はてなキーワード: 携帯とは
酒は百薬の長!
そしてパワースポット巡りをしたいなと思いながら書いてる
イェーイ!!!
元気だけは空回り!
冒頭だけはサンシャイン感出していくわっ!
サンシャインさんと言えば
そんなことより、
今緊急地震速報的な自信の通知が来て
これ映画館でなったらほんと嫌よね
訓練とは言え、
まあ仕方ないかしら。
未然に分かってたら訓練じゃないし
だから携帯の電源切っとけっつったでしょ!って喧嘩になっちゃうわ。
イェーイ!!!って感じよ。
今日は元気いっぱいそれだけで乗り切りましょう!
サンドイッチの挟まないやつはサンドせずイッチと言うと思いきや、
知らなかったわ。
ピーマンの肉詰めって言うより、
ピーマンに肉詰めって感じよね。
正にその通り!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
iOSの場合は分かってる人がセットアップしない限りApple IDの作成とパスコードの設定は飛ばしづらいようになってるよね 携帯ショップが勝手に客端末を弄り回してマルウェアを入れるからみんな知らないのかな
パソコンで絵を描きながら小窓で動画見て携帯でソシャゲ周回してタブレットで放置ゲーしてるのって時間を有効に使えてる感ある〜〜〜〜正直動画の中身半分ぐらい飛んでるけど楽しいからオッケー!
寝落ちしても問題ないし明日のこと考えなくていいから最高にストレスフリー!
もはや踊り出したいぐらい楽しい〜〜〜!!壁ドンされるからしないけど!
冷蔵庫にビール残ってるからこれ書いたらポテチつまみながら飲も!!すっごい自堕落!最高!!一生休日前の夜ならいいのに!なんでもできる気がする!ヒャッホー!!!!
90年代後半~2010年代の男子高校生の生態が的確すぎて「わかりみが深い」「○○も追加で」と楽しむ皆さん - Togetter
https://togetter.com/li/1206408
なお地方、偏差値50以上60未満、私自身は陰キャ寄りの素朴な高校生活であった。
陽キャよりの人はDA PUMPとか聞いてた気がする。
あとモー娘な。
私は陰キャだったので椎名林檎を聞いていた。
あとスカ系が結構流行ってた気がする、東京スカパラダイスとかKEMURIとか。
ビジュアル系もまだ元気だった、GLAYとかL'Arc~en~Cielとかマリスミゼルとか。
・安室奈美恵に言及して浜崎あゆみに言及しないのは到底受け入れられない、
不幸な生い立ちを綴った自伝が出るわCD同時リリースするわ偉い騒ぎだった。
安室奈美恵と浜崎あゆみは常に比べられてた、みたいな記事よく見たが
アムラーはもう少し上の人たちだった。
あとハモネプがすごく流行っていて、男子がみんなボイパをはじめた。
一応履くけどそんなにしなくてもね、みたいな。
あとユニクロじわじわ流行ってた気がする、みんなでカタログを教室で見た記憶がある。
女子のタイプによってはベティーズブルーのショップバッグ持ってた。
みんな縮毛かけて定規で引いたような髪をしていた。
アイメイク偏重期だった、マスカラごりごりつけてひじきみたいになってた。それがかわいいとされていた。
あと腰パン。そんで裾を片方だけまくって足首を出す。
いわゆる無造作ヘア。
陽キャの人のことはわからないすまない。
ポケベルもまだいたがすぐに消えた。
はじめはストレート型白黒画面単音だったのに、
それまで単純なブザー音の高低だけで着メロを鳴らしてたのに、
教室で誰かがうっかりならしてざわついたのを覚えている。
携帯にはストラップをつけ、制服のポケットから覗かせて個性を出していた。
じゃらじゃらつけまくる派やぬいぐるみをぶら下げる派などいた。
大阪の食い倒れ人形とどーもくんのうさじいは、それぞれ気に入って長くつけてた気がする。
SMAPはすでに地位を確立していて、あこがれたり真似したりする対象ではなかったと思う。
まだAmazonがない頃で、ヤマトのブックサービスで友達と送料割り勘にしてよく本を買ってた。
そういや冷静と情熱の間を読んだりしたな。
あの頃は村上春樹が今みたいにノーベル賞だ売り上げだと叩かれたりしてなくて、もちろん有名ではあったが
藤原竜也が身毒丸に抜擢されたり、バトル・ロワイアルに出たりしたころだった。めっちゃ好きな子がよくいた。
326が流行ってた。
私も私の周りも三谷幸喜が当然みたいに好きだった。
携帯料金のシステムを牛丼店での料金プランとして置き換えた増田、秀逸だな。
江戸時代の米ではないが、生活に必須のレベルなので。そのうち、携帯電話の番号にも税金が課せられるようになりそうな、気がする。
だから、役所(総務省だった?)が携帯電話の番号を管理するようになると、いう流れになるなら、かなり、大変な気がするが。
訪日外国人からも、合理的な理由で徴税できる仕組みなるのか?とも思ったり。。
