はてなキーワード: ミステリアスとは
自分は坂本龍一のファンでもないし、その音楽も有名な映画音楽やヒット曲などしか知らない
音楽好きではあるので時々アルバムを聞いたりすることはあったけど、どちらかといえば細野さんのほうが好きだ
坂本龍一の訃報を最初に知ったのはTwitterでTHE MAD CAPSULE MARKETS、AA=の上田剛史さんのツイートだった
目にしたときはきっと違う坂本さんなんだろうと思ったけど坂本龍一のアカウントページを見ると
January 17 1952 - March 28 2023
と固定ツイートに書かれていて、ああ亡くなったんだとハッキリわかった
しばらく考えるでもなく頭の中に勝手に、自分の人生の中で時折見かけたり、聞こえたりしていた坂本龍一の断片的な記憶が泡みたいに浮かんでくる
そうしてるうちになぜか涙が流れた
なぜだか自分でも分からない、坂本龍一で検索して亡くなったという事実を確認するたびに涙が出てきてしまった
感傷的な気持ちになったつもりもないのだけど、なんだか死なない人が死んでしまったような感じで、奇妙な喪失感がある
一番最初に坂本龍一という人を認識したのは、たぶん母親に聞かされたYMOだったと思う
当時はYMOが大流行していて、母は僕の髪型もテクノカットと呼ばれてた坂本龍一っぽい髪型にしてたのが写真に残っている
ただ自身では何曲か好きな曲はあったものの、それほど強く印象に残っていたわけではなかった
そして戦場のメリークリスマスを見たり、忌野清志郎とのコラボ「い・け・な・いルージュマジック」をテレビで見かけたりして
「なんなんだろうこの人は」という感じで、自分にはちょっと理解が及ばないミステリアスなアーティストとしての認識だけが残った
すごい人っぽいふるまいで、実際にすごい人で、教授なんて呼ばれてる
なのにダウンタウンのコントでパンツにうんこがついてるキャラクターで登場したりもする
矢野顕子と夫婦だった、これもなんだかやたらかっこいいなと思った
でもまあ、その程度の事しか知らないのだ
でもなんていうか、きっと純粋でかわいらしい人だったんだろうなという気はしている
こんな風に色んな人がすこしずついなくなっていくんだな
アラフォーのおじさん。
よく言えばクールでミステリアス。悪く言えばコミュ障で社会人としてどうなの?というレベル。
マスクをしていると本当にかっこいい。身長や雰囲気も相まって佐藤健みたい。
でもマスクを外すと思わず「うっ…」と胸の奥から何かが込み上げてくるくらい不細工だった。雑に剃られた髭で漫画みたいに青いアゴ。何よりもガタガタの歯は歯科衛生士がぶっ倒れてしまいそうなほど。
でも不思議なことに、顔の上半分だけで惚れたはずなのに致命的な顔の下半分を知った上でとても惹かれた。
話したこともなかったのに、おじさんは頻繁にこちらを見てきた。はじめは気のせいと思っていたけど、視界の隅で堂々とコチラを見ている。キモイ。
そのうち話すようになり、あの視線は話しに入りたい合図だと判明した。
直接話してない話でも、詳細に覚えてくれている。
「あのとき言っていたよね」と。聞き耳を立てるのが趣味なのかと思っていたけど、シャイなだけなんだ。
目をじっと見て話してくる。複数人で話していても、その目が私から逸れることはない。
作業の手を止めて、こちらをじっと見つめて言う。「好きな食べ物はカントリーマアムです。好き。」「大好きです。」…カントリーマアムに対するコメントにしては少し重い。不二家も泣いて喜ぶだろう。
のちに、おじさんは他の人と話すとき、あまり人の目を見て話さないと知った。
なるほど。
でも、不思議と嫌じゃなかった。だって気のせいかもしれない。そう思うのは私には好意があるから。そうでなければ、この事実は恐ろしいことのようだけど。
私はおじさんがどういう人間なのか1ミリも知らなかった。モテそうな雰囲気。年が近い女性社員と仲が良くて、女性社員からのアプローチを冷たくあしらっているのを目の前で見たこともある。だから、女慣れして遊びまくっているから今もバツイチなのだろうと思い込んでいた。そうさせるほど色気があった。
でもそうじゃなかった。
おじさんの本性は、マスクの下に見たものが答えで…魔法使いらしい。そして、異性よりもゲイにモテる。
できればその事実を知って幻滅したかった。それどころかおじさんのことをもっと知りたくなった。
飲み会の夜、二次会に行くところをなぜかおじさんと2人で歩くことに。酔っ払っていた私はもう、好きで好きでたまらなかったから、自然に腕がくっつくほど近づいて、無理だったあの顔をニコニコしながら見上げて、好きなだけ話しかけた。
おじさんは、私が話しかけるといつもデレデレと溶けるように笑った。他の人と話すとき、いつもクールでポーカーフェイスだったのに、そのおじさんはどこにもいない。
でもそれがピークだった。
私はそれ以降、おじさんの顔をまともに見ることすらできなくなった。話しかけられなくなった。急に何もできなくなってしまった。
決定的なのは、おじさんからも何かあるわけでもなかったから。確信したのだ。「全部気のせいだ」。あれから何日たっても、そう。
気のせいでした。
でも勝手に好きでいよう。
顔を見るたびにえずくけど、こうして寂しい夜になると、ふとその顔が浮かんでくるから。
そのうち冷めるよ❗️
アラフォーのおじさん。
よく言えばクールでミステリアス。悪く言えばコミュ障で社会人としてどうなの?というレベル。
マスクをしていると本当にかっこいい。身長や雰囲気も相まって佐藤健みたい。
