はてなキーワード: 日本の政治とは
長年忘れてた、と言うか記憶から消していたのだが、このコロナ禍の間に思い出したことがあった。
二十年近く前、私と当時の妻は共働きで、子供を保育園に入れなくてはならなかった。それで希望の園を選んで、抽選に申し込んだが、見事に落ちた。
二十年近く前だから、「日本死ね」が話題になるよりずっと前の話だ。保育園の抽選が厳しいというのは噂には聞いていたが、実際落ちてみると、非常に困った。第二希望の園では仕事に定時に行けるかわからないし、第三希望となると定時出社は距離的にほぼ無理だ。今みたいに「イクメン」なんて言葉もない頃で、少なくとも私の勤務先は、保育園に行くからシフト勤務、など許してもらえる会社ではなかった。
困った挙句、妻が知人にその悩みを相談したところ、何処そこの誰それさんに連絡してみて、と言われ、藁をも掴む思いだったので言われた通りにした。したところあっさりと、第二希望が通った。
助かった、と思った。が同時に、なんとも釈然としない気持ちになった。だってそうだろう。そんなことで決まってしまっては、抽選など、なんの公平性もない。
後日、その議員さんに、手紙を書いたのか菓子折りでも持って行ったか忘れたが、とにかくそれきり、そのことは忘れた。何処の党の人だったかも、聞いたかどうかすら記憶がない。
何故、この話を今思い出したのかというと、日本の政治家のやっていることは詰まるところ、こういった御用聞きというか人たらしというか、そういうことなのだと、この二年間のニュースを見続けて嫌というほど思い知らされたからだ。安倍にしても菅にしても、他の多くの政治家にしても、皆が皆、我々が想像するような悪人ではないのかも知れない。ただ近しい人によくしてあげる、ただそれだけを何の魂胆もなくやってきて、その積み重ねで今があるのではないかと。これは与党も野党も同じなのだが、強いて言えば政権を取れる人というのはチヤホヤされるのが人一倍好きな人で、その分周りに親分肌を利かせるのではないだろうか。
そして、偉くなればなるほど、金目当てでイカサマな取り巻き連中も増えるだろうし、全力で証拠隠滅に走る部下もまた、いるのだろう。
決して日本だけの話ではないだろう。とはいえ、日本人は良くも悪くも、純真過ぎるのだと思う。「美しい国」なんて言葉であったり、党首討論でオリンピックの思い出話を始めたり、我々からしたら何故それが受け入れられると思ったのか理解に苦しむ失言であったりというのは、まさにそういうことなのだろう。
ただそろそろ、そういうことは本当にやめにして頂かないと、この国は滅んでしまう。この二年間に報道されただけでも、一体どれだけの金が訳の分からぬ処へ流れたか。もういい加減、限度を超えてしまっている。近しい人だけ見ている人は、それに永遠に気付かない。
思い返せば自分も、それでその議員に感謝して応援するような人間でなくて良かったと思う。その分、生きづらい人生を送っている気もするが。
近しい人を助けることで、全体が上手く回った時代というのもあったのだと思う。がしかし、とうの昔に、そしてこの二年間で尚のこと、時代は変わってしまったのだ。
もしも「シェークスピア、バイロン、シェリー、ブレイク、コールリッジ、ワーズワース、テニスンの詩なんか学校教育で教えるのは無意味」とか言う英国人がいたとして、それを見たら、英国人じゃない自分でも「うわ……」と感じるだろう。上の例でピンとこない人は、ホメロスなり、ダンテなり、ゲーテなり何なり、適当な人名に入れ替えて下さい。
実際は、欧米の政府首脳や政治家は、演説で聖書の一節、ギリシャ/ローマの古典、有名な詩人の詩から引用することが珍しく無い。そういう場面を見ていると「風雪に耐えて残った古典」の価値を見抜ける/理解できるような頭の持ち主でなければ、国家百年の計と云う長期的なプランを建てる重職を任せられないと云うコンセンサスが、政治家や有権者の間に有るように見える。
また、古典は宗教その他の思想的バックボーンを反映しているものなので、良かれ悪しかれ国民性を反映している。政(まつりごと)をするには民の心を理解して掴まねばならない。したがって、為政者は和漢の古典を読み、よく人の心を学ぶべしと云う旨を、江戸の学者は説いていた。昔の中国でも、知識人は同じ旨を説いていたと思う。それらは理想論に過ぎなかったのかもしれないけれど、理想を失くしたら人間は御仕舞だと私は思う。
