はてなキーワード: リスペクトとは
検査検査検査検査、マスクは意味がない、集会は国家権力を使っててでも蹴散らせ、補償補償補償補償!
って喚いてた先進国、ぜーんぶ致死率で言ったら遙かに上じゃねえか。
安倍政権が100点満点中60点くらいだとしたら、お前ら5点以下だぞ。
特にニューヨーク、お前は-70点だ。アホどもにどんだけリスペクトされたって、州知事が空前絶後の間抜け野郎な事実は変わらない。
韓国くらいじゃね? この件でドヤれるのって。
それでも現時点の致死率、日本の倍だけど。
※なお、台湾は別格
20年以上彼のラジオを聞いているリスナーからしたら「何を今更」だろうが、テレビでのファニーな岡村隆史像しか知らない人にはショックな発言だったろう。
まあ確かにあの発言だけ見ればど畜生の戯言だし、「女性の敵となるにはどうすればいいか」という設問に対する模範解答のような配慮もクソもない独身おじさんの汚い部分を詰め込んだ究極の失言。ある程度コンプライアンスがゆるいラジオだからって許されるわけではない失言中の失言である。
ただひとつだけ気になっていることがあって、それは「今回の件を批判的に叩いている女性の中に風俗業界を下に見ている人がいるのではないか?」ということ。
49歳独身の岡村隆史が風俗にお世話になっていることはラジオを中心に常に公言しているし、ラジオの中でも風俗で働いている女性に電話をつないで会話をするというコーナーを設けるほどの風俗好きだ。風俗嬢に対してのマナーや気遣いも常にリスナーに喚起しており、風俗業界に対するリスペクトや貢献度はかなり高いものと言える。だけど岡村隆史への個人攻撃以上に叩いている人は風俗に対して良くない目を持っているのではないでしょうか?
ここで考える。風俗業界からするとどちらが敵なのだろう?前述した通り間違いなく岡村の発言は女性の敵なのだが、風俗で働く女性にとっては彼は敵なのだろうか?望まぬ理由で風俗で働かざるを得ない人にとっては「ふざけるな」だろうが、ちょっと一旦、風俗業界からの声を聞いてみたいところではある。
もう一度言う。これは岡村隆史擁護目的で書いたのではないし、もちろん女性軽視のような目的でもない。ただ女性という立場は一枚岩ではないと思うので投げかけてみる。どうなんでしょう?
某がクラウドファンディングを始めたね。
いつかはそうなる気がしてたよ。
でもさ、「舞台を救え」って、具体的にどうするか分かってるのかな?
配信サイト立ち上げるって云っても、劇場使えない限りは新規の舞台出来ないじゃん。
配信番組やるっていったらそれもう「舞台」じゃないじゃん。「映像」じゃん。
志は素晴らしいと思うよ。
でも「舞台界の代表としてお金募ります!」って謳っておいて、実際蓋を開けたら「人気者の力で新しいビジネス始めます!」ってならないよね?
何も実態がないのに盲目的に応援しようとしてる人見て不安になる。
演劇って観客の想像力で完成する娯楽だと思ってたから、提供した金がどこに行くのかちゃんと判断できる客層だと思ってたよ。
客が体の良いパトロンと化してるところ見ると、提供されてる娯楽の程度も知れてるなと思う。
友人に誘われた某大人気舞台、私の思ってた演劇じゃなくて乙女向けイケメンショーで観てるの辛くて絶望した時のことを思い出したよ。この演劇に推し作品の冠が付いてるのがマジで嫌すぎて全力で目を逸らしたね。(話が逸れた)
テニ●ュとか、2.5でも好きな舞台はあったけど、最近の何でもかんでも舞台ビジネスにして、人気キャラを演じれば自然と俳優が持ち上げられる感じが、原作原理主義オタク的にはとても気持ち悪いし、オタクが嫌ってる実写映像化と大差無くなってきてるなと思う。
原作リスペクトって云えば何でも許されると思うなよ、私物化してんじゃねーよと思う。
私はオタクだから原作好きの視点からしか語れないけど、演劇の人はどう思ってんだろうな。
少なくとも私は前述の舞台を観て「今の演劇ってつまんねーな」という感想になりました。
結局、今回のクラウドファンディングも、今2.5で幅聞かせてるドンがお気に入りの俳優と一部のクリエイター囲って守って、今後は限られた人しか2.5舞台作れない仕組みになってくんだろうね。
今回の協力会社見てたら一目瞭然でしょ。一番立場弱い小規模の制作会社ひとっつもないし。
ついに2.5もTHE芸能のヤクザ文化になってしまった感があるわ。
元から歪んできてるなと思ってたけど、この件で更に人を選ぶ感じの文化になってきてるなと思った。
何か、やるならちゃんとやってほしいし、ちゃんとやらないなら金輪際わたしの好きな原作が舞台化しないことを願います。
顔にモザイクがかかっているとすごく抜ける事に気がついた。いや、逆か、顔にモザイクがかかっていないと抜くことが難しい。
多分だけど、顔にモザイクがかかっていることで自分の頭で無意識にそのコスプレ元キャラを想像してるんだと思う。それが顔にモザイクがかかってない事で女優の方に注目してしまい、結果抜けない。