取引先に行く用事があり、何度か昼過ぎ頃電車に乗っていつもと違う所へ行くことがあった。
当時はまだスマホがなかったので、事前に地図を見て降り口を確認していた。ちょうど先頭車両に乗るとよいことも調べていた。
そして、この際だからとシリーズの小説を鞄に入れて、通うことにした。
時間帯が時間帯なので人は少なく、のんびりと入り口横の座席に座って小説を読んでいた。
座席は埋まっていたが、立っている人はそれほど多くない程度だったと思う。少なくとも、自分の前に人が立つことは無かった。
そうして数十ページ読み進めていると、入り口近くで「あ、すいません」と男性の声がした。
何かの拍子でぶつかったりしたのだろうと思い、また小説の世界に戻った。
別の日のことである。
また「すいません」という声がした。
女性は胸に手を当てて「いえ……」と言いながら、位置を少し離れた。
男性は携帯を持って、頭を下げて、やはり、少し位置をずらした。
自分も乗車中に携帯が鳴ってしまい、慌ててジーンズのポケットから携帯を取り出そうとした時、女性の胸に肘を当てたことがあった。
多分、似たようなことだったんだろうと思い、いたたまれないよなぁ、と二人に同情しながら、文面に目を落とした。
また別の日のことである。
小説は次の巻に移っていて、鞄の中は多少軽くなっていた。
「すいません」と声がした。
顔を上げた。
男性は同じ人だった。
同じように二人は少し離れて、吊革を掴み直していた。
また小説を読もうと顔を下げたが、気になって、文章が頭に入らなかった。
まだまだ若く、スーツを着て、少しはねた髪の毛をいじっていた。
ぼんやりと見ていたが、特に何をするでもなく、予定の駅に着いたのでそのまま降りた。
次の日のことである。
その日は雨が降ったからか、多少混んでいた。
座席は埋まり、入り口前だけでなく、座席前の吊革につかまっている人もいた。雨の臭いが少し、社内に漂っていた。
傘を持っていたので、この時は本を読んでいなかった。
鞄を膝に載せて、吊り広告の週刊誌の見出しを眺めていると、「すいません」と声がした。
昨日と同じように二人は少し離れ、女性はすぐ着いた駅で降りていった。
「大変ですね」と声を掛けていた。
男性はすぐは自分に声を掛けられたと分からなかったようだが、目を瞬かせて、少し落ちつかなげに、「あ、はい」と答えてくれた。
「自分も経験ありますが、いたたまれなくなりますよね」と話した。
「そうですね」と答えた。
「昨日も見かけたんですよ」と話した。
「そうですか……」と答えた。
男性は次の駅で降りていった。
何度か同じ車両に乗ったものの、同じシチュエーションに出会うことはなかった。
男性を見かけることもなかった。
小説は読み切れず、自宅で読んだ。
数日前、その電車に十年程ぶりに乗った。
駅は見違える程綺麗になっており、入り口や出口なども変わっていて、多少迷った。
それでもなんとかたどり着き先頭車両の場所で電車を待っていると、足下にピンクの目印が目に入り、ひとつ後の車両の方へと移っていった。
スマホのロックがどうこうって話題をたまに耳にするけど、みんな使ってる?
仕事で使うから色々ルール決まっていてしかたなくセキュリティを厳しくしてるのは別
興味持って使ってみてもすぐ面倒だからと解除した
指紋とか顔認証とか言ってすごいね~とは思うもののそもそもロックしないからあまり関係ない話と思ってる
顔認証が楽で早いとか言っても開いた時点や、ボタン押した時点ですぐ使えるのが一番早い
落としたら?とか言われても貴重品類はこまめに持ってるか確認するからなくしたこととかないし、
仮になくしても大したものは入れてないからむしろ本体の値段分の損した気分のほうが大きい
ガラケー時代だとロック書けてる人ってそんなにいなかったと思うし(少なくとも自分のまわりでは)
書けてると逆に人に見せれないような何か保存してるんじゃって思うようなものだった
家族ですら携帯触らせないような人もいるみたいだが、ウチでは全然そういうのはなかった
自分のが手元にないから親のを使っていたり、相手を知っているなら代わりにメール返信しといてー、とかそれくらい
私は未だにガラケーも使ってるしその頃と変わらないまま
最近はロックしてる人が多いとは聞くがめんどくさいしロックなんてしないで使ってる人もまだ多いように思う
変更前
9年ほど前、地方都市の小さな町工場を経営していた父が亡くなり、家族と古株社員に説得され、地元に戻って27歳で後を継いだ。元々継ぐ気はなく、大学以降ずっと都内で過ごしていたので、地元に馴染めず苦労した。仲が良かった友達もほとんど地元を離れていたし、社員や親戚とは話が合わず、友達を作ろうとスポーツサークルに入ってみたら元ヤン達が幅を利かせていてすぐ辞めた。おれは孤独だった。
