はてなキーワード: 甲斐とは
私事だが、この夏で50歳になった。
新卒時に「嫌だな〜、これから40年も働くのか」と思ったサラリーマン人生も残すところあと10年となった。
仕事そのものは、予想に反して楽しく過ごさせてもらったが、収入はなんともだった。インターネットが普及してからは「平均」というものをググったりもしたけど、ピンと来なかった。
同じ思いの人も多かろうと思い、匿名をいいことに赤裸々にしていこうと思う。
財閥系総合商社勤務の父の元、比較的裕福に育つ。幼いころはアトピー、喘息と親には心配をかけたであろう。4人兄弟の長兄。
喘息を治す為に習った水泳はその後、特技となり、大学生の時はイントラなどのバイトをした。公立小学校→公立中学→私立付属高校→F欄私大文系。
全国展開している学習塾系の広告代理店営業に新卒で営業として入社。なぜか社長に気に入られ、直轄のプロジェクトなどを担当。2年目のボーナスの少なさに腹を建てるのと、担当したプロジェクトで出会ったデザイナー側になるべく、転職。なぜなら営業よりもデザイナーのがかっこよく楽しそうだったから。ちなみに新卒時に入った会社は今は整理され、もう無い。
その後、ベンチャーに就職し、マッキントッシュと出会う。個人的には人生が変わったと思っている。Photoshop、illustrator、afterEffect、director、MAYA、3Dmaxなどのソフトなどを習得する。ここでの報酬はそう悪くなかったが、デザインする内容に飽きてしまい、転職。ちなみに今、この会社は一部上場。
その後、転職した会社で現在に至る。組合のあるのんびりとした雰囲気で過去に大きな成功体験がありそこから抜け出せていない会社。外部から来た人間という事で割と新しい事業を任されがち。たまたまそこで結果を残し、特許を取得するなどをし一定の地位を得る。会社のリソースは有限で発言を積極的にする人間や声の大きい人間がそれを使えるんだなあと理解。
現在の役職は技術系の部署の部長。得に資格手当などはなし。現在の月収は456,590円。組合が今、闘ってくれているまもなく振り込まれるであろう賞与の額は956,907円。夏は908,100円だった。去年は103万くらいだったのになあ。あ、3月の給与には調整金の名目で8万円程度加算される。いわゆる期末賞与的な。
なんとなく年齢*万円を目指してきたけども、うちの会社の規定ではこの年令になると難しい。新卒で入った会社の最初のボーナス(夏ではなくちゃんと計算になる冬)が16万円程度だったのに腹を建てて辞めたもんだが、この年令ではそのような動機で辞めてしまうと再就職が難しいので、行動に移せない。
前述の通り、これが人と比べて多いのか少ないのかはわからない。誰もはっきりと教えてくれないし、平均では実態がよくつかめないし。俺は近所の同世代くらいの野郎がいくら貰ってんのかを参考にしたいのよ。
ちなみに妻はパートタイマーで今年は103万をちょっと超えたくらいの収入だそうです。
パートタイマーで働いてくれている嫁が1人と子供が3人いて家計が火の車なのは確かです。ってか借金地獄。子供は上から私立文系大学1年生で自宅からの通学。真ん中が公立の中高一貫校、下が公立の中学。大学は別として下2人は公立なので、世間的にはかかっていない方かと思いますが、塾!これが痛い。
また、大学生の子には奨学金を借りてもらっています。不甲斐ない父親で申し訳ない。俺自身は借りなくても住んだし、一人暮らしもさせてもらったってのにごめんな。
塾は月額それぞれ、25,000円くらいかかってる。子供が小学生のころはスイミングなども習っていましたが、+6,000円くらいかかってしまうので、断念せざるを得ませんでした。
ちなみに私自身も20代の頃から続けていたジム通いを断念。今は自宅での筋トレと近所を走ることにしています。ジムのいいところはジャグジーとかプールとかだったのですが、モチベーションや侘しさは別として年齢なりの運動強度は得られているかと考えています。ジム、行きたいけどね。時々電車の中から見えるジムの光景が眩しくて泣ける。
家は持ち家です。ローンはまだ19,259,788円残っており、月々96,404円返しています。これは金利0.857%で借り入れています。
車は1台所有。来年の車検が頭痛の種。あと来年の大学の学費どうしよ。
奥さん良く見てる。
私見だが新型鬱で合ってると思う。
(おなじ症状を「女性の発達障害は男児とちがってティーンから顕在化しているのだ」ととらえる向きもあるが、
とにかく真面目すぎるほど真面目な子に多いんだととらえてほしい)
症状としてはとても疲れる。
ほっとくと1日12時間以上寝る。マジで。サボりでもなんでもなく。
当然宿題や通学が人並みにはできない。
起きてられないんだもん。
ただ、鬱にしろ発達障害にしろ、はっきり区別をつける必要はない。
というのも、中学1年生の子供が飲める完全に安全な抗うつ薬がまだない。
