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2017-01-20

表現の自由」だけで済む問題だと思うけど。

表現の自由」だけで済む問題だと思うけど。

人口膾炙した理由を考えずに言葉尻だけを取り上げて殊更非難する姿に我々はポカンとしてしまうのであります

2016-11-08

ユーザエクスペリエンスデザインするという傲慢

ユーザエクスペリエンスという言葉人口膾炙して久しい。

しかしたら、変化の早い業界であるから、今はもっと広い意味包含する何かがあるのかもしれない。

それはそれとして。

我々は、ユーザインタフェースデザインすることにより、間接的にユーザエクスペリエンスを実現している。

なお、ここでのユーザインタフェースとは広義のユーザインタフェースを指しており、画面上の視覚要素の配置には留まらない。

ユーザエクスペリエンス計画ユーザインタフェースへの反映は、人間が親しみやすデザインをするために、大いに役立つ。

役立つはずなのだが。

つの間にか、ユーザエクスペリエンスという名の絵空事ユーザインタフェース計画されるようになってはいないだろうか。

ユーザーエクスペリエンスの名の下に、ユーザーが望みもしない体験押し付けられる事例が、多過ぎやしないだろうか?

ユーザインタフェースは、ユーザエクスペリエンスの実現手段である以前に、使用者との接点なのである

あなたがぶち上げた高尚な経験は、もしかすると、それはそれは素晴らしいものかもしれない。

しかし、それはまず、ユーザインタフェースとして適切かどうかを判断してからそれから実現すべきなのである

そのユーザインタフェースは、使用者ストレスを与えるものでないか

そのユーザインタフェースは、過度に装飾的でないか

そのユーザインタフェースは、過度にシンプルでないか

そのユーザインタフェースは、そもそも使用者が正しく使用できるものか?

そのユーザインタフェースは、ユーザとの接点として機能するか?

夢を語るだけでなく、ちゃんと求められているサービス提供する。

色水で割ったようなお酒を出す居酒屋ですら出来ていることが、なぜ出来ないのか、不思議に思う。

2016-11-07

次はヤングホームレス来るか

英国発祥NEET概念人口膾炙して久しいが、その英国で今一番アツいのは「ヤングホームレス」だそうだ。

英国を後追いするようにNEET人口が急増し(あるいは認知されるようになっ)た日本は、若年層無宿者の急増まで後追いするんだろうか。

何年か前の少女リンチ殺害事件でも、犯行者たち10代男女は、みな複雑な家庭環境から逃れるために

アパートの一室を共同で借りて援デリまがいのことをして生活していたらしいし、

そういう「神待ち家出少女」的な子の中には、もう既に実質的ヤングホームレス化している層もいるのかもしれない。

あるいは少女の方が可視化するのはもう少し後で、まず少年たちがホームレス化するのが先になるのかも。

2016-10-20

http://anond.hatelabo.jp/20161020093748

こういう手合いはたぶん、将棋チェス囲碁オセロ等のゲームを、「記憶計算ゲーム」じゃなくて「思考ゲーム」だと思っていたんじゃないだろうか。

記憶計算ゲームであることを認識していれば、そのうち機械に追い越されるのはコンピュータ人口膾炙した頃から自明な話なので、今更そんな話にはならないでしょう。

2016-10-01

新海がエロゲ業界出身みたいに語るアホなんなの?

http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/1030984

anigoka なんだろ、昭和の名監督日活ポルノ出身みたいな?

natu3kan コメントにもあるが、10年前は普通会社では生かせない才能をの人はアダルトゲーム会社が発掘し、今は動画配信サイトか。ブコメみて追記:利益が出れば自由が許される業界は強い。新海誠とってminoriがつなぎ仕事でも

 

新海がminoriOPを作ってたのはコミックス・ウェーブ企画部門であるMANGAZOOminori母体だったからだよ。

まったく縁のないところから酒井伸和が新海を見出して依頼したわけでもそれが可能だったわけでもない。

 

だいたい新海のwikipedia見れば『wind』より『ほしのこえ』の方が公開早いの分かるだろ?(※『Wind -a breath of heart-』のデモムービーは、『ほしのこえ』の上映会の最終日にあわせて下北沢トリウッドで公開されたのが初出で、完全に『ほしのこえ』の後追い。(http://web.archive.org/web/20020610084350/www.dengekionline.com/g-net/g-net_news/200203/02/gn20020302wind.htm))

ほしのこえ』は公開と同時にトリウッドが連日満杯になって、そのことがネットを通じて日本中を駆け巡ったんだよ。すごい(映像の)アニメが公開されたらしい、しかもひとりでつくったらしい! ってな。

その後なんだよ、『wind』は。OPを見たエロゲオタもまた同様に衝撃を受けただろう。受けただろうが、そのときには既に新海は人口膾炙されたあとだったわけ。だから『wind』のOPによって世間が新海に気づいたとかは完全に偽史だよ、偽史

 

なお『BITTERSWEET FOOLS』のOP担当してるじゃないかというやつがいるかもしれんが、本作ではぜんぜん話題にならなかった。『彼女と彼女の猫』がコンテストグランプリを獲ったときはさほど新海の知名度が上がらなかったのと同様(もちろん情報感度の高いやつはこのあたりで知ったんだろうが)。

