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はてなキーワード: 夜もヒッパレとは

2023-12-31

なんで『夜もヒッパレ!』になってんねんな…

2020-11-16

夜もヒッパレ を再評価する

当時は本人に歌ってほしいわ、なんでオッサンカラオケ聞かなきゃいけないんだよと思ってたけど

尾崎紀世彦が歌ってたりするの超すごいなと再評価しました。

ヒッパレルネッサンス

2018-03-08

1999年高校生(田舎編)

90年代後半~2010年代男子高校生の生態が的確すぎて「わかりみが深い」「○○も追加で」と楽しむ皆さん - Togetter

https://togetter.com/li/1206408

これ見たけどキムタクアムロ微妙にずれてる気がしたので

自分高校時代を振り返る。

なお地方偏差値50以上60未満、私自身は陰キャ寄りの素朴な高校生活であった。

・当時の音楽としてはバンプ、19、ゆずあたりが印象深い。

 陽キャよりの人はDA PUMPとか聞いてた気がする。

 女子は全員aiko聞いてた。

 あとモー娘な。

 私は陰キャだったので椎名林檎を聞いていた。

 あとスカ系が結構流行ってた気がする、東京スカパラダイスとかKEMURIとか。

 ビジュアル系もまだ元気だった、GLAYとかL'Arc~en~Cielとかマリスミゼルとか。

 音楽番組たくさんあったよなあ。夜もヒッパレすきだったな。

 

