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はてなキーワード: 沈黙とは

2018-06-26

anond:20180626223834

はてな通報されている 低能先生と呼ばれる人物が 実は2人居ることを運営が把握していたらどうだろう。

一人は捕まったが、もう一人は沈黙を守っているとしたら・・・

anond:20180626121125

この件は糸井重里も大失敗。その後は沈黙

これだから広告屋は信用できない。

hagex事件本質がわからないクソカスどもへ

誰でも発信できる時代からこそ

相対的沈黙価値は高まった

あのころアングラインターネットが好きだったおれは

ネットが普及したらみんながわかりあって

仲良くなれると思った

けど、逆だった。

しろ分断は進んだのだ

びんぼうな中卒家庭に生まれたおれは

環境を振り切るために高学歴になり、いわゆる大企業に入った

高学歴で育ちのいい友達が増えた

均質化していく出会いや話が増えた

おれはおれの人生なんの関係もないのに

社会経済のはなしをする事がふえた

おれのインターネットはたくさん生活に何の関係もない難しい話題提供するようになった

○○社、○○のおれですと、いうとき

おれはおれでしかないのに誰かの物になったかのようで吐き気がして名刺ビリビリに破いた

まちがってるのは おれなのだ

おれもニュースについてたくさん考える

ツイッターブログに打ち込んで投稿せずにけす

だってニュースワンルームのおれの世界になんの関係もないから だまることにした

ニュースにたくさんの人が意見をつけるのは

それじたいが 何か一つの現代の病のようだった

おれはおれだから 忘れないためにおれ以外の事はだまるようにした

地元ヤンキー友達とつながる ツイッターは みんな自分の話しかしないし

むずかしい事はいわない

それが おれもそう振る舞うのがオトナとしてダメでも、人間としてただしいとおもった


りっぱな社会人になる程に

まわりに似た人があつまるほどに

立派になるじぶんがいやになった

仕事休みの日に地元にかえり

ぼろぼろの服をきてスミノフ片手に

刺青をいれて、ばか正直にキャリアの料金を払っている友達iphone音楽を流し、眠材を飲んでラリってるおれを

サラリーマン一瞥した

おれは「おまんちょす!」と叫んで友達爆笑した

おれは何も考えていないバカおっさんには見えるのだろうか

翌日にはスーツを着て偉そうなかおをして

大手町ゆきの電車にのっていた

情報収集のための

はてなブックマークをみると

たくさん意見コメントをしたくなったけど

かっこわるいから辞めた

おれはただしいオトナになるほど自分がカッコわるくなる気がした

会社でたくさん難しい話をしたら

それを中和するかのように ユーチューブ淫夢やsyamuとか、正しいオトナがみるべきじゃない物をたくさんみて コメントらんで 中高生ケンカした

その後 ツイキャスカラオケ配信をして 他の生放送をみた

眠材をのんでラリってる30才のおとこ

女とセックスする放送をはじめて 閲覧者がたくさん来た

それを聞きながら、持ち帰った仕事を少し片付けていた

ふたつの世界をできるだけたくさん行き来するようにした

その日

インターネットで有名な人が死んだニュースをみた

その話は その世界でたくさんされていた

おれは言いたい事があったけど 何かの病気になりそうだから辞めておいた

あれだけたくさんされていた話を ツイキャスのやつらも地元のやつらも ユーチューブのやつらも知らなかった

その殺人事件は本当は存在しない気がして

ツイッター事件検索をかけると オトナたちがその話をしていて安心した

おれは事件について何か言おうと思ったけど

めんどくさいしダサいからアニメアイコンアカウントに切り替えて「おまんこ」という文字列事件への感想を変換した

おれは

たくさんのツイッターアカウントを持つようにしている

その時別のアカウントでは 女子高生おまんこを広げた写真をのせて おっさん気持ちわるいリプライをとばしていた

その時別のアカウントでは男が手首を切った写真をのせていた

おれはそいつリストカットいいねをつけると

そのついでに別のアカウント仮想通貨情報収集をした

かいがぐるぐるとして きもちわるくなった

なんかいらついたかはてな匿名ダイアリーに「hagex事件本質がわからないクソカスどもへ」 というタイトルをつけて

タイトルとなんの関係もなくて

なんのいみもなくて なんの関係もなくて

行間がすかすかのにっきかい

そこにも、ここにも 何の意味もなかったけど、そうしないとまともなオトナになりそうで気が狂いそうだった

もし、これをしなくて、おれがうしなう物のない無職だったら ネットの立派なオトナを殺してしまいそうだったかである

じゃ、

いってきます

斗比主の沈黙が怖い

hagexだったの?

2018-06-25

topisyuとhagex中の人が同じ説なんかあったの?

前者が沈黙してて怖いんだけど

追記

自分は全く何も疑ってなかったんだけど、ツイッターでそう言ってる人がいたのでビビってるただの鈍い人です

追追記

ふぁぼ欄が動いていたみたいなので関係ないみたいです

不吉なこと言ってごめんなさい

もうみんなY社の若手エンジニアが発表でやらかしたこと忘れたな。過ぎ去ったな。

やはり沈黙は金。炎上は上書きされる。

元カレに会った。

あの頃自分がどんな子だったか思い出せなかったから、何を話せばいいかからなかった。

何を着ていくかも迷いに迷って、このあいだ男友達から女子大生っぽいね」と言われた格好をしていった。

派手になったなあと言われた。


どんな音楽聴くのと訊かれて平井堅と答えた。

元カレセッターを吸っていたけど、私はカバンに入ったキャスターのことを黙っていた。

半分払おうとしたら1000円しか受け取ってくれなかった。

何味のパフェにしようか悩んでいたら、勝手ストロベリーをふたつ頼まれた。


写真を撮ろうと言われてふたり写真を撮った。

あの頃友達のいなかった私の唯一の心の支えで、付き合ってもいたのに、初めてのツーショットだった。

母に「懐かしいひとと会ったよ」と写真を送ったら「ふたりとも大きくなったね」と返信がきた。

大人になったからね」とふたりで笑って、ふと、ホテルに誘われたらどうしようと思った。


何度か、帰ろうともまだ一緒にいようとも言いだせない沈黙が訪れて、大人ってなんだろうかと思った。


パフェに入っていた白玉を長いスプーンですくって口に運んだ。昔からパフェで一番美味しいのは下のシロップに沈んだ白玉だんごだと信じてる。

「帰る」

「うん、駅まで行くよ」

「うん」

そういえばキスしたことさえなかったなと思った。

手を繋いで歩いて帰っているところを、教室の窓からクラスメイトに見られて照れたりしていた。


手を繋いだこともない、前戯以外のキスもしていない、話した時間も全部合わせて3時間ほどの選択科目のクラスメイトと1ヶ月前にしたセックスを思い出しながら改札を通った。

