はてなキーワード: 区切りとは
https://anond.hatelabo.jp/20190629192946
バズりまくってるやつ見て書こうかなと。
当方30代、男性、既婚。この状態まで持っていくのがまず難しいレベル(もうこの時点でおかしいよね)。
以下ソースね(ゴシップ的なものでなく臨床心理士会なるちゃんとした組織が調べてます)。
https://www.jsccp.jp/member/news/pdf/doukoucyousa_vol7.pdf
・非常勤が半数
・院卒なのに時給がコンビニ以下
こんなのザラです。残業代?もちろん出ないよ?
・アカハラ・セクハラは当たり前(よほどのことではないと教員は処分されません)
・研究に関係ないバイトをすると非国民扱い(なんのために院に来たんだ的なやつ。まぁ言いたいことはわからなくはない)
・研修会のあとの接待(先生に顔を売るためだが、よほどのことがないと覚えてもらえない)
就職に困っていたときに研究所の講師になってほしいと言われ半年タダ働き(交通費自腹、休日終電まで作業がザラ)。
結果、研究所なんてものは出来なかった…なんてのもありましたね。訴えたら勝てたのだろうか。
院にいると研究職=勝ち組と思っていたけど、いまのご時世任期制で3年区切りとかで
上記を考えた結果、ある程度の技術が活かせる民間に就職しましたとさ。ちゃんちゃん。
面白かったのに3巻で終わりかあ。売れてないわけじゃなかったと思うんだけど。
ダラダラ続いて欲しかったと思う反面、密度高いまま終わって良かったのかな。とも思う。
面白かった。百合ギャグは個人的に引っかかる物が少ないので、これで終わりは惜しい。
面白かった。ズレたまま並行して走っていく感じが上手い。
まだ出るか。って感じのミニマル系イチャラブだけど、これは意外と新鮮だった。
ミニマル系イチャラブは男女のやり取りがハイコンテキストでそこが面白い作品が多い気がするんだけど、
本作は逆を行きつつ成立してるのが新鮮で上手い気がする。クラスメートの反応と相まってほっこり感ある。
球詠 5巻 マウンテンプクイチ
画は毎ページみどころいっぱいで最高。カッコいいしカワイイし。
まあこのレベルで動きのある画を描ける人いないって話だろうけど。
時代の空気を完全に再現した背景が最高で、毎巻楽しみにしてた作品だったので残念。
これだけ強固に作品世界を成立させている背景は、一般的な意味で背景と呼んでしまうのは作家に申し訳ない気になる。
安定して面白い。
話としてそんなに起伏があるわけではないけど、それぞれの釣りの面白さが出てて飽きない。
7 巻でおわりかあ。こういう作品はダラダラ続いてさ、何世代も入れ替わって行ってさ、ついに終わる時に「ああ、最初の頃カラスヤとかいたなあ。」なんて思って喪失感に浸るのが正しい楽しみ方だと思うんだけど。
残念だけどまあ7巻まで出て環会長は送り出せたのでそれなりに区切りはついたのかな。
さめない街の喫茶店 はしゃ
モノの画が最高。カットされたフルーツとか、ラップされたケークサレとか、ガラス器とかその中の液体とか、あらゆる画が楽しい。
マンガとしてもヒューマン?一つまみ、ファンタジー小さじ1の食べ物マンガって感じ。
オーブン使う料理ばっかりなのはわりと新鮮かも。まあ洋菓子多いからそれはそうかって話だけど。
メタモルフォーゼの縁側(2)(3) 鶴谷 香央理
なぜか2巻をスルーしてて、3巻が出たタイミングで2,3読んだ。
うららは苦しんでもいるけど基本的には(大人や友人に、直接に間接に、)救われていて、そんな中でどこかに向かおうとするあり様や、愛されっぷりがグッとくる。
廃墟のメシ1 ムジハ
面白かった。あっちで見たアレや、こっちでみたアレがふんだんに盛り込まれたB級SF食べ物マンガなんだけど、画力があるので独立して十分面白し、カレーを探すってオモシロ設定も楽しい。
最後の展開は正統派SFぽい意外性があって期待感をあおる。でも演出はオフビートでそこもまた良い。
オーイエー!おれたちのサライネスが帰ってきたぜー。
前作も悪くなかったけど、やっぱりこのノリすよ。
「誰も~」を楽しんでたオッサン/オバサンは迷わずBUY。若者もぜひトライしてみて。
お父ちゃん記者会見する話、超好き。しょうもない話にさらにしょうも無い話を何段も重ねてくるの最高。
この作品の視点そのものがちょっとスポーツ新聞ぽい気も。平和で良いと思います。
4巻にして動き出しましたー。良いっす。
個人的には母さんは母さんにしか見えなかったので、今までちょっと評価しずらかった。
おれが実ぐらいの年齢なら別な見え方していたのかもとは思う。
画は常に最高。毎ページ見どころしかない。空間とモノ/ヒトとか、人体とか、服のしわの一つ一つまで見どころ。
電書版の画質は1巻と比べると多少マシになった気がするけど、もう少し綺麗になるとうれしい。
アフタは電書版の画質が他誌(他社?)と比べてイマイチな気がする。
やっぱ男子より迫力なくてつまらんなーと思ったけどそもそもそんな比較できるほど男子の試合も見てないしただの偏見だ
でもアオアシ読んでから気にするようになったけど、当たり前の技術はやっぱりみんなすごいなって思って変なとこで感心した
具体的にはパス回し関連
蹴られた勢いを殺して足元でぴたっと止めてける、あるいはダイレクトに次の人へパスをだすとか
後ろ向いてても次の流れを読んでパスをダスとか
今月末、25歳の誕生日を迎える。
