はてなキーワード: 甲斐とは
自分が嫌いだから、こんな自分で居てはいけないと思い、「自分がやりそうにないこと」を沢山やってきた。自分みたいなのが生きていくためにそれは最低限の努力だった。
その甲斐あって、たまに褒められる。人とコミュニケーションを取るのが得意だね。プレゼンがうまいね。自信があっていいね。強いから一人でもやっていけそうだね。
その実、自分の本質は変わらないままだ。人と対面したくない。人前で話すのは苦手。自信なんて生まれてこの方あった試しがない。一人で泣いてばかりいる弱い人間だ。
誰だって、見えないところで頑張ってる。結果を褒められることはあっても過程はなかなか人目につかない、そういう孤独が辛いから、自分を知ってほしいから、人は親しい人に本音を話したがるのではないか。
でも私は、自分になりたくなかった。誰にも本音を知られたくなかった。他人の目に大嫌いな自分を写さないように振る舞ってきた。
その努力は順調に報われている。それでも、たまにものすごく疲れる。
他人に認められても、自分が自分を認められない限り、自分を否定しながら生きていくしかないんだ。疲れる。生きるのって疲れる。
男性は社会的強者なのだから、ポリコレで守る必要はないという反論が来るだろうけど、それは違うんだよね。
むしろ社会的強者であるがゆえに「抑圧」を受けている場合があり、そのことはマイノリティ側からは大抵無視されている。
男には男のジェンダーの縛りが存在していて、「男ならこうあらねばならない」という有形無形の抑圧がある。
男女同権を求める女が、同じ口で男に対して経済力や甲斐性を求める態度なんかは、男から見れば抑圧以外の何物でもない。
ポリコレに関する議論を見ていて一番モヤモヤするのが正にこれ。
ポリコレ棒を振り回す人達が、同じ口で男に経済力を求めたりするから、社会の半分を占めている男性側にポリコレの印象が良くないのは当たり前の話。
現代はマシかもしれないが、昔の日本では男だけ徴兵されたり、男だけが納税の義務があった時代もあったのだ。
落合氏は高名なコンピューター技術者でメディア露出も多いことから、同様の状況の親たちへの励みになればと写真を公開することにしたらしい。
これについて、まあ当然というべきか、外野がいちゃもんをつけているというのが現状ですな。
曰く、子供の写真を当人に断りなく世界中に発信するのはいかがなものか、しかも先天性の奇形を晒すのはいかがなもんかと、まあそんなところでしょう。
この手のいちゃもんがつくのは自然現象に近くて、梅雨に雨の日が少ないと夏に水不足になる、みたいなもんで
あるいはおいしいブドウを皿に盛っておくといつの間にか小虫がたかる、みたいなもんで、まあ話題のあるところには当然生じるし、ある程度避けられないと思う。
かくいう私もその虫の1匹に過ぎないんですが、まあ聞いてくだされ。
今回のはよくなかったね。
何がよくなかったって、写真公開するのは息子が成人したあとでもよかったはずなのに、勇み足でわざわざ公表したことについて、よくなかったと思う次第。
だってこの後ご子息が真っ当に成長する保証はどこにもない。今時お医者さんに行けば口蓋裂なんてなかったみたいにきれいに治してくれるけど、まだ治療が完了してもいないうちから公開する必要はなかった。治療が終わって、きれいにしてもらって、健やかに大きくなって、それからご子息本人にこれこれこういう理由で赤ちゃんの頃の写真を公開したいいんだがいいかな?って確認を取ってからでも遅くなかったはずだ。
そうしなかったってのはやっぱり、自身のために公表したかったんだって思っちゃいますよ。なんだか知らんけど。
あるいは競合する第三者に手柄を取られる前に自分の権利を主張しておくという習慣なのかもしれないけれど、とりあえず現時点で公開して得する人はほとんどいないだろう。
しかもそのことを氏がわかってないはずがないんだよね。めちゃめちゃ優秀な方だからね。
かくいう私の姉も口蓋裂で生まれてきた。母は東奔西走してお医者を見つけてきて、姉を治してもらった。今から50年以上前のことだ。奇形に対する偏見も相当なものだったろうにすごいことだ。
甲斐あって姉は今も元気にしているし、完全に健常人だ。見た目にもほぼまともで、口蓋裂でしたと言われなければわからないだろう。
だが母は死ぬ間際に姉について「満足に産んでやれなかった」と悔いていた。そんな風に思ってるなんて、私はずっと知らなかった。
今時口蓋裂はきれいに治してもらえる。それでもなかったことにはならない。