自民党の政治家もそうだし野党の政治家もそうだけど、日本の政治家は古典を引用した演説をしない(できない)。それを見ると、この人たちは、行き当たりばったりで長期的に物事を見る能力に欠けている、その場凌ぎ思考の人間ばかりなんだなと私は思う。五十年〜百年経ったら、後は野となれ山となれと云う考え方の持ち主なのだろう。
虚偽答弁をする政治家に対して、対立政治家が「いつはりの無き世なりせば如何ばかり人の言の葉嬉しからまし」とか知的で洒落た皮肉を言えたら、グッとくると思う。しかし、現実の日本の政治家は、バラエティ番組的な物言いをする人間ばかりである。
古典に関する教養は、即物的な意味で役立つ訳ではないのは確かである。けれども、頭の中身や心が貧しい人間か否かを見抜くためのバロメーターにはなり得ると思う。心が貧しい人間が政治家をすると、人間に対して酷薄な政治をすると思う。例えば、麻生太郎の言動を見ると、そう思わないだろうか?まあ、野党の政治家も五十歩百歩なのだけれども。
少なくとも、口先だけは愛国心を説くくせに日本の古典に対する教養を持たないような政治家を、私は信用できない。そして、それを国民が見抜ける状態でいるためには、やはり古典に対する教育は必要なのだと私は思う。
政府 4日にも台湾にアストラゼネカのワクチン提供する方針 | 新型コロナ ワクチン(日本国内) | NHKニュース
hamamuratakuo
血栓で死亡するアストラゼネカを本格的に使うと日本国民から反発を食らう→不要品の処分としてアストラゼネカを台湾に押し付け(台湾にも感謝されて一石二鳥)?/1989年6月4日→天安門事件 https://w.wiki/3NRx 鄧小平の犯罪
いいことをしているように見えて、アストラゼネカなので、台湾人に大量に血栓を発生させろという中国共産党のご意向に沿ったものです。
<独自>台湾にワクチン124万回分提供 4日到着、震災支援の「返礼」 - 産経ニュース
kyo_ju
hamamuratakuo
血栓で死亡するアストラゼネカを本格的に使うと日本国民から反発を食らう→不要品の処分としてアストラゼネカを台湾に押し付け(台湾にも感謝されて一石二鳥)?/1989年6月4日→天安門事件 https://w.wiki/3NRx 鄧小平の犯罪
台湾にワクチン届く 蔡英文総統「民主主義にいっそうの自信」 | 新型コロナ ワクチン(世界) | NHKニュース
grdgs
それを送った自民政府と支持者は反民主主義が大好きですけどね。自民党・支持者と中共はそっくり / って書くと「我らが国の批判許さぬ」という反民主主義・反自由主義を体現・補強する者がワラワラ出てくるんだよな
quick_past
そりゃ外交上も国内の有権者の顔色的にも、そう言わざるを得ないでしょ。被災地にゴミ切れ送りつけるようなもんじゃないの。これ。
hamamuratakuo
血栓で死亡するアストラゼネカを本格的に使うと日本国民から反発を食らう→不要品の処分としてアストラゼネカを台湾に押し付け(台湾にも感謝されて一石二鳥)?/1989年6月4日→天安門事件 https://w.wiki/3NRx 鄧小平の犯罪
unkounkounodouble
ブクマ見てウヨっぽい言動してる奴って愛国心より単に自民支持してるだけってのがよく分かる反応。もし野生の自民支持者なら本当に可哀想な人生送っているのだと思う。
kasapen
ゴミだからアストラゼネカをやるんでしょ?本当に大切な人にプレゼントしようと思ったら、良いものを渡そうと考える。自国で使わない物を渡す以上、不用品を渡したと考えるのは間違ってるとは思わない。
台湾 ワクチンに感謝のメッセージ 高層ビルの壁面に | 新型コロナウイルス | NHKニュース
Hayano
台湾はあんなにスゴイ方をIT大臣にできる国。日本のIT大臣は単なるクソジジイ。この差を知った時にもう台湾には抜かれると感じたよ。
shinji
hamamuratakuo
台湾人は本省人と外省人で構成=親日と反日が混在。中共は台湾支配で青幇マフィア https://w.wiki/3S5C を民進党に注入→蔡英文が党員の不祥事で謝罪。経産省はTSMCへ日本人の血税を投資=日本人を懐柔する親日演出→成功?
