はてなキーワード: 図書館とは
田舎と言っても、県庁所在地の隣町で、映画館付きの大型ショッピングモールや有名どころのチェーン飲食店が軒並み並ぶベッドタウン。
この度子供も産まれたことなので、家を買おうと思って土地探しをしているが、なかなか予算と希望立地に見合う土地が見つからない。
そんな中、広さも駅からの距離もそこそこよく、価格が安めの土地を見つけ、地元工務店の営業マンにここの土地が気になると相談した。
数日経って、その営業マンから、「その土地、実は〝そういう集落〟なんですよねぇ」と、言われた。
言われた瞬間、あぁ。。。と値段の安さを理解したがなんだかとってももやもや。
地元の図書館でいろいろ調べるもそこがそういう土地だという確証は持てず。
そういう関係の本を読んでみたけど、不動産業者がそういうことを言うのも問題視されてるみたい。
何が正しいのかわからないけど、この令和の時代に、そこそこ栄えてる地方都市で、未だにそんなことを言われる地域がある事にびっくりした。
まず予言するけど「明日からコツコツがんばるぞ」という決意は空振りに終わる。
これはもう9割5分くらいの確率で当たるから10万くらいなら賭けてもいい。
今からやるべきは、なんとかして自分を勉強机に向かわせるための試行錯誤だ。
それを実行して駄目だったなら、何が悪かったのか考えて、改善して翌日実行しろ。
実行できなかったのであれば、なぜ実行できなかったのか。何が邪魔しているのかを分析してそれを排除するんだ。
そうしてPDCAぐるぐる回して、環境を改善し、作戦を立てて、なんとか勉強できるように持って行く。
それをしないで漠然と「がんばる」なんて精神論に頼っても失敗する事は目に見えている。
一番良いのは環境を変える事だ。
おいスマホは置いてこいよ。何考えてんだ置けって。
「行こう行こう」と思いながら気づいたら夜になってんだろ。わかる。
ということで自宅での集中法を探るわけだが、はっきり言って地獄だ。
なんたって、自分専用にカスタマイズされたリラックス空間だからな。
自分のために用意した空間も娯楽も、勉強するとなると全てが「誘惑」と化して襲ってくる。
しかも、まず自宅での集中方法の一番効果的な手段が「ネットを絶つ」ことなんだが、
100均でいいからキッチンタイマー買ってこい。やむを得ずネットに繋ぐときはそいつで制限時間を設けろ。
あ?なにスマホ持ってんだ。タイマーアプリ?スヌーズできて便利?なに寝言いってんだ。
スマホは充電切れたままにしとくんだよ。うまくすれば充電ケーブルを繋ぐまでに正気に戻れる。
集中できない?ふざけんな自室じゃ集中どころか何一つ出来てないじゃねえか。
サイドテーブルみたいな小っちゃい奴でもいい。
完全に勉強用のスペースとして用意すれば、そこに座るだけで作業する気になれる。
今座っているPC用デスクは完全に「娯楽のためのスペース」として認識してるからなお前の脳は。
あとは目覚ましかけろ。
目覚まし鳴ったらネット閉じて動き始めんだよ。
なに「切りの良い所まで読んだら」とか言ってんだ馬鹿か。お前それで何度失敗したか覚えてないのか?覚えてねーよな数えきれねーもんな。
はてブでもブラウザの「開いてるページを全てブックマーク」の機能でもいいから放り込んで今すぐ閉じろブラウザを。
目覚まし延長なんかすんじゃねーぞ。1時間後に鳴っても同じように「切りの良い所まで読んだら」って絶対言うからなお前。
あとなー。
それをな。ブラウザ上で解いて提出しようとすんのな。やめな?無理だから。お前の場合。
ブラウザ開いてるって時点でもう禁断症状の出てるジャンキーみたいなもんなんだからお前の身体は。
デスクトップでも課題印刷すればどこでもできんだろ。それ持ってPCの前から離れろ。
アナログで解いて、それを打ち込んで提出しろ。二度手間だが出来ないよりゃましだろ。
プリンターが無いなら買ってもらえ。一大事なんだからそれくらい説得しような。
ネットに繋がったPCの前に座った時点で、負けがほぼ確定してっからな。
やむをえず充電する場合も充電時間はいいとこ5分10分だぞ。すぐ切れるようにしとけ。
そんなとこかなー。
とにかくな。自分の意思がいかに弱いかという自覚をすんだよ。そこからだ。
そうすれば「ココロを入れ替えて明日からガンバル」なんて負け確の精神論なんか出なくなるから。
お前がやるべきは「根っからのやる気なし駄目人間のこいつ(自分)をいかにして作業に向かわせるか」というゲームなんだよ。
自分のことだと思うから駄目なんだよ。言う事聞かないゲームのキャラか何かだと思え。
そうすれば「ガンバレ」なんていう命令やら作戦やらを下すのが、どれだけ滑稽な行為かわかんだろ。
必要となるのは精神論ではなく効果の認められる具体的な手法。ライフハック。そのへんだ。
似たような「根っからのやる気なし駄目人間のこいつ(自分)」と数十年来で付き合ってる先輩からの助言だよ。
