はてなキーワード: キッチリとは
どうも、2ヶ月ほど前にanond:20210307134831という増田を書いたヘボトレーナーです。
あのあと、anond:20210328055646で書いたように無事うまぴょいでき、第2章も読め、今では厩舎に8人ほどAランクのウマ娘を抱えることができている感じ。残りのウマ娘も最高評価点は全部B+。チーム競技場ではなんとかCLASS 5を維持してる。GWではゴルシマニーのおかげで多くのウマ娘の覚醒Lvを上げられた。それもこれもみんな助言をくれた人たちのおかげだ。感謝の言葉もない。
で、ウマ娘の新イベントであるタウラス杯について。ギリギリBランク育成(イベントの中級リーグの参加条件が「Bランク以下」なので、B+にならないギリギリの範囲でステータスを最大限にしようという育成)が流行っているけど、正直評価値の計算とかめんどくさいので、どうしようかなーと思っていた。そりゃ勝ち目があるのは中級リーグの方だけど(最上位層はSSランクとか育成してるのでランク縛りのない上級リーグでは多分抜け落ちた尻尾の毛すら踏めない)、そのためにちまちま計算しながらプレイするのは手間だよなって。
しかし、これまでの増田で書いたように、俺は育成の下手なヘボトレーナーで、B+に到達させられずに終わった育成がいくつもある。そこで自分の厩舎をチェックしてみると、スピードがSに到達しているBランクのナイスネイチャ・グラスワンダー・トウカイテイオーがいた。他にも、A+のステータスを持ってるウマ娘が何人もいる。これらは(まだステータスを伸ばす余地があるという意味で)ギリギリBランク育成ではないけれど、Bランク以下限定のレースに出して競わせるには十分な出来なんじゃないか。
過去の失敗した育成が、新イベントの役に立つ。育成で思ったような成果が出なくて苦しんだ日々は、無駄じゃなかった。
そう思うと、なんだか救われた気がした。ナイスネイチャの育成は本当に苦しかった。一番好きなキャラなのにちっともURA優勝できなくて、初めて当たった温泉旅行券は決勝敗退で紙屑になった。今ではAにすることはできたけど、一番多く育成しているのにちっとも前に進めなかった苦い記憶はずっと残っている。グラスワンダーも全然B+に到達させられなかった。ようやくURA優勝できたと思ったら途中で敗退したやつよりも評価値が低かったなんてこともあった。お召し替えをしてようやくB+のURA優勝ウマ娘にすることができた。トウカイテイオーだって何度も育成に失敗し、無冠のまま終えた育成が何度もある。俺より後にゲームを始めた人がスイスイ名鑑Lvを上げて俺を追い抜いていくのを複雑な思いで見つめたこともあった。
けど、それらの失敗を繰り返したおかげで、高いステータスを持つBランクのウマ娘が、いま、何人も俺の手許にいる。もちろんギリギリBランク育成を頑張っている人たちの育てたウマ娘には敵わないかもしれないけど、ランク縛りがあるのなら十分に戦える出来だろう。
過去のうまくいかなかった育成が、こんな風に役に立つなんて思いもしなかった。ありがとうウマ娘。
とりあえず、評価値8,100ちょいでマエストロ持ちのマチカネフクキタル、同じく評価値8,100ちょいでマエストロ持ちかつ先行Sのオグリキャップ、評価値8,000ちょいでハヤテ一文字とマエストロ持ちのナイスネイチャとグラスワンダー、このへんを出走させてオープンリーグに挑戦してみることにしたい。評価値8,185で弧線のプロフェッサーとマエストロ持ちでマイルSのハルウララもいるんだけど、今回芝だからな……
ちなみに温泉旅行に行ったのは計5回です。ちっとも温泉旅行券が当たんねえじゃねえかと思ってたら最近立て続けに当たって驚いている。行った回数は、サイレンススズカと1回、グラスワンダーと1回、エアグルーヴと3回。エアグルーヴ先輩温泉旅行当てすぎだし、温泉旅行に誘ってくるときやたら強張った感じになってるし、旅行先では俺に緊張をほぐされていい雰囲気になってるので、間違いなく俺とうまぴょいしてるし3回もうまぴょいしたんだからもう実質俺のお嫁さんだと思うんだよね。お義母さまからの信頼も得てるしなワハハハ。スズカさんの温泉旅行はなんというか感無量だった。あの走ることを愛し走ることのみに集中してきた子が隣を歩きたいと言ってくれた、というその一点だけで感涙モノだと思うんだけどどうだろう。サイレンススズカ、大逃げが好きなのと非業の死があるので史実の段階で思い入れが深いんだけど、ウマ娘では楚々とした鈴を転がすような声で喋る儚げな美少女(中身は走ることしか興味のないド天然)という造形になっていて、こんなの大事にするしかないじゃん……! という庇護欲が湧いてきてしまって蝶よ花よとばかりに育てているので、温泉旅行であんなセリフ言われたらもう涙腺緩んじゃうわけで。グラスワンダーとの温泉旅行、さり気なく別室であることが示唆されてて草。いやどう見てもエアグルーヴ先輩とは同室に泊まってましたよね? と思ったけど、グラスちゃんは武士だからそのへんキッチリしてるんだろうね……