時間はたっぷりあるのでいろいろDMMとGetchu.comのサンプルを見ながら抜いてみたんだけど、基本やっぱりGetchu.comの同人のほうモザイク率多いこともあって抜ける。
ちなみに全体的な結果だが
顔に薄くて鼻や目が分かる程度のモザイク:メガネを外してセルフモザイクにすることで抜ける
顔にメガネでモザイクなし(メガネキャラ物):抜ける メガネをかけることがそのキャラの重要ファクターからだろうか
顔にメガネでモザイクなし(非メガネキャラ物):抜くことが難しい
モザイク一切なし:抜くことが難しい
基本は初○ミク(数が多くキャラのパーソナリティが薄い)、艦○れ系(同人にかなり多い)を中心にしたが、FG○と東○系も数がかなり多いのでレパートリーを増やすために少し触ってみるのもいいかと思った。
あとDMMでは艦○れ系が一切ないの徹底しているなと思った。
またサンプルに「製品版ではモザイクが薄くなる」とか「なくなります」って書いてあるのはこの論に気がついてから「余計な事だな…」と思ってしまうようになった。(昔は興奮してた気がする)
(追記)
なんか結構反応あって笑った。
一応そういう片鱗は1月ぐらいから現れていて、お気に入りの同人シリーズにkanojo_doriって奴があって、ファンティアで500円の支援もさせてもらってるんだけど、ある日いきなり「いつも応援ありがとうございます」のメッセージと共に鼻から下を❤のスタンプで隠した写真を送ってきたときにスッとそのシリーズへの執着がなくなったんだよね。
でもチョイスするコスプレに傾向がなく(こういうのって作成者の趣味だから大体のコスプレ元が偏っている これは由々しき問題だとおもっているけど別の話)、いろいろなコスプレをしてくれるからずっと支援はさせてもらっている。ペル○ナ5の高○杏とか全然なかったのでそれを出した後からのファンです。
でも気づいたのは完全にコロナウイルスの影響が出たって事。こういう逆境において人は気づきを得やすい。
「自分でモザイクかけろ」「自動でモザイクかける方法ある」ってブコメも多分上記の事情から燃えがるような頂きを得ることは無理だと思う。自分は顔を知ってしまっているから。自分に嘘はつけないんだよね。
「非メガネキャラのメガネ」は増田書いた後調べた感じ誤りでした。FG○のマ○ュってキャラ、普段はメガネなんですね。メガネの有りなしではなくキャラへのリスペクトが足りなかったので原因は自分にあった。他責はだめでしたね。反省します。
顔面レベルの話は自分の顔面レベルが低いのでそういうことを思わないようにしているんだけど、たしかにパッケージの写真は映えてるから動画で落差を感じるときはあるかもしれない。でも基本顔面レベルは関係ないと思っている。
今まで注目してた感染症専門医のK先生、Twitterをやってないところに好感を持ってたんだけど、あっさり始めてしまった。
そして7人しかフォローしてないうちのひとりがI永なのを見て、あ、この人そっちの人なんだと思ってクソほど幻滅した。DU薬だのなんだのと、前からなんかちょっと苦手なタイプの人かもとうっすら感じていたけどこれで確定した。
もう以前と同じ目では見れない。リスペクトの感情は崩れ去った。いやしかし今まで十分に勉強させていただきました。いまや嫌悪の感情が強くなってしまったが、ありがとう、しかしさようならK先生。
倫理という難しい問題について認識がだいぶ違うんで、そこではなくて自己責任論者にリスペクトを、というところだけ補足する。
少ししか書いてないんで読み落されるとは思っていたが、自己責任論者が見知った他人の努力をどうこう言うのまでは反対していない。
ここな。
なぜなら、個人に視点を当てた時にその個人の努力などの要素が無視できるとは思っていないので。
けれども、見知らぬ他人、つまりその人の来歴など個人の視点で必要とされる情報が欠けている人にまで自己責任を言うのはおかしいと言っている。
うむ。構造主義者。
言ってることはわかるんだが、しかしやはり、全てを構造に結びつけてしまうことには警戒的であらねばならないと思うんだ。相対主義の泥沼に入り込んで、倫理が不可能となってしまうから。
つまりだな、努力しないことでコンビニ店員になってしまったフリーターより、東大を出た勤勉な官僚の方が、"倫理的に"優れていることは明白である。というより、明白でなければならないと思うんだな。
自己責任論を発露する人々っていうのは、倫理観を発露している人々な訳。
そこにだな、コンビニ店員が出てくるのは構造的問題であるからコンビニ店員に責任はないよ、という話を主張しにくる。わかるよ。俺も同じこと言ってたことあるし。けどそれを言ってた頃の俺はまさに文系大学卒業した後、コンビニ店員のフリーターをやっていたりしたんだよな。
俺は果たして、大学時代の知識を生かして正しく社会構造に関する知識を語っていたのか? それとも我が身可愛さに倫理的責任を回避していたのか?
