はてなキーワード: 社会人とは
意識の高い若手社会人には、「将来は経営企画部に行って事業戦略を作りたい!」と考えてる方も一定数いると思う。
また、「ポストコンサルのキャリアとして、事業会社の経営企画部に行きたいです!」という疲れ気味のコンサルの方もいるかもしれない。
果たして、経営企画とは皆が憧れるようなエリートコース、バラ色のキャリアなんだろうか?
日系上場企業(JTC)を中心に何社か経験した、社会人歴15年超の現役の経営企画部員が疑問にお答えしようと思う。
1. 「〇〇企画部」は「〇〇調整部」
まず大前提として押さえておきたいことは、企画系の部署がやっていることの大半は社内調整ということだ。
これは特に日系大企業で顕著で、経営企画だけでなく商品企画や営業企画でも同じだ(外資やベンチャーはよく知らない)。
経営企画部の実情は「経営調整部」であり、商品企画部は「商品調整部」、営業企画部は「営業調整部」と捉えれば分かりやすい。
キラキラしたクリエイティブで頭のいい人達が企画を作って、現場はその企画を素直に実行するーそんな夢のような職場は少なくとも日本企業には存在しない。
考えた企画の役員報告はもちろんのこと、関係部署との数えきれないほどの会議、文句ばかり言って協力しないおじさんへの根回しなど、膨大な社内調整には3ヶ月や半年も要することになる。
この間、担当社員の仕事は、パワポの資料作成に加えて、会議のファシリテーションや議事録作成など地味な仕事ばかりだ。
渾身のアイディアを盛り込んだパワポも、上司からの「てにをは」の修正、偉い人からのよく分からん指摘、関係部署への忖度などから、次第にエッジは削がれていき、総花的でぐちゃぐちゃした代物に変貌していく。
https://www.env.go.jp/content/900513416.pdf
官僚はまさしく企画職だが、関係団体や政治家との調整業務が大半で、利害関係者の意見を盛り込んでいるうちに、全くMECEではないぐちゃぐちゃしたパワポが出来上がる。
日本企業の他の企画職も似たような仕事ぶりであり、日々社内調整に汗を流して、ぐちゃぐちゃしたパワポを作っている。
この資料を作るのは確かに経営企画部員だが、その仕事の大半は事業部から上がってくる情報を集約して体裁を整えることである。
経営企画部員がオリジナリティーを発揮できる領域は限られていると言える。
2. 何の権限もない
経営企画はあくまでコーポレート部門で、経理や人事と同じようなサポート部隊である。
つまり、「こういう事業をやるべきです」と主張するよりも、「事業部でお困りのことがあったらサポートします」という姿勢が好まれる。
会社の重要な経営戦略であるM&Aも、どんなに意識の高い経営企画部員が必要性を訴えたところで、事業部の受け皿がなければ何も進まない。
しかし、往々として事業部というのは目先の業務で手一杯であり、新しい事業に取り組む余裕はないし、そんな高い視座で長期的に事業を考えている偉い人も少ない。
結果的に、M&Aなどの新しい施策は、事業部間でたらい回しになり、何も決まらず、チャンスを逃して成就しないことがとても多い。
おそらく、半分正解で半分間違いだろう。
確かに、役員や部長が偉くなる過程で経営企画に立ち寄ることはよくある。
だが、担当レベルではたまたまポストが開いたから異動してくることが多く、皆がすべて優秀という訳ではなく、行き場のないおじさんが、地味な集計作業をしてたりすることもある。
その点では、社内の他の部署と大差はない。
そんな訳で、経営企画部は社内調整ばかりで権限もなく、必ずしも出世コースでもない平凡な部署であることはお分かりいただけたと思う。
それでも、個人的には経営企画の仕事は好きであり、役員の近くで仕事して会社組織の意思決定の仕組みを理解できたのは、社会人として貴重な経験となったと感じている。
経営企画部員として働くと、社長や役員が頭がキレキレではなく普通のおじさんたちの集団ということが分かる。
そうした現実を踏まえて、権限がない自分たちがいかに企画を通していくか、サラリーマンとしての鍛錬の場として、経営企画は適してるといえる。