ここまでやってもまだロクに動いてくんねぇかんなこいつ。"やる気の問題"とか言って甘く見てると人生棒に振るぞマジで。
今まで怠け癖なんてなかったのに急に、という事なら
ひょんなことから大金が手に入り、仕事辞めて3年経ったんだけど
もともと仕事もうまくいっていなくて、友人も恋人も親もいない、歳の離れた兄弟とは音信不通、と孤独を絵に描いたような生活だったから
田舎に家買ってリフォームして、30代にして隠居するのに何の抵抗もなかった。
毎日ゲームして漫画読んで。飽きるほどゲームしてからは気が向いたら図書館で勉強するようになった。車で40分の国立大に聴講に行くのも楽しい(今年度はコロナで諦めたが)。なんだこの中年、みたいな目で見てくる子もいたが、回を重ねるうちにこっちも向こうも慣れた。高卒だったおかげで学べることは沢山ある。最近は学生のレポートの外注だとか、自由研究代行だとかにもハマっている。点数も成績も付かないのは、安心感がある。昔は勉強ができないのがコンプで逃げていたが、安全圏から宿題だけ出すのはとても楽しい。
ストレスは一切ない。ストレスからは全部逃げているから。大人になったら嫌なことも歯を食いしばってやらなくちゃならないなんて嘘だった。お金さえあればいくらでも逃げられると知った。
そういう生活を始めて、3年たった頃にふと自分が変わったことに気づいた。
まず、心がいつも凪いでいるようになった。些細なことに悩み、毎日イラついていた頃の自分が嘘のように、常に安らかな気持ちになっていることに気づいた。昔だったらクヨクヨしていたような出来事も受け流せるようになった。
それから逆に、鈍感になった。感情が大きく動くことが減った。とても悲しくならない代わりに、とても嬉しくもならない。起伏がなくなった。
良かったのは、必要なことを必要なときにストレスなくこなせるようになったこと。食事の準備も、食事も、昔は面倒で適当に済ませていたが、最近は料理も食事も楽しい。というか、楽しめるようになった。精神のキャパシティが大きいおかげか、しなくてはならないことに取り組むストレスを受け止めて、嫌いなことにも目標をもって取り組めるようになった。
そのことに気づいた瞬間は「あっ、変わった」と思わず声に出したぐらいだ(一人暮らしで独り言が多いのもある)。
しかし、反対に考えると、今までの自分は全くこういうことが出来ていなかったというわけだ。成績も振るわず、向いてもないのにグレて、底辺職で毎日イライラしながら生きていたのはこの能力がなかったからだろう。
筑波大学の中央図書館には少し古いトイレがある。入館後すぐの左奥にある。
新型コロナ対策のため、現在、大学キャンパスは人が少ない。トイレも人の気配が少ない。薄暗い。
昨日の夕方のことだった。
俺がトイレの個室で用を済ませて、手を洗っていたら、すぐ後ろから声が聞こえてきた。
「私、きれい?」
いぶかしがりながらその人をよくよく見ると、男だった!
「あなたは男ですか?」
その瞬間、赤いワンピースの男の体中から、血が噴き出して来た。
俺は怖くなって逃げた!第3エリアに向かって走って逃げた!
俺が青ざめて震えていると、赤いワンピースの男は血まみれのまま、俺に小さな物体を手渡してきた。
その味は甘くてクリーミィで、こんな素晴らしいキャンディーをもらえる私は、
俺の思い出で、高校数学で組み合わせを学んだとき「やべえ!」と思ったことがあって、俳句のことなんだけど、あんなもん5・7・5の合計17文字しかないんだから、やべえ、俳句、そろそろ文字使い切っちゃうよ!と思ったことがあった。
冷静になって考えてみれば、ひらがな46文字の17乗(だよな…?)だから、ものすごい数になるわけで心配は要らなかったのだが、あのときは勝手に俳句の行く末を案じてマジで驚愕した。
なんにせよ、文字数が有限ならその組み合わせも有限なので、その後、ボルヘスの『バベルの図書館』を読んだときも(クソバカでかい架空の図書館が登場する幻想小説で、有限のページ数におけるあらゆる文字列の組み合わせからなる全てのパターンの本がそこに収められている、という設定)、そうか、言葉の組み合わせってのは有限なんだ…と不思議な感じがした。
話は飛んで、先日のこと。
「GTAオンラインの現状がやばすぎて草」というスレまとめが話題になって、はてなでもtwitterでもトレンドになったりした。
http://blog.livedoor.jp/madoyuka/archives/25745071.html
俺も爆笑させてもらって、特にその中のある書き込みにハートを撃ち抜かれた。
「仲間になるか迫られてBANが怖いから断ったら猫にされてそれから人間に戻れなくなった」。
腹がよじれるほど笑うとともに感動し、不思議な感慨を抱きもした。
言葉の選び方といい、単語の順序といい、完璧だ。最高だと思った。
と同時に、このフレーズに到達するまで、人間は言葉を生み出してから2000年以上かかったんだな!
