はてなキーワード: 民事裁判とは
幹部選抜のふるいにかけられてる頃アンタが些細なミスや遅れのたびに全人格を否定されて、涙も枯らして残業と休日出勤を繰り返すうちに人格がマルっと別人になった話はアンタ自身からも昔のアンタを知る大勢の人間からも何十回も聞かされたよ。
で?
その可愛そうな過去があるからアンタが仕事で誰かが何か少しミスる度に鬼の首を取ったように全人格否定を始めるのを許してやれってのか?
はぁ?
アンタがその昔ボコボコにされた過去から立ち直るための賽の河原の石積みなのか、ぶっ壊れちまった人格が起こす条件反射なのか、それはともかくとしてアンタが好き放題やるのを許せと?
許せるわけ無いだろ。
皆アンタのことなんか許しちゃいないぜ?
単に一度は出世コースに乗りかける程度には仕事熱心で、実際その力で給料の割には多くの仕事を片付けてくる所に『利用価値がある』から一応は『この職場に籍を置くことを今は大目に見てやってる』以外の何物でもないからな。
もしアンタの仕事っぷりがアンタのばら蒔くゲボみてえな雰囲気と釣り合いがとれなくなったら、私達は速攻でアンタをパワハラクソ人間として上に訴えるし、場合によっちゃアンタのせいで死にかけてる新人のために民事裁判だって起こしていく所存だ。
それを知ってか知らずかアンタは本当熱心に働くがな、その対価として当然だと言わんばかりにばら撒くイラつきオラつきイキりっぱなしは日に日に目も当てられなくなってるからな。
この際だから言わせてもらうが、あんた自分が思うほど職人でも常識人でも全知全能でもなんでもないぜ?
歴史から学ぶのが苦手だから経験から学んでいくってスタイルがたまたま若いウチはハマっててその貯金が効いてるだけで、今や自分の経験が全てだと思ってる井の中の蛙でしかないからな。
アンタが何でも知ってるってポーズで口にした言葉が実は全然間違ってたり、アンタが人を悪者にして回ってるときに実はアンタが一番間違ってるのだって、いくらでも覚えてる。
でもその程度のことで私等はアンタの全人格までは否定しないよ。
でもアンタはそうやって生きようとしてる他の人間を平気で馬鹿にして回ってる。
そうすることが損になることに気づく想像力もないし、そうすることをしちゃいけないってわかるような心もない。
まるで野良犬のようなアンタだけど、周りの誰がそんなアンタをどうしようもないゴミクズで今すぐ消えてくれないかななんて面と向かって口にしたり、聞こえるように陰口叩いてきたんだ?
本当にアンタは、可愛そうだよ。
臭い以外は。
それでも4月頃は「コイツちょっと変わった香水でも使ってんのか?それとも一人暮らしになれてなくて石鹸の使いすぎか?」って臭いがする程度だった。
そんで5月~6月のあいだしばらくはコロナで皆引きこもってたからその新人に合うことはなかった。
テレワーク中にシコシコ勉強していたのか、久しぶりにあったらタイピングも早くなってたしEXCELについて初歩的な質問をすることも減ってまあそこそこ良いじゃんと。
臭いを除けばね。
臭いがとにかくキツくなった。
夏という季節柄、職場にいる他の人も徹夜明けとかは結構臭くなってるのは分かるんだが、その新人は職場のワースト2のデブより更に2周りキツい。
デブはなんだかんだいって臭いがキツくなると「俺、キツくね?」とトイレに行ってさっきと違うシャツで戻ってくるからまだマシなのだが、新人は多分自分がそのデブよりキツいことに気づいてない。
下手に伝えるとパワハラになるからと皆口にこそ出していないが、新人が近くを通ると露骨に顔をしかめたりするのでどうやらこの臭いは俺だけが感じる特別なものではないようだ。
さっきも言ったがうちには少し前まで職場でダントツに臭かったデブがいて、そのデブは人間の体から脂が滴り落ちることを人類に啓蒙するためにいるような臭いを常に漂わせていた。
新人の臭いは、その脂身に火が通って空気中に気化したような臭いとは全く違う。
近いような気もするが、それ一色ではない。
それとは別に、体内に入れることに肉体が警戒反応を示すような危険ななにかがある。
ビネガーとシンナーの中間のような、カビ臭さと柑橘臭を足したような、とにかく単体では自然界にも香料業界にも存在しない何らかの個性的な臭いが斑にミックスされたような表現し得ぬ香りがある。
分かるのは、夏になってそれが加速したことだ。
