はてなキーワード: 習い事とは
こないだの文化資本のホットエントリーじゃねーけど、今の都心の子は、狭いし忙しいしかわいそうだと思う。
俺はどちらかと言うと友達とワイワイなほうじゃなかったけど、それでも子供の頃は、小学校は、帰ったら玄関でランドセルぶん投げて友達と遊びに出かけた。父親は19時には帰ってきていた。一家団欒があった。
中学校に入ると、15インチのテレビ、VHS、ミニコンポがある狭い部屋に同級生4人が肩寄せ合って遊んだ。ゲームやCD持ち寄ってさ、兄貴姉貴がいるやつは重宝されたな。
都心の小学生は原っぱはおろか、遊べる路地も川もない。みんな監視が行き届いた学童保育。
父親や母親が早く帰ってきて迎えにくる家庭は、一家団欒のためじゃなくて塾や習い事の送迎。
都心の中学生には個室がない。みんな一人っ子で、3人兄弟なんかほとんどいない。いたらいたで、個室あてがってもらえないしな。
給付金やら減税でどうにかなるレベルじゃないきがする。江戸時代なんかもっと過密な長屋暮らしでも子供は育ったんだから、別に大丈夫なんかもしれんけど。子供はしたたかだから、勉強してるふりしてスマホで友達とつながってよろしくやってるんだろうけど。
都会人が都会の生活を手放せないのもわかる。
洋の東西を問わず、死罪の次に重いのが島流しだったわけで、文明人に取って文化を取り上げられるのは死の次に辛い。
電車通勤はその間寝れるとか勉強できるとか、かなり言ってることおかしいよ。
刑務所だって足くらい伸ばして寝れるし、17時には作業終了でしっかり8時間寝れると言うのに。
週末に美術館に行けたってさ、割に合わない気がする。
大人は命削って働いて発狂しながら子育て、子供は子供の時しかできないことを我慢させられて、その対価が美術館だとか博物館とかいわれてもさ。
製糸場の女工が就業時間が12時間とかいうけど、休憩含めた拘束時間。通勤時間含めたら現代人はすでにそれに近いと思うんだけど。
結核で死なないのは、栄養状態がいいからで、昔ならとっくに死んでる。
夏、冷房で部屋を冷やすと外はもっと暑い。美術館に行けて幸せか?暑すぎて命を守る行動をとテレビが叫ぶ土地なのにさ。
冬、人が多い屋内施設らいつも空気は淀んでて二酸化炭素濃度が高い。レストランもそうだ。他人の吐いた息を吸うんだから、当然臭いし病気はうつる。
城東ベースボールクラブが活動を開始したのは2021年4月。それでいて昨年の江戸川区学童軟式野球大会で3位となり、夏の東京都知事杯では2回戦、秋の東京都知事杯さわやか大会では準決勝に進出した。今年の江戸川区学童軟式野球大会でも3位に入り、全日本学童マクドナルド・トーナメント東京大会への初出場を決めた。チームは急速にレベルアップしている。
普段の取り組みが実にユニークだ。まずは毎週土・日に行われる練習で、
出席確認を行っていない。それどころか、練習の途中退出も自由。
森糸監督は「出席確認にこだわると、体調が悪いにもかかわらず、無理をして練習に送り出すご家庭も出てくる。余計な重圧をかけたくありません。途中退出についても、他に習い事や用事があるかもしれないし、ご家族でお誕生日会があるかもしれない。理由をいちいち聞かず、参加のしかたは各家庭のご判断に委ねています」と言い切る。
2024年始まってから散々なんだが!!!!!!世界のこと許さないからなこのカス!!!!!
4月も終わるのでもういい加減立ち直りたいが、時間が経つと怒り以外にも寂しさ、悲しさ、いい思い出、憎めないことがぐちゃぐちゃに混ざりさらにカオスな心境になってきた。
渦中にいるときは全体像が把握できないし、何より感情も時間差で処理されるので後になっていろいろと噴出してくるのだ。
そして、ぽつぽつと人に話すと高確率で、文章に感情をまとめると整理されるという助言をもらうので散文を匿名ダイアリーに投げることで成仏を試みる。フィクションです。
知り合って3年、付き合って2年ちょい、1年半同棲していた彼氏から1月に別れを切り出されたことからすべては始まった。
その時になんて言われたのかを思い返してみよう。
「なんか、求めてるエネルギーと違うんだよね。違和感があるというか。。。。会話も出会った頃から弾まないんだよね。」
今まで、ちょいちょい「増田はおばあちゃんみたいだよね。本当におばあちゃんになったときどうなるの?木になるの?」
などと言われたことを思い出し、カスの元カレ(以下春日)が私の陰キャすぎるエネルギーに疑問を持っていたことを知る。
実際に私は友人付き合いが超限られていて、SNSも苦手でインドアなので図星ではあった。
ただ、私の陰キャ化が加速したのはこの1年のことである。特に2023年は諸々のストレスが重なり、精神的にセーフモードで超低空飛行していたのである。
元々、付き合った頃は逆だったのだ。私が春日と出会った頃、彼はまあまあ重めの鬱を患っていた。
コロナ禍を機に、不眠と身体の不調からずぶずぶと鬱に沈んでいき、大学も中退して家から出ることが怖くなりニートになっていた。