言葉の組み合わせというのは、パターンは膨大とはいえ、有限なのに…。
単語の中でも「BAN」がクセモノで、この言葉が今日の意味を得るまで、どうしても技術の進歩が必要だったわけだけど、そう考えると、まだ限りある言葉の組み合わせの中に、俺たちの爆笑の鉱脈をいつか掘り抜いてやろうって文章が息を潜めてるんだろうな。
それが見つかるまでにはもっと技術が発達したり、余分な言葉が死んで消えていくのを待つ必要があるのかもしれないが、それが出てくる未来が少し楽しみだと思う。🦑
きっかけは何だったか、そうそう鈴村さんの生放送のラジオに真綾さんが出演されたのを聴いたとき。
その時たまたま見かけたファンの方のツイートで、真綾さんの「from every where.」のことを知ったんだった。
調べてみると真綾さんのヨーロッパ一人旅のことを書いた本だそうな。
なんだかとっても気になって、でも正直言って真綾さんのファンなわけでもなし、旅行だってどちらかといえば好きじゃない。
いきなり買うのはなぁ、と部屋を埋め尽くす物の山々を見て、とりあえず図書館で借りよう、そう思った。
ここで大事なのは借りようと"思った"だけで、"決めた"わけではないということ。
実際それから2020年春になるまで私は地元の図書館の蔵書検索すらしなかった。
2020年、いま現在もその渦中であるが、おそらく歴史に残るであろう未曾有の事態に世界中が襲われている。
様々な業種がコロナ禍にあえぐ中、書籍の売上はどうやら好調だったらしい。
確かに営業時間を短縮し、人数制限をして営業してくれた駅前の個人書店も、いつになくレジに人が並んでいた。
私自身もご多分に漏れず本を読みたくなり、そこで思い出したのだ。
坂本真綾「from everywhere.」
iPadから蔵書検索をしてみようとアクセスすると、当然だが図書館も閉館中。
外出自粛要請が解除され、徐々にお店や施設が再開しはじめ、蔵書検索機能も復活した。
早速、気になっていた小説2冊とともに予約。最寄りの図書館には無かったものの、貸出待ちをしてる人はいないようで、すぐに他館から届くだろうと思っていた。
というか、知らないところへ行くのがあまり得意ではない。
旅行先の土地へ着いてしまえばあまり気にならないのだが、それまでが非常に億劫である。
海外へのフライト中なんて泣き出したくなるくらい不安で不安で仕方なくなってしまう。
以前たまたま見た某バラエティ番組で「寄り道をしたり、今日は違う道を通ってみよう、とならない人は適応障害になりやすい」という精神科医の発言を見た。
そのとおり、私は適応障害を発端としての諸々で長くポンコツになっている。
じゃあそうならないように寄り道をしろ、知らない道を歩けと言われても、そもそも知らない道に入るだけで不安になるのにどうしたらいいのか。
近所を2~3時間散歩するときだってグーグルマップが頼みの綱なのに。
そんな私にとって真綾さんが書き記した数々の土地での不安な気持ちは正直心がざわつきもした。
閑話休題。
読みすすめてしばらくして気付いたことがあった。
「そりゃ坂本真綾が書いてるんだからそうだろう」と思われるかもしれない。実際彼女のファンの方はそうなのだろう。
だがしかし、私が知ってる坂本真綾の声はほんの数本のアニメか、数曲の歌声か、何本かのラジオ等でしかないのだ。
彼女が長年ラジオをやられているのは知っているが、一度も聞いたことはない。(ファンの方、関係者の方もしこのブログを見てしまってご気分を害されたらすみません)
なのに何故かすべての言葉が彼女の声で、間で、温度で聞こえてくるのだ。
ローマのそばの山の頂上のB&Bにて彼女が山中湖を思い出す中で、彼女の作詞した『I.D.』という曲の歌詞が出てくる。
http://www.utamap.com/viewkasi.php?surl=k-000640
それだけでとても幸せな気分になれるんだ
だから堂々としていればいいのさ
心と同じ声になるように
何度も何度もその部分を読んだ。
指でなぞりさえした。
心のなかで読み上げた。
その時頭の中で聴こえる声は坂本真綾ではなかった。
いま私が好きなもの。
それを見ず知らずの人たちに根拠なく叩かれている。
直接言われたわけじゃない。ただのインターネット上のデカイ声に殴られているだけ。
別に私自身が貶され、謂れのない誹謗中傷にあえいでいるわけじゃない。
そう思って息を潜めて周りの様子をうかがって声を出すことに疲れていたのかもしれない。
私がいまこの本を手にとったのは、この言葉に出会うためだったのかなと思えてちょっとうれしくなった。
37日間のひとり旅を終えた真綾さんの元に届いた数々のメッセージ。
これはあの時の彼女から、これはあの時出会った彼から、読んだばかりの彼らの姿は鮮やかに呼び起こせる。
シャルル・ド・ゴール空港で書かれた真綾さんからの最後の手紙。
このとき市橋織江さんが撮った坂本真綾はどんな表情だったのかなって想像しながら読んでいた。
日本に帰ったらまず「あなた」と一緒にしたいこと、その文章を読んだ瞬間なぜか急に涙が出た。
出たなんてもんじゃない、しゃくり上げるほどの大泣きだ。
この気持は何だ?
