「java」を含む日記 RSS

はてなキーワード: javaとは

2021-10-03

追記あり】逃げ癖酷いアラフォーだけど逃げて後悔したことが1度もなかった

中学時代ブサイクで頭悪いだけで周りからの歯止めの効かない心無いイジリや暴力で居心地が酷く悪くなって、白髪が増えだして学校バックレて不登校になって親から顰蹙買ったけどその後に「あの時学校行っておけば良かった」って思ったことは1度もないし、

高校の時はバイト先のおっさんに目つけられやすくて(なぜかどこ行ってもおばさん達には良くして貰えた)、面倒くさくなるとすぐ辞めたりバックれたりしてたけど、「あの時頑張ってバイト続けてれば」と思ったことは1度もないし、

その後市職員として公務員になったけど人間関係の濃さ故に俺みたいな頭と顔と要領が悪いゴミは真っ先に同期内でスケープゴートされて、仕事も覚えられないし同じ部署に入った同期と比較されてゴミのような扱いを受けて精神科で薬の世話にまでなった挙句バックレたけど、仕事離れた途端薬必要なくなったし「公務員だししがみついてれば良かった」って思ったことも1度もないんだよな……。

何故か逃げ続けた先に破滅が待ってるとか思う人というか、そう願いたい人が多いみたいんだけど、俺は今何してるかって言うと年収400万の薄給で月の半分が休みブルーカラー仕事しててのんびり暮らしてて、心穏やかに暮らせてるので、逃げた先で何とかなってしまった。

「あの時逃げなければ」って思ったことある人はどんな時にそれを思ったの?俺は逃げる時は精神的に限界を迎えてた時だったし、メンタルいから逃走までのストレス閾値がすごい低いんだけど、逃げて後悔したことが思い返すと1度たりとも無いことに気づいた。

たぶんその辺でホームレスになって野垂れ死んでも逃げた事への後悔なんて湧かないだろうし「おちるところまでおちた」「なるようになった」位にしか思わんと思うんだよね。

【※追記

ふと見たらホッテントリしててワロタ。反応読んでたら何故か俺の事を肯定するブコメが多かったんで、気持ちは嬉しいけど俺自身周りに迷惑を撒き散らすタイプ社会ゴミ自覚があるし「それはちょっと違うんじゃねえかな」って思ったので、上に書いてない数多くのバックレエピソード書いていきたいとおもう。

年賀状仕分けスタッフ編】

高校生の頃に年末年始アルバイト年賀状仕分けスタッフをやった。コミュ障で注意力散漫だった俺にも一点集中のこの仕事ならなんとかなると思った。指定された住所順に年賀状を並び替えるだけという小学生でもできる仕事だが、立ち仕事かつタッパのある俺は1時間ほどで背中に痛みを感じ注意力が散漫になった。ハガキを1枚落としてしまい、うっかり踏んでしまった。足跡がクッキリついたので、正直に報告したら凄い剣幕で社員に怒鳴られた。速攻で心がポッキリと折れた。「すみませんでした!以降気をつけます!!」と大きな声でハッキリ聞こえるように謝って深深と頭を下げた。怒られ慣れしてる人間ならわかるが、人目をはばからず人前で容赦なく怒鳴ってくるタイプには大きな声で謝罪するのが1番長引かない。俺が謝罪をするのは自分が悪いと思ったから謝るわけじゃない。メンタルが弱すぎてこれ以上怒られたくないからだ。もう頭が真っ白になっていた。バイト先の郵便局には社員証が必要な改札があって、そこを通らないと出入りできなかった。怒られたあとの休み時間ロッカー社員証をいれ、そのまま1Fの男子トイレの窓から外に抜け出して帰った。2時間ほど後に郵便局から留守電が入ってたが着信拒否して家帰って足をふるわせてガタガタ震えながら寝た。1月末に3日分の給与が振り込まれていた。

IT研修編】

当時、派遣会社が未経験者を3ヶ月で立派なIT人材(笑)へと育成して民間企業への就職斡旋するという人売プロジェクトを行っていた。3ヶ月の研修間中に時給が発生するのは魅力的だった。市役所をバックレたばかりの俺は、当時時間若さだけはあったのでダメ元で申し込んで面接へ行った。事務の姉ちゃんみたいな女が面接官で「ITエンジニアとして働くために今やっている勉強内容を教えてください」と言われたが俺は何一つやってなかった。プログラミング経験も一切なくjavaってなんだ?とかそんなレベルだった。バックレてから今に至るまで検索エンジンに「麻美ゆま」とか「蒼井そら」とか書いてシコって寝てただけだったので「windowsパソコンしか持ってないので今は仮想環境linuxを入れてLPIC勉強をしてます。」と答えた。後日「採用が決まりました」という連絡と「3ヶ月の間に絶対に辞めないこと」という口頭での誓約電話越しに交わされた。研修が始まると、研修生は30人ほどいて、5倍の倍率を突破した先鋭達だとお偉いさんに言われた。ウケる。2日目あたりで経緯は忘れたが講師の女のうち2人がヒステリックな怒り方をし始めた。学校嫌いだった俺は小学校の頃のヒス女の担任を思い出して、その時点でもう完全に心が折れてしまった。ひょっとしたら過酷IT業界で耐えうる人材を育てる為の研修のいっかんだったのかもしれないが、俺には耐えられなかった。(プログラミング自体は楽しかったので、後にVBAを学ぶいい契機になり、VBA知識は今の職場で重宝されているのできっかけとしては感謝してる)頭が真っ白になって動悸が止まらなくなってしまった。酷く不安を感じて目眩がした。帰り際「明日よろしくお願いします!」と会釈して満面の笑顔で元気よく挨拶し、連絡先を着信拒否にして帰路に着いた。一ヶ月後、2日分の給料確認した。

