はてなキーワード: UNOとは
竹田氏(以下、竹): 僕の知り合いに洋介くんっていうわけわかんないマンガ家がいるんだけど、
主人公がおじいちゃんなんだよね、そのマンガ。もうその時点で意味わかんないんだけど
おじいちゃんとペットの猫となぜか近所の小学校の校長が延々としりとりするわけ。
竹: うん。意味分かんないじゃん。だから洋介くんに「どうやったらこんな話思いつくの?」
って聞いたの。そしたら「その話実話なんですよ」って。
長: えっ、実話?ホントに?
竹: なんか洋介くんが夕飯のときに校長先生の朝礼の話が長いみたいな話をしたら、次の日
おじいちゃんがいきなり洋介くん連れて小学校の校長室まで行って口論はじめたんだって。
竹: それはわかるでしょ。二人とも負けない自信があるから。
だからギャグなのにホントの話なんだよ。マンガだとしりとりで勝負にしたみたいだけど。
それで……、何の話してたんだっけ。
長: 世界が非言語化していくなかで言語が生き残るとしたらって話。
竹: あー、そうだ。つまりなんでしりとりにしたかっていうとそこに矛盾を込められるんだよね。
絵だけ見るとすごい派手なんだけど、セリフを見るとさ、論理があるわけじゃん。
でも仮定が間違ってたりとか、キテレツな状況になって実はじじいの行動は
竹: そう。だから言語が生き残るとしたら笑いなんだよね。論理で問題をとくのは
コンピュータがやってくれるからいいんだよ。別に。論理組み立てて、わざと崩して、
違うじゃんって指摘するとツッコミになって笑えるじゃん。
長: ギャグマンガの話からよく(元のテーマに)戻ってきたな(笑)。
Day.0
出発前
3月、人生で2度目の自分で計画した海外旅行に行くことにした。
行き先は香港。
今回も書きながらの旅行としたい。
きっと長くなる。気が向いた人が読んでくれると嬉しい。
あと、誤植は多分沢山あるけど、気にしないで欲しい。
さて、なぜ香港に決めたのかというと、昨年の台湾旅行が自分としてはとても良く、「意外と一人でも海外に行けるものだな」と思ったのと、台湾で現地の料理を食べたことで、香港や大陸の人はどんなものを食べているのか興味を持ったこと、そしてこの界隈で話題になっている、2次元バーコード決済をこの目で見て見たかったからだ。
また、自信を持ったとはいえ、語学の怪しい自分にとって、台湾の次に行きやすい海外はどこかとなった時、香港か韓国くらいしかなさそうだ、というのもあった。
ただ、今回は、現地ガイドが入出国に付き合ってくれた台湾と違い、全くの1人となる。
ハードルは1段、いや2段くらいは上がったと思う。
旅行には達成目標を定めて1個1個クリアして行くタイプだけど、目標のいくつかは低めに設定した。
まずは出国して、空港からホテルにたどり着き、英語か広東語でチェックインすることからだ。
今回の出発便も前回と同じ様に羽田発の早朝便。
旅行になるといつもそうなのだが、夜の移動や待機時間に眠ることができなくて、こういう時に定刻まで眠れる人が羨ましいと思う。
とはいえじっとしているのも辛いので、現地で言葉が通じなかった時のために、メモ帳にイラストを描いたり、簡単な広東語のおさらいをしたりした。
広東語に関しては本を買ったり、3ヶ月間、広州や香港の人のYouTubeを見たり、香港ポップスのMVを見たりしたが、聞き取れるまでに至らなかった。
同じ発音でも発する声の高さで意味が変わる広東語は、単純に「話す、聞く」というフィジカルな部分がとても難しい。
翻訳アプリに広東語を話して翻訳させるという手段で練習したが、どれくらい通じるものか。
広州出身のレイちゃんがYouTubeで教えてくれた「片思いの相手を呼び出して告白する時のシークエンス」を使う機会はなさそうだ。
ところで、深夜の羽田空港国際ターミナルで周囲を見渡すと、共に出発を待つ人達がやけに若い。
ベンチの向こうでは、大学生と思しき男子の一団がUNOらしきゲームをやっている。
Day.1
上晝・晏晝
機内に日本語が飛び交ったせいか、やや弛緩した気分で香港国際空港に到着したのは現地時間で11:15分頃。
長い長い入国審査の列に一瞬うんざりしたが、審査員は列を誘導して次々と人を通して行く。
さすが世界でも有数に人が行き交う空港だけあって、手際がいい。
1.「日帰りで深圳にいき、翌日広州に行くために必要なものはあるか」
3.「オクトパスカードが欲しい」
「我想去深圳一日遊、下個聽日、想去廣州。要乜嘢?」