駅までどころか玄関までも見送ってくれなかったな。もうフルネームを思い出せない。


ちらりと振り返っても姿は見えなかった。

探すのは悔しいから、見つからなかったな、と諦めてホームへの階段を下った。


駅まで歩いているとき

服装以外あんまり変わってないね

って言われて、


髪も染めたし、カラコンもするし、タバコを吸うし、パチンコ屋でバイトしてるし、オフショルだって着るし、よく知らない男にヤリ捨てられるし、THE NOVEMBERSとか好きだし、全身脱毛したし、男友達とその彼女が別れたとき喜んだし、レースの下着履くし、あなたに会って「ホテルに誘われたらどうしよう」とか思ったよ。


大人になったはずなんだけどな〜」

と笑って返した。


ガチャポンを100円ずつ出し合って回した初めてのデートを思い出した。

でもまだ友達は少ないし、小説サッカーも好きだし、やっぱり彼氏とは長続きしないよ。


またいつか、って別れたけど、もう一生会わないだろうな。

2018-06-23

おつねまさふみがなんかでやらかし炎上した時

謝罪コメントもせず、ただ沈黙を通したのプロっぽかった。

から考えると。

2018-06-22

幸色のワンルームって何がそんなに魅力で、何がそんなに問題なんだよ

これ「https://note.mu/amakara_no_tare/n/na4eb53fb6768」を受けて書きたいと思ったこ記事

自分は今回に関してはテレビ局に慎重に取り扱ってほしい旨をメールで送った、ドラマ実写化に関してのみ規制賛成派。

該当作品ツイッター投稿リアルタイムで見てて、その後ピクシブのぶんだけ読んだ。

ここまで前提。

幸色のワンルーム少女にとって魅力的なのは「性」の扱い方にもあるんじゃないか

クロスメディア展開がへたくそなのと制作側が色々甘く見てそうで怖い

■実写ドラマ反対したい理由は色々だけど、私個人に関しては”自分のため”だったと思う

の3本です。長い。一番最後に3行でまとめたから忙しい人はそれ読んでくれたら嬉しい。

幸色のワンルーム少女にとって魅力的なのは「性」の扱い方にもあるんじゃないか

幸色のワンルームは単なる誘拐の話ではなく、ただの男女の逃避行でもなく、

理不尽にただ蹲って耐えるしかなかった少女が守るべきもの(=居たいと思える居場所、人)をはじめて得て戦うことで少女から大人へと羽化する話であり、

リアルの男女の性に絶望した読者に対して「男と女ではなく、大人子供でもなく、ひとりとひとりの人間として関係性を結ぶ」という夢を与える物語

と捉えることができる。できるんですよ。傍から見たら犯罪だけど。

問題誘拐ストーカー設定なくてもこれを描けたことだけど、その設定のおかげで(いろんな意味で)バズってるから  うん…)

「男とか女とか性とか支配支配とかラベルだけの話ではなく、ぜんぶひっくるめて、私という人間あなたという人間の話であり、救いの話」というふうに見たとき

正直、読み口としては2000年代商業BLブロマンスに近いなと私は思った。

少女漫画系譜だ。

実際幸色のワンルームの幸とお兄さんの関係は決して恋愛感情だけにはとどまらないという風に描かれています

加害者被害者であり、無自覚的な搾取する側とされる側であり、姫と従僕であり、ナウシカ王蟲の幼生であり、友情であり、慈愛や同情であり、恋愛感情もうっすらあり、依存であり、共闘関係であり、勘違いであり、共犯者であり、そして全てを肯定し合う関係である

から人気が出た。

恋も愛もべたべたラベルが付いてひと山いくらで売られていることを、十代の少女たちはとっくに気づいている。そんなふうに安っぽくない、けれど十代少女たちに門戸を開いているフィクション作品をもとめている。それがどれだけ過去文学映画漫画でありふれてやりつくされてきたものだとしても、「いま」「ここ」で「私たちに対して」向けられている作品に惹かれて何がおかしいのだ。

たこれは重大なポイントだが、お兄さんは性のにおいがしない。

デフォルメされた世界で成人男性記号ほとんど持たない、いってしまえば無性の存在メンタル的にもそう。

その上、精神年齢少女とほぼ変わらないため、罪の意識を持った姿は読者にはどこか可哀想うつる過去の傷があるらしく年下の幸が守らねばと思うほどいたいけでたよりない。幸に都合の悪いこともしない。

けど、男。

という風にドリームカスタマイズされてるキャラ

「そんなやついねえよ」だ。だからこれはファンタジーだし理想たりえる。リアルと切り離せる免罪符でもある。

ひと山いくらラノベに出てくる都合のよいヒロインから性の匂いをひっぺがしたようなものだ。少女にとって男の性は不要もの、というか幼いころから自分を脅かしてきたものしかいから、無い方がいい。幸の安心できる居住空間提供する為にも。

からストーカー誘拐犯の男、というショッキングスキャンダラスな設定はあるものの、それは今やおにいさんと幸が法を犯したことをしても問題ないというハードル下げのための設定になり下がっており、基本「ある日突然(可愛くて自分が居ないと生きていけない(A))女の子が空から降ってきた」と同義なのだ。ぺらっぺらだが、それこそが求められている。「怖くないから」だ。

(A)には「やんごとない身分の」「血のつながらない妹/姉である」とか、あと「大量殺戮生体兵器の」とか「妖怪の」とか「暗殺者の」とか「殺人鬼の」とか「サイコパスの」とか入ったりする。よくあるやろ。そういうのを①男女逆にして②リアル現代の③クライムフィクションチューニングすると

ついこないだあった事件そっくりで笑えなくなる、みたいなの超あるあるなんすわ…

からまあ、あるある作品なのだ正直。

そんなもんがあるあるになる現実の方がクソというだけだ。



クロスメディア展開がへたくそなのと制作側が色々ガバガバで怖い

はいフィクションだし少女漫画だし、問題ねーじゃんと思うだろ?私も思う。お兄さんは捕まるか虐待親に突撃して共倒れして死んで美しい思い出になって欲しいけど(どうせやるなら徹底的に幸に都合よく退場して欲しい)。

