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はてなキーワード: 体感とは

2022-07-24

anond:20220723213745

増田みたいな人はネットには本当に少ないんだよなあ

体感5%は合ってる

ネット民ってほぼデスクワーカーかスマホゲーム機をよくいじる人で前に手を出す姿勢が習慣化してる

2022-07-23

物知りで親切なオタク君たちは滅びてしまったのか?

去年買ったテレビがやたらと「ストレージの空き容量がなくなりました。このままでは安定した動作保証できません」みたいなメッセージを出してくるようになった。

まず結論から言うと、どうしようもなかった。

いまインストールされてるアプリは各社との契約事なのか、消すことができない仕様になっている。

USB等に移行させることもできない。

定期配信される機能アップデートは、DLする容量がないのでもうあきらめるしかない。

でもこの情報が案外どこにも記述されていないことに驚いた。

メーカー電子取説には「アンインストールできないアプリがあります」みたいなフワフワした記述がほんの一文あるだけ。

それで頼みの検索サイトでヒットする情報と言えば、メーカー出版社に金積まれて良いこと尽くめしか書いてないレビュアーのクソ駄文だけ。

前はブログサイトなんかで「〇〇の日常日記」系みたいなオタサイトがあって、一購入者体感したトラブルやその対処法を事細かく記してくれてる情報に辿り着いた気がしたんだけど。

インターネットではもう、ディープ情報仕入れることができなくなってしまってる感を感じぜざるを得ない。

2022-07-22

ミックスボイスには体の成熟必要なのではないかという話

20半ばの男性ですが、3か月前ぐらい前に行ったカラオケで今まで全然高い声が出なかったのにいきなり出るようになった。

学生時代はいくら練習しても出なかったのに、社会人になって行った久しぶりのカラオケで高い声が出た。偶然かと思ってそのあとひとりでカラオケ行っても普通に出た。

その経験から、「結局高い声なんて体の成熟問題なんじゃないか」という話をつらつらと書く。過去自分と同じように悩んでいる人に対しての「あまり深刻に考えんでもいいんじゃないかな」という提案でもある。

ミックスボイスとは

調べればいろんな定義が出てくるけど、ここでは「高い声で地声に聞こえる声」とする。

今のJPOPだとどんな男性歌手も使っているんじゃないかな。

半年前まではどんなことしてたのか。

中3ぐらいかミックスボイスという存在は知ってて、暇があったら実家で歌っていた。

高校は3年間合唱軽音みたいな部活動はなく、歌が歌えるのが合唱部だけだったから。

大学軽音バンドボーカル半年くらいやって喉がいかれて、回復後1年くらいボーカルスクール通った。

呼吸法とか喉の筋肉名称や動き、様々な練習方法などの知識はついたが、いかんせんミックスボイスは出なかった。出る気もしないほど。高い音域の声はだいたいなさけない裏声になってしまう。

ここらで感じた「ミックスボイスには才能が必要で、それが自分にはない」という絶望感のおかげでこのあと練習モチベーションは下がっていく。

大学3年から留学就活もろもろで、そもそも歌が練習できず。社会人になったらコロナで歌う機会はゼロになった。

・3か月前、なぜミックスボイスが出たのか。

まん延防止等重点措置が解除されるやいなや、会社を中心に周りでびっくりするほど飲み会が増え、参加することも多くなった。僕以外にも覚えのある人は多いんじゃないだろうか。

会社比較若い人ばかりで行く飲み会があり、3次会でカラオケに行くことになった。

同期の男がメジャーの心絵という曲を入れて、みんなでマイクを回しながら歌っていてた。「なみだー」で高いドとかド♯くらいが出るところがあるのだが、そこで自分に回ってきたときスカーンと高い声が、地声みたいに大きい響きで出た。

いろんなウェブサイトで乗っていた「声が頭の上から抜けていく感覚」とか軽音ときうまい先輩がいっていた「後頭部からひねり出ていく感じ」という感覚体感できた。

周りもおぉーとか言っていたのだけど、自分が一番驚いていた。ただ思い込みや偶然の可能性もあるから、1週間後にヒトカラに行った。

このとき女性ボーカルの歌(主にスキャンダルの曲)ばかり入れた。レコーダーも久々に持って行って録音し、帰って聞いた。

安定して高音が出せていることが確認できた。と同時に「え?なんで3次会のカラオケなんかであこがれ続けたミックスボイスのきっかけつかんでんの?」という疑問とも苛立ちともとれない感想が出てきたのだけど。

・なぜ体の成熟ミックスボイスに必要なんじゃないかと考えているのか。

そのあと、中学友達高校合唱部の男友達カラオケに行く機会があった。ここで皆こぞって(俺と同じように)高音が出るようになっていたってことだけが理由

みんな昔はキーが高くて歌えなかったバックナンバーやらユニゾンやらウーバーやら平気で歌ってるし、サウシードッグとか優里とかの最新の高音曲Adoとかの女性ボーカルの歌も原キーで歌っていた。

同級生が久々のカラオケでみんなミックスボイス出るようになっているなんて偶然あるか?と思ったときに、体の問題なんじゃないかと思った。

中学高校大学ときでさえも、体やその使い方が未成熟なために、高い声は出なかったのではないだろうか。

それ以外に学生時代同級生と、声や音楽に関する共通点は見つからない。

よくスポーツだと筋力やパフォーマンスピークは20代半ばから後半とかいう話もある。学生時代うまい先輩は思い返してみると背も高いし、体が成熟しきっていたんじゃないだろうか。