いや なんかネットだと弱者男性が僻み根性で女叩いてるっていう風潮だけど
俺は子供の頃から割とずっと強者側で恵まれた人生送ってきてると思うけど
てか強者側だったからこそ多くの競争相手を蹴落として来た訳だけど
それゆえに男側の競争のえげつなさは身に染みて分かってて
その競争の土台にすら上がってない女が対等を求めてくるのは本当に理解できない
本当に 悲しい事だけど
なんていうか 仕事を通じて社会の一員になろう っていう意志が
男に比べてかなり薄弱
そういう人は普通に尊敬の対象になるし 当たり前のように対等な立場になるんだけど
女という鎧と下駄履かされて 守られて過ごして
千尋の谷を生き抜いた男と対等な扱いを求めてくるのはちょっと無理
まともに働いても無駄ってなったのかもしれないけど
というとこで 今のフェミニズムや女という属性が薄らと男から嫌われてるのは
強者男性は勝者の余裕もあるし わざわざ指摘して回ったりはしないけど
仕事する、できる順でチーム組んだら女の割合が自然に減るんだよ
コンビニで何かを探してるんだけど何が食べたいんだか分からない。
甘くなく辛くなく脂っこくなく塩っぱくもない何かが食べたい。
そんな風に思うこと、みなさんにはありませんか。
これ小技なんだけどツイッターをぼーっと眺めると大体解消しますよ。
文字情報なんて全然頭に入ってこないのに他人の感情が流れてくのを見てるだけで安らぐ。
ほとんど表情に出ないけれど、本当は誰もが心を持っているって確認する作業が必要なのかも。
同じ車両に乗ってるサラリーマンたちやエレベーターに乗り合わせた女性も、心があって。
世界に溶け込むために普通の仮面を被って社会人を演じているけど、みんなそれぞれ悩みある人間で。
愛おしき赤の他人の無関係な人生をチェックする日課… でも今日は違った。
「子ども嫌いの治し方教えて」—— anond.hatelabo.jp
読書感想文が苦手だった。
感想を考えなくっちゃ、っていう気負いが脳のメモリに常駐して読書体験の純粋さを損なうから。
どんな感想を返すかを中心に思考が成長してしまい、ストーリーの情景が入ってこないんです。
そこんとこ十年来の友達は心得てて、お互いオススメをするときはただ黙ってリンクだけ投げる。
本は買って渡す、感想を催促したりはせずに、読まずに捨てたとしても文句は言わない。
だから頂いた約600件程度のアドバイスを読む前に言いたい事を言ってスッキリしとこうと思います。
最初の約束通りに助言を座って聞くけど、前提として追加で何も実践しない時点では返信しません。
3週間前の文章の中の私も言ってる、解釈を挟まず丸飲みにするつもりで聞けと。
およそ半月前の執筆時点で、日記を読んで力を貸してくれる善意の人はごく少数だったんだけど。
優しい人たちの助力のおかげで冷静になることができた。
改めて読んでみると私の日記には誤解されるかもしれない部分がある。
絶縁のピンチに見舞われてたわけじゃなくて、友人は珍しくブチ切れてたけど翌日からは普通に仲良し。
まあ友だちってこんなもんよね、関係値と距離感は熟練してるけど全ての話を理解し合わなくていい。
議論に出てきた全てのトピックを突っ込んで問いただたりはしませんよ。
スープストックの事件を話してたので独身女性の話だと勘違いする人も出ちゃうかも、と気になった。
あまり好きな言葉じゃないけど(というのは定義が曖昧だからだけど)私は言うなれば弱者男性です。
おそらくご存知ないと思うけど保険料って下がってくと月額千円になるんですよ、知ってました?
恋人どころか女の子と手を繋いだ経験さえないので、子どもを作ればいい、があっても泣くしかないです。
いつぞやのトゥゲッターもスープストックの赤ちゃん歓迎策を非難してたのは独身女性なんて言ってた。
だけど私には偏見としか読めなかった… だって女性かどうかなんてワザワザプロフィールに書きますか?
あと受け身の態度につけ込んでメンタルよわよわ侍だから口調はマイルドに、があえて無視される怖れ。
自分が気持ちよくなるためだけの痴漢のごときマウンティングをかましてくる愚か者も現れると思う。
彼がどうして愚か者だと分かるかって?
