基づいて判断している(と思う)。

例:ある人が家族人質に取られて「〇〇人はしね!と叫びながら〇〇人をころしてこい」と言われて実行したらその人の行動と〇〇人への差別感情関係ない

が、この「差別感情差別行動の因果関係は見えない」ということを理解できない人たちが一定数いて、理解できる人との間に軋轢生まれる。さら差別感情のものを持ってはいけないという人までいる。特に自分の中の差別感情を認められず劣等感を持っている人は防衛機制として差別行動をしている(ように見える)他者自分差別感情投影批判している場合が多い。防衛機制ゆえに自覚的では無いので対話を重ねても理解を得るのは難しいだろう。


次に「差別行動」は

消極的差別行動

積極的差別行動

に分けられる。

差別対象を避けたり、関わらないようにするのが消極的差別行動。

差別対象物理的・心理的攻撃したり排除するのが積極的差別行動。

後者はこれぞ差別という感じだが、問題は前者である。これは法に抵触しない。差別対象には何もしていないからだ(未必の故意は除く)。道義的にも、議論は分かれるだろうが問題ない場合も多いだろう。だが少数の差別対象複数個人がこれを行った場合差別対象やそれを見た第三者が「差別が起きている」と感じる場合がある。別にいじめられてるわけではないけどハイ二人組み作ってーで毎回余る、みたいなものだ。

いわゆる「日本差別」はこの「複数個人による消極的差別行動」に当たる場合が多いのではなかろうか。対象認識したとき差別感情は起きるかもしれないが、積極的差別行動にまでは出ず、見て見ぬ振りをしたり離れたりする。そしてその対象とは単に「見知らぬ人」「見慣れぬ人」などである。それが結果的被差別者からすれば「自分は〇〇だから差別されている」という認識になるのではないだろうか。これは対話によって解消できる余地がある。実際地域に馴染んでいる「元・見慣れぬ人」たちも大勢いるはずだ。だが対話する前に「差別が起きた!差別だ!この人たちは差別してます!」と声を上げてしまう人もいる。その中には積極的差別の結果として排除されている人もいるだろう。だが結果として似た行動でも意図理由が異なっている可能性があるものを十把一絡げに批判されたらそんな気がなかった側が「一緒にしないで欲しい」と思ってしまうのも道理ではなかろうか。

誰にだって差別感情はある。ネガティブだろうがポジティブだろうが感情の発生は止められないからだ。自分の中のそれをできるだけ分析して制御したうえで行動に移していきたいと思う。感情論理共存だ。

なんにせよ、他者の行動に悪意を見出すのは他者に悪意を向けるのと同じくらい慎重になるべきだろう。対話はそこから始まる。

2020-12-03

それは好みの問題

まれた時にはヒトには快不快感情しかないわけで、その後の価値観や美意識は育った環境や、触れてきた情報で作られる。

物や他者、あるいは政治経済しろ、まず初めに好きか嫌いかという感情があって、あらゆる言説はそれを正当化するためのツールしかすぎないではないのかと最近考えている。

認知的不協和とか防衛機制とかそういうやつね。陰謀論なんてまさにそれ。

分断が問題になっているけども、それは好みの問題なんだよねって、あえて矮小化すれば平和になりそう。

どんなカレーラーメンがおいしいと思うのかってだけ。きのこの山 vs たけのこの里くらいバカバカしい話。

2020-11-15

増田って極限まで肥大化した被害者意識自己矛盾勝手に悩んでるけど

最終的に思考放棄してウンチだの猫だのVtuber推しになったりして知能指数を自らどんどん下げて幼児化していってるのは

糖質化して低能先生や青葉みたいにならないようにする防衛機制が働いているからなんだろうか

2020-10-23

マスク有効性を信じない人の心理

新型コロナウイルス騒動も徐々に落ち着きをみせてきたが、いまだにマスク否定論者は存在している

その理由がこのたび判明したので、ここに共有する。

 


 

次の問にYES/NOのいずれかで答えれば、マスク否定論者の考え方を体験することができる。

問いてみてほしい。

 

問1. マスクを付けて、3密を避けていれば風邪にもかからないだろうか。

問2. スマフォを裸で持ってる人でもマスク装着で風邪を防げるだろうか。

問3. コロナ蔓延する人里を離れた山奥で、自給自足生活をしていれば風邪にもかからないだろうか。

 

