はてなキーワード: カーストとは
めちゃくちゃ長い上に主題がないです。鬱々と半生振り返ってる自分語りで人のせいにしてる愚痴。
30歳は、彼氏いない歴=年齢、友だちも少ない、内向的、デブとまだ詰んでるとは言わなくても結構揃ってゆるやかに袋小路に一直線に歩いている感じの誕生日でした。
今年前厄ですよ。厄祓いは済ませました。担げる験は担ぐタイプ。
ほんでなんかついでにずっとモヤモヤしている愚痴を垂れ流してみようかなと思ったので取り留めもなく垂れ流します。
誰にも相談できないから誰か見知らぬ人にでも、「あんたの親はちょっとズレてる」と言って欲しい、要はそんな話です。
私は非常に他人の目が怖いです。
高校卒業くらいまでは、友人を作るのすら「この人達は私のいないところで『あいつちょっと優しくしたら友だちぶってすごいウザいwww』とか笑われているんじゃないか」と疑心暗鬼で生活していました。
まあこれは、大学に入った頃に「他人はそこまで私を見ていない」と理屈だけじゃなくて心からストンと理解できたので、高校・大学の頃の友人達とは今も付き合いがあります。ありがたいです。
多分大学に入って接客業バイトを始めたのが大きかったのかなーと思いますが、ただ単にちょっと成長しただけかもしれません。
現在実家を出て一人暮らしの社会人な身ですが、やっぱりたまに寂しいので彼氏とかいたらな~ってぼんやり思うことはあります。
しかし未だに「友だち」と違って彼氏(というか好きな人)については、自信も持てないし、恋人欲しいなと言うことも何かしらアクションを起こすことも出来ません。「あいつあれで彼氏欲しいとかwwwwww」ってpgrされるんじゃないかと、怖いからです。
だからいい人だな、素敵だなと思っても、そこで全部止まります。
好きってところまで行かない。
普通赤の他人は、見知らぬ人の恋愛事情に興味なんて無いよって思うけど、でも笑われるのが怖い。
お見合いはどうか、と一度だけ母親に言われたことがあります。お見合いなんて特に怖い。「あれで結婚したいと思ってるとかマジ勘弁だわーwwww」ってそのお見合い相手に笑われるんじゃないかとか。
あとそんな風に後ろめたいというか、真後ろ向きみたいな思考回路で、内心どこかびくびく同情か嘲笑されてるんじゃってずっと心配しながら他人と生活するなんて耐えられる気がしない。
自分でもクソうぜえと思うし、私はデブスの根暗の性格わるいやつだ。
で、ここ数年は何で自分でもウザったい程マイナス思考なのか考えてみていました。
(正確な切っ掛けは数年前に色々あって、あなたは元々の自己評価が低すぎるみたいだからちょっと考えてみてはどうかと、心療内科のカウンセラーさんに言われたからでした)
そんで色々遡って考えてみた結果、そもそもの原因は母親かなあと思ったのが結論です。
私の中で一番古い恐らく関連するであろう記憶は、5歳くらいの頃には既によく言われていた「コロコロしてる」「どんくさい」「気が利かない」の三つでした。
太っているのとドン臭いってのは、特に繰り返し言われていた気がします。
あと「足首太い、偏平足(ゾウ足)」もかな。
いやまあ、ゾウ足については確かにそうなんですけど(下半身の骨がゴツイみたいで、こりゃ生まれつきどうしようもない模様)コロコロしてるのとどんくさいのに関しては、今では疑いようもなくデブなのでまあいいとして、当時(5歳~15歳くらいまで)は今考えると、まだ標準体重前半でせいぜいぽっちゃりレベルでしたし、運動も基本的にはいつでもクラス全体で真ん中よりちょっと良いくらいだったので、しつこく言われるほどじゃなかったんじゃないかなあと気付いた次第です。
小学校の間は水泳をしていたので肺活量もありましたし、特に持久走なんかは頭から何番目かでした。せいぜいちょっとは走れるデブぐらいではあったと思います。
因みにその水泳に関しては、母になにか言われたことはありませんでした。
母は泳げないので。
下には活発な弟二人がいましたので、そっちと比べていたのもあるでしょう。
小学校に入り、中学、高校と進むとますます母の指摘する内容は具体的になりました。でも母親の言動に初めて疑問を持ったのもこの頃です。
確か小学校五年生の運動会の日、私はクラス対抗リレー中盤の参加者でした。
その時にはもう物心つくかつかないかのころから「どんくさい」と言い続けられただけあって、完全に「私は運動音痴だ」って思い込んでいたので、すっかり運動嫌い、本番がすごく嫌だったのですが、昼休みで午後がリレーという時に母親がふと
「あんたはお父さんとお母さんの子ども(二人共運動神経は悪くない)だし、
実際足も言うほど遅くないのに、何でそんなに自分で足が遅いし運動苦手って思ってんだろうね」
と言ったことです。
もうほんと、「え?」ですよ。お母さんが言ったんじゃん。ちっちゃい頃から今までずうっと言ってたじゃん。違うの? って。
今でもこれを定期的に思い出します。
そういえば、一度足の皮がぼろっとむけてたことがあって、それを見つけた母親に(父が水虫だったので)「あんた水虫じゃないの」って。
で、いやいや~って言ってたらもうこっちがマジで深刻になるまでひたすらずうっと「水虫だ」「間違いない」「まだ中学生なのに」「伝染るからやめときなさい(弟達に)」等々……。
夏休みでその日の内に皮膚科に連れて行ってくれたのでいわゆる毒親と言うのかは判りませんが、でもあの時本当に、何かに取り憑かれているかのように繰り返し、こっちが泣きそうになるまで言われたのはなんだったんでしょう。
あ、結果はただの皮膚炎でした。
「も~この子もわたしも焦りました~」とかお医者さんに言ってたけど、焦ってただけか? あれ。あと焦らせたのはオマエだからな?