夜、車の中から街頭を眺めていて感じる帰りたい切なさと、安心と、羨ましいほどの愛情。
きれいな気持ちじゃない、でも決してドロドロはしていない、いろんな何かがぐわっとせり上がってきたのだ。
いまだかつて経験したことのない感情の揺さぶりに驚きすぎて、私もこの事を文章に残そう、そう思って勢い任せに書き始めたのがこれだ。
誰に読んでほしいわけじゃないけど、誰かに聞いてもらいたかった。
坂本真綾の「from everywhere.」のことを。
メモ帳を立ち上げると同時に、私はこの本「from everywhere.」を購入した。
正直何度も読み返すかと言われたらわからない。
また同じように涙するかと言われてもわからない。事実この文章を書くために最後の手紙を読み返したが泣く気配はなかった。
真綾さんのファンの方で、実際同じように彼女の足跡をたどって旅行をした方もいるのではないだろうか。
ストラホフ修道院、モルダウ川、ピアノのある老舗のカフェ、素敵なご夫婦と過ごしたB&B、サン・ジョルジェ城…
どんな景色が見えて、どんな匂いがして、どんな音が聴こえるのか想像をかきたてられる場所ばかりだけれど、きっと私は行かないのだと思う。
でも何故か思ってしまったんだ。
私は関西学院大学という兵庫県の私立大学に通う四回生です。COVID-19(新型コロナウイルス)感染防止のため、4月〜7月の春学期は全てオンライン授業でした。そしてこの度、夏休み明けの9月から年度末までの秋学期も、原則オンライン授業が決定いたしました(ゼミや言語の授業などの少人数クラスは、対面で実施することも可とのことです)。
過去三年間の大学生活には満足していますが、今回の春学期オンライン授業に関して言えば、50万円もの授業料を支払う価値があるとは到底思えませんでした(以下に記すことは、私の体感と、下級生から聞いた話を併せて書いたものです)。
オンライン授業といえば、ZOOMなどを活用した双方向授業をイメージする方が多いかもしれません。私も授業が始まるまでは、「きっとそうだろう。仮にそれが無理でも、最低でも、授業動画や音声ファイルの掲載くらいは当然してくれるだろう」と考えておりました。ですが蓋を開けてみれば、「大量のレジュメを掲載しておいたから、読んでレポートを書くように」という授業や、「教科書の何ページから何ページを読んでレポートを書くように」といった授業も少なくありませんでした。過去三年間、教授や講師陣から「レジュメを貰うためだけに出席して、ろくに授業を聞かない奴は来るな。レジュメや教科書を読むだけで分かる程度の内容に、意味はない」という高尚な言葉を何度も聞かされていた身としては、「一人で教科書を読んでレポートを書け」など、苦笑を禁じ得ない授業形態です。
また一方で、大量の課題を毎週提出する先生も、少なくありませんでした。「この先生は、『生徒達は私の授業しか受けていない』とでも思い上がっているのだろうか」と首を傾げたくなるような課題量です。私は幸運にも就職活動を無事に終え、卒業に必要な単位もあらかた取得しているため、課題の量が膨大でも苦痛はありません。ですが、未だ卒業必須単位を取得しておらず、毎週10個以上の授業を受けざるを得ない生徒にとっては、膨大な課題とアルバイトに忙殺され(人によっては就職活動等もあるでしょう)、外出自粛でまともに気晴らしも出来なかった春学期は、相当辛かったと思います。
大学の授業料というのは、講義への対価だけでなく、大学という施設設備への対価でもあります。ですが春学期は、感染防止のため、構内へ立ち入ることはできませんでした。大学側がこれまで大きな魅力として喧伝してきた図書館やトレーニングジム、清潔で美しい校舎などを味わうことができなかったのです(図書館は郵送という形で本の貸し出しを行っていましたが、送料は利用者負担でした)。
春学期の大学生活に対する私の満足度は、これまでの半分以下です。しかし、だからと言って授業料を半分以下にして欲しいとまでは言いません。ただ、1万円の減額さえする意思のない大学側の姿勢には、失望しかありません。陳腐な言葉ですが、誠意を感じられません(授業料減額を求める署名活動もインターネット上で展開されていたそうです。頓挫したようですが、流石にそうした活動が行われたことくらいは、大学側も認知しているでしょう)。