そこに青年会議所の誘いが来た。何をやっている団体なのか全く知らなかったが、地元の祭りや花火大会を盛り上げたり、まちづくりのボランティア活動やビジネスセミナーなどを通じて経営者として勉強して、地元の中小企業の経営者同士のネットワークを構築するのだという。活動内容にはピンと来なかったが「経営者には経営者同士しか分からない悩みと孤独がある。それを共有できる仲間ができる」という言葉が突き刺さった。入会金1万円と、1年分12万円の年会費を振り込み入会した。
1年目。子供達のサッカー大会の運営に携わった。市民と一緒にゴミ拾いをした。花火大会のポスターやチラシを検討する部会に入り、自分の意見が採用されると誇らしい気分になった。居酒屋やバーに行く仲間ができ、バーベキューをしたり、地元でようやくリア充的な日々が送れて嬉しかった。
2年目。市長や国会議員や100人以上のOBが集まる新春懇談会を運営するスタッフになった。はじめての出向も経験した。それまでは市単位の活動だったが、県内各地の青年会議所と一緒に委員会を作って活動するのだ。遠方まで出かけ、はじめて行く町で真面目に会議をし、そのあと楽しく飲んで仲良くなった。自分自身が拡張されるようで、嬉しくなった。
3年目。4年目。だんだん色んな役職を任された。後輩ができ、教える立場になった。隣県で開催されるフォーラム、京都での会議、横浜でのカンファレンスなどに参加した。たまに動員に協力させられる憲法や領土問題などのセミナーや、いろんな署名活動のお願いなども、積極的とは言えなかったが協力した。
5年目。国内で国際会議が開催されることとなり、その運営に携わる委員になった。全国あちこちで開催される会議に毎回参加した。横断幕バナーを持つためだけにヨーロッパにも行った。会社は何とか軌道に乗っていたし、自分の勉強にもなると説得されて役目を承諾した。大変だったが、充実の日々だと自分に言い聞かせた。
6年目。ブロック (都道府県レベルの組織) の役員をやった。ブロック内の新入会員に、青年会議所のビジョン・ミッション・バリューを叩き込む役割だった。トップであるブロック会長の教えは厳しく、ブロック内の理事長達が集まる会議に提出した議案は「背景・目的と手法が乖離している」と叩かれてボロクソに言われたが、意地を張って徹夜で修正し、通した。理事長達に「成長したな」と言われて涙を流した。
7年目。地方の青年会議所を束ねる上位組織、日本青年会議所のスタッフになった。トップに立つ会頭の言葉は絶対で、役員と一緒のエレベーターに乗ることは許されず、奴隷のような扱いをされながらホテルに缶詰になって上からの指示を徹夜でこなした。なにしろ、国民的な憲法議論を喚起するという大切な事業を遂行するのだ。何度も壁にぶつかったが、委員長や常任理事のアドバイスもあって乗り越えた。素晴らしい先輩達に恵まれたと感じ、あの人達のようになりたいと思った。
8年目を迎える直前の年末、母が倒れた。会社はいつのまにか赤字に転落していた。売り上げが落ち、接待交際費と交通宿泊費が激増していた。来年の理事長に相談した。その人を支える女房役となる専務理事を引き受けていたからだ。役目を引き受けるのは無理だ、JCは休んで仕事に専念しないと会社が危ないと話した。次年度理事長は言った。逆境が人を強くする、それはその人に与えられた試練だ、人は乗り越えられない試練を与えられることはない、だから仕事もJCも死に物狂いで頑張れ。そう言われた。
こいつは何を言ってるんだ。
バカなのか?
おれが今までどれほどJCのために頑張ってきたと思っている。
少しくらい休むことも許されないのか? こんな状況なのに?
そしてすうっと冷静になり目が覚めた。
おれは友達が欲しかった。それと、しぶしぶ継いだ会社だったが、なんとか頑張ろうと思って、その役に立つと思って勉強しようと思った。そんな中、せっかく誘われたことだし、青年会議所がどんなものか分からないけどやれるだけやってみようと思って、やってくる機会にチャレンジしていた。そしたらいつの間にか、おれは青年会議所が命じたままに憲法改正や領土領海問題を他人に説き、偉い偉い役員様が海外でスピーチする時のガラガラの席を埋めるためだけに自腹でニューヨークやオランダに行く人間になっていた。そして家族と会社が不幸になっていた。
それでおれは、退会届けを出した。引き止めは強烈だった。携帯が鳴り続け、会社に何度も色んな人が来た。時に優しく諭され、時に怒鳴られ、時に泣かれた。父の友達だったというOBまでやってきた。地元の集まりに顔を出しにくくなるぞと脅されもした。どんどん青年会議所が怖くなり、嫌いになり、おれは意思を貫き退会した。
青年会議所には、入会前のおれのような人間が陥りやすい罠が待っている。孤独を埋めてくれる仲間と、彼らと一緒にわざわざ作られた苦労を乗り越える経験から得られる高揚感だ。ほどほどで満足できるうちはまだ良いが、のめり込むとだんだん、周りが見えなくなる。入会前に母が「JCはやめておきなさい」と言ったのを聞いておけば良かった。ごめん。病院のベッドに横たわる母に謝ると、彼女はテレビから目を離さずにこう言った。