私は結婚していないけれども、それは自分の意思で結婚しないことにしたのだけれども、母は私のこともきょうだいに奇形児がいるから結婚できなかったんじゃないかと責任感じていたと思う。
落合氏のご子息はどうだろうか。後から生まれてくる彼のきょうだいはどうだろうか。彼の母親はつらくないだろうか。今後死ぬまでつらくならないだろうか。公表しなければよかったって後から思ったりしないだろうか。
落合氏のやってることは美しいけれども、我々のような人間のためにやってくれているのだけれども、ありがたいと思うのだけれども、心の底から感謝はするのだけれども。
わりとどうでもいい補足↓
https://anond.hatelabo.jp/20181016161915
・29歳
・年収550万
・そこそこの私大卒
・子供がほしい
・年齢は±5歳くらい
・趣味がある
(現在年収が350万に満たなくても、将来的にそのくらいになる見込みがあればOK)
上3~4つに当てはまる人はたくさんいたけど、350万正社員は思ったより厳しい条件だったみたいだ。
自分で言うのもなんだか、自分は女性の言う「普通の人でいいのに」に当てはまっていたようで、婚活市場ではそれなりの需要があった。
自分を気に入ってくれた人の中にはすごい可愛い子もいて、結婚前提でなければぜひお付き合いしたかった。彼女は派遣社員だった。正社員になる気はなく、結婚後は仕事を辞めたいらしかったので、涙をのんでお断り。
他の女性も、「結婚したらパートになって〜」とかすごく自然に正社員のルートから外れることを考えていた。もちろん、そういう女性や専業主婦志望の女性がいるのはわかる。けどそういう人は、もっと高収入の男を狙いにいくものではないか?少なくとも年収600程度の男を選んでる場合ではない。
夫婦2人ならまだしも、自分は「子供がほしい」とプロフィールに明記している。「子供が好きで、2人は産みたいんです」「年に一度、家族旅行に行けたら」謙虚っぽい感じでそう言うが、オ、オレだけの給料で??甲斐性がないのも悪いけど、金回りの計算どうなってんだ?
結局この人だ!という出会いはなく、1年半ほどで婚活は休止した。その間に転職した。年収は上がった。同業界だが規模大きめで、女性比率も高かった(男女比6:4くらい)。
以前の会社は男女比8:2くらいで、ほとんどの女性は男の仕事の補佐業務だった。新しい会社は男女が(まぁ、少なくとも目につくところは)平等で、給料も男女で変わらない。
結婚している女性も多いし、育休・産休制度がしっかりしていて、ほとんどの女性は産後復帰してくる。婚活はあきらめかけてたけど、「こういう会社の女性と結婚できたらいいなぁ」と思った。
それで、社内の同い年の女性とこの度結婚することになった。彼女は社内の多くの女性と同じく「産後は時短勤務にすると思うけど、仕事はやめない。むしろキャリア重ねていきたい」って考え。
→反面、数字にでない価値観がずれたマッチングが成立する可能性も高い
→そうだろうな、と思ってたけどその通り。見た目は重視しないと決めてたし「中身を見ろ」と自分に言い聞かせても、容姿に印象がひっぱられるのは否定できなかった。
余暇を使って数回のデートをするまでは中身なんてものは判断できない。相手の日常を理解するまでに時間がかかり、結果自分と合わなかった時のコストがでかいと感じてしまった。
→これはお互い様なんだが、相手も写真やらスペックを見て選んでいるので、たまに「パートナーじゃなく就職先として見られてるな」と感じた。まぁこれは利点もあるのでしょうがない。
あといいなと思っても、お互い並行で他の人とも会っているので気持ちが盛り上がらないし、魅力的な人ほど「どうせ…」と思ってしまう自分もいた。
→上にも書いたが自分の場合、身長・年齢・年収などが女性の考える「普通の男」に当てはまっていたので相手にはあまり困らなかった。
「普通」を求めて安心したいのはよくわかる。でももう「普通の男性」が都会で「普通に」余裕をもって妻と子供を養える時代じゃないのがいまいちわかってなさそうだった。
→なので当時の自分の年収では、年収400万以上の女性とはそもそもマッチングできなかった可能性がある。ちなみにこの傾向は、年収が低いほど顕著なのだとか。(そりゃそうだろうな)
※一応年収クリアする正社員希望の女性にも数人会えた。けどレアだった。それ以外の点で断ったり、普通に断られたりした。
*
婚活アプリもパーティーもメリットは大きいんだけど、自分にはもっとシンプルな「条件に合う異性の多い環境に身を置く」が合っていた。出会い目的で転職したわけではないが、一緒に働いて、同僚として雑談をしたりできるのは大きいと思った。ある程度価値観もわかるし、最初から近い人が揃いやすい。もちろん社内だから慎重にことを運ぶ必要はあるが、そのぶん誠実な付き合いになりやすい。