でもマスクを外すと思わず「うっ…」と胸の奥から何かが込み上げてくるくらい不細工だった。雑に剃られた髭で漫画みたいに青いアゴ。何よりもガタガタの歯は歯科衛生士がぶっ倒れてしまいそうなほど。
でも不思議なことに、顔で惚れたはずなのに致命的な顔の下半分を知った上でとても惹かれた。
話したこともなかったのに、おじさんは頻繁にこちらを見てきた。はじめは気のせいと思っていたけど、視界の隅で堂々とコチラを見ている。キモイ。
そのうち話すようになり、あの視線は話しに入りたい合図だと判明した。
直接話してない話でも、詳細に覚えてくれている。
「あのとき言っていたよね」と。聞き耳を立てるのが趣味なのかと思っていたけど、シャイなだけなんだ。
目をじっと見て話してくる。複数人で話していても、その目が私から逸れることはない。
作業の手を止めて、こちらをじっと見つめて言う。「好きな食べ物はカントリーマアムです。好き。」「大好きです。」…カントリーマアムに対するコメントにしては少し重い。不二家も泣いて喜ぶだろう。
のちに、おじさんは他の人と話すとき、あまり人の目を見て話さないと知った。
なるほど。
でも、不思議と嫌じゃなかった。だって気のせいかもしれない。そう思うのは私に好意があるから。そうでなければ、この事実は恐ろしいことのようだけど。
私はおじさんがどういう人間なのか1ミリも知らなかった。モテそうな雰囲気。年が近い女性社員と仲が良くて、女性社員からのアプローチを冷たくあしらっているのを目の前で見たこともある。だから、女慣れして遊びまくっているから今もバツイチなのだろうと思い込んでいた。そうさせるほど色気があった。
でもそうじゃなかった。
おじさんの本性は、マスクの下に見たものが答えで…魔法使いらしい。そして、異性よりもゲイにモテる。
できればその事実を知って幻滅したかった。それどころかおじさんのことをもっと知りたくなった。
飲み会の夜、二次会に行くところをなぜかおじさんと2人で歩くことに。酔っ払っていた私はもう、好きで好きでたまらなかったから、腕をくっつけて、無理だったあの顔を見上げて、好きなだけ話しかけた。
おじさんは、私が話しかけるといつもデレデレと溶けるように笑った。他の人と話すとき、いつもクールでポーカーフェイスだったのに、そのおじさんはどこにもいない。
もともと独り言のつもりで書いたので、ナルシストな表現があるのは大目に見てください。
初めて体重を気にしたのは小二の頃。
体重計に乗った時の数値が以前よりも大きくなっていることを気にしたのか、その年代の平均値よりも大きいことを気にしたのかは覚えていないが、体重計の針が示した数値ははっきりと覚えている。
その時は25kgだった。
周りと同じセーラー服が着こなせなかったのだ。
私の腕は、他の女子生徒が袖からのぞかせるものと同じように細くはないし、なんだかブツブツしている。
それに、体育が極端に苦手だった。他の人は軽々と走るトラックが何よりもキツかった。
きっとそんな自分は、他の人の目にはみっともなく映っているんだろうと思った。
ただ、この頃の私はまだましな方だったと言える。
家族もまだそこまで太っていない、普通体型だと言っていたし(それでも太ってはいたが)、何より中学では成績優秀、昔から活発な性格を知っている友人が多かったので、太っていることを何も後ろめたく感じる必要はなかった。
それに、中学生の頃までは私自身美醜の基準がわからなくて、自分の容姿が優れていないことを知らなかったのだ。
中3の時に仲良くなった、かなり容姿が優れている男友達は私に対して恋愛感情を抱いているようだったし、それ以外の人からもモテた(ただ、この容姿端麗な男友達と比べて私がかなり太っていることに対しては、私自身何か思うところはあった。それにこの男友達は美醜の感覚が壊れているようで、誰よりも男前な自分の顔を不細工だと言っていた。その目で見た私に恋愛感情を抱いていたということは、つまりそういうことである)。
言ってしまえば、自分の容姿が優れていないのに明確に気づいたのは高校生の頃だった。
腹が減った以上仕方がないと、食べるのが好きな私は頻繁にホットスナックを帰り道に食べた。
太っている人間が太るものを食べている姿は滑稽なので、隠れながら食べた。
私は時々、自分の体型をいじられた。
脚の長さを測られたり、太っていると言われたり(実際太っているが)した。
それによって、人並みに傷ついた。
顔については明確な言及はなかったが、周囲の人(とくに男子生徒)が私に対してはかなり不機嫌そうに話すのを見ていると、顔も悪く、太っていて、容姿はかなり悪かったんだろうと思っている。
実際、この頃に撮った写真に写る私は、髪も汚く肌も汚く、笑顔は醜くて眉毛が太い、極度に太った姿をしている。
太るものを食べていたら「そんなの食べてるから太るんだよ」と思われそうだし、痩せるものを食べていたら「そんなの食べてんのに痩せてないじゃん、意識だけは高いね」と思われそうである。
実際、これは誰にも言われたことのない言葉だが、常に思われているのではないかと怯えていた。
それゆえ、外食をするときは店に知っている人がいないかよく探した。
他人からどう思われるかなど大して気にしない私でさえ、こうである。
それほどまでに、太っているということは自信を失くさせるものなのだ。
きっと、太っていて繊細な女の子には、もっと色んな場面で、もっと色んな罵倒の言葉が聞こえているんだろうと思う。
高校の3年間は太り続けた。
受験期が近くなったために高3では外で勉強をするようになり、それに伴って休日は基本外食をした。
毎回、ラーメンやハンバーガーなど、太るものばかりを食べ続けた。