ちなみに補足情報として春日は外国人で、私は現在海外の修士課程に留学中の在外邦人である。紆余曲折あって音楽の趣味が合い意気投合したのが出会いだ。
慣れない異国のコロナ禍で不安な中、曲とも呼べない小さな音楽の断片を作って交換したり、好きなことを共有できる相手は私にとって貴重だった。お互いにまあまあ離れた別都市に住んでいたが、友人として気分転換によく春日の街に遊びに行くようになった。
春日の母と一緒に3人で初めてご飯を食べたとき、春日がいきなり号泣し始めて落ち着かせるために必死に彼の手を握っていたことを思い出す。突然号泣したり沈黙し、動けなくなることが多い状況だった。
春日はとても純粋で、鬱でも前向きに生きようと頑張っている姿を見て次第に応援したくなった。春日はとても美しい声を持っていて、時々歌ってくれることが私の心の浄化にもなっていた。ただ、それも不調により以前のようには歌えない状況だったので本人はとても落ち込んでいた。
私自身、現地語のみの授業を理解し、口頭試験を乗り越えていくことに心身を消耗していたが、なるべく春日が外に出るように引っ張り出したり、心に寄り添えるように丁寧なコミュニケーションを心掛けていた。春日は日本語が上手かったが、言語の壁も高かったので尚更慎重に進めた。Rei harakamiの命日に二人で登山して、山頂で終わりの季節を聴いて黙祷したりとか、今思えば二人とも変な奴だった。
そして、プロのカウンセラーの手を借りて春日は鬱を治療することになり、友人になって一年弱が経つころ、恋人として付き合うようになった。
付き合った当初もまだ鬱は強く残っており、春日に関しては特に自己防衛の機能が強く、何か一つ難しいことがあるとできない理由を無理やり探して諦めたり、衝動で物事を瞬時に決めて深く考えずに逃げるという癖が相まって、物事を継続したり、安定して物事を考えることが難しい様子だった。その中で、私が住んでる家から引っ越しを予定してると伝えると私の住んでる周辺の街に春日も住みたいと言い始めた。それもあって一緒に住もうということになったのである。その後も、具体的な計画が進むにつれ、「やっぱり僕には無理!」とか「やっぱり一緒に住もう!」と、決断が二転三転する春日に精神的に振り回されて疲弊したので、その癖を人と共同で何かを決めるときに持ち出すのはやめてくれとお願いした。
ただ、我々の家探しは困難を極めた。そもそも貸し手市場なのに加えて、正式な賃貸契約の場合はニート(実家が細い)&外国人留学生というコンビでは賃貸の審査を受けるという土俵にすら立つことが難しかった。とはいえ私の家の退去期限もあったので謎のモルドヴァ人のおばさんちの小さな一室をとりあえず借りて、極限の生活が始まった。
状況に反して春日はなぜかこの頃精神が強くなっており、審査に通るために黙々と職を探していた。私は定期試験を乗り越えることと賃貸の審査が通りやすくするための準備でいっぱいいっぱいだった。このモルドヴァのおばさんは一ミリも信用できず、家賃交渉で一悶着あったり大変だったが今では笑い話である。そして、春日は不動産の営業という職を見つけたことにより保証に通るようになり、四か月後、アクセスはあんまりよくないがこじんまりした1LDKに住むことに成功した。
その頃、湖畔に弾丸でキャンプに行ったのも良い思い出。4000円ほどの砂浜で使う用のテントとエアーマットレスだけ持って行ってのだが、初日の夜に土砂降りになってしまい、気が付いたらテントの中が湖みたいになっていた。水にマットレスだけプカプカと浮いてて二人で「ノアの箱舟じゃんwwwwww」とか言って馬鹿すぎて爆笑してたよな。そんな状態で7泊もした。
引っ越し後は、私は円安による金欠と奨学金が終了することに焦りを感じ、なにかWeb制作系で働けないか試行錯誤した。春日はニート生活から一転して、スーツを着て一日11時間勤務の社畜へと変化した。ただ、営業職は出来高制で精神的ダメージも大きく、彼は四カ月後に仕事を辞めた。
そうやって2022年は過ぎ、2023年には無職の春日と留年して金欠の外国人という最強の布陣が出来上がった。
一月頃、金欠、将来の不安、引っ越し一連の疲れがどっと出て私は精神を病み始めるが、打破するため近所のカフェでバイトを始めて安定した。一方春日は、営業職で受けた数々の否定の言葉に傷つき、癒しとして貯金を食いつぶしながらやってみたかったドラムを習い始める。
私のバイトは夜勤と早番が不規則に組まれるような状態で、現地語で早朝のラッシュを捌くことに必死だったのであんまり記憶がない。ただしばらくして、伝手でリモートでできる仕事を依頼されるようになり、そっちの方が興味のあるジャンルだったしガタガタな生活リズムを戻したくてバイトを辞めた。そして、春日は相変わらず週一の習い事以外は日本語の本を公園で読む生活をしていた。
