はてなキーワード: 根付とは
生産性がない云々は論外としても、最近のLGBTに関する議論は性急ではないだろうか。
もちろん、当の本人にしたら、もっと早くということなのかもしれないが、世間一般的にはここ数年で話題に上ってきた用語だ。
個人的な感覚として、人は概して知らないモノ、理解できないモノに対して批判や拒否感という反応を示すことが多い。
LGBTを人権と言っていいのかまだわからないが、新たな人権になるのなら、他の人権とのぶつかり合いが起きて憲法論的には公共の福祉による調整が必要となる。
つまり、抽象的に言うと、既存の人権にとってLGBTは新たな制約となる。
こうした中、社会は、LGBTと呼ばれる人の存在を認識し、学び、理解しようとしているのではないかと思う。これには時間がかかる。
一方で、理解しようとしながらも理解できない故に反発している人をLGBTに対する理解がないと社会的に袋叩きにしたり、法による罰則でがんじがらめにすれば
LGBTは社会は急速に浸透するだろうが、強制への反発は人の心にLGBTに対する差別を根付かせる。
LGBTに対する理解を時間をかけて浸透させる方法か罰則による強制か、日本社会はどちらを望むのだろう。
6年前くらいにLGBTの研修を会社で受けた。LGBTだった優秀な人材が辞めたことが背景にあるらしい。
参加者から「なぜLGBTだけが特別?」という質問が出た。講師の人が「LGBTは産まれながらのものだから」と強く言っていたのを思い出す。
訳語がよくないと思うんだよ。
例えば自然権。
「生まれながらに持つ権利」だが、例えば自然状態、野生状態というかワイルドライフ、例えばサバンナでだな、自然権が保障されてるかというと微塵も保障されない。最低限の文化的な生活をしたいと言っても文化もへったくれもない。それを保障するには現状では国家という枠組みが必要だよな。
で、ここで言われたことがある。
「それ、自然なの?」
いや自然権という訳だが大事なのは自然というところじゃなくて生まれながらに持っているというところでといっても
「じゃあ自然っていわない方がいいじゃん」
と言われる。
例の「嫌われていたいい先生」のブログ読んだけど、「いい先生」ってなんなんだろ。
そりゃ、将来的に役に立つことを教えてくれるのがいい先生なのはわかるし、大物を多く排出した先生がいい先生なのもなんとなくわかる。
でも、例のブログ主ってぶっちゃけていうと、一般ネットピーポーじゃん。
例えば、あのブログをZOZOTOWNの社長が書いたなら、ZOZOTOWN社長が影響を受けたという威光を受けて確実にいい先生だなって思うわけよ。
あのブログを読んで思ったのは「きっとブログ主にとっては"都合の"いい先生なんだな」って感想しか湧いてこなかった。
単純にT先生がブログ主の心の中を代弁してくれる「ブログ主にとって都合のいい事を言ってくれる先生」と化しているのが、嘘松さを引き立てている。
あのブログの中に出てきた「ノートをカラフルにすれば点がもらえる」制度ってさ、日本の会社的には重要なわけじゃん。真面目にするフリも。だって、それが良いとされてる文化が根付いてるんだから。
つまりそれってさ、文中に出てきた「カードゲーム大会に出たI君」に対してT先生が言った「そういう経験があれば就職に有利になるかもしれない」と何が違うのって話。
ぶっちゃけ、いい仕事の評価に、実績があったり、媚を売ったり、コネをつくったり、見やすい資料を作ったり、わかりやすい説明をしたり、相手の気持ちを掴むってのは入ってるわけよ。ただ無言でモクモクと書類を作って客先にもっていったら受注印がもらえるわけじゃない。だからプレゼン能力とか言われるのが必要になるし、お菓子にはわかりやすいパッケージやCMがついてくる。それを見越してT先生は「PRになるからカードゲーム大会にはいってきなさい」と言ったわけじゃん。