それは自分の事しか考えずに他人を迫害する奴が語る「子どもを、人を好きになる方法」なんて何の説得力も持たないから誰も耳を傾けないし、そもそもアドバイスじゃないからです。
黒人やゲイたちが迫害されてきた時代から人間が進化したと考えるのは誤りだ。
カンブリア爆発だって1000万年掛かってるんだから、生物の進化はそう簡単には表面化しない。
迫害の対象が子ども嫌いの独身女性という新しいマイノリティに移り変わっただけかもしれない。
社会的制裁とか言いながら異端を虐めて正義ぶる『普通の人』はまだまだ多いはず。
世界に溶け込むために被ってる仮面には、実はサイズなんてなくて。
みんな一様だから靴擦れみたいに負担がかかる、その鬱憤を晴らすために他人を殴るというわけ。
もちろんストレスを生む仕組みが社会にあるからと言って個人が免罪されたりはしないのに注意ね。
ところで当時受けた数少ない指導は言われた通りに実践してるけど、まだ効果が表れた実感は無い。
お母さんたちの苦労や理不尽は調べるほど出てきて…。
特にツイッター白ハゲマンガに心にガツンとくるものが多かった…。
でも親たちに共感するのは直接私の子ども嫌いを治してくれる訳じゃないのにも気付きました。
なんというか声の時点で、もうキツイんだよね…、あと何を考えてるんだかわからないのも怖い。
気持ちをぶちまけたら心が軽くなってきた、さあもう貰ったプレゼントを開こう、この瞬間を楽しみにしてたんだ……✨
漠然とだけど仕事のできる人ってなんなんだろね。マルチタスクとか人望があるとかたくさん種類がありますがわたしは正直全くできない人間。間違えるし、ミスして迷惑かけるし。自分の機嫌を取るのがうまいくらい。
おっ調子いいな!しごできになったか!?とおもうとたいてい「お待たせしました!過去のミスです!」ってデリバリーがやってきてまたやっぱクソやなの繰り返し。
バリバリできる人かっこいいなーと思うけども、メモしてもその付箋を見えるところに貼っても忘れるわミスるわで対処法が分からない。
HSPとか発達とか名前がついたとしても仕事の中身なんて変わらないわけだから診断受けても正直無駄。
幸い周りの人達がすごくいい人ばかりでなんとか働いてる。社会人ってすげーな。4年目になるけど未だに1年目気分だもん。永遠に下っ端でいたい。
こういった、苦手、嫌い、理不尽みたいなネガティブ事象全般に言えることだが、
私が若いときにはこんな上司がいてね、なんて話ができる感じで。
今回の子供が嫌いという事案に関して言えば、
ホモサピエンスの子というのはこういった思考をするのだな、とか
日本で学校教育が始まって150年そろそろ転換期を迎えているのではないか、とか
最近の子供はこういう言葉遣いをするのか、辞書に編纂されるのはいつかな、とか
まあ今後の話のネタをゲットしようくらいの気持ちで挑むといいんじゃないかな。
嫁は結婚前は社会人経験がほぼなく、バイトなどで日々の生活費を稼いでいた。
資格取得のためと言っていたのだが、時間がなくて勉強する暇がないという。
結婚をしてから二人で暮らすようになり気づいたのだが、嫁は努力をするという事が全く出来ないタイプの人間だった。
どうやったらうまくいくかとか、何が課題でどう解決すれば良いかという思考がまったくと言っていいほど無かった。
何をしてるかといえば、同じ様な作業を延々とくりかえし、資格がとれなくても「努力したけどダメだった」という自己満足に浸っていた。
本人はそれに気づいておらず、同じ様な無駄をずっと繰り返している。
そしてこちらが一生懸命改善をして効率化をはかり時間を作ると「さぼってる」と言ってくる。
嫁の頭の中では「私は一番努力をしているのに、なんでお前は努力をしないんだ」という妄想とも言えるドラマが展開されている様だ。
穴を掘って埋めるような無駄な作業で自己肯定感を得られ、人を悪し様にののしることができるというのは、本人にとってはさぞ幸せなことだろうと思う。
いわゆる不良とかではないのだけど、例えばこんな感じ
他にも色々あるけど、中学生くらいまでは割りとやばめだったはず。ここにはかけないような内容もあるし、一歩間違えば傷害罪になるケースだってある
