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はてなキーワード: 自然現象とは

2015-07-29

野糞の仕方

呼んだ?呼ばれた気がしてここに降臨

野糞は外でするウンコか?トイレ以外でウンコをすることか?

路側帯に車を停めて、ウンコをすることか?それは緊急事態なので許そう。しかビニール袋に入れて持ち帰るのがマナーだ。

山歩きでウンコがしたくなったとき。当然近くにトイレな無いな。これも仕方がないので許そう。野・糞と書くだけに野の中でウンコの仕方

登山中のウンコ自然現象英語ウンコがしたくなったことを「自然が呼んでいる」という

登山用語で「雉撃ち(きじうち)」か「お花摘み」と言われるくらい。ちなみに「お花摘み」は女性の方ね。メルヘンだね。これならアイドルでも許せるね

さて、ウンコをする前に穴を掘れ。なぜかというと、しゃがむと肛門*と地面のクリアランスは拳1個程度だ

そこでウンコをすると、ウンコが地面に当たる。そのときの感触はまるでバックから掘られたウホォって感じになる。ああ、肛門*に異物が入って来る新しい感触

新しい感触に浸るのもいいが、単純にウンコが地面につかえているだけだ

そして用が済んだら穴を埋めるのだ。その時、紙は燃やすこと。紙はトイレには流せるが自然の中では溶けて無くならない。これがマナー

しか標高が2500メートルを超えると、穴を掘ってウンコを埋めても自然分解されない。土壌が痩せているのだ。さら生態系破壊しかねない

高山に登るとき携帯トイレを持って行く、これはマナー以前に山の掟、義務

さて、路上ウンコをすることになったら、拭いた紙はウンコの上に置いて良し。そこにウンコがあるな、踏んではいけないな、という目印になる

そしてこのウンコ大型犬じゃなくて、人のウンコだなと分かる

2015-07-22

http://anond.hatelabo.jp/20150721212703

僕はルールを守れない人よりもルールを守れない人を見てイライラして暴言を吐く人の方が嫌です。


どんなに頑張って注意喚起してもルールを守れない人、ルール理解できない人はどうしても出てきてしまうんだから

ルールを守れなくて当たり前、仕方ない」って思うようにすればそういう人達にも寛容になれるよ。

台風とかの自然現象と同じようなものよ。「自分ができるとこは他人も当然出来る」と思っちゃダメ

http://anond.hatelabo.jp/20150721212703

もうね、マナーを守らない人間自然現象だと思うことにした。

彼らを人間だと思うから腹が立つのだ。

電車のドアは3列で降車し、その後に3列で乗車すればとてもスムーズだし、曲がり角で人が正面衝突しないように右側通行もしくは左側通行の表示は守られるべきなんだけどどちらも邪魔をする人たちがいる。彼らのせいで電車の乗降時間は何倍にも膨らみ、通路の曲がり角は気を張らないといけない危険地帯となる。

同じような環境に育ち、同じような教育を受けた日本人であるからには共有できる部分も大きいと期待するからこそ、彼らには得も言われぬ怒りを覚える。正義執行したくなる (元増田ブコメより拝借)

しかし逆に言うと電車などはそういう不確定要素があってもなお機能するように設計されているともいえる。

電車のドアは3人が並列で通過できる幅なのではなく、両サイドの狛犬くんがいることや、降りる人が終わらないうちから乗り込もうとするあさましい人々が塞いでもなお真ん中に一人が通れる幅の設定なのかもしれない。

これは側溝のフタと同じだ。落ち葉ごみで網の一部が塞がれてもなお十分な排水量を確保する。水路には砂やヘドロがたまるがそれを見越して設計する。

もしくは虫だ。「なんでよりによってこっちに向かってくるんだよ!?」「口に虫が飛び込んだ!気持ち悪いなあ。やつらも死にたくないはずなんだから口になんかはいるなよな~」など、虫の行動は人間理解を超えている。

我々は勘違いしているのかもしれない。

おそらく、インターネットを使い、能動的に文字を読み書きして、マナーなんぞに目を向けるとかそのレベルのことができるだけですら、全体の中ではそこそこ高い位置にいるのかもしれないのだと最近は思う。(決して選民的な「オレスゲー」ではなく)この多様な世界横方向と同様に、下方向にも限りなく広い(深い)のだ。

彼らは我々には想像ができないぐらい異質な世界暮らしている可能性がある。

それこそ側溝のフタに詰まる砂や葉っぱだったり、意図もなく人の口に飛び込み自殺をする虫たちのような世界に。

かれらのことは自然現象だと思ってあきらめるのが一番だと思うんだ。

2015-06-26

三大・漫画でよく使われる自然現象

鎌鼬

真空によって物が切り裂かれるという形で、武器特殊能力などの説明に利用される。

粉塵爆発

建物内に追い詰められた主人公粉塵爆発を利用して敵を一網打尽にする、粉塵爆発が起こりそうな環境で敵が発砲して自爆する、といった使われ方をする。

熱膨張

硬い武器や壁を急速に加熱、あるいは加熱したのちに急速冷却することによって破壊するのに使われる。

2015-03-21

女性は怒りたいときに怒る

http://www.welluneednt.com/entry/2015/03/21/073300

村上さんが著書の中で「女性は怒りたいときに怒る」という趣旨のことを書かれているのを読みました。

1)これは自然現象なのであって(嵐とか竜巻とか噴火とか)あきらめるしかないと思う。

2)とにかく平謝りに謝ってその場を切り抜ける。

 

それ以外に道はありません。がんばって耐えてくださいね

怒りに理屈は通じないというのはその通りだと思う。

女性に限らず、駅員にキレている中年などの怒りも、嵐とか竜巻とか噴火の類だと思う。

 

男性恋人女性の前で自然現象的にやるのって、嘲笑じゃないかな。

恋人の前で「アレな男」や「アレな女」についての嘲笑をよくやる男性って多くない?

普段は穏やかなのに、酒が入ると嘲笑しまくりになる男性も多いと思う。

男性って大半が嘲笑好きだよね。女性口説くときに他の男性嘲笑してみせるっていう手を使う男性もいる。

2014-09-06

逆さ富士世界遺産

逆さ富士アナル世界複合遺産に登録しよう。

wikipediaより世界遺産の条件を抜粋してみた。

複合遺産文化自然の両方について、顕著な普遍的価値を兼ね備えるもの。)


自然遺産

(1) ひときわすぐれた自然美及び美的重要性をもつ最高の自然現象または地域を含むもの

アナルはひときわすぐれた自然美を有する!!