安室奈美恵言及して浜崎あゆみ言及しないのは到底受け入れられない、

 不幸な生い立ちを綴った自伝が出るわCD同時リリースするわ偉い騒ぎだった。

 安室奈美恵浜崎あゆみは常に比べられてた、みたいな記事よく見たが

 当時は完全に「鈴木あみ浜崎あゆみ」だった気がする。

 アムラーはもう少し上の人たちだった。

 あとハモネプがすごく流行っていて、男子がみんなボイパをはじめた。

服装ルーズソックスは衰退期にあった気がする。

 一応履くけどそんなにしなくてもね、みたいな。

 うちは比較的おとなしめの校風だったから余計かもしれない。

 あとユニクロじわじわ流行ってた気がする、みんなでカタログ教室で見た記憶がある。

 カーディガンパーカーオーバーサイズ定番だった。

 あとBEAMSショップバッグを持ってた。

 女子タイプによってはベティーズブルーショップバッグ持ってた。

 ジャージかいれて学校に持っていった。

 とにかく髪はまっすぐストレート正義だった。

 みんな縮毛かけて定規で引いたような髪をしていた。

 アイメイク偏重期だった、マスカラごりごりつけてひじきみたいになってた。それがかわいいとされていた。

 男子はとりあえずスニーカーソックス履いてた。

 あと腰パン。そんで裾を片方だけまくって足首を出す。

 ベルトはキャンバス地?みたいなやつで片方垂らす。

 この辺は冒頭の記事の02年~の男子の方が近い。

 髪型として目標にされてたの妻夫木だった気がするな…

 いわゆる無造作ヘア。

雑誌CUTiEとかzipperかばっかり見ていた。

 陽キャの人のことはわからないすまない。

ケータイ高校時代激動だった。

 ポケベルもまだいたがすぐに消えた。

 ピッチが次第に駆逐され、ケータイを持つのふつうになり

 はじめはストレート型白黒画面単音だったのに、

 画面がカラーになり、和音着メロができたときは衝撃だった。

 それまで単純なブザー音の高低だけで着メロを鳴らしてたのに、

 まるでキーボードのような音色、そして和音

 教室で誰かがうっかりならしてざわついたのを覚えている。

 携帯にはストラップをつけ、制服ポケットから覗かせて個性を出していた。

 じゃらじゃらつけまくる派やぬいぐるみをぶら下げる派などいた。

 私はシンプルなやつをひとつだけ、がすきだった。

 大阪の食い倒れ人形どーもくんのうさじいは、それぞれ気に入って長くつけてた気がする。


・ちなみにジャニーズいちばん世代に近いのはV6だと思う。

 SMAPはすでに地位確立していて、あこがれたり真似したりする対象ではなかったと思う。

あと個人的な思い出として楽しかたこと。

まだAmazonがない頃で、ヤマトブックサービス友達と送料割り勘にしてよく本を買ってた。

そういや冷静と情熱の間を読んだりしたな。

あの頃は村上春樹が今みたいにノーベル賞だ売り上げだと叩かれたりしてなくて、もちろん有名ではあったが

今みたいに皮肉めいたニュアンス引用されることはなかった。

あの頃の「村上春樹風に○○を語るスレ」には愛があった。

藤原竜也身毒丸に抜擢されたり、バトル・ロワイアルに出たりしたころだった。めっちゃきな子がよくいた。

326が流行ってた。

私も私の周りも三谷幸喜が当然みたいに好きだった。

古畑任三郎の深夜に今泉慎太郎をやってた。

以上。片田舎シンプル高校生活の思い出。

2010-10-26

ガラパゴス化孤独化、仏化

テレビネットの融合、なんて起きないような気がしてきた。

テレビテレビ進化して、ネットネット進化するんじゃないかと。

これまでもこれからも。

テレビを見る人間ネットをみないし、その逆にネットに浸かった人間テレビを見なくなる。

似たようなことがいろんな製品に対して起こる。

というか起こってるように思う。

たとえば、都市民は車から離れ、地方では鉄道離れが起きる。

地方では紙幣が主流だけど、都市部では電子マネーが主流になる。

ちょっと考えれば、日本中で同じサービス提供するなんて無理だし、効率的じゃない。

田舎suicaが使えなくたって、田舎iPhoneがつながらなくたって、代わりのものがあればいいじゃないか。

なんか高級住宅街とスラム街にわかれてる昔のアメリカみたいだよね。

高級住宅街とスラム街住み分けと違って、明確な上下関係はないんだろうけどさ。

都市部への嫉妬とか憧れとかもなくなると思う。

みんなが持ってるから自分も欲しい、みたいな物欲はなくなるんじゃないかな。

他人は他人、自分自分、よそはよそ、うちはうち。

だんだん、他人に興味がなくなるんじゃないかな。

みんなもう政治とかに興味ないじゃん。

そのうち芸能とかスポーツにだって興味が失せるよ。

他人がサッカーしてるのを見たってさ、「自分がしてるわけじゃねーし」くらいに思うようになるんじゃないかな。

昔、「夜もヒッパレ」って番組がやってたじゃん。芸能人カラオケする番組

なんで他人がカラオケする番組なんかやってたのか今じゃ謎だよ。

でも、サッカーに対してだってそう思うようになるよ。

どんなスーパープレーだって、見慣れちゃえばさ。

掲示板ツイッターもそのうち廃れるよ。

呟くなら、自分の部屋で、ただ声に出す。

そういう時代になるんじゃないかな。

いいかげんこの世の無意味さに気付くだろ。

すげーな釈尊って。

この境地に2400年も前にたどり着いていたんだもん。

2009-11-05

表現する側で生きていきたかった話



今日夜もヒッパレと言う番組を見ていたら「小柳ゆき」という少女が「愛情」と言う歌を歌っていた。

小さな体なのに凄いパワフルな歌声で、ちょっと感動してしまった。

才能が有るって素晴らしいな。

自分もあっち側に行きたかったがな。どこにも相手にされなかった。才能が無くって悔しいな。

子供の頃からなりたくなかった月給取りをもう何年やっているんだろう?

10年以上いる会社がいまだ馴染めずにいる。

学校卒業してすぐに会社に入ってソコしか知らない人は、当然だけれど自分とは価値観が全然違う。

この人達は、バイトが無く、家賃が払えず大家さんに謝る惨めさも知らなければ、偶然見上げた夕焼けの美しさに、

暗くなるまで路上に立尽くした事も無いだろうな。

別に自分が正しいと言うつもりは無いよ。仲間がいなくてつまらないというだけさ。

自分は、10年間ここでは異邦人だ。

東京にいた頃、魚河岸で働きながら油絵を描いている仲の良い友人がいた。

夕焼けに感動した日、彼のアパートに飛んでいって、夕焼けが綺麗だったと言ったら、良いものを見れて良かったと喜んでくれたな。

彼は同性愛者で、一度酒盛りをして泊めてもらったら、朝方大事な所をまさぐられてビックリして飛び起きたことが有ったけ。

自分女好きで、そちらのほうのお付き合いは出来ませんでしたが、それからも仲良く遊びにゆきました。

彼はとても優しくて、いい人でした。

夢破れて静岡に帰るとき、惨めになるから見送りには来ないでくれと仲間に言って回りました。

でも彼だけが来てくれました。12月の寒い日、一年中履いているゴム草履をペタペタ鳴らして来てくれました。

彼の笑顔を見て、「やっぱり帰らない」とどんなに言いたかった事か。

渋谷の教室によく、裸婦デッサンに連れて行ってくれました。

魚河岸で一番筋肉質の人を頼んで、かれのアパートで、裸夫デッサンをした事も有りました。

強暴とも呼べそうな凄い筋肉マンでしたけど静岡に帰った自分が3年ほどして彼の所に遊びに行くと、2人で同棲してたのには驚きましたね。

彼も間違い無く、サラリーマンにはなれない素敵な人です。

今は陶芸転向して故郷で窯をひらいているそうです。

今年、東京個展を開きますと、年賀状に書いてありました。

小柳ゆきさんに感動してちょっと感傷的になっちゃたな。

はるか昔の事とか思い出してしまいました。

2009-09-15

10年後の僕、静岡の夜。

今日夜もヒッパレと言う番組を見ていたら「小柳ゆき」という少女が「愛情」と言う歌を歌っていた。

小さな体なのに凄いパワフルな歌声で、ちょっと感動してしまった。

才能が有るって素晴らしいな。

自分もあっち側に行きたかったがな。どこにも相手にされなかった。才能が無くって悔しいな。

子供の頃からなりたくなかった月給取りをもう何年やっているんだろう?