それぞれ別の派閥なんだけどね。
「コロナ真っ最中でオリンピックを開くという行為に対して是非を問う」って形で共闘しているけど実際に目指してるゴールはぜんぜん違う。
「誘致について騙すようなことしたのが許せねえ」「関係者が人間的にゴミ」「ミソがついたのでもう辞めちまえ」などの理由によって結束されている派閥。
コロナが始まる前から『森古墳』といったフレーズによって東京五輪そのものを批判してきている。
一時期は東京五輪公式ボランティア装備を馬鹿にしていたが奇しくも鬼滅の刃によって市松模様が最先端となると今度はその話を一切しなくなった。
JOCそのものに対して強烈なヘイト感情を持っており、関係者の失言や盗作疑惑を常に嗅ぎ回っている。
今回の情勢における最も理想的なゴールとして「2020年に予定されていた東京五輪の廃止」を設定している。
今後の東京五輪開催については「二度とやらないでいい派」「JOCがクリーンな組織になったらやってもいい派」「日本経済に本当に貢献するのならやってもいい派」などに別れていく。
「コロナが収束してからオリンピックはやるべき」「立て直しの時間が必要だから延期すべき」「まとまってない状態で開催するのは国の恥」といった理由から2022年や2023年まで夏季オリンピックの開催を延期すべきであると主張する派閥。
東京でのオリンピックの開催そのものに対しては歓迎~強く否定はしないの範囲内で考えており、東京での開催そのものを批判しない勢力に思われるが、「一度決めた以上今回の開催自体はキッチリやるべき。ただし、今年は見送るべきだし、次回はもうなくていい」という考えのものも紛れ込んでいるので注意が必要。
「俺たちのイベントも中止させられたんだからオリンピックも中止してくれないと気持ちが収まらない」からこの派閥に所属している勢力もあり、この派閥の中でもとりわけ狂暴で繊細な存在としてあちこちで火花を散らしたがっている。
オリンピックそのものは好きな人たちが多く所属している派閥であるため、なにかニュースがあると「失望した」「ショック」「傷ついた」と繊細なことを言いがちなのが特徴とも言える。
「スポーツの祭典に税金を使うな」「IOCは一度解体しろ」「多数派のお祭りだ」といった意見のもとでオリンピックの存在意義について見直しを要求する派閥。
汚職や欺瞞に対して強烈な嫌悪感情を抱くものが多く、今回の騒動で国内外に様々な迷惑をかけていた人間が何らかの罰を受けることを願いがち。
かつてはオリンピックが好きだったが、ここ最近のオリンピックにおいて拝金主義や開催国の経済における歪みなどが取り沙汰されるにつれてオリンピックを否定する側に回った者達が主な構成員となる。
単にスポーツそのものが嫌いであったり、スポーツが出来るというだけでチヤホヤされる人間が嫌いであると主張する根っからの運動大会嫌いもそれなりの数存在することが確認されている。
今回のオリンピック開催延期をオリンピックの存続停止に繋げられないかと画策しており、僅かな火種から少しでも大きな煙を立てられないかと日々目を光らせている。
な?
これ全部一括にするのとかアホらしいだろ?
ずっと君に伝えたかったことがある。どうか俺たちも、ラップでバトルをさせてくれないだろうか。
このことを言いたくて言いたくてずっとモヤモヤしていたので、今日は匿名で吐き出せる場所をお借りして、ヒプノシスマイクくんへの思いを伝えたいと思います。
ここ数日(いや数ヶ月)、ヒプノシスマイクのオタク界隈はザワザワしている。バトルシーズンだからだ。
今でこそ、界隈はそれなりにザワついている。けれどヒプノシスマイクくんはバトルシーズンの手始めに、高いクオリティと圧巻のパフォーマンスと配信であることを生かしきった演出と、何より演じている方それぞれの魂がこもった素晴らしいライブを見せてくれた。
昨年3月、コロナウイルスの影響によって配信にならざるをえなかったライブだって、もちろん素晴らしいものだった。でも今回のライブは、バトルであるという特性上「勝ちたい」という演者の方々の思いがビンビンに伝わってきて、その熱量とか気迫にグワッと心を掴まれるものだった。画面越しなのに、こんなに熱くなれる、こんなに泣いて笑えるエンターテイメントがあるのか。そんな風に思わせてくれるライブだった。
この配信ではじめて聴くことになった新曲たちも、そのチームらしさが全開だったり、逆に今までにない曲調や歌詞だったり、心を鎮めないと冷静に聴けなかったり、逆に中毒になったように再生してしまったり、「待ってました!」と手を叩いて喜んだり、逆に「こんな風に来るの!?」と度肝を抜かれたり、どれも本当に最高だった。