一瞬迷うところがあるかも知れないが、新型コロナウイルスに関する知識情報に基づけば、上記の正解はいずれもYESである

SARS-CoV-2よりも圧倒的に感染力が弱く、空気感染もしない風邪ウイルスなのだから、解答は明快に出せるであろう。

 

人類が100万人の犠牲を払いながらも集めたノウハウなのだから間違いはない。

しかしながら、論理的には分かっていても感情的には腹落ちできないところもある。

無理もない。人は誰しも心理的防衛機制というものを持っており、それが詐欺などに騙されるのを防いでいるのだから

ただ、そのわずかな偏りがマスク否定論者を生んでいるのだ。

 

前述の問いを考えることで、自身心理的防衛機制体験して頂けたと思う。

マスク否定論者はその防衛機制をただ少しだけ重視しているに過ぎない。

はてブ利用者増田諸兄におかれては、その点を忘れずに日々活動して頂きたい。

2020-10-06

では非モテの苦しみにどう対処するのか。

anond:20201005214014

リベラル非モテ論に欠ける視点」の元増田

記事ブクマがついたので、前回の続き的なものを書いていきます

前回は小野氏と環氏、二人のリベラル非モテ論に欠ける視点がある。それは身体が持つ生来的な欲望で、社会規範と同様に異性から好かれたいという欲求に対して大きな影響を及ぼしているという視点。なので、人が異性から好かれたい欲求や子孫を持ちたい欲求を持つことは人間として当たり前だと書いた。

もう一つ、最近研究でわかってきた人間の当たり前の事を書くと、社会的動物として人間他人幸せにすると自分幸せに感じる動物であるということである

生涯のパートナー候補としての異性を欲求し、それを得ることに嬉しいと感じ、そしてパートナー同士がお互いを喜ばせることにより幸福感を感じるのは、そのように脳がプログラムされているのである

経済的に豊かで一人暮らしが容易な先進国日本より、経済的発展途上国だが人間関係が濃いのフィジーのほうが主観的幸福ランキングで勝っているのはそのためだ。

パートナーを持たなくても他のことで幸せを感じることもできるが、非モテパートナーが見つから他者幸せにすることが困難であることが苦しみに感じるのは生来的に当たり前の事なのだ

では今回は非モテがその苦しみに対してどのように対処していけば良いのか考えていく。

これは非モテに対する悩みの深さが人によって異なるので一概には言及できない問題である

各人固有の悩みがあるだろうし、それらの苦難に対してどう対応していくかも様々だ。

とはいえ「人それぞれ」と突き放すのもどうかと思うので、ここでは悩みの大きさを軽中重と分けて色々考えていきたい。

軽度の非モテに対する対処

軽度の非モテ自分非モテを軽く自虐できるくらい深くは悩んでいない。

なんなら出会いの機会さえあれば、自ら行動し非モテでなくなる可能性もある。

そもそも一人でいることが然程苦ではなく、一人も良いんだけど恋人ができればもっと良いよなと思う程度だ。

"生涯独身世代"と呼称される人々は2030年には男性の30%程度、女性の25%程度まで増えると予測されている。

それほど数の非モテたちは自分なりの幸せを見つけ、それなりに独身人生を楽しんでいくだろう。

とはいえ、その一部は男女共にチャンスが有れば非モテから抜け出したいとも思ってる。

もしあなたがそんな非モテなら、日常ルーチンから一歩を抜け出し、恋人を作る行動を起こしてみるのも手かもしれない。

また、あなたにそのような友人がいて相談されたら、同じようにバートナーを探している人を紹介してあげれば良い結果が生まれるかもしれない。

中度の非モテに対する対処

中度の非モテは自らのコミュニケーション能力の低さから、異性を幸福にし、好みの異性に好意を持たれることは困難だと悩み、非モテ状態コンプレックスを感じている。

またそのような自分自身の状態から自らの力だけで抜け出すのは難しいと考えている。

もしくは自分自身では対処できないと自覚している問題にも関わらず、他人に助けを求めることを恥だと考えているかもしれない。

もし貴方がそのような非モテであったら、他人に助けを求めることは恥ではないと伝えたい。

自分欠点を悪く思うことで余計ネガティブループに陥ると、自分の力だけでその苦しい状態から抜け出すのは困難だ。

友人等他人相談し、しっかり自己肯定感を高めていけば自信も付き、ネガティブ状態より異性に好かれやすくなるだろう。

またあなたが中度の非モテ相談されたならば、単純に出会いを紹介するだけでなく、その非モテパートナー候補の異性と理想的関係を持てるようにアドバイスをしてあげて欲しい。

