はてなキーワード: ラストとは
カマイタチの漫画しかり、サトリくんの漫画しかり、そういうのって変だよなと思って滑稽に描いてる人だよね
話題のアンチマンもキモい人がキモいことしただけで、聖人になり、キモくなった原因の母をも呼び戻すという、中身は変わらないのに世が変質する不条理が漫画としてのカタルシスじゃん
それをキモいおじさんの擁護の漫画のように語られるの作者が見たら、まじで世の中ってキモいなと思って引いてると思うんだよな
主人公だけが中身も世間体もキモい一貫したキャラで、世間のみんなが裏表ある一貫してないキャラな訳よ
そらがラストで世間が反転して主人公が聖人と誤解されるの、最大の世の中批判じゃん
これ作者から世間への踏み絵の漫画であり、試されてると思うんだよね
論争になんかしたらダメで、キモっ!って一笑にふして終わらせるものとして描かれてると思うんだよな
それがここまでなってんの、まじで世の中こわいし、作者の狙い通りになってる感じがするわ
https://comic-action.com/episode/4856001361287348513
■何もしないことの正義
https://note.com/japotify/n/n3c5fce254553
興味深く読ませていただいたが、私の解釈を書いておこうと思う
特に最後の部分については解釈が大きく異なっているので、みんなの意見も聞きたいところだ。
何も悪い行動を起こしていない。
‐ぶつかってスマホを叩き割る
→その割ったスマホとの対話(ネットでのレスバトル)が妄想として始まる
十分なほどの制裁を受けたが、結果的に女性の乗客を守ったので、最後に救いのフェーズがやってくる
→無意識下で恨み続けていた母を許す
→それに伴い呪縛(自分を今まで苦しめてきた、そして人生をどん底に叩き起こしたミソジニー思考)からの解放
→よかった、よかった、による涙、だけどこの体、どーすんねん、、、
・名作〜〜〜〜良すぎる
〜純愛を添えて〜
校長の業、格が違う
・障害者手帳で観るジョーカーは面白いかァ!と同じ見心地のタイプの映画かと思ったらちょっと違った
それぞれ好き
・アスペ先生の細かなアスペ仕草や彼女の適当な「自分らしく生きればいいじゃん!」アドバイスをやったらアカンとこでやらかしお母さんの神経を逆撫でするシーン、ヴァ〜!!ってなって
「小学生男子」というよりは柔らかい印象を持たせる、しかしわざとらしくない服装チョイスが絶妙すぎる
・「しょうもない…一部の人しか得られない幸せなんて幸せなんて言わない 皆が得られる幸せを幸せっていう」的なセリフ、楽器吹くのと相まって良すぎる
・最近の学校もののテーマゆうたら発達障害かLGBTやろ!思ったら欲張りセットだった 先生が発達障害枠は予想してませんでした 先生はいい先生
・「あれ?予告とちょっと話が違う?」(嵐の日に子供達がいなくなる〜(クラス全員がいなくなると思ってた)とか「先生は豚の脳入ってるんかって言っきたんだ」〜とか無かった?)と思いながらみてた
・子供達が互いのシビアな家庭環境にフランクに言及するの、互いが互いの立場だから言える関係〜
・お母さんは悪気はないんや…
・お母さん、学校に凸しすぎて凸描写を進めるごとに移動描写短縮されてくの草(最初の2,3回位は駐車描写とか校舎移動する描写あるけど最後はしょっぱなから部屋にいる)
・是枝監督作品で安藤サクラがクリーニング店勤務て「おっ万引き家族」ってなった
・森に打ち捨てられた廃バスの中で飾り付けたり遊んだりしてまとまりきれていない自己の内側を見つめ直す、っていうの、ちょっとスイス・アーミー・マン思い出した
・ロン毛女子雑巾のシーン、少し前のBL漫画に出てくるカプの片方をけしかけてハッパかけてくれるタイプの女キャラじゃん というかBL漫画みてなかった?気のせい?
・転生ものは苦手なのでラストは「だよね!」ってなった 己を生きろ…!
・当たり前すぎるが音楽、神
・ 亡エンドマ?
ラストの母親の登場は確かにどちらとも読めるように作ってると思う
介護士や田山さんへのレイプは、最中に目覚ましやチャイムが鳴って目覚めるっていう些かベタなくらいの演出で「これは夢ですよ〜」ってなってる
それに対してぶつかりおじさん行為は、作中で
1度目:ベンチに座ってターゲットを決める→尾行する→ぶつかる
3度目:ベンチに座ってターゲットを決める→尾行する→途中で田山さんを見かけて尾行→不倫の目撃
って流れになってて、レイプ描写みたいな「夢ですよ〜」の記号が一切ない
てか、仮に主人公のぶつかりおじさん行為が妄想なら、その流れで判明する田山さんたちの不倫も妄想じゃなきゃおかしいんじゃないの?