Shinwiki
いっそ占領してくれ
pbp2
治安良い、飯美味い、アニメ最高、思いやりある奴多い、パスポート信用度世界一
たったこれだけの国
日本の政治家もたったこれだけのものしか用意出来ない無能ばっかり集まってる
こんな国に未来あるの?
お前ら早く脱出したら
日本の政治家200人あげるからオードリー・タン1人くれ、というブコメを見た、目の付け所はいいがもう一つ発想の転換をしてみよう
ならば発想を転換して国民の交換ならどうだろう
オードリー・タンを生み、彼女にリーダーシップを握らせたのは台湾の国民性によるものだ、つまり成果物の交換ではなく土壌を交換するべきだ
国民を交換すれば俺達はオードリー・タンがトップに居る台湾に行ける(ただし国民性がそのままなら、直ぐにオードリー・タンを引きずり降ろして元の日本に戻るだろう)
その間に台湾人が日本を台湾の様に変化させ、第二のオードリー・タンを生んでくれる
交換すべきは国民なんだよ
これベーシックインカムもそうだけど、突き詰めればなんだかんだでデフレを維持してしまうのも年金受給者にとってはデフレが一番良いからなんだよな。
人口に占める高齢者の割合が増えてシルバーデモクラシーが進むと最早デフレを抜けることは難しくなる。
数も投票率も大きい層がデフレで利益を受けるんだからもう政党以前の問題。
そういう意味では日本の政治は基本的には非常に有権者を意識して行われているわけよ。
年金生活者にとっちゃ現役世代の給料が上がろうが関係ないし、ひたすら物価が安くなればなるほど年金で買えるものが増えて得をするのだから景気が落ち込んでデフレのままでいてくれた方が嬉しいわけ。
人口比が変わらない限り民主主義政治がこれを変えることは出来ないだろうからどこの政党がやろうが一緒だよ。
仕事ってそんなもん
いくら万屋や言うても、日本の政治を良くしてほしいって依頼が来ても応えられへんやろ
ワテは「お前がしゃっきりせんかい」って言うてまうけどな
ハッハー
タイトルは大きいものをつけてみたけど。発信能力0、文章力0だけど誰かに見てもらいたくて日記をつけた。日本はオワコン。それはつまらないニュースを見ていたら嫌でもわかる。じゃあどうしたらいいんだって話。youtubeとかでも、解説動画だとか、ひろゆきの切り抜きだとかで日本終わっているとかよく見るんだけど、じゃあどうすんだよって話。少なくとも自分は、バイトやって、勉強やって、人間関係で悩んで、就活で今相当悩んでいる。そこに日本の経済のことを考える余地はない。いや、間接的には、自分のすんでいる国なのだから、恩恵を受けている部分もあれば、消費税また上がったのかよクソがって
感じで、経済のことについて考えることは稀にある。逆に言うとそういう所でしか日本の政治だとか経済とかに関心が向かない。社会人になったら、もう少し日本の政治について考えることはあるのかな。知らんけど。自分の食いぶちを稼ぐだけで精一杯になって、結局は今ほど変わらないのかもしれない。結局、日本の経済だとかオワコンとかを言っている人は、よっぽど暇で裕福な人なのだと思うことにする。忙しい貧乏は、目の前で精一杯なのだから黙って生活をしよう。少なくとも、自分は一生そういう立ち位置なのだと思う。
もういろんなものを丁寧に憎み切ることが大切だと思う。
だからどんどんいろんなものを壊して行けば良いのだと思っています。
特に今はコロナ禍で、政治や世論に対して様々なヘイトが充満しているので、それをどんどん増幅していけば良いと思うのです。
日本はとにかくダメだ、糞だ、死ねば良いという感じで呪詛を撒き散らします。
とてもすっきりします。
もう日本の子育ては地獄でオワコンだ、子どもを育てることほどツライものはない、という呪詛を可能な限り極大化しましょう。
日本で子どもを産むことほど愚かなことはないんだ、という怒りと憎悪を増幅します。
とてもすっきりします。
弱者男性議論だと男が批判され、女ばかりが得をしているような感じがします。
MeTooなんかが出たらとにかく女の責任、女の悪さを徹底的に探してこれを叩きます。
キレイゴトには一切耳を貸さず、女の悪いところ、至らないところ、不誠実なところ、針小棒大に叩き潰します。
とてもすっきりします。
俺自身も、アンチフェミだし、女子教育の抑制が、少子化の改善につながるというのは、
正しいと思う。
どういうことか。
日本は、曲がりなりにも先進国で、70年以上民主政やってる国。
本人たちはそう思ってなくても、国民全体として、倫理観が強まっている。
で、そんな日本で、「少子化を改善するために、女子教育を抑制します!」
それが、多数派になって、与党になって、さらに、法案通せるか?