変更後
Facebookメッセンジャーで脅されたので、全文晒して真っ向勝負しようかと思いましたが、戦っても1円にもならないので削除します。コメくれた人、読んでくれた人、すいません。
偉大なる元増田様
https://anond.hatelabo.jp/20180306002045(削除済)
https://megalodon.jp/2018-0306-0620-50/https://anond.hatelabo.jp:443/20180306002045
archive.is
9年ほど前、地方都市の小さな町工場を経営していた父が亡くなり、家族と古株社員に説得され、地元に戻って27歳で後を継いだ。元々継ぐ気はなく、大学以降ずっと都内で過ごしていたので、地元に馴染めず苦労した。仲が良かった友達もほとんど地元を離れていたし、社員や親戚とは話が合わず、友達を作ろうとスポーツサークルに入ってみたら元ヤン達が幅を利かせていてすぐ辞めた。おれは孤独だった。
そこに青年会議所の誘いが来た。何をやっている団体なのか全く知らなかったが、地元の祭りや花火大会を盛り上げたり、まちづくりのボランティア活動やビジネスセミナーなどを通じて経営者として勉強して、地元の中小企業の経営者同士のネットワークを構築するのだという。活動内容にはピンと来なかったが「経営者には経営者同士しか分からない悩みと孤独がある。それを共有できる仲間ができる」という言葉が突き刺さった。入会金1万円と、1年分12万円の年会費を振り込み入会した。
1年目。子供達のサッカー大会の運営に携わった。市民と一緒にゴミ拾いをした。花火大会のポスターやチラシを検討する部会に入り、自分の意見が採用されると誇らしい気分になった。居酒屋やバーに行く仲間ができ、バーベキューをしたり、地元でようやくリア充的な日々が送れて嬉しかった。
2年目。市長や国会議員や100人以上のOBが集まる新春懇談会を運営するスタッフになった。はじめての出向も経験した。それまでは市単位の活動だったが、県内各地の青年会議所と一緒に委員会を作って活動するのだ。遠方まで出かけ、はじめて行く町で真面目に会議をし、そのあと楽しく飲んで仲良くなった。自分自身が拡張されるようで、嬉しくなった。
3年目。4年目。だんだん色んな役職を任された。後輩ができ、教える立場になった。隣県で開催されるフォーラム、京都での会議、横浜でのカンファレンスなどに参加した。たまに動員に協力させられる憲法や領土問題などのセミナーや、いろんな署名活動のお願いなども、積極的とは言えなかったが協力した。
5年目。国内で国際会議が開催されることとなり、その運営に携わる委員になった。全国あちこちで開催される会議に毎回参加した。横断幕バナーを持つためだけにヨーロッパにも行った。会社は何とか軌道に乗っていたし、自分の勉強にもなると説得されて役目を承諾した。大変だったが、充実の日々だと自分に言い聞かせた。
6年目。ブロック (都道府県レベルの組織) の役員をやった。ブロック内の新入会員に、青年会議所のビジョン・ミッション・バリューを叩き込む役割だった。トップであるブロック会長の教えは厳しく、ブロック内の理事長達が集まる会議に提出した議案は「背景・目的と手法が乖離している」と叩かれてボロクソに言われたが、意地を張って徹夜で修正し、通した。理事長達に「成長したな」と言われて涙を流した。
7年目。地方の青年会議所を束ねる上位組織、日本青年会議所のスタッフになった。トップに立つ会頭の言葉は絶対で、役員と一緒のエレベーターに乗ることは許されず、奴隷のような扱いをされながらホテルに缶詰になって上からの指示を徹夜でこなした。なにしろ、国民的な憲法議論を喚起するという大切な事業を遂行するのだ。何度も壁にぶつかったが、委員長や常任理事のアドバイスもあって乗り越えた。素晴らしい先輩達に恵まれたと感じ、あの人達のようになりたいと思った。
8年目を迎える直前の年末、母が倒れた。会社はいつのまにか赤字に転落していた。売り上げが落ち、接待交際費と交通宿泊費が激増していた。来年の理事長に相談した。その人を支える女房役となる専務理事を引き受けていたからだ。役目を引き受けるのは無理だ、JCは休んで仕事に専念しないと会社が危ないと話した。次年度理事長は言った。逆境が人を強くする、それはその人に与えられた試練だ、人は乗り越えられない試練を与えられることはない、だから仕事もJCも死に物狂いで頑張れ。そう言われた。
こいつは何を言ってるんだ。
バカなのか?
おれが今までどれほどJCのために頑張ってきたと思っている。
少しくらい休むことも許されないのか? こんな状況なのに?