まだ婚活には早いんじゃないかと自分でも思うけど、そんなことを言ってられない事情がある。
私は、友達を作ることすら困難なコミュ障で、休日引きこもらーで、セミプロ級のおひとり様なのである。
映画、カラオケ、ファミレス、一人旅(国内)なら余裕で一人で行くし、ハリポタのためならUSJだって一人で行ける。
出会いの「で」の字もない。
黙々と仕事をして、一人で黙々とお弁当を食べて、黙々と仕事をして、
報連相は基本社内メールなので、ふと気が付くと、1日誰とも会話をしないで布団に入ることもある。
休日は、一通りの家事をこなした後はひたすらゲームをしている。
最近のゲームはすごい。一人で黙々と、何時間でもやっていられる。途中で単三電池が切れないって素晴らしい。
※もちろん全員ではない(祖父母は今も仲良し)し、その後再婚して幸せな家庭を築いている方も多い。
私はそんな親戚の様子を見て、いつからか、なんとなく、
「私も、結婚して子どもを産んでも、いつか離婚するんじゃないか」
「だったら、最初から結婚なんてしないで、子どもも産まない方がいいんじゃないか」
って思っていた。
表面的な意味としては、
「一人で住んでるより誰かといてくれた方が安心」
位だと思う。
けど、私には、
「あなたが結婚して子どもを産んでくれたら、離婚によってあなたが負った心の傷が癒えたのだとわかって安心できる」
という意味に聞こえた。
私は、数々の親不孝をしてきた。
大人になって、どうしたら親孝行ができるか、必死に考えていたけど、
っていうメッセージを、全身で示してあげることが、
私にとっては、私と母にとっては、親孝行になるのかもしれない。
今まで、結婚は「できたらいいな」ぐらいにしか思っていなかった。
でも、それが親孝行になるなら、努力してみようと思った。幸せな家庭を築くために。
結婚できるか、子どもを育てていけるか、それぞれ見極めるのに2年ずつくらいはかけたい。
母が私を産んだ30歳までに第一子を産んで、できれば3人産んで少子化対策に貢献したい。
水族館自体が好きなので、そういう意味でも楽しめるといいなと思っています。
・一緒にゲームをしてくれる(実況もしてくれるとなおいい。軌跡好きならもう何でもいい)
・平均以上の身長(私が151cmなので、相手がそこそこ大きくないと子どもがかわいそう)
・共働きに協力してくれて、世帯収入が500万以上になる見込みがある。
・頭がよくて、実益にならないような考察・議論を真剣に行ってくれる
双極II型障害と診断され、あらゆる薬を試したが効果がなく、3年前に修正型電気けいれん療法(m-ECT)を受けた。
現在は別の病院に通っており、双極性障害の治療薬ではなくコンサータとデパスの頓服で凌いでいる。躁鬱なのか発達障害なのかあるいは両方なのか、結局よく分かっていない。
結果から言うと、電気けいれん療法は受けなくても良かったと思う。
当時20代で、ブルーカラーの非正規労働をしており、入院のために退職した。辛うじてギリギリ出勤できるレベルのうつ状態と希死念慮がだらだら続き、数ヶ月おきくらいで比較的マシな状態が発現するという具合だった。よくあるパターンではないかと思う。
電気けいれん療法は入院が必要で、全身麻酔下で施術される。数週間で6回くらい繰り返す。
一応効果はあった。2回目くらいで希死念慮が軽くなった。胃部不快感もなくなった。
副作用についてだが、人格が変わったり知能が落ちたり大きな記憶障害が起こるということはなかった。
ただ、施術前数ヶ月の記憶は多少曖昧になっている。もっとも、これはECTの副作用でなく単にうつ状態が酷かったからかもしれない。幼少期の記憶もしっかり残っているし、危なっかしいイメージに反して大きな副作用はないと思う。
強いて言えば、「現代医学におけるありとあらゆる治療を尽くした」という点で気持ちの区切りを付けることができ、諦めの境地に至ることはできた。
まず今回のQuinRose rebornの五月攻さんが戸田睦都美社長(商工リサーチにも載っているのでそのまま載せます)なのかどうかで大きく話は変わってくるかと思います。
もしそうだった場合はあまりにもユーザーやクリエイターさんや取引先さんに対して不誠実だと思います。
しでかした事に対して昔から謝罪も説明も何の対応もしていません。やり逃げ状態です。
確かに倒産してもう終わった事かもしれませんがしでかしました、倒産しました、区切りがついたのでクリーンですとはならないので不信感を覚える人がいて当然です。
それを許したとしたらオトメイトも信じられません。
また元増田には書かれていませんがミュージカルを控えた状態での倒産でした。
製作はポリゴンマジックというところでアートムーヴから版権を借りるという形での公演です。
アートムーヴとなんの関わりもありませんがそんなの舞台に慣れていない人には区別がつくわけがないですし
ニュースでも”再演が発表されていましたが、アートムーヴの事業停止により実施は難しくなるものと思われます"(今もニュースサイトを探せば出てきます)などと書かれていたので
ミュージカルはどうなるんだと各所で混乱が起きました。
それでもQuinRose側からユーザーへのアクションは何もありませんでした。
自分が作ってるわけじゃないからかもしれませんが自分のせいで起きた混乱に素知らぬ顔というのはどうなのでしょうか。
こういうところにも会社として不誠実さを感じました。
もし今回の五月攻さんが社長とは別人だった場合でも何か釈明などが必要ではないでしょうか。