日雇い編】

研修を飛んでから暇だったのでグッド⚫ィルだかで日雇い仕事をした。たしか印刷会社工場でひたすら梱包する仕事だったと思う。

仕事開始から1時間経っても休憩時間が無かったので「何時から休憩なんですか?」と聞いた。「12時の昼休みまで続くのでそれまで頑張って下さい。」と言われた。頭が真っ白になった。「すみませんお腹痛いのでトイレ行ってきてもいいですか」と断りを入れてトイレに行き、トイレの窓から外へ抜け出し連絡先を着信拒否にして帰路に着いた。一ヶ月たっても1時間分の給料が支払われなかったのでさすがに諦めた。

期間工編】

俺は頭がとりわけ悪くて、メモリが小さすぎて人の話を頭に留めておくことが出来ない。電話の取次すら相手名前を間違えるし、話を聞きながらメモも取れない。なので人と接しない仕事をすることにした。某自動車工場で寮費無料期間工に応募した。もうこの頃にはバカ正直に職歴を書くと赤羽駅東口に飛び散ったゲロぐらい酷い履歴書になってしまったので、暇つぶしで取った電気工事士資格を利用し「工場保全仕事をしていました」と職歴詐称した。日雇いで1時間働いた工場名前履歴書に書いた。勤続3年の元工員として面接を受けたら採用されたが待遇は未経験者と変わらなかったので罪悪感はなかった。

研修初日研修生同士で寮が相部屋だった。社員から部屋の中は禁煙からタバコは吸うなと言われた。流石に禁煙社員寮の中でタバコ吸うカスなんているわけねえだろ。俺の相方は以前も期間工任期満了までやったベテランらしい。俺よりも一回り年上だった。コミュ障だが初対面の相手に対してはコミュニケーション能力バグるコミュ障あるある現象が炸裂して普通に打ち解けて雑談していた。相方実家花屋で、閑散期になると出稼ぎにきている。そんな話をしながら相方タバコに火をつけ、深く吸い込んだ紫煙天井に向けて吐いた。唖然とした俺に相方は「あ、こういう事に慣れないと、ここじゃやって行けないよ?」と先輩面で言い放った。心にヒビが入った。研修中に工場見学に行ったら、工場内の機械のあまりにも大きな音と地響きに心が完全にポッキリと折れた。俺は大きな音がとても苦手で、聞いただけで頭の中が真っ白になり酷く不安を覚える。寝てる間もずっと工場の音が頭の中でする。研修を終えて、ようやく個室が与えられた。汚い畳の個室の寮で荷物も広げずに、寮の鍵と社員証を封筒にいれて部屋に置き、すでに纏まっている荷物を抱え夜明け前に始発の電車が来る駅へ向かい連絡先を着信拒否した。一ヶ月後、研修中の1週間分の給料合格祝い金(採用時必ず貰えるとかいうやつ)が振り込まれたのを確認した。

医療事務編】

何故かおばさんウケが異様にいい俺は、隣町の薬局医療事務採用試験に行っていた。とりあえずどんなもんなのかやってみようと思った。面接官がおばちゃん面接と言うより面談形式で話が進み、いつから働けるか聞かれた。採用が決まった。しか面接官のおばちゃん会社のおえらいさんで、職場には居なかった。気難しそうなしかめっ面の薬剤師と、若い女ばっかりだった。俺は詰んだことを早々に確信した。慣れないながらも仕事に食らいついてはいたが、2週間も経つと休み時間俺の頭の悪さを揶揄する陰口が嘲笑の声と共に聞こえた。「顔が生理的に無理」と聞こえて酷く苦しい気持ちになった。学生時代から何度も言われてたから、知ってる知ってる、と内心おどけてみせたが頭が真っ白になった。1ヶ月も経たないうちに俺は限界を迎えていた。とある日、先輩に「飲み会幹事やってくれ、フォローはする」と言われた。俺は飲み会や人の集まり死ぬほど苦手だ。つうか俺一応新入社員だろ。ましてや幹事だなんてとてもじゃないが耐えられなかった。心が砕け散っていたので、その翌日の朝に架空の親戚を急死させ仕事休み連絡先を着信拒否にした。

