はてなキーワード: 沈黙とは
独学でプログラミングなりウェブなりできるようになって在宅がベストかなあとは思うんだけど、リモート奨励かつ身体的ディスアドバンテージを抱えた人間の雇用に強い企業を紹介することもできない…。
でもほんと、今からでも絶対遅くないから一芸があると食えたりすることもあるよ。
増田はこうやって増田に書いてくれてるからありがたいが、沈黙のまま闇に囚われたままの人間が他にもきっとたくさんいるんだろうと思うとやりきれないな
①について
運営は必ずしも正義ではないが,実際に運営が行ったことが公式になる以上,現実から目をそらしてたら置いて行かれるだけ.
可能な限り受容するしどうしてもそれができないなら切り分けて無視するしかないというスタンスでやってます.
それと,こちとら懐具合の涼しい微課金者なもんで,特に好きでもなくたってSSRは貴重.
②について
昨晩NHKでやってた笑アニさまって番組見ました?声優と芸人とに大喜利させてた謎番組なんですけどね,声優の回答はことごとく身内ネタなんですわ.
身内ネタが分かりそれを最も喜ぶ客相手にしてたらそうなるよなあと苦々しい気持ちになりましたね.
③意識過剰
同意.尋ねられてもないのにそんなこと言うのは意識過剰ですよね.
ただマウントとりたいだけのしょうもない人間がいるのも事実.そういうのはさっさとリムブロするに限るね.
④その他
キャラdisやネガティブ発言が一番マイナス印象受けますよ.沈黙は金.
総括
メディアがこの問題について発信する情報は、同診断を受けないことを決断した人、
あるいは受けて陽性が確定したけれども生むことを選んだ人を取り上げる「美談」が殆どで、
陽性確定者の多数派である中絶手術体験者の声が反映されていないと感じます。
<経緯>
30代の終わりから不妊治療を始め、40代の始めだった2016年に体外受精で初の妊娠。
同年に新型出生前診断を受けたところ、18トリソミーであることが確定し、手術。
<手術に踏み切った理由>
試験勉強と育児を両立させるために、健康児であることは大前提でした
(夫婦共に健康なので、子どもも健康な状態で産まれると思い込んでいました)。
医療的ケア児であれば、受け入れる施設も限られ、お世話に忙殺されることが予測されます。
「もし産むと、あなたは毎日家の中で赤ちゃんに付きっ切りだよ」と夫に言われ、
自分のキャリアが崩壊する怖さから思わず「それは無理」と言い返しました。
さらに、その子が将来、認知症などで要介護状態になれば、入れる老人ホームはあるのか。
ネット上には、医療的ケア児の受け入れ先や成長後に関する情報がほとんどなく、不安に駆られました。
・胎児は女の子でした。心配なのは、この社会で知的障害者に多発する性被害です。
あるいは通所途中で誰かから……と考えると、とても我が子にそんな辛い体験はさせられないと思いました。
もはや「自分たちさえ良ければ産める」という問題ではないと思いました。
知的障害児を生んだ場合、私の知性すら信用されなくなるのではないか、
友人知人からも憐みの目を向けられるのではないか、と懸念しました。
そしてこのように考えること自体、自分の中に知的障害者への差別意識があるのだと、
認めざるを得ませんでした。
<なぜ、新型出生前診断を受けたのか>
私たち夫婦は高齢なだけに、「障害がないことを確認し、安心してその後の妊娠生活を過ごしたい」と考えて
同診断を受けることにしました。
私としては、「事前に疾患がわかれば心の準備ができる」とも思っていました。
その時点では、どんな疾患のある子でも受け入れて産もう、と漠然と考えていたのです。
ところが、いざ診断で陽性判定が出ると、上記に述べた様々な不安が一気に押し寄せ、
坂道を転がり落ちるかのように、気持ちは中絶手術へと傾いていきました。
しかし、実際に手術によって死産した我が子と対面した時、愛しさが込み上げ、
「なぜ息をしていないの。お願いだから生き返って!」と号泣しました。