数々のトラブルに触れないまま五月攻さんとして楽しいだけのツイートをするのは無神経に見えます。
また元増田が触れていてる③についてですが被害を受けた原画担当の方がツイートをされています。
https://twitter.com/Miya_Taira/status/1134867134612295680
https://twitter.com/Miya_Taira/status/1134869832115953664
https://twitter.com/Miya_Taira/status/1134870206252109831
https://twitter.com/Miya_Taira/status/1135195657877069825
こうおっしゃってくださっている通り好きな人も喜びたい人も自由でよいと思います。
私たちの怒りに必ずしも同調しなくちゃいけないわけではないです。
ただ私はQuinRose側は何もかも不誠実だったなという思いを新たにしました。
でも不誠実なままの人たちが今までのことを無かったことにして素知らぬ顔で開き直って作品を今後も発表するつもりなら私は無邪気に喜ぶことはできないです。
女性専用車両をやるにしてもあくまで一時的な緊急避難とすべきだが、
どうも現状では「恒久的で最終的な解決策」扱いされている。
さすがに「自分の好きな車両に乗る」と「女性専用車両に乗る」ではレベルが違う。
そもそも通勤時が想定されるので特定の車両まで移動できる余裕がないことも多い。
結局「女性」という区切りも「車両」という区切りも大雑把すぎる、というところに行き着く。
で、そこをより正確に管理しようとすれば鉄道事業者側の負担も増してしまう。
多くの男性にとってはそうだろう。
だが、密度問題は「女性専用車両」が抱える根本的なものだから、別の対策を模索せよという結論になる。
ちなみに女性専用車両増田は密度だけの問題とは思ってなさそう。
まあこれは難しい問題なので措く。
職場でいくつも見ていた骨壷を今でもたまに思い出す。黒い服を着てかしこまった人たちが、その人の名前や死亡日が書かれた申込書と一緒に大小さまざまな骨壷を手渡してきて、それを受け取って裏に引っ込む。二人が立ったまま並んで作業するのがやっとの小さな作業場で、黒塗りの盆の上に骨壷の中身をぶちまけて、箸で拾い集めて、細かいかけらは筆でひとつも残さないように小さな桐箱へ収めていく。骨は枯れ枝みたいな軽さで、これが人体の一部だなんてあんまり信じられなかったけれど、昔火葬場で拾った骨とも一致したし、確かに人の名前をつけられて渡されるわけだし、精一杯の丁寧さで扱っていた。すべてを桐箱に収めてしまうとふたをして、法名をそこに書き込む。俗名はもう書かれることはなく、手のひらに収まってしまう小さな桐箱は、仏弟子のひとりとなって、また盆の上に載せられる。それは一度お経を聞いて、最後は宗祖の像の下にしまい込まれる。もう二度と取り出されることもなく。その一連の儀式で涙をこぼす人も幾人か見た。人が死んで、それを受け入れる、その一区切りを担っているのだなと感じた。今はまったく違う会社にいて、そういうことをすることもない。それでお金を受けとるのがいいのか悪いのか、私にはいまだにわからない。そこにしまわれたからと言ってその人がどうなるわけでもない。ただ、毎回箱に収める作業は、何も考えないようにして行っていたけれど、ひどくやるせなかった。死んでしまうとこんな流れ作業で扱われてしまうのだと、その人がどんな人だったかなんて関係もなく、小さい箱に詰め込まれて安置される。それなりの額のお金と引き換えに。毎日法事は行われ、でも決して死んだ人のためではない。宗派の教えとして、故人を弔うためにお経は読まれない。遺族の方がどれだけそれを知っているかもわからないまま、渡される遺骨を受け取る。それが本当に正しいのか、今でもわからない。でも、今もそれは続く。それが大きな収入源である限り、ずっと続いていく。
(この日記は、アパシー・シリーズ及び七転び八転がりの現在の状況をある程度知っている人向けの文章です。
全く知らない、という人のため解説を挟んではいますが、分かり辛い点もいくつかあるかと思います。申し訳ございません。)
タイトル「アパシー・シリーズ」とは、1995年に発売されたSFCのゲーム「学校であった怖い話(以下SFC版)」を軸に展開された作品群の事だ。
経緯が少々特殊なのだが、このシリーズは「七転び八転がり」というサークルから今もなおゲームが出続けている。
単純に考えて24年もの間、この「学校であった怖い話」という作品は応援され続けてきている。また来年迎える25周年に向けての動きも出始めているようだ。
尚実際には24年ずっと絶え間なく作品が出続けたかと言うとそうではなく、パンドラボックス(SFC版の制作会社)の経営不振等により2001年以降は休止状態であった。
その後メインシナリオライターである飯島多紀哉氏(旧飯島健男氏)がゲーム制作に復帰しアパシー・シリーズの制作が開始される。
同人ゲーム・小説・グッズ等を数年に渡り販売するも再び休止、数年後また復活……と大まかに言えばこのような流れだ。
また正確にはSFC版及びリメイク作品であるPSのゲーム「学校であった怖い話S(以下PS版)」はアパシー・シリーズには該当しない。
ここまで「学校であった怖い話」「アパシー・シリーズ」は長い間応援されてきたゲーム・シリーズである、という事を記してきたが、実は私自体の歴はそれほど長くはない。