という考えもある。
だけど、この国は古来独裁制になじまない。
反対勢力から独裁者と言われた歴代最長政権の安倍ですら、病床すら増やせないんだぞ。
俺自身も、アンチフェミだし、女子教育の抑制が、少子化の改善につながるというのは、
正しいと思う。
どういうことか。
日本は、曲がりなりにも先進国で、70年以上民主政やってる国。
本人たちはそう思ってなくても、国民全体として、倫理観が強まっている。
で、そんな日本で、「少子化を改善するために、女子教育を抑制します!」
それが、多数派になって、与党になって、さらに、法案通せるか?
という考えもある。
だけど、この国は古来独裁制になじまない。
反対勢力から独裁者と言われた歴代最長政権の安倍ですら、病床すら増やせないんだぞ。
政治と宗教を混同した法治国家を否定するいくつかの政党、政治家は粛清される。
(少なくともフランスにおいてはカルト団体として認識されている)
も同様に粛清される。
今自民党がやろうとしている改憲は中途半端に日本を中国のようにしようという目論見であるが、
初戦は付け焼き刃であり、中国四千年の歴史ある中央集権、独裁によるスピードには敵わないのである。
スピード「感」というのは、それはやってる感を演出している、というニュアンスを含んでいる。
しかもそれは言葉に留まらず、武力的な挑発、核戦争さえも辞さない覚悟である。
なぜ核戦争も辞さないと断言できるのか、といえばベトナム戦争である。
ベトナム戦争は北側のゲリラ戦法が勝利のカギとなった、というのはウソである。
本当は中国、ソ連が、アメリカが敗北を認め、ベトナムから撤退しなければ、
北アメリカ大陸への核攻撃を辞さない、という姿勢を明確に示したからである。
いわばアメリカは中ソにビビってしまい、戦争を終結させる妥協点を見出そうとしたが、
それさえも迷走してしまい、いわば外交の失敗でアメリカは中国に敗北した。
その間にベトナム現地における戦争の方向性がまったく放置されたため、
いわゆる戦争映画の多くに見られるような混乱した状態が続いたわけである。
アソウイシハラは口が達者なだけだが、
中国、ロシア政府は自国の利益のためなら核戦争に臆することはない。
例えば中国で自転車レンタルサービスが起業されても大失敗してしまい、
廃棄されたレンタル自転車が山になっている写真が日本で笑いものにされるが、
こういった大量生産大量消費のスタイルは高度経済成長時代の日本に見られたものと同様であり、
そもそも中国経済は実質的には国がコントロール経済であって、破綻はありえないのである。
日本ではもう20年近く中国経済は破綻する、不動産市場が崩壊するという論が唱えられてきたが、
一向にその兆しはないように思われる。
例えば洗濯機が1年で故障したとしても、保証期間内にクレームを入れれば新品と交換である。
畳と女房だけでなく、あらゆる製品は修理ではなく交換が基本である。
もしくはそもそも製品自体が安価なのだから買い替えた方がコスパも良いのである。
こういったスタイルはそもそもApple製品なんかでは常識ではないだろうか。
iFixItを挙げるまでもなく、
分解や修理する権利というものを破壊するというイノベーションをAppleは発明した。
私はかなり昔、Intel iMacを使用していたが、修理しようと分解してみれば、
中には大量の両面テープが使われており、ネジやはめ込みを使うべき箇所でさえ接着剤を厭わない。
こういったAppleのようなナウでイマいヤングにバカウケの設計スタイルは中国では当たり前である。
分解、修理できない洗濯機だろうが、安価であれば買い換えればいいのである。
そして、大量に廃棄された製品は廃棄処理場で、
貧困層や少数民族、黒人が有毒物質まみれで分解してくれるのである。
これにより都市鉱脈とも表現される金などは再利用されるのである。
そもそもエコというのはコストがかかるものであり、それは奴隷によってしか実現できないのである。
誰かがババを引かなければ実現できないのが世の常である。
ただ、AVのストーリーが警察の不正を暴くとか、国の政治に批判的な内容を含んでるとか、そういうのはアウト。
ところで、自民党も政治批判をネットに書いたら削除する権限を欲しているんだけど、
これって中国政府とまったく同じだよね。
自民党を応援する人は、もっと強力な中国政府を応援するべきだよね。
親学とか、お父さんお母さんを大切にしよう、みたいな教育は賞賛さえされるよ!