「◯×◯×◯×…」
しまった、ちょっと懸念していたけど、「決まり文句は話せるのものの、聞き取れない」というのは思った以上に深刻だぞ。
なまじ話せるだけに、向こうもちゃんとした広東語で返してくる。
かなりビビったものの、いかつい面相と違って親切なにいちゃんは、「乜嘢?」と聴き返してくれて、「日本人はビザはいらない」と笑顔で答えてくれた。
しかし次の両替はもう少しハードルが高く、言っていることを聞き取ってもらえなかった。
「港幣」という単語でなんとかクリア。英語の方がまだマシだったかもしれない。
オクトパスカードの購入も一悶着あり、「我想買八達通」と言うと、「いくつかの選択肢があるが何が欲しいのか」と多分言っているであろうことを聞かれ、当然答えられないので、お互い困り顔で天を仰ぐという有様。
「weit here」指さされた列に並び、列に従ってたどり着いたカウンターでなんとか購入することができた。
ちょっと凹むが、一応やりたいことは1つひとつクリアしているのであり、60点くらいのクオリティであると納得するしかないかぁ。
それにしても腹が減った。
昼の時間だ。
一瞬、マクドナルドで済まそうと思った昼食だが、空港を散策すると、チャーハンとか、カレー煮込み的な何かなど、いかにも香港っぽいものを出している店があったので、せっかくなのでそこにする。
「loast goose,milk tea」何より食券売りのお姉ちゃんが怖かったので、無理をせず英語で注文する。
食券を渡してしばらくするとおばちゃんが叫んだ。
「ンーロッパーツァッ」「あ、5687番か、俺だ」数字の読み方勉強しといて良かった。
やはり南洋の中華料理は台湾と似ていて、全体的にあっさりしているらしい。
でも全部食べたら丁度いいような味付け。
下晝
地下の無印良品には日本語のパッケージの商品が並んでいて驚く。
ローカライズされてないんだな。
オクトパスカードを買っているので移動が楽。
日本の気候に合わせてきたので、香港の蒸し暑さに少し参りながら、尖沙咀駅に降り立ち、地上に出ると、その光景に圧倒されてしまった。
香港は狭くて人が多い。
人の多さもその人種も、行き交うスピードもエネルギーも尋常ではない。カオスだ。
平日の昼でこの有様だと、旧正月のようなイベントにどうなるのか想像もできない。
この異常なくらいエネルギッシュな街で暮らすというのはどういうことなのだろうか。
蒸し暑さと人のエネルギーに当てられて少し疲れてきた。
尖沙咀のちょっとだけ外れにあるホテルが今回の宿だったが、実際見てみると思った以上に大きくて驚いた。もう少しアットホームなホテルじゃないかと勝手に思っていたので、少しビビる。
さてここで次の目標、「英語か広東語でチェックインする」だが、レセプションの小柄なお姉さんに広東語がまったく通じない。
それでもカタコト英語でチェックインはできたが、「日本語できる人いますか」さえ通じず、ちょっと凹みつつモチャモチャやってると、50代くらいの女性に声をかけられた。
「何かお困りですか」日本語だ。
「英語部のリーと言います。何かお困りでしたら、お伝えください。」
助かった。
これでシャワーの使い方がわからなくても、失敗して鍵を部屋の中に忘れて閉めてしまってもなんとかなる。
もちろんそんなことがなければ一番だが。
尖沙咀がどんなところかと問われれば「新宿と銀座と青山と道頓堀を配分がどうとか考えずにグチャっと混ぜて、そのまま沖縄に放り込んだような場所」だ。
ヴィトンの斜向かいに怪しいインド系の人達がたむろする巨大な雑居ビルがあり、そのあいだのヤシの木が植えられた大通りを2階建のバスが怖いくらいのスピードで次々と疾走する。
件の怪しい雑居ビル、重慶大厦で両替をしながら「こんな暑いところでこのエネルギーで生きていて疲れないのだろうか」と思った。
それにしても尖沙咀はいままでちょっと記憶にないくらい騒がしい街だ。
ガイドブックによると中環から上環にかけては、ややゆったりしたエリアらしい。
途中、MTRを乗り継ぎ、地上に出る。
どこがだよ、ここも騒がしいじゃねーか。
お茶を買いに行くまで元気が持つだろうか。
メロンパンとの違いが気になっていたパイナップルパンは、クッキー生地をつかっているもののふんわりした食感で、甘さ控えめな代わりにバターががっつり挟まっている。
やはり南洋中華料理は甘さや塩味は優しいが、油は惜しみなくねじ込んでくる。