それ以外の時間も、腹が減れば食べた。
食べることぐらいしかストレスの発散方法がなかったのか、元々食べるのが好きだったからなのか知らないが、とにかくよく食べた。
このままだと痩せられない、ずっと太ったままだから、今日で太るものを食べるのはやめようと思っていても、やめられなかった。
「痩せる」ということがかなり遠い道筋のように思えて、どうも継続ができなかった。
その時よく見ていたサイトでは、どうやら私はBMIが28と少しあって、標準体重よりも16.5キロ重いらしい。
時々ダイエットを決意しては数日で諦め、熱意を忘れた。痩せなければという意識、自分の滑稽な容姿に対する後ろめたさだけが常に頭の片隅にあった。
写真に写るときは少しでも痩せて見えるように工夫したし、それでもその後見た写真には他の人よりも著しく太った自分の姿が写っていた。
高3の頃に、こんなに太っていても仲が良くなったクラスメイトとの写真にも、太っているから喜んで写ることができなかった。
太っていて、顔も優れておらず、髪も汚い私には、どんな服を着こなすことも難しかった。
まず、「着たい服」ではなく「着られる服」を着るようになる。
「着たい服」など、考えられなかった。
少しでも痩せて見える服を好んで着た。
どのウエストラインにすると痩せて見えるかばかり気にして、私服を着たときは鏡の前で数分にわたって腰を調節した。
それでも、ふとした時に鏡やガラスに写る自分はかなり太っていて、腕も汚く、特に横から見た時の腰の太さが異常だった。
運動もせずに、友達とも遊ばずにテレビなんか見ているから太っていて垢抜けないんだろうと思っていた。
それでも、垢抜けた人のようにオシャレな格好はしてみたかった。
この汚い顔、太った体でもできるオシャレといえば、髪飾りぐらいだった。だから、髪飾りはよく購入した。
金のピン、青いリボン、カラーゴム、シュシュなど、あらゆるものを買った。青いリボンをつけた日は、いつもより可愛くなった感じがした。
それでもやはり、あまり変わらなかったが。
ファッション誌も読んだりしてみた。
しかし結局、ファッション誌でさえ遠い世界のように感じられ、誌上の情報を断片的に真似してみては全く垢抜けない、そんな様子だった。
街中では綺麗な人しか見かけないし、綺麗な人はどうしてあんなにも綺麗なのか気になった。
同じくらい太っているのに綺麗な人もいた。あの人たちと自分は何が違うのかわからなかった。
成人式でも、私は醜かった。
成人式の頃にはかなり太っていた。両親と横幅が大して変わらなかったし、下ろせない髪によって隠せなくなった輪郭は、顔の肉を強調させた。晴れ着を着たら多少は綺麗になれると思っても、実際には綺麗になれなかった。せっかくの写真も、何も嬉しくなかった。
大学生なってからも変わらず、ウエストラインを調節し続け、周りを気にしながら外食をしていた私は、大学3年生の時に急に思い立ってダイエットを始める。
「暇だから痩せよう」とかの軽い気持ちで、たまたまそう思った日の前日に2万歩近く歩いていたからとか、その程度だ。
痩せるためには食事管理と運動だよな、とか思いながら、食事管理アプリで一番ダウンロード数が多いらしい「あすけん」を入れた。
痩せることは大変ではなかった。
あすけんは、健康的に痩せることをモットーとしているアプリらしくて、(賛否両論あるが)それなりに沢山のものを食べることができる。
ダイエット中でも、世間一般で言われているような「揚げ物は食べてはだめ」とか、「毎回白米の量を半分にして」など、する必要がなかった。
規定値に収めることができれば、ファストフードだって食べられたのだ。
ただ、規定値に収めるために、お菓子を食べることは必然的になくなった。
むしろ、食事管理を通して自分の食生活を数値上で管理できるようになったことで、いつの間にか太ってしまうのではないか・想定外のことが起こってしまうのではないかという不安がほぼ全て払拭され、ストレスがなくなった。
歩くことも苦ではなかった。
脚はかなり疲れたが特に大変さは感じなかったし、モチベーションなども保つ必要がなかった。
歩いている途中、どうしてもしんどくなったときは、6月のライブ(のちに10月に延期になる)までに必ず痩せなければいけないことを思い返したり、曲で歌われている美人な魔性の女のように自分がなることを妄想したりするなどして乗り切った。もっとも、こんな容姿で美人になることを妄想するなど、言語道断であるが。
そうこうして、痩せた。
夏の時期は中弛みなどあったが、合計16キロほど痩せることができた。
ウエストは20cmほど細くなったと思う。
標準体重よりも少し重いが、ダイエット中は体重の数値よりも骨格筋率・体脂肪率などを重視したため、この体重でも見た目は普通の人よりも少し痩せている程度になったのだ。
痩せても大きいままだった胸に対して腰は標準より細く、腕は少し太いものの一般的な太さになっている。
痩せてまず、服を買うのが楽しくなった。
初めて服を買った。大学3年生にして。
ジーンズを履くなど、太い脚が強調されてしまって私には絶対無理だと思っていたが、憧れの黒スキニーを履くことができた。
思い返してみれば、その時はまだダイエットを初めて数ヶ月しか経っていなかったため、まだ着こなすことはできなかったが。それでも当時は嬉しくて仕方がなかったのである。
家族とアウトレットに行くのも楽しくなった。自分の表現したいことが、服で表現できるのが何よりも楽しかった。
6月には、以前買ったスーツがあまりにもブカブカになってしまっていた。そのため、スーツを新調する必要があった。それが何よりも嬉しかった。