デブとかならまあダラが悪いのである程度ハイハイで終わらせますが、結構身体的にどうしようもないことで色々と云われることは多かった気がします。
「睫毛短いwww」「ほんとに短いwwww」「○○(弟)と交換できたらよかったのにねー(って弟に)」とか散々バカにされて笑われてましたねえ。
多分言われるほど短くないです。別にビューラーで上がればいいじゃんマスカラあるし。
短く見えたのは奥二重が原因でもあるんじゃないかと気付いたけど今は普通にデブなので瞼がry
弟が色白だったので、「○○と交換できたらよかったのにねーwww」って。
別に母と違って地黒じゃないので極普通の肌色してたとおもうんですけどね、昔から。兎も角弟たちageの材料でしかありませんでしたかこれ。
あと足首太いのとかくせっ毛とか、兎も角身体的にどうしようもなく『女の子なら気にするであろう』部分が悪いのは、父方に似たせいでした。
性格悪くなったのはあんたのせいですけどね。
中学に上がった頃から私は本好きがそのままオタクになり、普通のデブにもじわじわ進んでいたのでますますsageは増えました。親にsageられるので、当然弟たちからもどっか根っこで下に見られます。
父は職場は近かったものの仕事で帰宅が21時とかが多かったので、私の性格形成上では結構空気です。ただ趣味が似通ったお陰で人生楽しみが増えたので、ちょっと感謝しています(アクション映画好き)
大学に上がって確か二十歳になった頃に、一度本気で一生許さない言葉を吐かれた事がありました。
何を言われたのか、内容はもう忘れています。人間すごいですね、絶対忘れようと思ったら数日で本気で忘れた。
ただ『許さない一言を吐かれたって事実は忘れない』ともおもったので、もう一生覚えていると思います。
あとこの頃、弟たちの進学や就職がらみで色々あって、ここにきてなんだかんだ(大学は滑り止めの私立に行かせてもらいましたが)一番手がかからなかった、とちょっと周りに評価するような言動をされることが増えてきました。
就職も新卒でちゃんときめましたしね、滑り込みで可も無く不可も無くなところですけども(しかももう転職したけど)
ただここでも、中学、高校在学中は成績が50番、100番台になると、何でこんなバカになったんだろうって見え見えの顔でため息吐かれたり周りに愚痴ってた事も知っているので、その手のひらの返しように不信感が増しただけですが。
なんというか結局、親の言うことは悲しいくらいに絶対なんですね、すげーいやですけど。
親にとっては友人達に対するちょっと毒舌な冗談だったとしても、子どもは「ああそうなのか」って受け止めるだけです。本気にする方が悪いって、親の言うことを幼稚園児が疑えるか。あんたの言ってた通りに育ちましたがこの結果なので、何でアンタはそうなのって私に聞くのは愚問です。
そんなこんなで母親が私を産んだ歳をとうに突破した今、両親には確かに何不自由なく育ててくれて感謝していますが(実際、私くらいの年齢で三人も育てるのは本当に大変でしょう)尊敬しているかと言われると母親については全く話は別です。
仏様か邪神か知りませんが。尊敬していなかろうが、心の根っこのほうで「親がそういうならそうなんだろう」って思います。
別におだてて褒めてくれとは言いません。でも、子どもは親の言うことをそのまま飲み込んで成長します。成長しましたとも。親だから許されるのではなく、親だから、ただの軽口もシャレにならないことがあるってのがどうしてわからないんだろうか。
大体情緒もしっかり育ってない子供にいうことかってのばっかじゃねえか。
良く友だち親子なんてありますが、あれが成立するのは子どもが奴隷思考な事に気付かず都合よく母親が酔っているか、本当に子どもから『友だち』と思われて子どもの人生に何の影響も与えないってことに気づかずノーテンキに喜んでるバカだけだと思ってます。が、うちの母親もそれに憧れてるというか、そうありたいと(恐らく自覚なしに)思ってて反吐が出る。
小学校高学年の私が居る傍で、電話で父方の祖母の愚痴を言っていましたし(私には内緒よ♡だって。素直に内緒にしてましたよバカだね、子どもだから仕方ないけど)
(そして弟達のいるところでは母は絶対に言ってなかった、私だから、お姉ちゃんだから黙っとかなきゃいけないんだって思ってた)忘れられないのは、叔母に電話で
「○○(私)の赤ちゃんの頃、どうしてもイライラして怪我しないように畳んだ布団の上に落としたりしたよ。すぐ後にごめんねって抱き上げたりしたけど」
とかって言ってたことです。
恐らく当時赤ん坊だった従兄弟を育てる叔母に、子どもに当たりそうになるのは普通だとかそういうことを言っていたのだと思いますが、私同じ部屋で聞いていました。勿論、母も私が居ることを判ってます。
昔のこと、あくまで(当時したけど)冗談ということで、許されるとおもったのでしょう。そりゃ、友人同士で愚痴として話すのなら判ります(それこそ叔母と二人っきりでなら何も関係無いでしょう)でもそれを聞いたたった十歳ちょっとの子どもが、言いようのない何かを抱えるということを想像しない超絶鈍さが信じられんな、って今なら思います。
因みにその時のフォローは「聞いてたよねアハハごめん、まああんたが赤ちゃんの頃だから」でした。
なんて返せば良かったんでしょうね、もやもやした気持ちを表現できるほど精神的に成熟していないし、語彙もないのでいつもsageられるときと同じに曖昧に笑って誤魔化した気がします。
そういえば、下の弟と揃って「あんたが私の同級生だったら絶対に友だちになってない」と言われたこともありました何度か。確かにいっそ同級生だったら良かったんですけどね。友だちなんてこっちからお断りですから絶対関わりにあってないと思いますし。
特に不機嫌になったり問い詰めたりせず曖昧に笑ってるだけの長女はそりゃいいサンドバッグだったんでしょうねえ。この子は鈍いから平気、と思われていた気もします。
言われたことも全部判ってましたけど、まだ子供だったので言ったって論理的な話なんて出来ないし、こっちの口が達者になった頃には母は感情論ばっかりでお話にならないことを理解して、会話するだけ無駄なんで黙ってただけです。
成長してからは長く会話しても会話が破綻するばかりなので面倒で短く応答してたら「あんたは冷たい」「どうしてそんな言い方しか出来んの」とかも言われましたけど、あんたがそうさせてんだよ。
返してもぶん殴られる(精神的に)なら極力かかわらんとこうっていうこっちの努力もお察し頂きたい。
おかげさまで初対面で人のことをどんだけ取り繕っていようが「コイツは下に見ていい人種だな」って風に接してくる人間が見分けられるようになったので、……別に役に立たないですね。
寧ろ(相手はこっちが察してないと思って)バカにしてるなーとわかるので割増で気分悪い。
ここまでぼんやりと書いてて思いましたが、他人からpgrされるのが怖いというよりも、「まじめにやった何かを」「親に馬鹿にされる」という経験が全ての原因のような気がしてきました。