天皇はアウトだけど。
平等だね。
中国にはシリコンバレーが失った一攫千金の夢がまだあるんだよね。
そして、思い付きから高品質のプロトタイプ、投資家からの資金獲得、
書くのが面倒なので色々あって、量産、出荷までの過程がすべて一つの都市に集約されてる。
こんな技術者、製造業にとって夢のようなディズニーランドは世界のどこにもない。
なんか書くのが面倒になってきたぞ!
貧困層を犠牲にしてでも、少数民族を犠牲にしてでもロケットを飛ばすぞ!
フォン・ブラウンやロックスミスが大好きなら中国政府を支持するよね。
ぼくは少なくとも科学技術を最重要視する姿勢は中国を支持する。
自民党の政治家や党員でさえ疑似科学にどっぷりハマってる人が多い昨今だからね。
なんか核の疲れてきた。
この後に中国政府を指示しない方がいい10の理由を書くというネタだったはずなのだけど、
なんか最近疲れやすいし、ほんとに自分も遂にコロナに感染したのかもしれない。
コロナ太りしすぎたし、歯槽膿漏の出血は酷いし、身体中に蕁麻疹ができることがあったり、
皮膚症状もコロナではあるらしいし、しもやけに似た症状とか全部血管に関する異常なんだよね。
失職したのでお金が尽きたら役所に行くなどして無償でフードを提供してもらえると助かるのだけど、
まあ、日本は福祉があるようでなかったりする国だから仕方がないよね。
障害者の雇用とか待遇とか、酷いからもうイヤになってたところではある。
最長6年以内に台湾やフィリピンと中国が戦争するというのがアメリカ側の主張だし、
自分もそんな感じで見積もっていたので、意見が合致して寧ろちょっと自分で戸惑っていたのだけど、
まあ、俺より遥かに頭が良くて高給なアメリカ人でも、俺と同じぐらいの時間感覚だったんだ、
と思ったりもして、昨今の日本の政治のアホさ加減にウンザリしてたので、
コロナで早死には上等な気もするんだよな。
死ねば社会的責任とか長男長女の責任とか、この国の抑圧的な価値観からも解放されるわけで、
それはそれで願ったり叶ったりなんだよな。
https://news.yahoo.co.jp/articles/7ec1d495b848a971128aff7c5fc0dedf1a2c92ee
共同通信社は30日、憲法記念日の5月3日を前に憲法に関する郵送方式の世論調査結果をまとめた。新型コロナウイルスなどの感染症や大規模災害に対応するため、緊急事態条項を新設する憲法改正が「必要だ」とした人が57%、「必要ない」は42%だった。内閣権限強化や私権制限が想定される緊急事態条項新設を容認する声が反対意見を上回った。長引くコロナ禍が影響したとみられる。
改憲なくとも法を生かせば緊急時に行政権限をフル活用できるはず、と思ってきたが、過去の公害の教訓を思い起こしてみると立法・行政の不作為が目立つ。
憲法の制約で権限がないのではなく、あっても使わないのが問題だった。そこにメスを入れるには、行政立法を指導する上位の規律が必要で、「今まさに緊急時だシフトチェンジしろ」
と行政や立法に促す仕組みが必要なのでは。それはひょっとすると憲法の役割なのかもしれない。
という趣旨。
+++++++
「内閣権限強化」、これは橋本行革の結果、小泉政権が内閣官房の強化の恩恵を受け、その後、安倍がめちゃくちゃにした経緯から
公害立法の歴史を振り返っても、現行の規制権限は決して弱くはない。立法の余地もある。
実際60年代から70年代にかけて、深刻化した公害に山ほど立法を制定、70年はとりわけ公害国会などと呼ばれた時代もあった。
そうやって公害を克服しようとしてきた歴史の教訓をみても、現在の感染症コントロールの問題が、憲法改正でしか解決しえないとは思えない。
だから、問題はできることをしない、立法不作為・行政権限の不行使のほうで、それを改憲論議にすり替えるのはおかしい、という意見も納得できる。
しかし。
改憲の世論が盛り上がるのは、だからこそ逆に、一理あるのかもしれない、とも思う。
もちろん、行政・立法の性善説に立てば。。という留保はつくが。
というのも、水俣病を例にとって、公害の被害を振り返ってみると。
なぜ今日に至るまで長年、放置されてきたか。長年の放置もさることながら、振り返ると、初期の対応のまずさが際立つ。
漁業法による禁止措置と漁民への補償、食品安全法による有機水銀に汚染された可能性のある魚類の販売禁止、
すべて見送られた。つまりすでに対応可能な法的ツールがあったにも関わらず、被害が拡大した。
こうした行政権限の不行使が最終的に裁判で争われ、最終的に結審したのは2004年。
国は高度経済成長をとめたくないがゆえに、規制権限を行使しなかった、というのが結論。
1970年代、公害の社会問題の深刻化を受けて山のように公害立法が制定されたが、それ以前の問題として
そもそも1950年代、すでにある水質二法等で権限行使できただろが、という。
法の不備ではなく、繰り返すが、すでにある法を使いこなせなかった行政の責任が厳しく断罪されたわけだ。
ここから導き出される本当の教訓というのは、規制権限があったにもかかわらず
なぜ初期の対応がこれほどまでに、被害者をないがしろにしたものになったか、という問題。
そこには、何か異常な事態が発生したときに、立ち止まって物事を考え直す、
シフトチェンジの仕組みが欠落していたともいえるのではないか。
かつて辺見庸は、地下鉄サリン事件の際に、丸ノ内線の駅構内で、人々がバタバタと倒れているなか、
通勤している乗客が枕木でもまたぐかのように出口へ向かった光景について
非日常的なことを目の前にしても、脳が適切に処理できず、
惰性で日常の論理で動こうとする「慣性(イナーシャ)」が働いているといったが、
ここ一年を振り返ってみると、そういう政治的な意思決定がかなりよくみられた気がする。
この問題が解決されない限り、改憲による緊急事態条項の検討など、全く意味をなさない。
日本は、意思決定の仕方、会議の仕方を根本から見直したほうがいい。
いや、だけど一方で、
緊急事態条項のようなシフトチェンジのトリガーがないからこそ、漫然と経済優先で動いてしまうのか?という疑問も頭をもたげる。
どっちなのだろう。
そんなことを思い出したのは、さっき、尾身会長のインタビュー記事を目にしたからだ。
尾身茂氏が語った「マスクを外せる日」「3回目の緊急事態宣言なんて聞く気になれねぇ」への意見 | 文春オンライン
――東京都墨田区や長野県の松本医療圏など、基幹病院と支援に回る地域の病院や医師の連携が回っている地域の取り組みも報じられているが、厚労省は、こうした体制づくりのため各地の医師や民間病院に強い指示が出せないものか。
尾身 医師や病院に対して国が強い指導力を発揮する英国のような仕組みとは違い、日本の厚労省というのは公立や民間などさまざまなステークホルダーの意向を尊重する必要があって、上から目線ではいわない。平時はそれも大切ですが、危機の局面ではどうなのか。この機会に考えてみる必要はあります。
――医療提供体制の拡充やワクチン接種準備で、国民が納得するだけの結果を示せないことに国民は苛立ちを感じている。強権的なイメージが強い菅義偉首相だが、結果を示せない理由は?
尾身 それは政治のことだから、私にはわかりません。ただ、総理大臣は、いろいろなことを今、四方のことを考えなければいけない立場にあるんでしょう。そう思います。
これが明確な意思決定メカニズムとして組み込まれていないことが、水俣病の初期対応の問題ともつながっているように思えた。
それを可能にするのは、規制権限の強化と行使、という既存の立法・行政機構のあり方の、もうひとつ上段の制度として構築する必要があるのかもしれないといえなくもない。
改憲への渇望というのは、案外、そういった視点で考えることも可能ではないかとふと思った。
危機対応専門の省庁を創設する、というのもひとつの方法。非常時のガバナンス体制を整備する。
米国のFEMA(アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁)、CDC(アメリカ疾病予防管理センター)のように。
そうすれば、現在の河野太郎のような感染症の素人が新型コロナウイルスワクチン接種推進担当大臣として奮闘する、といった話もなくなるはず。
彼はおそらく、急に任命されて困っただろうが、実質やれることを模索した結果、
ロジ担当となり下がってしまっているように見受けられる。住民の心配に答えるのは基礎自治体の役割だ。
危機管理のプラットフォームができれば、アメリカのファウチ博士のように、
集団免疫獲得に向けた仮説を立て、何%の接種があればOKで、ワクチンの効果が切れる前の接種完了を逆算してスケジューリングする。
目的とロードマップを国民に示したうえで協力を仰ぐという、専門家による意思決定がベースとなったリーダーシップが重要だ。
ガバナンスの基本は、法、規則基準、科学的な予測を明示した意思決定を行うことだ。
これは世界銀行の借用だが、世銀では途上国の行政改革支援の際に、ガバナンスを以下の4要素で因数分解して
説明責任(財政とリソース)、予測可能性(法的枠組み)、透明性(情報公開)、参加(連携)の4つ。
テーマ出しした瞬間、近年の日本がどの分野でもガタガタになっていることがわかる。
いずれにしても、緊急時のガバナンスの訓練を積んでゆくことが大切で、こうした組織を立ち上げることには意義があるだろう。
現在の菅政権は、こうしたガバナナンスの観点から落第点であり、
首相が何を考えているかわからず、結局、リーダーの一挙手一投足に注目が集まる意思決定となっている。
急に決心して、緊急事態宣言を発出したりやめたりする。このように国民から予測可能性を奪うやり方は国民から自由を奪うのも同然だ。
国民からすれば、知らず知らずに国のリーダーシップに注視せざるを得なくなり、いつの間にかリーダーシップの問題に錯覚してしまうが
本当は危機管理はリーダーシップの欠如の問題ではなくて、ガバナンスの問題だ。リーダーが誰であれ、ある程度、やるべきこと、基準が決まっていて
どのように対応するかが決まっていること、この予測可能性が確保されることが大切。
国民にとって予測可能でなければ、国民自身が計画を立てられず、急に決断されても、ついていけいけない。
(水木しげるの漫画で、上官が急に玉砕を決心したので部下の大半が付いていけず、結果として敗残兵として生き残った兵士に、すでに全員立派に玉砕したことになっているのだ、として、ラバウルの本部が改めて玉砕を命じる、という話がある。日本人のリーダーシップを象徴する話だと思う。)
緊急時へのシフトというのは、なにかしらリーダーとして発動するトリガーが必要なのではないか。
そこに非常時へのシフトチェンジが記載されることにも意義があるのかもしれない、という考えに傾いてゆく、そういう世論の動きもわかる。
もちろん、そんな非常時に平和ボケして判断の鈍いおっさんが首相だったらなんの意味もなさないが、誰かがシフトチェンジを発動しなければならない、
それが立法や危機管理のプラットフォームづくりだけでうまく機能しないのであれば、ある意味、大統領的な権限を期待する傾向が出てくるのは自然なことのように思う。大統領の権限というと、合衆国建国当時まで振り返ると、当時の議論のなかで、リーダーの聡明さ(アリストクラシー)というのは、欠かせない条件だったように思う。
日本の政治社会にそんなことを期待できるのか、と考え始めた瞬間、改憲には激しく首を横に振らざるを得ないのだが。
そんなことをインタビューの印象として持った。