卒業に必要な単位も取り終わったころ日本に3週間ほど二人で遊びに行った。春日は牛丼を大層気に入り、吉野家、すき屋、松屋を食べ比べたのちにすき屋の牛丼以外は認めない頑固さを持ち、片っ端からブックオフと古本市場をはしごし、コンビニはローソン以外には入らない外国人となった。日本にずっと行きたかった春日は終始目をキラキラさせていた。
日本から帰ってきたころ、私はリモートの仕事をしながら本業である芸術に関する活動に勤しんだ。おかげで賞を取りちょっとした催しに参加するなどのイベントが発生した。卒業論文にも取り掛かり始めたがその壁が高く、先行研究の論文と本を現地語で読むことで時間が過ぎていった。卒業後の進路や家族の問題、論文のプレッシャー、円安、制作意欲が低下していることなどのストレスが一気に重なり私の精神は下降し続けていた。
一方春日は、貯金が尽きて彼の母からの仕送りで生活するようになった。とはいえ、日本語能力試験一級に挑戦する目標を立て、ひたすらカフェで日本語の本を読んでいた。なにかバイトしたら?と聞くと、「うん、来月から探す~」と言い続けて2023年は終わった。やるやる詐欺を繰り返す春日にムカついていたが、本当に一級に合格したからえらいよね。
年末年始を彼の地元で過ごし、春日は自分の喉の調子がだいぶ改善したことに気付く。コロナ禍以前は弟の彼女とコンビを組んで路上パフォーマンスをしていたこともあり、再度コンビを組んで地下鉄で歌うと、これがまた投げ銭で儲かった。彼が好きなことでお金を稼げることを発見し私も大層喜んだ。しばらくは家を離れて実家で活動したら?と提案したのだ。
そうして二人で家に帰ってきた2024年一月、冒頭にあるようなことを切り出されたのである。
出会った頃元気がなかった春日の精神はだいぶ安定してきていたのに反して、私は在外年数が増えるにつれ外国人としての立場の弱さやストレス、現地人と対等な土俵に上るための終わりのない努力に疲れ果てていた。きっと、私が春日を家の外に引っ張り出したように、春日が今度は私の人生でつらい時期を支えてくれると期待していたのだ。
しかし現実は違った。もともとは陽キャの素質を持つ春日が好きなことを見つけて元気になったところで、陰キャで元気のない私はただの言葉の通じにくい異邦人のメンタルおばあちゃんでしかなかった。
春日は冒頭の言葉とともに特に話し合わずに足早に地元へ帰り、日銭を稼ぐことに集中した。私は論文に追われてしんどい時期に別れを切り出されたことが悲しくて、その理由も悲しくて、毎日を泣いて過ごした。日が経つにつれて春日がなんの相談もなく結論だけを私に話してすべてを放って逃げたことに怒りがこみ上げ、太宰治崩れのポエムみたいな謝罪文だけ投げてくることも火に油を注ぎ、一日でいいからこっちに帰ってきて話し合え!と伝えると、月末に一日だけこちらに帰ってきた。春日は二時間ほど私に謝り続け、どうしてもやり直したいと言い始めた。
私は春日に対して信頼を失っていたが、それらをゼロからまた積み上げるような努力を一緒にしてくれるならいいよ、と許してしまった。育ってきた背景も母国語、文化も違う二人が関係を健康に維持するにはお互いの努力が必要だ。自分ができることを相手ができないのは当たり前で、自分と違う文化を受け入えてその違いに尊敬を持つことが、同郷人同士以上に必要になる。
もちろん私にも落ち度はあった。私が学業と資金繰り、外国人としての滞在許可証の条件などに四苦八苦してるなか、二十代も半ばになって、苦労して一人で家計を支えている母の仕送りで日本語の本を読んで夜はボードゲームの集まりに参加する貴族のような毎日を送る春日にイライラしており、尊敬を持つことが難しく心の距離を置いていたのも事実である。相変わらずコロコロと判断を変えて振り回されるのも日常茶飯事で、この軽蔑的な感情を外に出さないようにしていたが、確実に伝わっていたに違いない。
そして再び春日は地元に二週間ほど帰り、その間我々はどうやって不安定な時期を乗り越えるのか取り決めを作ったりしていた。その後一週間ほどこちらに春日が帰ってきて、束の間の平和なひと時を過ごした。春日が地元に帰るタイミングで私も着いていって二週間ほど彼の実家で一緒に論文の現地語校正を進めることを決めていた。
そして一緒に帰った翌日、春日に再び「やっぱり波長が合わない。。。。僕はもっと明るくて、引っ張ってくれる人をパートナーにしたい」 「増田とはもう一緒に成長できないし、もう考えてることを伝える気が起きない」 「現地語のスラングを言い合って言語の差なく話したり、もっと協力し合えて一緒に音楽をしてくれる人と付き合いたい」などと散々なことを言われた。
そもそも私だって明るく居たいが、元気ないのは過去のてめえみたいな状況だからだよ。そもそも、外国人にネイティブと同じことを求めるな。私も毎回なんでお前の母国語で話し合いをしなきゃいけないんだって思ってるよ。それでも好きだからやり直したいって懇願してきた二週間前のお前何?蜃気楼?