(2) 地球歴史上の主要な段階を示す顕著な見本であるもの。これには生物の記録、地形の発達における重要地学的進行過程重要な地形的特性自然地理的特性などが含まれる。

分からん


(3) 陸上、淡水、沿岸および海洋生態系動植物群集の進化と発達において進行しつつある重要生態学的、生物学プロセスを示す顕著な見本であるもの

進化と発達において進行しつつある重要生態学的、生物学プロセスだ!!なんせうんこが出るんだからな!!アナルは日々進化している!!


(4) 生物多様性本来保全にとって、もっと重要かつ意義深い自然生息地を含んでいるもの。これには科学上または保全上の観点から、すぐれて普遍的価値を持つ絶滅の恐れのある種の生息地などが含まれる。

こういう地形的なのはダメだな。


文化遺産

(1) 人類創造的才能を表現する傑作。

アナル芸術だーー!!逆さに盛り上がったアナル人類創造的才能を表現している!!


(2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築技術記念碑芸術都市計画景観デザインの発展に関し、人類価値重要交流を示すもの

建築物とかではないな。


(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠

知らん。


(4) 人類歴史重要時代例証する建築様式建築物群、技術の集積または景観の優れた例。

関係なさそうだ。


(5) ある文化(または複数文化)を代表する伝統集落、あるいは陸上ないし海上利用の際立った例。もしくは特に不可逆的な変化の中で存続が危ぶまれている人と環境の関わりあいの際立った例。

これも関係ない。


(6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事現存する伝統思想信仰または芸術的文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。

顕著で普遍的アナル思想アナル信仰だ!!さらAVという芸術作品と直接関連している!!



ということで、アナル自然遺産1,3、文化遺産1,6の条件に当てはまるのではないか?

増田アナル普及協会はアナル世界複合遺産への登録をめざします。

2014-05-01

感謝の向かう先

http://anond.hatelabo.jp/20140501000451

ありがとう。思案のきっかけが示されて、気分が少しすっきりしました。

感謝対象への違和感自分の中に確かにありました。

 

感謝されるべき相手が違うんじゃないの?ってムカつくことがある。

今日も食事が頂けるのは神様のお陰ですと祈るよりは、

自分なら、料理食卓に並ぶまでに関わった全てに感謝して「いただきます」したい。

「関わる全て」を、人だけじゃなく他の生命自然現象や多くの偶然まで含めて

便宜上「神」と呼ぶのだっていう考えなら、便利だねと理解できる。

 

ムカつくのは手柄の横取りみたいな話。

雨が降るまで祈りを止めない雨乞い祈祷師ならまだましで、

都合のいい偶然を狙っているだけじゃなくて、

みんながお膳立てした手柄をかっさらっていくような

 

固くて開かない瓶のふたを

みんなが交互に顔を真っ赤にしながら開けようとしてるうちに

ちょっとずつふたが緩んできて、さあいよいよ開くぞというところで

ひょっこり現れたヤツが開けてドヤ顔、みたいな

そういうふてぶてしさにムカついてしまう。

 

病院に行って病気の症状が良くなったなら、まず治療してくれた人に感謝しない?

誰かが手を差し伸べてくれたなら、その人こそまず讃えられるべきじゃない?

そこをすっ飛ばしていきなり「神」に感謝するような思考回路に苛立ってしまう。

あなたが信じている「神」は真っ先に感謝されないと拗ねるのかと。

いつでも有り難がられていないと次からもう手を貸してくれないのかと。

そんなに器量が狭い訳ないじゃんと思うんだけども。

 

感謝の気持ちを持つことで心穏やかになるなら、それはいいんだけど

感謝が先にありきで、なんでもいいから感謝したいがために

因果こじつけたら世界が歪むじゃんか

そうやって物事をゆがめてしまったら、

できるはずのものができなくなって、助かるはずのものが助からなくって

結果またどこかで行き詰まって困る人が出るじゃんか

で困ったときには結局、奇跡が起こるのを期待するばっかりになるじゃんか

そういうのがまかり通る社会は嫌だと、私はいちいち腹を立てていたのでした

おわり。

2014-02-13

SNSとかで、過去一ヶ月以内に必ず見かけたであろうポストw

赤ちゃん写真

曰く「誕生しました!~グラムです!みなさんのおかげですありがとう!」

・虹の写真

曰く「虹発見♡」

空港写真

曰く「いってきますー!」

ネコ

曰く「かわいい♡」

・名所旧跡、自然現象総合

曰く「やっぱすげー」

・恐らく飲酒

「今、このチームで仕事できてる自分って、ほんと幸せだと思う。みんなでもっとこの世界変えていきたい。小さな力でも伝えられる事ってあるんだってマジで感じた」系w

・「さてとっ」っていうだけの謎の身内つぶやきw

・無題でビールジョッキ、ワイングラス、カクテルグラス、ぐいのみ、などなどw

その他

・花

夕焼け

・「みんな気づいてない実は福島第一は今こうなっているw」系

署名呼びかけ

おもしろ画像

おもしろ動画

名言リンク引用

・なるべく自慢しすぎないようにがんばって言葉選んで投稿した子供達の写真w

雑誌掲載されました、テレビ映りました

雪だるまw

ほかにもいろいろあるなー

日本人はどんなツールでなにやってもほんとやる事と内容おんなじw

2014-01-26

http://anond.hatelabo.jp/20140125154251

いやいやいや…病気自然現象でしょ?

自分がもし安楽死させてやるから明日死んでくださいと言われてもノーと言うよ

苦しいよりはいいだろと言われても受け入れるのは無理だ

2013-12-20

http://anond.hatelabo.jp/20131219182256

バカか。区切ったらそれは本来の意味での遺伝子プールじゃねぇだろ。

はい? 遺伝の仕組みに本来も非本来もないぞ。ただの自然現象なんだから

それなりに長い時間隔離すればあっちとこっちで遺伝子に変化が生じる。

日本は島国だから、誰が守らずともなんとなく自然隔離されやすい条件だったからなあ。

お前、共同体という概念言語化されるまで共同体という機能存在しなかったとでも思ってるのか?