あくまで新海が世間に出る直接のキッカケになったのは『ほしのこえ』だ。

まり彼は自主制作アニメ出身というのが正しい。

ファルコムで『英雄伝説』とか『イース』のOPつくってた件を持ち出すとしても言えてゲーム業界出身まで。

ただしファルコム在籍中から自主的に掌編映像を作って地力をつけてきた(http://www2.odn.ne.jp/~ccs50140/world/index.html)ことを考えるとやはり自主制作アニメ出身というのが妥当。『wind』では上記や『ほしのこえ』で培った実力を発揮したことによってインパクトある映像になった。エロゲOPを作って力をつけてきた、みたいな解釈も完全に間違い。

 

 

あとついでにいうと新海がエロゲOPのあり方を変えたとか言い張るのもアホ。

mouseion まあ、新海OPエロゲーの在り方を根本的に変えちゃったよね。要は意識高い系泣きゲーシナリオにはこういう意識高いOPを付けないとユーザーには受けない病気に罹ってしまって必要以上にOPに拘ってバカみたい♪

おいおいトンチンカン物言い良い加減にしとけやお前。

新海フォロワーと言えるエロゲOPは『あると』を始めとしていくつかある。あるのは事実だが、エロゲOPを“新海的”なものに変化させたりはしてねえ。

なぜかっつーと真似るのがそもそも困難で、真似たところで「ああ、新海のパクリね」以上にはならんからだ。

売上に直結するならそれでもやるメーカはあるだろうが、くだんの『Wind』がまさにOP詐欺といえるほどゴミだったせいでそれもなくなった(OPの出来だけで売れるならminoriがこんな体たらくになるはずがない)。

 

2000年代エロゲOPもっとも影響を与えたのは、2000年前後同人MAD業界だ。『kanon』とか『月姫』をモチーフにした静止画MAD音楽にあわせてカットを矢継ぎ早に切り替え、映像を盛り上げていく手法MAD流行りに流行った。

それまでのエロゲOPはおもにコスト問題から映像スクロールさせてそれに音楽を乗せる程度だったのが、この辺りからより映像性を重視したものが増えていく。

2000年代エロゲOPいちばん作った映像メーカーといえば神藝工房だろうが、代表の神月社と捏音たむは当に同人MAD業界出身。同じように『Kanon』のMADで名を馳せたTi(極東屑山公司第二工廠)も『歌月十夜』や『Fate』のOP担当してる。

こういう事実無視してお前の脳内お花畑開陳してんじゃねーぞクソ雑魚ナメクジが!

 

 

【2016/10/10追記】

なんかもーいっそのこと『彼女と彼女の猫から『Wind』のOPが公開されるまでの時系列整理しとくかって気になったんでやります基本的ネットログに頼ってるので大雑把。

と思ったら増田字数制限(?)に引っ掛かって更新できないので詳細は↓。

http://anond.hatelabo.jp/20161010071838

 

 

★読むのめんどくさい人向けの簡易まとめ+それを元にした憶測

・2000/04 『彼女と彼女の猫』で CGアニメコンテストグランプリ獲得

・2000/初夏 『ほしのこえ』を作るためにファルコム退社

・2000/初夏-2001/12 『ほしのこえ制作

・2001/01-04あたり(?) コミックス・ウェーブによるマネジメント開始

・2001/06 『BSF』のデモムービー制作 → 8/31発売

・2002/01-02 『Wind -a breath of heart-ムービー制作

・2002/02/02 『ほしのこえ』公開

・2002/03/01 『Wind -a breath of heart-ムービー公開 → 4/19発売

 

単純な公開順をいえば『彼女と彼女の猫』→『BSF』→『ほしのこえ』→『Wind -a breath of heart-』。

新海はエロゲによって知名度を上げたかという問いに関しては『BSF』が焦点になるわけだが、当時のログを見るにほとんど話題になっておらず(なおhttps://twitter.com/kanose/status/784046586187755520)、情報感度の高いひとがそれによって知ったとしても『彼女と彼女の猫』で得た知名度を超えるものではない。

 

俺が新海はエロゲ出身じゃないと言い張ってるのは(ファルコムを退社してまで)自主アニメ制作を本格的に始めるキッカケが『彼女と彼女の猫』でグランプリを受賞したことにあるし、世間に知られたと言える最初作品が『ほしのこえであるからだ。

ここまで言ってなお新海はエロゲ出身と言い張りたいやつはどういう理屈によってそうなるのかちゃんと説明しろ

 

お上記はファルコム出身であることを理由にしたゲーム業界出身説を否定するものでも、エロゲOP制作経歴はパージしとくべきと言うためのものでもない。

新海はエロゲ出身と訳知り顔でテキトーなことをぶちかますやつを非難するためのものなのでそこんとこよろしく。

2016-08-08

エロ漫画一般に行った人を見て想起すること

昔散々セックスしたり売○した女が、素知らぬ顔で婚活合コンでいい男捕まえて、昔のことなんかおくびにもださずに幸せ生活をつかむ構図と似ててもやもやする

女中的にはかなりもやっとするけど、実際のところそういった女と違う

エロ漫画別に何も毀損していないゆえにだ

しろ芸術によって救われない多くの男のメシアになっているという意味で、じっさいはけがれた女とは一線を画した存在なんだ

そこからより多くの人口膾炙するところにいったのは、例えるならビッチイケメン金持ち捕まえて安穏生活ではなく、インディーズしこしこ意味深)がんばってたバンドが晴れてメジャーデビューしたのと同じ構図なんだ