最後にレスバ、これは確かに壊れたスマホと話してる描写ではあるけど、単に文字を打ち込んでる描写だと漫画的に苦しいからなのでは
レスバも妄想だとすれば、あの会話を主人公は一人でやってることになるけど
その割には時々言い返せなくなってるし
何よりジャスティスブレード古参ガチ勢にニワカ扱いされた会話の説明がつかない
主人公に、特撮ヒーローの全シリーズを追いかけて傾向を把握する、なんて余裕やオタク的執念があるような描写はない(部屋に趣味らしいものは一切ない)
(だからこそあれは物悲しい。
全シリーズ追いかけられる余裕を持ったガチ勢との情報量の差で、
子供の頃のかすかな憧憬までないものとされ 「なんにも知らないくせにアンフェミしたいあまりケチつけてきた」とレッテルを貼られてしまう悲しみ。
上記の通り、ラスト以外はどこまでが現実でどこからが妄想かは作中で普通にわかるように描写されてると思うんだが、
ラストの一点だけをとりあげて
「主人公は鬱屈を抱えながらも何も悪いことはしていなかった」まで飛躍する感想がやたらに多い
これは偏見だが
ぶつかり加害や無様なレスバに共感する〜って言っちゃうとかっこ悪いから
主人公をやたらに「耐える男」として美化しているんじゃないか??
と見える
なんかTwitterでいいとこの化粧品もらって使ったら良すぎた!みたいな話がバズってるけど(コスデコ?)
自分は仕事的に高級化粧メーカーの基礎化粧品の新作サンプルが常にもらえるので毎日富豪みたいな使い方でいい化粧品使ってる。メーカーもさまざま。
シャネル、ディオール、アルビオン、コスデコetc…そこらへんの美容液、化粧品、乳液は新作出たら1〜2週間分は使える。
(高級有名品でまわってこないのはsk2、シスレー、ドゥラメールくらいかな?)
美肌でいたいのでめちゃくちゃ使うんだけどほとんどの品で、いいな!効果あるな!ってなったことない。むしろこれ買ってたらガッカリだなって思うことばっかり。
美容液はどこかしらの新作もらって使ってるけど、化粧水乳液は面倒なので貰えるのに自分で1000円以下ドラストのオールインワン買っちゃってる。なんなら高級なやつよりそれの方が自分には合ってる。
ほんと人によるとおもうから期待しすぎず、なるべくサンプル貰って試して欲しい。費用対効果あるかは個人差が激しいとおもう。
自分が感動したのはアユーラの美容液とサボンのフェイススクラブだけ。それだけは次の日目に見える効果がでた。
でもスクラブとかは今流行りの擦らない美容に反してるし、次の日が良いだけで長期的にみるとどうなのかわからんしおススメしていいのかはわからん。
[B! ブレードランナー] 『ブレードランナー』デッカードは人間か、レプリカントか ─ ハリソン・フォードが新証言「私はずっと知っていた」 | THE RIVER
ブレードランナーとかインセプションとか映画に限らないんだけど
「さあどちらでしょう?答えは皆さんで考えてください」みたいなのが嫌い
作者は必ず答えを持って作ってるでしょ
だからラストまで時間をかけて観客を引っ張って来たはずなのに、
それを信じてこっちもついて行ったのに最後の最後で答えを明かさないってそんなのナシじゃない?
裏切りじゃない?
見た人がああだこうだ議論してるのを神目線で「あ〜答えはちがうんだけどな〜?(ニヤニヤ」とかやってるの?
あ、それとも作品内でヒントを描いてるつもりなのに観客がその結論に辿り着けてないとか?
それならそれで失敗だよね
伝わってないんだから
とにかく答えはわかりませ〜〜〜んってジェットコースターで終点に行かずに空中に放り出されたような気分になるんだよ
リアル人生はそんなものだけど創作は用意されたアトラクションでしょ?