お前の言う「日本人」は日本国存在を前提しないと存在しない。

今の日本国領土に住み日本国籍を持つ日本人というものを囲おうとするなら、今の国体国境を前提しなければ無理。

歴史を遡ったって、倭人倭国がないと存在しないし、邪馬台国人は邪馬台国がないと存在しない。

2013-12-10

はてなというムラでこの先生きのこるために


   またわれわれのもとから同志が去っていった。

   いちょうの葉が黄色く色づいては散るように。

 

   そして新たな仲間がやって来るだろう。

   山の向こうにかさを増しつつある積雲とともに。

 

   だがかれも間もなく去るだろう。

   われわれを残して、この伏魔殿のごときさな奥深き村に。

 

   もうすぐ冬がくる。

   悲しい記憶をえぐるあのつめたい風が。

 

はてなというムラ社会

 まずわれわれの同志は認識すべきだったのだ。

 

 冒険ガイドブックには書かれていないが、ここがおしゃれな女子の見栄が光を放つ都会でも、スポーツ万能イケメンの性欲のたぎるにぎやかな浜辺でも、ネット動画で盛りあがれるような若者でひしめいたゲームセンターでもないということを。

 

 はてなとはムラ的である。そしてムラとははてなである。同時に、はてなは非都会的であり、都会とは非はてななのだ

 

 ムラにおいてムラビトの関心事はつねに共有されているし、共有されるべきなのだが、それはムラが外部から侵入してくる敵に対抗するためには仕方のないことなのだ。

 

 ムラの一体感こそが強大で理不尽ともいえる文明社会の力に立ち向かうための、ある種魔術的ともいえる結束力の源となっているのだから

 

 たしかにここには多様性流動性現代的な価値観もない。

 

 この小さな社会は閉鎖的で狂信的で、SNMN(神聖四文字テトラグラマトン)。われわれはそれを便宜上シナモン」と呼ぶ)を神と崇める中世カルトによって支配されている。

 

 驚くのも無理はない。この先進国日本おいまさかオカルティズムによって支えられるムラがいまだに存在していたなどと、誰も想像すらできなかっただろう。

 

 だが、これはまぎれもない現実なのであるはてなというムラはここにある。そして同志よ、きみはこのムラに足を踏みいれてしまったのだ。

 

ラビトの行動原理

 第一に、ムラビトは新参者排除が好きだ。もしも新参がおしゃれなフェラーリに乗ってやってきたら、つるはしを持ったムラビトによって、その紅き果実は一夜のうちに無惨な血だまりと化すであろう。「ふぇらだかへらだかなんだかしらねえが、おらのムラで調子に乗ってんじゃねえ!」耄碌した老人のたわごとにきみは付きあうべきか。

 

 第二に、ムラビトは新参を待ち望んでいる。ムラビトは新参が現われなければムラビト同士で殺し合ってしまうのである。ムラの平和新参の流入によって生じるあの排除への一体感によってかろうじて保たれている。愚劣な新参の流入を嘆きつつ、同時に過疎化心配する声もあるというわけだ。きみはムラビトに言うべきだろう。「お前らの命はオレが握っているッ! どちらが上か勘違いしてくれるなッ!」と。

 

 第三に、ムラビトは誤読が好きだ。ムラビトには都会の常識論理科学が通用しない。このムラは迷信や魔術によって支配されているのだ。その解釈はつねに飛躍し、高レベルのムラビト=ラビならば、否定は肯定となり、間接話法は犯罪告白となり、人間は六本足になるだろう。「え? おれが誤読したって? 誤読するような書き方をするお前が悪いだろうが!」ムラビトとコミュニケーションすることはそもそも不可能なのだ。きみのせいではない。

 

 第四に、ムラビトはお役立ち情報が好きだ。たとえばおすすめ小説を並べたアフィブログはかならずムラビトを吸い寄せるが、彼らはお役立ち情報が好きなだけで、そのお役立ち情報を活かそうとは思っていない。お役立ち情報に触れた見つけたというお得感だけでお腹いっぱいなのである。むかし「あとで読む」という貼り紙が村のそこら中の電信柱に貼られていたころがあったが、もちろんあとで読んだムラビトなどいないのである。ムラビトとはその程度のアホである。きみはアホの戯言を気にするのか。

 

 第五に、ムラビトは高学歴ぶるのが好きだ。ムラに大学院などないのになぜかムラビトは全員が識者面をしている。わけもわからずに社会情勢を嘆いてみせるが、じつはムラには日本社会との接点はほとんど残っていないのであまり意味がないのだ。だがそのことにムラビトはまだ気づいていない。それは幸福だろうか不幸だろうか。ムラビトの空想癖にせいぜいきみは苦笑するだけで済むだろう。

生存戦略

 われわれはふたつの提案をする。

 

 第一に、何が起ころうと、それを風に揺れる稲穂のざわめきや蝉の鳴き声あるいは馬のいななきのようなものだと思ってしまうということである。ムラにはムラのやり方がある。それはムラにとっては極めて自然ことなのだ。ムラにおい排除とは自然現象であり消化作である。きみは批判されているのではない、大自然に包まれているだけなのだ。われわれ都会人は疲れた精神のうちに自然癒しを欲しているが、ムラビトをそのようなものだと思ってみてはどうだろうか。

 

 第二に、コメント欄を閉じ、ブックマークコメント非表示にするという技術的な解決策がある。われわれはこの方法をすすめている。レベルの低い冒険者はまずムラのなかに要塞を作って引きこもり防御をかためるべきなのだ初心者ありがちなことだが、初期装備のままムラの深部を、ムラビトのこころの闇を探ろうとしてはいけない。危険だ。命の保証はない。そうやってわれわれの同志は倒れていったのだ。扉を開けなければ嵐はやがて去っていく。大荒れの海を見に海岸へ行ってはいけないのだ。

まとめ

 ムラビトの世迷いごとをまともに受けとってはいけない。かれらは異世界テレパシーで会話しているのだ。われわれ文明社会に生きる人間とはその語も文法もアクセントも思考様式も異なっている。かれらは秘境に生きる最後魔術師たちなのである

2013-11-21

水曜どうでしょう』最新作の出来が過去最低レベルな理由

まず最初に断わっておくと自分は、どうでしょうの大ファンです。

多くの人の目に触れるように、タイトルは少し大げさに付けました。

タイトルを観ただけで気分を悪くした人がいれば、本当に申し訳ないです。

また、地方によって放送開始日にバラつきがありますが、最新作のネタバレが文中に

入っていることも予めお断りしておきます。(私は現在第7夜まで視聴済)

                ×        ×        ×    

現在、最新作の『アフリカ』が全国で順次放映中ですが、観ていても

「この4人が揃って旅をしているのが見られるだけで充分嬉しいんだけど、やっぱりなんか違うんだよなあ」

と、私は思ってしまうわけです。この違和感は、前作『原付日本列島制覇』から続いているものです。

その違和感の正体を自分なりに考え、予測を交えいくつかの項目にまとめてみました。

                ×        ×        ×

①【企画を引き延ばし過ぎている】

最も大きな原因はコレかな?