この「オンライン」授業に対して年間100万円も支払うなら、書籍を自分で購読した方がよっぽど安上がりかつ効率的です。ですから、「質の高い講義を受けたい」という一心で来年度の関西学院大学入学を考えている方は、一度行きたい学部の現役生にTwitterなどで話を聞き、行く価値があるかどうか熟考してみてください。
女子校出身で女子と関わる機会が多いからだろうか、フェミニスト遭遇率も一般的な人よりかは高いと思われる私が、彼女らを見て感じたことをつらつらと書いていこうと思う。もちろん個人情報は出さない。
初めに注意書きをしておくが、私が出会ってきた人達なのでフェミニスト全体を纏められる訳では無いし、フェミニスト全員がそうとは私も考えていない。
彼女らを見て感じたこととしてまず感じることの1つとしてまず集団で行動するのが好き、ということだ。
彼女らはよくLGBTデモに参加したり、Twitterデモに参加したりすることが多い(リア垢で何連続も似たようなツイートを見るのは正直苦痛。)。
また、フェミニストの誰かの意見が出ないと自発的に個人の意見を言うことはあまりない。
クツーにしても、ノーメイクについてもだいぶ前から私は「自分で靴を選べるようになるといいね、就活のメイクの規範、男女ともにすっぴんでもメイクでも可になるといいね」と言い続けてきたが、彼女ら(既にフェミニスト)からの当時の反応は「いや、それ正気で言ってる?」だった。それが今、周りに乗せられてか訴えているのを見て、「いや、あの時嘲笑ったの謝れよ」という気分になってしまう。
2つ目に感じることは彼女らは周りのせいにすることが多い。ゼミのメンバーのせいで、親のせいで、男のせいで。何度も彼女らの悪口に付き合ってきたが、本当に多い。自分が行動すればいいのでは?ということも絶対に動かない。周りが変わればいいのだから。
あと、すごく攻撃的。男性を平気でオス呼ばわりしたり、リアルでは図書館の入口で前を歩く人達に大きな声で「まじジャマ」と言ったり…。隣を歩く私はいつもヒヤヒヤする。こんなこと言ったらダメだけど、貴方たちが就活終わらないのはコロナのせいでもあるけど人事の方に攻撃的な態度を取ってしまってるのでは…?
属性で言うと彼女らは皆実家暮らしだ。もしかしたら、親に何かをしてもらうのが当たり前すぎて、友人他人社会にも何かをしてもらうことが当然と考えているのかもしれない。だから、女性のために動かない社会のせい、男のせい、に繋がるのかも。
マイナス面ばかり書いているではないか、とこの日記を見る人は思うだろうが、彼女らと関わると心労がえげつないのだ…。私自身は女性の人権も男性の人権も守っていきたいのだが、彼女らとは相容れないな、と失礼ながら感じる。
https://twitter.com/hosono_54/status/1289304808269082624
細野豪志のいう大学関係者の危機感の無さについて、大学職員の俺もまったく同意だ。俺は都内の私立大学職員で技官である。もともとは建設畑の人間だが、大学の先輩から、後継者として数年前に引き抜かれた。40代、年収は1000万近い。私立大学職員は天国だといわれている。それは事実だろう。俺も自分の厚遇ぶりに吃驚した。でも、その実態は、何もしない公務員のような組織である。
小学校中学校高校高専と次々授業が再開されているのに、電車が普通に動いて会社が食堂が営業をし、図書館も美術館も開いているというのに、大学だけが授業再開しない理由は、しなくても高い給料が出るからである。
年間一人100万以上の現金がコンスタントに入る組織なので、まったく危機感がない。恐ろしいことに、対面授業再開について、議題にすらあがらないのだ。インセンティブの無い組織なので、評価は減点のみ。結果、何もやらない奴が生き残る。そんな組織の中で授業再開などリスクある行為を議題にする奴などいない。同じ仕事仲間で別の私大の知り合いに聞いても同じ。ましてや公務員の国公立が対面授業再開などするわけない。黙っていれば1000万プレイヤーなのだから。
同志!俺だよ俺!元の日記書いた奴!!