ちなみに「ビンサッ(アイスで)」と頼んだが、ホットで出てきた。やはり広東語が怪しい。
挨晩・夜晩
台湾と香港では飲まれているお茶が違う。ここ香港でもお茶を買うことにした。
比較的リーズナブルにお茶が買えるという、事前に調べたお茶屋さんに向かう。
件の店は庶民的と紹介されてた割りには綺麗な店構えで、「意外とお高いかもしれないからゆっくり選ぼう」と思ったら、入るやいなや「どのお茶を選ぶの?」とお店の女士。
あまりの出足の速さに面食らってすっかり飲まれてしまいそうになる。
「あ、ちょっと見るから」と止めて一旦ははなれたけど、3分もしないうちに「どれにする?」圧倒的なスピード感だ。
「じゃあ普洱と白牡丹と・・・」初めからある程度決めてなかったら飲まれて鉄観音とか買ってたと思う。
入店から決済まで、あまりのスピードに高かったのか安かったのかさえも判然としない。
路地裏でやっと見つけた静かなバーで、アジア風のサテ風味の麺とビールで夕食をとって、ホテルに戻ることにした。
香港の人はよく食べるというが、なんとなくわかった。
とにかく食べないと、この街のスピードとエネルギーについていけない。
中身は雑貨屋さんで何をパクったのか判然としないが、そんなことを気にしていてはこの街では置いていかれる。
街中に沢山ある両替の店の多くはレート的にはボッタクリであるというが、店もお客もやましい空気は微塵もない。
中環駅のホームでなぜかウェディングドレスを着た女性を見たけど、この街なら何でもありだ。
ホテルに戻る道すがら、漢方茶のカフェで、女性がボーッとしていた。
きっと明日に備えて充電しているのだろう。
食べて、稼いで、友達と騒いで、恋をする。
この街は、人間の欲望の明るさを全力で肯定して前に進む空気に満ちている。
自分はもともと先天赤緑色覚異常だったのに加えて20代でスティーブンス・ジョンソン症候群(wikiは閲覧注意かも)に罹って後遺症?で眼に影響がでたっていう変な状況。
以下、困った思い出とか
1.幼少期のお絵描。クレヨンに色名を書いた紙がないと赤、茶、緑とかの区別がつかない。
だから蓋の裏に色名が書いてあったクーピーはしまう順番間違えると大変。
2.信号。場所で覚えた。色自体の区別はついてない。運転免許は持っていないので特に不便はない。
3.パズルゲーム。ぷよぷよはぎりぎり形で判別できたけど、ときメモのぱずるだまは出来なかった。パズドラの補正はちょっと嬉しかった。
5.小学生時、紅葉を見て「綺麗だね」と言った母に「よくわからないんだ」と返してしまったこと。
このことがきっかけで色覚検査をうけたような覚えがある。検査後母に謝られたのはなんか今でも良く覚えてる。
誰も悪くないのに難しい。
6.家電、電子機器のお知らせランプ。「正常時は緑、エラーのときは赤」みたいなの。
大きいと周りとの差で何となく分かることもあるけど小さいとどっちにしろ光ってるだけの代物
7.UNO。有名。去年だっけ、色覚異常者向けのが出来たのって。
8.焼肉。有名。焦げ始めないとわかんない。
9.黒板に色付きチョーク。白、黄、青のチョーク以外は何書いてあるかわからないこともあった。
10.黄色系の色が目に刺激が強すぎて眼鏡のレンズに色を入れるようになった。色覚補正レンズではないただ色の入ったレンズだけど。
11.体調次第で明るさに凄い補正がかかる時がある。晴れてる昼間なのに薄暗かったり。大体夕日が完全に沈んじゃったくらいの暗さかな。
今までの対応は場所とか他の要素で判別できるものがあるときはそれを機械的に覚えちゃう。
色でしか区別がつかない時は周りに頼るか、諦める。なので事前に周囲にわかってもらってると楽。
生活の中では単品で何色か判断することよりも何かと比べて何色だって判別することのほうが多いような気がするし。
なので色以外で判別できるように形だったり文字入れたりとかして欲しいものは結構ある。
PCをいじり始めてRGBって概念知ってからは色々判別は楽になったな。数値化できるって素晴らしい。
お陰で初音ミクの髪の色が随分緑がかってるんだなってわかりました。
https://anond.hatelabo.jp/20170731152739
「個人的なことは政治的なこと」というフェミニズムの主張において、個人的なこととはpersonalであって、privateのことではないらしい。
原文はたしかに、"The personal is political."となっている。
で、具体的に何が違うわけ?