友だちだと思っているのは私だけかも、とか、好きになった人にバカにされるのかも、とか、結局私はまじめに、真剣に考えて考えて勇気を振り絞ったことや、自分なりの努力を、家族に馬鹿にされ笑い話ばっかりにされてきてたので「家族でさえそうなのに、他人にそうされないはずがない」とおもってます ね。
服装やメイクに気を使うのも、にあわねーしwwwwなことを言われる位なら最初からしない、と思っていました。人と関わるときに、社交辞令じゃなくてほんとに約束していいのか判らなくて、うわ本気にしてるwww引くわwwwって言われないだろうかと思ってると、人と連絡を交わすこともなくなり、ただでさえ少ない友人は疎遠になったりならなかったり。
「デブスが何してもムダムダwwwww」みたいな風に裏で笑われて思われるのがこわい。
普通の人なら社交辞令って判ることを、私だけ判ってなくてそれを笑われてるんじゃないだろうか、とか。
実際に、「普通ならこうすべき」ってことが私はイマイチ良く分からない。
甥っ子生まれた時も嬉しかったんだけど、どういう距離を取ればいいのか解らないし、どういう風に嬉しさを表現したらいいのかも判らない。それを相手が不快に思うかもしれない……と思うと、つい気付かないふりをしたり、スルーしたりしてしまう。
みんなどうして、あんな風にやれるんだろう。
友達に子どもが生まれた時も、贈り物していいのか、おめでとうと言っていいのか、ぐるぐる考えて結局何もせず疎遠に……って子が何人かいたし。
義妹にも甥っ子にも、できればウザいと思って嫌われたくないので、だったら『無』の方がいいな……ってあまり連絡をしない。
基本的に好きな相手(友達とか)にはべったりいきそうになるので、それもたまに我に返って、めっちゃウザいし嫌いだしって思われてないかな、とか……。
ただこの頃ようやく、周りはどうあれ自分のために、ちょっとはダイエットして可愛い服を着たい!と思えるようになりました。
三十路手前のもうちょっと早い年齢でこれに関しては吹っ切れて欲しかったですがw
そしてこんなもんかいてる時点でお察しの通り根暗のダラなので地道に運動頑張ります。
そんなわけ一番の原因は母親が苦手だからで、おかげでめったに帰省しません。
でもあの人はきっと子どもが自分を苦手としているだなんて天地がひっくり返っても理解しないだろうし、言ったところで昔の些細な事をいつまでも覚えている、気持ちの悪いおかしい子どもを持ってしまったとしか思わないんでしょう。あなたがそう言いましたと言っても、あんたが根暗なせいだからで終了するのが目に見えます。根暗ですが。
メールも電話も、受けたら9割愚痴のため、母親のサンドバッグになってやる義理もないので基本無視ですが、そろそろあんたに連絡したくないんだって気付いてくれないかなあ。
父や弟の電話は出るしメールもすぐに返してますよー。このくらいのいじわるしてもいいよね、ってこっちも底意地悪いんですが。
ていうか、家族全員もう私のことはたまに「ああいるよねー」程度に思い出してくれるだけでいいんですけど。
たまに両親からは地元で就職すればいいのに、とも時折話が出ますが、ぜっっっっっっったい帰りません。するか馬鹿
私もぱっと見は仲がいいねと言われる家族の中で一人鬱屈しているので、こんなこと誰かリアルの知り合いに話したところで理解されるはずもないし、この実は結構クズなんじゃねえかなっていう親を持って不幸ですよ。スタート地点間違えたかな的な意味で。
でもある程度成長してから、特に就職して実家を出てからこの性格を改善しなかったのは自己責任だと思っているので、母親についてばかり何か言うのも間違っているのでしょう。
しかし三十にもなって今更性格変わるかって変わらんだろうしなー。
そんなこんなで対人関係についてはもう改善もないだろうし、マイナス思考は根深いので、最近はあと十年か十五年か適当なところでぽっくり逝けたらなあと結構まじめに考えます。積極的に願望があるわけじゃないですけど、安楽死制度とか出来ないかなあ。
素でぽっくりいくのは地味に難しそう。
楽しみがなくなったらもういいかなーって思うし、実際年々映画も小説も漫画も熱中するってほどでは無くなってる気がする。
あと正直働けなくなったら詰んでるし。かといって病気になるのはお金かかるしなあ……
健康体の人は臓器提供前提で安楽死オッケーですよとかあったらいいのに。
そうだなあ、出来れば親より先に死にたい。
親に先に死なれたら、あんたのせいで基本構造間違えましたよって言う機会が無くなってしまう。
でも私が先でも、あんたのせいで自己評価マイナスでここまできました、って言っても理解しないだろうし、言って私だけが感じている家族に対する不信感を明確に家族VS私の構図にする勇気もないというか。
でも、母が無自覚に「家を離れて一人暮らしをしている娘を気遣う母親」に酔ってるのも鼻についてクソなんですよね。
大体趣味あってねーよ、気持ち悪い。何年一緒に暮らしてないと思ってんだ。
こういうのをいつか知らしめたいと思うけど、言ったところで何も解決せず引っ掻き回すだけで、私が一方的に悪者になって終わるオチも見えるので
ただこれを私ひとり胸の内に抱えてしねばいいのかな。
こう書くけど、結局私がひねすぎてるだけで、ごく普通の幸せ家族を未だに厨二病でナナメに見てるだけなのかな。
でも親にsageされつづけてきたので、もしこれが好きな人(友人異性問わず)にも同じようにされたら再起不能になるから、人付き合いしたくない。
でも寂しがりなので時々無性に人恋しい。
でも母親みたいな友だちも家族もほしくない。もうお腹いっぱいです。
こんなこと書いてた頃に親からメールが来たので、一応去年は(誕生日なので)久しぶりに返しましたけど、
「あんたのメールで元気になったよ^^」って、こっちはその誕生日当日に気分悪くなりました。オエー。
そしてお誕生日おめでとうのはずが、8割弟夫婦の愚痴でした。なんで自分の性格が悪いと思いつかないんだろうこの人。
そうしてとりとめのないまま終わり。難しいですね日記って。
ところで某ネズミーランドとも同い年ですが行ったことがありません。
お金貯めていつか行ってみたい。あとちょっと彼氏欲しい(結局)
++追記
すみません、長いですよね。でもありがとうございます。
一年ぐらい悶々としてたことを一気に書いて投稿した後、すごくドキドキしてすっきりしたので消そう、と思ったんですが、どうせなのでいつか親に突きつけてやる(かもしれない)用に持っておくことにしましたw
そして何より、私の考えていた事は私の性根が腐ってるから、ではなさそうだし、別におかしくないんだーこのままでもいいのかーっていう納得をくださって、本当にありがとうございました。自虐的でなく客観的に見るのはまだ難しそうですが、もう少し気楽に私の人生楽しめるように頑張ります。
あと、私と母の性格が似ているみたい、というコメントもいくつかあって驚きました。確かに自分でも母の嫌いな部分がよく似ている、と思っていますw
ご結婚される方、対等な立場の味方を得られること、大変うらやましいです。おめでとうございます。お幸せに!