重度の非モテに対する対処

重度の非モテは心の健康が損なわれた状態、またはその一歩手前の状態にある。

非モテ状態に強くストレスを感じ、受け入れがたい苦痛不安さらされ、無意識防衛機制を働かせている。

自分自我を守るため、自分欠点他人のせいにしたり、他人攻撃になったりする。

そのような状態の人に対するアドバイスを私は持っていない。

心の専門機関に行き、カウンセリングを受けるのがベストであろう。

もしも貴方の周りにそのような非モテが居たら、とても厄介に映るだろうがさらなる非難や刺激を与えることはどうか避けて欲しい。

彼等の神経症心身症悪化する恐れがあるからだ。

もしもそのような非モテ貴方の大切な友人であるなら、どうか説得して彼等を病院に連れて行って欲しい。それが私の願いだ。

最後に。

人の悩みは十人十色で、上記コメントは全く貴方には当てはまらず頓珍漢な文章に映っているだろう。

非モテが苦しいのは当たり前だし、人間他者との繋がりによって幸福を感じる動物だ。

自分の苦しみを客観視し、その状態を良い方向の持っていくのは簡単ではないが、貴方人生が1ミリでも良い状態になることを願っている。

このコロナ禍で直接他人接触する機会が減り、色々大変だと思うが、まぁ頑張ってちょ

2020-09-30

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.友達が『スカッジャパン』を「何か嫌だ」と言っていたのですが、具体的な理由を教えてくれません。代わりに説明してくれませんか。

実のところ、全ての人間は「スカッジャパン的なるもの」が好きなのだよ。

これは「愚か者が嫌い」というヒトの本能と表裏一体であるからだ。

そういった愚か者を“スカッジャパン的なるもの”で撃退したり、或いは玩具にして壊れるまで楽しむ。

そうすることで環境操作して精神の安寧を図る、いわば防衛機制の一つなのだよ。

君が、ここ匿名ダイアリー過去に書いた日記言及記事を思い返してみるといい。

或いは、はてブコメントを振り返ってみよう。

自分がなぜそのような言動をしたか、どういった欲求のもと成されたか

なんならブクマしている記事の傾向だけでも、“スカッジャパン的なるもの”を求めている自分が見えてくるだろう。

では、なぜ「スカッジャパン」に不快感を示す者がいるかというと、その見せ方が露骨だったためだ。

露骨もの社会通念上「下品」、「低俗」と受け取られやすい。

矛盾しているようだが、我々は理性的であろうとする生き物でもあるからな。

そういった人間自身を律しようとするあまり、「そうあるべき」とも考えがちだ。

しかし「そうあるべき」という衝動を律することができないと本末転倒となる。

結果、「そうでない」対象に向かって発散してしまい、自分も“スカッジャパン的なるもの”に踊らされる。

まり理性的スカッジャパンモンスター」の誕生さ。

略してスカモン(商標登録済み)。

なので、君の友達にも「スカッジャパン的なるもの」の欲求は確かに存在しているのだ。

それが「どの程度、露出しているか」という違いのみである

いうならば「パンモロ」より「パンチラ」が好きということだ。

パンチラでも「ちょっと……」って人の場合は、ボトムスなどでもいいだろう。

ボトムスパンティーそのものではないが、パンティーの可能性を内包しているからな。

から君の友達が「何か嫌だ」としか言えないのも仕方ない。

面と向かって「パンティーが好きだ!」なんて言うのは気恥ずかしいし、君だってわざわざ言われても困るだろう?

今回、学ぶべき教訓は「我々は“スカッジャパン的なるものから逃れられない」ということだ。

せいぜい何を履くか、露出度をどれだけ気にするか、それが精一杯だろう。

ありがたいことに、この匿名ダイアリーには数多の下着下衣が溢れている。

レアなスカモンもゲットできるサファリゾーンを、君も堪能しよう。

2020-08-07

anond:20200807134652

要するに、「自分達は理性を持っており正気であるフィクション現実区別が付く)」が「あいつらは理性をもっていない(だからフィクション現実区別もつかない)→怖い」って世界観なんだよな

古くは他国人間を野蛮だとレッテルを貼ったような、まぁ良くある防衛機制なんだろうが、もう21世紀なんだしそういう自分自身の心のうごきを客観的に把握して不適切さに気付けるようになって欲しい物だね