ここでは仮に、俺は倫理的責任を回避していたクソ野郎だとする。ではこの時、俺が東大卒官僚だったら、俺の社会構造に関する主張は責任回避のクソ主張ではなくてったのか? 主張する人間の属性で構造主義ってのは、倫理的な正誤の大小が変わるの?
お前は一生懸命「個人の責任は別だよ」と言っているけれども、結局のところ、それは原理的に別に扱うことができないのだと思う。
お前が構造主義を主張し、自己責任論に唾を吐く時、やはりお前は個人の努力と責任にも唾棄しているのだ。その事にはやはり警戒的でなければならない。
自己責任論者は、そりゃ社会科学に対する知識が足りてないのかもしれん。でも我々は社会科学に詳しいんだから、自己責任論者にもまたリスペクトを振り分けねばならんだろう。
アーティスト界隈と言えばいいのだろうか。ロックバンド、DJ、ラッパーなど最近目につくtweetが多い。首相に親でも殺されたのかの如く怒り狂う人の多いこと。正直理解できない。(冷笑系と言われるのだろうけど)選挙で示せばいいのだから。
補償しろのオンパレードしかこの界隈からは聞こえない。お肉券、お魚券を烈火のように批判したあなたたちが言えることか。なぜ私たちもと言えないのか。お肉もお魚も大事だよね、音楽も大事だから考えて欲しい。となぜ言えないのか。自分たちを先に補償しろ、芸術を蔑ろにする気か、芸術の理解が乏しい日本国民らしいといった聞いていて悲しくなる声ばかりだった。何様のつもりなのか。芸術をやっているから偉い、一般国民とは格が違い守られるべき存在だ。そのようにしか聞こえなかった。職業に貴賤なし。これがわからないのかな。普段差別はいけないと言っているアーティストが率先して差別をしている。たかが電気と罵った人を担いで運動をしている時点で救いようがないのだが。芸術にリスペクトがないとか言っている人もいたがそももそもあなたたちが自分たち以外リスペクトしていないだろ。してたらお肉もお魚もマスクもあんなにギャーギャー言わないだろう。リスペクトされて当然、国のお金で補償されて当然、そんな気持ちが透けて見える。リスペクトされたいならリスペクトしろ。そんな単純なこともわからないのかなアーティスト界隈は。自分たちが特別って思いすぎ。あとオリンピック中止を叫ぶアーティストもいるがオリンピックのために頑張ってきたアスリートの気持ちがわからないのかな。今ライブができない状態で辛いのになぜ同じ境遇にしたがるのか。人一倍オリンピックが中止になった時のアスリートの気持ちがわかるはずなのに。そういうとこだと思うまじで。自分たちの周りの世界が全てじゃない。物事にはそれに関わっている人、それのために頑張っている人、それを仕事にしている人といった様々な人が関わっている。簡単に辞めろとか中止とか冷静に考えてみれば言えないと思うけどなー。
あとふと見たtweetに大変納得した。
反体制の体制下。アーティスト界隈を如実に表していると思う。普段この界隈は日本人は同調圧力がすごいとか言っているが、あんたらこそあんたらが言う日本人そのものではないか。付和雷同に反体制きどりやがって。だせーよ。はっきり言って異常だと思う。すごい数のアーティストがいて体制側のアーティストが少ないこと。それこそ反体制だと思うけどなー…。アーティスト界隈の空気を読まずに憲法改正を胸はって主張する。そうした人がいないのが何よりの証拠だと思う。端からみたら異常だよ、あの界隈。星野源の騒動から強くそう感じた。
別に反体制でもいいけどその数が多すぎるよ。多様性とかうたってる割に思想の多様性が皆無。どんなギャグだよ。
コロナ騒動によってアーティスト界隈の人としての醜さ、汚さがはっきりとわかった。
そういう私はロックもヒップホップも好きなのでこれからも聞き続けるだろう。人として尊敬できない人は多いが聞き続けるだろう。音楽はかっこいいから。それ以上に勝る理由はないだろう。
初めて誰かに読んでもらうために自発的に書いた文章が、数ヶ月前に増田で1000ブクマを超えた。それまでに書いた増田なんて本当にくだらないダジャレとかしょーもない愚痴で、自分が書いて満足、反応なんか気にしない、だった。しかしこのときは読んでもらいたいものを読んでもらえた、しかも反応を多数貰えたことで、脳汁が出っぱなしだった。書いた次の日はウカレポンチになって仕事でミスしてちょっとへこんだ。
なぜ初めての文章を増田に投稿したかというと、単純に増田が好きだったからだ。特に「人生に物語は要らない」とか「毎朝、立ち食いコロッケそばを食べている」が気に入ってる。ではなぜ人生に物語はある、なんてタイトルにしたか?それは最後の一文を「人生に物語はある」として、リスペクトを伝えたいからだ。
今まで27年間生きてきて、そろそろ28歳。自発的になにかをしたことはほとんど無かったと思う。なんとなく地元の高校、大学進学、中退からの工場勤務だ。物語は要らない人の、波乱万丈な人生とは大違いで、波風が立たないような生活をしていた。そもそも「やりたいこと」が無いのだ。そんな状態で、暇で暇でしょうがなくて始めたのが「文章を書くこと」だ。