他には、「しばらく歌声を出さずにいて悪い癖が取れたおかげで、高い声が出た」という可能性もあるが、歌をそこそこ練習していた俺はまだしも、同級生みんなが声の悪い癖が

ついていたとは考えにくい。

ということで、自分なりの結論で、ミックスボイスに不可欠な要素は体の成熟なんじゃないかと思った次第。

最後

ここまでの駄文は正直、どれだけ努力しても結果が出ずに悩んでいた過去自分への慰みである

と同時に、冒頭書いたように自分と同じような苦悩をいただいている人が何かのきっかけで見てくれて、声で悩まずにすめばよいなという思いもある。

歌手を目指すとかそういう気はもう起きないけど、長年の悩み・コンプレックス自分なりの答えが与えられて、それなりに満足しています

2022-07-21

anond:20220721131413

と俺も思ってたんだが

具がぎっしり詰まっているパターンにおいては

シュウマイのほうが食べやすく美味しいことが多い

 

餃子はどうしても皮と具の一体感に欠け大きさも控えめになりやすいので

しろガツンと具を食べたいときシュウマイが選択肢に上がってくる

2022-07-20

ポリンキー増田引退宣言

「おれは増田のみんなを愛してる。ほんとうだ、神様に誓ってもいい。おれは増田を愛してる、おまえたちみんなを!」



まずは『増田のやべーやつ番付』の作成者感謝を述べる。ポリンキー増田番付掲載目標活動していたからだ。2022年7月場所anond:20220720211525】にて、初掲載ながらも小結という高い階級を与えてくれてありがとう目標は達成できたので、ポリンキー増田今日限りをもって引退することを宣言する。

引退するにあたって、ポリンキー増田のこれまでの活動を振り返るとともに『△△△<教えてあげないよ! ジャン♪』の投稿を愚直に繰り返してきた理由を教えてあげよう。

anond:20220114222945

教えてあげないよジャン♪

私が最初に行ったポリンキー増田投稿だ。なんと、原初ポリンキーには『△△△<』が無かったのだ。トラバ元は削除されているので、トラバ元のはてブエントリーを以下に示す。

[B!] 教えてください

私がなぜ「教えてあげないよジャン♪」とトラバしたのかはもう憶えていないが、おそらくは「教えてください」というタイトル記事に対してわざわざトラバをしておきながら何も教えない、というギャグのつもりで書いたのだと思う。「わざわざトラバしておいて教えないの草」、「ポリンキー懐かしくて笑った」などと、読んだ人が感じてくれたらいいなと私は考えたのだろう。

[B! 漫画] 一人称視点の漫画教えて

2回目に行ったポリンキー投稿トラバである。これもタイトルに「教えて」と付いている点では共通だが、トラバした意図最初の物とは大きく異なっていることは記憶している。その意図説明として、回りくどくなるが増田全般に対する私の思いから教えてあげることにする。

私は増田が好きだ。私は増田を愛している。しかしながら、ポリンキー増田増田での質問アンケートを嫌っていると考えている人もいるだろう。その誤解を解くためにも、冒頭にSF小説セリフパロディして増田への愛を語った。

私が増田を好きな理由としては、自由書き込みが多いことにある。名前欄が無くIPアドレスどころかIDの表示すらないことが、便所の落書きと称される5ちゃんねるやバカッターと称されるTwitter以上に自由文章表現を生むのだろう。内部告発じみた怪文書だったりセックスジェンダーに関わる主張だったりは顕著な例だろう。増田が無ければ増田文学と称される名文の数々は投稿されなかったことだろう。

大量のブクマが付くような増田だけでなく、トラバブクマが付かないにもかかわらず強烈なインパクトを残す増田も好きだ。いわゆる「増田のやべーやつ」である。字下げ増田の独特なスペースや改行の混じった怪文書を解読して、その人の精神状況を想像するのが好きだ。パリコレ増田の特徴的な「❌」「⭕」記号を見ると、相変わらずこの人は元気に活動しているなとほほえましい気分になる。

そして、ブクマが全く付かなくても「増田のやべーやつ」でなくても、くだらない質問アンケートを書いたり答えたりするのも好きだ。議論ネットバトルトラバを重ねることも、それを見ることも好きだ。

しかしながら、ブクマカに関しては必ずしもみんな好きだとは言えない。もちろん、面白い増田を発掘してくれるブクマカは好きだ。しかしながら、「三大〇〇、あと一つは?」や「〇〇な漫画orアニメ教えて」のような内容が皆無のアンケートタイトル増田に対して、面白くも無いブコメを書いてスターを送り合って、はてブをくだらない雑談馴れ合いの場にしているブクマカは嫌いだ。

はてブサービス趣旨は、ブックマークを保存・公開することによりネット上で話題になっているWebページ発見を補助することにある。【参考:はてなブックマークって? - はてなブックマーク

かつてははてブ上で互助会ブロガー跋扈していたが、公式サービス趣旨に反していると明言したこと互助会は次第に姿を消していった。互助会がいなくなったことに、多くのはてな利用者賛同したことだろう。私もその一人だ。しかしながら、増田のくだらないアンケートブクマを付けて、エントリーアンケート解答欄にしてスターを送り合うことは互助会とどこが違うのか? 私には互助会行為と同じくはてブサービス趣旨に反していると思っている。

やっと本題に入ることができたが、『一人称視点漫画教えて』の増田を見た時には、トラバが1件も付いていないにもかかわらず既にブコメ欄ではくだらない雑談スターの送り合いが始まっていた。

「お前(ブクマカ)がくだらない増田質問を出しにしてブコメ欄で馴れ合うのは、はてブサービス趣旨に反するぞ。だから教えるな」

ブコメ欄じゃなくて、こっち(増田)に来て好きなだけ教えてろよ。もっとも私は教えてやらないけどな」

このようなことを当時の私は主張したかったのだろう。しかし、そのことをブクマしてブコメ欄に書くのはミイラ取りがミイラになることも同然であるし、トラバで私のお気持ちを長々と書いたとて元増田にとってはただのとばっちりになってしまう。私の複雑な気持ちを端的に表現しながら、道化を演じて角が立たないような文章にしたのが「教えてあげないよ! ジャン!」である