ほんと無責任すぎる
原作は積み状態、アニメ1話で「お?」と思ったものの2話以降は「うーん?」だったけど7話ラスト見て原作を崩すことにした。本筋に絡みそうにないキャラが突然覚醒するみたいなの大好き。
とはいえ一気に読むと楽しみを無くしそうだし…でちょびちょび読んでたものの、やっぱりアニメの続きが気になって昨日から真面目に読み進めていったら止まらずに最新話まで追いついてしまった。111話以降を無料公開してるジャンプラはよく商売を分かってる。
確かに面白いのだけど「うおおおおお!!先が気になるうううう!!!!」みたいな熱いやつじゃないのだよな。
キャラクタの心境変化に物凄く振り回されて平衡感覚を失ったような気分。
救いなんて絶対無さそうな展開しか無いのに先を気にさせるのは大した手腕だが、全てが計算され尽くされていて過剰摂取はメンタルに重い。
バンド名は伏せるが、思った事をつづらせて頂く。
そして最近若い子のファンも新たに獲得しているあの有名バンドだ。
増田ですまん。
もしここで
・そんな事を読んだ私とファンと彼らが傷つく
・老甲斐〇ね
という思いを若干でもしたなら今すぐにこのウィンドウを閉じて欲しい。
見ないのも権利だ。
上記のように「彼らはエゴサしまくっているからバレたら傷つく」
・ファンから見ればコロナ禍での動きがなかったのが良いとも思えたが、
他のバンドは音楽を守る為に無料配信したりインスタライブをやったり、
色々していた。彼らは何もしなかった。
いや、影で曲を作っていたのはわかる。
けれどもファンに知るすべはなかった。それが歌を作る彼なりの美学的なものなのかもしれない
自分も一ミリも見なかった。人は変わっていくものだから仕方のないことだ。
・ファンクラブをつくらない主義なのは理解したし、それが好きだった。
だが席代の爆値上げ。仕方ないのかもしれないが、そういう区別・差別をしない人なのだと思っていた。
何故なら「音楽が全ての人に届くように」という意志のもと、近くの席とか遠くの席とか分け隔てなくやってくれていたと思っていたから。
自分の意思を通さないんだなあと、今回の席料の変化で改めて思った。
マスコットキャラクターがいるのだが、そのキャラを玩具にして絵をかいたりモノをつくったりするのはギリセーフとして、
・さらに完全に模造品を作り、ばらまいている。
オリジナルのイラストだったりであれば問題ないとは思うが、それも運営にファン層の遊び心を許されている範囲。
ロゴをそのままコピペしたりしたグッズを友達以外に配布するのは駄目。
ただ、そういう「めんどくさいことはわかんないし自分がたのしいからいい」という人がすごく多い。
・ファンは離れたり、入れ替わったり、新しくついたり、色々いる。
それはどのアーティストでも同じこと。
ファン内の謎のルールがあったり、世間一般から見れば異様だったり、もっと言えば宗教じみていたりする。
蜜六と〇〇交換しませんか?なんて平気で連絡がくる世界。最低。
・一方で80%はまともなファン。問題はのこり20%くらいの人たち。
・心に傷を抱えた人が多く、優しく、繊細で、脆い。
だからこそ、感情的な人が多い。感情的なのは良いが、匿名で人を攻撃する攻撃性の高さは圧巻。
こういう方はこういう事を、ターゲットを探しながら永遠に繰り返すのだろう。
80%はまともなファンだ。
・上記に書いた通り、ファン思いに感じさせているのはすごく上手なのだが
・・・・・・いうのは野暮なのでやめておこう、(と思ったら何か動きをしてたらしい)
(インスタとかやってませんでしたっけ…まああの人達らに向いてないんでしょうね……)
・グッズ。もういうことない。
・いい意味でもわるい意味でも、商業バンドなんだな、という感想を最後に感じた。
何かアプリを出したらしい。内容知らないけど。チラっとなんか見えた気がしたけど。
課金制あるんですかそうですか。
アプリ作るのに金かかるのもアップデートやら申請やら莫大な費用かかるのはわかるよ。
あのキャラは「お母さんが100点をくれた時」に描いてくれた子だったような。
みんながぬいぐるみをぶらさげて歩く光景すら違和感があったのに、
もうそれでいいんだと思った。
・ファンクラブは作らない宣言は何だったんだろう。(ぼんやり)(FCじゃないって言ってる人がいるからいいのか)
・ある一人がやらかしたのだが、ファンもほぼ受け入れているし、
メンバー仲良く(見えるよね、そりゃファンからしたらね)音楽をやっていることに、
この一件で、私はメンバーを受け入れられなくなった。
・彼が神だ、聖人だ、と言われているのはわかる。
じゃああとのメンバーは?と思う。メリットと言えば仲良しバンドだと言えることであろう。
それだけで充分に人気を保てるし、バンド名で安心するだろうし。
それでも非常に感謝している。