当然、薬はまともに効かないと思ったほうがよい。
(入眠困難も出ることが多いけど、睡眠薬も同じように使い方が難しい)
ので、とりあえず、ケチらないで甘やかしてやってやりすごさせて、ニートにしてやってもいいから。
「友達をつくれそうなところならどこでもいいぞ、
おまえなら余裕をもって入れる学校がかならずあるぞ、
大人になったらちゃんとした抗うつ薬が飲めるからって本人にも親同士でもいいきかせて。
高校は年齢制限あるけど通信の高校も今はたくさんあるしそれでもいい。
大学なんて20代のうちにいけたらそれでいいやくらいで。
ただ、親が「うちの子はニートでいいや」と甘えてしまって孤立させると
その後がとても難しくなるので、
「とにかく起きていられるようにする、外出もさせる」
「起きている間に友達を作らせる(しかし体力の問題で友達と全く同じ行動はできないと納得させる)」ことが最優先。
で、医者に行くために頻繁に体力つかってしまうとまた体力を使い果たして学校へいけなくなるので、
行ける時に行けて1箇所でなんでもしっかり教えてくれる便利系な医療機関に絞るべきなんだが、
まず、場所が遠ければそれで土日2日分の体力がゼロになってほかに行きたいところに一歩も出られなくなったりするし。
よく考えたほうが良いぞ。
とりあえず、もののわかった若い目の女医精神科医がいればそういうとこがいいよ。
あと、たまに本人が
「自分は不甲斐ない。あれもしたかった、これもしたかった!」と欲望の大渋滞パニックになるから。
体力ない人には無理だと親が整理してやれ。
元増田に触発されて、大学時代に自分が自殺未遂をしていた頃のことを思い出していた。自殺未遂と言っても、救急車や警察のお世話にもならない程度に自殺を企てて失敗して諦めるようなものではあった。とはいえ、今思い返してみると自分の人生ではそれなりに重要な位置づけにあった出来事だったように感じるので、供養のために当時のことを思い返して書いてみようと思った。
大学の頃はとにかく自分の不甲斐なさ、生きる才能のなさに絶望していた。バイトでも研究室でも上手くいかず失敗ばかりで常に低評価、何をしても上の立場の者を怒らせてしまい下の立場の者からは憐れまれる、同期も含めて誰とも信頼関係を築けない、などで常に悩み苦しんでいた。いつだったか、親に「普通のことが普通にできるようになって欲しい」と言われた。自分も心底そう願っていたのだが、周囲が普通にできていることができないまま、失敗体験ばかりが積み重なっていった。
その社会的に上手くいかない大部分は、今顧みると自分の発達障害的な特性に起因していたのだと思う。だが、その頃は発達障害に対する知識量が乏しく、自分が発達障害であると疑いもせずに、漠然としつつも強い社会不適合感を感じながら生きていた。
そのうち、何か現実で失敗して大きく自分に失望する出来事があったとき、自殺を試みるようになった。
ある時は凍死を試みた。当時は北海道に住んでいたので、冬の夜に外で寝ると簡単に凍死できる。酒をコンビニでたくさん買って、酩酊したのちに雪の中で寝ることで死のうとした。だが、いざ酒をしこたま飲んでも「ここで寝たら死ぬ」という本能的な危機意識が強まり、意識が覚醒するばかりで思うように酩酊することができなかった。結局、1時間半ほど雪中にいたのちに無理だと悟り、冷え切った指をさすりながらフラフラ家に帰った。
ある時はヘリウム自殺を試みた。本当は数百リットル入っている大きなヘリウム缶を購入した方がよかったのだが、実家住まいだったため家に持ち込むのは現実的でなく、結局十数リットルの小型缶を2本買った。ビニール袋を頭から被り、その中にヘリウムを充満させ、呼吸すると酸素不足で意識を失いそのまま死に至るという寸法だ。結果はまあ当たり前だが、ヘリウムの絶対量が足りず、意識を失うことすら叶わなかった。「死ねなかった…」と独りごちたとき、例のパーティ用ヘリウムを吸った時の声が高くなる現象が起き、思わず笑ってしまった。一瞬だけ、自殺に失敗した絶望感が紛れた。
他にも非定型首吊りを試みたりと何度か自殺を決行した。だが、いずれも準備不足だったり、途中で怖くなってしまって未遂に終わることを何回か繰り返した。そうしてまた現実に向き合わなければならない絶望感を抱えつつ、辛くて苦しい日常に戻っていった。ただこの自殺失敗は無意味ではなく、いつでも死ねるという選択肢があると自分に言い聞かせることで、現実の辛さから目を背ける逃避行為になっていたと思う。
そうして毎日をやり過ごしていたところで、大学院の研究発表が間近の冬の時期に、これまで数ヶ月かけて実験してきたデータが使い物にならないと判明した。自分のこれまでやってきたことが無為だと感じたときに、なんとか生きようとしていた気力の糸が完全に切れてしまった。この出来事自体が大きい意味を持っていたというよりは、これまでの失敗体験により自分への失望や将来への希望の無さが雪だるま式に積み重なっていって、この出来事で許容値を超えたと言った方が正しいと思う。この先生きていても苦しいだけで希望も何もない、自分は何も成功を収めるすることができない落伍者だという思いがピークに達し、自殺を決行しようと思った。