こんな長い日記とリストを読んでくれてありがとうな!正直俺もこんなに有識者方が集まってくださるとは思ってなかった!!
めっちゃ多いけど全部1話か1巻は必ず読むぞ!あらすじやあおりでジャンルとか確認して、1話で絵柄とか画面の感じ?を確認して、合わないと思ったら読むの辞めるかもしれんができるだけ1巻は読もうと思ってる!!もちろんお前がオススメしてくれた作品もな!!本屋はもちろんのこと、漫画喫茶、図書館、ネットも活用する気でいる!ちなみに俺はhonto派!なぜなら読割50があるから!
の5作品だな?申し訳ないが今までどれも知らなかった。もちろん今回知ったから早めに読むつもりはしている。
…で、だ。俺がなんで今更このトラックバックに返信しているのかを先に書きたいから書くぞ。なぜならそれはお前のオススメの仕方が丁寧で、しかもソルキャを知っていてかつそれをプレゼンに組み込んでいたからだ。だったらさっさと暑い思いのままに返信しとけよというのはごもっともだが、言い訳をさせてくれ。お前のおすすめの5作品中3作品がジャンプラで読めるよな?俺はそれを読んでいたからだ。これだけ熱くオススメをしてくれるということはさぞ面白いんだろうなと思って先に少し読んでから返信しようと思ったんだ。
タテの国、顔がこの世に向いてない、これらは20話まで読んだぞ!!!また続きはあとで読むことにするが、どっちも好きだ。縦読みの利点がいかされてるし、内容も面白いし、ちょいちょい挟まれる小ネタにフフッて笑ってしまう。いいな、なんかこうガッツリしてない面白さ?があってすごく好きだわ。オススメしてくれてありがとうな。
熱い漫画好きなんだろ!なあ!ジャンプだ!ソルキチ好きなんだろ!なあソルキチ好きなんだろオマエ!というわけで激アツドリフト漫画。
おうおうここまで言うなら時間作って一気に読んでやろうやないか!って意気込んで読ませてもらった。「縦読み表現の演出もきっと考えて考えて出し尽くしてる」とか「絵じゃなくて漫画がうまい」っていう意見に首もげるぐらい同意したわ。人物の絵柄はかわいい感じだし色使いもポップ系なのに、すごく魅せられたから。構図とか演出なんだろうか?読むことに没頭してしまった。主人公とライバルが生粋の天才と努力の天才という設定、バカだけど熱い正直者で憎めないやつ、重い過去を持つ先輩たち。どれも王道な設定だけど、だからこそ熱い!面白い!!
誰も蔑ろにされない優しい世界だったし、個人的にはM2組が好き。もしお前がこれを読んでくれてたら、きっと「計画通り」って笑ってるんだろうな。目論見通りだとしても乗せられて本当によかった。いい作品と出会わせてくれて本当にありがとう…
はまだ読めてないんだが、お前のオススメならきっと俺に刺さると思うから絶対読むぞ!!!
アク強めのプッシュだからこそお前の「好き」が伝わってきたし、俺も読んでみようと思えた。何回も言っててそろそろウザイかもしれんが本当にありがとう。感謝してもしきれない。
特定とかしないでね。
つい最近、後期の授業が原則オンラインになることが通達された。
家からギリ通えなくないけど……な場所に学校があるから、交通費がかからないし朝起きる時間も遅くて済むし「楽でいいや」って率直に思った(クズでごめんなさい)。図書館を使えないのはちょっと困るけど、色んなリスクをおかしてまで友達に会いたいとも思わないし。
それで、その後お知らせとか見てスケジュールの整理とかしてたら、そういう通知が来るところに「後期中の実習は行う」って書いてあったのよ。
えっ、やばくない?って正直思った。
だって実習先は小中学校よ??自分らより免疫が無さそうな子供のところに、よくわからん学生が行くのよ?万が一何か移したらやばいどころの騒ぎじゃなくない??