勇気も元気も楽しい想いでも素晴らしい友人も離れてもそばにいてくれる友達もいる。
今ももちろんいる。いまの色々な事の糧になっている。
矛盾しているように感じるかもしれないが、本当にありがとう。と思っている。
ファン層はがらりと変わり、昔から風物詩だったグッズ交換会やら何やら色々あったみたいだが、そこはもはやよく知らないので割愛する。
もちろん昔のグッズを身に着けているひともいるが、20代前半くらいの人の姿も目立つ。
楽しそうで羨ましかった。
自分も楽しんでいる中の一人だった。
さいたま新都心駅を降りた時、ピアノの演奏をしている人がいて、
「なんの曲だっけ」と思いつつ素通りしたが、上手だった。
けやき広場は久々だ。
彼らで言えば〇年ぶりか。
コロナ禍もすっかり終わり?なのかアルコールも売っていてあの頃と変わらない新緑の広場。
あの空間でいろんな友達と待ち合わせしてあったりしたなあ、と思い出す。
綺麗な想い出は綺麗なままだ。
今でも仲良くしてくれている子とあったのもあそこだ。
人は変わる。
彼らも変わる。
想いも変わるし、ルールも変わる。
知らないうちにいろいろ変わっている。
この数年間のうちに誰かを亡くしたり、誰かが結婚したり、誰かに子が生まれたり、沢山あっただろう。
アーティスト歴の長い彼らは「普遍性」を求められる一方で「変わらなければいけない」こともたくさんあるだろう。
全て理解した上で、自分はその「普遍性」をとても高潔なものだと感じていたことに気付き、
「普遍性」って良いようで悪いし、悪いようで良いし、一見宗教じみでるし、本人たちも大変だろうし、
大変じゃないように意識しないようにしているのかもしれないし、運営がうまいことやってるんだろうし、
でも、ず-っと、仲良しでやっていかなければいけないのって大変だろうなあと思った。
もう大人だから大丈夫だろうけど、20代の時とか凄かったよね。
まあそんなふうに人は変わっていくものなのだ。それは、忘れないで欲しい。
今でいえば推し活だったのだろう、色々なこと。
今では全くやる気にならない。
ちなみに誰の意見も読んでいないし、これを投稿したところで、コメントを見るも見ないも決めていない。
冷めたことをわざわざ記事にする必要はないのではないかという批判は来るだろうことはわかっている。
だが、そういう風な思いをしたり、或いは他の理由で去っていった人が、
自分の知っている限りで物凄く沢山いる。
そして、その人たちは別のところで音楽を楽しんでいる。
色々思うことはあった。
はっきり言って、マナーは悪かった。
「〇〇しないでください」と言ってることをするのは、小学生でも理解できるだろう。
あとは個人的な意見ではあるが、少なくとも、弦の響きが消える瞬間まで拍手しないか、
ただ、最後に独特のソロフレーズがある曲の一瞬終わりだと思わせる空白の時間に拍手するのは
そういう細かいところを気にするのも良くないんだろうし、自分が間違っている可能性もあるのだが、
でも。せめて曲を大事に聞いて欲しい。曲を大事に聞かせて欲しい。
ああ、いや、違うか。
彼は「自由に楽しんで」と言っていたので、あっているのか。
自分は重要なソロフレーズの直前に拍手されるのは違和感を感じるが、彼らがいいならもういいか。
ライブの詳細は伏せる。
今更ネタバレも何もないが。
彼に最後に言われた。
「また絶対会おうな」
曲にもたくさん言われた。
でもな。
タオルすら持ってなかったのは失敗だった。
凄く好きだった。
xx年間、大好きだった。
〇にたいと思った日に、いつも支えてくれた。
怖い時に隣にいれくれた音楽がたくさんあった。
言われた言葉も暗記している。
こんなに大好きだったのに、彼がしたかったらしい「約束」がもはや
本当に本当に真っすぐ綺麗な純粋なものなのかどうか信じられなくなっていたし、
もうこんな気持ちに変わった自分は来る必要性はないのだと改めて感じた。
好きだった音をまた聞く機会があるのかないのか、と言ったら
現時点ではないと言い切れるが、
大地震がおこるかもしれない。
噴火がおきるかもしれない。
誰かがなくなるかもしれない。
その時にまたあの音が、自分を幸せにしてくれたり、強くしてくれたり、弱くしてくれたり、
自由奔放にさせてくれたり、色々な経験を積ませてくれたり、友達を全国に作らせてくれたりした、
あの優しい音と歌詞が頭の中に聞こえてくるのかもしれない。
もっと言いたいことは沢山ある。
おひとりおひとりと対面で話して、あの時何故。と言いたい人もいる。
あれは何を思って。
彼らの音楽の何を聞いて、何を思って、そうなったんだ?と言いたい人もいる。
さよなら。
ずっと、ありがとう。
世界史の特徴、特に日本史との最も大きな違い。それは、平均点レベルまで到達するのに時間がかかることである。