そしてすうっと冷静になり目が覚めた。
おれは友達が欲しかった。それと、しぶしぶ継いだ会社だったが、なんとか頑張ろうと思って、その役に立つと思って勉強しようと思った。そんな中、せっかく誘われたことだし、青年会議所がどんなものか分からないけどやれるだけやってみようと思って、やってくる機会にチャレンジしていた。そしたらいつの間にか、おれは青年会議所が命じたままに憲法改正や領土領海問題を他人に説き、偉い偉い役員様が海外でスピーチする時のガラガラの席を埋めるためだけに自腹でニューヨークやオランダに行く人間になっていた。そして家族と会社が不幸になっていた。
それでおれは、退会届けを出した。引き止めは強烈だった。携帯が鳴り続け、会社に何度も色んな人が来た。時に優しく諭され、時に怒鳴られ、時に泣かれた。父の友達だったというOBまでやってきた。地元の集まりに顔を出しにくくなるぞと脅されもした。どんどん青年会議所が怖くなり、嫌いになり、おれは意思を貫き退会した。
青年会議所には、入会前のおれのような人間が陥りやすい罠が待っている。孤独を埋めてくれる仲間と、彼らと一緒にわざわざ作られた苦労を乗り越える経験から得られる高揚感だ。ほどほどで満足できるうちはまだ良いが、のめり込むとだんだん、周りが見えなくなる。入会前に母が「JCはやめておきなさい」と言ったのを聞いておけば良かった。ごめん。病院のベッドに横たわる母に謝ると、彼女はテレビから目を離さずにこう言った。
>特定の属性を傷つける犯罪者には対応するためには、そもそもその犯罪者達を捕える方法を考えるべき。
>これは、女性専用車両を肯定するための質問ではないだろうか?
増田は、男子高校生狙いのカミソリ犯罪が頻発して、怖くて電車に乗れないという男子学生が多数出てきても、
要するに、この社会には、犯罪被害者を救済する施策はいらないという意見ととらえていいのだろうか?
つーか、
声を挙げてない場合は関知しない。
あと、
というのはどこにかかっているのかわかりません。
女性専用車両のことを言っているのなら、むしろ「未成年専用車両」とすればよろしい。
「優先席」同様、未成年は誰もが一度は通る道なので私は反対しない。
私個人の意見としては、(現状の捜査精度では痴漢については「訴えたって難しい」くらいで丁度いいと思う。
なぜなら、「痴漢」というものの定義がブレッブレだから。「新型痴漢」とかわけわかんないものもあるし。
「痴漢」の定義が確定、「疑わしきは被告人の利益」がもっと徹底されて証言ではなく物証によって痴漢が裁かれるようになれば
現状は十分、女性より。
何より捜査段階での聴取や法廷での証言を「セカンドレイプ」などと言って忌避するなら、司法の保護は受けられなくて当然では?
ここまで貴方は女性の立場を使って「できない言い訳」に終始している。
しかし、男女平等の世界では女性だろうが未成年だろうが自衛くらいは出来なければならないし、出来ないなら泣き寝入りが妥当。
(念のため書いておくが、女性専用車両は自衛にあらず。ほかの人の「協力」でしかない。)
その言い方を認めてしまうと、あなたはこれだけ女性のことを悪しざまに言っているのだから、あなたが女性から助けてもらえないのも当然、ということになるのではないですか?
でもそれは順番が違って、あなたは女性から助けてもらえなかったから女性を非難しているのでは?私も、助けてもらえなかったからその時居合わせた人を非難した(非難したつもりはないですが)というだけです。
ここまでの私の意見を、「女性のことをあしざまに言っている」と捉えてしまうのがもう、被害者意識と感じる。
私は女性の求めた「男女平等」を実現するために足りない部分を指摘しているに過ぎない。
あと、あなたは「助けてもらえなかったからその時居合わせた人を非難した」だけのつもりかもしれないが、
世間の女性は「その場に居合わせなかった男性」すらまとめて非難するのがお家芸となっている。
(安全が目的だと標榜する)「女性専用○○」などはその最たる例であろう。
あとね、実際言われたのね。気取って書いてややこしくしてスマンね。まあなんか弱そうな女性の容姿のことは声に出して非難していいと思っている人というのは、たまにいるものですよ。もちろんその人個人がよくないのであって、どこかの属性全体を非難するつもりはないよ。
それはご愁傷様でした。私は言わぬ。なぜなら自分のそのまま(あるいは倍以上になって)返ってくるし、何より品がない。
あと、「弱そうな女性の容姿」だけでなく「弱そうな男性の容姿」も声に出して非難されている。
敢えて属性同志でいうなら、お互いさまというほかない。
この文章はどこにかかっているのか分からないため、コメントできない。
男女関係なく、昔の倫理観はイカれていて、それは改善されつつあり(これは多分に願望ですが)、いまは過渡期だから混乱しているという、ただそれだけのことだと思ってる。だから男女にわかれて戦うのは悲しいなあ。
これは、(一部の声の大きい)女性が求めた戦争、女性の求めた混乱でしょう。
男性は自衛と自助を義務付けられて生きていて、さらには女性子供をすら、守るロールを強いられていた。今も強いられている。
(反面、歴史上で女性が男性の何を守ったというのか。ご教授いただきたいものだ。)
女性は「守られる存在」としてのロールに反抗して、そこから自由になった。
ここ最近3ヶ月ほどで漸く本配属が決まった
同じチームに1人、中年くらいの男性社員がいるのだが、最近その人に何か注意される度に涙が出るようになってしまっているのだ
きっかけとしてはつい1ヶ月ほど前、その人にひどく叱られたことに起因する。その人はベテランであり、至極真っ当なことは言っていた。けれど、言い方がなんというか、キツイかったのだ。人格攻撃はしてこないのだが、口調も責め立てるような形で。
その人が怒り終わった後、私も傍にいた先輩も泣いてしまい、思わず休憩室に行った程だ。