それぞれのバトル曲も、言葉の応酬と韻の踏み合いとそれぞれの信念のぶつかり合いを感じられて、どれも違う味わいながらも、たしかな満足の得られる仕上がりだったと思う。
視聴期間中、毎朝毎晩繰り返し観てもまだ足りないぐらい、プロフェッショナルによる最高のエンターテイメントを存分に味わわせてもらうことができた。関係者ご一同には、本当に頭が上がらない。早く円盤購入という形で感謝を伝えたい。
そしてここでは、観た人がどちらかのチームに一票を投じることができた。ひとつのライブにつき一票。単純明快で、シンプルな仕組みだった。
「良すぎて選べない」という贅沢な悩みこそあれ、最終的に投じる票はひとつしかない以上、どちらかを選んでボタンを押すしかできなかった。
そしてこの時点で我々は、この一票が後に控えた投票形式での「一票」と同じ重みとして扱われるのかどうか知らなかった。(と、記憶している)いま思うと、それが不穏な空気の前触れだったんだろう。
最高なライブの余韻の醒めないまま、現金を投票券に換えてCDを積む形式のバトルが始まった。
前回のバトルでは、街からCDが消えたとか、相手チームのファンを装ったアンチが偽装工作をするとか、「〇〇のアニメイトにはもうCDがありません!」みたいな虚偽の情報が流れたりしたらしい。それは怖いな、と思っていたけれど、個人的な印象では、案外そうでもなかった。
後から判明したところによると、「サイレント投票」といって、相手方に悟らせないように黙々と積むことが推奨されていたらしい。投票期間が終わると、「微力ながら〇票を投じました」というCDタワーの画像がタイムラインに乱れ咲いていて、なるほどこれが令和のバトルか、と思った。
まあでも、外から見ている分には、比較的穏やかなまま過ぎていった期間だったように感じられる。
そのCD積みバトルが終わった段階で、中間発表をするのだと言われていた。
正直、なんでだろうとずっと不思議だった。戦いの火蓋が切って落とされた当時、我々は三次投票にあたる「VRバトル」の詳細を知らなかった。MAX一人6票らしい、というような情報はあったかもしれない。
とすれば、中間発表で僅差でも大差でも、ファンの母数が急激に変わらない以上、結果に大きな影響は与えられないだろうに。それなら、たくさんCDを積ませるためにライブでの投票が終わった時点でいちど結果を出せばいいのに。
不思議なことをするなあ、という疑念を抱きつつ、「VRで積めない可能性があるなら、実質CDで勝負するしかない」と覚悟して積んでいる方々を見て、そういうものだろうかとアッサリ流していた。
で、中間発表があった。大差のついた戦いと、僅差の戦いと、逃げ切り/逆転を狙いたくなるような戦いがあった。(これ、あまりにも綺麗な分かれ方だったけど、ヒプノシスマイクくんの予想通りだったんだろうか)
そして中間発表と前後して、「VRでも積める」ことが判明した。しかも、一票あたりの単価が最もお得だ。(ライブはたしか四千円ぐらい、CDが二千円、VRは千円)そして、金額によって票の重みが変動することはないらしい。たぶん。
阿鼻叫喚、ってこのことか、と思った。タイムラインを眺めていると、めちゃくちゃに人間の感情が乱高下していて、見ているだけで酔いそうな感覚になるほどだった。
すでに(単純計算で)十億円を超えるカネが動いていて、その上まだ、ヒプノシスマイクくんは人のカネと感情を動かすつもりらしい。
せめて少しでも巻き返したい、という気持ち。
なんとか逃げ切りたかったり、猛追して逆転したかったりする気持ち。
同じチームを応援する者同士の連帯感が高まる一方で、自陣への不信感を募らせたり、相手方への攻撃に転じたりする心情だってある。そして、今まで投じてきた票の意味を自問したり、疲れて何かが折れてしまう気持ち。
金銭によるバトルをはじめて間近で見る身として、ものすごい世界だなあと溜め息が漏れた。
中間発表の形式やタイミングは、ここまできて振り返ると、それなりの合理性があったのだろう。
単に「VRも始めたからみんな観てね」って言うよりも、ずっと効果的に多くの人にアプリのインストールやプラットフォームへの会員登録をさせられる。
「現金」や「CD」という物理空間での制約を受けない形式での投票は、よく言えばエコだし、わるく言えば金銭感覚をより麻痺させる。
「中の人」を表に出して結果を発表するグロテスクさだって、結果的にはこの札束バトルを過熱させる要因のひとつになっている。
ごく個人的見解では、収益化のうまいコンテンツは見ていて信頼できる。そういう意味で、カネの集め方や人の心理の誘導の仕方として、ヒプノシスマイクくんには一定の信頼を置いている。そのうえで、私は思うのだ。
ダッセーーーーー!!!!!