学校であった怖い話を好きになったのはおよそ8年ほど前である。上記の流れで言うと2度目の休止時期に当たる。
最初にSFC版の存在を知り、恥ずかしながら実況動画から入った。その後SFC版をバーチャルコンソールで、PS版をゲームアーカイブスでプレイした。
後々になって「アパシー・シリーズ」もプレイし始めた。人によってはアパシー・シリーズを苦手とする事も多いが、私は夢中になった。二次創作も多少していた。
少なくとも1995年を舞台とした、SFC版と同じキャラクターが出てくるゲームは一通りプレイした。そうでない作品の中には触れていない物もあるため、その程度かと言われればその通りなのだが。
この頃既に休止状態に入ってた事もあり、アパシー・シリーズはもう更新されないだろうと思っていた。
それだけに、2014年小学館から小説「学校であった怖い話 月曜日」及びその作品群が発売された時には本当に驚いた。
更に2018年、他でもない七転び八転がりから同人ゲーム「学校であった怖い話 新生」が発売された時には非常に期待に満ちていた。
知ったときには遅かったと思っていたのに、「ゲームが次々と発売される」という流れをリアルタイムで実感することができるのだと。
上に「少なくとも1995年を舞台とした、SFC版と同じキャラクターが出てくるゲームは一通りプレイした。」と書いたが、厳密に言うとこれは僅かに誤りがある。
現在最新作に当たる「アパシー 学校であった怖い話 極(以下極)」は購入していない。その一つ前の作品である「アパシー 学校であった怖い話1995 月下美人の章 第一巻」も、購入はしたがプレイをしていない。
理由としては、極が発売される前のタイミングでジャンルを離れたからだ。
2019/5/13現在、七転び八転がりは「アプリ開発」を目的としたクラウドファウンディングを行っている。
このアプリ開発こそが、上記「25周年に向けた動き」の中で現在確認できるものである。
https://camp-fire.jp/projects/view/140712
支援額1000万円到達でアプリ開発に着手する他、そこに至るまでの区切りとしてもいくつもの企画が立てられている。
このクラウドファウンディング、またその前後のTwitterや製作者のブログに対し、既存のファン(ここでは暫定的に「学校であった怖い話及びアパシー・シリーズが好きである人」のことを指す)から疑念の声が次々と上がっていったのだ。
具体的にどういった事がありどういった声が上がったのか、明確に記す事はここでは控えさせていただきたい。その理由となる事態については以下に記載させていただく。
ファンの間で不信な声が上がり始めた頃、「問題まとめ」と題し不信だと感じられる事柄をまとめたプライベッターの記事が作成された。
現在は削除されており引用はできない。私も一読はしたものの、詳細には覚えておらず申し訳ない。
またTwitter等ではサークル代表である飯島氏及びクラウドファウンディングの苦言や暴言がちらほら見かけられた。支援しない事を勧める声や、高額なプランで支援した人への暴言も見られるようになった(ただしあくまでこれらは極一部のユーザーの発言であり、多くの人は疑念や不信の声に留まっていた)。
そういった動きに対し、飯島氏は最終的に以下のブログ記事を発表した。
http://plaza.rakuten.co.jp/iijimatakiya/diary/201904120000/?scid=we_blg_tw01
読めば分かるのだが、二次創作に関する記述については全く正しい事が書いてある。二次創作は違法であり、作者がそれを黙認していることが多い。
「学校であった怖い話」を全く知らない人がTwitterでこの記事について言及し、そのツイートには多くの反応があった(所謂「バズった」)。
多くは「当たり前だ」「筆者の言うとおりだ」「このジャンルのファンは何を考えているんだ」といった内容である。
そしてこのブログの内容通り、何人かが「弁護士を介して話をした」という発言をした。その中には上記プライベッターの記事の作成者も含まれている。
補足しておくが、この作成者はれっきとした学校であった怖い話のファンである。この事態の後、極を購入したという旨のツイートもしている。
どころか、苦言や暴言を吐いた人の殆どが学校であった怖い話を好きなファン達だ。
……ただし、これはあくまで上で脚注を加えた通りの意味での「ファン」、つまり作品自体のファンを指す。
この文章で具体例を明記しないのは、こういった事情があったからだ。
プライベッターの記事は、明確なネガティブキャンペーンが行われていた「極端な例」だったかもしれない。
しかし実際起こった事を列挙する際、当然ながらユーザー側の事態は把握できても、サークル側にどういった事情があったのか、どういった対策を取ったのかを全て把握することができない。
そのため「今回起こった問題」を私が書き連ねると、どうしてもユーザー側贔屓のバイアスがかかってしまい、サークル・代表批判と取られかねない文章となる。
今回はあくまで私が「アパシー・シリーズを追うのをやめた話」という個人的な内容の記事であるため、上記の理由により詳細は省かせていただく。
またそういった経緯があるため、現在はなかなか事態が分かりやすくまとめられている文章は見当たらない。