2020-07-01

SF小説の表紙はなぜキャラ絵ばかりなのか問題について

論争の概要

 ・あるSF編集者自分担当したアンソロジー本(『日本SF臨界点』と『2010年代SF傑作選』)の表紙を掲載し、そのツイートが広くバズった。

 ・それを見てある読者が twitter で以下のような発言を行い、反響を呼んだ。


「なんでSF小説とかアンソロの表紙って漫画アニメ絵女の子ばっかなの?恥ずかしくて持ち歩けないんだけど。自らターゲット狭めてマーケット小さくしてる気がする。(中略)誰も彼も「売れるから」で思考停止している気がしてならない。」


それに対して当該編集者がfusseterで以下のような反論を行った。

・「女の子」に関して

 ・イラストレーターには『性別指定しない抽象的なキャラクター像』で発注したもので、『女の子』ではない,

 ・キャラクターであることそのものに対する違和感にしても、少なくとも現場ではそういうものにしようという意向ではなかった。


・「恥ずかしい」に関して。

 ・特に若年層ではキャラ絵が「恥ずかしい」と思う感性はあまりないはず。

 ・キャラ絵が想像力を狭めるということはなく、むしろ想像力喚起するもの


・表紙に対する意見について

 ・表紙を描くイラストレーターたちにも評判を気にして傷つくなどの感情はあるんだから、そういう人に届く危険認識したうえでSNSを使え。

 ・意見自体勝手にどうぞ


・「アニメ絵女の子ばかり」ということに関して

 ・事実として違う(SFマガジンの書評欄に見られる書籍の表紙を引き合いにだして)。


・今回の表紙の意図について

 ・なるべく広い読者層へリーチしてほしかった。


論点の整理と意見

二者間で応答された論点は以下のように要約される。

 1.なぜSF小説・アンソロの表紙はキャラ絵の女の子ばかりなのか

 2.キャラ絵表紙に対する「恥ずかしい」という個人的感情

 3.マーケティングとして、読者層を狭めてはいいか


1.は事実認識としては適当ではない。ただ、主観的不正確な感覚でも、その感覚が広範に共有されていればシーンに対する認識としては強度を持つ。

たとえば、読者の記憶に残りやすい「目立つ」コンテンツの表紙にアニメ絵率が高かった(ように思える)場合、多くのユーザーは「表紙にアニメ絵ばかり」という認識を持ち、関係するアクターやシーンの振る舞いもその認識に沿って動いていく可能性がある。


ハヤカワは伊藤計劃の『ハーモニー』『虐殺器官』の文庫化の際に、伊藤計劃作品アニメ映画キャラデザを務めたredjuiceを起用した。ちなみに表紙に、ではない。本をすっぽり覆うタイプのオビにイラストを反映させたのだ。実質的には「アニメ絵の表紙になった」とみなされても仕方がないし、事実そのように勘違いしている人も散見される。


シライユウコイラストレーションに対するファンダム記憶伊藤計劃百合SFと密接に結びついており、2010年代の「気分」を確実に決定づけていた。

シライユウコが表紙を描くこと」は他のイラストレーターキャラ絵寄りであれそうでないであれ)が担当するより確実にある種の指向性を帯びやすい。

どういう指向性か、と問われるとなかなか言語化しにくいが、このイラストレーター伊藤計劃の『ハーモニー』の単行本版の表紙を担当したこと、伴名練のデビューである少女禁区』の表紙を担当したことライトノベル作家短編が多く採られた『ゼロ年代SF傑作選』の表紙も担当し『2010年代SF傑作選』がその「再登板」でもあること、百合SFブームを決定づけた『SFマガジン』の百合SF特集号の表紙も担当していたこと、等々から鑑みて、「百合SF」に代表される近年のSF代表するイラストレーターとみなされうる、といったところだろうか。

もちろん、シライユウコ上記以外にも多くのすばらしい仕事を残している。ヤングの『時をとめた少女』など『2010年代SF傑作選』よりも「少女性」が強い絵も描く一方で、円城塔の『エピローグ』(単行本版)やヴァーリイの『逆行の夏』などのようなさほど「少女性」が目立たない絵もある。

しかし、世間でのイメージを決めるのは結局バズった仕事だ。

そうしたイラストレーターが表紙を担当することで、某評論家のいうように様々な出自トーンを持つ収録作のイメージを一つのカタにはめることになるのは否めない。それはイラストレーターの罪ではない。


日本SF臨界点』に関して言えば、伴名練が編纂するということで『なめらかな世界と、その敵』での「キャラ絵の人物がアップになっている表紙」が文脈的意識されているのだろう。