前回の『原付日本列島制覇』から顕著になっている傾向ですが、番組の人気(加えて大泉洋の人気)が

飛躍的に高まったおかげでしょうか、一つの企画の放送回数が大幅に増え、ファンとしては長い時間

どうでしょう班活躍が見られることは嬉しい一方で、結果的には一回一回の放送の中身が

薄くなっているように感じてしまます

レギュラー放映終了後の企画を順に追っていくと

2004『ジャングルリベンジ』全7回

2005『西表』全8回

2007『ヨーロッパ完全制覇』全9回

2011『原付日本列島』全12

2013『アフリカ』全14回予定

となります

レギュラー放映時に長丁場とされていた『対決列島』が全10回。

レギュラー最後の企画『原付ラストラン』が全8回(放映回数は全7回だが最終回が1時間枠)

と考えると、前作と新作が、いわゆる「取れ高」を引き延ばして作っている企画であることが伺えます

逆に考えれば、例えば今回の企画の回数が半分の全7回であれば、これまで放送したシーンの内の

半分はカットされ、もっと笑いが凝縮された作りになっているはずなのです。

大泉さんエッセイネタの繰り返しも、冗長なサバンナ動物カットも、半分ぐらいの時間でちょうど良いのでは?


②【出演者が無茶をしなくなった】

二つ目の原因はこれでしょう。

テレビ業界事情に私は全く詳しくありませんが、全国区俳優となり、過密スケジュール大泉さん

万が一どうでしょうロケで怪我をし、仕事を休業せざるを得なくなった場合。あるいはそれ以上の

大怪我を負った場合関係者に与える影響がとてつもなく大きい、と言うことは想像に難くありません。

そんな中での今回の『アフリカ』です。

最初、旅の行先がアフリカだと知った時、多くのどうでしょうファンは色めきたったことでしょう。

「ついにどうでしょう班が長年、未開の地として挙げていたアフリカに!」

「これはブンブンベトナムを越える危険が降りかかるかもしれない!」

私も思いました。

しかし、実際今のところの放送内容を見ている限り、番組史上最高レベルと言っても良いほど

安全快適に守られた旅をどうでしょう班は続けています

サバンナ動物たちを、安全な車の中から見渡すだけの旅。食うものにも何一つ困らない旅。

まりヌルい。

次々と映し出されるサバンナ動物たちは確かに生で見れば見応えがあるのかもしれません。

どうでしょう班が興奮する姿には実感が籠っていることは理解出来ます

しかし、その映像って視聴者が本当に水曜どうでしょうに求めている大事な要素なのでしょうか?

キー局お笑いタレントや人気俳優が出演する、ありきたりな○○アフリカ紀行と何が違うのでしょうか?

熱心な視聴者は、過去どうでしょう班

ジャングルリベンジ』で剝き出しの軽トラの荷台に乗って野生のヒョウを観に行ったこと。

ユーコン』で、いつクマに襲われてもおかしくない状況でテントに毎晩寝泊りしていたこと

ラストラン』で異常な数のカブ渋滞を潜り抜け、事故車が横たわる悪路を走っていること。

それらを知った上で最新作を観ているのです。

パワーダウンした感は否めません。

また、これは身体的な危険に限った話ではありません。

ミスター甘味対決での苦悶の表情。

『絵ハガキ2』で北海道に逆戻りした不条理展開。

『西表』でロビンソンに無理やり付き合わされるメンバー

なども含む、「出演者が嫌がっているのに企画に抗えないシーン」の欠如が前作・最新作には著しいのです。

もしも、人が苦しんでいる姿を見て笑うなんて、と言う否定をする人がいるならば、それは過去

どうでしょうの企画の大半、この番組の根幹の部分を否定することになるでしょう。

③【旅の目的が無い】

例えば、過去海外企画でも『中南米コスタリカ』は、身体への危険が起こる可能性はほとんど無い

企画でしたが、そこには「幻の鳥、ケツァール写真に収める」と言う実際に高難度の目的があり、

そのゲーム性のおかげで、視聴者最後まで緊張感を持って楽しむことが出来たのではないでしょうか?

(とは言え、この企画の一番の楽しさは制作陣が予期していなかったであろうバズーカの功績が

大きかったことは言うまでもありませんが)

では、今回の旅の目的は何でしょうか?

ビッグ5を撮影することでしょうか?

それともどうでしょう班が初めてアフリカに行く、と言う事ですでに目的は達成されるているのでしょうか?

アフリカと言うセンセーショナルイメージを与える場をロケ地に選んでおい

ちょっと拍子抜けな感じがしませんかね。

冒頭で藤村Dが言っていた

アフリカに着いてからの流れはムゼーにすべて任せている」と言う趣旨言葉は恐らく真実でしょう。

そのノープラン至上主義のスタンスどうでしょうらしいのですが、いかんせん企画の骨子の部分すら無く

それを14週持たせるのは、いくらなんでも無謀すぎたんじゃないかなあと感じてしまます

④【その他】

偶然的要素が強い部分ですが。

思いつくままに箇条書きで

面白ガイドの不在

→西表のロビンソンベトナムのニャンさん、アラスカジムユーコンピート

などの、ぶっとんだキャラクターがいない。今回は皆が常識人

アクシデントが起こらない

ダルマウイリー事件、インキー事件、自然現象など。

ただこればっかりは狙って出来るものでは無いのでしょうがないですね。

名言が出ない

→不作かなと個人的には思っている前作でも「文久三年!」などは印象に残っているのですが

最新作では、今のところ名調子が無いなあ。死の危険が迫っているとかじゃなくっても

暑いとか寒いとか眠いとか腹が減ったとか、そう言う時に大体名言が出るんですけどねえ。

                ×        ×        ×

などなど、次から次へと文句ばかり書きましたが、それでもやっぱり私はどうでしょうが好きですし

一生どうでしょうするつもりです。

冒頭にも書きましたが、出演者高齢化も進み、いつまで全員の元気な姿が見られるかも分からない中で

あの四人が揃って旅をしているだけで嬉しくて仕方が無いのです。だからこそ、昔の放送の方が良かったなんて

懐古主義には陥りたくないとも思うのです。

であれば、企画の方向性の見直しは必要なんじゃないかなあとは。

顔バレの可能性を考えれば、カブ以外の国内ロケは難しい。

・身体を危険晒す企画はおそらく今後一切出来ない。

・長期の放送スケジュールに耐える企画の創出。あるいは、スケジュールの短縮。

これらを踏まえた上で、カントリーサインとかサイコロ海外版とかって駄目でしょうかね?