多分、そのT先生とやらは「子供のことを第一に考えて、結果が出たことだけをやっていく」先生って事を描きたかっただけなのはわかる。そして、多分そういう先生は探せばいると思う。なので、T先生の存在自体が嘘とまでは言わない。
嘘松さを醸し出してるのは間違いなく、ブログ主の気持ちをT先生に代弁させてるところ。
つまり、タイトルを省略せずにいうと「(昭和時代的な考え方はクソで、平成の合理的は良い思考【ブログ主の結論】。でも、周りは昭和時代的な考えが漂ってるからT先生は)嫌われていた(が、自分は平成の合理的な思考で考えていたから)いい先生の話」なわけ。
僕はミリオンライブが嫌いだ。
「またライバーかデレPのミリオン叩きか」と思われるかもしれない。
アイマスが世に出て、もう13年になる。
一大ムーブメントを巻き起こす。
9月18日、東京ゲームショウの場で発表された「アイドルマスター2」
男性ユニット「Jupiter」の存在が発表され、アイマス界隈は激しく荒れた。
詳細は割愛するが、この時点で
アイマスの次なる展開が動いていた。
言うまでもなく、アイドルマスターといえば
アニメ版以降、公式はA1-Pictures(以下、アニメ版)の
ほぼ使用されなくなっていくのだ。
(決定的となるのは、2012年に発売された「シャイニーフェスタ」であり
イラストとなった)
こうして、アイマスは少しずつ形を変えながら
新たな展開を進めてゆく。
だがそれは、僅かではあるが、確実に
長い長い前置きで申し訳ない。
「アイドルマスター・シンデレラガールズ(以下、デレ)」である。
当時、怪盗ロワイヤルなど携帯電話(まだ、ガラケーの時代である)を
所謂エリアゲームでしかなく、莫大な利益を上げる事はできない。
求められているのは、当時の携帯ゲーの主流であった
「ガチャゲー」であった。
そこに「アイマス」が参入する事は、
この体裁をとる事で
デレの開発運営を任されたのは、当時
サイゲームスだった。
(開発時期的には、神撃が表に出た時には
既にシンデレラも動いていたと思われるが省略)
リリースされるという事は、当然ながら
反応は予想していたであろう。
そしてその外部の仕事を任された一人は、
同氏は、デレのキャラクターデザインを任される事になった。
話を戻そう。
もっとも大きく示されたのは、デレに与えられた
タイトルだった。
「Project Im@s 2nd Vision」というロゴが与えられていた。
後のシャイニーフェスタだけでなく
だが、「シンデレラガールズ」には、この
ことを示す事実だった。
極端な言い方になるが、判り易い言い方をすると
実の娘ではなく、サイゲームスという下賎との間に
汚れた現場で働かされることになったのだ。
いや、汚れた場所で働くために生み出された娘、
という表現の方が正しいだろう。
765のキャラクターたちは、客寄せとして
貸し出されただけである。
風俗店でいえば、在籍していないのに表に貼られている
実際に相手するのは、150人近い
予想できなかった展開を迎える。
人気を博する事になってしまったのだ。
大流行をもたらした。
Twitterで、ガチャの引き自慢が始まるのもこの頃からである。
Pたちは神引きや爆死を披露し合い
その知名度を高めていった。
こうして2012年、デレの人気は爆発的に拡がり
それは、苦界に落とされた妾の娘が、
それも当然であり、デレがいかに人気を得ようとも
判らないが、少なくともバンナム的には
あまり美味しくない話であった。
その莫大なガチャの売上の一部を掠め取られ、
運営全体もバンナム側では100%コントロールする事ができなかった。
「アイドルマスター」の本家シリーズである事を強く印象付ける為
キャラデザは全てA1-Picturesの「アニメ版」に統一された。
何よりもデレとの決定的な違いは、ミリには
デレを快く思っていない者が少なくない時代であった。
ファンに許されていたのだが、
リリースされる事に反感を覚える者もいた。
だがそれでもまだこの頃には、765を至上とする
生み出された娘であり、765とは関係のない