『なめらかな世界と、その敵』の収録作はジュブナイル的な色彩を帯びた作品が多く、表紙の選択はかぎりなくマッチしていたと思う。だがその文脈を発表年代も書き手バラバラアンソロに持ち込むのは(表紙を決めるのは編集者なので作家ではなく編集部として)作品群を「私物化」、あるいは領土化する行為として糾弾されてもしかたがない。


とはいえアンソロジー編集するのはひとつ創作活動でもある。DJのようなものだ。どんな作品を選ぶか、どんな順番で収録するか、といったことが作品個々の印象や読み味を大きく左右し、「一冊」のイメージを決める。その点で、表紙を「私物化」するのも表現の一部であるかもしれない。増田個人意識としてはアンソロの表紙もまた(アンソロ自体のコンセプトにもよるが)「私物化」されるべきと考える。

ハヤカワは伴名練という作家に過剰な文脈を背負わせすぎなきらいもあり、それはあまりよろしくないと感じるが、『日本SF臨界点』は伴名練の作品批評ひとつとして見なすべきではないか

アンソロ編纂するということはそのくらい暴力性を孕んだ行為なのだ。「埋もれた作品を発掘する」などといった無邪気な善性だけで成り立っているものではない。作品について一切指向性を持たせたくないのなら、表紙をつけず、amazon あたりで短編単位ひとつずつ売るしかない。


2.に関しては編集者の反応があまり噛み合っていない。「恥ずかしい」と感じることはどこまでも個人的感情なので、「若者には違和感がない」と反論してもあまり意味がない。発端となったツイートで「恥ずかしい」に続く文がマーケティングの話なので、マーケティングの話をされていると思ってもしょうがないというか、増田普通に読んでればそう取ると思うが。

また、編集者立場としてはイラストレーターを守りたい気持ちで「いや、恥ずかしくないんですよ」と反論したくなるのもわかる。表紙についての議論をすることに対してやや脅迫的ともとれる言辞をしているのも、そうした仲間を守りたい意識のあらわれだろう。その判断編集者として間違ってはいない。


ともあれ、その人が「恥ずかしい」と感じたならば「恥ずかしい」のは仕方がない。また、読者や作家にもそうした感覚共感する人々が一定存在するようなので、そうした心情を斟酌しないのはいかがなものかと思う。最低でも文面の上ではそうした消費者感情に向き合うふりくらいはしておくべきではなかったか

Twitterではよく「表紙が恥ずかしくて買えないとかガキか」という意見が目にされたが、そういうマウントの取り方もよくないと思う。


3.については(元の発言者は重要視していないとしているが)完璧に食い違っている。片方は「キャラ絵にすることでターゲットを狭める」と主張し、もう片方は「キャラ絵にすることでターゲットを広げる」と主張している。百合SFブームを仕掛け成功させたことや、この論争がそもそも2010年代傑作選』と『日本SF臨界点』が"バズった"結果生じたものであることを踏まえると、(編集者もまたマーケティングプロではないにしろ編集者側に理があるように思える。

SFというものキャラクター文化親和的なのだから、そっち方面から開拓の読者を拾った方がよいと判断するのは筋が通っている。「キャラ絵で買わない新規消費者」より「キャラ絵がついてることで買ってくれる新規消費者」ほうを多く見積もっているのだ。興味を持ってくれる読者層を有効開拓してこなかった業界の怠慢を一挙に巻き返そうとしている節はあるにしろ


ある一定の方向へ突出しすぎている表紙を出すことでそれ以外の読者を切り捨ててしま可能性はある。たとえば、ライトノベルの表紙絵はキャラ絵を好む読者以外へのリーチをハナから諦めている。キャラ絵を用いてる点では『臨界点』と変わらないが、よりパラメータがいわゆるオタク寄りに調整されている。最近スニーカー文庫ハルヒ角川文庫から再発されるにあたり、有名ないとうのいぢの表紙から実写を用いたいかにも一般向けの表紙へ切り替わったことがあった。これは「キャラ絵を切り捨てる層」への訴求を試みた例だろう。