俺が最初に抱いたイメーじはただ単にさいしょが えろだからってとから偉大たマッチョにすぎない

おんなとエロ漫画家は違うんだ

2016-07-14

非モテ中年童貞なのだ一夫多妻制を全力で支持する

世の中、少子化問題人口膾炙したせいか特に酒席で中高年から「いいかげん結婚しろ」「子ども作れ」という圧力を受けるようになった。

だが、俺のような非モテ中年童貞には結婚相手を見つけるのは難しいし、そもそも面倒くさい。やる気が起きない。毎日風呂入るのもイヤだし。

で、考えた。女性は(総合的な意味で)魅力ある男性結婚したがっている。ブサメン非モテ童貞貧乏男はゴメンだ。

なるほど、だったら一夫多妻制にしてしまえばいい。イケメンヤリチン金持ち男がたくさんの奥さんを囲えばいい。

そうして、各妻が2人ずつ子どもを儲けるだけでも少子化はだいぶ改善するはず。

はいえ、一人の男性が多くの女性を囲うのは経済的には厳しいだろうから、その部分を北欧のように国が支える。

実際、北欧社会って事実上、上位3割ののモテ男たちが一夫多妻制やってるみたいなものみたいだし。

シングルマザー率の高さと、男性の子なし率の高さが両立しているのは、事実上一夫多妻制だから、らしい)

そういうシステムができれば、俺たち非モテ納税を通して少子化改善に協力できるし、

結婚しろ」「子ども作れ」という無理ゲー圧力を受けずに済み、多方面関係者と上手く共存棲み分けができるようになるだろう。

そういう社会システムって女性的にどうなのよ? 非モテ極めた俺としては超歓迎なんだけどさ。

2016-05-20

世の中ヤリマンヤリチンが幅を利かせてる

少子化問題人口膾炙した当たりからさ、何か世の中の風向きが変わったよな。

昔だったらヤリマンヤリチンって明らかに蔑称だったに、

最近はそういう人種が「コミュニケーション強者」としてむしろ賞賛されている気がする。

確かに少子化解決するには、異性をピックアップしてセックスすることが必要条件から

そういう能力が高いことが賞賛される空気はわからなくもないけど、

鳥取自治体みたいに歌舞伎町の人気ホスト講師として婚活教室を開くとかはさすがに行き過ぎだと思う。

そもそも、そのホストは(女性経験豊富だとして)結婚してないだろ、っていう。

中高生ですらTwitterエロメンみたいな連中の垢を興味本位フォローして

女の子エロに興味あってちょっと変態がいい」みたいな与太話を真に受けて、深く内面化してしまっている。

一昔前で言えば白い目で見られるような生き方が「真面目」「ちゃんとしてる」みたいな感覚で生きてる。

仕事柄、大学生交流する機会が多いんだけど、ちょっと仲良くなるとビックリするくらい

明け透けにエロに関する話題を振ってくる女の子が多くて少し引いてる。

よく考えれば、トイアンナみたいに「お前が結婚できないのは自分から男を誘わないからだ」みたいな発言結構支持されてるし、

一昔前なら好評価が得られないような行為がかえって推奨すらされてる。男のナンパも同じ。今やナンパ自己啓発ジャンルだ。


まとめると、エロ自己啓発的になっているというか、ある意味意識高い系ジャンル化してきて

エロ話に引いてるような人間は将来の少子化助長してしまうようなダメ人間だ」みたいな空気すら醸成されている感覚

東大生HIS騒動にも見られるように、国内トップノッチ学生ですら「女を売る」みたいなことに抵抗がなくなってきているし、

その下の層にしてみれば、地下アイドルのみならず、水商売とか風俗みたいので稼ぐのすらむしろカッコイイってくらいの価値観も見受けられるし、

一億総淫乱化が進んでるっていうと言い過ぎだけど、現代日本が性規範の激変期を迎えてるってのは間違いないよね。

で、ぶっちゃけ、オッサンはついていけないッス。シラフエロトークできません(汗)

2016-04-22

http://anond.hatelabo.jp/20160420201851

このフレーズが実際にどこかで広まっているか確認できないが、実際広まっているとして、その元となっていそうな情報検索すると元増田解釈とは違う主張がされているようだ。

その主張を誰かがTwitter2ちゃんねる向けに短くキャッチーに短縮したのが「オスプレイ反対派の裏には中国がいる」なのだろうが、それによって主張は不正確に、可能な解釈の幅はかなり広くなってしまっている。おそらく実際にもこれくらいキャッチーにしないと短文SNS内では人口膾炙しないのだろう。

これを読んだら「反オスプレイ派の全員は中国コントロールされている」と解釈し、その解釈を広めそうなウヨクは実際見かけるし、実際そう解釈してしまい、任意サヨクを選んでその人が中国シンパシーを抱いているとは限らないと確認できれば間違いを証明できると思ったのが元増田ということになる。

ちょっと虚しい気がした。

2016-01-28

正直な所さぁ

少女前線」ってゲームいたことある?て言うかプレイしたことある

本国でも未リリースゲームタイトル人口膾炙してる理由分からんのだが。

先行しているお船系の類似ゲームの知名度は散々なのにね

2016-01-11

万能椅子が便利

先輩が引っ越すというので万能椅子というやつをもらった。

浴室用の椅子で、今まで使っていたのは天面が平らで中央に直径3cm 程度の穴があいているだけのものだったのだけど、

この万能椅子というやつは天面中央部が凹状にへこんでいる。

これの何がすごいって、座ったままで股間を洗うことができるのですよ。

従来の椅子だと、股間部、とくに尻穴を洗おうとすると腰を浮かして洗わねばならなかった。

しかしこの万能椅子というやつは、股間のちょうど真下空間ができるので、

なんと、座ったままでも股間部を洗うことができるのです。

すごい!