実際、暑い日の外回りでこそその臭いはキツくなり、冷房が効きまくった場所では収まってくる。
なんなんだろう……あの臭いは。
そして我々はそれをどうすればいいのだろうか……。
デブの臭いならあのデブのように着替えるようにするか、ないしは洗濯をもう少し頑張ってもらえばいい。
ワキガや水虫やタバコの臭いであることがハッキリしてるならばそれようの対策をストレートに促すというのもありだろう(パワハラになるかどうかで賭けになるが)
正体不明の謎の臭いではとにかく何の対策も出来ないし、新人に「〇〇さんって不思議な臭いがしますよね……精神的なものじゃなく物理的に……それも表現のしようもなくて正体不明な意味不明だけどツンとくる悪臭であることはハッキリした何かが……」なんて言ってる所を録音されたら半年以内に民事裁判の当事者になっているのは間違いないだろう。
どうすればいんだろうか。
https://twitter.com/Ohsaworks/status/1270605216765718530
大澤昇平
@Ohsaworks
伊藤詩織がはすみとしこを訴えるって話だけど、どういうロジックで訴えるんだ?
.
別に伊藤詩織を名指しで誹謗中傷してるわけじゃないから、名誉棄損には当たらないでしょ。
.
.
.
https://twitter.com/Ohsaworks/status/1270608145757335552
大澤昇平
@Ohsaworks
伊藤詩織の何がダメダメかって、刑事裁判でレイプが認められなかったにもかかわらず、
.
今回もやってることの筋が通っておらず全く支持できない。
.
.
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https://twitter.com/Ohsaworks/status/1271720490533449728
大澤昇平
@Ohsaworks
具合悪そうだから介抱したのに急に「レイプされた」とかファビョり出して社会的地位を
落としにかかってくるのトラップ過ぎるし、男にとって敵でしかないわ。
.
https://twitter.com/Ohsaworks/status/1270605216765718530
大澤昇平
@Ohsaworks
伊藤詩織がはすみとしこを訴えるって話だけど、どういうロジックで訴えるんだ?
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別に伊藤詩織を名指しで誹謗中傷してるわけじゃないから、名誉棄損には当たらないでしょ。
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https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/Ohsaworks/status/1270605216765718530
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https://twitter.com/Ohsaworks/status/1270608145757335552
大澤昇平
@Ohsaworks
伊藤詩織の何がダメダメかって、刑事裁判でレイプが認められなかったにもかかわらず、
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今回もやってることの筋が通っておらず全く支持できない。
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https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/Ohsaworks/status/1270608145757335552
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https://twitter.com/Ohsaworks/status/1271720490533449728
大澤昇平
@Ohsaworks
具合悪そうだから介抱したのに急に「レイプされた」とかファビョり出して社会的地位を
落としにかかってくるのトラップ過ぎるし、男にとって敵でしかないわ。