それ以降、アンケート風のタイトル増田を見かけたら「教えてあげないよ! ジャン!」となんとなしにトラバすることを繰り返していた。しかし、そんなことをしても反応はほとんどなかったので、私の思想が伝わったか否かはわからなかった。そもそも元ネタポリンキーということすら通じていないのでは? せめて、元ネタだけでも気づいてほしい。そう思って△△△の記号ポリンキーを示した初めての投稿こちらだ。

anond:20220206220203

△△△<教えてあげないよ! ジャン♪

現在お馴染みとなっているポリンキー増田フォーマットは、この投稿により完成したのだ。当時私が考えたのは、記号付きの定型文で機械的に反応するのは「チョコエッグ🍫🥚」でおなじみのチョコエッグ増田の様だということだ。そして、チョコエッグ増田短期間の活動ながらも番付掲載される勢いがあったのだからチョコエッグ増田2022年3月場所にて初掲載)、同じ様なことをすれば私も番付を狙えるのではないか? と思いついた。はてブアンケート解答欄にしているブクマカを諫めるという目的は、番付掲載される「やべーやつ」を作ることへと変貌するのはあっという間だった。あとは質問アンケートに類する投稿を見つける度に「△△△<教えてあげないよ! ジャン♪」とトラバするのを習慣にするだけだった。ポリンキー増田投稿とは別にはてブアンケート解答欄にしているブクマカを諫める文章公表したい欲もあったが、それはポリンキー増田活動の妨げになる。だから今日この瞬間まで、ポリンキー増田を愚直に継続する理由は何も教えてあげなかったのである

私が『増田のやべーやつ番付』の掲載を目指した理由ついても教えてあげよう。私は500users超の増田を書いてはてブトップページに載ったことがある。自分文章はてブトップページに載ったのは嬉しかった。顔も名前も全く知らない大勢の人たちの反応によって、自分思想が多くの人に影響を与えたことを実感できたので、世界を変革したかのような快楽さえ感じた。トラバブコメが大量についたことはもちろんだが、増田内での雑談でも私の増田話題になったり、便乗した増田が出てきたりもした。さらには、はてなとは全く関係ないネットメディアにも私の増田掲載されたことが私の精神を昂らせた。しかし、そんな盛り上がりはほんの3日間ほどで終わりを迎えた。トラバブコメの反応は3日後にはピタリと止まり増田ブクマカは既に別の話題で盛り上がっていた。三日天下という言葉はその時の私の心情を表現するために作られたのだとさえ感じた。また、その増田年末増田文学に掲載されたが、それによってトラバブクマが増えることは全く無かった。

増田トップレベルブクマ数を稼いだとて、しょせんはこのようなものだ。増田文学などバズった増田投稿した人のほとんども、おそらくは私と同じような気持ちを味わってきたことだろう。それに対して「増田のやべーやつ」は違う。ブクマ全然稼げなくとも、常に増田界隈で話題の中心であり続けているからだ。横綱級のやべーやつでなく番付が低くても、「むきゅーはややー」のゲーム日記や「すいすいすいようび~」の回文増田のような何年も継続している「増田のやべーやつ」は高い知名度を持っている。ブクマされた増田しか増田を見ない人に対してはピンとこないだろうが。

私は増田投稿するだけでなくファーストブクマカとして増田発掘もやっていたので、「増田のやべーやつ」に遭遇するのは日常茶飯事だった。だから、4か月毎にある番付の内容に共感していたし楽しみにもしていた。そして、増田投稿ブクマ数を稼いだりファーストブクマカとしてスターを稼いだりするのに憧れるように、「増田のやべーやつ」として番付掲載されることにも憧れがあった。その気持ちが、ポリンキー増田原動力である

増田のやべーやつ」に掲載されるキャラクター意図的に作っただけで、私がまともであるなどと主張するつもりはない。「狂人の真似とて大路を走らば即ち狂人なり」の言葉をそのまま解釈すれば、やはり私は「増田のやべーやつ」なのだろう。番付掲載されるという目標が無ければポリンキー増田は1か月も続かなかっただろうが、そもそもそんな目標を立てて半年近くも活動継続している時点で私は自身を「やべーやつ」だと解釈している。目標を達成した今となってはポリンキー増田としての活動時間無駄にすぎないので、引退宣言したのだ。

しかし、私が引退してもポリンキー増田は完全には無くならないと思う。体感だが、ここ1か月ほどのポリンキー増田のうちで私が投稿したのは7割ほどである。それは、質問アンケートに類する増田に「△△△<教えてあげないよ! ジャン♪」とトラバしようと思ったが、すでに同じことが書き込まれているというケースがままあることを意味している。しかしながら、自分投稿でないポリンキー増田の正確な数は、検索性が無いのでわからない。「チョコエッグ」・「クンニ」・「パリコレ」などのキーワード検索ができる「増田のやべーやつ」とは違うのだ。番付掲載を狙っている人はキーワード検索意識してキャラクター付けするといいだろう。

最後に、私自身のプロフィールを気にする人に向けたメッセージで締め括ろうと思う。そもそも、なぜポリンキー増田を気にする人が多いのだろうか。ポリンキー増田と同じく特定話題機械的な反応をする増田に「チョコエッグ🍫🥚」・「礼には及ばんでござる」がいるけれども、それらの増田に対してプロフィールを気にする言及ほとんど無いように思う。おそらくだが、人は肯定されることよりも否定されることの方が感情を揺さぶられてしまうのだろう。その結果として、否定意見を言われると「お前はいったい何なんだ?」などと同じく否定意見を言い返してしまって、相手人格などに言及してしまうのだろう。インコオウム「バカ」と言われるも同然なことに、否定する価値は皆無であるにもかかわらずだ。