便利!

画期的

股間部が椅子に直接触れることもないから衛生面でも優れているのではなかろうか。

どうしてこんな便利なものがあまり世の中に知られていないのか不思議だったのだけど、

ものインターネッツによると、俗にスケベ椅子って呼ばれてるみたい。

性的仕事をことさら蔑視するつもりはないけど、膾炙するにはちょっとばかり抵抗が大きいのかもしれない。

もったいない

介護用途で使われる例もあるみたいだし、スケベ椅子wwwとか笑わずに実利面をもっと強調していければいいのに。

偏見にとらわれて便利なもの恩恵を受けられないのは、人類(ぢんるい)の大きな損失じゃないのかな。

2016-01-07

http://anond.hatelabo.jp/20160107132115

わざわざ相手に伝わらない「信繁」呼びをして悦に入ってる歴オタのうざさよ。

まあ大河で「真田信繁」が人口膾炙すればいいがね。

赤備えはそもそも武田イメージ真田は元武田家臣で、井伊は武田遺臣を引き継いだという繋がり。

赤備え - Wikipedia

2016-01-04

海鮮丼問題

私は海鮮丼違和感を覚える。海鮮丼ってのは複数魚介類のお刺身がご飯の上に乗っている。私はお刺身の魚介は一種類ごとに食べたい。

たまに、複数の魚介を一度に口に運ぶ人がいる。この人はこれをどう思っているんだろうか。味をちゃんとわかっているんだろうか。

例えば〆鯖とサーモン。それぞれ味があるよね。私はこれをそれぞれ味わいたい。一緒に食べると、味の価値と言うか、意味が解らなくならないか。ステーキハンバーグ同時に口に運ぶ? 秋刀魚の塩焼きと鮭の焼いたの一緒に食べる? という問題だ。

これを延長した、「まかない丼」みたいなのが結構人口膾炙してきている。コマ切れの小さな刺身が丼になっているあれだ。これが解せねえ。一度に複数の魚介が口に入って、味が混じっちゃうよ。

ちょっと言葉が悪いが、これは下品食べ物だと思う。たまに回転寿司で違うネタ(例えば私の友人はサーモンとイカの組み合わせが好き)を一緒に食べる。下品じゃねーか! とか半分冗談まじりで話する。

要するに、一品一品の味を大切にすべきではないか? というのが私の意見だ。だから「4種のチーズピザ」的なものも苦手だ。なんでまぜちゃうの? って思う。それぞれ味わえないのか。


しかし、食べ物世界は奥が深い。例えばひき肉は牛と豚の合挽きが一般的だ。牛と豚。混ぜちゃってる。これは個人的にセーフ。うーむ。

鍋とかでつみれと魚介や肉を同時に口に運ぶこともある。うーーーむ。

皆さんはどんな感じで一緒に口に運ぶべきorべきではないと考えて食事されていますか。

2016/1/5 2:30ころ以下の文章を追記しました

沢山ブックマークコメントが付いて有難いです。全部に返信はできないのでちょっとだけ。

混ぜる前提の食べ物飲み物だったら全然問題ないんです。混ぜなくても食べられるものを混ぜちゃうのはどうか、という話題でした。

混ざって新しい味になるのは確かに、と思いました。友人が食べてるイカ&サーモン同時食べ、試したら結構美味しい…というのは解るが、ちょっと気が引ける。という具合です。

2015-12-07

NHK夫婦別姓についての世論調査ニュース検証した結果

夫婦別姓 世論調査賛否大きく分かれる

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151207/k10010332071000.html

元のニュースはこちら。

問題はこのRDD方式という調査方法で、「コンピュータ乱数計算を基に電話番号を発生させて電話をかけ、応答した相手に質問を行う方式で、従来の固定電話対象として行われる」とのことだが、問題点がよく指摘されている。主に挙げられているのは以下の二点。

・若年層は固定電話を持っていないのではないか

・暇で家にいる時間の多い高齢者ばかりが回答しているのではないか

大変もっともな指摘だ。

で、今回のNHK調査には各年代ごとの回答割合記載されているので、それを参考に、上記の問題点検証してみることにする。

この部分だ。

20代から50代までは「選べるようにするべきだ」という回答がいずれも6割を超えていますが、60代はほぼ同じ割合で、70代以上になると逆に「同じ名字を名乗るべきだ」という回答が70%近くになり



さて、別姓を選べるようにすべきか?という問いに対する賛否数字にしてみる。

回答のうち4%が賛否不明なのでこれは全世代同じ割合と仮定。また、NHKニュース文章から割合を以下のように仮定する。全体の傾向から、50代以下は若い方が少しずつ賛成の割合が高いと仮定した。

年代 賛成 反対 不明

20代 64% 32% 4%

30代 63% 33% 4%

40代 62% 34% 4%

50代 61% 35% 4%

60代 48% 48% 4%

70代 27% 69% 4%

これで、合計したときに、賛成46%、反対50%になることを考えると、直感的に70代以上の割合が非常に高いことが想像できる。

以下、だいたいこれくらいの割合であれば、合計の結果が導かれるという数字を挙げる(数学的な正解は複数あるし、正しい数字調査会社しかからないが、この割合だと概ね先程の合計数字が得られる)。

年代 回答者割合

20代 10

30代 10

40代 10

50代 10

60代 20

70代 40%

これがRDD方式世論調査実態である。驚くべきことに、70代以上が40%だ。

さて、これが政策にも影響を与えるであろう、公共放送による公正な世論調査と言えるだろうか。まあ言えないだろう。「シルバーデモクラシー」などという言葉人口膾炙している昨今、世論調査方法については、そろそろ再検討すべきときが来ているのではなかろうか。