と。
ダサい。あんまりにもダサい。やってることが格好悪い。ヒップホップってもっとイカした世界観じゃないのか?ここは昭和でも平成でもなくて令和、あるいはH歴じゃないのか?なんでこんなダサい商法を、君は性懲りもなく続けられるのか?答えてくれ、ヒプノシスマイクくん。
ヒップホップとか、ラップミュージックの歴史にあまり明るくない人間でも、少なくともこのジャンルは「富める者によって独占されるべき音楽」ではないんじゃないかと突っ込みたくなってしまう。資本主義が一番偉いから、カネや地位や権力のない人間は虐げられて一生地べたに這いつくばってるべきだっていう世界に反逆できなくて、何がペンは剣よりヒプノシスマイクなんだ?教えてくれ、ヒプノシスマイクくん。
私には純粋に、それが疑問なのだ。コンテンツの維持にはお金が必要なのは百も承知で、それでもなお、音楽(あるいは魂)の在り方と商法の相性が悪くて、これじゃああんまりにもダサいんじゃなかろうかと思ってしまうのだ。ダサすぎて仕方なくて、コンテンツとして廃れてしまうんじゃないだろうかと思って、そこに私はずっとヒヤヒヤしているのだ。
だから、私は提言したい。せめて、俺たちもラップで戦わせてくれ!と。言葉がいまやマシンガンであるなら、ライムが脳漿をかき回せるなら、金銭以外のフィールドでも戦わせてくれないだろうか。
たとえば、CDを買ってシリアルコードを使って普通に投票すると、それは一票としてカウントされる。でも、リリックを添えて投票すれば、それが二票としてカウントされる。そういう仕組みはどうだろう。
こういう仕掛けなら、お金はあるけど時間のない人は、CDをたくさん買って黙々と投票すればいい。逆に、時間はあるけどお金のない人でも、リリックを練り上げることで力添えができる。今までたくさんヒプ生で学んできた知識も生かせるし、日本語を母語としない人でも参加できるんじゃないだろうか。
日本語ラップは押韻判定が難しそうだけど、それを見極めるために人が雇われれば雇用の創出になるし、AI的なシステムを作ればラップの発展に貢献できるかもしれない。
今までプロとして歌詞提供してきた方々も、ひょっとしたら参戦してくれるかもしれない。それを見て、まだヒプノシスマイクに触れたことのなかったラッパーの方も、面白いと感じて参加してくれるかもしれない。総力戦である。
こうなってくると、同じ「二票」になるのなら、CD二枚を買うのではなくてリリックを考えることを選択する人も出てくるだろう。演じている方への愛を伝える手段としても、体温のこもった一票を投じることができるというのは、悪い選択肢ではないはずだ。
それで、できれば、そうやって集まったリリックを選び抜いて、それを楽曲に使ってくれないだろうかと思うのだ。
それもまた、想像すら及ばないほど難しいものなんだろうということは、今まで世に出てきたヒプノシスマイク楽曲を聞いていればわかる。一連の曲の中で無駄なフレーズなど一つもないほどに、リリックというのは緻密に組み上げられているのだ。
でも、たとえワンバースであっても、自分のリリックが使われるかもしれないという可能性が見えていたほうが、ずっと張り合いがあるしドリームがあるじゃないか。CD一枚、二千二百円に全身全霊をこめたリリックを乗せて票として投じて、それが「推し」のパンチラインになるかもしれない。そんなビッグドリームを抱けずして、何がヒプノシスマイクなのだろう。
ラップミュージックは、その人の人生を背負う音楽なのだという。だとしたらやはり、キャラクターへの愛やヒップホップへの造詣の深い人がより力を持つ投票の仕掛けとしても、リリックバトルをやってみてくれないだろうか。きっと面白いだろうから。それで盛り上がる世界を、私が見てみたいから。そんなムーブメントを巻き起こせるだけの力がヒプノシスマイクくんにはあると、私は特段の根拠もなく信じているから。
数年後には、「来たぜホンモノのDRB(絵文字) 燃やせ闘志入れてけよ気合い(絵文字) リリックバトルこれこそ新時代(絵文字)」みたいなフザけたお知らせとともに、本気でリリックバトルをブチ上げて欲しい。そういうヒプノシスマイクくんであってくれると嬉しいなと思っている、一人のファンの気持ちでした。
なんだかんだ言いつつも、私はこのバトルシーズンをそれなりに楽しんでいるので、まずは今のバトルの結果を最後までキッチリ見届けたいと思います。
基本給は年収400万くらいだけど超過残業代考慮すると平均500~600万くらいになる人って結構いると思うんだが、
こういう人って結婚相談所とか利用した際の年収欄になんて書いてるんだろ?
働き方改革で残業なくなりますみたいになったらキッチリ400万になるんでしょ?400万って書くのは損だし600万って書くのも正しくはない感じするし
年収400万だけど資産運用(ETFやREIT)の平均利回り考慮すると年収500万くらいになるだろうみたいなのも微妙だよなマイナスになる年もあるんだし
っていうかこういう場合って年収欄もそうだけど食費や家賃とかの生活水準は400万の感じでやるもんなんだろうか?
「最近残業代稼げてるから家賃高いところに引っ越すかー!」とは多分ならんでしょ?
実際どうな感じなんだ
何に対して答えてるの?会話噛み合ってないよ?
聞かれていることはこれだよ?
最期はどうなるか解ってるでしょう?なのに肉になる事は悲惨な末路
陰においやる行いみたいになってるのなんで?
あんまり恋愛に興味なくて恋人関係が億劫に感じているので、かれこれもう5年彼女がいない。今年で三十路なのにいまだに結婚願望なし。ちょうど彼女と別れたあたりで知り合ったセフレは今まで交際してきた恋人たちよりも長く関係が続いてる。
俺と同い年でもあるそのセフレが今までの恋人よりよっぽど理解があってなんか普通にいい女な気がしてきた。
セックス中に「好き」とは言いあうけど恋愛感情は一切なくて、相手も俺も「友達としてはいいけど恋人同士としてはリスキー」だと思ってる。話を聞く限り相手に不特定多数のセフレがいそう(本人は明言はしてない)なので、恋人にするにしては信用できないけど、友達としては信用できるという線引きがキッチリと引けていて踏み込んでこない。
もともと恋愛感情もないし、相手に恋人が出来たらサッと身を引くけど、なんか友人としては普通に居心地がよくて、こういう恋人だったら長く続いたのかなぁとか思ってしまう。でも恋愛感情抜きだからこういう関係が構築できたってのもあるのかな。双方独占欲ないし。お互い恋人同士だったら色々こじれる事もあったのかもしれないなと、セフレからの連絡を読んでてふと思った日曜の17時。
福音派って日本のキリスト教におけるシェア的にはどうなん?少数派じゃない?