ポリンキー増田年代を推測した人はおおむね当たっている。ポリンキーテレビCMが放映されていた当時に私は子供だったからだ。しかしながら、職業居住地趣味嗜好などそれ以外のプロファイリングについて的を得ものはなかった。そもそも、「△△△<教えてあげないよ! ジャン♪」という投稿を繰り返しているという事実だけで、一体どう人物像を分析できるのだろうか。具体的な私のプロフィールについて語ったとて何も面白いことはないので、教えてあげるつもりは……教えてあげないよ! ジャン♪

ちなみに、この増田ブコメトラバで何らかの質問や疑問が書かれたとしても、追記して教えてあげるつもりも……教えてあげないよ! ジャン♪

anond:20220720164217

なにか周りがざわついたりしたら「今のはオフサイドだよなぁ!」って叫ぶと球場で一体感を味わえるよ。

2022-07-19

anond:20220719145503

僕は、本業WEBエンジニア副業占い師(正確にはタロットリーダー)という胡散臭さ満載のプロフなんだけど、男性占いが無理率が高いのはめちゃくちゃわかる。体感値だと9割の男性に「占いとか無理」「胡散臭い」と言われる。ただし、以下のように説明すると、じゃあ頭の体操としてやってみよっかなとなる。


自分の中で占いは、誰かに決めてもらうためもの(主導権は他人)ではなくて、自分の行動や思考を定めるためのひらめきの材料集め(主導権は自分)なんだけど、世の中での占いの受け取り方が前者みたい。

みんながみんな自分自分手綱を常に握れるほど強いわけではないし、その弱さを分かっていて利用したり支配する悪い人もたくさんいる。悪いことをした人への罰則必要だし、それがちゃん適用されていってほしい。だって、悪いことはダメなのはもちろんだけど、その界隈の問題ない人たちもまとめて悪く見られるのって、いやだよね。僕も思考停止してうっかり偏見を持ってしまうことがあるから、毎回眼鏡をかけ直すようにしてる。

それで、朝のテレビ占いなんか目の敵にせずに話半分くらいに受け取れないかなぁ。断定したり信じ込ませようとするような「主導権が他人」の表現の激しい占いBPO案件だけど、そんなに表現の激しくない運試しレベルのものそのままでよくないかな。

僕はなんでも規制するより、許し合うような世界のほうが好き。色んな人がいた方が僕はおもしろい。みんなが自分大事もの大事にするために、悪いものは法に基づいてちゃんと罰して(私刑とか悪口はよくない)、そうじゃないもの自分が好きじゃなくても、それを大事にしてる人のためにただ無視をしたいな。

anond:20220719222344

競馬場たまに行くけど女性客も体感で2〜3割ぐらいいる印象。付き添いとかじゃなくて馬券買ってる人。

anond:20220719163442

エロ同人描いてるn=1の体感だけど、陰毛の好みはありなし半々で分かれている感触

描く人自身もどっちがいいのか迷っている人が多いらしく、時々アンケート取ってるのを見かける

で、その結果は大体半々になることが多い

コメント見てても半々くらいでかなり分かれる

なので描く人も半分くらいは陰毛ありが好きで描いてるんじゃないかなと思ってる

追記 若干なし派の方が上回ることが多い気はする でも客層次第で逆転するくらいの差

anond:20220719185034

数字上じゃなくて、体感フィードバックの話よ。

本当の飢餓のぐぉおおってかんじと、ゲームのぐぉおおってかんじが違いすぎるってこと

貧血だった期間がかなり長い

ここ半年くらいで治った

数値上は改善したのがわかるが、体感でもわかる

食事後に起きていられるようになった

以前は会社の昼食後は眠くて眠くて起きていられなかった

胃が消化に使うのに血液が持っていかれてしまい、脳に回らなくなってたんだろう

休日外食した後は、店をふらふら見て回ることな不可能で、ネットカフェ直行してた

起きていられなかった

今は食事後に眠くなることもなく、ほとんど休むことなく動いていられる

当時は食事したら眠くなる・しばらくろくに動けないのが当たり前として生きてたけど

ずいぶんと不自由だったのだなあと今更

コロナ感染日記

感染発覚数日前〜前日

喉の違和感エアコン乾燥普段風邪か、しかしいつもとは少し違う感覚コロナを疑う。

・1日目

怠いなと体温を測ると38度の熱。病院へ行くとやはり陽性反応。

夜になるほど辛くなる。喉の痛み、鼻水、頭痛、38度台の熱の辛さで眠れない。

・2日目

日中は37度台に下がるが、夜になると38度を超える。夜がやはり辛い。

喉の痛み、咳、鼻詰まり、鼻水、頭痛、倦怠感と、風邪の諸症状スターターセット状態。薬無しでインフルエンザよりやや強い病気に耐えてる感じ。日中も起きれず、ずっと横になっていた。あまり解熱剤を飲みたくないタイプなのだが、しんどすぎてカロナールを飲んで寝た。

・3日目

まだ熱は下がらない。午前中に38度を超えている。やはり起きられない。日中はひたすら寝る。

体温にはむらがあるようで、昼過ぎには37度台に落ち着く(それでも37度台)