3ヶ月たったあたりで解雇通知と離職票が届いた。初任給だけは貰えた。

---

他にも色々あるけど、俺は我慢強くもなければすぐにバックれる社会不適合者のクズだってのがよく分かってくれたと思う。だから生存者バイアス」ってのは少し違う気がする。何故ならこんな感じで逃げ回ってる間も「もっと頑張ればよかった」と思ったことは1度もないし、向いてないものに対する克己心もすぐ砕けるし、なんなら「もっと早くやめてれば良かった」とさえ思うことの方が多かった。俺の行為を「逃げじゃない」という人もいるけれど、俺が嫌なものを避け、ハードルを潜りながら生きてきたのはたしかだと俺は思う。これが逃げじゃないなら、その人の中ではそうなんだろう。俺は「逃げ」だの「甘え」だの言われても「そうだね」としか思えないし言い返そうとも思わない。ただ、誰になんと言われようが当時の俺は本当にいっぱいいっぱいだった。逃げる以外の選択肢が取れなかった。そして俺のスタンスは「逃げても後悔したこと1度もなかったけど逃げを推奨してるわけではない」克己心のある人は立ち向かうなり問題解決するなりすればいいと思うし、メンタルが弱く頭の悪い俺にはその余力が無かった。ただ、苦しみ続けるか死ぬかの狭間で苦しんでるなら逃げちゃってもいいんじゃないかと思う。俺はなんとかなったし、少なくとも一時的な苦しみからは逃れられる。養老孟司がなんかの本で花鳥風月を楽しむ心をもっと持った方がいい。と言っていた。逃げ回ってた時期によく20kmぐらい歩いて散歩して四季の移り変わりを楽しんでいたが、自然に目を向けるのはとても心が安らぐ。桜や紫陽花の花の美しさも、金木犀香りも、冬の土の匂いも、逃げずに働き続けてたら俺はきっと荒んだ気持ちで気づかなかったと思う。お日様の光をたっぷり浴びて散歩できて、四畳半の清潔な部屋とシャワーがあって、最低限の食事がとれて、たっぷり睡眠が取れれば俺はそこそこ幸せに暮らせることに気づけた。小学生の頃、いつも不安毎日が怖かった。もしもタイムスリップできたら、布団の中で毎日泣いていた幼かった俺を慰めてやることぐらいは出来ると思う。今は最低限の収入がありながらも生活費家賃込で10万程なので、貯金がアホみたいに溜まる。20代の頃橘玲の本を読んだインデックス株に手を出したらまあまあ増えたりして、今の生活水準なら20年ぐらい働かなくても暮らしていける蓄えも出来た。

今苦しんでる人に俺の書き込みがどれだけ救いになるかはわからないけど、お互いなんとかやっていきましょう。

2021-09-29

29歳高卒フリーターだけどjava bronze受かった!

実はITパスポートも持ってるの、えへへ

そういえばGoはクソみたいな話で、

Go10行書くのが1行なんだよRubyならね、

みたいな話があった気がするが、

vscode使っててそういうストレスはかなり軽減された気がするんだが、

あー、あれだ、

Java単体だとあれだけど、Eclipseあると書く気になるみたいな感じ

最近まったくEclipse立ち上げてさえいないけど

DBeaverがEclipseベースだっけ、あれはときどき使ってる

2021-09-28

とりあえずIT系転職したいんだが

俺特技がデータ入力しかなくてデータ入力派遣社員やってたんだけどプロジェクト終わって今無職

もうIT系に行こうと思ってて年齢も29歳だしとりあえず早めに就職したんだがjavaっての勉強しとけばいいんだよな?

まさかデジタル庁関連で豆蔵の名前が出てくるとはなあ。Java屋の重鎮揃いだよな。平井氏が株券を購入したのは2006年6月持株会社に移行したのが同年10月。なかなかいタイミングじゃないか

2021-09-25

オブジェクト指向はすでに粒度時代にあっていない」を読んで

記事

@kis (id:nowokay) さんの以下の記事についてです。

https://nowokay.hatenablog.com/entry/2021/09/25/042831

ブコメにもあるようにちょっと内容が雑というかわかりにくいせいで賛否両論になってしまっていて、もしかしたら近いうちにアンサー記事が出るかもしれませんが、自分自身理解を助けるためにも言わんとしていることを推測しつつ、自分認識もまとめておこうと思い書くことにしました。明らかに誤読してそうな箇所があれば、指摘してください。

前提

まずは前提を書いておかないと論点がぼやけると思うのでいちおう。

自分バックグラウンドは以下:

その他の前提:


本文およびブコメを読んで思ったこ

2000年代に入って関数型プログラミングが脚光を浴び始めたのは、コンピュータ資源が潤沢になりパフォーマンスをそれほど気にしなくってよくなったことが大きな理由ではないか、という認識があります

関数型プログラミング言語の内部実装を読んだことがないので推測ですが、データを不変にするということはその都度メモリ領域を新たに割り当てることになり、そのオーバーヘッドプログラムパフォーマンスに影響を与えるので、パフォーマンス要件がをシビア場合、どうしてもメモリ割り当てや計算効率を考えるとミュータブルにせざるをえないと思います。が、ウェブアプリケーションに限っていえば、データベースアクセスネットワークアクセスレイテンシが大きいので、そうした相対的に細かいオーバーヘッド無視しても(大抵の場合は)問題にならなくなった、というのが「時代」の流れなんだという認識です。