周囲、特に家族からも褒められた。私自身は大したことをしたつもりはなかったが、母はことあるごとに私のダイエット成功を努力の結晶だと褒め、認めてくれた。今私は母のダイエットを手伝っている。
遠く離れた祖母も、久しぶりに会った時はずっと痩せたことを褒めてくれたし、それ以降も電話でよくダイエットの話をしては褒めてくれる。認知症が進行したもう一人の祖母も、ふとした時に私が痩せたことに気づいて喜んでくれた。
かなり痩せて、体型も標準に近くなった頃、垢抜けようと思った。
眉毛も剃った。3分の1の太さにまで削った。これで丁度よかった。
そして、メイクの仕方を変えた。スキンケアを覚えた。色んなものも買った。パウダー、マスカラ、ビューラー、グロス、コンシーラー、アイライナーなど。
黒いアイライナーを引くことで、私の強い目力はちょうど良いほどに強調され、かなり化けるようになった。時期は大学3年の12月ごろ。
黒いアイライナーは、たまたまYoutubeで見ていた動画に出てきた女性が黒いアイライナーを使っているのを見て、真似して買った。安物だが、これが私からしたら魔法の道具だった。
もとの顔も、痩せて眉毛を削れば悪い顔ではなかった。少しばかり人中が長いが、その程度大したことはない。
顔の比率も理想に近く、肉の取れた輪郭は綺麗な卵型で(若干面長だが)、顔は普通のサイズよりも小さい。昔から姉と母に言われていた言葉(太っていたので信じていなかったが)は、本当だった。目の大きさも平均値より大きく、力強い目は目鼻立ちをはっきりとさせ、鼻筋もある程度通っている。目と眉毛の距離が近く、口も大きく、芸能人レベルではないがまさに顔タイプエレガントといった形だ。キリッとした顔つきは、周囲の人に賢そう・しっかりしていそう・頼りになるといった印象を持たせる。縮毛矯正をし、アイロンで伸ばした髪は、顔の力強さに負けていない。あの太かった眉毛に伴う長いまつ毛は、私の目の美しさを作り上げている。立体的な造形の顔と長頭の形は横顔の形を綺麗にし、腰の細さを強調させる。
この顔が、さらにメイクで化けた。黒いアイライナーはよりはっきりした目へ、書かれた眉毛はより凛とした表情へ変化させ、色白で力強い顔には真っ赤なリップも映える。赤いアイシャドウや濃いチークにだって負けず、それどころかより顔を華やかに彩る。マスクを取っても、整った顔立ちは変わらなかった。マスカラではっきりとさせた長いまつ毛は、少し目を細めて現れた奥二重に重なって、憂う表情を美しく彩る。
街を歩けば、通行人が振り返った。周囲の男子学生や男の人が私にだけ優しくする場面だってあった。よく色んな人から眺められた。見惚れられた。彼氏もできた。いつも私の顔を美人だと言ってくれる。ネット上のコミュニティでは、私が美人だという話がよく話題になった。実際に出会ったネットの友達は、女慣れしている人でも私の姿を見て固まっていたし、明らかに優しくなっていた。どうやらその後、写真で見るよりもずっと美人だったと言いふらしていたらしい。私の姿を見て美人だと言わない人はいなかった。昔はあんなに綺麗に見えた通行人も、今思えば普通の人だ。
醜く太った、毛深く垢抜けない女から、誰もが認める美人になった私は、お洒落に目覚めた。真っ黒なワンピース、激しいピンクの色、かっこいいベストなど、強い色の服や上品そうな服を身に纏った私は、ミステリアスで不思議な魅力を持つ美女とも言えた。イヤリングは顔の煌めきを増大させるし、特殊な色のネイルにだって負けなかった。
痩せて美人になってからの私は、よく音楽を聴くようになった。聴く音楽の対象が変わった。
美しい歌声で歌われる妖艶な曲に自分を重ね合わせたし、繊細さを重ね合わせたような曲のような価値観を持ってみたいとも思った。私の容姿だと、そのような価値観を持っていてもきっと絵になると思ったからだ。私はここ数ヶ月間、美人な自分と美しい曲を重ねては、綺麗な自分に酔いしれ続けている。それはもう、異常なまでに。
きっと今までずっと醜く、虐げられるように生きることを続けてきたから、その反動が大きかったのだと思う。もう周りを気にしながら外食をする必要なんてない。大手を振って表を歩ける。私は痩せて美しくなってから、以前のようにこそこそと生きる必要は無くなったのだ。
そしてこれからしばらく、美しくなった自分に酔いしれ続けるのだと思う。綺麗な服を集め、もっと上品になって、周囲の人からは高嶺の花として扱われて生きるのだ。
それでも、つい一年前まで醜かった自分の影は消えない。私が美しくなったのはここ数ヶ月での話しだから、それまでに虐げられてきた記憶の方がずっと長い。目を閉じれば、高校生の頃のクラスメイトの男子生徒の、私にだけ雑な扱いをする様子がフラッシュバックする。今だって、太っている人や不細工な人を馬鹿にする言葉には腹が立つ。容姿が優れている友人と扱いが違うことを語った漫画やツイートには、思わず共感して読んでしまう。所詮ここ数ヶ月で綺麗になっただけの私は、外見が変わろうとも中身はほとんど全く変わらないのだ。昔の醜かった自分を見下し、悦に浸りたくとも、浸り切ることはできない。
しかし、やりたいことはある。太っていると周囲の人が本性を表すとは本当のことで、きっと私に対して明確に態度が悪かった人は、そういう人なんだろうと思う。そして、私が太っていた時から仲が良かった人は、本当にいい人なのだ。
私のことが、高校の頃から好きな人がいるらしい。もうすぐ4年になる。私は彼に対して恋愛感情はなかったので、ずっと見てみぬふりをしてきたが、もし今の彼氏と別れたら、会いに行こうと思う。