元々文章を読むことは好きだった。昔の柿の種のパッケージに書いてあったけなげ組とか、国語の教科書を読むことは自発的にやっていた。もうちょっと賢かったら図書館に通い詰めるくらいのことは思いついただろう。ともかく、一番身近にあったのが文章だったのだ。書きたいことを書いて終わり。初めて自発的に書いた文章はせいぜい400字くらい。盛大な独りよがりの愚痴だった。勢いで投稿したので増田にも残ってるが、ブクマは0だ。当然だ、シンプルに読みにくい。
でもこれが楽しかったのだ。1ヶ月もしないうちに、2000字3000字と書けるようになっていた。自分の文章を読み返して違うと思ったら書き直すクセもついた。推敲って奴だ。何となくで使っていたワードもきちんと意味を調べるようになり、ちょっとずつ読み返しても「ちゃんとかけてる」文章が書けるようになっていた。誰にも見せない文章を、とにかくたくさん書いていた。
やがて、人に読んでもらいたいという感情が出てきて、起承転結などのテクニック論を調べたりもした。3000字などと勢いで書いた文章は、7割くらいが無駄な脇道、枝葉末節であることが見えてきた。細かい表現の推敲ではなく、段落ごとバッサリ削ることを覚えたのだ。文章を書くようになった経緯、文章を書くのに完全にハマったタイミング、読んでもらいたいと思ったきっかけ。その「物語」を、たしか2000字くらい書いたと思う。それをバッサリ切って800字にした。昔イヤイヤ書いていた文章と同じ量だ。それと繋げて、ちょっとカッコつけたポエムも付けて投稿したのを覚えている。寝て起きてから、300くらいブクマがついててめちゃくちゃ嬉しかったのを覚えている。コメントも全部読んで、褒めてくれるコメントは当然全部嬉しいし、狙った表現が「書きなれている人のそれだから信じがたい」とか「ライター志望のワナビだろ」などとされていたことも少し嬉しく思った。1000を超えたのを確認したあたりで、ちょっと何かが起きてると思った。ひょっとしたら、私の才能が開花したのではないかと。
当然ながら、そんなことはなかった。私は物語は要らない人のように、物語のような人生を送っては居ないのだ。ただのやる気のない、死んでいないだけのゾンビに近い存在だ。自叙伝が物語になる、そんな面白い人がたどり着いた結論を、覆すものなど持っていない。ということは創作するしかないのだけれど、そもそも私は「やりたいことがない」のだ。創りたい世界だって無い。8000字くらいは書いたが、削ると800字まで痩せるハリボテの文章だ。身の回り半径5mのことしか書けない人間が、自分の身を動かさずに書けるものなど、独りよがりの愚痴くらいなものだ。作品と言えるものなど書けず、始める前に挫折した。私には2ページと1行がお似合いだ。
だが、これは1つの、「一人の人間が自発的に文章を書こうと思って挫折する物語」なのだ。初めての自発的な「やってみたいこと」を、中途半端に辞めた人間の物語だ。そんな物語を、私は、文章を書く最後の日に書いてみた。
これはリスペクト先への反例にはなっていない。そもそも「あるかないか」と「要不要」は関係がない。だからこれは、反論でもない。
だと思う。今はほぼ書いてないが。話題になっていたらしいので読んでみた。
一言で言えば原作と他人の二次創作は切り離した方が精神的にはいいと思います。
それは解釈の問題だったり自分の力量が関わっていますが、自分が書く推しと原作の推しがはっきりと乖離してる自覚があります。
ではなんでキャラ改悪二次創作が生まれるのか、自分の思ったことを書いてみる。
真面目に二次創作してる人はイラっとくるかもしれない。あくまで偏った個人の意見です。あと腐視点。
・あるシチュエーション・要素が好きで好きで仕方ない
・他に書きたいものがあっても原作の設定を間借りすることに意味がある
1つ目は性癖の問題。どのカップリングに行っても、必ずあてはめるシチュエーションがある人はいると思う。
きっと元記事の筆者は、好きな要素を優先させるより原作考察から発展した二次創作が読みたいのだろう。
だがこの世には萌え先行というタイプがいる。とりあえず好きなものに好きな推しを足し算して萌える。原作に馴染ませようとする人から、最悪辻褄が合わなくても萌えれば正義な人まで様々。
どちらが支持集めるかは、正直タイプに関係ない気がする。二次創作者は考察してるつもりでも読者の捉え方と一致するとは限らない。
そして読者は全員が全員原作を考察しているとはいえないと割り切った方がいいと思った。
私は推しが自分好みのことしてくれるだけで興奮するので、それを書いている。ここの捏造が原型を留めていないと改悪と呼ばれるのだろう。
改悪とわかっているのに書く理由は、「そこに原作があるから」だ。
2つ目はそもそも原作を下敷きにしたIFが見たくてやっている。これが原作の否定に見えるかもしれない。
IFといっても、これも考え方が色々だ。公式でないカップリングの存在自体がIFだとか、そもそも原作以外はIFとみなすこともできる。