手術を受けてから後悔しても遅いのです。
「安心したいから」という理由で受ける人は多いようですが、お勧めしません。
私たちの経験上、陽性判定を受けると冷静な判断力が失われ、未知の将来への恐怖心から、
とにかく「生活が変わらない選択肢」を選びたい強い誘惑に駆られます。
従って、診断を受けるのは、
「陽性の場合は産まない」と決めた時のみとするのが良いと思います。
陽性でも産み育てることを決めているのであれば、「心の準備」は産んだ後からでも間に合うのではないでしょうか。
染色体異常を持って生まれてくる可能性への心配はあるにしても、
あらゆる状況を想定して、妊娠中に情報収集しておけばいいと考えます。
<カウンセリングのあり方>
私がカウンセリングを受けたのは、出産予定先だった大学病院の産婦人科医からでした。
18トリソミーとして生まれる子どもの知的・身体的特徴について説明がなされました。
ただ、私たち親が知りたいのは、「そのような疾患を持つ子どもをどうやったら育てていけるのか」です。
医療的ケア児には、健常児にとっての保育園や幼稚園、学校に代わる施設はあるのか。
成人後の住居や生活費はどうするのか。
そうした社会的サポートに関する情報は医師からはほとんど与えられず、私たちは不安に駆られるばかりでした。
是非、これらの情報に詳しい専門家をカウンセラーとして配置して欲しいと思います。
<メディアのあり方>
冒頭で述べたように、新型出生前診断に関してメディアに登場する当事者には偏りがみられるため、
診断を受けるかどうかを迷う人にとってはあまり参考になりません。
私自身、診断を受けるかどうか、手術に踏み切るかどうかを判断する際に、
心細さを抱えながら性急な判断をせざるを得ませんでした。
メディアが同診断に関する美談ばかりを取り上げることは、中絶手術を選ぶことを暗に非難するメッセージとなり、
その結果、手術体験者からのアドバイスが発信されないために、受診者及び受診者予備軍が的確な判断ができないという、
以上、ご参考まで……。
はてな匿名ダイアリーの投稿については、はてラボ利用規約第6条にある次の規定が適用されます。
3. ユーザーは、本サービスにおいて自己が作成、投稿した作品など、本サービスに送信した著作物について、著作権を有するものとします。
匿名であることをもって著作権が放棄されているものではありません。無断での転載等を行わないようご注意ください。
継続的に無断転載を繰り返すサイト・ブログ・事業者等には、はてなから情報削除やサービスの停止などの要請を行う場合があります。
勢い余って独立して映像系の仕事をはじめみたんだが、飯は食って行けてる。
しかし、専門学校とか行ってたわけではなく、前職や大学でそういうことやってたわけでもないので、
妙なところで「知ってるべきもの」を知らなかったりする。
「ファイル形式はどんな形で送っていただけますか?」聞かれたので
「モブです」
と答えた。
相手の方は
この時、ふと「mov」って「モブ」って読み方でいいんだよな?
と不安になった。
当たり前の様にそう呼んでたし、同業者の間でも「モブでさー」みたいな感じで話していたことが突然思い出された。
しかし、もしかして俺が「mov」を「モブ」で呼んでることに周りの人は間違ってるとわかってて、敢えて黙っていてくれてたのではないか?
指摘するのが悪くて黙っていてくれたのではないか?
あの人またmovのことモブって呼んでドヤ顔してるけど気の毒すぎてとてもツッコめねェよとか思われてたのだろうか?
そんなことを思ったら突然トーンダウンし
女子高生時代、オーストラリアへホームステイに行った。2、3日程度だったと思う。
ホームステイは出席番号順。運よく仲の良い友達と一緒に行くことになった。
2人でペアになり、ホームステイ先の紙を渡されて、何をプレゼントするか等を話し合う時間が設けられた。
え?弁護士!?色々美味しいもの食べさせてもらえるかも!ひゃっほー!!!