矢継ぎ早に傷つく言葉を言われて、春日からきっと「こいつはいくら殴っても倒れないから大丈夫」と思われてるのかなとも思った。あのな、自国で家族に囲まれてぬくぬくしてるお前と違って、一度完全に倒れたら誰も私を助けてくれないの。この国に実家もないし親族もいない。ただの病んだアジア人としてさらに劣等感に埋もれて取り返しのつかないレベルに粉々になって、廃人になるだけ。
だから最後の気力だけで完全に折れないようにだけ耐えてんだよカスふざけんな。
というか、鬱を患ったならもうちょっと元気がない人の気持ちがわかって優しくなれるもんじゃないの?と疑問にも思った。しかし、春日の様子を見るに鬱の事実は元気になった今ではもう消し去りたい過去で、鬱の匂いがするものからは遠ざかりたいという心理なのかなと思った。腐ったりんごの隣に置くと、普通のりんごも腐るし困っちゃうよね、みたいな。
「友達としてならうまくやっていけるはず!」とも言われたが、私は春日にとって都合のいい存在で、不都合があると「物足りないなあ...」と切り捨てる程度の存在だったことに絶望した。
私は彼の調子が悪い時に自己肯定感を埋めるだけの存在だったのだ。そもそも、一月から振り回されて論文の進捗もギリギリで、ここでまた振り回されてボロボロになったことにより、私の三カ月間を返せ!!という怒りがこみ上げてきた。一日前に言ってくれたら、あんたの地元行きの電車に乗ってねえよボケナス。
あと、恐らく文化が違うからかもしれないが、彼は愛情表現が強いのだ。「愛してる」という言葉を挨拶のように言う。別れを切り出される数時間前まで「愛してる」と目を見て言われていたその温度差も日本人の私には理解不能で、サイコパスにしか思えなかった。
そこからは、今まで我慢していたいろんな感情が噴出。さらには希死念慮までが唐突に襲ってきて、居場所のない彼の実家で必死に感情を爆弾のように抱えた。
急いで変更した帰りの電車の日まで、知り合いの居ない彼の地元でひたすら論文を書くだけの時間の虚しさ。楽しそうに彼の弟の彼女と爆笑しながら帰宅して、何事もなかったように振る舞ってくる春日から逃げる場のない状況とその惨めさ。さらにムカつくのは私がなぜ傷ついているのか勘違いしているところ。
「ごめんね。。。もう別れることは変えられないから。。。」と言ってくるがオイコラ、全人類のクソ男に告ぐ。そこちゃうねんクソ。お前と別れることに悲しんでるんとちゃうねん。今までそれなりにお互いが人として大切な存在だったはずなのに相手の状況も顧みずに振り回してなんの責任もない別れの仕方をされたことで過去のあんたとの思い出も、私の存在もくそ薄っぺらいものになったことに悲しんでるんじゃボケ。ままごとしてたんとちゃうぞカス。この心境に共感するひとはSHISHAMOの「忘れてやるもんか」を聴くと少しすっきりすると思う。
家に帰ったあと、春日のSNSをすべてブロックした。それでも気になって覗いてしまうSNSでは初ライブもして音楽家としてどんどんバズって有名になっていく春日と弟の彼女が目に突き刺さってきた。それはそれは楽しそうに歌っていて、出会った当時の姿から比べると本当に幸せになってよかったね~と思う気持ちがまだ存在していることにホッとしたが、元カレのSNSを見るのは一種の自傷行為である。
一カ月間、必死に自分のやるべきことをして、フラッシュバックが来るときや寝るときには号泣するということを繰り返してきた。同棲していたので、家の契約とか置いていったものが山ほどあるのでどうしてもいつか顔を合わせなければいけない。あの、世の中の女性はこのような場合どのような顔をして会ってるんですか?