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https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/Ohsaworks/status/1271720490533449728
請求権を互いに放棄する条項は1951年のサンフランシスコ講和条約(サ条約)にもある。後に原爆被害者が「条約により米国に賠償請求できなくなった」として日本政府に補償を求めて提訴すると、政府は「自国民の損害について、相手国の責任を追及する『外交保護権』を放棄したもの。個人が直接賠償を求める権利に影響はなく、国に補償の義務はない」と主張した。
90年代には、韓国人の戦争被害者が日本で提訴し始めたが、政府は従来と矛盾する解釈は取れず、「個人請求権は消滅していない」との国会答弁を続け、訴訟でも「請求権協定で解決済み」とは抗弁しなかった。
ところが、2000年代に重要な争点で国や企業に不利な判決が出始めると、国は「条約で裁判での請求はできなくなった」との主張に転じた。最高裁も07年4月、中国人強制連行訴訟の判決で、サ条約について「事後的な民事裁判にゆだねれば、混乱が生じる。裁判上では個人請求権を行使できないようにするのが条約の枠組み」と判断した。この判例が日中共同宣言や日韓請求権協定にも適用され、以降、日本の法廷での外国人戦争被害者の権利回復は不可能になった。
一方で、この判決では「(条約は)個人の実体的権利を消滅させるものでなく、個別具体的な請求権について、債務者側の自発的な対応を妨げない」とも示し、関係者が訴訟以外の交渉で問題解決する道を残した。政府は「解決済み」と切り捨てず、話し合いで救済を目指すべきだ。
PEZYはスパコン開発会社。2年前社長が逮捕されたが、会社は無事続いている。
そのPEZYが、民事裁判での山口敬之敗訴を受けて、彼はPEZYの邪魔をしただけで何も貢献していないから損害賠償を求めたいのだそうだ。
2016年はじめに、彼は齊藤社長とともに日本シンギュラリティ党、日本シンギュラリティ財団を相次いで設立。そして同じ年の7月13日、麻生太郎副総理・財務大臣のPEZYスパコン視察を実現させている。
技術力が秀でているだけで、副総理が視察に来ることはまずない。PEZYより企業価値が高いといわれるPreferred Networksでも、経済産業省副大臣(2014年)、経済産業省世耕大臣(2018年)がCEATEC JAPAN 全体視察のついでにブースを視察するくらいなので、人脈なしに副総理クラスの政治家がPEZY装置の視察にいくことはあり得ない。
超上級の政治家とのつながりができたから、JST緊急課題募集、上限超過60億円融資となったわけで、彼なしでGyoukouは存在せず、世界4位スパコンのメーカーにPEZYがなることも資金的に不可能だった。
ところで、齊藤社長が逮捕され、裁判で社長が詐欺を認めたことで批判を受けるたび、業績と犯罪は別だと、PEZYの業績は素晴らしいと当事者やPEZYを擁護する人はずっと主張してきた。
そうならば、(控訴で未確定だけど)彼が敗訴しても、「裁判に関して彼がしたことは批判されるべきだが、それとは別に彼は日本のスパコンに大きく貢献してきた」とPEZYは彼を支援するのが、フェアじゃないの?
社長の裁判で、詐欺をしたのは子会社社長のせい、詐欺は自主的に部下がやった、と責任を他に押し付けていると聞いて、社長は利用価値がなくなると簡単に切り捨てるんだなって悲しい気持ちになった。
今回の件で、社長だけじゃなくてPEZYも、利用できる間だけ利用して、使えなくなったら切り捨てる文化なんだってわかってさらに悲しい。
山口敬之の民事敗訴の件で刑事と違う結果になったがO.J.シンプソン事件とそっくりだ。
この事に混乱している人が見られるが、これは法の「仕様」上正常な動作なので少し説明したい。
まず、刑事事件で訴えられた者を「被告人」といい、民事事件では「被告」という。両者の混同も多い。
この刑事裁判では、被告人が有罪であると証明するのは全て検事(国)の責任だ。
更に「相当程度明らかに」まで証明しなきゃいけない。「どっちかというと有罪かな」という程度じゃ駄目なのだ。「こりゃほぼ間違いなく有罪だろ」ってぐらいじゃないと有罪にならないというのがルールなのである。