エマ・ワトソン関連で、クソフェミっぽい宇野ゆうか(id:yuhka-uno)というヤツが主張していたから、めっちゃ気になったんだけどさ。
フェミニズムでは伝統的に、personarlとprivateがどのように区別されてきたの?
本人に直接聞けばいいのかな……。知っている人、おしえてくれ。
「個人的なことは政治的なこと」という言葉のことを仰っているのだと思いますが、元の言葉は「personal」であって「private」ではなかったはずですが…
中高の学校行事で、空いた時間に何を遊ぶかといえば、トランプとウノが二大勢力だろう。
トランプの強みは、なんといっても遊び方の種類が豊富なことだ。
一番メジャーなのは大富豪だろうが、それに飽きたら飽きたで他の遊びもできる。
しかし、ウノにもまた、それらを向こうに回して戦えるほどの存在感があった。
だが、考えてみると、ウノはローカルルールにずいぶん侵食されていた。
一応カードと一緒に説明書はついていたが、いつの間にかみんなそれを無視して遊んでいた。
例えば、オリジナルのルールでは、カードは一度に1枚しか出せない。
ところが、ローカルルールにおいては、同じ数字であれば一度に何枚でも出すことができた。
これにより、多色による多面待ちで、一気にあがることが可能となる。
もはや、ウノという名前そのものに全力でケンカを売るような有様だった。
他にもまだある。スキップやリバースも複数枚同時に出せるというルールがあった。
うろ覚えだが、確かオリジナルのルールでは、ドロー2を出された時には何の抵抗もできず、
一方、ローカルルールにおいては、ドロー2やドロー4を出せば次の人になすりつけることができる。
それから確か、ワイルドドロー4は他に出せるカードがない時のみ出せるとかいうルールがあって、
これを破った時のペナルティで「チャレンジ」とかいうのもあったはずだが、これも無視されていた。
そもそも、オリジナルルールでは、最初に一人があがった時点でゲームは終了し、
残りの手札に応じて点数計算を行うことになっている。
やはりこれもなかったことにされていて、最後の一人が残るまで延々と続けていた。
ここまでくると、もはや原形を留めていない。
思うに、空いた時間で手軽に遊ぶ、さらに人の出入りもあり得るという状況では、
いちいちスコアを記入する必要のあるルールは合わなかったのかもしれない。理屈はいろいろつけられる。
だが、それにしたって、ここまで改変されたのはなぜなのだろう。
面白くなかったのだろうか?
・ワイルドドロー4は、色宣言後ドロー4または宣言された色のドロー2・リバース・スキップでチェイン可
・雰囲気でカードに名前を付けたりして、場に出す時は何かしら声を出す
例)
A「イエローゼロ!ZONO!!そぉら怯えろ!竦め!」(黄0・残2枚)
C「ライトニングスプレッドミサイル!」(黄D2 + 青D2)
E「スキップスキップランランラン!」(赤S + 緑S + 緑S)
G「アトミックワイルドドローフォー・ウィンド!」(WD4→緑)
高校の頃数年間、ほぼ毎日やっていたから染みついてしまっていて、いまだにUNOをやると自然と変なテンションになる
その同人作品即売会であるゲームマーケットが今年は5/5に開催されます。
あまり知らない人もいるかもしれませんが、アナログゲームのプレイヤーははるか昔から日本各地に潜みつつ徐々に増殖しつつあります。
また、その同人活動というのはかなりの勢いで拡大しているんです。
2000年に400人しかいなかった入場者が、2015年には9000人にもなっています。また、出店者も増加する一方です。
アナログゲームはその性質上かさばったり手作業が必要になったりと同人誌や同人PCゲーム以上に大変な作業になります。
それでも出店者も単調増加になっているというのは、なんというかすごい熱意を感じます。
増田各位はアナログゲームといえば囲碁将棋、トランプ、UNO、人生ゲーム、枯山水、7つの習慣ボードゲームくらいしか知らない人もいると思います。
しかし、それらだけではアナログゲームの独特さのほんの一部しか見えていません。
最近のPCゲームとかですごいアイデアだな!っていうのも増えてきましたが、それらをはるかに想像を絶するレベルで何でもありのゲーム、それがアナログの世界です。
その中でも同人作品ともなれば、商売とか規制とかトレンドとか一切無視して「こういうことをしたら面白い!」「こういうことで競いたい!」ということだけを表現する世界がそこにあります。
そこにほんのわずかでも触れてみませんか。
○条かやの炎上とフミコフミオの悪意について - しっきーのブログ
http://blog.skky.jp/entry/2016/04/19/211712