いっぽうで別の観点もあって、REST API や FaaS が一般化して、関数単位で処理を分割し、アプリケーション外部に配置することが当たり前になってきた現状があり、マイクロサービスのようにアプリケーション自体モジュールの一単位として考えると、アプリケーション内部のモジュール同士でも関数ベースでやりとりする形になっても不自然ではないと考えられます

記事にもありますが、RPC派生実装?)として生まれJava の CORBA や MicrosoftDCOM みたいな振る舞い付きのオブジェクトコンポーネント)を共有しようという世界観は廃れ、REST API のような単一の振る舞い(エンドポイント)とそれにひもづく JSON のようなデータ構造のみを受け渡すやり方が一般的になったアプリケーション通信の潮流と、計算資源が潤沢になって再度脚光を浴びた関数型プログラミングが、レイヤーの違いを飛び越えてひとつになろうとしているのではないか、と。

まり、元記事に書かれている「時代に合ってない」というのは、「データ構造と振る舞いが一体となったオブジェクト」のような「なにか」は、そうした背景があるために、どこにも存在する必要がなくなってきているのではないか、と解釈しました。

なので、以下のコメントちょっと論点がずれてると思いました。

はあ?「再利用する方法としてはWeb APIが主流」って、その中身をオブジェクト指向設計することは、全く矛盾しません。 部品化の単位は、慣習や柵などで大きく変わりますオブジェクト指向とはほぼ無関係です。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4708813645995359202/comment/suikyojin

なんでサービスとして外とやり取りする話とサービスの内部設計の話をごっちゃにしてんだ。なんか理解度が怪しくない

https://b.hatena.ne.jp/entry/4708813645995359202/comment/ssssschang

しかに、アプリケーション単位アプリケーション内部のモジュール単位とでその表現形式を合わせる必要はないんですが、元記事の言わんとしていることはこの一文に端的に表れていると思います

ソフトウェア記述をまとめるという視点では主にステートレス関数を分類できれば充分で、データと振る舞いをまとめたオブジェクトというのは大きすぎる、システムを分割して管理やすくするという視点ではオブジェクトというのはライフサイクルリソース管理視点が足りず小さすぎる、ということで、オブジェクト指向粒度でのソフトウェア管理は出番がなくなっているのではないか、と思います

個人的にわからなかったのは以下の部分です。

オブジェクト指向でなぜつくるのか」という本がありますが、「え、いまどきオブジェクト指向でつくらなくない?」っていつも思います。内容的には、もうほとんどはオブジェクト指向関係ないソフトウェア工学の紹介になっていますね。

当該書籍は読んだので後半はまぁわかるんですが、前半は「え、いまでもオブジェクト指向でつくるのが主流じゃないの?」って思ってしまますオブジェクト指向定義が「データ構造と振る舞いが一体となったオブジェクトの集まりとしてソフトウェア組織化すること」なのであれば)。

おわりに

Joe Armstrong が "Why OO Sucks" を書いたのが2000年とのことなのですが、そろそろこうした議論収束に向かってほしいと個人的には思います(とっくに収束していると感じている方もいらっしゃるでしょうけど)。

https://gist.github.com/posaunehm/4087971

anond:20210925163756

結局Javaで書いた方が早くなると(ただしAndroidにかぎる

2021-09-22

anond:20210922200042

Sunの頃からJavaの延長サポートを含む商用サポート有償で今より高かったのにな。 https://atmarkit.itmedia.co.jp/ad/sun/0810javaseforb/0810javaseforb.html

無償しか知らん・使わん貧乏ユーザさんが多かったのでしょ。

そしてOracle JDK 17で再度ライセンスが変更され、Sun時代と同様に一定期間だけ無償になったら、それはそれで文句をいう訳だ。

anond:20210921230951

Oracle JDK はもともと無償版と、テクニカルサポート付きの有償版があった。

Java11の際に、属に「有償化」と言われたのは、無償版を OpenJDK 移管して、 「Oracle JDK」は有償版だけが残った状態になったことをいう。

Oracle 自身無償Oracle OpenJDKリリースしていた。

この話にはもうひとつ LTS (Long Term Support : 長期サポート版) という要素があって、Java 9 以降、Java半年ごとの定期アップデートと、3年に1度の長期サポート版(3年サポート)という仕組みになったんだけども、Oracle無償版をOpenJDK移管して半年ごとのnon-LTS版しかさないと発表した。

無償版のLTSはサードパーティに任せたわけだが、当初、この無償LTSはどこがやるとも定まっておらず混乱が生じた。

後にいくつかのサードパーティ無償LTSを発表して混乱が収まったわけだが、この時に「有償化!」と騒ぎ立てたニュースが、普段Javaを使わない層には強烈な印象となって残ることになった。