だから被告人としては検事の主張や事実の摘示に「疑いがある」程度まで崩せればいい。その場合は無罪判決となるというのがルールなのだ。
一方民事事件では請求(金払えとか広告掲載しろとか事実だと認定しろとか)にしろ、それへの被告の反駁にしろ、自分の利益、主張には自分方に証明責任がある。
相手方の主張に証拠を出して上手く説明できない場合は相手方の主張が通るのだ。
更に証明の程度は半分を超えていればいい。つまり「どっちかというと原/被告の方が正しいな」という程度で勝ち負けが決まるのである。つまり民事裁判は天秤掛けなのだ。
その為、自白の扱いも違う。
刑事では罪を認めた、警察検察が適示した犯行事実を認めた事が自白となる。
一方民事は「~~という主張がなされていますが認めますか?」と問われて「認めます(認諾という)」と答える事と、「主張を否認しなかった事」が自白となる。
認諾すると答える事も否認しない事も証明責任の放棄で同じ事だからだ。
刑事での黙秘は被告人の不利益にならないが、民事での黙秘は相手方の主張の全面的な認諾となるのである。
黙秘するって事は言いたくない可能性が高い。→「だからそれってやったって事だろ?」という推定をしてはいけないというのが黙秘権の権能の一つだ。
この黙秘により出来た「被告人の自白が無い」という穴を埋めるのも検事の責任だ。
またやっていないアリバイがある、止むを得なかったので情状酌量して欲しい、という主張まで放棄する事になる。
だからこの点まで黙秘してしまうのは被告人の不利益となるのは論を俟たない。
有名フットボールプレイヤーで俳優のO.J.シンプソンが恋人とその浮気相手を殺した事件でもOJは刑事で無罪になったが民事では殺人を認定され天文学的な賠償金支払を命じられる事になった。
・法廷で犯行現場に落ちていた手袋をOJの手にはめようとしたらきつくて入らなかった
すると「どうみてもOJが犯人だろ」という状況証拠しかなくなってしまう。この疑いが残る状態で有罪としてはいけないというのが法の精神なので無罪となったのである。
だが民事では「こいつヤッただろ」を覆すのも被告の責任であり、合理的疑いを生じさせただけじゃ駄目なのだ。
刑事と民事の証明責任の違いで、民事では天秤が傾いている方の勝ち、刑事では重い方が地面にぺったり付いてなくて少し浮いてゆらゆらさせれば被告人の勝ちなのである。
100kgの錘に対して101kgを用意して自分の手で天秤に持上げないといかんのが民事、0.5kgでちょっと浮かせりゃいいのが刑事だ。
この中間にある事例ではOJや山口敬之強姦事件の様な逆転が起こり得、それは法の仕様だ。
こうなっているのは無論刑事事件が国家vs.個人という特殊状態であり身柄の拘束もあり得、捜査能力も段違いだからである。
尚、国家vs.人でも行政訴訟は民事のルールに則っているので注意が必要だ。
また、刑事事件はニュースやドラマになりやすいが民事はそうではない。
その為司法に疎遠な人の間では刑事事件のモデルが想起されやすくアジェンダ化しやすいという特徴があり、はてなでもそれが顕著だ。
そもそも何故逮捕取りやめという介入があったかといえば、「証拠収集の放棄」の為だ。
日本の警察は自白偏重であり逮捕して自白調書をとろうとした。これを停止させれば決定的な証拠がなくなるから裁判所では有罪としにくいのである。
この為、無罪判決が出る可能性がある事件では起訴猶予とする事が一般的だ。
逮捕取止めはこれを狙ったものだ。本人自白調書が無い事件の公判維持は困難だ。こうする事で警察側から検察の行動を制御できる訳だ。
だがこれが昭和の検察ファッショを招いたと問題視したGHQは警察に一次捜査権を与えた。検察の管制からある程度独立で捜査する権能を警察に与え、検察の権能を限定化したのである。
それは汚職や検察ファッショを防御する為にそうしたのであり、こういう事をする為ではない。
起訴便宜主義と警察の一次捜査権の脆弱性を利用した悪質な制度ハックだ。
そしてこの事件で逮捕中止を命じた中村格氏は順調に出世して現在警察庁長官官房長であり年齢からしてまだ10年はキャリアの残りがある。
この事件は全世界でも報道されており、各国のメディアが注目しているのはこの政治的なスキャンダル性だ。
こういう有名事件のキーパーソンとして周知のトップの下で全国の警察官はこの先働くのだがどうすんのこれ?