現パロやオメガバース、女体化など世界観ごと置き換えるパラレルから、「もしもAじゃなくてBを選んでいたら」レベルも全部IFだ。
たまに根幹を守ったままIFに落し込む作品に出会えると感動もひとしおだ。脱線した。
元記事によると界隈では原作設定を無視したパラレル設定が流行したということだろう。それをまるでA×Bの本流みたいにされると違和感がある気持ちはわかる。
ではなぜそれが流行るのか。それは書いた人がめちゃくちゃ文章が上手い人なのかもしれないし、単に大手の人の性癖に刺さって拡散されたからかもしれない。
でも極端な話、「このキャラがこんなことする訳ない!」という話は「絶対に原作じゃやってくれないこと」だ。
ギャップ萌えといえば聞こえがいいか。怖いものみたさかもしれないが。
それらは原作があってこそ「ありえない」と感じられる。その「ありえなさ」に説得力や文章力がついて面白かったりすると、ある種のIFとして読めてしまう。
最初は「○○さん次元のA×B」と消費していたつもりが、あまりに斬新だったり強烈だと侵食されてしまうこともしばしば。
他人の解釈に影響されやすい人って意外といると思うんですがどうだろう。
こんな風に原作を踏み台にして、二次創作が前面に出ていることが「リスペクト不足」にみえているのではないか。
それは…書いている本人にしかわからない。ヤバめな欲求だって表に出さなければ、普通の原動力だ。
諦めるぐらいなら二次創作するなという意見もあると思う。まっとうな正論だ。
まず、よっぽどの上手い人じゃないと一次創作で書いても人に見てもらえない。
一次創作に持ち出すとして、設定はどこまで寄せたらパクリになる?見た目?世界観は?
それに二次創作でついたフォロワーを失いたくないという人もいるだろう。二次創作を求められたらどんなに歪んでいても「推し」を書くことでしか界隈にいられなかったりする。
最初は原作の推しが好きだったけど、だんだん自分の欲望を優先させたくなった人もいてもおかしくない。
というか三次創作まで発展してしまうような影響力がある人のことは全然わかりません。それを持ち上げる人のこともわかりません。
交流がとても楽しくてそっちの方が本音だったり、推しを改変することに生き甲斐を覚える人なのかもしれないし、あるいは本気で原作に沿ってると確信して書いているのかもしれない。
正しい推しより原型のない萌え、原作よりキャラ改悪が支持される界隈。
それはつまり仲間内で騒ぐ燃料として、その人の二次創作が選ばれただけです。
正直良さはわからないけど、この二次創作いいね!と言っておかないと輪に入れない。本気で面白い解釈だと思っている。三次創作を通してさらに仲良くなりたい。なんか流行っているから乗ってみた。
推しカプが好きという名目で集まっているけど、その内実は人それぞれ。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いってことですよね。考えすぎです。界隈のとばっちりです。
大体元ネタがある創作をインターネットに上げて、それに賛同するのって不思議な現象ですよ。
あんなIFが見たい。推しを書いて人に求められたい。同志で仲良く萌え語りしたい。書きたいものが書きたい。
表では言わないけど原作への尊敬だけが創作の原動力ではない人ばかりだと勝手に思っています。
リスペクトゆえに言えないけど、本当は自分の書いた推しが原作より好き。むしろ原作より面白いものが書ける自信がある…人もいるかもしれない。
とにかく共通設定が守られている(と作者が考える)だけで『二次創作』でくくれるって中々乱暴で懐広いですね。すごい。
また話がズレた。
そこまで考え込んでしまうなら、二次創作は等しく人形遊びの発表で交流ツールだと思ってみるのはいかがでしょうか。
原作にまで悪影響を及ぼしているなら、尚更二次創作を切り離して同姓同名の別人だと見切り付けるべきです。
リスペクトしたら面白くて萌えるものになるとは限らない。していなくても読者は萌えるときがある。そんなもの。
創作者の方々、原作からわざとキャラを改変させている際は注意書きを忘れずにしていただきたいです。
なぜなら、キャラ崩壊が性癖なんです!!!大好物なんです!!!
だからMU-TONさん
だけどこの汚れもいずれおれになる
MU-TONさん、ばっちりカマそうぜ東北
ダッセぇみたいな顔してるし 「ダッサ」て言うんでしょ?
だけどおれはあんたのことカッケェて思うよ
まさかおれが決勝に行くなんて誰も思ってないでしょ?
いつもぶっつけ本番
みんな大好きでしょ?無修正動画
【MU-TON】
おれが狂ったのはあいつらのせいだ
お前のこと認めてるぜ
やらせなかった罪は重いぜ
ラストのUMB
守んなきゃ 華が咲いた
いらねぇ奴なら切らねえ
首ならいらねぇ
その眼まなこ 瞳 蒼いね
澄んでる目だ おれは死んだ魚
曇った目ん玉で何を見れるか
お前の目は光ってる お前の目におれが映る
それが刀だ you know?