考え始めて一年、ずっと悩んでいたけど吐き出せて良かった。本当にありがとうございます。
本も読んでみますね。
以下のように分けて話を進める。
■オタク…1つの趣味に深くハマった人を指す。趣味の内容は主にインドア系・文化的なものだが、幅広く多様なジャンルがある。
例えば海外ドラマオタク、洋楽オタク、韓流オタク、漫画オタク、アメコミオタク、ゲームオタク、アニメオタク、エロゲオタク、鉄道オタクなど様々。
■サブカル…オタクの中でも、いわゆるカウンターカルチャー(マイナーだったり前衛的だったりする作品)が好物の人を指す。
漫画だと有名になる前の松本大洋、つげ義春、ガロやCOMやアックス系
雑誌だとコンテニューやスタジオボイスやクイックジャパンやバーストなど
音楽だと渋谷系、テクノやニューウェーブやポストロック、有名になる前のレディオヘッド、ドラムンベースやクラブミュージック、じゃがらたなどの前衛音楽
映画だとタランティーノやB級映画、ニューシネマ系、売れる前のピータージャクソン、デビッドリンチやホドロフスキー監督などの前衛作品
アニメだと東京ゴッドファーザーズ、パプリカ、ナウシカ、ラピュタ、アキラ、マインドゲーム
その他、ドラッグ、SF、エロ、特撮、MOONやLSDやシルバー事件みたいなゲーム、レトロゲー好きなど
■キモオタ…オタクの中でもカーストが最下位の、狭い意味で言われるオタク。美少女が出るアニメ(深夜アニメに多い)が好き。エロゲが好きな場合も多く、美少女フィギュアを持ち壁紙にしてたり抱き枕を持ったりする。
以上の3つ。
狭い意味でのオタクは「キモオタ」で、広い意味でのオタクは、サブカルも内包する。
一般的に気持ち悪がられるのは狭い意味のオタク、つまり「キモオタ」だけである。
ではキモオタとサブカルとの差はいったい何によって隔てられているのかというと、
それは実は「アニメキャラが性欲の対象であるか」という点だと断言する。
アニメの女の子に程度の差こそあれ欲情しているのがキモオタで、一般人からすると物凄く気持ち悪い。
サブカルは「作品」として一歩離れた目で見ており、たとえ作品の中の女の子がかわいいと感じてもあくまで作品の評価のひとつであり、
あえてポスターを集めたりフィギュアを収集することは基本的には無い。
キモオタは作品の中のキャラに少なからず欲情しており、コンテンツの消費目的の殆どが作品の中の美少女である。
性欲がモニターの向こうの世界なので現実の自分の服装などを気にすることも少なく、現実の女性に対してアクションを起こすことは殆どない。
ジブリの宮崎駿カントクがクリエイターとして「オタク」を批判していたが、あれはいわゆる「キモオタ」を批判していたのだろう。
宮崎監督自身は「オタク(サブカル)」ではあるが「キモオタ」ではない。
エヴァの庵野監督も「オタク(サブカル)」ではあるが、「キモオタ」ではない。
キモオタだとその自己の性欲の対象としてコンテンツを消費しているので、なかなか作品自体の創り手として大成することは難しいのだろう(とパヤオ監督が言ってると理解した)
実際にコンテンツ業界にいると、オペレーターや作業員レベルではキモオタが居ることがあるが、ある一定の地位以上になるとキモオタは激減する。
作品をクリエイトするのは作品自体に興味を持つサブカル層の方が圧倒的に有利なのである。
(もちろんキモオタでありつつサブカルという変異種も存在するし単純に区切れない事もあるので、例外の話はここではしないでおく)。
最近「オタク」という言葉が市民権を得てきたのは色々な理由があるが、そのうちのひとつとして、「まどかマギカ」みたいな、
キモオタの好きそうなロリッ子少女たちが活躍するアニメのくせに、ストーリーや演出など作品としての完成度が非常に高いものが多数出てきたというものがある。
(当然ながら「エヴェンゲリオン」の影響が一番デカい)
それを、暴飲暴食やギャンブルで発散してるんじゃないかなあ、と思う。
何かしら、ポジティブに思考を変える努力、きっかけが必要だと思う。
で、会社の人たちと仲良くなって、たくさん遊ぶ。
ギャンブルする暇もないぐらい。
会社で辛いのは、引け目があって会社の人たちが眩しいからでしょ?