なお、私自身はTwitter等で暴言を吐いたり、クラウドファウンディングに対してネガティブキャンペーンを行ったりはしていない。
匿名ブログでこう言っても信憑性は無いだろうが、つまり「弁護士が怖くて離れた」という理由ではないことを主張しておきたい。
「二次創作がやりたくてゲームをプレイしていたから、その趣味が脅かされるため離れた」という理由でもない。
何故追うのをやめたかというと、「ブログの最後に『黙って去ればいい』と書いてあったから」である。
今回飯島氏がブログでこのような発言に至った理由は何故だろうか。
飯島氏の言う「自称ファンだがこちらはファンだと認められない人物」が増えすぎて、個々人に対処しきれなくなった、
もしくはそういった暴言に耐えきれなくなり強い語調のブログで拡散せずにはいられなくなった、等色々考えられるが、これらはあくまで憶測に過ぎない。
ただ結果として、この記事は「自称ファン」のみならず普通のファンの一部にも圧力を与えてしまったのではないだろうか。少なくとも自分はそうだ。
自分は正直、「学校であった怖い話」及び「アパシー・シリーズ」のことは好きだが、飯島氏に対してはそれほど良い印象を持っていない。
そもそもの考え方として「作者と作品は分けて考えられるべきであり、作品が素晴らしいからといって作者まで好きになる必要は無い」と思っていた。
勿論良い印象を持っていないからといって暴言は吐いていないし、素晴らしい作品の作者であるという点に置いては尊敬の念があった。
しかし、どうにも飯島氏の諸々の発言及び行動においては懐疑的な目を持ってしまっていたのだ。
上記ブログ記事を読んで、区切りがついた。「ならば自分は黙って去ろう」と思った。発表していた二次創作作品は全て取り下げた。
純粋に怖いと感じた。こういった思いを持っている以上、私も少なからず敵意を持たれているかもしれないと思った。
……そう思うと、私みたいな人間も「自称ファン」の一部であっただけなのかもしれない。
あの記事は、二次創作はしておらず、尚且飯島氏の事も悪く思っていない人にとっては、特に疑問を持たない当然の内容なのだから。
重ねて言うが、飯島氏の二次創作に関する主張は正しいだろう。私だって、自分のことを嫌いな人に自分の創作物を弄られたくはない。
そのため、私は深く反省した。作者に懐疑的な目を向けながら8年間、その作者の制作物で二次創作をしていたことを恥じた。
そうして私は学校であった怖い話やアパシー・シリーズから離れることにした。
しばらくはこの事を思い出してしまうため、SFC版含め過去のゲームをプレイする気も起きないだろう。
未練が無いとは言わない。未練が無かったらこんなお気持ち表明文は書かない。
気持ちを整理するため、このような文を書かせてもらった。
最後に、この日記は決して「作者に少しでもマイナスイメージがあるなら二次創作をやめろ」という主張をする物ではない。
私の場合は今回語った事態が一番のきっかけであったが、「飽きを感じ始めていた」等他の理由も少なからず存在する。
あくまで「そういう人間もいた」という自分本意の語りであって、他人に強要するものではない。
会社員、簿記知識ゼロから3ヶ月ほどで独学で2級に合格。76点という点数の通り、最低限のことをして最低限で合格した記録。
(別件でやっとはてな匿名ダイアリーの書き方を修得したので今さら。簿記ナビさんの合格体験記に応募して残念ながら採用されなかったもの。)
簿記2級はTACのテキスト5冊読めば2ヶ月で合格できる。もちろん独学で。を参考にしたが、最後の予想問題集は削った(試験範囲が変わっている最中ではあったけど)。
下書き用紙が足りない、という声も聞かれる中、自分はほとんど下書き用紙は使わなかった(下書き用紙に自己採点用に答えを書き写すほどの余裕はなく)。下書きをほとんど使わない自分はおかしいのか、だから点数が伸びないのか?と迷ったこともあった。
問題もチェックテストもコンプリートで実施。チェックテストの解答時間は計っていない
問題は38までは解いたがあとは解かず
第1部は全て。第2部は145回~149回で、時間を計って解いたのは149回のみ(66点)。他は電車の中で立ちながら解いたり。
やりながらスッキリの該当箇所を見返したり、それでも足りなかったらインターネットで検索して種々のページを見た。
一通り終えた後最初に戻って、間違えた箇所覚えていない箇所を見返す作業を実施。
時間を計ってない他の回の点数は、145回: 54点、146回: 70点、147回: 70点、148回: 69点。
過去問5回分のみはさすがに少ないかと思い、試験1週間前にもう少し前の回の過去問もやるか、予想問題集を買うか迷ったが、手を広げるのはやめて、今までやった内容を固めることにした。
80点→76点 (第1問: 12点、第2問: 18点→16点、第3問: 14点→12点、第4問: 16点、第5問: 20点)
あるものに権利を認めて別のものに権利を認めないのが差別でしょ。女性差別や黒人差別がまさにそう。
「痛みを感じる生物」と区切って差別してるじゃん、ヴィーガンは。
そもそも「権利」という概念を非人間に適用するようには出来てない。
ヴィーガンは理屈としては正しいので、反対側もちゃんと軸を作らないと、幼い頃からヴィーガニズムに触れた層は簡単に転ぶと思うぜ。
そもそも「人間は肉を食わなくても全く異常なく生きていける」という長期的エビデンスも持続可能性のエビデンスもないって部分は無視か?