刀 そいつも錆びちまってる
バッチリカマそうぜ
侍 だからこの佇まい
誰よりも危ない サプライズ
ノリだけで詰まってねえんだよ
メッセージ内容!
【MU-TON】
そんじゃ見せてやるよ
だって一番目立っちゃってんもんな
最後 「あー」って顔してる
それやんなよ 自分で諦めたのと一緒じゃねぇか
dopeだぜ おれはdopeだぜ
お前のおふざけ これはjobだぜ
ただ逃げるだけ 握るMIC
また「あー」って顔した
2回目 やめとけ
closet 暮らそうぜ
classicで暮らそうぜ
音のなる方へ 音のなる方へ
せっかくなのでなんか書いてみる。ツラツラと
僕が昨日見た夢の話、ほどツマラナイものはない、聞かされる方は時間の無駄。
面白くない理由はリアリティがなく属人性の強いフィクションだからで。
現実に遭遇した出来事をわざわざ「夢で見たんだけど」とマクラ付けて披露するとウケ無い。
逆に夢で見た話をさも現実のように語る人もいるが、そこそこウケる。
百冊のサスペンス本の感想文よりも、実生活でヤクザに追いかけられて逃げ延びた話の方が面白い
ヒューマンドキュメンタリー映画を何本も見るよりも自分の足で途上国のスラム街を歩きなにを感じたか自分の経験を自分の口で語れる人間の方がかっこいい。
なにが言いたいかって、なんとなく増田の経験力不足を感じるんだわ。
真面目な人なんだろうけど。
なにを経験すべきか、あるいは自分の人生には無用だと排除してしまう線引が厳しいような。
好奇心はあってもリスク評価で行動が抑制されちゃう人。みたいな。
この人もっと知りたい、とか
この人は頼れそう、みたいなオーラも醸し出せない。
そこいらを見直してみてはどうだろうか。
いわゆる殻を破る
ともかく、なんかわからんが、
綺麗に生きようとしてんじゃねぇよ
と言いたい
まぁでも頑張れ
女に振られたくらいでいじけるな
あと、話に困った時は「目玉焼きは醤油?ソース?」みたいなのでいいんだよ。難しく考えるな。
ともかく、普遍的に話が繋がりやすい定番ネタみたいなのを自分の中で一つ持っとくと良い。
同じネタでも何十回もやってりゃ慣れてパターン化して磨かれてくる。
繰り返せば、どのタイミングで挿入するか、どうやって話を広げるか、どういう応答する人と相性が良さそうかとか、ノウハウが見えてくる。
ビートたけしだって困った時はいまだにコマネチ、半世紀やってる。
三谷幸喜好きみたいけど、彼はバナナで30年だ。いいんだよそれで
エラソーで悪いけど、思ったことを書いてみたよ。とりとめなく、
でも目玉焼きは使うなよ、俺のだから。20年使ってんだ。特許料払え
ちなみに三谷幸喜とバナナと言えば俺の記憶で一番古いのはやっぱり猫が好き、なんだが、念の為に調べたらバナナの話は三谷作じゃねぇのな。いや、別の話でバナナ使ってたハズ、確か耳にバナナ、少なくとも次作、子供欲しいね、でもバナナを使ってた。ハズ。たぶん。三谷は困った時はバナナに頼る。
「やっぱり猫が好き」ファーストシーズン当時既に童貞ではなかった人の話だから許してくれ。
まとめると
出会った相手をリスペクトして、誠実に接して、見返りや同質は求めず、そうやって生きてりゃいいこともある
しらんけど、たぶん。人生楽しめ
コロナウイルスという未知のウイルスによって世間は脅威にさらされ、それは日常を送る私たちの生活をじわじわと影響している。
特に、小さな子をお持ちの家庭ではかなりセンシティブなテーマであると思う。
私は、保育園で働いていた。
なにかと話題にあがるように、当たり前ながら過酷な現場で、自らの目で見て手で触れながら援助していく優しいイメージがあるが、それ以上の戦場であることをとりあえずご理解いただきたい。
私は認可園で仕事をしていたが、例に漏れず人手不足、人間関係のよろしくなさ、それらによるプレッシャーなどなどでついに体調を崩し、休職となった。あまり細かいことを書いてしまうと個人や園特定につながるので黙っておくが、上司に「もう私は身体が動かない、どんなに頑張ってももう無理だ。もう頑張れない」との電話をした時に、「メンバーはお前だけじゃない。俺は他のメンバーも守らなくちゃいけない立場にある。」とひとこと言われて電話を切られたことだけは忘れられない。
愚痴のようで申し訳ないが、休職中は、逃げてしまった、子どもたちはどうしているか?メンバーは?などなど諸々の負の感情に見舞われてしんどかった。同時に、今ここで自分と向き合わねばとも思った。保育のどの点が大変だったかここであげていく。
*シフト勤務
保育園はシフトで回ってる。園にもよるけど病院付属のとこなんかは夜勤もあったりする。
このシフトが鬼。
早ければ6時半出勤〜とか、遅ければ21時22時までのオーダーもあったりするから、とにかく生活がガタガタになる。体力何よりも大事。体育会系が重宝されるのはこれ。