おそらくそれ以外のプロテスタント系が、カトリック系と比べて「ゆるい」てのは紛れもない事実だと、オレの体験的には思ってるよねw
20年ぐらい前だけど、結婚しようと思って、いわゆる「式」も「披露宴」もやらないでシンプルに婚姻届と友人知人等にハガキ出すだけにしようとしたけど、親が頑なに「式」をやれ!って言い張るので、キリスト教の教会でやることになったんだよね。
で、カトリック系だと、ちゃんとした信者じゃないとダメとか、事前にキッチリ研修みたいなの受けないとダメとかウルサかったw
プロテスタント系の教会は、そんなこと全然言わずに受け入れてくれて、事前に一回打ち合わせに行っただけで、無事結婚式を挙げられたんだよなー。
まぁ、20年以上たって、最近は変わってきてる可能性もあるかもしらんが、プロテスタントが分かれて500年くらいってことを考慮すると、可能性は微粒子レベルかw
なんでもかんでも、巷に流布する宗教的な行事シキタリなどを、教義や意味など深く考えることなく、無意識に取り入れるよw
神社に詣でるし、お墓に線香立てるし、法事で坊さんのお話もありがたく聞くし、クリスマスやバレンタインにご馳走食べるし、ラマダンか〜ダイエットしよかな〜くらい考えたりするよw
国家公務員(自称(自称「国家公務員になるのが一番自分を高値で売る手段になるレベルのクズ」))
A.超絶クソ(断言)
今年から満額(上限あり)出るようになりました(?)
端的には「偉大なる大蔵省様のご厚意によって、必要経費がキッチリピッタリ過不足なく出るようになったので毎日大蔵省の方へ祈祷しなさい。それと面倒くせえ証拠書類を出しなさい」って感じ
対象外経費が完璧に省かれた上で完璧に同じ内容の見積もりを3社分用意
まあ実際、慣れてると簡単なのかも知れない。
ようは「荷造り手伝い・日取り調整・エアコンのガスチャージ料金・趣味的な物品・車・バイク・自転車……etcに関わる料金を完璧に省いた状態で、ダンボールや小物の数までピッチリ同じな見積もりを3社分用意しろ。会社ごとの微妙なフォーマットの違いは対外折衝力で解決しろ」ってだけなので。
まあこの程度理想の公務員様なラクショーですわな。俺はマジ無理で何回も会社に出し直してもらったけど。
予算が年度区切りで付いてるからそれの「ゼロ調的なの(おっと的なのだぜ?的なの?ガチのゼロ調なんてしてないからな)」をやるのがすっげーダルイんだよ。
しかも部署の半分ぐらいがガラガラポンで入れ替わるわけだから、引き継ぎ資料は作らんといかんわけで。
その上公務員なんてのは専門性があるようでないようでやっぱない癖に仕事自体はゴミみてーな俺ルールがメテオフォールしたものが積み上がってるからさあ、一言で言えば「前にいた部署の知識は役に立たねえ」わけだよ。
こうなるとかなりミッチミチで申し継がないと複雑な解体作業がいる時限爆弾が起爆して、歴代の責任者が全員まとめて処分されるから大変なわけ。
とにかく早くとも3/30には出て遅くとも4/2には次の職場で働き出さなきゃいけないわけだから、必死に引っ越しはするんだよ。
残業続きで土日も出てきてるけど、引っ越しはしないわけにはいかないからね。
「でも官舎とかあるんだから楽ちんだろ?」って思うかも知れないけど、官舎なんていまどきドンドンなくなってるから自分で民間探しだよ。
官舎にたとえ入れても「お前の部屋が決まったぞ」と電話が来るのは3月28日とかだから、そこから超絶急いで調節するか、前もってあちこちに「なんかこの辺らしいんすよね。この辺。詳細はギリギリで教えます」って伝えるしかねえのよ。
繁忙期だから引っ越しの見積もりだって1月ぐらいには取るけど、その頃って「おい。ほぼ決まりだけど、ほぼだからな」って念を押されて、実際3月中旬ぐらいに「結婚したから地元出たくないって愚図った奴がいるからお前転勤先変更」っていきなり言われるからな。
確実に狙うなら3月最終週。
その本当の年度末ギリギリのチキンレースで即日入居可の物件を抑えて、ギリギリまでヤキモキさせた業者に「あっ、頼むかどうか保留してた件。ガチになったすーヨロピコー」と電話するわけだよ。
年度末の超絶引っ越しシーズンのただでさえ皆忙しい時期にいろんな業者の皆さんに色々無理を言って公務員は引っ越してるのだよ。
ここなんだよ!