はてなブックマーク - ○条かやの炎上とフミコフミオの悪意について - しっきーのブログ.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.skky.jp/entry/2016/04/19/211712
b:id:touhu1018 フミコフミオ氏の主張は「自殺をエンタメにするな」という一点に集約されると思うんだけど…。ましてや叩き続けろなんてどこにも書いてない。
その一点に集約されるから何だっての? あのさぁ、○条は先月終わりから現在までずっと宇野ゆうかb:id:yuhka-unoやロマン優光やHatenaユーザーやTwitterユーザーやその他の人たちから叩かれ続けてきたわけだが、今頃になって更に殴り掛かったフミコフミオb:id:Delete_Allの一体何が正しいというの? “叩き続けろ”とは言ってなくても周回遅れでやって来て、既に方々から殴られてる人物に殴り掛かる行為にそもそも問題があるとは思わないの? なんでアンタは叩かれ続けた人をさらに叩き始めたいじめ加害者フミコフミオの行為を擁護するの? それじゃアンタもスターつけてる連中も、完全な 悪 人 みたいじゃん。今からでも遅くないから考えを改めるべき。
b:id:K-Ono こんなん「○条かやの炎上とフミコフミオの悪意としっきーの便乗とあなざわのしたり顔について」とか永遠に続けられるんだけどそれわかって書いてんのかな。愚かしい。
b:id:delimiterコンテンツ力の無い人は大変だね、便乗しかできない
b:id:htb48 こうやって便乗して商売にしようって料簡も決してほめられたもんじゃないと思うけどねえ
これにスターつけてる連中は“便乗”してた宇野ゆうかやロマン優光やその他のバカどもに“便乗すんな!”って言ったのかよ。言ってねーだろうが。何が“便乗”で何が“便乗”じゃないのか詳しく言ってみろスターつけてる奴。
b:id:kori3110ネタでやってるのでなければしっきー氏の文章読解能力を疑うし、あえて誤読してネタにしているなら、最低だ。
じゃあどんな解釈が正しい? てか仮にフミコのブログに何らかの良質なメッセージが仮にあったとしても“彼女が(自殺)なさったところで有言実行なだけであり責任は炎上かや様本人にある”=“自殺するとか言ってどうせ死なないんだろ”と高を括り、“いつものように茶化すつもりで書い”たとまで放言してる時点で問題外だろ。人の自殺を“茶化”して消費する奴の言うことなんて聞いてやる必要ない。どうしてもフミコの何らかのメッセージが大事だと言いたいならその前にフミコの不誠実さを批判してからにしろ。
b:id:irodori_kotori 能町さんに対して、私はヘテロ女性の痛みを生きているんだ、っていう主張することが悪意でなければなんなのだろう。
あのさ、id:skky17は“○条には落ち度がない”とか“○条には悪意がない”とか“○条は無罪”とか一言も言ってないだろ? なのになんでアンタ行き成り○条の悪意の話持ち出してんの? 仮に○条の発言に悪意があったとしたら何だというの? これを燃料にして○条は継続して叩かれ続けなくちゃいけないの? もっと叩かれて欲しいの? 落ち度や悪意があったからといって一個人を先月から現在まで延々叩き続けることはアンタにとって正義なの? あるいは叩きはいい加減終了すべきなの? 終了すべきだとしたら何でアンタは○条への憎悪を煽るようなことを言うの? なんで?
春が好きだ。声を大にして言おう、春が好きだーーー!
君が好きだと叫びたい!晴子さん晴子さん!
女子「ねーねー、1番好きな季節って何?」
なんて、キャッキャ言いながら季節ランキングを聞いてくるそこの女子よ。
あ〜かわいい。あーいとおしい。う〜んそうだね。
春を愛している今の僕に好きな季節なんて愚問だから、1番好きな果物ランキングにしよっか!うん、いいよね。
女子「いちごかなぁ、それとも巨峰かなぁ、・・・あ、メロン忘れてた♡」
いいんだよ、悩んで、逡巡して、ぐずぐずと迷ってまよって、たまに熟れちゃって。
ちょっと舌が痺れるくらいのデラウェアちゃんに君がなってくれるなら、僕は石の上にも三年、山本昌は現役32ネン☆
その悩みを読みきって満を持しての桃が登板しまーす。桃最強説。
女子「えっ、このタイミングで桃なんてずるぃよー☆」「もう!桃は反則ぅー!」
UNOでドロフォーを喰らったような、オマリーに角光男をワンポイントリリーフで当てられたような
とにかく困った顔をしたかわい子ちゃんが、そんな戯言を言ってきてたって、時既に遅しピーチマロン3年→柿8ネン☆
いや、ちょっとまって!ジブン、春だからって浮かれすぎてナイ!?
恥ずかしいけど言うよ。言わせてよ。
若かりし頃の僕はなんて答えていたと思う!?