日本史は覚えたことが得点に直結する。古代のことなら古代の内容が分かれば得点できる。
だが、世界史は違う。
古代ローマのことを覚えただけでは設問のほとんどに答えられない。
例えば入試では「古代ローマの民主制と比較して現代の民主主義を考える」みたいな技能・思考を必要とする問題が出題される。ローマを覚えてもすぐには得点にならないのだ。
つまりこれは、「暗記しただけでは勝てない」ということを意味する。そして、平均点に到達するのに大きな労力がかかる。
さらに言うと、そこまで労力がかかるとなると、モチベーション維持が大変である。
とすれば、受験に備えるためには以下の条件を満たす学習を進めなければいけない。
①用語を覚えることについて
1.最低限の語句を
2.モチベが落ちる前に
3.素早く覚えきる
→「ポエニ戦争」「マグナカルタ」「則天武后」「資治通鑑」などの語句を古代から近現代まで各地域ごとにひととおり知っている状態、空欄補充ができる状態にする
②流れを押さえることについて
1.覚えた語句を
3.関連づけて理解する
→かなりざっくりした言い回しになるが、「十字軍において、最終的には聖地を奪回した状態を維持することはできなかったが、その過程でイスラームとの接触を通じてもたらされた文物や価値観は後のルネサンスにも影響した」という感じの理解。その中で人物ほかもう少し具体的な用語を付与していく。サラディン、インノケンティウス3世、ラテン帝国、アンティオキア、とか。
ここで問題となるのが、どちらにどれくらいの時間を割くのか、という点だ。しかし、当然ながら時間は有限である上、理解を「定着」させる為には②により多くの時間がかかる。
つまり何が言いたいかというと、①を終わらせて初めてスタートラインに立てるのであり、そこまでの作業を迅速に終わらせられないような人間は受験世界史の勝負の舞台に立てないから諦めろ、ということだ。
さて、先述の作業の期間の目安が二週間つまり半月であり、そのために最も有効な問題集のひとつが「スピマス」である。
詳しくは以下のサイトより。
https://www.yamakawa.co.jp/product/03077
しかし、いきなりこんなものに取り組んでも何も意味がわからないだろう。
受験期までにちゃんと通史を学べる恵まれた高校はそう多くないだろう。そこで、先述②より先にまず把握しなければいけない最低限の「流れ」を把握するのに最適なサイトがある。
https://www.nhk.or.jp/kokokoza/sekaishi/
20分×40回で800分。受験勉強へのトータルの時間を考えれば大した量ではない。
用語は決して多くなく、これを見ただけでは知識量としては受験に通用しない。あくまで流れを掴む用途なので、躍起になってちゃんとしたノートを取る必要はない。
各回のラストで内容を要約してくれる。それを見てなんとなく雰囲気が掴めればいい。
これらを高校の夏休みが始まるまでに終わらせられないなら受験世界史にはスタートラインにたどり着くこともなく敗れることだろう。
しかし、今の時期、5月末に始めて6月15日までに終わらせられればまだ間に合う。
それから1ヶ月かけて基本的な問題集に取り組み、夏休みに共通テストの過去問に取り組むことができれば、9月には個別の入試の対策ができる。
そうすれば、よほど偏差値の高い大学でないかぎりはまず通用するレベルに行き着く。
受験生達の健闘を祈る。
女王蜂のボーカルのアヴちゃんが声優をしてる映画の犬王がアマゾンに来てたから見た
なんかの呪いで失明して琵琶法師になった主人公が、これまたなんかの呪いで化け物として生まれたアヴちゃんのキャラクターである犬王と出会って
主人公が演奏して歌って犬王が歌って踊る感じのアニメ映画で、なんとなく全体の構成はディズニーっぽいけどアニメの四畳半神話大系とかピンポンとかやった湯浅監督とかいう人の絵なんでディズニーみたいな華やかさは無い
武士とか将軍が居た時代の日本が舞台だから基本汚らしいけどアニメ映画だからめっちゃ動く
そして歌もめっちゃ上手い、主人公も歌うけどアヴちゃんが歌ってる犬王のパートはマジで上手い
歌詞の意味は平家関連の奴らしいけど歌詞も表示されないから基本何言ってんのか分からん
犬王はその平家亡霊に呪われて化け物になってるんで、歌って踊ったら平家の亡霊が成仏して呪いが解けていくっていう所謂どろろ的な感じ
で、最後顔以外が全部人間に戻って最後の大舞台で将軍の前で歌って踊って顔も人間に戻る
はい、めでたしめでたしって感じで終わるかと思ったら将軍が俺が定めた平家以外の物語は歌うな、とか言って主人公の一座を唐突に弾圧していく
最終的に主人公は首切られて亡霊になり、何百年後にこれまた亡霊になった犬王と出会って互いの名前を呼びながらエンド
いや、最後の取ってつけたようなバッドエンド居るかこれ?