俺たちも皆そう思ってたし、そこを問題にして「この時期に引っ越しすると高いんだよな~~(だからズラしてよ~~チラッチラッ」ってしてたんだけど、それを大蔵省のアホ共が意地はって「分かりました。満額(上限あり)きっちり出しましょう」とか抜かしてただでさえ面倒くさい引っ越し手続きをさらに面倒にしてくれたわけよ。
いやそうじゃねえだろ時期ズらせよ夏とかによおって話なんだが、まあ頭の固い奴らってのはであればならぬ理論に固執して小手先だけちょっと動かしてどうにか出来ねえかしか考えてねえからこういうアホみたいな改悪ばっかするんだよな
されてないと思うんだ。
昔はまあ一律で雑に丼勘定ではあったから、マジメに引っ越すと足が出るぐらいだったのを白物家電全部売って書い直してどうにかトントンにするような裏技で皆乗り切ってた。
でも今回のシステムでそれをやると損するから皆律儀に洗濯機や冷蔵庫やベッドやらを全部引っ越し業者に運ばさせて、それが普通に出るから結局公僕を引越すためにかかる税金は増えると思われるんだよな。
で、それで誰が得してるのかって言うと……「俺様のおかげでお前ら引っ越し代で赤字でなくてよかったろ(ドヤァ」してる奴がドヤァ出来ることぐらいだわな。
ぶっちゃけ誤魔化しが効かなくなったせいでバイクとか大事にしてる人とかは、前は頑張って工夫してトントン目指せてたかもだが今回以降は絶対に損するようになった訳だから、まず公僕が得してるって面は薄いんだ。
残業代1秒分も出ないのにくっそだるい調整事項は増えてるってのもクソだわ(この忙しい時期にだぜ?まじで大蔵省総辞職ビーム撃たれねえかなシンエヴァあたりにぶっちゃけ個人的に一番死滅してほしいのは強制労働省)
は?アホか?
はいそのとおり。
常識だよね。
じゃあなんでお前はそんな所で働いてるのかって言うと、俺の経歴やコミュ力がゴミクズで勉強も運動もできないしちょっと精神科の通院歴とかもあって普通の企業に売りつけようにもいっそもうちょい狂って障害者手帳でも貰うしかない訳だがそれをしても障害者枠にも俺より優秀な奴はミッチリ詰まってたから俺が就活する時に俺を少しでも高く売りつつ「キチガイ!クビ!」ってならない可能性を追求したらこの選択肢が最適解に見えたから……だよ……クソが……生まれてこなきゃよかったぜマジでよぉ……
公僕なんてのは俺みたいな正真正銘人生詰んだやつだけがやってりゃいいドブさらいの仕事なんだから、将来があるやつは気が2,3回狂った程度じゃこんな所を目指すんじゃねえぞってことだよ。
チンケだけど神経質極まってヒステリックでなまじ公僕の看板背負ってる分「俺、パワハラしていんだよね?」って勘違いしたアホでミチミチの職場に40年とか勤めたいか?
公僕になるってのはそういうことだぜ?
刑務所って3食出るじゃん!最高じゃん!で死ぬまで刑務所に居続けてショーシャンクの空にの爺ちゃんになりたいか?
そういう所だぞ。
終わり。
前々回の投稿(11)で言及した『映画秘宝』内部で起きていた「業務の『私物化』」について、引き続き今回も述べようと思います。
ムック形式が好評だったこともあり、90年代の終わりに雑誌化・大型化を見事に果たした『映画秘宝』は、傍目には順風満帆に見えました。しかし、初期の同誌を読んでいた方々ならばご存知のとおり、若者の購読者を想定した誌面作りとはお世辞にも言えませんでした。初期の『映画秘宝』がそのターゲットにしていた購読者とは「子供時代の70年代に映画館やテレビで観た映画についての記憶を、編集者・ライター陣と共有する大人」だった訳ですが、当時そんな条件を満たしていた人たちは、私も含めて既に「立派なオジサン・オバサン、若しくはその仲間入りも間近な人たち」でした。そのままでは購読者の高齢化によって、ジリ貧に追い込まれるであろうことは明らかでした。
したがって、雑誌『映画秘宝』が将来的にもビジネスを継続して生き延びるためには、長期的な戦略として「より広範で多様な読者層を開拓すること。それも、特に『若者層』と『女性層』を購読者として積極的に取り込むこと」を選択するべきでした。しかし、こんな事を今さら書いても、後の祭りです。
ご承知のとおり、それとは正反対の戦略を『映画秘宝』は選択しました。いや、何らかの戦略を選択したと言うよりも、むしろ「長期的な戦略など、当時の『映画秘宝』編集者・ライター陣は露ほども真剣に考えてはいなかった」と言う方が正確かもしれません。
覚えている方もいるかもしれませんが、高橋ヨシキが『映画秘宝』の表紙デザインとして、邦画から引用した「裸の女性が荒縄で緊縛されて馬に跨がる残酷エロ画像」をコラージュして仕上げたことがありました。この表紙について、町山智浩は「この表紙じゃあ女性が手に取り辛い(=買い辛い)」とボヤいていました(※注)。雑誌の「顔」である表紙がこんな状態だったぐらいですから、高橋ヨシキの頭に「女性購読者を獲得すること」など微塵も無かったことは明らかです。