驚ろくなかれ。「冬」と答えていたんだよね。
いま、なんて言った若いの。理由はなんですかって!? the reason why!?
特に男たるもの、そのロジカルでロジスティックスな知的体育会系な一面を
見せないといけない。わかったよ、せかすなよ言うから、もう言うからさ。
冬が一番だった理由は
「夏は脱いでも脱いでも暑いけど、冬の寒さは着込めばなんとかなるから」
ねえ聞いた!?おい、そこの烏合の衆の皆様、ご拝聴誠にありがとうございます!
バカだねー!!我ながらヘドがでるね、この嬉し恥ずかし蒙古斑BOYよ。
そんな若かりし頃の蒙古斑には、さすがの佐川男子も真っ青。西濃運輸中年への期待はキンモツ☆
あ〜!!ごめんごめん違う違う。
ほら、いつもはおとなしい僕だって、こんな積極的で晴れやかに楽しい気分になれる!
春がナンバー1シーズンでいいと思うんだ。いいよね、だからそんな可愛い娘ちゃんが
出来心で適当に聞いている好きな季節ランキングなんて愚問は、春一択で決まり☆
はい、解散解散〜!
いやだ。ヤバいことに気づいちゃった
ねえ、この春の楽しい気持ち。
先発が山本昌で勝ったから、すっかりマサのおかげだと思ったけど、
実はマサは3回で降板していて、ロングリリーフで角光男が3回〜7回くらいまで投げてて・・・
まさか、ゴールデンウイークのゴールデンは角光男の”光”・・!?
春という季節を愛する自分。華麗かつ高尚な自分を味わうために書き始めたのに、こんな終わり・・・
このままじゃ、GW最高で〜す☆なんて言いつつ、空港でワイドショーのインタビュー受ける一般の愚民たちと同じ。
だけど、これは抗えない結果。
春を後押ししているであろう、ゴールデンウイークの力投に拍手をせざるを得ない。
ああ、わかったもういいよ。ぜんぶ飲みこむ。
一般人マイルドヤンキーその他大勢と、俺は一緒なんだろわかってるよ。
だから2つだけ言わせてくれ。
春最高。
「解放されなよ!」もまたアウトソーシングであり「私はお前のママじゃない」と言ってることは同じなので - masudamasterの日記
id:masudamaster氏の言は正しい。彼が言っているのは、要求ばかりして何も返さないというのでは相手の賛同を得られなくて当然であり、この態度を続けるのであればフェミニズムが政治的イニシアチブを取ることは決してできないということだ。フェミニストは大雑把にいって半数いるかもしれないが、半数しかいない。過去の怨みつらみで論理づけしたところで、政治的な力を持つ今の人間には訴求しない。
じゃあどうすればいい。一つの解決策はid:masudamasterが言う通り、先に与えるから返してくれという政治の基本だ。順序が逆でもいいと思うかもしれないが、すでに与えてくれた実績がなければ恒常的な政治力を持てないのははてなーの皆さんが嫌う政党がのさばっている現状を見れば明らかだ。では「過去にいろいろ与えたでしょ?返せよ。」はどうか。賠償請求だな。しかし、これは天秤を持つ第三者を必要とする。残念ながら中性の裁定者は存在しない。
ただ、id:masudamasuterの言う手法は採用できない。逆に考えてみろ。これまで与えても何も返してくれなかった相手に、また何かを差し出して見返りをくれと契約する阿呆もまたいない。完璧にどん詰まっている。
たぶんどこかで間違ってしまった。女性をジェンダーロールから開放させるという理想に間違いはないはずなのに。
フェミニズムが政治的に勝利するには、得をしている半数を説得する理屈が必要だ。しかも、彼らに損をさせずにである。私には可能と思えない。政治的に戦うなど、能力差のない相手にハンデを与えて戦いを挑むようなものである。このままでは負けるに決まっている。だが、大雑把に言って半数もいるフェミニストが有利に戦える場所で戦えばどうだろうか?