夜は咳と鼻詰まりがひどい。また38度台になるが、カロナールで寝る。

・4日目

ようやく少し楽になる。日中起き上がって部屋の中でなら動けるようになる。

37度台の微熱、咳、鼻詰まり頭痛、倦怠感と、体感普通の「風邪レベルになる。普通風邪ということはつまり普通しんどい

夜はおまじないカロナールを飲んで寝る。

・5日目

最初に比べるとかなり楽になる。部屋の中で動いたりテレビ見たりする余裕ができる。

しかし、微熱、声ががらがらでダミ声(喋る気力も出ないので気づかなかった)、頭痛、倦怠感の症状がある。

頭痛と倦怠感について、今は在宅ワークだが、それでも仕事を1日やりきれないだろうと思うほどには鈍く頭が重いし怠い。

2022-07-18

スケベな女焙り出す小技教える

頑固な男についての話題になったとき

「イッテツさん思い出しますね」って言ってみろ。

男か、もしくは星一徹しか知らない女は「星一徹しか連想しないから「ちゃぶ台びっくり返しそう」みたいなレスポンスが返ってくる。

スケベな女はAV男優の「一徹」を連想するから「頑固」と紐づけできなくて「え」みたいな困惑や動揺した反応する。(このときに揺さぶるとキモがられるので「巨人の星主人公のお父さん」ってことは間髪入れず教えてあげよう。それが紳士役割だぞ。約束だぞ)

どっちも知らない女は「誰それ?」「誰ですか」「人?」て反応する。

はてな逆張り連中は否定するけど、体感として精度高かった。「一徹くんって頑固なの?」って返してきたレアケースはいたけど、オープンスケベ女だったのであれはノーカン

UNIX 哲学」についていくつか

名著「UNIXという考え方 - UNIX哲学」は本当に名著なのか? 〜 著者のガンカーズは何者なのかとことん調べてみた - Qiita

この記事はよく調べてあるなぁと思う反面,事実関係の間違いも多く当時の空気感など欠けていると思う部分がいくつかある。事実関係に関しては追い切れないので参考文献を挙げるにとどめておくが,空気感のほうはいくつか書いておく。なお当該記事の「当時と今では状況が全然違うんだから安易に『UNIX 哲学』とかいうな」という主旨には大賛成である

参考文献

初期の UNIX歴史について興味がある向きには次の書籍お薦めする。

Peter H. Salus『A Quarter Century of UNIX』(1994, Addison-Wesley Publishing)

和訳の『UNIXの1/4世紀』(Peter H. Salus, QUIPU LLC 訳, 2000, アスキー) は絶版のうえ訳も微妙なので薦めづらいが,原書The Unix Heritage Society (tuhs) で PDF が無償公開されているので,英語が苦にならないのなら読んでみるといい。

また同じく tuhs で無償公開されている Don Libes and Sandy Ressler『Life with UNIX』(1989, Prentice Hall)を読めば80年代終りの UNIX の状況(XENIX についてもしっかり言及されている)や利用者目線での雰囲気もある程度判るだろう。

哲学

記事で一番気になるのが「哲学」という語の捉え方。この言葉の強さに引きずられているように読める。でもこれ,当時は設計基本的な考え方くらいの意味でわりとよく使われていた言葉なんだよね。たとえば米 BYTE 誌のアーカイブを “philosophy” で全文検索するとこんな感じ。

https://archive.org/details/byte-magazine?query=philosophy&sin=TXT&sort=date

ほぼ毎号のように出現していたのが判るだろう。

もっとも猫も杓子も「哲学」を振りかざしていたわけではないし,UNIX開発者たちが「哲学」の語を好んで使っていたのも間違いないように思う。傍証の一つが AT&T定期刊行物『The Bell System Technical Journal』の1978年7, 8月号だ。元記事言及されているマキルロイの Forword の初出がこれで,ネットのアーカイブから PDF が入手できる。

この号は二部構成になっていて第一部が Atlanta Fiber System に関する論文12本(全172ページ),第二部が UNIX に関する(Preface や Foreword を含む)論文22本(全416ページ)となっている。さて前述の PDFOCR されているので “philosophy” で全文検索してみると8箇所見つかる。これが見事に全部 UNIX論文なのだ。もちろん論文性質もページ数も違うからこれだけで確定的なことはいえないが「日常的に使っていたんだろうなぁ」という推測は成り立つだろう。じつはマキルロイ哲学とされている部分は “Style” であり “philosophy” の語は一切使われていないというのもちょっと面白いUNIX開発者たちがなぜ「哲学」という語を好んだか正確なところは判らないが,それまでにない新しい考え方に基づいた OS を開発しているという意識があれば,そういう言葉を選ぶのが自然時代だったことは間違いない。

UNIX認知され拡がっていく過程で「哲学」も知られるようになっていった。自分が好むものの良さを他人にも識ってもらいたい,あわよくば他人もそれを好むようになって欲しいという布教活動は今も昔を変らないわけで「哲学」はその便利なツールとなったわけだ。元記事ではガンカースの著作を「外部の人間が後から打ち立てた哲学」と表現しているが,そんなたいしたものではない。マキルロイ論文に影響を受けた布教のためのああい説教は到るところにあった。たとえば前掲の『Life with UNIX』にもしっかり Philosophy の項がある。また日本最初期の UNIX 解説本のひとつである村井純井上尚司・砂原秀樹『プロフェッショナル UNIX』(1986,アスキー)には冒頭次のような一節がある。

オペレーティングシステムは,コンピュータを使うものにとっての環境形成する基盤であるから,そのうえで生活する者の個性尊重し,より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェアでなければならない。この主張こそが,UNIXオペレーティングシステムとしての個性ではないだろうか。

 

    プロフェッショナル UNIX村井純井上尚司・砂原秀樹,1986,アスキー)p 3.