自分は島村卯月、藤本里奈、長富蓮実、黒埼ちとせが特に好きな一介のユーザー。デレステ2年目から始めたので正直にわかであるが、藤本里奈がピックアップされた時は感謝の意を込めて課金した。
「はすみん好きなのにちとせ嬢が実装されるときに抵抗なかったの?」と聞かれると、正直な話あった。にわかでもゴリゴリにあった。
デレステには声がなくても見るからに人気なキャラが結構いる。浅利七海、遊佐こずえ、的場梨沙あたり顕著な気がする。いや自分がロリコンなわけではなくたまたま今挙げたのが全員ロリだっただけです。クールでは篠原礼さんと美波が一番好きです。
そんな中でちとせと白雪千夜の実装は衝撃的で困惑をしたし、上記三人とか見るからに人気だから先に付けてやってくれやって思った。
それでも自分はちとせの死生観や精神力の高さや見た目や見た目に反した無邪気な声質に惹かれ、SSRの母性溢れたイラストに惚れてしまった。今や自分の中でちとせは「最期を看取りたいアイドルNo.1」である。モデル修正されたしSSR可愛いぞ。気になる奴はスカチケでとっとけハム太郎。
けれど同時に、「この子は総選挙で上位に入ることはないんだろうな」というある種の虚しさも感じた。
最初から声が付いてSSRが早く実装されたからアンチが更に増えたせい、とかではない。アンチがどれだけ荒れようがマイナス票などが存在しない限りファンが増え続ければ問題ない。
ちとせには声がもう実装されている。既に実装されていることで、「この子にはもう投票しなくてもいいか」と思われる欠点ができてしまう。声未実装アイドルに票を入れて総選挙を楽しむ層の票はもう全滅してしまったと言っても過言ではない。実際自分もはすみんに多く入れてる。はすみん可愛いからみんな投票してくれ。
声が付いた途端上位から消えるアイドルは珍しくない。総選挙は「上位に入ればアイドルに声が実装される」という、金が尽きない限りある種ゴールのあるイベントだ。
もちろん落ちたからといって人気がなくなったわけではない。声がつくことによって一区切りついただけで、みんな変わらずそのアイドルが好きなのだ。
今回の総選挙は例年にない大波乱である。夢見りあむの三位がそれだ。最初は苦手だったがどんどん好きになった点で、自分にとってはちとせと同じスルメアイドルである。応援したい。
そこで荒れるのが従来からいるアイドルを推したい人達。こんなの間違ってる。前々からいるアイドルを応援するべきだと声を上げる。
実に老人らしい考えだと思う。
「こちらの方が先に生まれたので考えを譲るべきだ」「こちらの方が下積みをしっかりしたので報われるべきだ」
職場でよく聞く「若い者はもっと苦労するべきだ」理論にかなり似ている。
しなくてもいい苦労は、しなくてもいいのだ。
「先人がクーラーをつけずに生活してたから」だとか、「自分も上司の飲み会に散々付き合わされたのだから」だとか、今はもうしなくてもいい苦労なのだ。常識や環境や技術は目まぐるしく変わっていくのだから囚われる必要はないのだ。
正直、今となっては最初に抱いていた「最初から声が実装されているなんておかしい」という固定概念自体がそもそもおかしいかったと思う。
むしろこっちを通常化するべきなのだ。過去実装されたアイドルも未来実装されるアイドルも全員声を与えるべきなのだ。
総選挙全部を批判をしようとは思わない。(歌出るし。)こういう金と数に物を言わせるある種のお祭りは話題にもなるし運営がやめたくなったらやめればいいと思う。そこに自分の好きなアイドルがあんまり入らないのは前述通り残念ではあるが。卯月がまだ居続けてくれるの嬉しい。
ただ、総選挙に関わらず将来的に声は全員実装して欲しい。190人超もいるので難しいことだとはわかっているが、もしかしたら声が付くことでその子は本当に1億のドル箱になるかもしれないのだし。
あとふじりなのソロとフェス限ください。はすみんもSSRください。はすみんの声はちょっと大人っぽい中に隠しきれない年相応の可憐さがある感じがいいです。卯月のフェス限と期間限定が来る運もください。あと美穂引きました有難う響子ちゃんのSSRも引きます。