異国の地で一人で生きていくには私は弱く、二人で生きていくにも力及ばなかった。そしてつらい時期に、一番大切な人から浴びせられた性格を否定される言葉に一生懸命保っていた自尊心をもぎ取られ、それをまた家族も親友もいない異国で一人で泣きながら拾いなおしていくこの惨めさ。鬱の時期も愛してもらったお前には分らんよな。私だってつらい時期を耐えて、また心から笑って一緒に楽しく過ごしたかった。
私は無償の愛を持っていなかった。助けたから私も助けてほしかった。でも相手はそう思わなかったというただそれだけのことなのだ。フロムの「愛するということ」にもあるように愛することは技術であり、その修練が必要というのは本当で、意識と覚悟をもって愛すことは、感情とは違う部分も大幅に使う。ただ、お互いに技術がなかっただけなのだ。
この一連の出来事のおかげで今まで出会ったことのない感情たちに出会えたことはよかったと言えるだろう。希死念慮も今では優しい死神のようにぴったりと背後で見守っている。自己が消えそうなときは自己の存在を強烈にこの世に残そうとするのか、創作意欲が見事に回復したことも皮肉である。
また、時間が経つと不思議なことに、カオスな感情の中に謎のメタ認知的な視点が表れて、こうやって惨めに醜く足掻いてる自分も、中途半端な執着をもって繰り返し傷付く自分も、なんだか本当に子供すぎていじらしくて愛らしく思えてくる。感情爆発させてて最高に人間らしくていいじゃんって思えるのも、なんだか傷が少しずつ癒えてる気がする。
人に期待しすぎること自体、ただの我儘になってしまうこともある。どれだけ自分が惨めでかっこ悪くてしんどくても、まだ泣き喚けてるだけ健康で、とりあえず自分を裏切らないものを信じる訓練から始めるしかない。ペットや植物、筋トレ、美容、創作活動はいいぞ。
遠征が増えてきたため「保護者に車を出してほしい」との依頼がきた
うちは5人乗りのSUVで、そのほかの家庭の7割はワンボックス、
活動に前のめりでかつワンボックス所有という保護者が率先して車を出している
「少年団に入るならワンボックス乗るくらいは常識」と言われたらしい
習い事のために車の追加購入を暗に迫ってきたようで、同じようなことをいろいろな人へ言っているとのこと
うちのSUVは子供を乗せない「荷物車」として出すことがあるが、軽自動車やスポーツカー組は肩身が狭い思いを強いられ、
中にはわざわざ親兄弟からワンボックスを借りたり、レンタカーを出してきた保護者もいた
「ワンボックスが常識」なら入団時の規約に書いておけと思ったし、
そんな強引な要求に屈して対応する必要性は感じられないため、バス手配などを友人の観光会社に見積もったところ、
一人当たり1200円程度で実現可能との回答だったが、その腰巾着が「車は保護者が出すもの」と頑なに反対した
1回1200円の出費を渋るのに、ほかの親に数百万の出費を強要するとかアホかよ
25歳までに弱者女性が結婚をするには、妥協をするしかないが、妥協相手が問題だ。
・30歳くらいのチビデブハゲあたりを抱えてる正社員男性(年収は400万くらい?)
・同年代のチー牛、発達障害男性 ← でもこいつらは全く稼げなくて鬱病とかでリタイアコースがあるからギャンブル
この辺りに、頑張らなきゃいけない。
25歳を逃したらもうこいつらすら捕まらないから、23歳までには結婚を決めなきゃいけない。
23歳までに結婚を決めるには、20歳には遅くともこいつらにターゲット決めて婚活しなきゃ厳しいだろう。
20歳で婚活を始めるには、16歳くらいから見た目をまともにしたり社会性を身につけるためにバイトや部活でまともな結果を出すために努力しなきゃダメだろう。
16歳から社会性を身につけたりバイトするには、12歳くらいで真面目に勉強したり部活に入部してみたりして自分のダメさを体験しなきゃいけないだろう。
12歳から真面目にやるためには、小学生の間に様々な体験や習い事をしてみるべきだろう。
つまり、家庭環境が詰んでるブス、発達障害だった場合、ほぼほぼ罪なんじゃないか?
家庭環境がまともなブス、発達障害でもそれなりに努力できなきゃきついな。
どこからが重度知的障害になるのかは分からないが、全員会話ができないレベル
第1子の子は勉強とかすごく頑張って、夏休みの自由研究で文部科学省賞もらってたり絵のコンクールで最優秀賞賞もらったりと優秀だった
習い事できないけどピアノ弾けるようになりたいと、小学校の頃から学校の先生に放課後音楽室でピアノを習っていて、中学に上がってからは合唱コンクールの伴奏をしていた。私も多少ピアノが弾けて吹奏楽部の部長とかだったので、その子にピアノ教えたり音楽室のピアノを解放したりした。
第三子の女のコは家を出てから一度も家に戻ってないそう
60後半の母親と6人の息子達が日替わりで散歩してるのを実家に帰ると車の中から見ることがある
普通に引き算間違えてた
7人です
最近、いくつかの作品・書籍を視聴したり読んだりして「自分らしくあれ」という助言があるのだけど、自分らしさってなんだろう?