この間ずっとJava無償で使うことができたが、センセーショナル煽りたがるインフルエンサーは「そのうち有償化する!やめた方がいい!」と煽り続けて今に至る。

いい話だなぁ anond:20210921230951

でも、

Sun中の人達の多くは Oracle へと移籍した。そして、今でもオープン化された Java を作り続けている。

の所で、なぜか、かっぱ寿司の地下で泣きながら寿司を作らされてるカッパ光景脳裏に浮かんだw

2021-09-21

anond:20210921195741

偶然にこの会社の本を本屋で手にとってしまって、その場でチラチラ読んでいったら、色々な大学インターン生が各々「リライト」したような感じの記事を書いていて、最後に「感謝!」みたいなポエム社長が書いてあって、すごく腹がたったんだよ。プログラマー界隈だと、PHP, Perl, Ruby, Java, Python, etc を使って毎度似たような本を書くライターがいるのは知られている。で、まぁ、そんな彼らでも評価すべき箇所は、一応は自分コードを書いていて、コード責任を持っていることだ。なのに、こいつは自分コードは書いてないけど、本を出して売れたオレは凄いって手法を使ってビジネスをしようとするのみえすぎる。つまり投資家に信頼させる根拠出版されたという本を使い、インターン単位のために「書かない」という選択肢がないのに著名させられるって、一時期問題になった量産型ブログと何が違うんだ、って思ったのさ。なんというか、奴隷の書いたテキスト現代版の『アンクルトムの小屋』みたいな悲哀がきつい本が流通されているのを認めてしまったときに、怒るなっていうのが無理だろ?

Javaを救うOracleレジスタンス

悪の帝国 OracleJava有償化し重税を課そうとしたその時、正義勇者 Amazon が立ち上がり新しい Java 実装 Corretto を無償で広めて救ったのだ!

……という情弱が好きそうなデマがあるんだが、こんな陳腐シナリオに喜んでいるようではインチキテックYouTuber に食い物にされてしまうぞ☆

Oracle レジスタンスはいた。彼らは Oracle の中に潜んでいたんだ。

赤字に苦しむ Sun

時は2005年に遡る。

Java を開発した 米 Sun Microsystems は赤字にあえいでいた。

2004年Java 5 (目玉機能ジェネリクス) がリリースされてしばらくの頃だ。

この頃、ひとつオープンソースプロジェクトが立ち上がる。名を Apache Harmony という。

開発は2005年5月に開始され、2006年10月には Apache 財団トップレベルプロジェクトとなった。

Java は当初より、 Sun の独占物ではなかった。

Sun は多数の企業をまきこみ、いろんな企業Javaライセンスしていた。

Java実装Sun が持っていたが、各社が独自実装したり、Sun契約してコード提供を受けたりしていた。

Java を名乗るためには Technology Compatibility Kit (TCK) という互換チェックをパスしなければならない。

初期の Javaオープンソースではなかった。誰もが自由コードを参照し用いることができるものではなかったんだ。

Javaオープンソース化を目論んだ Apache Harmony

これをオープンソース化しようという野心で始まったのが Apache Harmony プロジェクトだ。

Java実装をいちから書き起こしオープンソース代表的Apache License Version 2 ライセンス提供したのだ。

しかし、SunApache2 ライセンスを良しとせず、Harmony に Technology Compatibility Kit (TCK) を受けさせなかった。

Java を名乗らせなかったということだ。

なるほど。彼らが Javaオープンソース化したレジスタンスだったわけか?

違う。話はそんなにシンプルではない。

OpenJDK の登場

2006年 SunJavaオープンソースにする意志があると発表した。

SunJavaリンク例外付きの GNU General Public License でオープンソース化することにした。

これが OpenJDK である

Harmonyライセンス自由な改変を認めるものだった。

OpenJDKライセンス派生物を作ったなら、そのソースコードの公開義務がある、という点が大きな違いだった。

OpenJDK は出た当初はまだ SunJDK との非互換が多かった。しかしこれが現代まで続く OpenJDK の始まりだったのである

2007年11月 GoogleAndroidを発表した。 AndroidJava 言語で開発することができる。

そのベースとなったのは Sun との火種くすぶる Apache Harmony だった。よりにもよって!

これは揉めに揉め、巨額な賠償金をめぐる裁判となる。

(後にGoogleが負けて賠償し、現在Android は OpenJDK ベース)

Sun の身売り

その渦中、赤字に喘いでいた Sun はついに身売りを決断する。2009年のことである

当初 IBM との交渉が報じられていたが金額で折り合わなかったようだ。

そこに颯爽とあらわれたのが Oracle であるOracleSun Microsystems を買収することになった。

しかOracle にはよくない噂がある。敵対買収してプロダクトを潰してしまうという黒い噂だ。

SunJavaOracle に食い物にされてしまうんじゃないか、いわゆる 「悪のOracle」 のイメージはこの頃からのものだ。

しかし、 Sun はすでに Javaオープンソース化していた。 派生物もオープンソースにしなくてはならない OpenJDK で!