そんな兄は仕事ができない
俺も似た職種だし色々接点があるのだが、同じ職場にいる先輩から聞くに事務系も現場仕事もダメダメらしい
まあ牛丼屋の深夜バイトでも清掃が朝までに終えられなくて毎日ギリギリまでやっていたことを知っている身からすると、そりゃそうだよなとは思う
本人や周りの人から伝え聞くに
本人もそのことは理解しているようだし改善をしなきゃと努力はしている、とは思う。
だから毎日少しづつだが仕事を覚えているってのは聞くんだが、なんかその年齢にしては「2年目?」ってレベルらしい。
兄に「どんな仕事しているの」と聞いても「契約とか給与の仕事だよ」とはいうものの、やはり要領を得ない。
逆にPC関係にはやたら強くてOffice関係は色んな人から依頼があるらしいし、そういうものは生き生きしているんだとか。
多分兄は発達や自閉症スペクトラムなんだろう。というか10年くらい前にそういう診断を受けたんだよな。俺も同席したが、標準より能力のガタツキがあるようだ。
その上で投薬治療をしたが、結果的に対してよくならずになし崩しで終わってしまった。
たしかADHDとかに使う薬だったはずだが、兄のはそういうのとは違うんだよな。能力はほんと平均値だし、普通の事務仕事程度はできるレベルだと思う。
だけどなんというか、責任感や状況把握能力が極めて疎かだし、思い込みが激しい。
小学生の時に兄と遠足に行ったとき、地図を見ているのにいきなり冒険だとか言って訳のわからない場所に突入しだすし、言われたことや目に見えるものより自分の判断や直感や思い込みに左右される感じ。
挙動が安定しないし、本人曰く「脳が常に霞がかかっている」らしい
きちんと勉強すれば普通に成績取れるはずだけど、興味をなくすと全て放置する。だから資格も全然で免許も苦戦していた。
本人のやる気と興味に全ふりして環境が整えばすごく出来るはずだが、どうなんだろうね。兄の脳みそをキレイにする方法ってないんだろうか
【追記】
知的障害かもと判断したこともあるが、知能テストでは普通なんだよ。ガタガタしているってだけ。ただ、本人いわく「擬態している」とは言ってた。何かは不明。
兄は事務系が苦手だが、なんでもというわけではない。
兄は結婚して子供もいるのだが、その子の出生届からマイナンバー申請等までほぼ兄が処理していた。もちろんマイナポイントや児童手当も全クリ
車を知人から買ったときにも、個人間売買にも関わらず車税や名義変更も完璧にしていたらしい。
【追記】普通の人では、という意見だが確かに見た目は普通なんだよ
挙動不審なことや仕事が鈍くて不正確なことが周りの評判を悪くしているだけで、それ以外ではさして問題じゃない
普通っぽいし学歴もあるから普通のことをさせられるんだが、同じことをしても俺とかが普通にできることが兄には難しい
その差がどこにあるかまるでわからないままなんだ
嘘をつかないとか、上司に相談報告するとか、日程を厳守するとか、そういう一般的に身につけるべき社会人の基礎能力がなぜか兄に身につかない
そこさえできればグンと良くなるはずなのに、そこで躓いていて誰も改善できない
「警察車両と事故をしても任意保険に入ってない可能性があり色々と面倒な事になるらしい」
https://togetter.com/li/2145422
最初は、全治一ヶ月で1年揉めて慰謝料3万円とかひどいよな、と感じたが実際のところ、
というのは交通事故の補償としては悪くない、というかむしろ破格である。
警察が任意保険に加入するとむしろ補償は悪くなると考えられる。
件の被害者が憤慨するのはよくわかる。全治1ヶ月の傷害事件の慰謝料なら3万円ということはないだろうし、社会通念上おかしいとは思う。だが現実には任意保険を使った場合の補償による交通事故損害の経済的回復度合いはなどというものは過失ゼロでも大体5割程度行けばいい方である。実際私は過失割合10:0で被害者になったことも加害者になったこともあるがどちらでも任意保険の保険会社による補償額は被害の5割程度だった。
なぜそうなるかというと、一言で言えば「保険会社ーレッドブックー裁判所」の三連コンボのせいである。