定型首吊りをしようと、酒を飲んだあと人気のない公園に行き、自分の身長以上ある遊具にロープを括り付けた。その後、遊具に昇って首にロープをかけ、足を遊具から踏み外した。頭に血がパンパンに溜まり熱くなるのが分かり、同時に意識に靄が徐々にかかっていった。あと数秒、首に圧力が加わったなら意識を失い、やがて死に至ると強く実感した。そのように感じた瞬間、死が急に身近に思えてきて、一瞬でとてつもない恐怖心が芽生えた。手でロープを掴み首に掛かる圧力を緩めたあと、必死にもがいて首からロープを外し、倒れ込むように雪の上に落ちた。
その後も何回か試したが、同じようにあと数秒で意識を失えるところで首からロープを外し、断念することを繰り返した。あと数秒だけ首に力を込めれば意識を失えたのだが、その一線を越えるのがとてつもなく大きな壁のように感じ、どうしても乗り越えられなかった。結局3回ほど試したのち、無理だと悟って家に帰った。
上で書いた通り、自分にとって自殺は辛い現実から目を背ける唯一無二の手段だった。死ぬという選択肢があると信じ込むことで、どんなに現実で失敗をしたとしても、死ねば救われると信じていた。しかしこの自殺未遂により、ここまで死に接近しても、死という一線を越えることは自分にはできない、死を現実の逃避先にするのは無理だと悟ってしまった。すると、これまでは生きるか死ぬかの狭間でウロウロ迷っていたのが、死ぬことが無理ならこの先も生きていくしかなく、この先どうせ生きていかねばならないのなら、できれば良い人生を生きていきたいという心情に変化した。死ねない絶望が、逆に現実を前向きに生きようとする動機になったのだ。
その後、研究発表は使えそうなデータをそれっぽく見せて、なんとか修了要件を満たすことが出来た。
そして大学を卒業して働き始め、自分が発達障害であることに疑いを持ち実際に診断が出るなど紆余曲折ありつつ、今のところはなんとか生きている。
今でも猛烈な希死念慮や破滅願望が湧き上がることはしょっちゅうあるし、自分が社会を上手く渡っていける人間でないことに絶望したりもする。「生きててよかった」とまで自分の人生を肯定できるまでには、まだ至っていない。だが、自分は自殺できない、死を逃避先として選べないということは、確固とした事実として悟ってしまった。また、幸いと言っていいのか、最近は少しずつ発達してきたのだろう、人生を上手くやっていく術を徐々に身につけつつある。まあ、全て上手く実践するまでには全然至っておらず、それなりの頻度で失敗をやらかす。そのたびに湧き上がる強い自責感情と消滅願望を色々な方法でごまかしつつ、結局はより良い人生を目指して少しずつやっていくしかないと思い今日もまだ生きている。
この文章を読んで、これは前向きな感情ではなく、死ぬという選択肢が消えたから消極的に生きなければならないと感じているだけではないか?と感じた人もいるような気もする。確かにそうなのかもしれない。ただ、以前は学習性無力感からか、自分の人生を良くしようと自分から働きかけようという気すら起こらず、ただ日常の痛みに耐えているだけだった。そのような状況から比べると、自分の人生をコントロールして良くしようと動く気になった分、以前より間違いなく前向きになったように自分では感じるのだ。(管理が厳しく、親の納得のいく人生を送らないと叱責する親元を離れたことも、大きな要因であるとは思う)
そこで東日本大震災が起こった。ずっとテレビを見ていて思ったのは「いとも簡単に人がたくさん死ぬ」ということだった。
ぼくがずっと考えていたことは自然にとってはありふれたことで、一生懸命自分の人生を生きてきた一人の人間が、人生を無理矢理終了させられ、大して深い意味もなく死んでいくという「人間がゴミのように死んでいく」光景が新鮮だった。可哀想などと思う人間の気持ちを持つ余裕はまだ無かった。失礼な話だが、人が一人死ぬのを見るたび希望が湧きあがってきた。震災はぼくの死生観に強い影響を及ぼした。「人間が生きる意味などない」というのをかなりポジティブに感じた。
こうして今になって文章化して振り返ってみると、この程度の絶望はまあ巷にはありふれているし、救急や警察にお世話になっていない程度の大した話でないと自分でも思う。ただ、元増田は「人は簡単に死ぬ」という現実を悟り、結果として前向きに生きることができるようになったと書いている。一方で、自分は「人は簡単に死ねない」という現実に直面し、結果として前向きに生きられるようになったように思う。その対比がなんだか面白くて、このような長文を書いてしまった。
以上、供養です。おわり
ひどい気分だ。