「より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェア」とはテキストを入出力フォーマットとする単機能コマンド群のことで,これらをパイプでつなげたりシェルスクリプトでまとめたりすることで「そのうえで生活する者の個性尊重し」た「より良い環境へと作り上げて行く」ということだ。こういった説教はありふれたものであった。たんにそれを「哲学」の語を用いて書籍にまとめたのが,たまたまガンカースだったというだけのことである

そしてじつは UNIX場合布教活動とはべつに「哲学」を広めなければならない切実な理由があった。これを説明するのは非常に面倒くさい。当時と今ではあまりにも環境が違うのだが,その違いが判らないと切実さが伝わらないからだ。マア頑張ってみよう。

UNIX の利用環境

UNIXPDP というミニコンピュータミニコン)上に開発された。このミニコンを使うためには専用の部屋に行く必要がある。その部屋は,もちろん場所によって違うわけだが,マアおおよそ学校教室くらいの大きさだ。長机が何列か並んでおり,そのうえにはブラウン管ディスプレイキーボードを備えた機器が等間隔に置かれている。壁際にはプリンタが何台かあるだろう。通っていた学校コンピュータ室などと呼ばれる部屋があったならそれを思い浮かべればだいたい合ってる。ただし置かれている機器コンピュータではなくコンピュータ接続するための端末装置ターミナル)だ。端末装置キーボードで打った文字コンピュータに送られコンピュータが表示した文字がそのディスプレイに表示される。現在 UnixOSCLI を使うときターミナルとか xterm という名のアプリケーションを用いるがこれらは端末装置エミュレータで,もともとは実体のある装置だったわけだ。

さてコンピュータ室にたいていは隣接するかたちでマシンルームなどと呼ばれる六畳くらいの部屋がある。窓ガラスで仕切られたこの部屋には箪笥洗濯機くらいの大きさの装置が何台か置かれている。これがコンピュータ本体だ。もっとコンピュータが何台もあるわけではない。この箪笥CPU でそっちの洗濯機ハードディスク,あの机に置かれているタイプライタ管理コンソールといった具合に何台かある装置全部で一台のコンピュータになる。どこが〝ミニ〟だと突っ込みたくなるかもしれないが「六畳で収まるなんて,なんてミニ!」という時代お話だ。

端末装置それぞれからUSB のご先祖様の)RS-232 という規格のアオダイショウみたいなケーブルが伸び,マシンルームに置かれたターミナルマルチプレクサと呼ばれるスーツケースに台数分のアオダイショウが刺さってコンピュータとの通信を行う。コンピュータと多数の端末装置を含めたこれら全体をサイトと呼び,root 権限を持って管理業務を行う人をシステム管理者あるいはスーパーユーザと呼んだ。

結構上手に説明できたと思うのだが雰囲気は伝わっただろうか。ここで重要なのは一台のコンピュータを数十人が一斉に使っていたという事実だ。洗濯機とかアオダイショウとかは,マアどうでもいい。

自由不安定OS

当時の UNIX評価一言で表すと〝自由不安定OS〟となる。メーカお仕着せではなく自分好みの「より良い環境」を作りあげる自由さらに他のメインフレームミニコンOS に比べると一般ユーザ権限でできることが圧倒的に多かった。そしてその代償が不安定さ。今では考えられないが UNIX のその不安定さゆえにプロOS ではないと考える向きは多かったし「でも UNIX ってすぐ落ちるじゃん」というのは UNIX アンチ定番ディスりだった。UNIX の落とし方,みたいな情報がなんとなく廻ってきたものだ。

こういった雰囲気を鮮やかに伝えてくれるのが,高野豊『root から / へのメッセージ』(1991,アスキー)だ。当時アスキーが発行していた雑誌UNIX MAGAZINE』に連載されていた氏のエッセイ1986年11月から1988年10月掲載分までをまとめた書籍である。著者の高野氏は勤務先の松下電器1980年ごろから UNIX サイトスーパーユーザを務めており,日本では最古参の一人である。この本の中で高野氏は繰返し UNIX自由さと不安定さに言及している。すこし長くなるが,その中の一つを引用しよう。

CPU は,システムにとって重要な共有資源であるが,この CPU実質的に停めてしまうことが UNIXはいとも簡単にできる。たとえば,cc コマンド10個くらい同時に走らせてみたらよい。VAX-11/780 といえども,同時に実行できるコンパイルはせいぜい3つか4つである。それ以上実行することも当然可能ではあるが,他に与える影響が無視できなくなる。つまり,てきめんに viカーソルが動かなくなる。あるいは,すこし大きめなディレクトリ上での ls コマンドの出力が表示されるまでに煙草を1本吸い終えてしまったり,タイムアウトログインが撥ねつけられたりといったバカげた現象が起きだすのである。こういった状態になると,UNIX破壊されたに等しい。真夜中,独りで VAX を占有して使っているのなら何をやろうとかまわない。しかし,20人30人と多数の人間が使っているとき勝手をやられると非常に困るのである当人仕事が遅れるのは自業自得だとしても,そのとばっちりで他のエディタまで止まってしまうと,もはやどの仕事も進行しなくなる。

ディスクについても同様なことがいえる。UNIX では,ファイルシステムを使いはたすまで大きなファイル自由に作ることができる。したがって,自分プロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュアが使うと悲惨なことになる。ディスクを使いはたすと,コンソールタイプライターにエラーメッセージが出力されるが,夜中にそれが発生して,コンソールタイプライターが一晩中エラーメッセージを打ち続け,朝マシンルームに行ってみると紙を一箱打ち尽くしてしまい,ピーピーと悲しげな声を上げて人を呼んでいた光景を私は何度も見てきた。こうなると,それをしでかした本人のプロセスは当然のこととしても,同じディスクで走っている他のプロセスも先に進めなくなってしまう。すこしでも負荷を夜間にまわそうとする善意は逆転してしまい,わずかでも仕事を先に進めようとする意図完璧に打ち砕かれてしまうのである

 

    root から / へのメッセージ高野豊,1991,アスキー)pp16-17.