・最高裁まで争うと安倍総理が任命した判事が居るから伊藤氏不利云々
最高裁が法廷を開く事件は限定されます。基本的に憲法判断が無いと審理しないと思ったほうがいい。
あと、人事権に注目した方がいい。
裁判所は内閣から人事権を独立させている。これは大変重要なことで、人事権を掌握されると無言の圧力で利害が誘導されるのです。
そして内閣人事局を設立しなきゃこの事件にしろ、内閣府の職員が公選法違反の有権者への飲食提供などに従事するなんて常識外れな行動も起こりえなかった。
だから裁判所の判断で「総理への忖度が~」とか言ってる人は人事権の問題を理解してないと思うよ。
因みに事件の事実が明らかでも不起訴となるケースは結構多い。特に強制わいせつと強姦では。
それはこれらでは謝罪と示談の成立があれば罪を課さない為に起訴猶予とする事が多いからで、このように被害者が争っているのに不起訴というのは異例というか相当に異常な事例と言って良い。
最後にマスコミへの不満なんだが、警察が空港で張っていた(そこへ逮捕中止の掛電)という事は、警察がTBSに聞き込みで社に発覚→TBSが降格人事で帰国命令→警察が帰国の日時を聞き出して逮捕状請求という流れがあったと見るのが自然だ。
なのにTBSはその事情を知っていたかをコメントしてないしマスコミも突っ込みいれて訊いていない。
更に山口敬之はTBS退社の理由を「韓国軍の慰安所取材のせい」と述べているのだが、実はこの退職理由を言う様になったのは夕刊フジがそのストーリーで韓国叩き記事を掲載した後なのだ。
「なんでそれ以前の説明と変ったのですか?」は意地悪な質問であろうがマスコミは訊いていない。
突っ込み力が足りないですよ。
公開の民事裁判の場に提出したB側の答弁書による、告白を受けた前後とグループLINEでの暴露に至るまでの経緯[10]。
2015年3月下旬、BはAがLINEで旅行先や桜の写真を送ってくる事を不可解に思っていた。またAから「おれの事が嫌いになった?」などのLINEメッセージを送られ混乱した。
4月2日、Bが大学の研究室で勉強していた所にAがやってきて「おれの事で何か悪い点があったとしても、色々言われるのはつらいから何も言わないで欲しい」と泣き出した。Bは「わかった」と答えて立ち去った。この事から、BはAとできるだけ接点を持たないようにしようと思っていた。
Bは告白を断り「よき友人でいて」とAに伝えた。その後、Aはそれ以前と同じようにBに対して食事に誘ったり遊びに行こうと連絡してきた。(授業に来なかったら起こしてくれとモーニングコールを頼んでくる、評判がいいという12個の法律事務所のリストを送ってくる、口頭やLINEで食事に誘う、他の友人と一緒にハイキングに行こうと誘う、別の友人と食事に行く話をしていたら誘ってもいないのについてくる、他の友人と講演会参加の話をしていたら自分も行くと言い出す、等。)
BはAを傷付けないように当たり障りのない返事でAの誘いを断るようにしていた。授業のプレゼン準備中に、親しげに話しかけ腕や肩に触れてくる、「今日香水強いかな」と言ってくるなどのAの行為は、Bにとっては問題だった。5月下旬には学校のラウンジで話しかけられ、「うん」「そう」など返事をしていたらAは頭を抱えて「うあー」と声を出した。腕のあたりに触れてきたので「触るな」と告げた。
A最悪やな。
胸が性的かどうかを思春期以降に知って欲しいっていう性教育をしたいと思う自由も欲しいよー。
自由ってなんだ??