不規則なシフト勤務でなにが崩れるかというと、自律神経である。
お天道様が登って起きて、沈んだら寝るのが生き物なんだけど、その常識がいとも簡単に崩れてゆく。
さらに保育園では入園、運動会、発表会遠足、卒園、行事というものがあり、それによって早起きや遅くまでの準備が必要となり、よけいに自律神経はダメになる。
自律神経が壊れると、風邪をひきやすくなり、治りにくくなり、もともとあった持病がヌッと顔を出してくるほか、放置していると確実にメンタルを壊しにかかってくる。そうすると大変だ。
わたしからは体力増強に努めよとしか言うことができない。そのくらいどうしようもない問題だ。
*人との関わり
尋常じゃなく人と関わる。子どもはもちろん、その親御さん、それだけならまだいいが、同僚(同じ保育士だけじゃなく、栄養士さんや看護師さん、たくさんの専門職が集まってチームで仕事をしている)。目まぐるしいくらい色々な人と話し続けて相手の思惑を慮り、時には意見が衝突することもあるし、衝突したらしたで絶対折れない人多いし、なぜか存在がデカくてべつになんにもいいことしてないのにみんなからリスペクトされてる人とかとにかく色々強いのがいる。
どの人ともそうだが合う合わないあって、合わなかったらサイアク。どこかでガス抜きして自分の色を出していくしかないし、それすらも許されなかった場合やる気を失う。
子どものためにみんな一生懸命で、気持ちがぶつかるのはわかるが、結局ただのケンカになっていたり。
専門職は免許を手にした時から専門職だから、たとえペーペーだろうとベテランだろうとみんな持論を持ってるし結局は誇りを持って現場にいる。そういう人たちと共闘していくにあたって、心が折れてしまうようだと、なかなか長く続けてくのは難しい気がする。
大きい園だと人の出入りが多くて目が回ってしまう人もいるだろう。それはそれぞれのコミュ力によると思うが、出る杭になって打たれてしまうようだと悲しいかなそこでは難しい気がする。
とにかく感情労働というやつなので、笑ったり泣いたり、いろんな人としての感情にとんでもなく自分の心がついていって処理しないといけないので、ほんとうに疲れる。特に0〜2歳くらいの子たちは1秒後には想像もつかない行動に出るし、自我がすごいので、ひとつひとつに付き合っていかないといけないのだが、1日終わると魂が抜けている。時々わけもなく涙が出てくるようになったら赤信号かもしれない。そのくらい感情の暴力に見舞われる。
あとすごく怒る親御さんに当たるとつらい。今の世の中慌ただしいので小さなことにこだわり、細かく見てくる保護者もたくさんいる。
忙しい世の中だから、家族はせめて家では楽しく過ごしたいので、そのぶんの鬱憤が園にぶつけられることも多い。特に子どもの甘えとか、イライラや自我を受け止めるのはかなり心にくる。ひとりでそれを受けるのは人間どんな強い精神を持ってても無理なので、保育園はチームで動いている。チームの中で大切なのは思いやり。これがないと現場は崩壊する。だから人間関係が大事で、ちょっとでもうまくいかないと思いやりが伝わり合わず、とんでもないことになる。
何点か大変だったなぁというポイント?をあげてみたものの、これには個人差もあるし一概には言えないと思う。ネガティブな要素がたくさんある中でも、そこからパワーが湧いてくる…くらいの人は、保育をずっと続けられると思う(そういう人間が本当に存在するのかはナゾだが)。しんどいけど負けないぞという強さがある人にも向いている。そういう人たちは続くと思うし、現に長くやってる人は強さがある。
あとギャランティの問題も早急に解決してもらいたい問題だ。改善はしているが、諸々の責任の重さについて対応する値打がまだ充分に付けられていない。
いろんな現場があって、小さな赤ちゃんから入学前の幼児さんがいるような大きな園はとにかく目まぐるしくて、迅速な判断と行動が求められるし、最前線だから人手も足りないし常に忙しい。逆に、小規模で乳児さんまでの園だと、少ない人数をしっかり見られたりして、ゆったりのびのび保育できる現場もある。(ここも保証はできないので気になるところは余すところなく見学なり実際に保育に入らせてもらったりして環境を見ておくこと)日々勉強し続けなければいけないのはどこでも同じだが。同じ保育士とはいえ得意不得意はあって当たり前だし、いろいろな働き方がある。ようは自分に合った現場を探すことが大事なのだ。別に最前線の大きなところでバリバリやることだけが全てではないと私は思っている。
ただひとつだけ言えるのは、子どもを育てるという、人として尊いもののひとつをさせてもらえるという喜びがあるという点において、これは感謝以上のなにものでもない。園にいる間はわたしの子どもたちという気持ちでいることが許される。(限度はあるが)教育現場もIT化が進んで、これから勉強を教える先生はコンピュータなどの電子媒体にとってかわられていく可能性がある。でも、保育だけは、今もこれからも保護者に代わって子どもの育ちを自らの手や目でもって担っていくと思う。就職活動をしている人、転職で保育をやってみようと思っている人も、ぜひ保育について考えてくださると嬉しい。