OracleJavaSun 社ごと買ったが、 Java はすでに独り占めできるようなものではなかった。

Java オープン化の仕上げ

時は流れ、2018年 Java 11リリースされる。

Sun 本家JDK を引き継いだ Oracle JDK と、OpenJDKがついに統合される。

Oracleソースコードを OpenJDK に寄贈し、 Oracle JDK も OpenJDK ベースとなった。

ここに OpenJDK への移管は完全となり、Javaオープン化は成就した。

それまでの OpenJDKOracle JDK との非互換不安視されていたわけだが、Java11 からはその不安もなくなった。

こうして完全にオープン化された Java は、各サードパーティーからディストリビューションが出るようになった。

Java11 での Javaオープン化を経て、Javaディストリビューション乱立時代へと突入する。

Amazon Corretto もそうした OpenJDK派生ディストリビューションひとつである

OpenJDK の開発は今なお Oracle が主力となって牽引している。

レジスタンス

Java解放しようとしたレジスタンスは、赤字に喘いでいたSunの中にいた。

たとえ Sun が身売りをすることになろうとも、Java邪悪独裁者の手に渡さないように。

Sun が倒れてしまう前に Javaオープン化された。Java仕様策定Java Community Process (JCP) にて行われる。

Java仕様策定Oracle独断で進めることはできない。 OpenJDK の開発も Oracle独断ですることができない。

GNU General Public License でオープンソース化された Java は、派生物のライセンスGPL強制されソースコードを公開しなければならない。

未来永劫、Javaオープンソースでありつづける。

そんな OpenJDKリリースした、当時の Sun中の人達こそがレジスタンスだったんだ。

Oracle はそんな Java を、そういう存在だと分かって Sun ごと買った。

Sun中の人達の多くは Oracle へと移籍した。そして、今でもオープン化された Java を作り続けている。

残酷だが、情報理工系東京大学生は有利だと思う

当方地方駅弁中退して東京の「偏差値の高い、理系イメージの無い、学費の高い、ロイヤルゴシップ」で有名な大学に再受験した、今はしがない三十路のオジサンプログラマーですのよ。まぁ、マイクロソフトグーグル日本法人に入れなかったけど、それぐらいなら上場企業創業たかったし、ゲームも自前でコードを書きたかたから、それができなくてコーダーに落ち着いたけど、悪くない人生だと思ってる。想定外なのは、カネがないくらいだ。

それで、何が言いたいかというと、地方駅弁情報理系は「教育品質は劣っていなかった」ということを言いたいのだよ。なんていうか、地方駅弁の方が教育品質は良かったのよ。間違いなく、地方駅弁の方が予算は潤沢だった。おそらく、九工大会津大とか筑波大とか、本当に教育は頑張っていると思う。たとえば東京理系大学だと、東大東工大は別格として、早稲田慶應(後述するがSFCは立地がダメ)も一流は多い。ただ、マーチレベルになると教育は、地方駅弁高専の方が良いような気がした。頭の出来は、地方駅弁有意マーチ関関同立に劣るということはないと思う。というか、マーチ理系プログラマー東大一橋京大プログラマー転向者(NやFとかの SIer に入って、プログラミングの歓びを知ったタイプ)にボコボコにされるケースが多いような気がする。都内だと LL需要が高くて、理工系知識不要コードで食っていけるからなんだろうけどさ。早慶文系プログラマー転向組は「これだから、私文は...」という感じが多かったので、本当に不思議な気がする。あと、何故か音楽好きな連中は、文系でもプログラマー適正が高い気がする。

それ以上に、東京がすごい。なんというか、東京中心部のプログラマー需要は凄まじく、バイトでも「俺の書いたコードが、世界で動く」というチャンスをくれたりしたので、やっぱり大学の立地は資産の上では差がつくと思うよ。自分なんかも、SDKJavaObjective-CJavaScript で書かせてもらったのは刺激になったよ。若さを金にできるのは、東京の良さだと思う。たとえば、大御所ソフト会社チュンソフトスクエア)が、学生起業で大きくなれたのは、東京土地でないと難しいと思うし。あと、駅弁大学ベンチャー企業成功していて、それは必ず東京成功している。

ということで、東京正義だ。

2021-09-19

anond:20210918210649

Javaドゥビタッチヘンシン〜 Javaドゥビタッチヘンシン〜

2021-09-18

理系若者SFCを含めて)にプログラマーに夢を持たないで欲しい

Python流行して C と JavaRuby勉強した自分としては肩身が狭いのだけど、高校物理ができたら機械電気に行ったほうが良いよ、って言いたい。311以前は物理工学も含めたけど、今は語るまい。未来はわかんないけど、物理学のセンスがあるなら、工学部に行こうと言いたい。つまりは「プログラミングは独学できる」から大学では「別のことを学ぶ」のもアリだよ、って言いたい。あんまり大学プログラミング界隈に夢を持つと、プログラミングしかできない人間なっちゃうからね。たとえばさ、ビル・ゲイツやベゾスやマスクオラクル社長が「プログラミング」の学部を出ていないのに、三木谷や孫やホリエモンなんかもそうだけど、彼らは「プログラミング勉強セカンダリ」にしたか成功したのよ。計算機科学勉強は、音楽と同様に「ピアノがあればできる」ようなもんで、高価な機材を必要としないのよ。だから理系からプログラミング」を選ぶ必要は何もないよ。

2021-09-15

progateでjavaを全て終わらせてしまった……

終盤よくわかんなかったけどとりあえずSESってやつにいけばいいのか?