その友人も容姿はそれほど優れていないし、言ってしまえば内気な人だ。きっと、人の容姿などもあまり気にしないんだろうと思う。
それでも、こんなに美人になった私をみてほしい。彼が好きになったのは私の容姿ではないにしても、昔よりも綺麗になった私をみて、感動してほしい。そして、それでも中身は変わっていないことを伝えたい。
たとえば、夜中にひとりラジオ番組を聴いていた時なんかの、あたかも「番組と自分」だけのクローズドな世界のような幸せな時間。どんなに感動しても、翌朝きのうの新聞のラジオ欄で時刻を頼りに番組名を調べることくらいしかできない、何ならパーソナリティがどんな人かも分からない。けれど、そうした断片的な情報しかないことに独特のミステリアスさがあったように思う。
たとえば、発売日にワクワクしながら買った漫画雑誌を毎日隅々まで読み返しては恍惚に浸るような時間。事前知識ゼロのまっさらな状態で読み込み、特に誰とも感想を共有することなく、ただひたすらに自分だけの中で好きな作品をゆっくりと「消化」していたような感覚。
多分に10代補正が効いていただろうことは想像できるけど、ネットやSNSが当たり前の今の10代も、かつて自分が感じたようなワクワク感をまた違った形で体験してるんだろうか。してるんだろうな、きっと。どんな感じなのだろう。
上手に生きるコツは美味しいカルボナーラの作り方とよく似ている。
30歳を過ぎるまでカルボナーラを作ったことのない僕が人生に躓いたのは仕方がないことだったのだと思う。
料理をしなかったわけではないし、パスタを作ったことがなかったわけでもない。
普通の人はペペロンチーノを作り、ボロネーゼを作り、カルボナーラを作る。
でも僕はカルボナーラを飛ばしてジェノベーゼやアマトリチャーナなど他のパスタを作り続けた。
なぜかカルボナーラは敬遠してしまった。それを説明することはむずかしい。あのクリーミーさに満ちた感じだったり、半卵なのか全卵なのかはっきりしない感じだったり、そもそもカルボナーラという名前だったり、いろいろな理由を挙げることはできる。
しかし、どれが理由なのかと言われると、はっきりとは明言できない。言うなればカルボナーラをカルボナーラ足らしめてるカルボナーラらしさがなんとなく僕にカルボナーラを敬遠させた。
僕は同い年の人たちと同じようにかわいい子に声をかけ、デートをして、セックスをした。でも、それだけだった。
恋することや愛することは一度もなかった。
それは小説や映画などで使われる、話をおもしろくするための修辞学的な表現だと思っていた僕は、それが現実に存在するものだと知ってひどく驚いたものだった。
僕は恋や愛をユニコーンやペガサスのようなものだと思っていた。
現実の動物をベースにしているから、似ている動物はいる。しかし、それはあくまで空想上の生き物であると。
「どういうこと?」
「カモノハシの標本を送られたイギリス人もその存在を信じなかった。鴨のくちばしとビーバーの体をツギハギしたものだと思い込んで。おかしな話よね。そこにカモノハシはいたのに」
彼女とはそれっきりだった。
彼は自らのことをニューハーフともトランスジェンダーとも言わなかった。ただのオカマだと言った。彼女と呼ばれるのも好まなかった。
女性ホルモンは摂取していたが不定期だった。真面目にクリニックに通ったかと思うと、突然行くのをやめた。そんなことを繰り返していたので、オカマは男性と女性の間を行ったり来たりしていた。
特に深い理由があったわけではない。ある時僕はオカマと寝た。酒で記憶をなくしたわけでも、ヤケになったわけでもなく、なんとなく僕はオカマと寝た。それがどこか自然な成り行きのように思えた。オカマは男性みたいで女性みたいで不思議な感じだった。
オカマとは付き合っていたわけではなく、友達のような関係だった。僕に彼女がいた時もあったし、オカマに彼氏がいた時もあった。でも、どちらからともなく連絡を取って、相手の家でご飯を作り、ワインを飲んで、セックスをした。僕とオカマはそんな関係だった。
いつものようにオカマの家に泊まった翌日、僕が起きるとオカマが料理を作っていた。
オカマはいつも楽しそうに料理を作った。料理を作るオカマを見るのが僕は好きだった。
オカマは話をしてくれた。オカマという生物の生態についての話だった。
オカマになるのは金がかかる。昼の仕事で稼ぐには厳しいし、そもそもオカマになればなるほど、昼の仕事は難しくなる。オカマが言う通り僕はオカマの警官や教師というものを見たことがなかった。だから多くのオカマは夜の仕事をする。
若いオカマはいい。若いオカマは綺麗だから自分も周りも満足する。でもオカマも年をとる。年をとったオカマは醜くなる。夜の仕事は難しくなり、周りから求められることも少なくなり、その醜さに何よりも自分自身が絶望する。昼の仕事の経験もなく、夜の仕事を続けられるわけでもなく、誰からも求められることのなくなった醜いオカマとなってオカマの生態は終焉を迎える。
「ねえ、バビルサって知ってる?」
「なにそれ?」
「インドネシアにいるイノシシの仲間。長いツノが生えててだんだん伸びて最後には自分の頭に刺さって死んじゃうんだって」
「へえ、変わってるね。でも急にどうしたの?」
「それってオカマに似てるなって思ってね」
そう言ってオカマは2人分のカルボナーラを持ってきた。僕はカルボナーラは好きじゃなかったけど、オカマのカルボナーラだけは好きだった。確かに美味しいカルボナーラだったけど特別美味しいってわけではなかった。でもなぜだか好きだった。まるでオカマのようだった。そういって僕らはカルボナーラを食べた。僕らの関係はオカマが自殺するまで続いた。