ハルヒのメインターゲットであった層を掘り尽くしたので、本来ターゲットにしていなかった層も掘る余裕が出てきたのだ。メガヒット作ならではの展開といえるだろう。


キャラ絵を用いた表紙と、写真を用いた表紙。

間口を広く取れるのは後者だ。特定の層により訴えるのは前者だ。

どちらを取るかは出版社戦略次第だ。ハヤカワが大手より体力の低い中小出版社であることも考慮にいれるべきかもしれない。


だが、特定の層に訴えるマーケティングときにその層に含まれていないと感じた消費者への疎外感を生じさせる。そのことには出版社自覚的であるべきだろう


より個人的感想

個人的感想をいえば、シライユウコ絵が「マンガアニメ的絵」だという意識はあまりなかった。林静一から中村祐介に至るイラストレーター系譜(もちろん彼らにくらべたらややまんが的ではある)に連なるような存在として認知していた。

臨界点』のイラストもそこまでキャラ絵として意識していなかった。「恥ずかしい」と感じられるキャラ絵とは、それこそライトノベルの表紙絵くらいのレベルだと思っていたのだ。

たとえば、『臨界点』がライトノベル的な表紙であったら、増田も「切り捨てられた」と感じたことだろう(それはそれとして本を買いはする)。

こんなことを萌え絵に対して不感症になっている典型的日本人の謗りを受けそうであるし、実際そういう面も否めないのだろう。増田はよくTwitterで論争になる公共の場所で広告に使われる萌え絵について「恥ずかしいだろ」と(その是非とは別のレイヤーで)思ってしまう人だ。本当に「恥ずかしさ」の基準はひとそれぞれだなと思う。

今回話題になった表紙が即女性に対するオブジェティフィケーションにつながるとは思わない。

一方で、キャラ絵を用いたSF小説の表紙が女性という表象にまったく何も背負わせていないとも思わない。本人たちが意図するしないにかかわらず、文脈的には「百合SFムーブメントを作り上げた編集者」が、「伊藤計劃百合SFSFマガジンの百合特集号の表紙を描き、百合イメージが強いイラストレーター」や「百合SFムーブメントの一翼を担った新進作家」と作ったものなのだ。人はそこに「少女」を見る。その「少女」は私たちの築き上げてきた「少女」のイメージを背負っている。そこに無自覚はいられない。

私たちはどのレベルの「恥ずかしさ」で合意するのか。SFという貧しく狭い領域マーケティングコンプライアンスをどう天秤にかけていくのか。

今はまだ問いの出ない問題だ。作家しろ編集者しろ読者にしろ、一個人ではどうにもならない問題でもある。

だが、他人の感じる「恥ずかしさ」を「時代遅れ」と切り捨てることなく、あるいは読者同士で向き合うことで、ある方向へ流れていけるかもしれない。そこから先は、未来の話だ。作家たちの語るべき領域だ。


余談。あるミステリ作家が「消費者意見に対して真剣に向き合わず、味方を囲い込んでる」と例の編集者にキレてブロックしたことについて。むしろ、fusseterの文面ではTwitterでの論争の不毛さに触れているように、犬笛にならないように注意を払っているように感じた。よくやるように擁護ツイートRT連発みたいな行為にも走っていないし。

個々のフォロワーたちが発言したり群れたりするのは止められないだろうし、それを「味方を囲い込んでる」ように見えたとすれば、多分に先入観が強い。

意見に向き合え」というのはその通りだと思う。本人がおそらく可能な限り真摯に向き合っているつもりなのはfusseterで重ねられるエクスキューズからも読み取れるが、だとしても人はどこかで何かから目を逸らしてしまものだ。当事者になればなるほど防衛機制は強まる。ただ例の編集者自分に対して意見を言ってくる人を尽く敵と見做して戦争しかけるタイプには見えないし、あの作家の言うことなら無碍にはしないはずなので、ブロックする前に意見交換を行なって互いの認知を均したほうが幾分有益であったはずだ。

この問題については意見を出してる作家業界関係者でさえ恐る恐るというか、批判しろ擁護しろ通り一辺倒のことしか言っていない印象がある。

その穏当さが党派的な対立を強めていはしないか業界トピックとして捉えるなら、公の場で作家同士でもっと突っ込んだ話し合いを行うべきではないのか。

2020-06-16

#クソな元カレの顔と実名エピソード晒して成敗

このハッシュタグが大流行して名誉毀損祭りになったとしてもはてな民はなんも言わないと思う。

逆に、「#クソな元カノの顔と実名エピソード晒して成敗」ってハッシュタグが大流行して名誉毀損祭りになったとしたら、今度ははてな民は世紀の大人問題くらいに大騒ぎするのは間違いない。


お前らほんとモテないんだろうな。

モテないがゆえに戦略防衛機制としてフェミニズム(笑)

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