その後そのことが上席にも知れ渡り、その人は態度について注意を受けたらしい。
私もまた、上席に話す機会を頂いた。
上席曰く、その社員は昔から仕事は出来るが態度に問題があるらしい。どれくらいかというと
・派遣会社の人と揉めて2週間で辞めさせた(派遣会社に謝る事態になったらしい)
・機嫌に左右される 機嫌が悪いと他の社員に当たってしまう また人によっても態度を変える
・これまでも人間関係でトラブルを起こし、前の部署の上席や自分も再三注意している
・退職者への送別品など、チームでカンパするものも1人「払わない主義だから」という理由をつけて払わない
・新人のOJTをしていた時、あまりに物言いがキツくて見かねた教育チームからOJT変更の申し出があった
との話だった。
それでも、仕事ができるから…という事である意味大目に見られているらしい。注意をしてもあんまり直らないそうで、上席も「直ってくれないかなあ…」とぼやいていた。全くである。
さて、その後その人が態度が改まったかというと勿論そんなことがなかった。
その結果、最近では呼ばれる度に身構え、何か些細なことでも言われてしまうと涙ぐむようやってしまった。
最初の叱責で完全に恐怖心を植え付けられてしまったのである。早い話がトラウマ(笑)になってしまったらしい
先日も、その人が参加するMTGを仕切ることなったのだが、案の定そこそこに言われ、終わった後緊張の糸書かれた後もあってまた泣いてしまった
今日も、注意された内容で一部疑問があったので聞いて見たところ「せっかく教えてやってるのに、その態度は失礼だ!」と言われた
個人的に、メンタル弱いマンで基本八方美人、人を怒らせないように気を遣っていたので態度を褒められることはあっても失礼と言われたのは初めてなので驚いた 自分は寧ろ貴方に失礼な態度以外とられたようなことがない気がする 挨拶しても帰ってきた来ないし
ADHDで元々心療内科に通っていたのだが、ちょうどその人にひどく怒られた日と通院日が被っており、その余波で先生の前でも涙が止まらなくなり、心配させてしまった。
「その人の前だと涙止まんなくなって普通に業務支障出るんすけどどうしたらいいですかね」
と相談すると、
「その人の前で涙が止まらないのはちょっとあれですね…なら不安を抑える薬、少量ですがお出ししましょうか?」
次の日、早速ちょっとその人と関わる会議の前とか、怒られた後に飲んでみると結構落ち着いた。ADHDの薬飲んだ時も思ったけどく、薬ってスゲー!
とはいえ、その人と関わるのに薬が必要な状態って、健康じゃないよなあとも思うのだが。でも飲まないと多分涙が止まらなくなってしまうのだ。
ADHDだから、そもそも会社生活もその中の対人関係も普通より困難だとは思っていて、理不尽さを覚えつつも頑張ろうとは思っていた。
けれと、些細なことで叱責される度にADHDじゃなければこんなことにはならなかったのかなあ、と思わざるを得ないのである
女性専用車両賛成派によく見られる(と思う)傾向には色々あると思っているか、その内特に強い違和感を覚えるのは「女性専用車両はシェルター」とか、「女性は弱く、守られるべき」とか男女問わず言う人がいる。あとはルッキズム。この辺り、書いて行く。
いや、弱くないでしょ。強いよ。
寧ろ下手に腕力で優ってる分、それを逆手に取られた男性が言い返せないポジションをキープできる最終兵器ですらある。
そんな無敵ウェポンを振り回して一方的に男性をぶん殴る。守る必要なんてないね。
犯罪者は叩き潰せよ法的に。この国にはそれをする法律もある。ちゃんと助けを求めたら大抵の人は助けてくれるであろう。
それを怠って、日々痴漢に泣き寝入りとかするから、痴漢は図に乗るのだ。
そして、犯罪者を裁くための情報提供すら、「セカンドレイプ」などと言って尻込みする。被害者が言わねば誰が言うのか。
甘ったれんな。
自分のことは、(公権力の力を借りつつ)自分で守る。今迄、男性は当たり前にやってきた事だ。それくらいの事も出来なくて、何が男女平等だ。
男女平等を求めるなら、男女平等に「守られない」覚悟を持って求めよ。
女性専用車両が痴漢対策であったとしても、それは所詮「協力している」男性の慈悲。人の慈悲に縋っておいて、何を主張する資格があると言うのか。
今回の賛成派の最もゲスなところ。
反対派の外見を上げ諂って、「キモい」「モテない」と言いたい放題。
そんな態度で、なんの「協力」が得られるのか。反対派は益々意固地になるであろう。女性への憎しみも募るのは間違いなく、乗車活動も止むまい。
女性専用車両は、痴漢以外の男性の「協力」で成り立ってる。「優しさ」「慈悲」と言い換えてもいい。どうか賛成派(のうちの過激な輩)はこのことを肝に命じて貰いたい。
女性に優しくされない以上、女性に優しくする必要などありはしないのだ。
ブコメに返信。
お、良い増田がいた。追記で答えて欲しい。満員電車で特定の属性をそっとカミソリで傷つける犯罪が頻発したとして、その属性の専用車両を設けることは差別になるかい?こども、高齢者、男子高校生専用などなど。
特定の属性を傷つける犯罪者には対応するためには、そもそもその犯罪者達を捕える方法を考えるべき。
すべての女性は被害者ではなく、そして女性は全く弱者ではない。
だれも助けてくれずレイプまで行った大阪の件とかは置き去り? バーフバリ嫁みたいに置換即指切り位できればともかく、相手は自分が強いと思って痴漢してるんだから無手で戦えるわけもなく(´・ω・)
ある1件そういうケースがあったからといって、皆がそうではない。
私はその場にいなかった以上、まったく無関係であり、御堂筋線事件のとばっちりを喰らう必要はない。
ほかの非痴漢男性も同様。
男女平等、守られることを放棄して同じ土俵に上がった以上みんな"バーフバリ嫁みたいに"なるべき。
何が恥ずかしいのかな?