昔の話になるが大学生だったころ私はバイクに乗っていた。250ccではあるがDOHC4気筒で19000rpm以上回るドエレー"cool"なマシンで、新車価格60万の中古で30万、諸費用コミコミの乗り出し価格で35万だった。その後細かい事故状況は省略するが、当方の過失ゼロで全損+骨のヒビで全治1ヶ月という事故にあった。当方に過失がないのだから、諸費用は出ないとしてもまあ中古車価格くらいはでるだろう、と思っていた…が大甘だった。
この時の保険会社の提示額はなんと、7万円+慰謝料(通院回数×1.2万)だったのである。
通院は診断1回+経過観察2回=3.6万で、まあそんなものといえばそんなものかと思ったが、当時7万で買えるバイクなど2スト原付きくらいしかなく、車両の弁償額が7万円というのには大いに憤慨した記憶がある。そしてそこから先は事故被害者ならだれでも経験したであろう「そんな値段で中古車買えませんよね?」→「レッドブックではそうなっている」のやり取りが延々と続いたのである。
このレッドブックというのは有限会社オートガイドの発行している「オートガイド自動車価格月報」のことである。詳細な解説は
https://car-sokuhou.com/media/%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF/
のあたりでも見てほしい。が、google検索すると関連ワードに「レッドブック おかしい」と出るくらいに記載の自動車価格はおかしい。
はっきりいうと激安なのである。大体の相場感でいうと中古車市場価格の2割くらい。なのでこれを基準の価格にすると事故被害の回復なんてとてもとても無理である。私の場合結局2年間揉めて車両12万+慰謝料3.6万ということになった。
レッドブック安すぎるだろ!は被害者なら誰しもが思うのだが、裁判所は概ねレッドブック価格が妥当と認めるそうである。
https://jiko110.jp/faq/property_damage/koutuujiko131011
曰く
かららしい。
ということで過去の判例を踏襲する限り、日本の司法では、実質保険会社は2割程度しか損害を補償しなくても良い、となるわけである。
これに比べると、いかに警察の補償が手厚いかおわかり頂けるであろうか。
ちなみに社会人になったあと帰宅時に同僚の車に追突し、今度は過失10割の加害者になったこともあるが、同僚氏の話を聞くと大体私の過去の事故と同じような流れで、同じような補償になった。このときは本当に気まずく何度も謝罪に行った。補償額が中古車価格の2割だとすぐに全損扱いで修理不可になるので、車好き相手にはこれが本当に申し訳なかった。
創作物ではゴネて過大な損害額を申告するモンスター被害者みたいなのが良く取り上げられるけど、実際はレッドブックの過小評価に泣き寝入りしてる被害者の方が多いよね…
1と3は誤った前提に基づいているな。
1.について、国家が奨励するということは出産による教育機会等に対する負の影響を減らす話とセットだ。妊娠=退学=中卒という現在の常識を前提とした言語モデルの推論は前提が間違ってる。
3.のカネの話は高校生同士のカップルを暗黙の前提に置いているが、結婚出産を前提にするなら、現在の母親無職=専業主婦家庭と同じく、夫は社会人だろう。
そうは言っても2.判断能力に乏しい子供が邪悪な大人に食い物にされるリスクがあるので、母子の養育費請求など、ヤリ逃げを許さない仕組みづくりは必要だし、4.推奨が強制でないことは当然の前提だ。
全くその通り。
社会人になったら忙しくて出会いが少なくて相手の給料も気にするようになるからな。
高校のうちなら、番茶も出花というやつで多少ブサイクでもアホでも浮かぶ瀬もあるが、社会人でブサイクならほぼ絶望。歳を重ねりゃ益々絶望。
社会人になってセカンドバッグの1つは持っておくべきだと思って、ヴィトンのセカンドバッグを中古で7万円で購入した
何かにつけてそれを持ち歩いてたら、なんか自分が社会人やってる気になったし、他の人の見る目も変わった感があった