子供の頃の素の状態が自分らしさだとするとキチガイだし、かといって今の自分らしさと言ってもわからないし。
ただ自分の癖としてすぐに誰かを真似してしまうというのがあるかもしれない。ヤングシェルドンのシーンを借りるなら「偉大な科学者の真似をして、ユダヤ教に入信しようとする」みたいなこと。
自分自身の精神や人格の根源はなにか。あるいは祖父母や両親が教えてくれた事を覚えているだろうか。
「楽しいことを考えて生きる」が最近の母の口癖だ。母が俺に言ったことの中で最も印象に残っているのは「あんたの身の回りに起こる出来事はあんた自身が起こしているんだよ」と。
この母の助言は、俺が学生の時覚醒状態にあって眠れず、その状態で友人のBBQパーティに行って錯乱して喧嘩したときのことだ。
グッドオーメンズでアダムがその強大なオーラを纏っていることを自覚せず、でたらめな陰謀論を単に実在すると信じるだけで現実にしたようなものだろうか。
なぜ世界は、精神薄弱や錯乱状態を俺の中に生み出しておいて、その中で「自己」について助言するのだろう。
覚醒して全く睡眠ができずてんかん発作で気絶したとき、一体誰が俺の苦しみについて理解できたというのだろう。
リーナス・トーバルズが「Just For Fun」といってLinuxを開発していたように、俺も楽しむことを人生の中心にしたほうがいいだろうか。
時々、本当にマトリックスの世界があるのではないかと疑ってしまうことがある。たくさんエネルギーを使わせて、電池として消耗しているわけだ。
しかしエネルギーを使わなければ楽しむことはできない。自分を変えなければ、怠け者から抜け出すことはできない。
「努力」に対する俺のトラウマは「教育」「習い事」などに対する発狂的なヒステリーとして記憶されている。それは邪悪な悪霊のごとく、子どもたちの笑顔を奪ってきた。
だから俺は成長してから、ストールマンの言うようなハッカー観、好きなことに熱中して習熟するという価値観を大切にしてきた。
しかし肝心の「好きなこと」が好きではなくなる感覚が最近は感じられる。
プログラミングが好きだ。しかし仕事としてそれをやり続けると義務感に押しつぶされそうになり、趣味からは遠い存在になっていくのを感じる。
結局、物事はシンプルに説明がつく。つまり自分を見失っているのは、仕事で疲れているからだ。強制労働させられていた歴史上の奴隷は生きていく上で「自分らしさ」を感じただろうか。
旅に行く勇気はないが、ちょっとした散歩をして、その範囲を広げてみるといいかもしれないな。そのぐらいの気晴らしが俺には必要だ。
「仕事ガー時短にできないしー出張もあるしー子供の面倒見られないー」って甘すぎにも程がある
時短勤務にしても半減までにはならんし1000万が半分になっても充分な収入だわ。覚悟が足りない。
元増田の妻が「専業主婦なのに何もしないで好き勝手している」のはヤバ妻だと思うが、それは夫としての立場からだけであり、子供にとってはジジババから手厚く庇護を受けていたらヤバ母ではない
これで完全放置なのならヤバ母だが
子供がいくつか知らないが妻が専業主婦なら保育園には入れない。日中子供は妻担当か義実家にいるんでしょ?
学校に行っているにしても学童は入れないから2時3時には帰ってくるし習い事は1人で行く。周りの小学生みんなそうしてる。
普段フルタイム仕事残業ありありの親でそんなことできないはず。
自分の都合のいい時間に可愛がるだけの愛玩ペットじゃないんだよ子育ては。
年齢が二桁になってくると親に悪態ついたり生意気なことをほざいてくる。親の想定通りにはならない。綺麗事ばかりではない。
共同親権ならそんな問題児の養育責任も負うことになる。親なんだから。ヤバくて2度と顔を見たくない妻や義実家との接点も子を介して生じる、それも頻繁に。
都合の良い時に面会して可愛がりたいだけ、面倒な子育てはそちらでお願い、にできないのが共同親権なんだよ。面倒ごとも引き受ける覚悟があるように見えない。
父親にしろ母親にしろ、「子供が何よりも愛おしくて、何よりも大事」ということについてはあまり反論も無いかと思う。
もちろん自分の子供をないがしろにしてネグレクトするような親もいるが、圧倒的多数の家庭では男親にとっても女親にとってもやはり自分の子供が1番可愛いし、特別な存在なのである。なんなら「子供が救われるのであれば、自分の命もいらない」みたいな人も沢山いる。
つまり、
この条件は大多数の家庭で成立するはずだ。
そして次。
2.離婚したら今の日本では特別な事情がない限り女親が親権を持つ
これも事実である。ネグレクトや何かしらの障害など特別な事情がない限りほぼ女親が親権を持つのが今の日本である。母親が不倫して離婚騒動になったのに、親権まで持っていかれて父親が自殺してしまうような事例もある。
この、1.2の条件が組み合わさるとどうなるかと言うと、「どんなにヤバい嫁でも離婚できない」という状況が産まれるのである。
増田の奥さんは結婚と同時に退職しその後専業主婦という名のニートを2年続け妊娠・出産。
出産後働かないのは良いとしても、朝は低血圧を口実に起きてこず、子供の送り出しを増田が行い、午前中いっぱいは昼寝しているかNetflixを見ているかである。自分の昼ごはんはウーバーイーツで全部済ませ、家事といえば晩御飯を作るくらいであとは全て増田と近所に住む実母と家事代行任せ。