あと、いくら自分の体調に自信があっても移される可能性だってあるよね??嫌だな……そんなの…………
本を水平にして、本が開く側の角に近い位置を持つ。
手首で強くスピンをかけて、手裏剣のごとく、水平方向に回転させながら投げるのだ。
野球ボールのように手首を縦に振ってスピンをつけるのは、手首の構造上、わりと楽だが、本の場合は横に振ることになるので難しい。
そのためには持ち方が重要で、手を添えるように持つのではなく、指先だけで摘まんで持つのだとよく指導された。
なるべく本の角に近い位置を持てと言われたのも、今考えれば、手首からの距離を稼いでモーメントを大きくするためだったんだろう。
本の角を摘まむなんて行動は日常に無く、そのたびに指が吊りそうになるわけだが、練習すると痛みにも慣れてきた。
やがてスピンは良くかかるようになり、本の飛距離も伸びて嬉しかった。
あと、物体は上側45度方向に投げた場合が一番飛ぶと言われているが、本の場合、それだとバサッと空中で開いて落ちてしまう。
そのため、本を投げる場合は、水切りの石のように、水平に投げる方が良く飛ぶとも言われた。
徒然でなく、目的意識を持って水切りしたのは、後にも先にもあの頃だけだ。
指を吊ってまで本を投げるのに比べたら、それは授業で眠りにつくくらい、無意識に簡単だった。
それゆえ、河幅はそこまで狭くなかったが、石はたびたび対岸まで跳ねてしまう。
対岸に人が居ると練習ができず、シュッシュッと口に出しながら、手首を何回も「素振り」して練習に勤しんだ。
当然、薄くて大判な本ほど、空気抵抗が弱く、回転力が増すため飛びやすい。
すると、遊びの目的はいかに厚手で小さい本を飛ばすかに移ってくる。
小さいのでいかに手早くスピンをかけるかが勝負なのだが、それにもまして、厚手になるその重量に手首が負けてしまう。
スピンでの痛みは捻るような感じなので、捻れが戻るようにそのうち消えてしまうのだが、重量による痛みはグキッと来る致命的な痛みだった。
さすがにまずいと思って重量にこだわるのはすぐ辞めたが、一度だけ、広辞苑を学校の体育館の向こうの壁まで飛ばしたときはとても嬉しかった。
今なら、鳥人間コンテストで対岸まで届いた人を見た気分とでも言うのだろうか。。
まあ、利き手(利き手首?)は1週間くらい使い物にならなくなって、ノートを左手で書いたり散々だったが。
もしくは飛距離を競うこともある。
こちちは手首への負担という点では、それほど問題ないのだが、費用的な問題が壁となる。
長く飛ばしたいとなると、体育館や倉庫でも借りない限り、飛ばす場所は野外になる。
(ちなみに、学校の廊下は長さ的に十分だったが、他の生徒にぶつかる、蛍光灯を割るなどのイベントを経て当然禁止されていた。)
すると、本は飛ばすたびに土や泥で汚れてしまう。
ある程度の汚れだと、本のページとページがくっつくので、逆に飛距離が伸びることもある。
それを「本が締まる」と呼んだりしたわけだが、それでも表紙面に付着する泥が多くなると、真っ直ぐ飛ばなくなる。
それゆえ、本には定期的な買い替え需要が発生する。
いや、野外で飛ばす人でなくても、少しでも飛ばしやすい本を求めて本を買い漁ったりする地域性なのだ。
当然、古本屋もそういう需要を見越していて、価値はわからないが、とにかく薄くて大判な本を多めに扱っていた。
それは、ブックオフで100円なのにいつまでも積まれている価値の薄い本とでも言えばわかってもらえるだろうか。
そういえば、古本屋でいつまで経っても同じ本が積まれているというのも、大学入学で家を出るまで知らない現象だった。
そういうわけで、飛ばして遊ぶだけの内容がわからない本が、家にはいっぱい置いてあった。
だから、子供の頃は、どんな家でも2種類の本棚があると思っていた。
読む用と飛ばす用と。
後者は家の外に置いておくのが普通だったが、大人になってからは、そんな習慣は世の中に無いのだと聞いて、
逆に、汚れた本まで家に持ち込むの?家の中がドロドロになるのに気にしないの?と勘違いに勘違いを重ねたこともあった。
あと、地元以外の家だと、壁に本をぶつけた傷が無いことも新鮮だったな。
あれ、窓を割らないように投げるもんだから、窓と反対側の壁によく付けちゃうんだよ。
花瓶や壁掛けの絵画なんかも、実物は大人になってから初めて見た。本を投げて壊すかもしれないから、実家には無かった。
そして図書館は、飛ばすための「道具」が揃う夢の場所だったが、当然そのような行為は禁止されていた。
「本を飛ばして遊ばないでください」なんて掲示が貼られていたのは、うちの地域ぐらいのものだろう。
図書館においてだけ、本は本来の存在意義を保つことができたのだ。
それでも、貸出を受ければ誰も見ていない。
図書館には必ずと言っていいほど、変なページで曲がり、ホコリや泥の付いた本があった。
図書館の本がこんなにキレイに管理されてる!と知ったのは、やはり実家を出てからのこと。
そういえば、実家近くの狭い公園にも同じ掲示が貼ってあったな。