2015-12-02

http://anond.hatelabo.jp/20151202133027

本題から逸れて申し訳ない。

老害愚痴です。

元増田は『コミック版』に対して『アニメ版』という言葉を使ってるし、『テレビ放映時』という表記もしている。これはいい

しかし、『旧劇』に対置して『アニメシリーズ』という表記。これが、老人にとってはどうにも慣れない。つい先だって別の増田ブコメで「最近ネット配信で見るケースもあるからテレビ版』という表記では合致しない場合もある」という指摘を見て納得はした。たしかネット配信で見たものを『テレビ版』というわけにはいかないだろう。

けれども、だからといって『アニメ版』とか『アニメシリーズ』という表記はどうなのだろう。『劇場版アニメ』は『アニメ』ではないのか、と思ってしまう。

シリーズ』という言葉が、『毎週同じ時間放送・配信される連続ものであることは、頭ではわかる。あくまでも連続ものが『シリーズ』であり、単発の劇場版は『シリーズ』には含まれないということだろう。であるならば、いっそのこと『シリーズもの』とか『シリーズ版』という言葉を使ってみてはどうだろうか。アニメであることは自明の上で、連続版か劇場版・単発版かを区別することが可能になるのではなかろうか。

……、これはこれで慣れるまでに時間がかかりそうだし、既に人口膾炙した言葉を変えていくのは難しいかもしれないけれども。

2015-08-27

ツイッターにおいて、望まれないリプライ的外れリプライは総じて「クソリプ」と呼ばれる。

ツイッターを含むネット界隈ではすでに人口膾炙し、よく知られている言葉である

なにぶん「クソ」という上品とは言い難い単語が使われているため、ネット以外の場所では使うにはばかられる。

そこでこれを「リプライハラスメント」・「リプハラ」と改称してはどうだろうか。

名称を変えることで得られるメリットは大きい。

たとえば、学問として扱いやすくなる。

たとえ内容が同じでも「クソリプについて研究をする」というより「リプハラ問題について研究する」とした方が

予算がおりやすいということは理解いただけるだろう。

そうした研究の成果によっては、あなたがリプハラを受けなくなる日が来るかもしれない。

また、マスコミにも取り上げられやすくなる。

いまだ多くの人々にとって、マスコミは大きな情報源であり、信頼をされている。

リプハラというものがあり、それはこのようなものであるという周知がなされる意味は大きい。

自分の身を振り返ることのできる人々は、リプライボタンを押す前に一瞬考えるだろう。

「これはリプハラにならないか?」

この一瞬の自省が多くのリプハラを減らす。

ほとんどのリプハラは目にしたツイートに対し、反射的につぶやいているものからだ。

もちろん、それでもリプハラをする者もいるだろうが、その総量は確実に減る。

セクハラ」という言葉が知られるようになって、「セクハラ」は減っていっているのだから

あなたもリプハラをしているかもしれない!」と恐怖を煽る特集雑誌に載るだろう。

「リプハラをする人間の脳はこうなっている!」と解説する新書が出るだろう。

池上彰に2時間特番解説させるかもしれない。

伊集院光ラジオでくさすかもしれない。

リプハラ研究者マスコミに呼ばれるだろう。

お昼のワイドショウのコメンテーターになるだろう。

バラエティーにも出演し、新たなセレブアイコンになるだろう。

企業向けのリプハラ防止講座が開かれるだろう。

人気講師マスコミに呼ばれ、新たなセレブアイコンになるだろう。

リプハラ訴訟が起こるだろう。

リプハラ専門弁護士が生まれマスコミに呼ばれ、新たなセレブアイコンになるだろう。

国会問題になり、各種の規制と推進法と、外郭団体が作られるだろう。

リプハラ利権が生まれ、この世に新たな飯の種が生まれるのだ。

あなたも私も、小金を手にできるかもしれない。

そしてもちろん、リプハラを肴に、はてな愚痴ることも、ネタにすることもできるだろう。

2015-08-04

ある学問が行き詰まるとき(2)

自分エントリがめずらしくブックマークされてたから見てみた。

生産性が全てじゃないからね。人文学においては、あなたのいう「ゴミ」が何故人口膾炙たか研究すること自体が一つの学問たり得る訳で、その「ゴミ」が人間的営みである限り本質的無駄ものなんてないんだよ

それが興味深いとしたらそれはゴミのものではなくゴミ学という別の知的領域だろう。

人間の営みに無駄ものがない、そういう観点は可能だが、自分の食い扶持の面倒も見られない人間ゴミ学そのものですらなく単なるゴミ学の研究対象に自らすすんでなりはてるのは避けるべき事態だし、そういう人間生活保護受給とかってのはぜひやめてほしいものだと思うのだな。善良なtax payerとして。

http://anond.hatelabo.jp/20150802122533

2015-03-18

http://anond.hatelabo.jp/20150318190608

僕は最初のころ「エクセルバ」先生って読んでたよ。

ごめんなさいでした先生

ちなみに元増田忠告しとくけど、その決めセリフ先生以外にはあまり使ってほしくないな。

だいたいスべるから

たいして恐ろしくない状況でそのセリフはいっちゃダメだ。

どうしても言いたいなら、ここぞというタイミングで、リスペクトを込めて(ここ重要)使ってほしいなって思う。

しかもね、最近先生はあまりその言葉を使ってらっしゃらないんだ。

なぜかって言うと、有象無象が簡単にネタにしてマネして使い始めたからだ(って、僕は思ってる)。

どんなに素敵なネタでも、流行って人口膾炙し、みんなが言い始めると、死ぬだろ?