存在として扱おうとしていた。
バックダンサーとして登場する」という事が明かされており、
だがまだこの頃には、その程度の扱いなら…と
旧来の765ファンたちも楽観的に捉えていた。
――だが公開日を迎え、彼ら旧来の765ファンは強い衝撃を受けた。
劇場本編をご覧になられた方なら判るだろうが、
程度のものではなかった。
バトンタッチを匂わせる内容でもあり
メッセージでもあった。
その性急な世代交代に納得できない者も多かった。
移行するのではと噂されたが、結局実際には
反発も当然であり、素直に受け入れられる者は少なかった。
その結果、ミリはどうなったのか。
デレのファン層を奪う事もできず
だがアイマス運営は、どうしても彼女たちを人気コンテンツとして成功させたかった。
「ミリオンライブ・シアターデイズ(ミリシタ)」をリリースする。
上質なグラフィックを最大の売りにしていた。
だが本質はそこではない。
拒絶する心理の方が大きかったのだ。
大きなセールスを上げる事も無く沈んでいく。
思惑は外されてしまうのだった。
運営の都合で生みだされた
コンテンツをつくりだす為に
バンナムさん、良かったね。
結局これなんだけど、下らん綺麗事でこういう生々しい欲望を隠そうとするから胡散臭い。
文化として根付かせるつもりなら既存のスポーツのようにじっくり時間かけてコミュニティ広げていくはずなんだけど
必死にe-Sportsワッショイしてるやつらは自分が今それで食い扶持稼ぎたいからスポーツ騙ろうとしてるわけでしょ。
少なくとも海外のe-Sports界隈はちゃんと地道にコミュニティ拡大をしてきたんだけど、
国内でe-Sports担いでるやつらって、海外の盛り上がりに乗っかってショートカットしたいだけなんだよな。
「今俺がゲームプレイして食い扶持稼ぎたい」ってのを「スポーツとは競技という意味ももともとあるから競い合うゲームもスポーツ(キリッ」とか
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/56492
ブコメでもかかれてるけど、
「好きでもない男に言い寄られてもきもちわるい」
なんて女たちの間では当然の合言葉。
なんで男たちに言い寄られる女が言うと説得力があるのに、ゲイに言い寄られる男性がいうと何言ってんだコイツってなるんだろう。
で、ちょっとわかった。女性にはジェントルマン精神が育っていないからだ。そして女性にたいしてジェントルマン精神は期待されていない。
ブスに懸想されて逆切れする男は見るからにダサい。謹んでお断りすることこそ紳士の条件という通説はある。
こんな常識は女には通用しない。女は社会的立場が弱い分常に男性にたいして鬱憤がたまっているため、恋愛的立場でいざ強者に躍り出たとたんに異性に対して過分に強く当たりがちである。そこには武士道も紳士道もない。
サシ飲み相手がどんなにデブでブスな女でも、ちゃんとお持ち帰りするor頑張ってお持ち帰りしたけどいたせなかったら申し訳なく思うという精神性が根付いている男性は多い。
以上。
常にジェントルマンを期待される男性が自分に好意を向けるゲイを相手取って器の小さい発言をしたら「なんだコイツ」となってしまうのに対し、
逆に恋愛時に異性を軽んじることによって己の気高さアピール、自己顕示欲へと昇華する女性が同じことをしてもさほど違和感が生じない理由である。
都会人が田舎に移住すると確実に色々な悩みが出てくる。そんなときに「なんでここに来たんだっけ?」とならないために有効。書式は一ページに一項目、イラストなど交えて出来るだけ具体的に書いておく。
2.近所の人たちとSNSで繋がっておこう
田舎の人たちは、本当は仲良くしたいけどシャイなので遠めに見てコソコソ本人がいないところで喋るという好きな女の子に対する小学生男子的なことをするところがある。これが田舎が監視社会だと言われる所以。監視される前に自分からオープンに発信することで仲良くなれるかも。