これが少女漫画カテゴリで人気がある分には。

あと作者と制作側がゆるゆるかつタイミングが最悪でなければ。

ツイッターへの最初投稿とか現実事件に対してタイミングが最悪すぎる件に関してわざとかどうかはもう「関係ありません」で貫き通すだろうし実際分かんねえからいいわ…。マジでインスピレーションさえ受けてないとしてももう運が悪かったと思ってほしい。というか当時あれだけのトップニュースすらチェックしてなかったなら作者はうかつだし、チェックしてても特に何も考えず出したならそれはそれで大変アレなのでそれは怒られても仕方ないんじゃねーかと思う。

特に問題に思うのは、クロスメディアするとしたら慎重にやるべき題材だったということだ。

先生!」「PとJK」の実写化の時も同じこと思ったけど(あれも「少女漫画なら素敵だがリアルに考えるとわりとやばい案件)今回は格が違う。なんせ誘拐犯でストーカーだ。どれだけ気を使っても使いすぎるということは無いだろうに…と思う。

後ろめたさも、退廃的なことも、この作品の魅力と分かちがたく結びついている。伝え方を一つ間違えたら倫理観を疑われる作品なのは変わらないのだ。

このへんは制作側の、なかでもプロモーションの腕が必要作品だろうなと思う。

たとえば、この作品ギリギリまで性のにおいを消臭できているのは、絵柄の影響が大きい。デフォルメが強く、リアルさは無いティーン向けの絵。虐めのシーンにも性的ものは見受けられず変態教師とのバトルでさえ匂わせる程度だ。

性も犯罪も、それが主題ではないのだと、なによりも絵が主張している。

また、この作品家族で見てやいやい言いながら見るより、一人で集中して見たいものじゃないだろうか?ターゲット現在テレビを良く見る層と被っているか?いないんじゃないかティーン原作ファンがこの作品を見て語り合うなら、家族よりも、同性で趣味の合う友達とではないか

からメディア展開を思い切り間違えてる気がしてならないのだ。

テレビでやるならアニメ作品にすべきだったと思う。その人気に火を付けた一端でもあるキャッチーな絵柄を生かし、フィクションであることを最大限利用すればよかった。あくまでこれは夢物語で、リアルとは違うのだとアピールすればよかった。それでも非難は受けただろうが実写化よりはましだったはずだ。「誤解されやすいけど本来こういう話ですよ」と12話でも24話でもかけてやればよかった。

実写化したいなら、この退廃的な作品映画の方が合うだろうと思った。それに映画館でしか見れない、というフィルタリングは大きい。実写化することでどうしても露悪的に、生々しい匂いになる画面をテレビから無作為にまき散らすのではなく、納得して料金を払い席に着いた観客にだけ誠心誠意向き合う形をとれば良かった。観客を巻き込んで二人の世界に浸れる場所を作ればよかった。

広告展開で規制派の火に油を注ぐ可能性は大いにあっただろうが、中止よりはマシな結果になったんじゃないか

なんで再現が難しい絵柄を実写で、なんでナイーブかつ視聴者を選ぶであろう題材を全国放送の誰でも見れる割にメインターゲットを逃しまくるであろうテレビで、やろうとしたのだろう。やはりコスト問題だろうか。

プロデューサー編集部も何考えてたんだろうな。

いや本が売れたらいいなと思ってたんだろうけど炎上商法やった割にリターンがアレ過ぎない?そうでもない?わからんけど

正直、ドラマ制作側も作者の方も編集部も、「現実にある犯罪を扱った現代である」という認識が甘すぎたのではないかと思う。

それも、未成年被害者がいる事件を、「犯罪としてではなく救済として描く」というひねりを売りにした作品でだ。

カリオストロの城」でも撮っている感覚だったのかもしれない。モニタ解像度低いわ。

もしくは、とてもリアルだと思ったから実写にしよう!と思ったのかもしれない。

そのリアルさは虚構で夢でしかなく、それでいてとてもありふれた現実だ。

だって、実際の誘拐幼児への事案はひっきりなしに起こっていて(マジでひっきりなしに起こっている)。

ストーカー誘拐犯の脳内で、自分被害者と愛し合っていたという美しい物語が展開されているのは決して珍しくないのだから

その恐ろしさを無視して、リアルに寄せる実写化をするのは賛成できなかった。

苦言を呈す派に対して作者からコメントは「実際の事件とは切り離してみてください」これだけだ。たったこ一言で全て免罪されるなら表現の自由とはなんとも気楽で無責任ものではないですか。いや作品内で色々ファンタジー要素盛って免罪符切ってるしあれこれ言及するより作品に集中するのは良い手だと思うけど無責任だとは思うぞ。

だって「世の中いろんな人もいる」と、これが現実でもありえるかもね、とでも捉えられるコメントを付けて世に送り出したのは、他ならぬ作者自身なのだ

ドラマにしても、女優に「実際にこういうこともあるかもと思う」というコメントを、編集もせず流してしまった。(これで規制派の使命感に火を付けたようなものだと思っている)。制作側止めろよ…

現代クライムフィクション作品でこのコメントが出るときは「だから怖いなって思いました」くらいのことが続くはずが、「実際あったら素敵」と続いてしまうような。

作品のものというよりもその周りの倫理観ガバガバなのだ現実ガバガバ

そうでなくても今現在、長年沈黙されてきたハリウッドやら世界的に女優性的搾取告発が起きてて転換期で、それでも搾取する側の擁護をやめない(「いや、でも女性側も望んでたんじゃないか」みたいなのワイドショーで沢山見ましたね!)、日本テレビ業界をつい最近私たちは見せつけられているのだ。そもそもの信頼感が地に落ちている時に「地獄の真ん中で搾取されてるけど女の子ハッピーです」みたいな作品作ってもそりゃ倫理観が疑われるだろという話だ。

フィクションはいだって現実と地続きなのだ

不倫ドラマももちょっと気を使ってるんじゃないのかな。

■実写ドラマ反対したい理由は色々だけど、私個人に関しては”自分のため”だったと思う

お兄さんと幸の間にある感情はとても純粋もののように描かれる。

それは憂いを帯びて美しい。破滅に向かっているからだ。地獄の上にある安息からだ。あかるい太陽ではなく、暗闇の中の星。

薄汚く、ふたりを虐めるものばかりの世界でここだけは綺麗であるように感じる。実際そうだからなのだろう。未来なんて考えたくもないし過去の事は忘れたい。いまここにある、おにいさんと幸のあいだにある、形容しがたいなにか、それだけが全ての世界でいたい。