この世界の亡霊っつーか呪いは結構の力持ってるみたいで、なんか刀抜いたらビームみたいな奴が360度に飛んでいって真っ二つにするし(これで主人公も失明した)
犬王の親父は呪いの仮面みたいな奴との契約破ったか気に入らないこと言ったかで衝撃波的なやつでバラバラになる
だから将軍が弾圧するぞーみたいな事言い出した時にこういう超パワーでなんとかすんのかと思ったら何もしない
主人公がやられるだけやられて終わり、いやいやここで出てこいよ超パワー、何だったんだよこの数十分って感じ
後味悪すぎんだろ普通によ
これじゃアヴちゃんの歌が超美味かった、犬王のダンス超動いたって印象しか無いわ
これアヴちゃんを売り出したいだけのアニメだったらまだ分かるが既にアヴちゃん売れてるし、なんでここまで爽快感無い終わりになったんだよ
歌って踊ってるシーンが夢と希望に溢れてて出来が良いだけに救いようが無さすぎるオチの落差でトラウマになるわこんなもん
あとラストで主人公の恩人みたいな人が主人公かばって死ぬんだけど、結局主人公もとっ捕まって殺されてるし意味無さ過ぎだろ、なんだあれマジで
・ネット情報から「このババア、ナニかある!」(cv立木文彦)って聞いてたからライフイズビューティフルの皮を被ったヤバいマダムを乗せちまったタクシードライバーサスペンスを期待してたらストレートなライフイズビューティフルものだった…
・ライフ(DV夫のナニは焼きムショに入れら息子は生育環境から戦場カメラマンになり亡くなる)やった
・マダム、もっと裏社会のドンだった的なヤバさを期待していたが真っ当なフェミニズムマダムだった
・要所要所の音楽がとてもいい
特にOPのトランペットメインの音楽良すぎて「音楽映画か?」ってなった 良すぎてブルージャイアント思い出した
・ひねくれてるから「老人ホームに入るって悲観的やけどこんな入居費高そうな個室オサレ老人ホームに入れるって相当やんけ…」ってなった これは創作物に出てくる老人ホームに対して思いがち感想
・ハートフルで普通にいい話だしなんだかんだ泣いたけどたまに倫理観の違いで「…?」ってなる時があった(一通の道で車停めて後ろの車をせき止めるとことかあのディナーシーンでドライバーが飲んでるのは…ノンアル…だよね…?とか)
・最強のふたりでもみた警察検閲をスルーするやつだ!あの警察のお姉さんと二人だけで会話させてのシーン、「ついに裏社会のドンの凄みをチラつかせるシーンか…?!」と思ってたけど違った
・駐在先の10代の少女に手を出し孕まして帰国して山のように手紙に一通だけ「結婚したわ」の兵隊さんクズすぎやろ
いやでもそういう時代やったんやろうしマダムのなかでいい思い出としてしまってあるならまあ…
確実に泣かせにくる
いや~~~~オークス凄かった。リバティアイランド。バカクソ強かったね。
私はゴールデンハインドを厚めに買って無事爆死したんですけど、そんなことよりフジの立本アナの実況が近年でも有数の名実況だったと思うんでその話をしたいんですよ。もう昨日からずっと聴いてます。
下に直線の実況を写経するんですけど(したいから)、こういうテレビ実況は画面見てこそと思うしぜひカンテレ競馬チャンネルで見てくれ。観ろ。
さあ内に切り込んで青い帽子はヒップホウ…ヒップホップソウル、津村です
リバティアイランド!リバティアイランド先頭!早くも先頭!残り200を通過!
2番手追走ラヴェル!外からは、12番のハーパー、さらには12番のドゥーラ上がってくるが!
突き抜けた!突き抜けた!
もはや敵なし!もはや敵なし!まさに別格!!!
う~~~~~ん最高!(ちょっと噛んでるけどこんくらいはご愛敬)
まあ散々話題になってるけど「これほどまでに強いのか」。リバティアイランドの父ドゥラメンテが制した皐月賞からの引用。
よくフジの実況はラジニケとかと比較してポエムとか言われたりしますけどね、フジ実況の真の特色は比較対象をカンテレにしたときに現れるものであって、それは「熱い声でリズムよく大盛り上がり」だと思うんですよ。
三宅アナは超人だからこういうカラーを色濃く出しつつ気の利いたことも言いますけど、堺アナとかフィニッシュ時のキメ台詞は結構シンプルなんですよね。ハマった時の青嶋アナとかもそういうタイプで。ゆったりとポエムを詠む塩原アナは結構異端だと思います。
今回の実況で引用された吉田アナも「熱い声でリズムよく大盛り上がり」で「キメ台詞はシンプル」なタイプ。
ドゥラメンテ皐月賞も「これほどまでに強いのか!」超シンプル。でも七五調で語感いいし、吉田アナの声もすげえカッコイイ(そして何より当然ながらレース自体がすごい)のでメチャクチャ盛り上がる。盛り上がるね!