今時 ear war jar の違いを考慮するとか 〜にすべきみたいな話はないですよね?

Java スペシャリスト増田先生どうですか?

2021-09-10

anond:20210910134649

まずファーストステップとして

圧倒的な言語アドバンテージがある英語圏ですらExcel仕事術(ドヤ)なんだ

GAFAMでもマジかよみたいなExcel管理存在するんだ

Excel仕事術レベルPCスキルですら持っているのは全人類のごくごく少数なんだ

 

次に、Excel仕事術レベルでもそうなんだから仮にもIT屋を名乗るレベル技術を持った人材

余ってるわけねぇでしょ?なのですわ

実際、事務屋に毛が生えたレベルのワイですら仕事に困った事ないし

 

ただ事務屋に毛が生えたレベルであれば本気を出せば誰でもなんとか出来るレベルではあるよね?

もっとも、基本情報 とか 情報セキュリティスペシャリスト とか

CCNA とか MCP とか Java とか ORACLE master とか 取れと命令される(あるいは察して入社前に取る) のに

その範囲微塵も理解していない SIer人間ゴロゴロ存在するのが現実だったりするのだけど、

テスト(ペーパー)だけ突破して全て忘れ去る技でも持ってるの?が現実だったりするわけだけど、

少なくとも高度な数学要求されなければ最新の研究論文がどうたらとかいうヤツでもない

替えは効くのでそら事務屋と仲良くリストラにはなるでしょ

 

ただ余ってるわけでは別にない。なぜなら多くの人は本気を出さないからだ

2021-09-09

anond:20210909075811

お返事ありがとうございます

Paizaはprogateとドットインストールの間の子のような学習サイトイメージだったのですが、問題集の様なものがあるのでしょうか?

Java勉強したのは折角プログラミング勉強するなら国内での案件数が1番多いjava勉強したほうが就職に結びつきやすいと考えたからです。

もしもこの情報が古ければご指摘頂けると幸いです。

ありがとう

anond:20210909074241

お返事ありがとうございます

Oracle認定試験問題集ですね。参考にします。

個人的には何かを作れればなと思いつつも作りたい物が無く、とりあえず基礎だけでも勉強しようと思いつつも参考書を読むだけでは基礎が頭に入らないので、参考書を読みつつ問題を解いて定着させようというアプローチを取ろうと考えていました。

まだまだわからない状態ですが、java bronzeの取得を小目標にしてモチベーションを保とうと思います

ありがとう

anond:20210909065221

OracleJava Masterという資格試験運営しているので、それの問題集はいろんな会社が出しているかもしれない

個人的には良い参考書を読みながら既存プログラム模倣とか作って学んでいくのが一番だと思うけど、上手く動かない時に問題を探すのもプログラマ能力だと思うし

Java勉強してる29歳中卒ニートですが

IT専門学校卒の人のブログで「専門学校の時は学校お手製の問題集をひたすらといて講師コードをチェックして貰っていた」みたいな事書いてたんですけど、出版社は問わないのでjava問題集みたいなのって市販されてたりしないんですかね?

Atcoderでも良いかと思ったのですが、当方中卒のド底辺故に、Atcoder数学的要素が大きすぎて参入障壁が高すぎるのです……。

2021-09-05

https://ledge.ai/levtech-python/

企業が求める、習得してほしいプログラミング言語で最も多いのは「Java(71.4%)」であった

Javaってどこが習得要求してるんだ?

国内Python案件なんか雀の涙より少ないけど、Javaもかなり減ったぞ

Android保守以外は99%Kotlinだし

99%は語弊があってもKotlinじゃなかったらFlutterかReactNativeの方がまだ引き合いがある

2021-09-04

デジタル監が炙り出した日本人権威専門用語への盲信

何かと話題デジタル監の石倉氏。

デジタル自体菅政権の最大の施策の一つであり、また担当大臣平井大臣が癒着パワハラネット工作などの疑義が前から掛けられてた事もあって関心は高かった。その中で、事務方トップであるデジタル監」の人事も少し話題から紛糾しており、カリブ海ロリータ島をセレブ提供していて最終的に消されたエプスタインとの金銭関係があった人物が一時候補になったが、流石に身辺調査したらやばくねということで見送られて、結果的に72歳の石倉氏が就任する運びになった。