何の気なしに出会い系サイトに登録してみたのが昨日。数時間前に、近所で相手を募集しているという書き込みを見つけた。プロフィールには某国出身と書いてある。連絡を取ってみると「私のところで苺」だという。まあそんなところだろうと予想していたし、苺ならそう高くもないと思ってOKした。
これが初めてではない。これまでにもいわゆる円で一人、援デリで一人を買ったことがある。しかもそのたびごとに、相手と顔を合わせたその時には、私の心はすっかり冷え切っているのが常だった。興奮しないし起たないし、肌を合わせている間はずっと罪悪感があってセックスどころではないのだ。
罪悪感があるなら買うなよ、という指摘は正しい。だが、私が罪悪感という言葉でもって、警察の世話になって社会的生活を喪失することへの恐怖や警戒感を表現している、などとは思わないで欲しい。確かに、この日記をこのネカフェから投稿したことによって私が警察の世話になる可能性を思うと、それは恐ろしい。だが私が本当に恐れている事態は、私という一人の人間が、金銭という手段でもって、これまた一人の人間の身体を、ひいてはこれと不可分な精神を、人格を購入することによって商品たらしめ、売春者という属性を着せる--そもそも誰かが相手を買わなければ相手は決して売春者ではないのだ--このような非人間的行為を、私という一人の人間が為せるということ、じっさい為したということなのだ。
話を戻そう。サイトでやり取りする限りにおいては、きわめて自然な日本語でメッセージを送ってくるので、それなりに日本慣れした人物なのだろうと予想していた。指定されたマンションの部屋に入ると、なるほど提示された写真通りの人物が現れたのであるが、なんとろくすっぽ日本語を話せない。つまり、サイトで客を誘い込む仲介者がいて、その仲介者が売春者に客が来ることを連絡しているのだろう。あるいは話に聞くマントル。とても21世紀とは思えない商売が繰り広げられていたわけだ。
もっとも、当時現場にいた私はこのようなことを考えてはいなかった。上で罪悪感が云々という話をしたが、これは今の私がそう考えているというだけのことであって、当時の私はといえば、どうも話が上手すぎるので何らかの物騒な方法で金を巻き上げられるのではないか、などという不届きな警戒心を抱いていたに過ぎない。この事実がまた今の私を滅入らせる。こんな口先だけの人間が、人格だとか何だとか小難しい綺麗事をペラペラと喋っているのである。言行不一致もいいところなのだ。
実際に事に及ぶ運びとなったものの、互いに気持ちのないセックスなどろくなものではない。刺激の結果として精液が出てきておしまいである。性ホルモンがどうこうなって、脳味噌が反省の方向に傾いて、今この記事を書いているほうの私になる。おや、結局のところ今の私だって、身体の働きの関係でこのような気分になっているだけかも知れないではないか。あるいはもっとひどくて、満足にセックスもできない自分が不甲斐ないだけかも知れないではないか。私がそのようであるという可能性自体が相当に不甲斐ない、情けないものだ。
万事こうだ。何か悪いことをした、しかしもしかするとその罪悪感は一切 倫理的ないし宗教的な根拠を持たないかも知れない、そしてこのこと自体が悪いことなのだが、その上さらに後者の罪悪感自体がまたも何の根拠もなく、すべては純粋に身体に還元されてしまうのかも知れない、云々。
3年目になり、まとめ役では無いにせよチームの主力メンバーと言っても差し支えないぐらいになってきたんじゃ無いだろうか。
以前より物事をてきぱき進められるようになって、自分の意見も臆せず言えることが増えてきた。
でもまだまだこれから!の時期だと思う。
まだまだ伸びれるし、まだまだ勉強することが沢山ある。
たぶん1年ぐらい離れることになると思う。
1年仕事したらどれだけ成長出来るだろう、1年が戻ってきた時、経験年数の1年少なくなる私は周りとどれだけ差がついてしまうんだろう。
そもそも組織変更のやたら多い会社で、帰ってきた時に今の部署があるか、今の人たちが居るかどうかわからない。
私は専門職なので、基本的には自分の技術力を売りに仕事をしているわけで、1年のブランクがあったらどうなってしまうのか考えたくはない。
そこまで技術の変化が凄まじいわけじゃないけど、半年か1年あったら新しい何かが3つ4つ増えてたり、もしかしたら主力で使うツールが入れ替わってたりするかもしれない。
たぶん今が頑張り時なのに休みに入る辛さよ。
とはいえ、働きざかりに働いて、30をいくつか超えてじゃあ子どもを作ろうってなった時に作れるのかっていうとそうでない人も居るわけで、ワークライフバランスとか何とか言うけどどうなんだろう。
産休育休明けて戻ってきた人たち、やっぱり子どもが第一優先で、子どもが熱を出したら早退するし、なんならお休みするし、
時短勤務に切り替えたり残業しなかったり、やっぱり母感がある。