追記:個人の日記に対してこんなに反応していただけると思ってませんでした。そうだよねーって頷く根本的な問題への言及だとかも見れて助かります。増田ってとしあきみたいなものですかね。今ここふたばみたいになってるのかな。
WWGはデレマスの絵が漫画の中に上手く落とし込まれてる感じがしていいですよねー。掲載がチャンピオン系列だけあって漫画家の絵が上手くて読みやすい。
メジャー界隈は自分の意見通らないと人の話聞かないでキレるケダモノが多いね…って思ってたけど、現時点だと目立つだけで数自体はそんなにいないっぽくて安心しました
アイマスのイラストレーターは女の人が多いので50%くらいはちゃんと女の子から構成されているのですが、構成といえば今流行りのVtuberは声と外見の構成100%おっさんがいるしおっさんがおっさんに恋をするのも不思議ではない時代になってるし、考えるとやはりめまぐるしいですね。
自分は人より優れていると思ってました。子供の頃からなんでもそつなくこなし結構うまくやれていたほうだと思っています。
勉強はやらなくても授業を聞いてるだけで上位5%くらいの成績は取れていました。運動はみんなで遊ぶとき上手い部類のグループでした。友達もいつも学校の昼休みには毎日みんなとグラウンドで遊び、学校が終わればいつもの奴らとゲームしたりサッカーをしたりして遊んでいました。
ただ、
いつからか運動は部活を始めると自分以上にできる人間がたくさんいることに気づきました、自分がやせ形な体質で太らない、筋肉がつかないこともあり周りとの差がどんどん開いていくのを感じました。いくら練習を積んでも埋まらない差に毎日悔しさを感じる日々を過ごすようになりました。
いつからか自分はみんなとそれなりに仲は良くても特定のメンバーで遊んでいるわけではなくその場にいる人間となあなあの関係になっていることに気づきました、いつもの奴らは別の知らないいつもの奴らと遊んでいました、周りを見るといつも同じメンツで遊んでいる仲のよさそうなグループ達があり、そこに自分1人だけ浮いているような感覚を覚えては空虚さを感じる日々を過ごすようになりました。
自分は朝が苦手でした、毎朝遅刻しては教師に「そんなんじゃ社会でやっていけないぞ。」という言葉を鼻で笑っていました。自分には謎の自信があったのです、他人より優れているのになぜそんなことを気にしなければいけないのかと、その気になれば平気でやっていけると本気で思っていました。
実際はみんなが当たり前のようにできていることをできていないだけのただの劣等生ということを自分は知ろうとしませんでした。今思えばただ目をそらしていただけでした、やろうとしてできていないことをやっていないだけと自分の都合のいいように解釈して、後回しにして逃げていただけでした。
やりたいことも無く漠然と用意されたレールの上をなるべく楽なほうへと進んできた自分は社会に出て気づきました。自分は落ちこぼれだと。
あまりに遅すぎました、会社では当たり前のことで叱られる毎日が過ぎ自らの首を過去の自分の過ちが締めるような日々が続きます。疲れて帰った先には疲れをいやしてくれる趣味も無く、労ってくれる友も無く、ただ周りに迷惑をかけ足を引っ張る自分がいて、自分が勝手に立ち、周りを見下していた台は張りぼてで出来ていました。本当の自分の立ち位置に気づいた頃には周りに手を伸ばそうにもとっくに届かないほどの差ができていました。
ずっちゃんに関する愚痴です。殴り書きです。ファンの方は見ないでください。
まず最初に謝ります。こう思ってしまう心が狭くて醜い自分を許してください。
ドレシが神アイドルになるための修行ツアー?は?いつまでプリパラにしがみついてるのみっともない
i☆Risはチャンに出てるキャストもいるのに今でも一人だけプリパラプリパラうるさいし、何より私メルスタ、そしてさらが好きなんだよ。わかちーにはもっとさらをやってもらいたいのにそれを奪わないでほしい。
そもそもゴッドアイドルって1つのゴールを迎えたのにまだドレシは神アイドル目指してるんで!まだまだドレシはやれることあるんだよ!っていうのがすごくムカつく。プリパラの中でも特にアイパラ推しなので。パパラ宿のアイドルにとって神アイドルに匹敵する称号を手に入れておきながらなんでそんなことが言えるの?