それか試験に出るどうでしょう世界史版とか(安田さんのスケジュール抑えるのも大変だ)

まり熱狂的なファンの前では、どうでしょうって否定しずらい雰囲気があるし、頭ごなしに否定する

一部の自称お笑い好きにも辟易しているのだけど、同じように感じてくれる人がいたら嬉しいです。

改めて言いますけど、私はどうでしょうの大ファンです。

「今ちょうどテレビで新しいのやってるから観て!」って、どうでしょうを知らない周りの友人に

自信を持って勧めたいんですよ。

「昨日見!?」って周りのどうでしょう好きと言い合いたいんですよ。

久しぶりにテレビお腹抱えて笑いたいんですよ。

ほんとそれだけです。

まかり間違って、制作陣の目にこの駄文が触れることで、何かを考えてもらえるキッカケになれば

最高なんですけどね。そりゃ無いか

2013-11-01

http://anond.hatelabo.jp/20131101194609

ありがとう。ご指摘のとおりです。

夜中に爪を切ると蛇が来るというのは蛇信仰というもの存在した、というのは聞いたことがあります

むかし夜になると明かりが乏しく手元が正しくない状態で不衛生な刃物を身に当てるという行為自虐的だという通俗を誇張するのに使われていたという話も聞いたことがあります

口笛を吹くと鬼が来るという話も聞いたことがあります人間に対して害のある動物がまだ多く、同じ人間も闇夜に潜んで人を襲う可能性があった時代の鬼という分類が未知の生物全般を言い表せることも信仰宗教関係あることなのかな。

蛇にかまれて指が腫れるぞ、みたいなのはそれが適度な毒を持っていて夜に遭遇する他の生物でもよかったかもだけど蛇を選択したのは何かの意図感情だと思います

蛇という形をした生物と他の自然現象などを見合わせて何かのバロメーター役割付けた知識を宗教信仰にまとめた過去をふまえて、今現在はそこから科学歴史などの分野に分派していないのかな?

安全管理について具象を用いたということは宗教だった、と言えるかもしれませんが今現在おいて具象というもの宗教信仰とかかわりがありますか?

感情感情で、歴史歴史、その多くは心理学とか歴史学などで定義されていたとして、不明な点はそれぞれの不明な部分とはまだ現在でもしないのかな。

蛇にかまれて指先が腫れるのは嫌だ、という感覚に便乗して夜を爪切りの時期からはずすという誘導方法有効な心理作戦とは言わず信仰と扱う学問かもと思っていても、それが今現在機能して存在しているのかと言われたら、むかしは信仰心からできなかったことで、現在は別の分野が担えるけどやっぱり今でもできないことを結果は同じだから宗教とまとめていいのかなって。

2013-10-15

地震火事親父に「台風」が含まれていない理由

当たり前だろ。地震即死、雷→即死火事→運がよくても全身大やけど、親父→即死

台風じわじわ強くなる。そして因数分解してしまえば大雨+大風なわけだ。

昔の人が衛星を使えたわけでもなく、上から覗くでもしない限りはごく一般に見かける自然現象と何らかわりない。

みなさん台風台風騒ぎすぎだと思います

2013-05-22

僕らはみんな生きている

http://anond.hatelabo.jp/20130522152718

生きてりゃ時に笑うことも楽しいこともあるけど

別にそれが目的で生きてるわけじゃないんで。

何故生きてるかと問われれば自然現象からしか言いようが無い。

ミミズオケラの生にも何か意義や目的があるなら考え直しもするんだが。

2013-05-06

http://anond.hatelabo.jp/20130506073530

一般人ですが仏教が好きでたまに短期出家とかしてる者です。

自分の理解している仏教だと、仏陀は生まれ変わりという意味での輪廻転生を否定している。輪廻はある瞬間瞬間に、その人の中で一瞬で生じる世界のこと。

因果律とは悪い事が起きたのは悪い事をしたからという話ではなくて、自分の中のある感情や思考に執着した結果、それがより強く定着して起こるということ。全ての世界自分が生み出しているということ。良いことも悪いことも同様で、単なる自然現象。これをダンマという。

仏陀偶像崇拝するなとか、教祖を崇拝せずに自分の頭で考えろとか、死後の世界は無いとか、ごくまともなことを言っている。

後の人たちが自分たちの都合で作り上げた仏教(というか「日本世間」教)じゃなくて、仏陀の教えを見たら面白いと思うよ。

2013-04-03

http://anond.hatelabo.jp/20130403110315

ちょっと違った角度から書くと、物語を書く人とアスペって相性が悪いんだよ。

物語っていうのは、“様々に起きてくる事象をある視点から見て関係のある一連の出来事として解釈したもの”という定義が出来る。

たとえば、ここに悲しい人がいました。冷たい雨が降ってます。このふたつは本来関係ない。だって自然現象だし、そんな関係があろうハズがない。しかしそれをある視点から見て、心象風景として演出的に描写する。関係発見ねつ造と言っても良い)して物語の1シーンとして組み立てる。

物語を作るには、また、自分の生きてる時間物語として看取するためには、そういう心性が必要なんだよ。

それに対してアスペというのは、関係性の把握が出来ないとされている。つまり物語を普段から書いてる人にはアスペを深く理解する事が出来ない(だってじぶんは関係背を把握したり演出したり出来るから)。その上、アスペ物語に大きなストレスを与えるんだよ。彼らは物語の律というものに対して配慮がないから、ある種のウィルスのように物語破壊する。

もちろんもの書きは「アスペと一緒に暮らす苦労」なんかは、体験すれば理解出来る。一人称感覚として。でもそれは、異星人と暮らすみたいな話に行き着く。

このへんの相性の悪さがアスペドラマなんかに出づらい理由じゃないかなあ。

しかし、テーマとして大きく扱わないのならば、あちこちの物語に出ていると思うよ。

それはつまり不器用でなにをやっても足を引っ張る馬鹿”としてなんだけど。

2013-03-08

理系文系の本当の違い

タイトルはやや釣り。既に皆が知っているような事を、ちょっと別な言葉でもう一回書くだけ。

一応最初自己申告すると、筆者は理系を自負している。

 

違うのは興味の対象

いきなり結論を書くと、これ。

理系事象や物それ自体に興味を抱き、人間同士の営みについてはあまり興味がないが、文系は基本的に人間中心主義で、人間関係に強く関心を寄せる。

興味というと話が限定的になるので、世界の捉え方と言ってもいいかもしれない。

理系は、まず銀河の中に太陽系がありその中の地球と言う惑星に棲む様々な生物のうちの一つが人間、というように、自然科学的な世界の枠組みの中に人間社会があると考える。物事の本質はそれ自身の持つ法則や性質にあり、人間がそれに与える意味は付随的な物と考える。