読み返すとカネカネうるさくて俺こそ金目当てみたいだな。まぁそうかもしれんけど。
定年まで共働きならとりあえず安心かなとは思うものの、勿論彼女がこの先働けなくなったとしても支える覚悟は出来てるよ。俺が働けなくなるリスクもあるけど、どちらかがそうなっても露頭に迷わない安心感はやっぱり強い。子供を考えるならなおさら。
新社会人の喪女(22)の苦しみを斜め読みで良いから見てほしい。
小中高大と異性と付き合う事が出来なかった。
理由は簡単で、性格の悪いガタイの良いブスで超奥手だってこと。可愛い返答とか頭悪そうすぎて出来ないプライドエベレストな所も。中学までやっていた部活を辞めたのに食事量を減らせなかったので、高大はデブも加わった。
笑うとにやけてると言われるし、語尾は何故かからかわれる。
男性の連絡先も携帯を買った時期が遅かったのでほぼ入っていない。
大学では何か変わるかもと思ったが、そんなことはなかった。
彼氏は出来なくても、皆と普通に接することが出来たらこんなに悩まなかったのかもしれない。
きっかけは多分、大学で始めた何個目かのバイトで、あからさまに他の女性従業員と比べられた事。
前から居た美人な人のいない日にシフトに入ることになった時に、「あなたは◯◯さんの代わりだから」と言われた。びっくりして、「えっ、そんな事ないですよね?」と軽く返答したと思う。なのにその男性は、「いやいや、代わりだから!!」と言われた。
大学を卒業するまでそのバイトは続けたが、ただひたすらに辛かった。
飲み会では、いじられたり、貶められる発言が多々あったし、友達のバイト先で飲んだら、「あの子が入ってくれてたら良かったのに〜!」と、私がいる前でも平気で言う。直接的ではないけど、確実に貧乏くじ引いたと思っているのは確かだった。
「いつこのバイト辞めるの?」と、催促されたので、こいつがいる飲み会には参加しないようにした。多分性格が2段階くらい捻くれたのはこのせい。
新卒で入った会社でも、二次会に行くと、行きたいと思っていたグループとは違うグループに行ってしまうことがある。A店に行く際にB店に分かれる組がいるのだが、絶対に誘われない。
これは、私自身が魅力のない人間だということをわかっていても辛い。転職してきた女性がすぐ誘われているのを見ると尚更に……
今の職場は、性格が皆良いので続いていると思うが、静かにスルーされるので気が重い。
ただの性格の悪い人間の僻みな事は重々承知だが、顔の良さで対応に差がつけられ続ける人生には疲れた。
処女を捨てたかったからだ。劣等感の塊の中には、誰にも見向きをされず、セックスもしたことのない人間だという事実が1番堪えた。ロストバージンは、男性に必要とされたという証のように感じているからなおさらに。付き合うまで行かなくていい、セフレで構わない、処女を捨てたいのだ。処女を捨てれば、自身を持って人生を歩めると思う。
実際、2人ほど会ってみた。
まず最初に会った時に「なるほどね」という顔をされた。
裸の画像は送っていて、この体型でも良いと言ってくれていたが、顔は合格しなかったのだろう。表情が物語っていた。
結局1人目は時間が短く口と手と胸だけで終わった。だが、初めて男性のアレを触る事が出来たので、ホクホクだった。お金はスられたが。泣くかと思った。男性不信度が30上がった。
失意のまま2人目に会う。
こいつが長かった。性的な魅力がないのは知っていたが、そこまでか!?と思うくらいには1回出すまでが長かった。
ただの手コキで!?入れようとゴムをしても萎えるので大変だった。結局ホテルに行ったのに入れもしなかった。
怒りと悲しみでどうにかなりそうだ。
男性不信度が80上がった。
結局、出会い系で会い、がっかりされること、萎えたままかもしれないことが怖くなって2人目以降は誘いがあっても行ってない。
内心男性を馬鹿にし、単純だなと考えているのに、男性に認められない事実と、男性に認められないと立って歩くことすらままならない自分の不甲斐なさに失望している。
プライドの高さゆえに媚を売れない人間なので、男性の方に自分から行く勇気がないことも希望を減らしている。
性格、容姿共に悪いことは身に染みて感じている。だからこそ、だれか1人にでも見向きをされたいと思いながら、また日々を積み重ねるのだ。
乱文で申し訳無いが、コミュ力のない喪女は文章力もないのだ、つくづく持っていない。
お目汚し失礼した。
それを言われると耳が痛い。
