ひどい気分だ。
何の気なしに出会い系サイトに登録してみたのが昨日。数時間前に、近所で相手を募集しているという書き込みを見つけた。プロフィールには某国出身と書いてある。連絡を取ってみると「私のところで苺」だという。まあそんなところだろうと予想していたし、苺ならそう高くもないと思ってOKした。
これが初めてではない。これまでにもいわゆる円で一人、援デリで一人を買ったことがある。しかもそのたびごとに、相手と顔を合わせたその時には、私の心はすっかり冷え切っているのが常だった。興奮しないし起たないし、肌を合わせている間はずっと罪悪感があってセックスどころではないのだ。
罪悪感があるなら買うなよ、という指摘は正しい。だが、私が罪悪感という言葉でもって、警察の世話になって社会的生活を喪失することへの恐怖や警戒感を表現している、などとは思わないで欲しい。確かに、この日記をこのネカフェから投稿したことによって私が警察の世話になる可能性を思うと、それは恐ろしい。だが私が本当に恐れている事態は、私という一人の人間が、金銭という手段でもって、これまた一人の人間の身体を、ひいてはこれと不可分な精神を、人格を購入することによって商品たらしめ、売春者という属性を着せる--そもそも誰かが相手を買わなければ相手は決して売春者ではないのだ--このような非人間的行為を、私という一人の人間が為せるということ、じっさい為したということなのだ。
話を戻そう。サイトでやり取りする限りにおいては、きわめて自然な日本語でメッセージを送ってくるので、それなりに日本慣れした人物なのだろうと予想していた。指定されたマンションの部屋に入ると、なるほど提示された写真通りの人物が現れたのであるが、なんとろくすっぽ日本語を話せない。つまり、サイトで客を誘い込む仲介者がいて、その仲介者が売春者に客が来ることを連絡しているのだろう。あるいは話に聞くマントル。とても21世紀とは思えない商売が繰り広げられていたわけだ。
もっとも、当時現場にいた私はこのようなことを考えてはいなかった。上で罪悪感が云々という話をしたが、これは今の私がそう考えているというだけのことであって、当時の私はといえば、どうも話が上手すぎるので何らかの物騒な方法で金を巻き上げられるのではないか、などという不届きな警戒心を抱いていたに過ぎない。この事実がまた今の私を滅入らせる。こんな口先だけの人間が、人格だとか何だとか小難しい綺麗事をペラペラと喋っているのである。言行不一致もいいところなのだ。
実際に事に及ぶ運びとなったものの、互いに気持ちのないセックスなどろくなものではない。刺激の結果として精液が出てきておしまいである。性ホルモンがどうこうなって、脳味噌が反省の方向に傾いて、今この記事を書いているほうの私になる。おや、結局のところ今の私だって、身体の働きの関係でこのような気分になっているだけかも知れないではないか。あるいはもっとひどくて、満足にセックスもできない自分が不甲斐ないだけかも知れないではないか。私がそのようであるという可能性自体が相当に不甲斐ない、情けないものだ。
万事こうだ。何か悪いことをした、しかしもしかするとその罪悪感は一切 倫理的ないし宗教的な根拠を持たないかも知れない、そしてこのこと自体が悪いことなのだが、その上さらに後者の罪悪感自体がまたも何の根拠もなく、すべては純粋に身体に還元されてしまうのかも知れない、云々。
人間はとても汚れているから悪いことをしたりする そしてその汚れは人間の本質までしみこんでいる 汚れは罪を犯させる 汚れを無視して罪を犯さないように頑張るのは徒労だ 気を抜い...