一方文系は、まず人間社会がありその中の一団が天文学を発達させ太陽系銀河の有り方を発見した、というように、人間社会の枠組みの中に様々な知識や発見があると考える。人間社会に置いて物事がどのような意味を持つか、それこそが物事の本質であると考える。

どちらの見方もそれぞれに真理であり、当然ながら優劣をつけるような種類の事ではない。

筆者は子供の頃、理科はとても好きで教科書を隅々まで読んだりしたが、社会科殊に歴史現代社会には全く興味を感じなかった。基本的に社会科人間同士の営みの話だからである歴史の授業で出てくる○○の戦いやら××革命やらも全て、「ある時代のある場所人間同士が喧嘩した」というだけのことに見えて、個別に細かく眺める意味がさっぱり分からなかった。それに比べると理科の知識は、一つ覚えるごとに一つ新しい世界が広がるような気がしたものだった。

現在ではその頃よりもう少し歴史面白さが分かるつもりではある。

興味が違うとどうなるか

興味が向かう方面に関しては努力も苦にならず、能力が伸びる。その結果、理系は物事に入れ込むオタク気質に、文系人間関係に強いリア充になる。

逆に、興味がない分野のことについては、アプローチが下手になる。理系は、新しい知識や発明品が、人間社会においてどんなカードとして使えるかまで、気が回らない。ただその物の新奇さやスペック凄さを言うばかりで、それが金や権力にどう変換し得るか、その発見で喜ぶのは誰で困るのは誰か、そういう政治ビジョンが乏しい。文系からすれば酷くどうでもいい事に拘って人間関係を悪化させたり、他者の発言の裏にある感情政治的動機が読みとれずに見当違いな反応を返したりする。

一方文系は、人間関係の中でのみ有効方法を、それ以外の分野にまで当てはめようとして、おかしな話に引っかかってしまう事がある。例を挙げれば、自然現象相手に取引やお願いをしてみたり(「願えば叶う」式ライフハックなど)、自然に起こった出来事に誰かの作為を求めたり(ID論など)、人間価値観で物事の因果関係まで推測したり(水伝など)、と言った調子だ。最重要事項が良好な人間関係政治的な強弱関係であり、知識や情報はそのための道具にすぎないので必ずしも正確さは必要なく、より人を動かせる話に食いつく。

 

断定的に書いたが、実際は大抵の人間理系の心と文系の心を両方持ち合わせており、割合に個人差があるだけである。その割合も、置かれた環境や心理状態によって変化するであろう。

興味の方向性から、それぞれ理系分野・文系分野に進む傾向は有るかと思うが、当然当てはまらない人も多く居るだろう。

筆者は文系の心がやや乏しいため、文系の描写にはズレた点が多いかもしれない。

ツッコミ歓迎。

2012-12-20

http://anond.hatelabo.jp/20121220211542

東京って都市田舎の安い労働力が流入したおかげでおっきくなったわけじゃん。

農家の次男坊三男坊が江戸の街に流れ、廃藩置県で住所の自由が保障されて更に都市への移住が加速し、高度成長時代集団就職上京組が大挙して訪れ、なんだかんだで今に至ったわけで。

それが、元々東京に住んでいた住民の利益を甚だしく侵害たかと言ったら、まあそう言えなくはないけども、結果としてしょうがないと思うんだな。

乗っ取られることがいいとか悪いとか、不毛な議論な気がする。

労働力が安いところから高いところへ移動するのは、どうあったって妨げることができない。

水が高いところから低いところに流れるように。

どんなに大きなダムを作ろうと、際限なく堰き止め続けるわけにはいかない。

ただ、ダムや堤防は無駄ではない。

流れの速度や向きをコントロールすることで、洪水鉄砲水を防ぐことが出来る。

急激な移民による軋轢が引き起こす問題をコントロールするためには、無審査で無制限に移民を受け入れることは出来ない。

でも、移民はよくも悪くもなく、一つの自然現象みたいなもので拒絶するものじゃないと思ってる。

2012-10-22

とある地方公務員防災について書いた

平素よりお世話になっております

皆様のブックマークには大変感謝しています

公務員だけど、公務員残業代問題に潜む高齢者問題

http://anond.hatelabo.jp/20120922164617

とある地方公務員が日々思ったことを10コラムに分けて書いてみた

http://anond.hatelabo.jp/20121012225331

とある地方公務員生活保護について書いた

http://anond.hatelabo.jp/20121013233222

とある地方公務員日本共産党について書いた

http://anond.hatelabo.jp/20121015233513

今回は防災について書きたいと思います

今後首都直下型地震南海トラフ巨大地震といった大規模災害が予想されますが、それらの災害に対して、基本的自分の身は自分の身で守るという自助というもの必要になってきます

そもそも災害を防ぐことはできない

災害というと地震津波土砂崩れ、降雨災害といったように多岐に渡るわけですが、それらだけでなく原発災害なんかもあります

しかし、災害という自然現象に対して人間とは非常にちっぽけでありますので、出来る範囲というものが限られてきます。それは行政も同様です。

災害発生時には災害対策本部を設置するといった地域防災計画の策定というもの行政仕事としてあるのですが、その地域防災計画も結局のところ、内閣府都道府県の想定が変わってしまえば全部見なおすことになります。良い例が3.11の東日本大震災が典型例でしょう。

地震予知というもの科学的に難しく、現状では不可能でありますので、それに備えて国の方も予算を組んでおります果たしてどこまでそれらの施策実効性があるのか疑問が残ります

結論を先どってしまますが、行政ができることは結局、防災ではなく、少しでも被害を少なくする減災ではないかと思います。というよりも防災現場に携わっている職員ならば、ゼロリスクというもの不可能であることは十分に承知していると思います。確かに一人でも犠牲はない方がいいに決まっていますしかし、それが不可能であることもまた現実です。

死ぬとわかってても、自分の町に残りたい

ある町のケースですが、その町は津波によって浸水する可能性が極めて高く行政の何かしらの手立てが必要地域です。方法としては避難できるタワーを建設したり、津波から逃れるための避難路を作ったりするわけですが、一番確実な対策としては高台移転するという方法です。津波が到達する可能性の低い場所地域まるごと移転するというものですね。

この場合行政が本当に地域住民の命を守るという観点を重視するならば強権的に土地収用という方法もありますが、基本的地域合意がなくてはいけません。しかし、津波浸水する可能性が高い場所というのは漁師町が多くて、高台移転によって生活ができなくなります。加えて、高齢化が進んでいることが概して多いので、今更生まれ育った土地を離れることはできないと考えるわけです。高台移転強制的に行うことは、結果的高台移転派と残存派に別れ、ヘタすれば地域性を壊すことになりかねません。それゆえ、高台移転現実的には困難です。だからといって、タワーを建設するのも適切ではないと思います

防災産業活性化??