既に述べたとおり『映画秘宝』は「女子供から映画を取り戻せ!」をスローガンにしていた訳ですから、むしろ「いかに女性が手に取り辛い(=買い辛い)デザインにするか」について考えた上で、高橋ヨシキは意図的かつ積極的に「女性が嫌がりそうなデザイン」に仕上げたのだと考えるのが妥当です。きっと、このような表紙を作っていた時の高橋ヨシキは「オレたち男だけの輪を乱すような奴(=女性)は、お呼びでないから帰った!帰った!」「この表紙デザインを見たら、きっと町山さんも喜ぶだろうなあ!」と云う気持ちを込めていたことでしょう。(※注:ところで、町山智浩も本気でボヤいていたのではないのだろうと私は思いますが、そう思う理由については別のところで述べます。)
近年は真魚八重子などの女性執筆者が『映画秘宝』に登場する機会が増えてはいましたが、それで町山智浩や高橋ヨシキの芸風が改まったようにはとても見えず、むしろ却って「これでもオーケーなんだ!こんな芸風でも女は許容してくれるんだ!」と彼らの勘違いを助長したと云う可能性すら有ると私には思えます。仮にそうだったとしたら、真魚八重子の頑張りが報われていなかったことになって、非常に気の毒な話ですが。
また、これも既に過去の投稿でも述べたことですが、比較的早い段階から『映画秘宝』は、ごく少数の寄稿者(例:山本弘)を除けば「アニメファンを蔑視・敵視・嘲笑する」と云う態度を明確に打ち出していました。この「アニメ叩き」の姿勢は同誌において長く一貫していたと言ってもよく、恫喝DM事件が発覚する直前にも「『鬼滅の刃』は絶対に観ない!」と、訊かれもしないのに自分たちの方からアピールに励んでいました。
もちろん、思想信条の自由に照らして考えれば、編集者やライター個々人が「何か」を嫌うこと自体は許されるべきです。だから、対象が「萌えアニメのファン」だろうと「女性」だろうと何であろうと、高橋ヨシキらが個人的に何かを嫌うことは自由の範疇あると言えるでしょう。極端な話、内心だけに留めて現実の世界で実行に移しさえしないのであれば、性的マイノリティ/人種・民族etc.に対するネガティブな気持ちを持っていても許されるでしょう。
しかし、その上で問いますが、当時の編集者・ライター陣がわざわざ誌面を使ってまで「女嫌い」や「萌えアニメ嫌い」を盛んにアピールしたり、ゲイを繰り返し「ホモ」呼ばわりして嘲笑し続けて、雑誌『映画秘宝』を売ると云うビジネス全体にとって、何か良い成果を招いたでしょうか?結果的には、女性・萌えアニメファン・性的マイノリティはもちろんのこと、それらに該当しない人たちにすらも「何だか『映画秘宝』は排他的な雰囲気があって嫌だなあ。近づくのは止めておこうか」と思われ、遠ざけられただけに終わったように私には見えます。
そうして「未来の購読者」に成っていたかもしれない人たちも見す見す逃してしまって、長期的に見れば大きな損をしたのではないですか?もしも、編集者やライター陣の個人的な好みに拘ったことによって、ビジネスの未来が失われたのだとしたならば、それについての責任を彼らはどう取るつもりなのでしょうか?
当時の『映画秘宝』の萌えアニメ叩きムーブに関しては、こんな出来事もありました。ある時、俳優の加藤雅也に対するインタビューを行った際、わざわざ「最近の若い奴らは、萌えアニメなんかにウツツを抜かしているんですよ!」と御注進に及んだのです。もちろん、そのインタビュー記事の中では、それに対する加藤雅也の「『萌え』ねえ…」というリアクションの言葉を「例の見慣れた太いゴシック文字」で強調することも忘れませんでした。つまり当時の『映画秘宝』は「あの加藤雅也サンも、萌えアニメなんか好きな奴のことは見下して馬鹿にしているんだゾ!読者の皆も後に続け!」と、虎の威を借る狐のスタイルで萌えアニメファンを嘲笑することに勤しんでいたのでした。それにしても、何の脈絡も無く突然「萌えアニメが云々」とか言い出したので、インタビューを受けていた加藤雅也も反応に困ったのではないでしょうか。加藤雅也についての面白い/興味深い話を読みたい読者の立場からすれば「何でインタビュアーがいきなり『オレは萌えアニメが嫌いだ!』と自己主張を始めるんだよ。お前は主役じゃねえだろ。お前の自己満足にスペースを割くぐらいなら、もっと加藤雅也の言葉を載せろよ」と云う感想を抱くしかありませんでした。きっと、このインタビュアーの脳裏には、読者の存在及び読者のニーズなどは思い浮かびもしなかったことでしょう。
上で述べたような行動に熱中していた『映画秘宝』編集者・ライターたちは、ただ単純に「『自分たちの欲求』が充たされて気持ちが良かった」のだろうと思います。もちろん自分の欲求を充たしたいと思うことは人間として当然ですし、仕事を通じて欲求を充たすことが出来れば、こんなに幸せなこともないでしょう。しかし、それをするならば良識と限度が必要不可欠です。わざわざ無駄に敵を増やし、未来の購読者を失ってまで「自分たちの欲求を充たすこと」を優先したことは、仕事(ビジネス)として必要なこと、正しいことですか?