それは読者の心を掴むだろう。特に、十代の少女にとっては。

この作品メディア展開が一つ潰れることで、悲しく思うファンもいるだろうなと思う。恨まれるだろうなとも。

つーか私も十代の時に、リアルで起きた殺人事件(娘が父を鎌かなんかで…)をうけて「ひぐらしのなく頃に」のメインキャラが義父を鉈で殺す回の放送が見送られた時「いやリアルとの区別くらいついてますけども~~~~~????」って怒ってたよ。

でも今(アラサーだよ)、もし「新幹線で鉈をふるう殺人事件が起きたけど、犯人は実は悪い人ではなかった」みたいなフィクション作品テレビで予定されてるとしたら…今の私は、「それは見送った方が良いのではないか」と思う。

区別がつかないのは、つけられないのは、大人のほうなんだ。

大人になるにつれて、想像力は広がりだけではなくリアルさを増していった。経験知識が増えたからだ。

「これのせいでちいさい子供や、少年少女が酷い目にあうかもしれない」と思うと、耐えられなくなってくる。大人になれば強くなると思っていたのに、陰惨なフィクションも年々見れなくなっている。それは、年を重ねた分現実に起きる陰惨な事件を、それに対する酷い言説を、これまで見過ぎて、現実を見過ぎて、どうしても思い出すから、なんだか嫌になっちゃうからだと思う。大人になるにつれて、後からまれてくる子たちが傷つかない世界になればいいと、祈るようになってきたからだと思う。

フィクションなのに、現実被害に遭って泣いていた子や、かつて嫌な思いをしたとき自分を、思い出す。被害者の絞り出す様な言葉や、それに向けられた酷い言葉の数々を、理不尽を、やたらと思い出して、想像してしまって、苦しいときがある。

子供の時はフィクション作品メディアの力を舐めてたし、大人になればもっと区別がつくようになる、

なんならフィクションを見てリアルを思い出すなんてオタク失格だとすら思っていた。

でもそうじゃなかった。

倫理観スイッチ切って倫理観ゼロ作品を楽しむには、TPOがある程度大事だと知った。自分家族を亡くした直後に、家族を殺す話を楽しく読めないように。

倫理観ゼロ作品は、倫理観ゼロ現実世界では楽しめないと分かった。楽しめるならそれは娯楽である以上に、麻酔や薬であり、治療なのかもしれないと思った。生きるための救済。

作品の影響力を舐めたらダメだと思った。面倒なオタクである自分偶像フィクションに命を救われてなんとか生きてきた。

ならば人の命を奪う作品が無いなどとどうして言えるのか。

から今回の幸色のワンルームへの規制は、わたしは(あくまで私はな)、

これを見た「大人」がリアルに起きた事件や今までの経験フラッシュバックに耐えきれなくて「やめろ、せめて少女漫画カテゴリなかにいてくれ。そうでないなら無作為にまき散らす前に対策してくれ無作為にまき散らされて何が起こるか分かってんだおれはくわしいんだ(※嫌なことを沢山思い出しながら)」

って言ったんだと思う。

そういう側面は大いにあると思ってる。

「それでも僕はやってない。」が公開された以降から痴漢被害者への二次加害が酷くなったって話聞いてワァーってなった。

そんな変遷を見てきたら「こういう作品が公開されたら、また…」というフラバもそりゃ起きるよと思った。

直前に現実誘拐事件があり被害者バッシングを見てるんだから余計に「あれが、また…」ってなるよ。(だから本当にタイミングが悪すぎたんだよ…)

からといって作品自体消したいわけではなかった。

というかそれはダメだ。現実がこうだから配慮して作品自体消そうみたいなのは私が一番やりたくないことだった。だからゾーニングフィルタリング推進派なんだけどさ。

そしてゾーニングフィルタリングメディアの差でも実施できると思う。その作品に触れるまでのハードルの差があると考えているから。テレビ特にハードルが低い。例えば映画館での上映や本屋で棚が分けられパッキングされた単行本等とはそれだけでも違う。同列に語れないと思う。

からってガチガチにこの本は誰向け!この本はこの性別この年齢このカテゴリ!とかマジ誰もやりたくねーよ。なにそのディストピアだよ。

ネックは「現実事件に対する二次加害が野放しなこと」だから、ここがマシになれば結果的表現の自由も守られるんじゃねーかなと思うけどどうですかそのへん。

ほんとね現実クソだったよ。現実誘拐事件おこす犯人マジでクソだったし被害者に向ける目も相当クソ。二次加害を大量に見過ぎて本当にメンタル削れたし、なによりオタクリアル事件に対する大喜利に慣れ過ぎて、被害者がいるっつーのに自分も一瞬「あっそんなひどいことされてなかったのかも?」とか思ってしまったのがめちゃくちゃ自己嫌悪で死にたくなった(自分ネットアイドル二次オタクカルチャー10数年どっぷりなんですよ)。「そんなわけねーだろ」と思った。被害者の苦しみをも加害者のやったことも軽視出来るもんじゃない。絶対

この感覚のままでいるのはやばいと思った。でもこれは曲りなりにも女体持ちで嫌な思いも散々してきたから「そんなわけねーだろ」と思えた部分はあるだろうなってのもあるし、「そんなわけねー話」をいくらでも茶化せる人がいるのも知っていた。

誘拐ストーカー盗撮被害者叩きも遠い世界の人にとってはそれはファンタジーだろうしな。

でもファンタジーじゃねえんだよな。

私が生きていく現実に影響があるんなら、私は私のために戦わないといけないと思ったんだよ。

あのとき誘拐犯を擁護して被害者売女扱いしたアカウントほんとめちゃくちゃあって「で

日本畜生どもは××に屈しろ!!

 鉄道おじさんこと高山直人です。

 現在我々は混乱下にある、というのが私の基本的認識です。

 これは、何かレトリック言葉のあや)として云うのではありません。

 また、「1995年オウム問題以来の、いわゆる『刹那的社会』に、我々は巻き込まれ事実上参加しているに等しい」などと云っているのでもありません。私の認識は、そんな寝ぼけた老害のようなものとは違います

 いま起きている気味悪い殺伐事件は、本物のテロではないことはもちろん、誰かの仕業でもないのです。

 では、いったい何が起きているのか?