生まれたら子ども大事にしたい、大事にしたいけど今と変わらず勉強して成長してってしていきたい。
長い時間働くこと、残業することがイコール頑張ってることだとは全く思わない。
ただ、やり甲斐があるけどスケジュール進行がキツい大きな案件は子どもがおらず無理の効く人に割り振ってしまおう、ってなるかもしれない。
時短で早く帰ってしまったら、定時間際に行われるような会議には出席出来ない。
案外生まれてみて、復帰したら考えも変わるのかな。
「***さんを幸せにしたいなー」▶まわりくどいけど、好きだよって事じゃないかな。
そういう気持ちになれる女性に巡り合わないと、使う言葉じゃないと思います。
アマチュアだが劇団に入って演劇をやっている。やってみて面白かった事を挙げていく。
・顔はメイクでどうにかなる!
俺は男だが、人の容姿はメイクでこんなにも別人に変身できるのかとビビった。
イケメンにもブサイクにもなれるし老いたり若返ったりもなれる。
いや、乱暴な感想だとは思う。メイクと言っても舞台メイクと日常のメイクは全然別物だし、メイク映えするかしないかは個人差があるのも解る。
でも普段化粧なんかしない男からすると、メイク面白ぇ!っていう衝撃を味わえた。
地顔の造形に拘って悩むのが下らなく思えた。
思うんだけど、何で男は化粧しない文化なんだろう?男がファンデ塗る程度でも気持ち悪がられたりするよな?
眉毛描くだけでもちょっとイケメンになるやん。男性メイクが流行れば顔面コンプから救われる人もいるんじゃないだろか。
素人劇団なので役者は稽古に数ヶ月かけるんだけど、数ヶ月の間ずーっと同じキャラクターに向き合い続ける事になる。
最初は、ソイツがどんな理由でそんな台詞を吐くのか、どうしても心情が理解できず納得できない台詞が一つや二つ、必ずある。
一言を言うのがすげー大変だったりする。
たった一言に納得できないだけで、そこの芝居がマジで上手くいかなくなるのだ。
それやってると、理解できなかった台詞が理解できるようになる。というか自分の中で辻褄が合う解釈が出来上がって、その台詞に必然性が生まれるっつーか。
そうすると初めて芝居に血が通った気になり、意味不明だった他人に歩み寄り同一化できたような気になる。
そこで、この脚本書いた人はここまで深く考えていたのか、スゲーな!!と物書きへの畏怖を覚える。
・異世界に没頭できる。
リアルな大道具と小道具と衣装とメイクと照明と音響の力で、そこが現実ではなく芝居の中の世界になり、自分は別人に変身し、作った感情がリアルに胸に湧く。
これが凄く気持ちいい。
テレビも映画もゲームも無かった昔の人達でもこういう体験はできたんだなぁ…
他のキャストの演技が上達すると、それに呼応して自分の演技が上達する事が往々にしてある。
相手の台詞に力が宿って自分に届き、それまで出せなかった感情を引き出して貰う事がある。
逆にこちらの台詞にも力が宿って相手の芝居が変わる瞬間がある。
これがなんつーか、日常には無いコミュニケーションであり濃い感情のやりとりって感じなんだ。凄く面白い。
・不平等なんだけどそこがいい
例外もあるけど、男の役は男が、女の役は女が、老人の役は老人が務める、みたいに、自分の性別や年齢や容姿、あらゆる面で配役が制限されまくる。
それに演技の上手い人よりもハマり役の人が主役に選ばれる事もある。
でも、主役が美味しくて脇役が不遇って訳じゃ無い。物語に登場する人物は老いも若きも男も女も悪人も善人も色んな役所にそれぞれ作り込む余地があり旨味があって、各人が一生懸命になる。
むしろ嫌われ役とか小心者の役の方が面白かったりする。またどんな大根役者にも必ず「ソイツにしかできない芝居」がある。
顔やスタイルや頭や性格がいい人が正義とかいう一元的な価値観とは違った、もっと多面的に人間の魅力に目を向けないと芝居が完成しない。
前より人間に優しくなれた気がする。
劇場版プリキュアオールスターズメモリーズを一人で観てきたおっさんのネタバレありの感想。
要約すると、今回の敵は使われることのなかったゆえにダークサイドに堕ちたカメラで、自分が写したかった綺麗な記憶をプリキュアから奪ったが満たされることもなく、最終的にははなの説得で浄化された、という話。
なんだけど、カメラ本体を見つけた時にさあやがあれだけ反応した、ということはマイナーでも知っている人は知っているのだろうし、そもそも製品として世に出ている以上は開発者の想いをたっぷり受けて作られているであろうに、そこに全く触れられなかったのが残念だった。
てっきり開発者との思い出をみつけて、「なんにもないなんてことはないよ。君だって愛されて生まれてきたんだよ」って展開になるとばっかり思っていたのに。
いや、自分がここ最近やっとのことで世にリリースできたサービスが、売上あがらずあっさりと終了になってしまって、それをミデンと重ねてみてしまっていたと言うのもあるんだけどさ。