根本的には羨ましい、そうなりたい、人より上のカーストに居たいって思いがある筈。
正直、他人はそこまで自分のこと気にしてないけど、眩しいなら、自分がそこに行けばいい。
人は環境の子、とはよく言ったもので、飛び込み続ければ変われるよ。
会社の人たちに、相談してもいいかもね。あなた達みたいになりたいって。
夫にいくら言っても、何も変わらないなら、夫は今の生活に満足してる。
それはパートナーではないよ。妻というより夫の”持ち物”に近い。
夫は、自分の快適のために、追いすがってくるだろうけど。
増田が主張したかったのはバスケより勉強ができる方がカースト上位にいくべきということだけか。
ただ選択が違っただけ。
正解も不正解もない。
実家の母親の電話いわく、地元の中学校の部活動が強制ではなく任意となったらしい。弟は学校から帰ると、ずっと友達とゲームをして過ごしていると愚痴られた。
僕は、バスケットボール部に所属していた。15時半の授業が終わると、各々は体育着になって体育館に向かう。そして18時半までひたすらドリブルを続けていた。コートの真ん中では、運動とバスケが上手な奴らが陣取り、ひたすら試合をしていた。雑魚である僕らはコートの隅である。たまにボールが飛んでくると、それを真ん中に投げ返すだけの簡単な作業である。
雑魚の中でも、カーストがあった。僕はそのカーストの中で低い方だった。上手な奴らの分に加え、同じカースト内から受けるイジメがった。それもあって、バスケの部活動は苦痛だった。
思い返してみれば酷いものだ。たまに試合を「やらさせてもらう」としたら、笑われるか怒鳴られる。部活の基準は上手な奴らに合わさっているので、雑魚は何をやっても怒られる。
そして、何かと休日は校外で試合をする。雑魚はそれに合わせて一緒に行動し、ボールや荷物を持っていく。上手な奴らの親は我が子が一番可愛いと、どこにでも車を走らせる。ビデオを撮り激励を贈る。雑魚の一人である僕は、横目で冷めた弁当を食べ、サボれる場所を探す。何もおもしろいことなどない。時間を潰すのに必死で苦痛だった。強い強い苦痛を感じた。
僕の中学校は田舎なので、人数は東京に比べたら断然に少ない。一学年に80人はいなかったと思う。そうなると部活動の数も少なくなる。その上、なぜか部活動は強制参加だった。サッカー、野球、そしてバスケットボールのどれかを選ばなければならない。文化部は何か体に問題があるか、家庭に問題がある子しか入部できなかった。
他の部活も大抵同じだったが、野球部は先生が皆平等にシゴいていたので、しんどそうだったが精神的に追い詰められていそうな感じではなかった。サッカーは楽そうだった、これに入れば良かった。友達もノビノビしてたし、試合も半年に一度しかなかったようだ。バスケははっきりとした上下関係というイジメがあったし、顧問も試合に勝つことしか言葉がなかった。
試合の日などでは、他の学校の顧問は常に生徒を怒鳴ってた。頭ごなしに下手糞と怒鳴りつける。生徒は泣く。でも青春なんだと、上手な奴らは語っていた。この空間の何が楽しいんだろうと思った。上手な選手がいて、怒鳴るコーチがいて、あとは奴隷がいた。試合に勝つことが絶対で、失敗しないことが求められ、奴隷は時間を潰すことに必死だ。奴隷は微塵も興味が無いバスケが上達するわけでもなく身体能力が上がるわけでもなく、雑用のためだけにいた。
バスケ部は僕の学校が誇る素晴らしい「伝統」の一つに数えられていた。上手な奴らは誇らしく、青春を感じていたのだろうか。伝統というものは、犠牲の元にあったことを知らなかったのだろうか。
その後、部活動は三年生の夏で終わり、受験勉強と塾で追われることになった。僕は勉強ができたので途端に楽しくなった。その後、受験が始まり僕は進学校に進み、できる奴らはスポーツ推薦、またはスポーツ推薦で落ち大金を払って私立校に進んだ。
何年かして、僕は大学に行き就職して今に至る。「上手な奴ら」の話は一切聞いたことはなかった。そりゃそうだろう、上手な集まりの中で高みに行くのはとても大変だ。しかも、バスケは野球やサッカーほど良いスポーツではない。プロになったとしても食べていけるわけがないだろう。オリンピックも日本の枠はない。上手になっても意味も価値もないスポーツだ。
母と話をしていると自然と昔話をしていた。母親もバスケ部は嫌だったらしい。そりゃそうだろう。休日も早起きをして、何も活躍できない子供の弁当を作ってたのだから。高い名前入りのジャージを買わされ、たまに車を走らせ、遠い学校や施設へ子供を送り迎えにいってやったり。きっと、母親内でのカーストもあっただろう。僕が勉強ができなかったら、もしかしたら母親もイジめられていたかもしれない。
僕は半笑いで聞いていた。遠い昔のことだから、もうそんなに辛くはない。ただ、あの時の時間で何かもっと他の事をやっていれば、きっと楽しかったんだろうなあと思っていた。
その後、あの「上手な奴ら」の話になった。上手な奴らは高校を卒業したあと、揃いも揃って地元で働いているそうだ。田舎なので大した仕事はない、それこそ工場とかしかない。できる奴らのリーダーは工場で働いているらしい。朝の8時から夜の11時まで働き、体中を黒い油だらけにして帰ってくるらしい。給料も聞いたところ、手取りで15万円はいっていないそうだ。それをもう何年も続けているそうだ。
僕は母親との電話を切ったあと、ふと辛かった思い出をつらつらと思い出してみた。一日2時間半、週に12時間半、月に50時間。それが2年と半年、600時間をかける2.5して1500時間。プラス月に2回ほど休日を全日潰される。その時間を、僕がマックスで有意義に使えたかは微妙だが、とても貴重な時間に思えた。
僕は今、残業はあるとはいえ悪くない環境で働き、年齢で見て平均以上の年収を貰い、今のご時世にしては恵まれすぎている生活をしている。あの時の惨めさはもうないのだ。僕は今、立派で、幸せだ。ドリブルもできず笑われ、道具やボールを試合に忘れて怒鳴られ、陰湿な嫌味を言われ続けたあの部活にいた僕は、上手な奴らより恵まれているのだ。
きっと上手な奴らは、僕と低いカーストの時間を奪ってしまった罪を、たった今被っているのだ。僕が苦痛に感じていた時間を、自分の大好きなバスケに費やしてしまったことに対して、惨めな生活をして免罪しているのだ。そしてきっと、その工場は潰れフリーターの生活になるだろう。昔を思い出しながら、惨めな生活を悔いるだろう。青春は犠牲のもとにできていた。輝くためには燃料がいる。カーストの下の奴隷がいて、頂上へ高く登れ、そして輝くのだ。そして今、そのカーストはいなくなり、上手な奴らは地面で頂上にいたときのことを思い出しているのだろう。
別に僕はもうどうでもいいのだ、奴らとは赤の他人なのだから。でも、ああ、やった。苦痛が柔らいだと感じた。