らぁらを助けるための特別措置としてマイドリがゴッドアイドルになることだってありえたのに何とかドレシを神アイドルにしたい、ってスタッフの思いとかファンの思いもあってGet over Dress-codeの素晴らしいライブがやれてゴッドアイドルになれたんだろうに
それを蔑ろにしてるとは言わなくても軽く扱われてることがすっごくムカつく。アイパラのラストが本当にこれまでのプリパラの集大成みたいな感じで好きだから。ドレシは神アイドルを目指してるんで!って言われるたびにゴッドアイドルになったこと、ひいてはアイパラのラスト、プリパラのラストをなかったことにされたみたいですごく悲しいしムカつく。
今のずっちゃんはみんなの応援のおかげでゴッドアイドルになれましたありがとうとか絶対言わないんだろうな
申し訳ないけどずっちゃん、自分の出番というか仕事がなくてそういうのを増やすためにドロシーとかプリパラにしがみついてるように見えるんだわ。そしてそのためにプリパラを利用しようとしてるように見えてしまう。それがマジでムカつく
ドロシーは何してもドロシーだから、で許されるけどあなたが何しても許されるとか思うなよ。
みゆたんがブログでそらみも新曲欲しいなーって控えめに言ったのに対してドレシを神アイドルに!ってうるさすぎる
ツアーで総選挙1位になりたいんです!って朗読中にドロシーが土下座するのめっちゃ解釈違いだし何より山北シオンにも土下座させたの本当に無理だったし、事あるごとにドレシに投票を〜っていうのも本当に無理だった。
私の中ではドロシーだったら当然みんなはドレシに投票するよね〜?って煽るように言うタイプで票欲しさに土下座するタイプじゃないし、プリパラのメインキャストとしてドロシーとしてはああ言いつつもみんな推しのユニットに投票していいんだからね!とか推しユニットに投票してプリパラを盛り上げてね!ぐらい言って欲しかった
ノンシュガーが1位になったときもひみたすはのんおめでとうって祝ってあげたり他のキャストもそれぞれの順位を喜んでくれて投票ありがとうございますって言ってくれたのに一人だけ1位になれなかったことを悔しがって。さきさまもわかちーとの温度差が激しすぎて余計に目立つ
プリパラツアー千秋楽日、開演前に千秋楽関係者席で見るよー!ってツイートするのも???って感じだし千秋楽終わった後のツイートはステージに立ったキャストへの労いではなく千秋楽に出たかったとかやっぱりプリパラのステージにはi☆Risがいなきゃとかのツイート。もしかして伊達ちゃんの最後の挨拶の時に客席から舞台に上がりたかったんじゃないか。そのためにわざわざ開演前にツイートしたんじゃないかって勘繰ってしまった。千秋楽の主役はステージ上に立ってるみんなだよあなたじゃないよ。
ひみたすやさきさまがプリパラ千秋楽、みんなお疲れ様でした!ってツイートしてるのマジで見習ってほしい
次のパラチャン合同ライブで今のずっちゃんが現行のチャンのことを考えずにドレシを神アイドルに!って言ってるところを見たくない。頼むからランガちゃんの、プリチャンの邪魔はしないでくれ。現行のプリティーシリーズはプリチャンなのにプリパラアイドルが立てるのはファンの応援とかプリティーシリーズ10周年があるからそれを見据えて、だろうにプリパラはまだまだ現役です!みたいな顔でステージに立たないでほしい。
例えもしプリパラに続きがあるとしてもそれはパパラ宿が舞台のアイパラの続きであったりWITHやダンプリのスピンオフであったりガァルマゲやトリコロールの外伝、パラ宿次世代アイドルのノンシュガーであるべきでしょ。神アイドルやゴッドアイドルになったそらみドレシの続きが作られたらチャンどころじゃなく他のプリパラアイドルたち、特にアイパラ主人公ユニットのマイドリなんて立つ瀬がないよ。
続きを作るのであれば1つのゴールを迎えたユニットじゃなくてまだゴールを迎えてないユニットであるべきだと思う。それぞれのユニットがどんなゴールを迎えるのか見たいんだ。WITHに至ってはゴールどころかスタートだって見えてない。ちゃんと各ユニットとしてのスタート、そしてそのゴールを見届けたい。それなのにドレシはスタートからゴールまでがちゃんと用意されておいてまだ寄越せっていうの?それどころか今のずっちゃんだと絶対ドレシが神アイドルになってもさらに続きを〜とか言い出しそう。勘弁してくれ。
エヴァゴなんて最終話でやっとチームが組めたのに丸ちゃんはツアー中エヴァゴのメンバーとしてではなくソロでしゅうかとしてステージに立ってるんだぞ。最終話でユニットがスタートしたしゅうかを前にしてどうしてまだ寄越せなんて言えるの?
今のずっちゃん、ドレシ、ドロシー、そして自分のことしか見えてないのが本当に無理。プリパラの他のユニットやプリチャンのことを考えて発言してるとは思えなさすぎる。
2017ウィンターライブの最後の挨拶で最初はi☆Risだけだったプリパラがこんなに大きくなって…って泣いたり2018オータムやプリティーライブでみんなの応援のおかげでゴッドアイドルになれたよありがとうー!って言ってくれたずっちゃんはどこに行ったんだろう。
もし仮にドレシが神アイドルになるまでをアニメでやるとしてもプリパラのことが好きだから見ちゃうし見たら見たでドレシ神アイドルおめでとう〜!って言っちゃうとは思う。でも今のずっちゃんにはやって欲しくない。そしてダンプリスピンオフがあるとしたらレオナと一緒にドロシーもダンプリに行って双子の絆を見せつけてほしかったけど、今のずっちゃんが演じるならドロシーには絶対にダンプリに行ってほしくない。ダンプリスピンオフのライブがあったときにドレシ、ドロシーがメインみたいな顔でステージに立ってほしくなさすぎる
何より一つの区切りを迎えた作品にいつまでもしがみついてるように見えるのが本当にみっともない。あなたのはもう、言えば叶うってレベルじゃないよ。いつまで過去に縋ってるんだろう。
こう思ってしまう心が狭くて嫉妬深くて醜い自分を許してください。こんな自分じゃみーんなともだちみーんなアイドルのプリパラにふさわしくないね本当に