世の中の製品は基本的に開発者や製造者から愛されて出来ているんだよー、と年甲斐もなく主張したくなった。まあ、プリキュアという純なものを見たおっさんのたわごとです。
あと、出演するプリキュア全員に声があると聞いて、どうすんだろう?と思っていたら、各シーズンごとに数秒ぐらいしかなくて、しゃーないけどとは思いつつもちょっと笑った。
ちなみに平日の最終上映で、本来のターゲット層である子供は一人もいなかった。声を出してプリキュアを応援する人も、ミラクルライトの輝きも一切なかった。
しあわせってなんだろう。
幸せなんて主観的なものでしかないから、先程の問の答えや定義は人によりけりっていうところなのだろうけど。
24歳。
周りには家庭を持っている人もいれば、学生として研究に勤しむ人もいる。働いている人も多くいるし、働き方だって様々。職種も様々。
わたしが生まれ育ったのは、とある地方都市のベッドタウン。小さなショッピングセンターはあるものの、特にそれ以外は何も無い。家がある住宅街を抜けると、田んぼと山に囲まれた田舎の景色が広がっている。
子育てをするにはとても良い環境だったと思うし、実際、たくさんの子育て世代がこの住宅街に夢のマイホームを建てて移り住んでいた。
突然だが、人生とは選択の連続である、という言葉がある。(byシェイクスピア)
当たり前のことではあるが、成長とともに選択肢は増える。
特にわたしたちのようや田舎で育った者にとっては、なおさらそうだろう。私立の小学校、中学校だなんて周りになかったし、車がないと駅にもたどり着けないような地域なので、ほとんど全員が地元の幼稚園、小学校、中学校、と、同じルートを辿る(もちろん受験をしてみたり、別のルートを歩む人は少なからずいたが)。
わたしにとっての初めての大きな分岐点は高校受験であったと思う。
田舎にちょっぴりコンプレックスを抱いていたわたしは、都市部に位置するという理由だけで、この辺で1番の進学校に進んだ。
わたしは決して頭の回転がいい訳では無いが、昔から記憶力がとてもよかった。
おかげで普段は全く勉強をしない不真面目な学生だったわたしだが、テスト前の詰め込みだけでそこそこ学年でも上の方の成績を維持しており、高校受験もなんなくクリア出来た。
地方の進学校特有の、地元の国立大学(A大学とする)を神聖視し、それはそれは宗教のように、「目指せ!A大学!」と朝から晩まで勉強に励む生徒達。
わたしは多数派から外れることがとても怖かった。いつも一緒に行動していた友人達はみなA大学を志望しており、わたしも当たり前のように、なんの疑問も感じずにA大学を志望し、死ぬほど勉強した。
特に将来やりたいこともなく、母親から、「今の時代は女でも資格を持っていないと」と言われたので、特に何も考えず資格が取れる専門的な学部を受験した。
死ぬほど勉強した甲斐あって、ストレートで合格し、進学をすることができた。
周りの大人たち、親戚たちからは、優秀ね、親孝行ね、などといつも褒められたし、親もとてもわたしの進学を喜んでくれていた。
大学では、それなりにキャンパスライフを楽しむことができたので、専門的な学部だったため、他の学部のように授業をサボってみたり、全休作ってみたり、そんなことは一切出来なかったし、なにより実習が死ぬほどきつかった。
大学生にもなると、仲の良かった同級生たちは皆SNSをやっていた。
この頃から自分の選択が正しかったのか、自分に問いかけることが増えてきた気がする。
関東の私大に進学した友人はいつもオシャレなカフェをインスタグラムにあげていたし、同じ大学に通いながらも全休をたくさん作って遊び呆けてる友人、地元の高校で勉強はあまりせずに恋愛を満喫して専門学校に進学し彼氏とラブラブな友人、夜の仕事をしながら華やかな世界で生きる友人、
所詮全てSNSでしか知ることは出来なかったので、切り取られたほんの1部だったのだろうが、やっぱり隣の芝生って青い。
みんなそれぞれ、たくさんの選択肢を選んできた結果として、様々な人生を歩んでいた。
大学を卒業した後、わたしは今、地元で公務員として働いている。
安定した職もあるし、高給取りではないけれど、実家暮らしのため、そこそこ自由に使えるお金もあり、趣味も満喫している。友人もいる。誰もが注目するほどの美人ではないけれど、絶望するほどのブスでもない。
過去の自分に会うことが出来て、未来から何かを伝えるという漫画みたいな経験ができるのであれば、もっといろんな選択肢があるってことに気づかせてあげたい。
子どもが欲しい。わたしも早く家庭を築きたい。もっとワクワクするような仕事がしたい。素敵な彼氏とラブラブしたい。
華やかな世界に生きたい。都会に出たい。
しかし、わたしにはこの安定したレールから脱線する勇気がない。
もっと勉強しなくて良い学校に通って毎日遊んでバイトして過ごした方が楽しかったかな?自分探しの旅に出てみてもよかったかな?たくさん男の人と遊んでたら、いい人見つけてもう結婚できてたかな?