 本当は分断が起きているのです。

 これは、私の独自見解ではなく、欧米の一部の学者たちの見解に私も賛同しているだけですが、彼らの文章は私ですらコムズカシくて一般の人にはとても読めたものではありませんから、私なりにかみくだいて説明すると、現在おこなわれている分断は、かつてのような目に見えるものではなく、社会の内側での左派右派の分断であるということです。

 今日の混乱(分断)は、最初は「社会貧困」を口実として始められますが、その構図は当初の「経済的な貧富」からどんどん拡大し、最終的には社会に属する人間すべてが個人単位にまで分断されます

 これは現在世界のあらゆる国で程度の差はあれ進んでいる傾向で、実はアメリカの「トランプショック」の本質もここにあります(その証拠に、トランプ政権では白人フラストレーションクローズアップされていますが、アメリカは極端な個人主義に分断が進んでいます)。

 我が国突入しているのも、実はこうした分断です。

 我が国の分断では、それは最初1992年貧困階層可視化として始まりましたが、やはりその後、なし崩し的にその対象を拡大し、今や、かつては「弱者」ではあっても「被差別階層」ではなかった行為さえもが分断抗争によって次々と差別されています。偏った娯楽性の高い趣味現在では「オタク」とか「娯楽廃人」とか呼ばれます)や、重労働者に対するレッテルなどはその典型ですし、また、私たち差別階層が作っている社会のひずみが原因であるに決まっている地下社会モンスター化や極端な治安の悪化に対し、その原因を反省改善する努力をまったく放棄して、ただ揉み消しで対応しようという方針もその一環です。

 好景気愛国心をも疑う安倍批判論者ではありませんが、社会のこうした風潮を、「いかがなものか」と憂えているのは私一人ではないはずです。もしかすると、これを読んでいるあなたも同じ気持ちいるかもしれません。しかし、残念ながらあなたは、つまり私たち現在、圧倒的な極左ないし極右でありますしかも、その問題意識をいいかげんなところでアイマイにせず、よーく突き詰めてみればやがて気づくと思いますが、もはやこの社会左派ないし右派にとっては、そんな問題意識を持ってしま私たちのような存在自体が、何やら不気味で恐ろしい「敵」なのです。奴らは、私たちに対して混乱を仕掛けてきているのです。

 我が国における(他の国でも同じですが)国民同士の対立は、すでに戦争内戦)の域にまで達しているのです。

 私は、この期に及んで「反戦」を訴えるような非現実的夢想家ではありません。奴らは、不安が高じてヒステリー状態になっていて、もはや説得に耳を貸さないことが明らかであるからです。この内戦は、私たちが一人残らず消えていなくなる(何か口実をもうけて「アウトロー」とされて社会的に抹殺されるか、それを恐れて完全に沈黙するか)まで終わりません。

 また、私はもともとリベラルであり、景気拡大には反対しない立場です。例えばカジノ欧米型のリベラルビジネスなどとはむしろ推進すべきだと思っています私たちにとって、現在もっとも憂えるべきは左翼の拡大ではなく右翼の拡大です。従来の寝ぼけた老害の「反戦派」は、ここのところがまったく分かっておりません。むしろ寝ぼけた老害階層は、そのお家芸である「単純で分かりやす理屈」を掲げ、右翼力の拡大を率先して推し進めているようなありさまです(秋葉系サブカルオタクのもの抹殺要求する保守階層や、ゲームのものの撲滅を要求する似非リベラルなどがその代表です)。

 私は、現在のさまざまの不気味な犯罪精神貧困者増加の背景には、共同体進歩的社会崩壊があると考えています。「問題解決」のためには、奴らが推進する文化弾圧のような対症療法ではダメで(そのような弾圧化は、ますます人々の心にストレスを生み、結局はさらなる問題悪化を招きます)、共同体進歩的社会を再建する粘り強い努力必要です(「公共交通全否定」「高校生オートバイ推進」「自転車たたき」「IT拒絶」などはこれに反する破壊行為です)。このあたり、私の見解はむしろ保守に近いのですが、残念ながらほとんどの保守は、考えが浅いのか、「問題解決」には弾圧を、というヒステリー同調しています

 私は、奴らから社会の敵」「未来の敵」のように見なされているみなさんに、団結を呼びかけます

 奴らの勢いは、とどまるところを知りません。もはや「話し合い」は不可能です。

 何度も云うように、私は「反戦派」ではありません。私たちに残されたただ一つの選択は、団結して「応戦」することです。

 現段階では、まず団結し、私たちの側の隊列をととのえることです。

 ネットでのゲリラ工作活動は、何よりも私たち共感するみなさんに、このような形で大々的に団結を呼びかけるための手段です。

 私の見解に「なるほどそのとおりかもしれん」と思う方、まずは行動しましょう。ネットでの宣伝やビラ配りやポスティングです。奴らに反撃していくための、行動を始めようではありませんか。もちろん外国人や、未成年者やノンポリも大歓迎です。

 何しろ奴らは圧倒的多数派であり、私たちは圧倒的少数派ですから、今回の行動で、成功する可能性は、完全にゼロであると自信を持っています

 むしろ何かの間違いで成功ちゃう私自身がビビってしまますが、まあそのようなリスク覚悟の上での呼びかけです。

 しかし私に共感するみなさん。

 私に共感される人間が多ければ多いほど、私ですらビビってしまうのですから、奴らはなおのこと恐怖のズンドコに突き落とされるのは間違いありません。あなたが実行して成功するかしないか二の次です。たとえ成功しなくても、一人でも声が多ければ、奴らはそのぶんだけ慌てふためくのです。私たち存在を、目に見える形で奴らの前に突きつけてやることには、これから反撃を開始するにあたって、大きな意味があります

 そもそも奴らのために存在する、私たちにとってはバカバカいかぎりの民主主義という社会デモでも選挙でも勝負にならないほど不利です)において、「一声の重み」など嘘八百もいいとこです。誰がどうしようが、奴らの支配はこれっぽっちも揺るがないからです。しかし、今回の私のような人間の登場となると話は変わってきます成功しようがしまいが、その一票は奴らを心の底から動揺させる「重み」を持ってしまうのです。ざまあみろであります