野球のボールじゃなくて、本で近所の家のガラス割るっていう経験も、子供にはよくある経験だと思っていた。
そうそう、良い子は真似しないでね。
そうだろうか。俺は偽善的な印象を受けた。
「図書館で借りれなかった。これで作家にカネを回せる」と思ってホッとするわけでしょう。
金銭的サポートを与えるか否かを判断する責任を、図書館の在庫の有無に委譲している。
悪を成している… という自覚があるなら、自らがその責任を負おうとするのが誠実な態度だ。
ともあれ図書館で罪悪感を抱くのはあまりいないレベルの善人だろうね。
(かくいう俺はそれどころか、本棚を捨てて今ではすべてを図書館で調達している… そう確かに、お金を回さないと飢えるよね…)
先に言っておくと、買えや、というツッコミはなしで。
読みたい本があると、とりあえず地元の図書館で検索する。俺はビンボーなので。欲しい本は全部は買えない。
そこの図書館は割とデカいので、けっこうマニアックな書籍でも置いている。あった。予約もついていない。ラッキー。
そういうのが、冗談でなく割とマジである。いや、図書館って本来そういうもんだが。
ただ、俺の読みたい本が、例で言ったら白水社の海外文学とか、竹書房の実話怪談でもマイナー寄りの作家とか、あとは変なノンフィクションとかで、「こりゃあお前、どう考えてもそんなに部数出てねえだろう…」というものだと、それをロハで読んでしまうのは、なんか「うっ…」となる。
作家は当然それを売って飯を食っているわけで、じゃあもう死んでる人の著作ならオッケーか、っていうと出版社もそれで食ってるわけだからね。うっ、となる。
だから、読みたい本が図書館になかったり、なぜか予約待ちが多かったりすると(『魔王 奸智と暴力のサイバー犯罪帝国を築いた男』、地元で15人も待機してた。どういう町だよ?)、残念は残念だけど、ちょっとホッとする。
事務の人相手だから丁寧語の方がいいかなって思ったけどここは増田だからくだけた口調で書くね。
大学事務の方々には、いつも粗忽な学生相手に辛抱強く対応していただいて本当に感謝しているのだけれど、それとこれとは話が別だ。
大学生くらいの年代の元気な若者は感染しても無症状で済むことが多いが、自分の感染を通じてそういうハイリスクな人々にもし感染させて重症化させたとき、あなたは「仕方ないよそいつらの体が弱かったんだから」と思えるのかい?そう思うなら大学で学ぶ資格はないぞ。
仕方ないよ。
世の中には程度問題っていうものがあるよね。責任を論じる上では重要じゃん?
例えばさ、制限速度60キロの道で100キロ超えてたドライバーとさ、制限速度守ってたら子供がスケボーに寝そべって突っ込んできたドライバーじゃあさ、同じ「人身事故で人を撥ねて死なせちゃった」でも責任の重さが違うじゃん。前者は池袋の上級国民みたいにすごい非難にさらされるだろうけど、後者は「これは仕方ない」「避けられないでしょ」「轢かれたほうも悪い」みたいな感じで擁護してもらえるよね。
大原則として、感染症にかかって、それを移してしまうことに責任は発生しない。移された人だけでなく移してしまった人も被害者だ。
これは理解できるよね? できないなら近代的な市民社会で生きるための素養が不足しているので人権講習とかを受けような。
で、その上で話をすると、学生は別に感染者主催のコロナパーティーさせろとか言っているわけじゃないよね。
普通に大学に通わせろ、対面講義を受けさせろ、対面ゼミで討論させろ、図書館を使わせろ、学食で飯を食わせろって言ってるだけだよ。
これ、全部、法律に反していないどころかマナー違反ですらない、ごくごく通常の、模範的な学生の営みだよね。
ここで話が程度問題に移るわけだよ。
こんな当たり前の行動で蔓延するウイルスなんて、もう仕方ないでしょ。
事故だよ事故。避けられないよ。そんなん気にしてたら生きていけないよ。まっとうな社会生活が営めなくなっちゃうよ。スケボー少年を気にしてたら運転できないのと一緒だよ。
大学のリスクを説明されても、どうして私たちだけが? っていう不公平感は変わらないよ。私たちの学業は、貴重な大学生活の機会は不要不急? あちこちの会社では通勤が再開されているのに? あの会社員たちの日常は尊重されるべきで、私たちの日常は尊重に値しないの? どうして?
まして、私たちは学費を払っているのに? 会社員の人たちはお金をもらうために日常に復帰している。それなのに私たちは、お金を払っているのに日常に復帰できないの?
会社員の人たちの日常が尊重されるのはとても良いことだ。それは支持するから、同じように私たちの日常も尊重してほしい。
研究に使う本は高くて、個人ではなかなか手が出ない。それでもそれは研究する上で必要なもので、だから大学図書館に入れてあるんだよね。
図書館を使えないのに満足な学びができるわけないじゃん。どうして図書館にすら自由に入れないんだ。中ではほとんど喋らないのに。どうして。なぜ。納得できない。