平等を謳っておきながら、自衛もせずに人の善意にすがりつつ悪態をつくほうがよっぽど恥ずかしい。
何ら指摘もせずに人のエントリを「恥ずかしい」と罵るのも恥ずかしい。
根拠なく「日本だけじゃないのかな」とか言っちゃうのも出羽守。恥ずかしい。
役満ですな。
要らぬ。
あと面白くない。遠回しに「お前はガキだ」といってるつもりだろうが、面白くない。
やり直し。
現に今まではそうだったわけだから。
(男女雇用機会均等法は1985年制定。もう30年経ってるのにまだなんですかね)
違う。社会が安全であろうとなかろうと、女性は「(女性というだけで特別に)守られる」必要も資格もない。
それが男女平等。
貴方が過去形10回ほど男性に加害されたのは確かにお気の毒ですが、それで何の対策も講じなかったのだろうか。
あと、「あなたを襲った男性(達)」は「あなたを襲った男性(達)」でしかなく、
当方はじめ善良な男性には一切、まったく、何の関係もありません。
言いたくなくても、言わねばならないときはある。
必要な時(事情聴取、証言など)は過不足なく、されたことを言わねばならない。
それすらできない様では、泣き寝入りするしかなし、もっと言うなら(次の犯行を止められなくなるため)共犯者に近い。
女性が全員女性専用車両に乗らないから(=男子トイレ、女子トイレみたいにならないから)
なのでこれは誤り。
男女平等なので、男性(これは痴漢異常者含む)も銃を持つがよろしいか?
個別のケースなんて見てもキリがないから統計だけで語れば良いんじゃね。
おかげとか慈悲とかエモい要素は要らない気がする。
統計的差別を認める?
なら生休取得量とか辞職率とかで女性が就職できなくなってもよろしいな?
よろしいなら筋が通る。
あと、使いもしない「腕力」を根拠に加害者扱いするのは、暴力。
トイレや浴場は「女性用」と「男性用」が存在し、男女ともに異性から守っている。
2秒考えたら分かることでは?
痴漢被害者は圧倒的に女性だから守られる存在なのは事実でしょ。
以下のような条件を受け入れられる人が良いと思っております。
この条件が厳しすぎるのかどうか、みなさまの意見を伺いたく思います。
・生活費(食費、携帯代)と家賃を支払ってくれること(光熱費、ガス代、雑費くらいは面倒見る)
・帰宅する前(帰りが遅くなると分かった段階)に必ず連絡を入れること
・飲み会に行くならすぐに連絡を入れること
・ごみ出し、買い物、料理、食器洗い、洗濯物、掃除は分担(または当番制)にすること
・月に1度、機嫌が悪いときは放っておくこと(愛想が悪い!と怒鳴るの禁止)
・セックスしたくない時は応じ、不機嫌にならないこと。AVなどは目に付くところでやらないこと
・お弁当を用意してほしい場合、お弁当箱の準備やお弁当箱を洗うのは自分で行うこと
・早く帰ってきた場合はご飯を炊いておくこと
・機嫌が悪いときに「そうなの」「へー」と返事をしても、愛情を持って許してくれること
・嫁が風邪をひいた場合、嫁の看病、および食事の準備を行うこと
・やってもらって当然!という立場ではなく、何かしてもらったら「ありがとう」が言えること
正直、最低限これらがクリアできないと共働きとして養うのは厳しい、と思っています。
周りの友人に言っても、要求が高すぎるという人、これぐらいは当然だろ、という人様々で、実際の女性の意見がわかりません。
子供はいまのところ夫婦で相談していければ、という立場なので、
相手の男性の年齢も、幅広く考えていければと思います(理想的には私より年下が良いですが)
子供ができた場合は、改めてこれらのことを話し合いたいと思っています。
よろしくお願いいたします。
2年ちょい前、Twitterでよくある○○が好きな人というタグで知り合った。
当初はお互いよそよそしく、正直そんなに仲良くなれないだろうなと思った。
でも、色々と共有するものが増え、お互いの好みを把握し、ちょっとしたことを乗り越えて、なんだかんだ一年もった。
お互い決して穏和な性格ではない。ためてためて突然キレる。
恐らく、物理的な距離の関係で一度も会ったことがなかったのが幸いしたのではと言う結論に至った。
1年越えた辺りで、友達は自傷をしていることをさらっと告げてきた。
この人が!?と驚いたけど、なんでもない風を装った。もしかしたら動揺が伝わっていたかもしれない。