よく分からないが、山あいの田舎では「暇は悪」という価値観が根付いている。暇してると見られると地域行事や変な役を押しつけられがち。全力で趣味に時間をかけ、先述のSNSで発信しまくろう。
4.本当に仲良くするのは3人くらい
美しい四季折々の風景がある。水道水がそのまま飲める。電車が時刻通りにくる。国民の大半が勤勉で真面目。治安がよくて女性が真夜中に出歩いても安全。サッカーワールドカップで日本人サポーターが見せたように、ゴミ拾いなどのマナーがいい。もちろん電車やバスなどでのお年寄りや妊婦さん、ベビーカーに対しての席譲りや気遣い、共生の精神がしっかり根付いてる。何より最高なのが和食。ヘルシーな食事は世界中のエグゼクティブからの評価も高く、ミシュランガイドでは調査員がベタ誉め。アニメや漫画、ゲームといったエンターテイメントも世界中で評価されてる。
なんかねぇ。
70kg越えたときも「あれ?太って……ないかも」みたいな自分補正フィルターかかりまくってたんだよね。
自分で聞こえる自分の声は良いのに、録音すると最悪みたいな。上手く言えないな。
数値的にヤバすぎるのに実感無かったんだよね。
もう80kgという大台にのって、いよいよやば過ぎるって自覚した所なんだ。
やせようって言う必死さが無いのは本当かも。
病気でも無いから~みたいなのと、面倒くさがりなのがきて「まぁいいか」になりそうな気もしてる。
実際生活的には困ってない。
膝だって痛くないし、走ったりも普通に出来るし……困っては無いけど
ウエディングドレスだけは着たいんだよね。それに向けて、頑張ろうと思う。
健康グッズとか凄く好きで「楽して痩せよう」っていうアホな思考が根付いてるんだけど改めるよ。
健康面だけで言えば一日1万歩だけ頑張れたらいいと思う。
俺はダメ人間だ
どれもよくなりたいが、結果として全てダメ
それでも、30歳になって気づいたことがある
たぶん、普通の人は十代半ばぐらいで無意識に気づくのではないかと思うが、俺の場合は30年かかった
5歳ぐらいの時から母子家庭で、母親は極めてプライドが高かった
母親は何でも自分の力で何とかしようとしていたし、他人のことは何だかんだで道具としてしか見ていなかった
どうしようもない時だけ、実家の母親(俺から見た祖母)をあてにしていた
今思えば、母にはまともな友人がいない
引っ越しの手伝いで高そうなモノを盗むババア、末期がん患者にガンが治ると嘯いて浄水器を売りつけるゴミ女
学生時代に母に惚れていたという男、妻が居ながら退職金を前借して全て母に注ぎ込んでいた
(母はタバコを吸いギャンブルもしていたのでそれらに金は消えていた)
最後の男を挙げたことで気づいてもらえたと思うが、母は金を借りたうえでそれを返さない
まともな友人を作れるわけがなかった
母の周りにはヒトがいない
言うことを聞かなければ殴ってしつけていたが、俺が些細なことに怯えるようになってからやめたらしい
判断基準が「母が怒るかどうか」というところに集約されたまま、
小学校に上がるころには母がいないと何も判断できない人間に俺は無事育っていた
母は働きに出ていたし、世間に出しても恥ずかしくない息子に育てたいという気持ちが強かったのか
働きに出ている母親を家でひたすら待つとか、買い出しを頼まれた時に正確に金の勘定をするとかだ
職場にいる役立たずを馬鹿にしたり、同じ話ばかりする祖母を馬鹿にしたり、学歴コンプレックスの姪を馬鹿にしたり
常に母の側にいた俺は見事にそれを写された
結果として「運動が苦手で頭も性格も悪いのに他人のあらを探して見下すことだけは得意」な人間として俺は20歳を迎えることになった
俺は無能な息子として母の足を引っ張りつつ、母のファンネルとして彼女の生活を支えながら生きていた
断っておくが、母がすべて悪いと言いたいのではない
人を変えるのはなんだかんだで環境だ
大家族の末娘として、生まれてから母の愛情を独り占めして生きてきた女が独善的になるなというほうが難しいだろう