扇子やドラゴンボールのオモチャ(海外では結構人気らしい)、折り紙を持って行くことに決めた。
空港にて。
何をするのかも全然分からない状況で、とりあえず美女の前に立った。
そうするとニコリと笑ってサムズアップ。GOODサインをしてきた。
美女は何も話さず、にこりと笑って親指を立てるのみ。私も同じように笑顔で親指を立てた。
鬼のような形相になったと思ったら、親指をカウンターに押し付けるジェスチャーをしてきた。
――あ、指紋認証??
英語で話してくれれば何となく理解できるのに、何故無言だったのか。
オーストラリアについて、ホームステイ先に行くと 夫婦の他に溺愛していると思われる愛娘が居た。
面倒になってきたので淡々と書くと、
翌日、「弁護士の仕事に行くから車に乗れ」と言われて車に乗り込み、そのあと訪問先の広いお庭(森)で待たされること3時間。何もなし。
友達と「あ、お馬さんだー、ぱっかぱっかー」「あの鳥、ぴーーーぎょぇえ、ぴーーーぎょえぇって鳴いてる!うあははは!」
「ねぇねぇ、ここ木で穴掘ってみようよ。うへへへへ」と、とち狂った。その動画は今でも手元に残っている。
晩御飯はピザだった。オーストラリアに来てピザ! 正直、ピザー○の方が美味しいなと思ってしまった。
おっさんと話していると「前に来てくれたミキちゃん(?)は英語上手かったのになぁ」と嫌味を言われた。
その翌日、また「弁護士の仕事に行くから車に乗れ」と言われて車に乗り込むと、ショッキングピンクの建物に詰め込まれた。
2時間待たされた時に痺れを切らし、友達と外に出かけてホットドッグを食べた。美味しかった。
弁護士の仕事が終わったから迎えに来たあと、「お昼ご飯はコレだ」とチョコバーを渡された。
帰り際に何故かケーキを奢ってもらい、家に帰ると「晩御飯食えないだろ?ステーキ食うか?」と言われ
二人して「ステーキ!?食べる!!ください!」って言ったら笑われた。
ステーキ食うかって言ったのはオーストラリアジョークだったのだろう。許さん。
絵がとにかく描けない。
どのくらい描けないかというと、お絵描き教室で講師に沈黙されてしまうくらい。
おいおいそこはお世辞でも誉めてくれよ!
そんな周りの反応が辛すぎて辞めた。
でも漫画は描ける。
たまーーーーに褒められたりもするからどうにも諦められなくてずっと漫画描いてた。
でもオンリーワンで比較対象もなかったし、片手の数も売れなかったけど、それでも漫画家ごっこは楽しかった。
……楽しいつもりだった。
二年くらい経って「一回だけ参加します!」って絵が描ける人が参入した時に隣で長蛇の列が形成された。
隣の人は「出てよかった」ってずっと言ってた。
私ももちろん隣の本を買った。
感想を送ろうと思って「……いやでも隣の人、うちの本には見向きもしなかったよね」って気付いてわんわん泣いて、即売会に出るのはやめた。
それから何年か経って。
そのどうしようもない結末に一瞬でも幸せな時間を追加したくて、小説を書いた。
「あんまり読まれないだろうけど、自分が読み返せばそれでいいよね」
そんな気持ちでピクシブに載せたら、漫画よりずっといいねもブックマークもついた。
調子に乗って小説で薄い本を出してみたら、一回で印刷代もスペース代も交通費も回収できた。
小説は時々全然交流のない人がおすすめしてくれてたりするし、イベントで差し入れや感想をもらったりもする。
この記事は「女性エンジニア」発言についての私的見解、を読んで思ったことの続きです。
公の場で、性別、人種、出自などについて、不必要に言及しないことです。そして、世の中には多様な人間がいて、その人達は自分と異なる価値観や考え方、コンテキストを持っていることを常に忘れないことです。差別とみなされる対象は、性別や人種のような、生来の属性だけでなく、文化、宗教、学歴など、精神的や社会的な属性全てが含まれます。特定の属性を持った集団についての言及は、必要がない限りしないように気をつけるべきです。もちろん、プレゼンの内容的に言及の必要があれば、躊躇する必要はありません。