私自身は男性ももっと解放されるべきと思っているけれど、現実の私は超下流にいたのが上方婚して今こうして専業主婦やってられるわけだし夫の収入がなくても私が今の生活支えてみせる!って言えるだけの甲斐性も無いから。
で、究極的にはと言っているけれど、その過程で男性ともちゃんと話をして落とし所を見つけたい。
あと、私個人が社会からどう見られるかをコントロールしたいって話ではなくて、女性が社会からもっと自由に見られてほしいっていう話。
ついでに、
社会がお前に何かしてくれるんじゃないぞ。
ってのは間違い。私は社会のお世話にものすごくなった。だから少しでも社会に何かを返したいんだよね。社会をより良い方向に変えて生きたいという希望も含めて。
ラノベ表紙やVtuberを女性に対するジェンダー観の強要問題と結び付けている論調が見受けられるけどさ・・・。
はっきり言わせてもらうと、女から男に対する性的役割やジェンダー観の押し付けの方がひどい気がする。
「結婚後は女には多様な生き方が用意されているが、男は定年まで働き続けるしか選択肢が無い」
「専業主婦は受け入れられているのに、専業主夫はヒモ扱いされる」
・・・挙げていけばキリがない。
女が男から性的消費されると仮定するならば、男は女から経済的・甲斐性的消費されているのではないか。
だから、一方的に男の女に対する性的消費だけを問題視するのはフェアではない。
今時の若い男達は、この風潮に抵抗するために「経済力や甲斐性のある女でないと恋愛対象・結婚対象と見なさない。経済力の無い女は生きる価値が無い」という新しい考えを広めようとしている。
私は魔法先生ネギま!およびUQ Holder!が好きなのですが、それをTwitterで好きだと言えません。
理由は簡単。これらの作品がフェミ的にNG作品だから。そして私の相互フォローの人たちは進歩的な女性が多いからです。
別にその人たちが嫌いじゃありません。むしろ好きな人たちだからこそ繋がりを続けてるわけだし、オフでも知り合いだったりします。
みなさん素敵な人たちです。
先程もUQの新刊が発売になるというツイートが流れてきてファボりたかったのですが、付いている表紙絵が登場人物の女の子たちの入浴絵。あかん!ファボすら他人のタイムラインに名前付きで流れる現状でこれはファボれない!と言った感じなのです。
個人的には魔法先生ネギま!もUQ Holder!もエロコメの皮を被ったとても優しい物語なのですが、ガワは間違いなくエロコメなのは認めざるを得ない。
女子ファンの目から見てもお約束として女の子たちが意味もなく脱がされる姿は正直擁護のしようがないです。そこだけは。
でも!でも!
ネギまの主人公ネギ君、そしてUQの主人公刀太君をめぐる100年単位の叙事詩はとても面白いのです!
それに出てくるヒロインたちもとても魅力的です。個人的には夕映っちとのどっちのコンビがとても好きです。ネギまの頃の同じ人を好きになってしまった親友同士という関係も非常に良かったですが、UQに出てくる二人の友情すら超えた相棒である関係も好きです。それと最近のイチオシは桜雨キリヱ!いわゆるツンデレなんだけど、その能力とか過去とか役割とか葛藤とか色々と味わい深いです。早く彼女の能力が必要なくなればいい。残酷すぎるから。
しかしながら、ネギまとUQを読んでいると作家の背負ってしまう属性的なところって本人の意思だけではどうしようもないのかもなぁと思います。
正直ネギまのラカン戦の頃の熱気と人気がずっと続いていればと思うこともあります。そうすれば、女性ファンでももう少し堂々と好きだと叫べる作品になっていたかもしれない。
でも、私は本当にネギまとUQが好きです。どんな困難な状況にあっても必ずハッピーエンドが待っている。それが確信できる稀有な物語だからです。それは赤松健という作家に対する信頼でもあります。
私がネギまにハマったのはもう10年以上も前のことで、最初はその必ずハッピーエンドが待っていることに気づいていませんでした。けれども、何年も読んでいるうちに気づきます。この物語は、誰も悲しい思いをして終わったことがないことに。どんなキャラクターにも救いが待っていることに(カトラスだけは今もまだ飲み込めていないけれど)。
それは、物語という架空の世界に何かを求める私にとって、最上のもののように思えます。
ここまで素晴らしい物語なのに、好きだと叫べないことが。もっとこうであったら、なんて酷いことを思ってしまうことが。
こういう性根もあってあまり堂々とファンです!と言えないのですが、それでも好きです。魔法先生ネギま!とUQ Holder!が。本当に。