この選択肢を選んできた自分の人生以外の人生を歩むことは出来ないので、どの選択肢を選ぶのが正解だったかなんて今更わからないけれど。
今日もわたしはいつも通り、実家のリビングでゴロゴロしながら、ツムツムのハートが回復するのを待ちながら、この記事を書いた。
何が言いたいかさっぱりわからなくなったが、自分の言いたいことをつらつらと書いてみた。共感してくれる人も、贅沢なやつだと反論的な考えを持つ人もいるだろうが、暇を持て余した1人の24歳女の戯言としてさらっと流してくれたらうれしい。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
フェミニズム並びに世の中の女性たちは、女性の社会進出によって、男性側も変わっているのだということがわかっていない。
むしろ、フェミ思想は女よりも男の生き方そのものを大きく変えているのではないかな。
フェミ思想が男社会の解体を目指すのであれば、男性側が抱いている男社会の価値観もなくなるのだということ。
男が女を守るという規範もなくなるし、当然男は女に対して経済力や甲斐性を求め始める。
強者女性はそのことを受け入れているけど、弱者女性は納得していないのではないか。
今の若い女性は「最近の若い男は女に対してあらゆるものを求めすぎだ」というけど、元々は強者女性が社会を変えたのだから、それを男性側に不満をぶつけるのは筋違い。
まず、以下の記事を見てほしい。
https://togetter.com/li/1058347
タイトルは「男性にとって恋愛や結婚は、危険で割に合わない。でも、女と社会は、男性叩きだけ。こりゃ草食は続くしかない」。
面白いのは、【反男性差別を掲げ、恐らくはフェミニズムなど「今の女尊男卑社会」の悪しき慣習として唾棄するであろう彼の主張が、
その実、フェミニズムと非常に親和性の高いものである】ことだ。
当記事ではこの問題について、具体的な引用を交えながら考えてみることとしたい。
なお、このまとめで述べられている意見が、dsa0【男性差別が溢れてる2】 @dsa0自身のものなのか、あるいは別記事からの引用なのか、判断が付かなかった。
このまとめ自体はツイートを集めたものだが、ツイートの内容はどこかからの引用にも見えたからだ。
しかし、当記事では、これを統一して<彼>の意見と呼ばせてもらう。
便宜上の意味もあるが、これらの言葉が彼自身のものであるにしろ違うにしろ、今の社会で苦しむどこかの<彼>の主張ではあるのだろう、と考えたからだ。
では、内容に入りたい。
男のチキン化
命かけることができないわけ。
恐らくどこかの記事(元記事はURL失効のため参照不可)から引用したものであろうこの文言に対して、<彼>は以下のようにコメントしている。
恋愛離れ語るのに、【恋愛離れの原因になってる男性差別的な価値観】で考察してるアホ多すぎ。←これじゃ、恋愛離れなくなるわけないわ
<彼>は、「チキン化」した男性を「ホモみたいな男」と非難する価値観を、「男性差別的な価値観」と呼んでいる。
しかし、【「男はかくあるべき」という規範は、元来家父長的な価値観によって生み出されてきたものである】ことを忘れてはいないだろうか。
「女らしくあるべき」という束縛を破壊することは、「男らしくあるべき」という押し付けをも打ち砕くことである。
彼がまとめの中で嘆いている、男性の経済的負担に関しても、同じことが言える。
<彼>は、「男性の立場で言うとね 「女様様」の今の女尊男卑社会では、おっかなくて結婚なんてできない」と述べながら、結婚についてこう語っている。
・女に甲斐性ない
続けて、<彼>は女性にこう求める。
「お金のことは何とかなるよ」とか「一緒にがんばろうよ」とか言えば
男も少しは気が楽になるだろうに
<彼>の視点に、極端な部分や、視野の狭い部分があるのは事実である。被害妄想的な傾向も。女性が聞いて腹を立てても仕方がない内容だ。
しかし、「男も少しは気が楽になるだろうに」というぼやきは、<彼>の「負担や義務」の体感からくる切実なものではあるのだろう。
それは、耳を傾けられてよいように思う。
ただ、ひとつ言っておかなければならないことがある。
それは、<彼>の求める新たな男女関係の構築が、<彼>の今しているような【女性への非難】によっては到底実現されにくい、ということだ。
非難すべきは誰なのか?戦うべきは誰なのか?