10年以上いる会社がいまだ馴染めずにいる。

学校卒業してすぐに会社に入ってソコしか知らない人は、当然だけれど自分とは価値観が全然違う。

この人達は、バイトが無く、家賃が払えず大家さんに謝る惨めさも知らなければ、偶然見上げた夕焼けの美しさに、

暗くなるまで路上に立尽くした事も無いだろうな。

別に自分が正しいと言うつもりは無いよ。仲間がいなくてつまらないというだけさ。

自分は、10年間ここでは異邦人だ。

東京にいた頃、魚河岸で働きながら油絵を描いている仲の良い友人がいた。

夕焼けに感動した日、彼のアパートに飛んでいって、夕焼けが綺麗だったと言ったら、良いものを見れて良かったと喜んでくれたな。

彼は同性愛者で、一度酒盛りをして泊めてもらったら、朝方大事な所をまさぐられてビックリして飛び起きたことが有ったけ。

自分女好きで、そちらのほうのお付き合いは出来ませんでしたが、それからも仲良く遊びにゆきました。

彼はとても優しくて、いい人でした。

夢破れて静岡に帰るとき、惨めになるから見送りには来ないでくれと仲間に言って回りました。

でも彼だけが来てくれました。12月の寒い日、一年中履いているゴム草履をペタペタ鳴らして来てくれました。

彼の笑顔を見て、「やっぱり帰らない」とどんなに言いたかった事か。

渋谷の教室によく、裸婦デッサンに連れて行ってくれました。

魚河岸で一番筋肉質の人を頼んで、かれのアパートで、裸夫デッサンをした事も有りました。

強暴とも呼べそうな凄い筋肉マンでしたけど静岡に帰った自分が3年ほどして彼の所に遊びに行くと、2人で同棲してたのには驚きましたね。

彼も間違い無く、サラリーマンにはなれない素敵な人です。

今は陶芸転向して故郷で窯をひらいているそうです。

今年、東京個展を開きますと、年賀状に書いてありました。

小柳ゆきさんに感動してちょっと感傷的になっちゃたな。

はるか昔の事とか思い出してしまいました。

2008-09-17

今日夜もヒッパレと言う番組を見ていたら「小柳ゆき」という少女が「愛情」と言う歌を歌っていた。

小さな体なのに凄いパワフルな歌声で、ちょっと感動してしまった。

才能が有るって素晴らしいな。

自分もあっち側に行きたかったがな。どこにも相手にされなかった。才能が無くって悔しいな。

子供の頃からなりたくなかった月給取りをもう何年やっているんだろう?

10年以上いる会社がいまだ馴染めずにいる。

学校卒業てすぐに会社に入ってソコしか知らない人は、当然だけれど自分とは価値観が全然違う。

この人達は、バイトが無く、家賃が払えず大家さんに謝る惨めさも知らなければ、偶然見上げた夕焼けの美しさに、

暗くなるまで路上に立尽くした事も無いだろうな。

別に自分が正しいと言うつもりは無いよ。仲間がいなくてつまらないというだけさ。

自分は、10年間ここでは異邦人だ。

東京にいた頃、魚河岸で働きながら油絵を描いている仲の良い友人がいた。

夕焼け感動した日、彼のアパートに飛んでいって、夕焼けが綺麗だったと言ったら、良いものを見れて良かったと喜んでくれたな。

彼は同性愛者で、一度酒盛りをして泊めてもらったら、朝方大事な所をまさぐられてビックリして飛び起きたことが有ったけ。

自分は女好きで、そちらのほうのお付き合いは出来ませんでしたが、それからも仲良く遊びにゆきました。

彼はとても優しくて、いい人でした。

夢破れて静岡に帰るとき、惨めになるから見送りには来ないでくれと仲間に言って回りました。

でも彼だけが来てくれました。12月の寒い日、一年中履いているゴム草履をペタペタ鳴らして来てくれました。

彼の笑顔を見て、「やっぱり帰らない」とどんなに言いたかった事か。

渋谷の教室によく、裸婦デッサンに連れて行ってくれました。

魚河岸で一番筋肉質の人を頼んで、かれのアパートで、裸夫デッサンをした事も有りました。

強暴とも呼べそうな凄い筋肉マンでしたけど静岡に帰った自分が3年ほどして彼の所に遊びに行くと、2人で同棲してたのには驚きましたね。

彼も間違い無く、サラリーマンにはなれない素敵な人です。

今は陶芸転向して故郷で窯をひらいているそうです。

今年、東京個展を開きますと、年賀状に書いてありました。

小柳ゆきさんに感動してちょっと感傷的になっちゃたな。

はるか昔の事とか思い出してしまいました。

 
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