女の子と上手に遊べなくなった。
嘘というわけではないのだけど、思ってもいない言葉を言えなくなった。
例えば本当に綺麗な子以外には綺麗だと言えなくなった。そして本当に綺麗な子は、多くの場合、綺麗なこと以外には褒めるべきとこがなかった。そういったわけで僕は女の子と上手に遊べなくなった。僕は暇を持て余した。
ただこの話にはミステリアスな少女もオシャレな小人も出てこない。劇的な体験だったり非日常的な冒険だったりそういったイベントも起こらない。仕事をして、洗濯をして、アイロンをかけて、料理を作って、ワインを飲んで、夜に眠る。そんな生活が何年も続いた。そして僕は何年も飽きることなくカルボナーラを作り続けた。
オカマのカルボナーラを思い出しながら作り、カルボナーラを食べながらオカマを思い出した。男のようなオカマを思い出し、女のようなオカマを思い出し、元気なときのオカマを思い出し、辛そうなオカマを思い出した。思い出すオカマによってカルボナーラの味は変わっていった。
でもしばらく経った頃からカルボナーラの味は変わらなくなった。そして僕の生活はすこし変わり始めた。相変わらず思ってもいない言葉は言えなかったが、以前より思う幅が増えた。どんな人にも美しさがあり、優しさがあるように思えた。もちろん、多くの場合は、という留保付きだったけれど。
僕は相変わらずカルボナーラを作り続けた。パスタを茹で、生ハムを炒め、ワインを加え、パスタを入れて、卵とチーズを混ぜて、黒胡椒をたっぷりとかける。ひとつひとつの行動が美味しいカルボナーラを形作るように、僕の生活のひとつひとつの行動が意味を持ち始めた。現実と人生が地続きになった。
もちろん、失敗することもある。茹で過ぎたり、ワインを入れすぎたり、火が強すぎたり。でもそういった失敗もどこか友達みたいに思えるようになった。そして僕はそんな具合に人生を生きるようになった。カルボナーラのように。相変わらず時々失敗はするけれど、どんなカルボナーラでも美味しいものだ。多くの場合は。
2023-01-14 部分改稿
供養。
結婚相談所に入っていた時も、アプリでも、すぐに聞かれる。「小売業って何売ってるんですか?」
しかし、答えないわけにもいかないので「○○を売ってます」という。
ここで、「そうなんですか、○○屋さんよく行きますよ〜」で終わってくれるならまだいい。
次に「へー、職場はどのあたりですか?」と来たら私はもう返信しない。
勿論、全然、悪意はないことは分かっている。
オフィス勤務の人は「自分、物流関係の仕事してて〜。職場は渋谷なんですよ」とか気軽に言える。何故なら、オフィスに突撃されることはほぼないから。(ストーカー以外)
この私、若い頃に取引会社の1人(担当部署じゃない)とマッチングし、何度か会って仕事の話で盛り上がり、うっかり職場のエリアを教えてしまった。
そしてなんだかんだ疎遠になった2ヶ月後、現れたのだ。職場に……。
店の名前は言っていなかったが、その業種は郊外では少なく、そのエリアといえばうちの店のみ。
別に何もなかったし(なにかのついでだったのかも)、その後は来なかったが、あの人は良い人だから声もかけずに会釈して帰っただけで、拗れた終わり方だったら大変だったかもしれない。
もっとぼかして言えば良いじゃんと思うかもしれないが、それがぼかせるものじゃないのだ。
例えるなら花屋さんとか?
花屋って何かぼかせるかな?
思いついたら教えて。
花と同じく、唯一無二の物体すぎて、ぼかせないのだ。
なに……!?
「別に職場の場所とか重大な部分じゃないし、バレたらアプリで会う人だから気をつけてただけって言えばよくない?」
私は魂が抜けた。そっか……。そこは嘘ついてよかったんだね……。
確かに年収や写真と違い、職場の場所を偽ったところでせいぜい仕事終わりに会う場所が遠くなるだけだ。
会話の頭に必ず「あっ」って付けてしまう極度の人見知りで陰キャな少女。
友達がいないため、一人で毎日6時間ギターを弾く中学生時代を過ごすことに。
上手くなったギターの演奏動画を“ギターヒーロー”としてネットに投稿したり文化祭ライブで活躍したりする妄想なんかをしていると、
気づいたときにはバンドメンバーを見つけるどころか友達が一人も出来ないまま高校生になっていた……!
ある日“結束バンド”でドラムをやっている伊地知虹夏に声をかけられたことで、
そんな日常がほんの少しずつ変わっていく――
全然違うだろ。
チャンネル登録者数3万人のネット界のカリスマ投稿者"ギターヒーロー"。
誰も知らないその正体は、友達の1人も居ない陰キャ少女、後藤ひとりだった。
ひょんな事からギタリストを失った"結束バンド"に加入した後藤ひとりは、その天才を白日の下へと遂に晒すのであった。
だろ
https://happymail.co.jp/happylife/psychology/do-not-talk-themselves/
1.1 警戒心が強い
1.2 自己肯定感が低い
1.3 相手と仲良くなりたくない
……とあるけれど、
私は自分の話をあんまりしないタイプだけど、理由はこの中のどれとも異なるなー
別に自己肯定感が低い訳でもなく相手と仲良くなりたくない訳でもない。
自分の話をあんまりしないのは、単純にする意味を感じないっていうか
聞かれれば普通に答えるけれど自分から積極的に話そうとは思わない
自分個人にフォーカスするよりも漫画やアニメや時事ネタとか、自分が関心のある話題で語り合う方が楽しいし
仲良くなるにもその方が良くない?