「頭がいい? 運動ができる? だからなんなの? わたし、お母さんに愛されてるけど」
こうなって当然だ
その女が一人で息子を育てたんだから、誰も彼女を責めることはできまい
女手一つで立派に息子を、ヒトをひとり育て上げたのだ。素晴らしい
それを返さなかったり浪費したりしても何とも思わない精神状況であったことだ
仕事を掛け持ちし、男に体を売ったり(肉体労働をまともにこなせる自信がなかった)もして稼いだけどそれでも金は足りなかった
人二人が共同生活して生活苦で自己破産したと他人から聞いたら俺なら正気を疑う
資金繰りに悪化したとか浪費癖が悪化したとかそんな話ではないのだ
細かい経緯は省くが、結局俺は過去に母のそばから離れていった二人の夫同様、彼女の元から逃げ出した
いや、逃げ出すことができた
「お前の生活状況はおかしい」と指摘してくれた常識的な青年のおかげだ
こないだ父親と会い、一緒に酒を飲むという息子らしい行為に打ち興じた時、
「面白くて美人だけどプライドばかり高くて難しい女」だったと母を語る父は、
買い物依存症と認知症を併発しつつある今の妻と添い遂げる覚悟らしい
「お前の母さんと別れた後、ずっと助けてくれた。これからは俺がちゃんと恩返ししないといけない」
いいよね、こういうの
人間いろいろあるけど、助け合わなきゃね
何年か一人暮らしを続けて思う
人間が生まれてから大人になるまでの間に必要なのは、最終的にその一点だろう
「自分で判断する」、それができなければ大人になったとは言えない
母の不幸は、それが当たり前なことすぎて教育しなければ根付かないものだと気づけなかったことだろう
きっと、ただそれだけのことなのだ
毒親がどうとか、子供が将来親の世話をするしないとか、そんなのは大事なことじゃない
ダメ人間だって親になりうるし、長い時間をかけて培われた信頼が介護という結果になって帰ってくることもあるかもしれない
血縁関係は、「どう育てるか」「どう親と接するか」の指針も方法も手段も何も教えてくれはしない
いつか母を恋しいとか母に恩返しをしようと思う日が来るまで、俺は実家に帰らないだろう
いつそんな日が来るのかは皆目わからない
一人で待つという状況に小さい頃から慣れていた俺は、誰かを恋しいと思ったことが一度もない
だけど、それでいいと思っている
30年かかったけど、気づけてよかった
やっと独り立ちできた気分だ
彼らにとってガチャは出資らしい。好きなイラストレーターが食い扶持を失わないための。
まぁ、同人作家としても、イラストレーターが人気のガチャキャラかけば、その同人作品でお金がいただけるのでガチャにつぶれてもらうわけにもいかないんだろう。
そう考えると、オタクコンテンツにとって、キャラクターガチャはもうごく自然なお金の流れとして根付いてしまっている。
ガチャ自体というか、数週間単位で新しいキャラクターや既存キャラクターの別Verが実装されるようなコンテンツは一生無くならない。
いろんなスマホゲーやってきたけど、不思議なことに自分のアバターを飾り付ける一時期のオンラインゲームのような装備やアバターアイテムをガチャで手に入れるゲームってやっぱ流行らないんだよねぇ…。
だから今のスマホゲーって以下に集金させるためにガチャを回させるかを考えると、やっぱ新規のキャラクターを乱発していったり、人気キャラクターのリメイクやスキンを多く出すことなのかも。
遅筋は持久力、速筋は瞬発力。
赤 身 の 魚はこってり味で、マグロ、カツオ、サバなどの回遊魚に多く
白 身 の 魚は淡白な味で、カレイ、ヒラメ、タイなどの根付き。
そして、いよいよ、青 魚。イワシ、サバ、アジのように背中が青い魚の総称。
ただし、前述の体側筋分類法でいくと、これらは全部、遅筋。つまり、イワシ、サバ、アジは赤 身 の 魚になっちゃうんだよなあ。ややこしや。
そして、背中分類法でいくと、マグロやカツオも青魚。どっちかって言うとお値段的には高級魚に分類されるんだけど、実はサバ科。
以上です!!