実家が近いため、増田が出張会食その他で夜居ない日にはこれ幸いとばかりに実家に子供を預けて友達と飲みに出たり、そこそこの頻度で独身の友人と海外旅行に行くなどし、習い事も送り迎えは全て増田。
苦言を言うとすぐ喧嘩になり、子供を連れて実家に立て篭もることを繰り返している。
でも、こんな状況でも離婚するとなると母親に親権を持っていかれてしまうのが日本なのだ。「そんなこと言うなら離婚しよう。親権は渡さないからね」の一言で、父親はもう、何も言い返せなくなるんだよね。だって、離婚したら親権を取られちゃうから。子供と離れたくないのであれば、どんな母親であろうと我慢して結婚生活を続けるしかないのだ。
増田の会社はいわゆる大手企業で平均年収1,000万を越えるような会社なのだけど、同僚は専業主婦の奥さんに財布を握られていて、月の小遣いがランチ代込みで3万円である。
新入社員が入ってくる今頃の時期は頻繁に飲み会も発生するし、そういう場合は大抵どこの会社でも新入社員から会費を取らないのが普通だと思うが、その同僚は「言っておくけど、俺はお前ら新入社員より貧乏なんだからな。月の小遣い3万円だぞ」と言って笑いを取っている。
そんな風に見かけ上は明るく振る舞っているけど、実際のところは何度も何度も離婚を考えているらしい。ただし話し合いになると相手がヒステリーを起こし、「離婚」と言うカードを見せびらかしてくるのでもう何も言えない関係になってしまったそうだ。「嫁にはもう何の感情もないけど、子供が大きくなるまでは諦めてる。中学生くらいになったら離婚しようかな」と自嘲気味に笑う。
「ヤバい旦那」のエピソードはSNSに頻繁に流れてくるけど、「ヤバい嫁」のエピソードがそれほど流れてこないのは、単純に「旦那」側は仕事その他で忙しく、発信してる暇すら無いからである。可視化されていない「ヤバい嫁」は相当数存在するはずだし、増田のように「離婚したいけど子供を人質に取られてて離婚できない」と言う世帯が日本には何十万、何百万とあるのではないかと思っているのだけど、共同親権が一般化し、「離婚後の親子関係がどうなるかは全て母親のさじ加減」という現状が改善されたら嬉々として離婚を選択する家庭が爆増するのではないかと思っているし、早くそうなって欲しいと願っている。
現状では子供を人質に取れる母親にパワーバランスが偏りすぎてるんだよ。こんなのめちゃくちゃだよ。
【追記】
「なぜ父親単独親権ではなく共同親権を求めるのか」という部分について。
そりゃあ増田ひとりで育てあげられるなら自分ひとりで育てたいよ。
でも仕事がある。増田の会社は書いた通りそれなりの大企業で収入も高めとはいえ、仕事はそこそこハードだ。
時短勤務にしたら収入が激減するだろうし、収入の低下を受け入れて時間の融通がきく仕事に転職したとしても子どもに相当な我慢と負担が発生するのは目に見えている。
そしてこれも本文に書いた内容で少し読み取れるかもしれないが、奥さんは実家が太いのだ。
義理の父親は経営者で現役で働いており、専業主婦の義母は甲斐甲斐しく奥さんの世話を焼いている。
増田が奥さんと喧嘩して実家に転がり込むのを喜んでいるフシもある。
奥さんが気軽に「じゃあ離婚ね」という言葉を口にするのは「離婚しても自分は大丈夫」という自信があるからだろうし、それは事実そうなのだ。
子どもの面倒は義母が見るし、お金は義父からいくらでも出て来る。都内に、夫婦では持てあますサイズの一戸建てがある。
問題があるとすれば父親のいない家庭で母親は留守がち、義父と義母に育てられるような環境で子どもがちゃんと育つのか、という部分で、
それが増田を離婚に踏み切らせないひとつの大きな問題なのだけど(もうひとつは増田が子どもから離れたくないこと)、
「誰かのため」に生きてきて、あまりにも自分で決断する能力が乏しいことに気づいたのはここ最近の話。
「母が姉のことですごく大変(超オブラート)だから、母に負担をかけないようにしよう」と考え始めた幼い自分は、ドラムを始めたいと思ったが母に伝えるのをやめた。そもそもそれまでの習い事がほぼ続かなかったのもあったが。
中学時代は不登校だったのでそもそも進学先が絞られていたが、学校の先生が勧めてくれた公立の定時制を選んだ。学費が安かったから。
高校時代の学費は出してもらっていたものの、定期代はバイトを始めてからはほぼ全部自分で出した。
お小遣いは欲しかったけど貰わなかった。母の負担を減らそうと、バイト代を毎月渡したりもした。結局姉が母にお金を出させるので、渡したお金が姉のために使われるのは嫌だと思い、渡すのはやめてしまった。
よくわからないまま「大学に行き人生を考える!」だとか大義名分のようなものを掲げて進学したものの、結局何も分からない、見つからないまま卒業してしまい、奨学金という名の借金を抱えてしまった。
なんやかんやあり当時付き合っていた恋人を振り、そのまま新しい恋人を作り地元を出て同棲を始め、就職して、1年半でやめた。次に就職した会社もついこの間4ヶ月でやめた。
どちらも途中で心が折れてしまった。
自分で決断できないということは、責任を負う能力も乏しいということを痛感した。
自分でも支離滅裂な文章を書いていて何もわからないが、「姉のため」「母のため」だとか他人を軸にして行動していたら、自分が何をやりたいか全くわからなくなってしまった。
とりあえずバイトを決めてフリーターになる予定だが、誰かに依存し続けてきたせいで、あまりにも自分がやりたいこと、進みたい方向が何もわからない。