この部分には激しく同意する。つまり、私が思うY氏の悪かったところは、本筋と関係ないところでセンシティブな話題を持ってきているところだ。そしてそれを拾われ炎上してしまったわけだ。Y氏のプレゼンは「女性エンジニアが少ない」という課題から出発するのだが、これが本当に必要だったかと言われれば、私は微妙だと思う。これは完全な推測だが、どう考えてもソリューションに対してロジック部分が後付けなので、「女性エンジニア」をテーマに扱うことは不必要だったように思える。 まさに不必要な言及をしてしまい、不必要に炎上したわけである。
このリンク先で言っていることは少し反論があるが、本題ではないので書かない。
私の「Y氏はそもそも差別的発言をしていない」というのは、私がY氏の記事を好意的に読みすぎなのかもしれない。しかし私から言わせてもらえば、記事に直接的に書かれてないことを拡大解釈して差別発言とみなすのは、悪意的に読みすぎているように見える。
最後に少し攻撃的なことを書く。卑怯な言い分だが先に謝っておく。
元記事は「今後こういう炎上が起きないために、発表者側はこういった点を意識し注意してほしい」といった趣旨の記事構成である。確かにY氏の発表には問題はあった。しかし炎上させた側には反省すべき点はないのか。
「こういう解釈したらここが差別的。よって炎上すべき」という理論が今後も成り立つなら、今回の件の教訓は、「触らぬ神に祟りなし」「沈黙は金」「臭いものに蓋をする」の考え方を増長しないか。これは差別問題解消に役立っていると言えるのか。
また、元記事筆者は元記事でバイアスの話をしているが、元記事筆者自身にバイアスはなかったのか。
全てと書いていないのに「全ての女性エンジニア」、「全ての男性エンジニア」と解釈した点や、「男性は女性がいるとやる気があがる」を「女性は男性のやる気を上げるために存在する」と解釈した点などで思ったのだが、元記事筆者は「これは差別的な発言をしている記事だ」というバイアスなしで、Y氏の記事を読むことができたのか。
これは元記事筆者だけに言いたいことではない。例えばTwitterのTLに炎上していると話題の記事が回ってきたとき、そしてタイトルが『「女性エンジニア少ない問題」を解決するために、機械学習で男性エンジニアを女性に変換する』という、いかにも炎上しそうなワードが入った記事が回ってきたとき、「炎上してるのだから、炎上発言があったに違いない」というバイアス抜きで記事を読んだ人が、どれだけいたのか。
あるいは本当にY氏の記事を読んでから批判した人がどれだけいたのか。
以上。
「これから」という時に亡くなって…
というのは、若くして亡くなった方を悼む言葉の「定番」みたいなものだ。具体的にどの辺が「これから」だったのかなんて、深く考えずとも皆自然に口にするし、受け入れている。
hagex氏のブログはちょこちょこ読んでいて、最近も「勉強会を始めたのか」「次もすぐやるんだな」などと思っていたが、あの日以来、氏に近い人たちが発信する情報で、氏が 本当に 新しいことを始めようとしていたことを知った。
2018年は、hagex氏にとって転機の年、飛躍の年になるはずだった。少なくとも、ご自身はその積りで準備をされていたのだろう。
こんなこと書いたら絶対「一緒にするな!」と言われるだろうが、自分は、「スターティング オーヴァー 」((Just Like) Starting Over)という曲で、長い沈黙を破って活動を再開した矢先、凶弾に倒れたジョン・レノンを思い出した。
hagex氏も、あんな事がなければ殺人事件の被害者としてでなく、「hagex改め岡本顕一郎」として、我々の前にあの笑顔で顕れたのだろうか。