先生洞察力がハンパないから、それをわかってらっしゃるんだ、きっと。

やっぱり先生が言わなきゃ本当に恐ろしくはない。

からのお願いだ。

2015-03-10

セックス依存症ドヤ顔なのに童貞処女は恥ずかしい社会って?

http://am-our.com/sex/231/11150/

上のURLには恋愛強者女性による座談会の内容が書かれていて

セックスすることに意味なんてない、女性カラオケ感覚セックスするんだ、と書かれている。

なるほど、それもまた一つの価値観だろう。

だが、この座談会の中心人物は、恋愛マニュアルセックス指南本などを執筆している作家であり、

世の童貞たちに素人女性との(快楽目的とした)セックスを推奨している人物でもある。

立ち読みですが、同作家執筆した作品内容を確認した結果、そのような作家だと感じました)

仮にこの女性作家本音で「セックスすることに意味はない」と考えているとすれば、

なぜ童貞たちに恋愛セックス指南をするのだろうか。

なぜ女性経験のない男性たちを無意味行為に駆り立てるのだろうか。

無論、それは単なるセールストークに過ぎない、というならば確かにそうだろう。

だが、彼女恋愛強者男性に対して「セックス意味がない」とうそぶく一方で

女性経験のない男性には、さもセックス意味があるかのような幻想を振りまいている。

しかし、セックスすることに意味がないと考える人がいるのならば、

セックスしないことにも特に意味がないと考える人がいるもいるはずだろう。

実際、童貞の多くは、気付いたら女性経験が全くないまま大人になってしまった、という例がほとんどだ。

ひどく童貞をこじらせていない限りは、セックスしないことに大きな意味付けなどしていないはずだ。

(もし誰もが意味付けをしているとすれば、童貞卒業のための恋愛指南書が売れるわけがない)

実を言うと、私は「セックスをすることに意味はない」という考え方にはおおむね賛成だ。

一方で、セックスしないことにも意味はないという意見をも主張したい。

男性であれ女性であれ、何となくセックスをしたくないと思うならば、別にしなくても良いし、

周囲が躍起になって性風俗に連れて行ったり、女性であれば彼氏をあてがったりする必要は全くないと思う。

性の自己決定権という概念がこれほど人口膾炙し、非常にカジュアルセックスを行う男女が一般化しているにも関わらず、

かえってセックスをしないという選択肢が過剰なほど貶められている非対称性に奇妙さを覚えている。

これは性のタブーが強い時代に「セックスをすること」の意味が過剰に貶められていたことと似ている。

確かに私たちにはセックスをしたい本能的な欲求はあるはずだ。

しかし、その欲求は個人差が大きく、何か大きな犠牲を払ってまで充足したいと思う人ばかりではないだろう。

特に食欲や睡眠欲、排泄欲などとは異なり、充足しないことで健康被害はもたらさないため)

そう考えると、そうした選択をする人々を貶めるような風潮、

例えば、幻冬舎新書ルポ 中年童貞』における当該男性たちの描かれ方に強い疑問を感じる。

積極的であれ、消極的であれ、性愛に関わること避けるというのも一つの自由意思の選択であって

性抑圧の強い時代ならば人格異常の一種とまで扱われてきたセックス依存症の人々が

しろ社会的成功者として扱われる自由が認められるなら、

そのような選択を避ける人たちの生き方も認められても良いのではないかと考えている。

ぜひ皆さんの意見を賜りたい。


******

ちなみに、私は30代後半に結婚するまで完全に女性経験がありませんでした。これは意識的な選択の結果です。

パートナーとは親の勧めによる見合い出会い長男をもうけてからは(話し合った結果)セックスをしていません。

2015-02-27

青と黒の流行

2015年2月27日

一枚の写真インターネットを通じて世界中に広まった。

そこに写ったドレスは、ある人には白と金に見え、ある人には青と黒に見えた。

何かの錯視か、ディスプレイの違いか、それとも色覚の個人差か。

それは人口膾炙するに十分すぎるほど魅力的な謎だった。

人々はこぞって口にした。

「俺は白と金に見えた」

「私は青黒だった」

「どうやったら青黒に見えるって言うんだ」

いつもどおりの、瞬間的に盛り上がるだけの、何でもないトピック

だが次の日、すべては一変した。

「このドレス青色と黒色に見えるのは視覚異常が原因です」

テレビカメラの前で、博士あくまで沈着に説明した。

「数十年かけてゆっくり視力が失われていきます。老化による視力低下と区別しづらいので注意が必要です。ドレスが青黒に見えるのはその初期症状です」

「何が原因なのでしょうか?」

アナウンサーが尋ねる。

「この視覚異常はウイルスによって引き起こされます感染力は非常に弱いですが、いちど感染すると自然治癒することはありません。また治療する手段も見つかっていません」

それから博士は、数秒のあいだ迷うように口を閉じて、そして言った。

「このウイルス空気感染します」

28日後Twitter社は直近一ヶ月間のログを破棄することを宣言した。

2015-02-11

http://anond.hatelabo.jp/20150211020227

 せっかくなので、通信メディアの個人史を書いてみたい。自分ブログでやっても良いのだが、わざわざ誘導するのも申し訳ないので増田で書くことにする。あと、前半部分は「通信メディア」の話ではない。