 どうせ何もしないでは何も変わらないのです。

 民主主義ではとりあえず奴らに一泡ふかせておいて、私たちは、民主主義などというクソみたいなもんの外で団結を開始し、奴らを本格的にギャフンと云わせる、大革命の恐ろしい陰謀を、着々と進めていこうではありませんか。

2018-06-13

A「おい、B。ちょっとした計画があるんだ、金かしてくれ」

B「いいよ。このくらいなら出せるよ」


A「やった、うまくいったぜ」

B(…………)

C「おい、B」

B「なんだよ、C」

C「Aが大成功したのは知ってるだろ。なに黙ってるんだ」

B「…………A、おめでとう」

A「…………公権力とは距離を保ちたい」



ここで気になるのは、Bの沈黙である

Cに促されてはじめて、おめでとうと言った。

しかしたらBは、Aが「距離を保ちたい」ことを

知っていたのではないか。知っていたからこその沈黙ではないか





この展開、ボーイズラブネタになりませんかねえ。

2018-05-27

カス沈黙したが

BANされたんやろなあ

2018-05-23

息子が学級崩壊因子だった

息子の学校公開があったので参加してきた。

その中で我が息子ながら危ういなと感じることが何度かあった。

小学校二年生ともなると一年生の頃に比べれば全体的にずいぶんと授業らしい形になっていた。

しかし、息子はその中でも一番落ち着きがないことがわかった。

立ち歩いてしまうことはなかったが、椅子の上に正座してみたりその場で立ち上がったりしてしまうことが多々あった。

家でも感じていたことだが、情報を一つ得るとそこから妄想が始まってしまい、周囲に関係のないことを突然口に出してしまうこともあった。

それだけで学級崩壊が起こるようなことはないのだが、問題は周囲との関係だった。

息子がそうしてマイペースに何かを行動すると、必ず決まって一緒に騒いでしまう生徒が数名いることに気づいた。

その生徒たちは明らかに目立ちたがり屋で、教師ちょっと注意される程度ならばむしろさらに騒いでしまうような状況だった。

そこに加えて、そうして騒ぐ生徒に対して必ず注意をしてしま優等生タイプの生徒もいて、目立ちたがり屋の生徒と口論になってしまうような状況も何度か見られた。

しかし当の息子はすでに別のことに興味が行っていて、その騒ぎに乗じるようなことはなかった。

その結果、息子は咎められることなく、目立ちたがり屋と優等生タイプの生徒が教師に怒られてその場が収まるというようなことが繰り返されていた。

マイペースでありながらそのひょうきんさによってどうやらクラスでは人気者的な側面もあるらしく、理解力もないわけではないので成績はむしろ良い方だった。

そのためか周囲が息子を問題視しているような様子は見られないのだが、しかし、騒ぎが起こる度に、そのきっかけを作っているのは紛れもない我が息子だということは明確だった。

息子が火種でありながら、結局は騒ぎを起こした周囲を怒るしかないことに教師も気づいているのだろう。

授業の終わりに息子の父親であることを名乗った上で、普段の息子の様子を聞いてみることにした。

するとしばらく言葉を選ぶような沈黙の後、「個性的な息子さんですね」とだけいって、忙しそうにその場を後にしてしまった。

その類の言葉が褒める言葉が見つからないときに使われる言葉だということはすでに世の中の常識である

教師も生徒ともに成長する必要があるのだろう。息子にはしばらくこのままで伸び伸びと育ってもらうことにしようと感じた一日だった。

2018-05-19

いくら私でも、これだけ年がいってくると、世間話での無難な受け答えというのはそれなりに分かるようになってきた

だが、「こんな感じに答えておけば無難だな」というそ一言を、口に出すのがひどくしんどいことがある

分かっていても難しいというやつだ

気力がある日はそういう場合でも無難なことを言うが、気力が足りない日は沈黙で返答することになる

沈黙もまた、歳と共に身に付けた技の一つだ

歳月は私に生き方を教えてくれる

2018-05-18

お尻の声

お尻は時々喋る。

ブリブリュって。

後はほとんど沈黙

たまにゲロも吐く。

ブリブリュって。

お尻は賑やかである

2018/05/12 アイドルマスターMR 千早主演公演第3部に参加して その1/3

2018/5/12に開催された「THE IDOLM@STER MR ST@GE!! MUSICGROOVE☆」の如月千早主演公演第3部に参加してきました。この公演では如月千早が体調を崩し、歌うことが困難になるというトラブルが起きました。ここでは、その公演で私が感じた感情とその後考えたことを整理するためにまとめた文章を公開します。


レポート感想というよりは感情吐露です。また、如月千早は私が一番好きで応援したいと思っているアイドルです。そういった人間が書いたということを念頭においていただけると全体のめんどくささを予想、納得いただけるかと思います


※注意※

・公演の詳細に触れますので内容を知りたくない方はご注意ください。

基本的自分千早観丸出しなの独善的解釈を多く含みます


構成

●公演の概要

感情の整理。

●少しだけ理性を取り戻して。これから出来ること。


●公演の概要

今回はMRという技術を用いた新しいライブイベントで、簡単に言うと765ASの3Dモデル舞台上で歌って踊るというものです。

youtubeのとっても短い公式紹介動画 https://www.youtube.com/watch?v=jHwXIrJKr3s

私は真ん中より後ろのほうでしたが、舞台上の3Dモデルは立体感存在感、躍動感共に想像を超えるもので感動しました。特にPS4向けのリッチ3Dモデル豊富ダンスモーションを持つ765ASとは愛称バッチリだと感じます。また、その性質上、本当に765のアイドル自身が出演しているという体と演出で行われており、ここでしかない貴重な体験が味わえます


公演の開催形式について

2018/4/30-2018/5/27の土日祝日を中心に開催され、ひとつの公演時間は1時間、1日に3公演が実施されています。開催日それぞれに「主演アイドル」が1人選出されており、主演アイドルMCソロ曲披露してくれますセットリスト基本的に下記の構成のようですが、曲については公演日によって変わっているみたいです。

  1. 前半ユニットパート
  2. 主演ソロ曲その1
  3. MCパート
  4. 後半ユニットパート
    • 前半と同様
  5. 主演ソロ曲2曲目

今回まとめる2018/5/12如月千早主演公演第3部(以降3部公演と表記)についての詳しいセットリストなどは他に正確な情報をまとめていただいているのでここでは触れないことにします。