しかし、就任会見(?)のときに、彼女発言の一部が報道されて、デジタル庁のトップとしての適正がいきなり疑問視された。

Twitterなどでは主に石倉氏の経歴を理由に「彼女は優秀に違いない!!」バイアスが掛かった擁護が繰り広げられた翌日、彼女インターネット上の基本的著作権理解しておらず、ガビガビの画像ブログ掲載するほどWebデザインにも無頓着ということが明るみに出てしまい、「スーパー72歳」とか「デジタルに超詳しい百戦錬磨の敏腕素人」と祭り上げていた人達は一夜にして梯子を外されてしまった。

https://twitter.com/KAZE/status/1433268216235630599

https://twitter.com/mesotabi/status/1433399709566062594

https://twitter.com/Benzman_TAKE2/status/1433308767442006018


5ちゃんねる、ヤフコメはてななど、右翼左翼系のコミュニティーでは、一晩にして否定的な声が多数を占めてしまい、ここから挽回が期待されている。中には、「警視総監万引きしたようなもんだ」という痛烈な皮肉まで展開されていて厳しい船出である。その中でもTwitterだけは、著作権侵害を告発した被害者であるPIXTA社がなぜか糾弾されるという被害者の二重レイプまで起きており、政府が力をいれているインターネット対策の中心地はここなのではないかとも勘ぐらされたのである

日本人はとにかく学歴権威に弱い。ショーンKとか齋藤ウィリアム浩幸とか竹花貴騎とかそうだけど、ちょっと豪華な学歴と経歴があれば、真偽はともかく「この人はすごいんだろうな」バイアスがかかる。このデジタル監の石倉女史も「経歴がものすごいんだから超優秀に決まってる!」という主張が相次いだ。一部では「プロ社外取締役」「渡り鳥」ではないかという意見もあったし、少なくともITデジタルに関する業務ほとんど経験ないのは明白だったけど、とにかくすごい大学出てすごい会社社外取締役経験してるんだから、お前等は何も言うな的な論調が高まっていた。

しかし、「誰が言ったか」ではなくて「何を言ったか」が問題なのである。たとえ華やかな経歴があっても72歳のお婆ちゃんだ。普通ならもう年金生活している段階の高齢者を引っ張り出してくるなら、相応のデジタルに対する知識や造詣、情熱必要なのではないか。もちろん、彼女は実質前前任の桜田義孝サイバーセキュリティ担当大臣よりは数千倍マシであろうが、それでもデジタル後進国日本ITリテラシーを高める急務が求められているときに、この人が本当に適任なのだろうか。同じマッキンゼー云々なら、南場智子氏の方が全然適職ではないのだろうか。経団連兼任してるからしかたかもしれないが。普通にTwitterブログやってるお婆ちゃん事務方トップになれるなら、数百万人レベル候補者が出てくるだろう。

そして、石倉氏に対する反応については、もう一つ大きな問題が有り、彼女が「ワードプレス」とか「Python」とかい言葉を出しただけで、超敏腕のスーパー天才ITエンジニアではないか、という受け止め方がされていること。

https://twitter.com/youyakuya/status/1433449570134990853

もちろん非ITエンジニアにとっては「ワードプレス? Python? なんかよくわからんけどとにかく凄いんだろ!!」みたいな反応になってしまうことはある程度は仕方ないと思うのだが、そもそも彼女は「Python勉強していいたけど難しくて挫折した」のである。これはむしろ氏のデジタル適正の完全否定他ならないと思うのであるアセンブラ言語C++ならまだわかるよ。人には向き不向きあるからね。でもPythonができないのって普通に才能ないと思うよ。数ある言語の中でも平易なもの。だからこそ世界の主要言語に躍り出た。ワードプレスなんてただのブログ作成ツールだし、そのご自慢のブログでも早速やらかししまったんだけど、そこでも「本人はワードプレスには一切触れてなくて、部下やスタッフ勝手にやった」みたいな擁護までされて、WPバリバリに使いこなすスーパー72歳という設定はどこにいったの感がある。

「72歳なんだからプログラミングできないのは仕方ないだろ!」という声もある。しか日本には石倉さんより15歳ぐらい年上なのに、Pythonより遥かに難解なObjective-CiOSアプリを開発している女性がいるのだ。xcode使いこなすのはWPの数千倍難しいぞ。高齢者に対するデジタルへの抵抗感をなくすのが目的なら、彼女のほうがデジタル監に相応しいと思う。

https://style.nikkei.com/article/DGXMZO37707280T11C18A1000000/

要は「石倉さん? よく知らないけどwikipedia見たら経歴すごいし、PythonとかWordpressとか触ってるようだから、凄い人なんだ!!!」という思い込み脊髄反射がされた一件である。我々もJavaPHPObjective-Cしか書けない底辺エンジニアであるのだが、恐らく世間的には増田さんって頭いいんですね~デジタル得意なんですね~みたいな受け止め方がされるのかもしれない。日本人権威に弱く、日本人は「よく分からないもの」は「畏怖」を覚えてしまう。

しかし、石倉氏はデジタル監に完全に不適任かというと定かではない。というのも、こういうポジションは実務はほとんどなくて、ただのお飾りポジション、それこそ彼女歴任してきた「名誉教授」とか「社外取締役」と同じなのではないかも思えるのである。実務がないのであれば弊害もないだろう。実際、Twitterウヨ勢力はこぞって彼女を熱烈支持することに決めた。それこそ著作権侵害であってもさっさと謝罪たからむしろ素晴らしいというアクロバット擁護まで。

弱きをくじき強きに媚びる反知性主義ネトウヨが牛耳る今のIT後進国日本象徴する人事であることは間違いない。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん