はてなキーワード: 広報とは
いっつもそれだけど、それやって何の意味があるの?
それ言ってるあなた自身がイライラしたり興奮したりスカッとしたり出来るだけでしょ?
小さい子供が物に当たり散らして余計怒ったりエキサイトしたりすっきりしたりしてるのと何も変わらない。
「我が社の売り上げが上がらないのは消費者が馬鹿だからです!」と憎憎しげに吐き捨てるだけのビジネスパーソンは
馬鹿みたいなこと言ってないで商品開発やマーケティングや広報をしてくださいよ、となる。
「俺達がモテないのは昨今の女の心が腐ってるからだ!」って憎憎しげに吐き捨てるだけの男が居たら
もうモテるモテない通り越して近くに居るのがちょっと怖いよね。
共通点として、
負けや失敗の理由を自分や自分のチーム以外に求めて見下して終わりにする人達というのは
成長しないし、誰かを理解することがないし、理解もされない。
政治の話が大好きなわりに、
他人の考え方や行動には興味も理解も示さず、
政治をいったいなんだと思ってるのか。
人を理解したくないし、人に理解されるような工夫も出来ないし、
こういう子供っぽい人というのは
野党側でいてくれればまだいいけれど
せめてまだ
そういう方向の苦情を言うならいいんだけども
いっつもそれだけど、それやって何の意味があるの?
それ言ってるあなた自身がイライラしたり興奮したりスカッとしたり出来るだけでしょ?
小さい子供が物に当たり散らして余計怒ったりエキサイトしたりすっきりしたりしてるのと何も変わらない。
「我が社の売り上げが上がらないのは消費者が馬鹿だからです!」と憎憎しげに吐き捨てるだけのビジネスパーソンは
馬鹿みたいなこと言ってないで商品開発やマーケティングや広報をしてくださいよ、となる。
「俺達がモテないのは昨今の女の心が腐ってるからだ!」って憎憎しげに吐き捨てるだけの男が居たら
もうモテるモテない通り越して近くに居るのがちょっと怖いよね。
共通点として、
負けや失敗の理由を自分や自分のチーム以外に求めて見下して終わりにする人達というのは
成長しないし、誰かを理解することがないし、理解もされない。
政治の話が大好きなわりに、
他人の考え方や行動には興味も理解も示さず、
政治をいったいなんだと思ってるのか。
人を理解したくないし、人に理解されるような工夫も出来ないし、
こういう子供っぽい人というのは
野党側でいてくれればまだいいけれど
せめてまだ
そういう方向の苦情を言うならいいんだけども
ツイートのまとめ
・6月14日の日経38面「不妊知識を広報する自治体が半分以下」「高齢不妊知識啓発自治体は5%」「厚労省が実態を問題視」と言う記事に、激しく違和感。
厚労省は「自治体の腰が重い」と嘆く前に、なぜ自ら広報しない?
・三鷹市が作成する不妊啓発パンフレットと、春日井市が作成するパンフレットと、都城市が作成するパンフレットで、記載内容に差なんてほとんどない。
差が付くのは、相談窓口の電話番号程度。全国1000以上の自治体が、わざわざ担当者を別に置いて啓発パンフ別に作るのはエネルギーの無駄
・自分は「不妊啓発パンフレット作成費用が勿体ないから合理化、コストカットしろ」と言いたいのではない。
「全国に不妊啓発担当者が自治体に1000人散らばっているなら、彼らを厚労省に集結させて
啓発プロジェクトチーム立ち上げた方が、遥かに啓発効果高い」と言いたい
・例えば街作りの分野の広報活動、防災分野の広報活動を自治体に権限委譲するのは理にかなってる。
青森の豪雪地帯と沖縄の台風常襲地帯で、防災啓発が同じ訳がない。しかし公衆保健や医学の啓発に、大して地域差がある筈がない
・強いて言えば、晩婚化が進行した都市部と、そうでない地方部とでは、不妊啓発パンフの内容は違ってもいい。
だがそれでも2~3パターンの違いを用意すれば充分。同じ社会環境な三鷹市も武蔵野市も調布市も狛江市も、別々に啓発パンフ作成するのはコスパ悪い
・もっと言えば、「地方で出来ることは地方で」という「高尚な理念」を掲げた地方分権一括法自体が、ネット時代には「時代遅れ」なんじゃないか?
ネット時代は「地方で出来ることも、中央で一括処理した方が、効率いい」
・地方のローカル地上波テレビ局も地方新聞も、軒並み衰退している。行政だけが、この流れに抗して、地域発信を続けることは難しい
岡田斗司夫、ホリエモンの二人で、クラウドファンディングとクラウド的集合知によってアニメを作ろうという”みんなのアニメ”。
現状のままだと、かなり不安。
創作者と投資者のモチベーションを支えるものがあまりにも少ない。
・参加者はお金を出さなければならない(自分が関われないかもしれないのに、お金を出さないといけない)
・テーマが、自分と同等の金しか出さない岡田と堀江によって決められている(不平等である)
・オネアミス2(前日譚)にするらしいので、オネアミスを踏まえた設定にしなければいけない(自由度がない。設定に制約がかかる)
・作画クオリティがわからない(低質な作画なら、自分のアイデアを出したくない)
・ターゲットがわからない(全体としてのターゲットを決めてくれないと、エログロバイオレンスやテーマが決められない。あとでダメと言われたくない)
・他人が決めたアイデアに沿って絵を描かなければならない(職業監督のコンテ描きみたいなことして楽しい? すごいものになる?)
・岡田がまとめる(現代的なニーズに応えるキャラクターや話が作れるだろうか? オネアミスの続編となると、もはや岡田の作品では?)
・発言権が少ないと予想される(声優やスタッフのキャスティングはホリエと岡田が決めるだろう)
・製作期間、拘束期間、およびその間の生活費は?(今の自分の人生を捨てなければいけなくなる可能性がある)
・YouTubeで公開 (何人見るかもわからない、ひょっとしたら100人かもしれない)
・何に投資するのかわからない(良いアニメに投資するというなら、プロのアニメに投資するだろう)
・成功が期待できるわけではないものに金を出したくない(良いと思ったものに金を出したいし、どうせなら成功してほしい)
・投資の額に応じた見返りが提供されない(1万出しても10万出しても同じなら1万出すだろう)
・失敗した際の責任の所在が明らかではない(クラウド的ゆえに、責任も分散される。つまり信頼が分散する)
・責任こそ取らないが岡田が仕切るので、岡田に投資しなければならない(岡田に思い入れのある人は多くないだろう)
・予定資金(5億)が現実的ではない(1人1万なら、5万人が投資しなければいけない。10万なら5000人。それでも厳しい)
・5億集まらなかったらどうするかが明らかではない(低予算でもやるのか、やらないのか)
・5億の使途が不明(素人からスタッフを集めるのに、5億も必要なのか。使途は?)
・YouTubeで公開 (興味を持ったネット民しか見ない、100再生かもしれない、そんなアニメに投資したい?)
・どうやって広報するの? (Youtubeで公開するにしても、宣伝しないと見てもらえない。その予算と方法は?)
・製作期間は? (いつ出来上がるかわからないなら投資したくない)
・オネアミスの続編とか興味ないし、庵野も山賀も関わらないんでしょ
・品質は?
・オーディションで決まる声優。芸能人でもプロでもない素人が主演してもなあ
・戸松遥ちゃんが出ない可能性高い
・誰が脚本書くの? つまんない人が書いたらだいなしでは?
80年代体制が未だ続いているんだなぁと思う。
これからは
社長 > VP > マネージャーリーダー > 法務とか・広報とか
CEO > VP > デブリーダー > プログラマーとかデザイナーとか
という時代なんだろうなぁと
1チームに マネージャーリーダーと デブリーダーが一人づつ。二人で1チーム。 部とか課とかが不必要で、仕事毎(プロジェクトごと)に人がアサインされる人事システム
マネージャーリーダーはいわゆる文系職の法務とか広報とかを知り尽くしていることが必要で、法務知識とかが毎回社内で勉強する人。ブラックと呼ばれたらこの人の責任。
デブリーダーはプログラムやデザインを知り尽くしている人。デスマーチ化したり、開発に失敗したらこの人の責任。
どちらも、スキル重視。 決裁権はマネージャーリーダーとデブリーダーが49%ずつ持っていてVPが2%。過半数で決済。
つまり事実上は二人のサインで、与えられた予算内で決済が取れてハンコマーチが不要になる。
係長・課長がプログラムのことを知るのは難しいし、逆に係長・課長が法務知識を知らないことも有る。このへんは明確に分けて行かないとダメだと思う。
コンテンツの広報や売上において声優の技量よりも著名さやニュース性のほうが有効だってプロデューサーが判断したということじゃないのか、ユーザーはそう言うものだって見られてるよねって話だ。つまり「味よりメイドの方が価値があるからコックのうではいらない」と判断されたんだ。
あれは声優がバカにされてんじゃなくてユーザーがバカにされてるんだよ。
そこがずれてると話の先も着地も無くなる感じ。
例えばの話、どっかにメイドカレー屋があるとする。可愛いメイドさんが可愛いカレーを提供してくれる。カレーはレトルト。ご飯はサトウのごはん。
で、このメイドカレー屋が常に通常のカレー専門店よりも人気があり、利益率も高いとすれば、その時コックの技術ってなんなの? って話だ。この話になった時点でインド帰りのコックだとか20種類のスパイスだとか8時間にコンだ本格的なルーだとか全部吹っ飛んでる。「メイドカレー屋が常に通常のカレー専門店よりも人気がある」ならば、それらはメイド以下の価値しかないし、店の自己満足にすぎないんだ。
もちろん実際には、メイドカレー屋が常にインドカレー屋よりも人気があるとは限らないし、住み分けも起きる。
でもちょっとニュース性のある著名なだけの声優ド素人に声優を依頼するってのはそういうことだ。
コンテンツの広報や売上において声優の技量よりも著名さやニュース性のほうが有効だってプロデューサーが判断したということじゃないのか、ユーザーはそう言うものだって見られてるよねって話だ。つまり「味よりメイドの方が価値があるからコックのうではいらない」と判断されたんだ。
声優をバカにしたのはホリエモンというよりホリエモンに依頼をしたプロデューサーで、それすらもバカにしたと言うよりは大衆に迎合したに過ぎない。
美はもともとそういう自然な状態をいかにねじ伏せ理想に近づく努力をするかという観点だったんじゃなかろうか
母だけどハンサム!とかさ……主旨からしたら特に不思議ではないと思った
若作りをアンチエイジングとを言い換えるのがウケたなら出産に伴う変化を可愛くないトランスフォームと言い換えるのも同じ文脈じゃないか?
母という社会通念を壊してハンサムやろうず!ってのはそういう暴力的とも言える言い換えも時として必要だろ
もちろん購読層によってどう打ち出すかはあるだろうし、不用意にやらかすのもまずいだろう
単に言葉尻つかまえて批判するならこの前流行った美魔女というキャッチコピーとどう違うの?って思うが……
そりゃ炎上するって
人は見た目で判断される。
それを確信した。
中学生くらいから、自分のことをものすっごいブサイクだと思っていた。
肌は汚いし、目は小さいし、全体がのっぺりして、丸顔で太って見えるし、髪の毛はゴワゴワ。
理由はいろいろある。
実妹が某モデルにそっくりの美人で、ずっと比較されていたこと。
化粧が濃いだけなブスでビッチな同級生に、好きな人を奪われたこと二回。
自分の中ではスキンケアやメイクも努力していたつもりだけど、いいことなんて一つもなかった。
コンプレックスが根強すぎて、ふとした瞬間に、なんで自分はこんなにブスなんだと一晩中泣いていた事もしばしば。
彼氏は事実、私の性格が好きで付き合っていると言ってくれている。
そんな私だけど、無事就活が終わったので、バーテンダーとして働き始めた。
夜の商売ということで化粧を濃くしろと言われた。
つけまつげをしたら、まぁ一応ギャルっぽくはなったけど、当然のっぺりのまま。
化粧カウンターでBAさんに化粧してもらってものっぺりなのだ。
と、上の流れを簡単にアハハハなんて笑いながら話してたら、常連の水商売のお姉さんが、
「いや、●●ちゃんの顔はすごい化ける」
と、真剣な顔で言い出し、その場で手持ちのメイク道具で化粧を始めた。
アイプチをして、今までにない太さでアイラインを引いて、濃い色のアイシャドウを厚めに塗って、眉の形を変えた。
私の顔は、別人の顔になった。
まぁそれでも土台が土台だから、改善って程度だろwwwと思うようにして、調子に乗らないようにしてた。
けど、化粧変えてから、明らかに周りの反応が変わった。
客に口説かれまくる。
一ヶ月程度の間に、五回ナンパされる。
久々に会った友人に、なんか大人っぽい!と絶賛される。
小さい頃から、美人に生まれていたらリア充生活で人生薔薇色なんだろうなーと妄想していた。
うまく化粧をすると、元が童顔で暗い髪色なのも相まって、清楚系美人になった。
リア充も、今までガリ勉扱いでpgrしてたくせに、馴れ馴れしく話しかけてきやがって。
特に男が嫌いになっていく。
なんであいつら体裁とプライドとセックスのことしか考えてないんだ。
顔でもてはやされても、くっだらねぇーとしか思えないしね。
顔で得るものは、益より損のほうが多い。
今まで顔の分、性格と頭と根性を磨いてきたけど、その評価の方が気持ちがいい。
で、信頼感がどんどん増しているのが彼氏だ。
化粧が上手くなってから「可愛くなったね」と言ってくれるけど、今も変わらず、性格が一番好きだと言ってくれている。
人間は、見た目で判断される。
340 名前:ソーゾー君 投稿日: 2013/04/08(月) 18:09:07 ID:c9J098gk
書き込み時間がフリーダム=あからさまな工作員が何を言っても無駄だよ?
実際に「何も発言してないんだが・・」
国を売って未来が有るわけねーだろ?
売るもんなくなったら真っ先に消されるのはお前らだぞ?
歴史を再考したらわかるが売国奴は売り終わったらお役御免で消されて終わるぜ?
立場が解ってない・・愚かな狗だ・・
兎が死んだら兎を追う狗は兎の変わりに煮られて食われるぜ?
銀行家は兎が欲しいだけだ・・お前等は道具た・・何の生産性もない・・
兎が囲いに収まればお前等は必要なくなるよ?元から不要だから・・
「兎を囲い込むまでは道具として使ってくれるよ?」
「兎を囲いに込む事が出来たらお前等は用済みだぞ?」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1357424442/l50
昔、どこかに書いたけど拉致問題を北が認める前に熊本のアーケード街に拉致家族が来ていて運動していた横で
どこぞの慰安婦の人権がどーとかゆー団体が側で大声で運動して声を邪魔してたの通りすがりにみちゃったんだよね
当時はサヨクのコメンテーターがテレビでも幅利かせていた(ネットでもサヨクのデマが幅利かせていた)時代だったから
まだサヨクの言い分信じてて拉致運動に冷たい視線を向けて通り過ぎたんだけど、それから暫くして友達と一緒に海辺で拉致られかけ
車で何とか逃げ切り、サヨクの言う事なんてもう信じないぞと身に沁みた
その後調べてみたら拉致家族や被害者への誹謗中傷とかネットでも凄まじくて 「2ch」「匿名」の誹謗中傷がなんだって?
あれらの行為は棚に上げて正当化して「ヘイトスピーチ」が何だって?同情できない、ちっとも可哀想だとも思えない 自業自得じゃないですか
今の状況
あれ以来、一切サヨク臭のするものは近づけたくないのでサヨク臭いキーワードを振りかざす人達には近づかないように気をつけている
気をつけていても忍び寄ってくるんだよね、某通販に会員登録したら通販がその手のサヨク団体に資金援助してると広報誌で知ってしまって
いやだなあという日記でしたとさ
http://yuma-z.com/blog/2013/05/student_books/ という人のエントリを見て、自分も(学生じゃないけど、)読んで楽しかった本をまとめてみたくなった。
この長い本の紹介を読んで、読んでくれる人や、ほかにおもしろい本を紹介してくれる人が続いてくれたら自分はうれしい。まだ微修正中で、加筆・修正するかもです。
これから紹介する本の順序について、あまり意識していないけれど、なんとなく読んでいる人が多そうな順。下に行くにつれて、読んでいる人が少なくなっていくと(書いている自分は)予測してます。
このエントリで紹介するのは以下の本です。つづきは http://anond.hatelabo.jp/20130530045256 で。
宮部みゆきさんの小説。一人の女性が婚約後にいなくなってしまう。主人公はその女性の捜索を頼まれて、懸命に消息を追う。そして、調べていくうちに、現代資本主義社会の底しれぬ闇が見える――。
とても有名な作品で少し前にテレビドラマにもなったようだ。物語の始まりが冬の寒い時期のせいだろうか、自分は冬の時期に読みたくなる。三日間くらいで読了できるとおもしろさが持続すると思う。
読まれる方は、Wikipediaのあらすじにネタバレの要素があるので注意されたい。Amazonの書評にも、ややバレる要素があるかな。この小説についてはあまり詳細について語ると魅力が半減してしまう気がする。読まれる方はできる限り事前の情報収集を避けて読んでください。
1995年にそれまで350年にわたり証明されなかったフェルマー予想が証明された。そのフェルマー予想をテーマにしたノンフィクション。著者はサイモン・シンさん。翻訳は青木薫さん。
著者のサイモン・シンさんはこの後紹介する「ビッグバン宇宙論」においてもそうだが、説明がとても丁寧だ。わからないことを教えてもらおうとして、わかっている人に聞いたときに下手な比喩でたとえられて、全くわからないという経験をした人は自分以外にも大勢いるだろう。サイモン・シンさんの比喩はわからないという気にならない。なぜなのだろうか。
数学をテーマにした本なので、数学が嫌いな人は手に取ることもないかもしれない。しかし、そういう人もぜひ読んでみてほしい。というのも、この本は数学の「問題そのものを解く」ということが主題ではないから。むしろ数学の問題はどのように生まれるのか、それを解こうとして350年にわたり数学者たちがどのような試行錯誤を続けていったのか、そのもがき苦しんだ歴史の本だからだ。
海外の本はしばしば翻訳調とでもいうべきか、文が堅く読みにくい感じがすることもあるけれど、この本はとても翻訳が丁寧で読みやすい。青木薫さんのすばらしい仕事だ。
自分は単行本(ハードカバー)で読んだ。文庫版だと新しい翻訳者のあとがきなどがついているかもしれない。
ジョージ・オーウェルが書いた小説。ユートピア(物質的・精神的に豊かになる、健康で長生きできるといったような人間の社会が幸せで良い方向に向かう社会)小説の反対、ディストピアを描いた小説。
ここまで暗く描かれるとむしろ読む方の気分は明るくなるような、そんな気にすらさせてくれる小説。ただし、それは読後の感想であって、読んでいる最中は暗いままだけれど。
村上春樹さんの1Q84はもしかしたらこの小説に関連があるのかもしれない。今ググったら、どうやらそうらしい。自分は村上さんの方は読んでいないので何も言えません。(すみません)
この小説が書かれた時期も意味があるし、この小説の中で登場するニュースピークという言語体系の設定は、そもそも言葉とは何なのかを考えるきっかけにもなるだろう。
火車と同じくWikipediaはあまり見ないで読み始めた方がよいだろう。
大崎善生さんの小説。純粋な小説というよりも何割かはノンフィクションかな。
自分は将棋のことは駒の動き方くらいしか知らないのだが、羽生善治さんやほかにも何人かくらいは将棋指し(棋士)の名前を知っている。この棋士の方々は、奨励会という将棋のプロを養成する機関の中で勝ち上がってきた人たちだ。勝ち上がってきた人は晴れて棋士になるわけだが、では、「敗れ去った人たち」はどうしているのだろうか。その人たちをテーマに据えた小説だ。
この小説はけっこうずしりとくる。最初に挙げた宮部みゆきさんの「火車」は小説の範疇ということもあるせいか、なんとなく怖さを感じることはあるが、現実的な切実さ、哀しさまでは感じないかもしれない。この「将棋の子」は、何かを一生懸命やってうまくいかなかった人の哀しさがよくわかるし、そういう体験をしてきた人(あるいは今そういう一生懸命何かに取り組んでいる最中の人)にはこたえるものがある。
ファインマンというアメリカの物理学者の自伝的エッセイ集。著者はリチャード P. ファインマンさん。翻訳は大貫昌子さん。この本もすばらしい翻訳だ。
エッセイ集ということもあって、好きなタイトルから読み始めることができる。エッセイ集なんてつまらんだろう、などと思っている人は読んでみてほしい。物理学者とは思えない言動の数々と、物理学者だからこその言動が少々。そして、その間に驚かされるような洞察が垣間見えるのだ。場合によっては論語みたいな読み方もできるかもしれない。
全般に明るく楽しく描かれているけれど、これは意図的なものだろう。第二次世界大戦のロスアラモス時代には、自分の心にとどめるだけの悲しい出来事も数多くあったのではないか、と自分は想像している。
最後の「カーゴ・カルト・サイエンス」の節はできれば最後に読んでほしい。この節だけは特別だ。物理学がわかれば、もっとファインマンさんのことをよく知ることができるのだろう。それができないのは残念だ。
「プー横丁にたった家」は「くまのプーさん」の続編だ。「くまのプーさん」というと、単なるハチミツが大好きな黄色っぽいクマだと自分は思っていた。そうではなかった。
この本は子供向けの童話だと思われるかもしれないが、読んだことのない大人の方も読んでみてほしい。自分も大人になってから読んだ。著者はA.A. Milne。翻訳は(童話のジャンルでは高名な)石井桃子さん。
プーさんはもともと、著者が自分の息子に聞かせるためのお話だったようだ。こんな話を子供時代に聞かせられたらすごいことだ。
ところどころでプーさんが代弁する著者の考え方は、Amazonのレビューにもかかれているけれど中国の思想家のような、どこか超然としたところがある。このクマがほかの動物たち(と一人の子ども)に向かって話しかける姿が良い。それとプーさんと行動をともにするコブタ(ピグレット)が健気だ。自分は大人になってから読んだせいか、出てくる動物たちの役割に目が向いた。すなわち、物語の筋よりもおのおののキャラクターが人間のどういう面を強調したものなのかを考えてしまいがちだった。子供の頃に読んだならば、もっと無邪気な読み方ができただろうと思う。
サイモン・シン氏の2作目の紹介になる。翻訳も前に紹介した「フェルマーの最終定理」と同じ青木薫さん。(本自体は「フェルマーの最終定理」→「暗号解読」→「代替医療のトリック」(共著)→「ビッグバン宇宙論」、で四冊目だ)
大人になるにつれて、子供の頃に「なぜだろう」「どうしてだろう」と単純に不思議に思えたことへの興味がだんだん薄れていくと思う。すくなくとも自分はそうだった。どうして鳥は飛べるのに人間は飛べないのだろう、なんでお風呂に入ると指がフニャフニュになってしまうのだろう、どうしてテレビは音が聞こえたり絵が見えるのだろう、泥だんごはうまく丸くなってかちかちに固くなることもあるけど、そうでないこともあるのはなぜだろう、カブトムシはかっこいいけど、クモはすこし気味が悪いのはなんでだろう…、などなど。
そういう疑問の中で、人間がずっと追いかけて考えてきた疑問の一つが「この人間が生きている空間はどういうものなのか」だろう。その考え方の歴史をまとめたものがこの本だ。この本をひもとくと、この百年の間に予想もし得ないことが次々に見つかったことがわかる。ビッグバンという言葉はほとんどの人が知っていて、宇宙は一つの点から始まったと言うことは知っているだろう。意外に思えるけれど、今から百年もさかのぼれば、ビッグバンという言葉すらなく、そう考えている人も科学の世界において異端扱いされていた。
宇宙論という非常に大きなテーマを扱っているため、「フェルマーの最終定理」よりも分量があって読むのが大変かもしれない。ただ、自分が読んだ単行本(ハードカバー)には各章にまとめがついていて、おおまかな筋はそこを読めば追えるように配慮されていた(これはうれしい配慮だ。)文庫版のタイトルは「宇宙創成」のようだ。
読み終わったら、ぜひ上巻のカバーと下巻のカバーのそれぞれの色に着目してほしい。
今まで見てきた本を読むとわかるかもしれないが、あまり自分は昔の小説を読むことがなかった。一つには風俗や文化が違いすぎて、いまいちぴんとこないからだろうか。そう思って昔の小説を読むことがほとんど無かったけれど、このモンテクリスト伯はおもしろかった。著者は三銃士でおなじみのアレクサンドル・デュマ。翻訳は竹村猛さん。自分は上に挙げた岩波少年文庫版を読んだ。
復讐劇の代表的な作品だそうだ。「それってネタバレでは?」と思う方もいるかもしれない。そうと知っていてもやっぱり楽しい。引き込まれるようなおもしろさがある。
少し前に「レ・ミゼラブル」が映画になって、そちらの原作も良かった。境遇は何となく似ているのだけれど、「レ・ミゼラブル」が愛の物語なのに対して、モンテ・クリスト伯は純粋に復讐劇だ。その痛快さ。モンテ・クリスト伯の超人的な活躍が楽しい。
自分はまだ一回しか読んでいないせいか、下巻の最後の方のあらすじはうろおぼえになってしまった。もう一度読む楽しみが増えた。今度は岩波文庫版で読もうかな。
森博嗣さんの小説。もともと「まどろみ消去」という短篇集の中に「キシマ先生の静かな生活」という短編があって、それを長編ににしたものだ。
(科学系の)研究者の世界とはどういうものなのかを丹念に追った小説であり、若干の事実が含まれているのかな?と思っている。森博嗣さんは某大学の研究者であった(今では退職されたようだ)人で、その知見がなければ書けない小説だろう。
今Amazonのレビューを見たら、「自分には残酷な小説だった」というレビュー内容もあった。自分は、心情、お察しします、という気持ちだ。ただ、主人公は喜嶋先生と出会えたことは僥倖だったに違いない。この小説の中で登場する喜嶋先生の名言は、本家よりもむしろ心に残る。
北村薫さんが選ぶミステリーを中心とした選集。あるテーマを設定して、そのテーマの中で北村さんが編集者と対談形式でさまざまな物語を紹介していく形式だ。テーマは「リドルストーリー」であったり、「中国の故事」であったり、「賭け事」であったりと様々だ。
編集者との対談は実際の編集者ではなくて、北村さんが頭の中で生み出した架空の「編集者」であるけれど、この対談がとても読んでいて楽しい気持ちにさせてくれる。いろいろな本が紹介されて読みたくなる。そういう罪深い(?)本だ。これを元に幾冊か叢書が組まれた。
その叢書の中で、自分が気に入ったのは「私のノアの箱舟」と「なにもない猫」だ。このシリーズはまだ全部読んでない。だから、気に入ったものは変わるかもしれないし、増えていくだろう。
自分は中国の故事や旧仮名遣いの本は読みづらく感じてしまうので、「真田風雲録」は読めないかもしれないなあ。
海外の人を中心にした伝記シリーズ。主に子供を対象としているためだろうか、シリーズ全体として、文は平易で図や写真を多用している。そう書くとありきたりな伝記に思われるかもしれないが、装丁、ページの中の文と写真の配置の良さが際立つ伝記集だと思う。
全体として、割とマイナーな人も取り上げていたりするし、平和に貢献した人たちを取り上げている点も特徴だろう。気になった人がいたら、その人を読んでみてほしい。
星新一は、多くの人がショートショートと呼ばれる一連の作品群で読んだことのある作家だろう。その人の評伝だ。著者は最相葉月さん。
星新一さんはその作品を読むとところどころに冷徹さが垣間見える。その冷徹さがどこから生まれたのかがわかるだろう。もともと幸せな境遇に生まれ育ったが、途中からどうしようもない災厄に見舞われるからだ。それだけが冷徹さの理由ではないだろう、ほかにもこの本を読めば思い当たる点がいくつかある。それらも書くと紹介としてはやや度が過ぎるのでやめておく。
最後の方で著者は有名な芸能人にもインタビューする機会を得て、実際に星新一さんについて尋ねる。そこも印象に残る。その芸能人はちょうど星新一さんの逆の人生をたどるような状況になっている。
自分はこの評伝を読んで、がぜんショートショートに興味を持つようになった。
SF小説はあまり読んだことがないのだけれど、この小説は良かった。著者はケン・グリムウッドさん。翻訳は杉山高之さん。
SFのよくある設定として、「もし過去に帰ることができるとすれば、その人の人生はどう変化するのだろうか」というものがある。その王道設定を利用して、すばらしい小説になっている。
この小説が書かれた時代は1988年なので、やや風俗や文化の描写が21世紀の現代と比べて現実離れしている点があるけれど、それを差し引いてもすばらしい小説だ。
あまりあらすじをかかない方がよいだろう。http://anond.hatelabo.jp/20130530045256 で紹介する「心地よく秘密めいたところ」と全然違う話なのだけれど、自分には似たものを感じる。
この本は近年読んだ中で最も良かった。
自由への長い道は南アフリカ共和国でアパルトヘイト(人種隔離政策)が撤廃されるまで闘った人々のノンフィクションだ。著者はネルソン・マンデラさん。翻訳は東江一紀さん。
アパルトヘイトという言葉とその意味は何となく知っているけれど、それが具体的にどんなものかを説明できる人は日本の中で多くないのではないかと思う。ネルソン・マンデラさんとその仲間たちは、それをなくそうと政治活動を繰り返す。そしてその度に時の政府の激しい妨害に遭い、その結果そういったグループを作ること自体が違法になり、グループの首謀者たちは収監されてしまう。そこからが圧巻だ。
いかにしてそういう逆境の中で自分の政治信条を保ち続けるか。自分たちの仲間を増やして支持を広げていくか。そして時の権力機構に対して、アパルトヘイトの「非道さ」をアピールし、撤廃にこぎつけるか――。
仲間の反乱分子やスパイへの対処、国際社会へのアピールなど、常人には思いもよらない方法でアパルトヘイト撤廃に向け前進してゆく。ところが、前進したと思ったら後退したりすることが何度も繰り返されるのだ。
この本はネルソン・マンデラさんがアパルトヘイト撤廃後の大統領に選出された直後に出版された本なので、結末に近づくにつれてかなり筆が鈍って、慎重な言い回しが増えていく。現在進行形のことを縷々書くと信用問題になるからだろう。それでもこの本は読んでいて楽しい。
この本を読んだ人は「ネルソン・マンデラ 私自身との対話」もぜひ読んでほしい。自分もまだ途中までしか読んでいないが、より素直なネルソン・マンデラさんの言葉と考え方がわかると思う。(「自由への長い道」についての言及もある。)
ほかにも映画「インビクタス」や、「マンデラとデクラーク」など、映像作品もある。後者の「マンデラとデクラーク」は「自由への長い道」と同じテーマだ。ついでに、youtubeにあった国連の広報映像(日本語訳付き)もリンクしておく。
元増田です。女性手帳に限った話ではないつもりだったのだが、手帳に沿って言えば「ブツを届けるという製造流通コストをかけることほどに馬鹿が多いのか」「馬鹿はそれを読んで選択を変えようと思うのか」が疑問なんだよね。
正しい知識の改めての周知自体は良いことだと思うよ。でもそれやるなら、まずは効くコンテンツを目指してオンラインで作りつつ、潜在顧客である馬鹿の集客がありそうなところにリンクを投下していって効果を測定してコンテンツの改善を図る、ってのが現代のマーケティングの広報としては正常じゃね?
やみくもに早急な全投下するってV字回復を狙うアホ経営者だろ。そう考えると、対策事業自体が本体であって「成果を上げることを目指していない」という増田の見方が納得しやすい。
しかし「速やかに、タスクフォースの議事要旨を作成し、これを公開」が1ヶ月以上経って議事概要が準備中って何なん。 http://www8.cao.go.jp/shoushi/taskforce/
ハイスペックな機械が安価になったから作りやすい? いいミドルウェアがあるから作りやすい? アホか。
結局の所、昔ゲームを自作していた人と同じくらい、あるいはそれ以上のコストをかけないと何もできない。画像、オーディオ、場合によっては3Dのモデルまで、しかも一定以上の品質を持っているものを用意しなければならない。プログラムだけでなく、全方面にわたって自作しろってか?
その上、ちゃんと遊んでもらうにはそれなりに計算された広報が必要である。ただそっとApp StoreだのGoogle Playだのにリリースしただけでは誰の目にも止まらない。宣伝してもらうか、PV稼げる場所を作らないと話にならない。
「ゲーム作りたいなら、もうすでに作ってるよね」って言ってる奴らは、8色ディスプレイ時代の人間か? この時代においてゲームを作ると言うことは、どれだけ守備範囲広くないと完成に辿り着けないか分かってるのか?
ゲームに限った話でもないけどな。高度化、高品質化されたコンテンツを作るのは、全然簡単じゃないんだよ。あるいは素朴なものを作ったところで誰も見向きもしてくれないんだよ。
310 ソーゾー君 [] 2013/04/29(月) 17:02:13 ID:BEIDAP1Y Be:
>(てへぺろ)
↑コイツ50~60代の爺なんだぜ?中島みゆきのファンらしいぜw
モグラのブログ名がそれなのか?
言い回しが爺臭いのは破壊屋時代に把握した。異様に年齢を知られるのを嫌がる。
年齢を知られるのを嫌がるわな・・
労働と言うものをした事が無く裏方の物書きをしていた男の末路だ・・
実社会と接点がないのは言動を見れば良く解る。
書き込み時間がフリーダム=あからさまな工作員が何を言っても無駄だよ?
実際に「何も発言してないんだが・・」
国を売って未来が有るわけねーだろ?
売るもんなくなったら真っ先に消されるのはお前らだぞ?
歴史を再考したらわかるが売国奴は売り終わったらお役御免で消されて終わるぜ?
立場が解ってない・・愚かな狗だ・・
兎が死んだら兎を追う狗は兎の変わりに煮られて食われるぜ?
銀行家は兎が欲しいだけだ・・お前等は道具た・・何の生産性もない・・
兎が囲いに収まればお前等は必要なくなるよ?元から不要だから・・
「兎を囲い込むまでは道具として使ってくれるよ?」
「兎を囲いに込む事が出来たらお前等は用済みだぞ?」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1357424442/l50
TBSの記者が北方領土はどうなったんだーって、プーチンさんに質問したとか言って、
ネット界隈(主に安倍さん支持者?)では、TBS空気嫁的な流れになってて、何だかよく分からないんですね。
いや、ネット界隈では今まで北方領土にしても、竹島にしてもは断固領有権を主張すべきだって言ってるのに。
それに代表質問なんだから、記者間で調整した末の質問だと思うんですがね。
思うんだけど、安倍さんにとってプーチンさんと仲良くするにあたっては、
北方領土は触れられたくないけど、やっぱり避けては通れない話なんだと思いますね。
だって、今まで「領有権は絶対主張!」って言っている安倍さんとは矛盾してるもの。
だから、紙を読んだとか、空気嫁とか、ほれTBSだからと、本質(領有権の主張)から逸れたところで、
今回の話において、何かしら安倍さんの良いようにネット世論を形成したいんじゃないかなあって思ってみたり。
募金を送れなくなったからアンケートを取って、何割かの職員が竹島基金にしてくれと回答したから、募金額の何割かをそちらに回した、とかだったよね。
ふーん。事実はこうだけど↓
「独島を自国領土と捏造した内容をすべての中学校教科書に採択するような
敵対的な態度を見せる日本に義捐金を送る必要などないという意見が多数出てきたため、
3月31日と4月1日の2日間、職員を対象に『日本の地震被害支援募金の使用方法について』の
衿川区長チャ・ソンス氏は4月5日、アンケート結果を尊重して、
はいじゃあ見直して行こうね。
送れなくなったから(ってなんだよ?w)ではなく
「日本なんかに送るな」という声が多数だったのでアンケートを取りました。
何割かじゃなくて過半数以上、70%の職員です。
お前さあ、
とかほざいておいて
自分は全然根拠もなくデタラメ吹きまくってるよなあさっきから。
韓国に有利なデタラメばっか書いて「通らば通れ!」みたいなお前のその姿勢で誰を非難できるの?
まとめサイトと同等かそれ以下じゃんお前って。
今更すぎるが天王寺区のデザイナー無償募集の件で思い出した昔話。
地方公務員だが広報の担当だったことがある。美大を出たわけでもなく広報は全く門外漢であっても、役所なんでそういう部署に回されることがある。
自分がいたのはとある公共施設の管理事務所みたいなところで、そこでイベントとか工事とかあるとポスター出したりチラシ作ったり新聞広告出したり、そんなことをしていた時のこと。
前年度に事業担当課が翌年度の事業の計画を作る→翌年度に必要な予算を要求する→財政担当課と「この経費は削れ」「この事業やる必要ないだろ」とか言われて揉めながら何とか予算を勝ち取る→議会の議決を受けて成立
これでようやく使えるようになるのだが、実際契約する前には予算執行書に「こういうイベントのこんなイメージでポスターを何枚作りたいのでこれだけ予算使わせてください」って具体的な積算やらポスターのイメージなんかを付けた上で決裁を受けないといけない。
この時はポスターを作りたい事業担当だけじゃなく、全然事業と関係ない予算や資金を管理する総務部門の偉い人までの決裁を受けないといけない。
普通は契約方法なんかが適切かどうかとか形式的なことだけを見られるはずなんだが、広報だと何故か口を出してくる人が多くなる。
まだ発注前だから業者に依頼するわけにはいかないので、手持ちの写真や図面をワードに切り張りした簡単なイメージしか作ってないのに「この文字ゴシックじゃなくて明朝にしたらどうだ」「もっとぱっとする写真使ったらどうだ」とガンガン口を出される。「これイメージなんで発注したら業者に依頼しておきます」って言ってもご理解いただけず、あんまり下手なものを作っていくと「こんなものなら作る必要ないんじゃないか」と一番偉い人のところまで来て判子を押してもらえないこともあった。
こっちは素人な上に職場で配備されてるパソコンにはMicrosoft Officeとペイントくらいしかインストールされていない。ソフトは市販のものでも申請して許可がなければインストールできないし、許可が下りるには一月以上かかったりする。フリーソフトはほぼ100%許可が下りない。
発注前だから出入りの業者に頼むわけにはいかない。ごく普通の印刷物だから契約相手を事前に決めることはできないし、そもそもポスター自体が作れなくなればただ働きになる。
なので素人なりに何とかWordを駆使してそれなりに見栄えのするイメージを作って何とか判子をもらい、業者何社かに声をかけて見積もりをもらって、一番安いところと契約を結んでめでたく発注する。
そしてWordで作ったイメージほぼそのままのポスターが印刷されてくる。
仕様にはデザインから版下の作成まで受注者が行うよう謳ってはいるが、そもそも予算的に印刷代分しか認められていない上に金額のみで業者を決める。業者も受注するために単価を下げてくる。単価が低いので広告代理店には敬遠され印刷会社だけが参加してくる。
契約額が低額であれば随意契約といって業者をある程度自由に絞れるけど、少なくとも2者以上の見積もりは取って安い方に決めないといけない。
発注予算は絞るだけ絞られるし、予定価格も印刷物であれば色数と印刷枚数、新聞広告であれば広告枠の料金でだいたい決まる。過大に積むには相応の根拠がいる。
デザインは単価で表すことができない。いくら積むことが適正なのか、客観的な数字はない。
積算できないし、結局金額で決めるならばいくら積んでも意味はない。
そもそもデザインは入札にはそぐわない。
あるデザイン会社(またはデザイナー)が非常にクリエイティブだから広報を任せたい、だからそこと契約する、というものだ。金額ではない。
だが複数から見積もりを取らず1者だけに絞って「この業者と契約する」とするためにはそれなりの「ほかの業者ではダメ」な理由がいる。
例えばある会社だけが生産から販売まで取り扱ってる商品を買うような場合。その会社以外は取り扱っていないのでそこと契約するしかない。理由は明白だ。
だが物を買う場合と比べ、そのデザイン会社と契約する理由は非常に曖昧だ。他の事務所とは、デザイナーと比べてどう違うのか、どうしてそのデザインないといけないのか説明ができない。
よくあるのが、そして納得しやすいのがコンペを開くことだ。年間の広報企画全体をコンペにかけ、最上位の会社に一切お任せする。
だがコンペは金も手間もかかるので年に何回か単発の広告を出しているだけの部署でそんなことはできない。予算もつけてもらえない。
そんなわけで全部署共有の役所専属デザイナーを付けてもらえたらいいのに…ということはずっと思っていたので、天王寺区の専属デザイナー募集というアイデアそのものは非常にいいとは思う。
問題は無償でやるなよということで。金はあるらしいしコンペの一つでもやればよかったじゃないかと思うんだがなあ…。面倒だったのかなムダ金と思ったのか。
http://anond.hatelabo.jp/20130303010801
張本人なんだが、気になるコメント頂いたので。
>okra2
>たしかにまじめな記事ではあるんだけどだからこそ、これが内部の人が書いてたとしたら結構心にひっかかる。
>内部の情報をいかなる理由でさえ非公開に晒す人間が居る会社なのかと。
>okra2
>匿名でも実名でも内部の情報自体は暴露しちゃいけないでしょ。
>外部から推測したり公式に提示された情報で議論するなら増田も使い道はあると思うけど、リークの場にするのはダメだ。
自分は「増田を内部リークツールに」と言い出した張本人であるが、確かに野放図なリークが横行するのもなんなので、
1.「許される内部リーク」
自分の価値判断として「増田投稿が許される内部リーク」と考えるのは「公益性の高い内部リーク」。
具体的には
(例:三菱自のリコール隠し告発、東電下請けの放射能管理ずさんさの告発)
などが該当する。
告発によって、当該企業の信用が失墜することになるが、公益性に鑑み、やむを得ないと考える。
2.「許されざる内部リーク」
自分の価値判断として「増田投稿が許されざる内部リーク」と考えるのは
「公益性が存在せず、かつ当該企業に損害を与える・信用を貶める内部リーク」。
例えば「内部関係者しか知りえない経営戦略の暴露」とか「不必要な個人情報の開示」とか。
野村不動産関係者が「今後5年間、このエリアでマンション供給を予定したい」と戦略を打ち立てたが、
内部関係者が増田に野村不の戦略を暴露投稿するのは、公益性もないし、企業に損害与えるから、×。
あるいは、
「野村不マンションのモデルルームに、男性タレントA氏が、女性連れて現れた」
では、今回のケース、
「パナソニックがエネループブランドから距離を置いたのは、アメリカ中国の独禁法適用を回避するための、
仕方ない事情によるものである」という「中の人」の投稿は、許されるリークなのか?
このケースの場合、「投稿に公益性があるのか?」と言われれば、正直公益性はない。
「違法行為告発の大義」がある訳でもないし、そもそも消費者にとって、独禁法云々は「どうでもいい」からだ。
となると、リークの大義は、見受けられない。
しかし、逆に、この投稿で「パナソニックに損害を与えたか?」「パナソニックの信用が失墜したか?」と言えば、
そういうことはない。
どちらかと言えば、ネット界隈で「エネループブランドを重視しないパナに失望した」「デザインダメ」などの
いわれなき悪評が蔓延していたのを、この投稿で「信用を回復」した格好になっている。
本来であれば、パナソニック広報部なりの人が、顕名で「実はこういう事情で・・・」と投稿できていれば
よかったのかもしれないが、うかつに広報部なり、パナソニックの社員が、顕名で発言することはできない。
下手に発言することは、独禁法の趣旨を否定する、各国公取にケンカ売ることになってしまうからだ。
となると、「増田」というフォーマットを使って、「中の人」が発言して、うまくパナソニックの名誉を回復したのは、
「実に上手いやり方だ」と感心してしまう。
今回のケースは、人によってリーク是非の判断が分かれるところで、
okra2様はリークに否定的なようだが、自分は「企業価値の回復に資する投稿だった」ということで、
この内部リークは「アリ」だと思っているが、いかがだろうか?
デザイナーは「無報酬のデザイナーを募集している」事を批判してるんだよ。
普通こういう事を無報酬でさせるのなら、イベント毎に「無報酬のポスターデザイン」を応募する。
人の拘束があるか無いかってのは非常に大きいんだよ。
そして、区のデザインを統一したいとか、ブランドイメージを作りたいとなった場合は企業だとCIとも言うが、何から何まで刷新しないと行けなくなる。
重複する組織や、広報的に問題にある組織の改編などシステムまで弄る場合もある。
無報酬を良いことに封筒とかFAX用紙とか統一ついでにCIやってよ~とか、終いにはゆるキャラ作れとか言い出しかねん。
そういった懸念を起こしてるのが、「無報酬のデザイナーを募集している」。
つまりは人を無報酬で拘束しようとしているって考え方自体にある訳で。
それに、Adobeのソフト一式、フォントをある程度(モリサワ、FontWorks)揃えるだけで2~30万は飛ぶだろ。
始めからそこらへん揃える事前提な訳で。