大学入学まで

 ぼくが初めてパソコンに触れたのは小学校4年生のころだった。当時、既に型落ちだったNECPC-6001を買ってもらったのだ。当時はまだ「パソコン」か「マイコン」かで名称統一されていなかった時代でもある。記録媒体カセットテープゲームをするためにはまず、何十分もかけてロードをしなくてはならない。あとちょっとロード完了というところでエラーが出たりすると泣きそうになった。

 市販のゲームは高価だったので、ぼくは当時の多くのパソコン少年と同じく、雑誌の載っていたプログラムをよく入力していた。姉の使っていた譜面台にパソコン雑誌を乗せ、そこに掲載されたプログラムを延々と入力していく。もちろんミスが多発する。エラーが出ると雑誌とにらめっこをしながら、どこが間違えているのかを必死で探す。デバッグがすべて完了するころにはゲーム自体に飽きているということもよくあった。

 当時はまだ、パソコンメーカーがそれぞれの独自の規格でPCを開発していた時代だった。しかも、同じメーカーパソコンであっても機種が違えば互換性がないことが多かった。だからNECパソコンソフトシャープパソコンで動かないのは言うまでもなく、PC-6001PC-8001よりも新機種であったにもかかわらず、後者プログラムは前者では動かない。パソコン雑誌で他の機種用の面白そうなゲームプログラムを見ては悔しい思いをよくしていた。移植をする技術はぼくにはなかった。

 その後、中学校に上がると、ぼくのパソコンPC-8801mkII FRになった。名機と言われたPC-8801mkII SRの後継機だ。記録媒体は5インチフロッピーディスクになり、一瞬でセーブロードができるようになった。ただし、中学生にとってフロッピーディスクは高価な代物で、500円で10枚入りという安売りのものを愛用していた。ちなみに、安いディスクだとドライブに入ただけでシャカシャカシャカシャカ…という音がする。仲間のあいだでは「シャカシャカディスク」と呼ばれていた。

 せっかくの新マシンではあったが、やはり用途ゲームだった。雑誌掲載されるプログラムも徐々に高度になり、マシン語を使ったものも多かった。01 C3 AA 90…みたいな文字列を果てしなく入力していく作業はかなりの苦行で、エラーが起きると手に負えなくなることも多く、挫折ばかりしていた。

 なお、当時はすでにパソコン通信が始まっており、PC-VANアスキーネットなどの大手もすでにサービスを開始していた。当初は音響プラという装置を使っていたのではないかと思うが、詳しくはわからない。ぼくにとってパソコン通信は遠い世界の話で、雑誌でたまに見る程度のものだった。

 中学3年生になり、高校受験を控えたぼくは、何を思ったかパソコン受験勉強をしようと思いついた。受験RPGなるものをN88-BASICで作ろうとしたのだ。街を歩いているとモンスターに遭遇する。そのモンスターが出してくる問題に正解すれば、プレイヤー経験値を稼げる。最終目標は名門ナダール高校への合格という、ゲーム勉強の両立を目指したものだった。結果はまあ、書く必要もないだろう。世の中にそんな都合のいい話はないのである

 高校入学すると、ぼくの関心はパソコンから遠ざかっていった。部活が忙しくなったほか、当時のバンドブームにのってギターなどを始めてしまたからだ。無論、このあたりはぼくの黒歴史になっている。

 ちなみに、ぼくとほぼ同年代英国ライタースティーブン・プールには『トリガーハッピー』(2001年)というテレビゲーム歴史を扱った著作がある。この本を読んでいると、高校時代ゲームから離れてバンドをやるところまでまったく同じだった。ここには国境を越えた何かがもしかするとあったのかもしれない。

 しかし、大学受験を前にして、ぼくは再びパソコンに向かい始める。3年前に挫折した一大プロジェクトである受験RPG製作にふたたび乗り出したのだ。アホだ。予備校の夏期講習を受けながら、頭のなかで構想がどんどん膨らんでいった。

 技術は全く進歩していなかったが、根気だけはついていた。ゲーム目標大学合格に切り替え、パソコンメモリの少なさに苦労しながら様々なアイテムイベントまで用意した。しかし、言うまでもなく受験には全く何の役にも立たなかった。大学受験が始まる数日前、ほんの気晴らしのつもりで始めたドラクエ3受験日程がすべて終了するまでにクリアしてしまったのが悪かったのか、1年目のぼくは受験に失敗し、浪人生活に突入したのである

大学入学以後

 1年間の辛い浪人生活を経て、ぼくは東京私立大学になんとか滑りこむことに成功した。入学式当日、知り合いの誰もいないキャンパスを一人で歩いていると、同じく新入生とおぼしき一団が歩いていた。彼らの一人が「あいつのポケベルの番号、いくつだっけ?」と言うのを耳にしてぼくは衝撃を受ける。東京学生ポケベルを持っている!ぼくにとってポケベルというのはサラリーマンのためのツールであって、普通学生が持つようなものではないと思い込んでいたからだ。

 入学式の時点でグループができているということは、彼らはおそらく付属校か東京進学校出身者のグループだったのではないかと想像する。この時点ですでに情報メディアの利用をめぐってかなりの格差が生まれていたのかもしれない。

 いずれにせよ、その後のぼくの生活にやはりポケベルは無縁だった。女子高生あいだでポケベル流行っているというのも別世界話題だった。女子高生の妹がいる友人によると、メッセージが来るとすぐに返信しないと仲間はずれにされかねないということだったので、それはそれで大変そうだと思ったのを記憶している。