アカデミアにいるわけでもない人間が酔った勢いで吐き出すので,間違っていたら寧ろ積極的に否定してほしい.
今年度の科学技術白書が話題を集めている.ブコメでは金がなくて雑務が多いんだから当然だという指摘が多くて,その指摘はある程度正しいように思える.僕は企業の研究者だけれども,実際に日本の大学の先生方は(その分野の権威であっても!)たった100万の研究費を出すだけでもとても良くしてくださるし,100万円ぽっちにそれだけ頑張らないといけないのだから当然のごとく忙しい.(海外の大学に研究費100万円なんて言ったら門前払い.少なくともその10倍からスタート)
じゃあ国がもっとお金を出すようになれば技術力の低下が解決するのかというと,少なくとも自分がいる分野ではその段階を超えつつあるのではないかと思っている.一昔前に話題になったポスドク問題の印象で,金を出してポストを増やせば論文数が増加すると思っている人はそれなりにいるのではないかと思う.しかし今,僕がいる分野では寧ろアカデミックポストが余っているらしい.ポストは減っているのになぜそれが余るのか.答えは簡単で,アカデミック人材がそれを超える勢いで減っているのである.僕がいる分野では,文科省の狙いが成功したのかたまたまなのか博士卒が多く民間企業に就職している.民間企業に就職すれば給料は多いし,なによりも期間の定めなく働ける.研究は自由にできないかもしれないが,大学にいても文科省様のおかげで好きな研究ができるわけではない.そして育てても育てても企業へ流出し,そして更に企業への就職志向が強まる悪循環によって,僕の観測範囲では博士新卒の6〜7割かそれ以上が企業に就職している.
つまりいまお金を多少投入されてもこの分野ではその研究費を投入できる人材がいない.企業から呼び戻せるほどの給与と安定したポストを用意できるだけの長期間かつ大きなの予算が与えられれば別だけど,流石にそれは現実的ではないだろう.ポストの空洞化がこのまま進めば教える人がいなくなるので,日本でこの分野はそのうち滅びるのかもしれない.博士卒の人材が就職したことで産業界に根付きつつある技術も,人材が安定的に供給されないのでは滅びるだけだろう.企業に博士人材が流出するのは一部の分野だけだから大丈夫!寧ろ殆どの分野では企業への進出が進んでいない!と主張する人もいるかも知れないが,そもそもそういう分野は博士取る人が減って同じ結果になるんじゃないかと思っている.
大学改革や選択と集中も必要だろう.でも日本のエリート教育の根幹を支えるアカデミックポストの魅力を大幅に引き下げてしまったのは大きな失敗ではないかと思う.そりゃあ腹芸が得意な役人にとって大学の先生方は扱いやすかっただろうけれども,日本の根っこを支えている人たちであるという敬意を失ってはいけなかったんじゃないだろうか.少なくとも研究計画の説明中に寝てんじゃねえよ.