つらつらと書いてしまったが、これで僕の黒い物が掃き出せたと思う。駄文失礼した。
もし、僕みたいな田舎で暮らしていて、同じように部活動とかで惨めな思いをしている人がいたら、反発するべきだ。その代わり、何かに打ち込まなければならない。僕は勉強だった。勉強ができたから頑張ってこれた。
僕は、今の僕が決して良い大人ではないと思う。だけども、上手な奴らに加わらなくて本当に良かった。でもカーストの下にいたことは黒歴史だ。人生は難しい。
追記
コメント全て読ませて頂きました。ありがとうございます。
僕自身はスポーツ自体はとても良いことだと思う。中学生という成長期に、きちんと体と心を育てるのは素晴しい。ただ、「スポーツをしていればなんでもいい」という一辺倒であること、そしてそれを全力で応援してしまう大人、駒を無理やりでも勝たせたいと思ってしまう顧問、これらは問題だと思う。夢を持つなら、それについてライフプランを立てさせるべきだし、駄目な場合が大きいということも教えなければならない。子供は、キラキラと夢を持って青春を演じさせて、大人を夢中にさせるものではない。青春ドラマと現実は違う。
特に顧問を兼ねる中学教師、彼らはスポーツ推薦で高校に入れてしまえばなんでも良いと思ってると思う。その後の事は何も考えてくれない。高校入学を完全にゴールとしてる。そうじゃなくって、きちんと大人への段階を考えさせ、一緒に相談してくれる中でなければならないと思う。今思うと、自分の実績を作るのが最優先だったんじゃないか。
それらが上手な奴らの可哀そうなところだと思う。
でも僕は同上しない。あの部活動は、僕らのカーストには何も施しはなかった。ただドリブルだけやらせて応援という声出しをさせて、徹底的に雑用に使う。何も育たなかったし、育ててくれなかった。僕らがバスケの初歩も分からない屑で、全く運動ができないせいもあるだろう。それなのに、何も指導もなかった。形だけの練習をさせて、問題にならない程度になったら、満足するまで自分たちを可愛がった。
イジメもあった。そこまで壮絶じゃなかったけどね、陰湿な環境に四六時中いるから、どうしても弱いものイジメが発生する。死ぬほどではないけど、辛かったよ。それが2年半。全く無駄で辛い時間だったね。
所帯持ちだったらただの頼れるとーちゃんって感じがする
「頼れる」=「稼ぎがいい」 だ。 労働時間ばっかり長くてもな。
ちょっと勉強するだけで、ものすごく楽な環境に行けるのに、わざわざ底辺に行く奴ってマゾとしか思えないよな。
よっぽど無能なんだと思う。
頼れるとーちゃんになっていればいいよね。その子供は良い人生をおくれますように。上手な奴ら、というより地元に残った組について僕は詳しくは知りません。ぱらぱらと、結婚したとか聞いたりはするけどね。
「上手な奴ら」がきちんとした大人になっているか、っていうのは、僕はそうにはなってないと思う。酷い言いかただけど、多かれ少なかれDQN化してるんじゃないかな、多分。奴らは無能でまともな生活じゃないと思う。
今日日の現実は、大学はFランだろうが最低限卒業しているのがあたり前で、ホワイトカラーが一般家庭の仕事だと思う。上手な奴らがバスケで成功していたらともかくして、工場なんかじゃなく一般企業に勤めて普通の生活と給料を貰っていたら、僕はまた嫉妬なり苦痛を覚えていただろうね。
余談になるけど、労働環境だったり、子供を育てる地域としては僕が地元を離れたときより確実に悪くはなっている。実家帰る度に思うけど、仕事も働けるところも目に見えて少なくなってきてるみたいだし、昔の風景も不安になるような感じで変わってきている。パチンコ屋が増えたり、DQNが好きそうな店が増えたりね。
どうだろう。リーダータイプはいたけど所詮は田舎の大将、井の中の蛙だからね。それに成功するにしても、また新たな惨めなカーストが生まれると思う。
僕の小さな範囲でしかないけど、ほとんどの公立・私立高校であったよ。もちろん限られた数だけどね。高校に入って活躍できそうになくても、適当な理由で一定数は取るのでは。
バスケの上手下手を基準に順位付けられ苦しんだ増田が、勉強ができるできない、収入の大小を基準に人を順位付け優越感を得ている。
収入は結果だけど、それまでの過程で優越を覚えてるよ。低いカーストの奴らを長期間いじめておいて、結局はスポーツで活躍できず、こういう惨めな境遇に落ちつく。
自分でも酷いと感じるけど、溜飲が下がったというか、なんかすっきりした。そのうちにどうにも思わなくなって忘れるだろうけど。
カーストの上位を目指すのは別に主張したいことではなかったが、結局はそうなってたね。
ただ、僕は勉強という純然たる競争があって本当に良かったよ。あのカーストは、いじめと奴隷を育てる環境が機能していたからね。良い競争と失敗したときの逃げ道、これが本当に必要なものだと思った。
25過ぎて初めて恋愛して(やっと自分のレベルを受け入れて、自分と同等レベルの男を受け入れる事ができて)初めて彼氏できて(でも自分はこいつと同じカーストとはみんなに思われたくないからみんなの前では「彼がしつこかったから付き合った」とか言っちゃって)、
でも実際は初めての「やべ~恋人同士ってこんな楽しいのかよ」というみんなが中学高校で過ぎてきた道を楽しんでいる人がマジでキモい。
いや、正確には別にそれ自体はきもくないけどそれをあたかも私が人類初めて体験しました!かのように、こんな経験してます!って大声で叫ぶ奴がうざすぎる。
ベタなジュエリーショップにチェックインしてんじゃねーよ。みんな高校生の時にそのブランドに憧れたんだよ。彼氏のことへんな呼び名のまま給湯室で話してんじゃねーよ。みんなそれ中学生のときにやって終わってんだよ。
「夜空で星がきれいなのは、すこし駆け足な冬のせいじゃなくて、あなたがここに私を連れてきてくれたからって、私気づいてるよ?」みたいな地獄のポエムを恥ずかしげもなく職場の人もいるFacebookにあげてんじゃねーよ。
みんなそれ中2でやってもう黒歴史なんだよ。せめて恥ずかしがってくれよ。もうババァなんだよ!遅れてきた思春期を取り戻そうとして関係ない人を巻き込むなよ。
それがフィードに流れるたびに、社内メールで婚約報告するたびにこっちのHPがガシガシ削られていくんだよ。もう頼むからやめてくれ。彼氏と2人でやればいいじゃないか。
みんなが失笑していることに気づいてくれ。
http://anond.hatelabo.jp/20141016144352
http://anond.hatelabo.jp/20141016145302
http://anond.hatelabo.jp/20141016141642
