生産性がない云々は論外としても、最近のLGBTに関する議論は性急ではないだろうか。
もちろん、当の本人にしたら、もっと早くということなのかもしれないが、世間一般的にはここ数年で話題に上ってきた用語だ。
個人的な感覚として、人は概して知らないモノ、理解できないモノに対して批判や拒否感という反応を示すことが多い。
LGBTを人権と言っていいのかまだわからないが、新たな人権になるのなら、他の人権とのぶつかり合いが起きて憲法論的には公共の福祉による調整が必要となる。
つまり、抽象的に言うと、既存の人権にとってLGBTは新たな制約となる。
こうした中、社会は、LGBTと呼ばれる人の存在を認識し、学び、理解しようとしているのではないかと思う。これには時間がかかる。
一方で、理解しようとしながらも理解できない故に反発している人をLGBTに対する理解がないと社会的に袋叩きにしたり、法による罰則でがんじがらめにすれば
LGBTは社会は急速に浸透するだろうが、強制への反発は人の心にLGBTに対する差別を根付かせる。
LGBTに対する理解を時間をかけて浸透させる方法か罰則による強制か、日本社会はどちらを望むのだろう。
6年前くらいにLGBTの研修を会社で受けた。LGBTだった優秀な人材が辞めたことが背景にあるらしい。
参加者から「なぜLGBTだけが特別?」という質問が出た。講師の人が「LGBTは産まれながらのものだから」と強く言っていたのを思い出す。
そうかあ? 反発なんてネット上の一部の人間からしか見かけないけど。 リアルだと正直どうでもいいと思ってそうな人が多い。 だって別に自分の利害に直接は影響しないもの。 立民党...