お先真っ暗!だとか、過去の選択をもう一度やり直したいとか、昔の恋人を振った時に相手を傷つけてしまったことの罪悪感が消えないだとか、自分は上手く立ち回れているかだとか、やめた職場で分からないことを聞いた時の声色だけで「怒らせてしまったかな…」と被害妄想してしまったことだとか、人生の失敗や後悔ばかりを考える毎日を送っている。
今日生きることを考えるのもしんどくて、外に出かけるかすらも恋人に依存してしまい、一人だと日中もまともに動けなくて、一日の大半を布団や部屋の中で過ごして終わる日々が続いてる。
と思う親御さんへ。
4年前の4/1に同じことを思った親より。
早生まれで小規模保育園から幼稚園(預かり保育つき)に進み、年少の1年間が終わりました。このルートは早生まれさんにオススメだと思ったので詳細を以下に記します。
もちろん、子の性質によるところも大きいです。人間の個体差でかすぎ。
あと、保育園だろうが幼稚園だろうが、子供と園の相性が第一です!!!その前提で書きます。
【小規模保育園のススメ】
小規模保育園は2歳児クラスまでしか設置されていないので、年少に上がる時にもう一度保活が必要です。これが最大のデメリットですが、それがメリットでもあります。
(なお、小規模保育園卒園後に進む保育園や幼稚園が確保されている保育園もあります。通っていた小規模保育園もそういう提携枠が数名分はかありました)
…やはり年長まである保育園が人気なので、1歳4月でも比較的入園しやすい印象があります。
・早生まれが多い
…上述の理由により、早生まれが多い。通った保育園の同じクラスの8人中6人が下半期生まれで、そのうち早生まれが4人でした(しかも4月〜6月生まれは0)。ということでクラスのお友達と発達具合が大きくズレるということはあまりなかったです。
…これは園の考え方にもよりますが、我が子は歯が生えるのが遅く、従って離乳食の進みが遅かったのもあり、入園時点でまだ幼児食は食べられませんでした。相談して1人だけ刻み食にしてもらえました。中には1歳児クラスは問答無用で幼児食の園もあるので、保活時には必ず確認してください(違う園ですが、1歳成り立てでは食べられない形状のオヤツを出されて窒息しそうになった早生まれ仲間がいる…絶許)
・2歳児クラスで「集団の中で一番お兄さんお姉さん」を経験できる
…これが小規模保育園の知られざるメリットです。鶏口牛後ではないですが、2歳児で集団の「最年長」を経験するとグッとお兄さんお姉さんになります(ただし子による)。
【幼稚園の預かり保育のススメ】
働き方が許すのであれば、小規模保育園卒園後に幼稚園の預かり保育をご検討ください。我が家は母親の会社が3歳以降も時短を使えるので利用できています。
・幼稚園で「しっかりした子」と思われる
…子の性質によります。が、おそらくほとんどの子が初めての本格的な集団生活の中、保育園2年間でみっちり集団生活をしてきた子たちは幼稚園生活に慣れるのが早いです。我が子も入園したての頃は、泣くお友達を宥めたり、お友達のお手伝いをしたりしていたみたいです。一番年下の癖に。そしてなぜか「しっかりした子」感を醸し出しています。
これがいわゆる「早生まれのデメリット」の一つを打ち消す、小規模保育園から幼稚園にすすむ最大のメリットです。
ということで、子の性質によりますが、早生まれちゃんこそ小規模保育園からの幼稚園ルートをご検討いただくのは一つでは?と思っています。少なくとも我が家は小規模保育園からの幼稚園でよかったです。
早生まれになってしまって保活どうしようと落ち込んでいる方に届きますように。
(ズレますが、早生まれの児童手当総額が少ない問題はマジで何とかしてほしい。不公平すぎる)
幼稚園と合うか合わないかはもちろんあります(お勉強系やのびのび系など)。が、それ以外の面で幼稚園がいいなぁと思っているところです。保育士さんだけじゃなく、幼稚園教諭の待遇改善を望みます。
・合否が早い
…幼稚園の合否はだいたい秋に出ます。なので保育園の3歳4月入園と並行して手続きをすすめ、幼稚園に決まったら保育園の選考を辞退することができます。2月頃に合否の出る保育園と違い、秋に進路がわかるのは職がかかっている身としては精神衛生によいです。
…平日の習い事ができない共働き家庭にとってはありがたい存在。お月謝がリーズナブルなことも多いようです。
…我が子を預かり時間の最後の方まで預けているのですが、園児の人数も少なめになり、出欠具合によっては先生とマンツーマンの時間もあるようです。最近は、先生の力を借りながら工作やブロックで創作意欲を満たしてもらっているようで、マジで有難い。
・お昼寝がないので夜早く寝る
…お昼寝の要らない子にとっては大きなメリット。幼稚園の預かり保育ではコットなどでお昼寝することもできますが、一律のお昼寝時間はありません。我が子は新生児の頃から睡眠時間が少なめで、2歳のはじめにはお昼寝がなくなりました……。2歳児クラスになってからは、保育園でお昼寝をすると就寝がテッペンを超えることもあったので、幼稚園のお昼寝なしは我が家にとって救いの一手でした。
以上です。
マジで早生まれでよかった!!!!!!あと数時間生まれるのが遅かったら去年1年も保育園で昼寝あり生活だったとかマジで考えられない。2歳児クラスの1年間は、親の睡眠と自由時間が確保できておらず、メンタル含む体調を崩して休職していた可能性がかなり高い。マジで早生まれありがとう!!!!!!!あと4歳おめでとう!!!!!!!!!