割と本質的な問いだと思うので真面目に答えると、アイザイア・バーリンという哲学者が「消極的自由」と「積極的自由」という概念を提唱している。
詳しくはWikipediaでも読んでほしいけど、要するに
の違いね(cf. anond:20191017201230)。
現代の自由主義では、色々と議論はあるけれど、おおむね消極的自由の方がより重要な自由とされている。
これは増田もそうだろう。「俺が六本木ヒルズに住む自由を実現するために家賃を補助しろ」と言われたら、おかしい、と思うよね。でも、「金持ちの俺が六本木ヒルズに住んで何が悪いんだ? 俺の自由だろ」って言われたら、当然、って思うんじゃないかな。
というのは積極的自由に属する。
その環境を増田が個人の努力あるいは財力に頼って実現する(例:ひきこもる、ゲーテッドコミュニティを作る)のはもちろん自由だ。でも、それをもって他者の消極的自由を制約しようというのなら別の話になる。
積極的自由と消極的自由ならば、基本的に後者の方が重い。よほどの理由がない限り、前者を理由に後者を制約すべきではない。そして、増田が子供にどんな教育をしたいかという話は、「よほどの理由」ではない。
(「よほどの理由」が認められるかどうか争いになっている事例として、たとえば、「感染症にかからず健康に生きていきたい」という積極的自由と、「どんなワクチンを打つか政府に強制されたくない」という消極的自由が対立する局面を考えてみよう)
ところで、
思うだけなら自由ですよ? それは人を殺したいと思おうが誰々くんとセックスしたいと思おうが日本は天皇中心の神の国だと思おうが自由なのと一緒。そこの自由を制約している人はどこにもいないよね。どうぞご自由に思っていてください。
その思いを他者への要求として口に出す(増田に書く)から他人の自由に口を出すなと言われるわけで。
なので、
思春期前の子供に見せたく無い自由は?献血ルームにあるのは別に良いんだけど、公共の場にあるのを見たくない人の多様性はどう思う?
「見せたくない自由」というのも、ご家庭の中でお色気漫画は読ませないラッキースケベアニメは見せないとかそういう話ならどうぞご自由に、お子さんの教育に関しては親御さんに自由裁量があります、という話だけど、他人が自分の敷地に(あるいは借りたスペースに)設置したポスターを取り外させようとするなら、それは他者の消極的自由を侵害してよい理由にはならない、という話になる。
何度も書いているように、積極的自由より消極的自由の方が重いので。
「多様性を見たくない人も多様性に勘定すべきか」というのは難しい議論だけど(「戦う民主主義」を調べてみよう。民主主義を破壊しようと主張する政党を民主的選挙に参加させるべきか?)、そういう多様性も認められるべきだとは思う。他者の消極的自由を損なわないという前提のもとで。
なので、そういう多様性の持ち主がゲーテッドコミュニティ作って暮らす分には、そこにわざわざポスター貼りに行こうとは思いません。ご自由にどうぞ。そういうコミュニティが存在するのも多様性の一貫だとは思うので。アーミッシュのコミュニティとかと同じで。
ところで、私たちが暮らすこの日本はゲーテッドコミュニティではありません。
人を殺す自由はない。人を殺せば刑務所行きになる。他人を誹謗中傷する自由もない。誹謗中傷すれば民事裁判で敗訴し賠償金を科せられる。
既に自由は整えられているのでは……? 現状の日本が無法地帯じゃないのは、ある程度自由が制約されて整えられているからだよね?
私は宇崎ちゃんの胸は揉みたい感じの魅力的なおっぱいに見えるのでやっぱり子供に見せないように気をつけて歩きます!!!自由!!!
はい、それもあなたの自由ですね。宇崎ちゃんのポスターなり看板なりを見かけたら子供の目をふさぐとか、子供に声をかけて注意をそらすとか、見て見て~と逆方向を指差してそちらを見せないようにするとか、そういう自由をどうぞ行使なさってください。誰もそれを邪魔したりなんてしないから。
これはそのとおりで、要望する自由はあるし件のポスターを批判する自由もある。要望を無視したり批判に反論したりする自由もあるというだけの話なので、気にくわないなら文句をつけてりゃいい。今回の増田は「自由」について混乱しているようだったから雑な説明になっちゃって、そこは申し訳ない。ご指摘ありがとう。
消極的自由をより重視するのはどちらかというと英米系で、大陸系だと「政治参加の自由」とか「健康で文化的な生活を追求する自由」とかの積極的自由も重点おいてるんでわ。
いや、積極的自由を重視する人たちも、積極的自由より消極的自由の方が重要という点では一致しているでしょう。意見が分かれるのは、積極的自由はどこまで保障されるべきか、とか、ある行為が消極的自由か積極的自由か、とか、そういう点では。積極的自由の保護自体には私も異論ないですよ。特に社会権は国家がケツを持って下支えしないと自由が掘り崩される。そういう意味で夜警国家やリバタリアニズムは支持できない。
ポスター非難派の言い分はとどのつまり「他者の消極的自由よりも私の積極的自由のほうが優先されるべき(少なくとも対等)」なので、なぜ前者が後者に優越するか、そこにどういった議論があるのか説明しないと無意味
上で色々例を挙げたけど、わかりにくいかな。
じゃあ「山間部の過疎地に政府が十分なインフラを整備していない」と「政府が過疎地の住民を強制移住させる」だったらどうよ。
前者ももちろん問題だけど、どっちがより重い問題? って聞かれたら後者の方がより重大な問題だと答えるのが普通だよね。
言わずもがなのことだけど、前者が積極的自由の侵害で後者が消極的自由の侵害です。消極的自由が積極的自由よりも重要な自由であるのは当然ですね?