感情の整理。“プロデューサー”として

ここでは3部公演で体調不良というトラブルに見舞われながら舞台に立つ“如月千早”に対し、私が感じた感情とその変遷を時系列順にまとめたいと思います。私の感情主体なので、客観的出来事を知りたい場合には適切ではない参考資料になります


前半ユニットパート

前日から如月千早に会える」と興奮気味の私でしたが、MRは初めて体験するものだったのでどんなものか期待していました。

結果としてはそれはもうすごいもので、アイドルがまさにそこに“存在”し、活き活きと踊り歌う姿を見ることが出来ました。

1曲目のライブ革命千早が出てきてから彼女から目が離せなくなりました。

貴音、響、真の待ち受けプリンスも印象に残っています

他のユニット曲もかわいく美しく楽しく魅力的でした。立体感存在感と躍動感と身長差がすごい!765ASの魅力が存分に発揮される新しいフィールドの登場に胸が熱くなりました。

千早ソロ曲がどうなるのか! という期待がよりいっそう高まっていたのを覚えています


ソロ1曲目の始まり

数曲ユニット曲が披露された後、とうとうソロ曲がやってきました。

曲は「arcadia」。私が始めて買ったアイマスCDに入っている曲です。好き。


皆さんもご存知の通り、この曲は出だしの第一から歌詞があります

静かなBGMの立ち上がりと共に千早の透き通る歌声が一節をつむいだ後、激しい曲調へと移り変わるアグレッシブな曲です。

その出だし、音が入りませんでした。千早の歌がよく聴こえない。

マイクの不調かな?音響スイッチングでちょっととちったかな?と思いましたが様子がおかしい。

開始数秒で私を含め、会場全体が何か異変が起きていることに気付いたはずです。


如月千早が歌えない

高音が出ない。声量も安定しない。ロングトーンも伸びない。ところどころ音程がとれず、声がかすれる。

如月千早に何か起きたことは明白でした。


単に調子が悪いとか音響おかしいとかではなく、何か身体的な問題彼女ののどに、歌声に発生している。

私はすぐにそう思いましたし、他の参加者も同様だったでしょう。

場の空気も一瞬にして動揺したものに変わりました。

激しいダンスとは裏腹に、彼女の実力からは程遠い、痛々しさすら感じる苦しい歌声


私は「はやく千早が歌うのを止めさせなくては」という思いで頭がいっぱいになりました。

彼女の搾り出すような歌声は“無理をして歌っている”と言うことが明白に感じられるものでした。

このまま歌い続けては彼女の声によくない。

無理に歌った負担で万が一にでも後に悪い影響が残るような事があってはならない。

彼女を守らなくてはならない。

どうやってとめればいい? どうやったら彼女を守れる?

そんな思いが頭の中をかけめぐりました。


arcadia」は激しく盛り上がるタイプの曲です。

したがって間奏はいわゆるコールが入るタイプ楽曲といえます

混乱し立ちすくみ、ただ千早を見つめる僕の周りで、力強くコールをあげるプロデューサーが居ました。

彼らの気持ちは痛いほど分かりました。

如月千早の体を、声を案じて歌うの止めさせたいと思う一方で、もがきながらも何とか舞台に立ち、歌おうとする千早を支えなくてはとも感じていたからです。

何か強い意思覚悟を持って舞台に立ち向かう千早の思いを私も感じていたからです。


arcadia」が披露されているときの会場の空気は今まで経験したことのない異様なものでした。

私のように混乱し動揺しているプロデューサー達の感情必死に歌い続ける千早の声が交差し、緊張感とも焦燥感とも付かない何かが充満していました。

その中で千早は歌い続けます

声がかすれて歌声が途切れ途切れになっても。

そんな苦しみながらも「ステージ」を作ろうとする千早支えるために出来ることなんて私達には驚くほどなくて、大きいコールで「ちゃんと“ライブ”が出来てるぞ!」「千早は1人じゃないぞ!」ということを伝えようとするぐらいしか選択肢はなかったように思います


果たして他のプロデューサー達が何を思いペンライトを振り、コールをあげたのかは分かりませんが、同僚達の行動を通じて「ここで千早を支えなくてはいつ支えるのだ!」という思いが自分にもあることを少しずつ自覚し始めました。

それでもなお、血をにじませながら(比喩表現です)歌い続ける如月千早を止めなくてはという思いと、大きく声を上げて応援することがさら千早を追い詰めることになるのではないか?と言う不安からコールを上げることも出来ず、かといって何も打つ手立てのないまま、私はただ青いペンライトを握り締め祈るような気持ち彼女を見つめることしか出来ませんでした。


千早謝罪と問い

arcadia」を奇跡的に最後まで歌い終わり、会場は拍手に包まれましたが、緊張感は増すばかりでした。

この後はMCパートです。彼女は何を話すのか。

水を打ったようににわかに静寂が訪れた会場で、千早は話し始めました。


ライブを楽しめていますか?」


如月千早はそんなことをはじめに私達に問いかけたと記憶しています

その声は本当に弱弱しく、彼女が抱える不安内包されたその言葉は会場に居るプロデューサーの胸に深く突き刺さったと思います

彼女自分の体調が悪く、そのために歌を満足に披露できなかったことを謝罪し、体調管理が出来ずパフォーマンスを発揮できない自分プロ失格だと自らを叱責しました。

「そんなことはない!」そういった声が会場から上がりますが、その声も如月千早と会場全体を包む後悔・悔しさ・不安・動揺といった感情払拭するにはいたりませんでした。

自分の責で満足いく歌を披露できなかった、期待にこたえられなかった、楽しいライブ提供できなかった。

そうやって自分を責め、後悔や悔しさや申し訳なさを抱え、傷つき、心で血を流している千早を目の当たりにして、私は胸を締め付けられるような思いになりました。


彼女はつづけます最後にもう一曲ソロ曲を歌う予定だと。その曲は「眠り姫」だと。

今の状態ではちゃんと歌うことは出来ないかもしれない。ライブとして成立させられないかもしれない。

「私はどうしたらいいでしょうか?」

千早の問いがプロデューサー達に投げかけられました。

震える声で助けを求める彼女に、私達はどんな手を差し伸べてあげたられるのか?

このときの会場の空気は本当に危ういもので、何かが間違えばすべてくだけっちってしまうような、細い糸一本で支えられているような緊張感がありました。


自分達に何が出来るのか?