あと、あの時の気持ちを文字にして、自分がすっきりしたい。それだけ。
腐っている。腐女子だ。
もしかしたらちょっと繊細かもしれない、どこにでもいるオタクだ。
少し違うのは、彼女は私と違い、
彼女の描く絵が大好きだった。
わたしは当時ハマっていたジャンルで彼女の作品を知り、感動した。
同じジャンルでちまちまと小説もどき書いていた私にフォロー許可をくれて、
フォロー返しもしてくれた。優しい。
そこそこに交流もした。お互い、特に仲の良いという訳では無いけれど、
あまり内容を覚えていないけれど、もしかしたらSkypeとかで
本当に楽しかった。
それは嘘じゃない。彼女やみんなと過ごした記憶は、今でも私の宝物だ。
盛り上がりがあれば廃れもある。アニメも終わり、
少しずつ勢いが下火になってきた頃、私は少しずつ、
彼女のことが目に留まるようになっていった。
今だから思い至るし素直に白状できる事だが、
素晴らしい絵を生み出すだけじゃなく、彼女は皆に好かれていた。
実際、それだけの力が彼女の絵にはあった。
ピクシブにあげられていたものもあるが、いつの間にかサイレントで
全削除していた時もある。当然、彼女の作品が好きな皆は突然のことに戸惑った。
大袈裟に泣いていた人もいた。
どんなに「好きだ」と言われていた作品であれ、
その扱い方が変わることはなかった。
そういう一貫してるところは好き。
だけど、私は変にプライドだけは高かったので、
「私が自分の作品を消したとしてもこんなに惜しまれることは無いだろうな…」
誰からも相手にされずスルーされていく光景が目に見えるようで、
悔しかったのだと思う。
これ、全部被害妄想なんです。
なんだこいつ。自分で書いてて引いた。
1度出した作品を消す。それは全く悪いことではない。
私だって時々消す事はある。
ありがたいことに良い反応を頂けたとしても、
「後から思うところがあったので消しました!」というのは誰しにもありうることだ。
だから、いくら「神」と呼ばれることもある彼女の作品が消えることに
嘆く人が多くとも、彼女の作品なのだから、どう扱うのかは彼女の自由なのだ。
前々から、それこそフォローした当時からその傾向があった彼女なのに、
何故後になって目に付くようになったのだろうか。
これは、当時彼女に嫉妬していた私だからこそ思ってしまったことだから、
私は、彼女が自分の作品を消した後の皆の反応を楽しんでるように見えた。
どうして、と崩れ落ちる人がいた。悲しい、と嘆いてる人がいた。
仲がいいからこそ、どうしてと本人に詰る人もいた。
それに対して、彼女は軽く、「バレるの早いなww」といってのけたのだ。
完っっ全に私の僻みだが、当時の私は、それを見て不愉快になった。
「自分の作品に思うところがあったから、作品を消したんじゃなかったの?
自分の作品を武器にして、他人の感情を振り回すのがそんなに楽しいの?」と。
画面の向こうに、他人の反応を見ながらほくそ笑む彼女が見えた気がした。
繰り返すが、これは私の妄想だ。彼女へ歪んだ目を向ける、私の歪んだ解釈だ。
周りの反応を楽しむことは、決して悪じゃない。
二次創作をする人が何を理由にして作品を書こうがその人の勝手だし、
生み出された作品が素晴らしければ、同様に作者も愛されるものだと思う。
とりわけ、彼女は普段仲が良い人に対してはとても面倒見がよいタイプで、
決して悪い人ではない。少なからず交流もしていた私もそれは承知している。
相互フォローこそすれ、やがて会話はほとんどしなくなっていった。
フォロー許可こそくれ、彼女は私をフォロー返しすることはなかった。
私は彼女から距離を取っていたし、彼女もそれを感じ取っていたのだと思う。
彼女と、他の皆が楽しそうにしているのを見ていることが好きだったからだ。
語彙力の広さは尊敬するし、魅力的だ。絵も相変わらず素晴らしい。
今までずっとしこりとして私の中に残っていた。
みたいな、現状大体そんな感じだ。ブロックされているわけではないので、
当時ほどのもやもやはもう無い。
距離を置いて、時間が経過して、その時の感情はほとんど薄れていった。
それでもなぜこれを書いたかというと、
薄れてもなお残る彼女へのしこりを、きれいさっぱり無くしておきたかった。
それと同時に、「お前はこんなにも自己中で自分勝手なんだぞ」と、
「人の振り見て我が振り直せ」とかいう前に、
私は、私を好きでいたい。
そのために、今、私は彼女を利用している。
一方的にTLを拝見させていただいて、
そんな感じで、今後ともゆるく、その時までは宜しくさせていただきたい。
我が振り、いつ直せるだろう。