(前者は軽んじてよい、と言っているわけではないことに注意。19世紀的な自由主義が消極的自由ばかり重視し積極的自由を軽んじていたことに疑問を呈して積極的自由「も」重視すべきだと主張しているのが現代自由主義です。前者は気にしなくていいよって言ってるのがリバタリアニズム。でもどちらの立場にせよ、消極的自由の方が重いことは否定してないと思うよ)
わかりやすくて納得した。と同時にシートベルトを着用せずに自動車運転して事故即死亡する消極的自由が認められていないのはおかしい、、、のだろうか?とも思った。
レーガン大統領はカリフォルニア州知事時代にそういう理由でバイクのヘルメット義務化法案に拒否権行使してますね。
個人的には、子供には自己の生命・安全を危険にさらす方向での自己決定権を十全に認めるべきではないと思うので、チャイルドシート義務化には賛成。でも大人がシートベルトやヘルメットをつけるもつけないも個人の自由で(だって、究極的にはそれで損をするのは自分じゃん?)、法律で取り締まるのはおかしいと思う。自動車メーカがシートベルトしてないと警報が鳴る車を設計して売りに出すのは商売の自由。
概ね同意だけど、最後のシートベルト義務化の話、日本では車対車の事故で死亡事故だと相手の運転手は過失が多少でもあれば重い罪に問われるので、シートベルトをしない自由を制限する合理的理由があると俺は思うね
相手がシートベルトをつけておらず、それによって生死が左右された場合は情状酌量で減刑すればよいのでは……。
シートベルト義務化については社会的損失を低減する観点から合理性があると思うけどね。『それで損をするのは自分』だけじゃないわけで、治療費、障害、家族の貧困化など・・・結局は社会的負担になるからね。
ここでは合理性の話ではなくて、自由と自己決定権の話をしているので……。
そのへんを表す自由主義の言葉に、「善に対する正義の優越」というのがある。
何が「良いこと」かは人によって違う。倫理観や道徳観(=善)には多様性があって、政府が「お前たちはこの道徳に従え!」なんていうのは押し付けだ。
大切なのは、色々な道徳の持ち主が公平に処遇されること(=正義)だ。他人の自由を侵害しないかぎり、自分の道徳を追求する自由と権利がある。異なる道徳同士のコンフリクトは、公平な制度によって調整される。
だから私は一貫して、最初の増田がどんな性教育を子供に施すのか、については干渉していない。ある人がどんな倫理観を持っていて、それをどんなふうに子供に教えるのかは、虐待とかの形で子供の権利を侵害しない限りにおいて自由なので。
でも、それを口実にして他者の自由を制約しようとするなら反対する。それが自由主義者としての私の一貫した立論。
そういう意味で、自由主義って社会全体にモラルの共有を求める考え方とは水と油なんだよね。大政翼賛会にもスターリニズムにも反対だし、天皇の写真を焼いた! けしからん! も、巨乳を強調したイラストだ! けしからん! も、どっちの表現規制にもNOと言う(正確には、「けしからん!」と思ってもいいし「けしからん!」と批判してもいいけど、それを理由に作品を撤去させたりしてはいけない。右翼やフェミニストが雑誌やブログに「この表現がいかに許しがたいか」みたいな文章を掲載する分にはどうぞご自由に)。
オタクって自由主義者が多いと自分基準で勝手に思ってたんだけど、意外とそうでもないのかな? というのが最近わかってきて、ちょっと驚いてる。周囲のオタク仲間が社会問題でそのへんのおっさんみたいな保守的な認識を示したり、自分に興味がないイシュー(博打とか刺青とかね)だと平気で規制だとか口に出したり(ちなみに、わいせつ物頒布罪と同様に単純賭博罪は廃止すべきだと思ってる。賭博開帳図利罪も「無許可or無届けで賭博の胴元をした罪」とかに変更して民営賭博を合法化するべき)、BL好きの人たちが美少女のイラストをお気持ちで殴ったりしてるのを見てると、オタク界隈でも自由主義の理念は強固なものじゃないんだね……って感じになるので、リベラル派として自由主義はいいぞというのを地道に伝えていきたいですね。
しかし例えばリアルな死体や糞尿の画像をレストラン街の入り口に貼ったら、消極的自由だでは通らないだろう。これはゾーニングの問題で、線引きは色々。そう簡単ではないのでは?