残念な女性向け商品が作られてしまう「ダサピンク現象」について - yuhka-unoの日記
ダサピンク現象そのものに関しては、結局数の話としての回答が得られた記憶はないのだが、もし本当にこの現象の存在に賛同する人間が半数もいるのであれば、その資本主義における力は絶大である。支配者側から見た場合、政治は過半数で勝てるが、資本主義でロスが半分でることは許容できない。ダサピンク現象を主張するあなた方は、生産工程の上流にいるゲスパー上のおっさんを叩いてガールズトークに花を咲かせている場合ではない。そんな暇があったら、消費者として確実に存在するあなた達が行動するべきである。
ダサピンク現象が現れた(とあなた達が感じる)商品の非売というだけではない。女性の労働環境が悪い企業に対しても同様の行為を行う。他にも、既婚者であれば正しく再生産労働の値付けを行うなどでもいいだろう。セックスをさせるときは金を貰え。男性側から見て、めんどくさい女になるのである。そして、めんどくさい女達として突き抜けるのである。間違ってもエマ・ワトソンのように男性に縋ってはならない。男性は所詮ペニスの奴隷だと蔑むのである。男性に、あっこいつらを味方につけないとどうにもならないんだな、と縋らせるのである。
性を武器にしているように見えるかもしれない。だがそうではない。このジェンダーロールは男性が押し付けたものだ。望むものだ。あなたたちはジェンダーロールを放棄しただけである。
フェミニズムは政治的には敗北するだろう。だが、資本主義では勝利する。そして、現代の政治は資本主義とは無縁ではいられないのである。
『100-1=0』という言葉を知ってこんな体験を思い出した。
高校2年の秋だった。
秋学期最初のロングホームルームで、今後のレクリエーションの予定を立てていた。
私はレク係のひとりで、その会を取り仕切っていた。
レク係の私はクラス会の予算から景品や道具を準備するよう任された。
図書券(5000円分)、図書券(2000円分)、図書券(1000円分)、以下諸々...
(金額に関する記憶は曖昧だが、とにかく上位を高額図書券に設定したことはよく覚えている)
そしてその日はやって来た。
景品を発表するとクラスは盛り上がった。
私は数字の書かれた札をめくりながら自分のビンゴカードに穴を開けていった。
自分でも驚くほどあれよあれよと穴が開いていった。
その瞬間はちょっとだけ悩んだが、金に目が眩み景品を返上することはしなかった。
と、楽しみを独占しながら、大会を再開した。
進行するうちに少しずつ罪悪感が芽生えた。
しかしそれは大部分の人たちから認められなかった。そういう視線を浴びた。
せめて景品は献上して、別のところで役得を受ければ良かったものを、と思った。
自分の蒔いた種で。
今やこんなエピソードは誰も覚えていないにしても、ズルい奴という印象は心のどこかで持たれているかもしれない。
一度でも失敗したら信頼は失われると思った話。
追記
マシーンは予算の都合上買えなかったので市販のビンゴ用の1〜75まで書いてある札を買った。
すみません、「めくりながら」と書いたが、UNOの山札のようにめくったのか、それともボックスに入れて取ったのかは覚えてない。
id:yuhka-unoさんとかね。
専業主婦は奴隷だ! とか、そういう系のエントリ。まあコメント欄も荒れますよね。
別に意見は人それぞれだから、どんな批判しようとどうでもいいんだけど、ひとつ気になるのが、おそらく男性のコメント。
的なやつ。
とは言ってないし、
「男のせいでこんな社会になった」
とも言ってない。
「男がどうであるか」を一切書いていないのに、なぜそんなコメントがつくのだろう?
男女両方の立場で書いておらず、フェアじゃない
こんな感じではないだろうか?
そもそも世の中に男女それぞれ半数ずつ存在する以上、この社会を作り出した責は女にだって半分あるはずだ。
黒人みたいに違うところから無理矢理連れて来られた訳じゃないし、植民地にされた訳でもない。
女性への差別の批判=男性への批判 と思い込んでしまうのは間違いでないだろうか。
女性への差別がある ならば 男性への差別はない という論理は成り立たない。
差別って、謂れのないレッテルをある特定の集団に貼ってしまうことだ。女性差別問題において、レッテルを貼るのは男だとみなされがちだが、それは違う。社会が貼っているのだ。つまりそれを構成する女も自分自身にレッテルを貼っている。
そして男は、「男が女にレッテルを貼っている」という「レッテル」を貼られている。つまり、これは、差別を受けていることに他ならない。
だから、上記の
といったコメントは、ただの論点ずらしであり、男を擁護しているようで、全くできていないことがわかる。
「レッテルの貼られた女」をなかったことにして、同時に「レッテルの貼られた男」をも消してしまっているからだ。
「社会」が差別しているのに、「男だけ」が差別者であるように感じて苛立つのも分かるが(これも自分にたいするレッテル貼りなんだよね)、ちょっと冷静になろうぜ。
30歳 174cm 痩せ型 高卒 地方在住 月給手取り23万。