このことを考えるにあたり、例によって、<彼>の言葉を参照したい。
<彼>はここで、「老害バカマッチョ」が己に「家畜奴隷になれ!」と命じる、と述べている。
彼に「奴隷」になることを強いているのは、「老害バカマッチョ」なのである。
とは、何か。
「マッチョ」のもつ意味については、この記事(http://y-uki.hatenablog.com/entry/2015/07/16/034652)がわかりやすい。
英語で ”macho な男性” と呼ばれるのは、昔ながらの ”男らしい” 価値観を重視する人たちで、
これが、フェミニズムの戦ってきた最大の敵であることは、特筆するまでもないことだろう。
「老害バカマッチョ」を、【旧態的な男尊女卑】として言い換えることが出来るならば、<彼>も、女性も、等しくその被害者である。
<彼>が、「おまえも結婚して、家畜奴隷になれ!」という台詞を、「老害バカマッチョ」に言わせたのは、的を射ている。
【家族を養うために男は外で働き、女は内で家事労働に励む、という仕組み】は、高度経済成長期に完成したという。
(ちなみに、この記述を私が見たのは平田厚『虐待と親子の文学史』(論創社)である。時代に伴う家族形態の変化と、その文学への反映を概観した良著。)
この仕組みは、既存の男性優位な価値観の延長線上にあったうえ、その価値観を強化するものであった。
<彼>は女性に対して、「「お金のことは何とかなるよ」とか「一緒にがんばろうよ」とか言」ってくれることを、求めていた。
「お金のこと」を「一緒にがんば」るためには、女性にも安定した収入源のあることが不可欠だ。
しかし、それを難しくしているのが、先に述べた構造である。【家族を養うために男は外で働き、女は内で家事労働に励む、という仕組み】だ。
この仕組みの後遺症は、未だに消えていない。男女間の賃金格差、管理職の割合の格差を見れば、それは事実として明らかだ。
その打開を目指すのが、男女平等思想であり、フェミニズムであった。
【<彼>の目指す「男性差別」の解消は、「女性差別」の解消によってしか実現され得ない】と言える。
また、【真の敵は、「老害バカマッチョ」、すなわち、旧態的な男尊女卑的価値観と構造】である、とも。
<彼>は反男性差別を掲げ、女性を非難している。しかし、抵抗すべき対象は他にある、と言いたい。
女性は、またフェミニストは、本来<彼>の同志なのだ。手を取り合って、ともに戦うべき仲間なのである。
インターネット上では、熾烈な男女対立の激化とともに、「フェミ」を巡る議論が後を絶たない。
匿名はてなを小一時間も見ていれば、その議論が実のところ非生産的な憎悪のぶつけ合いに陥りがちなことは、すぐ了解されるだろう。
今回取り上げたまとめも、一見、そういった動きのひとつ、単なる憎悪の噴出に見える。
女性の扱いについても、
女性の方が男性より就職が困難で、収入も低く抑えられ、結婚すれば肩叩きに遭い、歳を食っても(それも30歳超えたらとかその程度で)肩叩きに遭い、
だから基本結婚して夫に養って貰えなければ食っていけなくて、結婚出来る期間も男よりずっと短くて、それを逃したら貧困中年になるしかなく、
体力的にも男性より遥かに貧弱で男性と殴り合いをして勝つ事は困難で、男に手を上げられたら怯えて従うしかないものである、
てのは常識的に誰もが分かってただろうに
何故「男をアッシー、メッシーと呼んで何股もかけて男をバカにしてる女ばかりである」と言う論調が広まったのか。
やはり、本当に当時のマスコミ業界の男がそんな事を信じていたとは思えず、
「その方が客(男)ウケがいいから」でしかなかったとしか思えない。
「3高」ってのも、実際に女が使うより、男が「女は3高とか言ってる」と使っているのばかり見る。
未だに「昔の女は3高とか言ってた」とか言いたがるよな。