今もお気に入りで使ってるし(流石に新しいのも買ってるけど)、長持ちしてコスパもいい
やっぱりセカンドバッグは良い小物だと思う
転職エージェントをしていて20代後半から30代前半の社会人と話すことがある。
ちょっと引く。
正直、「こいつヤバいな」くらいに思う。
うっせぇわについては、まぁメタ的視点のものであって、それを本気で思っているとかじゃないよね。
社会人なりたての無敵感だったり、社会に対する不満性みたいなものを、ある種うまく切り取っているっていう。
んで、俺が語りたいのは「可愛くてごめん」の方なんだよね。
承認欲求とか、自己顕示欲とか、そういう類のものなのは確かなんだけど、それが今の時代はメジャーステータスとして成り上がっちゃってるんだよね。
今の子ってどうやって出会うか知ってる?instagramでイケメン・可愛い子にDM送ってそっから付き合ったりするのよ。
いや、出会い系かって。mixiの出会い厨かって。そう思うけど、それが普通であり、そのための入り口に「見た目」が存在していて、
マウントバトルが当たり前なんよね。なにそれ怖い。
だからこそ、カワイイ=パワーなわけで、それこそ歌詞にあるように「努力して」可愛くなる必要がある。
あとは、多様性というか、趣味の多様化が進んだ結果、画一的な「イケてる」じゃなくて、自分の好きな道を進むっていう歌詞でもあるよねと。
これ歌詞を昔の黒ギャルとかに当てはめても該当するっていうか、
尾崎豊が「僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない」と歌ったように、現代のZ世代は自分の好きを貫くために可愛さで武装する必要があるのかもしれない。
しらんけど。
今日だって仕事から帰ってゲームをして漫画を読んで0時を回ろうとしている。何も新しいものを生んでいないし、何も新しいことを学んでいない。
今日だけに限った話じゃない。休みがあったってどこに行くでもなく、誰と遊ぶとでもなくゲームをして適当な動画を見て1日を終えている。今付き合いのある人間関係は高校までに既に出来上がっていたものだ。本当になにも目新しさがない。
新しくありたいと思うのは、現状とそれが続いた先の未来に希望が無いからだ。何かを変えなければ、自分がダメな人間だったと評価が固まって行ってしまう。
社会人になると評価軸が変わるのかもしれない。学生の時は人間関係が特定の範囲、学校の中だけに収まる。皆んな所属が同じだから、肩書きに優劣は生まれない。社会に出れば同じ年齢で所属が同じなんてことはまずないし、同じ所属の人は年齢が大きく異なる。その人の個性を全て把握して評価するよりも、所属や肩書きに意識を引っ張られながら評価する方が、必要な情報量が少ない。どこどこに所属しているんだ、それはさぞ立派で安泰だねと、ステータス評価がどうしても頭をよぎることになる。
ある集団の中にいれば価値は見出されるが、その集団に入るためには、集団の外で価値を発揮しなければいけない。たぶん集団の中に入りたいと思っている人は大勢居て、玉石混交でも集団を作ることができるなら、それは大きな価値だ。
しかし貴方は玉石混交を苦手だと感じる。玉多めの世界に身を投じたいと思う。でも見渡す限り石ばっかり。遠くから見ている分にはとても楽しめるし尊敬できる玉も、近づいてみたらどうせ石なんだろうと勘繰っている。目立つ玉を目標としながらも、目立たない玉がスクリーニングされる仕組みを考える。考えても答えは出さずゲームをしてまた時間を浪費する。そうやって時間をかけて石の角が削れていって、最後に石はなくなってしまう。
むしろ焼き鳥の串外すのが当然と思ってんのってそこそこ育ちがよくて中途半端に気遣いができる層じゃね。
育ちが悪けりゃ「自分の好きなもん注文して好きに食べる」とか思ってるだろ。
単刀直入に言おう、俺は「うっせぇわ」と「可愛くてごめん」が嫌いだ。
「可愛くてごめん」は最初気に入って何度か聞いていたが、しばらくしてからその歌詞から漂う人格にだんだん嫌気がさしてきて、気づくと聞くのをやめていた。
初めて聞いた時、なんて痛々しい歌詞だと思った。この歌詞考えたやつ絶対黒歴史になるだろ。