クラブやバーなど大人の遊び場に行ったことがない。スタバも焼き肉も回らない寿司もファミレスもいったことない。回る寿司は一人でいってお持ち帰りだけならした。飲み会に行ったことがない。風俗も行ったことはない。童貞ではないが恋愛経験はなし。
飛行機に乗ったことがない。船は修学旅行以外で乗ったことがない。というより住んでいる土地から修学旅行以外ででたことがない。四国九州沖縄に行ったことがない。当然海外なんて行ったことがない。
英語はできない。
友達は一人も居ない。ネットでの長い付き合いのある人を友達と言うならネットでは3人位いることになる。
親にもハブられぎみで10年位会ってないし電話もこない。ちなみに親は中卒。
アニメは見ない。ネトゲは少しするけど所詮ネトゲもリアルと同じでぼっちなのでFF14みたいのは面倒でできない。ギャルゲーはやったことない。家庭用ゲーム機は子供の頃から一度も所持したことがない。カラオケ行ったことがない。ろくに歌ったことがないので多分音痴。お年玉を貰ったことがない。将棋、囲碁、麻雀、トランプの各種ゲーム、UNOのルール知らない。ポケモンやったことない。スマフォもったことないから当然LINEなどしらない。スカイプやったことない。
もう一度言う、友達は一人も居ない。
なのにTwitterでは何故か有名なアプリの開発者や最新のネトゲ渡り歩いてるヘビーゲーマーや音楽作ってる人や絵のうまい人にフォローされてツイートに感心されることがある。自分とは対極の今風のきらびやかな世界にいる人達に何者なのか気になると言われたり。なぜかみんな騙されてるか騙されてるフリをしてる。進んで嘘をついてるわけではなく、言わなくていいことは言わないようにしてるだけ。不思議だ。空の上の人たちが自分の何に興味をしめすっていうんだ。
自分が何言っても、現代の文化を知らない人が適当にそれっぽいこと言ってるだけなはずなのに、興味深々な反応をもらう。わけがわからない。俺に媚を売ってもなにも得るものは無いはずなのに。
ただ、不思議でならない。
もしかしてネットなんてみんなそんな架空のイメージをやりとりしてるだけなんだろうか。
でも何か作ったり行動している人のそれは、間違いなく本物なのに。そんな本物を持ってる人が中身のない自分に興味を持つというのが不思議でならない。
Twitterの検索で適当に何人かクリックしてみると、"この人をフォローしている自分のフォロワー" がぼこぼこでてくる。そっちのほうが、はてブが増えたことより驚きだった。知り合い7人たどると全世界がなんとか理論だったか。
こういうベクトルの話題に反応する人たちが自分のフォロワーと近いところにいるのは自然だろうし。Twitterでは必要以上を書いてないだけで、俺という一個人からでてしまう匂いはここでも同じものになってしまうのだと思う。
Twitterでは必要以上を語らないことに徹しているので、逆のことをやってみたくなった結果がこれだった。けど、それが及ぼした影響は俺から見える範囲では結局Twitterと変わらないんだな、俺から見える範囲そのものもさして変わらないのだな、ということを俯瞰して残念なような。
本当に伝えたかったことは、ネットは上辺だけだということじゃなくて、流行りの音楽聴いたりガジェット所持したりかっこいい遊びをしておしゃれをしてということは必須ではないのではないかということかもしれない。俺はずっとそういうことを必須だと思って現実では他の人との壁を厚く感じてた。それがネットではそっちがわの人間の興味あつめる結果になっている。みんな騙されてるフリをしている、という可能性を忘れればだが。
基本的には、ネットだけに特殊な人間関係効果があると自分は考えていない。ネットにも壁はある。事実、他のSNSというものを一度登録だけはしてみたが、全く使い物にならないままに放置された。現実や密なコミュニケーションを要求するSNSやネトゲでは、有限の時間と労力と気力を使ってコミュニケーションを取る以上、より中身のある面白い人物とつきあった方がメリットが大きいのだろう。同じ害にならない人物なら、一緒に過ごして何も得られない人よりも、得られる相手のほうがいいと多くの人が考えているように感じる。
Twitterという場所は少し違う。害にならない人物ならとりあえずかき集めておいて損はないという方向性をTwitterの設計は恐らく意識的に加速させてる。むしろその軽さがTwitterの他のSNSとの違いに思える。フォロー、アンフォローはいつでも気楽にできる。とりあえず見てみることにリスクがない。
そのような場では、何か一つ琴線にふれる部分が対象にあれば、(現実や密なコミュニケーションを要求するSNSやネトゲのように)他の色々が足りなくても対象が有限の時間と労力と気力を無駄に食いつくすということはないので、損にならないように相手を吟味する人が少ないのだと思う。これは現実でいうならお祭りとかボランティアの場とか、ネトゲでいうなら先に出したようにわーわーと大人数で協力する場に近い。いるだけでまあ害にはならないしちょっと得だよね、という。