そんで今回実況した立本アナも「熱い声でリズムよく大盛り上がり」な実況。声質も迫力があって基本的にかなり好きなんですけど、なんか上手いこと言おうという邪念(?)も結構ある方でスベることもままある。
今回の本歌取りもそういう邪念(?)から発生してるんですけど、元の語感がめちゃくちゃいいだけにリズムを損なってなくてバチっとキマってる。私これまでは引用元の吉田アナのこと「文言自体は薄味だけど声質の良さで押し通る実況」だと思ってたんですけど、今回のこれ聞いてリズム作りとかすごいワザマエだったんだなぁと気が付かされました。立本アナも声がかなりカッコいいから原典の力強さを損なってないのも最高。
何よりリバティアイランドが本当に強すぎる。6馬身差て。グレード制導入以降最大て。
本当に「これほどまでに強いのか」としか言いようがないから上手いこと言うたったぜ的な臭みが吹っ飛んでたし、まさにドゥラメンテの衝撃がリアルタイムで蘇ったようだった。あ~~~~~~~~ドゥラメンテ蘇って。
あと何気に衝撃を受けたのが「圧倒的1番人気が先頭に立ったらもはや名前呼ばなくていい」というところ。こういうのが画面見りゃ分かるテレビ実況ならではで楽しい。
この店が「1時間半も並んでラストオーダーだと入店を断られた。入れなそうなら先に教えて欲しい。」と☆1レビューを受けた騒動
1時間半も並んでラストオーダーだと入店を断られた。入れなそうなら先に教えて欲しい。二度と行かない。
https://togetter.com/li/2151538
とブコメ
店の都合なんか知るかというコメントにイイネと★が集まっている
素朴な疑問として「なんで?」って思うのよね
ゲームだアプリだ製品だでレビューとなれば、日本人が如何に低レベルな★1をつけるか饒舌に語る棘民とはてな民が
ここでは、口をそろえて妥当だと言う
店側から並んで待ってろと言われたならともかく
というかその場合、店の感じから言って「待っててもダメかもしれませんよ」と言われてそうだが
一時間半も待って出てくるコメントが二度と行かないとか、頭どうかしてないか?
なんで「食える」と思ったんだ?
1時間半も並んでラストオーダーだと入店を断られた。入れなそうなら先に教えて欲しい。二度と行かない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2151538
こんなブックマークと白熱したコメント欄を見た。店の対応も1時間半ならぶ客も普通の居酒屋しぐさすれば問題もなかっただろうに残念だ。
のれんをくぐる、店主が挨拶、指で人数、「あいにく満席で...」、「じゃあまた来ます」。これがよくある個人居酒屋の光景だ。
このやり取り見て親切に変える常連も居たりする。その際、入り口で帰る常連に軽く会釈する。
別に譲られたからってその後譲り返す必要はないし常連だって空気読まなくていい。
今回の場合、並んでた客がどこまで質問したかや店主がどこまで伝えたか分からないがもしコミュ障とかなら素直に張り紙や呼び鈴システムでも入れれば良い。あと外に待合ベンチも止めよう。立つからこそ疲れて諦めて帰るのだ
まず私のプロフィールを明かしておく。
大学院生。社会学と文学のあいの子みたいな分野で、とくにジェンダーとかセクシュアリティとかそういう事を学んでいる。
映画は学部時代に少しかじった程度で、評価はB+だった。だから的外れなことも言うかもしれない。すみません。
匿名なのでもっと書くと、同性愛者で、SMの実践者で、フィクトセクシュアルに片足つっこんでいるので、わりとどの界隈でも少しなじめない気持ちになりがち。
「映画としてはちょっと……」というような意見が主にアカデミックや評論の場で散見される。
これは分からないでもない。ちなみにここでは個人攻撃みたいにするつもりはないので、引用は特に必要でない限りはしない。
「すげえ! マリオってこういう解釈ができるんだ!」みたいな「新しいもの」はなかった。しかし、「マリオの映画といえばこういうのが見たいよね」という「見たいもの」が詰め込まれており、「新しいもの」を入れる余地は90分にはないように思われる。
メディアミックス映画としては一つの模範解答であり、文句なしの一級品といってもいいかもしれない。面白い映画といい映画は別だが、以下では「いい映画」(いい映画って何すか?)としての切り口を見てみたい。
ゲームをアニメとしたら、キャラクターの解像度や物語の運び方だけでなく、どのようにゲームの快感が写し取られているかが重要ポイントに思う。
マリオのゲーム体験を思い返すと、快感は大きく二つに分けられる。
「スーパーマリオブラザーズ」ならステージクリアのタスク消化に似た快感。
「スーパーマリオ64」に連なる「箱庭マリオ」なら新しいマップを開いていく探索の快感。
マリオシリーズだけでなくゲームの快感はむしろこの二者に共通する「試行する」快楽が大きいのではないか。
私はといえば、ゲームが苦手だった。
クリボーに激突する。穴に落ちる。ドッスンに潰される。空から落ちる。燃やされる。溺れる。
我ながらヘタクソなプレイである。しかし、プレイを重ねると、一つ一つそれらを回避なり消化できる。そこにゲーム的快感がある。