高校生が考えた歌詞に違いない。と思ったが調べてみたらこの歌詞を書いた作曲家は25歳らしい。嘘だろ。じゃあ天才だ。
まずこの曲の歌詞の大意は、社会に出るまでに敷かれたレールに対する反抗というこれまでの音楽で幾度となく繰り返されたありきたりなテーマだ。
こういった思考は中高生に多く見られるというのは同意してもらえると思う。
気づいたら大人になっていた』
というフレーズを見てほしい。この時点でこの歌詞における主人公は”大人”になっている。
俺の意見では、”社会のレールに乗ってしまった”という意味での”大人”だと思う。
精神的な成熟を示す”大人”という形容詞は”気づいたら”なっているものではないからだ。
さてここで作者の話に戻るが、作曲家は通常の社会のレールに乗ってなれるものではないので、この作者は仮想の主人公を立てていると考えられる。
そう考えると歌詞の奇妙さが浮き彫りになってくる。
それは、この”大人”像があまりにもディティールが低いということだ。
・最新の流行は当然の把握
・酒が空いたグラスあれば直に注ぎなさい
・皆みながつまみ易いように串外しなさい
・会計や注文は先陣を切る
ステレオタイプ過ぎないか? 俺が最初に高校生が考えた歌詞か? と感じたのはここが大きい。
俺の考えだと、この歌詞の仮想主人公は高校生くらいだ。というか社会に出た人間がこんなこと考えてたらヤバくないか? いくらなんでも幼稚すぎるだろ
『社会のレールに乗るくだらない社会人になりたくない、という中学生か高校生の痛々しいメンタリティを表現した曲』
だった。
現代は誰もが「何者」かになりたい時代だ、としばしば指摘される。「うっせぇわ」の歌詞は痛いほどその事実を体現させていると思う。
という歌詞は、自分はほかの者たちとは違う、一切合切凡庸ではない「何者」であるという宣言に他ならない。
他にも、
・頭の出来が違うので問題はナシ
・私が俗に言う天才です
自分が特別だ、と思うことがどれだけ特別じゃないことかとかそういうことも気づいていない青臭い歌詞だ。
はぁ?うっせぇうっせぇうっせぇわ
“自身のお気に入りの歌詞は「あなたが思うより健康です」というフレーズだという。syudouはまだネットシーンでのみ活動をしていた当時に、ネットの音楽が「病んでいる」「暗い」というイメージで片づけられていたことに不満を持っていたといい、それに対してガツンと伝えたいという思いが上記の歌詞に込められている”
と言っていたそうで、これはつまるところ”大人”に対する反抗というこの曲のテーマに加えてもう一つ、”陰キャの復讐”というものがあるということだ。暗い、根暗な陰キャは実は強いんだぞ! というシンプルなテーマだ。
俺が最も気に食わないのは
『つっても私模範人間
殴ったりするのはノーセンキュー』
という部分だ。
昔の有名なコピペを思い出す。
“初カキコ…ども… 俺みたいな中3でグロ見てる腐れ野郎、 他に、いますかっていねーか、はは
今日のクラスの会話 あの流行りの曲かっこいい とか あの 服ほしい とか ま、それが普通ですわな
it'a true wolrd.狂ってる?それ、誉め 言葉ね。
なんつってる間に4時っすよ(笑) あ~あ、義務教育の辛いとこね、これ”
この最後のほうにある
という部分が「うっせぇわ」の歌詞とめっちゃ似てる。すごい似てる。
結局、この曲の歌詞とこの曲に共感している人々は、自身を社会のレールに乗ることを受け入れた”模範的な人間”なんだ、という肯定的な評価を(無理やり)することで、国家による法的な統治に安住している卑怯者に過ぎず、その自分が語る反抗もせいぜいSNSで(しかも匿名で)文句を言うくらいしかする度胸しかない。
うわあ、まさしく陰キャって感じだ。
と俺は思ったわけだ。ああ、もちろん犯罪行為を肯定しているわけではない。
この曲で最も頻発される「可愛くてごめん」という歌詞に関する俺の考察を述べておく。
まず想像してほしい、橋本環奈が「可愛くてごめん」と言ったとする。そんなことを言われてしまったら俺たちは何も返す言葉はない。「はい、可愛いです」と答える以外の余地はない。
さてここで考えてみてほしい、
と言うだろうか?
