2018-01-05

anond:20171230111228

「反出生主義、一理あるのかないのか」の議論は白熱しつつも平行線を辿りがちだ。

一方で、反出生主義者が何でこんな考え方を抱くに至ったのかはあまり触れられない。

自分は反出生主義者で、両者が何で分かり合えないのかがなんとなく分かるので、書いてみる。

※反出生主義を標榜する所以千差万別だと思うのであくまで一例です。

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生きていれば皆等しく嬉しいことも辛いことも経験する。

それでも世の中の大抵の人が、生まれてこれて概ね良かったと感じている。

ただ自分生来喜びとか快感といった刺激を自らに呼び込むのが下手で慢性的な充足感不足に陥っており、どうも生まれてこれて良かったという感想を持てない。

別に苦難の多い人生を経てきたとかではない)

ただ不器用感受性に乏しいってだけだけど、生まれついてからずっとこんな状態に浸かっていると、自分人生愛着が持てなくなる。

自分人生愛着が持てない人間が、子を為すということに思いを馳せると反出生主義的な思想にたどり着いてしまう。

子を為すことを考えるとき、それは「あらためて自分が生まれ直したら」という想像をすることと似ている。

でも子の将来について考えるとき自分人生に対する自分の印象・見方しか参考にするものがない。

自分人生愛着を持っている人にとっては、子を為すことは「自分が嬉しいと感じていることを人にもしている」に過ぎない。

だが自分の生に愛着を感じられない人にとって子を為すことは「自分がされてもあまり嬉しくないことを人に強いる」ことになる。

自分行為により、今自分が自らの人生に対して持っている印象と同じような印象を自らの人生に対して持つ者が生まれ得る。

そんな想像をすると、それは可哀想だ、となってしまう。

自分自分人生愛着はないが、自分可哀想だとは思っている)

反出生主義への世の風当たりの強さから思うに、今の日本社会で子を育てれば、まさに案ずるより産むが易し、大抵は自分の生に愛着を持てる人間になるんだろうと思う。

でもそうとは言え、子供を作るということにはたくさんの不確定要素が付きまとう。

万一自分人生愛着を持てない人間が育つ、自分の子供がそうなってしま可能性を考えると、気持ちがよく分かるだけに辛い。

また自分は親に愛されて育ってきたので、親の愛情が多ければ我が子が自身人生への肯定感を育める…とは限らないということも知っている。

愛が万物治療薬とは限らない。

自分人生愛着が持てないというのは難儀な病で、生まれた子がこの病を抱えてしま可能性が0より少しでもあるんだったら、いっそ生まない 方がいいと思ってしまう。

万一このハズレくじを引かされた子に、愛でそれを肩代わりするみたいなこともできない。責任を取る手段がない。

それが可哀想でならない。

これも単に一つのエゴしかないことは分かっているけど、反出生主義者は反出生主義の再生産を何より怖れるのだ。

  • あーすっげーわかるわ 「自分の人生に愛着が持てない」って言語化されてスッキリした

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