そして,こうした不安定さが「哲学」を必要としたのだ。自分が利用しているサイトに「cc コマンド10個くらい同時に走らせ」たり「自分プロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュア」がいるとその累は自分にも及んでしまう。だからサイト利用者全員に UNIX設計基本的な考え方を理解してもらうことが,自分のために必要だった。UNIX伝道がより苛烈だった理由ひとつがここにあるのだ。

ミニコン UNIX終焉

ミニコン上で誕生した UNIX は 4.3BSD(1986)で最高潮を迎える。注意したいのはミニコン時代UNIX は Research UNIXCSRG BSD みたいな区別をせずにまとめて UNIX として扱われていたことだ。実際『プロフェッショナル UNIX』も『root から〜』も UNIX記述されてはいるが実際には BSD を扱っている。べつに当時の人が無知だったわけではない。なにしろ BSD を利用するためにはまず AT&T から UNIXライセンスを購入し,そのうえでカリフォルニア大学バークレー校(UCB)から BSD を入手しなければならなかったからその関係は当然広く知られていた。ベル研発明された UNIX を外部の人たちも含めみんなで改良し,それら全体が UNIX であるという考え方が自然だっただけである。『Life with UNIX』のような英語の文献によく登場する “Berkeley UNIX” という言い回しが当時の気分をよく表している。UNIX vs BSD みたいな捉え方は法廷闘争を経た90年代以降の感覚だ。

もっともそういう70年代風味の牧歌的風景ミニコン世界限定の話であった。BSDのものミニコンのものしかなかったが,そのコードを受け継いだ BSDUnixAT&T推し進める System V などがワークステーション市場舞台80年代中盤から激しく覇権を争うようになる。いわゆる Unix 戦争で,PCUnix であるマイクロソフトXENIX も当然参戦した。ミニコン世界牧歌的だったのは,ぶっちゃけていえば先のない技術だったからだ。ただ Unix 戦争あくまでも標準という聖杯を争う戦いであり,AT&TBSDUnixSun Microsystems が共同で System V Release 4.0 (SVR4) を作りあげたように後の法廷闘争とは趣が違う。

こうしたミニコン UNIX からワークステーション Unix への転変は Unixのもの文化にも変化をもたらした。まず激しい競争Unix の高機能化を加速した。商品として判りやす惹句が「あれもできます,これもできますなのは誰もが知っている。もちろん安定性を増すために quota のような利用者自由制限する機能も含まれていた。またワークステーション Unix現在UnixOS と同様同時に一人が使うものであり前述の布教必要性は大幅に減じた。達人たちのみの楽園から万人に開かれた道具に変ったのだ。こういった変化を体感したければ『root から〜』と水越賢治『スーパーユーザの日々』(1993,オーム社)を読み比べてみるといい。『スーパーユーザの日々』はワークステーション Unixシステム管理入門書だ。この本ではたんに知識を羅列するかわりに架空ソフトウェアハウス(開発会社)を舞台新卒社員が先輩社員からシステム管理を学ぶという体裁をとっており,そのおかげで架空の話とはいえ90年代前半の雰囲気が堪能できる。出版年でいえば『root から〜』と二年しか違わない『スーパーユーザの日々』の落差は “dog year” と称された当時の激烈な変化まで体感できるだろう。

UNIX 哲学背骨

当時はよくいわれたのに今やほとんど聞かれなくなったものがある。マキルロイ論文結論部分に書かれたそれは,1973年出版されたイギリス経済学者エルンストシューマッハー著作題名で,中学生英語力があれば十分に理解できる平明な一文だ。

Small is beautiful.

マキルロイは『人月神話』を引いて一定留保をつけてはいものの,これが UNIX 哲学背骨であることに違いはない。機能をありったけ詰め込もうとして失敗した “kitchen-in-a-sink” な MULTI•csアンチテーゼである UNI•x にとって,これ以上のスローガンがあるだろうか?

ひるがえって現在UnixOS をみれば,ブクブクと肥え太ったシステムコール,全容を俯瞰するだけでも一苦労するライブラリインターフェイス,一生使うことのないオプションスイッチまみれのコマンド群。UNIX仮想敵とした OSのものだ。そのことについてとくになにも思わない。ハードウェアは長足の進歩を遂げ,コンピュータの応用範囲は途方もなく拡がった。UNIX が変らなければたんに打ち棄てられ,歴史書を飾る一項目になっただけだ。ただ現在UNIX 哲学」を語るならそうした背景は理解していなければならないし,どれだけ繊細な注意を払ったところで〝つまみ食い〟になってしまうことは自覚すべきだ。

2022-07-17

anond:20220717081908

合ってるかどうかは知らんけど俺は府に落ちた

2ch祭りみたいに一体感を感じたいだけなんだよね

安倍首相を陥れようという勢力に激しい怒りを覚える

阿部さんの死には晋三が止まる程の悲しみが全身を襲った。100単位MAP輸血をしても、この悲しみは癒やされない。

これでもう二度とにっぽんをとりもろすことはできなくなってしまった・・・

そもそもの発端が逆恨みなのである一方的思い込みなのである統一教会という、時の政権である自民党に加え、国家公安委員会警察からも正当に認められた立派な宗教の内部のちょっとしたゴタゴタで、こんな立派な首相を失うことの損失は計り知れない(測れない)。保有するだけで幸せになれる壺を破格の値段で販売してくださり、先祖が犯した罪を浄化してくれる、本邦において絶大な勢力を誇る素晴らしい宗教に対する誤った思い込みが今回の喜悲劇を生んだとすると、マスゴミネット右翼ネット左翼に対する強力な言論統制もやむを得ないとしか言いようがない。合同結婚式を始めとした、現代日本家族のあり方を真摯に考え、個の幸せよりも全体の幸せを重視する比類のない宗教であるのに・・・。7割の収入源が本邦である、まさに日本代表する大宗教なのであるのだ。