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建設に巨額費用、平常時使い道なし 津波避難タワー 効果疑問符 静岡

産経新聞 2012/06/13)

http://sankei.jp.msn.com/region/news/120613/szk12061302110002-n1.htm

タワー新設には数千万円の費用と毎年の維持管理費がかかる。防犯対策課題で、管理人を配置すれば人件費や夜間・休日の態勢がネックになり、かといって施錠すれば非常時に住民が出入りすることが困難になる。

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このケースからわかるように、津波避難タワーというのは津波が発生するまでは使い道もないタダのハコモノになってしまう可能性があります。また、津波の高さが想定を超えてタワーを上回ってしまった場合事態さらに最悪になります

防災産業地方経済の起爆剤として注目を集めています。御存知の通り、現在政府防災対策として多額の予算地方に分配し、それらを補助金として活用しています。その補助金を狙ってあらゆる防災グッズが販売されています

ただ、この防災産業ビジネスモデル既存公共事業型のビジネスモデルと違いはないように思えます。結局、財源は国の補助金でありますので、そこに食い込めばいいわけです。

自主防災組織バブル

皆さんの街にも町内会自治会というものがあると思いますが、同じく自主防災組織というものがあると思います

それらに対して自治体補助金交付しています。ただ、補助金の中身が非常に疑問を感じます

川口市

http://www.city.kawaguchi.lg.jp/kbn/08200007/08200007.html

自主防災組織活動補助金対象資機材

http://www.city.kawaguchi.lg.jp/kbn/Files/1/08200007/attach/taisyousikizai.pdf

川口市ひとつの自主防災組織に対して、事業費の半額を補助しています。おそらく、その他の自治体補助金もだいたい同じでしょう。

補助金は半額補助のように一部補助されることもありますし、「全額補助」されることもあります。つまり、自主防災組織手続きさえすれば補助金支給されるわけです。

ここにビジネスチャンスがあります

自主防災組織名前は違えど、実質は既存町内会ですので、自主防災組織代表町内会長ということになります。そして、町内会役員はだいたいが自営業者場合が多いですので、知り合いの工務店で購入することになります

また川口市の資機材を見ますと、大半はホームセンターで買えますので、地元ホームセンターにとっても悪い話ではありません。

まり防災産業活性化という観点からみれば、この補助金制度は非常に地元の販売店からすれば非常に有利なわけです。

しかし、この補助金によって購入した資機材というもの果たして本当に利用されることはあるのでしょうか。先ほどの津波避難タワーと同じく災害が発生されるまでは使えないものですから、結局これも維持にコストがかかるだけです。もしくは、防災以外の町内会活動に流用したり、私的に流用するかもしれません。それは結局自主防災組織裁量ですし、ブラックボックスに近いですね。

外部からの助けを待つ「自主」防災組織

自主防災組織というのは、実質は町内会ですが、その中に災害発生時にお互い助け合うための役割を担っています。なので、普段は避難訓練防災研修学習会などを行なっています

上は山口県の自主防災組織組織率の推移ですが、今後自主防災組織が増えていくでしょう。そのインセンティブとして、国は補助金地域に配ることで組織率の上昇を図っていくと思いますし、東日本大震災により、防災意識はより高まっていくでしょう。

しかし、この地域を守る自主防災組織ですが、果たして災害発生時にどこまで機能するでしょうか。防災組織といっても、実質町内会ですので高齢者中心ですので災害発生時には自分の身を守るだけで精一杯です。実際、自主防災組織という名前ですが、避難訓練などの災害発生時に、主に活躍しているのは地元消防団です。消防団も人的リソースが限られていますので、結局外部からの助けなしに町内会で助け合うことが困難であることが容易に想像できると思います

あくまでも最悪を想定し、勇気をもって「無駄使い」をする

先述したとおり、本当に住民津波から守るのであれば、強権的に移住させるか、その地域固定資産税率を上げるといったことをして、住民を動かすことが必要になります。いくら防波堤防潮堤を作ったとしても、どれだけ機能するかわかりません。可動式防波堤よりも、単純に津波がやってこない地域まで住民の方々に引っ越してもらうのが一番シンプルだと思うのですが。。。

それが叶わないのであれば、せめてご遺体発見が早期にわかるように手足に識別するリングをつけてもらいたいです。被災地では未だにご遺体判別が困難であり、結果として遺族だけでなく、行政の方もその対応に追われています

結論的にいえば、現在行われている防災に対する施策も、災害が発生してみないとわからないということです。ただ、高齢者災害弱者については犠牲は想定しておく必要があります。当然、行政住民の命を守ることが使命です。しかし、同時に災害派生したあとに生き残った住民生活を取り戻すのも使命だと思います

また、有効性には疑問が残る津波避難タワーをはじめとした、ハコモノ整備を積極的に行い、同時に実際は機能できないだろう自主防災組織に対しても補助を続けるしかありません。今は東北の現状がありますのでまだクローズアップされていませんが、復興予算の次は、おそらく防災関連の補助金クローズアップされていくと思います

無駄遣いと言われようが、実効性に疑いがあろうが、それを地域が望んでいるのであれば仕方がないのかなぁと思います。それで地域のお年寄り安心し、地元業者が少しでも潤うのであれば、

追記

ブログを始めました

とある地方公務員ブログ

http://toarukomuin.hatenablog.com/

2012-06-29

http://anond.hatelabo.jp/20120628102420

わかってないなあと思うのは、日銀は往々にして緩和の前後に引き締めを行うってことと、自らの政策を否定するようなアナウンスを行うということ。

金融政策有効性はどうかなんて議論を行う以前の問題で、日銀はそもそも矛盾した行動を取りたがる。

緩和したと思ったら早々に引き締めたりあるいは緩和の前段に引き締めを行ったり、緩和しながら金融政策無効論を主張したり、デフレ脱却を目指すと言いながら人口構造デフレ論や経済成長率低下デフレ論をアナウンスするといった支離滅裂な行動を取るのが問題なの。

ニューケインジアン経済学では人々の期待をコントロールする事が重要とされているし、事実として昭和恐慌デフレの例からも実際のオペ以前に高橋是清が蔵相となったというアナウンスによって期待が変化しインフレ率が上昇した。

でも今の日銀は、右を向いて「デフレ脱却に向けて金融政策を頑張ります」と言いながら、左を向いて「金融政策には効果がありません」とか「インフレ率をコントロールすることはできません。自然現象です」と言っているわけよ、つまり自分の政策を自分で否定しているわけ。

2012-05-09

自然現象です!過去にも有りましたから!