過去にも自傷をしていた友達がいたので、記憶を辿りながら話をしていった。
ちなみに私も友達も若いうちに死にたいと言うことを話すようになったのもこの頃だったし、私が心療内科に通い始めたのもこの頃だった。多分。
友達はどうだったか分からないけど、少なくとも私は同じ悩みを共有する相手がいたことに本当に救われた。
死にたい、苦しい、辛い、逃げたい、助けて。
暗い感情を分かち合う人がいることが心を軽くしていた。
DMでそんなことをどちらかが送る。内容によっては当日じゃなくて次の日だったりするし、どちらかがSOSを出した時はちょっと急ぐような、そんなゆるい感じだった。
ただ遅れても絶対に返事はする。たとえ用事が済んでても。それはなんとなく出来ていた約束のようなもの。
で、知り合って2年経ってようやく友達と会うことになった。
私が好きなジャンルのプチオンリーが初めて開催されることになり、何が何でも行かなくては!と言ったところ、友達も行くから会えるねと。
10分くらいだったろうか。その後お互いに用事があるからと立ち話で終わった(笑)
お互い死ぬまで会わないかもねとずっと話していたけど、会えたことが本当に嬉しかった。
「次会う時はどっちか死んでそうだよねwww」なんて言いながらハグして別れたけど、私は名残惜しくて少し泣いた。多分友達は知らない。
それから友達の状態は目に見えて悪化していたけど、実家だし大丈夫だろうと思っていた。
一週間音沙汰がないことも増えてきて、その度に時間は空くけど返事があることに安堵していた。
そんなことが続いていて、私が少し他のことにかまけていた間に友達のツイートが止まっていた。
『死にます。今までありがとう』と言った内容だったけれど、いつものかなと思って、生きてる?なんてDMを送った。
それから2週間返事がなかった。
友達の推しキャラのソシャゲイベント告知があり、これで戻ってくるだろうと思って再びDMを送った。でも返事はなかった。
この時点でも閉鎖病棟に入って隔離でもされてるのか、重課金が親にバレて携帯没収されてるのかなくらいにしか思ってなかった。
過去にそう言う友達がいたのでそんなに焦っていなかったのも良くなかったと今は思う。
それから1ヶ月、もっと早く動けよお前と言われても仕方がないのだけど、友達宛にはがきを出した。
閉鎖病棟に入院していても、携帯を止められても親の目に入れば安否確認は取れるだろうと思った。
それまでも誕生日やクリスマス等、イベント毎にプレゼントを贈りあっていたので、友達の親にも私の名前と住所は知られているからいけると思った。
1ヶ月も間が空いたのは、私のもしもの予想が当たっていたらどうしようという気持ちがあったからだった。
数日経って、仕事上がりに携帯を見ると見知らぬ番号から着信があった。
私は知らない番号は詐欺や宣伝等の恐れがあれば拒否設定をするのに全て検索をかけるようにしている。
どこの野郎だと鼻息荒く検索をかけたら、友達の家があるところの番号だと分かった。
動悸がした。手がふるえた。信じたくなかった。
恐ろしくて、すぐに掛け直せなかった。
次の日の夜、思い切ってその番号に電話をかけた。
手も声も震えていたと思う。
そこからの会話は今も信じたくないけど、ご家族から1ヶ月以上前に亡くなったと聞かされた。
ご両親とも私が名乗るとああ、とすぐ分かってくれたし、あのプレゼントの方ですよね?と言ってくれて、友達はご家族によく私の話をしてくれていたようだった。
私へお返しのプレゼントを一緒に考えていたと聞いたところでもうね、泣いてしまってね。
四十九日も過ぎたので、一周忌前には会いに行きたいと思ってるんだけど、心が追い付かないのが現状。
色々と考えてしまうけど答えは見つからないし、仏前に手をあわせるまで受け入れられないままだと思う。
私は幸いと言うべきか分からないけれど、ネットを越えてつき合いがあったので友達の死を知ったけれど、SNSでつき合いのあった人が突然死んでも気付かないんだなっていうこと。
話しかけて返事が来るって当たり前のことじゃない。
もう一度返事してほしいなって今も思ってしまう。
だからみんな友達大事にしろよな!ってことでもなんでもなく、ただ私が今の感情と記憶を忘れてしまうのが怖くて書き留めてるだけです。
二人だけの秘密も徐々に忘れて、いつかそんなこともあったなあって思うのが今は怖いです。