翻って「映画マリオ」に戻る。キノコ王国に迷い込んだマリオは、ピーチ姫の旅についていくためにゲームばりのアスレチックに挑むわけだが、このプレイングも経験者ならば笑ってしまうほど失敗に満ちている。そしてその分だけマリオは「試行」を試すことになる。
アスレチックだけでなく、ドンキーコング戦、クッパ戦と繰り返し作中で強調される「諦めの悪さ」が導くゲーム的快楽とはこのような「試行」の快楽が適切だろう。
文学研究者の藤田直哉は上記のようなことも含めて、「物足りなさ」を指摘している。
https://twitter.com/naoya_fujita/status/1655397557198278662
ここは鑑賞者のバックボーンも関わってくるのかもしれない。
周回前提のゲーム「ドキドキ文芸部」「UnderTale」「シュタインズ・ゲート」の記憶が私にはすごく強くあるし、マリオシリーズから距離を取っていたので(ここまで多くの作品に触れたわけでもない)、試行錯誤性は面白く観た。
また、勉強不足と笑われそうだが、3Dの映像で2Dのフィールドを表現する映像も、私としては十分に真新しいものだった。
「反ポリコレ」とか、「ジェンダーから距離を取っている」いう話も聞く。
しかし私はそうは思わない。LGBTと「マリオ」作品群の関わりは以下のコラムに詳しいため、これ以上は言及しないが、さらに男性性との関わりについて分析する。
https://cinemandrake.com/pokemon-musashi-kojiro-lgbtq
こちらも藤田直哉の評を引用する。私のマリオ映画への評価は彼とは異なるが、この評と私の見解は一致している。
https://twitter.com/naoya_fujita/status/1656110486713434113
クッパは名誉と所有、暴力を原理においたキャラクターであり、婚姻と幸せを直結させる家父長制を背負った男である。
ピーチ姫に対し無茶な論理で婚姻を迫ったり、彼女の知人も含めた囚人を婚姻の犠牲として殺そうとしたり、人の論理の届かない人外らしさが映画における彼の輝かしい魅力でもあることは間違いないが、それは悪しき男性性の発露でもある。
この「有害な男性性」を退けることを軸にマリオ映画を見てみると、マリオは退けた先に何を得たのか。
それは物語のラストが示すように、ピーチ姫ではない(ピーチ姫とマリオとの恋愛の成就がほのめかされてはいる。しかし、ほのめかされていることと明らかであることは違う)。
マリオはゲームにおいてプレイヤーの分身であり、あまり感情を発露しない。
葛藤もあまり読み取れず、さらわれたピーチ姫を取り返すため、躊躇いなく絵画に入ったり火山に行ったり宇宙に行ったりしているように見える。
しかしマリオ映画においては、夢を追う自信のなさげな男として描かれる。
イタリア系アメリカ人の家庭で育ち、家族仲はおそらく悪くないが、「父親に認められたことがない」ということが恐らく影を落としていて、自分のやりたいことと、父親に認められたいという二つの想いが両立できていない。
そしてマリオは映画の終わりに藤田のいうところの「有害な男性性」の発露であるクッパを倒し、父親からの承認を得ることとなる。
婚姻に大きな意味をおく家父長制の権化を倒した先に、父という家父長に認められるというメビウスの輪的な権力のねじれについて、私はまだうまく説明ができない。こういう嫌な書き方をすることで、妙な引っ掛かりを表明するしかできない。
その是非について何か言いたいわけではない。
現実では家父長制や異性愛規範や同性愛差別やトランス差別や人種差別が吹き荒れている。そのような不均衡な権力は改められるべきだし、悪しき男性性とは決別すべきである。
その是非についても何か言いたいわけではない。
ここまでが建前。
「家父長制の権化」と表現したけれど、理屈の通じない愛情を持て余す魔王クッパが大好きだ。
本気で惹かれると言っていい。
そして彼は多くの部下に愛されながらも、彼の愛はどこにもたどり着かない。
槇原敬之の「軒下のモンスター」から「いっそ妖怪にでもなって 君を軒下からただ見ていたい」を引いてもいい。
三島由紀夫の「仮面の告白」から「お前は人間ではないのだ。お前は人交わりのならない身だ。お前は人間ならぬ何か奇妙に悲しい生き物だ」を引いてもいい。
ピアノを弾きながら「ピーチピーチピチピチピーチ」とか歌ってる彼のカットでは劇場で笑い声が起きた。
「悪しき男性性」の回路ではもう誰かと心を交わしあうことはない。ピーチが振り向くことはない。彼の歌うラブソングは哀愁に満ちて、あるいは滑稽かもしれない。
私も笑った。でもぶっちゃけ泣きそうにもなった。
今ギリギリこの男を笑って愛でながら見られるくらいには私もマジョリティにいられてるんだろうけど、こういうジェンダーやクィアの批評は規範を可視化させ内破する営みであって、次に生み出される新しい規範にいられなくなったら、次は私が笑われる番なのだ。
本当は、弱者はクッパの方なのかもしれない。でも私は彼にあまりに感情移入しているから歪んだ読みをしているのだろう。
お前の横暴さも、報われなさも、情けなさも、関われなさも好きだぜ。ほんとに。