609 ソーゾー君 [] 2012/05/07(月) 18:18:05 ID:lr7KkB9IO Be:


行政府の飼い犬=気象予報士が聞かれてもないのに

最近起きている不可思議な気象を「自然現象です!過去にも有りましたから!」と大騒ぎしているな…

何で自分達で暴露するのかな?頭悪すぎだよな?

自分達が信用されてると思ってるのかな?










中央銀行・発行権】黒幕銀行家5【信用創造

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/business/9191/1333369457/

中央銀行・発行権】黒幕銀行家36【信用創造

http://uni.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/1327244413/

2011-11-20

http://anond.hatelabo.jp/20111120010717

思うんだけど

弱者死ね(強者の意志のような言い方) という話と 弱者は淘汰されて死んでしまう(自然現象

 

という2つの話があって、

弱者死ね なんていう話じゃなくて、

弱者は淘汰されて死んでしまう(自然現象) という当たり前の話なのに (今でも世界には餓死する人が普通にいる)

 

なんで、強者が弱者を守らないと弱者は死んでしまう。どうして、強者は弱者を守らないんだ?横暴だ!

という話になるんだろう。

 

常識的に考えれば、このままでは弱者の我々は競争に負けて死んでしまう。

競争に負けない程度強くなるためには、これこれこういう事業拡張が必要で、これだけの投資が必要だ。

から、国は農業にこういう投資をして 産業を改革し、弱者が死なない程度の強者になれるようにすべきだ。

という妥当な話に なんで ならないんだろう。

2011-08-29

炎上情報操作

炎上流行ってますよね。

ツイッターmixi等のSNS情報を発信し、それが理由で炎上

フジテレビ社員横領なんかも見つかって、正直ネットは怖いなっと思います

何故、このような炎上日常的に発生するようになったのでしょうか?

7〜8年前、SNSではなくブログ流行っていたとき

当時大学生の私はサークル仲間がブログをしているのではないかと考え、

検索サイトを使って、キーワードから何人かのブログを探し当てた事があります

ネット検索するだけなんで、ストーカーでは無いのですが、

探し当てられた事を知った人たちは、正直気味が悪かったと思います

そこで、逆に自分自身も個人情報ネットに出す恐怖を感じていました。

しかし、その個人情報を出す危険とは反対に

SNSが飛躍する先駆けの

mixiの時代が始まります

mixiでは自分日記マイミクだけに公開する事ができました。

正直、内輪話をするには最適であり、

井戸端会議が根強い日本人には

最適なサービスだったと思います

移り変わりが激しいSNS業界の中においては珍しい事ですが、

古参にも関わらず、現在でも利用者は多い。

そのことが日本人向けのSNSであることの証明ではないでしょうか?

しかし、このmixiSNSブームの先駆けになったことに

今の炎上が問題化している原因があると私は考えています

mixiを利用した人はネット上に自分情報をおおっぴらに出す事に対して

抵抗を感じなくなったのではないでしょうか?

そこから

新しいSNSフェイスブックtwitterが導入されました。

フェイスブックには、今までの

SNSと大きな違いがあります

それはハンドルネームではなく、実名を用いる事です

この段階において、ネット上においてハンドルネームを用いるのではなく、

現実と同じように、実名を用いてネットに表明する。

そのような文化が生まれました。

まり、全ての発言や日記

ネット上の人格であったハンドルネームの物ではなくなり、

現実自分ものとしてネット上にも関わらず責任を持たなくてはならなくなりました。

また、ほぼ同時に流行したtwitter

日記を書くでもなく、意見を述べるでもなく、

つぶやくという新しいネットへの情報発信の感覚が生まれました。

しかし、ここに大きな危険が内包されているのです

それは  推敲  の除外です

個人情報と考えることもなく、気軽に情報を発信することができてしまう。

それ故、発信してかまわないつぶやきか、

それとも一線を越えてしまっている情報

がわかりづらくなってしまったのです

そして、

mixiにおいて存在した 自分情報解放

フェイスブックにおいて誕生した 実名制と責任現実への転嫁

twitterによって ネット現実の行き来が安易になる。

これらが炎上を呼び起こしてしまったのです

私は、むかし政治家ニュース等を隠す作業を担当していた事があります

プライベート政治家ミスをする。

運悪く地方紙匿名掲示板等に情報が流布してしまう。

このままでは、次の選挙に影響があるのではないか

そんな時に登場し、ネットから該当するニュースを隠す作業をしていました。

もちろん、一度ネットにあがってしまった以上、

情報を完全に削除する事はできません。

しかし、薄めることは可能です

商売上、具体的な作業方法は述べる事ができませんが 

基本は全て同じ。情報デブリを混入させる事です

検索サイトキーワード検索で100から、1000まで増加させる。

キーワード検索の1面から5面まで移動させる。

それだけで、情報が見つかる事はほぼなくなるでしょう。

しかし、作業が終わった後、必ずその政治家

自分の不利になる情報が出る真似はするな と

強く言っていました。

炎上している人たちは一度ネットにあがった

情報を削除する事はできない事を理解していたのでしょうか?

今、SNSを使っている人たちは本当に

その発信している情報を消す事ができない事を正しく認識しているのでしょうか?

私としては、0からです

簡単にデブリを発生する事ができる以上、

危ない情報が1でもあれば自然現象的に

それが燃え上がる事は当然な事だと思います

ネット上に情報を出すという事は、

落ち葉を広げている事だと考えてください。

時間が経って、落ち葉が枯れたとしても、

それに火をつければ燃え上がる事でしょう。

同じように、一度出した情報

枯れる事があっても、なくなる事はありません。

その溜めた情報、枯れて誰の目にも留まっていないと思った情報

一度、火をつけると爆発的に広がって行くのです

現実で、枯れ葉に火をつける行為は、

今のネットではつぶやくと言う行為です

簡単に火はつかないでしょうが

枯れ葉が多ければ多い方が、

引火した時に大きく燃え上がりやすい。

炎上を防ぐには、

まり火種を出さない事と

燃え上がる材料を出さない事が、

現実でもネットでも重要なのです

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