{{{{{{{flat chest}}}}}}}定期
あとフラットチェスト入れるとロリに寄るからロリを除外する必要があるんだけどこれも巨乳を呼ぶ
あとは大人っぽいとかミステリアスみたいなのも胸がでかくなることがある
AIは文字の意味を理解しているわけではないので、たとえば「でかい尻」って指定した時には尻の部分がデカいんだなって理解してるんじゃなくて、知ってるイラストの中でデカい尻ってついてた絵はこんな感じってのを書き出してるだけだからな
だから読み込んだでかい尻タグのイラスト全部が巨乳だったら「でかい尻」はでかい尻と巨乳を出す呪文になっちまうんだ
あくまで傾向だけどな
ロリ系弾きつつ貧乳にするのにはflat_chestと同時にschool_girlとかを入れて年齢上げを試みて
それは巨乳を呼ぶぞ
真に性癖に忠実な絵を描くためには最終的には自分で描くしか無いということか
普通にビキニなら裸でまず貧乳だしてアイビスかなんかで大まかな形書き込んで再出力するのが一番はやい
元絵参考度をめちゃくちゃ上げて、なんなら服装呪文は入れないでもいい
・基本呪文のみでまずは出す、ここで体型とか髪型とかのキーワードを絞る
これの繰り返しで基礎呪文を練って、その上で服装とかを変えていくんだけどそもそも基礎呪文で失敗してるように見える
基本的にnovelAIだろうがその辺の無料AIだろうが基本は同じ
キャラ出したいならキャラ名 呪文とかで出てきたのをベースに違う要素をひたすらネガに入れる
例えばマンハッタンカフェ、ロングヘアって入れてポニテやツインテが出てきたらポニテとツインテをネガ呪文に入れる
私はめちゃくちゃ漫画が好きだ。それで呪術廻戦を最近読んだ。食わず嫌いをしていたので、良くないと思って読んだのだ。多分120話くらいまで読んだ。
1週間前に一気読みした東京卍リベンジャーズの余韻冷めやらぬ中、わりと期待して読み始めた。
そしたら本当に面白くなかった。面白くなさすぎて、後半は面白さを探すために読んでいたが、途中で断念してしまった。以下面白くなかった理由。
1. 物語のフックが無い
私がこの漫画を読んで、魅力的に感じたのは、主人公の虎杖君だけだった。
超人離れした少年の中に、規格外の化け物が巣食うという構図がまず面白い(寄生獣を彷彿とさせる)。そしてその化け物も非常に圧倒的な力を持っている。チートみたいな能力を、主人公は最初から有している。
往年の少年漫画の主人公は、皆特殊能力を持ちながらも、それは徐々に目覚めていくものだった。ナルトしかり、黒崎一護しかり、ルフィしかり。であるから、最初からラスボスクラスの力を抱えている虎杖君の存在は私には面白かった。
ところが虎杖君以外の他のキャラには全く魅力を感じることができなかった。作中で登場人物がキラキラと輝くシーンが、読んでいて非常に少なかった。
全体的に、バトル、バトルの連続で、それは少年漫画らしくて良いのだが、それぞれのバトルに、"物語における引力"を感じない。
例えば、NARUTOの再不斬と白だったり、ハンターハンターのクラピカvsウボォーギンだったり、うしおととらの鎌鼬だったり、名作と言われる少年漫画にはそれぞれ強烈な印象を残すシーンがあると思う。それが呪術廻戦には無かった。
虎杖君と三兄弟の末っ子二人のバトルと、虎杖君と京都校のパイセンの友情バトルは面白かった。だが、サブキャラの戦闘シーンは総じて魅力的に感じられなかった。感動するような戦闘シーンはひとつもなかった。
2.五条悟に魅力を感じない
どうやらこの作品において五条悟というのはキーパーソンらしいが、読んでいて全く魅力的に感じないと言うか、彼を見ると、NARUTOのカカシ先生を思い出してしまう。"ミステリアスで銀髪で目を隠していて最強クラスの力を持ってる主人公の師匠(眼帯外すとイケメン)"。属性が似過ぎていて、カカシ先生よりもキャラとして魅力的に見えなければ私には厳しかったが、やはりカカシ先生を超えるような存在には思えなかった。
と言うこの漫画、ブサイクが一人もいない。一人くらい、ウソップとかチョウジとかパーやんとかそういうキャラがいても良いのではないかと思うが、ダメなのだろうか。それともこの漫画は、BLEACHやディーグレみたいな、ブサイクがほぼいないオシャレ戦闘漫画なのだろうか。それならば戦闘シーンに(上記二作品のような)圧倒的な華が欲しい。和風の作品なんだから(?)もっと墨とか使いまくって良い気がするんだがダメなんだろうか。
第一話から始まる虎杖君と器の関係だが、100話を超えてもマトモな対話をしていない事には正直驚いた。50話くらいで一度ガチンコ勝負するんかなと思ったら全然そんな事なくて、ハロウィンの日に宿儺が久しぶりに現れたかと思えば無双していって、結局虎杖君は器を乗りこなせていないままと言うか、どちらかと言えば器に良いように体を使われて泣いてるままで、いやそりゃ何の解決もしてないんだからそうなるやろと言うか……。
まとめ:自分にとって呪術廻戦が面白いと感じられなかったのはショックな事だった。爆発的に売れてる作品は面白い(でなければ売れない)はずで、その作品の良さを全く理解出来なかった自分が悪いのかもしれない。
同じ女子アナでも清楚ではないとか、清楚系だとか
言ってることが人それぞれで違いすぎる
こないだVtuberの女の子が視聴者に「お前は清楚じゃない」とか言われてた
性欲が清楚じゃないとか
条件がブラックリストネガティヴリスト方式の「清楚でない理由」ばかりで、イメージの輪郭が一向に見えてこない