バブルなライフスタイル=「金がなきゃダメ」と捉えてるんじゃないんだよ。
「すべては市場の中で相対比較されてしまう」という症状は、バブル以降に生まれている人にも当たり前に見られる病状。「リア充か非モテか」とかさ。ラベリングしてカースト化して、自分はその中のどの場所にいるかを測る。
交友関係、恋愛感情、家族関係みたいなもんは、本来は、相対化されるようなもんじゃなくて、当事者同士の個別体験であるはずが、いつの間にか「友達よりも○○である」と相対評価になって、それが当たり前になった。
使えるお金の量の話をしてるんじゃないんだ。「人生のイベントの一つ一つすべてがマーケット化している」ということ。
ちょっと話は違うんだけど、就職や結婚も、相対化しているし商業マーケット化している。
「シューカツ」「コンカツ」なんて省略されるようなライトな扱いになってるのが、その証左になるんじゃないかと思うんだけど。
そして今や、「人生はすべてマーケット上で相対評価されるものでしかない」のが当たり前になりすぎて、絶対的な人間関係があるなんて都市伝説みたいなもんなんだろう
(他からの評価が不要な)絶対的な幸せ、絶対的な人間関係を持っている人を、「勝ち組」とラベリングしてマーケットの上にのせる作業ばかりが上手くなる。
微ブスと付き合って自分の相対価値が低く見積もられるくらいなら恋愛しない、大企業に入れなければゼロだ、みたいな妙な信仰めいた思い込みも、「人生マーケットで勝ち組になれるか」と考えると説明が付くかなぁと思うんだ。
本当は、その人の人生の価値なんて、マーケット上の相対評価で決められるもんなんかじゃないのに。
あと、「はいはいバブルバブル」って言って、妬みや嫉みや色々なものを紛らわせてるのかもしれないけど、ちょっともう寒いわ。そこに留まってても何も出てこない。
[序論]
あるバーカウンター、そもそもこの昭和ではない時代に、バーにいく人は減って久しい。
バーカウンターは、ロスト・イン・トランスレーションのような、老おいた男性と、若い女性の出会いがあるわけではないし、
ハードボイルド小説のような合いびきの待ち合わせ場所になるわけでもない。
ただ、なんとなく、だらだらとした、バーの店主と、女性を捕まえられない男性と、見向きのされない女性が
だらだらとした展開を繰り広げる、退屈の間であるのだ。
[本題]
このバーという退屈で、平凡な空間を私は利用しない。ただし、私は、既に、セックス見込みのある
女性と飲んだのち、自宅に誘導する中継点としてこのバーを利用した。
[起:状況説明]
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---------------------バーカウンター---------------------------------------------------------------------
美熟女1♀ 常連2♂ 常連3 ♂ 我ら♀♂ オラオラ君ら男女
アラフォーちゃん 大衆くん kindle読んでる 女性4 俺5 常連6♂ 7♀ 8♂
大衆くん
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【承】
1)どうしても、美熟女にチラチラ目がいきつつ会話をする俺(5)+全員
2)なんか、バーでkindleよんでる我らが「おまいら」(3)、童貞
4) 6,7,8の3人は既セクであろうか。広島カープの話題で盛り上がりを見せている。
梵、各チームのチャントがどうのという、すでにセックスカーストの上位にいる彼らは、
【転】
オラオラ君(常連6) 達は、広島カープの話題しかしていなかったが
とたんにざわめき、小さい声で「お持ち帰り?」「いや無理だろー」
いや、しってただろーお前ー、なんだよー
と言いながら帰りだした、それに乗じて、俺もお会計、帰る店外では、
大衆君(常連2)が美熟女と交渉中、断られている!!ザンネン!!
【結】
で、ちゃっかり私は、家に年増女性4を読んでSEXをいたしました。
3連休、明日からは台風です。みなさんはセックスできましたか?
では、また来週。
高校のとき隣の女子Aと話していたら、クラス中、いや学年の中でも三本の指に入るくらいの可愛い女子Bが、俺のところまでやってきた。
正確に言うと俺のところじゃなく、Aに話しかけに来た。
座っている俺からすると、その女子のスカートがほぼ目の前にある状態。
図にするとこんな感じだ。
窓 B
窓机A
窓俺
そんでもってBは、今日スパッツはいてきたんだ~とおもむろにスカートの前を持ち上げてAに見せたんだよ。
股間が食い込んでたかまでガン見することはできなかった。
Aが慌てて、そんなことしちゃダメだよと必死にスカート下ろさせてたのに対して、
Bはいまいちよくわかってない感じできょとんとしてた。
下手に男が寄る次元を超えてたから、男どもはみんな距離置いてた。
それでも最終的にイケメンと付き合っちゃったんだけどね。
そいつと付き合うならってみんな納得するような男だった。
嫉妬すら沸かない。
とはいえ、個人的には、ビジュアル的にはそこまで可愛くなくても、よく話せて親しみやすかったAの方が安心できたなー。
彼氏はいると聞いたけど、彼氏持ちの女子のほうが男子とのつきあいかたがよくわかってるように感じて、すごく気が休まった。
たまたま席替えで隣になっただけなのに、口下手な俺が初めて入学以来女子とたくさん話したきっかけだった気がする。
席変わったら話すことは一転してほぼゼロになったけど、それが苦じゃなかった。
不思議だ。
それ以来、割と力を抜いて女子と話せるようになった気がする。
でもまだ童貞。
なんでだ。
元増田です(今更) わぁいご存知の方がいたぞ。ネタバレ配慮していなかった点は本当に申し訳ない。
なるほど…マカロニほうれん荘はくっついてしまったがごんぼは果たしてどうなるのか、今後の展開がとても気になるところだ…
いや、本当はくっついてもいいんだけど、今までちょっとしたじゃれあいで女子との関係性を茶化していたものだから、成立にまで至ってしまったらカースト底辺(本当はそうでもない)の仲間たちと対立してしまう危険性がかなり高いと思う。彼らも中学生であまり余裕がないだろうし、いざ直面してしまったらカースト上位のように祝いつつ軽くからかうような事はしない、というよりできないだろうなと。あくまで予想。
そんな一読者の深読みをぶち壊すように挟まれる強烈なうんこ…一体何を意味しているんだ…!やはりモーションコミック止まりという事なのか…ッッ
趣味を持てよ若人よ。
常識的に考えてだ、出会い系や婚活で「お友達から始めませんか?」なんて悠長な奴はそういないだろうし、単に異性というだけで友達になろうとしてくる奴と友達やりたい奴なんていないだろう。