メンテあけのシャニマスを軽く触れての感想 pic.twitter.com/4KMQVdFCdd— RAP@新刊通販あります (@rap_) 2018年6月11日
観測範囲狭いといわれたらそこまでだけどこの人のように「メガネっ子はメガネを外すな」「メガネを外したので失望」みたいなのが多い。
思うんだけど、キャラが熟成されてきた現在、メガネっ子キャラって二種類あると思う。
メガネをつけることでネガティブにキャラ演出されているキャラの事である。
一昔前の「メガネを外すとかわいい」「メガネつけてると地味、メガネを外すと明るい」みたいなやつ。
彼女らにとってメガネとは「枷」である。メガネがあることで自分は地味でガリ勉でコミュ障でダメな人間だと思ってしまう。
なので、彼女らが「変身」をした時、メガネ(枷)は外れ、本来の明るさを取り戻すことができる。
こういうネガティブメガネに対して「メガネ外すの嫌う奴」がいるのは何ら不思議ではない。なぜなら彼らはメガネをつけている彼女が好きなので、「メガネを外すことが正解とされた変身」は彼らの好みの全否定である。
逆にポジティブメガネとはメガネをつけることにネガティブな要因を付与されていないキャラである。
根本的にネガティブメガネと違うのはキャラの魅力を引き出すためにメガネをつけられているというキャラデザイン者による意味付けである。
なのでメガネを外すことは一つのシチュエーションであるが、メガネを外すことを登場人物から褒められる事(伝えられる事)はまずない。
しかし、このキャラがメガネを外すことを嫌う人がよくわからない。
例えばだが、普段からボーイッシュなファッションを好むキャラが好きな人は多いが、そういったキャラが女の子らしいファッションをした時は基本的にオタクは喜ぶ。ポニーテールやツインテールのような髪型が特徴のキャラが、なにかのシチュエーションで髪の毛をおろしたことを喜んだり、普段ロングヘアーのお姉さんキャラが髪の毛を上げてうなじが見えるようになるのを喜ぶオタクは多いように思える。
例えば前髪で目元まで隠れているキャラが最終的にバンバン目を出して、前髪隠れは「枷」のような扱いをされたらどのオタクだって自分の好みを枷扱いされたのだから怒るのはご尤もである。
しかし、「ポジティブ○○」の場合はそうではない。なぜならキャラがその後も○○を愛用するからだ。ファッションとして。
ポジティブツインテールのキャラが髪の毛をおろしても翌日はツインテールに戻っているからこそツインテール好きはツインテールを下ろすことに安心でき、ポジティブツインテールキャラの別の一面を見れることを喜ぶのである。まぁ、ツインテールがネガティブに使われる場面は少ないが。
なのにメガネっ子好きはポジティブメガネがメガネを外す行為をかなり咎めるのが異様に思える。
なにを彼らをそこまでさせるのだろうか。個人的にメガネはネガティブ要素として使われてきたので、「メガネを外すこと=悪」という定形反応が根付いてしまったのが原因では無いかと思う。
そうめんが売れなくなっています。厳密に言うと美味しい『手延べ』そうめんが売れずに、リーズナブルな『機械麺』や流水そうめんが売れています。手延べそうめんが売れないと手延べそうめん職人の後継が何年後にはいなくなるのが現実です。少しの値段の違いで大きな味の違いがわかります。
https://twitter.com/somenjiro/status/1000957706868473856?s=19
このツイートを見て思ったが、少しの値段の違いと言うが値段は2、3倍違う。
業務スーパーのプライベートブランドなど真の底辺そうめんとは6倍ほど違う。
流水麺は茹でた後の重さで考えると手延と比べても安くはないが、暑い中で熱湯でグラグラ湯がく手間が省ける。
手延そうめんの危機は、時間と手間と金をかけても美味しいものが食べたいと思う余裕を国民から奪った結果だ。
そうめんは夏の昼ごはん需要が大きいだろうから働くお母さんが増え夏休みの昼に家でそうめんと言う家が減ったのもあるだろう。
外食産業にまだ根付いてないそうめんで切り込むなど対策も取れず、買ってくれないと滅びると訴えるだけでは、手延そうめんは滅びるだろう。
そして国も経営者も奪おうとばかり動いている。