私はヴィーガンじゃないけど、ヴィーガンの人たちが肉フェスの前で動物の屠殺写真を展示するのは表現の自由だと思うよ。
肉フェスのときにこれは不法だ取り締まれって言ってた人たち大勢いたけど、私はそれに与しない。その写真の前で肉料理食べながら自撮りしてヴィーガンを煽るのは対抗言論なので表現の自由。なんでみんな、気に食わない表現に対して表現で対抗するんじゃなくて取り下げさせようとしたがるんだろう。
当たり前でしょう。刺青を入れるのは自由だし刺青を入れて公共空間を歩き回るのも自由。なぜならそこは公共空間なので。刺青を入れた人には公共空間を自由に歩き回る権利があるので。刺青を入れた人が公衆浴場に入れないのはおかしい。自由主義の理念に反している。
刺青を見たくない人は自宅風呂に入る自由とかお庭でビニールプールで遊ぶ自由とかを行使してください。
なんで「他人の自由な行動を見たくない自由」が「他人の行動の自由」を抑圧してまで叶えられるべきだと思っているんだろう。本当に謎。
自由を「権利」に置き換えてもいいよ。「刺青を見ることなく公衆浴場に入る権利」よりも「刺青を理由に入浴を妨げられない権利」の方が重要でしょ。少なくとも前者の人は、公衆浴場に入る権利は奪われてないよね。公衆浴場の光景が自分が望んでいるものではないってだけの話で。でも公共空間に自分が望まないものがあるのなんて当然なんだから、望んでいる光景を見る権利よりも誰かに望まれてないって理由で入浴を拒否されない権利の方が遥かに重要。
刺青も少女像も巨乳ポスターも、「(ある種の人にとっては)見ていて不愉快」程度の害しかない(ナイフで刺すみたいな具体的な加害ではない。ちなみに、私はどれもまったく不愉快とは思わない)。見たくないなら目を背けるなりすればいい。どうしてそんなに自由を制限しようとしたがるんですか?
ネタバレをする自由は当然あるので好きな作品はネタバレ踏まないように注意する派です。基本的にはネタバレ踏むのは自己責任だよね。ネタバレ踏んでチクショウって思ったこと何度もあるけどそれは踏む私が未熟なだけでネタバレ感想書く人のせいじゃない。
もちろんあなたのフォロワーにはネタバレを理由にあなたをリムる自由がある。
100字じゃ説明できないよね。ありがとう増田。原理原則から考えないと、金属バットや愛トレ、今回の胸などで手首がねじ切れちゃう。
ほんとにね。あいちトリエンナーレ問題で一緒に表現の自由のために戦ったはずの人たちからさんざん弾が飛んでくるの、裏切られた感がすごくて絶望的になるよ(公的な施設は抑制的であらねばならない、とか、お前それ愛知芸術文化センターでも同じこと言えんの? っていうね。TPOとかくっそ笑う。じゃあビジネスシーンではカカトの高い靴を履くのがマナーとか言われても文句言うなよと。まあ私はスーツの強制もヒールの強制も間違ってるそんなTPOはクソくらえって主張するけど)。左右の表現規制派からあいトリの天皇アートも日赤の宇崎ちゃんポスターも守り抜いていこうと改めて決意。とりあえず来週にでも久々に献血してくるわ。