それも、イケメンならいざ知らず冴えない野郎が何阿呆なこと言ってるの?って話。
趣味を持ってて友達いないのは、自ら人を拒絶している場合か極端な方向性に走りすぎて誰も話についていけなくなった場合くらい。
趣味の世界では趣味を同じくするというだけで仲間意識が生まれるし、趣味の世界におけるカーストは、それに熱心であればあるほど、趣味への精通度合いに大きく影響されるようになる。
精通していなくても、初心者キャラで親切にしてもらえる。人は相手に教えたがる。
また、趣味での活動であれば会話もし易いし、比較的簡単に誘い出せる。
趣味をやるには時間がない、金がないという人が多くいるけど、そこは選ぶ趣味と工面で何とかなる。
たとえば写真を趣味にするなら出勤時や帰宅時の道が活動場所になりえる。金も(恐らく)一年のビール&おつまみ代を我慢すればお釣りが来るレベルだろう。
纏まった時間が取れるなら語学&旅行というのもいい。近くに運動場などあればスポーツでもいいだろうし、複数の趣味を持つのもいい。
古今東西インターネットというものは「釣り堀」としての側面を持っていた。
どこまでも広がるWANの大海原は、多くの釣り師にとって腕を競い合う戦場であった。
人々はそこで「世代間対立」や「カースト間の妬み蔑み」を撒き餌にし、
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こう聞かれた時みなさんならどうこたえるでしょう。
こう答える人が今でもそれなりにいるでしょうけど、
僕はもうこの考え方は古いと思います。
超高速で時代をループして100周回ってその場所に帰ってきたと主張するのならもう何も言えないですけど。
今のトレンドは「釣りであってもなくても関係ない部分について論じる」だと僕は思うんですよ。
・その文章で起こったシチュエーションのうち他の人にも十分起こりうる物
・その文章の登場人物にのみ当てはまるわけではない人格的な問題点等
そういった「その文章において限定的に起こっている事象以外の部分」の事です。
そこに言及することで「釣りと思われる文章に対してのみ限定的に意味をなすわけではないコメント」を作ることが出来ます。
これは「強い」です。
たとえもとの文章が釣りであったとあとで宣言されても意見を取り下げる必要なんて微塵も有りません。
釣り餌に群がっていた者同士で進行させていた議論を作り手の「釣り宣言」と同時に幕引きにする必要もないのです。
「釣りだろうが何だろうが、それと似たような事は起こりうるかも知れない」
「この文章自体は釣りだろうが、こういった事件を起こす人間は身近にいる。さてどう対処すべきだろうか」
そういったレスや議論に対して「釣りでした」は何の意味も持ちません。
そういった意味で「強い」のです。
従来の「Aさん最低ですね」「Bさんも悪いと思う」などの反応は、
作り手の「釣りでした!爆釣!」の一言で全てが『踊らされた馬鹿』になってしまっていました。
この新しいスタイル(昔からあったんだろうけど最近まで僕はあまり目にしていなかったスタイル)は、
その点において明らかに従来よりも「強い」と思います。
拙い文章力だったのでうまく話したいことをまとめられた気がしません。
身の回り見てると、ちゃんとお金が回っていて、酷いことをしていないかどうかが、大体女子カーストに影響してる。
ちゃんと結婚した人と、ちゃんと働いてる独身女性同士は会う頻度は落ちてもわりと交流続いて、あとあとまた一緒に遊びだしたりするけど、DQNと結婚しているとか、そもそも親元にいて自立できていない人とかとは切れてる。
基本女子カーストって社会的にちゃんとしているかどうかで立ち居地決まってるし、既婚か未婚かは住処が違うだけで、あんま上下には影響しない。(格上と結婚すれば間違いなく上がるが)
一方男子は、どうも未婚か既婚かが問答無用で男子カースト上下に影響するっぽいね。
これは多分、昔の結婚は格上の男性と格下の女性がするのが基本だったからじゃないかな?
女性は結婚するなら格上が当たり前、結婚しないならしないで実家の労働力であることを維持するのでカースト変化なし(小姑ルート)、みたいな感じだけど、男性の場合格下と結婚するのが当たり前なので相手の格はあんまりカーストの上下には影響しない。
むしろ、結婚したという事実が甲斐性を証明するので、したことがあるか、したことがないかがカーストで影響するし、既婚率が上がる年齢とともに独身はカーストが落ちるという。
おかげで、男性は×ついても、とりあえず過去に結婚したことがある事実があれば格が上がるのに対して、女性の場合下手な結婚して×がつくとずっと独身より格が下がるから、この辺で需要と供給がつりあわないという。
大学進学と共に県外に出てバンドサークルに入って、ある意味大学デビューしたことでスクールカースト最底辺の気持ちを共有できる仲間に何人か出会った。先輩にもいたし後輩にもいた。意外に思うかもしれないがバンドやってる人間には一定の割合でこういう人間も存在する。もちろんいろんな人がいるけど。
それで感じたのはその多くが大人になってもスクールカーストを心のどこかで引きずっていることだ。「イケてる奴ら」に対するルサンチマンを持っててそれをまるで自分のアイデンティティのように感じている。
僕も劣等感とルサンチマンの塊みたいな人間で、何年経ってもなんだか満たされない違和感を感じてる。自分を好きになれないし、自分も自分の将来も肯定的に見ることができない。嫉妬とか妬みとか女性嫌悪とかで息苦しい。
普通以上のカーストに属する普通の学校生活ってのがどういうものなのかいまいち想像できない。不良に肩パンされたり意味もなく蹴られたり、笑いものにされたり、10代そこらで自分のヒエラルキーとか程度ってものを骨身にしみて理解してしまった。
今年の初め、絶対に誘われないと思ってた同窓会に誘われた。地元にいないのでいけないことを伝えると「そっか。また誘うわ」とのこと。自分らだけまともに大人になってんじゃねえ。
ただ、今回の書き込みで思うに、ママ友層が特殊なのかなーとか思った
うちは超待機児童地区&人気保育所らしく、毎年よそからの応募ですごい倍率なんだけれど、
面接の時期にはほとんどの入所者が決まってる(もちろん地元民優先、口利き横行しまくり)
超高層分譲マンソンも数年で一気に増えたが、なぜか子持ち世帯が入居してないみたいだし
地価が高くて、空き地パーキングは多いが、一戸建ては昔からの地元民が世代交代してる感じ
賃貸住宅は元が取れないのか少ない
そんな中でもわざわざ賃貸に引越しして通学させる家族もいるが、
なぜだか、個人情報はすぐに入ってくるんだよね
都市過ぎて逆に閉鎖的なのかも