まあ俺の意見では、橋本環奈はそんなことを一ミリも思わないだろうし、言うわけがない。橋本環奈にとって自分が可愛いことは息を吸うことと同じくらい当たり前のことだからだ。わざわざ自慢する必要がない。
そして本当に可愛い女の子は、自分のことを可愛いなんて言おうものならほかの女子から総攻撃を受けるので、心のそこでそう思っていたとて口に出さないものだ。
つまり本当の勝者は他者の僻みに迷惑をかけられることはあれど、そこから一転攻勢、「むかついちゃうでしょ? ざまあw」などとは絶対に言わない。ここに「可愛くてごめん」に秘められた興味深いメンタリティが表現されている。
この「可愛くてごめん」の主人公は、学校では地味な女の子で(確かPVでもそう表現されてたかな?)、周りの、いわゆる”一軍”女子に憧れ嫉妬し、ある種、僻みさえしている。
そして休日になると自分の好きな可愛い服を着て、メイクをして、”可愛く”なって街に出かける。そう――”一軍”女子と肩を並べるために。
可愛い自分に嫉妬する誰かがいると思い込み(実際にいる可能性はもちろんある)、自分のことを僻む、顔の見えない誰かのことを意識し、自撮りをSNSに載せて、自分が可愛いことを証明することで、そうした誰かと一人孤独に戦っている。
その誰かとは実は、スクールカーストのてっぺんに位置する一軍の女子を僻み、コンプレックスを抱く自分なのだ。
「可愛くてごめん」について考察してるとなんか可哀そうだなという感情がわいてきて、執筆当初にあった嫌いという感情が薄れてきた
俺もこんな風に匿名掲示板で嫌悪を吐き出すという陰キャムーブをしてるなと今思ったw ダブスタかもしれん
誰もが「何者」になりたい世界はSNSの発展によってもたらされた。他人といくらでも比べることができる世界で、自分という唯一無二の存在が本当に唯一無二であるということを証明する必要がある。
俺もこんな記事を書いて「何者」になったつもりなんだろう。伸びるといいな。
ありがたいことにたくさんのコメントを頂いた。
いくつか興味深い指摘があったのでその点をもう一度考察してみた。
この指摘は、「可愛くてごめん」の歌詞はほかの人からバカにされたりする自身の趣味に対する偏見をはねのける少女の精神性を表現したものだ、というものだ。
そうした精神性からこの曲の歌詞を振り返ると真っ先に浮かぶ疑問はこれだ
“なぜ自身の趣味をバカにされたり、見下されたりすることへの反抗が「自身が可愛いこと」なのか?”
これはルッキズムに少女の価値観が支配されていることを示していると言える。しばしば言われるように”可愛いは正義”というやつだ。この価値観の元では”可愛い”者は強く、”可愛くない”者は弱いのだ。
人からバカにされたり、根暗や変わっていると思われる蔑まれがちな趣味を持っている私(≒いわゆる陰キャ)の私でも可愛いぞ(≒強いぞ)! という主張だ。これは”陰キャの復讐”という文脈に回収できるのではないだろうか?
そして、その精神性の内側には普段抑圧されているマイノリティのコンプレックスがある。
そのコンプレックスが最も示されているのは、「可愛くてごめん」の歌詞すべてと言っていい。
「可愛くてごめん」と連呼することは、可愛くない自分を無理やり鼓舞するために必死に主張しているように見える。私は可愛いのだ! ということを全身全霊で認めようとしている。それは他者に向かっているように見えて、自分自身を納得させるために繰り返されている。
そうすることで「私は強いのだ!」と納得しようとしているように見える。
あと、「うっせぇわ」も「可愛くてごめん」も作詞者がそう考えている、と俺自身が思っているわけではないよ。正直ここまで若者に刺さる歌詞を詳細に書くことはマジですごいと思う。
実際こうやって俺が嫌いになっているという事実こそがこの曲の歌詞が素晴らしいものであるということの証左でもあるしね。
あと、「それを嫌うお前の中にそういう精神性がまだ少し残ってるからだろ」的な指摘があって笑ったwww
二段階右折は適切なポジショニングが難しい。道路状況によってはしない選択をする場合もある。
◎歩道は自転車通行可か確認し、歩行者がいる場合は徐行または停止するようになった。
また、物陰からの飛び出し、バス停付近に注意するようになった。
(歩行者は申し訳なさそうに小走りでよけてくれるが、ええんやでと毎回思う)
◎車道を走行することが多くなり、自動車に対して、必要に応じて手信号や、アイコンタクトなどするようになった。
ヘルメットをかぶっていると、なんだか丁寧に応じてくれるような気がする(もちろんイケイケの運転手もいる)。
▲都度徐行、信号で止まるので、通勤時間が15分⇒20分程度には伸びた。
▲ヘルメットが野暮ったい。
増田はクソデカ頭蓋骨のため、頭に入るヘルメットがほぼなく、スポーティなものや、かっこいいものは選べなかった。
信号待ち中にビルのガラスに映った自分の姿を見るとちょっとう~ん、という感じがある。
×夏に向けてそろそろ暑くなってきた。