 その一方で、大学入学してから、ぼくは固定電話と大変に仲が良くなった。一人暮らしを始めたこともあって、友人とよく長電話をするようになったからだ。コードレスではなかったので、硬い床に寝転がりながら何時間も話をした。「いやー、今日はよく話したよね。ところで、いったい何を話していたんだろうね」などと会話を振り返り始めることで会話がまた長くなるという、まったく生産性のないことをよくしていた。ただ、こうした長電話はぼくに限った話ではなく、わりと一般的に行われていたのではないかと思う。一人暮らしの寂しさを紛らわせるうえで固定電話重要ツールだったのではなかろうか。

 あるとき風呂にお湯を張っていると、たまたま当時好きだった女の子から電話がかかってきたことがあった。話しているうちに浴槽が一杯になった。コードレスではないので電話をしたままではお湯を止めにいくことができない。だが「お湯を止めてくる」と言えば、電話を切られてしまうかもしれない。そのため、浴槽からお湯が溢れるのをただ眺めながら会話を懸命に続けていたことを思い出す。

 ぼくが「インターネット」という言葉を初めて聞いたのは国際政治の授業だった。大学2年生のころだったか1994年のはずだ。日本でもインターネット商業利用は1992年にすでに始まっていたが、パソコンに関心を失っていたぼくには全く無縁の話だった。大学パソコン室でタッチタイピングは修得したものの、授業で履修したC言語はあっさり挫折した。数学が果てしなく苦手だったぼくは、理解できない数式をパソコンに解かせるという作業について行けなかったのだ。

 大学2年生の終わりごろ、ゼミ選考があった。メディア系のゼミを志望したせいか、志望者には新しいもの好きが多かった。面接の待機場所では多くの志望者が携帯電話を持ち、お互いの番号を交換していた。衝撃的な光景だった。彼らは無意味に相手を電話にかける遊びなどをしていたので、単に見せびらかしたかっただけかもしれない。

 しかし、ぼくが携帯電話、というよりPHSを購入したのは大学4年生も終わりに差し掛かったころだった。1996年から1997年にかけて携帯電話PHSの普及率は25%から46%に跳ねがっているが、こうした指標では若者が先行しがちなことを考えると平均的か、やや遅いぐらいではなかったかと思う。

 当時は街のいたるところでPHSの安売りをしていた。今川焼を売っている店でさえ扱っていたぐらいだ。PHSを1年ほど使い、その後はドコモ携帯電話に切り替えた。通話が途切れやすいという難点はあったものの、PHSのほうが音質は良かったのではないかと思う。

 他方で、大学3年生になると、ぼくは再びパソコンに関心を持つようになった。1995年ウィンドウズ95が発売された年である。「インターネット」という言葉が急激に人口膾炙していった。大学パソコン室で友人に電子メールを送るようにもなった。当時はメールが来るだけで嬉しかったものだ。ブラウザはまだモザイクを使っていた人が多かったのではないかと思う。しかし、当時のぼくはまだブラウザという概念理解していなかった。周囲のひとが「モザイク」という言葉を口にするたび、それはエッチな何かなのかとあらぬ妄想に浸っていたのだった。

 ともあれ、エプソン製のノートパソコンを購入し、自宅からインターネット接続するようにもなった。大学の授業でホームページを作ったという友人に刺激を受け、自分でも卒業の直前ぐらいに朝日ネットホームページを立ち上げた。いまでもそのアドレスにはぼくのホームページが置いてあるので、もうかれこれ20年近くになる。先日、インターネット・アーカイブ自分のページを探してみたところ、16年ぐらい前まで遡ることができた。若気の至りというのは本当に恐ろしいものである

 もっとも、ぼくの目線からすると、当時のインターネットはそれほど面白いものではなかった。今ほどに情報が充実していたわけでもなく、それを探すためのスキルもなかった。ぼくにとってインターネットよりも面白かったのがパソコン通信だった。当時、すでにパソコン通信時代は終わりつつあったはずだが、それでも見知らぬ人たちとやりとりをするのが面白くて仕方がなかった。もちろん喧嘩も多く、罵り合いをなんとか仲裁したいと思いつつ、結局はうまくいかないということばかりだった。

 ぼくが参加していたのは朝日ネットフォーラムだが、恐ろしいことにいまでもログインすれば当時のログを見ることができる。「ネットからはとうに消え去ってしまったはずの今なき父親の情報が、パソコン通信ログに残っていることを主人公発見する」というフィクションを考えていたのだが、興味のあるひとは使ってみてください。

 その後、パソコン通信は急速に退潮し、インターネット時代が本格的にやってきた。ネット上で怪しい情報が飛び交うサイトがあるということを最初に教えてくれたのは知人だった。言うまでもなく「2ちゃんねるである。それ以前にも「あやしいわーるど」や「あめぞう」といった掲示板はあったはずだが、それらはぼくの全く知らない領域の話だった。

 …と、ここまで書いて力尽きた。ここから先は特筆すべきこともあまりないので、唐突ではあるが、このあたりで終わろうと思う。ずいぶんと長くなったが、最後まで読んでくれたひとは果たしているのだろうか…。

2014-12-15

http://anond.hatelabo.jp/20141215132838

ネットウケるんじゃなくて、テレビ視聴層的にも公明創価バリューになるんだよ。

逆に神社本庁に切り込みとかはマニアック過ぎてネットでは一部にしかウケないしテレビ視聴者的にはバリュゼロだろう。

公明創価ネタとしてもある程度流通する具合には膾炙しているから、切り込んでもダメージはお互い大きくはならないだろうしね。

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