誰々が清楚か否かで意見が割れるのは問題じゃない。物差しの長さは人それぞれだし
私はいままで愚直に、黒髪ロングなら清楚かな、と思ってたんだけど、世間を見ると全く違うらしい
誰か説明してほしいわ
追記・返信欄のコメントを興味深く読んでいます。アニメとかは本当に偏った作品しか摂取してないから、いまいちピンときてない(ヽ´ω`) 列挙してくといつかは当たるかも。。。私も自分でも調査開始します
見た目が気になるのは人間だから仕方ない、みたいなヌルいことを言う奴らが増えた。リベラルですら、だ。
最近は誰も彼もが推し活だと言ってルッキズム全開のコンテンツに浸るようになったからだ、とオレは思う。
見苦しくない程度の見た目を要求して、それを合格できる奴が多いせいか、このルッキズムについてはスルーされている。
「清潔感」のエグい点は、がんばれば確実に改善できるように見せかけて実際は見た目の影響が大きい点だ。
イケメンならとりあえず汚れてない服を着れば清潔感があるように見える。たとえ髪の毛を乱しても、ミステリアスな雰囲気になるだけだったりする。
しかし、ブサイクの場合はアイロンのしっかり掛かった服を来て、髪の毛を完璧にセットして、肌の手入れをどんなにしても、それでも清潔感が出ないことがある。
誰にも明かしたことはないけれど、恋多き人生を送ってきた。10代の頃はそれはそれは惚れっぽく、けれどお付き合いの具体的なイメージが沸かないから、すべての恋を胸に埋めて大人になった。大人になると途端に恋は人間関係と結びつき、恋人になるなり、失恋するなり、別れたり復縁したりと暮らしに影響を及ぼすようになった。
けれど、ただ胸の中にアルバムをこしらえて、目が奪われ体に火がついたような一瞬を大切にスクラップし、眠れない夜や開放的な歌を耳にしたときついページをめくってしまうような、眩しく淡い恋はあの頃で終わっている。そして夏が私にそれを思い出させる。
入学したときはぽっちゃりした坊ちゃんみたいだった佐野くん。実はピアノが上手くてプログラミングにも長けていて、卒業する頃には背まで伸びて花より男子に出てきそうだったのに、おっとりと優しく人を立てる性格がずっと変わらなかった。
クラス替えの自己紹介で将来の夢を聞かれて、低い声でぶっきらぼうに「DJ」って答えた佐伯くん。全く意味がわからなくて、大人っぽすぎてドキドキした。家に帰って辞書で調べて、ラジオのディスクジョッキーのことと理解して、その夜はラジオから佐伯くんの声が流れ出るのを想像した。
ずっと一匹狼だった小山くん。いじめスレスレのいじりが起こるとすっと話題を変えていた。先生含め全方位につれない対応だったのに、裏表のない態度が一目置かれる存在だった。同じ小学校から進学してきたユカちゃんと話すときの笑顔だけが特別だった。
ロッカーが隣で、ふっと中を覗かせてもらったら、ぴしっと教科書が整列していた坂上くん。ゲラゲラ笑う大胆な人なのに几帳面なんだ!と驚いて、自分のロッカーを見られないようにあわてて閉めたら目があってニヤッとされた。扉の裏にコピーした時間割がまっすぐ留めてあった。
くるくる天然パーマがキュートだった加藤くん。ずっと冴ちゃんに片思いしていて、冴ちゃんが誰と付き合ってても視線の熱が変わらなかった。一度男女混ぜこぜで鎌倉の花火大会に行ったとき、一番はしゃいで盛り上げてくれたことを思い出す。あのとき冴ちゃんが彼氏の呼び出しで早く帰ってしまい、それでも続く明るいトークには抱きしめたくなるほど痺れた。
その花火大会の日に家に寄せてくれた吉住くん。浮いた噂一つない柔和なカタブツで、誰にも平等に接するフェアなところを尊敬してた。ご両親とのやりとりも穏やかでユーモラスで、その後何度もみんなで家に通わせてもらった。高校で柔道部に入ってあれよあれよと体が分厚くなり、人懐っこい熊のようだった。
眉毛を一生懸命整えていた竹内くん。今思えばきっとノンバイナリーな人だった。男子グループに上手く馴染めていなかったけど、料理部に入って人は人自分は自分って感じに対処していた。ミステリアスで目が奪われた。
バスケ部の永田くん。学校ではまるで話したことなんてなかったけど、偶然電車で会ったとき、家のことや好きな本の話など、横浜〜藤沢まで楽しくおしゃべりできた。クラスメイトの陰口など一切言わなかった。鞄の角がすり切れていて、でも持ち手はきれいにしてあって、ものを大切に使うんだなと感心した。
テニス部の藤本くん。華やかな容姿で人目を引いたのに、結局誰とも付き合わず、いつも友達とふざけているか本を読んでいた。一度バスの中で何を読んでいるか聞いたら水滸伝だった。読書するとお小遣いもらえるんだよねと言っていたけど、きっと本当に本が好きだったんだな。
藤本くんの親友で、ある日突然私に現国を教えてと持ちかけて水木くん。勉強なんてしてこなかったけれど、医学部に行くって決めたからと言っていた。弟の病気を直せる医者になりたいってそんな漫画みたいな‥と思ったけど、全力で学ぼうとする姿勢にはむしろ教わることばかりだった。卒業生総代になって、答辞の添削を任せてもらえたときは胸が詰まった。
サッカー部で副キャプテンをしていたのに、引退試合の直前で怪我をしてしまい、試合には出れずコート外から大声で指示を出していた榎木くん。試合終了が近づくともう何も声を出すことなく、ただ制服の白シャツがはためいていた。
回転ドアの向こうに、自転車の後ろ姿に、夏の朝夕、暑さが残る淡く眩しい光のなかに男子学生を見かけると思い出す。みんな素敵だった。私恋ばかりしていたけど、それは当たり前だった。