ひょっとしたら「眼の前の『利益』を捨ててまで『信念』(=嫌いな奴らを大っぴらに嘲笑すること)を貫くことが出来るから、オレたち(=『映画秘宝』)はスゴいんだ!」と、『映画秘宝』切り株派は自分達に酔っていたのかも知れません。しかし、それは別にスゴいことではありません。
洋泉社としては、雑誌『映画秘宝』の刊行を「遊び」や「無償ボランティア」として、ではなく「まっとうなビジネス・業務」として行っていた訳です。それには先ず雑誌が売れること、それも短期的にだけではなく長期的に売れることが先決であり、その為には更に、購読者を増やすことが何よりも重要でした。したがって、これらの重要事項こそが『映画秘宝』製作チームに対して洋泉社が何よりも先に求めたことだったはずです。「何よりも先に」です。
それなのに、購読者を増やさず、と言うよりも増やす為の努力を端から放棄して、逆に無駄に敵を増やすことにだけはキッチリ勤しんでいた訳ですから、洋泉社にとって『映画秘宝』の編集者・ライター陣は、さぞかし頭痛の種というか獅子身中の虫というか、実に困った存在だったと推察されます。
こういった「まっとうなビジネスであれば求められて当然の事柄」には応えようとせず、何よりも先ず「自分たちの欲求を充たすこと」を優先して仕事に臨む、これこそが私の言う「業務の『私物化』」なのです。
この文章を読んでいる方は、試しに想像してみて下さい。もしも貴方が何処かの会社などに勤務していて、社員皆一丸で協力して赤字解消や顧客開拓などに努めねばならない時に、赤字を垂れ流したり顧客どころか敵を増やす行動にばかり勤しむ同僚が社内にいたとしたら、しかも、それに勤しむ理由が「自分が気持ち良いから」とか「これをやると○○センパイが喜ぶから」とかだったら「テメエの『趣味』の為に業務を『私物化』するんじゃねえよ!」と言いたくはなりませんか?単に「職業人」としてだけではなく「社会人」としても失格でしょう。
このように『映画秘宝』の行動は、とても「長期的な利益を考えている」とは思えないようなものばかりでした。岩田和明による恫喝DM事件を見れば分かりますが、ごく最近の『映画秘宝』内部でも「長期的な利益を考えず、自分が気持ち良くなることを優先する」と云う風潮が継続していたことは明らかです。更に、岩田和明が退職するからと云う理由だけで、のんさんの連載を打ち切って雑誌の「売り」を無くすように仕向けたことも、これまた雑誌全体のことを考えない「自己中心的な行動」でしょう。
仕事に関して「長期的な利益」について考えると云うことは「自分よりも若い世代に残す未来」について考えること、つまり「責任感の伴う態度」です。これに対して「業務の『私物化』」とは、仕事に臨むに当たって「今」の「自分」のことしか考えないこと、つまり「無責任な態度」です。
『映画秘宝』は、彼らが「精神年齢の幼稚な奴ら」と見なして嘲笑していたアニメオタクや「馬鹿な宣伝に騙されて底抜け大作を観に行く奴ら」と侮蔑していた女性と、彼ら自身とを勝手に比べて「自分たち(=『映画秘宝』の編集者やライター)はアイツらと違って『大人の男』なんだ!」と周りに向けて盛んにアピールし続けてきました。しかし、果たして彼ら自身は本当に「大人」と呼ばれるに値する人間だったでしょうか?
「雑誌の未来」よりも「自分たちの欲求」を優先し続けてきたことを、中心メンバーによる「業務の『私物化』」と呼ばずして何と呼べば良いのでしょうか?「身体は大人、頭脳はコドモの幼稚な遊び」でしょうか?
高橋ヨシキら「切り株派」が居なくなった2号目にあたる『映画秘宝』に、アニメ作品の特集記事が掲載されることが予告されました。この「居なくなった途端に」と言っても良い動きを見るに、おそらく「切り株派」が彼らの一存で他の派閥の編集者やライターに対して「『映画秘宝』でアニメ作品を扱うなよ!」と有形無形の圧力を掛けていたことは、想像に難くありません。そのような圧力が存在したとしたら、一部の人間の一存で企業努力の可能性を封じられていたことになるのですから、これもまた「業務の『私物化』」です。
「今」の「自分(たち)」のことしか考えない「無責任な体質」なのだから、年下の女性に対して恫喝DM攻撃を行ったり、自分たちよりも年下のフリーの女性編集者に対してパワハラを行ったりするのも、何ら不思議ではありません。告発を受けるまで、何一つ疑問に思わなかったのは「本当」でしょう。何しろ彼らの頭に有るのは「自分(たち)のこと」だけなのですから。
奈良さんがパワハラを告発した後に柳下毅一郎が出した、あの謝罪文としての体を成していない文を読んだ時も「ヨシキくんが報われて欲しい」とか、被害者を置き去りにしたことを書いていて「本当にどこまでも『自分(たち)のこと』だけに終始するんだな」と私は思いました。東大を出たぐらいだから間違いなく柳下毅一郎は頭が良いはずなのに、被害者を含めた「他者の存在」に対して満足に想像力を働かせることも出来ず、謝罪文一つまともに書けないとは流石に想像できませんでした。子供か。
『映画秘宝』の中心メンバーとも呼んでもいい人間たちが「業務の『私物化』」をし続けても恥じなかったのは、彼らの根底に有る「ボンクラと云う『甘え』」の精神だと私は思います。
聖書、大昔に謎のオッサンたちが書いたウソ本に過ぎないので、当然当時の価値観がそのまま出ていて、「同性愛者はカスで死ぬべきだし、女は全員男の下!」みたいなことが前提になってんのに、それを涙ぐましくも「じつは現行のポリコレ にも適合してるんだァ〜!」っていうのはちょっとさすがにアホくさすぎる
謎の詐欺師おじさんの妄想シェアード・ワールドに浸ってたいんだったら、原作者を尊重してその世界観に従いなさいよ
マトモな感覚をもってんだったら、あんなクソみたいな設定捨てて、現実を見なさいよ
差別主義者の髭面のオッサンが頭の中でこねくり回した妄想シェアード・ワールドの設定をキッチリ守るぞ!っていう謎の価値観もってる人間が、一丁前にポリコレみたいなのを気にしてるの、本当に気持ち悪いんだよな