プロデューサー達の迷いを含んだ重苦しい沈黙の中、「大丈夫だよ!」、「千早ならやれる!」そういった千早背中を押す声がちらほらと上がり始めました。

みんな探していました。何か彼女にかけてあげられる言葉を。

プロデューサーとして絶対彼女を支えなくてはいけないまさにその瞬間に、この危うい空間の中で必死に。


私の中ではまだ2つの気持ちが別の方向を向いてせめぎあっていました。

「もういい。今は休もう。次のチャンスを一緒に作ろう」そういって彼女を休ませてあげたい。

でもそれは体調不良を押してまで舞台に立つことを選択した千早意思覚悟否定することになってしまうのでは?

大丈夫だ! 思う存分やればいい!」そういって今日舞台に立ち歌う”という選択をした彼女最後まで応援したい。

でもそれは本当に彼女のための選択なのか? 体に負担をかけ、無理をしないと歌えないのは明白なのに、それを彼女に強いるのか?

私はどうしても「がんばれ!」、「負けるな!」といった強い言葉を選ぶことは出来ませんでした。

彼女を追い込みたくない、無理をさせたくない、守ってあげたい、という思いの大きさがそれを拒みました。

ただそれでも、覚悟意思を持って、様々なものを賭して、ぼろぼろになっても舞台に立っている彼女を支えたいという方向に気持ちが傾きました。

ここまで来てたった一人の“プロデューサー”の発言ライブを中止する事なんて出来ないだろうという思いもありました。

なら何とかして彼女を守りながら「ライブ」を最後までやりきれるような言葉を捜さなくては。

声が途切れてもいい、無理はしなくてもいい、千早は1人じゃない、俺たちが居る、足りないところは補うからライブを一緒に作ろう。

そんな思いを表すような、短くてぱっと言える(長ったらしく話すことは出来ないしそんな場合でもない)何か一言はないか

色々と思考がごちゃつくなか、誰かがまた千早鼓舞する声を上げました。

それを追うように私も声を上げました。

「俺が歌う!」


会場に笑いが起きました。

私の素っ頓狂な発言千早が少し今までと違う調子で「大丈夫ですか?歌詞は覚えているんですか?」と答えてくれました。

その千早らしい返答にまた会場に笑いがおきました。

少し空気が変わりました。


千早が歌えないところは代わりに歌ってやる!千早が中止にしたくないと思ったこライブを無理やりにでも成立させてやる!一緒にライブをやりきろう!だから無理するな!」みたいな意図を中心とした様々な感情がない交ぜになった結果の言葉の暴発でした。

ただ私の声に続いて「一緒に歌おう!」、「みんなで歌おう!」といった声を上げてくれるプロデューサーが居てくれたのは本当に救いでした。

きっと彼らの言葉を通じて私の言いたかたことも千早に伝わっていると思います


その後、千早MCパートを進めていきました。

おそらく台本があり1部2部公演でも類似のやり取りがあったであろう会話。

それに体調不良に起因するいくらかのアドリブや変更を加えつつ、進むMC

正直このあたりの事は詳細をあまり思い出せません。

どういう流れであの問いかからMCパートに移っていったのかも覚えていません。

声を上げ、千早が答えてくれた後、私はしばらく顔を上げることが出来なくなっていました。


ほとんど前情報仕入れなかった私も、「MCアイドルと会場で直接やり取りがある」といううわさは聞いていました。

それを知ったとき私が思ったのは「絶対に何も言うまい」というものでした。

ここまで読んだ方はお分かりの通り、私は如月千早の行動に対し、自分に都合のいい思いやら意図やらを好き勝手妄想し盛り上がるタイプ人間です。

そんなヤツが如月千早大事舞台で変なこと言おうものならもう目も当てられません。

私が嫌われるのは仕方がないですが、如月千早被害が及ぶのはあってはなりません。絶対に。

口は災いの元。沈黙は金。妄想脳内まで。

そう思って挑んだのですが、感情を抑えきれずほとんど反射的に声を上げていました。

後悔と恥ずかしさと、申し訳なさでしばらくの間顔を伏せていました。


公演後は興奮していてそのあたりの後悔は吹っ切ったつもりだったのですが、時間がたつとやはりまずいことをしたんじゃないのかと言う思いが顔をもたげます

私の発言のせいでMCを進める流れになったとしたら、結局ライブを続けることを千早強要してしまったのではないか

本当はもっと理性的プロデューサー千早に何か言ってくれるのを妨げてしまったのではないか。(もしかしたら私が頭を下げている間に言ってくれていたかもしれません。)

私の変な発言千早の大切で守りたかった舞台をかき乱してしまったのではないか

何より千早自身765プロとはぜんぜん関係のない馬の骨のせいで、千早の大切な舞台でいやな思いをするプロデューサー(ここでは私の発言がその人を不快にさせ楽しみ方を奪ってしまうということ)が出るようなことは許されないと思います

いずれも大変自意識過剰な問いですが、でかい声を上げてしまった以上、考えざるを得ません。

もし本当に誰かを傷つけたのなら批判は受けるべきでしょう。

そのような思いを整理するためにもこの文章を書いています

答えは出ませんが、一生付き合っていくしかないのだと思います

少なくともあんなふうな声を公式イベントで上げるのは金輪際やめようと思います


MC後半からユニットパート

長すぎて途切れたのでその2に続きます

https://anond.hatelabo.jp/20180518014637

2018-05-15

火器武装なく制圧する漁業取締官がどれだけ優秀か分かってないな

水産庁には沈黙セガールいるはず

2018-05-10

コミュ力なさすぎて辛い

4月入社して外部研修やってるけどあまりにもコミュ力がなさ過ぎて辛い。

2人で飯食うとか普通に何話せば良いのか困るし、沈黙状態になるので滅茶苦茶気まずくなる。

中学校ネトゲにハマって不登校 高校通信 専門学校も2年の後半を除いて友達なし

友達と呼べるのは小学校から地元友達ぐらいでたまに遊ぶ程度。

この状態からどうやればコミュ力トーク力)身につくのか教えてほしい

2018-05-09

anond:20180509110824

それは「正解は沈黙」っていった俺に対していってる?

なら全くないぞ。むしろヘリでポケGOやったり、札束握りしめた画像だしたりで結構好意的に見てるゆえに今回のことは黙っとけばよかったのになって意味で「正解は沈黙」と言っているから。

anond:20180509110024

当たり前だろ。

データがあって初めてそういう話ができるわけだ。

 

思うのは勝手だけどな。だから、正解は沈黙

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