阿倍野区さんを銃撃した犯人はまさにサタンである民主主義への朝鮮である最愛の夫を失い、長男が不治の病に侵された弱い女性エバ)が、救いを差し伸べ人生を良い方向に導く宗教に助けを求め、有り余る金を献金たからといって、逆恨みしてはならない。就職氷河期の中で、自殺未遂までしながら実の兄を救おうとしたなどというエピソードは見せかけの優しさである。こういったお涙頂戴のお話に我々理知的日本人は洗脳されてはならないのである

インターネッツで湧き上がるABCさんへの追悼と自民党ネットサポーターズクラブによる協力な援護には心から涙を流した。日本は無くしてはいけないなにかをなくしてしまったのだろう・・・精神科医片田珠美先生が「苦しい幼少期、少年時代を過ごした人は自分には責任のない事で酷い目にあったと受け止めやすい。それは歪んだ特権意識と言わざるを得ない」とおっしゃっていた。この歪んだ特権意識というのが誰のことを指すのか不明であるが、何という正鵠を射るご指摘であろうか。先生はまた、「普通の人には許されないことでも自分にだけは許されると考えるようになる」とおっしゃっている。これは今回の事件被疑者である人物を指していると考えられるのであるが、知能の低い私には一瞬被害者のことを指しているのではと思われてしまった。が、なんという洞察力なのであろうか。

森元首相葬儀は数十年ぶりに国葬として行われるという。この岸田検討使の決定に意義を唱えるものは、恥を知れ!よくもそんなことを。すなわち、この日は国民の祝日になるということだ。私は日程が分かり次第、速やかにゴルフクラブの予約をしようと考えている。

この文は鮮明である天皇陛下土下座すべきである。私にはなんの政治的意図もない。ただの私怨であるのだ。ただ、今回のアベイルさんの横死というかつてない喜劇のなかで、唯一良かったことは、日本人の統一が進んだことなのかもしれない。阿邊さんの死を乗り越え、国民全体が同じ方向を向いている空気を確実に感じている。すごい一体感を感じる。今までにない何か熱い一体感を。

さよなら阿◯元首相。ウラジミールプーチン)と天国で同じ未来を夢見て、二人の力で駆けて、駆けて、駆け抜けてください。

2022-07-16

地方年収700万くらいあるけど結局彼女できないし結婚無理ゲーだし辛いまま

体感的に多分1000万くらいあってもあん世界は変わんないんだろうなぁって

俺の場合年収300万以下だった期間も結構長くて転職頑張って収入上げたけど

そもそも金かかる趣味とか特にない友達恋人もいない独身男の出費なんて手取り15万のときも35万のときもそんな変わらんわ

年収10億とかあって愛人マンション贈れるとかそんな世界になれば流石に変わるかもしれんけど、

この程度の収入だったらまだまだ淘汰圧の方が全然辛いわ

2022-07-15

anond:20220715091918

あるよ!

自治体警察議員に送ったことある

体感だけど自治体警察メールでも効果あった。(内容にもよると思う、信号機が見にくいとかその程度の内容だったので)

ある問題に対して立場表明してない議員手紙送ったら立場表明して法制化に力入れてくれるようになった。

自民党なんかはネットで反対だ!と声上げても「手紙FAXがないから大したことはない」と普通に言ってるしモノが届くというのは大事なのかもしれないって思う。

2022-07-14

anond:20220713230950

獲得よりもむしろ拒絶や挫折体験することで世間一般との隔絶感を深める目的がある、そうやって教団内の結束と一体感を高めるのだ

らしいよ

anond:20220714125148

運送業界は人手不足なのでいつでも歓迎します。

3Kと言われる仕事だけど正社員という経歴を作ることもできるので職歴ロンダリングに利用しても良いと思う。

ポイントとしては宅配業務ではなく、食料品雑貨等をスーパーに卸す系の配送業務を選ぶこと

個別エンドユーザーからクレーム来ることがない(客先からはあり得るけど)

免許取得支援で1年〜数年働けばただで免許取らせてくれるとこもある

ただ反社に近いとこや長時間労働が横行してるとこも多い(だから嫌がられるし辞める人も多い)

口コミ確認するのと面接営業所内の清掃が行き届いているかとか確認すると良いと思う。

体感事務員いて清掃がそこそこちゃんとしてたらマシなことが多い。

昔あちこちコンビニ店員をやってた時代体感キチガイランキング

ジジイ>>オバサン>オッサン>>>>>若者(男女)>ばあさん

って感じだったなあ

 

ジジイ断トツでヤバくて、オッサンの方がオバサンより高圧的でムカつく奴は多いんだけど、

バサンの方が「一介の店員にそんなこと申されましても」的な「実現不可能要求」をしてくる比率が高かったので、オバサンの方がキチガイ度は上かな、ムカつきランキングならオッサンの方が上

ばあさんは攻撃的なキチガイあんまりいないけど半分ボケてて話し相手するのが面倒な人がちらほら

2022-07-13

anond:20220713185337

なるほど宗教ですね

anond:20220713152601

人生100年あっても70歳辺りから如実に体にガタが来るので、そこから先はおまけみたいなもん。体感時間も年を取るほどぐんぐん加速する。であれば30代はもう折り返し地点と言って過言でない。

若返り薬とか老化防止薬とか普及したらまた話は変わってくるだろうけど。

anond:20220713013518

体感はそうでもデータには出てるわけだし

こっちの周りは断念した人かなりおるわ

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